東京地方裁判所 昭和59年(ワ)4746号 判決 1992年2月07日
《目次》
【判決(一)】
〔事件の表示〕
判決
当事者、訴訟代理人及び指定代理人の表示〔別紙目録のとおり〕
主文
〔別紙〕認容金額一覧表
〔別紙〕請求棄却原告目録
事実
第一章 当事者の求めた裁判
第一節 請求の趣旨
第二節 請求の趣旨に対する答弁
〔別紙〕請求金額一覧表
〔別紙〕遅延損害金起算日一覧表
第二章 当事者の主張
第一節 請求原因の骨子
第一 相続による承継
第二 水俣病と被告チッソの工場排水との一般的因果関係
第三 水俣病の病像・診断
一 水俣病病像論の基本的視点
二 水俣病病像論の歴史
三 慢性水俣病
四 水俣病の症状とその診断上の意義
1 感覚障害(知覚障害)
(一) 水俣病による感覚障害
(二) 水俣病における感覚障害の頻度
(三) 感覚障害だけの水俣病
(四) 水俣病の診断における感覚障害の重要性
(五) 他疾患によるものとの鑑別
2 運動失調、構音障害
3 求心性視野狭窄
4 聴力障害
5 その他の神経症状
6 自覚症状
7 全身の障害
五 水俣病の診断
1 有機水銀汚染歴
2 水俣病の診断に当たり重視すべき事項
3 水俣病の診断基準
4 認定審査会の判断の問題点
第四 原告らの水俣病罹患
第五 被告チッソの責任原因
第六 被告国、同熊本県の責任原因
一 事実経過
1 昭和二九年八月までの事実経過の概要
2 昭和三二年九月までの事実経過の概要
3 昭和三四年一一月までの事実経過の概要
二 被告国・県の責任の構造
三 食品衛生法、漁業法などに基づく漁獲・販売禁止措置をとらなかった責任
1 食品の安全性を確保すべき国の責務
2 本件における責任の全体的構造
3 食品衛生行政上の権限不行使による責任
(一) 食品衛生法上の権限を行使すべき義務とそれを基礎づける根拠
(1) 調査義務
(2) 告示・周知徹底義務
(3) 危険除去・営業停止等の措置義務
(二) 本件における義務の具体的内容及び被告国・県の義務違反
(1) 昭和三二年九月時点
(2) 昭和三四年一一月時点
4 水産行政上の権限不行使による責任
(一) 漁業法三九条一項、五項の趣旨、適用
(二) 熊本県漁業調整規則の趣旨、適用
(三) 本件における権限行使の義務及び被告国・県の義務違反
5 行政指導の不徹底・不十分性
四 被告チッソ水俣工場の排水規制をしなかった責任
1 水産行政上の責任
(一) 工場排水等に対する規制権限の根拠法規とその解釈
(二) 本件における具体的作為義務違反
2 水質二法行政上の責任
(一) 水質二法の趣旨
(二) 本件における具体的作為義務の発生とその違反
(三) 工場排水規制法一五条に基づく行政指導の不作為による責任
3 通産行政上の行政指導の不作為による責任
(一) 通商産業省による行政指導
(二) 本件における具体的作為義務の発生とその違反
五 作為義務と根拠法規との関係
1 義務法規の違反
2 規制権限の裁量法規違反
3 緊急避難的行政行為
六 まとめ
第七 被告チッソ子会社の責任原因
一 被告チッソ子会社の概要
二 法人格の形骸化
三 法人格の濫用
四 〔まとめ〕
第八 損害
一 包括請求とその正当性
二 一律請求とその正当性
三 本訴請求額の正当性
第二節 請求原因に対する認否
(被告チッソ及び同チッソ子会社)
(被告国・県)
第三節 被告らの主張の骨子
(被告国・県)
第一 水俣病の病像・診断
一 訴訟における因果関係の認定について
二 医学的診断について
三 救済法、補償法上の認定をめぐる問題について
四 慢性水俣病について
五 原告らの主張する診断基準について
1 有機水銀汚染歴について
2 水俣病の診断における感覚障害の意義について
3 他疾患との鑑別について
4 まとめ
六 元倉医師の診断の問題点について
第二 原告らの水俣病罹患の有無
第三 被告国・県の責任
一 本件における基本的問題点
1 規制権限の存否について
2 法律による行政の原理について
3 原告らの本件における作為義務の根拠に関する主張について
4 原告らの主張する被侵害利益と作為義務との関係(いわゆる反射的利益論)について
5 緊急避難的行政行為について
二 原告らの主張する規制権限について
1 食品衛生法
2 漁業法
3 水産資源保護法及び熊本県漁業調整規則
4 水質二法
三 各規制権限の自由裁量性について
四 担当公務員の故意・過失について
五 規制権限の不行使と原告らの損害との因果関係
1 規制権限の内容と原告らの損害との因果関係
2 規制権限の不行使が違法となる時期と原告らの損害との因果関係
六 行政指導について
1 行政指導の不作為と国賠法一条の要件
(一) 行政指導の不作為と国賠法一条一項の違法性
(二) 行政指導の不作為と損害発生との因果関係
2 本件における被告チッソに対する行政指導
(一) 工場排水規制法一五条について
(二) 排水浄化施設の設置指導義務について
(三) 排水につき閉鎖循環方式を採用するよう指導すべき義務について
(四) 工場排水の停止を促す義務について
3 本件における住民に対する行政指導
七 時効、除斥期間について
1 時効期間満了による権利の消滅
2 除斥期間満了による権利の消滅
(被告チッソ及び同チッソ子会社)
一 〔水俣病の病像・診断及び原告らの水俣病罹患の有無について〕
二 被告チッソ子会社の責任について
1 被告チッソ子会社設立の経緯について
2 被告チッソ子会社の設立当時の水俣病をめぐる状況について
3 法人格の形骸事例に該当するとの原告らの主張について
4 法人格の濫用事例に該当するとの原告らの主張について
第四節 被告国・県の時効、除斥期間の抗弁に対する原告らの再抗弁
第三章 証拠<省略>
〔別紙〕当事者目録
〔別紙〕代理人目録
【判決(二)】
理由
《書証の成立についての判断》
第一章一般的因果関係
第二章被告チッソの帰責原因
第三章基本的事実関係
第一歴史的経緯の概観
一水俣病公式発見(昭和三一年五月一日)前
1 工場排水による漁業被害
2 三好報告書
3 茂道部落の猫の死亡など
二原因究明の過程
1 公式発見から熊大研究班の結成まで
2 熊大研究班による調査研究の開始
3 熊大研究班第一回研究報告会
4 厚生省科学研究班の結成と現地調査
5 国立公衆衛生院における研究発表会
6 熊大研究班第二回研究報告会
7 熊大研究班第一報配布
8 厚生省厚生科学研究班の打合せ会及び報告書
9 伊藤所長の猫実験
10 厚生省厚生科学研究班の同年〔昭和三二年〕七月一二日開催の研究報告会
11 熊大研究班の第二報配布
12 第一二回日本公衆衛生学会総会
13 厚生省厚生科学研究班の研究報告会(昭和三二年一一月二九日)
14 熊大研究班の被告チッソに対する照会と回答
15 厚生省厚生科学研究班の研究報告
16 厚生省食品衛生調査会水俣食中毒部会の発足
17 熊大研究班第三報配布
18 武内の研究状況
19 熊大研究班の研究報告会
20 後藤の発生機序に関する見解発表
21 被告チッソの見解発表・その一
22 清浦の調査研究
23 大島の「爆薬説」
24 食品衛生調査会合同委員会の開催
25 被告チッソの見解発表・その二
26 細川の猫四〇〇号実験
27 清浦の調査研究報告
28 食品衛生調査会の厚生大臣に対する答申
29 熊大研究班第四報配布
30 内田らの研究
31 入鹿山らの研究
32 政府公式見解の発表
33 自然界における無機水銀のメチル水銀化について
34 塩化ビニール製造工程におけるメチル水銀の副生
35 まとめ
三水俣病被害の拡大、被告らの対応及び社会的状況等
1 〔公式発見から熊大研究班の結成まで〕
2 伊藤所長らによる漁獲自粛の指導
3 昭和三二年初めころの社会的状況
4 食品衛生法適用についての厚生省への照会とその回答等
5 内藤大介技師の報告
6 津奈木村における猫の発病等
7 昭和三二年八月一四日の水俣奇病対策懇談会
8 県衛生部長の指示
9 尾村厚生省環境衛生部長の答弁
10 山口厚生省公衆衛生局長による関係各省及び被告県への通知
11 新患者の発生
12 水俣漁協による漁民大会決議
13 アセトアルデヒド排水の排水経路変更
14 患者発生地域の拡大
15 沢木技師の報告
16 特別立法制定の陳情
17 想定危険海域の拡大
18 県議会水俣病対策特別委員会の設置
19 鹿児島県出水市米ノ津地区における水俣病猫の発生
20 鹿児島県出水市における水俣病患者の発生、確認
21 有機水銀説の発表と被告チッソの対応
22 水俣市鮮魚小売商組合の不買決議と水俣漁協等による被告チッソに対する漁業補償の要求
23 特別立法制定の陳情等
24 水俣市議会等の動き
25 通産省の被告チッソに対する行政指導等
26 通産省からアセトアルデヒド等生産工場に対する工場排水の水質調査報告依頼
27 水産庁による被告チッソへの要請
28 被告チッソ水俣工場の排水処理経路の公表、サイクレーターの完成
29 東京工場試験所による工場排水の分析
30 不知火海漁業紛争調停委員会による調停
第二メチル水銀に関する知見
一メチル水銀の毒性の特色
二魚介類へのメチル水銀蓄積
三水銀の定量分析法の変遷
1 昭和三四年当時の有機水銀の定量分析技術
(一) 総水銀の定量分析法
(二) 有機水銀の定量分析法
2 その後の有機水銀の定量分析法の確立経過
第三チッソ水俣工場から排出されたメチル水銀量の変遷
一アセトアルデヒド製造工程の概略とメチル水銀の副生
二工場外に排出されたメチル水銀量
1 〔排水量及び排水経路等〕
2 〔アセトアルデヒド排水系統の変遷及び排水の処理方法〕
(一) 昭和七年から昭和二〇年まで
(二) 昭和二一年から昭和三三年八月まで
(三) 昭和三三年九月から昭和三四年一〇月まで
(四) 昭和三四年一〇月一九日から同年一二月一九日まで
(五) 昭和三四年一二月二〇日から昭和三五年七月まで
(六) 昭和三五年八月から昭和四一年六月まで
(七) 昭和四一年七月から昭和四三年五月まで
3 チッソ水俣工場から工場外に排出されたメチル水銀量
(一) 昭和七年から昭和二〇年まで
(二) 昭和二一年から昭和三三年八月まで
(三) 昭和三三年九月から昭和三四年一〇月まで
(四) 昭和三四年一〇月一九日から同年一二月一九日まで
(五) 昭和三四年一二月二〇日から昭和三五年七月まで
(六) 昭和三五年八月から昭和四一年六月まで
(七) 昭和四一年七月から昭和四三年五月まで
4 魚介類汚染の推移とメチル水銀量の関係
第四不知火海沿岸住民の毛髪水銀値
第五水俣病患者の発生と因果関係のある工場排水の排出
第四章被告国・県の責任
第一本件における基本的問題点
第二原告らの主張する規制権限
一食品衛生法
1 規制権限の存否、行使の要件
2 本件における規制権限行使の要件の充足、作為義務の発生
二漁業法
三水産資源保護法及び熊本県漁業調整規則
1 規制権限の存否、行使の要件
2 本件における規制権限行使の要件の充足
四公共用水域の水質の保全に関する法律及び工場排水等の規制に関する法律(水質保全法及び工場排水規制法)
1 規制権限の存否
2 経済企画庁長官の指定水域の指定、水質基準の設定の義務
第三行政指導の不作為
一行政指導と国家賠償責任
二被告チッソに対する行政指導
1 〔通産省の対応〕
2 〔通産大臣による行政指導の可能性と合理性〕
3 〔通産大臣による行政指導の作為義務・その一〕
4 〔通産大臣による行政指導の作為義務・その二〕
5 〔通産大臣による行政指導の作為義務・その三〕
三住民に対する行政指導
1 〔厚生大臣及び熊本県知事による行政指導の作為義務〕
2 〔厚生省及び熊本県の対応等〕
3 〔原告らに対する関係での行政指導の作為義務〕
4 〔まとめ〕
第四緊急避難的行政行為について
【判決(三)】
第五章原告らの水俣病罹患(個別的因果関係)・総論
第一節水俣病認定制度と五二年判断条件
一はじめに
二水俣病認定制度の経緯
1 救済法制定以前の制度
2 救済法の制定
3 昭和四六年環境庁事務次官通知
4 公害健康被害補償法の制定
5 水俣病被害者団体と被告チッソとの協定
6 五二年判断条件
7 特別医療事業の実施
8 熊本県の県債発行
9 認定業務の状況
三検討
第二節原告ら提出の診断書、意見書
一元倉診断書
二鈴木診断書
三共同意見書
四原田意見書
五大勝反論書に対する反論
第三節鹿児島県における水俣病認定業務の概要と審査会資料
一認定手続の概要
二審査会委員、専門委員
三被告国・県が本訴において証拠として提出した原告らの認定審査にかかる書類
四審査会資料説明書、大勝反論書
第四節水俣病の臨床・疫学
一水俣病発見当初の報告
二ハンター・ラッセルの報告
三徳臣の研究
四新潟水俣病の発生と椿らの研究
五新潟水俣病と熊本水俣病
六熊本大学二次研究班の調査
七熊本県・鹿児島県の住民健康調査
八藤野らによる出水市桂島の調査
九藤野らによる御所浦地区の住民検診
一〇いわゆる不知火海大検診
一一最近の認定患者の神経症候についての報告
一二小括的検討
第五節水俣病の病理
一熊本大学における病理解剖に基づく知見
1 人体病理学的特徴
2 病変の程度
3 水俣病の病理学的所見と臨床症状の相関
4 水俣病軽症例の病理と臨床診断
二新潟水俣病の病理学的研究
三水俣病の病理学的診断基準
第六節水俣病の発症機序と慢性水俣病について
一メチル水銀の生物学的半減期
二メチル水銀の人体における発症閾値
三慢性水俣病
四水俣病の発症機序をめぐる議論について
五いわゆる心因性の問題
第七節水俣病の主要症候とその診断
第一感覚障害
一感覚障害の所見、診断
二水俣病にみられる感覚障害の態様
三水俣病にみられる感覚障害の原因(責任病変)
第二運動失調
一概念・分類
二運動失調の検査方法
三水俣病にみられる運動失調
四運動失調と水俣病の診断
1 〔運動失調の判断の困難性〕
2 〔運動失調をめぐる議論〕
(一) 運動の緩慢について
(二) 平衡機能障害の所見のとり方
(三) 平衡機能障害と水俣病の診断
(四) ロンベルグ徴候について
第三求心性視野狭窄
一水俣病による視野障害
二視野の測定について
三眼球運動異常について
第四難聴
一難聴の種類・程度・検査方法
二水俣病にみられる難聴
第八節水俣病のその他の症状
第一その他の神経症状について
一味覚、嗅覚障害
二振戦
三筋力低下
第二いわゆる全身病説について
一〔はじめに〕
二〔白木の所説〕
三〔その他の報告〕
四〔全身病説の問題点〕
五〔まとめ〕
第三自覚症状
一水俣病患者の自覚症状
二頭痛
三自覚症状と水俣病の診断
第九節有機水銀曝露歴をめぐる議論について
第一水俣病の診断と有機水銀曝露歴
第二本件原告らの有機水銀曝露歴を推認させる一般的事実
第一〇節水俣病の診断
第一問題の所在
第二水俣病の診断における感覚障害の所見の意義
一〔感覚障害の特異性の有無〕
二〔他原因による発現頻度〕
三〔感覚障害の単独出現の可能性〕
第三他疾患との鑑別
一深部反射の亢進
二糖尿病性ニューロパチー
三脊椎変性疾患
1 〔はじめに〕
2 〔脊椎の変化による症状の出現〕
3 〔責任椎間板高位〕
4 〔脊椎変性疾患の症状〕
(一) 頚椎症性脊髄症
(二) 頚椎症性神経根症
(三) 変形性腰椎症
(四) 頚部椎間板ヘルニア
(五) その他
5 〔脊椎変性疾患と水俣病との鑑別〕
6 小括的検討
四その他の疾患
第四原告らの主張する診断基準についての総括的検討
第五水俣病診断及び認定をめぐる問題状況
第一一節本訴における原告らの水俣病罹患の有無についての判断方法
【判決(四)】
第六章原告らの水俣病罹患(個別的因果関係)・各論
第一全体的検討
一原告らの水俣病認定申請棄却の経緯
二有機水銀曝露歴について
三症状の発生と経過について
四既往歴について
五自覚症状について
六臨床症状について
1 感覚障害
2 運動失調
3 求心性視野狭窄
4 難聴
七臨床診断上問題となるその他の所見について
1 レ線所見
2 頭部CT所見
3 糖負荷試験
4 その他
八共同意見書中の見解について
第二個別原告についての検討
一原告渡邊幸男(原告番号三)について
二原告市川義信(原告番号四)について<省略>
三原告東山政盛(原告番号二五)について<省略>
四原告東山瑞枝(原告番号二六)について<省略>
五原告渡邊利男(原告番号二八)について<省略>
六原告渡邊美代子(原告番号二九)について
七原告江尻サダエ(原告番号三〇)について<省略>
八原告関下シヅ子(原告番号三一)について<省略>
九原告中村トミエ(原告番号三二)について<省略>
一〇原告尾上春喜(原告番号三三)について<省略>
一一原告尾上ハル子(原告番号三四)について<省略>
一二原告塩田信行(原告番号三五)について<省略>
一三原告塩田ハル子(原告番号三六)について<省略>
一四原告松下熊次郎(原告番号三七)について<省略>
一五原告西トミヨ(原告番号三九)について<省略>
一六原告田原ミツ(原告番号四一)について<省略>
一七原告川﨑アサエ(原告番号四二)について<省略>
一八原告川﨑久雄(原告番号四三)について<省略>
一九原告柴田林子(原告番号四四)について<省略>
二〇亡樋渡シモ(原告番号四五)について<省略>
二一原告西村嘉哉市(原告番号四六)について<省略>
二二原告福田マサノ(原告番号四七)について<省略>
【判決(五)】
二三原告西ヨシノ(原告番号四八)について<省略>
二四原告本戸ツル子(原告番号五一)について<省略>
二五亡坂口スエノ(原告番号五二)について<省略>
二六原告安留トヨ(原告番号五三)について<省略>
二七原告新立マツエ(原告番号五四)について<省略>
二八原告古賀美俊(原告番号七五)について<省略>
二九原告古賀ミサ子(原告番号七六)について<省略>
三〇原告古賀喜久雄(原告番号七七)について<省略>
三一原告山下覺(原告番号七八)について<省略>
三二原告山下アキ子(原告番号七九)について<省略>
三三亡浜島綱行(原告番号八〇)について<省略>
三四原告浜島サダ子(原告番号八一)について<省略>
三五原告森ヨシエ(原告番号八二)について<省略>
三六原告澤村幸子(原告番号八三)について<省略>
三七原告尾上利美(原告番号八四)について<省略>
三八原告吉田稔(原告番号八五)について<省略>
三九原告松本セイ(原告番号八六)について<省略>
四〇原告百澤正四郎(原告番号八八)について<省略>
四一原告山内スエノ(原告番号八九)について<省略>
四二原告村上ミツヨ(原告番号九〇)について<省略>
四三原告金丸清秋(原告番号九一)について<省略>
四四原告嵐鐵夫(原告番号九二)について<省略>
四五原告嵐ミヨ子(原告番号九三)について<省略>
四六原告松下淺義(原告番号九四)について<省略>
四七原告下野政治(原告番号一〇一)について<省略>
【判決(六)】
四八原告尾上早一(原告番号一〇二)について<省略>
四九原告尾上マサエ(原告番号一〇三)について<省略>
五〇原告田原重夫(原告番号一〇四)について<省略>
五一亡坂口兵松(原告番号一〇五)について<省略>
五二原告松下カヅエ(原告番号一一一)について<省略>
五三原告澤村次良(原告番号一一二)について<省略>
五四原告澤村ツタエ(原告番号一一三)について<省略>
五五原告尾下ミツノ(原告番号一一四)について<省略>
五六原告中村フジエ(原告番号一一五)について<省略>
五七原告浦中フジヨ(原告番号一一六)について<省略>
五八原告岩川俊夫(原告番号一一七)について<省略>
五九原告岩川ツルノ(原告番号一一八)について<省略>
六〇原告岩本安夫(原告番号一二〇)について<省略>
六一原告岩嵜民子(原告番号一二一)について<省略>
六二原告村上シヅノ(原告番号一二二)について<省略>
六三原告岩本サネ(原告番号一二三)について<省略>
六四原告岩内義盛(原告番号一二五)について<省略>
第七章 損害
第一原告らの包括一律請求について
第二本訴における損害賠償額
一慰藉料
二弁護士費用及び遅延損害金
三亡樋渡シモ及び亡濱島綱行の死亡による承継
第八章被告チッソ子会社の責任
第一被告チッソ子会社の概要
第二法人格の形骸化の主張について
第三法人格の濫用の主張について
第九章除斥期間について
第一〇章結論
第一一章水俣病紛争の早期、適正かつ全面的な解決について
〔別紙一ないし四九〕<一部省略>
〔別紙一ないし四九の出典等について〕
【別添(一)】
〔原告らの主張(個別原告の症状について)1〕<省略>
【別添(二)】
〔原告らの主張(個別原告の症状について)2〕<省略>
【別添(三)】
〔被告国・熊本県の主張(個別原告の症状について)〕<省略>
判決
当事者、訴訟代理人及び指定代理人の表示
別紙当事者目録及び代理人目録記載のとおり
主文
一 被告チッソ株式会社は、別紙認容金額一覧表記載の原告らに対し、各原告に対応する同表「合計認容金額」欄記載の各金員及びこれに対する平成元年一二月八日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
二 別紙認容金額一覧表記載の原告らの被告チッソ株式会社に対するその余の請求及びその余の被告らに対する請求をいずれも棄却する。
三 別紙請求棄却原告目録記載の原告らの被告らに対する請求をいずれも棄却する。
四 訴訟費用の負担は次のとおりとする。
1 別紙認容金額一覧表記載の原告らと被告チッソ株式会社との間に生じた分は、これを四分し、その一を同被告の負担とし、その余を右原告らの負担とする。
2 別紙請求棄却原告目録記載の原告らと被告チッソ株式会社との間に生じた分は、全部右原告らの負担とする。
3 原告らと被告国、同熊本県、同チッソ石油化学株式会社、同チッソポリプロ繊維株式会社、同チッソエンジニアリング株式会社との間に生じた分は、全部原告の負担とする。
五 この判決は、第一項記載の認容金額につき各二分の一の限度において仮に執行することができる。
〔別紙〕認容金額一覧表
原告番号
三
四
二五
二六
二八
三二
三四
三五
三六
三七
三九
四二
四三
四五
四六
四七
四八
五三
五四
七五
七七
七八
七九
八〇
八一
八四
八五
八六
八八
九〇
九一
九二
九三
一〇一
一〇三
一一一
一一二
一一五
一一六
一一八
一二一
一二二
原告
渡邊幸男
市川義信
東山政盛
東山瑞枝
渡邊利男
中村トミエ
尾上ハル子
塩田信行
塩田ハル子
松下熊次郎
西トミヨ
川﨑アサエ
川﨑久雄
亡樋渡シモ訴訟承継人
樋渡眞紀代
樋渡絹代
樋渡一男
岩﨑澄子
西村嘉哉市
福田マサノ
西ヨシノ
安留トヨ
新立マツエ
古賀美俊
古賀喜久雄
山下覺
山下アキ子
亡濱島綱行訴訟承継人
濱島剛
濱島浩昭
濱島サダ子
濱島サダ子
亡
濱
島
綱
行
訴
訟
承
継
人
分
と
の
合
計
認
容
額
六
〇
〇
万
円
尾上利美
吉田稔
松本セイ
百澤正四郎
村上ミツヨ
金丸清秋
嵐鐵夫
嵐ミヨ子
下野政治
尾上マサエ
松下カヅエ
澤村次良
中村フジエ
浦中フジヨ
岩川ツルノ
岩嵜民子
村上シヅノ
慰藉料
三五〇万円
三五〇万円
三五〇万円
三五〇万円
三五〇万円
三五〇万円
三五〇万円
三五〇万円
三五〇万円
三五〇万円
三五〇万円
三五〇万円
三五〇万円
八七万五〇〇〇円
八七万五〇〇〇円
八七万五〇〇〇円
八七万五〇〇〇円
三五〇万円
三五〇万円
三五〇万円
三五〇万円
三五〇万円
三五〇万円
三五〇万円
三五〇万円
三五〇万円
八七万五〇〇〇円
八七万五〇〇〇円
一七五万円
三五〇万円
三五〇万円
三五〇万円
三五〇万円
三五〇万円
三五〇万円
三五〇万円
三五〇万円
三五〇万円
三五〇万円
三五〇万円
三五〇万円
三五〇万円
三五〇万円
三五〇万円
三五〇万円
三五〇万円
三五〇万円
弁護士費用
五〇万円
五〇万円
五〇万円
五〇万円
五〇万円
五〇万円
五〇万円
五〇万円
五〇万円
五〇万円
五〇万円
五〇万円
五〇万円
一二万五〇〇〇円
一二万五〇〇〇円
一二万五〇〇〇円
一二万五〇〇〇円
五〇万円
五〇万円
五〇万円
五〇万円
五〇万円
五〇万円
五〇万円
五〇万円
五〇万円
一二万五〇〇〇円
一二万五〇〇〇円
二五万円
五〇万円
五〇万円
五〇万円
五〇万円
五〇万円
五〇万円
五〇万円
五〇万円
五〇万円
五〇万円
五〇万円
五〇万円
五〇万円
五〇万円
五〇万円
五〇万円
五〇万円
五〇万円
合計認容金額
四〇〇万円
四〇〇万円
四〇〇万円
四〇〇万円
四〇〇万円
四〇〇万円
四〇〇万円
四〇〇万円
四〇〇万円
四〇〇万円
四〇〇万円
四〇〇万円
四〇〇万円
一〇〇万円
一〇〇万円
一〇〇万円
一〇〇万円
四〇〇万円
四〇〇万円
四〇〇万円
四〇〇万円
四〇〇万円
四〇〇万円
四〇〇万円
四〇〇万円
四〇〇万円
一〇〇万円
一〇〇万円
二〇〇万円
四〇〇万円
四〇〇万円
四〇〇万円
四〇〇万円
四〇〇万円
四〇〇万円
四〇〇万円
四〇〇万円
四〇〇万円
四〇〇万円
四〇〇万円
四〇〇万円
四〇〇万円
四〇〇万円
四〇〇万円
四〇〇万円
四〇〇万円
四〇〇万円
四〇〇万円
〔別紙〕請求棄却原告目録
原告番号 原告
二九 渡邊美代子
三〇 江尻サダエ
三一 関下シヅ子
三三 尾上春喜
四一 田原ミツ
四四 柴田林子
五一 本戸ツル子
五二 亡坂口スエノ訴訟承継人
坂口時義
村本ミツ子
上杉エミ子
坂口和子
坂口勝
坂口幸弘
福島進
七六 古賀ミサ子
八二 森ヨシエ
八三 澤村幸子
八九 山内スエノ
九四 松下淺義
一〇二 尾上早一
一〇四 田原重夫
一〇五 亡坂口兵松訴訟承継人
坂口巖
一一三 澤村ツタエ
一一四 尾下ミツノ
一一七 岩川俊夫
一二〇 岩本安夫
一二三 岩本サネ
一二五 岩内義盛
事実
第一章 当事者の求めた裁判
第一節 請求の趣旨
一 被告らは各自、別紙請求金額一覧表記載の原告らに対し、各原告に対応する同表記載の各金員及びこれに対する別紙遅延損害金起算日一覧表記載の起算日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
二 訴訟費用は被告らの負担とする。
三 仮執行の宣言
第二節 請求の趣旨に対する答弁
(被告ら)
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
(被告国、同熊本県)
三 担保を条件とする仮執行免脱の宣言
請求金額一覧表
原告番号 原告 請求金額
三 渡邊幸男 一九八〇万円
四 市川義信 同
二五 東山政盛 同
二六 東山瑞枝 同
二八 渡邊利男 同
二九 渡邊美代子 同
三〇 江尻サダエ 同
三一 関下シヅ子 同
三二 中村トミエ 同
三三 尾上春喜 同
三四 尾上ハル子 同
三五 塩田信行 同
三六 塩田ハル子 同
三七 松下熊次郎 同
三九 西トミヨ 同
四一 田原ミツ 同
四二 川﨑アサエ 同
四三 川﨑久雄 同
四四 柴田林子 同
四五 亡樋渡シモ訴訟承継人
樋渡眞紀代 四九五万円
樋渡絹代 同
樋渡一男 同
岩﨑澄子 同
四六 西村嘉哉市 一九八〇万円
四七 福田マサノ 同
四八 西ヨシノ 同
五一 本戸ツル子 同
五二 亡坂口スエノ訴訟承継人
坂口時義 三三〇万円
村本ミツ子 同
上杉エミ子 同
坂口和子 同
坂口勝 同
坂口幸弘 一六五万円
福島進 同
五三 安留トヨ 一九八〇万円
五四 新立マツエ 同
七五 古賀美俊 同
七六 古賀ミサ子 同
七七 古賀喜久雄 同
七八 山下覺 同
七九 山下アキ子 同
八〇 亡濱島綱行訴訟承継人
濱島剛 四九五万円
濱島浩昭 四九五万円
濱島サダ子 九九〇万円
八一 濱島サダ子 一九八〇万円
(亡濱島綱行訴訟承継人分との合計二九七〇万円)
八二 森ヨシエ 一九八〇万円
八三 澤村幸子 同
八四 尾上利美 同
八五 吉田稔 同
八六 松本セイ 同
八八 百澤正四郎 同
八九 山内スエノ 同
九〇 村上ミツヨ 同
九一 金丸清秋 同
九二 嵐鐵夫 同
九三 嵐ミヨ子 同
九四 松下淺義 同
一〇一 下野政治 同
一〇二 尾上早一 同
一〇三 尾上マサエ 同
一〇四 田原重夫 同
一〇五 亡坂口兵松訴訟承継人
坂口巖 同
一一一 松下カヅエ 同
一一二 澤村次良 同
一一三 澤村ツタエ 同
一一四 尾下ミツノ 同
一一五 中村フジエ 同
一一六 浦中フジヨ 同
一一七 岩川俊夫 同
一一八 岩川ツルノ 同
一二〇 岩本安夫 同
一二一 岩嵜民子 同
一二二 村上シヅノ 同
一二三 岩本サネ 同
一二五 岩内義盛 同
〔別紙〕遅延損害金起算日一覧表
事件番号
原告番号
原告
被告
起算日
昭和五九年(ワ)
第四七四六号
三
渡邊幸男
チッソら
昭和五九年五月一七日
四
市川義信
国
昭和五九年五月一七日
熊本県
昭和五九年五月一八日
昭和五九年(ワ)
第一四三七九号
二五
東山政盛
チッソら
昭和五九年一二月二〇日
二六
東山瑞枝
国
昭和六〇年二月七日
二八
渡邊利男
熊本県
昭和六〇年二月八日
二九
渡邊美代子
昭和五九年(ワ)
第一四三八六号
三〇
江尻サダヱ
チッソら
昭和五九年一二月二〇日
三一
関下シヅ子
国
昭和六〇年四月五日
三二
中村トミエ
熊本県
昭和六〇年四月六日
三三
尾上春喜
三四
尾上ハル子
昭和五九年(ワ)
第一四四二六号
三五
塩田信行
チッソら
昭和五九年一二月二〇日
三六
塩田ハル子
国
昭和六〇年七月二七日
三七
松下熊次郎
熊本県
昭和六〇年七月二八日
三九
西トミヨ
昭和五九年(ワ)
第一四四二七号
四一
田原ミツ
チッソら
昭和五九年一二月二〇日
四二
川﨑アサヱ
国
昭和六〇年八月六日
四三
川﨑久雄
熊本県
昭和六〇年八月六日
四四
柴田林子
昭和五九年(ワ)
第一四五〇三号
四五
亡樋渡シモ
チッソら
昭和五九年一二月二〇日
右訴訟承継人
国
昭和六〇年四月六日
樋渡眞紀代
熊本県
昭和六〇年四月七日
樋渡絹代
岩﨑澄子
四六
西村嘉哉市
四七
福田マサノ
四八
西ヨシノ
昭和五九年(ワ)
第一四五〇四号
五一
本戸ツル子
チッソら
昭和六〇年八月一日
五二
亡坂口スエノ
国
昭和六〇年八月六日
右訴訟承継人
熊本県
昭和六〇年八月六日
坂口時義
村本ミツ子
上杉ヱミ子
八二
坂口和子
八一
坂口勝
坂口幸弘
福島進
五三
安留トヨ
五四
新立マツエ
昭和五九年(ワ)
第一四六八一号
七五
古賀美俊
チッソら
昭和六〇年八月一日
七六
古賀ミサ子
国
昭和六〇年七月二七日
七七
古賀喜久雄
熊本県
昭和六〇年七月二八日
七八
山下覺
七九
山下アキ子
昭和五九年(ワ)
第一四六八二号
八〇
亡濱島綱行
チッソら
昭和六〇年四月九日
右訴訟承継人
国
昭和六〇年四月七日
濱島剛
熊本県
昭和六〇年四月九日
濱島浩昭
濱島サダ子
八一
濱島サダ子
八二
森ヨシヱ
昭和五九年(ワ)
第一四七〇七号
八三
澤村幸子
チッソら
昭和六〇年四月六日
八四
尾上利美
国
昭和六〇年四月六日
八五
吉田稔
熊本県
昭和六〇年四月七日
八六
松本セイ
昭和五九年(ワ)
第一四七〇九号
八八
百澤正四郎
チッソら
昭和六〇年八月一日
八九
山内スヱノ
国
昭和六〇年七月二六日
九〇
村上ミツヨ
熊本県
昭和六〇年七月二七日
昭和六〇年(ワ)
九二
金丸清秋
チッソら
昭和六〇年八月一日
九四
松下淺義
昭和六〇年(ワ)
第四六九一号
一〇一
下野政治
チッソら
昭和六〇年八月一日
一〇二
尾上早一
国
昭和六〇年八月一七日
一〇三
尾上マサエ
熊本県
昭和六〇年八月一八日
一〇四
田原重夫
一〇五
亡坂口兵松
右訴訟承継人
坂口巖
昭和六〇年(ワ)
第四六九三号
一一一
松下カヅヱ
チッソら
昭和六〇年八月一日
一一二
澤村次良
国
昭和六〇年八月九日
一一三
澤村ツタエ
熊本県
昭和六〇年八月一〇日
一一四
尾下ミツノ
一一五
中村フジヱ
昭和六〇年(ワ)
第四六九四号
一一六
浦中フジヨ
チッソら
昭和六〇年八月一日
一一七
岩川俊夫
国
昭和六〇年八月九日
一一八
岩川ツルノ
熊本県
昭和六〇年八月一〇日
一二〇
岩本安夫
昭和六〇年(ワ)
第四六九五号
一二一
岩嵜民子
チッソら
昭和六〇年八月一日
一二二
村上シヅノ
国
昭和六〇年八月六日
一二三
岩本サネ
熊本県
昭和六〇年八月六日
一二五
岩内義盛
(「被告」欄に「チッソら」とあるのは、被告チッソ株式会社、同チッソ石油化学株式会社、同チッソポリプロ繊維株式会社及ぴ同チッソエンジニアリング株式会社をいう。)
第二章 当事者の主張
第一節 請求原因の骨子
第一 相続による承継
一 訴訟承継前の原告亡樋渡シモ(原告番号四五)は、本件訴え提起後昭和六三年三月八日に死亡した。原告樋渡眞紀代、同樋渡絹代、同樋渡一男、同岩﨑澄子はいずれも亡樋渡シモの子であり、亡樋渡シモの権利義務を法定相続分に従って承継した。
二 訴訟承継前の原告亡坂口スエノ(原告番号五二)は、本件訴え提起後昭和六一年四月一八日に死亡した。原告坂口時義、同村本ミツ子、同上杉エミ子、同坂口和子、同坂口勝はいずれも亡坂口スエノの嫡出子、原告坂口幸弘、同福島進はいずれも亡坂口スエノの非嫡出子であり、亡坂口スエノの権利義務を法定相続分に従って承継した。
三 訴訟承継前の原告亡濱島綱行(原告番号八〇)は、本件訴え提起後昭和六三年一二月二四日に死亡した。原告濱島サダ子はその妻、同濱島剛、同濱島浩昭はいずれもその子であり、亡濱島綱行の権利義務を法定相続分に従って承継した。
四 訴訟承継前の原告亡坂口兵松(原告番号一〇五)は、本件訴え提起後昭和六三年四月二二日に死亡した。亡坂口兵松の相続人全員で協議した結果、原告坂口巖が亡坂口兵松の権利を承継することを合意した。
第二 水俣病と被告チッソの工場排水との一般的因果関係
水俣病は、被告チッソ株式会社(以下「被告チッソ」という。)水俣工場のアセトアルデヒド製造工程において生成されたメチル水銀化合物が工場廃水(以下理由中も含め「廃水」という言葉のほかに「排水」という言葉を用いることもあるが、概ね有意の差はないものとして用いている。)に含まれて、不知火海に放出され、魚介類の体内に蓄積され、これを地域住民が多量に経口摂取した結果引き起こされたものである。
第三 水俣病の病像・診断
一 水俣病病像論の基本的視点
水俣病の病像をどう定めるかは、医学的知見を基礎とはしながらも、何の目的のための診断基準を定めるかという社会科学的な性格を合わせ持つものである。特に、訴訟における水俣病像の把握は、医学的知見を基礎としつつも、その損害を誰が負担することが社会的衡平の理念に合致するかという視点から、専ら社会科学的な価値判断によってなされることになるのは当然である。
水俣病病像の多彩で多様な広がりを正しく理解するならば、不知火海の魚介類を多食した有機水銀曝露歴があり、四肢末梢型の感覚障害を主徴とし、これに水俣病によくみられる自覚症状を合わせ持つすべての患者が、感覚障害を含むすべての症候が他疾患によるものであることが明白な場合を除き、救済されるべきであるという結論に到達するであろう。これが被害者救済のための病像論であり、かかる病像論の定立が本訴で求められている。
二 水俣病病像論の歴史
1 原因究明のために定立される診断基準は、多発する疾患のなかからできるだけ症状の共通性をしぼってつくりあげられるものであるから、それは多彩な病状の全貌をとらえるものにはならないし、定立された診断基準からみて、その病状のすべてをそろえない、いわゆる不定型、不全型といわれるものが見落とされていく傾向があることは否めない。水俣病においても、ハンター・ラッセル症候群が水俣病の原因究明上大きな役割を果たしたが、原因が究明された後になっても、水俣病の病像がハンター・ラッセル症候群に固定されて把握されてきたために、有機水銀が環境汚染を通じて人体にいかなる被害を引き起こすものであるかの全貌を把握する調査研究が決定的に欠落することとなった。そして、昭和三五年二月に発足した水俣病患者診査協議会における認定は、ハンター・ラッセル症候群をそなえた者に限られ、水俣病はハンター・ラッセル症候群そのものであるように受け取られ、ハンター・ラッセル症候群の徴候をそなえない患者は切り捨てられた。
2 公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法(以下「救済法」という。)施行後も、公害被害者認定審査会では厳しい認定が行われていたが、棄却処分を受けた患者の提起した不服審査請求に対し、昭和四六年八月七日、棄却処分取消しの環境庁長官裁決がされ、「公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法の認定について(通知)」と題する事務次官通知が発せられ、認定の要件が示された。右通知は、症状が明らかに他の原因であると認められる場合を除き、有機水銀の影響によるものであることを否定し得ないものである場合には水俣病の範囲に含むとするとしており、それは広汎な環境汚染の結果地域住民が等しく汚染を受けたことを考慮すれば当然のことであり、これに従って救済のための認定が積極的に行われるべきであったが、補償と結び付いた切り捨てのための認定という本質は改善されなかった。
3 その後、昭和五二年七月一日に、「後天性水俣病の判断条件について」と題する環境庁環境保健部長通知(いわゆる五二年判断条件)が発せられたが、これは、前記事務次官通知が、感覚障害、運動失調等のいずれかがあればよいとしていたのを、二つ以上の症状の組合せを必要として認定に絞りをかけるなど、前記事務次官通知と対比すれば明らかに改悪であり、水俣病の認定の門を狭める目的と機能を有するものであって、これが発せられてからは、さらに認定率が減少し、棄却率が増加するようになった。この判断条件は、症状の組合せを要求し、水俣病像を極めて狭いものとしており、水俣病患者を認定するための要件としては厳格にすぎるものである。症状の組合せを要件とすれば、右組合せに含まれる症状(それはハンター・ラッセル症候群の主要症状である。)について必ずしも教科書的な症状を呈さない慢性水俣病に罹患しているか否かの判断をするのが極めて困難となるばかりか、神経内科、眼科、耳鼻咽喉科等の各専門分野において疫学的条件を無視した単科的な医学的判断をした上で、これを寄せ集めたにすぎないような誤った判断を導くことは見易い道理であり、その結果組合せ論は、慢性水俣病患者を救済から排除することに役立つのであって、それが不当であることは明らかである。
三 慢性水俣病
1 一般に、疾病、中毒には、その発生形態において、急性・亜急性のものから慢性のものまであり、症状の程度にも、劇症型から重症例、軽症例に至るまでさまざまなものがある。水俣病も同様であって、広範な環境汚染による中毒である水俣病にあっては、その数からいっても発見当初取り上げられた急性・重症例よりも慢性水俣病こそが典型例というべきものである。
2 慢性水俣病とは、相対的概念であるが、初発症状から症状が完成、固定するまでの期間がゆっくりした水俣病を指す。そこには、潜在性水俣病、不顕性水俣病、遅発性水俣病、特殊水俣病、加齢型水俣病といわれるものが含まれる。
慢性水俣病とよばれる一群の症例(患者群)には、次のような臨床症状の特徴がある。
① 慢性水俣病患者の多くに共通してみられる症候は、四肢末梢型感覚障害であり、これに加えて軽度の運動失調、求心性視野狭窄、感音性難聴を呈する者が多い。すなわち、その症状は、初期の急性、重症発症例に比べてハンター・ラッセル症候群の典型五症候が揃っていない不全型であり、しかも、ある症状は目立っているが、他の症状は見えにくくなっているというように、症状間にも不揃いがみられる特徴がある。
② 慢性水俣病の症状経過、すなわち、症状の発現と進行は非常に緩やかであり、五年あるいは一〇年かかって症状がジワジワと徐々に進行する。症状の経過が長いだけでなく、病状の進行の仕方も一様ではない。非常に長い期間かかって症状がジワジワと悪化し重症化していくタイプ、何かのきっかけで階段状に悪化していくタイプ、発作的に悪くなり、一時軽快してさらにまた次第に悪くなるタイプ、加齢とともに悪化するタイプなど、様々なタイプがみられる。
③ 慢性水俣病には一定のパターンをもった多彩な自覚症状が存在する。
四 水俣病の症状とその診断上の意義
1 感覚障害(知覚障害)
(一) 水俣病による感覚障害
水俣病による感覚障害の型としては、四肢末梢性の感覚障害及び口周囲の感覚障害が特徴的である。熊本大学二次研究班の調査によると、全身性の感覚障害、中枢型、脊髄型の感覚障害も水俣地区に高率に証明されている。
水俣病では、末梢神経と感覚の中枢である中心後回がともに障害されるので、水俣病による感覚障害には、その双方が関係している可能性がある。
障害の程度は、軽い感覚鈍麻から重い感覚脱失まで様々である。
(二) 水俣病における感覚障害の頻度
感覚障害は、有機水銀に汚染された地域住民に高率にみられている症状である。また、水俣病患者には、感覚障害が極めて高率に認められており、水俣病の症状の中でも最も出現率の高い症状である。
(三) 感覚障害だけの水俣病
(1) 感覚障害だけの水俣病といわれる患者も、水俣病に特有の多くの自覚症状を持っているのであり、また、詳細に検査をして症状を丁寧に拾いあげると、感覚障害だけという患者は極めて少なく、実際には、軽度の運動失調、求心性視野狭窄、難聴などの症状も認められることが多い。
感覚障害は水俣病患者に全体として高率にみられる症状であるが、水俣病患者には、感覚障害に加えて、運動失調、視野狭窄あるいは難聴という症状を複数個併せ持った例が多数存在するとともに、感覚障害のみの例も少数ではあるが存在しているのであって、感覚障害のみを呈する例がメチル水銀に汚染された魚介類を多食したと認められる地域住民の中に多数存在するというわけではない。
(2) 感覚障害だけの水俣病の可能性として、①有機水銀の曝露量が比較的少ない場合、感覚障害で初発し、症状がその段階で止まっているという可能性、②一旦、感覚障害のほかの症状も出現したが、感覚障害以外の症状は軽減して把握できなくなり、その結果、感覚障害だけがみられるという可能性があり、その可能性は、多くの報告等からみて十分に考えられるし、現実にも感覚障害だけの患者の存在が認められている。
(四) 水俣病の診断における感覚障害の重要性
感覚障害は、右のとおり、水俣病の主要な症状であり、基本的な症状である。
また、水俣病にみられる四肢末梢性、口周囲の感覚障害は、水俣病に特徴的であるというだけでなく、他の疾患に出てくることは極めて稀な症状であり、特異的な症状である。したがって、有機水銀に汚染された地域住民に四肢末梢性あるいは口周囲の感覚障害があれば、まず有機水銀の影響と考えるべきである。また、全身性、左右半身性(中枢型)、下半身型(脊髄型)の感覚障害であっても、有機水銀の影響は否定できない。全身性であるが四肢末梢ほど障害が強い例、一応半身性であるが、反対側または上肢にも軽い感覚障害がある例は、四肢末梢性プラスアルファの感覚障害として、有機水銀の影響があるとみるべきである。
(五) 他疾患によるものとの鑑別
原告側医師団が述べているように、ニューロパチー(多発神経炎)と水俣病とを鑑別することは容易である。ニューロパチーでは、原則として、深部腱反射が低下もしくは消失し、また神経伝導速度の低下を来すのに対し、水俣病患者においては、深部腱反射が低下せず、正常もしくは亢進を示すものが多数であり、かつ神経伝導速度もほとんどの例で正常であるからである。
鑑別を必要とする疾患は実際には少ないし、糖尿病性ニューロパチーや変形性脊椎症に伴う感覚障害についても、容易に鑑別できる。
2 運動失調、構音障害
水俣病にみられる運動失調や構音障害は、主として小脳の障害によるものであるが、小脳性ということにのみ固執するのでなく、より広い意味で失調をとらえるべきである。
小脳症状は、軽快しやすい症状であり、慢性水俣病でははっきりした症状としてとらえられないことが多いが、注意深く観察すると、日常生活の上で、動作の拙劣さ、遅さとしてとらえられ、これを教科書的意味で失調というかは別にして、慢性水俣病の特徴としてとらえるべきである。
3 求心性視野狭窄
有機水銀に汚染された地域住民に求心性視野狭窄がみられる場合、まず水俣病と考えて間違いない。
4 聴力障害
聴力障害は、ハンター・ラッセル症候群に含まれる症状であり、水俣病の主要症状の一つである。したがって、有機水銀に汚染された地域住民に、感音性難聴(特に後迷路性難聴)がみられる場合、その程度いかんにかかわらず、他にその症状をもたらす疾患が明らかに認められない場合は、水俣病の症状である可能性が高い。また、加齢による難聴の存在の可能性があっても、そのことから水俣病の影響を否定することはできない。
5 その他の神経症状
水俣病によるその他の神経症状としては、味覚・嗅覚障害、振戦、筋力低下(粗大力減弱)、筋萎縮、意識障害発作などがあり、有機水銀に汚染された地域住民にこれらの症状がある場合、水俣病との関係を考えなければならない。
6 自覚症状
慢性水俣病には、一定のパターンをもった多種、多様、多彩な自覚症状がある。出現頻度の高いものは、四肢のしびれ、疲れやすい、体がだるい、物忘れをする、計算や考えるのが難しい、頭痛や頭重、めまい、手足の力が弱い、からす曲がり、耳鳴り、耳が聞こえにくい、倒れやすい、歩行が不安定である、腰痛、ぼんやり見える、いらいらする、物を取り落とす、筋肉のぴくつき、言葉が出にくい、スリッパが履きにくい、頭がボーとする、指先がきかない、手が震える、根気がない、仕事が長続きしない、何もしたくない、手足の痛み、舌がもつれる、臭いがわからない、味がわからない、まわりが見えにくい、などである。
患者にとって最も苦痛な症状とされているものは、頭痛、四肢のしびれや痛み、疲労感、脱力、物忘れなどであり、頑固な自覚症状か長年月にわたって持続しているのが特徴である。これは、慢性水俣病が有機水銀による中毒性疾患であることに由来し、臨床症状や病理所見に対応するものである。
慢性水俣病の自覚症状には驚くほどの共通性がみられ、また、その症状にも際立った特徴があって特異的であり、初発症状及び病状の経過、病歴にも特異性が認められる。
したがって、原告側医師団も述べているとおり、慢性水俣病であるか否かを診断するに当たっては、患者の訴える自覚症状を重視しなければ正しい診断はできない。
7 全身の障害
白木博次らの研究により、有機水銀は、脳のみならず、肝臓、腎臓等の全身の臓器にも分布していることがわかり、水俣病患者に神経系のみならず、血管障害、高血圧、腎臓障害、肝臓障害、膵臓障害など全身性の障害がみられることと合わせて、メチル水銀が全身的に各種臓器の障害をも来している可能性が指摘されている。したがって、これらの症状については、メチル水銀とは関係のない症状だとして切り捨ててしまうのではなく、メチル水銀の影響の可能性を考えるべきである。
五 水俣病の診断
1 有機水銀汚染歴
水俣病は、被告チッソが長期かつ大量に有機水銀を含む工場廃水を不知火海に排出し、それにより汚染された魚介類を摂取することにより起こる有機水銀中毒である。したがって、水俣病か否かを判断するのに最も重要かつ決定的な要素は、有機水銀に曝露された事実の有無である。右の事実が血中水銀値あるいは毛髪水銀値等により証明できれば問題はない。しかし、行政の怠慢により、沿岸住民の曝露歴の調査はほとんどされなかった。それ故、これに代わるものとして曝露の事実の有無は、居住歴、生活歴、職歴、食生活歴、食生活を同じくする家族に水俣病の症状や健康障害はみられないか、あるいは類似の食生活をしている同じ網で働く者に同様の症状等はないか、家畜の狂死など環境の異変があったかどうかなどの事実(これを疫学条件あるいは疫学的条件と称する。)の調査によることになる。
2 水俣病の診断に当たり重視すべき事項
患者の症状を検討する場合、まず、典型的水俣病の概念にしばられて多様な症状を軽視してはならない。次に、重症から軽症までの一連のつながりがあるから、水俣病にみられる症状については軽いものまでピックアップすることが必要であり、そのためには、患者にどういう日常生活の支障があるか、どんな自覚症状があるかが重視されなければならない。
症状がどういう経過で発病し、その後どういう経過をたどったかも重要である。しかし、慢性水俣病では、症状に変動があり、一旦被害を受けてもその後改善することもあるから、現在一定の症状がなく、あるいはそれが軽いとしても、水俣病を否定する根拠とはならない。
ある患者に合併症として他の疾患が存在することが積極的に証明されたとしても、それは水俣病を否定する根拠とはならない。
以上からすると、汚染地区に居住し、魚介類を多量に摂取した者に水俣病にみられる症状が一つでもあれば、水俣病が疑われる。それが水俣病の基本的な症状ないし特徴的な症状であれば当然水俣病と考えられる。水俣病の基本的な症状ないし特徴的な症状があり、他の水俣病の症状があれば決定的である。なお、水俣病の症状が複数みられなければ水俣病とはいえないというのは、行政によりゆがめられてきた水俣病の病像論に由来するものであって、何ら根拠はない。
3 水俣病の診断基準
(一) 次の基準に該当するものは、確実に水俣病と診断できる。
① 不知火海の魚介類を多食し、有機水銀汚染歴を有すること
② 四肢末梢型感覚障害を主徴とする有機水銀中毒の症状を呈すること
③ ②の症状が専ら他疾患によるものであることが明らかである場合を除くこと
(二) 四肢末梢型の感覚障害は、水俣病の基本的な症状であり、しかも水俣病に特徴的な症状である。原因不明の多発神経炎を呈する疾患が仮に他にあったとしても、それは頻度の上から問題にならず、また、疫学条件をみたしておれば、他の疾患による可能性よりはるかに水俣病による症状の蓋然性が高い。したがって、疫学条件があり、四肢末梢型の感覚障害があり、他疾患が否定的であれば、それだけで水俣病と診断できるのである。水俣病に診断に当たっては、有機水銀汚染歴を十分調査し、様々な細かい症状を丁寧に拾いあげ、患者の訴える自覚症状を重視し、四肢末梢型及び場合によっては口周辺の特徴のある感覚障害が確認されて、他疾患との関係を吟味すれば、水俣病と診断することは決して困難なことではない。
4 認定審査会の判断の問題点
原告ら(訴訟承継があった者については、その承継前の元原告らをいう。以下、これらの元原告らとその余の原告らを区別せず合せて「原告ら」と称することもある。)は、いずれも水俣病認定申請をして、棄却処分を受けているが、認定審査会の判断には次のような誤りがある。
① 認定審査会は、原告らの有機水銀汚染歴を無視する誤りを犯している。
② 原告らには、さまざまな症状が数多く存在するにもかかわらず、認定審査会は、それぞれの症状を十分な鑑別をしないままに一つ一つ切り離し、しかもそれらの症状は水俣病のみにみられる症状ではなく、他の疾患にもみられる非特異的な症状であるから、水俣病に罹患しているとはいえないとして、各症状を切り離し、非特異的であることをことさらに強調する誤りを犯している。
③ 認定審査会は、切り離した一つの症状が、他疾患からきた可能性が少しでもあるときは、不十分な鑑別のままで、その他疾患のせいにする傾向が強い。認定審査会は、水俣病患者であっても合併症が存在する場合は当然あり得るのに、合併症の存在が認められれば、直ちに当該症状のすべてがその合併症に由来するものと即断している場合も多い。
④ 認定審査会は、典型的な症状しか評価しないという誤りを犯している。
⑤ 認定審査会は、自覚症状を無視する誤りを犯している。
⑥ 認定審査会は、感覚検査を不当に軽視しようとする誤りを犯しているし、感覚障害の所見のとり方にも問題があり、原因の鑑別も十分にされていない。運動失調、求心性視野狭窄、難聴の所見のとり方や判定にも疑問がある。
第四 原告らの水俣病罹患
原告ら七四名のうち前記亡樋渡シモ(原告番号四五)訴訟承継人原告樋渡眞紀代、同樋渡絹代、同樋渡一男、同岩﨑澄子、亡坂口スエノ(原告番号五二)訴訟承継人原告坂口時義、同村本ミツ子、同上杉エミ子、同坂口和子、同坂口勝、同坂口幸弘、同福島進、亡濱島綱行(原告番号八〇)訴訟承継人原告濱島剛、同濱島浩昭、亡坂口兵松(原告番号一〇五)訴訟承継人原告坂口巖を除く六〇名並びに亡樋渡シモ、亡坂口スエノ、亡濱島綱行、亡坂口兵松の四名、以上合計六四名は、いずれも不知火海沿岸の水俣病患者発生地域に居住し、多年にわたり不知火海産の魚介類を継続して摂取してきたことにより、水俣病に罹患したものである。原告らまたはその被相続人が水俣病に罹患したことについての主張の詳細は、別添(一)「原告らの主張(個別原告の症状について)1」及び別添(二)「原告らの主張(個別原告の症状について)2」に記載のとおりである。
第五 被告チッソの責任原因
原告らは、水俣病の発生につき、被告チッソ水俣工場のアセトアルデヒド製造工程において副生されたメチル水銀化合物を含む工場廃水を不知火海に放出した被告チッソの行為に過失があると主張しているところ、後記のとおり、被告チッソらにおいて、この主張を明らかに争っていないことから、被告チッソの過失を基礎づける事実についての原告らの主張の摘示は省略する。
第六 被告国、同熊本県の責任原因
一 事実経過
1 昭和二九年八月までの事実経過の概要
昭和二九年八月までには、被告チッソ水俣工場からの工場排水により漁業被害が発生し、水俣市茂道部落では猫が全滅するなどの異変も発生していた。昭和四七年に行われた熊本大学二次研究班の調査では、昭和二八年までに水俣病患者が一八名発生していることが確認されており、人体被害も発生していた。
被告国、同熊本県(以下「被告国・県」という。)も、右漁業被害を認識しており、被告県は、水産課三好禮治係長の提出した復命書により、工場排水の状況についての認識も持っていた。茂道部落の猫が全滅したことは、昭和二九年七月三一日に水俣市衛生課に住民から報告され、その後水俣保健所に報告され、さらに被告熊本県にも報告された。
これらの事実を認識した被告国・県は、昭和二九年八月の段階で、その後の重大かつ広範な人体被害発生の事実を予見することができたはずである。
2 昭和三二年九月までの事実経過の概要
昭和二九年八月以降昭和三二年九月までの間に、水俣湾の魚介類は、斃死し、枯渇状態となり、漁業被害は一層甚大となっていった。また、猫の狂死などの動植物の異変も顕著になっていった。この間昭和三一年五月一日に水俣病が公式に発見された、これを契機に患者が次々に報告された。こうした深刻な被害が水俣湾内でとれた魚介類の摂食によって生じたものであることは、熊大研究班の疫学調査などの諸調査や動物実験によって明白となっていった。
そうしたなかで、昭和三二年に入っても、水俣湾での漁獲が継続しており、被害の続発が予想された。
昭和三二年七月八日から一一日にかけて日本衛生学会が開かれ、厚生省厚生科学研究班は、水俣病の原因は水俣湾産の魚介類の摂食によるものであることが確認された旨を報告した。同月一二日には、国立公衆衛生院で、厚生省、熊本県、熊本大学、チッソ付属病院などの関係者が集まって水俣病の研究懇談会が開かれ、同月二一日付の厚生科学研究班の報告によると、その結果は、本症は感染症ではなく、中毒症であり、その原因については、水俣港湾内において何らかの化学物質によって汚染を受けた魚介類を多量に摂食することによって発症するに至るものであるとしている。
このように、有毒物質の本態についても、重金属を含む化学物質による中毒症であるということについては見解が一致しており、その原因が、被告チッソ水俣工場の排水であり、これによって水俣湾が汚染され、魚介類が有毒化され、これら魚介類を摂食した人間や動物が水俣病に罹患したということは、被告国・県においてその当時優に予見することができたはずである。
以上のような状況のもとで、被告熊本県の行政担当者も規制権限を発動して規制する必要性、緊急性があることを認識し、昭和三二年七月二四日に開かれた熊本県水俣奇病対策連絡会において、水俣湾産の魚介類について食品衛生法四条二号に該当する旨の告示をすることが決定されてもいた。
また、同じころまでに、水俣市以外の地域の漁民が水俣湾及びその周辺地域で操業し、水俣市以外の地域でも猫が発病していたこと、鹿児島県の漁民も水俣湾及びその周辺での操業をしていたこと、水俣湾及びその周辺産の魚介類が鹿児島県方面にまで販売されていたこと、回遊性の魚介類が毒性を帯びており、水俣湾の外の魚介類にも危険が及びつつあったこと、水俣湾から出水沖などへの汚水、死魚などが漂うことがしばしばみられたことなどの事実が明らかになっており、これらによれば、周辺地域への被害拡大も当然予想され、被告熊本県だけでなく、被告国及び鹿児島県も全力を挙げて被害防止にあたるべき状況であった。
3 昭和三四年一一月までの事実経過の概要
昭和三二年九月ころ以降、水俣湾をはじめとする不知火海の汚染は拡大し、漁業被害や人的被害はますます拡大していった。昭和三三年九月、被告チッソは、アセトアルデヒド排水の排水口を従来の百間排水口から水俣川河口へと変更したが、その結果、汚染は水俣川河口を経て不知火海を北上南下するに至った。昭和三四年までには、水俣病の前ぶれとなる猫の発病が不知火海全域に拡大しており、熊本県だけでなく、鹿児島県でも発生し、やがて鹿児島県でも患者が発生した。そのままの状況であれば、不知火海全域の住民が水銀に汚染され、水俣病患者が続発するであろうことは明らかであり、被告国・県もそのことを認識していた。
そして、昭和三四年一一月一二日、食品衛生調査会は、同調査会水俣食中毒特別部会の見解をもとに、厚生大臣に対し、水俣病は、水俣湾及びその周辺に棲息する魚介類を多量に摂食することによっておこる主として中枢神経系統の障害される中毒性疾患であり、その主因をなすものはある種の有機水銀化合物である、と答申した。
二 被告国・県の責任の構造
被告国・県は、水俣病に罹患した原告らに対し、以下のとおり国家賠償法上の責任を負うのであるが、被告国・県の法的責任をとらえる上で最も重要なことは、不知火海一円の住民の生命、健康がいかに緊急な、いかに切迫した危険な状態のもとにおかれていたかという事実から出発することである。
一方で、悲惨で深刻な被害が拡大、続発し、他方では、その発生の原因が究明されつつある時期に、被告国・県があらゆる法規を駆使し、全力を傾けて行政指導を行うなど、その防止の措置をとらなければならなかったことは当然である。
本件においては、行政権限の根拠規定は存在していたし、壊滅的な緊急事態の下では、その権限を行使すべき作為義務が生じていたものである。
壊滅的な緊急事態の下では、行政は、何はともあれ、水俣湾及びその周辺地域を中心に不知火海一円の地域住民の生命、健康を守ることを目的としなければならなかった。住民の生命、健康の保護こそ、行政にとって至上の目的であり、そのために必要なあらゆる手だてをとるべきであったのである。
具体的にとらなければならなかった措置は、第一に、魚介類を漁獲させない、販売させない、摂食させないこと、第二に、被告チッソに、有害物質を含んだ工場排水を排出させないこと、であった。
そして、第一の「魚介類の漁獲禁止等の禁止措置」をとる上では、食品衛生法四条二号、同法一七条、同法二二条、同法三〇条、同法三一条三号、熊本県漁業調整規則三〇条一項、漁業法三九条一項、五項、同法一三八条三号、同法一四三条及びこれらの実効性を高めるための行政指導などの作為義務が、集積して生じていたものであり、第二の「チッソ水俣工場の排水規制」をとる上では、熊本県漁業調整規則三二条一項、二項、同規則五八条三号、後述の水質二法施行後にあっては、水質保全法五条一項、二項、工場排水規制法二条二項、同法七条、同法一二条、同法一五条及びこれらの実効性を高めるための強力な行政指導などの作為義務が、集積して生じていたものである。
もし、個々の法条に分解して作為義務を論ずるとすれば、それは、木を見て森を見ない類いの観念論であるといわざるを得ない。いやしくも、地域住民の生命、健康を保護することが行政の一義的至上目的であり、かつ、保護すべき生命、健康が壊滅的な緊急事態にあった以上、前述の各作為義務は集積して発生していたものである。もとより、これらの作為義務は、相互に補完しあうものであるから、行政が行政としての一義的至上目的を実現する上で、どの時期に、どの法案の、どの規制権限を行使するかは、目的実現の手順の問題であるにすぎない。
三 食品衛生法、漁業法などに基づく漁獲・販売禁止措置をとらなかった責任
1 食品の安全性を確保すべき国の責務
(一) 食品は、人類生存の基礎であり、人間が個体として生命、健康を保持し、種族として維持発展を図る上で、絶対に不可欠なものであるから、食品の絶対的安全性の確保は、人類普遍の原理である生命、健康の尊厳を守るという人類の課題のかなめである。
高度経済成長政策のなかで、食品の流通が一定の変貌をとげるとともに、自然の恵沢として採補される食品にも環境汚染の影響がつきまとうようになり、食品の安全性を確保する上で、製造販売業者にのみ責任ありとしてすまされる状況ではなくなってきている。有毒性の検査、分析等を行うことのできる組織力と財力と権力とを持ち合わせた国(行政)のみが、国民、農漁民、零細製造業者に代わって、食品の安全性を確保することができるのであり、食品の絶対的安全性の確保は、国の基本的責務に属するものである。
(二) 食品衛生法は、制定後、時代の変化に伴い数次の改正を経て今日に至っているが、その目的とするところは、「飲食に起因する衛生上の危害の発生を防止し、公衆衛生の向上及び増進に寄与すること」(一条)にある。同法は、憲法一三条、二五条の生存権を具体的に保障するものとして制定されたものであって、同法一条の目的達成のために、四条(有害食品等の販売等の禁止)、一七条(報告、臨検、検査、試験用の収去)、二二条(廃棄、除去命令、営業許可の取消、営業の全部又は一部の禁止、営業の停止)、三〇条(刑事罰)などの強大な行政権限を付与し、その行政権限の適正な行使を通じて、食品の安全性を確保し、もって国民の生命、健康を保全するという体系をとっている。同法の条文上の表現は、「……できる」というものであるが、憲法一三条、二五条を受けて制定された同法の趣旨からすれば、行政権限の行使がよしんば裁量に属するとしても、その裁量は、国民に代わって食品の安全性を積極的に確保するという目的に沿って権限を適正に行使しなければならないという当然の制約を受けているものである。
なお、食品衛生法四条二号は、販売等の禁止される食品として、「有毒、有害物質が含まれもしくは附着したもの」を挙げていたところ、昭和四七年の改正により、「又はこれらの疑いがあるもの」という表現が新たにつけ加えられ、改正後は、「有毒な、もしくは有害な物質が含まれ、もしくは附着し、又はこれらの疑いがあるもの。但し、人の健康を害う虞がない場合においては、この限りでない。」という規定となった。この改正は、農薬、食品添加物等の化学新製品が出回り、その安全性が不明確であり、消費者保護の見地からする表示の適正化も図らなければならないことから、人体に対する被害が発生していなくとも事前に被害を防止する趣旨で問題が提起されたことに伴う改正であって、魚介類による食中毒防止の趣旨は、改正の前後を通じて何ら変わっていない。つまり、食品衛生法の立法趣旨からすると、改正前の規定においても、有毒性について疑いのある食品を放置しておくことを容認していたものではなく、有毒性につき疑いのある食品については、同法の趣旨からも、行政の責務からも、当然に緊急に何らかの規制をしなければならないのであって、昭和四七年の改正はこの事を明確に明文化したにすぎないものである。
(三) 国民に対し「健康で文化的な最低限度の生活」を保障すべきことを憲法上義務づけられた被告国は、水産行政の分野においても国民食糧としての水産資源の安定的供給を確保することを重大な責務として担い、そのため漁業調整その他種々の手段を用いて漁業の民主化を図り、かつ水産資源の保護培養についても積極的な役割を担うべきものとされた。
水産行政においては、福祉国家の実現という憲法の理念に従い、国民生活の維持発展に寄与すべく積極的な行政の遂行が期待されているというべきであるが、食品としての水産資源の安定的供給ということを考えるとき、その安全性がまずもって確保されなければならないことは自明である。水産行政は、水産業の改良発達を通じて漁民の福祉の増進を図るとともに、安全な水産資源の安定的供給を図ることによって、国民生活及び国民経済の安定、向上を図るという憲法上今日最も要求されている目的を実現するという重大な公益を担うものとして遂行されなければならない。
2 本件における責任の全体的構造
(一) 昭和三二年九月までの段階で、地域住民の生命、健康は水俣病の発生、拡大による危険にさらされ、壊滅的な緊急事態となっていたものであり、被告国(厚生大臣)、同熊本県(知事)は、水俣湾及びその周辺海域産の魚介類が食品衛生法四条二号に該当するものとの公権的判断をし、その判断に基づいて、被告国の関係省庁及び熊本、鹿児島両県知事が共同して、地域住民の生命、健康を守るという一義的な行政目的実現のために、あらゆる法規を駆使して漁獲・販売を禁止する規制権限を行使すべき義務があった。
すなわち、厚生大臣及び熊本県知事は、水俣湾及びその周辺海域産の魚介類を販売し、もしくは販売の用に供するために採取等をしたときには、これらの魚介類が同法四条二号に該当し、同法二二条の規定により行政処分に、同法三〇条の規定により刑罰に処せられる旨の告示をし、この趣旨をあらゆる方法で周知徹底させる義務を負うとともに、魚介類の危険について同法一七条による調査義務をつくし、同法四条二号に違反する者に対しては、同法二二条に定める各種規制権限を行使し、同法三〇条、三一条三号の刑罰発動を促す告発などの措置を行う義務があった。
これらの魚介類は、水俣湾にとどまらず、不知火海一円を回遊しており、魚介類の有毒有害化の原因は被告チッソの排水によるものであることが知られていて、これも水俣湾にとどまらず不知火海一円を回流しており、さらに、漁獲の実態からすれば、鹿児島県の漁業者も、水俣湾及びその周囲において操業していたことが明らかであるから、厚生大臣及び熊本県知事は、鹿児島県知事とも共同して、鹿児島県民に対しても前記規制権限を行使すべき義務があったのであり、とりわけ、この段階では、告示・周知徹底と、調査の義務を先行させて果たすべきであった。
また、被告国(農林大臣)及び同熊本県(知事)は、漁業法三九条一項、熊本県漁業調整規則三〇条一項を適用して、共同漁業権の行使の停止、許可漁業の取消などの規制権限を行使して、漁獲を禁止する措置を取るべき義務があった。
そして、これらの規制権限の行使を実効あらしめるために、強力で徹底した行政指導もあわせて行うべきであった。
(二) 昭和三四年一一月までの段階では、被告チッソの排水路の変更に伴い、有機水銀が不知火海全域に流出し、不知火海全域において、魚類の斃死、猫などの発病、水俣病患者の発生という壊滅的な緊急事態がさらに一層深刻となっていたものであるから、即刻前記規制権限を行使すべき義務があった。特に、この段階では、不知火海全域について採取・販売を禁止する義務があった。
3 食品衛生行政上の権限不行使による責任
(一) 食品衛生法上の権限を行使すべき義務とそれを基礎づける根拠
食品衛生法上の義務は、以下の三つに種別できるが、これらは、それぞれ独立してあるわけではなく、他の行政機関の権限とも、またそれぞれの間でも総合的かつ有機的に関連させながら実行されるべきものである。
(1) 調査義務
調査義務とは、危険性の全貌をすみやかに掌握するために、魚介類の実態を調査し、水揚げされた魚介類を種類毎に収去し、動物実験などを行って、その危険性を調査する義務である。
有毒もしくは有害な物質が含まれて、もしくは付着している食品の危険性は、必ずしも突如として顕在化するとは限らず、危険の可能性を示す段階から、危険の蓋然性を示す段階、さらには危険の確実性を示す段階へと、具体的な事象を通じて、判明していく場合も少なくない。したがって、いやしくも食品の安全性を確保すべき行政機関は、食品の危険性を徴表するある具体的事象を知ったときは、その危険性の全貌をすみやかに掌握するために、調査する義務を追っているのは当然である。その意味で、調査義務は、食品の安全を守るという食品衛生法の各条項から当然に導かれるものである。食品衛生法一七条が、厚生大臣及び都道府県知事に対し、「必要があると認めるときは、営業を行う者その他の関係者から必要な報告を求め」「臨検し」「検査させ」「試験の用に供するのに必要な限度において無償で収去させることができる」と定めているのも、この当然の事項を明定したものである。
(2) 告示・周知徹底義務
告示・周知徹底義務とは、食品衛生法四条各号に該当する疑いのある事実を知ったときに、その採取、販売等を禁止することを関係住民に周知、徹底させる義務であり、この義務は「告示する義務」を含むが、それに限られず、周知徹底のためには、行政指導、通達、さらには公示、告示など、行政機関としてとり得るあらゆる方式を通じて食品の危険性を周知徹底させるべきである。
告示・周知徹底義務は、食品衛生法四条及びそれに関連する食品衛生法規から総合的に基礎づけられる。
食品衛生行政は、生命維持にとっての食品の不可欠性とその一方での食中毒事件に悲惨さにかんがみ、自らは危険を判断する手段を持たない国民に対し、その生命や健康を守るために行われる行政であり、危険な事実の周知徹底が食品衛生行政の基本をなすものである。食品衛生法の構造をみても、同法四条に該当する危険の徴憑があるときには同法一七条の調査権限の発動ができ、同法四条に該当すれば同法二二条の規制措置をとることができ、同法三〇条の刑罰も科し得るなど、同法四条が行政権限行使の実体的規範たる意味を有しており、行政機関に対しても行為規範を課すという性格をもっていることは明らかである。
右のとおり、食品衛生行政に課せられた責務、全体として国民の生命、健康を守るという法規である食品衛生法の構造及び食品衛生法四条の位置付け等にかんがみたとき、食品衛生法四条及びそれに関連する食品衛生法規から、総合的に、かつ、当然に、告示・周知徹底義務は導かれる。食品衛生法は、厚生大臣及び都道府県知事の権限として定めているが、本件のような壊滅的緊急事態のもとにおいては、権限を行使すべき義務が生じていたのである。
(3) 危害除去・営業停止等の措置義務
危害除去・営業停止等の措置義務とは、危険な食品から国民を守るために、魚市場で危険な魚介類を廃棄させる義務及び食品衛生法二二条に基づく処分、措置を行うべき義務である。
食品衛生法二二条は、農業及び水産業における食品の採取業を除く、その余の食品営業者を対象としており、行政機関は、危険な食品から国民を守るために、営業者に対して、①危険な食品(魚介類)を廃棄させるなどの食品衛生上の危害を除去するために必要な措置、②営業の期間を定めて停止させる措置、③営業の全部又は一部を禁止する措置、④営業の許可を取り消す措置を、危険な食品の危険度、販売等の量、営業者の営業姿勢などを勘案してなすべき義務がある。食品衛生法二二条は、厚生大臣及び都道府県知事の権限として定めているが、本件のような壊滅的緊急事態のもとにおいては、権限を行使すべき義務が生じていたのである。
(二) 本件における義務の具体的内容及び被告国・県の義務違反
(1) 昭和三二年九月時点
被告国の機関である熊本県知事は、昭和三二年九月までの時点で、直ちに、水俣湾及びその周辺海域の魚介類すべてについて、採取・販売を禁止する旨の告示をなし、被告国及び関係県である鹿児島県知事などと共同して、あらゆる手をつくして周知徹底をすべき義務があった。
そして、被告国(厚生大臣)、同熊本県及び鹿児島県(知事)は、右告示、周知徹底義務を尽くした上で、漁獲高、産地、魚の回遊状況等の調査により不知火海一円の魚介類の実態を把握し、右調査と有機的に関連させた猫実験を行い、魚の有毒化の実態の正確な把握などの調査を尽くし、それによって判明した事実に基づき、きめ細かく、食品衛生法二二条の廃棄処分、営業停止処分、同法三〇条の刑罰発動を促す告発などの措置を行うべき義務があった。
また、昭和三二年九月までには、汚染魚の存在する海域が水俣湾及びその周辺にとどまらず、さらに拡大するおそれがあり、かつ、被告国(厚生大臣)、同熊本県及び鹿児島県(知事)は、その事実を認識し、または容易に認識し得た。したがって、被告国・県としては、前記の水俣湾及びその周辺海域についても、鹿児島県などの近隣の県と連絡調整の上、魚介類の実態把握及び猫実験などの調査義務を尽くし、危険海域の特定につとめ、その判明結果に基づき早急に告示・周知徹底の対象となる採取危険海域を拡大し、より広い範囲で具体的措置をとるべきであった。
被告国・県は、以上のような措置をとるべき作為義務があったにもかかわらず、これらの措置をとらなかった。
逆に、被告国(厚生省)は、被告熊本県から、昭和三二年八月一六日付で、水俣湾内の魚介類につき「有害又は有毒な物質に該当する」旨県告示を行い、食品衛生法四条二号を適用することについて照会を受けたのに対し、同年九月一一日付で、「水俣湾特定地域の魚介類のすべてが有毒化しているという明かな根拠が認められない」として、食品衛生法四条二号の適用を否定する回答を行った。しかしながら、食品衛生法四条二号の適用要件は、当該食品が有毒有害性を帯びていることであり、当該食品が有毒有害性を帯びていることとは、その個々の食品が有毒有害化していることが明らかになることではなく、当該食品が総体として有毒有害化していることが推定されることであり、それで足りるのであって、本件に食品衛生法四条二号が適用されるべきことは当然であった。
(2) 昭和三四年一一月時点
昭和三四年一一月時点では、不知火海全体に被害が拡大しており、不知火海全域において魚介類の有毒化が進行していることは明らかであったから、被告国(厚生大臣)、同熊本県及び鹿児島県(知事)は、さらなる患者の発生を止めるため、直ちに不知火海全体について採取・販売等を禁止する旨の告示・周知徹底をなし、平行してなされるべき調査研究の結果安全と判明した地域については、漸次規制を緩和していくといった対応がとられるべきであったにもかかわらず、被告国・県はこれらの措置をとらなかった。
4 水産行政上の権限不行使による責任
(一) 漁業法三九条一項、五項の趣旨、適用
(1) 漁業法三九条一項は、「漁業調整、船舶の航行、てい泊、けい留、水底電線の敷設その他公益上必要があると認めるときは、都道府県知事は、漁業権を変更し、取り消し、またはその行使の停止の変更を命ずることができる。」と定め、漁業調整の他「公益上の必要」からする漁業権の取消し等を予定している。
ここでいう「公益」について、国民の生命、身体の安全を確保することがこれに該当することは当然であり、これにまさる「公益」は存在しない。本規定が漁業権を制限するものであり、漁業者の生活に直接影響するものであることから、漁業者の不安をもたらすような不当な解釈、運用は避けなければならないが、食品としての水産資源の安定供給を図り、もって国民生活の安定、向上とともに、漁家の福祉の向上をはかるべきことを基本的責務とする水産行政においては、まずもって、安全な水産資源が供給されるべきことにつき責任を負うのであって、当該規定の解釈、運用もその根底にある右のとおりの水産行政の趣旨、目的を勘案してなされなければならない。したがって、水産資源が有毒化し、国民の生命、身体の安全が脅かされ、漁家の生活が危機に直面している場合においては、最大にして最高の公益である国民の生命、身体の安全を確保するための観点からする権限発動がなされなければならない。また、本規定に例示的に列挙されている事項それ自体は、不特定多数に及ぶ利益―公共の利益―を公益として、産業経済の発展を図ることによって国民生活の便宜、向上を目的にしているということができるのであるが、国民の生命、身体の安全は、他にそれを犠牲にしてまで確保せらるべき利益は存しないという意味で絶対的な価値であり、ここでいう公益のなかに無条件で含まれるのである。
(2) 漁業法による漁業権行使の停止をした場合、漁業者は漁業権を保有するものの、実際にそれを行使することができない状態になる。すなわち、漁業権者も漁獲できないし、それ以外の者も漁獲できず、法的に何人も漁獲できない状態になり(この点は、漁業権の取消しと異なる。)これに違反した場合は処罰されることになる。
(3) また、漁業権の行使の停止をした場合には国の補償が問題となる。漁業法三九条五項は、「政府は、第一項の規定による漁業権の変更若しくは取消又はその行使によって生じた損失を当該漁業権者に対して補償しなければならない。」と規定している。この補償金額は、知事が海区漁業調整委員会の意見を聞き、かつ主務大臣の認可を受けて決定される(同条七項)。
漁獲を禁止しておきながら、何の補償も与えないとなれば、漁民の生活を奪うことになるから、補償は当然のことであり、漁獲禁止と補償とが一体となってようやく漁獲禁止の実効性が担保されるのである。漁民らがこぞって補償を伴う法的な漁獲禁止を求めていたのは、まさにこのためである。
(4) したがって、被告国・県は、国民の生命・身体が危殆に瀕しているときには、直ちにそのような状態を回避すべく、本規定による権限を発動すべき義務がある。
(二) 熊本県漁業調整規則の趣旨、適用
漁業法六五条一項及び水産資源保護法四条一項は、漁業取締その他漁業調整のためないし水産資源の保護培養のため必要があると認めるときは、「水産動植物の採捕に関する制限又は禁止」に関し省令または規則を定めることができる旨を規定し、これを受けて熊本県漁業調整規則三〇条一項は、「知事は、漁業調整その他公益上必要があると認めるときは、許可の内容を変更し、若しくは制限し、操業を停止し、又は当該許可を取り消すことができる。」と定めている。右規定は知事許可漁業に関するものであり、漁業調整その他公益上の必要があるときに当該許可の取消し等の措置をとることができる旨を定めたものであり、基本的には漁業法三九条一項と同趣旨のものである。したがって、国民の生命、身体の安全が右にいう「公益」の中に含まれることは明らかである。
許可漁業は、一定の漁種と漁法についてもともと許可がなければ営むことのできない漁業であるから、これを取り消すことによって何人も当該漁業を営むことができなくなるのである。
そこで、水産行政上の漁獲禁止措置は、漁業権の停止とともに、この許可漁業の取消しの措置を合わせ講ずることによってなされなければならないのである。
(三) 本件における権限行使の義務及び被告国・県の義務違反
(1) 被告国・県は、水俣湾及びその周辺海域における漁場汚染とその沿岸での水俣病患者の出現という事態に直面し、その原因が被告チッソの排水によるということが明らかになるなかで、まずもって、水俣市漁業協同組合が有していた共同漁業権の行使を停止すべきであったし、また、同海域の許可漁業を取り消すべきであった。
すなわち、被告国・県は、遅くとも昭和三二年九月までの段階で、漁業法三九条一項、熊本県漁業調整規則三〇条一項に基づく右権限を行使することにより、漁獲禁止措置をとるべき義務があったにもかかわらず、右権限を行使しなかった。
(2) 被告チッソがアセトアルデヒド排水の排水口を変更し、不知火海沿岸一帯で患者が発生するという事態に至ってからは、前記漁獲禁止措置をとるべきは当然であり、さらに、被告国・県は、水俣湾及びその周辺海域ばかりでなく、不知火海一円の危険海域における共同漁業権の行使を停止し、また、許可漁業を取り消さなければならなかったのである。
また、鹿児島県においても猫が狂死し、水俣病患者が発生し、その海域の汚染が明らかになった段階においては、鹿児島県知事においても、鹿児島県の海域における共同漁業権の行使を停止し、同海域の許可漁業を取り消すべきであった。もっとも、鹿児島県在住の漁民らの被害についても、根本的には被告国・県に責任がある。なぜなら、鹿児島県の漁民だけでなく、不知火海沿岸の漁民に等しくいえることであるが、漁民らは、自らが属する漁業協同組合が有する漁業権の範囲内でのみ操業していたわけではない。水俣地先においても、水俣湾を少し離れれば自由操業海域であり、原告らはここで自由に操業していたのであるが、この海域も濃厚に汚染されていたからである。また、不知火海沿岸の漁民は、古くから入会という慣行の下で不知火海一円を漁場として操業していたからである。
以上のとおり、被告国・県は、昭和三四年一一月の段階で、漁業法三九条一項、熊本県漁業調整規則三〇条一項に基づく右権限を行使することにより、漁獲禁止措置をとるべき義務があったにもかかわらず、右権限を行使しなかった。
5 行政指導の不徹底・不十分性
被告国・県が実際に行った行政指導は、全く不十分かつおざなりの指導であったため、何らの実効も収め得ず、不知火海一円、ことに出水地域への汚染の拡大と水俣病患者の続発をもたらした。
四 被告チッソ水俣工場の排水規制をしなかった責任
1 水産行政上の責任
(一) 工場排水等に対する規制権限の根拠法規とその解釈
水産行政上の被告チッソの排水に対する規制権限の根拠法規は、水産資源保護法四条一項に基づき制定された熊本県漁業調整規則(以下「調整規則」ともいう。)三二条である。
水産資源保護法四条一項は、「農林大臣又は都道府県知事は、水産資源の保護培養のために必要があると認めるときは、左に掲げる事項に関して省令又は規則を定めることができる。」と規定し、同項四号は「水産動植物に有害な物の遺棄又は漏せつその他水産動植物に有害な水質の汚濁に関する制限又は禁止」を挙げている。そして、これを受けて、調整規則三二条一項は、「何人も、水産動植物の繁殖保護に有害な物を遺棄し、又は漏せつするおそれがあるものを放置してはならない。」とし、同条二項は、「知事は前項の規定に違反する者があるときは、その者に対して除外に必要な設備の設置を命じ、又は既に設けた除外設備の変更を命ずることができる。」と規定している。水産資源保護法は、一面では乱獲から水産資源を保護するために制定されたものであるが、他面では工場等の排水から水産資源を保護する目的で制定されたものであり、その目的を実現するための規定が同法四条一項四号であった。調整規則三二条は、その沿革からしても、本件のように工場排水により水産動植物に被害が発生したとき、これを阻止するために適用することが期待されていたのである。
調整規則に基づいて排水規制をするためには、排水が同規則にいう「水産動植物の繁殖保護に有害な物」に該当しなくてはならないが、魚介類が有毒化し、その魚介類を摂食すれば人体に害をもたらすような物がこれに該当することは明らかであり、同規則において強くかつ徹底的に規制すべき対象というべきである。また、工場排水により水産動植物に被害が生じた場合には、排水中のいかなる物質が有毒原因物質かが解明され、特定されていなくても、工場からの排水が水産動植物の繁殖保護に有害であれば、その排水は全体として「有害な物」に該当すると解すべきである。
熊本県知事は、有害な物の遺棄等をする者に対し、除外に必要な設備の設置や既存の除外設備の変更を命ずる権限を有するが、この権限は、有害な物の海ないし河川への流入を阻止し、もって水産動植物の繁殖保護を図るために認められるものであるから、除外設備が除外の効果を十分有していないとか、除外設備の設置が場所的時間的に困難である場合には、知事は、有害な物の排出自体を禁止し得ると解すべきである。また、知事は、右権限を適正に行使するために、自ら排水の分析調査を行うことができることは勿論であるが、排水を排出している者に調査に必要な資料の提供を求め、または、調査をして報告させる権限も有していると解するべきである。およそ、行政当局に一定の規制権限が与えられている場合には、この権限を適正妥当に行使する見地から、当該行政当局には、規制対象者ないしその疑いがある者に対し、必要な資料の提供を求める権限があると解することは当然である。
調整規則三二条二項は、県知事の権限を定めた規定であり、一般的には権限を行使するか否かにつき権限の裁量が認められると解することができるが、魚介類が有毒化し、これを介して人体被害が発生している場合には、知事は右権限を魚介類の有毒化を阻止することを通じて人の生命、健康の保護のためにも行使できるのであり、この場合には権限行使の保護法益に人の生命、健康という何物にも代えがたい法益も含まれることになるのであるから、権限行使の要件が充足される限り、権限行使が義務づけられると解すべきである。また、仮に、この場合にも県知事には権限を行使するか否かにつき裁量が認められるとの見解をとったとしても、裁量権の収縮を認むべき諸要件が具備したときは、権限行使が義務づけられると解すべきである。
(二) 本件における具体的作為義務違反
昭和二九年八月の段階でも、被告チッソ水俣工場の排水により甚大な被害が発生していたものであり、被告チッソ水俣工場の排水が全体として調整規則三二条の「水産物の繁殖保護に有害なもの」に該当することは明らかであった。その後、被告チッソ水俣工場の工場排水による漁業被害及び魚介類の有毒化を介しての人体被害は、昭和三二年九月、昭和三四年一一月と時を経るごとに拡大し、深刻化していったものであり、被告チッソ水俣工場の工場排水が「水産物の繁殖保護に有害なもの」に該当することはますます明確化した。
被告熊本県は、昭和二九年八月の段階でも、被告チッソの工場排水による漁業被害を認識し、猫の狂死という異常事態も認識し、三好係長の報告も受けていたから、調整規則三二条二項の権限を発動して、被告チッソの排水による人体被害を回避すべきであった。昭和三二年九月の段階では、魚介類の有毒化を含む漁業被害の原因が被告チッソの工場排水にあることは明らかとなり、昭和三四年一一月の段階では、水俣病の原因物質が被告チッソの工場排水中の有機水銀であるということがほぼ確定した。仮になお原因が明確でなかったとしても、被告熊本県としては、調整規則を適用できるかどうか検討するために、前記の調査権限を行使し、被告チッソに排水処理状況を報告させるなり、排水を提出させるなりし、一方自らも排水を採取するなどの調査をすべきであった。また、サイクレーター完成後は、サイクレーターの浄化機能を監視し、これがその機能を有しないと判明したときには、直ちに除外設備の改善を命じ、これが時間的技術的に不可能なら、排水の一時停止を命ずべきであった。
以上のとおりであるから、被告熊本県(知事)には、遅くとも昭和三二年九月の段階においては、調整規則三二条二項に基づく権限を行使すべき作為義務が発生していたものと解すべきである。また、調整規則三二条に基づく知事の所管事務も、地方自治法一四条八項別表第三の一の(九三)に定める委任事務とされているから、被告熊本県(知事)に国家賠償法上違法と評価される作為義務違反があると評価される以上、被告国もその責任を免れない。
2 水質二法行政上の責任
(一) 水質二法の趣旨
公共用水域の水質保全に関する法律(以下「水質保全法」という。)と工場排水等の規制に関する法律(以下「工場排水規制法」という。)は、いずれも昭和三三年一二月二五日に公布され、昭和三四年三月一日に施行された(右二法を「水質二法」という。)。
水質二法による工場排水の基本的な構造は次のようになっている。
① まず、経済企画庁長官が、公共用水域のうち汚濁が問題となっているものについて「指定水域」の指定をし(水質保全法五条一項)、その指定水域に係る「水質基準」を設定する(同条二項)。
② 次に、内閣は、製造業等の用に供する施設のうち、汚水等を排水するもののうちから、政令で「特定施設」を定め(工場排水規制法二条二項)、特定施設の種類ごとに、政令でその排水規制を担当する「主務大臣」を定める(同法二一条)。
③ 主務大臣は、特定施設を設置している者に対し、具体的な排水規制をする。
すなわち、主務大臣は、工場排水等を指定水域に排出する者が特定施設の設置、変更を行う場合あるいは特定施設の使用方法ないし汚水の処理の変更を行う場合に事前にその計画を提出させた上(四条ないし六条)、工場排水等の水質が当該指定水域に係る水質基準に適合するかを検討し、適合しないと認めるときは、汚水の処置方法に関する計画の変更を命じ、さらに必要のある場合は特定施設自体に対する計画の変更又は廃止を命じ(七条)、汚水等の処理の方法の改善、特定施設の使用の一時停止その他必要な措置をとるべきことを命じ、必要によっては、立入検査(一四条)や報告の徴収(一五条)をする。
右のように、具体的な排水規制措置を行うのは主務大臣であるが、そのためには、経済企画庁長官や内閣の行為が必要であり、そのいずれが欠けても排水規制はその実をあげることができず、各手続を担当する経済企画庁長官、内閣、主務大臣の三者が一体となってはじめて工場排水の規制は実現される。
水質二法は、公共用水域の水質汚濁を防止し、もって、国民の生命と健康を守るための公害防止の法律である。したがって、これらの規定は、単に公務員の権限を定めたものではなく、作為義務を定めたものであり、かつそれが直接国民の生命、健康にかかわる場合であるから、国民の側に立った覊束性を認めるべきである。したがって、その不履行によって国民が被害を受けた場合には、右不履行は国賠法上違法となるものである。なお、仮に水質二法が公務員の規制権限を定めたものであるとしても、規制すべき要件を充足した場合には、規制をすべき職務上の義務を定めた法規であることは疑いのないところであり、本件のような事実関係の下においては、規制権限を行使すべき義務が発生するものというべきである。
(二) 本件における具体的作為義務の発生とその違反
水質二法が施行された後、遅くとも昭和三四年一一月ころには、経済企画庁長官、内閣(これを構成する各国務大臣)及び通商産業大臣(以下「通産大臣」という。)は、共同し、一体となって、被告チッソ水俣工場の排水規制をする義務があった。すなわち、
(1) 経済企画庁長官は、不知火海南部海域、少なくとも水俣川河口から水俣湾にかけての水域を指定水域と指定し、かつ、その排水から水銀またはその化合物がジチゾン比色法により検出されないことという水質基準を設定する義務があった。
① 水質保全法五一条一項は、「指定水域の指定」をすべき経済企画庁長官の義務を定めたものであり、その要件が充たされる場合には、経済企画庁長官は、指定水域の指定をしなければならない。
② 昭和三四年一一月当時の水質汚濁による漁業及び人体に対する被害状況が指定水域指定の要件に該当していたことは明らかであり、また、被害の及んでいた範囲は、水俣川河口から水俣湾にかけての水域にとどまらず、広く不知火海南部一円にまで拡大していたのであるから、指定水域を指定するときは、その範囲もこれと同様にすべきである。
③ 水質基準の対象とすべきものは、「水銀またはその化合物」すなわち、無機水銀、有機水銀を含めた総水銀とすれば十分であるし、そうすべきであった。水質基準を設定するには化学物質としての特定は要求されておらず、検出方法により定性定量されるなら幅広く押さえられるべきものである。総水銀で規制すれば、無機水銀も有機水銀もとらえられるのであるから、無機水銀が工場内で有機化しても、工場外で有機化しても、水質の汚濁を防止し、水俣病の発生、拡大を防ぐことができた。
④ 総水銀の検出をジチゾン比色法で行えば、被告チッソ工場排水中の水銀を規制することは可能であった。その当時工業技術院東京工業試験所や被告チッソ水俣工場が行ったジチゾン比色法による分析調査でも、水銀が検出されており、昭和三五年のJIS(日本工業規格)の工業用水試験方法でも、水銀について、0.001ppmを定量限界としており、酸化分解によるジチゾン比色法により0.001ppmレベルでの定性定量法が確立されていた。
(2) 内閣は、(1)の指定水域の指定及び水質基準の設定を受けて直ちに、被告チッソ水俣工場のアセトアルデヒド酢酸製造施設と塩化ビニールモノマー製造施設を特定施設と定め、かつその排水規制をする主務大臣を通産大臣と定める義務があった。
① 工場排水規制法二条二項によれば、「特定施設」とは、「製造業の用に供する施設のうち汚水又は廃液(以下「汚水等」という。)を排出するものであって政令で定めるもの」とされている。製造業の用に供する施設のうち汚水等を排出するもののうち、どの程度の汚水等を排出するものを特定施設に指定すべきかについては、水質保全法五条一項の指定水域の指定基準が指針となり、生産施設から排出される汚水等をそのまま公共用水域に排出すれば、その水域にある関係産業に「相当の損害を生じ」または「公衆衛生上看過し難い影響が生じている」施設、または、「それらのおそれのある」施設を「特定施設」に指定すべきである。昭和三四年一一月当時、被告チッソ水俣工場のアセトアルデヒド酢酸製造施設及び塩化ビニールモノマー製造施設から水銀が流出し、これにより関係産業に相当の損害が生じ、または公衆衛生上看過し難い影響が生じていたことは明白であるから、「特定施設」の指定の要件に該当していた。
② 工場排水規制法二一条によれば、「主務大臣は、特定施設の種類ごとに政令で定めるところにより、大蔵大臣、厚生大臣、農林大臣、通商産業大臣又は運輸大臣とする」とされている。国内諸事業の所管は、酒造業は大蔵、製薬業は厚生、食品関係は農林、造船、車両製造業は運輸、その他の製造業は通産の各省の手にあり、本条に関しても、特定施設を有する事業の種類に応じてその事業を所管する省の大臣が主務大臣となるはずである。右各省の所管に従えば、被告チッソの事業はその他の製造業にあたるから、内閣は、同法施行後直ちに政令で通産大臣を主務大臣と定めるべきであった。
(3) 通産大臣は、直ちに、被告チッソに対し、水銀またはその化合物を含有する廃水を工場外へ排出させないよう規制する義務があった。
工場排水規制法一二条は、「主務大臣は、工場排水等の水質が当該指定水域に係る水質基準に適合しないと認めるときは、その工場排水等を指定水域に排出する者に対し、期限を定めて、汚水等の処理の方法の改善、特定施設の使用の一時停止その他必要な措置をとるべきことを命ずることができる。」と規定している。本件の場合、被告チッソ水俣工場排水の水質は、当該指定水域に係る水質基準すなわち「水銀またはその化合物がジチゾン比色法により検出されないこと」という水質基準に適合しないことになるから、通産大臣としては、被告チッソに対し、右のような措置をとることを命ずるべきであったのであり、具体的には、閉鎖循環方式等によって廃水を工場外に排出しない装置が完成するまでの間、水銀排出施設の操業を停止させるべきであったのである。
以上のとおり、経済企画庁長官、内閣(これを構成する各国務大臣)及び通産大臣は、工場排水規制という一つの目的達成のために共同し、一体となってその義務を果たすべきだったのであり、その不履行については共同して責任を負う関係にある。また、経済企画庁長官、内閣、通産大臣が(1)ないし(3)の義務を負うのは、本来国という同一主体に属する事務をこれら行政機関に分掌させていることに基づくものにすぎないのであって、たとえば、経済企画庁長官が指定水域の指定、水質基準の設定をしないからといって、内閣や通産大臣において自らもその義務を履行する責任がないなどということはできない。
右のとおり、経済企画庁長官、内閣(これを構成する各国務大臣)及び通産大臣は、被告チッソ水俣工場の排水規制をすべき義務があったにもかかわらず、これを怠ったものである。
(三) 工場排水規制法一五条に基づく行政指導の不作為による責任
(1) 工場排水規制法一五条は、指定水域の指定、水質基準の設定がない場合でも、主務大臣が特定施設を設置している者に対し、行政指導による排水規制をなすべきことを定めた規定である。同条は、主務大臣が特定施設を設置している者に対し、その特定施設の状況、汚水等の処理の方法又は工場排水等の水質に関し報告をさせることができることを定めているが、単に報告の徴収だけでなく、その結果に基づいて排水規制の行政指導をなすべきことまでも含んだ規定である。
(2) 内閣は、昭和三四年一二月二八日政令第三八八号「工場排水等の規制に関する法律施行令」により、カーバイド・アセチレン製造施設を特定施設と定め、かつその主務大臣を通産大臣と定めた。
そこで、被告チッソ水俣工場のカーバイド・アセチレン製造施設に着目すると、主務大臣である通産大臣が、特定施設を設置している者である被告チッソに対し、報告を徴収し、行政指導をする権限と義務を有していることは当然である。問題は、その報告事項にしたがって行政指導による排水規制の対象がカーバイド・アセチレン製造施設に限定されるのか、それとも同じ工場内に隣接する他の施設であるアセトアルデヒド酢酸製造や塩化ビニールモノマー製造施設にも及ぶのかであるが、それは当然に及ぶと解すべきである。
したがって、工場排水規制法施行後、遅くとも被告のチッソのカーバイド・アセチレン製造施設が特定施設に定められた昭和三四年一二月二八日以降、通産大臣は、指定水域の指定や水質基準の設定がなくても、被告チッソに対し、行政指導により、アセトアルデヒド酢酸製造施設や塩化ビニールモノマー製造施設を含む水俣工場の排水規制をし、水銀またはその化合物を含有する廃水を工場外に排出させないよう規制すべき義務があったというべきである。
3 通産行政上の行政指導の不作為による責任
(一) 通商産業省による行政指導
通商産業省(以下「通産省」という。)は、昭和三〇年代において、外貨割当制度と外国技術導入に対する許認可権限を背景とし、所轄の企業に対して半強制的指導力を有しており、多くの政策的手段をもって、その政策を各企業に対して実施してきた。通産省は、被告チッソに対しても、各種権限を背景に半強制的指導力を有しており、被告チッソに対して排水規制の行政指導を行えば、被告チッソがこれに従わざるを得ないことは明らかであった。通産省は、昭和三四年には、被告チッソの排水について、排水路変更、浄化設備の早期設置の行政指導を行っており、被告チッソはこれに従っていた。
したがって、本件における前記のような事実関係の下では、通産省には、被告チッソに対し、排水規制の行政指導を行う法律上の義務が生じていたというべきである。
(二) 本件における具体的作為義務の発生とその違反
(1) 昭和三三年七月の段階では、厚生省公衆衛生局長通知によって、被告チッソ水俣工場の工場排水が水俣病の原因であることが指摘されたのであるから、通産省には、被告チッソに対し、排水の安全確認のための調査をし、排水浄化装置を設置し、排水を停止して安全を確認するとか、排水を海に直接排出しない措置をとるよう指導すべき作為義務があったというべきである。
昭和三四年七月に熊大研究班が有機水銀説を発表し、同年一一月に厚生省食品衛生調査会が水俣病の主因はある種の有機水銀化合物であると厚生大臣に答申し、水俣病の原因が被告チッソ水俣工場の工場排水であることが疑う余地のない段階に至っては、通産省としては、遅きに失したとはいえ、直ちに被告チッソに対し、工場排水の排水規制の行政指導をすべきであった。
(2) 工場排水の規制は、危険な排水を工場外へ排出させないということであるが、工場排水の全面的な停止は工場の操業の停止につながることも予想されるので、他の方法で同様の効果があげられるのであれば、他の方法の選択も考慮することができる。その一つとして、排水浄化装置の設置が考えられるが、排水浄化装置の設置によって排水規制を行うことが許されるは、排水の影響が軽徴であるとか、排水浄化装置を設置することによって排水中の有害物質が完全に除去されるような場合である。本件においては、昭和三三年七月段階では、当時原因物質として指摘されていたマンガン、セレニウム、タリウムを除去する装置でなければならなかったし、昭和三四年七月以降の段階では、有機水銀を完全に除去できる装置でなければならなかった。もし、そのような性能を有する浄化装置がなかったのであれば、被告チッソとしては、少なくともアセトアルデヒド及び塩化ビニール排水を閉鎖循環方式により工場外に排出しないようにすべきであったし、それも何らかの理由で不可能であったとすれば、工場排水を停止すべきであった。したがって、監督官庁である通産省には、それに対応して、排水浄化装置を設置するよう行政指導すべき義務、アセトアルデヒド及び塩化ビニール排水を閉鎖循環方式により工場外に排出しないよう行政指導すべき義務、工場排水を停止するよう行政指導すべき義務があったにもかかわらず、通産省は何らこれらの排水規制をしなかった。
五 作為義務と根拠法規との関係
1 義務法規の違反
義務法規とは、企業ないし市民が他人に被害をもたらさないために、法規が行政庁に対し、その可能的加害者に対する一定の規制権限を与えるとともに、同時にその権限を行使して損害を発生させないことを、行政庁の国民に対する義務ならしめている法規をさす。
本件で問題となっている各規制法規は、すべてにかかる法規ととらえられるべきであり、各規制法規は、国民の生命、健康といった人権を守るために、行政に各法規に規定された規制措置を講じることを義務づけているものであり、この義務が行政の作為義務となるのである。
2 規制権限の裁量法規違反
仮に、本件各規制法規について、それらは行政庁に可能的加害者に対する損害発生抑止の規制権限を与えているものであり、その権限を行使するか否かについては行政庁の裁量に委ねられていると解するとしても、自由裁量行為にも裁量権の限界が認められるように、行政庁の不作為の決定にも裁量権の限界があり、行政介入を必要とする緊急性が著しく高いと認められるような状況の下で、行政庁がなお権限行使を懈怠している場合には、その権限の不行使は権限の消極的な踰越ないし濫用にあたり、違法と解すべきである。一定の要件を備える場合には、行政庁の権限の不行使が違法となるということは、いわゆる裁量権収縮の方理などにより、判例学説上広く承認されている。
3 緊急避難的行政行為
緊急避難的行政行為とは、国民の生命、健康、財産への重大な侵害の危険が切迫し、行政庁がそれを容易に知り得るときに、直接個々の国民の生命、健康の安全確保を目的とした右の事態に即応する適切妥当な行政法規がないが、ある行政法規の目的が間接的究極的には個々の国民の生命、健康の安全の確保にあり、その行政法規の定める規制権限を行使することによって、右重大な侵害を防止若しくは排除することが可能である場合には、緊急避難的行為として、当該行政法規を適用すべき義務があり、さらに、右のような行政法規が存在しない場合においても、個々の国民の生命、健康の重大な侵害行為の危険が現実化し、もしくは切迫している事態においては、規制権限が発生し、行政庁は規制権限を行使し、あるいは強力な行政指導をするなどあらゆる可能な手段を尽くして危害の発生の防止及び排除の措置を採るべき法的義務があり、ここでいう緊急避難的状況とは、裁量権収縮の要件に示された状況にほかならない。
六 まとめ
原告らは、被告国・県の前記公務員が以上の作為義務を履行していたならば、水俣病に罹患することはなかったものである。したがって、被告国・県は、国家賠償法に基づき、原告らに生じた損害を賠償すべき責任がある。
第七 被告チッソ子会社の責任原因
一 被告チッソ子会社の概要
1 被告チッソ石油化学株式会社(以下「被告チッソ石油化学」という。)は、昭和三七年六月一五日、石油化学製品の製造等を目的として設立された会社であり、その資本金は二〇億円で、被告チッソがその全株式を保有している被告チッソの子会社である。
2 被告チッソポリプロ繊維株式会社(以下「被告チッソポリプロ」という。)は、昭和三八年五月一八日、ポリプロピレン繊維の製造加工等を目的として設立された会社であり、資本金は八億四〇〇〇万円で、被告チッソがその全株式を保有している被告チッソの子会社である。
3 被告チッソエンジニアリング株式会社(以下「被告チッソエンジニアリング」という。)は、昭和四〇年二月八日、化学工業設備の計画設計等を目的として設立された会社であり、資本金は二億四〇〇〇万円で、被告チッソがその全株式を保有している被告チッソの子会社である。
二 法人格の形骸化
被告チッソの子会社である右被告三社(以下「被告チッソ子会社」という。)は、被告チッソが全株式を保有している子会社であり、被告チッソと人的にも事業活動上も一体であり、その実態は被告チッソの一部門にすぎない。したがって、法人格が全く形骸にすぎない場合として、法人格否認の法理が適用されるべきであり、被告チッソ子会社の法人格は本件訴訟の権利行使に関するかぎり否認されて、被告チッソ子会社は、被告チッソと共同して、原告らに対して損害賠償責任を負うべきものである。
三 法人格の濫用
法人格が法律の適用を回避するために濫用される場合に該当するとして、法人格否認の法理が適用されるための要件としては、①会社の背後にある法人格の利用者が会社の実質的支配を有していること(「支配の要件」)、②会社法人格が濫用されていること(「濫用の要件」)、があげられている。
被告チッソは、その資金により被告チッソ子会社を設立し、その株式をすべて保有して支配しており、人的にも、事業活動においても日本興業銀行、三和銀行という金融資本を媒介とする強固な一体性を有している。したがって、右の支配の要件をみたしている。
濫用の要件は、本件の場合、具体的には、被告チッソが、①被告チッソ子会社に先立って、人の生命、健康に対する不法行為を行い、人の生命、健康を侵害する不法行為を継続しているなかで子会社の設立をしたこと、②子会社の設立により、責任財産が分散し、それが不法行為責任の追及を回避したものと評価できること、が必要である。
右の要件の存在を明らかにする場合、被告チッソによる被告チッソ子会社の設立及びその後の実質的支配下においての法人格利用が、社会通念上被告チッソの不法行為責任を回避するものと評価できればよい。
本件の場合、被告チッソは、水俣病被害者に対して生命、健康の侵害という不法行為を行い、被害を発生させ、その原因は水俣工場の排水にあるので自らが不法行為責任を負うことになることを承知しながら、被告チッソ子会社を設立した。被告チッソは、昭和三四年ころには、すでに水俣病の加害者として社会的に非難を受けつつあったものであるが、これによる企業のイメージダウンを避け、かつ水俣病患者に対する賠償を免れるために、千葉県五井地区での丸善石油化学コンビナートに参加するにあたり、被告チッソ石油化学を設立し、以後あいついで、被告チッソ子会社を設立し、その法人格を利用して、不法行為に基づく損害賠償にあてるべき財産を分散させた。資本構成、売上高(生産、販売)の各推移についても、被告チッソにおける減少と被告チッソ子会社における増加がみられる。また、被告チッソは、子会社に製造の主体を移し、自らは子会社製品の販売をする商社に化しているなど親子会社間に主客逆転現象がみられる上、親子会社間で振替価格が設定され、子会社に利益が移転されているとみられるなど、他企業集団と比較して、明らかに異常異質な子会社利用を行っている。その一方で、水俣病被害者は、被告チッソが責任財産の分散をはかった結果として、被告チッソの資力のみでは損害賠償を受けられないという不利益を被った。これらの事実から、不法行為責任の追及を回避したものと評価されるから、濫用の要件もみたすことになる。
四 以上のとおりであるから、本件においては法人格否認の法理が適用されるべきであり、被告チッソ子会社は、少なくとも原告ら水俣病患者に対する関係では、被告チッソと別人格であることを主張できず、その結果として、被告チッソとともに、原告らに対し損害賠償責任を負うものである。
第八 損害
一 包括請求とその正当性
1 原告らの損害は、被告らの犯罪的行為によってひきおこされた原告らの環境ぐるみの長期にわたる肉体的、精神的、家庭的、社会的、経済的損失のすべてを包括する総体である。原告らは、その被害の総体を本訴において包括して請求するものである。
右包括請求の本質は、原告らがこれまで受けた「総体としての損害」を受けなかった状態に完全に回復することである。それはまた、原告らが人間として本来送ることのできるはずであった人間としての全生活の総体を完全に回復することである。その損害算定の作業は、まさに「人間の尊厳」そのものの価値を決定することと同等の重みを持つ作業である。
損害の算定に当たっては、単に被害の深刻さにとどまらず、被害を発生させるに至った経緯、被害発生後における加害者の措置、現時点における被害者らに対する態度等すべての状況を総合的に判断すべきである。
2 従来なされてきた逸失利益を中心として、個々の治療費、付添費、その他の費目を数え上げ、それらを積算した財産的損害と、狭義の精神的損害(慰藉料)を合わせて請求するいわゆる「個別的算定方式」では、水俣病被害の実態と特質を正しくとらえることができない。この個別的算定方式の根本をなしているのは、「人間を働く機械としか見ていない」考え方であり、この考え方は人間の尊厳という観点を全く欠落させており、被害の本質的部分を切り捨ててしまっている。
原告らは、人間としての全生活が破壊されてしまっているのであり、このような場合、被害を個別ばらばらのものとして考えるのでは、被害の一部をとらえたことにしかならない。現実に受けている損害のすべてを総体として有機的に結合させてとらえ、そのまま損害として認めなければならない。
逸失利益、過去の医療費その他の財産的損害は右包括請求算定の一内容となることは当然である。なお、将来の医療費及び健康管理に関する費用等を請求するものではない。
二 一律請求とその正当性
原告らは、被告らに対し、各原告または死者であるその相続人につきそれぞれ慰藉料として一八〇〇万円、弁護士費用としてその一〇パーセントに相当する一八〇万円、合計一九八〇万円を請求する。
各原告の総体としての損害の額は、本件請求額をはるかに上回る莫大なものとなるが、原告らは、右総体としての損害のうちごく一部を控え目に請求しているのである。
原告らは、本訴における請求金額を決定するに当たり、討議の上、次のような理由により、常識的な線でごく控え目に請求額を一律とすることを合意したものである。
第一に、もともと生命、健康は平等であり、本訴はその尊厳を回復するために提起されたものであるからである。
第二に、水俣病被害者の被った損害は概ね共通、等質であるからである。
原告らは、水俣病に罹患し、ほとんど共通の身体的被害を被っており、生活を根底から破壊され、将来の生活設計を狂わされ、将来への不安を感じている。そして、日々肉体的、精神的苦痛にさいなまれつつ、被告らが責任を認め、被害の全面回復が図られることを待ち望んでいる。
このような全人間的破壊は、全原告について共通であり、等しく人間の尊厳が破壊されているのであるから、これに差異を設けることはできない。
また、財産的損害についても、水俣病被害者は、漁師またはその家族が圧倒的に多いから、財産的損害の額が概ね一定していると考えられる上、漁師またはその家族でない被害者であっても、その生活状態はほとんど前者と変わらないといってよいのである。
第三に、原告らは、一日も早い救済を求めたからである。
請求額を区々にすればそれだけ訴訟が遅延し、救済も遅れてしまうことを考慮したのである。
三 本訴請求額の正当性
水俣病被害者の基本的要求は「元の体にして返せ」という原状回復の要求であり、損害賠償請求はこの原状回復要求のささやかな一部にすぎない。
水俣病の身体的症状は、感覚障害を中核とし、運動上の様々な障害、眼の障害、耳の障害、精神の障害や頭痛、疲れやすい、不眠など多様な自覚症状があり、かつ各症状はいずれも重く、日常生活のすべてに対して重大な影響を与えている。
被害者らは、それらの症状に二〇年以上にわたって苦しんできており、現在も増悪傾向にあり、かつ治癒する見込みは全くない。被害者らは、労働の能力を奪われ、経済的に追い詰められ、その結果医療費が負担できないため、症状を和らげる医療も受けられず、そのためさらに苦しみが増すことになる。さらに、水俣病の被害は家族全体に及ぶものであり、その性質上冢族ぐるみ患者であることも多く、その場合苦しみは倍加するし、家族が罹患していないとしても、家庭生活は全く破壊されている。また、被害者らは、地域社会のなかでの水俣病への無理解、偏見、差別に苦しみ、計りしれない社会的不利益や迫害を受け続けている。
以上のような水俣病被害の特質にかかわる事実は、いずれも損害評価の基礎として考慮されるべき事実である。そして、水俣病被害者は、これらの事実が複合する結果、二重、三重の苦しみを受けているのであり、以上の事実が相当程度に高額な損害額を導くものであることは明らかである。
被告らが原告らの救済を長期間にわたって怠ってきたこと、被告らの加害行為の悪質さも損害額の算定に当たって考慮されるべきである。
したがって、本訴請求額は、全額認容されるべきであり、原告らは、被告らに対し、各自請求の趣旨記載のとおりの金員の支払を求める(民法所定の年五分の割合による遅延損害金の起算日は、いずれも当該被告に対する訴状送達の日の翌日である。)。
第二節 請求原因に対する認否
(被告チッソ及び同チッソ子会社)
請求原因第一(相続による承継)は不知。
同第二(水俣病と被告チッソの工場排水との一般的因果関係)は認める。
同第三(水俣病の病像・診断)は争う。
同第四(原告らの水俣病罹患)は不知。
同第五(被告チッソの責任原因)については、被告チッソとしては、熊本地方裁判所で昭和四八年三月二〇日に言い渡されたいわゆる熊本水俣病第一次訴訟判決に服し、以後この判決をもとに締結された患者諸団体との補償協定に基づき、すべての患者に対し補償を行ってきていることにかんがみ、本訴において過失の有無をあえて争うものではない。
同第七(被告チッソ子会社の責任原因)は否認ないし争う。
同第八(損害)は否認する。
(被告国・県)
請求原因第一(相続による承継)は不知。
同第二(水俣病と被告チッソの工場排水との一般的因果関係)は認める。
同第三(水俣病の病像・診断)は争う。
同第四(原告らの水俣病罹患)は否認する。
同第六(被告国、同熊本県の責任原因)は否認ないし争う。
同第八(損害)は否認する。
第三節 被告らの主張の骨子
(被告国・県)
第一 水俣病の病像・診断
一 訴訟における因果関係の認定について
事実的因果関係の存否は具体的に生じた特定の事実と事実との関係を問題とするものであって、没価値的に機械的に判断されるべきものである。そこではいかなる事実の流れが因果の流れとして存在したかが探求されるのであって、原告らが主張しているように社会科学的な価値判断によって事実的因果関係が認められたり、認められなかったりするということはあり得ない。もともと、因果関係を事実的因果関係と法的(相当)因果関係とに区別して論じる目的は、事実として何が生起したのかという問題と法的保護の対象をいかなる範囲に定めるかということとは事実的にも論理的にも区別が可能であり、このような段階的な思考過程を経ることにより事実認定の場に種々の価値判断を持ち込むことによる判断の不安定さ、不確実さひいては価値判断の多様性に伴う正当性確認の困難さ等を避けようとすることにあるのであるから、このような場にあえて社会科学的な価値判断を持ち込もうとする原告らの主張は失当である。
本件において、原告らは、水俣病に罹患していることを民事訴訟法の原則に従い高度の蓋然性の程度に立証しなければならず、そこに被害者救済のための基準なる恣意的な概念を入れる余地はない。
二 医学的診断について
個々の人の疾病の診断は臨床医学的診断によるべきである。
右診断方法には、形態学的あるいは機能的方法による検査、それに基づく診断が有用な場合もあるが、これらの手法による有力な診断方法がなく、特異的な症候も存しない一定の疾患については、症候群的診断が唯一の科学的診断方法であり、水俣病の診断も症候群的診断方法によらざるを得ない。
症候群的診断とは、診断価値の高い症候の組合せによる判断であるが、その確実性を高めるために多くの疾患において診断基準が作成され、活用されている。
疫学的研究の成果は診断基準の形成に資する場合もあるが、それはあくまでも補助的な役割にすぎず、疫学的研究の結果を臨床の場における個々人の診断にそのまま取り入れることはできない。
三 救済法、補償法上の認定をめぐる問題について
1 昭和四六年八月七日付の環境庁事務次官通知は、救済法の趣旨にかんがみ、医学的知見に基礎を置いた上で、医学的にみて水俣病若しくはその疑いと考え得る限りの者を含め、広く患者を救済しようとしたものである。言い換えれば、申請人の呈する健康障害とメチル水銀の影響との因果関係の医学的判断、すなわち、水俣病か否かの医学的診断の確実性(確からしさ)の程度について、水俣病とほぼ確実に診断し得るという、いわば確定診断のレベルではなく、水俣病が否定できないと医学的根拠をもって判断し得るぎりぎりのレベルを採用することによって、医学を基礎とした上で可能な限り救済の間口を広げたものである。
右通知は、水俣病である可能性がわずかでもある限り、あるいは水俣病にみられる一症状でもあれば水俣病と認定すべきとしているものではない。右通知にいう「否定し得ない」とは、たとえわずかでも可能性があれば認定すべきであるという意味ではなく、そこには医学に根拠を有するものでなくてはならないという限界があるのであって、その点の判断は、救済法の公害患者の早期救済という目的を踏まえた上での、審査会委員の水俣病に関する高度の学識と豊富な経験に基づく医学的判断にゆだねられているのである。
2 昭和五二年七月一日付環境庁環境保健部長通知において示された後天性水俣病の判断条件(以下「五二年判断条件」という。)は、右事務次官通知を具体化したものであり、右通知による運用を基にして、医学的知見に基礎を置き、当時考えられる水俣病に関する最高権威者の検討を経て成立したものであって、右通知と同様に、これ以下では到底医学的には水俣病と診断し得ないという基準を示しているものである。これは補償の問題とは無関係にあくまで医学を基礎として定められたものであって、水俣病の判断にとって最も適切、妥当なものである。
臨床医学における診断は、一点の疑義も許されないというものではなく、確率の問題である。しかし、幾らわずかであっても、その可能性が皆無でない以上、水俣病と認定すべきであるというような考え方をとれば、それはもはや他疾患との鑑別を放棄するものであって医学的な診断というに値せず、医学に基礎を置く救済法及び公害健康被害補償法(昭和六三年法律第九七号により題名を「公害健康被害の補償等に関する法律」と改正、以下「補償法」という。)の下では到底採り得ない見解である。個々の症例における水俣病の診断は、ほとんど確実にいえる程度から、医学的にみて疑わしいという程度まで様々であるが、五二年判断条件は、医学的にみて水俣病が疑わしいといえる限りの申請者を広く網羅的に認定し得るものである。
3 本件は国家賠償請求であるから、原告らはその個々人が水俣病に罹患している高度の蓋然性があることを証明すべき責任を負っている。原告らは、五二年判断条件に照らし、かつ、審査会の専門医の判断により水俣病と認めることはできないとされたものである。五二年判断条件に照らして水俣病であることが医学的に否定できないとして水俣病と認定された者であっても、それだけで高度の蓋然性をもって水俣病といえるかは疑問のあるところであって、ましてや、医学的に右基準にも達しないと判断された者が高度の蓋然性をもって水俣病と判断されることなど到底考えられないところである。五二年判断条件に照らしても水俣病とは診断できないとして認定申請を棄却された者が水俣病に罹患している蓋然性の極めて低いことは明らかである。
四 慢性水俣病について
原告らが、水俣病の典型であり、自らも罹患していると主張する慢性水俣病なるものについて検討すると、原告らの立論の基礎にある全身病説が医学的根拠のないものであること、さらには、原告らが慢性水俣病の症状が多彩であることの根拠として挙げる過去の有機水銀中毒事例が必ずしも右原告らの主張を裏付けるものではないことが明らかである。
メチル水銀中毒とは無関係な疾患を取り込み、不当に水俣病の症状を拡大していけば、それが多彩なものとなることは当然のことであり、それが原告らの主張する慢性水俣病の実態であるというほかなく、かかる慢性水俣病の概念は、本件で原告らが主張している病像論の最も基本的な概念であるが、医学的に看過し得ない根本的な誤りを含んでいるものである。
五 原告らの主張する診断基準について
1 有機水銀汚染歴について
(一) 原告らの主張する疫学的条件なるものは、本来の疫学とは直接関連するものではなく、単に個々人がメチル水銀に汚染された魚介類を摂食したこと(有機水銀汚染歴)を推測させる間接的事実の総体にすぎない。それらの事実のうちでは、魚介類摂食状況が最も基本的な事実関係であるが、魚介類の喫食歴に関する個々人の供述からそのメチル水銀汚染歴を的確に推定することには多くの問題点がある上に、メチル水銀を含有する魚介類をどの程度摂食したのかということは、本件においては、三〇年も前のことに関するはなはだあいまいな原告らの記憶に基づかざるを得ず、現時点において正確な事情を把握することは極めて困難である。もともと、メチル水銀に汚染された魚介類をある程度継続的に摂取したとしても、全員が水俣病に罹患するわけではなく、しかもその摂取したという事実自体が原告ら本人の記憶に基づく不正確なものであることからすれば、このようなあいまいな事情を過大に評価して、臨床症状からは水俣病と診断するのに大きな疑問があるにもかかわらず、当該原告らを水俣病と診断するのは、医学の常道からはずれるのみならず、多くの誤診の可能性をはらむものである。
(二) 救済法あるいは補償法における認定手続の過程においても、これらの疫学的条件といわれる事情の把握に努めており、公正な立場にある保健婦等が聞き取りを行っている。原告ら提出の陳述録取書には、保健婦等が聞き取った事実と相違する内容のものがあるが、これらは容易に措信し難い。
2 水俣病の診断における感覚障害の意義について
(一) 水俣病にみられる感覚障害は、四肢の末端ほど強い(遠位部優位)両側性の感覚障害である。この型の感覚障害は、最も普通には多発神経炎においてみられるものであるから、一般にこの型の感覚障害を多発神経炎型と総称している。
感覚障害の所見の有無、その範囲、程度等は、医師の中でも神経内科医が最も正確に判断し得るものであるが、その検査方法の性質上、基本的に被害者の応答に頼らざるを得ないという限界があるため、この検査は神経疾患の検査の中でも客観性に乏しく、最も難しい検査の一つであるといわれている。
感覚障害を来す原因疾患は、多種多様であり、しかも原因を特定できないものが高率を占めている。
以上のとおり、水俣病にみられる多発神経炎型の感覚障害は確かに主要な症候の一つであるが、それ自体は非特異的な症候であり、原因不明のものも多いのである。
(二) 四肢末梢型の感覚障害のみを呈する水俣病患者が存在するとの原告らの主張が正当と認められるためには、感覚障害のみを呈する例がメチル水銀に汚染された魚介類を多食したと認められる地域住民の中に多数存在していることが証明されなければならないはずであるのに、これまでの疫学的研究の成果をみると、感覚障害のみを呈する患者がメチル水銀に汚染された魚介類を多食したと考えられる地域に特に多いと認められない。原告らの主張は、みずから強調するにもかかわらず、その疫学的根拠を欠くものである。
(三) 感覚障害のみの水俣病の存在を裏付けるかのような若干の医学的知見として、末梢神経先行障害説と感覚障害残存説があるが、これらは医学的根拠に乏しい。
これまで水俣病に関し蓄積されてきた病理学や神経内科学を中心とする多くの研究成果によっても、四肢末梢の感覚障害のみを呈する型の水俣病というものは確認されていない。
3 他疾患との鑑別について
(一) 「専ら他疾患によるものであることが明らかである場合を除く」といった原告らの主張する診断基準では、特定の患者について、水俣病にもみられるが、同じ症状を来し得る他の原因も有する場合において、そのいずれとも確定的に判断し得ない者については、すべて水俣病と診断すべきことになる。しかし、このような診断基準は、要するに有機水銀汚染歴と四肢末梢の感覚障害という、それだけでは水俣病である一般的な可能性があるというにすぎない者をすべて水俣病としてしまうものであって、およそ医学とは無縁のものである。
(二) 四肢末梢の感覚障害は訴えているが、他に水俣病でみられる症状が認められない者については、仮にメチル水銀を含有した魚介類を過去に多食したことがあるとしても、水俣病に通常みられる他の症状がみられないことから、医学的には水俣病である蓋然性は低いと考えられており、したがって、他の原因が考えられると否とにかかわらず、このような者が水俣病であるという証明はどこにもない。
加えて、これらの者の中には、そのような感覚障害を来し得る他原因を有する者が少なからずあり、この場合に右他疾患の存することが証明されたとすれば、その者が水俣病である可能性はなお一層少なくなったというべきである。
(三) 変形性脊椎症による神経障害は、臨床症状の種類及び経過のいずれにおいても、原告ら主張の慢性水俣病と類似しており、この鑑別に注意を要することは明らかである。
4 まとめ
原告らの主張する診断基準は、症状要件及び他疾患との鑑別要件ともに極めて不明瞭であり、かつ他疾患との鑑別を放棄したものであって、およそ医学的な診断基準と呼ぶに値しない。本件における原告らの主張する診断基準が正当とされるためには、右診断基準に該当する者は高度の蓋然性をもって水俣病といえるという医学的経験則が存在しなければならないはずであるが、そのような経験則は存在せず、それに該当する者は水俣病であることの単なる可能性があるというにすぎないのである。
六 元倉医師の診断の問題点について
1 ほとんどの原告らの診断書を作成している元倉医師は、濃厚汚染時期に水俣地域を遠く離れており、その居住地域や居住時期からいって、メチル水銀に汚染された魚介類を水俣病が発症するほど多量に摂食したという可能性は客観的にみて極めて低いと考えるのが当然の者についてまで、汚染歴が十分であるとしており、このことは同医師あるいは原告らのいう汚染歴というものの程度を示すものであるし、これを診断上それほど重視し得ないことを示すものである。
2 元倉医師の運動失調の判定、求心性視野狭窄及び難聴の所見には、いずれも看過し難い問題がある。
元倉医師の運動失調の判定基準は、水俣病にみられる種々の運動失調症状のうち、平衡機能障害の有無、程度をみる検査結果のみをもって、全体としての運動失調の判定基準とするものである。水俣病にみられる運動失調は、主として小脳(半球及び虫部)の障害に起因し、上肢及び下肢の協調運動障害並びに平衡機能障害を来すものであるにもかかわらず、協調運動障害の点を全く考慮しないこの判定基準が片面的であり、不適当であることは多言を要しない。運動失調の有無については、上肢及び下肢における協調運動障害の有無をみる諸検査の結果並びに平衡機能障害の有無をみる諸検査の結果等を総合して専門的に判定されるものであって、元倉医師の判定基準は故意にその一部の情報のみで画一的に判定しようとするものである。また、つぎ足歩行障害などの平衡機能障害のみが協調運動障害を伴わずに現れている場合は、水俣病による小脳性運動失調によるものとみることはできないのであって、元倉医師の判定基準は、その点からの問題をはらむものというべきである。
元倉医師の求心性視野狭窄に関する所見は、同医師の所属する鹿児島生協病院における検査技師が測定した視野を前提としたものであって、その検査技師の測定技量は不明であるが、そもそも視野図の提出なくして求心性視野狭窄の有無を論じることはできないというべきである。原告らは、審査会における園田医師の所見を問題視するようであるが、同医師の技量及び豊富な経験は疑うべくもなく、その所見に何の問題もない。本訴においては、同医師が原告ら個々人について測定した視野図が証拠として提出してあり、これをみれば原告らに求心性視野狭窄がないことが明らかである。
第二 原告らの水俣病罹患の有無
原告らが水俣病に罹患していると認められないことについての主張の詳細は、別添(三)「被告国・熊本県の主張(個別原告の症状について)」に記載のとおりである。
第三 被告国・県の責任
一 本件における基本的問題点
1 規制権限の存否について
国賠法上において、公務員の規制権限の不行使が特定の国民に対する関係で違法な加害行為とされるためには、その前提として当該公務員に右権限を行使すべき作為義務が存在していなければならず、しかも、それは当該公務員にとって原告ら個々人に対して負担する個別具体的な職務上の法的義務ととらえ得るものでなければならない。そこで、被告国・県の公務員に原告らの主張するような作為義務が生じていたか否かを検討することとなるが、当該公務員に何らの規制権限もなく、あるいは権限行使の要件が充足されていない場合にまで右のような作為義務を負担する道理はないから、右の検討においては、そもそも当該公務員が原告らの主張するような権限を有していたか否かを吟味してみることが必要である。原告らは、被告国・県において種々の規制をなすべきであったとし、その規制の根拠法規として幾つかの法規を挙げているが、原告らの挙げる法規は、いずれも、被告国・県の公務員にその主張に係るような規制をなし得る権限を付与したものではないか、あるいは、その権限は当時判明していた事実関係の下では行使の要件を充足していないものである。したがって、被告国・県の公務員に右主張に係るような規制権限を行使すべき作為義務が生ずることはなく、ましてやその不作為が違法と評価される余地はない。
2 法律による行政の原理について
法律による行政の原理は、行政庁の権限行使が恣意に流れることを防ぎ、もって国民の権利、自由を保障し、法律関係を安定させる意義があるものとして、我が国の行政についても広く妥当する原理とされている。したがって、行政庁が法律に定められた規則目的及びその権限の内容を超えてその権限を行使することは、法律による行政がもつ意義を没却する重大な結果をもたらしかねないのであるから、規制権限の趣旨、目的及びその要件については、その立法経緯をも踏まえて、厳格に解釈されなければならない。原告らは、その主張する破滅的緊急事態の下では、各規制権限は国民の生命、健康を守るという理念に基づいて行使されなければならないと主張するが、各根拠法規の規制目的ないしその発動の要件は各根拠法規に明定され、あるいは具体的な法規の解釈を通じて客観的に導き出されるものであって、その規制理念を超えて行政権限の発動を求めるような主張は、法律による行政の原理に反するものとして、失当である。
3 原告らの本件における作為義務の根拠に関する主張について
原告らは、被告国・県の公務員の不作為の違法性を主張する前提として、被告国・県のいかなる公務員がいかなる根拠に基づいて原告ら個々人に対して負担する、いかなる職務上の法的義務に違反したのかを具体的事実に基づいて明確に主張しなければならないはずであるのに、その主張がされておらず、請求原因事実が特定されているとはいえない。
原告らは、本件と関連する諸法令を羅列した上で、これらの法令によって「行政」には、魚介類を漁獲させない措置、販売させない措置、摂食させない措置及び工場廃水を排出させない措置を採るべき義務があったと主張している。原告らの右主張は、被告国・県の担当公務員の職務義務、権限の有無及びその範囲の問題を全く捨象して、その時々においてかかる措置を講じることが有効であったから、行政はそのような措置を講ずべきであったと主張しているに等しく、それは結論のみが先行して、まさしく行政に対して結果責任を問うものであり、右各措置の法律上の根拠を問わない点において法律による行政の原理を全く無視するものである。漁獲禁止措置を採るべきであったと主張することはたやすいけれども、問題は、そのような規制をいかなる根拠に基づいてなし得るのかということなのである。法律上の責任を問題とするときには、当該公務員が規制権限を被規制者との関係で適法に行使し得ることが根拠づけられることが必要である。そうでないと、当該公務員の不作為の違法を基礎づける作為義務を措定することができないからである。法律に基づき行動すべきことを義務づけられている公務員としては、法の定めるところに従って一定の職務上の義務を負い、その付与された権限を行使するのであって、仮に水俣病の罹患を防止するのに魚介類を漁獲させないことが考えられる方策であったとしても、特定の公務員において法によってそのような措置を採るべき権限を与えられていない以上、そのような措置を採らなかったことをもって違法ということはできない。
4 原告らの主張する被侵害利益と作為義務との関係(いわゆる反射的利益論)について
本件で原告らが種々主張している規制権限は、いずれも関係公務員において公益保障の観点から行使すべきことを義務づけられているものであるから、これら公務員が国民個々人、とりわけ本件原告ら個々人の利益を守るためにそのような規制権限を行使すべき法的義務を負担することはあり得ない。国賠法一条所定の賠償責任の成立要件の一つである違法性を判断するには、個々の賠償請求者と当該公務員との間に個別的な職務上の法的義務が措定されることが前提となるところ、その法的義務を一定の行政権限を規定した法規に求めようとするのであれば、その法的義務の対象となるべき保護利益はその法規によって保護すべきことが予定されている利益に限られるべきことは当然のことであって、損害賠償請求の根拠とされている個人の被侵害利益が当該法規との関係でみればその反射的利益にすぎない場合には、当該公務員と個人との間の法的義務(作為義務)を措定することができないのであるから、その法規に基づく行政権限の不作為の違法が問題となる余地はないのである。
5 緊急避難的行政行為について
原告らの緊急避難的行政行為に関する主張の第一の問題点は、原告らのいう緊急避難的状況にあるときには、行政庁は他目的の行政権限を、国民の生命、健康を守るために行使すべき義務があるとする点である。このような規制権限の行使が法律による行政の原理に反するものであることはいうまでもない。また、本件で問題となっているのは、このような緊急事態に規制権限をその規制目的を超えて適用した場合の当該公務員の責任の問題ではなく、法律による行政の原理に基づき、かかる目的外の権限行使はすべきでないと判断し、あるいは右行使の職務義務はないとして、当該規制権限を行使しなかった当該公務員の不作為が、国賠法上違法であり、かつ、故意、過失を認め得るかということである。原告らの主張はこの点をすべて肯定するものであるが、その論理が妥当するためには、当該公務員に、かかる緊急時には公務員はその与えられている権限を本来の規制目的外にも行使しなければならないという行為規範が事前に与えられていなければならない道理であるが、そのような規範を承認する見解は見当たらず、少なくとも、本件で問題となる昭和三十年代の前半に、被告国・県の公務員にそのような行為規範が与えられていたとは到底認め得ない。この問題点は、原告らが、さらに、かかる他目的の規制権限も存しない場合には新たに規制権限が発生し、かつ、これを行使すべき法的義務が公務員に生じると主張するに至ってはより顕著である。一定の緊急事態に対応しようとするときに行政はあらゆる角度から適切な方策を検討すべきであることは当然であるとしても、それはあくまで政治的、行政的レベルでの責務であって、そのあらゆる方策を検討した結果、適用すべき規制権限が存しないということになれば、本件におけるようにできる限りの行政指導でもって対応することはともかく、法的規制を行い得ないことはやむ得ないところである。
原告らの主張の第二の問題点は、その主張する緊急避難状況という要件が客観的にみて明確でないということであり、第三の問題点は、行使すべき権限の内容が不明であるということである。
二 原告らの主張する規制権限について
1 食品衛生法
(一) 食品の安全の確保は、第一次的かつ最終的には食品の製造販売業者の責任にゆだねられており、行政庁の規制は、補完的、後見的、二次的な立場で行われる。
食品衛生法の制定された経緯、目的及び規定の内容等にかんがみると、同法は、食品衛生行政庁に対して、食品の製造、販売等に関し、積極的な行政責任を負わせた規制法ではなく、本来営業の自由に属する食品の販売、製造等に対し、食品の安全性という見地から、必要最小限度の取締りを行うことを目的とする消極的な警察取締法規にすぎないと理解される。
なお、食品衛生法は、飲食に起因する衛生上の危害の発生を防止し、公衆衛生の向上及び発展に寄与することを目的として(一条)、食品関係の営業及び営業者に対する各種の規制及び取締り等を規定しているものであって、右にいう営業及び営業者の定義は同法二条七項及び八項で明らかにされているとおり、そこには農業及び水産業における食品の採取業は含まれていない。すなわち、本件で問題となっている水俣湾内の魚介類を漁民が摂取し、自らこれを食するといった行為は、もともと同法における規制、取締りの対象外のことであって、同法は、有害な魚介類が流通経路を経て一般市民に衛生上の危害を及ぼさないようにするため、これら魚介類の販売及びその前段階の販売の用に供するための採取を禁じている(四条)にすぎないのである。したがって、たまたま有害魚介類の販売目的の採取が禁じられている結果当該魚介類が商品とならず、そのため、漁獲することもなくなり、その結果、漁民がその摂食を免れることがあっても、そのようなことは本来同法が予定していることではなく、まさしく事実上ないし反射的な利益なのである。担当公務員において、このような漁民(食品の採取業者)が自ら採取し、摂食することに起因する食中毒等の防止のために、食品衛生上の規制権限を行使することは全く予定されておらず、したがって、右権限行使が漁民らに対する義務となるといったことなどは到底考えられない。
(二) 食品衛生法四条は、その文理解釈からも明らかなとおり、有毒有害食品の販売又は販売目的の採取等をしようとする者に対し、不作為(禁止)義務を課した規定であって、厚生大臣又は都道府県知事に対して右行為を禁止すべき作為義務を課したものでないことはもちろん、禁止すべき権限を与えた規定でもない。食品衛生法四条に該当することは、同法二二条、三〇条などの規定が発動されるための要件であって、同条自体が何らかの規制権限を規定しているわけではない。
食品衛生法四条は、刑罰や行政処分発動の要件規定であるから、同条の解釈に当たっては、類推解釈が許されないのはもちろんのこと、その要件該当性は厳格に判断されなければならない。具体的な食品等が、同条二号に規定している「有毒な、又は有害な物質が含まれ、又は附着しているもの」という要件に該当するか否かは、その見地から厳格に解釈されるべきであって、条文の規定どおり、「有毒な、又は有害な物質が含まれ、又は附着している」と確実に判断し得るもののみがこれに該当し、単にその「疑い」があるといった程度では足りないのである。けだし、確実といえるだけの根拠もなく、単に疑いがあるといった程度で刑事罰等を科するには、その旨の明文の規定が存することが必要であるからである。昭和四七年法律第一〇五号による改正は、「有毒な若しくは有害な物質が含まれ、若しくは附着している疑いがあるもの」について食品衛生法上の規制を初めて可能ならしめた創設的な意義を有するものであって、同法改正以前においても、右「疑い」のある食品の規制が可能であったと解する原告らの主張は、この改正の経緯に照らしてみても明らかに失当である。
(三) そうすると、衛生担当公務員が特定の食品について同条二号にいう有毒有害食品に該当すると判断するためには、当該食品に有害物質等が含まれ、または付着していると確定的に判断し得るだけの十分な根拠が必要である。このような判断は、食品を有毒ないし有害ならしめている原因物質が判明し、当該原因物質を分析定量する方法が確立している場合には、その食品に含まれる許容限度を定めることにより科学的に実施され、このような方式による規制が基本的には望ましいものであるが、原因物質が判明していない場合でも、その時点で判明していた科学的な知見や長年の経験等種々の事実関係に照らして、当該食品に有毒有害物質が含まれ、または付着していると明確に判断できるときには、当該食品を四条二号に該当するものということもできる。
これを本件についてみると、原因物質による規制という観点からは、昭和三四年一一月の段階においては、熊大研究班内で有機水銀説が有力に唱えられていたものの、なお班内でも他の原因物質を疑う諸見解が存して必ずしも意見の一致をみず、厚生省食品衛生調査会水俣食中毒部会の答申にしても、水俣病の「主因をなすものはある種の有機水銀化合物である」とするにとどまり、原因物質を特定したというには程遠い内容のものだったのであり、また、仮に、有機水銀化合物がその原因物質であると考えたとしても、当時有機水銀を分析定量する技術は存しなかったから、原因物質に着目して食品衛生法四条二号の該当性を判断することができなかったことは明らかである。
他の科学的知見についてみても、昭和三四年一一月の段階までにおける動物実験結果や疫学的調査結果などの諸研究を総合しても、当時判明していたことは、水俣湾産の魚介類の中には相当期間継続的に大量摂取した場合には水俣病を発症せしめる有毒有害魚介類が存するというだけであって、水俣湾産の魚介類のすべてが右に述べた意味で有毒有害化しているといえなかったことはもちろん、種類や生息場所を限定して特定の魚介類が有毒有害化しているともいえなかったものである。もっとも、当時このように有毒有害化が問題となっていたのは水俣湾産の魚介類に限られていたから、同湾内の魚介類のすべてを食品衛生法四条二号に該当すると「看做す」ことができないかとのことが被告熊本県において検討されたが、行政処分や刑罰適用の要件についてそのような拡大解釈が許されるはずもなく、個別具体的な魚介類について、その有毒、有害性の判断ができない以上同号に該当するといい得なかったことはやむを得ないところである。
なお、その当時鹿児島県出水市に居住していた原告らが摂食した魚介類というのは、出水市沖合海域のものが主であるが、不知火海あるいは出水沖で採取された魚介類については、昭和三四年中においてその有毒性等が具体的に問題になるような状況ではなかったのである。
(四) 食品衛生法一七条に規定されている報告・臨検・検査・試験用の収去の権限は、同条各号違反の事実を調査確定するために認められているものであるから、厚生大臣及び都道府県知事が右権限を行使するためには、同法四条二号に該当すると判断される食品が存在し、営業者等に同条違反の行為が疑われるため「必要があると認められる」状況にあることが必要である。したがって、当時水俣湾産の魚介類については、これが同法四条二号に該当するとはいえなかった上、それに該当する魚介類がいたとしても判別する方法もなく、また漁民の採取目的が販売目的か、自家摂食目的なのかといったことも判断困難な状況下にあったのであるから、同条一七条の権限を漁民に対しても、また魚介類の販売業者に対しても行使することはできなかったのである。水俣湾内の魚介類についてさえこのような状況にあったのであるから、その危険性が一般に認識されていない同湾内に生息していた魚介類、特に本件において問題とすべき出水沖等の魚介類についてはなおさらである。
(五) 漁民は食品衛生法上の営業者には該当せず、漁民に対して同法二二条に基づく許可の取消し、営業の禁止停止等の規制権限を行使する余地は全くなく、本件で右規制権限行使の対象となり得た者は、魚介類の販売業者(鮮魚店等)のみである。食品衛生法二二条所定の規制権限を行使するためには、まず、営業者が同法四条の規定に違反していることが必要であるが、当時においては、営業者に同条違反の行為があったとは到底判断し得ず、したがって、行政庁が右規制権限を行使することができなかったことは明らかである。
2 漁業法
(一) 漁業法の目的が漁業生産力の発展及び漁業の民主化という公益を保護することに存することは規定上からも、その制定の経緯からみても明らかであり、原告らの主張するような食生活上国民の生命、健康の安全を確保することまでをもその目的とするものではない。
(二) 漁業法三九条一項の漁業権の取消し等の規制権限は漁業権者の権利を剥奪または制限するという重大な効果を有するものであるから、同項の「公益上必要があると認めるとき」という要件は容易に拡張して解釈されてはならない。漁業権は、漁業を営むことを権利として保護するものであるから、同項の「公益」は、漁業を営むことを権利として保護することにより侵害される公共の利益、すなわち、その利益の実現のために水面の利用が必要であり、それが漁業権の有する物権的排他性により排除されるのが不都合であるような公共の利益をいうものと解すべきである。したがって、当該漁業権区域内の魚介類を摂食することに起因する国民の生命、身体の安全を確保する目的で、漁業法三九条一項の規制権限を行使するなどのことは、本来同法の全く予定もしていないことであって、同法三九条一項の「公益」に含まれないことは明らかであり、そのような目的で右権限を行使することは違法とのそしりを免れない。
(三) 原告ら及びその家族は、水俣漁協の組合員ではなかったのであるから、もともと水俣漁協が共同漁業権を有していた水俣湾及びその沖合海域においては右漁業権と抵触する漁業を営むことはできないのであって、熊本県知事が水俣漁協の有していた共同漁業権の行使の停止処分を行ったとしても、原告ら及びその家族が行っていたという漁業には何の影響もないことが明らかである。また、当時、水俣湾あるいはその周辺海域では、一本釣や、延縄漁業といった共同漁業権の内容とはなっていない自由漁業が広く行われていたから、仮に、水俣漁協及び出水漁協の共同漁業権の行使の停止といった処分が行われても、これらの漁業には何の影響もないのである。
3 水産資源保護法及び熊本県漁業調整規則
(一) 水産資源保護法及び熊本県漁業調整規則の目的とする「水産資源の保護培養」とは、漁業生産力を将来にわたって持続的に拡大していくための資源として水産動植物の繁殖保護を図ることであるから、同法及び同法を根拠とする調整規則が国民の生命、健康を保護することをその目的としていないことは明らかである。
(二) 調整規則三〇条一項の許可漁業の取消しの要件である「漁業調整その他公益上必要あると認めるとき」とは、調整規則の目的に照らせば、漁業法六五条の「漁業取締その他漁業調整のため」、または水産資源保護法四条の「水産資源の保護培養のために必要があると認めるとき」に準じて解釈されるべきものである。したがって、原告らの主張するような人の生命、健康を保持する必要から、右規制権限を行使するといったようなことは、そもそも許されないことであって、この点で、本件においては水俣湾における許可漁業につきその許可を取り消すなどの右規制権限を行使し得るための要件が充足されていなかったことは明らかである。
(三) 熊本県知事の許可にかかる許可漁業と原告らとは何の関係もないことが明らかであるし、また、仮に許可漁業につき当該許可の取消し等をしたとしても、許可漁業よりも多数の漁民が従事している自由漁業は何ら禁止されないのであるから、漁獲禁止の実効性はない。
(四) 原告らは、調整規則三二条を根拠に被告国・県の担当公務員は、排水の分析調査権限、排水の停止権限、除外設備の監視権限などの諸権限を有していたと主張するが、同条は、一項でもって、水産動植物の繁殖保護に有害な物を遺棄するなどの行為を禁止し、この禁止を実効あらしめるために、この違反者には罰則を科する一方で、二項において、行政庁に除外設備の設置及び変更を命じ得る規則権限を付与しているのであり、原告らが主張している諸権限については調整規則上のどこにも根拠はなく、同三二条の解釈からそのような権限を導き出すことは不可能である。
(五) 調整規則三二条二項に定められた規制権限(除外設備の設置、変更)を行使し得るためには、水産動植物の繁殖保護に有害なものが何であるのか、これを遺棄し、又は漏せつするおそれがあるものを放置する者が誰であるのかが特定され、かつ、右遺棄等の行為と水産動植物の繁殖保護上の有害性との間の因果関係が明らかになっていることが必要不可欠である。
本件においては、原告らが右規制権限を行使すべきであったと主張する時期の最終段階である昭和三四年一一月の段階においても、「水産動植物の繁殖保護に有害な物」が何であるのか、これを「遺棄し、又は漏せつする虞があるものを放置」する者が誰であるのかは特定されておらず、また当時の知見では特定できなかった。当時、熊大研究班内で有機水銀説が唱えられ、さらには、厚生省食品衛生調査会の答申において、水俣病の原因物質につき、「ある種の有機水銀化合物である」という答申が出されたとはいっても、右見解には異論も多く、被告国・県は、当時有機水銀説が正しいものと断定できなかったこと、また、仮に有機水銀説を前提にしても、被告チッソ水俣工場では触媒として無機水銀を使用していたことは明らかにされていたが、同工場から有機水銀が排出されているとは考えられていなかったため、水俣病の原因とされる有機水銀がどこに由来するものか不明であって、なおこれらの解明には時間を要する状況にあったことからすると、水俣病の原因物質を被告チッソ水俣工場が排出しているとする科学的な根拠が当時なかったことは明らかである。これらの事実によると、当時水産動植物の繁殖保護に有害な物質が特定されていたわけではなく、ましてや、右有害物質を遺棄し、または、漏せつするおそれがあるものを放置する者が被告チッソであるというわけにもいかなかったのであって、結局、本件においては、右規制権限を行使する要件が充足されていなかったものである。
4 水質二法
(一) 水質保全法五条二項に基づいて水質基準を設定するためには、①特定の公共用水域の水質汚濁の原因となっている物質が特定されていること、②当該汚濁原因物質が工場から排出されていることが科学的合理的に解明されていること、③当該汚濁原因物質の分析定量方法が確立されていること、の各要件が充足されていることが必要である。
本件においては、昭和三四年一一月の段階でも、水俣湾及びその付近海域について、その汚濁原因物質が特定されていたとは到底いえないから、この点でます、右水域について水質基準を設定し、右水域を指定水域として指定することはできなかったことが明らかである。また、水俣湾及びその周辺海域の汚濁原因物質が被告チッソ水俣工場から排出されているものと断定することもできず、また、仮に、有機水銀が原因物質であるとの説を採るにしても、当時の有機水銀化合物の分析定量方法の開発状況では、それを分析定量することはできなかった。したがって、前記①ないし③の要件をいずれも欠くことになるから、水質保全法五条二項の水質基準の設定は、当時なし得ず、右水質基準の設定を前提とする同条一項の指定水域の指定も、当時なし得なかったものである。
(二) 工場排水規制法による規制をする場合も、水質保全法により直接規制する場合と同様に、同法に基づく指定水域の指定及びそれと同時になす水質基準の設定がその前提となっている。本件においては、昭和三四年一一月当時、水質保全法に基づく指定水域の指定及び水質基準の設定はなされていなかったし、その設定は前記のとおりいずれも不可能であったから、工場排水規制法に基づく権限の不行使を問題とする余地は全くない。
(三) 水質保全法五条一項に基づく指定水域の指定及び同条二項に基づき指定水域の指定と同時に行わなければならない水質基準の設定は、各種の法規を運用する場合の共通の客観的基準を制定するものであり、直接国民を相手方として行われる一般の行政行為とは著しく性格を異にする一般的法規範定立行為であり、また、「特定施設」の指定も内閣が政令により行うものである以上、やはり一般的規範定立行為である。
水質基準法は、右基準の内容が専門的技術的事項にわたることが多く、また、状況の変化に機能的に対応することが求められるところから、経済企画庁長官に右具体的な基準の設定を委任しており、経済企画庁長官は、「公共用水域の水質の保全」という国民全体の利益を図る目的で告示をするものである。したがって、経済企画庁長官が、直接個別の国民に対し、右のような立法行為に属する一定内容の基準の設定という行為をなすべき職務上の法的義務を負うものではない。
そして、経済企画庁長官が右告示をするに当たっては、水質保全法の委任の趣旨に従い、諸般の事情を考慮しながらその合理的裁量に基づいて、指定水域の指定、水質基準の設定の要否、内容について判断することになるのである。しかも、その内容が高度に専門的技術的事項にわたることに照らせば、右権限の行使に関する裁量の範囲は極めて広いものというべきであって、右告示をしないことが裁量権の濫用となり、ひいて国賠法上違法となる余地はないものというべきである。
また、右と同様に、政令のような行政立法の制定は、内閣の極めて高度な政策的及び専門的技術的裁量にゆだねられており、政令を定めることが直接個々の国民に対する関係で具体的な職務上の法的義務となることはあり得ず、政令を策定しないことが裁量権の濫用となって、国賠法上違法となることはないというべきである。
三 各規制権限の自由裁量性について
本件において、仮に何らかの規制権限を行使し得る余地があったとしても、原告らとの関係でみると、その主張する昭和三四年一一月の段階までに、その生命、健康に対して具体的な危険が切迫していたことを予見しまたは容易に予見することはできず、それを防止し得る規制権限の行使も困難な状況にあって、被告国・県の公務員において行政指導に努力したことや当時の時代背景を総合的に考慮すれば、右権限の行使が右公務員にとって一義的、明白に義務化していたとは到底解されず、本件において被告国・県の公務員の採った措置はいずれも付与された裁量の範囲を逸脱したものではない。
四 担当公務員の故意・過失について
本件当時の被告国・県の公務員が本件で問題となっている規制権限につき当時の一般的な見解に従って解釈し、その結果、かかる権限は法律上存しないか、その行使の要件が充足されていないとの判断に達し、当然のことながら当該権限を行使しなかったことにつき、何らの過失も認められないことは明らかである。
五 規制権限の不行使と原告らの損害との因果関係
1 規制権限の内容と原告らの損害との因果関係
(一) 原告らは、そのほとんどが出水市の漁民ないしその家族であって、昭和三二年九月ころ当時、その漁場は出水漁協が漁業権をもつ出水沖や漁業権の及ばない不知火海南部海域が主であって、当時漁民の間で危険視されていた水俣湾では漁獲していなかったことが明らかである。そうであるとすると、原告らが主張するように「水俣湾及びその周辺海域」の漁獲を禁止したとしても、もともと原告らはその海域で漁獲したのではないから、その水俣病罹患の防止とは無関係のことであり、結局かかる権限の不行使と原告らが被ったとする水俣病罹患の損害とは何ら因果関係を有しない。
(二) 原告らは、自らないしはその家族らが漁獲した魚介類を自家摂食して水俣病に罹患したと主張する者がほとんどであるが、食品衛生法は、明文の規定をもって、これら自家摂食を規制の対象外としている。原告らは、同法一七条や二二条に規定する規制権限の行使を主張しているが、右のとおり、原告らが食品衛生法上の規制対象とされている流通過程において取得した魚介類によって水俣病に罹患したものでない以上、かかる権限の不行使と原告らが被ったとする損害との間に何らの因果関係も存しないことは明らかである。
2 規制権限の不行使が違法となる時期と原告らの損害との因果関係
仮に、原告らが挙げている規制権限を行使しないことが一定の時期以降においては違法と評価されるものとすれば、被告国・県は右時点以降に当該権限を行使することによって防ぎ得た損害を賠償すべきであるが、逆に右時点前において既に生じていた損害については、賠償の責任はないということになる。
原告らは、本件において自らがいつ水俣病に罹患したかということを明確に主張していないが、原告らの主張に沿って証拠から推測すると、かなりの者が昭和三四年以前に手足のしびれなどの水俣病の症状が現れ、その時期にそれぞれ水俣病に罹患したと主張していることになる。そうすると、昭和三四年三月の段階で水質二法上の規制権限を行使すべきであったとする主張や、同年一一月の段階で漁獲等の規制措置及び被告チッソ水俣工場の排水規制措置を採るべきであったとする主張は、少なくとも昭和三三年以前に水俣病に罹患したとする原告らとの関係では、いずれもその主張自体からして失当なものといわざるを得ないことになる。
六 行政指導について
1 行政指導の不作為と国家賠償法一条の要件
(一) 行政指導の不作為と国家賠償法一条一項の違法性
行政指導の不作為が国賠法の適用上違法となるかどうかは、当該公務員が個別の国民に対する関係において、行政指導をすべき職務上の法的義務を負担していたかどうかの問題に帰着する。
本件で原告らが問題としているのは、いずれも法令の根拠に基づかないでなされる行政指導であるが、これは、各省設置法等のいわゆる組織規範に基づく行政指導であり、かかる行政指導においては、行政指導を行う主体、客体はもとより、行政指導の内容及び方法等について全く規定がない。この場合においては、行政指導をするかどうか、するとした場合、いかなる内容で、いかなる時期に、いかなる方法で行うかは、すべて当該公務員の全くの自由な裁量にゆだねられているというほかはないのである。したがって、このような無制約な行政指導は、行政責任の所在を不明確にすると同時に、特に規制行政の分野においては、法治主義を空洞化するものとして、その安易な実施は厳に戒めなければならないのである。本件の諸事情の下で、漁獲禁止や被告チッソ工場排水に関する行政指導を実施することが直ちに違法となるとまでは解されないが、その程度、方法によっては、行政指導の実施が違法とのそしりを受けかねないことに注意しなければならない。
したがって、このような行政指導を実施することが、個々の国民に対する関係において義務化するような事態は容易に想定し難く、法律の根拠に基づかない行政指導については、右行政指導を実施することが個々の国民に対する関係において公務員の職務上の法的義務となることはないというべきである。
規制権限の不行使の場合は、裁量にゆだねられる部分が少なからず存するとはいえ、なお、当該法規の趣旨・目的及び権限を有する者、行使の要件及び権限の内容等が少なくとも法定されているのであるから、右規定の解釈を通じて権限の行使が義務化する事態も明らかにし得るが、これに対し法律の根拠に基づかない行政指導の場合はいかなる法的規制からも自由であるため、行政指導をすべき義務を負担する者、その義務の内容等は何ら明らかではなく、この点からも作為義務を導き出すことは困難である。
以上によれば、結局、行政指導をするかどうかは、行政機関の公益的見地に立った政治的、技術的裁量にゆだねられているから、行政当局が、行政指導をしなかったことにより政治的責任を負うのはともかくとして、損害賠償責任を負うことはないというべきである。
(二) 行政指導の不作為と損害発生との因果関係
行政指導が相手方の任意の行動に期待して行われる事実行為である以上、その不作為と損害との因果関係については、行政指導が行われたならば、相手方が任意にこれに従ったこと、そうすれば損害が発生しなかったことを原告らにおいて主張立証しなければならない。
そして、右の判断に際しては、特に行政指導の内容(相手方に与える不利益の程度)、それまでの行政指導の実績(従前、同様な事態に対し行政指導がされてきたか否か、その経緯及び成果の有無)、行政庁と相手方との関係(当該問題以外にも継続的な関係が持続するのか否か)及び相手方の受入れの姿勢等の点が留意されなければならない。
このような観点から被告国・県と同チッソとの関係についでみると、原告らの主張する行政指導の内容である工場排水規制はつまるところ営業活動の停止を求めるものであり、被告チッソと被告国・県は、従前から行政指導の実績関係があったわけではなく、また被告チッソは自らの加害行為を否定し、その論拠にも容易に否定し難い点があり、かつ商工会議所会頭などからも営業停止反対の意向も示されていた状況にあったのであり、かかる行政指導が受け入れられるような関係にはなかったものといえる。
2 本件における被告チッソに対する行政指導
(一) 工場排水規制法一五条について
工場排水規制法一五条は、あくまで政令で特定施設の措定がなされることを前提として、当該施設の設置者から一定の報告を徴する権限を定めたものであることは、右規定自体から明らかであり、特定施設の設置もされていないのに製造業等の用に供する施設を設置している者から右報告を徴し得るといった解釈の成立する余地はなく、同条をもって原告ら主張のように行政指導をなすべき旨を定めた規定と解すべき根拠はない。
(二) 排水浄化施設の設置指導義務について
水俣病の原因物質について、熊大研究班で有機水銀説が発表される以前においては、セレン、マンガン、タリウムなど種々の物質が疑われていたもののに、どの物質も決め手を欠く状態にあり、かつ、そのことと相俟って水俣病をひき起こしている原因が被告チッソ水俣工場の排水であるといい得る状態にはなかったものである。原告らは、昭和三三年七月の段階で、被告国は同チッソに対し、セレン、マンガン、タリウムを除去し得る装置を備えるよう行政指導をすべきであったと主張するが、右三物質が水俣病の原因物質と判明しているわけでもない(客観的にも水俣病の原因物質でなかった)のにそのような行政指導をすべき理由はないし、少なくとも、そのような行政指導をしなかったことが国賠法上違法となることなどは考えられない。
次に、熊大研究班で有機水銀説が発表された昭和三四年以降においても、右有機水銀説は、単に原因物質を、主として医学的見地から有機水銀という大枠で特定したにすぎず、それ以上のことは不明であった上に、同班内にも異論があり、被告チッソからもいち速く反論がなされ、右反論には当時の知見では容易に抗し難い説得力があったものである。したがって、当時被告チッソを原因者と確定することはもちろん、原因物質を有機水銀であると確定することもできなかったのであるから、有機水銀の除去を目的とする排水浄化設備の設置を行政指導によってなし得る状況にはなかったし、そもそも前述のような反論を展開している被告チッソがそのような行政指導に応じたとは容易に考えられない。また、当時の技術水準として、そもそも有機水銀の除去を目的とした排水浄化設備をつくることができたのかどうかという点にも疑問がある。
(三) 排水につき閉鎖循環方式を採用するよう指導すべき義務について
原告らの、被告国(通産省)が、排水停止と同様の効果を挙げ得る排水の閉鎖循環方式を被告チッソ水俣工場に採用させ、工場外に排水が出ない措置を採るように行政指導をすべきであったとの主張については、まず、当時の技術水準において被告チッソ水俣工場の全排水を工場外に排出しないですむような閉鎖循環方式というものが可能であったかは疑問である。
通産省は、水俣病問題が現地で深刻な問題を惹起していることにかんがみて、昭和三四年八月ころ被告チッソ水俣工場に口頭で水俣川河口に放出していた排水路を廃止すること及び排水浄化設備の完成を急ぐこと等を指導し、さらに同年一一月には軽工業局長から文書でもって重ねて指導しているのであり、この指導を受けて被告チッソ水俣工場では、水俣川河口の排水路を同年一〇月三〇日に廃止し、八幡プールの上澄水をアセチレン発生施設に逆送するようになり、アセチアルデヒド製造工程で副生したメチル水銀化合物は原則としてこの時期以後工場外に排出されなくなったのである。そして、同年一二月二〇日には排水浄化設備たるサイクレーターが運転を開始し、被告国・県としてはその効果に多大な期待をかけ、東京工業試験所において同工場排水中の総水銀を定量していたのである。
以上のとおり、被告国(通産省)は、被告チッソに対して閉鎖循環方式を採ることを具体的に指導はしていないが、もともと法的根拠もない行政指導のあり方として常にそのような具体的方策を指示することが適当とは考えられない。通産省としては、当時水俣川河口方面への排水が深刻な社会問題を惹起しているとの認識の下に、この排水路を廃止するように指導すれば事足りるのであって、被告チッソ水俣工場において、任意にこれに従おうとする場合にどのような方策を講じて対処するかは同工場において検討し、決定すべきことである。そして、右にみたように、被告チッソ水俣工場において通産省の行政指導に従って自らの意思によりそれなりに合理性があると思われる方策を講じたことからすれば、当時において重ねて行政指導を実施すべき根拠は見だせない。結局、通産省において前記のような行政指導を実施している以上、仮に原告らが主張しているような閉鎖循環方式というものが当時技術的に可能であったとしても、この方式を具体的に指導しなかったことが行政指導の不作為の問題として違法となることはないものというべきである。
(四) 工場排水の停止を促す義務について
工場排水を全面停止することは、工場の操業停止を意味するものであって、昭和三四年一一月段階での原因究明の状況に照らしても、かかる行政指導を行うことは著しく合理性を欠くばかりか、当時の被告チッソの強硬な姿勢にかんがみれば、被告チッソがかかる行政指導に従う可能性もなかった。
3 本件における住民に対する行政指導
(一) 被告国・県が水俣湾を中心として実施した漁獲禁止、摂食禁止の行政指導は、沿岸漁民らを初めとして一般にその有毒性の認識が浸透することと相俟って、十分に周知、徹底され、患者発生防止に多大の効果を挙げたといい得る。加えて、本件原告らは出水市に居住し、もともと同湾内で漁獲していたわけではないから、右行政指導の当否とその主張する損害との間に因果関係がないことも明らかであって、この二重の意味で原告らの主張は失当である。
(二) 水俣湾外における漁獲規制については、当時これを相当とするだけの根拠はなく、これを実施した場合の混乱を考えればいくら行政指導といっても安易に行えるはずはなかったのである。昭和三四年以前において、出水市の漁民らはその操業海域の魚介類の危険性について具体的な認識を有していなかったものと思われるが、それは被告国・県の公務員についても同様なのである。このような状況下で不知火海全域の漁獲を禁止したり、そこで捕れた魚介類を一切摂食しないように行政指導することなどできないことは当然であって、仮にそれがされても漁民らの納得も得られず、到底遵守されたとも思えないところであり、逆に賠償請求すらされかねなかったといわねばならない。したがって、出水沖合海域等において漁獲禁止等の行政指導が行われなかったことは、当時の知見の下では合理性を欠くものとは到底いえず、国賠法上の違法を構成するようなものではないことは明白である。
七 時効、除斥期間について
1 時効期間満了による権利の消滅
民法七二四条前段は、不法行為による損害賠償請求権は、被害者又はその法定代理人が損害及び加害者を知ったときから三年間行使しないときは時効によって消滅する旨を規定している。本件において損害を知るとは、原告ら個々人が水俣病に罹患したことを認識することであるが、原告らの大部分は、本訴提起前に公害健康被害補償法等に基づく認定申請をしているから、遅くとも右認定申請時には自らが水俣病に罹患したことを知ったものということができるし、原告らの提出に係る陳述録取書等によれば、その訴える症状がメチル水銀に由来すると認め得るものであれば、遅くとも、次に述べる加害者を知ったといえる昭和五五年五月の時点では、自らが水俣病に罹患していることを知っていたものと解し得る。
昭和五五年三月には、本件とほぼ共通した事実関係を対象として被告国・県の不作為の違法を理由とする国家賠償請求訴訟が熊本地方裁判所に提起され、原告らも当然これを認識したはずであるから、本訴原告らについては、遅くとも右訴訟提起時において民法七二四条前段にいう加害者を知ったものということができる。
しかして、原告らが本訴を提起した時期は、いずれも右熊本地方裁判所における訴訟提起から三年を経過しているから、被告国・県は、本訴において、民法七二四条前段の消滅時効を援用する。
2 除斥期間満了による権利の消滅
民法七二四条前段の規定は、除斥期間を定めたものと解するのが相当である。除斥期間は、権利そのものの存続期間であって、その経過により当該権利は当然かつ絶対的に消滅するのである。したがって、右期間の経過が明らかであれば右規定に従った判決がなされなければならないのであって、当事者の援用を必要としない以上、援用権の濫用等を問題とする余地も存しないのである。
除斥期間の起算点について、民法七二四条後段は不法行為の時と規定しており、これは文字どおり、損害発生の原因をなす加害行為が行われた時点を意味しており、損害の発生した時期をいうものではないと解される。そして、加害行為の時点は、本件における被告国・県のように、加害行為が不作為によるとされているときは、一定の行為をなすべき作為義務が生じた(不作為が違法となった)時点と解される。
除斥期間の起算点を本件についてみるに、原告らの主張によれば、被告国・県の公務員に原告ら主張にかかる何らかの作為義務が生じた時点は、遅くとも昭和三四年一一月ということになるから、右の時点から原告らが本訴を提起した時点までに民法七二四条後段の規定する二〇年が経過していることは明らかである。なお、仮に、同法後段に規定する除斥期間の起算点を不作為による違法状態が終了した時点と解するとしても、原告渡邊幸男(原告番号三)、同市川義信(原告番号四)は、いずれも昭和三七年以前に既に出水市を離れ、以後東京方面に居住しているのであって、それ以降においては出水市近海で捕れた魚介類を摂食しなくなったものといえるから、被告国・県の公務員による不作為の違法状態は、右転出の時点で終了したものというべきである。したがって、右原告については、民法七二四条後段に規定する除斥期間が経過していることが明らかである。
(被告チッソ及び同チッソ子会社)
一 水俣病の病像・診断及び原告らが水俣病に罹患していると認められないことについては、被告国・県の主張第一(水俣病の病像・診断)、第二(原告らの水俣病罹患の有無)と同じ。
二 被告チッソ子会社の責任について
1 被告チッソ子会社設立の経緯について
被告チッソ石油化学、同チッソポリプロ、同チッソエンジニアリングは、いずれも、事業の展開を図るためにこれらの会社を設立することが得策であり、必要であると判断されたからこそ設立されたものであって、何ら原告らの主張するような不法の目的を企図して設立されたものではない。
被告チッソは、石油化学の分野に進出するに当たり、新規事業に伴う危険の分散や専ら丸善石油化学コンビナートに参加するための企業を独立して形成する必要から、被告チッソ石油化学を設立したものであり、ポリプロピレン繊維の製造の分野に進出するに当たり、新規事業に伴う危険分散という目的のほか、事業を円滑に軌道に乗せるために技術提携先との合弁による会社を設立することが得策であるとの経営判断に基づいて被告チッソポリプロを設立したものであり、化学工業設備等の計画、設計等のエンジニアリング事業を営むに当たり、分散している技術者と技術を一つに統合し、量的にも質的にも有効に活用することが必要となり、そのためには別会社を設立することが必要不可欠と判断して、被告チッソエンジニアリングを設立したものである。
同業他社においても、同一の時期においてこれらの新規事業分野に進出するに当たり、社内の一事業部門としてではなく、別会社を設立する方式によっている例は甚だ多いのであって、この事実は、これら各社においても同種の経営判断が行われたこと及び被告チッソの選択した右の経営判断が決して被告チッソのみに特有のことではなく、ましてや異常や不当なものでないことを示すに十分である。
2 被告チッソ子会社の設立当時の水俣病をめぐる状況について
水俣病は、昭和三一年五月に公式発見されたのであるが、昭和三五年以降は、胎児性患者を除き、新たな患者の発生はなく、新潟水俣病の発生はあったものの、昭和四五年までの間は、被告チッソにしても、世間一般にしても、熊本における水俣病問題は終わったという認識であったのである。
昭和四六年以降において、水俣病の一斉検診が熊本県や鹿児島県によって行われ、一方、これとは別にいわゆる自主検診なるものが県民医師団等によって行われて報道されたこともあったが、それも昭和四六年以降のことである。昭和四六年当時の認定患者数は一三四名であり、その当時、現在におけるように何千人という規模の多数の者が水俣病の認定申請を行い、あるいは損害賠償の請求をするようになるとは夢想もされなかったのである。
被告チッソ石油化学は昭和三七年六月一五日に、同チッソポリプロは昭和三八年五月一八日に、同チッソエンジニアリングは昭和四〇年二月八日に設立されたものであって、これらの子会社が設立された当時の以上のような状況からすれば、これらの子会社がわざわざ水俣病の責任を回避する目的をもって設立されたなどということはあり得ない。
3 法人格の形骸事例に該当するとの原告らの主張について
(一) ある株主が一〇〇パーセントの株式を保有している場合、さらにまた、当該株主の投票する者が役員に選任されている場合には、当該株主である個人または法人が当該の一人会社を支配しているとはいえるが、かかることから直ちに、一人会社はすべて形骸化しているとか、法人格否認の法理が適用されるということはいえないし、さらにまた、右の場合に、事業活動上親子両会社が無関係でなく、相互の連携の下で事業活動が行われているとしても、それは通常みられる当然の現象であり、これをもって直ちに子会社の独立した法人格を否定する根拠を提供するものではない。仮に、原告らの主張するように、被告チッソ子会社が被告チッソの一〇〇パーセント子会社であり、人的にも事業活動上も一体であり、その実体は親会社の一部門ということがいえるとしても、それだけで子会社が形骸化しており、その法人格を否定し得るとするのは甚だ失当であり、それでは、わが国における多くの中小規模の会社はもとより、大企業においても一〇〇パーセント子会社に関してはすべて形骸化しているということになってしまう。
(二) 被告チッソ子会社は、設立された後、その目的に沿って各々の事業活動を行っており、親会社たる被告チッソとは明確に区分された資産と人員を有していて、その間の収支の混同などはなく、要するに、親会社たる被告チッソとは別の法人として、実体のある社会的存在である。
4 法人格の濫用事例に該当するとの原告らの主張について
(一) 原告らの主張は、子会社の設立及びその後の子会社の経済活動の結果、子会社の保有する財産なり、資力なりが、親会社の責任財産から離脱しているとみること自体が誤っている。子会社の財産ないし資力は、親会社所有の子会社株式として完全に親会社に保有されており、したがって、親会社の責任財産から離脱しているわけではない。
被告チッソは、その子会社を設立し、存続せしめることによって損害賠償にあてるべき責任財産を分散させているものではなく、被告チッソ子会社の法人格が法律の適用を回避するために濫用されていると評価することはできない。
(二) メーカーである親会社が新製品の製造のために子会社を設立し、自らは当該製品の製造は行わずに販売を行うという方針を選択することも、あるいはまたメーカーが次第に販売会社としての性格を強めたとしても、何ら違法不当ではなく、したがって、こうしたことを理由とする被告チッソに対する責任回避とか法人格濫用等といった非難は不当である。
第四 被告国・県の時効、除斥期間の抗弁に対する原告らの再抗弁
被告国・県の時効、除斥期間の抗弁は、信義則に反し、権利濫用として到底許されない。
第三章 証拠 <省略>
〔別紙〕当事者目録
(原告肩書の数字は原告番号を示す。)
三 原告 渡邊幸男
四 同 市川義信
二五 同 東山政盛
二六 同 東山瑞枝
二八 同 渡邊利男
二九 同 渡邊美代子
三〇 同 江尻サダエ
三一 同 関下シヅ子
三二 同 中村トミエ
三三 同 尾上春喜
三四 同 尾上ハル子
三五 同 塩田信行
三六 同 塩田ハル子
三七 同 松下熊次郎
三九 同 西トミヨ
四一 同 田原ミツ
四二 同 川﨑アサエ
四三 同 川﨑久雄
四四 同 柴田林子
四五 同 亡樋渡シモ訴訟承継人
樋渡眞紀代
四五 同 亡樋渡シモ訴訟承継人
樋渡絹代
四五 同 亡樋渡シモ訴訟承継人
樋渡一男
四五 同 亡樋渡シモ訴訟承継人
岩﨑澄子
四六 同 西村嘉哉市
四七 同 福田マサノ
四八 同 西ヨシノ
五一 同 本戸ツル子
五二 同 亡坂口スエノ訴訟承継人
坂口時義
五二 同 亡坂口スエノ訴訟承継人
村本ミツ子
五二 同 亡坂口スエノ訴訟承継人
上杉エミ子
五二 同 亡坂口スエノ訴訟承継人
坂口和子
五二 同 亡坂口スエノ訴訟承継人
坂口勝
五二 同 亡坂口スエノ訴訟承継人
坂口幸弘
五二 同 亡坂口スエノ訴訟承継人
福島進
五三 同 安留トヨ
五四 同 新立マツエ
七五 同 古賀美俊
七六 同 古賀ミサ子
七七 同 古賀喜久雄
七八 同 山下覺
七九 同 山下アキ子
八〇 同 亡濱島綱行訴訟承継人
濱島剛
八〇 同 亡濱島綱行訴訟承継人
濱島浩昭
八〇 同 亡濱島綱行訴訟承継人兼原告
八一 濱島サダ子
八二 同 森ヨシエ
八三 同 澤村幸子
八四 同 尾上利美
八五 同 吉田稔
八六 同 松本セイ
八八 同 百澤正四郎
八九 同 山内スエノ
九〇同 村上ミツヨ
九一 同 金丸清秋
九二 同 嵐鐵夫
九三 同 嵐ミヨ子
九四 同 松下淺義
一〇一 同 下野政治
一〇二 同 尾上早一
一〇三 同 尾上マサエ
一〇四 同 田原重夫
一〇五 同 亡坂口兵松訴訟承継人
坂口巖
一一一 同 松下カヅエ
一一二 同 澤村次良
一一三 同 澤村ツタエ
一一四 同 尾下ミツノ
一一五 同 中村フジエ
一一六 同 浦中フジヨ
一一七 同 岩川俊夫
一一八 同 岩川ツルノ
一二〇 同 岩本安夫
一二一 同 岩嵜民子
一二二 同 村上シヅノ
一二三 同 岩本サネ
一二五 同 岩内義盛
被告 チッソ株式会社
右代表者代表取締役 野木貞雄
同 チッソ石油化学株式会社
右代表者代表取締役 藤掛康夫
同 チッソポリプロ繊維株式会社
右代表者代表取締役 藤掛康夫
同 チッソエンジニアリング株式会社
右代表者代表取締役 伊東久男
同 国
右代表者法務大臣 田原隆
同 熊本県
右代表者熊本県知事 福島譲二
〔別紙〕代理人目録
一 原告ら訴訟代理人(訴訟復代理人を含む。)
弁護士 斎藤一好
同 豊田誠
同 畑山実
同 斉藤義雄
同 鈴木堯博
同 管野兼吉
同 尾崎俊之
同 入倉卓志
同 朝倉正幸
同 白川博清
同 小川芙美子
同 田中健一郎
同 田中峯子
同 宮田学
同 山本孝
同 小林七郎
同 大島久明
同 和田裕
同 阿部哲二
同 小島延夫
同 千葉肇
同 中村正紀
同 小林克信
同 徳満春彦
同 淵脇みどり
同 白井劍
同 倉田大介
同 森田茂夫
同 石川順子
同 山口泉
同 岡村実
同 高村浩
同 中村雅人
同 犀川千代子
同 清水洋二
同 藤原真由美
同 岡本敬一郎
同 千場茂勝
同 竹中敏彦
同 板井優
同 馬奈木昭雄
同 松本津紀雄
同 村山光信
同 加藤修
同 松野信夫
同 西清次郎
同 三藤省三
同 坂東克彦
同 清野春彦
同 中村洋二郎
同 工藤和雄
同 高橋勝
同 味岡申宰
同 足立定夫
同 篠原義仁
同 高橋勲
同 阿部尚志
同 青木正芳
同 青山嵩
同 浅岡美恵
同 葦名元夫
同 梓沢和幸
同 荒井新二
同 荒川英幸
同 荒木哲也
同 荒木雅晃
同 荒牧啓一
同 井上正実
同 井之脇寿一
同 伊志嶺善三
同 伊東幹郎
同 飯田昭
同 池田純一
同 石橋一晁
同 市川清文
同 市川博久
同 市来八郎
同 稲村五男
同 稲生義隆
同 今井敬弥
同 岩城邦治
同 岩佐英夫
同 岩崎功
同 岩下智和
同 石田享
同 上田国広
同 内田省司
同 内田茂雄
同 恵木尚
同 小田周治
同 小野毅
同 小野寺照東
同 小野山裕治
同 大国和江
同 大塚武一
同 岡村三穂
同 加藤啓二
同 加藤喜一
同 加藤實
同 加藤健次
同 梶山公勇
同 梶原守光
同 上條剛
同 亀田徳一郎
同 川坂二郎
同 管野悦子
同 大村豊
同 木沢進
同 木嶋日出夫
同 木下哲雄
同 木村晋介
同 木村和夫
同 木村保男
同 菊地一二
同 清藤恭雄
同 久保和彦
同 蔵元淳
同 小林譲二
同 小林保夫
同 小林俊康
同 小堀清直
同 小長谷保
同 郷路征記
同 佐久信司
同 佐藤義弥
同 佐藤太勝
同 齋藤敏博
同 斎藤鳩彦
同 小池義夫
同 犀川秀久
同 坂本福子
同 相良勝美
同 沢口嘉代子
同 阪本康文
同 塩沢忠和
同 島川勝
同 島林樹
同 清水建夫
同 城口順二
同 菅野昭夫
同 鈴木守
同 鈴木俊
同 田代博之
同 田中敏夫
同 田村徹
同 高木健康
同 高田新太郎
同 高橋高子
同 高橋治
同 高橋敬一
同 瑞慶山茂
同 竹下義樹
同 武田芳彦
同 堤浩一郎
同 坪田康男
同 鶴岡誠
同 寺島勝洋
同 徳井義幸
同 舎川昭三
同 富森啓児
同 鳥毛美範
同 中村和雄
同 中丸素明
同 中山福二
同 永仮正弘
同 梨木作次郎
同 成見幸子
同 長野順一
同 西枝攻
同 西沢仁志
同 西本克命
同 沼田敏明
同 中島晃
同 根本孔衛
同 野上恭道
同 野上佳世子
同 野林豊治
同 野村克則
同 橋本紀徳
同 花田啓一
同 塙悟
同 林百郎
同 林豊太郎
同 林田賢一
同 長谷川一裕
同 尾藤廣喜
同 樋口和彦
同 福長惇
同 藤森克美
同 藤原充子
同 古殿宣敬
同 牧野丘
同 増田博
同 松井繁明
同 林伸豪
同 松波淳一
同 松村文夫
同 三木俊博
同 三角秀一
同 三溝直喜
同 三宅信幸
同 宮沢洋夫
同 向武男
同 村上博
同 毛利正道
同 森重和之
同 矢野競
同 谷萩陽一
同 柳重雄
同 山川元庸
同 山田安太郎
同 山本眞一
同 山本博
同 山本直俊
同 横尾邦子
同 横光幸雄
同 望月浩一郎
同 吉川嘉和
同 吉野高幸
同 吉田容子
同 渡辺和恵
同 横山国男
同 吉田隆行
同 吉田眞佐子
同 鷲野忠雄
同 渡辺吉康
二 被告チッソ株式会社、同チッソ石油化学株式会社、同チッソポリプロ繊維株式会社及び同チッソエンジニアリング株式会社訴訟代理人
弁護士 塚本安平
同 斎藤宏
同 鈴木輝雄
同 樋口雄三
同 宇佐見貴史
同 加嶋昭男
同 松崎隆
同 齋藤和雄
同 松原護
同 塚本侃
三 被告国訴訟代理人
弁護士 榎本恭博
四 被告国及び同熊本県指定代理人 飯村敏明
外九名
五 被告国指定代理人 岩尾総一郎
外三二名
六 被告熊本県訴訟代理人
弁護士 柴田憲保
同 斉藤修
七 被告熊本県指定代理人 魚住汎輝
外二〇名
理由
《書証の成立についての判断》
本判決の事実認定にわたる部分に供した本判決理由説示中に掲記の各書証の大部分については、それらが真正に成立したことに争いがなく、また、成立の真否が不知とされているその余の各書証についても、いずれも弁論の全趣旨により、それらが真正に成立したことが認められる。そこで、本判決においては、その事実認定の理由説示に当たり、その認知に供した個々の書証の成立についての説示は省略する。
第一章一般的因果関係
水俣病は、被告チッソ株式会社(旧商号新日本窒素肥料株式会社、以下「被告チッソ」という。)水俣工場のアセトアルデヒド製造工程において副生されたメチル水銀化合物を含む工場廃水が不知火海に放出されたことにより、魚介類の体内にメチル水銀が蓄積され、これを地域住民が多量に径口摂取することによって起こる疾患であること、その限りにおいては全当事者間に争いがない。
第二章被告チッソの帰責原因
水俣病の発生につき、被告チッソ水俣工場のアセトアルデヒド製造工程において副生されたメチル水銀化合物を含む工場廃水を不知火海に放出した被告チッソの行為に過失があることについては、被告チッソらにおいて明らかに争わないから、これを自白したものとみなす(権利自白の成立)。
第三章基本的事実関係
第一歴史的経緯の概観
本訴においては、被告チッソの過失責任の有無については右のとおり権利自白が成立しており、したがって、被告チッソの注意義務の内容や水俣病の発生についての予見可能性の有無等を更に検討する必要はない。そこで、本項においては、被告国及び熊本県(以下「国・県」ともいう。)の責任の有無、原告らの水俣病罹患の有無を検討する前提として、必要または有益と思われる範囲で、水俣病をめぐる歴史的経緯を概観しておくこととする。
一水俣病公式発見(昭和三一年五月一日)前
【証拠】 <書証番号略>
1 工場排水による漁業被害
チッソ水俣工場の排水による漁業被害は、既に大正一四、五年ころから発生していたようであり、被告チッソは、大正一五年四月、水俣町漁業協同組合に対して、漁業被害に対する見舞金として一五〇〇円を支払った。[<書証番号略>]
昭和一八年には、被告チッソは、水俣工場から生ずる汚悪水、諸残渣等を水俣漁協が漁業権を有していた海面等に放流することに伴い、同漁協に当該部分の漁業権を放棄してもらい、その対価として、補償金一五万二五〇〇円を同漁協に支払った。[<書証番号略>]
昭和二六年、被告チッソは、水俣漁協に対し、被告チッソの「事業より生ずる害悪ある場合においても」「一切異議を申さぬこと」を条件とし、補償に代えて無利息で五〇万円を貸し付けた。[<書証番号略>]
昭和二九年七月一三日、被告チッソは、水俣漁協に対し、水俣工場からのカーバイド残渣や工業用汚悪水が水俣漁協が漁業権を有する海面に流出することに対する補償として、年額五〇万円を支払うことを約した。逆に、同組合は、被告チッソに対し、今後被害補償その他いかなる要求も一切行わないことを約し、同組合が漁業権を有する八幡海面の埋立を承認した。[<書証番号略>]
2 三好報告書
昭和二七年ころ、水俣漁協組合長から、県水産課に対し、水俣湾の生簀の魚が死んだり、漁獲が減少しているという状況があるので、実情を調査して欲しいとの要望があった。その当時、熊本県においては、工場排水の影響による漁業被害の事案が相当数発生しており、三好礼治振興係長(以下「三好係長」という。)は、県下における他の漁業被害の調査の要望と同様に考えて、同年八月二七日、チッソ水俣工場及び水俣湾周辺の実地調査に赴いた。
三好係長は、漁業被害の実情等を聴取したが、海上からの調査をしたわけではなく、直接漁業被害を現認してはいないし、漁獲減少ということについても明確な心証を得たものではなかった。
三好係長の作成した復命書には、漁業被害に関して、「工場の排泄物として考えられるものに一般的排水とカーバイト残渣がある。一般的排水は別途工場より提出された資料によれば、大部分が各種製品の製造工程中の冷却水ということになっており、分析資料がないので成分については不明である。よって、工場側に説明を求めたところ、PHは七〜八で、微アルカリ性で、BOD(生物学的酸素要求量)も多い時で三〇〜五〇ppm以下であり、あまり害はないと考えている。」といった記載のほかに、「酢酸系の排水の流入等について説明を求めたが、抽象的説明に終わり、得るところが少なかった。」との記載があるが、同人の熊本地方裁判所昭和五五年(ワ)第二九二号事件における証言[<書証番号略>]によれば、その趣旨は、三好係長が説明を求めた工場の係員が、酢酸系排水について詳しい知識がなく、はっきりした答えが得られなかったという意味のようであり、漁獲減少の原因として水銀を念頭においてチッソ水俣工場の係員に質問したわけではなかった。
右復命書では、「従来の被害は生簀の魚の斃死」、「現在の漁業の被害と考えられるものは、この百間に排出される汚水の影響と百間港内にあった従前堆積した残渣が恋路島間にあって、巾着網、ボラ囲刺網、延縄等が操業が悪く、かつ漁獲が減少してきたことである。また浚渫のためか、浮泥が沖合に向かって移動してよろしくない。」と記載されている。そして、考案として、「排水に対して必要によっては分析し成分を明確にしておくことが望ましい。漁民側の被害の実情についての資料が不備であるので、その程度範囲が見当できないが(原文のまま)、なお漁民側の資料に基づいて検討を加えたい。排水の直接被害の点と長年月にわたる累積被害を考慮する必要がある。」とされている。
結局、三好係長は、伝聞的事実を前提にチッソ水俣工場の排水やカーバイド残渣が漁獲減少の原因である可能性を指摘しているにとどまり、漁業被害の原因、程度については十分に把握しておらず、今後の課題としているわけであるが、報告書の記載内容や前記証言からは、三好係長が漁業被害の状況について切実な問題意識を抱いたようには窺えない。
3 茂道部落の猫の死亡など
昭和二九年八月一日付熊本日日新聞は、水俣市茂道部落において、同年六月ころから急に猫が狂い死し始め、百余匹いた猫がほとんど全滅してしまい、ねずみが急増して被害が増大する一方、あわてた人々が各方面から猫をもらってきたが、これまた気が狂ったようにキリキリ舞して死んでしまい、同部落の一漁師が水俣市衛生課を訪れ、ねずみの駆除方を申し込んだとの事件を報じており、既にこの当時から猫に水俣病が発生していたことが認められる。[<書証番号略>]
二原因究明の過程
【証拠】 <書証番号略>、証人武内忠雄、同伊藤蓮雄、同実川渉、同藤木素士の各証言、弁論の全趣旨
1 公式発見から熊大研究班の結成まで
昭和三一年五月一日、熊本県水俣保健所(以下「水俣保健所」という。)の伊藤蓮雄所長(以下「伊藤所長」という。)は、チッソ水俣工場附属病院(以下「チッソ附属病院」という。)の野田医師から、水俣市月の浦地区に脳症状を呈する原因不明の奇病患者が四名発生し、同病院に入院した旨の報告を受けた(以下、これを「公式発見」という。)。
同月四日、伊藤所長は、県衛生部長に対し、患者の発生状況、症状及び及び同保健所の採った措置等について、「水俣市月浦付近に発生せる小児奇病について」と題する文書[<書証番号略>]をもって報告した。この報告では、同年一月ころから患者宅や近所の猫が狂死していたことなども記載されている。
伊藤所長は、患者らが協同で使用していた井戸水に伝染病の病原を疑い、右井戸水及び患者の家屋の内外を消毒するとともに、同月七日、右井戸水を県衛生研究所に送り、検査を依頼したが、検査の結果異常は認められなかった。
水俣保健所は、更に患者家族や現地の住民から事情を聴取する等患者の発生状況につき調査を進めたところ、同様の症状を呈する患者が昭和二八年こうに既に発生し、また、現在なお自宅で療養している患者もいることが判明し、患者が主として漁業従事者の家庭から発生していることも判明した。
このような状況から、伊藤所長は、今後も患者発生が続発するおそれもあると考え、患者発生の実態及びその対策を把握するため、同月二八日、水俣市医師会長、同副会長並びに地元開業医を水俣保健所に招集し、意見の交換を行ったところ、過去に同様の症状の患者を治療したことのある医師もあり、奇病患者の実数は相当数に上る模様であることが判明した。そこで、同日、水俣保健所を中心に、水俣市、水俣市医師会、水俣市立病院及びチッソ附属病院の五者によって構成される水俣市奇病対策委員会(以下「奇病対策委員会」という。)を設置し、奇病患者の実態の調査研究に当たることとした。
奇病対策委員会で奇病患者の発見と実態調査をした結果、同年九月六日までの段階で、同様の症状を呈する患者は合計三四名に上ることが判明し[<書証番号略>]、同年一二月末の段階では、昭和二八年一二月に一名、同二九年中に一一名、同三〇年中に一〇名、同三一年中に三二名、合計五四名に上る患者が発症し、そのうちの一七名が既に死亡していることを突き止めた。その間、奇病対策委員会は、奇病の原因究明は極めて困難という見通しとなってきたため、同年八月一四日、奇病の原因究明を熊本大学(以下「熊大」という。)医学部に依頼した。
被告熊本県も、同年七月二六日、水俣病の原因究明の調査研究を熊本大学長に正式に依頼した。[<書証番号略>]県衛生部長は、同年八月三日、厚生省防疫課長に対して、水俣市に原因不明の脳炎様疾患が多発している旨電文で報告した。[<書証番号略>]
2 熊大研究班による調査研究の開始
熊本大学では、被告県、奇病対策委員会の依頼を受けて、同年八月二四日、医学部に医学部長尾崎正道教授を班長として勝木司馬之助教授(内科学教室)、長野祐憲法教授(小児科教室)、武内忠雄教授(病理学教室)、六反田藤吉教授(微生物学教室)、喜田村正次教授(公衆衛生学教室)及び入鹿山勝郎教授(衛生学教室)によって構成される研究班を組織し、水俣病の原因究明のための調査を行うこととなった。
同日、六反田、長野、勝木、武内の各教授は水俣現地を視察し、現地の医学関係者との間で研究並びに対策について協議し、患者を学用患者として熊大医学部附属病院に入院させて、厳密な臨床的観察を行うとともに、死亡した患者については、病理学教室において病理解剖学的検査を行うこととし、他方、現地で採取した飲料水、海水、土壌、魚介類等の資料について、微生物学、衛生学、公衆衛生学の各教室において分析検査等が開始された。[<書証番号略>]
3 熊大研究班第一回研究報告会
同年一一月三日、熊大研究班は、熊大医学部において、同研究班員、県衛生部職員及び奇病対策委員会委員の出席の下に、第一回目の研究の中間報告会を開催した。[<書証番号略>]同研究会では、各教授より次のような研究過程の報告がなされた。[<書証番号略>]なお、この報告会は秘密裡に行われたが、新聞記者の察知するところとなり、新聞報道された。[<書証番号略>]
(一) 六反田
本病の症状及び発生状況からみて、本病を神経親和性のウイルスによる疾患及び中毒性特に神経親和性細菌毒素、即ち、ポツリヌス中毒の二面から、本夏来努力を重ねてきたが、未だその両方とも研究の途上にあって、結論を導くに至っていない。
(二) 喜田村
本疾患を病理組織学的所見並びに臨床所見より感染病であることを否定し、中毒症と考えるとすれば、その症状からまずマンガン中毒症を考慮する必要があると認め、現地飲食物、海水、土壌、並びに剖検死体臓器、患者の屎尿中のマンガン含有量の分析を実施したが、現在までのところ何らマンガン中毒を肯定すべき事実は認められない。しかし、なおマンガンに関する検索を実施中である。
(三) 入鹿山
水俣奇病の原因はまだ不明であるが、この発生が漁夫に多いことから海産食品との関係が一応疑われる段階で、海産物の特殊の汚染原因と考えられるものとしてはチッソ水俣工場排水があり、該工場排水が本奇病発生といかなる関係にあるか、現在のところ何も根拠がないが、既にこの排水によって付近の海域が汚染され、海産物にも影響していることは当然考えられるので、該工場排水による海域の汚染状況を調査、企画中である。
4 厚生省厚生科学研究班の結成と現地調査
昭和三一年一一月、厚生省は、国立公衆衛生院疫学部長松田心一(以下「松田主任研究員」という。)を主任とし、国立予防衛生研究所リケッチア・ウイルス部長北岡正見、熊大医学部長尾崎正道、県衛生部長蟻田重雄らを班員とする厚生省厚生科学研究班を組織した。[<書証番号略>]
松田主任研究員と国立公衆衛生院の宮入技官は、同月二七日、水俣市の現地を訪れ、翌一二月二日までの間、疫学調査を行った。[<書証番号略>]
水俣市袋小学校、袋中学校、対照としての津奈木村の赤崎小学校で、児童生徒の一斉検診も行われた。
5 国立公衆衛生院における研究発表会
昭和三二年一月二五日、二六日の両日、国立公衆衛生院において、厚生省、国立予防衛生研究所、国立公衆衛生院、国立衛生試験所、熊大研究班、熊本県、水俣市及びチッソ附属病院の各研究者による合同研究会が開かれた。そこでは、現在までのところ、「奇病はある種の重金属の中毒であり、金属としてはマンガンがもっとも疑われる。かつその中毒の媒介には魚介類が関係あるものと思われる。」というのが一応の結論であった。二七日付熊本日日新聞は、この発表会について、「この日は奇病の原因が従来言われている魚介類の中毒にあるのではないかと一応中毒説が有力で、とりあえず対策としては危険が解除されるまで魚介類を食べないこと、もし症状が現れたら早期に診断を受けることの二点に注意し、今後は国の研究機関、熊大医学部、県衛生部、水俣市奇病対策委員会の四者間で極力原因の究明と対策に乗り出すことをきめた。」と報じている。[<書証番号略>]
6 熊大研究班第二回研究報告会
熊大研究班は、昭和三二年二月二六日、熊大医学部において、第二回研究報告会を開催し、関係各教授においてそれぞれ研究経過を報告したが、病原物質の確定までには至らず、それまでに判明した事実を踏まえてのどのような対策を講ずるかについて討論された。その結果、少なくとも水俣湾内の漁獲を禁止する必要があるとされた。[<書証番号略>]
7 熊大研究班第一報配布
熊大研究班は、同年三月、それまでの研究の成果をまとめた報告書第一報「熊本県水俣地区に発生した原因不明の中枢神経系疾患について」熊本医学会雑誌三一巻補冊第一(昭和三二年一月)を配布したが、右報告書には次の論文が掲載されている。[<書証番号略>]
(一) 喜田村ら「水俣地方に発生した原因不明の中枢神経系疾患に関する疫学調査成績」
喜田村らは、昭和三一年九月以降、患家四〇戸並びに対照として隣接非患家六八戸に対しての訪問面接調査を実施し、その結果を報告している。報告のうち、水俣病の原因との関連で注目されるものとして、「本症が、連鎖感染により伝播発生したものと疑わしめる点は極めて少ない。患者の家族集積率は五二分の二一即ち約四〇パーセントであって、他の感染性中枢神経系疾患に比べ、著しい格段の高率を示している。」「患家群と対照群との間の漁家のしめる比率の差異は著明であり、調査において特に注目された点は、患家世帯では非漁業世帯といえども、世帯主あるいは家族の一員が何らかの形で漁獲に従事しているものが一四世帯中一〇世帯に認められ、又全然漁獲に従事せぬ四世帯も、漁家に隣接して容易に現地採取の魚貝を入手しうる点であり、対照の非患家においてはこのような事実は認めえなかった。」「本疾患の発生に関連して、又極めて特異的であることは、猫を主とする現地飼育の家畜に、患者類似の症状を起こして斃死するものが多い事実である。患家では飼育の猫はほとんど死亡している。その死亡時期は、飼育世帯の患者発生時期と比較して概ね一〜二か月先行すると言われ、年次別の斃死数をみても‥患者の年次別発生状況とその軌をほぼ同じくしている。」「病理並びに臨床所見よりみて、本疾患は感染症よりも中毒症であるとの疑いがあるが、疫学的調査成績で、患者の発生は地域的、経時的には散発的かつ継続的であり、又個々の患者について発生機転となるような起時点を見い出しえないところから、本症が中毒症とすれば、これら地域に特殊の共通原因による長期曝露をうけて発症するものと認められる。」「現地住民には漁家が多く、これらは当然多量の魚貝を摂取しているが、他地域に比べ特異な点は港湾内で漁獲の海産物を主として摂食することである。」「湾内の魚を摂取しているのは患者に圧倒的に多く、対照の家では湾外でとれる魚、即ち、あぢ、さば、いわし、たい等水俣の市場あるいは鹿児島県米之津方面よりの行商によるものを購入摂取しているものが多い。」「発病と関連のみられるのは特定の魚貝でもなく、又生食との関連もない点からみて、仮に湾内生棲魚貝の摂取が本疾患の発病の原因であったとしても、特定の魚貝中に存する特殊生体毒によるとか、あるいは魚貝を介する特殊の寄生虫性疾患であることを否定しうるものであろう。」と述べている。右報告は、「患者発生地域近傍の特殊環境として存在し、港湾汚染を招来する可能性ありと考えられるものとして、某肥料株式会社の水俣工場、月の浦地区の水俣市営屠殺場、湯堂地区の海中に湧水箇所のあること並びに茂道地区に旧海軍の弾薬貯蔵庫、高角砲陣地が存在した事実があげられる。」とし、汚染源として被告チッソ水俣工場を特定しているわけではないが、それ以外については、汚染源の可能性としてはすべて否定的な評価が述べられており、消極的な形ではあるが、汚染源として被告チッソ水俣工場の可能性が強いことを示唆する記載となっている。
なお、喜田村は、後に「水俣病の疫学―原因究明に果たした役割」(有馬澄雄編・水俣病―二〇年の研究と今日の課題、昭和五四年一月)[<書証番号略>]の中で、当初に行われた疫学調査について、「これらの成績から当該疾患は感染症ではなく、また飲料水を介する疾患でもなく、水俣湾内で漁獲の魚介を反復大量に摂取することによる食中毒症であり、その原因毒物は自然毒、腐敗毒、細菌毒にあらず化学毒と目されると判断した。さらに水俣湾を汚染した化学毒の汚染源についての調査をも実施し、汚染源は月の浦に所在した屠殺場の排水にあらず、湯堂の湧水にあらず、また茂道にあった旧海軍の高角砲弾薬倉庫から終戦後湾内に投棄された可能性もあると伝えられた弾薬にあらず、百間港に排水を出していたチッソ水俣工場からの化学毒が最も疑われるとしたのであった。」と述べている。
(二) 入鹿山ら「水俣港湾の汚染状況について」
入鹿山らは、「水俣地方に発生した脳症を伴う不明疾患の原因は現在のところ明らかではないが、本病が漁労を業とするものに多いことや発生の時期が水俣港湾内での漁労(カシアミ、夜ボリ等)の時期と関係があるように考えられることなどからして、本病の発生と同港湾の汚染との間に何等かの関係があるのではないかと疑われている。」として、港湾の汚染状況を調査し、「概して日窒水俣工場廃水の排水口に近い地点ではその影響が強く現れているが、同港湾全体としても汚染度が大である。これは、同工場廃水以外に船舶や過程廃水等により汚染され、これが港湾の地形、潮流等の関係からして同港湾内に停滞しているものと考えられる。」と報告している。
(三) 勝木、徳臣ら「水俣地方に発生した原因不明の中枢神経疾患、特に臨床的観察について」
勝木らは、初期の患者八例の臨床症状を報告した上で、原因として日本脳炎その他の感染性疾患、マンガン、二硫化炭素、一酸化炭素、四エチル鉛等の中毒を考察した。そして、「本症は炎症性疾患の所見を欠き、何等かの中毒による中枢神経障害が臨床的にも推定された。その臨床症状はマンガン中毒症状に最も近い病像であったが、従来の記載と全くは一致するものではなかった。」「我々の観察した患者の職業、食習慣、病歴等より考えて本症の発生には摂取した魚介を介する機転が考えられ、更に猫に現れた症状も同一機転との関連があるように思われた。」と述べている。
(四) 竹内ら「水俣地方に発生した原因不明の中枢神経疾患の病理について(第一報)」
武内らは、水俣病患者四例の剖検結果を報告した上で、本症は亜急性ないし慢性の経過をとる中枢神経系統の主として障害される疾病で、感染症よりむしろ中毒症を思わす疾病であると結論づけている。マンガン中毒が注目されているが、化学物質の個々の検討は今後に残された問題とされている。
(五) 喜田村ら「水俣地方に発生した原因不明の中枢神経疾患に関する化学物質検索成績(第一報)」
喜田村らは、水俣病と昭和一四年末から平塚市に発生したマンガン中毒とは類似点が多いことから、土壌、海水等についてマンガンを主とすむ諸種毒物の分析定量を実施し、結論的には、現在までの分析結果では何らマンガン中毒を肯定する事実を認めないが、更に検討を要する、と報告している。
なお、原告らは、喜田村の(一)の報告内容は、すでに昭和三一年一一月三日の熊大研究班第一回研究報告会で報告されていたと主張している。第一回報告会の報告内容については、「水俣地方に発生せる不明の中枢神経系疾患に関する中間報告」[<書証番号略>]と題する報告内容を後に簡潔にまとめた書面が存在しているが、熊大研究班の第二報[<書証番号略>]に掲載された喜田村らの「水俣地方に発生した原因不明の中枢神経系疾患に関する疫学調査成績補遺」では、「昭和三一年一一月末日までの事項に対し施行した疫学調査成績は前回報告のとおりである。」と記載されているから、一一月三日の第一回研究報告会の時点でも(一)の報告内容はおよそ判明していたとは思われるし、証人武内忠雄の証言によれば、この報告集に掲載されている内容はおよそ昭和三一年中には各教室に判明していたことが認められる。しかし、どの程度の報告がされたのかは証拠上明らかではない。
8 厚生省厚生科学研究班の打合せ会及び報告書
昭和三二年三月一九日、国立公衆衛生院の宮入、佐藤両技官及び厚生省食品衛生課の岡崎技官は、熊本県を訪れ、その後の研究結果について熊大研究班と打合せを行い、翌日から現地調査をした。
そして、同月三〇日、厚生科学研究班は、「熊本県水俣地方に発生した奇病について」と題する報告書[<書証番号略>]を作成した。同報告書は、様々な要因について検討を加えた後、「現在最も疑われているものは疫学的調査成績で明らかにされた水俣港湾において漁獲された魚介類の摂食による中毒である。魚介類を汚染していると思われる中毒物質が何であるかは、なお明らかでないが、これはおそらくある種の化学物質ないし重金属であろう。」とし、「今後の調査研究方針」の中で、チッソ工場の実態につき充分な調査を行い、工場廃水の成分、それによる港湾の汚染状況等を明らかにすることにより、本病発生の原因を明らかにしたい、としている。
9 伊藤所長の猫実験
本疾患の病原物質の人体への侵入の媒介物として水俣湾産の魚介類が考えられた後、これを実証する方法として、熊大研究班において、猫に水俣湾内で捕獲された魚介類を与えて飼育し発病させる実験が行われていたが、成功していなかった。
伊藤所長は、武内教授の依頼を受け、同年三月二五日から計七匹の猫について同様の実験を試みたところ、同年四月四日に一匹目の猫が発症したのをはじめとして五匹が発症し(なお、他の二匹は発症しなかった。)、その症状及び病理学的所見は自然発症の猫のそれと同一であることが確認された。これらの猫は、魚介類投与を開始して後、早い例では七日目に最初の痙攣発作が起こり、最も遅い例では四七日目に痙攣発作が起こっている。これらの猫に投与された魚介類はすべて水俣港産のものであり、魚種は特に限定されておらず、「ネコの発症には魚介類の量も関係するが、本質的には魚介類が有毒物質を含むか含まないかに関連し、その質も問題となる。更にネコ自身の個体も関係があり、小ネコは発症し易いように思われる。」と述べられている。この実験の成功により、水俣病は、水俣湾内に生息する魚介類を摂取することにより発症することが確認されたことになる。[<書証番号略>] その後、熊大研究班の各教室における実験でも同様の成績が相次いだ。[<書証番号略>]
10 厚生省厚生科学研究班の同年七月一二日開催の研究報告会
同年七月一二日、厚生省厚生科学研究班の研究報告会が国立公衆衛生院で開催された。松田主任研究員らは、結論として、本症は感染症ではなく中毒症で、その原因としては、水俣港湾において何らかの化学物質によって汚染を受けた魚介類を多量に摂取することにより発症するものであるが、その有毒物質ないし発症因子が何であるのかについては、更に研究を続行中である旨報告している。喜田村らは、中毒症として本症に類似の症状を惹起する既知の化学毒物としては、マンガン、タリウム、ヒ素、セレンなどがあげられるが、これらの中で最も本症と類似の症状を招来するものはマンガンであること、工場排水及び一般海水中から微量のマンガンを、魚介類から多量のマンガンとセレンを検出したこと、患者の屎尿、剖検死体諸臓器のマンガン含有量は対照と比べて大差を認めないが、発病猫の毛に異常のマンガン、セレンを、工場排水口付近の海底泥から若干のマンガンと多量のセレンを検出したことを報告している。(「水俣市における中枢神経系疾患の研究(第二報))[<書証番号略>]
11 熊大研究班第二報配布
同年九月二八日、熊第研究班は、第一報以来の研究成果をまとめて、「熊本県水俣地方に発生した原因不明の中枢神経系疾患について(第二報)」(熊本医学会雑誌第三一巻補冊第二、昭和三二年六月)[<書証番号略>]を発行し、配布した。
同報告書には、伊藤所長が猫実験について報告した論文「水俣病の病理学的研究(第五報) 水俣湾内で獲った魚介類投与による猫の実験的水俣病発症について」や以下のような報告をはじめ、合計一六篇の論文が掲載されている。
(一) 喜田村ら「水俣地方に発生した原因不明の中枢神経系疾患に関する疫学的調査成績補遺」
(1) 昭和三一年一二月以降に行われた疫学調査成績が報告されており、要約として「1.本症と診断された患者は累計五六名となったが、昭和三二年以降は新患者の発生が一名も認められない。2.水俣港湾周辺地区では、猫、鳥などの諸動物が引続き発生死亡しているが(原文のまま)、これらは同港湾内漁獲の魚類摂取によるものと認められる。3.回遊性の魚類であり、水俣港湾内に短期間滞留したものであっても、魚類は毒性を帯びるにいたるようである。4.水俣港湾内での漁労は引き続き行われているが、現地の住民はその摂食を行っていない。従って患者の新発生は起こらないものと認められ、この点もやはり水俣港湾内魚介類摂食が本疾患の原因であることを示す一証左であろう。」と述べられている。
(2) 茂道南部地区の猫の発症状況調査に関して(一、3参照)、「猫の死亡に関しては、昭和二七、八年頃猫が殆ど死滅し、鼠がふえて困ったことがあると主張するものがあったが、各世帯調査の結果ではそのような記憶はないと答えるものが大部分であった。」と述べられている。
(3) 水俣地方の猫その他の動物の発症状況に関して、「諸動物の罹患状況は、時期的にみても、二月から四月にかけて多く、このことはちょうどその時期に水俣港湾内、とくにまてがた地区三年浦付近にたれそいわしの大群が押し寄せ、同港湾内での捕獲としては未曽有の漁獲高を示したことと関連を示すようである。事実鳥などはこのいわしを生簀に貯蔵しておく際にその竹篭の縁に集まって、生簀内に浮かび上がってくるいわしを好んで食べていたことが認められている。又これらのいわしからいりこを製造するために天日乾燥を行っている際に猫の多くはこれを食って発症したものである。津奈木地方の猫の発症などは、時期的の関係からみて水俣港湾内漁獲のいわしを食べたことによるものであることをより明確に示すものであろう。」と述べられている。また、注目すべきこととして、「港湾内定着性の魚介類摂食によるのみならず、いわしのごとき回遊性、外来性の魚を摂食しても諸動物が発症をみている事実である。たれそいわしの港湾内滞留期間について正確な算定を行うことはできないが、地元漁民の言では二週間内外であろうとのことであり、長期間にわたって滞留するものでないことは、水産学者をはじめ衆目の認めるところである。かかる短期間内の水俣港湾内滞留によって魚が毒性を帯びてくる事実は原因物質と考えられる毒物の性状に関して多大の示唆を与えるものであろう。」と述べられている。
(4) 漁獲並びに魚介類の摂食状況については、茂道南部地区で昭和三一年一二月二七日当時水俣湾内で漁獲、特に釣りを行っている者が相当数いたことが報告されているが、津奈木地区の調査では、合串地区の漁家で、「昭和三二年には二月に一回、三月に一回それぞれ水俣港湾内深く入って漁獲を行ったことがある。この際の魚を食べて猫が多数死亡したものと認められる。」と記載されており、福浦地区については、「水俣港湾内は元来津奈木地方の漁民の漁場ではないのであって、そのためか当地区漁民が昭和三一年に行った漁獲場所についても口をとざしており聴取しえない。」と記載されている。昭和三二年六月現在では、かし網を湾内に入れている数は「湯堂地区で六、月の浦地区で二であり、工場排水口付近のまてがた地区では使用していない。かし網で漁獲される主なものは車えびで、漁業組合を通じて市場に出荷されている。」、まてがた地区では一軒の漁家が特別の網でこのしろ、たちなどの漁獲をしているとされている。そして、魚介類摂食状況については、「以上のごとく水俣港湾内での漁獲は依然継続実施されているが、現地の住民は全然これを摂食してはいない。これは彼らは当該疾患の恐ろしさを目のあたりみて又はそれが魚貝の摂食に基づくものであることを十分認識している点と、現地水俣保健所の伊藤所長以下の熱心な個別指導による魚貝摂食禁止の勧奨にもとづくものであろう。」と述べられている。
右の「水俣湾内での漁獲は依然継続実施されているが、現地の住民は全然これを摂食してはいない。」との表現は、全体の文脈からみて、前記のような漁獲状況を指すものであり、従前と同様の漁獲が継続されているという趣旨ではないものと思われる。一部市場に出荷されているものがあるにもかかわらず、喜田村らが、現地住民はその摂食を行っていないので患者の新発生は起こらないものと認められるとして、これを格別問題視していないのは、一般家庭で購入して摂食する程度の量であれば発症しないとみていたためであろうかと推測される(昭和三四年一一月二七日付朝日新聞[<書証番号略>]にも、水俣病食中毒部会委員長であった鰐淵前熊大学長らの談話が掲載されているが、「どの程度の水銀で発病するかというと個人によって違うが、患者をみた経験から、金を出して買って食べる魚類の程度では大丈夫だと思う。」と述べられている。)。
(二) 武内ら「水俣病(水俣地方に発生した原因不明の中枢神経系疾患)の病理学的研究(第二報) 特に本症の神経細胞の病変について[<書証番号略>]
竹内らは、水俣病における神経細胞の変化等の病理組織学的所見について報告している。その中で小脳の顆粒型萎縮像に注目し、これに関して、「このような変化は一酸化炭素中毒(Wil-liams Winkelman)、水銀中毒(Hunter, Bomford und Russel)、Thiophen中毒(Christomonas und Scholz, Upness)、農薬中毒(伴、未発表)、等にみられた記載があり」と、水銀中毒、ハンター・ラッセルの報告に触れている部分がみられるが、結論としては、水俣病にみられる神経細胞の変化から特定の中毒性因子を類推することはかなり困難であり、原因はなお不明とされている。
なお、武内は、「水俣病の病理学的追求の歩み」(有馬篇・水俣病―二〇年の研究と今日の課題[<書証番号略>]の中で、昭和三二年の初頭には水銀に焦点をおいて検討してみようと考えたが、昭和三二年から三三年の前半にかけては、マンガン説、セレン説及びタリウム説が強くでたために、その否定のための実験に時間をとられてしまい、水銀の検討の問題がやや遅れた旨述べており、本訴における証人としても同旨の証言をしている。
12 第一二回日本公衆衛生学会総会
同年一〇月二六日から開催された第一二回日本公衆衛生学会総会において、厚生科学研究班の松田主任研究員は、熊大研究班の研究成績をもとに、結論として、「水俣病は水俣湾内産の魚介類を摂食することによって起こるものであることは明らかに実証されたが、その魚介類の有毒化の原因及び本病発症の機転については、今後更に研究を続行し、近い将来これを解明したい。」と報告した。[<書証番号略>]
13 厚生省厚生科学研究班の研究報告会(昭和三二年一一月二九日)
同年一一月二九日、厚生科学研究班は、国立公衆衛生院で、厚生省、国立公衆衛生院、県衛生部の各担当者出席の上、研究報告会を開催したが、発表された研究成績の概要は次のとおりである。
「本病は現地の水俣市で昨年一一月以降全く新発生をみていない。これは、現地の住民が水俣港湾内で漁獲された魚介類を摂取しなくなった為と考えられる。
本病は同港湾内産の魚介類を摂取又は投与することによって、猫その他の動物にも自然的に、または実験的に発症するものであるが、その病理学的所見は次の場合に酷似している。
同湾内の一部の泥土で動物の脳に類似の病理学的変化を起こすこともできる。
現地の泥土中にはマンガン及びセレンが大量に証明せられ、また発症猫の臓器中にもマンガン及びセレンが著明に認められ。
マンガン及びセレンによる猫の実験的研究でも泥土の場合と同様の病理所見が認められる。
セレン化合物の経口投与で、小動物を致死せしめた時の臓器内セレン含有量は、現地で発症死亡した動物内のセレン含量と大差を認めない。
同湾内産の魚介類で飼育した猫の示す中毒症状は、実験的タリウム中毒症に酷似している。
本症患者には、その血液及び胆汁中にマンガンが多く証明されたものがある。
以上の成績から、本症は水俣港湾内である種の化学物質によって汚染を受けた魚介類を多量に摂取することによって発症する中毒性疾患で、その化学毒物として現在の段階ではセレン、マンガン、タリウムが主として疑われる。」[<書証番号略>]
14 熊大研究班の被告チッソに対する照会と回答
熊大研究班は、同年九月七日に、被告チッソに対して、廃棄物処理状況等についての照会をしていたが、被告チッソは、同年一二月二〇日、熊大研究班に対し、コットレルダストからタリウム、セレンを、排水口泥土からタリウム、セレン、マンガンが各検出したなどと回答した。[<書証番号略>別添二]
15 厚生省厚生科学研究班の研究報告
昭和三三年六月、松田主任研究員は、それまでの研究成績を「いわゆる水俣病に関する医学的調査成績」と題する報告書にまとめた上、厚生省に提出したが、右報告書では、原因物質として、現段階ではセレン、マンガン、タリウムが主として疑われるが、これらの物質はいずれもこれを実験動物に経口投与しても本病に特異な定型的症状を発生させることができない点からみて、これらの毒物は純粋な形で単独に生体に作用するものではなく、中間媒体である魚介類に摂取されて、その性状が変化し、毒性を増強し、それが生体の諸種の条件と相俟って、特異な累積中毒作用を発現するに至るものであろう、とされていた。[<書証番号略>]
16 厚生省食品衛生調査会水俣食中毒部会の発足
厚生省は、水俣病の原因究明費用として予備費の支出が決定されたのを受けて、水俣病の原因についての総合的研究を推進する目的で、食品衛生法二五条に規定する厚生大臣の諮問機関である食品衛生調査会に臨時的な特別部会として「水俣病食中毒部会」を発足させることとし、昭和三三年一二月三日、熊大研究班、県衛生部、西海区水産試験所、県水産試験場の関係者を招集して、その編成等について打合せを行い、昭和三四年一月一六日ころ、同部会が発足した。そして、同年二月一七日、第一回の食品衛生調査会打合せ会が開催された。[<書証番号略>]
17 熊大研究班第三報配布
熊大研究班は、昭和三四年三月三一日、それまでの研究成果をまとめた「熊本県水俣地方に発生したいわゆる水俣病に関する研究(第三報)」(熊本医学会雑誌第三三巻補冊第三)[<書証番号略>]を刊行配布した。
同報告書には、次のような報告をはじめ、二二篇の論文が掲載されている。
(一) 武内ら「慢性経過をとった水俣病四倍検例についての病理学的研究」[<書証番号略>]
武内らは、慢性経過をとった水俣病患者四例を病理解剖した結果をふまえて、病理所見から原因物質に対する考察を加え、マンガン中毒とは主要病変を異にしている、セレン中毒についてはその神経系統の病理所見が不明で、水俣病のそれと比較検討することが不可能である、タリウム中毒の人体剖検例と水俣病の病理所見とは必ずしも一致しない、鉛中毒については臨床症状を異にするが病理所見は水俣病に類似する、などと述べ、有機水銀中毒については、有機水銀中毒においてハンター・ラッセル症候群として挙げられる運動失調、視野狭窄、構音障害の主徴は水俣病のそれと一致すること、ハンターらの報告している人体剖検例の所見(昭和二九年に報告されている。)[<書証番号略>]と水俣病の解剖所見が類似していることなどを指摘し、「以上の所見は有機水銀中毒症が水俣病に極めて良く似ていることを示す所見であるが、この様な有機水銀が果たして現地の魚介類に存在するかは尚検討されていない。又、公衆衛生の立場からかかる有機水銀が現地湾内に存在し得るか否かは今後の検討にまたねばならない。」と報告している。
(二) 瀬口三折ら「水俣病の原因とその発生機転に関する研究 Ⅶ タリウム中毒と痙攣発作の発現」
神経精神医学教室瀬口三折らは、「我が教室で行った他の方面よりの研究によると、タリウムの中毒と水俣病とは、いまわしい程の近似をしているのである。」として、猫にタリウムの慢性中毒を起こさせて観察した結果、水俣病と同様な間代性痙攣の起こることなどを認め、小脳の顆粒細胞の粗鬆化が著しく高度である点も水俣病の猫の場合と同様であることを認める旨報告している。
18 武内の研究状況
水俣病の原因物質として有機水銀に注目した武内は、人水俣病の剖検例及び猫水俣病の剖検例の臓器水銀含有量を分析することとし、水銀の定量を喜田村らの公衆衛生学教室に依頼した。喜田村らは、水銀の定量報を習熟するのに数か月間の期間を要したが、水銀の定量分析を行った結果、水俣病剖検例の腎、肝、脳や水俣港湾の泥土等に異常に高い値の水銀含有が証明された。[<書証番号略>] なお、右の水銀検出に当たって用いられた水銀定量法は、ヂチゾン比色法であり、右測定結果は総水銀としてのそれである。
武内は、また、アルキル水銀化合物を猫に投与する実験を行ったところ、失調性運動、発作性痙攣、種々の運動異常の発症をみた。
19 熊大研究班の研究報告会
昭和三四年七月一四日、熊大研究班の班会議が開かれ、その席上、武内は次のような根拠を挙げて有機水銀説を発表した。[<書証番号略>]
① 臨床的に徳臣らの検討した人水俣病の病状の中から、三主徴の失調、構音障害、求心性視野狭窄が高頻度に証明されており、このような主徴を臨床的に示す疾患は文献上に有機水銀中毒例しか見いだし得ない。
② 病理学的にみて、水俣病の大脳皮質障害とその選択性及び小脳中心性顆粒細胞の障害などの神経細胞障害とその後の病変が、ハンター・ラッセルの有機水銀中毒症のそれと全く合致する。この特徴あるencephalopathia(中毒性脳症)は他の中毒症には記載がない。また、無機水銀中毒は一般内臓の実質障害であって、脳出管柵を無機水銀は通らないため、その障害を起こし得ない。
③ 水俣病剖検例の臓器内には異常に大量の水銀が証明され、臨床経過が長くなるにつれて、水銀値の減少が証明される。
④ 水俣地区の水俣病発症時の魚介類には水銀値が高値であり、当時の魚介類投与猫には、現地の水俣病猫と同様の症状と病変を起こし得る。
⑤ ジエチル水銀を経口的に猫に投与したところ、失調、運動遅鈍などの症状が発現した。なお、実験に使用した水銀はジエチル水銀であり、これは水には不溶であるが、有機溶媒には溶解する。ところが、魚介類中の有毒物質は水にも有毒溶媒にも不溶であることが生化学の内田教授により示されているので、水俣病の原因物質がジエチル水銀そのものとは考えていない。
⑥ 喜田村らの測定により、水俣湾汚土や魚介類に多量の水銀が証明される。
⑦ 水俣湾内に排水を流しているチッソ水俣工場では塩化ビニールを生産しているが、塩化ビニールの生産には塩化第二水銀が触媒として用いられており、塩化ビニールの生産の上昇とともに相当多量の塩化第二水銀が使用され、その内のかなりの量が排出口を経て水俣湾内に注がれているとみられる。患者発生数の急激な上昇度は、たまたま塩化ビニールの生産高の上昇度にほぼ比例している。
同月二二日、熊大研究班は、熊大医学部において、県関係者ら出席の上、研究報告会を開催したが、その席上、班見解として、「水俣病は現地の魚介類を摂食することによって惹起せられる神経系統疾患であり、魚介類を汚染している毒物としては水銀が極めて注目されるに至った。」と発表した。前記のとおり、武内は班会議及び研究報告会において有機水銀中毒説を主張したが、これに対しては、有機水銀が抽出されていない以上有機水銀というだけの科学的な根拠がないとの反対論もあり、班見解としては有機水銀ではなく単に「水銀」として、右のような表現となったものであった。右研究報告会で報告された研究内容の概要は次のとおりである。[<書証番号略>]
(一) 第一内科教室の徳臣は、水俣病患者二四例の臨床症状が従来報告された有機水銀中毒と極めてよく一致すること、ジエチルジチオガルバミン酸銅法によって患者の尿内の水銀を定量したところ、高値を示したこと、スペクトル分析法によって発病猫の脳、臓器に水銀の存在を認めたこと、エチル燐酸水銀を猫に投与した結果、水俣湾産の貝を投与して発病させた猫と同一症状を生じたこと等から、水俣病は有機水銀中毒であろうと確信していると報告した。
(二) 武内の報告は前記と同様である。
(三) 公衆衛生学教室の喜田村は、ジチゾン法による水銀の定量を行った結果、水俣湾内泥土、魚介類、発病した猫や人の諸臓器に大量の水銀が証明されることから、水銀中毒とみなして差し支えないが、セレンの分析結果も若干右に似た傾向を示した真実等から、更に引き続き検討を加える予定である旨報告した。
(四) 神経精神医学教室の宮川は、動物実験によって発症させた猫などの酢酸タリウム中毒の症状及び病理組織的所見は水俣湾産魚介類による発症の場合と同一であるとして、水俣病の原因としてタリウムが依然として主要な原因をなすものと確信する旨報告した。
20 後藤の発生機序に関する見解発表
同年七月二四日付熊本日日新聞は、後藤源太郎熊大理学部教授が、「チッソ水俣工場から排出される水銀が原因である」として、「工場の廃液を海に放出する排水口付近の海底のドロには無機水銀が含まれているが、地中の無機水銀をエビやゴカイが吸収し、これらの生物を魚が食い、この過程のなかで無機水銀は有機水銀に変っていく。また付近に生息する魚自体もしだいに体内に有機水銀を蓄積する。水銀は工場が昭和二八年から塩化ビニールの触媒に使っており、患者も二八年から発生している。」旨断定したと報道した。[<書証番号略>]
21 被告チッソの見解発表・その一
チッソ水俣工場の研究陣は、同年八月五日、県議会水俣病対策特別委員会で工場側の研究発表を行い、有機水銀説は実証性のない推論であると述べた。同研究陣は、①熊大研究班が動物実験に使用した有機水銀は、エチル水銀とエチル燐酸水銀であるが、これらはいずれも水俣病の原因物質とは異なることが実験的に明らかにされていること、②病理所見をめぐって熊大教授の中にも異論があること、③無機水銀が生体内で有機水銀に変化するというのは客観的に実証されていない単なる推論でしかないこと、④工場では昭和七年からアセトアルデヒドの合成に硫酸水銀を、また昭和二四年から塩化ビニールの合成に塩化第二水銀をそれぞれ触媒として使用しており、これら無機水銀の一部が排水溝から海に流れ込み、湾内にあることは事実であるが、これらの無機水銀は相当昔から世界各地の化学工場で使われてきたものであり、これらから猛毒物質が副生されたという文献はないこと、などを挙げて有機水銀説を批判した。[<書証番号略>]
22 清浦の調査研究
東京工業大学の清浦雷作教授は、同年八月二四日から同月二九日までの間、水俣湾内及びその周辺の海水について調査を実施した。同月三〇日付熊本日日新聞[<書証番号略>]では、清浦は、同調査が終わった段階で、「水俣市湯の児沖約4.3キロの地点から熊本、鹿児島両県境の神ノ川沿岸までの六〇か所で五〇〇点の海水を分析し、水俣湾内の泥土も採取したところ、海水については他の化学工場所在地の海水とほぼ同程度で正常だ。水俣湾内防波堤の内側は汚濁しているので魚は住めない。セレン、タリウムなどの溶解度は他工場所在地域と変わりはない。水銀についても他工場地帯と大差なく、魚の致死量として考えられている水銀の溶解量は0.04ppmであるが、同湾内外の水銀濃度はその一〇〇〇分の一か一〇万分の一であるという結果が出た。熊大の水銀説は根拠のないことではないが、慎重に取り扱うべき問題で、推論は世論をまどわすのでいけないと思う。」という趣旨の発言をしたと報じられている(なお、記事中の不正確と思われる表現は適当に修正した。)。
23 大島の「爆薬説」
日本化学工業協会の大島竹治理事は、有機水銀説が有力となれば全国各地にある塩化ビニール、酢酸、ソーダ工業などが甚大なる影響を受けるであろうことから、「官界並びに業界の奨慂の下に」(報告書中の表現)、つまり、被告チッソと通産省関係者の意向を受けて、同協会から派遣されて現地調査を行い、同年九月二九日、「水俣病原因について」と題する報告書[<書証番号略>]をまとめている。この報告書をみると、その推定は、①水俣、八代一帯は戦時、特攻隊及び陸軍暁部隊の基地があった。②罹病地はいずれも海軍特攻隊及び陸軍軍需品輸送基地であった。③そこで、罹病者の最も多い月の浦と湯堂に最も近い湾内に極めて多量の航空爆弾自体又はその主原料が遺棄されており、その場所はかなり深く自然に移動しにくい場所である、それが年月を経て容器又は弾体が腐食又は破壊して一時に薬物が流れ出されたのが昭和三一年であると推定される、というものであり、被告チッソにおいて海上探査をし、さらに湾内を掃海する必要があると述べられている。
しかし、すでに熊大研究班の第一報[<書証番号略>]において、喜田村により「茂道地区にあった弾薬は、終戦後駐留軍により運搬撤去され、残存部品は某会社により買い取られて海路運搬されており、これらを海中に投棄した事実は認められない。」と報告されているところでもあって、大島の報告は、爆薬が水俣病の原因ではないかとするにはあまりにも根拠が薄弱であり、その後この見解を裏付けるような事実も何ら発見されなかった。[<書証番号略>]
24 食品衛生調査会合同委員会の開催
同年一〇月六日、東京において、食品衛生調査会合同委員会が開催され、水俣病食中毒部会の鰐淵代表は、水俣病の原因究明の中間報告を行った。その結論は、「水俣病は臨床症状及び病理組織学所見が有機水銀中毒に酷似し、ある種の有機水銀を猫及び白鼠に経口的に投与して、水俣湾魚介類によるものと全く類似の症状及び病理組織学的変化を惹起せしめえ、かつ患者及び罹患動物の臓器中より異常量の水銀が検出される点より原因物質としては水銀が最も重要視される。しかし、水俣湾底の泥中に含まれる多量の水銀が魚介類を通じて有毒化される機序は未だ明白でない。従って、今後の研究はこの点を明らかにすることと原因物質そのものの追及に向けられなければならない。」というものであった。[<書証番号略>]
25 被告チッソの見解発表・その二
被告チッソは、熊大研究班が報告した有機水銀説に対し、同年一〇月二五日までの研究成果をまとめて、「水俣病原因物質としての「有機水銀説」に対する見解」と題する文書[<書証番号略>]を公表し、その疑問点を概要次のとおり指摘した。
① 水俣工場では、昭和七年以来今日まで酢酸の製造に水銀を使い、また、昭和一六年以来塩化ビニールの製造にも水銀を使用し、これら水銀の損失の一部が工場排水とともに水俣湾内に流入していた。昭和二九年になって突然水銀によって水俣病が発生することがあるのか。また、水俣工場と同様水銀を触媒として使用している工場は、日本に二〇以上あり、その半数以上が海岸にあるが、それらでは水俣病が発生していない。昭和二八、九年を境として水俣湾内に異変があったと考える方が常識的である。
② 水俣病原因物質でないと自ら認めている有機水銀化合物(エチル水銀及びエチル燐酸水銀)のみで動物実験を行い、その結果が水俣病と酷似しているとして有機水銀説の最重要な根拠とすることは正しくない。
③ 海底の泥土を直接猫に投与しても発症せず(熊大、工場とも)、また、海底の泥土と真水で飼育した鮒を猫に投与しても発症しない(熊大)事実にかんがみ、泥土中の水銀よりもむしろ海水中の水銀に関心を持つべきであろう。
④ 有機水銀説では有毒化機構に関する証明がなされていない。工場排水や無機水銀を入れた水中で飼育した魚を猫に投与しても発症せず、また、工場排水及び泥土を直接経口投与しても発症をみない。このことは、工場の排水中には魚介類を媒介体として有毒化する物質が存在しないことを示している。
26 細川の猫四〇〇号実験
チッソ附属病院の細川一博士は、当時猫に酢酸工程から採取した排水をかけた餌を摂取させる実験を行った結果、同年一〇月七日に至って一匹の猫が発症した。しかし、この実験結果は公表されなかった。25の被告チッソの見解が発表された時点ではこの実験結果が判明していたわけである。
なお、猫四〇〇号実験については、本訴においては大きな争点ではなく、これについて記載されている文献は証拠として提出されているものの、これに関する直接的な証拠は提出されていないので、被告チッソのこの実験に対する対応等について詳しく認定することはできないが、これについては昭和四八年三月二〇日に熊本地方裁判所で言い渡されたいわゆる熊本水俣病第一次訴訟判決(以下「熊本第一次訴訟判決」という。)[<書証番号略>]において詳細に認定されているところである。
27 清浦の調査研究報告
清浦は、同年一一月一〇日付の「水俣湾内外の水質汚濁に関する研究(要旨)」と題する報告書を作成し、右報告書において、水俣湾内外の水質は、容存酸素量(DO値)は大で、化学的酸素要求量(COD値)は小で、一般的にみて汚濁の程度は低い、海水中の水銀の濃度は他の年及び工場地帯に接する海湾と比較して特に高いとは認められないし、工場廃水中の水銀濃度も同種工場と比較して特に異常を認めないとし、有機水銀説の論拠についても、工場廃水に含まれる無機水銀が有機化するという有機水銀説の論拠は必ずしも妥当ではないなどとして、現段階では、工場廃水が水俣奇病の原因であると断定することは妥当ではないとした。[<書証番号略>]
28 食品衛生調査会の厚生大臣に対する答申
食品衛生調査会は、同年一一月二二日、常任委員会を開催し、水俣食中毒の原因についての結論を出し、同日付で、厚生大臣に対し、「水俣病は、水俣湾及びその周辺に棲息する魚介類を多量に摂食することによっておこる主として中枢神経系の障害される中毒性疾患であり、その主因をなすものはある種の有機水銀化合物である。」と答申した。その理由としては、「一、本病の主症状は、運動失調、中枢性視野狭窄、知覚障害等であり、これは有機水銀化合物の中毒症状と酷似していること。二、本病の病理解剖所見の主要なるものは、小脳顆粒細胞の強い退行性変化であるが、この所見は有機水銀化合物中毒の剖検例において認められていること。三、患者の尿中水銀排泄量が対照例に比し多量であること。四、剖検による化学分析の結果、脳、肝、腎等には水銀が対照例に比し多量に検出されること。五、水俣湾底泥土中には、他地区に比して極めて多量の水銀が検出されること。六、右の地区から採取したヒバリガイモドキの体内にも多量の水銀が検出され、このヒバリガイモドキを猫その他の動物に投与すると自然発症と同様の症状と病理組織学的所見を呈すること。七、右の実験動物並びに自然発症猫の臓器特に脳中には、水銀が対照例に比して多量に検出されること。八、有機水銀化合物例えばジメチル水銀、またはエチル燐酸水銀を実験動物に投与することによって、症状的にも病理組織学的にも本病と同様な病変を惹起せしめうること。」が挙げられている。[<書証番号略>]
厚生大臣は、右のとおり諮問に対する答申を受けたことから、食品衛生調査会に臨時的な特別部会として設置されていた水俣食中毒部会の臨時委員を全員解任し、同部会はこれにより消滅した。[<書証番号略>]
29 熊大研究班第四報配布
熊第研究班は、昭和三五年三月、それまでの研究成果をまとめた「熊本県水俣地方に発生したいわゆる水俣奇病に関する研究(第四報)」(熊本医学会雑誌第三四巻補冊第三)[<書証番号略>]を刊行配布した。
同報告書には、次のような論文をはじめ三一篇の論文が掲載された。
(一) 喜田村ら「水俣病に関する疫学調査成績補遺(その3)」
患者発生地域の拡大とチッソ水俣工場の排水経路の変更が何らかの関連性を有するものと推測されること、昭和三四年二月ころから五月にかけて鹿児島県出水郡長島村獅子島で猫の発症が認められていることなど、従来猫の発症が認められていなかった遠隔の地域における猫の発症が極めて注目を要すること、などが指摘されている。
(二) 徳臣ら「水俣病に関する研究」
昭和三四年に入って新たに一一名の患者が発生し、これら患者が漁獲を行っていた地域からみて有毒地域が著明に北方に拡大していることが注目されること、水俣病の進展に飲酒が何らかの関連を有すると思われること、などが指摘されている。
30 内田らの研究
内田教授らは、昭和三五年から三六年にかけて、水俣湾酸のビバリガイモドキの粉末からメチル水銀化合物を抽出し、その結晶は硫化メチルメチル水銀(CH3-Hg-S-CH3)であると発表した。[<書証番号略>]
31 入鹿山らの研究
(一) 入鹿山らは、昭和三六年、チッソ水俣工場の酢酸工程の反応管から昭和三四年八月及び昭和三五年一〇月に直接採取して冷暗所に密封保存していた水銀滓から、直接有機水銀を抽出することに成功し、これを塩化メチル水銀CH3-Hg-Clと同定した。(「水俣酢酸工場水銀滓中の有機水銀」(「日新医学四九巻八号」、昭和三七年八月))[<書証番号略>] なお、福岡高等裁判所昭和六二年(ネ)第二二〇号事件において藤木素士証人は有機水銀の抽出に成功したのは昭和三七年春先と証言しているが[<書証番号略>]、有馬編「水俣病―二〇年の研究と今日の課題」所収の年表[<書証番号略>]、入鹿山ら「水俣湾水銀中の有機水銀とその有毒化機転に関する研究第八報」[<書証番号略>]の文献欄の記載により、右研究成果は昭和三七年に刊行されたKumamoto Medical J.の一五巻二号にも掲載されており、その論文受理は昭和三六年一〇月一日であることが窺われるから、右発見は昭和三六年中のことと推測されるし、入鹿山ら「水俣湾水銀中の有機水銀とその有毒化機転に関する研究第八報」[<書証番号略>]にも右発見について一九六一年との記載がある。
しかし、塩化メチル水銀が生成する反応過程がなお解明されていなかったことなどから、この研究成果は、学会発表当時は必ずしも高い評価を得られなかった。
(二) そこで、入鹿山らは、残された問題であるアセトアルデヒド施設内におけるメチル水銀化合物の生成機序について解明すべく、チッソ水俣工場のアセトアルデヒド施設で用いた触媒(無機水銀)からメチル水銀化合物が生成するかについて実験を行ったところ、アセチレンと無機水銀との反応では直接メチル水銀化合物は生成しないが、これに無機水銀、鉄塩、二酸化マンガン及び塩化物を加えたところ、その生成反応物は塩化メチル水銀CH3-Hg-Clと推知されたとし、この実験結果を「日本衛生学雑誌」二二巻二号(昭和四二年六月号)に発表した。(「水俣湾水銀中の有機水銀とその有毒化機転に関する研究第八報―アセトアルデヒド生産施設内におけるメチル水銀化合物の生成機構に関して」)[<書証番号略>]
(三) さらに、入鹿山らは、昭和四一年七月、一〇月及び一二月にチッソ水俣工場内の排水処理系統の水銀汚染の調査を行い、アセトアルデヒド製造設備の精溜塔排液から塩化メチル水銀CH3-Hg-Clを結晶として抽出し、その調査結果を「日本衛生学雑誌」二二巻三号(昭和四二年九月号)に発表した。(「水俣湾水銀中の有機水銀とその有毒化機転に関する研究第九報―水俣湾およびその付近の汚染状況の推移」)[<書証番号略>]
32 政府公式見解の発表
昭和四三年九月二六日、「水俣病は、水俣湾産の魚介類を長期かつ大量に摂取したことによって起こった中毒性中枢神経疾患である。その原因物質は、メチル水銀化合物であり、新日本窒素水俣工場のアセトアルデヒド酢酸設備内で生成されたメチル水銀化合物が工場廃水に含まれて排出され、水俣湾の魚介類を汚染し、その体内で濃縮されたメチル水銀化合物を保有する魚介類を地域住民が摂取することによって生じたものと認められる。水俣病患者の発生は昭和三五年を最後として終息しているが、これは三二年に水俣湾産魚介類の摂食が禁止されたことや、工場の廃水処理施設が昭和三五年一月以降整備されたことによるものと考えられる。なおアセトアルデヒド酢酸設備の工程は本年より操業を停止した。」との政府公式見解が発表された。
33 自然界における無機水銀のメチル水銀化について
(一) 水俣湾泥土中の無機水銀は、主として化学的に安定し、有機化しにくい硫化水銀や酸化水銀の形で存在している。(入鹿山ら「水俣湾泥土中の水銀」(「日本公衛誌一一巻九号」、昭和三九年八月))[<書証番号略>]
そして、自然環境に無機水銀が存在すると、日光の助けにより、都市下水などに含まれるメチル基源と反応してメチル水銀を生成すること、その場合、無機水銀が化学的に安定した形の硫化水銀あるいは水俣湾泥土であれば、メチル水銀化反応はほとんど進行しないが、化学的に安定した無機水銀であっても、微生物が存在するところで曝気など好気的条件におかれ、日光にさらされて、都市下水などに含まれるメチル基源と反応するとメチル水銀を生成するようになること、水俣湾泥土はメチル水銀を吸着する性質があり、生じたメチル水銀は泥土部に吸着されてしまうこと、などが知られている。(入鹿山・藤木「水俣病の原因と不知火海の有機水銀汚染」(有馬編・水俣病―二〇年の研究と今日の課題))[<書証番号略>] スウェーデンなどでは、工場排水中の無機水銀が湖水に流入して後に湖底で有機化することがわかり、このメチル水銀化には特定の細菌類が関与することが指摘されている(Jensen & Jerneloev)。しかし、藤木らの研究によれば、海水中においてはクロールイオンが無機水銀の有機化を妨げる作用をして、淡水中と比べてメチル水銀の生成率が極端に低くなると指摘されている。また、水銀化合物を含む水俣湾底泥から水銀化合物が溶出し、魚介類にとりこまれる可能性についても、水銀化合物を含む水俣湾底泥を入れた容器中で魚介類を飼育し、それらの水銀蓄積を調べた実験結果などから、魚介類へのとりこみはほとんど認められないことが実証されている。(藤木「魚介類の水銀蓄積について」)[<書証番号略>]
(二) 水俣病の原因究明の過程で、無機水銀が魚介類の体内で有機化するとの見解があったことは先にみたとおりであるが、その後の内外の研究では、動物の体内におけるメチル水銀化の問題には賛否両論があり、動物体内でのメチル水銀化は認められないとする研究報告が比較的多い。[<書証番号略>]
(三) 結局、水俣病の発生原因という観点からみると、無機水銀が自然界で有機化するとしても、実際に環境中で生成するメチル水銀量は極めて微量であり、被告チッソ水俣工場の工場廃水とは比較にならないから、無機水銀の有機化という要素は水俣病の原因としては否定的に解される。
34 塩化ビニール製造工程におけるメチル水銀の副生
被告チッソ水俣工場では、塩化ビニール製造工程においても触媒として塩化第二水銀を使用していた。しかし、塩化ビニール製造工程においてどの程度の量のメチル水銀が副生するかについてみると、入鹿山「水俣病の経過と当面の問題点」(「公衆衛生」三三巻二号)[<書証番号略>]では、入鹿山らが昭和四三年に調査した結果、塩化ビニールモノマー廃触媒中に一〇〜二五ppmのメチル水銀が証明されたが、この廃触媒は投棄されることなく別の水銀回収工場で水銀の回収が行われていること、塩化ビニール廃水中にも0.3ppm(0.0003ppm)のメチル水銀が証明されたが、仮にこの値をとると塩化ビニール廃水中のメチル水銀はアセトアルデヒド廃液中のそれの一万分の一以下であることが指摘され、「水俣湾魚介のメチル水銀による汚染に関しては、塩化ビニール設備廃水の影響は、アセトアルデヒド設備に比してほとんど問題にならなかった。しかし、これを全く無視してそのまま放流することは好ましくない。」と述べられており、塩化ビニール製造工程におけるメチル水銀の副生は、水俣病の原因としてはほとんど問題にならないものと認められる。
なお、有馬澄雄「工場の運転実態からみた水俣病」(有馬編・水俣病―二〇年の研究と今日の課題)[<書証番号略>]には、「入鹿山らはアセトアルデヒド設備と同様、塩化ビニール設備の廃水も調査し、廃触媒(塩化第二水銀の活性を失ったもの)中に一〇〜二五ppmのメチル水銀が、また塩化ビニールモノマー水洗塔廃水中に多いときで総水銀0.5ppm、メチル水銀0.3ppmを証明した。以上のことから、塩化ビニールの廃水等に混入して流出した水銀およびメチル水銀も、水俣病の原因の一つであったことは疑いがない。しかし、アセトアルデヒド設備からの流出量に比べその絶対量は少なかった。」と記述されている。右記述の根拠となった入鹿山らの報告(「熊本医学界雑誌」四三巻一一号)は証拠として提出されていないが、入鹿山自身の前記の記述からすると、廃触媒は投棄されていないし、塩化ビニール廃水中のメチル水銀値も誤りのようであり、したがって、塩化ビニール廃水が水俣病の原因の一つであるとの評価も疑問である。
原告らは、塩化ビニール製造工程中のメチル水銀の副生については、たとえアセトアルデヒド製造工程中の副生に対して微量であったとしても、水俣湾を汚染し、水俣病の原因となったのは明白であるなどと主張しているけれども、このような論理が成立することは認め難いというべきである。
35 まとめ
以上のとおり概観した水俣病の原因究明の経過をまとめてみると、次のようにいうことができよう。
(一) 昭和三二年初めころには、喜田村の疫学調査などによって、水俣病の原因は水俣湾産魚介類を媒介とする重金属中毒であるとの見方が次第に有力となり、同年四月以降の伊藤所長の猫実験の成功によって、水俣病が水俣湾内に生息する魚介類を摂取することにより発症するものであることが確認された。しかし、魚介類を有毒化せしめているものが何に由来するかについては、被告チッソ水俣工場の工場廃水が当初からその原因として強く疑われていたが、熊大研究班による原因物質の特定は難航し、そのために被告チッソ水俣工場からの廃水が原因であること自体も確定しないまま推移した。昭和三二年、三三年には、原因物質としてマンガン、セレン、タリウムといった物質が疑われたが、いずれも大幅な研究の進展はみられず、各教室で一見互いに矛盾するような多くの研究成果が発表される等して原因究明は混迷の様相を呈し、熊大研究班としてての統一的見解は形成されなかった。昭和三四年には、武内らの提唱した有機水銀説が有力となり、同年七月二二日の研究報告会においては、班見解として「魚介類を汚染している毒物としては水銀が極めて注目されるに至った」と発表され、同年一一月二二日には、食品衛生調査会が厚生大臣に対し、水俣病の主因はある種の有機水銀化合物であると答申するに至った。しかし、この時点においては、有機水銀がどのようなアルキル水銀であるかは全く不明であり、魚介類有毒化の機序も不明であった。魚介類有毒化の機序については、各答申理由では触れられなかったが、答申に先立ち同年一〇月六日に行われた食品衛生調査会合同委員会では、水俣病食中毒部会の鰐淵代表がその時点での研究の状況をふまえ、水俣湾底の泥中に含まれる多量の無機水銀が魚介類を通じて有毒化される機序は未だ明白でないので、今後の研究はこの点を明らかにすることと原因物質そのものの追及に向けられなければならないと報告しており、この時点では水俣湾底の泥中の無機水銀が魚介類の体内で有機化するのではないかとの見解が有力であった。しかしこれについては、毒性の低い無機水銀が本来解毒機構の働くべき魚介類の体内で毒性の高い有機水銀に有毒化されると考えることは非常に困難であるとして異論が強く、有機水銀説に対しては、被告チッソ水俣工場や清浦らからこの点をはじめとして種々の反論が行われることとなった。清浦が有機水銀説に賛成できないと考えた最大の理由も、魚介類を通じて無機水銀が有機化するという点にあったようであり、その限りにおいては意味のある指摘を含んでいたものといえよう。武内は、「水俣病の病理学的追究の歩み」(有馬編・水俣病―二〇年の研究と今日の課題)[<書証番号略>]の中で、有機水銀説発表当時を振り返り、「しかし、この時点ではなお有機水銀中毒説であって、有機水銀がどのようなアルキル水銀であるのかは全く不明であった。そのためにその時点から一九六一年までにR―Hg―の何であるかが検討された。著者らの有機水銀中毒説発表以来、測定は水銀をみて有機水銀をみていない点や新日窒水俣工場が触媒として使用しているのは無機水銀と考えられるのに、なにゆえ有機水銀というのかなど班内からも班外からも非常な反論がなされた。中毒物質そのものを取り出していない時点ではやむをえないことであった。また病理学をやる者の手におえない点でもあった。われわれは、前述の根拠の他に、有機水銀であるという根拠を見出さねばならなかった。」と述べているが、チッソ水俣工場で使用していない有機水銀がどこで生成されるのかという問題は、水俣病の原因についての有機水銀説が一つの説でなくなり、被告チッソ水俣工場の廃水が汚染源であることを確定するためには、どうしても解決されなければならない課題であったのだといえよう。そして、この点は、酢酸工程の反応管から直接採取していた水銀滓から塩化メチル水銀を抽出し、アセトアルデヒド製造施設内においてメチル水銀化合物が生成され得ることを実験的に立証し、アセトアルデヒド製造設備の精溜塔排液から塩化メチル水銀を検出したことを報告した入鹿山らの研究によって解決され、水俣病の原因物質が被告チッソ水俣工場アセトアルデヒド酢酸設備内で生成されたメチル水銀化合物であることが確定されたのであるといえよう。
(二) しかし以上のことは、水俣病の原因究明に長い年月を要したこともやむを得なかったということを意味するものではない。以上のような学問的原因究明の経過とは別に、被告チッソの工場廃水が水俣病の原因であるということ自体については、細川によって行なわれたアセトアルデヒド廃水をかけた餌を猫に摂取させる直接投与実験が決定的な意義を有するものであったものといえる。ところが、それにもかかわらず、あるいはまさにそれゆえに、猫四〇〇号の実験結果は公表されず、アセトアルデヒド廃水による直接投与実験も中断されてしまったのである。もしこのような実験結果が公表され、更に継続して行われていたならば、当然にアセトアルデヒド廃水そのものに有機水銀が含まれているのではないかという方向に研究が進展していたはずであるから、昭和三四年一一月に食品衛生調査会の答申がされた当時の有機水銀説の最大の難点であったところの、被告チッソ水俣工場で触媒として使用しているのは無機水銀であるのに、無機水銀がどこで有機水銀に変わるのか、魚介類の体内において無機水銀が有機水銀に変わるということがあり得るのかという問題に逢着することもなかったのである。したがって、この実験結果が公表されなかったことが水俣病の原因究明を遅延させる要因となったことは明らかである。被告チッソは、多くの水俣病の犠牲者が発生し、自社水俣工場の工場廃水がその原因として強く疑われていたなかで、工場廃水が水俣病の原因となっていないかどうかを自ら確認すべく努めるべき立場にあったのであり、細川の実験にみられるように実際にもそれが可能な能力を有していたにもかかわらず、熊大研究班から指摘された被疑物質についてこれを追試する目的での分析実験、反論に終始したものであって(その反論の中にはそれ自体をみれば理由があるものも含まれていたにせよ。)、あらためて指摘するまでもないことであるが、この点についての被告チッソの責任は極めて重大であるといわなければならない。
また、被告チッソがせめて熊大研究班をはじめ原因究明に当たっていた研究陣に対して工場廃水についての十分な資料を提供していたならば、研究の方向もより早期に的確に定まり、より早期に原因を究明することができたとも思われるのであって、この点についても被告チッソの責任は誠に重大であるといわなければならない。
三水俣病被害の拡大、被告らの対応及び社会的状況等
ここでは水俣病被害の発生、拡大や水俣病の原因究明の経緯に即応して被告らが採った対応やその他の社会的状況について、事実関係を概観する。
【証拠】 <書証番号略>、証人伊藤蓮雄、同奥野重敏、同守住憲明、同実川渉、同橋口三郎の各証言、弁論の全趣旨
1 公式発見から熊大研究班の結成までの状況は前記二、1認定のとおりである。
2 伊藤所長らによる漁獲自粛の指導
昭和三一年一一月三日の熊大研究班の第一回研究報告会において、水俣病の病原物質の人体への侵入を媒介するものとして魚介類が疑われる旨の報告がされたことから、伊藤所長らは、患者の続発は防ぐため、水俣市役所や水俣漁協を通じ、さらには隣組等の組織や各種会合を利用して、魚介類の摂取が危険であるので摂食しないように現地住民を指導し、また、新聞記者に対しては、事態が重大であるので危険性を大きく報道するよう依頼するなどして水俣湾産魚介類の摂食及び漁獲の自粛方を指導した。
3 昭和三二年初めころの社会状況
(一) 昭和三二年二月一四日の熊本日日新聞[<書証番号略>]は、「魚介類が媒体であることが明らかになったため市民全体が奇病ノイローゼに陥り同湾内でとれる魚は一切売れない。対策委員会の委員の一人は、買手がないので湾内での漁獲は一切やめている…と訴えている。」と報じている。
(二) 同月一五日の同新聞[<書証番号略>]は、伊藤所長の「奇病の原因は重金属の中毒とみられ、その媒介体として水俣湾でとれる魚介類があげられている。しかし魚協では奇病と関係があると思われる地区からの魚介類は一切扱っておらず、漁業者自身も湾内での操業をやめているので、現在市中に出回っている魚は全部外海ものだから食べても全く心配ない。」との談話を載せている。
(三) 同日、水俣漁協は、漁業被害対策委員会を発足させ、同日に開かれた協議会においては、漁民が生活の窮状や漁業被害状況などを訴え、窮状を打開すべく、国、県等に対する陳情を行っていくこととした。[<書証番号略>]
4 食品衛生法適用についての厚生省への照会とその回答等
(一) 熊大研究班の第二回研究報告会において少なくとも水俣湾内の漁獲禁止の必要性が唱えられたことから、県衛生部ではこれについて検討したが、法による規制は無理と判断した。
(二) 現地の漁業が停止状態となり、患者家族の生活問題、あるいは水俣市内の旅館、市場、一般家庭に対する二次的影響も現れてくるなど、水俣病問題が大きな社会問題となってきたため、熊本県では、副知事を中心として衛生部、民生部、土木部、経済部の関係各課を網羅し、県としての総合的対策を処理することを目的として「熊本県水俣奇病対策連絡会」を設置することとし、昭和三二年三月四日、副知事を初めとして、衛生部、民生部、土木部及び経済部の各部長(民生部は次長)及び関係各課の職員がその打合せ会を開催した。[<書証番号略>]
右打合せ会において、漁獲の禁止についても協議が行われ、漁業法、食品衛生法等関係法令により漁獲禁止措置を採ることはできないが更に検討する、静岡県の浜名湖あさり貝中毒事件における静岡県の対策を調査することとする、といったことが決定された。そのほか、当面の行政指導として、魚介類を摂食しないよう指導すること、漁業協同組合に自主的な操業禁止の申合せを行わせ、広報宣伝すること、漁場の転換を指導すること、工場との関係について、現在のところ、奇病の原因についての疑いはもてるが関係は不明という立場で臨むこと、などが決定された。熊本県は、右方針に従い、漁業対策として、①想定海域における自主的操業禁止の勧告、②浅海増殖事業の実施、③漁労施設の設備改善などの措置を講じることとした。[<書証番号略>]
(三) 同年三月六日、熊本県は、食中毒に関する措置について静岡県に照会した。同年四月三日、熊本県衛生部は、静岡県から右照会に対する回答を受け取ったが、右回答は、昭和一七年浜名湖の特定地域に生息するアサリ貝に起因する食中毒事件が発生したため、警察部長通牒をもって区域内のアサリ貝等の採取を禁止した上、昭和一九年三月貝類の採取禁止区域に関する県令を公布したこと、昭和二四年三月アサリ、カキによる食中毒が発生したので、昭和二五年三月、静岡県知事は、「浜名湖内次の区域から生産される貝類(かき、あさり)は当分の間有毒な物質が含まれ、人の健康を害う虞があるから、これを販売し(不特定多数の者に授与する販売以外の場合を含む)、又は販売の用に供するために加工し、使用し、調理し、貯蔵し、若しくは陳列したときは、食品衛生法第四条の規定に違反し、同法第二二条の規定により行政処分に、及び同法第三〇条の規定により刑罰(三年以下の懲役又は五万円以下)に処せられることがある。」との広告(県広報掲載)を出したことなどを内容とするものである。[<書証番号略>]
熊本県衛生部では、この回答を受けて、検討したが、静岡県の右事例は、有毒化したものがアサリ、カキと種類の上で限定しているし、場所的にも定着性のあるものであること、喫食時点に近接して発症することなどから、右貝類が同法の有毒食品に該当すると断定することが可能であったもので、本件とはかなり事情を異にしており、本件にそのまま当てはめることはできないとの結論に達したため、従来どおり行政指導により水俣湾産の魚介類を摂取しないように指導することとした。この点につき、同年四月九日に県衛生部長が厚生省公衆衛生局長に宛てた「熊本県水俣地方に発生した原因不明の中枢神経系疾患について」と題する文書には、「県としては食品衛生法第四条第二項(正しくは第二号である。以下同じ。)を適用しようとしたが、原因物質が確定しなければ法的根拠において不充分であるため、強力な指導措置段階に止どめることとし、さらに今後の原因究明を促進することになった。」と記載されている。[<書証番号略>]
(四) 同年七月二四日、熊本県水俣奇病対策連絡会が開催され、右連絡会では、同月一二日に開催された厚生省厚生科学研究班の研究報告会が、本疾患は水俣湾内の魚介類を摂取することによって発症する中毒性脳症であると一応結論づけたことから、水俣湾内の魚介類を食品衛生法四条二号に規定する「有毒な、又は有害な物質が含まれ、又は附着しているもの」とみなす必要があり、水俣湾内産の魚介類については同法四条二号に該当する旨の告示をするという方針が決定された。そして、右告示を実施するに当たり、水俣市当局及び地元漁業協同組合等関係者と事前に打合せをして十分に了解を得ておくこと及び厚生省とも文書をもって連絡打合せをしておくことが確認された(なお、右会議を第二回の連絡会としている文書[<書証番号略>]と第三回の連絡会としている文書[<書証番号略>]が存在しており、原・被告は第三回とみているようである。第三回というのは、同年三月四日の打合せ会を第一回としているものと思われるが、<書証番号略>によれば、右打合せ会は連絡会を設置することを決めた会議ということになっているので、熊本県では同年五月四日に開かれた連絡会を第一回[<書証番号略>]、七月二四日の連絡会を第二回の連絡会としていたものと思われる。)。
(五) 同年八月一六日、熊本県は、県衛生部長名で厚生省公衆衛生局長あてに次のような照会を行った。
「 水俣病に伴う行政措置について(照会)
標記の件については、昭和三二年七月一二日水俣奇病研究発表会の際に、結論として、本疾患は、諸種の調査研究並びに実験的追及の結果、その本体は中毒性脳症であって、水俣湾産魚介類を摂取することによって発症するものであることが確認された。
従って、同湾内に生息する魚介類は、食品衛生法第四条第二項の規定に該当するものと解釈されるので、該当海域に生息する魚介類は海域を定めて有害又は有毒な物質に該当する旨県告示を行い、法第四条第二項を適用すべきものと思料するが、貴局の御見解を御伺いします。」[<書証番号略>]
厚生省公衆衛生局長は、同年九月一一日、右照会に対し、「水俣地方に発生した原因不明の中枢神経系疾患にともなう行政措置について」と題する書面で、「一、水俣湾内特定地域の魚介類を摂取することは、原因不明の中枢神経系疾患を発生する虞があるので、今後とも摂取されないよう指導されたい。二、然し、水俣湾内特定地域の魚介類のすべてが有毒化しているという明らかな根拠が認められないので、該特定地域にて漁獲された魚介類のすべてに対し食品衛生法第四条第二号を適用することは出来ないものと考える。」と回答した。[<書証番号略>]
5 内藤大介技師の報告
熊本県水産課内藤大介技師は、昭和三二年三月六日、七日、水俣市百間港一帯の漁業被害を調査するため水俣に赴いた。同技師作成の復命書には、「現在この一帯においては漁獲は皆無で、漁民はこの付近で魚介類をとることに恐怖感を感じており、奇病発生が今後も予測されることと、経済的に行き詰まっている現状からその困窮状態は甚だしい。」と漁民の困窮状態が報告されており、海岸一帯で顕著にみられることとして、礁に付着しているかき、ふじつぼ等の脱落がみられること、体長一糎前後の二枚貝の死骸が多数みられること、明神崎の内側恋路島の東岸には海藻類の付着がほとんどないことなどが報告され、海岸に斃死した小魚、しゃこの漂着が認められ、翼脚のきかないかいつぶりを一羽発見したが、二九年以来このようなことが頻繁にあり、昨年奇病問題として取り上げられる以前は、海岸に漂着した魚をひろい食用に供した者は多いとのことである、と報告されている。[<書証番号略>]
6 津奈木村における猫の発病等
伊藤所長は、昭和三二年三月二六日、津奈木村の衛生課職員から、同村の平国部落で猫が発病した旨の報告を受け、直ちに同部落に赴き調査したところ、同部落のうちの合串及び割刈の二地区約三〇戸の家庭の飼猫及び野良猫合計九匹がいりこを食べて発病し、斃死したこと、津奈木村沿岸では漁獲が皆無の状態となったため、平国部落の漁業者の一部は同年二月下旬ころから水俣湾内で操業をしていたことを確認した。そこで、伊藤所長は、津奈木村長らに対し、いりこの摂取と水俣湾内での漁獲を禁止するよう指導方を依頼するとともに、開業医等に対し、平国部落において手足のしびれや言語障害等の症侯を示す患者があれば直ちに水俣保健所長に連絡するよう指示した。そして、伊藤所長は、以上の点について、県衛生部長に対し「水俣奇病に対する速報について」と題する書面[<書証番号略>]をもって報告するとともに、天草郡、芦北郡及び八代郡方面の漁業者に対し水俣湾内での操業を禁止するよう指示する必要がある旨の意見を付した。
この津奈木村合串地区における猫の発症については、熊大研究班第二報における喜田村らの報告でも触れられている(前記二、11、(一))。
県芦北事務所長は、同年三月二九日、津奈木村福浜で猫が発病した旨の情報を得たので、同月三〇日現地を調査したところ、同地区の地引網業浜田某が地先海岸での操業不振のため、同月二三日水俣市袋湾において片口いわしを漁獲して乾燥中、付近の猫一五匹がこれを食べて発病し、斃死したこと等を確認した。そこで、同所長は、各村長並びに各漁協長あて危険海域での操業を自粛するよう警告した上、今後の措置とて、水俣病の今後の進展いかんによっては水俣市以北の海域も危険海域として想定されるので、危険区域での操業を自粛することはもちろん、津奈木村以北で操業するよう勧めることとし、県経済部長に対し右事実を「水俣市における奇病(猫)に関する調査について」と題する書面[<書証番号略>]をもって報告するとともに、「現行漁業法で操業禁止ができないことを利用して、生活が苦しくなれば故意に危険区域での漁獲物を販売の用に供する業者もでるおそれがある」として、各漁協長あて警告を行うよう要望した。
7 昭和三二年八月一四日の水俣奇病対策懇談会
昭和三二年七月二四日に開催された熊本県水俣奇病対策連絡会において、水俣湾産の魚介類について食品衛生法四条二号に該当する旨の告示をするという方針が決定されたことから(前記5)、同年八月一四日、この方針に基づき、水俣保健所において、熊本県から衛生部公衆衛生課長、経済部水産課長及び水俣保健所長が出席し、現地から水俣市衛生課長、商工課職員、市議会議長、同議員三名、水俣漁協組合長、同参事、水俣市医師会長、同副会長及びチッソ附属病院長が出席した上で、水俣奇病対策懇談会が開催された。右懇談会においては、県側から、右告示の方針及び想定危険海域の範囲として明神崎、恋路島、茂道岬を結ぶ線の範囲内を考えている、当初は低棲魚介類のみが有毒ではないかと考えていたが、その後の研究によれば上層中層魚も危険ということであるので、袋湾も危険海域に入る旨説明がなされ、質疑応答の中では、水俣漁協側から、漁業権の買上げや事実上の漁業停止の見返りとして補償をする意思の有無を問う旨の質問がされたが、県側は、受益者がいないので受益者の負担による補償も考えられないし、有毒化の原因がわからない段階では補償ということは考えられないといった回答をした。[<書証番号略>]
そして、同月、想定危険海域を、明神崎、恋路島北端、恋路島針の目崎、柳崎を結ぶ線以内の海域とすることで水俣市漁協と合意に達した。[<書証番号略>]
8 県衛生部長の指示
昭和三二年一二月一三日、県衛生部長は、水俣市長及び水俣保健所長に対し、水俣港改修に伴う同港の一部浚渫が開始されるので、同湾内魚介類の摂食について、地元漁協等の関係者と緊密な連携をとり、従来どおりこれを摂食しないよう強力に指導するよう指示した。[<書証番号略>]
9 尾村厚生省環境衛生部長の答弁
厚生省の尾村偉久環境衛生部長は、昭和三三年六月二四日に開催された参議院社会労働委員会において質問を受けた際、原因究明の状況を踏まえ、水俣病の原因物質がタリウム、マンガン、セレンのいずれか、あるいはこの三つの二つないし三つの総合によるものであるということが今のところわかっており、魚類に対する移行経路は判明していないものの、当該物質は水俣湾に接した所にある化学工場において生産されており、その物質による病変であることは確定している旨答弁した。[<書証番号略>]
被告チッソは、右のような発言がされたことから、セレン、マンガン、タリウム説に対する反論を「水俣奇病に対する当社の見解」と題する見解書にまとめた。
10 山口厚生省公衆衛生局長による関係各省及び被告県への通知
厚生省の山口正義公衆衛生局長は、昭和三三年七月七日、「熊本県水俣市に発生したいわゆる水俣病の研究成果及びその対策について」と題する文書をもって熊本県知事、通産省企業局長等の関係機関に対し、水俣病の研究成果を報告するとともに、関係所管事項について効率的な措置を講じるように要望した。この文書では、原因物質として主としてセレン、タリウム、マンガンが疑われる旨の前記二、15の厚生科学研究班の報告に基づき、被告チッソ水俣工場の明示した上で、「肥料工場の廃棄物が港湾泥土を汚染していること及び港湾生息魚介類ないしは廻遊魚類が右の廃棄物に含まれている科学物質と同種のものによって有毒化し、これを多量摂取することによって本症が発症するものであることが推定される。しかしながら、工場廃棄物が魚介類体内に移行し、有毒化する経路又は機序については今後の総合的研究にまたねばならない。」とされており、被告チッソの水俣工場からの廃棄物が水俣病の原因物質と推定されるとされている。[<書証番号略>]
11 新患者の発生
昭和三三年八月一一日、水俣市茂道に住む生駒秀雄少年(中学生)は、熊大医学部の徳臣助教授によって水俣病と診断された。行政当局に把握された患者の発生としては昭和三一年一二月以来のことであり、水俣保健所長は、県衛生部長に対し、「水俣病新患者発生報告について」と題する書面をもって右事実を報告した。右報告によると、生駒少年は、昭和三三年七月初めに袋湾内の蟹を自ら捕獲し、数回にわたり多量に摂取したところ、八月四日になって右足のしびれが発現し発病したというものであった(なお、生駒少年は、その後昭和三五年一一月に市立病院を退院して就職している)。[<書証番号略>]
新たな水俣病患者の発生を確認した熊本県は、昭和三二年以来患者が発生していなかったことから地元民の警戒心が緩み水俣湾内で漁獲する者が出始めたためと判断し、水俣湾内の魚介類を摂取することは危険である旨を市の回覧板や地元の学校を通じて周知徹底させるべくPR活動を行うこととした。また、県経済部長は、右新患者の発生に伴い、昭和三三年八月二二日、地元漁協に対し、従前の操業自粛の申合せを遵守するように通知するとともに、県内各漁業協同組合長、県漁業協同組合連合会長及び九州各県の水産主務部長らに、水俣湾内での操業を絶対に行わないよう指導方を願う旨想定危険海域の図面を添付して通告した。[<書証番号略>]
その後、同年九月中には、水俣市丸島及び梅戸で各一名の新たな患者が発生し、両名は同年中に死亡した。
12 水俣漁協による漁民大会決議
水俣漁協は、昭和三三年九月一日、漁民大会を開催し、想定危険海域内の操業を法的に全面的に禁止し、それに伴う補償を漁民に与えること、水俣病の発生経路を早期に究明すること等を要望する旨の決議を行った。[<書証番号略>]
13 アセトアルデヒド排水経路変更
被告チッソ水俣工場は、昭和三三年九月ころ、アセトアルデヒド排水経路を変更し、従来百間港に排出していたのを、八幡プールを経て水俣川河口に排出するようにした。八幡プールへは従来アセチレン発生残渣排水(昭和二二年排出開始)、燐酸排水(昭和三〇年三月排出開始)、硫酸ピーボディ塔排水(昭和三二年八月排出開始)、重油ガス化排水(昭和三二年四月排出開始)、カーバイド密閉炉排水(昭和三三年六月排出開始)が送水されていたが、これに加えてアセトアルデヒド排水も八幡プールに送るようにしたものである。なお、塩化ビニール排水は従来どおり百間港に排出された。[<書証番号略>]
14 患者発生地域の拡大
昭和三四年三月二八日、水俣川河口付近である水俣市浜八幡に住む森重義が水俣病と診断された。水俣保健所の調査によると、森は水俣川河口付近のほか、想定危険海域内でも漁獲していたものであった。[<書証番号略>]
昭和三四年四月二四日には、水俣市浜下に住む中村末義が水俣病と診断された。調査の結果、中村は水俣湾外の水俣川河口付近を漁場とし、そこで捕獲した魚介類を摂取して発病したと思われた。伊藤所長は、「漁場が水俣湾より遙かに離れた水俣川河口付近なので、毒物の拡散も考えられるが、或は水俣湾入口で毒物のためフラフラになった魚類が風と潮にのって川口付近に遊泳してきたものをとって食したものと考えられる。いずれにしても、新しい地域が危険になったことは重大な影響を及ぼすものと考え、市当局と打合の上、何等かの対策をたてようと考えている。」と報告している。
その後、同年六月から九月にかけて、水俣川河口の魚介類を摂取したと認められる者三名が発症し、同年九月二三日になって芦北郡津奈木村で患者一名の発症が確認され、同年一二月には芦北郡湯浦町で、翌昭和三五年二月には芦北郡計石でも患者が確認され、患者発生地域が北上していった。[<書証番号略>]
15 沢本技師の報告
県水産試験場技師沢本良は、昭和三四年六月五日、水俣川河口に赴き、同所の漁場の調査を実施したが、その際に水俣漁協の中村参事から事情を聴取し、復命書をもって上司に報告した。聴取内容の概要は、同年春ころから水俣川河口付近で魚類がふらふらして遊泳し斃死に至る現象が甚だしくなったこと、ボラ、スズキ、チヌ、コチなどが容易に採捕でき、砂利採取人夫が金網で掬って食用に供したため水俣病らしい症状が出ていること、最近鹿児島県の長島幣串の漁師に水俣病の症状が現れていることなどである。[<書証番号略>]
16 特別立法制定の陳情
水俣市議会議長らは、昭和三四年六月二〇日ころ、厚生省公衆衛生局環境衛生部長らに対し、禁漁区設定の特別立法措置を求める陳情を行い、その際、広田水俣市議が最近被告チッソが水俣川の方に廃水を排出しており、これが新患者の発生と関係があると説明した。これに対し、同部長らは、厚生省としては、魚介類を摂取させないような指導の強化、有毒化区域の指定、原因の早期究明に重点を置いて実施する旨説明した。同議長らは、坂田道太衆議院議員にも同様の陳情をしたが、熊本県職員作成の報告文書には、同議員が「禁止区域を設けると補償の問題となる。補償内容が定まらぬうちに、禁止区域を設ければ今でさえ困っている漁民をより貧しくしないだろうか。これら禁止区域を設けたときの援護方法としては生活保護法のみの適用が考えられる。」旨の発言をしたと記載されている。[<書証番号略>]
17 想定危険海域の拡大
水俣漁協は、昭和三四年七月ころ、想定危険海域を拡大して、津奈木村勝崎から恋路島外端、鹿児島・熊本県境を結んだ線までの海域とすることを申し合わせた。[<書証番号略>]
18 県議会水俣病対策特別委員会の設置
昭和三四年七月八日、県議会に水俣病対策特別委員会が設置され、同委員会は、同月一三日、水俣病の原因について早期に学問的結論を得ることや厚生省に漁獲禁止の特別立法の措置を要望すること等を決定した。[<書証番号略>]
19 鹿児島県出水市米ノ津地区における水俣病猫の発生
昭和三四年八月一二日、鹿児島県出水市米ノ津下鯖淵部落の木下要松方の猫が発病し、同月一七日、熊大で解剖検査した結果、水俣病猫の標本と全く同一であることが判明した。鹿児島県衛生部では、熊大医学部から伊藤水俣保健所長を通じて、右猫の摂取した魚介類等について調査の依頼を受け、この調査に当たったところ、問題の魚の八〇パーセントは築港の行商人から購入し、その行商人は築港の魚市場から仕入れたものであることが判明した。
他方、鹿児島県出水保健所長は、同月一四日、管轄区域の開業医を召集し、水俣病の症状について説明して、そのような症状の患者が以前にあったかどうか、今後このような患者を診察した場合には速やかに保健所に連絡するよう協力を求めた。右同日、出水漁業協同組合は、水俣市付近での操業をしないこと、水俣付近で漁獲された魚類は組合揚場で受け入れない旨を漁業者に通知することとし、同月一九日付で、再度組合員に対し、水俣沖で漁獲された魚は市場で取り扱わないこと、漁業権のない水俣海面では操業を絶対にしないように通知した。[<書証番号略>]
同日付の熊本日日新聞は、「米ノ津の猫に水俣病」「すでに五匹が死んだ」との見出しでこの事件を報じ、同月二〇日付の同新聞は、「出水のネコは水俣病」「熊大の検査でわかる」との見出しで、この一月の間に八匹の猫が死んだと報じている。[<書証番号略>]
もっとも、この地区ではすでにそれ以前から水俣病猫が発生していたものである。[<書証番号略>、証人橋口三郎の証言、各原告の陳述録取書]
同年九月九日発行の出水死の広報紙「広報いずみ」は、出水保健所発行の「魚類行商人許可証」をもっていない行商人から魚類を購入しないよう協力を呼びかけ、また、出水漁協においても漁民の水俣沖付近での漁業を厳禁し、違反者には組合を除名する体制をたてて臨んでいるとの出水漁協専務の声明を載せている。[<書証番号略>]
20 鹿児島県出水市における水俣病患者の発生、確認
昭和三四年六月中旬、出水市米ノ津前田の釜鶴松が発病し、水俣病の疑いがもたれたが、同年八月二四日に伊藤水俣保健所長が出水保健所長とともに釜方を訪ね、診察を行った際には、視野狭窄がなかったために水俣病とは診断されなかった。同年九月には出水市下知識名古中の西武則が発病した。右二名は、翌昭和三五年二月三日、新たに発足した第一回水俣病患者診査協議会で水俣病と決定された。[<書証番号略>、昭和六一年一〇月一七日に実施した検証の結果]
21 有機水銀説の発表と被告チッソの対応
昭和三四年七月二二日、熊大研究班が班見解としては水銀説を発表し、武内が有機水銀説を提唱したことから、被告チッソ水俣工場では、有機水銀説に対する批判的検討を行い、被告チッソとしての見解を発表するともに(前記二、21・25)、水銀の工場外への排出を防ぐための対策として酢酸プールの設置を計画し、同年一〇月一九日に酢酸プールが完成した。また、同年八月ころ、西田水俣工場長が精ドレン装置内循環方式を発案して、担当者に実施のための研究、実験等を指示し、右装置は昭和三五年八月に完成した。なお、同工場長は、有機水銀説発表後、塩化ビニール排水についても、水銀を工場外に排出しない措置を講ずるよう担当者に指示した。しかし、同工場長は、あくまで操業を継続しながら、水銀の工場外への排出を防止しようとしたものであって、操業の停止を考慮したことはなかった。[<書証番号略>]
22 水俣市鮮魚小売商組合の不買決議と水俣漁協等による被告チッソに対する漁業補償の要求
水俣市鮮魚小売商組合は、昭和三四年七月三一日、水俣市丸島市場に水揚げされる魚介類のうち水俣近海でとれた魚はたとえ禁漁区外のものでも絶対に買わない旨を決議して水俣漁協に申し入れ、水俣市等を交えて協議したが決着せず、翌八月一日臨時総会で再度不買決議をした上、同月三日から実施した。[<書証番号略>]
水俣漁協は、右不買決議によって深刻な打撃を受けたことから、同年八月四日開催の臨時総会及び漁民大会の決議に基づき、同月六日、チッソ水俣工場と交渉を開始し、漁業補償一億円、ヘドロの完全除去、浄化装置の設置を要求し、その後も交渉を続けたが、同月一七日、第四回交渉の際、工場側の回答に漁民が怒り、交渉会場に乱入し、交渉がいったん打ち切られた。その後同漁協は工場との交渉を再開し、水俣市長らで構成する斡旋委員会の斡旋により、同月二九日、漁業補償等として合計三五〇〇万円を支払うこと等の条件で漁業補償契約を締結した。[<書証番号略>]
前記14認定のとおり、同年九月二三日に芦北郡津奈木村に居住する漁民が水俣病と診断されたことから、同月下旬には、津奈木、田浦、芦北、湯浦の各漁協が相次いで決起大会を開き、被告チッソに対し漁業被害の補償と工場排水の水俣市八幡への排出停止を求める旨決議した。[<書証番号略>]
被告チッソ水俣工場長は、同年一〇月一四日、芦北沿岸漁業振興対策協議会の会長である吉田芦北町長らと交渉した際、同月末までに八幡への排出を止める旨を明らかにした。[<書証番号略>]
同年一〇月一七日、県漁業協同組合連合会主催による漁民総決起大会(水俣漁協不参加)が開催され、被告チッソに対し、工場排水の完全浄化設備が完成するまで操業を中止すること、水俣湾並びに現在の排水口にある沈殿物の除去をすること、漁業被害を補償すること、水俣病発生家族に対する補償を行うことを求める旨を決議し、工場に押しかけ、警官隊が出動する事態となった。被告チッソ水俣工場長は、右決議に対し、同月二三日、工場操業中止の要求には応じられない、八幡地区への排水な同月末までになくするよう工事中である、その他の事項については水俣病の原因が不明の段階では一切の要求に応じられない旨回答した。
熊本県漁業協同組合連合会長は、被告チッソ水俣工場長に対し、同月三〇日、百間港への排水の停止を求めたが、同工場長は、同月三一日、百間港への排水中止は工場の操業停止となるとして、右要求には応じられない旨回答した。[<書証番号略>]
同年一一月二日、再度県漁業協同組合連合会主催による漁民総決起大会が開催され、工場側に操業中止の団交を申し入れたが、これを拒否されたため、漁民が工場に乱入し、警官隊と衝突して多数の負傷者が出る事態となった。[<書証番号略>]
23 特別立法制定の陳情等
被告県は、昭和三四年一〇月一五日、関係省庁に対し、熊本県知事及び県議会議長名義の同月一〇日付「水俣病についての陳情書」をもって、水俣病発生原因の早期究明、危険海域の調査指定、水俣病対策の特別立法措置を陳情した。右陳情にかかる特別立法の概要は、ア、危険海域の調査及び指定等、イ、操業危険海域の指定及びそれに基づく漁民の損失補償、ウ、漁民の救済援護、というものであった。[<書証番号略>]
被告県は、同年一〇月二六日に開催された県議会水俣病対策特別委員会で水俣病対策特別措置法要綱案を公表した。右要綱案は、原因究明、危険海域の設定、漁業関係者に対する補償及び水俣病患者の医療等諸般の対策に関する法律の制定を求めたものであり、特に危険海域内においては真珠養殖等以外の水産生物の採捕を禁止し、それによって損失を被った漁業者等に対し、政府が損失を補償するというものであった。[<書証番号略>]
24 水俣市議会等の動き
水俣市議会は、同年一一月五日、「水俣病対策についての決議文」を採択した。右決議文では、水俣病原因の早期究明、罹病者及び漁民の援護救済対策の施行、水俣工場廃水浄化装置の早期完成等が要望されているが、廃水浄化装置の早期完成に関しては、「水俣病問題の重大化に伴い、工場の操業を行政的配慮により停止してはとの風聞があるが、水俣病の原因が未だ究明されていない今日において操業を停止することは極めて重大なる結果を招来するおそれがある。当局におかれては慎重なる御配慮を払われ、工場をして浄化装置の完成を促進せしめ、操業停止等の事態が発生せざるよう措置されんことを要望する。」とされていた。[<書証番号略>]
水俣市長、市議会議長、商工会議所会頭、地方労議会長ら二八団体の代表約五〇人は、同月七日、県知事に対し、チッソ水俣工場の操業停止につながる工場排水の全面的停止に反対する旨陳情した。[<書証番号略>]
25 通産省の被告チッソに対する行政指導等
(一) 厚生省公衆衛生局長は、同年一〇月三一日、通産省企業局長に対し、「水俣病の対策について」と題する文書をもって、食品衛生調査会水俣食中毒部会における研究の結果、水俣病は水俣湾周辺の一定水域において漁獲された魚介類を摂取することに起因して発病するものであること、右の魚介類の有毒物質は概ね有機水銀化合物と考えられることの二点が明らかにされるに至っているとし、このことをもって直ちに水俣市所在の化学工場からの排水に起因するものであるとは断定し難いものの、当該工場は数年にわたって無機水銀化合物を含む廃液を排出し、当該廃水の排出状況と水俣病患者の発生の状況に相互関連があるとの意見があり、また、前年九月の新排水口の設置以来その方面の新患者が発生している事実があるので、現段階において工場排水に対する最も適切な処置を至急講ずるよう要望した。[<書証番号略>]
(二) これを受けて、通産省は、同年一一月一〇日、軽工業局長から被告チッソ社長あての「水俣病の対策について」と題する文書をもって、「かねてから排水路の一部の廃止等種々の対策を講ぜられているところであるが、水俣病が現地において深刻な問題を惹起している状況には誠に同情すべきものがあるので、この際一刻も早く排水処理施設を完備するとともに、関係機関と十分に協力して可及的速やかに原因を究明する等現地の不安解消に十分努力せられたい。」との通牒を発し、右同日、厚生省公衆衛生局長に対し、「水俣病の対策について」と題する文書をもって、「当省としては、現在までのところその原因といわれる魚介類中の有毒物質を有機水銀化合物と考えるには、なお多くの疑点があり、従って、一概に水俣病の原因をチッソ水俣工場の排水に帰せしめることはできないと考えているが、水俣病が現地において極めて深刻な問題を惹起している状況にかんがみ、既に同工場に対し、口頭をもって、イ、直接不知火海に放出していた排水路を廃止するとともに、排水処理施設の完備を急がしめ、ロ、原因究明等の調査について十分協力するよう指示してあったが、更に上記の点について、あらためて文書をもって、チッソ社長あてに尽力方通牒を発した。」旨を通知した。[<書証番号略>]
(三) 水産庁においても、同年一〇月三一日、水産庁次長から厚生省公衆衛生局長に対し、「水俣病の原因究明について」と題する文書で、水俣病発生地域の拡大に伴い、漁業操業上の支障及び地元住民の不安が極度に増大し、数回にわたる陳情を受けたことを述べ、原因の早期究明、現段階で判明している事項及び厚生省の意見を水産庁に知らせることを要望し、さらに、同年一一月一一日、水産庁長官から通産省企業局長及び軽工業局長に対し、「水俣病対策について」と題する文書で、至急チッソ水俣工場の工場排水に対する適切な措置を講じるよう要望した。[<書証番号略>]
これに対し、通産省軽工業局長は、同月二〇日、既に被告チッソに対し水俣川河口に放出していた排水路を廃止するとともに排水処理施設の完備を急ぐこと及び原因究明等の調査に協力することを、口頭及び文書をもって指示した旨回答した。[<書証番号略>]
(四) 右口頭の指示について、同年一〇月三〇日付の熊本日日、朝日、西日本の各紙の報じるところによれば、同月二〇日に通産省の秋山軽工業局長が被告チッソに対して、水俣工場の水俣川河口への排水を即時停止すること、同工場が来年三月までに作る予定の排水浄化装置を年内に完成すべきことを指示した、というものである。[<書証番号略>]
26 通産省からアセトアルデヒド等生産工場に対する工場排水の水質調査報告依頼
通産省軽工業局長は、昭和三四年一一月一〇日付の「工場排水の水質調査報告依頼について」と題する文書をもって、アセトアルデヒド又は塩化ビニールモノマーを生産をしている全国の工場に対し、「昭和二八年以来、熊本県水俣地方に発生しているいわゆる水俣病の原因究明につきましては、政府においても厚生省を中心として種々調査を重ねてきたところでありますが、未だ確定的な結論を得るに至っておりません。しかしながら、最近ではその原因として新日本窒素肥料工場株式会社水俣工場から流出する微量の水銀が水俣湾の魚介類を有毒化するのではないかという説が現地の熊本大学(医学部、理学部)などでは有力になりつつあると伝えられております。同工場の生産品目中その製造工程から水銀が流出することが考えられるのはアセトアルデヒド及び塩化ビニールモノマーでありますが、これらを生産している全国の他の工場では今日のところ工場排水に関して何等問題が起きておらず、この点が水銀を原因であるとする説にとって大きな問題点となっております。したがって、この際全国の同業各工場における水銀の処理の状況、その工場排水中の含有量、水銀が消失されると思われる個所、流出する際の水銀の状態(単体、化合物)等を調査し、これらを比較検討することが水俣奇病の早期究明のために必要であると思われ」るとして、触媒に使用した水銀の仕込量・回収量・消費量、工場排水の量、工場排水の放流先、工場排水処理の状況、工場排水の水質(特に水銀の含有量)、排水口付近の水底の泥土中の水銀含有量、水銀の状態、水銀触媒の取扱状況、水銀が消失されると思われる個所等について調査報告を依頼した。なお、右文書では、「この調査は、水俣奇病問題が政治問題化しつつある現状に鑑み、秘扱いにて行うことにしていますので、この旨御了知の上、社外に対しては勿論、社内における取扱いについても充分注意して実施されるよう希望致します。」とされていた。
[<書証番号略>]
27 水産庁による被告チッソへの要請
水産庁漁業振興課長は、昭和三四年一一月初めころ、被告チッソ水俣工場長を水産庁に呼び、水俣病の原因が被告チッソ水俣工場の工場排水にある疑いが大きいとして、工場排水の排出を止めること、工場排水を採取するための工場内への立ち入り調査を認めることを要請した。これに対して、同工場長は、工場排水と水俣病とは無関係である、工場排水が水俣病の原因であることについての科学的な証明がないなどとして、右要請を拒否した。[福岡高等裁判所昭和六二年(ネ)第二三〇号他事件における証人井上和夫の証人調書、<書証番号略>]
28 被告チッソ水俣工場の排水処理経路の公表、サイクレーターの完成
被告チッソは、同年一一月一一日、県経済部鉱工課長及び県議会水俣病対策特別委員会に対し、「水俣工場の排水について(その歴史と処理及び管理)」と題する文書を提出し、各製造施設ごとの排水処理を明らかにした。右文書には、アルデヒド酢酸廃水は、従前鉄屑槽を経て百間廃水溝にそのまま放流していたが、水質向上の見地から酸分の中和、残存金属類の沈殿除去をさらに行うこととし、昭和三三年九月からはアセチレン発生残滓とともに八幡プールに送り八幡中央廃水溝に排出し、昭和三四年一〇月一九日に酢酸プールが完成した後は酢酸プールで微量の残存金属を除去して八幡プールに送るようにしたこと、同月三〇日以降は八幡プールの浸透水を工場に逆送してアセチレン発生等に循環使用することにしたので八幡海域への排水は皆無となったこと、構内プール及び浸透水逆送管等の設備完成前の排水分析結果によれば、水銀量が0.01mg/l(同年七月六日、百間港への排水、水量三二〇〇立法メートル毎時)、0.08mg/l(同月三日、八幡プール排水、水量六〇〇立方メートル毎時)であったものが、右設備完成後は、0.009mg/l(同年一一月七日、百間港への排水、水量三五〇〇立方メートル毎時)と工場から排出される水銀量は約2.5分の一に減少しており、この濃度の水銀値は厚生省令水道法水質基準に合格するものであること、同年一二月下旬運転予定のサイクレーター、セディフローターを主体とする排水浄化装置完成後の排水処理は、カーバイド密閉路、硫酸ピーボディ塔、燐酸石膏、アルデヒド酢酸、塩化ビニールの各廃水をサイクレーターに入れ、酸、アリカリをPHメーターの指示により添加して中和を行い、アルギン酸ソーダ等の凝集沈殿剤を加えて固形物を沈殿させて浄化作業を行い、浄化後は一般工場廃水とともに百間排水溝に入れることなどが記載されていた。[<書証番号略>]
被告チッソは、昭和三三年一二月ころ、サイクレーターを中心とする総合的な排水処理装置の設置を決定し、昭和三四年八月ころ荏原インフィルコ株式会社にサイクレーター及びセディフローターを発注していたが、通産省の指導を受けてその完成を急がせた結果、同年一二月一九日ころこれが完成し、同月二四日に完工式が行われた。[<書証番号略>]
29 東京工業試験所による工場排水の分析
通産省は、昭和三四年一一月二日付け同省企業局長及び軽工業局長名の文書をもって工業技術院長宛にチッソ水俣工場の排水の分析方を依頼し、これを受けて、工業技術院長は、同月六日付で東京工業試験所にその旨を依頼した。[<書証番号略>]
東京工業試験所においては、右工場排水中に含まれる水銀量が0.01ppm程度であり、総水銀として定量することも当時用いられていた一般的な方法では困難であったため、独自の定量方法を考案し、これにより同年一一月二六日以降週二回ずつ同工場の排水中の総水銀量の定量を行った。同日から昭和三五年八月二四日までの分析値は、最高0.084ppm、最低0.004ppmで、七六日中六九日は0.002ppm以下となっている。[<書証番号略>]
30 不知火海漁業紛争調停委員会による調停
昭和三四年一一月二四日、寺本広作県知事、岩尾豊県議会議長、中村止水俣市長、河津寅雄町村会長、伊豆富人熊本日日新聞社長を委員とする不知火海漁業紛争調停委員会が発足し、同委員会により、漁業補償については、同年一二月一八日、被告チッソ及び県漁業協同組合連合会に、水俣病患者の見舞金については、同月二九日、被告チッソ及び水俣病患者家庭互助会に、それぞれ調停案が呈示された結果、前者については同月二五日に、後者については同月三〇日にそれぞれ右調停案どおりの契約が締結されるに至った。右見舞金契約は、熊本第一次訴訟判決において、公序良俗に反し無効と判断された。
第二メチル水銀に関する知見
【証拠】 <書証番号略>、証人藤木素士の証言
一メチル水銀の毒性の特色
水銀及びその化合物を、その化学的性質に従って分類すると、大きく分けて、金属水銀、無機水銀化合物及び有機水銀化合物の三つに分類される。水俣病の原因物質であるメチル水銀は、エチル水銀、プロピル水銀等とともに、有機水銀化合物中のアルキル水銀の一種に分類されるものである。
アルキル水銀化合物の中でもメチル水銀やエチル水銀は、脳血液関門機構を通過して脳内に侵入するという点に大きな特徴がある。メチル水銀とエチル水銀とを比較すると、エチル水銀の方が生体内における代謝が早いという違いがある。
二魚介類へのメチル水銀蓄積
メチル水銀の特異な毒性ということについては、喜田村らの指摘する次のような事実が認められる。(喜田村「食品中の微量重金属について」、「水俣病の疫学」)<書証番号略>
1 メチル水銀は、脂溶性であり、かつ、生体の蛋白SH基との結合力が極めて強く、その解離恒数は10-17とされ、両者は不可逆的に結合するために、いかなる希薄溶液からでも、水中生物は体表面を通じあるいはえら呼吸を通じてメチル水銀を体内にとりいれる。このため直接の体内吸収によるだけでもメチル水銀の蓄積吸収比は極めて大きいが、加えて水中生物には植物性プランクトン→動物性プランクトン→水生昆虫→食虫性昆虫→魚介類→食魚性魚類という食物連鎖のつながりがあり、それぞれメチル水銀を蓄積したものを順次餌として摂取するので、メチル水銀の著しい濃縮蓄積が起こる。魚介は食物連鎖の最終に位置するのでメチル水銀の濃縮比は最も大きく一〇ないし二〇ppmのメチル水銀を含有し、水俣病の原因食品となった有毒魚介類では汚染水域中のメチル水銀濃度に比して数万ないしは一〇万倍の濃縮を来していたと推算される。
2 メチル水銀が汚染水域においてある程度以上の希薄濃度が維持されていない限り、いかに食物連鎖を経るといえども魚介類の有毒化にはつながらない。絶えず流下する河川あるいは希釈の著しい海域にあっては、一過性の汚染では魚介類に毒物の蓄積は起こり得ず、必ず長期継続の汚染があり、超希薄濃度が保たれてこそ魚介類への蓄積が起こり得る。熊本、新潟両水俣病の発生源であった化学工場では古くからアセトアルデヒドの生産を行っていたにもかかわらず、ある時期になって水俣病患者が発生した理由もそこにある。
三水銀の定量分析法の変遷
1 昭和三四年当時の有機水銀の定量分析技術
(一) 総水銀の定量分析法
昭和三四年当時の総水銀の定量分析技術としては、無機(金属)水銀を分析対象とする発光分析法、水溶状態にした水銀を分析対象とするジチゾン比色法があった。発光分析法では水銀化合物の分析は不可能であり、排水中に含まれる微量の水銀化合物の定量はできなかった。ジチゾン比色法ではあらかじめ試料に熱を加えて酸化分解すれば、有機又は無機の金属化合物が分解され、金属が単離するので、含まれているすべての金属を分析できる。したがって、総水銀としてのみ分析され、有機水銀のみの分析はできなかった。そして、通常の操作では試料五〇〇ミリリットル当たりで0.01ppmが定量限界であった。
JIS(日本工業規格)とは、工業標準化法(昭和二四年六月一日法律第一八五号)に基づいて、鉱工業に係る事項を全国的に統一し、又は単純化するための基準として、主務大臣が通商産業省に置かれた日本工業標準調査会の議決を経て制定するものであるが[<書証番号略>]、昭和三五年一二月改定のJISの工業用水試験方法においては、水銀について0.02ないし1ppmを定量範囲としている。[<書証番号略>] 工業用水ではなく、本件で問題となる工業排水の試験方法については、昭和三九年二月一日制定のJISの工場排水試験方法において、水銀について0.02ないし0.5ppmを定量範囲としている。[<書証番号略>] 水質汚濁防止法(昭和四五年一二月二八日法律第一三八号)三条は、排水基準を総理府令で定めるものとし、排水基準を定める総理府令(昭和四六年六月二一日総理府令第三五号)は、排水基準は経済企画庁長官が定める方法により検定した場合における検出値によるものとするとし(第三条)、「水銀及びアルキル水銀その他の水銀化合物」について、その許容限度を「水銀につき検出されないこと」と定め、「検出されないこと」とは「第三条の規定に基づき経済企画庁長官が定める方法により排出水の汚染状態を検定した場合において、その結果が当該検定方法の定量限界を下回ること」としている。そして、昭和四六年六月二二日付け経済企画庁告示第二一号は、「水銀及びアルキル水銀その他の水銀化合物の検定方法」につき過マンガン酸カリウム加熱分解ジチゾン吸光光度法を定め、その定量限界を「検水一リットルにつき、0.02ミリグラム」すなわち0.02ppmとしている。[<書証番号略>] なお、原告らは、昭和三五年のJISの工業用水試験方法では、水銀について0.001ppmを定量限界としていると主張しているけれども、右文書には、定量範囲は「0.001〜0.05mgHg」とあり、そのときの検水が「五〇ml(水銀イオンとして0.05mg以下を含む)」と記載されているから、ppm(μg/g)を算出すれば0.02ないし1ppmが定量範囲であることは明らかである。
前記第一、三、26認定のとおり、昭和三四年一一月、通産省の依頼を受けた東京工業試験所では、工場排水中に含まれる水銀量が0.01ppm程度で、総水銀として定量することは当時のジチゾン比色法の一般的な方法では不可能であったため、独自の定量方法を考案し、工場排水を0.001ppmオーダーまで測定した旨のデータを提出しているが、これらの数値は再現性の点では問題があるものである。
(二) 有機水銀の定量分析法
昭和三四年当時の有機水銀の定量分析技術としては、赤外線吸収スペクトル法及びペーパークロマトグラフ法があった。赤外線吸収スペクトル法は通常は定性分析に用いられるもので、微量の有機水銀の定量分析に使用できるものではなかった。ペーパークロマトグラフ法では有機水銀の定量分析が可能であるが、分析限界が約二〇〇ppmと感度が悪く、排水中に含まれる微量の有機水銀の定量に使用できるものではなかった。以上のとおり、昭和三四年当時は工場排水中の有機水銀を定量分析するということは不可能であった。
2 その後の有機水銀の定量分析法の確立経過
昭和三六年ころ、有機水銀を直接定量分析する方法としてブローダーソンの開発したガスクロマトグラフ法が導入されたが、検出感度は低く、中毒研究に対する実用的価値はなかった。昭和四一年、喜田村らは、「ガスクロマトグラフによる有機水銀化合物の分離・定量」と題する論文[<書証番号略>]において、電子捕獲型検出器(ECD)を利用してブローダーソンらのガスクロマトグラフの数百万倍の感度で微量のメチル水銀の検出が可能になったと発表した。すなわち、ガスクロマトグラフ装置の検出器に電子捕獲型検出器を使用すれば、通常のサンプル量でその当時約0.001ppmの微量のメチル水銀を測定することができるようになった。
また、昭和四〇年代に入り、有機水銀の分析方法として薄総クロマトグラフ法が開発され、ジチゾン比色法と組み合わせて薄層クロマトグラフ分離ジチゾン比色法として有機水銀の定量分析に使用されるようになった。
昭和四四年二月三日、水銀電解法苛性ソーダ製造業またはアセチレン法塩化ビニールモノマー製造業の工場または事業場から指定水域に排出される水質基準として、「メチル水銀量が検出されないこと」と定められ、その際に「検出されないこと」とは「昭和四三年七月二九日経済企画庁告示第七号によって規定するガスクロマトグラフ法および薄層クロマトグラフ分離ジチゾン比色法の両方法によってメチル水銀を検出した場合以外の場合をいうものとする。」とされた。[<書証番号略>]
第三チッソ水俣工場から排出されたメチル水銀量の変遷
【証拠】 <書証番号略>、証人藤木素士の証言
一アセトアルデヒド製造工程の概略とメチル水銀の副生
チッソ水俣工場におけるアセトアルデヒド(CH3CHO)製造工程は、時期により若干の差異はあるが、基本的には次のようなものであった。
生成器に硫酸、触媒である水銀、助触媒である硫酸鉄、水からなる触媒液(これを母液という。)を入れ、温度を六〇〜七〇度に保ちながら効率よく反応させるために軸流ポンプで循環させる。生成器の下部からブロアーで吹き込まれたアセチレンガスは、母液中を上昇するに従い水と反応してアセトアルデヒドに変化し母液中に溶解する。母液中に溶解したアセトアルデヒドは、生成器から真空蒸発器に送られ、そこでアセトアルデヒドと水の一部を蒸発させ、これらは第一精溜塔に送られ、残りの母液は順次生成器に戻される。第一精溜塔に送られたアセトアルデヒドと水蒸気からは、同精溜塔及びこれに次ぐ第二精溜塔の中で水蒸気が液化して分離されて純粋なアセトアルデヒドが製造される一方、第一、第二精溜塔で液化した水は順次排水として排出される(これを「精ドレン排水」という。)。水俣病の原因物質となったメチル水銀化合物はアセチレン加水反応中に生成器内で副生したものであり、精ドレン排水中に含まれて排出されたものである。
アセトアルデヒドの生産に伴って生成されるメチル水銀量は、喜田村、入鹿山らの実験結果によれば、アセトアルデヒドの生産量に対するメチル水銀の生成量の割合は0.0035ないし0.005パーセント程度であり、チッソ水俣工場の昭和七年から昭和四三年までのアセトアルデヒド総生産量に右の割合を剰ずると、メチル水銀生成量の合計は14.6トンないし21.8トンとなる。[<書証番号略>]
二工場外に排出されたメチル水銀量
チッソ水俣工場におけるアセトアルデヒド排水系統の変遷、排水の処理方法、推定される工場外に排出されたメチル水銀量についてみることとする。
1 チッソ水俣工場における主要な排水は、カーバイド残滓排水(アセチレン残滓排水ともいい、その排水量は時期により多少の変動はあるが、昭和三四年一一月のチッソ水俣工場の説明(前記第一、三、25)ではその当時で毎時約一一〇立方メートルである。なお、排水量は昭和三四年一一月のチッソ水俣工場の説明による。以下同じ。)、カーバイド密閉炉排水(毎時約二五〇立方メートル)、燐酸排水(毎時約七〇立方メートル)、硫酸ピーボディ塔排水(毎時約六〇立方メートル)、重油ガス化排水(毎時八〇立方メートル)、塩化ビニール排水(毎時約一〇立方メートル)、アセトアルデヒド排水(毎時約六立方メートル)の七系統である。[<書証番号略>]
以上の排水は、いずれも排出開始時期、経路などにおいて変遷しており、昭和三一年五月以降の排水系統の概略は別紙一の図①ないし⑪のとおりである。[<書証番号略>]
アセトアルデヒド排水とは精ドレン排水及び漏出した母液を洗浄した排水をさす。昭和三四年一一月当時のチッソ水俣工場の説明では、アセトアルデヒド排水の排水量が毎時約六立方メートルとなっているが、いわゆる水俣病刑事事件において作成されたチッソ水俣工場酢酸係長椎野吉之助の供述書(昭和五〇年七月三〇日付)によると、精ドレン排水の排水量は、五期及び七期設備がそれぞれ毎時三〜一〇立方メートル(七期設備は昭和三四年一一月に運転始動)、六期設備が毎時三〜五立方メートルで、三期合計で通常運転では毎時九〜一三立方メートルということのようである。[<書証番号略>]
2 アセトアルデヒド排水系統の変遷、排水の処理方法は次のとおりである。
(一) 昭和七年から昭和二〇年まで
この間のアセトアルデヒド排水は、特段の処理をされることなく、百間排水溝を経由して百間港に排出された。
(二) 昭和二一年から昭和三三年八月まで
チッソ水俣工場では、この間において、アセトアルデヒド製造施設に鉄屑槽を設置し、これを通過させた排水を(一)と同様の経路で百間港に排出していた。
(三) 昭和三三年九月から昭和三四年一〇月まで
この間においては、アセトアルデヒド排水の排出先が従来の百間港から八幡中央排水溝に変更され、精ドレン排水は、前記鉄屑槽を経て八幡プールに送られ、同プールから八幡中央排水溝に排出された。
(四) 昭和三四年一〇月一九日から同年一二月一九日まで
昭和三四年一〇月一九日に酢酸プールが完成し、アセトアルデヒド排水と塩化ビニール排水をここに通して八幡プールに送るようになった。酢酸プールは、チッソ水俣工場が、水俣病の原因物質として有力化しつつあった有機水銀説に対応し、水銀の除去を目的として計画実施した施設であり、鉄屑を敷きつめたプールに排水を滞留させて、排水中の水銀を除去しようとするものであった。
同月三〇日以降は、八幡プールの排水を八幡中央排水溝に排出するのを停止し、同プールの上澄水をアセチレン発生施設に逆送し、アセチレン発生施設で必要量全部使用しても使用しきれない余剰を生じた場合に不定期的にカーバイド密閉炉にも逆送し、循環使用することとした。
(五) 昭和三四年一二月二〇日から昭和三五年七月まで
昭和三四年一二月二〇日にサイクレーターの運転が開始されたが、その浄化システムは、PHメーターの指示により酸、アルカリを廃水に添加して中和を行い、凝集沈殿剤を加えて固形物を沈澱させるというものであった。サイクレーターは、有機水銀説が発表されるよりも前の段階で総合的な廃水浄化を目的として計画されたものであり、水銀の除去効果を考えたものではなかった。チッソ水俣工場では、サイクレーター運転開始時から同月二四日ころまでは、サイクレーターの水銀除去効果を試験する意味で、アセトアルデヒド排水を鉄屑槽、酢酸プールを経てサイクレーターに通していたが、その結果除去率が四〇ないし八〇パーセント程度にすぎないことが判明したので、同月二五日ころからはサイクレーター完成前と同じくアセトアルデヒド排水をアセチレン発生施設等に逆送するようにした。その後昭和三五年一月二一日、逆送水中に含まれている不純物のため発泡現象が起こり危険を生じたため、アセチレン発生施設への逆送を中止し、八幡プールの上澄水、浸透水をサイクレーターに逆送し、百間港に排出するようにしたが、水俣工場でサイクレーターによる水銀除去率を測定したところ、やはり四〇ないし八〇パーセント程度であった。同月二五日、酢酸プールから排泥ピット、排泥ピットからサイクレーター排泥用八幡プール、サイクレーター排泥用八幡プールからアセチレン発生残渣用八幡プールへの各配管が完成したが、同年四月末までは、サイクレーター排泥用八幡プールからアセチレン発生残渣八幡プールへの送水は行われず、同年五月一日から同月一三日までと同年六月一〇日以降、サイクレーター排泥用八幡プールからアセチレン発生残渣用八幡プールに送水され、さらにサイクレーターに送られ、そこから百間排水溝を経由して最終的に百間港に排出されるようになった。チッソ水俣工場が、酢酸プールから直接サイクレーターに入れずにこのような方法をとったのは、八幡プールの水銀除去効果が大きいと判断したことと精ドレンの装置内循環方式が完成するまでの間サイクレーター排泥用八幡プールに排水を溜めておこうという発想に基づくものであったようであるが、同プールの底部はカーバイド残渣層であり、同プールに貯水されたアセトアルデヒド排水の相当部分が地下浸透水として水俣川河口海域に流出したようである。
(六) 昭和三五年八月から昭和四一年六月まで
昭和三五年八月以降、精ドレン排水をアセトアルデヒド製造装置内で循環させるといういわゆる装置内循環方式が完成したことから、精ドレン排水に限れば、事故時や定期解体等の場合を除いては原則として工場外に排出されることはなくなった。
(七) 昭和四一年七月から昭和四三年五月まで
昭和四一年七月からアセトアルデヒドの生産が停止された昭和四三年五月までの間は、チッソ水俣工場では排水を工場内で循環させるといういわゆる完全循環方式が採用され、アセトアルデヒド排水がチッソ水俣工場外に排出されることは原則としてなくなった。
3 チッソ水俣工場から工場外に排出されたメチル水銀量
(一) 昭和七年から昭和二〇年まで
チッソ水俣工場から工場外に排出されたメチル水銀量については、被告チッソの元代表取締役社長と水俣工場長を被告人とするいわゆる水俣病刑事事件において、藤木が、熊本県警察本部から提供された資料及びそれまでの研究に基づいて検討を行い、昭和五一年一月付の鑑定書(以下「藤木鑑定書」という。)[<書証番号略>]を作成しているが、その試算によると、この期間におけるメチル水銀の排出量は、一六四七キログラムないし二五六〇キログラム程度と推計されている。
(二) 昭和二一年から昭和三三年八月まで
アセトアルデヒド製造施設に設置された鉄屑槽は、同工場で使用する金属水銀の回収を目的として設置されたものであるが、鉄屑に多く含まれる不純物(金属)は、水銀化合物とアマルガムを作る効果があることから、メチル水銀も鉄屑槽に精ドレン排水が滞留した時間に比例して金属水銀に還元されることになり、結果的に精ドレン排水中の約二〇パーセント程度のメチル水銀を除去する効果があったものとみられる。藤木鑑定書の試算によると、この期間におけるメチル水銀の排出量は、約一七一〇キログラムないし二六六一キログラム程度と推計されている。
(三) 昭和三三年九月から昭和三四年一〇月まで
この時期の排水系統における鉄屑槽のメチル水銀除去能力については前記のとおりであり、藤木鑑定書の試算によると、八幡プールに滞留中に沈澱して除去される排水中のメチル水銀量の割合を約五〇パーセントと仮定した場合、この間八幡沖に排出されたメチル水銀量は約三〇四ないし六一三キログラム程度と推計されている。
(四) 昭和三四年一〇月一九日から同年一二月一九日まで
酢酸プールは、鉄屑を敷きつめて滞留させた排水中の水銀を除去しようとするものであり、滞留時間は約一八時間であることから、メチル水銀除去率は約八〇パーセントと推定される。そして、それ以前と同様に八幡プールで除去される部分もあるわけである。昭和三四年一〇月三〇日以降は、八幡プールの上澄水をアセチレン発生施設及びカーバイド密閉炉に逆送し、循環使用することとしたので、この期間中はメチル水銀はチッソ水俣工場外に直接は排出されていないわけであるが、八幡プールから地下浸透水として流出したものがあるのではないかという問題がある。
(五) 昭和三四年一二月二〇日から昭和三五年七月まで
サイクレーターは、総合的な排水浄化を目的として設計されたものであり、メチル水銀除去効果まで考えられておらず、凝集沈澱剤を用いてもメチル水銀を除去する効果はなかった。ただし、他の粒子状の物質あるいは凝集沈澱可能な物質がメチル水銀と混入している場合はメチル水銀が沈澱物に巻き込まれて沈澱することが考えられる。藤木鑑定書では、これについての実験を経験していないので、否定も肯定もし得ないとして、除去率を五〇パーセントと仮定して試算している。昭和三五年一月末以降については、藤木鑑定書は、メチル水銀が酢酸プールで約八〇パーセントが除去され、サイクレーター排泥用八幡プールで残りの五〇パーセント、サイクレーターで更に残りの五〇パーセントが除去されたと仮定して、水俣湾に排出されたメチル水銀量を試算している。藤木鑑定書ではこの期間における前記認定のようなアセトアルデヒド排水系統の複雑な変遷を前提にした詳密な検討はされていない。前記認定の事実からすれば、アセトアルデヒド排水が上記のような経路でサイクレーターに流入していたのは、昭和三五年五月一日から同月一三日までの期間と同年六月一〇日以降であり、昭和三四年一二月二五日から昭和三五年一月二一日まではアセトアルデヒド排水をアセチレン発生施設等に逆送しているので、この間はメチル水銀はチッソ水俣工場外に直接は排出されていないということになり、同年一月二五日から同年四月末までの期間についてもサイクレーター排泥用八幡プールからの地下浸透水が問題であるということになろう。
(六) 昭和三五年八月から昭和四一年六月まで
この期間中は装置内循環方式が採用されたが、事故時などにメチル水銀が工場外に排出したと考えられる。藤木鑑定書では、事故などにより正常運転されず、酢酸プールを経てサイクレーター排泥用八幡プールに送られた精ドレン排水量及びそのメチル水銀濃度については資料がないので、この期間中に海域に排出されたメチル水銀量は不明であるとしている。
(七) 昭和四一年七月から昭和四三年五月まで
この期間中は完全循環方式が採用され、原則的にはアセトアルデヒド排水は工場外に排出されていない。事故時などに工場外に排出されたメチル水銀量は不明である。
4 魚介類汚染の推移とメチル水銀量の関係
(一) 水俣湾の魚介類中の総水銀値をみると、入鹿山らの調査によると、定着性のあるヒバイガイモドキ(イ貝)の水銀濃度は、別紙二の表のとおり、昭和三五年一月に八五ppm(乾重量当り総水銀。以下同じ)であったものが、昭和三六年末から一〇ppm前後となり、この値は昭和四一年末まで続いている。水俣湾アサリの水銀量は、月ノ浦で昭和三八年に約三〇ppmであったのが、昭和四一年に八四ppmに増加した後昭和四三年八月以降一〇ppmまたはそれ以下に低下している。
水俣湾及びその周辺の魚類中の水銀濃度は別紙三のとおりである。入鹿山・藤木「水俣病の原因と不知火海の有機水銀汚染」(有馬編・水俣病―二〇年の研究と今日の課題)[<書証番号略>]では、どのようにして算出した数値であるかは判然としないが、昭和三六年に二三ppm(湿重量当り総水銀。以下同じ)であったものが、昭和三八年に3.5ppmに減少し、昭和四〇年に11.5ppmと再び増加した後、昭和四一年に0.3ppm、昭和四五年に0.3ppmに減少している、とされている。藤木鑑定書では、魚介類中の水銀濃度について、昭和三四年に約四〇ppm、昭和三五年に約二四ppm、昭和三六年には約一二ppm、昭和三七年には約六ppm、昭和三八年には約三ppmと急激な減少をしている、とされている(右鑑定書添付の図からすると右数値は平均値をとったものでなく、最高値のもののようである。)。
以上の調査結果について、藤木鑑定書では、「昭和三五年、三六年については、魚介中の水銀濃度の減少は急激であり、魚介類の生物学的半減期に基づく減少の期間を考えると、海水中のメチル水銀濃度は相当急激に減少したことが予想される。したがって、この期間中はメチル水銀の流出はなっかたものと推察される。次に、昭和三七年、三八年においては、魚介中の水銀濃度の減少はやや緩くなっている。昭和四〇年からは一時的に魚介類中の水銀濃度が増加し、昭和四一年にピークを示し、昭和四二年には元に復し、以後横這い状態を示している。したがって、昭和三九年後半に何らかの原因によりメチル水銀が水俣湾に流出したことが推察される。これは一時的に高濃度のメチル水銀が少量流出したものであろう。この影響を受けた魚介類は水俣湾の一部に限られたので、量的には昭和三四年以前の流出とは比較にならないほど少量であったと考えられる。」と分析している。入鹿山「水俣病の経過と当面の問題点」[<書証番号略>]では、同じ調査結果に基づき、貝の水銀濃度について、「かなり多量の水銀が貝中に含まれたことは、廃水処理の不備を物語るものである。昭和四一年五月アセトアルデヒド廃水の循環方式が採用されてからも貝中の水銀が前より減少しなかったのは、八幡プールにたまった水銀含有水が、サイクレーターを通じ水俣湾へ流されたと考える。しかし、アセトアルデヒドの生産を停止した昭和四三年五月以降は貝中の水銀量は著明に減少した。」と、また、魚中の水銀濃度につき、「水俣湾及び付近の魚中の水銀量は昭和四〇年までは昭和三六年に比して著明な減少を示さず、ときに著しい高濃度を示すものがあった。しかし、昭和四一年ころより著明な減少がみられる。とくに昭和四三年五月のアセトアルデヒド生産中止以後の減少が著明である。」と、それぞれ述べられている。しかし、入鹿山の右論文の記述をみると、アセトアルデヒド廃水処理系統の変遷については、その当時チッソ水俣工場から提出された資料に基づいて把握しているようであるが、前記認定と異なる部分があり、昭和三五年八月に精ドレン装置内循環方式が採用されていることも把握されていないように窺われる。別紙三の表で、昭和四〇年五月に八幡沖のチヌに四七ppm(湿重量当り総水銀)という高濃度の水銀が証明されているが、これにつき、入鹿山ら「水俣湾魚介中の有機水銀とその有毒化機転に関する研究第九報―水俣湾およびその付近の汚染状況の推移」(「日本衛生学雑誌」二二巻三号、昭和四二年八月)[<書証番号略>]では、一時的に八幡方面に多量の有機水銀の排出があったことが考えられる、と述べられている。
昭和四六年、四七年の不知火海各地区の魚介類中水銀濃度の調査によると、別紙四の表のとおり水俣湾内、水俣湾外、水俣川河口、水俣沖タチウオ漁場、御所浦、倉岳、牛深の各海域では対照海域の魚介類と比較して高い水銀濃度を示し、特に水俣湾内、水俣湾外(恋路島の南西と柳崎を結ぶ線の外)で採取された魚介類にはメチル水銀が厚生省の定める暫定規制値の0.3ppm以上のものがみられる。[<書証番号略>]
なお、現在でも水俣湾の魚介類には魚種によってはメチル水銀が暫定規制値以上のものがあるとの調査結果があることは公知の事実である。
(二) 水俣湾の地形や海流の傾向などからしてメチル水銀がかなり長く滞留するという要素があることを考慮しつつ、以上のような魚介類中の水銀濃度の調査結果をみると、昭和三五年ころまでが濃厚汚染期であり、それ以降は魚介類の水銀濃度が大幅に低下していることから、昭和三四年一〇月以降の酢酸プールの設置、精ドレン装置内循環方式の採用等による排水処理の改善が相当の効果をあげたことは明らかであるが、一時的に魚介類の水銀濃度が高くなっていることから、なお事故あるいは装置の欠陥等によるメチル水銀の流出があったことが認められ、昭和四三年五月のアセトアルデヒド生産停止によってメチル水銀の流出が全くなくなったものとみられる。
第四不知火海沿岸住民の毛髪水銀値
【証拠】 <書証番号略>、証人藤木素士の証言
一昭和三四年一二月から昭和三五年一月に喜田村らが実施した水俣病患者の毛髪水銀値調査によると、発病後の経過日数が浅い者では、二八〇ppmから最高七〇五ppmまで大量の水銀値を示していた。[<書証番号略>]
二熊本県衛生研究所の松島らは、昭和三五年一一月から昭和三六年三月までの間に、水俣市、津奈木町、湯浦町、芦北町、田浦町、御所浦村、竜ヶ岳町及び姫戸村の漁民の毛髪を採取し、その水銀値を測定した。その結果は、別紙五の表のとおりである。昭和三六年一〇月から昭和三七年三月までに採取した毛髪水銀調査の結果は、別紙六の表のとおりであり、水俣、津奈木、湯浦の各地区漁民の毛髪水銀値は、五〇ppm以上のものがかなり減少しており、全体的に減少が認められる。[<書証番号略>] 昭和三七年度に行われた第三回毛髪水銀値調査の結果は別紙七の表のとおりであり、全年度に比して減少が認められる。[<書証番号略>]
三厚生省及び熊本県では、昭和四三年度に、熊本大学の入鹿山に委託して水俣の水銀に関する調査を行い、その一環として水俣市住民二〇一名(患者五七名、漁業従事者六五名及び一般住民七九名)の毛髪を採取して、水銀値を調査した。水俣病患者については、同年三月から五月に毛髪が採取されたが、自宅療養患者四八名の毛髪総水銀量の平均値は10.6ppm、最高値83.7ppm、最少値1.5ppm、入院患者九名の平均値は6.40ppm、であった。漁業従事者は同年一〇月、一一月に毛髪が採取されたが、平均値9.2ppm、最高値73.8ppm、最少値2.6ppmであった。一般住民は同年七月に毛髪が採取されたが、平均値8.1ppm、最高値16.1ppm、最少値2.6ppmであった。この結果について、熊本県企画部公害課「昭和四三年度水俣の水銀に関する調査研究報告書」[<書証番号略>]では、「水俣病患者の大部は漁民とその家族である。入院患者は病院の給食を受けるが、自宅患者は水俣湾魚介を摂取していると考えられる。したがって、毛髪中の水銀も水俣湾魚介の摂取と関係があると考えられ、その当時の魚介とくに貝中に水銀がなお異常に含まれたことから、それらを摂取したため比較的高濃度の毛髪中水銀を示したものではなかろうか。」「水俣工場のアセトアルデヒド製造停止以後、水俣湾の魚介中の水銀が減少しているが、このことが水俣漁民の毛髪中の水銀を低下せしめつつあると解したい。しかし一般市民に比して水銀量が多いのは魚を多食すること、それ以前に蓄積した水銀がなお毛髪中に残るためではないか。」と分析している。その後昭和四四年には、漁業従事者の平均値5.5ppm、最高値18.3ppm、最少値1.2ppmとなり、昭和四五年には、漁業従事者の平均値3.7ppm、最高値9.5ppm、最少値1.2ppmとなり、毛髪水銀値は徐々に低下した。(藤木・入鹿山「水俣病の原因と不知火海の有機水銀汚染」(有馬編・水俣病―二〇年の研究と今日の課題)[<書証番号略>]
四鹿児島県衛生研究所は、昭和三五年度から三七年度にかけて不知火海沿岸住民の一部について毛髪水銀値の調査を行っている。別紙八の表は、鹿児島県の昭和三五年度(昭和三五年四月から昭和三六年三月)の地区別成績である。出水市の米ノ津地区では、昭和三五年度は四四五人について測定され最高値が六二四ppmで、五〇ppm以上が一四三名(32.1パーセント)となっている。昭和三六年度は全地区合計で四二七人について測定され、最高値は一二四ppm、五〇ppm以上が一九名(4.6パーセント)となっている。昭和三七年度は全地区合計で二三四名について測定され、最高値は二五〇ppm以上の者が一名いるが、五〇ppm以上は四名(1.8パーセント)となっている。漁業専業者と非漁業専業者別では、出水市の漁業専業者の毛髪水銀値の平均値は昭和三五年度が62.4ppm、昭和三六年度が29.6ppm、非漁業専業者の平均値は昭和三五年度が34.2ppm、三六年度が10.5ppmとなっている。また、個人別の毛髪水銀値の推移では、概ね相当の減少がみられる。[<書証番号略>]
五出水市、阿久根市、黒之浜、東町、長島町漁業協同組合員の毛髪水銀値は、昭和五二年度には平均値7.2ppm、最高値二二ppm、昭和五三年度には平均値6.9ppm、最高値14.8ppm、昭和五四年度には平均値6.8ppm、最高値17.4ppm、昭和五五年度には平均値6.7ppm、最高値18.3ppm、昭和五六年度には平均値5.8ppm、最高値14.0ppm、昭和五七年度には平均値4.9ppm、最高値12.0ppm、昭和五八年度には平均値5.1ppm、最高値16.0ppm、昭和五九年度には平均値4.9ppm、最高値14.0ppm、昭和六〇年度には平均値4.5ppm、最高値10.0ppm、昭和六一年度には平均値5.2ppm、最高値13.7ppmとなっている。(鹿児島県・環境白書(昭和五四年版、昭和五七年版、昭和六〇年版、昭和六二年版)」[<書証番号略>]
六こうした調査結果からみると、不知火海沿岸住民の毛髪水銀値は昭和三六年ころから著明に減少したが、昭和四三年ころまではなお相当の高い値を示すものもあり、被告チッソ水俣工場がアセトアルデヒドの製造を停止した昭和四三年以降は他の地区と比べてもそれほど差のない値になっているということができよう。
第五水俣病患者の発生と因果関係のある工場排水の排出
水俣病患者の発生と因果関係のあるチッソ水俣工場からのメチル水銀の流出はいつごろまでのものであるか、これを水俣病の被害拡大という観点からいえば、チッソ水俣工場からのメチル水銀の流出がいつごろなくなっていたならば、水俣病被害の拡大をどの程度防止することができたのかという問題となるが、これに関し、被告らは、患者発生と因果関係の認められる工場排水の排出は昭和三四年以前のことであり、それ以後は排出量からして、患者発生との関連では特に問題にならないと主張している。
前記認定のとおり昭和三五年ころまでが濃厚汚染期といえようが、後期認定のとおりそのころ以降に発症した水俣病患者も多いという事実もあるので、これらの患者の発症と因果関係のある有機水銀に汚染された魚介類の摂食及びその魚介類を汚染させたメチル水銀の流出がいつごろのものかということが問題となり、これはいわゆる慢性水俣病の発生機序として後に検討する点とも関連する困難な問題である。これまでみてきたところによれば、昭和三五年ころ以降も昭和四三年にアセトアルデヒドの生産が停止されるまではなおメチル水銀の流出はあったものとみられるが、量的にはそれまでの濃厚汚染期と比較するとかなりの違いがあるものとも認められる。また、遅発生水俣病については後に検討するとおり多くの問題があるが、後に認定するとおり、濃厚な有機水銀曝露を受けた後かなりの期間が経過してから発症することがあり得ることが認められている。そうすると、昭和三五年ころ以降に発症した患者についても、昭和三五年ころ以降に摂食した汚染魚介類の影響だけでなく、それ以前に摂食した汚染魚介類の影響も大きいのではないかと思われるものがあり、更にそのころ以降に摂食した汚染魚介類にもそれ以前のメチル水銀の大量流出の影響が及んでいることが考えられるから、発症と因果関係のあるメチル水銀の流出ということになると、昭和三五年ころ以降のメチル水銀の流出と患者発生との因果関係を全く否定することはできないけれども、基本的には右のとおりそれ以前のメチル水銀の流出による影響が大きいのではないかと推測される。
第四章被告国・県の責任
第一本件における基本的問題点
一原告らは、被告国・県の担当公務員は、被告チッソの原告らに対する加害行為を防止すべく、食品衛生法、漁業法、熊本県漁業調整規則などの法令に基づく規制権限を適切に行使すべき義務を怠り、その結果、原告らが水俣病に罹患したなどと主張して、被告国・県に対して国賠法一条一項に基づき損害賠償を請求する。
二国賠法一条一項は、国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員が個別の国民に対して負担する職務上の法的義務に違背して当該国民に損害を加えたときに、国又は公共団体がこれを賠償する責に任ずることを規定するものであり(最一小判昭和六〇年一一月二一日民集三九巻七号一五一二頁参照)、国賠法一条一項にいう違法とは、公務員が個別の国民に対して負担する職務上の法的義務に違背することである。そして、公務員の規制権限の不行使という不作為が特定の国民に対する関係で違法な加害行為とされるためには、その国民に対する関係で右権限を行使すべき作為義務が存したことが必要であり、公務員の規制権限の不行使が違法となるのは、公務員が個別の国民に対して負担する職務上の法的義務と評価できる作為義務に違反した場合ということになる。したがって、本件においては、被告国・県の公務員がいかなる場合に誰(規制の名宛人)に対して規制権限を行使することが、原告らに対する関係において職務上の法的義務(作為義務)となるのかを検討することが必要となる。
三公務員の規制権限の不行使の違法性を検討するに当たっては、まず、当該公務員がいかなる規制権限を有していたか、いかなる規制権限の行使が可能であったかを検討することが必要である。当該公務員に規制権限がなく、権限行使の可能性がないときに、権限を行使すべき作為義務が発生することはあり得ず、また、抽象的には何らかの規制権限を有していたとしても、当該事情の下でこれを行使し得るだけの要件が充足されておらず、右権限行使が不可能な場合にも、当該公務員に右権限を行使すべき作為義務が生ずることはあり得ないのであって、この場合には後に検討する行政指導をなすべき作為義務が発生することがあるかという問題が生じることになるのである。したがって、本件においても、原告らが、被告国・県の公務員において採るべきであったと主張する規制措置について、原告らの指摘する法令等がはたして公務員の権限行使の根拠規定たり得るのか、さらにはそれを行使し得るための法律要件が当時の具体的事実関係の下で充足されていたのかということが、まず第一に検討されなければならない。そして、右の点が肯定され、被告国・県の公務員においてその規制権限の行使が法的に可能であったと判断された後にはじめて、その権限を行使すべき作為義務が生じていたかを検討すべきことになる。すなわち、被告国・県の公務員が、いかなる要件の下にいかなる権限を有していたか、という権限の存否、行使の要件の問題と、これらの権限を行使するか否かの裁量の問題とは明らかに別のことであって、明確に区別して検討されなければならないのである。
四行政機関がいかなる要件の下にいかなる規制権限を有しているかということは、本来各根拠法規に明確に規定され、あるいは当該法規の解釈によって客観的に導き出されるべきものである。行政活動は、それが行われるためには、必ず法律の根拠、すなわち法律の授権を必要とするのであって、行政機関が法律の授権なくして規制権限を取得することはあり得ず、行政機関は当該法規に定められた行使の要件を充足する場合にのみ規制権限を行使することができるのであるから、いかなる場合に行使の要件を充足するかは当該法規の解釈の問題にほかならず、そして、その解釈は当該法規が行政機関に規制権限を付与した趣旨、目的等を踏まえてなされなければならない。
なお、法律による行政の原理に基づく以上の原則に対して、例外的に、法律の授権なくして行政庁に規制権限が生ずることがあり得るかという問題に関しては、原告らの緊急非難的行政行為論の主張との関係で後記「第四緊急避難的行政行為」で検討する。
原告らは、水俣病被害の拡大という破滅的な緊急事態のもとにあって、行政は、水俣湾及びその周辺地域を中心に不知火海一円の地域住民の生命・健康を水俣病から守るという至上の目的を実現するためにあらゆる手段をとるべきであったのであり、具体的に行政がとらなければならなかった措置は、第一に、魚介類を漁獲させない、販売させない、摂食させないこと、第二に、被告チッソの有害物質を含んだ工場排水を排出させないことであり、第一の「魚介類の漁獲販売等の禁止措置」をとる上で、食品衛生法四条二号、同法一七条、同法二二条、同法三〇条、同法三一条三号、熊本県漁業調整規則三〇条一項、漁業法三九条一項、五項、同法一三八条三号、同法一四三条、及びこれらの実効性を高めるための行政指導などの作為義務が集積して生じ、第二の「チッソ水俣工場の排水規制」をとる上では、熊本県漁業調整規則三二条一項、同条二項、同規則五八条三号、水質二法施行後にあっては、水質保全法五条一項、同条二項、工場排水規制法二条二項、同法七条、同法一二条、同法一五条及びこれらの実効性を高めるための通産大臣等による強力な行政指導などの作為義務が集積して生じていたものである、と主張している。そして、「個々の法条に分解して作為義務を論ずるとすれば、それは木を見て森を見ない類の観念論であるといわざるを得ない。いやしくも、地域住民の生命・健康を保護することが行政の一義的至上目的であり、かつ、保護すべき生命・健康が破滅的な緊急事態にあった以上、前叙の各作為義務は集積して発生していたものである。」と主張している。
しかしながら、水俣病の被害拡大を防止するためにいかなる措置が有効かを検討することは当時の担当公務員に当然に要請された事柄ではあるが、被害拡大の防止に有効であればいかなる措置でもとれるわけではなく、行政活動には法律の根拠が必要とされる以上、被告国・県の国賠法に基づく責任を論じる上で被告国・県の担当公務員の作為義務の有無を検討するに当たっては、被告国・県のいかなる公務員がいかなる規制権限を行使することができたかを各根拠法規に基づいて分析検討することがまず必要であり、そうした検討を抜きにして、被告国・県の国家賠償責任を論じることはできない。
第二原告らの主張する規制権限
一食品衛生法(昭和四七年法律第一〇八号による改正前のもの。以下本項において単に「法」ともいう。)
1 規制権限の存否、行使の要件
(一) 法は、飲食に起因する衛生上の危害の発生を防止し、公衆衛生の向上及び増進に寄与することをその目的として掲げ(一条)、第二章「食品及び添加物」において、食品及び添加物の安全性に関する事項について、腐敗、有害食品等の販売、販売目的の採取等の禁止(四条)、病肉等の販売の禁止(五条)、食品の添加物として用いることを目的とする化学的合成品等の販売等の禁止(六条)、厚生大臣が公衆衛生の見地から販売の用に供する食品等の製造等について定めた基準に合わない方法による食品等の製造等の禁止(七条二項)の規定など、講学上警察下命といわれる性質の規定を設け、第五章「検査」においては、厚生大臣、都道府県知事等に、必要があると認めるときは、食品等の製造等の営業を行う者その他の関係者から必要な報告を求め、当該官吏吏員に営業の場所、事務所、倉庫その他の場所に臨検し、販売の用に供し、若しくは営業上使用する食品等を検査させ、又は試験の用に供するのに必要な限度において、販売の用に供し、若しくは営業上使用する食品等を無償で収去させることができる権限を付与し(一七条一項)、第六章「営業」においては、一定の営業を営むには都道府県知事の許可を要することとし(二一条)、厚生大臣又は都道府県知事に、営業者が四条ないし六条等の規定に違反した場合においては、営業者若しくは当該吏員にその食品等を廃棄させ、その他営業者に対し食品衛生上の危害を除去するために必要な処置をとることを命じ、又は営業の許可を取り消し、若しくは営業の全部若しくは一部を禁止し、若しくは期間を定めて停止することができる権限を付与し(二二条)、その他にも営業者が同法の規定に違反した場合に都道府県知事に営業許可の取消し、営業の禁止停止をすることができる権限を付与し(二三条、二四条)、第九章「罰則」においては、同法の諸規定に違反した者に対する刑罰を定めている(三〇条ないし三三条)。法は、農業及び水産業における食品の採取業は法にいう営業には含まないと規定しており(二条七項ただし書)、したがって、本件で問題となる漁業者に対しては、販売の用に供する食品に関する一般的規制は及ぶが、営業者に対する規制は及ばないことになる。なお、法は販売(不特定又は多数の者に対する販売以外の授与を含む。)の用に供する食品のみを規制の対象としており、自ら摂食するための食品を規制の対象としていない。
食品は、人の飲食の用に供されるものであるから、本来的に安全であるべき商品であって、自主的な管理によって取り扱う食品の安全をはかることは食品業者(農業及び水産業における食品の採取業を営む者を含む意味のものとして用いる。)に課せられる当然の義務であり、また、食品の安全性の確保は、一般的には国による積極的な介入がなくても食品業者の自主的な管理によって可能であるといえよう。法が前記のとおり警察取締法規として構成されているのも、右のような見地から理解されるのであって、法は、流通する食品の安全性の確保については、第一次的に食品の安全性を確保すべき立場にある食品を直接取り扱う者、特に食品の製造、流通過程を管理支配する営業者に対する禁止事項を主とする種々の下命事項を定めることによって、その取り扱う食品の安全性の確保を図るとともに、厚生大臣、都道府県知事等の行政庁に対し、食品業者の自主的な管理を助長するため、あるいは食品業者が下命内容に従わない場合にそれによる食品衛生上の危害の発生を防止するために、種々の権限を付与し、その行使による食品業者の規制を通じて第二次的に食品の安全性を確保しようとしているものということができる。
右のような意味において、食品の安全性の確保に関する行政庁の責任は第二次的、後見的なものということができるけれども、現代社会においては、本件水俣病にみられるような環境汚染による農産物、魚介類の汚染という事態や、企業によるさまざまな加工食品の大量生産、大量販売によって、一旦事故が発生した場合には甚大な被害が発生する虞れがあることなど、これまでにはなかったような社会状況の中で、行政機関が国民の生命・健康を守るために積極的に食品衛生行政を展開し、食品の安全性の確保に関する第二次的、後見的な責任を果たすことが強く期待されているといえよう。食品衛生法は警察取締法規という性格を有するものであり、その意味において消極的性格を有しているものということもできるが、そこで「消極的」というのは、「警察」という行政作用の性質に着目した表現にすきず、食品衛生法が警察取締法規であるということは、先に述べたとおり行政機関が国民の生命、健康を守るために積極的に食品衛生行政を展開すべきであるということと何ら矛盾するものではない。ただし、このことは行政庁が食品衛生法上付与された権限を行使する際の裁量の範囲を検討するにあたって考慮すべき事柄であり、食品衛生法上、行政庁にどのような権限が付与されているか、どのような場合に権限行使のための要件を充足するかの法律解釈に当たっては、法律による行政の原理を原則的に維持すべきものとする以上、こうした食品衛生行政に対する社会的な要請というものをその解釈に当たって考慮できる余地は限定的なものとならざるを得ない。
(二) 法四条は、「左に掲げる食品又は添加物は、これを販売し(不特定又は多数の者に授与する販売以外の場合を含む。以下同じ。)、又は販売の用に供するために、採取し、製造し、加工し、使用し、調理し、貯蔵し、若しくは陳列してはならない。」と規定し、その二号に「有毒な、又は、有害な物質が含まれ、又は附着しているもの」を挙げ、有毒、有害物質の含有附着した食品(以下「有毒食品」という。)の販売、販売目的の採取等を禁止している。そして、法二二条により、営業者が四条の規定に違反した場合においては、厚生大臣又は都道府県知事は、営業者若しくは当該官吏吏員にその食品、添加物、器具若しくは容器包装を廃棄させ、その他営業者に対し食品衛生上の危害を除去するために必要な処置をとることを命じ、又は営業の許可を取り消し、若しくは営業の全部若しくは一部を禁止し、若しくは期間を定めて停止することができるとされ、法三〇条により、四条の規定に違反した者を処罰することとされている。
このように、法四条は、有毒食品の販売又は販売目的の採取等をしてはならないという不作為を命じた規定であって、法二二条、三〇条において、その違反者に対しては行政処分、刑罰をもって臨むこととされているのである。したがって、法四条の禁止規定に違反することは、法二二条、三〇条などの規定が発動されるための要件であって、同条自体が行政庁に何らかの規制権限を付与しているわけではない。原告らは、「食品衛生法四条の適用」というような表現を用いているが、法四条は、刑罰や行政処分発動の要件規定であり、法四条、二二条の適用により行政処分が、法四条、三〇条の適用により刑罰がそれぞれ科されることになるのであって、四条のみが適用されて、漁獲を禁止する権限といったような規制権限が発生し、行使されるということはあり得ないのである。法四条がこのように行政庁に有毒食品の販売等を禁止する権限を付与するのではなく、その販売等を一般的に禁止しているのは、有毒食品については行政庁が判断するまでもなく食品衛生上の危害の発生を防止するためにその流通を規制すべき必要性が明らかであり、また、通常の場合には食品を取り扱う者において科せられた注意義務を果たすことによって有毒食品か否かの判断が十分に可能であり、そのような意味において行政庁に食品販売等を禁止する規制権限を付与する必要性がないからであると解されるのである。ちなみに、これに対して、昭和四七年法律第一〇八号により追加された現行の食品衛生法四条の二は、一般に飲食に供されることがなかった物であって、人の健康をそこなうおそれがない旨の確証がないもの又はこれを含む物が新たに食品として販売され、又は販売されることとなった場合については、前記のような判断が妥当しないことから、厚生大臣が、食品衛生上の危害の発生を防止するため必要があると認めるときは、食品衛生調査会の意見をきいて、その物を食品として販売することを禁止することができるものと規定して、厚生大臣に販売を禁止する権限を付与しているのである。
(三) ところで、第三章、第一、三、4(食品衛生法適用についての厚生省への照会とその回答)で認定した事実に関して、「食品衛生法四条二号の適用」ということが争われているので、その法的意味について検討することとする。
(1) 右の厚生省への照会及びその回答の意味するものについて検討するに、まず、被告県において、法四条二号を適用するとはいったいいかなることを想定しているのかが問題である。
この点について、当時熊本県衛生部公衆衛生課長であった証人守住憲明の証言によれば、熊本県衛生部としては、「魚介類を採った場合は罰せられる」という内容の県知事の告示をすることによる「脅かし」あるいは「宣伝効果」を狙っていたこと、法四条違反として現実に行政処分を科したり、処罰するというようなことを考えていたのではなく、行政処分や処罰については、当該魚介類が有毒であることを証明できないから現実にはできるはずがないと思っていたことが認められ、結局、熊本県が厚生省に照会をした段階で考えられていた法四条二号の適用とは、県知事による「告示」をすることであって、「告示」の内容としては、浜名湖中毒事件で静岡県知事がした公告のように、「水俣湾内(の想定危険海域)に生息する魚介類は、当分の間、食品衛生法四条二号の規定する「有毒な、若しくは有害な物質が含まれ、若しくは附着しているもの」に該当するものと思料されるので、これを販売し(不特定又は多数の者に授与する販売以外の場合を含む。)、又は販売の用に供するために採取し、加工し、使用し、調理し、貯蔵し、若しくは陳列したときは、同法二二条の規定により行政処分に、同法三〇条の規定により刑罰に処せられることがある。」というようなものが想定されていたものと推測されるのである。
(2) こうした告示あるいは公告というものがどのような法的意味をもつものかについて検討する。
一般に、告示には、各大臣、各委員会及び各庁長官が、その機関の所掌事務について公示をするための形式としての告示(国家行政組織法一四条一項)のほか、他の法令の内容を補充するために告示という法形式が用いられることもあり―例えば、健康保険法四三条ノ九第二項に基づく医療費等決定方法の告示、国民生活安定緊急措置法四条四項に基づく標準価格の告示等―このような場合にはその限りで立法行為としての性質を持つものとされるが、本件で問題となった前記のような告示は、このような法的な根拠に基づくものではない。法四条各号に該当する食品の販売等については、明文をもって明確に禁止されているのであって、法四条に違反した者に行政処分や刑罰を科する上で事前に告示をすることが必要とされているわけではないし、告示における当該食品が法四条二号の規定する有毒食品に該当するとの判断が裁判所を拘束するものでもない。
そこで、このような告示がどのような意味をもつものかということについて検討すると、一般に、それを取り扱う者にとって有毒食品か否かの判断が困難な食品があった場合において、行政庁がそれが販売等の禁止され、違反に対して行政処分が科されることのある有毒食品である旨の判断を公に表示することは、行政庁の規制権限の行使という性質をもつものではあり得ないが、公衆衛生上の危害の発生の防止を目的とする法の趣旨に適合するものではあり、一種の行政指導の性質をもつものと考えられる。すなわち、具体的な食品が有毒食品に該当する食品か否かについて、その要件該当性の判断が食品を扱う者にとって困難な場合には、行政庁においてその食品が有毒食品に該当するとの見解を示し、法四条二号違反の行為に対して行政処分、刑罰が科せられることがある旨の警告を発することは、一般人をして当該食品が有毒食品であるとの認識を容易にし、その結果として行政処分や刑罰の発動を事実上容易ならしめ、食品衛生上の危害の発生を防止する効果をもつものといえよう(刑罰に関しては、法四条違反の犯罪が成立するためには行為者に故意があることが必要か否か、すなわち、食品衛生法に刑法三八条一項ただし書にいう「特別の規定」があるといえるかについては議論が別れるところと思われるが、おそらくは故意がある場合に限ると解するのが妥当と思われ、また、刑法論上、故意の成立のためには一般人ならば違法性の意識を持ち得るだけの事実認識が必要であるという見解や故意あるいは責任の成立のためには違法性の意識の可能性があることが必要であるとの見解―いわゆる制限故意説、責任説―を採用すべきかについても議論があるが、いずれにしても、こうした告示があれば一般人において当該食品が有毒食品に該当するとの認識が容易となるといえよう。)。のみならず、有毒食品か否かの判断が食品を取り扱う者にとって困難な場合には、その食品の摂取による危害の発生を防止するためには、その食品の有毒性を一般的に認識させることが何よりも要請されるのであって、こうした告示も、規制権限の発動を容易ならしめるという効果よりも、一般人に対し当該食品の有毒性を認識させ、当該食品の摂取による危害の発生を防止するという効果を発揮することをより強く期待されているものと考えられる。そして、本件において熊本県衛生部の考えていた県知事による告示というのも明らかにこうした効果を発揮することを期待されていたのである。もともと法が自家摂食のための採取を禁止するものでない以上、水俣湾内の魚介類が法四条二号の有毒食品に該当すると公示したとしても、自家摂食のために魚介類を採取しようとする人々に対しては同法違反により処罰されることがあるということの「威嚇効果」は及ばないのであって、そのような行為に対する抑止的効果があるとすれば、それは魚介類摂食の生命、身体に対する危険性を認識させたことの効果であろう。本件において想定されていた告示は、漁民をはじめ一般的に魚介類の有毒性を認識させて、自家摂食のためにもこれを採取することのないようにする効果を発揮することをまさに期待されていたのである。
(3) しかし、本件において想定されていた県知事による告示というものが右のとおり行政指導たる性質のものであるとしても、法四条違反として行政処分、刑罰を科すことができるというためには、いうまでもなく、水俣湾産の当該魚介類が同条二号の有毒食品に該当していると認定できることが必要である。水俣湾産の魚介類を有毒食品とみなすなどという解釈が許されないことは明らかであって、当該個別具体的な魚介類について、それが有毒食品に該当すると判断できるかどうかが問題とならざるを得ない。すなわち、本件において有毒食品に該当するか否かを判断しなければならない具体的状況として、漁民が水俣湾産の魚介類を採取しているとか、あるいは、店頭で水俣湾産の魚介類が販売されているといった場合を想定すると、当該漁民あるいは営業者に対して何らかの規制権限を行使しようとすれば、あくまでその要件として、当該漁民あるいは営業者が現実に採取し、販売している、その個別具体的な魚介類が有害有毒化しているか否かが問題とならざるを得ないのである。
原告らは、法四条二号にいう「食品」は、食品の個々を指しているのではなく、一個でも有毒有害な食品が判明したときの、その個々の食品と社会通念上関連する食品の総体をいうとし、また、同号の「有毒、有害な物質を含む食品」は、個々の食品が必ず有毒、有害化していることを要件とするものではなく、有毒有害な個々の食品が、総体として有毒、有害化していることが推定できる状態を指しているものと解さなければならない、と主張している。
しかしながら、たとえば、法四条二号に違反し、有毒物質が含まれた食品を販売したといえるためには、その販売した当該食品が有毒な食品でなければならないことは自明のことである。原告らの主張がいわんとすることは、ある食品に有害な物質が含まれていることが判明したときには、たとえば、それと生息場所が同一である魚介類とか、製造工程が同一である製造物といったものについても有毒な物質が含まれていると判断することができるから、そうした食品も法四条二号の有毒食品に該当するものと判断することができ、したがって、行政庁が一般人に対する警告を目的として要件該当性の判断を告示する場合には、そうした食品についても有毒食品として法によって販売及び販売目的の採取等が禁止されることを告示すべきである、ということであるように思われ、諸般の事実関係に照らしてそのように判断することのできる場合があることは確かである。しかし、そうした場合には、どの範囲の食品までが諸般の事実関係、科学的知見の集積に照らして有毒食品と判断できるかが問題となり、法四条二号違反の行為の有無を判断するという場面では、その行為者が取り扱った当該食品が有毒な食品であるか否かが問題となるのであって、行政庁がある範囲の食品について有毒食品に該当するか否かの判断を示す場合にも、その範囲に含まれる個々の食品が有毒食品に該当するか否かを問題にせざるを得ないはずなのである。なお、原告らは、行政庁がある範囲の食品について有害食品であると告示すれば、行政処分や処罰に当たっては、当該食品がその告示された範囲に含まれるかどうかだけが問題になり、当該食品が有害食品であるかどうかは問題にならないという趣旨の主張もしているが、先に説示したとおり、ここで問題となっている告示は食品衛生法上の法的根拠に基づくものではなく、当該食品が有害食品であるかどうかの裁判所の判断を何ら拘束するものでもないのであるから、原告らの前記のような主張は採用する余地のないものである。そして、本件についていえば、当該魚介類が有毒であるというためには、当該魚介類そのものから科学的な検査により原因物質が分析されればそれにこしたことはないが、かかる分析が無理な場合でも、水俣湾内特定地域の魚介類が、その当時判明していた科学的知見によりすべて有毒化しているといえれば、その地域で漁獲された当該魚介類は有毒であると判断することができるから、問題はそれだけの科学的知見が集積していたか否かということになってくるのである。なお、有毒であるというためには、原因物質が判明していることは必ずしも必要ではなく、原因物質が判明していない場合でも、その時点で判明していた科学的な知見や種々の事実関係に照らして、当該食品が有毒食品と判断できればよいのであって、熊大研究班第二回研究報告会で漁獲禁止の必要性を唱えられたのに対して、県衛生部が「法四条二号を適用しようとしたが、原因物質が確定しなければ法的根拠として不十分」としたのは、これを文字通りに受け取れば、「法の適用」という点についても、有毒食品の認定という点についても、問題の所在が十分に把握されていないことになるといえよう。
(4) ところで、法四条二号は、昭和四七年法律第一〇八号による改正により、「有害な、若しくは有害な物質が含まれ、若しくは附着し、又はこれらの疑いがあるもの。但し、人の健康を害う虞がない場合として厚生大臣が定める場合においては、この限りではない。」と改められ、「有毒な、若しくは有害な物質が含まれ、若しくは附着しているもの」だけでなく、「これらの疑いのあるもの」も規制の対象とされるに至った。この改正は、流通機構の拡大や化学物質による食品事故の発生がみられるようになった状況を背景に、食品が有害であると判断される場合に限らず、食品の安全性について疑いが生じた場合にも、的確で迅速な行政措置を講じることの必要性が強く認識されたことから、有毒食品の疑いのあるものについても新たに規制対象に加えたものと解される。原告らは、法の右改正前においても、同法の解釈として、有毒食品の疑いがあるものも規制対象とされており、右の改正はこのことを明文化したものにすぎないという趣旨の主張をしているが、疑いがあるといった程度で刑罰等を科するには、その旨の明文の規定が存することが必要であり、「有毒な、又は有害な物質が含まれ、又は附着しているもの」との要件をその疑いがあるものをも含むと解釈することはできない。確かに、食品は、国民の生命と健康の保持のために必要不可欠のものであり、その安全性を保持し、国民の健康を守ることが食品行政の責務であって、食品の安全性について疑いが生じた場合には、的確な行政措置が迅速、かつ、果敢に講じられることが必要というべきであり、そのことは食品衛生法の右改正の理由であるとともに、改正前においても妥当することであるから、食品の安全性に疑いが生じた場合には、食品衛生法改正前であっても、行政庁は、拱手傍観することなく行政指導の実施等によって食品衛生上の危害の発生の防止に努めるが相当であったものといえる。しかし、そのことと、法がいかなる食品を扱う者に対し、行政処分を行い、刑罰をもって臨むとしているかの解釈は別であって、行政処分や刑罰発動の要件規定である同法四条二号の解釈において、「有毒な、又は有害な物質が含まれ、又は附着しているもの」との要件をその疑いがあるものを含むと解することは、解釈論の域を超えているものというべきである。ただし、「有毒な、又は有害な物質が含まれ、又は附着しているもの」と認定するためにどの程度の確実性が必要とされるかについては、食品衛生上の危害の発生防止という法の目的に照らして判断されなければならず、また、行政処分や刑罰を科するという場面ではなく、行政庁がある食品についての同号の要件該当性の判断を示すという場面においては、それが実際には当該食品の危険性を一般人に周知させ、食品衛生上の危害の発生を防止するという機能を果たすものであることからすれば、有害食品であるか否かの判断に当たっても、有害食品であることの確実性の程度は行政処分や刑罰を科する場合と必ずしも同じである必要はないとして、諸般の事情に照らし食品衛生上の危害発生防止のための政策的配慮を加味することは必ずしも否定されるべきではないであろう。さらに、行政庁において、要件該当性の判断を示すのではなく、食品衛生上の危害発生防止のために当該食品の危険性を周知させるための行政指導という実質に即した表示をしようとする場合であれば、まさに有害食品に限らずそのおそれのあるものまで広く含めることが適切であったといえよう。
(四) 次に、法一七条一項による法的規制の意義について検討すると、同条項は、「厚生大臣、都道府県知事……は、必要があると認めるときは、営業を行う者その他の関係者から必要な報告を求め、当該官吏吏員に営業の場所、事務所、倉庫その他の場所に臨検し、販売の用に供し、若しくは営業上使用する食品……その他の物件を検査させ、又は試験の用に供するのに必要な限度において、販売の用に供し、若しくは営業上使用する食品……を無償で収去させることができる。」と規定している。したがって、厚生大臣及び都道府県知事は、右規定により、①営業を行う者その他の関係者から必要な報告を求める権限、②当該官吏吏員に営業の場所等に臨検し、販売の用に供し、若しくは営業上使用する食品等を検査させる権限、③当該官吏吏員に営業の場所等に臨検し、試験の用に供するのに必要な限度において、販売の用に供し、若しくは営業上使用する食品等を無償で収去させる権限、を付与されているものである。
これらの権限は、営業者等において法で定められた基準、命令が遵守されているかどうかを監視し、法四条各号違反等の事実を調査確定するために付与されたものと解されるから、その行使はこのような権限が付与された趣旨、目的を実現するために必要な範囲でなされるべきであって、法一七条一項が「必要があると認めるとき」と規定しているのも、このような意味にほかならない。
(五) 原告らは、被告国・県の担当公務員は、水俣湾及びその周辺海域の魚介類が食品衛生法四条二号に該当するので、同条に違反する者がいた場合には、同法三〇条、三一条三号の刑罰権の発動を促す告発などの措置をとるべきであったとも主張している。この点については、当該者の取り扱った魚介類が有毒食品であると判断できる状況にあったか否かも問題であるが、そもそも、刑事訴訟法二三九条二項が「官吏又は公吏は、その職務を行うことにより犯罪があると思料するときは、告発をしなければならない。」と規定しているのは、当該犯罪を犯した者に対する刑罰法令の適正かつ迅速な適用実現を目的とするものであって、その犯罪の被害者等の保護を目的とするものではないから、公務員が告発をすることが個別の国民に対する関係で作為義務となるということはあり得ず、したがって、公務員がその職務を行うことにより犯罪があると思料しながら告発をしないということが、国家賠償法上違法となる余地はないものというべきである。
2 本件における規制権限行使の要件の充足、作為義務の発生
(一) 法二二条の適用による行政処分や法三〇条の適用による刑罰を科するための前提要件として、水俣湾内あるいは不知火海の特定地域の魚介類を有毒食品であると判断することができたか否かについて、原告らは、昭和三二年九月の段階では水俣湾及びその周辺海域の魚介類のすべて、昭和三四年一一月の段階では不知火海全域の魚介類のすべてについて、法四条二号の「適用該当性」があったと主張しているので、前記第三章、第一で認定した事実に基づき検討することとする。
前記認定の事実からすると、昭和三二年のはじめころには、喜田村らの疫学調査などによって、水俣病が水俣湾で漁獲された魚介類を媒介とする食中毒であるとの説が次第に有力となり、同年二月二六日の熊大研究班の第二回研究報告会では、少なくとも水俣湾内の漁獲を禁止する必要があるとされ、さらに同年四月には、伊藤所長の猫実験の成功によって、水俣病が水俣湾内に生息する魚介類を摂食することにより発症するものであることが確認されたものである。そして、喜田村らの疫学調査では、発病と特定の魚介類との関連がみられないことから、魚介類の摂食が発病の原因であったとしても特定の魚介類に存する特殊生体毒によるものではないとされており、さらに被告チッソ水俣工場からの廃水が魚介類の有毒化原因として疑われていたことから、もしそうであるとすれば、工場廃水中の有毒物質によって特定の魚介類のみが有毒化されるということは考えにくいことであるから、その面からみても水俣湾内の魚介類が全体として有毒化されている疑いがあったものといえよう。そこで、すでに多数の被害者が発生している水俣病被害のそれ以上の拡大を防止しようとすれば、有毒な魚介類と有毒でない魚介類を区別することができない以上、水俣湾内で漁獲された魚介類の摂食を止めさせる必要があることは明らかである。しかし、そのことと水俣湾内で漁獲された魚介類を法四条にいう有毒食品に該当するとして、これを販売しようとする営業者に対して法四条違反として行政処分を科することができるかということは別の問題である。前記認定の事実からすれば、水俣病の原因物質が全く判明していなかった当時においては、当然魚介類そのものから科学的な検査により原因物質を分析することは不可能であり、結局は水俣湾内特定地域で漁獲された魚介類であればそれだけで有毒食品とみることができるかが問題とならざるを得ない。しかし、前記認定事実からすれば、水俣湾内に水俣病を惹起せしめる有毒な魚介類が存在することは明らかであるが、水俣湾で漁獲された魚介類を食していても発病していない者もあり、伊藤所長の猫実験でも発症をみていない猫もいることからすれば、水俣湾内で漁獲された魚介類であればすべて有毒であるとみることができないこともまた明らかである。そして、このことは、食品衛生調査会が厚生大臣に対し、「水俣病、水俣湾及びその周辺に棲息する魚介類を多量に摂食することによっておこる主として中枢神経系の障害される中毒性疾患であり、その主因をなすものはある種の有機水銀化合物である。」と答申した昭和三四年一一月の時点でも変わりはないのである。したがって、証人守住憲明ら当時の熊本県衛生部の公務員も認識していたとおり、水俣湾内で漁獲された魚介類を販売しようとする営業者に対して法四条違反として行政処分を科するための要件は充足されていなかったと考えざるを得ない。
第三章、第一、三、4、(五)の「水俣湾内特定地域の魚介類のすべてが有毒化しているという明らかな根拠が認められないので、該特定地域にて漁獲された魚介類のすべてに対し食品衛生法四条二号を適用することはできない」との厚生省の回答は、熊本県の照会において「食品衛生法四条二号の適用」ということの意味が不明確であったのに対応して「食品衛生法四条二号の適用」という意味がわかりにくく、この照会と回答をみた限りでは何を問題にしているのか理解しにくいということがあるが、水俣湾内で漁獲された魚介類を販売しようする営業者に対して法四条二号違反として行政処分を科すことが可能か、あるいは、水俣湾で魚介類を採取する者等を告発した場合に有罪判決を得られる見込みがあるかという問題に対する回答としては間違ってはいないのである。そして、「水俣湾内特定地域の魚介類を摂食することは原因不明の中枢神経系疾患を発生する虞があるので、今後とも摂取されないよう指導されたい。」と摂食防止の行政指導を促したことは、水俣病被害拡大の防止という見地からみて妥当なものであったといえよう。もっとも、熊本県の担当公務員において、もともと営業者に対して行政処分を科するといったことを想定していないのであるから、右回答は熊本県にとってあまり意味のあるものではなかったであろう。当時の熊本県の担当公務員が、水俣湾内の魚介類の摂食を防止するために、食品衛生法という既存の法律を手掛かりにして法律に基づく漁獲禁止という形式をとりたいと考えたことは、漁獲禁止区域設定のための特別立法制定の実現の見通しが困難であったであろうことや漁民の貧困な生活状態などを考えれば、全く理解できないことではないし、想定されていた知事の告示というものは、実際には漁民をはじめ一般人に水俣湾内魚介類の危険性を認識させて、その摂食を防止することを狙いとするものであるから、そこに一つの政策的配慮がはたらくことも必ずしも否定されないとしても、それにはおのずと限度があるのであって、実際には行政処分や刑罰を科することは不可能であるにもかかわらず前記のような知事告示をしようとするのは、やはり無理があるといわざるを得ないのである。そして、他方、漁民をはじめ一般人に水俣湾内魚介類の危険性を認識させて、その摂食を防止しようとする本来の目的からすれば、行政指導か法律に基づく規制かという形式の問題もさることながら、魚介類の危険性を周知徹底させるということと(漁獲の自粛を求める知事の声明のようなものを出すことなどには何ら問題はない。)、生活の糧を奪われた漁民の生活救済対策をするということこそが強く要請されていたのであって、当面の魚介類の摂取防止の実効性確保という目的のためには、魚介類の危険性の周知徹底のための対策と漁民の生活救済対策という実質の問題がより重要であったと思われる。
以上のとおりであるから、厚生大臣又は熊本県知事が営業者に対して法二二条による行政処分を科し、あるいは法三〇条の刑罰権の発動を求めるための要件が充足されていたものとみることはできない。
(二) 次に、本件において、厚生大臣及び熊本県知事に法一七条一項による規制権限を行使すべき作為義務が生じていたかについて検討する。
法一七条に基づく規制権限についても、本件においては、前認定のとおり、営業者が取り扱っている魚介類が有毒食品であるか否かを判断することができるという状況にはなかったのであるから、法一七条の権限を行使し、魚介類を検査し、収去して試験をしたとしても、結局、法四条各号違反の事実を確定することはできなかったのである。そして、このような状況において、水俣湾産あるいは不知火海産の魚介類一般の有毒性を調査研究する目的で、法一七条の権限を行使することは同法の予定していないところである。したがって、厚生大臣、熊本県知事に右権限を行使すべき作為義務が生じていたとはいえない。
(三) ひるがえって考えてみれば、喜田村らの初期の疫学調査でも、初期の水俣病患者には世帯主が漁業を職業としている者が多く、非漁業世帯であっても世帯主あるいは家族の一員が何らかの形で漁獲に従事している者がほとんどで、漁獲に従事していない世帯も漁家に隣接していて容易に現地採取の魚介類を入手できるという環境にあった者であることが指摘されている。そうしてみると、鮮魚商等から魚介類を購入して摂食した者の発病が特に問題とされていたわけではないのであるし、しかし、前述のとおり、法が水産業における食品の採取業者に対しては行政処分を科することができないとしていることと対比すると、鮮魚商等の営業者に対して行政処分を科するということは筋違いの感を免れないのであって、当時の熊本県の担当公務員が現実には営業者に対する行政処分を想定していなかったことは、そうした意味からも当然ともいえよう。
(四) また、食品衛生法は、もともと漁民が魚介類を摂取し、自らこれを摂取するといったことは規制の対象外としており、つまり漁民を保護するために漁民に対して規制を及ぼすことを予定していないのであるから、漁民の自家摂食にかかる健康の保持ということは、同法の規制による保護範囲あるいは射程範囲の外の問題である。行政庁の規制権限の不行使が国賠法一条一項の適用上違法となるかどうかは、行政庁が個別の国民に対して負担する職務上の法的義務、すなわち規制権限を行使すべき作為義務に違背したかどうかの問題であり、その作為義務は一定の規制権限を規定した法規から措定されるのであるから、その法規が保護すべきことを予定していない利益を保護するために、規制権限を行使すべき作為義務が発生することはない。したがって、同法に基づく規制権限を行使することが、魚介類を採取し、自らこれを摂取する漁民らに対する関係で行政庁の作為義務となるとは考えられないのである。
このようにみてくると、水俣病問題において、自家摂食による発病を主張する原告らの関係では、行政庁が食品衛生法に基づく規制権限を行使しなかったことが国賠法上の違法な行為であるとの主張には根本的に無理があるといわざるを得ない。
(五) 原告らは、被告国・県の衛生担当公務員は、食品衛生法四条各号に該当する疑いのある事実を知ったときは、その採取、販売等を禁止する旨を行政指導その他の方法により関係住民に周知徹底させる義務があるとも主張しているが、まず、既に説示したとおり、魚介類の摂食を防止するための行政指導の方法として、水俣湾内特定地域、あるいは不知火海の魚介類が法四条二号の有害食品に該当するとの判断を公に表示するという形をとることには無理があったということになる。
それ以外の方法による魚介類の摂取防止のための行政指導について、行政庁に作為義務が生じていたか、その作為義務が履行されたかということは、水俣病問題における最も重要な法的問題の一つであると考えられるのであるが、これについては、次項「行政指導の不作為」において検討することとする。
二漁業法(昭和三七年法律第一五六号による改正前のもの。以下本項において単に「法」ともいう。)
1 法は、漁業生産に関する基本的制度を定め、漁業者及び漁業従事者を主体とする漁業調整機構の運用によって水面を総合的に利用し、もって漁業生産力を発展させ、あわせて漁業の民主化を図ることを目的として掲げている(一条)。旧漁業法(昭和四三年法律第五八号)は、近代的漁業制度の仕組みを確立したものの、本来漁業全体の視角から関係漁民の総意によって決定管理されなければならない漁業秩序を、個々の漁業権中心の漁業秩序として構成し、かつ、この漁業権を何らの制限を設けず適当な調整機構をも伴わずに物権とし、その設定行使を利用者の恣意に任せていたことから、実態においては、一部の有力者が良好な漁場を独占し、付近の漁民の漁業に対して圧倒的な支配力を有するようになり、これが漁村封建制の基盤をなしていた。そこで、これらを改革し、基本的漁業制度を定め、漁業者及び漁業従事者を主体とする漁業調整機構の運用により、水面の総合的利用をはかり、漁業生産力の発展と漁業の民主化を実現することを目指して法(昭和二四年法律第二六七号)が制定されるに至ったのである。そして、法とともに施行された漁業法施行法(昭和二四年法律第二六八号)によって沿岸漁場の全国的整理が行われ、既存の漁業権を二年以内に消滅させることとした上で、法は、漁業権の免許については旧漁業法が先願主義により個々の申請に基づいて免許していたのを変更し、都道府県知事が海区漁業調整委員会の意見をきき水面の総合的利用の見地からあらかじめ漁場計画を定めて公示し(一一条)、免許を希望する申請人のうちから、適格性のある者で、かつ、各漁業権について定められた優先順位の第一のものに免許を与えるものとする(一三条ないし二〇条)、などの事項を中心とする規定を置いたものである。法が、終戦後の経済民主化政策の一環として、漁業生産力の発展及び漁業の民主化を立法目的として制定されたものであることは以上のような法の構造・内容、立法経緯からみて明らかであり、原告らの主張するように、食生活面で国民の生命・健康の安全を確保することまでをもその目的とするものと解することはできない(立法経緯について[<書証番号略>])。
2 法三九条は、漁業調整、船舶の航行、てい泊、けい留、水底電線の敷設その他公益上必要があると認めるときは、都道府県知事は、海区漁業調整委員会の意見をきいた上で、漁業権を変更し、取り消し、又はその行使の停止を命ずることができる、と規定している(一項、三項)。この規定に関し、原告らは、水産行政に関する法規はすべて、国民の生命、健康の維持増進のために水産資源の品質管理、安全性の確保を図るという理念に基づいて解釈されなければならないとし、同条一項にいう「公益」には、国民の生命、身体の安全を確保することは当然含まれるものと解すべきであるとして、被告国・県において、水俣湾及びその周辺海域につき、漁業権者も漁獲できず、それ以外の者も漁獲できない効果をもたらす共同漁業権の行使の停止の措置を採るべきであったと主張している。しかしながら、同項が公益の例示として列挙している漁業調整等の自由は、いずれも公共の利益を実現するための水面の総合的利用にかかわるものであり、前記のとおりの法の目的からみても、同項の「公益」とは水面の利用にかかわる公共の利益であると解される。そして、漁業権の取消し等の規制権限は、漁業権者の権利を剥奪又は制限するという重大な効果を有するものであるから、同項の「必要があると認めるとき」という要件は、例示されている漁業調整等の事由に匹敵するだけの具体的必要性が認められる場合でなければならないものと解すべきであり、結局、「公益上必要があると認めるとき」とは、既存の漁業権の有する物権的排他性により水面利用が排除されたままでは実現できない水面の利用にかかわる公共の利益が、例示されている事由に匹敵するほど重大であり、その実現のためには漁業権の変更等の権限行使が不可避であると認められる場合をいうものと解されるのである。一般的、抽象的にいえば、国民の生命、身体の安全を確保することが公益に合致することは当然であるが、同項にいう公益内容は法の趣旨、目的に従って具体的に解釈されなければならないのであって、当該漁業権区域内の魚介類を摂食することに起因する国民の生命、身体の安全を確保する目的で法三九条一項の規制権限を行使するということは、本来法の全く予定していないことなのであって、これが同項の「公益上必要がある」場合に該当しないことは明らかである。したがって、本件においては、法三九条一項の規制権限行使の要件は充足されていなかったものと解されるのであって、熊本県知事に水俣市漁業協同組合の有する共同漁業権の行使を停止する規制権限を行使すべき作為義務が発生することはあり得ないというべきである。
3 なお、法三九条は、政府は、一項の規定による漁業権の変更若しくは取消又はその行使の停止によって生じた損失を当該漁業権者に対し補償しなければならないとし(五項)、補償すべき損失は、処分によって通常生ずべき損失とするとし(六項)、補償金額は、都道府県知事が海区漁業調整委員会の意見をきき、かつ、主務大臣の認可を受けて決定するとしている(七項)。原告らは、漁獲禁止と補償とが一体となって漁獲禁止の実効性が担保されるのであり、漁民らが補償を伴う法的な漁獲禁止を求めていたのはこのためであるとし、熊本県知事は補償問題をおそれて漁獲禁止措置をとらなかった疑いがあると主張している。しかし、確かに生活の手段を奪われた漁民の生活救済の問題は緊急に解決されなければならない問題であったと考えられるのであるが、法三九条一項は、前記のとおり本来このような事案に適用されることを予定していないのであって、これを漁民の生活救済のためにいわば借用ないし転用することにより対処しようとすることにはもともと無理があるといわざるを得ない。そのことは、当該共同漁業権の関係地区の魚介類が食品衛生法により販売目的で採取することの禁止される有害食品と判断される事態となった場合には、仮に共同漁業権を取り消したとしても、もともと採取が禁止されている以上、その処分によって漁業権者に損失が生じるとはいえないということを考えても明らかであり、法三九条五項の補償規定は、魚介類が汚染されたことが原因で漁獲を止めざるを得なくなった漁業権者に生じる損害を、国が原因を発生させた者に代わって補償するというようなことを全く予定していないのである。
ところで、前記認定のとおり、農林大臣に対する熊本県知事らの昭和三四年七月二二日付「水俣病についての陳情書」[<書証番号略>]では、危険海域を漁業禁止区域とする特別立法の制定と漁民に対する援護が要望され、同年一〇月一〇日付の「水俣病についての陳情書」[<書証番号略>]でも、危険海域における漁業の操業禁止、操業禁止措置に基づく漁民の損失の補償等が要望されており、熊本県は「水俣病対策特別措置法要綱案」[<書証番号略>]も一応作成している。古来人間の食用に供されてきた魚介類が工場廃水の影響によって広範な範囲の海域において有毒化されている疑いが生じ、魚介類の摂取による生命、身体に対する危害の発生を防止するために一般的に漁獲を避止する必要が発生するといった事態を想定した法律はなかったのであって、販売目的かどうかを問わない一般的な操業禁止海域を設定し、国あるいは熊本県において漁民等の損失を補償するといった措置をとるためには、こうした特別立法の制定が必要であったと考えざるを得ないのである。
以上の検討の結果、漁業法に基づく規制権限の問題については、更に検討を進めるまでもなく、原告らの主張は失当である。
三水産資源保護法(以下本項において単に「法」ともいう。)及び熊本県漁業調整規則(ただし、昭和四〇年熊本県規則第一八号の二による廃止前のもの。以下「調整規則」という。)
1 規制権限の存否、行使の要件
(一) 法は、水産資源の保護培養を図り、且つ、その効果を将来にわたって維持することにより、漁業の発展に寄与することを目的として掲げ(一条)、従来漁業法及び水産資源枯渇防止法中に規定されていた水産動植物の採捕の制限等、許可漁船の定数等についての諸規定のほか、新たに資源の積極的な維持培養を図るため、保護水面、さけ・ます類国営人工ふ化、放流等に関する諸規定を設け、これらを統合一元化して水産資源の保護培養に関する制度としている。法四条(水産動植物の採捕制限等に関する命令)は、農林水産大臣又は都道府県知事が、水産資源の保護培養のために、同条一項各号に掲げる事項に関して省令又は規則を定めることができると規定しており、同条は、法制定の際に、法による改正前の漁業法六五条(漁業調整に関する命令)の規定中、水産動植物の繁殖保護に関する事項を移し替えて規定されたものである。調整規則は、同規則一条に明らかなように、制定の時点においては右改正前の漁業法六五条を根拠法規とするものであり、水産資源保護法制定後においては、同法四条一項四号をも根拠法規とするに至ったものである。
(二) 本件当時施行されていた調整規則は、「漁業法……第六十五条及び水産資源保護法……第四条の規定に基き、水産動植物の繁殖保護、漁業取締その他漁業調整を図り、あわせて漁業秩序の確立を期するため、必要な事項を定めること」を目的として掲げている(一条)。調整規則五条は、同条所定の漁業を営もうとする者は知事の許可を受けるべきものとして、これら所定の漁業については、自由な操業を制限し、もって水産動植物の安定的な保護培養を図り、知事の許可を受けた場合には例外的にかかる漁業(許可漁業)を営むことができることとされていたのである。そして、調整規則三〇条一項は、熊本県知事に対し、「漁業調整その他公益上必要があると認めるときは、許可の内容を変更し、若しくは制限し、操業を停止し、又は当該許可を取り消す」権限を付与している。原告らは、法四条一項の規定を受けて制定された調整規則三〇条一項に基づき、被告国・県は、水俣湾ないしはその周辺海域及び鹿児島県の海域の許可漁業を取り消す権限を行使すべきであったと主張している。しかしながら、その要件である「漁業調整その他公益上必要があると認めるとき」の「公益上の必要」とは、前記のような調整規則の目的に照らせば、その委任法規である漁業法六五条一項の「漁業取締その他漁業調整のため」及び水産資源保護法四条一項の「水産資源の保護培養のため」に準じて解釈されるべきものと解される。「水産資源の保護培養」とは、漁業生産力を将来にわたって持続的に拡大していくための資源として水産動植物の繁殖保護を図ることであり、水産動植物の数量を維持拡大するにとどまらず、価値的な毀損を防ぎ、質を維持することも含むものであるが、それも漁業の発展に寄与することを目的とするという見地によるものであって、法及び調整規則が国民の生命、健康を保護することをもその目的としていると解することはできない。本件において、許可漁業の取消しは水産動植物の価値的な毀損を防ぐこととは無関係であり、原告らの主張するような魚介類の摂食による国民の健康被害を防止する必要ということは調整規則三〇条一項の公益上の必要には該当せず、これに基づく規制権限を行使するというようなことは、調整規則の全く予定していないことといわざるを得ない。この点で、本件においては、熊本県知事が水俣湾及びその周辺海域の許可漁業につきその許可を取り消す等の規制権限を行使し得るための要件が充足されていなかったものと解される。したがって、漁業法に基づく規制権限の問題と同様、この問題に関する原告らの主張は、更に検討を進めるまでもなく失当である。
(三) 調整規則三二条は、一項で、「何人も、水産動植物の繁殖保護に有害な物を遺棄し、又は漏せつする虞があるものを放置してはならない。」と、二項で「知事は、前項の規定に違反する者があるときは、その者に対して除外に必要な設備の設置を命じ、又は既に設けた除外設備の変更を命ずることができる。」と規定している。
原告らは、熊本県知事は、調整規則三二条二項に基づき、除外設備の設置を命ずるために自ら排水の分析調査を行うほか、被告チッソに対して調査に必要な資料の提供を求め、調査をさせて報告させること、排水停止を含む排水規制をすること、被告チッソがサイクレーターを完成させた後はその機能を監視し、その機能が有効でないと判明した際には、直ちに除外設備の改善あるいは排水の一時停止を命ずることが可能であったと主張する。
しかしながら、まず、右規定自体から明らかなとおり、知事が同条二項により行使し得る規制権限の内容は、除外に必要な設備の設置又は既に設けた除外設備の変更を命ずることであり、同条一項に違反した者に対しては調整規則五八条一号により、三二条二項の命令に従わない者に対しては五八条三号により、それぞれ刑罰が科せられることが予定されている。すなわち、三二条は、一項において、水産動植物の繁殖保護に有害な物を遺棄するなどの行為を禁止し、この禁止を実効あらしめるために、この違反者に対しては刑罰を科する一方で、二項において知事に除外設備の設置及び変更を命じ得る権限を付与し、この命令に従わない者に対しても刑罰を科することとしているのである。知事が同条一項違反者に対して二項の権限を行使して除外設備の設置及び変更を命ずるために必要な限度において、違反者に対して設備の内容等について報告を求めるなどのことは、二項で付与された権限に当然に付随するものとして、知事の権限に属するものと解すべきであるが、それを超えて、同条一項で遺棄するなどの行為が禁止された「水産動植物の繁殖保護に有害な物」に該当すると判断できない物の排出者に対して、調査に必要な資料の提供を求める権限、その排出を停止させる権限、除外設備の改善を命じる権限などの諸権限が知事に付与されているものと解することはできないといわざるを得ないのであって、これらは行政指導により対象者の任意の協力を求めて行うほかはないのである。
2 本件における規制権限行使の要件の充足
(一) 本件において、熊本県知事に調整規則三二条二項に定められた規制権限(除外設備の設置、変更)を発動する余地があったかどうかについて検討する。
右権限を行使し得るための要件は、「水産動植物の繁殖保護に有害な物を遺棄し、又は漏せつする虞があるものを放置してはならない。」という同条一項の「規定に違反する者があるとき」とされている。したがって、右要件を具備して右規制権限を行使し得るためには、その前提として、水産動植物の繁殖保護に有害な物が何であるのか、これを遺棄し、又は漏せつする虞があるものを放置する者が誰であるのかが特定されていることが必要である。
同条が適用される典型例は、魚介類の死滅やその成長の阻害をもたらしている物の遺棄、漏せつがある場合であり、本件水俣病のように人体被害が発生し、その防止のための方策が問題となっているような場合は同条の適用される典型例ではないが、水産動植物の価値を毀損するような結果をもたらしていると判断される物も「水産動植物の繁殖保護に有害な物」と解釈することができるから、本件の場合も、被告チッソ水俣工場の廃水により汚染された水俣湾及びその周辺の魚介類の摂食が水俣病の原因であると判断できるならば、同条二項に定められた規制権限を行使することは可能である。
(二) そこで、原告らが、熊本県知事において調整規則三二条二項に定められた規制権限を行使すべきであったと主張する時期の最終段階である昭和三四年一一月の段階において、被告チッソ水俣工場からの廃水が「水産動植物の繁殖保護に有害な物」に該当すると判断できたか否かについて検討する。
前記第三章、第一、二で認定したとおり、昭和三四年一一月、水俣病の主因は「ある種の有機水銀化合物である」という厚生省食品衛生調査会の答申が出されたのであるが、魚介類を汚染している有機水銀化合物が何に由来するかについては、被告チッソ水俣工場の工場排水が強く疑われていた状況にあったものの、被告チッソ水俣工場では触媒として無機水銀を使用していたことは明らかにされていたが有機水銀は使用されておらず、同工場から有機水銀が排出されているとは考えられていなかったため、水俣病の原因とされる有機水銀がどこに由来するものかが解明されておらず、被告チッソの工場排水が魚介類の汚染源であると断定するにはなお時間を要する状況にあったことが認められるのであって、このような状況からすると、被告チッソ水俣工場からの排水が「水産動植物の繁殖保護に有害な物」に該当すると判断することはできず、したがって、本件においては、熊本県知事において右規制権限を行使する要件が充足されていなかったものと考えられる。
四公共用水域の水質の保全に関する法律(以下「水質保全法」という。)及び工場排水等の規制に関する法律(以下「工場排水規制法」といい、両法律を併せて「水質二法」という。)
1 規制権限の存否
(一) 水質保全法は、昭和三三年一二月に制定され、翌三四年三月に施行されたが、昭和四五年一二月に公布された水質汚濁防止法によって廃止された。
水質保全法は、水質保全に関し従前制定されていた鉱山保安法等や水質保全法と同時に制定された規制実施法である工場排水規制法の基本法たる性格を有し、公共用水域のうち一定の水域を指定水域に指定し、同時に水質基準を設定することにより、種々の法律による工場、事業場、鉱山、水洗炭業に係る事業場、公共下水道及び都市下水路の規制の基準を明確にし、水質の保全を図ることを目的としたものである。水質保全法一条は、法の目的として、「公共用水域の保全を図り、あわせて水質の汚濁に関する紛争の解決に資するため、これに必要な基本的事項を定め、もって産業の相互協和と公衆衛生の向上に寄与すること」を掲げている。すなわち、ここでは水質汚濁による被害を受ける漁業や農業などと加害側産業との間の協和を保つことと公衆衛生の向上が目的とされているのであって、水質保全法を廃止した水質汚濁防止法が、「工場及び事業場から公共用水域に排出される水の排出を規制すること等によって公共用水域の水質の汚濁の防止を図り、もって国民の健康を保護するとともに生活環境を保全し、並びに工場及び事業場から排出される汚水及び廃液に関して人の健康に係る被害が生じた場合における事業者の損害賠償の責任について定めることにより、被害者の保護を図ること」を掲げているのと対比すると、その時代背景と環境保護法としての限界が看取される。
水質保全法五条は、「経済企画庁長官は、公共用水域のうち、当該水域の水質の汚濁が原因となって関係産業に相当の損害が生じ、若しくは公衆衛生上看過し難い影響が生じているもの又はそれらのおそれのあるものを、水域を限って、指定水域として指定する。」と定め(一項)、さらに「経済企画庁長官は、指定水域を指定するときは、当該指定水域に係る水質基準を定めなければならない。」と定めて(二項)、指定水域の指定と水質基準の設定を同時にしなければならないものとしている。ここでいう水質基準とは、「工場若しくは事業場(工場排水等の規制に関する法律(昭和三三年法律第一八二号)第二条第二項に規定する特定施設を設置する工場又は事業場をいう。)、鉱山(鉱山保安法(昭和二四年法律第七〇号)第二条第二項本文に規定する鉱山をいう。)、水洗炭業(水洗炭業に関する法律(昭和三三年法律第一三四号)第二条に規定する水洗炭業をいう。以下同じ。)に係る事業場、公共下水道又は都市下水路から第五条第一項に規定する指定水域に排出される水(以下単に「排出水」という。)の汚濁(放射線を発生する物質による汚染を除く。以下同じ。)の許容限度をいう。」(水質保全法三条二項)が、この水質基準は、同法五条一項の指定の要件となった事実を除去し又は防止するために必要な程度をこえないものでなければならない、とされている(同法五条三項)。そして、まず、経済企画庁長官は、指定水域の指定及び水質基準の設定の円滑な実施を図るため、公共用水域の水質の調査に関する基本計画(以下「調査基本計画」という。)を立案し、水質審議会の議を経て、これを決定するものとされ(同法四条一項)、経済企画庁長官は、指定水域を設定し、及び水質基準を定めようとするときは、水質審議会の議を経なければならず(同法五条四項)、また、関係都道府県知事の意見をきかなければならない、とされている(同法六条)。
(二) 工場排水規制法は、水質保全法と同時に制定されたが、工場排水規制法は、製造業等の用に供する施設のうち、汚水又は廃液を排出するものであって政令で定めるものを「特定施設」と定義し(二条二項)、これを受けて、水質保全法は、前記のとおり、右特定施設を設置する工場又は事業場から指定水域に排出される水の汚濁の許容限度を「水質基準」と定義し(三条二項)、排出水を排出する者は、当該指定水域に係る水質基準を遵守しなければならない(九条)と定めている。したがって、工場排水規制法による直接の規制は、特定施設を設置する工場、事業場が指定水域に排水を排出する場合に限られているのであり、水質保全法に基づく指定水域の指定及びそれと同時になされる水質基準の設定がその前提となっているのである。
(三) 水質保全法施行後の実際の経過についてみると、<書証番号略>を総合すると、次のような事実を認めることができる。
昭和三四年度は、当初、石狩川、江戸川、渡良瀬川、木曾川、淀川、遠賀川の六水域が調査水域として取り上げられたが、水俣湾水域は取り上げられなかった。水産庁長官は、経済企画庁調整局長に対し、昭和三四年一一月二日付の「公共用水域の水質の保全に関する法律に基づく指定水域の指定に関する要望について」と題する文書をもって、水俣病は、水俣湾に放流される工場排水の影響を受けたと思われる魚介類を相当量摂取することによるものであると考えられる点が多いので、水俣湾水域を「公共用水域の保全に関する法律」に基づく指定水域として指定し、水質基準を設定して、湾内の水質の保全をはかることが必要であると考え、同法四条の調査基本計画による調査水域に該当する水域として同水域を取り上げ、その実態について総合的な調査を実施することを要望した。その後、昭和三五年二月一二日ころ、八代海南半部海域及び水俣川が昭和三四年度の調査水域として追加指定された。[<書証番号略>]
経済企画庁長官は、昭和三六年七月七日付経済企画庁告示第三号で調査基本計画を公表した。右計画では、調査対象水域を全国で一二一水域とし、調査終了予定時期を昭和四六年三月三一日として、調査着手時期を昭和三八年度末までに着手予定の水域を四二水域、四一年度末までに三七水域、四五年度末までに四二水域とし、さらに調査の時期及び回数、採水地点、採取試料の試験項目が規定された。八代海南半部海域及び水俣川は、昭和三八年度末までに調査着手するものとされ、備考欄に「調査着手ずみ」とされた。その後、昭和三七年四月四日に江戸川水域甲、江戸川水域乙が指定水域として指定されたのを始めに、昭和四三年末までに淀川水域、木曾川水域、木曾川水域(下流)、石狩川水域甲、常呂川水域、石狩川水域乙、荒川水域甲、石狩川水域丙、財田川水域、大和川水域、多摩川水域、四日市・鈴鹿水域、鶴見川水域甲・乙、多摩川水域(下流)、荒川水域乙・丙、加古川水域、渡良瀬川水域、宇治川水域、仙台市内水域、大牟田水域、印旛・手賀沼水域、名古屋市内水域、広島市内水域、福岡市内水域甲・乙がそれぞれ指定水域としてて指定され、それぞれ水質基準が定められていった。[<書証番号略>]
経済企画庁長官は、昭和四四年二月三日、水俣大橋から下流の水俣川、熊本県水俣市大字月浦字前田五四番地の一から熊本県水俣市大字浜字下外平四〇五一番地に至る陸岸の地先海域及びこれらに流入する公共用水域を同じ水質基準が適用される二九の指定水域の一つとして指定し、水銀電解法苛性ソーダ製造業またはアセチレン法塩化ビニールモノマー製造業の工場または事業場から右指定水域に排出される水の水質基準を「メチル水銀含有量」が「検出されないこと」と定め、その際に、検出されないこととは「昭和四三年七月二九日経済企画庁告示第七号に規定するガスクロマトグラフ法および薄層クロマトグラフ分離ジチゾン比色法の両方法によってメチル水銀を検出した場合以外の場合をいうものとする。」と、その分析定量方法を定めた。[<書証番号略>]
(四) 原告らは、水質二法が施行された後、遅くとも、昭和三四年一一月頃には、経済企画庁長官、内閣(内閣を構成する各国務大臣)及び通商産業大臣(以下「通産大臣」という。)は、共同し、一体となって、被告チッソ水俣工場の排水規制をなす義務があり、そのために、①経済企画庁長官は、不知火海南部海域、少なくとも、水俣川河口から水俣湾にかけての水域を指定水域と指定し(水質保全法五条一項)、かつ、その排水から「水銀又はその化合物がジチゾン比色法により検出されないこと」という水質基準を設定し(同条二項)、②内閣は、直ちに、政令で被告チッソ水俣工場のアセトアルデヒド酢酸製造施設と塩化ビニールモノマー製造施設を特定施設と定め(工場排水規制法二条二項)、かつその排水規制を担当する主務大臣を通産大臣と定め(同法二一条)、③通産大臣は、直ちに、被告チッソに対し水銀又はその化合物を含有する廃水を工場外に排出させないよう規制する(同法七条、一二条、一四条、一五条等)べきであった旨主張している。
(五) 右のうち、③の通産大臣による規制は、①の水質保全法に基づく指定水域の指定及び水質基準の設定、②の政令による特定施設の定め、主務大臣の定めがされることが前提となっているから、水質保全法に基づく指定水域の指定及び水質基準の設定がなされておらず、政令による特定施設及び主務大臣の定めもない以上、通産大臣が規制権限を行使することも不可能だったということになる。そこでまず、経済企画庁長官に指定水域の指定をなすべき作為義務が発生することがあるかどうかを検討することが必要となる。
水質保全法は、水質基準の内容が高度の専門的技術的事項にわたることが多く、また、状況の変化に機能的に対応することが求められるところから、経済企画庁長官に具体的な基準の設定を委任しているものと解され、経済企画庁長官は、水質保全法の委任の趣旨に従い、諸般の事情を考慮しながら、指定水域の指定及び水質基準の設定の要否、その内容について適切に判断すべきものであるが、その対象が専門的技術的事項にわたることや、指定水域の指定、水質基準の設定が、水質審議会の議を経て、関係都道府県知事の意見をきいた上でなされるものであることに照らすと、右権限の行使に関して経済企画庁長官に委ねられた裁量の範囲は、相当に広範なものというべきである。しかしながら、水質保全法五条一項は、経済企画庁長官が指定水域として指定するものを、「公共用水域のうち、当該水域の水質の汚濁が原因となって関係産業に相当の損害が生じ、若しくは公衆衛生上看過し難い影響が生じているもの又はそれらのおそれのあるもの」とその要件を定めており、経済企画庁長官が右要件該当性の判断を誤り、指定水域として指定すべきものを指定水域として指定しようとしないときは、産業の相互協和と公衆衛生の向上に寄与するという同法の目的が達成されず、その結果水質汚濁により被害を受けている漁業や農業に従事している関係国民の利益が害されることも明らかである。そうすると、右要件該当性の判断は経済企画庁長官の広範な裁量に委ねられているとはいうものの、明らかに同法五条一項の要件に該当する公共用水域があり、指定水域の指定とともになされるべき当該指定水域に係る水質基準の設定にも格別の技術的困難がないという場合においては、経済企画庁長官が指定水域を指定し、水質基準を設定するための措置をとることは経済企画庁長官の政治的責務にとどまらず、関係国民に対する法的義務となるものというべく、したがって、その不作為は国賠法上違法と評価すべき場合もあるものというべきである。被告国・県は、経済企画庁長官が指定水域の指定、水質基準の設定をしなかったことが国賠法上違法となる余地はないと主張しているが、その見解は採用しない。
2 経済企画庁長官の指定水域の指定、水質基準の設定の義務
昭和三四年一一月当時、経済企画庁長官において、指定水域の指定、水質基準の設定をすることが可能であったかについて検討する。
まず、前記のとおり、指定水域に係る水質基準とは工場等から指定水域に排出される水の汚濁の許容限度である(指定水域の水の汚濁の許容限度ではない。したがって、指定水域の指定の仕方としては、前記1、(三)認定の昭和四四年二月三日に経済企画庁長官がしたような指定の仕方になるのであって、原告らの主張のうち、経済企画庁長官がすべきであった指定の仕方として、「不知火海南部海域」などとしているのは不可解であり、昭和四四年二月三日に経済企画庁長官がした指定を「範囲が狭い」と評しているものも誤解があるものと思われる。)。したがって、水質基準を設定するに当たっては、特定の公共用水域の水質汚濁の原因となっている物質を解明し、特定することがまず必要であり、その上で当該汚濁原因物質を排出している工場の排出水について汚濁の許容限度を決めることとなるから、当該汚濁原因物質が工場から排出されていることが解明されていることも必要である。そして、排出水の汚濁の許容限度を定めるためには、右汚濁原因物質の分析定量方法が確立していることが必要である。排出水の汚濁が許容限度を超えているかどうかを判断することができるまでに分析定量方法が確立していなければ、水質基準を定めたとしても何ら実効性がないからである。水質基準として、定量限界以下、すなわち、法文上「〜が検出されないこと」とする場合であっても、その意味は、一定の分析定量方法によって定量した場合の定量限界以下であることを要求するという趣旨であるから、分析定量方法が確立し、定量限界として再現性のある数値が定められ、それを超えている場合に許容限度を超えているとすることが必要なのである。
これを本件についてみると、昭和三四年一一月の食品衛生調査会の答申がされた段階では、すでにみてきたとおり、水俣病の原因とされる有機水銀化合物がどこに由来するものかが解明されておらず、被告チッソ水俣工場から有機水銀が排出されているものと断定するためにはなお時間を要する状況にあったことが認められる。また、その当時の有機水銀化合物の分析定量方法の開発状況は、第三章、第二、三、1のとおりであって、工場排水中の有機水銀の定量方法はなかったのであるから、いずれの点からみても、水俣湾及びその付近の水域についてその当時水質基準を設定し、右水域を指定水域として指定することはできなかったものと考えられる。
原告らは、「水銀又はその化合物がジチゾン比色法によって検出されないこと」という水質基準を設定すべきであったと主張する。しかし、水俣病の原因物質が有機水銀であることと被告チッソ水俣工場から有機水銀が排出されていることが確定されているが、有機水銀の定量方法がないというのであれば、無機水銀をも取り込んだ過剰規制とはなるものの水俣病発生防止のためには総水銀による規制をせざるを得ないということも考えられようが、水俣病の原因物質が有機水銀であるということが確定していない以上、総水銀による規制もできなかったものと考えざるを得ない。
なお付言すれば、仮に水質基準を設定するとすれば、分析定量の方法についてはJIS規格に従って定められるのが通例であるが、第三章、第二、三、1で認定のとおり、昭和三五年一二月改定のJIS規格の工業用水試験方法において、水銀の定量範囲は0.02ないし1ppmとされていたし(<書証番号略>によれば、昭和三四年当時は水銀についてJIS規格に規定がなかったことが認められる。)、水質汚濁防止法の排水基準についての昭和四六年六月二二日付経済企画庁告示においてさえ、総水銀の定量限界は0.02ppmとされており、それを下回る場合は「検出されないこと」となるわけであるが、東京工業試験所が昭和三四年一一月から昭和三五年八月までチッソ水俣工場排水中の総水銀の定量を行ったデータによれば、その大半が0.02ppm以下であるから、JIS規格に従って水銀が検出されないという水質基準を設定したとしても、チッソ水俣工場の排水からは総水銀はほとんど検出されないということになり、水俣病の発生防止という観点からは意味のある規制とはならなかったであろう。
さらに、水質保全法では、指定水域の指定及び水質基準の設定の円滑な実施を図るため、調査基本計画を立案し、水質審議会の議を経てこれを決定するものとされているところ、経済企画庁長官が調査対象水域を全国で一二一水域とする調査基本計画を公表したのは昭和三六年七月七日である。同法による限りは調査基本計画の決定なくして指定水域の指定をすることはできないのであるから、調査基本計画を策定し、水質二法を現実に適用するのにはある程度時間がかかることはやむを得ないところであって、食品衛生調査会の答申が出されたから直ちに同法を適用すべきであったとの主張は、同法の規定を無視した非現実的なものであろう。
以上のとおりであるから、本件においては、経済企画庁長官に、原告らが主張するような指定水域の指定、水質基準の設定をなすべき作為義務が発生していたとは到底いえない。
第三行政指導の不作為
一行政指導と国家賠償責任
1 行政指導には、一般的にいって、法令の根拠に基づいてなされるものとそうでないものとがある。原告らは、本件において、被告チッソに対する行政指導についての主張のなかで、通産大臣は、工場排水規制法一五条に基づき、工場排水規制法の施行後、遅くとも工場排水等の規制に関する法律施行令(以下「工場排水規制法施行令」という。)が公布施行された昭和三四年一二月二八日以降、被告チッソに対し、閉鎖循環方式の採用により廃水を工場外に排出させないように行政指導をなすべきであり、閉鎖循環方式の完成までに日時を要するとすれば、その間アセトアルデヒド酢酸製造施設及び塩化ビニールモノマー製造施設の操業を停止するよう行政指導をなすべき義務があったのにこれを怠ったと主張し、工場排水規制法一五条に基づく右の行政指導は、法令の根拠に基づく行政指導であると主張している。
そこで、検討するに、工場排水規制法一五条の「主務大臣は、公共用水域の水質の保全を図るために必要な限度において、特定施設を設置している者に対し、その特定施設の状況、汚水等の処理の方法又は工場排水等の水質に関し報告をさせることができる。」との規定は、指定水域の指定及び水質基準の設定がされていなくても適用可能な規定であり、指定水域以外の場所についても必要な場合は主務大臣において然るべき行政指導をなし得るように配慮したものと解されるが、右規定自体の趣旨は、あくまでも政令で特定施設及び主務大臣の指定がなされていることを前提として、当該特定施設の設置者から一定の報告を徴する権限を定めたものであることが明らかであり、特定施設の指定もなされていないのに製造業等の用に供する施設を設置している者から右報告を徴し得るものと解することはできないし、特定施設の指定があった場合においても、同条をもって主務大臣において特定施設を設置する工場からの排出水について行政指導をすべき権限あるいは義務を定めたものと解すべき何らの根拠もない。原告らは、昭和三四年一二月二八日に公布施行された工場排水規制法施行令により、チッソ水俣工場のカーバイドアセチレン製造施設が特定施設と定められ、その主務大臣が通産大臣と定められたから、通産大臣は、右特定施設の設置者である被告チッソに対し、チッソ水俣工場のアセトアルデヒド酢酸製造施設や塩化ビニールモノマー製造施設についても報告を求め、行政指導による排水規制をする権限と義務を有していたとも主張する。しかしながら、カーバイドアセチレン製造施設とアセトアルデヒド酢酸製造施設というのは明らかに別個独立の施設であるから、設置者が同一法人であるからといって、特定施設でないアセトアルデヒド酢酸製造施設についてまで報告を求める権限があるなどと解することはできない。そして、いずれにしても、右規定は主務大臣に特定施設の設置者から一定の報告を徴する権限を付与したものであって、それ自体が工場排水に係る規制的行政指導の根拠規定となるものではない(原告の主張との関係で付言すれば、特定施設の設置者には主務大臣の求めに対して報告すべき義務があるものというべきであるから、主務大臣が報告をさせる行為は権限の行使であって、行政指導ととらえるべきものではない。また、右規定は、徴収した報告に基づいて主務大臣において然るべき行政指導を行うことを予想して設けられた規定と解することができるが、だからといって右規定自体が行政指導の根拠規定となるものではない。)。
2 工場排水規制法一五条については以上のとおりであるから、原告らが本件において被告国・県の公務員においてなすべきであったと主張する行政指導は、すべて法令上の直接の根拠規定に基づかないものとして検討すべきである。法令上の直接の根拠規定に基づかずになされる行政指導というものについて何らかの法的根拠を求めるとすれば、各省設置法等のいわゆる組織規範ということになるが、このような組織規範に基づく行政指導も、各省設置法に定められた所掌事務の範囲内において、行政客体に対してその任意の協力による一定の行為を期待して働きかける限りにおいては、これを行うことができるものと解されるし、わが国において、このような法令上の直接の根拠を欠く行政指導が、法律上の強制力はなくても、多くの場合に事実上受け入れられ、その趣旨に則った結果が実現されていることは当裁判所に顕著な事実である。
もとより、このような法令上の直接の根拠規定を欠く行政指導は、行政指導の主体、客体、内容あるいは実施方法等について全く規定がないのであるから、行政指導をするかどうか、するとした場合、いかなる時期にいかなる方法で行うかは、原則的には当該行政庁の裁量に委ねられているものというほかはなく、また、このような行政指導は法的強制力をもつものではないとはいえ、事実上の強制的要素を伴うのが通例であるから、相手方の営業の自由等にも十分に配慮した上で慎重になされるべきであって、行政指導をなさないことが行政庁の義務の懈怠となることは原則としてはないというべきである。しかし、およそ行政庁に行政指導をなすべき作為義務が発生することがあり得ないかは、更に検討を要する問題である。国民の生命、身体、健康に対する差し迫った重大な危険が発生していながら、それが既存の法令がおよそ想定していないような事態であるためにこれに適切に対応するための法令がなく、それに対応するための新たな立法措置をまっていては国民の生命、身体、健康に対する切迫した危険が現実化するおそれが濃厚であるという事態があり、組織規範上の所掌事務からみて関係者に対して被害回避のための行政指導をなし得る立場にある行政庁が右の事態を認識した場合において、被害回避のための関係者の自主的対応には期待できないが、右行政庁が合理的根拠を示して被害回避のための一定の行政指導をしたならば、関係者においても通常それに従うであろうと推測することができる事情があり、そのような行政指導をすることを行政指導の相手方以外の国民においておしなべて期待しているとみられる、といった極めて限定された状況がある場合には、右行政庁が関係者に対し被害回避のための必要最小限度の指導勧告をなし、あるいはその他適切な行政措置をとることが、国民に対する義務ともなり、それを怠ったがために当該国民に損害が発生したときは国家賠償責任を負うこととなる場合があるというべきである。
なお、規制権限の行使または不行使についての裁量が問題となる場合は、当該法規の解釈を通じて権限の行使が義務化する事態を明らかにすることができるけれども、法令の根拠に基づかない行政指導の場合は、条理によって超法規的に行政指導をなすべき行為義務が生じるのであるから、その要件をいわゆる規制権限の裁量権が収縮するための要件と同一に論じることはできず、そのような作為義務が生じるのはまさに前記のような限定された状況がある場合に限られるべきである。
以上のような見地に立って、本件について以下検討することとする。
二被告チッソに対する行政指導
原告らは、通産大臣は、被告チッソ水俣工場の排水規制を行政指導によって実施すべき義務があったと主張して、排水規制の具体的な措置としては、廃水浄化装置を設置させる方法、閉鎖循環方式の採用により廃水を工場外に排出させないようにする方法のほか、右の方法をとることが不可能であれば、工場排水を停止するよう、あるいは、閉鎖循環方式の完成までの間アセトアルデヒド酢酸製造施設及び塩化ビニールモノマー製造施設の操業を停止するよう行政指導をすべき義務があったと主張している。以下これらの主張について検討する。
1 水俣病問題に関する通産省の対応をみると、既に認定したとおり、次の事実が認められる。
(一) 通産省企業局長は、厚生省公衆衛生局長から、昭和三三年七月七日付の「熊本県水俣市に発生したいわゆる水俣病の研究成果及びその対策について」と題する文書をもって、その時点での水俣病の研究成果について報告を受けるとともに、関係所管事項について効率的な措置を講じるよう要望を受けた。右文書では、原因物質として主としてセレン、マンガン、タリウムが疑われる旨の厚生科学研究班の報告に基づき、被告チッソ水俣工場の名を明示した上で、「肥料工場の廃棄物が港湾泥土を汚染していること及び港湾生息魚介類ないしは廻遊魚類が右の廃棄物に含まれている化学物質と同種のものによって有毒化し、これを多量摂取することによって本症が発症するものであることが推定される。しかしながら、工場廃棄物が魚介類体内に移行し、有毒化する経路又は機序については今後の総合的研究にまたねばならない。」とされていた。しかし、この時点では通産省による格別の措置はとられなかった。(第三章、第一、三、10)
(二) 通産省軽工業局長は、昭和三四年一〇月二〇日、被告チッソに対し、水俣川河口への排水路を廃止すること、廃水浄化装置を年内に完成することを口頭で指示し、同年一一月一〇日、文書をもって、「かねてから排水路の一部廃止等種々の対策を講ぜられているところでもあるが、水俣病が現地において深刻な問題を惹起している状況には誠に同情すべきものがあるので、この際一刻も早く排水処理施設を完備するとともに、関係機関と十分に協力して可及的速やかに原因を究明する等現地の不安解消に十分努力せられたい。」との指示をした。(第三章、第一、三、25)
(三) 被告チッソは、同年一〇月三〇日以降、八幡プールの排水を八幡中央排水溝に排出するのを停止し、同プールの上澄水をアセチレン発生施設及びカーバイド密閉路に逆送して循環使用することにし、その結果以後サイクレーター運転開始までの時期においてはメチル水銀が直接はチッソ水俣工場外に排出されなくなった。サイクレーターは同年一二月一九日ころ完成した。(第三章、第三、二)
2 まず、既に認定済みの事実関係を前提として、原告らの主張する時期において、その時点で判明していた科学的知見や技術的、社会的制約からみて、通産大臣においてどのような行政指導をすることが可能であり、合理的であったかという見地から検討してみることとする。
(一) 原告らは、昭和三三年七月の段階で、被告国(通産大臣)は被告チッソに対し、セレン、マンガン、タリウムを除去し得る装置を備えるよう行政指導をすべきであったと主張している。
しかしながら、この時点では、右各被疑物質について大幅な研究の進展はみられず、熊大研究班としての統一的見解も形成されていなかったのであるから(結局これらの物質は客観的にも水俣病の原因物質ではなかったのであり、被告チッソの反論にも正しいものが含まれていた。)、被疑物質を具体的に指摘して排水処理方法についての指導をするような状況にはなかったと考えられる。結局、熊大研究班で有機水銀説が有力となるまでの段階では、具体的に排水処理方法についての指導をするような状況にはなかったと考えられるが、この段階では、被告チッソに対し、熊大研究班らによる原因究明等の調査に十分協力し、工場排水の提供を求められたならばこれに協力するよう指導することが妥当であったといえよう。
(二) 熊大研究班において、水俣病の原因として有機水銀説が有力となり、食品衛生調査会においてもこれが大方の支持を受け、同調査会が水俣病の主因をなすものはある種の有機水銀化合物であると答申したという段階においては、チッソ水俣工場で使用していない有機水銀化合物がどこで生まれるのかという点で右見解にはなお解明されるべきものがあり、水俣病の原因物質が有機水銀化合物であること、被告チッソが原因物質を排出していることがいずれも確定されておらず、あるいはその後の研究により誤りであることが判明する可能性がなかったわけではなかったとはいえ、水俣病の発生拡大を防止しようとするならば、その後の対策は当面その時点での一応の結論である右見解に則ってなされるべきであることは当然である。そうであれば、対策の中心はともかく水銀を工場外へ排出しないようにするということ以外にはあり得ないはずである。そして、通産省軽工業局長が昭和三四年一一月一〇日付で全国のアセトアルデヒド又は塩化ビニールモノマーを生産している工場に対して報告を依頼した文書からも明らかなとおり、その当時チッソ水俣工場の生産品目中その製造工程から水銀が流出することが考えられるのはアセトアルデヒド及び塩化ビニールモノマーであることは、通産省も当然に認識していたものである。そして、チッソ水俣工場が昭和三三年九月にアセトアルデヒド排水の排水経路を変更し八幡中央排水溝に排出するようにして以来、その方面で新たな患者が発生しているという事実があるのに対して、塩化ビニール排水は従来どおり百間港に排出されていたことからすれば、水俣病の発生と最も関連性が考えられるのがアセトアルデヒド排水であることも相当程度に明らかであったといえよう。現に、被告チッソにおいても、有機水銀説に強く反論しながらも、アセトアルデヒド排水中の水銀の工場外への排出を少なくする方策を考慮しているのであり、行政指導の面においてもアセトアルデヒド排水に中心を置くことは不可能ではなかったと考えられる。
厚生省公衆衛生局長は、昭和三四年一〇月三一日、通産省企業局長に対し、「水俣病の対策について」と題する文書をもって、食品衛生調査会水俣食中毒部会における研究の結果、水俣病は水俣湾周辺の一定水域において漁獲された魚介類を摂取することに起因して発病するものであること、右の魚介類の有毒物質は概ね有機水銀化合物と考えられることの二点が明らかにされるに至っているとし、このことをもって直ちに水俣市所在の化学工場からの排水に起因するものであるとは断定し難いものの、当該工場は数年にわたって無機水銀化合物を含む廃液を排出し、当該廃水の排出状況と水俣病患者の発生の状況に相互関連があるとの意見があり、また、前年九月の新排水口の設置以来その方面の新患者が発生している事実があるので、現段階において工場排水に対する最も適切な処置を至急講ずるよう要望しているが、右の認識は当時の状況からみて妥当なものであり、右の段階で通産省に工場排水に対する適切な措置を講じるよう要望したことは、当然のことであったといえよう。
これを受けて、通産省は、同年一一月一〇日、軽工業局長から被告チッソ社長あての「水俣病の対策について」と題する文書をもって前記の指導を行い、厚生省公衆衛生局長に対し、「水俣病の対策について」と題する文書をもって、「当省としては、現在までのところその原因といわれている魚介類中の有毒物質を有機水銀化合物と考えるには、なお多くの疑点があり、従って、一概に水俣病の原因をチッソ水俣工場の排水に帰せしめることはできないと考えているが、水俣病が現地において極めて深刻な問題を惹起している状況にかんがみ、既に同工場に対し、口頭をもって、イ、直接不知火海に放出していた排水路を廃止するとともに、排水処理施設の完備を急がしめ、ロ、原因究明等の調査について十分協力するよう指示してあったが、更に上記の点について、あらためて文書をもって、チッソ社長あてに尽力方通牒を発した。」旨を通知したものである。これにつき考えるに、「現在までのところその原因といわれている魚介類中の有毒物質を有機水銀化合物と考えるには、なお多くの疑点があり、従って、一概に水俣病の原因をチッソ水俣工場の排水に帰せしめることはできないと考えている」との点は当時の状況からみて誤りではないけれども、排水処理施設の完備を急ぐようにとの指導には納得し難いものがある。当時は、既に水俣病食中毒部会が有機水銀説に立った中間報告をしているのであるから、対策の中心は水銀を工場外に排出しないようにするということでなければならないはずである。完備を急ぐように指導を受けた排水処理施設、すなわちサイクレーターは、有機水銀説が発表されるよりも前の段階で総合的な排水浄化を目的として設置されたものであって、水銀除去効果を考えたものではなかったのであり、水銀除去効果において万全なものでないことは被告チッソも認識していたし(前記第三章、第三、二、2、(五)参照)、通産省においても被告チッソから説明を受けることなどにより少なくとも認識可能であったはずである。サイクレーターの完成を急がせること自体はそれはそれで妥当なことではあろうが、水俣病発生防止対策という面からみれば、その効果に疑問があるにもかかわらず、その完成によって水俣病の原因物質が除去されるかのような印象を一般に与えるものであって、このような通産省の指導の仕方には批判を免れないものがあろう。
3 そこで次に、通産大臣に、被告チッソに対し、工場排水の停止を指導すべき作為義務があったかについて検討する。
(一) 工場排水停止ということをめぐる状況についてみると、
(1) 昭和三四年一〇月、熊本県漁業協同組合連合会が、被告チッソに対し、工場排水の完全浄化装置が完成するまで操業を中止するよう求めたが、被告チッソは、工場の操業停止につながる要求には一切応じられないとしてこれを拒否したこと、
(2) 同年一一月初めには、水産庁の担当者が被告チッソ水俣工場長に対し、工場排水の停止を要請したが、同工場長は、工場排水が水俣病の原因であることについての科学的な証明がないなどとして、右要請を拒否したこと、
(3) 他方、水俣市議会は、同月五日、「水俣病対策についての決議文」を採択したが、この中で「水俣病問題の重大化に伴い、工場の操業を行政的配慮により停止してはとの風聞があるが、水俣病の原因が未だ究明されていない今日において操業を停止することは極めて重大なる結果を招来するおそれがある。」として、チッソ水俣工場に浄化装置の完成を促進させて、工場の操業停止等の事態が発生しないよう措置することを要望し、同月七日、水俣市の諸団体の代表がチッソ水俣工場の操業停止につながる工場排水の全面的停止に反対する旨陳情したこと、
以上の事実は既に認定したとおりである。
(二) そこで、検討するに、昭和三四年一一月当時、水俣病の原因としてチッソ水俣工場の工場排水に含まれている物質が疑われている状況にあったことは明らかであるから、水俣病被害の拡大を防止しようとする見地からすれば、工場排水自体を停止することが望ましいことは確かである。しかし、チッソ水俣工場の全面排水停止ということは、チッソ水俣工場の操業停止を意味するものであって、下請を含めた従業員にとってもはなはだ重大な事態であり、歳入の多くを水俣工場からの税収に依存していた水俣市にもその影響するところが大きく、前記1の現実に通産大臣が被告チッソに対してなした行政指導(実際の指導は通産大臣の補助機関たる通産省の担当公務員が行っている。)とは質的な相違があるものである。1の行政指導は、排水の停止やチッソ水俣工場の生産工程等に重大な影響を及ぼすような性質のものではなく、また、もともと被告チッソ自身が八幡への排水放出を昭和三四年一〇月末までに停止することを予定していたのであるし、サイクレーターについては既に発注済みであったのであるから、通産大臣から年内に完成するように指導を受ければ、被告チッソとしては荏原インフィルコ株式会社に完成を急がせるというだけのことにすぎないのであって、通産大臣が行政指導をしたから被告チッソがこれに従ったというよりも、通産大臣は格別の行政指導は行っていないとみる方がむしろ正しいであろう。これに対して、工場の操業停止ということについてみると、被告チッソは、有機水銀説を批判し、水俣病の原因がチッソ水俣工場の工場排水であることの証明がないとして、漁民や水産庁担当者からの工場排水停止の要望を拒否していたのであるから、通産大臣が行政指導を行ったとしても、被告チッソにおいてこれに任意に従うとはにわかに考えにくく、そして、被告チッソらからなされていた有機水銀説に対する反論にもその当時の研究状況では容易に克服し難い点もあったことからすれば、被告チッソを従わせるだけの化学的根拠も十分であったとはいえないであろう。また、水俣地区住民の反応についてみても、昭和三四年一一月当時は水俣病の原因物質が被告チッソ水俣工場の排水にあることが確定されたといえる段階にまでは至っていなかったのであるが、住民の多くが直感的にはチッソ水俣工場の工場排水が水俣病の原因ではないかと感じていたのではないかとも思われるところである。しかし、それでもなお、被告チッソの強い影響力の下にあった同地区の住民においては、工場の操業停止につながる工場排水の全面的停止に反対する空気が強かったのであり、むしろ工場排水の停止を求める漁民の側が孤立しているような状況があったのである。このような住民意識を現在から振り返ってどのように評価するかという問題は別として、このような状況もまた通産大臣に工場排水停止の行政指導をなすべき作為義務が生じるとするには障害となるものといえよう。
このようにみてくると、被告チッソの代表者や水俣工場の管理者において工場の操業を停止すべき義務が生じていたかの問題はともかくとして、通産大臣に被告チッソに対し工場排水を停止するよう行政指導をすべき作為義務が生じるような前示の限定された状況にあったかの問題としては、これを否定的に解さざるを得ないということになるのである。
4 次に、通産大臣に、被告チッソに対して、熊大研究班で有機水銀説が発表された後の段階において、有機水銀を除去できる排水浄化装置を設置させる方法、閉鎖循環方式の採用により廃水を工場外に排出させないようにする方法をとるよう指導すべき作為義務があったかについて検討する。
まず、当時はチッソ水俣工場から無機水銀化合物を含む廃液が排出されていることは明らかであったが、有機水銀化合物が排出されていることは判明していなかったのであるから、有機水銀を除去できる廃水浄化装置の設置を指導するような状況にはなかったと考えられるし、また当時は工場排水中の有機水銀を定量分析することは不可能であったのであり、荏原インフィルコ株式会社の技術部研究課長であった井出哲夫も、当時の技術水準では有機水銀の除去を目的とした廃水浄化設備を作ることができたかどうかは疑問としているところである。[<書証番号略>]また、閉鎖循環方式についてみても、工場の全排水について閉鎖循環方式を採用するということは、当時の技術水準をもってしては不可能であったことが認められる。[<書証番号略>]
そうしてみると、通産大臣が被告チッソに対し、有機水銀を除去できる排水浄化装置を設置するよう指導したり、閉鎖循環方式の採用により廃水を工場に排出しないよう指導したとしても、被告チッソにおいてこれに従うであろうと推測できるような状況にはなかったのであるから、通産大臣にそのような行政指導をすべき作為義務が生じるような状況にあったとは言い難いことになる。
5 さらに、通産大臣に、被告チッソに対し、閉鎖循環方式の完成までの間アセトアルデヒド酢酸製造施設及び塩化ビニールモノマー製造施設の操業を停止するよう行政指導をすべき義務があったかについて検討する。
まず、塩化ビニールモノマー製造施設からの排水については、すでに検討したとおり、現時点においては水俣病の原因としては否定的に解されているので、これに対する行政指導の不作為と因果関係のある損害の発生というものは考えられないから、これを検討から外すこととする。
アセトアルデヒド排水についてみると、前記2で検討したとおり、その当時の状況からみて行政指導の面でもアセトアルデヒド排水に中心を置くことは可能であったと考えられるのであり、アセトアルデヒド酢酸製造施設からの水銀の流出を極力なくするよう指導することが妥当であったといえよう。もっとも、被告チッソ自身も酢酸プールの設置、精ドレン装置内循環方式の採用などの一応の方策はとっているわけであるから、ここで行政指導の不作為として問題となるのは、アセトアルデヒド排水がチッソ水俣工場外に流出することがないような排水処理方法が完成するまでの間、アセトアルデヒド酢酸製造施設の操業を停止するよう行政指導すべき義務があったかどうかということになろう。しかし、すでにみたとおり、通産省の依頼により東京工業試験所が昭和三四年一一月二六日以降チッソ水俣工場排水中に含まれる総水銀の分析を行っているのであるが、その結果は七六日中六九日が0.02ppm未満となっているのである。この分析が再現性のあるデータであるかという問題はさておき、仮にチッソ水俣工場排水中の総水銀の量が大半は0.02ppm未満という程度であるとすると、後の昭和四五年に制定された水質汚濁防止法に基づく排水基準を定める総理府令による「水銀につき検出されないこと」との排水基準にも合致することになるのであって、この数値は無機水銀の数値としてみれば格別問題のあるものではないのである。現時点でみれば、問題はそのなかに有機水銀化合物が含まれているかどうかということなのであるが、この時点では工場排水中に無機水銀化合物が含まれていることは明らかであったが、有機水銀化合物が含まれていることは判明していなかったのであるから、アセトアルデヒド酢酸製造設備の操業停止といった行政指導を行うことは困難と考えざるを得ず、そのような行政指導を行うためには、更にアセトアルデヒド排水中に有機水銀化合物が含まれていることが解明されることが必要であったといえよう。
そうしてみると、原告らの主張する時期においては、通産大臣に被告チッソに対し、閉鎖循環方式の完成までの間アセトアルデヒド酢酸製造施設及び塩化ビニールモノマー製造施設の操業を停止するよう行政指導をすべき義務が生じるような状況にあったとまではいい難いのである。
三住民に対する行政指導
原告らは、被告国・県が行った漁獲禁止、摂食禁止の行政指導は不十分、不徹底なものであったため、何らの実効を収め得ず、水俣病患者の続発をもたらしたと主張している。以下、これらの主張について検討する。
1 まず、被告国・県の公務員に行政指導をすべき作為義務が発生していたか否かについて検討する。
昭和三二年の初めころまでには、喜田村らの疫学調査などによって、水俣病が水俣湾で漁獲された魚介類を媒介とする食中毒であるとの説が次第に有力となり、同年二月二六日の熊大研究班の第二回研究会では、少なくとも水俣湾内の漁獲を禁止する必要があるとされ、さらに同年四月には伊藤所長の猫実験の成功によって、水俣病が水俣湾内に生息する魚介類を摂食することにより発症するものであることが確認されたこと、以上の事実は前記認定のとおりである。したがって、水俣湾内に生息する魚介類を反復して多量に摂食する可能性のある沿岸住民の生命、身体、健康に対する差し迫った重大な危険が発生していたことは明らかであり、すでに多数の犠牲者が発生しており、そのままでは更に犠牲者が発生する虞れが濃厚であるという状況があったのであるから、それを防止しようとすれば、水俣湾内での漁獲及び水俣湾で漁獲された魚介類の摂食を止めさせる必要があったことは明らかである。
ところが、このような事態は歴史上初めて経験するところのものともいえるものであったから、このような事態の発生を想定した法令はなく、食品衛生法その他の法令上、厚生大臣、熊本県知事等の行政庁には漁獲を一般的に禁止するというような規制権限がなかったことはすでに説示したとおりである。しかし、食品衛生法は、飲食に起因する衛生上の危害の発生を防止し、公衆衛生の向上及び増進に寄与することを目的として制定され、厚生大臣、都道府県知事に対し、右の目的を達成するための種々の権限を付与しているのであるから、このような状況において、水俣湾内の魚介類の摂食による危害の発生を防止するための行政指導を行うことは厚生大臣及び熊本県知事の責務に属するものといってよい。そして、厚生大臣や熊本県知事において、関係住民、特に漁民に対して水俣湾内に生息する魚介類が有毒化している虞れがあることを示し、漁獲及び摂食を止めるよう求めたならば、右措置はまさに関係漁民の生命、身体、健康を保護しようとするものなのであるから、通常は関係漁民においても自らの生命、身体、健康を守るためにこれに従い、格別の反対もないであろうと推測することができ、その実効性を担保するものは生活の糧を奪われることになる漁民の生活救済対策の問題であると考えられるのである。以上のような状況をみてくると、水俣病が水俣湾産の魚介類を媒介とする食中毒である疑いが強まるにつれ、漁獲自粛の行政指導の要請が高まっていたものということができるが、遅くとも昭和三二年四月に伊藤所長の猫実験等により水俣病が水俣湾内に生息する魚介類を摂食することにより発症するものであることが確認され、これを厚生大臣、熊本県知事においても認識した段階においては、厚生大臣及び熊本県知事に、水俣湾産の魚介類を反復して多量に摂食する可能性のある関係住民に対し、水俣湾内における漁獲及び水俣湾で漁獲された魚介類の摂食を止めるよう指導すべき作為義務が発生していたものというべきものである。
2 ところで、原告らは出水市及びその周辺に居住していた者であり、水俣湾沿岸に居住していた者ではないのであるから、水俣湾産の魚介類を反復して多量に摂食する可能性があったのかどうか、原告らに対する関係においても厚生大臣及び熊本県知事の作為義務が生じていたのかどうかが問題とならざるを得ない。しかし、ここでは、右の問題点を保留して、厚生大臣、熊本県知事、あるいはその補助機関によって、右の行政指導がなされたのかどうかについて検討することとする。
(一) まず、どのような行政指導、あるいはそれを受けた漁獲自粛措置がされていたかについてみる。
前記認定の事実<書証番号略>を合わせると、次のような事実を認めることができる。
(1) 昭和三一年一一月三日の熊大研究班の第一回研究会において、水俣病の病原物質の人体への侵入を媒介するものとして魚介類が疑われる旨の報告がなされたことから、伊藤所長らは、患者の続発を防ぐため、水俣市役所や水俣漁協を通じ、さらには隣組の組織や各種会合を利用して、魚介類の摂取が危険であるので摂取しないように現地住民を指導し、また、新聞記者に対しては、事態が重大であるので危険性を大きく報道するよう依頼するなどして、水俣湾産魚介類の摂食及び漁獲の自粛を要請した。
(2) 昭和三二年三月四日に開催された水俣奇病対策連絡会においては、想定海域における自主的操業禁止の勧告などの措置を講じることが決定された。
(3) 同年八月一四日、水俣奇病対策懇談会において、熊本県側から想定危険海域の範囲について説明がなされ、その後、同月中に、想定危険海域を、明神崎、恋路島北端、恋路島針の目崎、柳崎を結ぶ線以内の海域とすることで水俣漁協と合意に達した。
(4) 昭和三三年八月、新患者(生駒秀雄少年)の発生があったことから、熊本県は、水俣湾内の魚介類を摂取することは危険である旨を周知徹底させるべく、広報活動を行うこととし、熊本県経済部長は、地元漁協に対し、従前の操業自粛の申合せを遵守するように通知するとともに、県内各漁業協同組合長、県漁業協同組合連合会長及び九州各県の水産主務部長らに対し、水俣湾内での操業を行わないよう指導方を願う旨を想定危険海域の図面を添付して報告した。右想定危険海域の範囲は、昭和三二年八月に水俣漁協が設定した範囲よりもやや広くなっていた。
(5) 昭和三四年七月ころ、水俣漁協は、想定危険海域を拡大して、津奈木村勝崎から恋路島外端、鹿児島・熊本県境を結んだ線までとすることを申し合わせた。
その後の水俣漁協の操業自粛区域設定の経過は、昭和三六年三月に大崎、丸島、明神崎、恋路島北端、恋路島針の目崎、柳崎を結んだ線以内に縮小され、昭和三七年四月に明神崎、恋路島北端、恋路島針の目崎、柳崎を結んだ線以内に縮小され、昭和三八年九月に恋路島中央突端、月の浦突端、明神崎、恋路島北端の線に縮小され、昭和三九年五月にいったん全面解除された。[<書証番号略>]
(6) 昭和三四年八月、出水市で水俣病猫の発生が確認されたことから、同月一四日、出水漁業協同組合は、組合員に対し、水俣市付近での操業をしないこと、水俣付近で漁獲された魚類は組合揚場で受け入れない旨を通知し、同月一九日付で、再度組合員に対し、水俣沖で漁獲された魚は市場で取り扱わないこと、漁業権のない水俣海面では操業を絶対にしないことを通知することとした。
(二) 以上のような行政指導がどの程度効果をあげたのかについてみることとする。
(1) 前記認定のとおり、熊大研究班第二報に掲載された喜田村らの報告からすると、昭和三二年の六月段階でも水俣湾内で一部漁獲が行われていたことが窺われるが、喜田村らは、「以上のごとく水俣湾内での漁獲は依然継続実施されているが、現地の住民は全然これを摂食していない。これは彼らは当該疾患の恐ろしさを目のあたりみて又それが魚貝の摂食に基づくものであることを十分認識している点と、現地水俣保健所の伊藤所長以下の熱心な個別指導による魚貝摂食禁止の勧奨にもとづくものであろう。」と述べて、水俣保健所による指導を評価している(前記第三章、第一、二、11参照)。
(2) <書証番号略>、証人レオナード・T・カーランドの証言によれば、次の事実が認められる。
カーランド博士は、昭和三三年九月及び昭和三五年二月の二度にわたって来日して、水俣を訪れており、二人の学者との共著により学術雑誌「Warld Neurology」一九六〇年一一月号に「Minamata Disease」という論文を載せているが、その中で、勧告の一つとして、「水俣湾産の魚介類が現時点でなお有毒であるという証拠がある。それゆえ、この海域における漁獲の禁止措置は、適切な動物実験によって安全であることがわかるまで強制され続けるべきである。」と述べている。この記述に関して、同博士は、当時漁獲禁止令が執行されているという印象を持っていた、水俣湾付近でよく赤い旗を見かけたが、これは漁師に対してこの付近では漁をしないようにという警告のサインであるという説明を受けたと証言している。
(3) 証人開田幸雄の証言によれば、水俣漁協では組合員の合意によって漁獲の自主規制を行い、同証人自身も自主規制を守っていたこと、水俣漁協でも監視船で他の漁業者の漁獲を監視していたことが認められる。ただし、同証人は、右の自主規制は組合員以外の漁業者に対しては拘束力がなく、実際上も完全には規制されてはいなかったという趣旨の証言もしている。
(4) 証人橋口三郎は、前記出水漁協が昭和三四年八月に水俣方面で操業しないよう通知したことは記憶にないものの、漁協の役員から水俣湾近くには行かない方がいいよと言われたことはあったように思うとの証言をしている。
(5) <書証番号略>によれば、当時の主な新聞報道としては、次のような記事が掲載されたことが認められる。
ア 昭和三二年一月二五日、二六日に行われた国立公衆衛生院における発表会では、奇病はある種の重金属の中毒であり、中毒の媒介には魚介類が関係あるものと思われるというのが一応の結論であったが、新聞報道においても、危険が解除されるまでは魚介類を食べないようにするとの点に注意することとしたなどと報じられた。[<書証番号略>]
イ 昭和三二年二月一四日の熊本日日新聞は、「魚介類が媒体であることが明らかになったため市民全体が奇病ノイローゼに陥り、同湾内でとれる魚は一切売れない。対策委員会の委員の一人は、買手がないので湾内での漁獲は一切やめている‥と訴えている。」と報じている。[<書証番号略>]
ウ 同年八月一三日の熊本日日新聞は、「水俣湾の漁獲を禁止」「ちかく知事告示」との見出しで、熊本県が知事名で水俣湾の漁獲を禁止する旨の告示をすることになったと報じているが、水俣漁協中村参事の話として、「奇病発生以来原因が水俣湾内の魚介類にあるらしいため事実上漁労は中止しているが、科学的な結論が出なかったので組合としては禁止したくてもできない立場にあった。(以下略)」との談話を載せている。[<書証番号略>]
エ 同年九月四日の熊本日日新聞は、「水俣の奇病」「新患者が発生」との見出しで、水俣市月の浦の中津美芳の発病について報じているが、中津の話として、「百間港から袋にかけての湾内通称マテガタ内の魚介類は危ないというので昨年の奇病発生以来全く食べていない。現在漁労は天草付近まで出かけており、結局病院でもいわれたことだが、体内の潜在毒素が体の衰弱したときに出たものと思う。(以下略)」との談話を、また、渡辺栄蔵奇病罹患家庭互助会会長の話として、「魚介類が危険だという学者の言葉を守って湾内における漁労は中止してきたのに‥(以下略)。」との談話を載せている。[<書証番号略>]
オ 昭和三三年八月一七日の西日本新聞は、「水俣湾の魚食べるなと再警告」との見出しで、「一年半ぶりの水俣病の発生は地元民に大きなショックを与えたばかりでなく、漁獲休止の地元との申合わせを無視する他県や、地元の漁民に危険を告げる赤信号となった。県公衆衛生課は地元に水俣湾の魚を食べるなと再警告するとともに夜陰にまぎれて密漁する鹿児島県船などの近接県に対して水俣病の危険性を警告、漁獲をやめるよう呼びかけ、今後この種の密漁船が横行すれば、県水産課と連絡して取締船『阿蘇丸』『はやて』を出動させる計画をすすめている。(以下略)」と報じている。[<書証番号略>]
(6) 被告国・県の公務員に確認されていた水俣病患者の発生状況についてみると、前記認定の事実に<書証番号略>を総合すると、次のような事実を認めることができる。
昭和三一年五月一日の公式発見以後同年一二月一日までの間に二五名が発症し、公式発見以前にも二七名の患者が発生していたことが確認されているが、その後前記のとおり生駒少年が発症した昭和三三年八月三日までの約一年八か月間は患者の発生は確認されていない。その後同年九月中に水俣市丸島に住む尾上ナツエと同市梅戸に住む田中ケトの二名が新たに発病している(ともに同年中に死亡)。水俣保健所長が作成した患者発生報告書[<書証番号略>]によると、尾上ナツエは、同年夏以来夫が明神付近でタコを取ってきてこれを相当量食していた、タコを取った場所は水俣湾の出はずれであったとされており、記載されている図からみると、その場所は明神崎の北側の水俣湾をやや外れた場所のようである。
田中ケトについての患者発生報告書[<書証番号略>]では、「水俣病発生以来、水俣湾の魚介類は食べていないというが、その点は疑わしい」と記載されており、記載されている図からみると、魚をとった場所は尾上ナツエとほぼ同じ場所のようである。その後、昭和三四年三月までは新たな患者の発生は確認されていないが、同月に至り、水俣湾沿岸地域ではなく、水俣川河口付近に居住している者から新たな患者(森重義)が発生し、その後、芦北郡津奈木村、湯浦町、計石でも患者が発生するなど患者の発生地域が北上していった。その一方で、出水市においても、昭和三四年六月に釜鶴松が、同年九月には西武則が発病し、右両名は昭和三五年二月に水俣病と診断された。熊本県知事作成名義の新患者発生の報告書[<書証番号略>]では、釜について「漁場は鹿児島のあき(原文のまま)より茂道周辺でやっており」と、西について「漁場は長島近くが主であり、人の話では水俣へ行った噂がある」と記載されており、水俣湾内で操業したのではないかとの疑いがもたれたようであるが、はっきりしたことは把握されていない。同年一一月にも出水市米の津の患者一名(長井一雄)が確認されているが、発症時期は昭和三四年八月ころと判明している。[<書証番号略>]なお、その間水俣湾沿岸及びその周辺地区においては新たな患者が五名発生している。昭和三五年一〇月以降は新たな患者の発生が確認されなくなり、水俣病患者の発生は終息したといわれるようになった。熊大医学部水俣病研究班が昭和四一年三月に刊行した「水俣病―有機水銀中毒に関する研究」に所収の野村茂「水俣病の疫学」[<書証番号略>]でも、「第一例は昭和二八年一二月一五日発症、昭和三五年一〇月九日の発症例を最後としている。患者は、昭和二九年、三〇年と多発し、三一年に至って激増をしめしている。三二年、三三年に発生数少なく、三四年に再び多発し、三五年に若干の発生をみて後、本疾患の流行は終息している。」とされており、当時はこのような認識が一般的であった。[<書証番号略>]
以上認定の(1)ないし(6)の事実からすると、熊大研究班により水俣病の病原物質の人体への侵入を媒介するものとして魚介類が疑われる旨の報告がされて以降、水俣湾内の漁獲及び魚介類の摂取に関する行政指導がなされ、水俣湾内の魚介類が危険であるとの認識が浸透したことと、水俣病の惨状を目のあたりにした地域住民の恐怖感とが相俟って、水俣湾内における漁獲が自粛され、漁民がこれを摂食しなくなっていったことは確かであると思われる。もちろん、右(6)の水俣病患者の発生状況は、あくまでハンター・ラッセル症候群を中心とする当時の水俣病の病像論を基礎とするものであり、また、さまざまな社会的要因により患者発生の表面化が抑えられたという事情もあったものと考えられるところであって、現在では、熊大二次研究班の調査などにより、すでに当時発症していながら水俣病と公式に診断されていなかった患者が相当数存在していたことが明らかになっているのであるが、被告チッソ水俣工場からのメチル水銀の流出が減少していない昭和三二年から三三年という時期に、このように公式患者の発生が激減したということは、やはり当時なされた行政指導が相応の効果をあげたものとみるべきであろう。昭和三四年以降の新たな患者の発生については、当時水俣湾内の想定危険海域の魚介類を多食したのではないかと疑われた者もいたようであるが、昭和三三年九月に被告チッソ水俣工場がアセトアルデヒド製造工程の排水路を水俣川河口に変更したことによると考えるのが最も合理的と思われる。もっとも、右にみてきたところによれば、昭和三二年ころ以降においても、水俣湾内の奥部はともかく、湾外に近いところや水俣漁協の定めた想定危険海域をやや外れた所で漁獲した魚介類を摂食して水俣病に罹患したという者も例外的にせよ存在するものと思われるから、当時の行政指導が十分なものであったかについては問題がないとはいえないが、前述したところによれば、昭和三二年ころ以降の摂食によって水俣病に罹患した患者の大部分は、水俣湾内の魚介類ではなく、同湾外の魚介類の摂食に起因するものと解するのが相当と思われる。
3 原告らは鹿児島県出水市及びその周辺に当時居住していたものであり、証拠上水俣湾内での漁獲を継続的に行っていたと認められる者はなく、水俣湾内で漁獲された魚介類を多食していたとは認め難いのであって、出水市及びその周辺に発生した水俣病患者の大部分は、水俣湾外の海域、特に出水海域で漁獲された魚介類の摂食によって水俣病に罹患したものと考えられる。
そこで、次に厚生大臣及び熊本県知事に、本訴原告らに対する関係において、水俣湾外の不知火海海域における漁獲自粛の行政指導をすべき作為義務が生じていたかが問題となってくるので、これについて検討する。
前記第三章、第一で認定した事実によれば、昭和三四年三月以降患者発生地域が水俣湾沿岸以外の地域にも拡大するまでの間は、有毒性を帯びている魚介類は水俣湾内に生息しているものと考えられており、水俣湾外の魚介類まで水俣病を発生させるだけの有毒性を帯びているという指摘はされていなかったものと認められる。もちろん、水俣湾内に危険な魚介類が生息していれば、その魚介類の一部が湾外に回避していくことのあろうことは、一般的には当然に考えられることであり、水俣湾の内部と外部とで魚介類の有毒性がにわかに変わるというものでもあり得ないであろう。しかし、水俣湾外といっても、どの海域における漁獲を自粛するよう指導すべきなのか全く根拠があるわけではなく、かかる規制を行えば水俣市のみならず不知火海全域にわたる漁民の生活に極めて大きな影響を与えることも明らかであるから、水俣湾外の魚介類まで水俣病を発生させるだけの有毒性を帯びているというような根拠のある指摘がされていない状況においては、厚生大臣及び熊本県知事に、水俣湾外の不知火海海域における漁獲自粛の行政指導をすべき作為義務が生じていたとまではいえない。
昭和三四年三月以降患者発生地域の拡大をみた後においては、水俣湾のみならず、より広い範囲の海域に生息する魚介類が有毒性を帯びている疑いが濃厚となったものということができる。現在では、すでにみたとおり、その原因は昭和三三年九月に被告チッソが水俣工場のアセトアルデヒド製造工程の排水路を水俣川河口に変更したことにあると考えられるのであるが、右排水路変更の事実を被告国・県の公務員がいつごろ認識したのかは証拠上必ずしも明らかではなく、被告国・県は、昭和三四年六月ころ排水路変更の事実を漠然とではあるが知るに至ったものと主張しており、伊藤水俣保健所長は、同年四月二四日に水俣病と診断された中村末義の発病の報告の中で、「漁場が水俣湾より遙かに離れた水俣川河口付近なので、毒物の拡散も考えられるが、或は水俣湾入口で毒物のためフラフラになった魚類が風と潮にのって河口付近に遊泳してきたものをとって食したものとも考えられる。」と述べており、同所長において、その頃はまだ排水路変更の事実を認識していなかったことは確かであると思われる。被告国・県の公務員においても排水路変更の事実を認識した後の昭和三四年七月ころには、水俣漁協が想定危険海域を拡大して、津奈木村勝崎から恋路島外端、鹿児島・熊本県を結んだ線までと拡大することを申し合わせたこと、同年八月には、出水市で水俣病猫の発生が公式に確認されたこと、昭和三五年二月には、出水市で前年の夏ころから症状が発現していた二名の患者(釜鶴松、西武則)が公式に水俣病と診断されたこと、鹿児島県衛生研究所が昭和三五年度に実施した住民の毛髪水銀量調査では、出水市米ノ津地区では五〇ppm以上であった者が四四五名中一四三名(32.1パーセント)と高率であったことは、前記認定のとおりである。
このような事実からすると、危険海域が拡大し、出水市及びその周辺においても多くの住民が有機水銀に暴露されていたことが次第に明らかになってきたものということができる。しかし他方、危険海域の拡大の主因と思われた被告チッソ水俣工場アセトアルデヒド廃水の水俣川河口への排出は昭和三四年一〇月に廃止されており、酢酸プールやサイクレーター設置などの措置が講じられていること、その後一〇年余り鹿児島県内においては水俣病患者の発生が公式には確認されなかったこと、昭和三六年度及び昭和三七年度の毛髪水銀量調査では、昭和三五年当時と比較すると相当の減少が認められていること、右のような状況から当時出水沖海域の漁獲規制をすべきであるといった世論もなかったこと、出水沖を含む不知火海全域の漁獲を規制するような行政指導が広域にわたる関係漁民らに極めて大きな打撃を与えるものであることなどを考慮すると、右のような経過のなかにおいては、患者発生地域の拡大をみた昭和三四年三月以降の時点であっても、厚生大臣及び熊本県知事に、水俣湾外の不知火海海域における漁獲を止めるよう行政指導をすべき作為義務が生じていたとまではいうことができないのである。
4 以上のとおりであるから、厚生大臣及び熊本県知事が、原告らに対し、行政指導の不作為による損害賠償義務を負うことはないものというべきである。
第四緊急避難的行政行為について
一原告らは、緊急避難的行政行為という概念を定立し、国民の生命、健康、財産に対する重大な侵害の危険が切迫し、行政庁がそれを容易に知り得るときには、直接個々の国民の生命・健康の安全確保を目的とした右の事態に即応する行政法規がないときでも、当該行政法規の目的が間接的究極的には個々の国民の生命、健康の安全の確保にあり、当該行政法規の定める規制権限を行使することによって右重大な侵害を防止若しくは排除することが可能である場合には、緊急避難的行為として当該行政法規を適用すべき義務があり、さらに、右のような行政法規が存在しない場合においても、個々の国民の生命、健康に対する重大な侵害の危険が現実化し若しくは切迫している場合においては、規制権限が発生し、行政庁は規制権限を行使し、あるいは強力な行政指導をするなどあらゆる可能な手段を尽くして危害の発生の防止及び排除の措置を採るべき法的義務があるという趣旨の主張をし、緊急避難的状況とは裁量権収縮の要件に示された状況にほかならないと主張しているので、これについての判断を示しておくこととする。
二本件において問題となっているのは、規制権限行使の要件を充足していない場合において、規制権限の行使はできないと判断して、当該規制権限を行使しなかった公務員の不作為を国賠法上違法と評価できるかである。国民の生命、健康、財産が危殆に瀕しているという緊急事態において、本来規制権限行使の要件を充足していないにもかかわらず、国民の生命、身体、財産に対する重大な侵害を防止するためにこれを行使した公務員の責任が問題となっているのであれば、条理上その行為の違法性が阻却される場合があると解する余地はある。しかし、これに対して、本件のような場合の公務員の行為が違法であり、かつ、故意又は過失をも認め得るというためには、当該公務員に、かかる緊急時には公務員はその与えられている権限を本来の規制目的外にも行使しなければならないという行為規範が事前に与えられていなければならないはずであるが、そのような行為規範の存在を一般に承認することは法律による行政の原理に背馳するものであって、およそ不可能というべきである。さらに、規制権限がない場合においても、新たに規制権限が発生し、かつ、これを行使すべき法的義務が生じると解することは、それ以上に問題が大きく、かかる見解を採用することは到底できないのである。
三なお、緊急避難的行政行為という概念を用いている学説においても、そうした緊急の状況があるときには、行政庁が緊急措置として行政指導による対策を講ずべきことが主張されているにとどまり、原告らの主張のように、新たに規制権限が発生するとか、本来の規制目的外にも行使しなければならないとまでは主張していないようである。もっとも、単に、行政庁の権限等が明示的に規定されていない場合でも、国民の生命、健康、財産への重大な侵害の具体的危険が切迫し、それを容易に知り得るときは、行政庁は行政指導によって現実的になし得る規制の措置に出るべきであるということであれば、当裁判所も前記第三で説示したとおりそれとほぼ同旨の見解に立つものであるが、ことさらに「緊急避難的」行政行為という概念を持ち出す必要に乏しいといえよう。「緊急避難的」な行政行為という概念を提唱するのであれば、刑法上の違法性阻却事由としての緊急避難からの類推として、むしろ原告らが主張しているように、規制の名宛人に対する関係において、本来規制権限が存在せず、あるいはその行使の要件を充足していないにもかかわらず、第三者たる国民の生命、健康等を保護するために、行政庁が例外的に発生する規制権限を行使してなす行政行為を意味するものとする方がふさわしく、また、その場合の規制の名宛人に対する行政行為の違法性阻却の問題として論じるのがふさわしいともいえよう。
緊急避難的行政行為という概念を定立することについては以上のとおりいえるのであるが、それ以上に原告らの主張するような緊急避難的行政行為論を採用することはできないのである。
第五章原告らの水俣病罹患(個別的因果関係)・総編
第一節水俣病認定制度と五二年判断条件
一はじめに
本訴において、原告らは、被告チッソらに対し、水俣病に罹患していると主張して不法行為による損害賠償を請求し、被告国・県に対し、原告らの水俣病罹患は被告の国・県の公務員の規制権限の不行使によるものであると主張して国家賠償法一条に基づいて損害賠償を請求しているところ、被告らは、原告らが水俣病に罹患していることを争っている。したがって、原告らの本訴請求において、原告らが水俣病に罹患しているか否かという問題は、被告チッソの水俣工場がアセトアルデヒド製造工程において副生されたメチル水銀化合物を含む工場廃水を不知火海に排出した行為と原告らに発現していると主張されている健康障害との個別的な因果関係の有無の問題にほかならず、それをどのような基準によって認定することが適切かが問題となる。
ところで、後記認定のとおり、水俣病をめぐる紛争において、昭和四八年三月二〇日の熊本第一次訴訟判決の後、被告チッソと水俣病患者各団体との間で補償協定が締結され、右協定により、協定締結以降に公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法(以下「救済法」という。)、公害健康被害補償法(昭和六二年法律第九七号により題名を公害健康被害の補償等に関する法律と改正、以下「補償法」という。)により認定された患者に対しても、同人が希望する限り、被告チッソから慰謝料その他の手当の支給を受け得るものとされて、水俣病認定申請患者が認定を受けた場合には右協定に基づいて被告チッソと和解しているという状況にある。
原告らはいずれも、救済法、補償法に基づいて鹿児島県知事に対し水俣病の認定を申請したところ、鹿児島県知事から棄却処分を受けた者であり、鹿児島県知事は、右各処分をするに際し、鹿児島県公害健康被害認定審査会に諮問をしたところ、同審査会は、原告らについて「水俣病の判断条件に該当せず」との医学的判定を下してこれを鹿児島県知事に答申し、鹿児島県知事はこれを受けて原告らに対し棄却処分をしたものである。[<書証番号略>以下の原告ら個人に関する書証のうちの鹿児島県公害健康被害認定審査会会長作成にかかる「水俣病認定申請者の審査について(答申)」と題する書面]
原告らは、本訴において、水俣病に罹患していると主張して、鹿児島県知事の右処分及び右の審査会答申にいう水俣病の判断条件、すなわち環境庁環境保健部長が昭和五二年七月一日付けで発した「環境保健部長通知(後天性水俣病の判断条件)」(以下「五二年判断条件」という。)が水俣病の認定基準として不当であると主張し、水俣病の認定基準として、
① 不知火海の魚介類を多食し、有機水銀汚染歴を有すること。
② 四肢末梢型感覚障害を主徴とする有機水銀中毒の症状を呈すること。
③ ②の症状が専ら他疾患によるものであることが明らかでないこと。
以上の三要件を提示している。
これに対し、被告国・県は、五二年判断条件は医学的に水俣病と診断できる最低限度の要件を示しているものであるとして、原告ら個々人が水俣病に罹患している高度の蓋然性があることを証明すべき責任を負っている国家賠償請求訴訟である本件において、高度の蓋然性をもって水俣病に罹患していると認められる者とはいかなる者であるかを考える場合、その判断は原告ら個々人ごとに現在の医学的知見に基づいて慎重にされるべきであるという大前提はあるにせよ、少なくとも五二年判断条件を充足している必要があると主張している。
本訴は、直接には、鹿児島県知事が原告らに対し右処分をしたことの当否が争われているものではなく、また、本訴においては、先に述べたとおり、原告らの被告に対する損害賠償請求権が発生するための要件事実としての個別的因果関係の有無を判断するにあたっていかなる認定基準によることが適切かが問題になるのであって、補償法上の認定業務をする上でいかなる判断条件によるべきかが直接問題となるものではない。したがって、五二年判断条件についても、それが補償法上の認定業務をする上での判断条件として示されているものである以上、右判断条件の当否そのものというよりも、前記の個別的因果関係の有無を判断するに当たってそれをどのように評価すべきかが問題となるものといえる。しかしながら、原告らは、補償法上の認定においても、損害賠償請求訴訟における個別的因果関係の認定においても共に妥当するものとして前記のとおり一つの認定基準を提示しているのであり、また、水俣病をめぐる紛争が前記のような状況であることからすれば、補償法の認定業務における判断条件の検討は、紛争の全体像をみる上で不可欠であるとともに、本訴において水俣病の病像を検討することの意味を明らかにする上でも有益である。
二水俣病認定制度の経緯
1 救済法制定以前の制度
【証拠】 <書証番号略>
昭和三四年一二月三〇日、被告チッソと水俣病患者家庭互助会との間で見舞金契約が締結され、その三条で「本契約締結日以降において発生した患者(協議会の認定した者)に対する見舞金については甲(被告チッソを指す。)はこの契約の内容に準じて別途交付するものとする。」とされた。昭和三五年二月四日厚生省公衆衛生局に正式に「水俣病患者審査協議会」(委員長貴田丈夫熊本大学教授)が設置され、その任務は、建前としては、「真性患者の判定およびこれに関する必要な調査ならびに水俣市立病院水俣病棟に対する入退院の適否等を審査する」ことであったが、現実には、協議会による認定が見舞金契約三条に基づいて被告チッソから見舞金を受けることのできる患者か否かを決定する機能を営むこととなった。その後昭和三六年九月一四日、この協議会は廃止され、これに代わるものとして熊本県衛生部に「水俣病患者診査会」が設置された。この診査会は昭和三九年三月三一日に改組され、「熊本県水俣病患者審査会設置条例」による審査会となった。この審査会は、委員一〇人以内で組織され、「知事から水俣病真性患者の判定について諮問を受け、会議を開いて判定の結果を答申し」、また、委員長は「その判定に必要な資料を作成するため、あらかじめ委員に診察その他必要な事項の調査を行なわせることができること」になっており、その判定の結果が知事に答申され、真性患者とされた者が県知事から水俣病と認定された。これらの機関もまた、現実には、被告チッソから見舞金を受けることのできる患者か否かを決定する機能を営むこととなった。
2 救済法の制定
【証拠】 <書証番号略>
昭和四四年一二月一五日に公布施行された救済法(医療費等の支給に関する規定については、昭和四五年二月一日施行)は、昭和四二年八月三日に公布施行された公害対策基本法二一条二項に、「政府は公害に係る被害に関する救済の円滑な実施を図るための制度を確立するため、必要な措置を講じなければならない。」と規定されているのを受けて、これら公害の被害者に対し、医療費、医療手当及び介護手当の支給の措置を講ずることにより、その者の健康被害の救済を図ろうとしたものである(救済法一条)。
救済法施行令等の制定に当たって、「公害の影響による疾病の指定に関する検討委員会」(有機水銀関係の委員は、貴田丈夫熊本大学教授、椿忠雄新潟大学教授、徳臣晴比古熊本大学教授、三国政吉新潟大学教授の四名)は、政令におり込む疾病の名称、診断上の留意事項について検討を行い、昭和四五年三月、大要次のような報告を行っている。
一政令におり込む病名として「水俣病」を採用するのが適当である。
水俣病の定義は、魚介類に蓄積された有機水銀を経口摂取することにより起こる神経系疾患とする。
二診断上の留意事項(後天性水俣病について)
① 有毒魚介類摂取の機会があったこと。
② 臨床所見
通常、所期に四肢末端、口回りのしびれ感にはじまり、漸次拡大するとともに、言語障害、歩行障害、求心性視野狭窄、難聴などを来す。また、精神障害、振戦、痙攣その他の付随意運動、筋強直などを来す例もある。
主要症状は求心性視野狭窄、運動失調(言語障害、歩行障害を含む)、難聴、知覚障害であるので、特にこれらに留意する。
③ 検査
必須の検査
視野(ゴールドマン視野計による)眼底 精密聴力検査
必要に応じて行うべき検査
水銀量測定(毛髪、血液、尿) 筋電図 末梢神経生検
④ 類似疾患の鑑別
糖尿病などによる抹消神経障害、動脈硬化症、頚部脊椎症による脊髄末梢神経障害、心因性症状などを除外しなければならない。
このため必要に応じて次の如き諸検査を行う。
頚部レ線検査、脳波、検尿、検血、肝機能検査、腎機能検査、髄液検査、CRPなど。
これらの検討結果を受けて、救済法二条一項、二項に基づく同法施行令一条は、その救済の対象とすべき疾病として水俣病を指定し、救済法二条及び三条は、都道府県知事は右疾病にかかっている者の申請に基づき公害被害者認定審査会の意見を聞いていてその者の当該疾病が当該指定区域に係る大気の汚染又は水質の汚濁の影響によるものである旨の認定を行うと規定し、水俣病の指定地域を管轄する新潟県、熊本県及び鹿児島県にはそれぞれ公害被害者認定審査会が設置された。従来の熊本県水俣病患者審査会設置条例に基づく審査会は解散した。
3 昭和四六年環境庁事務次官通知
【証拠】 <書証番号略>
昭和四五年、熊本県知事、鹿児島県知事による認定申請棄却処分を受けた申請者ら九名が行政不服審査法に基づき厚生大臣に対し審査請求を行ったところ、昭和四六年八月七日、環境庁長官は(環境庁は同年七月一日に発足し、右審査請求にかかる権限は環境庁が承諾した。)、九名に対する認定申請棄却処分を取り消す裁決をした。そして、右同日、環境庁事務次官は、「公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法の認定について(通知)」と題する通知(以下「四六年事務次官通知」という。)[<書証番号略>]を発し、救済法に基づく水俣病の認定の要件等を示した。その内容は別紙九のとおりである。
右裁決、通知に対し、公害被害認定審査会の委員らがこれを不満として辞意の意向を表明したことなどから、同年九月二九日、環境庁企画調整局公害保健課長は、裁決書及び次官通知の解釈について疑義が寄せられたので、これに対する当庁の考え方を知らせるとして、「水俣病認定棄却処分に係る審査請求に対する「裁決書」及び「公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法の認定(環境庁事務次官通知)」について」と題する通知[<書証番号略>]を発した。その内容の骨子は、前記2の「公害の影響による疾病の指定に関する検討委員会」が行った研究報告は水俣病診断の医学的基礎となるものであり、この点については今回の裁決書及び四六年事務次官通知によって何ら影響を受けるものではないとし、認定申請人の示す症状の一部を四六年事務次官通知にいう「有機水銀の経口摂取の影響によるものであることを否定し得ない」とするかどうかについては、裁決書及び事務次官通知の趣旨に従い水俣病に関する高度の学識と豊富な経験を基礎とすべきものであり、この医学的判断をもとに都道府県知事等が認定に係る処分を行うことになる、とするものである。
4 公害健康被害補償法の制定
昭和四八年一〇月、補償法が制定された。これは、救済法における救済内容が医療費等に限定されていたため、その拡大を図ることなどを目的として制定されたものであって、補償法の施行に伴い救済法は廃止された(補償法附則一〇条)。そして、補償法施行の際、現に救済法に基づき認定を受けている者は補償法による被認定者とみなすこととされ、また、右施行の際、現に救済法に基づく認定申請をしている者に対しては、従前の例によりその認定をすることができることとされた(附則一一条、一二条)。救済法の下での公害被害者認定審査会は、補償法の下では公害健康被害認定審査会(以下「審査会」という。)と改組された。
5 水俣病被害者団体と被告チッソとの協定
【証拠】 <書証番号略>
昭和四八年三月二〇日の熊本第一次訴訟判決は、同事件の原告らの損害額(弁護士費用を除く。)を、死亡者本人の慰謝料として最低一〇九〇万円から最高一八〇〇万円、生存患者の慰謝料としては症状の程度のランク付けをせずに概ね一八〇〇万円、一七〇〇万円、一六〇〇万円と算定した。
右判決後患者らと被告チッソとの交渉の結果、同年七月九日、被告チッソと「水俣病患者東京本社交渉団」との間で補償協定が成立し、その後同年一二月二五日、被告チッソと「水俣病被害者の会」との間でも同内容の補償協定が成立した。
その内容は、別紙一〇のとおりであり、主たる内容は、慰謝料としてAランクの患者と死亡者には一八〇〇万円、Bランクの患者には一七〇〇万円、Cランクの患者には一六〇〇万円、終身特別調整手当として一月当たりAランクの患者には六万円、Bランクの患者には三万円、Cランクの患者には二万円を支払う(この手当の額は物価変動に応じて二年ごとに改定する。)、治療費、介護費についても救済法の定める額に相当する額を支払うというものであり、この協定内容は協定締結以降認定された患者についても適用されるものとされた。
これによって、認定を受けた患者は、補償法による給付を受けるか、補償協定に基づいて被告チッソから補償を受けるかを選択することができることになるが、補償協定に基づく補償を受ける方が有利であるから、現実には認定を受けた全員が被告チッソから補償を受ける道を選択しており、本訴の原告らも、認定申請の際に、補償法一〇条に基づく補償給付についての教示を受けたが、認定された場合はチッソ株式会社の補償を受けることとしたいので、同法一〇条に基づく補償給付の申請はしないとの申立書を提出している。[<書証番号略>]
6 五二年判断条件
【証拠】 <書証番号略>
昭和五〇年、環境庁は、水俣病の認定に行うに当たっては、疫学的事項、症状の把握、各種の臨床的検査の実施、他疾患との区別などについて種々の問題があり、四六年通知にいう「有機水銀の影響が否定しえない場合」とは具体的にいってどういう場合であるかについて、臨床、疫学両面から、具体的な判断条件の整理を行うことができれば、水俣病の認定ならびに関連業務を円滑に行うことに役立つとして、水俣病認定検討会を設置し、熊本県、鹿児島県、新潟県(市)の審査会の現委員や元委員等に水俣病の判断条件の検討を委嘱した。[<書証番号略>]
昭和五二年五月三一日、熊本県知事は、環境庁長官に対し、「水俣病認定業務促進に関する要望書」を提出し、大要次のような措置を希望した。[<書証番号略>]
一水俣病認定業務は一県の能力をはるかに超えたものであるので、国において直接処理すること
二 一の要望事項が実現されるまでの対策として、
1 審査・認定基準の明示
2 死亡者等であって「わからない」として答申された事例についての処分基準の明確化
3 国の上級審査機関の設置
4 検診業務の促進のための、常駐医の確保、県外における検診窓口の整備、国立水俣病研究センターにおける検診体制の整備、検診方法等の統一整理、病理解剖の体制整備
5 認定申請者治療研究事業の適用条件の緩和措置、あるいは現在の認定か棄却のいずれかしかない処分の区分を改正し、あらたに医療救済のみを行う区分の新設等によって、認定申請者が安心して医療を受けられるような制度を確立すること
6 現地の実情にそくした国の水俣病対策業務の推進
7 補償協定による加害企業の民事責任の履行にあたって、当該企業の経営状態等が重大な障害となることのないよう適切な措置を講じるとともに、今後当県が水俣病問題を処理していくに当たって、いかなる財政負担を必要とする事態が生じた場合であっても、絶対に当県に対し過大な負担をかけない措置をとることを確約すること
昭和五二年七月一日、環境庁機関調整局環境保健部長は、前記委嘱結果を受け、「後天性水俣病の判断条件について」と題する通知を熊本県知事をはじめ各関係機関に発し、医学の関係各分野の専門家による検討の成果を後天性水俣病の判断条件としてとりまとめたので、了知のうえ今後の認定業務の推進にあたり参考とされたいとして、次のような五二年判断条件を示した。[<書証番号略>]
1 水俣病は、魚介類に蓄積された有機水銀を経口摂取することにより起きる神経系疾患であって、次のような症侯を呈するものであること。
四肢末端の感覚障害に始まり、運動失調、平衡機能障害、求心性視野狭窄、歩行障害、構音障害、筋力低下、振戦、眼球運動障害などをきたすこと。また、味覚障害、嗅覚障害、精神症状などをきたす例もあること。
これらの症侯と水俣病との関連を検討するに当たって考慮すべき事項は次のとおりであること。
(1) 水俣病にみられる症侯の組合せの中に共通して見られる症侯は、四肢末端ほど強い両側性感覚障害であり、時に口のまわりまでも出現するものであること。
(2) (1)の感覚障害に合わせてよくみられる症侯は、主として小脳性と考えられる運動失調であること。
また、小脳・脳幹障害によると考えられる平衡機能障害も多くみられる症侯であること。
(3) 両側性の求心性視野狭窄は、比較的重要な症侯と考えられること。
(4) 歩行障害及び構音障害は、水俣病による場合には、小脳障害を示す他の症侯を伴うものであること。
(5) 筋力低下、振戦、眼球の滑動性追従運動異常、中枢性聴力障害、精神症状などの症侯は、(1)の症侯及び(2)又は(3)の症侯がみられる場合にはそれらの症侯と合わせて考慮される症侯であること。
2 1に掲げた症侯は、それぞれ単独では一般に非特異的であると考えられるので、水俣病であることを判断するに当たっては、高度の学識と豊富な経験に基づき総合的に検討する必要があるが、次の(1)に掲げる曝露歴を有するものであって、次の(2)に掲げる症侯の組合せのあるものについては、通常、その者の症侯は水俣病の範囲に含めて考えられるものであること。
(1) 魚介類に蓄積された有機水銀に対する曝露歴
なお、認定申請者の有機水銀に対する曝露状況を判断するに当たっては、次のアからエまでの事項に留意すること。
ア 体内の有機水銀濃度(汚染当時の頭髪、血液、尿、臍帯などにおける濃度)
イ 有機水銀に汚染された魚介類の摂取状況(魚介類の種類、量、摂取時期など)
ウ 居住歴、家族歴及び職業歴
エ 発病の時期及び経過
(2) 次のいずれかに該当する症侯の組合せ
ア 感覚障害があり、かつ、運動失調が認められること。
イ 感覚障害があり、運動失調が疑われ、かつ、平衡機能障害あるいは両側性の求心性視野狭窄が認められること。
ウ 感覚障害があり、両側性の求心性視野狭窄が認められ、かつ、中枢性障害を示す他の眼科又は耳鼻科の症侯が認められること。
エ 感覚障害があり、運動失調が疑われ、かつ、その他の症侯の組合せがあることから、有機水銀の影響によるものと判断される場合であること。
3 他疾患との鑑別を行うに当たっては、認定申請者の他疾患の症侯のほかに水俣病にみられる症侯の組合せが認められる場合は、水俣病と判断することが妥当であること。また、認定申請者の症侯が他疾患によるものと医学的に判断される場合には、水俣病の範囲に含まないものであること。なお、認定申請者の症侯が他疾患の症侯でもあり、また、水俣病にはみられる症侯の組合せとも一致する場合には、個々の事例について曝露状況などを慎重に検討のうえ判断すべきであること。
4 (略)
昭和五三年七月三日、環境庁事務次官は、「水俣病の認定に係る業務の促進について」と題する通知を発した。この通知では、四六年事務次官通知の趣旨について、申請者が水俣病にかかっているかどうかの検討の対象とすべき全症侯について水俣病に関する高度の学識と豊富な経験に基づいて総合的に検討し、医学的にみて水俣病である蓋然性が高いと判断される場合には、その者の症状が水俣病の範囲に含まれるというものであるとし、後天性水俣病の判断については、五二年判断条件にのっとり、検討の対象とすべき申請者の全症侯について水俣病の範囲に含まれるかを総合的に検討し、判断するものとしている。[<書証番号略>]
その後、昭和六〇年八月一六日に福岡高等裁判所で言い渡された水俣病第二次訴訟控訴審判決[<書証番号略>]の判示の中で、「五二年の判断条件は、いわば協定書に定められた補償金を受給するに適する水俣病患者を選別するための判断条件となっているものと評せざるを得ない。従って、昭和五二年の判断条件は広範囲の水俣病像の水俣病患者を網羅的に認定するための要件としてはいささか厳格に失しているというべきである。」との批判を受けたことを契機として、環境庁は、熊本大学医学部教授荒木淑郎、鹿児島大学医学部教授井形昭弘、大分医科大学教授岡嶋透、国立武蔵野医療センター長里吉栄二郎、国立療養所中部病院長祖父江逸郎、東京都立神経病院長椿忠雄、東京都立養育院附属病院長豊倉康夫、水俣市立明水園長三嶋功の八名からなる「水俣病の判断条件に関する医学専門家会議」(座長・祖父江逸郎)を設けて、現時点における水俣病の病態及び環境庁が示している五二年判断条件が医学的に見て妥当なものであるかどうかについて諮問をした。これに対し、同会議は、その検討の結果を「水俣病の判断条件に関する医学専門家会議の意見」として取りまとめ、昭和六〇年一〇月一五日に報告した。
その内容は「後天性の水俣病の典型例は、臨床的に感覚障害、運動失調(構音障害を含む。)、求心性視野狭窄、中枢性聴力障害などを呈する症侯群である。一方、水俣病の非典型例では、上記の症侯がすべてそろっているとは限らず、通常、そのいくつかの組合せが出現する。」とした上で、水俣病における感覚障害の解釈について、「水俣病においては、ほとんどの症例で四肢の感覚障害が他の症侯と併存しつつ出現するが、感覚障害のみが単独で出現することは現時点では医学的に実証されていない。他方、単独で起こる四肢の感覚障害は極めて多くの原因で生じる多発性神経炎の症侯であり、臨床的医学的に特異性がないし、また、四肢の感覚障害は、現時点で可能な種々の検査を行ってもその原因を特定できない特発性のものも少なくない。したがって、四肢の感覚障害のみでは水俣病である蓋然性が低く、その症状が水俣病であると判断することは医学的には無理がある。」とし、判断条件について、「臨床医学的診断は、疾患特異性のある症侯や特異的な検査方法がない疾患の場合には、症侯の現れ方、その経過、いくつかの症侯の組合せにより判断の蓋然性を高めるという方法がとられるのが一般的である。水俣病では、各個の症侯については特異性がみられないので、その診断に当たってもこの原則によらなければならない。したがって、現行判断条件は、水俣病の医学的判断に当たっては、曝露歴を前提とし、症侯の組合せを高度の学識と豊富な経験に基づき総合的に検討する必要があるとしている。現行判断条件は、一症侯のみのもので、医学的に水俣病の蓋然性が高いものを水俣病と判断することを全く否定しているわけではないが、一症侯のみの例があるうるとしても、このような例の存在は臨床医学的に実証されてはおらず、現在得られている医学的知見を踏まえると、一症侯のみの場合は水俣病としての蓋然性は低く、現時点では現行の判断条件により判断するのが妥当である。なお、水俣病と診断するには至らないが、医学的に判断困難な事例があるとの意見があった。」としている(以下この見解を「専門家会議見解」という。)。[<書証番号略>]
7 特別医療事業の実施
【証拠】 <書証番号略>
熊本県、鹿児島県では、昭和六一年度から特別医療事業を実施している。この事業は、水俣病認定申請を棄却された者のうち、一定の居住要件(指定地域等―熊本県水俣市、八代市、天草郡御所浦町、同郡竜ケ岳町及び芦北郡並びに鹿児島県出水市、阿久根市及び出水郡―に昭和四三年一二月三一日以前に居住していた者)及び症状要件(四肢の感覚障害を有し、その原因が不明である者)に該当する者で、知事に対して適用申請をした者を対象として医療費の自己負担分を助成する制度である。再度水俣病認定申請をした場合はこの事業の適用は受けられないこととされている。
8 熊本県の県債発行
【証拠】<書証番号略>
被告チッソの経営は昭和五二年には危機的状態に至り、補償金の支払に支障を生ずる恐れがある状態となった。そこで、国において昭和五三年六月二〇日「水俣病対策について」という閣議了解を行い、熊本県が県債を発行して被告チッソに貸し付けること等の金融支援措置を行うことが取り決められた。
熊本県が被告チッソに対し昭和五三年一二月二七日以降同六二年七月一〇日までに貸し付けた金額は四二三億六一〇〇万円に達している。
9 認定業務の状況
【証拠】<書証番号略>
救済法、補償法の下での認定者、棄却者、保留者の数と割合は別紙一一の昭和四五年以降の欄に記載のとおりであって、近時は著しく認定率が低下している。
三検討
1 以上に認定した経緯によれば、昭和三五年に発足した水俣病患者診査協議会から補償に基づく現在の審査会に至るまで、そこでの水俣病の認定審査とそれに基づく認定は、それぞれの制度上の建前とは別に、現実には被告チッソとの見舞金契約あるいは補償協定に基づいて、被告チッソから見舞金、補償金を受けることのできる者とそうでない者を選別する機能を営んできたものといえる。しかしながら、補償協定についていうならば、それが右のような現実的機能を営んでいるのは、被告チッソが水俣病被害者団体との間において、救済法、補償法によって認定された者という第三者のためにする契約たる性質を有する補償協定を締結した結果にすぎず、そのことによって救済法、補償法に基づく認定のあり方が何らの影響も受けるべきでないことは当然である。
2 救済法は、四六年事務次官通知の第四項に述べられているように、因果関係や立証の故意過失の有無の判定等の点で複雑困難な問題が多いという公害問題の特殊性にかんがみ、緊急に救済を要する健康被害に対し、民事責任とは切り離した行政上の救済措置を施すことを目的として制定されたものであり、補償法は、救済法による給付内容の拡大を図ることを目的として制定されたものである。同法による水俣病の認定の目的は、同法の定める受給資格の有無を判定することにあるのであるから、申請人が水俣病に罹患しているか否かの判断においては、臨床医学上の知見に照らし申請人が水俣病に罹患していると明確に診断し得る場合はもちろん、そのような明確な診断に至らない場合でも、相応の医学的知見に照らし水俣病の疑いがあるとされる事例については、これを水俣病と認定するのがその立法趣旨に適合するものといえる。
右のいう水俣病の疑いとはどの程度のものをいうのかに関して、昭和四七年三月一〇日、当時の大石武一環境庁長官は、衆議院公害対策並びに環境保全特別委員会において、水俣病の認定に関し、「私が疑わしきものは救済せよという指示を出したのでございますが、これは一人でも公害病患者が見落されることがないように、全部が正しく救われるようにいたしたいという気持ちから出したのでございます。ただし、疑わしきは救済せよということは、疑わしいということは、これは御承知かと思いますが、医学的な用語と普通俗に世間で使うことばとは内容が違います。疑わしいというよりも、まず八〇%怪しいとか九〇%そうらしいとか、あるいは、二、三%しか怪しくはないけれどもあいつは怪しいんだというように、ピンからキリまでございます。しかし、医学的には、そういうものは三%とか一〇%というものは疑わしいという範囲には入りません。まず、五〇%、六〇%、七〇%も大体こうであろうけれども、まだいわゆる定型的な症状が出ておらぬとかなんとかいうような、そういうものが疑わしいという医学用語になるわけでございます。私の使っております水俣病の場合の疑わしいというのは、そのような医学的根拠を土台としたわけでございますが、それが一般にはどうも誤解されまして、何でもかんでも片っ端から患者とみてしまえというようなうわさが流れたのは残念でございますが、私の判断は、そのような判断でございます。」と答弁している。[<書証番号略>]
また、椿は、環境庁が五二年判断条件をとりまとめるに当たって設置した認定検討会の構成員としてこれに関与したのであるが、昭和四九年に発表した「水俣病の診断に対する最近の問題点」(「神経進歩」一八巻五号、昭和四九年一〇月)[<書証番号略>]の中で、新潟県新潟市公害被害者認定審査会では、患者を、(1)水俣病である、(2)有機水銀の影響が認められる、(3)有機水銀の影響を否定できない、(4)わからない、(5)水俣病ではない、(6)再検査、のいずれかのランクに分類し、現実には(3)ランク以上の者が県や市により認定されていることを紹介した上で、この大石環境庁長官の発言にふれ、「大石環境庁長官は、五〇%、六〇%、七〇%ぐらい疑われる時には認定するというニュアンスの発言をしている。この数は、著者が初めに述べた「水俣病がもっとも可能性がある場合に診断する」という立場と同じになるので、医学的にも診断する根拠と一致するわけである。これはまた、しばしばいわれるように無定見に「広く救済する」ということではないことを示している。それならば、(3)ランクを、水俣病が五〇%以上考えられる疾患に合わせておけば合理的である。」と述べている。
検討するに、当該疾病に罹患しているどの程度の可能性(なお、「可能性」という言葉は、「蓋然性」という言葉に対して、より度合いが低いものを意味することもあるが、ここでは単に「確率」という意味合いで用いることとする。)がある者に対してどのような救済措置を講じるかということは立法政策の問題であるから、救済法、補償法がどの程度の水俣病罹患の可能性がある者の適用の対象としているかは、救済法、補償法の解釈によって定まることとなる。救済法及びその施行令、補償法及びその施行令は、その対象とすべき疾患について「水俣病」とのみ規定しており、「水俣病」とはいかなる疾患であるかということについて何ら規定していないことからすれば、同法は医学的にみて水俣病と診断し得る者を救済の対象とするとともに、どのような者を水俣病と医学的に診断し得るかということは、その時々の医学的知見に委ねているものと解される。したがって、右二法による救済、補償の対象とされるべき者、医学的にみて水俣病に罹患していると判断される者でなければならないと解されるのであるが、他方、右二法は、因果関係(一般的因果関係、個別的因果関係)の立証等の点で困難な問題が多い公害病について、健康被害者の早期救済を目的として制定されたものであるから、医学的にみて当該公害病に罹患していると診断し得る限りは、これを広く救済すべきであるとの立場にたっているものと解されるのであって、このような法の趣旨に照らせば、対象者の健康障害が水俣病によるものであるか(他疾患と合併している場合を含む。)の判断において、医学的知見に照らして、水俣病よりも他の原因(原因不明を含む。)によるものと考える方が合理性があるとはいえない症例、つまり、その限界としては、水俣病に罹患している可能性とそうでない可能性とが同程度であると判断されるような症例までは広く水俣病と認定するのが妥当であるといえる。しかし、同法がさらに医学的にみて水俣病の可能性よりもそうでない可能性の方が高いと判断されるような症例についてまでも、水俣病の可能性がわずかでもあるかぎりはこれを水俣病と認定すべきであるとの立場に立っていると解することはできないであろう。
以上のとおり、救済法、補償法の水俣病認定基準としては、水俣病の可能性がそうでない可能性と同程度のものまで網羅的にとらえることのできるものが妥当であると考えられるから、五二年判断条件自体の法的評価は、右のような補償法の立法趣旨からの要請を満たすものであるかどうかという観点からなされるべきである。そうすると、前記のとおり、椿が、審査会において有機水銀の影響を否定できないと答申する場合を、水俣病の可能性が五〇パーセント以上と判断される場合としておけば合理的であるとしているのは、基本的に妥当なものといえよう。
3 四六年事務次官通知は、救済法の趣旨が審査会において必ずしも徹底していなかった状況において、その時点における行政庁の判断として、救済法の下における認定業務のあるべき運用の方向を示したものとしては適切であると評価することができる。しかし、そこに示された水俣病の認定の要件では、「いずれかの症状がある場合において」、「当該症状の発現または経過に関し魚介類に蓄積された有機水銀の経口摂取が認められる場合には、他の原因がある場合であっても、これを水俣病の範囲に含むものであ」り、「認定申請人の示す現在の臨床症状、既往症、その者の生活史および家族における同種疾患の有無等から判断して、当該症状が経口摂取した有機水銀によるものであることを否定し得ない場合においては、法の趣旨に照らし、これを当該影響が認められる場合に含むものであること」というのであるが、「当該症状が経口摂取した有機水銀の影響によるものであることを否定し得ない」場合をどのように判断するのかについては、単に考慮すべき要素があげられているだけで、その基準が全く述べられていないのだから、認定基準としてこれを受け止めることには無理があるといわざるを得ない。また、右にいう「否定し得ない場合」とは、本来であれば前記2で述べた程度の水俣病の可能性があり、医学的に水俣病と診断し得る限界的な場合であることを要するものと解するのが相当であるが、この表現が「極めてわずかではあってもその可能性を完全に否定しきれない場合」との意味に理解される余地があるとすれば、そのような表現自体が適切ではなかったというべきであろう。
原告らは、四六年事務次官通知を評価し、五二年判断条件は四六年事務次官通知と対比すると明らかに改悪であり、水俣病の認定の門を狭める目的と機能を有するものであったと主張する。しかしながら、四六年事務次官通知が認定基準として機能し得るものであったとは考えられず、現実にも機能していなかったことは、その後昭和四九年九月二九日に環境庁事務次官の発した通知の存在やその当時熊本県審査会の副会長であった証人武内忠男の証言によっても明らかであり、五二年判断条件によって認定要件が厳しくなったということはできない。なお、いわゆる第三水俣病問題の発生や、その後の審査会委員の大幅な交替といった経過のなかで環境庁が五二年判断条件を示したことが、審査会における認定審査の運用に影響をもたらし、認定率の低下となって現れたのではないかという見方にも相応の根拠が認められる余地があるけれども、他方において認定申請者の症状の質が変わったという反論もあるなかで、裁判所が申請者の症状を十分に分析することなくして軽々にその点についての判断をすることは相当ではない。
4 先に説示したとおり、補償法上の水俣病の認定が、被告チッソとの補償協定に基づいて被告チッソから補償金を受けることのできる者とそうでない者を選別する現実的機能を営んでいるとしても、そのことによって補償法に基づく認定のあり方は何ら影響を受けるべきではないが、補償協定に基づく認定患者に対する被告チッソの補償金の支払が現実には被告県による被告チッソに対する貸付金によってその大部分が賄われているという現状において、認定申請者の症状が比較的軽症になっていくにつれて、補償法の本来の認定業務のあり方に影響を及ぼす虞れのあるような社会的要因が大きくなっていくであろうことは推測し得る。したがって、五二年判断条件及び審査会の認定業務の現状を評価検討するに当たっては、それがこのような社会的要因によって歪められていないかという視点をもつことは必要であるが、その判断に当たっては、まず水俣病の病像、診断についての医学的知見の現状をできるだけ正確にとらえることが必要となる。
5 特別医療事業について、被告らは、「この制度は、医学的にみて水俣病を否定できないと判断される者は最大限補償法に基づく認定制度により救済の対象とするが、それでもなおその対象となり得ない者であって自ら水俣病ではないかと不安を抱いている者に対して、医学的な立場を離れて、その原因究明に対し行政的に助成措置を行うことにより住民の健康不安を解消しようとする社会救済的な性格をもつものである。」と説明している。このような説明に対しては、疫学条件があって水俣病に比較的特徴のある感覚障害かあるのに「水俣病ではない」とどうしていえるのかという批判がある(原田・水俣が映す世界八二頁)[<書証番号略>]。しかしながら、「水俣病を否定できないものは認定される。」という表現をしているためにこうした説明になっているのであって、要するに、四肢の感覚障害だけでは医学的にみて水俣病の蓋然性が低く、補償法に基づく救済は受けられないので、医療費の負担という形での救済を行おうとするものなのであろう。鹿児島県審査会会長である井形も、「積極的に水俣病とはいえないが、さりとて何の病気か必ずしも決定し難い人々、つまりかなり広いボーダーライン層」と表現し(昭和六一年六月四日南日本新聞投稿)[<書証番号略>]、「この制度は医学的には水俣病の蓋然性は低く、医学的に水俣病を否定し得ないというレベルでは水俣病と診断できないが、原因の判然としない症状がある以上、その原因を究明し、完全に治癒するまで行政が追跡し、援助しようとするもので、これも汚染地住民に対する行政の責務であるとの発想から実施したものである。」と説明しているところである。(「日本医時新報」三三五二号)[<書証番号略>]
問題は、有機水銀曝露歴があり四肢の感覚障害があるというだけでは補償法による救済の対象とされるだけの水俣病の可能性がないのかどうかいうことにあり、そのとおりであれば、この事業は補償法による救済の対象とならない人々に対して水俣病の可能性の程度に応じた新たな行政による救済措置を設けたものとして評価されようし、そうでないとすれば、本来補償法による救済の対象となるべき人々に対して前記のような社会的要因を考慮して低額の救済措置を設けたものと評価されることになろう。
6 本節の冒頭で述べたとおり、本件は損害賠償請求訴訟であって、原告らに対する認定申請棄却処分の当否が直接問われているわけではない。そして、一般的には、損害賠償請求訴訟において因果関係を認定するために必要な証明の程度は、補償法上の水俣病認定に必要とされる程度の可能性の証明では足りず、高度の蓋然性の証明が必要であるが、本件紛争の全体像をみるためには、原告らが水俣病に罹患している可能性がどの程度あるのかを認識する必要があると考えられる。
第二節原告ら提出の診断書、意見書
【証拠】 <書証番号略>、証人鈴木健世、同元倉福雄、同原田正純(第一ないし第三回)の各証言
本訴において原告らから書証として提出されている原告らについての医師の診断書は、原告らが水俣病に罹患していることを証明する証拠として最も重要なものであって、原告らが水俣病に罹患しているかどうかは、最終的には右診断書の証明力の判断にかかることになる。したがって、本訴においては、右診断書の証明力の判断に必要にして十分な範囲で、水俣病の病像、診断についての医学的知見を検討することが要請される。そこで、まず、右診断書の作成者、作成の経緯について概括的にみておくこととする。
また、特に本訴において書証として提出されることを前提に作成された医師の意見書は、基本的に原告らの主張と同旨のものであって、医学的問題についての原告らの主張も、これらの意見書に依拠しているところが多いから、これら意見書の作成者、作成の経緯についても、概括的にみておくこととする。
一元倉診断書
元倉福雄医師は、本訴原告中六二名(本訴係属中に死亡した元原告四名を含む。)の診断書を作成している。
1 元倉医師は、鹿児島医療生協病院(以下「鹿児島生協病院」という。)に神経内科医として勤務する医師である。元倉医師は、昭和六〇年一月ころ、「水俣病被害者の会」と弁護団から、出水に水俣病被害者が多数いるので診察してほしいとの依頼を受け、同年二月一三日から三月にかけて、一〇人の患者を鹿児島生協病院に一人四日間ずつ入院させて精密検査を行ったのを手初めとして、その後、同年の秋ころから、「水俣病被害者の会」及び弁護団の紹介により入院精密検査を希望した者を対象に多くの患者を診察しており、昭和六〇年二月から同六二年五月にかけて水俣病の疑いがあるとして精密検査を実施した患者の数は一三九人に達している。なお、原告らが本訴を提起した時期は、分離終結した併合事件中の最も遅いもので昭和六〇年四月二六日(昭和六〇年(ワ)第四六九五号損害賠償請求事件)であるから、ほとんどの原告については本訴の提起後に診察がされ、診断書が作成されているものである。
精密検査の内容としては、四日から七日間入院させ、入院時に、居住歴、職業歴、食生活、環境の変化、既往歴、自覚症状、現病歴を聴取し、次いで、神経学的診察、一般内科的診察、眼科診察及び種々の検査を施行している。耳鼻咽喉科診察と聴力検査、頭部CT(単純)、神経伝導速度、ACEの検査、当初の一部原告らについては鹿児島生協病院では実施できなかったが、途中から実施できるようになったので、以後の原告らについては施行されている。
2 元倉医師は、昭和六二年五月三〇日付から同年一二月二八日付(五月三〇日付九通、六月三日付一通、四日付八通、五日付一四通、六日付三通、九日付二通、一〇日付一三通、二〇日付八通、二五日付一通、一一月二〇日付一通、一二月二八日付一通)で原告らあるいはその被相続人を水俣病と診断するとの診断書六二通を作成している(以下これらを「元倉診断書」という。)。元倉医師は、原告らの入院時の問診表、カルテ、入院時以前に原告ら代理人の弁護士が各原告について作成していた調査書類をもとにして、この時期に診断書を作成したものであるが、実際に診察をした日は元倉診断書には記載されていないのでも明らかではない。
二鈴木診断書
鈴木健世医師は、本訴原告中、東京都在住の原告渡邊幸男(原告番号三)、同市川義信(原告番号四)を水俣病と診断するとの診断書を作成している。
鈴木医師は、医療法人健生会立川相互病院の副院長であり、神経内科を専門としている。鈴木医師が水俣病とかかわりをもつようになったのは、昭和五九年ころ、「水俣病被害者の会」から、水俣病発生当時水俣や出水地区に居住し、その後東京方面に移住し、現在東京方面に在住している者の診察をして欲しいとの依頼を受けたことによるものである。鈴木医師は、昭和五九年二月ころ、水俣に赴き、一週間ほど水俣協立病院等において患者を診察し、その後、「被害者の会」から水俣病の疑いがあるとして紹介を受けた患者を診察しているほか、東京やチッソ五井工場のある千葉県市原市で実施した集団検診、不知火海大検診などに参加している。
三共同意見書
共同意見書[<書証番号略>]は、大月篤夫(菊坂診療所・内科)、久富木原眞(水俣協立病院・眼科)、去川正彦(鹿児島生協病院・内科)、重盛廉(鹿児島生協病院・整形外科)、白木博次(白木神経病理学研究所・神経病理)、鈴木健世(立川相互病院・神経内科)、滝田杏児(立川相互病院・神経内科)、土屋恒篤(久地病院・整形外科)、中村啓子(鹿児島生協病院・眼科)原田正純(熊本大学医学部助教授・精神神経科)、藤野糺(水俣協立病院・精神神経科)、元倉福雄(鹿児島生協病院・神経内科)、以上一二名の医師団(原告らも使用している呼称であるので、以下において「原告側医師団」という。)の共同作成名義により一九八九年(平成元年)二月六日付で作成されたものである。
原告側医師団は、原告弁護団から、被告から提出された審査会資料[<書証番号略>]及び審査会資料説明書[<書証番号略>]が指摘する問題点に留意しつつ、あらためて原告らの診察をし、また既存の資料を検討して、医師団としての意見書を作成してほしいとの趣旨の要請を受けて、元倉診断書、鈴木診断書の内容を検討し、原告側医師団としての意見を述べることを目的として、この共同意見書を作成したものである。共同意見書は、水俣病の病像や診断基準に関する審査会資料や審査会資料説明書の問題点を指摘し、それに対する原告側医師団の見解を示す総論部分と、各原告についての主要所見、考察と結論を記載した各論部分に分かれている。
共同意見書で検討の対象とされた五七名の判決対象原告らのうち四六名については、昭和六三年一二月二九日出水市所在の出水市保健センターにおいて(保健センターを使用した時間は一一時三〇分から一七時まで)、翌三〇日各原告宅において、原告側医師団による診察が実施されている。二九日に診察を受けた原告が四一名、三〇日に診察を受けた原告が五名である。実際に診察に当たったのは、原告側医師団のうち、去川、重盛、鈴木、土屋、原田、藤野の六名であり、各医師の診察した原告の人数は、土屋、重盛の共同診察が一九名、土屋が四名、鈴木が七名、原田が七名、去川が四名、藤野が三名、去川、鈴木、原田の共同診察が二名である。眼科、耳鼻科の検査は実施されていない。この診察を受けた原告については、その結果と、元倉診断書、鈴木診断書、鹿児島生協病院のX線写真、審査会資料、審査会資料説明書、水俣協立病院水俣病検診録等の資料に基づいて、診察を受けていない原告らについては資料に基づいて、それぞれ検討がされ、共同意見書各論にその検討結果が記載されており、結論として全員が水俣病と診断されている。
共同意見書各論その二[<書証番号略>]は、一九八九年(平成元年)一二月一二日付の鈴木、土屋、原田の共同作成名義にかかるものである。共同意見書で検討の対象とされていなかった判決対象原告七名と、共同意見書で検討の対象とされていたが、原告側医師団による診察を受けていなかった二名について、鈴木、土屋、原田の三名の医師が診察を実施して、各原告について、主要所見、考察と結論を記載したものであり、結論として全員が水俣病と診断されている。
四原田意見書
原田は、「慢性水俣病に関する意見書」(以下「原田意見書」という。)[<書証番号略>]と題する意見書を作成している。原田の著書「水俣病」(岩波新書、昭和四七年一一月)[<書証番号略>]、「水俣病にまなぶ旅」(日本評論社、昭和六〇年一月)[<書証番号略>]、「水俣病は終わっていない」(岩波新書、昭和六〇年二月)[<書証番号略>]、「いま水俣病は」(宮本憲一と共著、岩波ブックレット、昭和五八年九月)[<書証番号略>]、「水俣が映す世界」(日本評論社、平成元年六月)[<書証番号略>]、以上の五冊は本訴において書証として提出されており、「メチル水銀による体内中毒―胎児性水俣病二〇年間の経過観察と問題点」(「公害研究」一八巻三号、平成元年一月)[<書証番号略>]、「有機水銀中毒研究の最新の動向―IPCS報告書をめぐって」(「公害研究」一九巻二号、平成元年一〇月)[<書証番号略>]、「現在の水俣病の問題点―その背景と歴史」(「公害研究」六巻三号、昭和五二年一月)[<書証番号略>]、「潜在性水俣病」(「科学」四一巻五号、昭和四六年五月)[<書証番号略>]、「公害と国民の健康」(「ジュリスト」五四八号、昭和四八年一一月)[<書証番号略>]、「水俣病の認定の遅れを問う―認定にとって医学とは何か」(「ジュリスト」五七九号、昭和五〇年一月)[<書証番号略>]、「水俣病の認定制度と医学的実態」(「公害研究」一三巻一号、昭和五八年七月)[<書証番号略>]、「水俣地区に集団発生した先天性・外因性精神薄弱」(「精神神経学雑誌」六六巻六号、昭和三九年六月)[<書証番号略>]、「水俣病(メチル水銀中毒)の脳波」(「臨床脳波」一三巻三号、昭和四六年三月)[<書証番号略>]、「長期経過した水俣病の臨床的研究」(「精神神経学雑誌」七四巻八号、昭和四七年八月)[<書証番号略>]、「環境における長期微量汚染の人体に関する影響」(「公衆衛生」三七巻三号、昭和四八年三月)[<書証番号略>]、「中毒性脳障害における痴呆」(「精神医学」一五巻四号、昭和四八年四月)[<書証番号略>]、「有機水銀による精神薄弱」(「脳と発達」六巻五号、昭和四九年)[<書証番号略>]、「長期にわたって精神病とされた水俣病」(共著、「精神医学」一八巻九号、昭和五一年九月)[<書証番号略>]、「水俣病医学研究の歩みと今日の課題」(「有馬澄雄編・水俣病―二〇年の研究と今日の課題、昭和五四年一月)[<書証番号略>]、「慢性水俣病の臨床症状」(有馬編・水俣病―二〇年の研究と今日の課題)[<書証番号略>]、「水俣病の精神症状」(津嘉山毅と共著、有馬編・水俣病―二〇年の研究と今日の課題)[<書証番号略>]、「先天性(胎児性)水俣病」(有馬編・水俣病―二〇年の研究と今日の課題)[<書証番号略>]、「有機水銀による環境汚染が住民の健康に及ぼす影響(共著、日本体質学雑誌四九巻一・二号、昭和六〇年七月)[<書証番号略>]、「中毒性疾患と頭痛」(「診断と治療」四九巻七号)[<書証番号略>]、「一六年後の水俣病の臨床的・疫学的研究」(「神経進歩」一六巻五号、昭和四七年一〇月)[<書証番号略>]、「水俣病の概念」(「法律時報」四四巻五号、昭和四七年四月)[<書証番号略>]、「水俣病の精神症状」(津嘉山毅、立津正順と共著、「精神神経学雑誌」七九巻八号、昭和五二年)[<書証番号略>]、「二酸化炭素中毒・水銀中毒」(「現代精神医学大系」一五巻B)[<書証番号略>]、以上の論文あるいは報告等も本訴において書証として提出されており、医学的問題について原告らの主張は原田の見解に依拠している部分が多い。原田意見書は、原田が本訴をはじめとする水俣病関連訴訟においてしばしば証人となっていることから、証言内容についての当事者及び裁判所の理解を助けるために、自らの慢性水俣病に関する意見を意見書という形にまとめたものである。
五大勝反論書に対する反論
大勝反論書に対する反論[<書証番号略>]は、被告ら提出の書証「共同意見書に対する反論」[<書証番号略>]に対する、原告側医師団の反論書である。水俣病と脊椎変性疾患の鑑別の問題を原告側医師団の土屋が、それ以外の問題を鈴木が担当執筆している。
第三節鹿児島県における水俣病認定業務の概要と審査会資料
【証拠】 <書証番号略>、証人中島洋明の証言
一認定手続の概要
水俣病の認定に係る処分は、補償法に基づいて、指定地域を管轄する都道府県知事等が行うこととされているが、鹿児島県知事(以下「知事」という。)が行う認定処分の手続は、およそ次のとおりである。
1 水俣病の認定申請をしようとする者は、認定申請書に医師の診断書等の必要書類を添えてこれを知事に提出する。
2 知事は、認定申請を行った者に対し、所要の医学的検査(検診)及びいわゆる疫学的条件といわれる事項に関する調査を行う。
3 知事は、前記調査等が完了した申請者について、その調査結果等の写しを添付して鹿児島県公害健康被害認定審査会(以下「鹿児島県審査会」という。)に諮問する。
4 鹿児島県審査会は、申請者が水俣病に罹患していると認められるか否かについて審査し、知事に答申を行う。
答申書の医学的判定のランクは、次のようになっている。[<書証番号略>]
1 水俣病である。
2 水俣病の可能性がある。
3 水俣病の可能性は否定できない。
4 水俣病の判断条件に該当せず。
5 わからない。
6a わらない→資料不足(要再検)。
6b わからない→一定期間おいて検討。
5 知事はこの答申に基づいて認定に係る処分を行う。実際には、3の「水俣病の可能性は否定できない。」以上のランクに該当すると答申を受けたものが知事によって認定処分を受けている。
以上の事実は当事者間に争いがない。
二審査会委員、専門委員
鹿児島県は、鹿児島県審査会の組織、運営等について、「鹿児島県公害健康被害認定審査会条例」[<書証番号略>]によりこれを定めている。昭和六三年一〇月一九日現在の審査会委員は、井形昭弘(鹿児島大学長・神経内科)、大庭紀雄(同大学医学部教授・眼科)、大山勝(同大学医学部教授・耳鼻咽喉科)、大勝洋祐(大勝病院長)、納光弘(同大学医学部教授)、園田輝雄(園田眼科医院長)、松下敏夫(同大学医学部教授)、丸山征郎(同大学医学部助教授)、三嶋功(水俣市立明水園名誉園長)、吉田重弘(吉田耳鼻咽喉科医院長)の一〇名である。また、鹿児島県では、水俣病検診専門委員(以下「専門委員」という。)が置かれ、専門委員は水俣病の認定等に係る医学的業務に従事し、審査会において、会長の許可を得て、意見を述べ、又は説明することができる、とされている。[<書証番号略>]昭和六三年一〇月一九日現在の専門委員は、新名清成(鹿児島市立病院内科科長)、中島洋明(鹿児島市医師会病院内科科長)、音瀬廣章(国立南九州中央病院神経内科医師)、園田健(鹿児島市医師会病院内科医長)、濱田陸三(国立南九州中央病院神経内科医長)、有村公良(鹿児島大学医学部助手)の六名である。
三被告国・県が本訴において証拠として提出した原告らの認定審査にかかる書類
本訴においては、原告らの認定申請書及びこれに添付された診断書、戸籍抄本又は住民票の写しなどの関係書類、鹿児島県審査会における審査に遣われた資料である検診記録(神経内科、眼科、耳鼻科)と水俣病認定申請者疫学調書(以下「疫学調書」という。)、審査会の答申書が被告国・県から書証として提出されている。
疫学調書は、生活歴調書、漁業状況、魚介類の入手、摂食状況、飼猫、家畜等の異常状況、家族等状況、疾病状況、という項目からなっている。家族等状況については、当裁判所が文書送付嘱託をした鹿児島県環境保健部において、プライバシーの保護との理由からその部分の送付をしてきていないため、証拠として提出されていない。疫学調書は、申請者からの聴取に基づいて保健婦や保健技師が記載し、多くの場合第一回目の聴取は申請者の自宅に保健婦等が赴いてなされており、その後検診会場である出水市立病院において再度保健婦等により聴取されて、第一回目の聴取以降の事情を中心にして、同じ用紙に続けて記載されている。
四審査会資料説明書、大勝意見書
1 審査会資料説明書総論[<書証番号略>]は、鹿児島県審査会委員である大勝洋祐が、専門委員と数回の会合を持ち協議した上、また、眼科及び耳鼻科に関係する事項については専門医の意見を参考にした上で記載したものである。内容は、水俣病検診記録の理解のために必要なものとして、神経学的診察法について解説したものである。
2 審査会資料説明書各論[<書証番号略>]、審査会資料説明書各論(追加分)[<書証番号略>]は、専門委員が協議の上で分担執筆したものであり、原告らにかかる検診記録の記載内容を解説し、水俣病とは診断し得ないと判定した理由を記載したものである。
3 「共同意見書に対する反論」(以下「大勝反論書」という。)[<書証番号略>]は、大勝が、審査会に関与する医師の一人として、共同意見書の見解に対する反論を述べることを目的として作成したものである。
第四節水俣病の臨床・疫学
原告らが水俣病に罹患しているか否かを検討するに当たっては、その前提として、現在に至るまでの水俣病の医学的研究の過程ないし成果を概観しておく必要がある。水俣病については、現在に至るまでに膨大な研究の蓄積があり、本訴において証拠として提出されている文献だけでも相当数にのぼっており、これらを分析して概観することは容易ではないが、本判決理由においては、原告らが水俣病に罹患しているかを検討、判断する上で特に重要と思われる研究あるいは報告についてみておくこととする。まず、本節では、水俣病の臨床・疫学について概観しておくこととする。
一水俣病発見当初の報告
【証拠】 <書証番号略>
昭和三一年九月に熊本県衛生部長が厚生省防疫課長にあてた「水俣市における原因不明脳炎様疾患の発生について」と題する報告文書[<書証番号略>]は、水俣病の症状につき、「前駆症状も一般症状もなく、極めて徐々に発病する。まず四肢末端のじんじんする感があり、次に物が握れない、歩くとつまずく、走れない、甘ったれるような言葉になる。またしばしば、視力、聴力、嚥下障害等とが同時に又は相前後して来る。」とされており、患者三〇例についての症状の出現率が別紙一二の表のとおり記載されている。この報告内容は、水俣病の発見者であるチッソ水俣工場付属病院の細川一医師が昭和三一年八月二九日付けで厚生省に提出したいわゆる細川報告書に依拠するものである。
原田は、原田意見書において、細川の報告について、「感覚障害の出現頻度が低いけれども、これは手足や口唇がジンジンするという訴えを拾ってあり、果して今われわれが拾っているような表在性の知覚障害であったかどうかは不明である。」としている。昭和三二年一月に水俣市奇病対策委員会作成名義で、実質的には細川らチッソ付属病院医師によって作成された「水俣奇病に関する調査」と題する小論文[<書証番号略>]では、「知覚異常(じんじんする感)大人及び年長児の大多数にみられる。初発症状である。」、「知覚鈍麻一過性に現れることが稀にある。」と記載されており、細川の報告にいう「知覚異常(じんじんする感)」というのは、現在水俣病の診断で問題となっている他覚的な表在知覚障害のことではなく、自覚的な異常知覚のことではないかと思われる。
二ハンター・ラッセルの報告
【証拠】 <書証番号略>
発見当初原因不明の疾患とされた水俣病の本態がメチル水銀中毒症であることは、熊本大学医学部研究班の研究によって次第に解明されていったのであるが、これについてはハンター・ラッセルの報告書が多大な貢献をした。
ハンターらの報告とは、一九四〇年(昭和一五年)にハンター・ラッセル及びボンフォードが、イギリスの硝酸メチル水銀系種子殺菌剤製造工場に働く労働者とその付属研究所の技術助手の四名がメチル水銀化合物を吸入して中毒を起こした事故について報告したものである。この工場では、一六名がメチル水銀に曝露されたが、中毒症状を呈したのは四名のみであって、他の一二名は何の症状も示さなかった。ハンターらは、「一六人中わずか四人だけが感受性を有していたということを示唆していよう。」としている。
この四名の症状は、運動失調(協同運動障害、構音障害)、求心性視野狭窄が共通して認められているほか、聴力障害も認められている。感覚障害では、二点識別覚の障害が全員に認められるほか、位置覚、振動覚などの深部覚障害も認められるが、表在覚障害は認められていない。
その後、一九五四年(昭和二九年)にハンターとラッセルは、四人の患者のうち一九五二年(昭和二七年)に死亡した一例について解剖による病理的所見を報告した。この報告によると、この症例の臨床症状は、発病時に急速に進行し、その後は固定しており、主症状は重篤な失調症と高度な求心性視野狭窄であった。死亡する前の数年間、血圧は上昇しており、死因は心筋梗塞による心不全であった。そして、解剖の結果「重度の運動失調は小脳皮質の萎縮が原因であった。特に顆粒細胞層が選択的に侵されていた。求心性視野狭窄は、両側線状皮質の萎縮が原因であった。」とされている。
その後、ハンターらの報告書に基づいて、有機水銀中毒症の三徴候は、1 運動失調、2 言語障害(構音障害)、3 視野狭窄であるとされ、これがハンター・ラッセル症侯群と呼ばれていたが、現在では、これに4 感覚障害、5 難聴を含めて(場合によっては、言語障害は運動失調に含めて)、ハンター・ラッセル症侯群と呼ばれるようになっている。
三徳臣の研究
【証拠】<書証番号略>
熊本大学医学部第一内科助教授の徳臣晴比古は、「水俣病の臨床 成人の水俣病」(熊本大学医学部水俣病研究班・水俣病―有機水銀中毒に関する研究、昭和四一年三月)[<書証番号略>]の中で、昭和三五年までに発症した成人の水俣病患者三四例について症状を分析し、水俣病の症状発現頻度を別紙一三の表のとおりまとめている。これによると、求心性視野狭窄、知覚障害(表在、深部)が一〇〇パーセントであるほか、難聴、言語障害、歩行障害、日常諸動作の拙劣などの運動失調、振戦、軽度の精神障害などが七〇パーセント以上の高率に出現し、筋強直、筋強剛、不髄意運動などは八〜二〇パーセントに、発汗、流涎などの自律神経症状は二三パーセントに認められている。腱反射は三八パーセントが亢進、8.8パーセントが減弱を示し、その他は正常である。徳臣は、「このように本症の症状は小脳症状を中心とし、一部錐体路、錐体外路症状、大脳皮質症状、抹消神経症状など多彩な症状を示したが、本病固有の症侯群が認められた。」としている。
徳臣らは、論文の発表時期はこれよりも前であるが、「水俣病の疫学」(「神経進歩」七巻二号、昭和三七年三月)[<書証番号略>]の中で、「九〇名近い患者と三六名の死亡者を出して住民を恐怖のどん底に追いこんだ水俣病も昭和三六年以来新患者の発生をみず、ようやく終息した様である。」と述べるとともに、水俣地区住民の毛髪中水銀量が高値を示していることを指摘し、「毛髪中水銀量が高値を示しながら健康な生活を営んでいる者は、各個体の感受性の差異によるものであろうけれども、要注意として将来を観察する必要がある。」と指摘している。また、徳臣らは、患者多発地区の住民一一五二名(成人のみ)の一般健康診断を行い、問診の結果から、訴えの多い二四名を精査を要するものとして(その他に、比較的訴えの多い者が四八名、軽度の訴えのある者が五一名いる。)、詳細な神経病学的検査を行ったところ、次のような結果に達した、と報告している。
水俣病 三名
一応疑わしい点はあるが経過をみるもの 五名
脳動脈硬化症 四名
パーキンソニスム 二名
坐骨神経痛 一名
所見なきもの 七名
そして、「我々はこの住民検診の各人毎のカードと毛髪中水銀量を基礎にして、この地区における神経疾患の将来に注目するつもりである。」と述べている。
四新潟水俣病の発生と椿らの研究
【証拠】 <書証番号略>
昭和四〇年一月、新潟大学において一例のハンター・ラッセル症侯群を呈する有機水銀中毒患者が発見された。次いで四月及び五月に各一例の患者が発見された。これを契機として椿らが中心となって調査が開始され、六月一四日からは系統的な住民調査が開始された。阿賀野川下流の患者発生地区の全住民四一二戸二八一三名に対して各個人ごとに自覚症状などの面接調査が行われ、自覚症状がある者については診察が行われた。さらにこれに引き続き患者発生地区周辺三四八九戸一万九八八八名について保健婦により同内容の調査が行われ、患者の疑いがある一二〇名については診察もされた。そして、有症者、患者家族、川魚多量摂取者、対照者などを合わせて三〇〇名の頭髪中水銀量の測定が行われた。その他医療機関の調査等も実施されて、今日新潟水俣病と呼ばれている有機水銀中毒患者の発掘及びその症状の把握が進められた。
この初期段階で水俣病患者と診断された者は二六名であり、各症状の出現率は別紙一四の表のとおりである。椿によれば、二六例の臨床症状は、「表在感覚障害が最も多く、また多くは初発症状である。患者の多くはまず手指のびりびりするしびれ感に気付き、次いで足尖、舌、唇に知覚鈍麻を認める。一般に四肢末梢部に障害が強いし、障害部位の局在が明らかに末梢神経障害を思わせるものもある。知覚障害に次いで、聴力障害、小脳症状、求心性視野狭窄が比較的多い。」。二六例のうちには、ハンター・ラッセル症侯群のそろっていない者も多い。昭和四二年四月に「新潟水銀中毒事件特別研究報告書(厚生省分担研究分)」として厚生省が出した報告書[<書証番号略>]は、椿らによってまとめられたものであるが、この中で、症例のうちハンター・ラッセル症侯群のそろっていない比較的軽症のものを有機水銀中毒と診断した根拠について、
(1) 全例入院精査、神経学専門医により充分検討され、他の疾患は否定されている。
(2) 臨床症状の特徴
知覚障害のみでも特異な部位にみられ、治療による改善が少なく、関節痛を伴うなどの特徴があり、又、軽度でも小脳症状、聴力障害などハンター・ラッセル症候の一つを合わせ持つなどの特徴がある。
(3) 毛髪水銀量高値
(4) 川魚摂取と発症時期、家族内発生など疫学的事実
などの事実を総合して判断したものである、と述べられている。右報告書中の各症例の神経症状についての表によると、二六例のうち、知覚障害のみの者は三例であり、その毛髪水銀量は二五八ppm、二一三ppm、四二五ppmである。椿は、「ジュリスト」八六六号に掲載された「鼎談・医学と裁判」[<書証番号略>]の中で、毛髪水銀量が二〇〇ppmを越えていれば感覚障害だけでも水俣病と診断し、毛髪水銀量がそれほど高くはない場合は症候の組合せによって診断したという趣旨の発言をしており、毛髪水銀量が二〇〇ppmを越えていた三例がそれによって水俣病と診断されたものと理解される。なお、当時毛髪水銀量が二〇〇ppm以上であったが無症状であった者九名に対しても水銀保有者として患者と同様に経過観察がなされたが、そのうち詳細に経過を追跡し得た七例については、その後感覚障害、協調運動障害、視野狭窄などの症状が遅発したことが報告されている(白川健一「遅発性水俣病」(有馬澄雄編・水俣病―二〇年の研究と今日の課題、昭和五四年一月))[<書証番号略>]。そうすると、右の毛髪水銀量二〇〇ppm以上で感覚障害のみがみられた三名も、後にあるいは他の症状が発現したのではないかとも思われるが、この点に関する記述は本件証拠中に見いだし得なかった。
椿は、初期の段階の診断について、「新潟水俣病の追跡」(「科学」四二巻一〇号、昭和四七年一〇月)[<書証番号略>]の中で、「中毒はごく軽症のものから定型的なものまで、いろいろの段階のものがありうるという考えから、私はごく初期には診断基準の枠をはめることを避け、疑わしいものを広くすくいあげ、この中から共通の症状をもつものを選び、これと並行して診断要項を設定するという方法をとった。」と述べており、その後、「新潟水俣病の臨床疫学」(有馬編・水俣病―二〇年の研究と今日の課題)[<書証番号略>]において、新潟水俣病の診断要項を別紙一五のとおりまとめているが、これにつき、「初期には診断基準の枠を設けなかったことは前に述べたが、診断の基本はハンター・ラッセル症侯群であることは言をまたない。しかし、われわれの経験からできあがった診断の要項を具体的に示せば、表1(本判決の別紙一五)のようになる。これをまとめていえば、①アルキル水銀が人体内に侵入し、②人体内に水銀が蓄積され、③そのためと思われる症候があり、④それは、他の病気によるものではないと考えられる、ということである。これをさらに具体的にいうと、①は患者または家族など周囲の人の供述を信ずるほかはない。患家の職業や、川魚摂取の状況を詳しく聞くことはできるが、多量に摂取したことを客観的に裏づけることは困難である。②については、最近の患者では過去の頭髪中の水銀量は不明のことが多い。家族中の患者の有無や、家族の頭髪中の水銀量がわかっていれば参考にできるが、これも得られないことが多い。最近新しく受診する患者は、以上のように侵入の確証が得られなくても、情況証拠によりそれを肯定している。情況証拠の中には水銀を多量に摂取したことに反証となる事実がないこと、また他の類似する毒物中毒でないことも含まれるであろう。さて、③及び④は臨床所見の問題である。ハンター・ラッセル症侯群を完全に具備しなくてもよいという立場で症候をみる場合、どのような問題がおこるか考えてみよう。メチル水銀中毒症の個々の症候をみると、視野狭窄を除き、きわめてありふれた神経症候である。視野狭窄もいろいろの条件で出現するが、視力正常で網膜患者がない場合、心因性狭窄(これは管状視野、らせん状視野の存在で明らかに診断できる)を除き、きわめてまれである。したがって視野狭窄があれば本症を疑う大きな根拠になるが、これを欠く場合、他の疾患との鑑別は慎重を要することになる。水俣病の個々の症候はありふれたものであれば、そこに要求されることは、類似した多くの神経疾患をいかにして鑑別すべきかということであり、そこには高度の神経学的知識が要求されるのである。そのような知識をもった人であっても典型例からごく軽度の症候をもった例まで含めると、最終的に正常人(または類似症候をもつ他疾患)との区別をどこへおくかという問題の解決は容易ではない。この段階には、一定の基準を考えなければならず、それはメチル水銀中毒らしくないものをできるだけ除外し、メチル水銀中毒らしいものをできるだけ拾い上げるものであることが望ましい。」と説明している。
五新潟水俣病と熊本水俣病
【証拠】 <書証番号略>
椿ら新潟大学神経内科グループは、昭和四一年の第六三回日本内科学会講演会で「阿賀野川下流沿岸地域に発生した有機水銀中毒症の疫学的ならびに臨床的研究」と題する報告を行っている。「日内会誌」第五五巻第六号にその際の水俣病研究者との討論の要旨も掲載されており[<書証番号略>]、椿は、質問に答えて、症例の中には知覚障害のみのものも含まれているとして、前記のような診断の根拠を述べている。水俣病研究者では、徳臣が、「本症の診断は、定型的の場合にはいわゆるハンター・ラッセル症侯群として容易である。しかしながら、毛髪中、尿中水銀量が正常の数倍に達してはいるが、わずかに知覚障害を伴うだけといった症例をいかに取り扱うかが問題である。われわれは水俣地区で九〇〇名の住民の毛髪水銀量を検査したところ、五〇ppm以上の者が二三パーセント認められたが、ほとんど臨床症状は認めなかった。この問題は補償問題が起こった際に水俣病志願者が出現したので、過去においてわれわれはハンター・ラッセル症侯群を基準にすることにして処理した。」旨を述べている。また、「神経進歩」一三巻一号(昭和四四年四月)[<書証番号略>]にも「第四回脳のシンポジウム」での椿らの水俣病研究者との討論が掲載されているが、徳臣は、この討論の中で、水俣病発生当時は病因を追及することの方に力を注いでおり、とにかくある程度クライテリアをそろえた症例だけをピックアップしていた、水俣病にみられる特有なしびれ感、口のまわりとか手のまわりのしびれ感というのはやはりほかの病気には非常に少ないものではないかという椿の考えに同感である、ただ末梢神経症状だけで有機水銀中毒と診断する際は相当に慎重にすべきだと思う、などと述べている。
新潟大学神経内科講師白川健一は、「水俣病の診断学的追及と治療法の検討」(有馬編・水俣病―二〇年の研究と今日の課題)[<書証番号略>]の中で、昭和四六年から四回にわけて熊本水俣病について調査した成績を報告し、「新潟・熊本水俣病像は全く同一で差異がないことが明らかとなった。熊本水俣病は新潟に比し重症例いが多いことが指摘されているが、それは重症例のみを水俣病と診断したために生じた全く人為的な差異であって、ハンター・ラッセル症侯群にとらわれすぎたために生じたと思われる。」と述べている。
六熊本大学二次研究班の調査
【証拠】 <書証番号略>
昭和四六年から四八年にかけて、熊本大学医学部神経精神医学教室立津政順教授らは、「熊本大学医学部一〇年後の水俣病研究班」の研究の一環として、最も濃厚な汚染地区である水俣市の三地区(月の浦、出月、湯堂)と、汚染の影響が疑われていた御所浦地区、対照としての天草群有明地区の住民について健康調査を実施した。別紙一六の表は、昭和四六年から四七年に実施された第一次検診における神経症状・精神症状の出現頻度をまとめたものであり、別紙一七の表は、臨床症状の組合せをまとめたものである。同研究班は、この中の四肢の知覚障害のみの例につき、「(右の表の)6)、8)については、水俣地区と他の地区住民との間に、有意の差がみられた。7)については、水俣地区と他地区との間に、有意の差がみられない。従って、知覚障害だけの場合、メチル水銀の影響も考えられるが、他の原因の混入も考慮されなければならない。水俣病であると決定するためには、さらに疫学的な事項、すなわち、家族内発病の有無や魚介摂取状況、他の疾患の合併の有無などについて検討されなければならないであろう。これらの6)、7)、8)に該当する例は水俣病の疑いとされるべきであろう。」(6)の「知(四肢)+その他」とは、四肢末梢性知覚障害と難聴その他の神経症状のみられたものである。)としている。
昭和四七年から四八年にかけては、より正確な診断と病態把握のための精密検診として、第二次検診が実施された。第二次検診の対象となったのは、第一回目検診によって有機水銀中毒症、その疑いとされた例、有機水銀の影響が否定し得なかった例が主であった。別紙一八の表は、第二次検診における臨床症状の組合せをまとめたものである。知覚障害のみの例については、水俣地区で知覚障害のみの例で水俣病と診断されたのが二例、水俣病の疑いとされたのが五例、診断保留が四名であり、御所浦地区では水俣病又はその疑いは一例もなく、診断保留が三名、有明地区ではすべて一例もなしとなっている。なお、水俣病の疑いの例とは、水俣地区では、他の同居家族に確かな水俣病患者が見いだされず、基礎症状としては知覚障害のみ、知覚障害プラス失調などの場合であると説明されている。
七熊本県・鹿児島県の住民健康調査
【証拠】<書証番号略>
1 熊本県は、昭和四六年一〇月から四九年にかけて、水俣湾周辺地域及び有明海・八代海沿岸地区の住民健康調査を実施した。水俣湾周辺地域の対象者は約五万五〇〇〇人であった。調査方法は、アンケート調査による第一次調査、地元開業医らによる第二次検診、専門医による第三次検診という三段階方式であった。
2 鹿児島県も、不知火海沿岸地域住民について有機水銀の影響を把握するため、昭和四六年一一月から四九年にかけて、出水市(全域)、阿久根市(旧三笠町のみ)、東町(全域)、長島町(全域)、高尾野町(一部山間部の地区を除く。)、野田町(一部山間部の地区を除く。)の住民約七万八〇〇〇人を対象とする健康調査を、鹿児島大学医学部第三内科、同学部公衆衛生学教室、出水郡医師会、その他関係機関の協力を得て実施した。調査方法は、保健婦ないし担当市町村職員が面接してのアンケートによる第一次調査、医師会及び保健所医師による第二次検診、鹿児島大学グループが神経学的調査を担当して行われた第三次精密検診という三段階方式であり、その結果水俣病あるいはその疑いを含む者六五名が抽出された。
第三次精密検診を担当した同大学の井形らは、第三次精密検診を受けた四二〇名のうち知能障害やその他の理由で全症状についての情報が得られなかった例を除く二七八名の検査所見に基づいて、客観的な水俣病像を多変量解析という統計的手法によって明確にしようと試みた。その報告の要旨は次のとおりである。
二七八名について、出現頻度が三パーセント以上であった五三項目の神経学的症状のデータに基づいて因子分析及び判別分析を行った。因子分析の目的は「互いに相関のあるとみられる多くの変量を、少数の互いに相関のない独立の因子に分解して、変量間の相互関係を明らかにすること」であり、その結果は別紙一九の表のとおりとなり、これにより地域全体の症状のなかから水俣病と相関する一群の症状と考えられる第二因子を抽出し得た。この第二因子として仮定される水俣病の因子を規定する症候は、運動失調(アジアドコキネーシス、指鼻試験拙劣、膝踵試験拙劣、構音障害、舌運動障害)、知覚障害(表在、深部知覚障害及び口周の知覚障害)、歩行障害、上肢不随意運動、情動障害、対称性の視野沈下・狭窄などがその最も重要なものである。これらのパターンは従来のハンター・ラッセル症侯群と本質的には同一でこれに若干の症状が追加されたものである。聴力損失に関しては低い因子負荷しか認められていないが、難聴は高齢者においては老人性変化としてほとんど必発の症候であり、検診対象者の75.9パーセントに二〇デシベル以上の聴力障害が認められているので、メチル水銀による因子が老人性難聴にマスクされた結果として水俣病との相関が低く現れたものと考えられる。
次に水俣病、非水俣病という二つの群に属するのかを判別しようとする場合には、判別関数(判別係数)が用いられる。判別関数は二群の平均間の距離を最大にするように作られた合成変数であり、これを計算した結果は別紙二〇の表のとおりである。そして、判別係数を用いて個々の人について症状を加算して「水俣病らしさ」の指標となる判別値を計算し、その分布を示したのが別紙二一の図である。
井形は、「この方式は個々の医師の先見や偏見をなくし、万人の認める水俣病らしさを数量的に表しうる点で客観性が高く、現在のところでは最も優れた水俣病診断法ということができる。」と述べるとともに、数量化し難いとの理由で疫学的条件を除外していること、診断条件の中に症状の経過が加味されていないこと、すべての症状がその原因の如何を問わず平面的に加えられていることなどを欠点として自認し、充分これらの欠点を知った上で、個々の症例について総合的な判断を下すべきであろう、としている。
3 ところで、この住民健康調査の対象となっていたが、水俣病と診断されなかった住民の中から、その後多くの水俣病認定患者が現れることなった(被告国・県提出の平成元年一一月二四日付け準備書面では、現在鹿児島県関係者では四六五名が水俣病と認定されている、としている。)。この点につき、井形は、「鹿児島における臨床医学的研究」(有馬編・水俣病―二〇年の研究と今日の課題)[<書証番号略>]の中で、出水市桂島における一斉検診について、「この島の住民は特殊な社会的背景のため、症状があったにもかかわらず、異常なしとの回答を寄せていたものである。私たちとしては、患者の訴えをもとに異常のあるなしの判断をしている以上、このような状態は予想もしていなかったし、また事実上迷った。七一年(昭和四六年)には、もう水俣病は決してタブーでなく、少なくともこれをいやがるムードはわれわれの耳には聞こえてこなかった。また、アンケート調査も保健婦が水俣病か否かは全く問わず、単に具体的な設問を行ったので、誤りはないものと信じていた。しかし、事実はかなりの水俣病患者が潜在していたのであり、このような事態は今後われわれも十分に注意しかつ反省する必要がある。またこのような因子は公害問題でいつでも起こりうる素地があることも重要である。現在までに判明した限りでは、一斉検診で健康被害がないと推定された桂島に濃厚な汚染があったことは確実である。」と述べており、「水俣病の医学」(「日本医事新報」三三五二号、昭和六三年七月)[<書証番号略>]の中では、「われわれはかつて一斉調査を行った時の各人の訴えや症状を記入した記録を持っている。この当時は広く救済という発想で行政が掘り起こしを行ったもので、水俣病を矮小化する因子は全くなく、このことは当時の社会的評価や住民との対話での雰囲気からも確信が持てる。しかしその後、当時訴えも症状もなかった者の中から多くの認定申請者が出て、現在はかつて「救済委員会」の評価を得た水俣病認定審査会が棄却のための審査会という批判を受けるようになったのであるから心外という他なく、この遅発性水俣病の問題は是非医学的に究明されなければならない。」と述べている。
4 原告らは、井形の多変量解析による診断について、井形がその欠点として自認する点のほか、一斉検診そのものに重大な問題があり、第一次アンケート調査には相当数の無回答が含まれていたが、その意味するところについて検討がなされなかったこと、計量診断の基礎となった水俣病患者の数値が実際の認定患者の数値よりもはるかに少ないことなどにより、データーそのものに著しい偏りがみられる、計量診断法では水俣病と関連のある重要な因子も低い因子負荷しか認められないという奇妙な結果となっている、といった批判をしている。また、原田は、原田意見書[<書証番号略>]において、井形の計量診断について、「インプットされたものが井形の水俣病に対する考え方(設問から評価まで)を反映しているものであるから、井形水俣病を数量化したということであって、点数が高い場合それは井形水俣病の可能性が高いというべきである。井形の水俣病が実態としての水俣病の中心を占めているとしても、それに当てはまらない水俣病が存在する。」と指摘し、「症状の確認」の問題も指摘している。
八藤野らによる出水市桂島の調査
【証拠】 <書証番号略>、証人藤野糺の証言
水俣協立の藤野糺医師は、昭和五〇年に鹿児島県出水市桂島の全成人を対象として臨床疫学的調査を実施した。桂島は、不知火海に浮かぶ周囲約1.2キロメートルの小島で、チッソ水俣工場の南西約一二キロメートルに位置しており、昭和三五年から昭和三八年当時の住民の毛髪中水銀量などからみて、有機水銀に汚染されていたものと考えられた。藤野は、住民五七名を診察し、「ある島における住民の有機水銀汚染の影響に関する臨床疫学的研究(第一報)」(「熊本医学会雑誌」五一巻一号、昭和五二年一月)[<書証番号略>]にこの調査結果を発表した。臨床症状の出現頻度は別紙の二二の表のとおり、臨床症状の組合せと症度は別紙二三の表のとおり、右の症度の内容については別紙二四の表のとおりであって、藤野は、五七名中五一名(別紙二三の表AからGまで)を水俣病、六名(別紙二三の表のHからKまでの四名と視野検査不能の二名)をその疑いと診断し、全員が有機水銀の影響を受けていることが明らかになったとした。藤野は、同論文の中で、調査の問題点として、有機水銀中毒の診断基準の問題について、水俣病のような慢性・持続的継続的汚染による間接中毒の場合、ハンター・ラッセル症侯群が中核であっても、それに含まれない中間不全型や特異型のものが多いと考えられるから、数個の症状を診断の基準とすることは危険が大きく、むしろ、症状のパターンを重視すべきであり、本調査においても最初から水俣病か否かを検討せず、存在する神経症状のすべてをとりあげそのパターン分析を試みた、としている。また、所見の信頼度については、複数の医師の援助によってきびしく症状をチェックし、軽い症状とくに失調などの判定は厳格にした、神経学的所見でも機器による検査の可能なものはこれらの所見と組み合わせた結果、患者の自覚症状と神経学的所見と機器による所見との間に一致がみられたので、その信頼度は高いものと考えた、と述べている。
藤野は、翌昭和五一年、有機水銀汚染がないと考えられた鹿児島県大島郡瀬戸内町の西阿室部落(加計呂麻島)を対象として、桂島においてしたのと同じ内容の精密検査を実施し、その結果と桂島精密検査との結果を比較検討し、「ある島における住民の有機水銀汚染の影響に関する臨床疫学的研究(第二報)」「熊本医学会雑誌」五一巻二号、昭和五二年三月)[<書証番号略>]にその結果を報告した。比較検討に当たって無作為に抽出した桂島地区三一名、西阿室地区三三名の臨床症状は別紙二五の表のとおりであり、右住民(桂島地区は視野検査不能の一名を除く三〇名)の臨床症状の組合せは別紙二六の表のとおりである。藤野は、臨床症状及び臨床検査所見の比較で有意差があり、かつ有機水銀の影響が強いと考えられたものとして、四肢末梢性及び口周囲の知覚障害、視野狭窄、情意障害、知能障害、視野沈下、失調を、これらほど強くはないが有機水銀の影響と考えられたものとして、振動覚障害、難聴、感音性難聴、気導オージオグラム斜降型、構音障害、振戦を指摘している。
ところで、藤野は、同論文の中で、臨床症状の組合せの問題について、徳臣が水俣病の臨床症状の特徴を知覚障害(一〇〇パーセント)、視野狭窄(一〇〇パーセント)、失調(80.6〜93.5パーセント)、構音障害(88.2パーセント)、難聴(85.3パーセント)、振戦(75.8パーセント)、軽度の知能障害(70.6パーセント)などと報告したが、「これらの個々の症状は、それに限っていえば非特異的なものであり、これらの出現頻度が高いということだけで有機水銀中毒症と断定することは問題があろう。したがって、有機水銀の影響を考える場合、その汚染を受けたという疫学的条件はもちろん、これらの症状の組合せが重要となる。」と述べている。なお、これと同じ表現は、藤野らが水俣病認定申請に対する棄却処分に対する行政不服審査請求において提出する反論書として作成した「水俣病の診断における「変形性脊椎症」の問題について」(「民医連医療」六一号、昭和五二年六月)[<書証番号略>]と題する論文にもみられる。
また、藤野は、同論文の中で、比較検討にあたっての問題点の一つとして、桂島水銀汚染問題に関する社会、心理学的なものについて触れ、「このような地区では自覚的訴えが多く、また心因的、作為的な症状が出ることは当然考えられるところである」から、「自覚症状に関してはその出現頻度の大きいことだけでなく、その出現順位と、水俣病と関係ある症度のパターン(組合せ)、さらに、それと他の症度のパターン(組合せ)を重視して検討してきた。また、臨床症状に関しては、それを裏づける可能な限りの臨床検査を試みて、症状を客観的にとらえるように努力した。また、機械による検査や失調症状では所見の症度を重視した。そのため、両地区の比較にあたっては、常に症度別による出現頻度の検討をしてきた。当然、臨床症状に関しても自覚症状と同様にパターン分析を試みた。さらに日常生活におる障害度まで総合的に判定した。しかし、これらの結果、桂島地区では自覚症状は臨床症状とそのパターンに裏づけられ、臨床症状はまた客観的検査所見によって裏づけられており、心因性であるという根拠はみられなかった。」と述べている。
その後、藤野は、二〇代の青年や二〇歳未満の若者に有機水銀の影響が現れていないかを検討するため、昭和五二年から昭和五四年にかけて、昭和五〇年の調査で未受診であった若年者四九名の中から昭和四五年以後に生まれた幼児を除く四五名の若年者の一斉検診を行い、「ある島における住民の有機水銀汚染の影響に関する臨床医学的研究(第三報)」(「熊本医学会雑誌」五四巻三号、昭和五五年八月)[<書証番号略>]にその結果を報告した。これによると、昭和二一年から昭和二八年生まれ(調査時年齢二六〜三四歳)の群では、一二名全員に四肢末梢型の感覚障害が認められ、七名(58.3パーセント)に聴力低下が認められ、運動失調が一名に認められており、昭和二九年から昭和三五年生れ(調査時年齢一九〜二五歳)の群では、七名中長期にわたって島外で居住した女一名を除く男六名(85.7パーセント)に四肢末梢型の感覚障害を認められており、昭和三六年から昭和四一年生れ(調査時年齢一三〜一八歳)の群では、八名中男三名(37.5パーセント)の手指・足趾に軽度の感覚鈍麻が認められており、昭和四二年から昭和四七年生れ(調査時年齢七〜一二歳)の群では、一三名中女一名(7.7パーセント)に前腕中の二分の一、下腿中二分の一にまで及ぶ末梢型の感覚障害が認められている。運動失調と総合的に判定されたのは最初の群の一名だけである。藤野は、対象者に四肢末梢型の感覚障害が高頻度にみられ、しかも有機水銀曝露歴の長い者ほど高頻度で障害の程度が強いとして、「若年者にみられた感覚障害は居住歴=汚染歴と関係あることから、しかもその感覚障害を説明できる原因がなく、かつそれが集団的に発生していることなどから、有機水銀の影響によるものと考えてよいと思われる。そうであるとすれば、末梢型の感覚障害が最も基本的な初期あるいは軽症の症状であるといえよう。」と述べている。
九藤野らによる御所浦地区の住民検診
【証拠】 <書証番号略>、証人藤野糺の証言
藤野らは、昭和五二年から五三年にかけて、熊本県天草郡御所浦町の住民で、昭和四六年に前記七の熊大二次研究班の立津らの調査を受けた三五歳(年齢は昭和五五年六月末現在)以上の男女九九三名のうち三〇四名(受診率30.6パーセント)について前回の調査内容に準じた健康調査を実施し、健康障害の推移を比較検討した(「有機水銀汚染地区住民の臨床症状の遷移」(「体質医学研究所報告」三四巻三号、昭和五九年三月))[<書証番号略>]。別紙二七の表は自覚症状の推移をまとめたものであり、「しびれ感」が7.1パーセントから79.5パーセントに激増しているのをはじめ、「めまい」「よろつき」「物忘れする・考えがまとまらぬ」「イライラ・ゆううつ」「耳が聴えにくい」などの項目における出現頻度の増加が著名である。別紙二八の表は神経症状の推移をまとめたものであり、四肢末梢性感覚障害が8.6パーセントから68.4パーセントに増加しているのをはじめ、「難聴」「失調のまとめ」「視野狭窄」などの項目における出現頻度の増加が著明である。別紙二九の表は症状の組合せの推移をまとめたものである。前回の調査では、いずれの症状も認めない者が二五〇人もいたのに、今回の調査では五三人となっていて、この間に約二〇〇人が何らかの症状の発現をみたことになる。感覚障害のみを呈する例は一六名から八〇名へと激増している。
このような同一対象者の急激な症状の変化については、所見の信頼性等について当然に疑問が寄せられようが、藤野らは、「昭和四八年以降は認定されるとチッソから補助金が支払われるようになったために、その訴えや症状が疑われる風潮がみられるようになった。あるいは心因性のものとみられるようになった。確かに、自覚症状については消極的で訴えなかったり、積極的に訴えることによって多少の差はみられるであろう。しかし、今回調査での自覚症状と神経症状との驚くべき一致率は、自覚症状がでたらめに訴えられていくことではなく、神経症状に裏付けられていることを示している。」「これだけの大規模な汚染であり、大きな社会問題であることから当然さまざまな心理的負担因子が存在することが考えられる。しかし、実際には、対象の四例(全員女性)に神経症的色彩を認めたにすぎなかった。したがって、今回みられた悪化した症状を心因性とすることはできない。」「感覚障害や運動失調の判定には多分に診察者の主観が入り込む余地がある。その問題に関しては、新潟大学神経内科グループと見方についての比較も行った。その結果、わがグループは失調において多少広くとらえる傾向が認められたが、大略大差のないことが証明されている。」などと述べ、こうした症状の変化は所見の取り方の違いや心因性のものではない、としている。
そして、藤野らは、こうした症状の悪化の機序については、加齢によるものではなく、過去の濃厚汚染に引き続いて現在も続いているメチル水銀の慢性微量汚染の影響である可能性が強く疑われるとの見方を示し、武内の生物学的半減期に関する説や原田の「発症はある時期の体内蓄積量が一定の閾値を越すか否かという単純なものではなく、体内侵入量と時間との積になる。」という仮説をもとにして考えていると、「今回調査対象になった住民は過去に汚染を受けていたが、昭和四六年の前回調査時には発症するまでに至っていなかったものが、その後比較的少量といえ今回調査までに慢性に汚染が続いたことにより発症したことになる。今まで濃厚な汚染を受けていないものにとっては発症しない汚染であっても、かつてかなり濃厚な汚染を過去に受けたものにとっては、低濃度でも長期にわたって汚染を受けると発症することを示している。」と述べている。
藤野らは、「水俣病の現在の医学的問題点」(「公害研究」一一巻四号、昭和五七年四月)[<書証番号略>]において、御所浦町の調査の結果を紹介し、「最近の患者の臨床的特徴は、第一にハンター・ラッセル症侯群に限っていえば感覚障害を底辺としてそれに聴力低下や軽度の運動失調を併せ持つもの、あるいは感覚障害だけのものが圧倒的に多いことがあげられる。」「これらの実態から、私たちは環境庁の判断条件の中で述べられている四項目の組合せの中で、どの項目にもいわば共通症状として入っている感覚障害(四肢末梢性障害タイプ)だけのものは水俣病でないとしていることに全く納得がいかない。このタイプの感覚障害が変形性頚(脊)椎症でみられないことは、奄美大島の対照検診で一名もみられなかったことからも、あるいは頚椎を専門にしている整形外科専門医による証言からも、あるいは私たちの文献的考察からも明らかであり、同じような症状を呈する他の多発性神経炎を起こすような原因物質が認められないことも明らかである。原因不明の多発性神経炎を呈する物質が仮に他にあったとしてもそれは頻度の上から問題にならず、また疫学条件を満たしておれば、他の疾患による症状の可能性よりはるかに水俣病による症状の蓋然性が高い。この四肢末梢性タイプの感覚障害は、不知火海沿岸住民の五〇〇〇名以上を診断した私たちのデータから、田浦町・芦北町・津奈木町・水俣市・出水市などの漁村の三五歳以上では一〇〇パーセント近くみられている所見である。」などと述べている。
これについて、被告らは、この調査が行われた昭和五二、三年という時期は、水俣湾付近の魚介類あるいは付近住民の毛髪中の水銀値が相当低下した昭和四四年からも既に九ないし一〇年を経過した時期であり、このように有機水銀汚染の状況に特段の変化のない期間に症状が激増するということは有機水銀の影響としては理解し難い現象であると主張し、この結果は、医師による所見の取り方の違いや、心因的、作為的な症状によるものと考える方が合理的であると主張している。
一〇いわゆる不知火海大検診
【証拠】 <書証番号略>、証人鈴木健世の証言
「水俣病の全面解決をめざす不知火海大検診実行委員会」(委員長・上妻四郎水俣病県民会議医師団長)による集団検診が、昭和六二年一一月二八、二九日の両日、熊本県芦北郡田浦町から鹿児島県出水市までの会場で、全国からの医師一一〇名を含む三四五名の検診スタッフにより実施され、住民一〇八四名(内認定未申請者四五〇名)が受診した。この検診に参加した鈴木健世医師は二日間で一〇人から一五人程度診察し、一人当たりの患者の診察時間は三〇分から一時間程度であった。ゴールドマン視野計やオージオグラムといった眼科、耳鼻科の機器は使用されなかった。[証人鈴木健世の証言]
藤野は、昭和六三年九月に開催された水俣病国際フォーラムでこの結果を発表しているが、これによると、ハンター・ラッセル症侯群の五特徴による組合せでは、それらをすべて備えたものやそれらのいくつかが組み合わさったものが多く、感覚障害のみのものは19.0パーセント、いずれも認められないものは12.1パーセントにすぎず、診断では、67.8パーセントが水俣病、14.0パーセントが水俣病の疑いと診断され、診断保留が9.3パーセントで、水俣病ではないと診断されたものが8.9パーセントであったとされている。
この報告に対しては、出席者の一人であるカーランド博士から、この結果を受け入れるためには、この調査が偏見のない形でなされたことを示さなければならないとして、診断基準の均一性をもたず、クォリティーコントロールを誤り、医師が、その患者がどこからきたとか、その地区で高い罹患率がみられたことを知っていることによって、この種のバイアスがあったかもしれず、こういったバイアスを避けるためには、患者が異なった地域で診察されること、つまり医師がどこからきた患者かということを知らずに偏見のない形で診察する必要があるとの発言がされ、これに対して、藤野は、診断基準の均一性の問題に関して、最初に診断基準を統一した上で、長らく水俣病の検診に従事してきた県民会議医師団の医師がそれぞれ地区で最終的には所見をチェックするという作業をして明らかなものだけを所見としてとることにし、軽度の異常は所見としてとらなかったなどと述べている。また、医師がどこからきた患者かを知らずに診察する必要がある、とのカーランド博士の指摘に対するものとしては、同フォーラムにおいて、原田が、血中水銀量とか毛髪中水銀量などが現在では参考にならないので、何を手掛かりに診断するかといえば、その人の生活歴とか家族の状況などを参考にせざるを得ないのであって、そこに目をつぶり先入感なしにというのは医学としてはわかるが、ある患者を水俣病ではないかと疑ったときには、生活状況を絶えず参考にせざるを得ない、との発言をしている。
一一最近の認定の神経症候についての報告
【証拠】 <書証番号略>
1 熊本大学第一内科教授の荒木淑郎らは、「慢性水俣病の臨床像について」(「臨床神経学」二四巻三号、昭和五九年三月)[<書証番号略>]において、昭和五五年六月から昭和五八年三月の間に熊本県で水俣病の認定を受けた患者一〇〇例について、審査会資料に基づいて臨床症候、特に感覚障害のパターンについての分析検討を行い、その結果を報告している。報告の要旨は次のとおりである。
一〇〇例の内訳は男性五三例、女性四七例で、年齢は二二歳〜八九歳(平均六六歳)である。また、先天性水俣病が六例、後天性水俣病が八〇例、剖検による認定が一四例である。
別紙三〇の表は一〇〇例の主要神経症候出現頻度を示したものである。視野狭窄はゴールドマン視野計で鼻側が五七度〜五〇度の軽度の狭窄が二七例、五〇度〜四〇度の中等度の狭窄が一四例、両者を合わせて四一例であった。聴力障害も同様に明らかな例が一一例、ボーダーラインが五六例で合わせて六七例であった。協調運動障害は上肢よりも下肢で障害が目立ち、膝踵試験や脛叩き試験の障害が六〇パーセント程度にみられた。各神経症候の中では感覚障害、聴力障害に次いで高頻度にみられた。この他、企図振戦を認めたのは一一例であり、腱反射亢進例は一二例、消失例九例であった。感覚障害は九五例に認められた。
一〇〇例の患者は各自一回から多い者では五回にわたる神経内科学的診察を受け、平均すると2.21回の神経所見がとられているが、感覚障害の所見については、診察のたびごとに感覚障害の分布や程度が変動するもの(不安定型)と、比較的一定しているもの(安定型)がある。別紙三一の図は最終的に水俣病と認定されたときの感覚障害分布をもとに分類したものであり、別紙三二の表は感覚障害パターンの各病型と不安定型の頻度を示したものである。表在感覚障害パターンの分類は、Ⅰ型は手袋靴下型で、Ⅰa型は四肢のみ、Ⅰb型は四肢と顔面の感覚障害を呈するもの、Ⅰc型は感覚障害の分布は手袋靴下型であるが、触覚鈍麻のみのもの、あるいは痛覚鈍麻のみのもの、あるいは触覚鈍麻と痛覚過敏などⅠa型、Ⅰb型に該当しないものである。Ⅱ型は、上肢並びに下肢全体の感覚障害を呈するもので、Ⅱa型は上下肢の感覚障害のみ、Ⅱb型はこれに加えて顔面の感覚障害を呈するものである。Ⅲ型はsea level型を呈し、Ⅲb型はこれに加えて顔面の感覚障害を呈するものである。Ⅳ型は、全身の痛覚脱失ないし痛覚鈍麻を呈するもので、Ⅳa型は感覚障害のみ、Ⅳb型は痛覚障害に手袋靴下型の触覚鈍麻を呈するもの、Ⅳc型は痛覚障害に上下肢全体の触覚鈍麻を呈するもの、Ⅳb型は痛覚障害にsea level型の触覚鈍麻を示すもの、Ⅳe型は触覚も全身性に障害されたものである。Ⅴ型は半身の感覚障害に反対側の手袋靴下型の感覚障害を呈するもので、脳血管障害を合併するものが多かった。各型の頻度は、全体の九五例中Ⅰ型が五五例で、そのうちⅠa型(手袋靴下型で四肢のみ)が四四例と最も多く、うち三二例は不安定型であった。Ⅰa型に次いでⅡa型(上下肢)八例、Ⅰc型(手袋靴下型であるが触覚鈍麻のみ)七例、Ⅳb型(痛覚障害に手袋靴下型の触覚鈍麻)六例などが上位を占めた。振動覚の記載されていたもの七二例のうち、〇〜四秒と著明な振動覚の低下を示したものは一三例、五〜九秒と軽度の低下を示したものは三八例、一〇秒以上でほぼ正常と考えられる者は二一例であった。荒木らは、「最も高頻度に認められた感覚障害も一部に全身痛覚脱失型(Ⅳ型)にみられるような左右対称性多発神経障害のパターンと合致しないものがみられ、臨床症候のみでは水俣病か否かの判定が困難な例が増加していることが今回の調査を通じて明らかになった。」としている。
2 荒木らは、その後に認定された症例も加え、「慢性水俣病診断の問題点(第一法)―神経症候並びに患者老齢化に伴う各種合併症の実態を中心に」(水俣病に関する総合的研究(昭和六一年度環境庁公害防止等調査研究委託費による報告書)、昭和六二年三月)[<書証番号略>]において、昭和五六年五月から昭和六〇年一二月の間に熊本県で水俣病の認定を受けた患者一七一例について、審査会資料に基づいて臨床症候の分析並びに各種合併症の実態について検討を行い、その結果を報告している。報告の要旨は次のとおりである。
一七一例の内訳は、男性一〇〇例、女性七一例で、年齢は一九〜九六歳であり、先天性水俣病一六例、後天性水俣病一三二例、剖検による認定二三例であった。
別紙三三の表は一七一例の主要神経症候出現頻度を示したものである。視野狭窄はゴールドマン視野計で鼻側が五七度〜五〇度の軽度の狭窄が二二例、五〇度〜四〇度の中等度の狭窄二五例で、両者を合わせて四七例(三〇パーセント)であった。聴力障害は語音聴力の悪化、聴覚疲労現象を認め、後迷路性ないしその疑いのある例七〇例(四四パーセント)、補充現象陽性の内耳性難聴と考えられる例二〇例(一三パーセント)であった。協調運動障害はアジアドコキネーシスが三六パーセント、指鼻試験障害二五パーセント、膝踵試験や脛叩き試験の障害が六二〜六七パーセント程度にみられた。起立・歩行検査では、片足起立障害やつぎ足歩行障害を呈するものが多い。この他、企図振戦を認めたのは二二例(一三パーセント)であり、腱反射亢進例は二一例(一三パーセント)、減弱・消失例は六一例(三六パーセント)であった。
感覚障害の障害パターンでは、手袋靴下状の分布を示す型(四肢型)が一二〇例(七三パーセント)、顔面を含む半身知覚鈍麻に反対側肢の手袋靴下状の知覚鈍麻を示す型(四肢+半身知覚障害型)が三例、触覚は手袋靴下状分布をとり、全身痛覚ないし脱失を示す型(四肢+全身痛覚障害型)が一〇例、手袋靴下状の知覚障害に節性の知覚障害を混じる型(四肢+節性知覚障害型)が五例、全身痛覚鈍麻・脱失を示す型(全身知覚障害型)が九例、その他(一肢あるいは二肢に節性ないし不規則な知覚障害を示す型)が九例、表在知覚障害を認めないものが八例(胎児性水俣病五例、剖検認定例三例)であった。剖検認定例一九例についてみると、四肢型が九例であるが、その他(一肢あるいは二肢に節性あるいは不規則な知覚障害を示す型)が五例知覚障害なしが三例となっている。
荒木らは、これらの結果から、最近の認定例では、水俣病発生当初の定型例と比較して中核神経症状の頻度が低下し、年々その傾向が顕著になっており、臨床症候学的に水俣病の判定困難な例が増加している、としている。
一二小括的検討
1 このようにみてくると、水俣病発見後の初期の段階では、その原因究明が先決問題であったために確実な症例のみが水俣病として取りあげられたこと、水俣病の原因物質がメチル水銀であることが解明されるに当たっては、ハンター・ラッセルの報告が多大な貢献をし、その後の水俣病の診断においてはハンター・ラッセル症候群が基準とされたこと、新潟水俣病の発生後、椿らによってハンター・ラッセル症候群のそろっていない比較的軽症の患者の存在することが指摘され、感覚障害の重要性が示唆されて、感覚障害のみでも毛髪水銀量が二〇〇ppm以上というような極めて高値を示した者については水俣病と診断されたこと、その後水俣病でも、ハンター・ラッセル症候群を示す定型的水俣病のほかに、その症候がすべてそろっているわけではない不全型の患者が多数存在することが明らかにされ、熊本大学二次研究班の調査等によって、さまざまな程度の水俣病患者が不知火海沿岸に多数存在することが明らかになっていったこと、熊本県及び鹿児島県において、有機水銀汚染地区の住民の健康被害の実態を明らかにする目的で前記七の住民健康調査がなされたりもしたこと、などの経過が理解される。このように水俣病の病像の広がりが次第に解明されていく中で、既にみたように、水俣病患者の救済という局面においては、救済法・補償法が制定され、熊本第一次訴訟判決後には被告チッソと患者団体との間において補償協定が締結されたものであるが、その後認定業務の運用をめぐっては、「どのような症状をもつ患者をどこまで水俣病と診断するか」について、見解の対立がさらに顕著となっている。
白川は、「水俣病の診断学的追究と治療法の検討」(有馬編・水俣病―二〇年の研究と今日の課題)[<書証番号略>]の中で、「水俣病も原因不明の奇病とよばれた初期―原因究明の段階では、確実な症例を集めるためには厳密な診断基準が必要となるが、原因の明らかになった次の段階では、原因物質(メチル水銀)に曝露された住民について、対照群と比較しつつ詳細に経過を追究してその人体に及ぼす影響を明らかにし、新しい診断基準をつくりあげていくことが必要となる。その過程で大切なのは、日常の診察のなかでみいだされる所見を正確に記載し、その積み重ねのなかから新しい基準を導く、すなわち事実に即して真理を求めようとする態度である。」と述べているが、そのこと自体には異論の余地がないと思われる。しかしながら、現在、有機水銀に曝露された住民に対照群と比較したときにどのような健康被害が発生している事実があるのかについての認識に一致がみられていない。そして、そのことが「どのような症状をもつ患者をどこまで水俣病と診断するか」ということについての見解の対立にもつながっているものと考えられる。
2 熊大二次研究班の調査は、原田意見書でも指摘されているとおり、症状を細かくピックアップしているものの、ハンター・ラッセル症候群をもとにして組合せ論を重視しているものといえる。藤野らも、昭和五二年当時の論文では、「有機水銀の影響を考える場合、疫学的条件はもちろん、症状の組合せが重要となる。」などと述べており、「感覚障害のみの症例でも水俣病と診断できる場合があるか」という問題はともかくとしても、水俣病にみられる各個の症候には特異性がないので、臨床診断においては症状の組合せが重要であるということ自体には一応の共通の認識があったとみられる。そうした意味では、五二年判断条件が症候の組合せを呈示したこと自体は、格別新たな医学的判断を持ち出したものではなく、その当時一般的であった医学的判断を成文化したものとみてよいであろう。もっとも、昭和五四年三月二八日に言い渡された熊本第二次訴訟一審判決によると、右訴訟の原告らは、不知火海の魚介類を多食し、四肢末梢性の知覚障害があれば水俣病と確実に診断できると主張しており、その当時からそうした見解があったことが窺われる。現時点において、五二年判断条件に該当する患者を、臨床医学的に、あるいは補償法の認定業務の上で、水俣病と診断することについては、多くの医学者の間に見解の一致があるものとみられる。問題は、五二年判断条件が呈示した症候の組合せをもたない患者も補償法の認定業務の上で水俣病と判断すべく判断条件の改訂を要求するような事実が存在するのかということにある。
3 感覚障害だけの症例ということについてみると、被告らは、「感覚障害のみの症例」でも水俣病と診断すべきであるとの原告らの主張が正当と認められるためには、感覚障害のみを呈する例がメチル水銀に汚染された魚介類を多食したと認められる地域住民の中に多数存在していることが証明されなければならないと主張するのに対し、原告らは、水俣病患者全体の中には感覚障害に加えて、運動失調、視野狭窄あるいは難聴といった症状を複数個併せ持った例が多数存在するとともに、感覚障害のみの例も少数ではあるが存在するのであって、感覚障害のみを呈する例がメチル水銀に汚染された魚介類を多食したと認められる地域住民の中に多数存在するとは主張していないと反論している。この議論は十分にかみあっていないきらいがあるが、メチル水銀に汚染された魚介類を多食した地域住民に、対照地域の住民との比較において、感覚障害のみを呈する例が有意差をもって多数存在するのでなければ、その感覚障害を水俣病による症状とみることに困難が生じることは否めないのであって、原告らの主張がこのような意味をも否定しようとするのであれば、それは正当ではない。そこで、メチル水銀に汚染された魚介類を多食した地域住民に、対照地域の住民との比較において、感覚障害のみを呈する例が有意差をもって多数存在していることが証明されているかどうかが問題となってくる。
二次研究班の調査では、感覚障害のみの症例の存在が指摘されているが、第一次検診の報告では、感覚障害のみの症例の出現頻度は低く、対照地区との有意差もみられていない。二次研究班は、感覚障害のみの例である別紙一七の表の7)を水俣病の疑いとしているが、対照地区との有意差のある6)、8)と同じ「水俣病の疑い」との評価を与えることには疑問があるといえよう。また、水俣病であると決定するためには、疫学的な事項の検討が必要ともしているが、有機水銀曝露歴を示すいわゆる疫学条件と感覚障害の所見のみでなぜ水俣病と決定できるのかについては根拠は示されておらず、第二次検診の報告でも、別紙一八の表の感覚障害のみの例のうちの二例をなぜ水俣病と診断したのか、五例をなぜ水俣病の疑いありと診断したのかの基準については十分な説明はなされていない。
藤野は、前記のとおり、桂島の若年者の一斉検診の結果、対象者に四肢末梢型の感覚障害が高頻度にみられ、しかも、有機水銀曝露歴の長い者ほど高頻度で程度が強いことから、若年者にみられた感覚障害は居住歴したがって汚染歴と関係があり、しかもその感覚障害を説明できる原因がなく、かつそれが集団的に発生していることなどから、有機水銀の影響によるものと考えられるとし、末梢型の感覚障害が最も基本的な初期あるいは軽症の症状であるとした。また、御所浦町の住民でかつて二次研究班の調査を受けた者の健康調査を実施し、健康障害の推移を比較検討した結果、神経症状、自覚症状の出現頻度の増加が著明であり、感覚障害のみを呈する例も一六名から八〇名へと激増したと報告した。藤野らは、このような同一対象者の急激な症状の変化については、昭和四八年以降は行政認定を受けるとチッソから補償金が支払われるようになったために、その訴えや症状が疑われる風潮がある中で、その所見の信頼性等について当然に疑問が寄せられることを予想して、こうした症状の変化が心因性のものや所見のとり方の違いによるものかどうかについて検討を行い、その結果それを否定した。そして、藤野らは、このような調査結果に基づいて、ハンター・ラッセル症候群に限っていえば、感覚障害を底辺としてそれに聴力低下や軽度の運動失調を併せ持つもの、あるいは感覚障害だけのものが圧倒的に多いことが最近の患者の臨床的特徴であるとし、これらの実態から、五二年判断条件において感覚障害(四肢末梢性障害タイプ)だけの症例が水俣病と判断されないことを強く批判するにいたっている。藤野らは、こうした症状の悪化の機序については、過去の濃厚汚染に引き続いて現在も続いているメチル水銀の慢性微量汚染の影響である可能性が強く疑われるとの見方を示しているが、これに対して、被告らは、この調査が行われた昭和五二、三年という時期は、水俣湾付近の魚介類あるいは付近住民の毛髪中の水銀値が相当低下した昭和四四年からも既に九ないし一〇年を経過した時期であり、このような有機水銀汚染の状況に特段の変化のない期間に症状が急激に憎悪するということは有機水銀の影響としては理解し難い現象であると主張し、藤野らの調査結果は、藤野らの否定にもかかわらず、医師による所見のとり方の違いや、心因的、作為的な症状によるものと考える方が合理的であるとする。
こうした見解の対立については、後記第六節で検討することとする。
4 ところで、藤野らは、右のとおり、ハンター・ラッセル症候群に限っていえば感覚障害を底辺としてそれに聴力低下や軽度の運動失調を併せ持つもの、あるいは感覚障害だけのものが圧倒的に多いことが最近の患者の臨床的特徴であるとしたのであるが、認定未申請者、申請中の者、棄却処分を受けた者などを対象として行われた前記一〇の不知火海大検診などの結果によれば、棄却処分を受けた者の中でも、ハンター・ラッセル症候群のいくつかの症候が組み合わさった症状を持つ者の方が圧倒的に多いともされている。
本訴において、原告らは、前記のとおり、水俣病患者全体の中には感覚障害に加えて、運動失調、視野狭窄あるいは難聴といった症状を複数個併せ持った例が多数存在するともに、感覚障害のみの例も小数ではあるが存在すると主張し、原告らの各原告の症状についての主張によれば、本訴原告中でハンター・ラッセル症候群のうち感覚障害のみを呈する症例はかなり少なく、原告らの相当数がハンター・ラッセル症候群の他の症候をも有する者ということになる。
これらのことは「感覚障害のみの症例」を水俣病と診断するかという判断条件の問題が重要であるとともに、それぞれ症候の所見のとり方の問題もまた重要であることを示唆してる。
5 井形らの多変量解析についてみると、それは客観的な水俣病像を統計的手法によって明確にしようとしたものであるが、そこには井形も自認していたような欠点もあった。もっとも、欠点とされるもののうち疫学的条件を除外しているとの点については、右研究の対象とされた二八七名はいずれも汚染地域に居住し、第一次、第二次検診を経て第三次検診を受診した者であるから、その疫学的条件にそれほどの差があるとも思われず、疫学的条件を考慮しても分析結果にそれほど影響が生じてくるとは思われない。仮に疫学的条件というものを何らの手法できめ細かく数量化することができるものならば、更に有意義な結果が得られるかもしれないが、原告らの主張する疫学的条件、あるいは元倉診断書等の原告側医師団による診断書における有機水銀曝露歴というものはそれほどきめ細かいものではないのであるから、原告らの批判は必ずしも妥当しないであろう。また、第一次アンケート調査には相当数の無回答が含まれていたとか、計量診断の基礎となった水俣病患者数が実際の認定患者数よりもはるかに少ないなどといった批判も正当なものではない。因子分析及び判別分析は、第三次精密検診を受けた者の神経学的症状のデータに基づいて行われたものであって、アンケートに対する無回答などにより、現実には水俣病患者でありながら第三次精密検診を受診しなかった者が多数存在したというような問題は、それらの水俣病患者が第三次検診の対象となった水俣病患者とその症状において異質のものでない限りは、判定値ヒストグラムの第二峰以降のグラフの高さに関する問題であって、住民健康調査の問題としては重要であっても、判別分析の結論に本質的な影響を及ぼすものではないから、原告らの批判は的外れのものである。計量診断法で水俣病と関連のある重要な因子でも低い因子負荷しか認められていないものがあるとの点も(因子負荷量というより判別係数の問題と思われるが)、判別分析の結論に対する信頼性に疑問を生じさせる性質のものとは思われない。原田の批判は、要するに、井形らの第三次検診に基づいて水俣病かどうかの診断がされ、それに基づいて判別係数が算出されるのであるから、そこには井形らの水俣病の診断に対する考え方が反映されているはずであるという趣旨であると思われ、それはそのとおりであろうと思われる。ただし、それが有効な批判となるためには、井形らの診断基準によっては水俣病と診断されない水俣病患者が現実に存在していることが必要であり、まさにその点がどうなのかが検討されるべき問題であろうと思われる。「症状の確認」という問題も、多変量解析の問題というよりも、およそどのような診断であっても問題となるものであり、水俣病の診断においては所見のとり方の問題がまさに重要な争点となっているわけである。
6 前記一一の荒木らによる近時の認定患者の臨床像の報告は、原田意見書でも指摘されているように、五二年判断条件という基準があって、審査会でそれに従って審査がされ、それに基づいて認定されたものを水俣病として分析しているのであるから、五二年判断条件や審査会における審査が水俣病の診断において相当なものであるかという前提を抜きに、その結果が直ちに水俣病の現実の症状であるということはできない。たとえば、これらの報告は、感覚障害が九五パーセントと高頻度であると述べているが、前記のとおり後天性水俣病につては五二年判断条件の症候の組合せで感覚障害があることが必須とされているのであるから、後天性水俣病の認定例では感覚障害が全例に認められるのが当然であって、感覚障害が認められなかったというのは、胎児性水俣病と剖検による認定例である。胎児性水俣病については、環境庁環境保健部長が昭和五六年七月一日付で発した「小児性水俣病の判断条件について(通知)」と題する通知[<書証番号略>]においても、小児性水俣病においては「感覚障害は認められないことがあり得るものであること」とされているところであるから、感覚障害なしの症例が一四例中五例あっても格別異とするに足りないと思われるが、剖検による認定例で一九例中三例(一六パーセント)が生前の審査会の審査では感覚障害なしとされ、五例(二六パーセント)がその他(一肢あるいは二肢に節性ないし不規則な知覚障害を認める型)とされていたことはどのようにみるべきであるのか、すなわち、後天性水俣病でも感覚障害のみられない症例であるのか、そうだとすると五二年判断条件は症候の組合せで感覚障害を必須のものとしている点において必ずしも適切ではないことになるのか、そうではなくて、審査会での感覚障害の所見のとり方の方に問題があったのかといったことなどが問題になると考えられる。しかし、右のような評価を免れないとはいえ、これらの報告は、近時におる水俣病の臨床像を探る上で相当の意味をもつものといってよいであろう。
7 以上のとおり、水俣病においては、どのような症状をもつ者を水俣病と診断するかという判断基準について争いがあるのだから、水俣病の症状を分析検討しようとする際には、それらの症例がどのような基準によって、どのような所見の把握の仕方によって水俣病と診断されたのかを十分に検討しておく必要があり、そうでないと水俣病の実態を見失う結果ともなりかねない。どのような診断基準が妥当であるかを判断するためには、メチル水銀に曝露された住民に対照群と比較してどのような健康被害が発生している事実があるのか、すなわち、汚染地区の健康のかたよりを認識することがぜひとも必要であるが、これについても認識に一致がみられないという状況にある。
本訴において、原告らが水俣病に罹患しているかどうかを判断する上では、原告らそれぞれにどのような健康障害が発現しているのかということが最も重要な問題であるが、これについての見解は現被告間において対立し、双方がその主張の根拠とするそれぞれの医学的診断の相違が顕著である。そこで、その診断の当否を判断するためには、右のようなさまざまな問題についていずれの認識が医学的知見に照らして妥当であるかを検討していくほかはないと考えられる。
第五節水俣病の病理
【証拠】 <書証番号略>、証人武内忠男、同白木博次の各証言
本節では、水俣病の病理研究の過程ないし成果を概観しておくこととする。
一熊本大学における病理解剖に基づく知見
熊本大学医学部第二病理学教室では、昭和三一年から昭和六二年までの三一年間に水俣地区住民四二三例の病理解剖を行い、その間武内忠男、衞藤光明らは、水俣病の病理について多くの報告をしている。これらの報告によると、水俣病の病理につき大要以下の事実が認められる。
1 人体病理学的特徴
(一) メチル水銀化合物は、生体内に広く分布し、神経系のみならず一般臓器組織細胞にも広範囲に沈着しているが、それによる障害は特に神経系に強くあらわれ、一般臓器では軽い。
(二) 脳では、大脳及び小脳ともに侵され、いずれも神経細胞を中心として障害される。
大脳皮質は広範囲に大なり小なり障害されるが、一般的に障害されやすい部位(好発部位)があって、それが特徴となっている。典型的な例では、大脳皮質では後頭葉が前頭葉よりも侵され、特に視野中枢である鳥距野の障害が強い(なお、武内「水俣病の病理」(熊本大学医学部水俣病研究班・水俣病―有機水銀中毒に関する研究、昭和四一年三月)[<書証番号略>]では、鳥距野の前半に障害が強いとしているが、武内・衞藤「水俣病の病理総論」(有馬澄雄・水俣病―二〇年の研究と今日の課題、昭和五四年一月)[<書証番号略>]では、鳥距野の障害は前方優位の障害が強調されていたが、必ずしもそうではない、としている)。これら視野中枢の周辺第一八・一九野の障害も視関連領域としてこれらに次ぐ障害をみる。中心前回(随意運動の中枢)及び中心後回(感覚の中枢)は視中枢に次いでよく障害のみられるところであり、症例によって中心前回の障害がより強いものもあり、中心後回の障害がより強いものもある。側頭葉の聴中枢付近も障害されやすい部位であり、前頭葉でも光感覚と関連が示唆されている第八、九野が侵されることがある。
(三) 小脳の病変にも特徴がある。小脳皮質病変が主たる変化であり、小脳皮質では、顆粒細胞の単個細胞壊死(single cell necrosis)が招来され、プルキンエ細胞、ゴルギ細胞の障害は比較的軽いが、障害の強い場合にはいずれの細胞も変性壊死崩壊し、脱落へ導かれる。顆粒細胞の脱落の仕方の特徴は、一般に、新旧小脳の区別なく、小脳半球及び虫部の比較的深部中心性に障害が現れ、小脳回の深部のものに比較的早くかつ比較的強く現れ、その小脳回の尖端(crests)のプルキンエ細胞層直下からはじまる顆粒細胞優位の障害である。したがって、顆粒細胞の脱落消失はその尖端部からはじまり漸次髄質側へ拡がっていく。
(四) 間脳、その他脳幹部の核群の障害は著しく軽く、機能的にほとんど問題にならないほどであるが、重症例では多少障害されるものがある。特に間脳に比較的よくみられる。
脊髄では、神経細胞の障害は脳幹と同様軽く、むしろ二次性変化が錐体路及びゴル索にみられることがあるにすぎない。
(五) 末梢神経の病変については、当初、神経中枢病変に比べ軽度とみられ、さほど注目されなかったが、新潟水俣病の発生後、椿らによって知覚障害の重要性が示唆されてから、注目されるようになった。武内は、「水俣病の病理学的追及の歩み」(有馬編・水俣病―二〇年の研究と今日の課題)[<書証番号略>]において、「人の水俣病剖検例では、神経中枢病変が主要で多彩であり、末梢神経病変は著しく軽いのが特徴的である。ことに脳神経末梢の変化は軽い。ハンター・ラッセルもその中毒剖検例で末梢に著変がなかったと記載したほどである。著者らもはじめ、水俣病では末梢神経病変の出現があるが、脳病変の多彩さに比して極めて軽度であることを記載した。ところが、新潟水俣病の発生があって、椿らが知覚神経障害の重要性を示唆し、そこでは求心性視野狭窄・失調・構音障害などのみられないpolyneu-ropathyとしての神経症状がとりあげられ、上下肢末端部や口周囲のしびれ感などを訴える軽症患者の存在することが指摘された。熊本における水俣病においてもその存在が問題になり、にわかに病理学的にも末梢神経の検討がされねばならなくなった。著者らは、従前の剖検例の標本からその点を再検討すると、脊髄末梢神経が脳神経よりも優位に障害されており、多くは神経線維の再生があって、そのために障害が軽いようにみえることを知った。」と述べている。
こうして末梢神経障害が注目されるようになったが、人体剖検例に関する限り、重症例では中枢障害の強烈さに比し、末梢神経の障害は著しく軽いのが特徴である。これに伴い脊髄神経節の障害も極めて軽い。
脊髄末梢神経病変としては常に知覚神経優位の障害がある。脊髄根部で観察すると、後根には常に水俣病による障害が認められるのに、前根では比較的軽い変化をみるか、ほとんど異常を認めない。特に軽症者剖検例の際は知覚神経に病変があるのに運動神経にはほとんど障害をみない。神経線維の病変としては、Waller変性もあるが、主として節性変性あるいは髄鞘断裂であり、脱髄性変化として現れる。しかし、神経節細胞の障害とその脱落がある場合は、軸索変性及びその消失があり得る。したがって、末梢知覚神経で経過を示すものでは、シュワン細胞の増加、正常線維とくに有髄線維の減少及び微小有髄線維の比較的増加、軸索の微小化、コラゲン線維の増加がある。
2 病変の程度
武内・衞藤は、以下のとおり、大脳、小脳病変の程度を第一度から第六度までの六段階に分けている。
(一) 大脳病変の程度
第一度は局所大脳皮質の神経細胞が約三〇パーセント以下の間引脱落を示すものである。神経細胞の消失が少ないために、一見して脱落消失がないようみえるが、正常対照と比較しながら詳細にみると、その減数(間引脱落)が注目され、消耗性に消失する過程もしばしば認められる。老化に伴う所見との鑑別が困難であるが、小児脳であっても認められる変化であり、他の水俣病病変と相俟って同定される。
第二度は三〇パーセントから五〇パーセントの神経細胞脱落を示すものである。間引脱落に伴ってグリア細胞の増加を大なり小なり伴っている。
第三度は中等度の障害で、大脳皮質の各層に神経細胞の全脱落はないが、障害部位では、その単個細胞壊死(sin-gle cell necrosis)が過半数以上に及び、その脱落が五〇パーセント以上に及んでいる場合である。グリア細胞の増加があるが、その反応程度は症例や局所によりさまざまである。
第四度は大脳皮質の各層のうち比較的強い障害を示す部が強い粗鬆化(loosening)を示し、その部ではほとんどの神経細胞の脱落があり、グリア細胞の増生も比較的強い。この変化は障害部大脳皮質の第二層、第三層の上層部に現れやすい。
第五度はさらに障害が強く、大脳皮質の全層にわたってほとんどの神経細胞及びそのニューロンの消失を招来しており、肉眼的にはわかりにくいが、著しい菲薄な皮質となり、顕微鏡的にみると最も障害の強い層は海綿状態となっている。
第六度は最強変化を示し、大脳皮質が各層とも肉眼的にみても海綿状態を示すものである。
以上のような神経細胞の脱落の度合に応じ、脳重量が減少し、最も強い変化の脳は正常の半量以下となる。
(二) 小脳病変の程度
小脳病変の程度は、顆粒細胞、プルキンエ細胞の脱落の度合で表現されている。
第一度は最も軽い障害で、局所皮質顆粒細胞の三〇パーセント以下の脱落を示すものである。深部小脳回の尖端部(crests)に顆粒細胞の限局的消失があって、その部が瘢痕性収縮を示す場合があり、武内はこれを小脳回の尖頭瘢痕形成(apical scar formation)と呼んでおり、この尖頭瘢痕形成は水俣病にしかみられないというものではないが、非常に特徴的な変化である。小脳深部とくに第Ⅳ脳室周辺の小脳回に顆粒細胞の減数があって、プルキンエ細胞の遺残とその立直りの痕跡すなわちその硬化、位置の変化、突起の異常再生などがある場合がある。
第二度は顆粒細胞の三〇ないし五〇パーセントの脱落とプルキンエ細胞の保存ないし萎縮効果の介在をみる場合である。
第三度は顆粒細胞の五〇パーセント以上の脱落があり、プルキンエ細胞層直下ではその全脱落を認める場合で、プルキンエ細胞の間引脱落があってもその保存が優位である。
第四度は顆粒細胞の全脱落があるが、プルキンエ細胞は保たれているかその遺残を示すものである。
第五度は顆粒、プルキンエ両種細胞の全脱落があるが、海綿状態を伴わないものである。この変化は、重症例の小脳には常にみられる変化である。
第六度は顆粒、ゴルギ、プルキンエ細胞は全脱落をしており、しかも顆粒細胞脱落層に顕微鏡的海綿状態が存在するものである。
3 水俣病の病理学的所見と臨床症状の相関
(一) 水俣病にみられる感覚障害は頭頂葉の中心後回の障害及び末梢神経の障害に、運動失調は小脳の障害に、求心性視野狭窄は後頭葉の視中枢の障害に、難聴は側頭葉の横回領域の障害に、それぞれ由来するものと考えられている(なお、感覚障害の責任病変については、後に詳しく検討する。)。
(二) 武内・衞藤は、「水俣病の病理各論」(有馬編・水俣病―二〇年の研究と今日の課題)[<書証番号略>]において、「水俣病には確かにハンター・ラッセルの主徴ないし水俣病症侯群とよばれる一群が存在する。しかし、それだけにとらわれると水俣病の全体像が把握できないことが理解される。」とし、「確かに視中枢の障害の特徴は両側性求心性視野狭窄を招来しえ、一八野・一九野の視中枢関連領域の障害は眼球運動異常をきたし、内矢状層の二次的障害がそれを裏づける。小脳の強い障害は、構音障害や失調症状、時には振戦を招来しえよう。しばしばみられる小脳片葉の障害は平衡障害や共同運動障害を招来する。また、ロンベルグ徴候陽性の失調は知覚系脊髄小脳路の二次的障害に由来するであろう。また知覚障害は末梢神経の、ことに知覚神経系の障害に基づいていることが説明できる。」「耳鼻科領域でみられる難聴が内耳性難聴の他の主として後迷路性難聴であり、それが聴中枢の障害の影響であることも否定しえない。また、味覚の障害が味蕾の味細胞障害で招来される事実も実証されている。」としつつ、「なお臨床と病理の相関が必ずしも解明されたとはいえない。むしろ水俣病の全体像を病理を基礎として、また臨床症状を基盤として把握しなおす必要がある。」とする。そして、病理解剖学的所見と臨床症状から水俣病の全体像を別紙三四の図のような富士山の形態にたとえ、「第1は、メチル水銀の摂取量が多くて、急性発症し、百日以内に死亡した最重症例であり、山頂の死者の群の部類に当たる。
第2は、辛うじて死を免れはしたものの、大脳皮質が広範囲に強い障害を受け、もちろん小脳障害も加わっているが、失外套症候群を呈していわゆる植物人間として生存しているにすぎない重症グループである。
第3は、徳臣の臨床的分類で名付けた慢性刺激型及び慢性強直型である。水俣病症状は備えているが、経過のうちに重症となったものである。病理学的に定型的病変がある。
第4は、ハンター・ラッセル症候群ないし水俣病症候群をもった普通型の定型的水俣病のグループに属するものである。このグループに入る者の病変は定型的水俣病病変をもつが比較的障害局在性が判然としていて、局在性以外の大脳皮質の病変は比較的軽いのが特徴である。
第5は、臨床症候が症候群として整っておらず、蓄積水銀量も少ないと考えられるグループに属するもので、多くは急性軽症者や慢性発症したと考えられるグループでいわゆる不全型のものである。病理学的にはなかりの幅があり、軽い定型的病変は証明しうるが、大脳皮質の好発局所の神経細胞の間引脱落が主で、小脳顆粒細胞も比較的軽く、ときにはいわゆる尖頭瘢痕を深部脳回に証明しうる程度の軽いものまである。末梢神経ことに知覚神経の障害と電子顕微鏡的に特徴ある所見も確認されなければならない。
第6は、他の脳神経疾患でマスクされて水俣病症状が臨床的に把握できない症例である。このグループは、病理解剖によってのみ、その脳神経疾患と水俣病病変の共存により理解されるものである。われわれの経験では脳血管障害及び脳梅毒によってマスクされていたものが多い。
第7 (胎児性水俣病などの特殊型―省略)
第8 きわめて軽症の水俣病で、知覚障害と二、三の臨床症状があるのみで、疫学が重要な診断を決定づける椿らの軽症例に該当するものである。病理学的には末梢神経の特徴ある病変と脳皮質におけるグリオーゼが主体となる病変である。」と分類している(なお、右引用に当たっては骨子部分以外は適宜省略した。)。
4 水俣病軽症例の病理と臨床診断
(一) 水俣病軽症例において水俣病に特徴的な前記の神経病変がどのように出現するかについて、武内・衞藤は、剖検例が七〇例程度であった時期に執筆された「水俣病の病理総論」において、「一般に、神経系では水俣病の病変は中枢優位に現れ、末梢の方が軽度である。しかし、微量汚染ないし軽症者の場合は末梢によりよく所見が現れ、知覚神経優位の病変としてみられる。」と述べ、「水俣病の病理各論」においても、「水俣病の比較的軽症例では、末梢知覚神経の障害が目立ち、その障害のない例はない。」とか、きわめて軽症の水俣病は「病理学的には末梢神経の特徴ある病変と脳皮質におけるグリオーゼが主体となる病変である。」と述べており、これらの記述は、「軽症例の場合は大脳、小脳の病変は軽微であるのに対し、末梢神経は著しく侵されている」という意味であるかのようにも受け取れるものである。しかし、水俣病軽症例について更に多くの剖検が積み重ねられた後の文献では、前記のとおり、軽症例では大脳、小脳の程度が軽いとされているが、末梢神経の病変が著しいというような趣旨の記述はなく、武内・衞藤の「水俣病の軽症例にみられる病理学的変化とその水銀組織化学について」(「熊本医学会雑誌」五八巻一号、昭和五九年三月)[<書証番号略>]でも、「知覚神経系の線維に運動神経より優位の障害を軽度に認めるのが強いものではない。」とまとめられていることからすれば、「水俣病の病理総論」等における前記の記述も「軽症例では有機水銀中毒による非常に強い末梢神経の障害がある」というような意味に理解すべきものではないと考えられる。
軽症例の小脳障害についてみると、「水俣病の病理各論」では、「小脳障害は水俣病の特徴の一つであるが、慢性発症経過例では一般に小脳障害は極めて軽く、ほとんど大部分の小脳が正常にみえ、脳室近くの中心部小領域に軽い病変をみるにすぎない。」と記述されている。武内・衞藤・桂木の「軽症水俣病小脳病変の程度と分布」(水俣病に関する総合的研究(昭和五五年度環境庁公害防止等研究委託費による報告書)、昭和五六年三月)[<書証番号略>]は、昭和五一年九月から昭和五五年九月までの四年間に剖検された比較的軽症例一五例を研究対象とする報告であるが、この報告では、軽症例ではその病変からみる限り特定の所見の把握が可能であり、従来いわれている定型的小脳病変と本質的には変わりはないが、小脳上に表現されるその程度と分布には従来の報告例とは著しい相違がある、検索全例に小脳病変が存在したが、同じ第一度であっても、その中に程度の差と分布差があり一様ではない、プルキンエ細胞層直下の極めて狭い層の顆粒細胞の脱落とそれに伴うグリア増加とくにグリア線維の増加がみられる、このような微小所見は小脳の全域にあるのではなく、主に小脳中心性に存在するが、必ずしも一定ではなく、variantsがある、小脳の虫部小節・虫部垂及び片葉検索例では病変を発見しやすく、小葉では内側面に障害が起こりやすいが必ずしも一定しているわけではなく、variantsが多い、などとされている。
(二) 武内・衞藤は、「水俣病の軽症例にみられる病理学的変化とその水銀組織化学について」において、多数の水俣病剖検例の中から、生前に比較的臨床検索がなされ、いずれも汚染魚を多食した経験を持ち、発症時期が割合に明瞭なものを選び出し、生前に水俣病認定を受けておらず、死後剖検により認定された一〇例(棄却処分を受けていたのか、審査会において答申保留になっていたのかは報告中に明記されていないが、後記のとおり「保留も止むをえない症状」との記載があることから、保留となっていた者と思われる。)について、これら剖検例の脳における水銀定量と水銀組織化学を実施して検討を加えた結果を報告している。報告の要旨は、次のとおりである。
(1) これらの剖検例の生前の臨床症状は、自覚的症状としては、発症時に手足にしびれ感を訴え、その後それらの訴えの他に、手のふるえ、疲れ易さ、聴力障害、目のかすみ、頭重、頭痛、物忘れ、関節痛など老人病で訴えるさまざまな愁訴があり、特有のものがない。しかし、死因と関係ある疾病が合併してからは、それらに該当する症状が出現している。そして、それら自覚症状は水俣病を予想せしめる特徴はなく、不定愁訴としてみられるにすぎないものばかりであった。
別紙三五の表は、審査会資料によって把握した各剖検例の他覚的症状と剖検によりみられた病変をまとめたのである。生前認定例の二例(②と③)は、手足末端性の感覚障害があり、二例ともEOG障害をみ、その内一例に視野狭窄が認められている。二例ともに難聴があり、そのうち一例には明瞭に中枢性難聴が確認されている。失調症状はそれらの内一例に認められ、これら他覚的症状から水俣病と認定されていた。他の一〇例は、いずれも他覚的に末梢性の感覚障害は確認されているが、自覚症状の不安愁訴の割には神経症状は明瞭ではない。失調症状は一二例中六例で、三例は検定できず不明、三例は陰性であった。構音障害は一二例中二例で少ない。視野狭窄は一二例四例に認められているが、その内一例は白内障の合併があり、判然としたものは三例にすぎない。EOG障害は五例に認められた。難聴は、年齢にも関係あるが七例に認められ、その内中枢性難聴の確認されたのは二例であった。これらの臨床症状について、武内・衞藤は、「死後剖検による認定一〇例の内、生前症状で認定可能と思われる例が略四例程度で、残りの六例は保留も止むをえない症状とみて、その神経症状を更に捕らえるべく観察を要するものと思われた。」としている。
(2) 大脳の病変では、生前認定例二例と死後剖検により生前症状を分析して認定された一〇例との間に基本的に相違はなく、一例が病変分類の第二度に属するものであったが、その他の一一例は第一度に属していた。小脳の病変も一例が病変分類の第二度に属するものであったが、その他の一一例は第一度に属していた。したがって、水俣病軽症例の病変は、前記2、(一)の武内・衞藤分類の第一度に属する軽い神経系統の病変であり、水俣病定型例(ハンター・ラッセル)である第三度及び第四度とは著しく離れた病変のため、第二度の理解があってはじめて理解できる病変である。
病変好発部位のパターンは定型例と同様であり、大脳・小脳皮質障害性であって、大脳では神経細胞の特徴ある間引脱落、マクロファージ、神経膠細胞の増加がみられ、水銀組織化学反応が陽性である。小脳では尖頭瘢痕形成、プルキンエ細胞層の不規則性、分子層の神経膠細胞増加及び水銀組織化学反応の陽性結果が実証される。脳底・脳幹・脊髄には特徴ある病変をみず、ただ神経細胞のあるものに水銀蓄積残留を証明できる。末梢神経では、前根(運動神経)には著変が全くない例が六例もあり、あっても極めて軽い変化のみである。これに比し後根(知覚神経)は僅かではあるが髄鞘染色でみると神経線維の大小不規則性の分布があり、それらは対照より著しい。軸索は一応保たれてるが、微小軸索の比較的増加があり、全体として不規則な再生現象が認められ、シュワン細胞の増加と膠原線維の増加を伴っている。
(3) 第一度の病変では、多くは経過が長くなり、他疾病で死亡するに至るので、臨床症状は不定愁訴が多く、頭痛、不眠その他の愁訴と共に水俣病症状は不定となり、視野狭窄、構音障害、失調症状は著しく判断しにくくなって、僅かに一部の症状が出現するか不明瞭となるものが多く、今回の剖検例でも審査会では一部症状の軽いものが認められていたにすぎず、感覚障害も僅かに四肢末端にその確認がなされていたにすぎない。武内・衞藤は、これらの点から、「現在の水俣病は、既に障害後遺症のものが主であるため、経過の長いものが多く、また神経線維の再生、リハビリ等による症状軽快により軽症者の臨床診断が一層困難となりつつある。」と述べている。
(三) 衞藤は、都留重人ほか編「水俣病事件における真実と正義のために―水俣病国際フォーラム(一九八八年)の記録」(平成元年九月)[<書証番号略>]所収「水俣病の臨床と剖検」において、次の要旨の報告をしている(右書籍は、昭和六三年一一月に開催された「水俣病国際フォーラム」における報告集である。以下これを「国際フォーラム記録」という)。
熊本大学医学部第二病理学教室における昭和三一年から昭和六二年までの間の剖検例四二三例の年齢分布は、七一歳から八〇歳までが一三二例、八一歳から九〇歳までが七七例、九一歳から一〇〇歳までが一〇例で、七一歳以上の剖検例が四二三例中三一六例で七五パーセントを占めている。剖検例四二三例のうち、水俣病病変が認められたものは二〇二例(四八パーセント)、認められなかったものは二二一例(五二パーセント)であった。
昭和三一年から昭和四四年までの剖検例は急性発症水俣病の症例が二八例で、これが剖検例の大部分を占めている。昭和四四年一二月二七日に救済法に基づいて熊本県公害被害者認定審査会条例が制定された後に審査会で水俣病との認定を受けた患者が剖検された例は一三例にすぎず、水俣病軽症例の臨床と病理の比較検討が十分になされないままに経過してきた。この一三例中、最近剖検された二例には武内・衞藤の主張する明らかな水俣病病変の特徴あるパターンが認められなかった。逆に、認定審査会で棄却された症例の剖検が七一例あり、その中の一九例(二七パーセント)に水俣病の特徴的病理所見が認められた。水俣病病変の特徴あるパターンが認められなかった前記の二症例は七九歳と八三歳の男性で、臨床症状としては、ともに視野狭窄が認められ、一例には四肢末端の知覚障害が認められ、他の一例には左顔面と肩を除く全身の知覚障害、小脳性失調症が認められていた。この二例につき、衞藤は、疫学的事項は十分であり、加齢に伴う脳梗塞や老人性病変に伴って精神症状を招来していたために水俣病認定を受ける結果を生じたものと推察される、としている。
衞藤は、病理解剖による病変の確認のみで水俣病とすることには異論があるかもしれないが、慢性発症水俣病はほとんどが軽症であり、その病変も軽度である上に、住民は年々高齢化しており、加齢性変化や種々の合併症によって水俣病の臨床症状の把握が十分できなくなり、臨床診断の困難さを示しているといえる、としている。
(四) 武内・衞藤は、「水俣病の病理各論」において、生前の臨床では水俣病の症状が一時出現していながら、昭和四四年五月の水俣病認定審査会時の診察では、末梢知覚神経障害のみが神経内科的に証明され、その他の症状は把握されず、中枢神経障害は、特定の症状がなく老人性症状としてみられ、末梢神経障害も結核治療薬の三年間の使用があるため水俣病によるかどうか不明とされ、polyneuropathyの診断で水俣病と認定されなかったが、剖検により明らかな水俣病病変が存在し、その障害選択性も明瞭な水俣病パターンを示していたという症例について、「もし審査会時の検診で視野狭窄や失調症状がなかったとすれば、この程度の明瞭な病変があっても症状は改善するということになり、水俣病の臨床症状の軽快ないし治癒もありうるということになって、希望がもたれる。しかし、反面、患者が生前に自覚症状を訴え続けていたとすれば、今日の神経内科的検査方法では把握が困難となり、その新しい検索方法の進歩が望まれることになり、問題は残される。」と分析している。
(五) 武内・衞藤・徳永は、「メチル水銀由来水銀沈着症の概念について」(「尚絅短期大学研究紀要」第二一輯、平成元年三月)[<書証番号略>]において、剖検例の臓器水銀(脳・肝・腎)を測り、組織化学的に脳の各領域及び一般臓器内水銀分布を観察した結果を報告している。その報告中本訴において注目すべきと思われる部分は次のとおりである。
(1) 発症から死亡時までに長時間が経過した例では、メチル水銀そのものは著しく減少しているが、総水銀値は重症例においては一〇数年を経ていても特定の臓器には大量に残っており、障害の強い脳内には急性初期例の四分の一ないし五分の一の異常大量水銀値が証明されるが、これは生物学的半減期では理解しえない現象であり、破壊の強い再生不能な神経細胞をもつ脳では生理的思考では及ばない病的機序のあることを証明している。
(2) 水俣病病変軽症例については、一四〇例の検索をしているが、ほとんどが第一度の病変で、第二度は数例にすぎない。脳水銀値は、一三三例で総水銀値0.20±0.40(μg/g)、メチル水銀値0.026±0.030(μgHg/g)で、他地区対照値の総水銀値0.076±0.031、メチル水銀値0.009±0.010よりは高値を示すが、重症例と比べると著しく低値を示している。水俣病の発症のない水俣地区住民(二五〇例検索)の総水銀値は0.10±0.10、メチル水銀値は、0.022±0.030で、軽症例と対照とのほぼ中間値を示している。
(3) 水俣病病変が確診できず、第一度の変化が認められなかったため、境界領域で水俣病と確診できなかった七剖検例の大脳、小脳、肝、腎における総水銀値は一般対照例よりは高値を示してある。特に腎水銀値は他よりも一層高値を示すが、メチル水銀値は高くない。このように、軽症長期経過例ないし慢性長期経過例においては、メチル水銀値は正常化していても、総水銀値は正常範囲内のものは少なく、多くはそれより高い値を示している。
(4) 水俣病の最軽症長期経過例の脳には、第一度の病変と水銀組織化学が陽性に証明される。山陰地方の非汚染地区の高齢者の脳について検討したところ、それらの対照群では水銀値も低値で、組織化学的にも全く陰性であった。ところが、同じ高齢者脳でも、水俣地区に近い熊本市在住者には三検索例中二例に水銀陽性反応がみられた。さらに、水俣地区居住者で水俣病病変が確認されなかった七剖検例において、脳内細胞に組織化学的な水銀陽性反応が証明された。水俣病病変があって水銀値が正常範囲を越え、しかも組織化学的に水銀陽性反応を示すものは水俣病と判定できるが、水俣病病変が確認されないものを水俣病と診断することは不可能である。しかし、水銀遺残が脳内細胞に証明される以上、それを正常とみなすことは病理学的にはできない。武内らは、このような現象をメチル水銀由来水銀沈着症という概念でとらえることを提唱している。
衞藤は、このように組織化学的に水銀陽性反応を示すにもかかわらず水俣病病変のない症例につき、微量に摂取されたメチル水銀が無機化された状態で存在しているのみの状態となっていて、無機水銀であればほとんど神経細胞の障害を来さないということであろうとの見解を述べている。(福岡高等裁判所昭和六一年(行コ)第一事件における証人衞藤光明の証人調書)[<書証番号略>]
二新潟水俣病の病理学的研究
新潟大学教授の生田房弘らは、昭和四〇年三月以降、新潟水俣病患者あるいは水俣病の疑いのあった者三一例(認定処分を受けた者二二名、棄却処分を受けた者七名、認定申請をしなかった者二名)の剖検を行なっている。
その報告によると、新潟水俣病の病理学的所見も(熊本)水俣病と基本的には同様であって、障害の局在性があり、大脳では後頭葉の鳥距野(鳥距野の前方と後方とで障害のされ方に特段の差は認められない。)と中心後回の障害が最も強く、中心前回や側頭葉の聴覚中枢も侵されやすい。小脳では、半球及び虫部ともに障害が現れ、顆粒細胞、プルキンエ細胞の脱落がみられる。末梢神経では、知覚神経に病変がみられ、運動神経にはほとんど障害がみられない。それ以外の部位には共通する特徴的な病変は認められない。
生田らの三一例の剖検の結果、そのうちの二二例が病理解剖学的に水俣病と診断されたが、九例は水俣病と診断されなかった。水俣病と診断されなかった九例のうちの二例は水俣病の認定処分を受けていた者であった。また、棄却処分を受けた者と認定申請をしなかった者のうち各一名が水俣病と診断された。
三水俣病の病理学的診断基準
1 武内・衞藤らの剖検例の検討によれば、水俣病軽症例であっても、病変好発部位のパターンは定形例と同様であり、大脳では後頭葉の鳥距野、後中心回、前中心回、上側頭葉に障害があり、小脳では中心型の顆粒細胞萎縮がみられ、末梢神経では知覚神経優位の障害がみられる。こうしたことから、武内らは、これらのパターンを水俣病の病理学的診断の基準としている。衞藤は、末梢神経障害のみで水俣病と診断できるかという問題については、メチル水銀は容易に脳血管関門を通過するので、中枢神経が障害されずに末梢神経だけが障害されるということは非常に考えにくく、末梢神経障害だけでは病理学的に水俣病と診断することはできない、水俣病における感覚障害の原因としては、水俣病では末梢の知覚神経にも障害があり、感覚中枢である後頭葉の中心後回にも障害がみられることから、その両者が同時にかかわっていると考えられる、との見解を示している。[<書証番号略>] 武内も、末梢神経障害のみでは病理学的に水俣病と判断することは困難であるとの見解を示している。[<書証番号略>]
2 生田らも、前記のような大脳皮質の好発部位の所見、小脳の所見、末梢神経の知覚神経優位の所見を新潟水俣病の病理学的診断の基準としている。生田は、末梢神経障害のみで病理学的に水俣病と診断できるか、という問題について、次のような見解を示している。[<書証番号略>] すなわち、生田らの病理解剖例では、末梢神経の知覚神経に水俣病の特徴のある病変があるときは中枢神経にも病変があり、末梢神経にほとんどみるべき変化がないような例でも、大脳に細胞レベルでの変化がみられる。そうしたことから、メチル水銀中毒において、動物の場合はともかく人間の場合には、中枢神経に特徴的な病変がないにもかかわらず末梢神経だけに病変があるということは病理解剖学的にみて考えにくく、末梢神経に障害がみられるというだけでは、病理学的に水俣病と診断できない。水俣病における感覚障害の原因としては、抹消の知覚神経の障害、後頭葉の中心後回の障害のいずれであるかを特定することはできず、その両者を原因として考える必要がある。
生田らの剖検例三一例のうち、病理学的に水俣病と診断されなかった九例についてその病理所見をみると、生田が剖検の結果を簡潔にまとめた一覧表[<書証番号略>]によれば、それらは、大脳好発部位、小脳、末梢神経の三つのうち、末梢神経のみに障害があるか(一例は±)、末梢神経と小脳に障害があるが、大脳好発部位には障害がみられなかった例である。生田は、剖検例三一例のうち一二例について病理解剖所見を詳細に報告しているので、そのうちの水俣病と診断されなかった例がどのような病理学的所見に基づく検討を経てその結論が導かれたかについてみると、「本例は死亡二年八か月前に水俣病として認定されているが、剖検所見では、多数の老人斑を伴うびまん性の脳萎縮を示し、老人脳としての所見が主体をなすと考えられた。大脳皮質及び白質では小血管の動脈硬化が目立った。小脳では、プルキンエ細胞、顆粒細胞の軽度の脱落がみられたが、グリアの増加は伴っておらず、新鮮な変化であった。左小脳半球にかなり大きな古い梗塞巣が認められた。末梢神経では後根により強い変性が認められたが、脊椎骨の変形、ストレプトマイシン、PAS、INHなどの抗決核剤の投与、胃がんに伴う低栄養状態の存在感の要因を考慮する必要があると思われた。また腓腹神経に異常は認められなかった。以上より本例を水俣病と診断することは困難であった。」(症例5278)、「大脳の新旧の多発性梗塞及び血腫、老人性脳病変の他、小脳の変性と脊髄から神経根、末梢神経の変性が認められたが、神経根、末梢神経の変化は有機水銀中毒症による変化とは異なっており、主として変形性脊椎症によると考えられた。小脳の変性は、下オリーブ核の変性や外眼筋、及び他の諸筋の変性と共に中枢神経病変を伴った眼筋ミオパチーとの関連で考慮すべき所見と考えられた。」(症例2275)、「本例は若い頃より阿賀野川の川魚を多食していたため、メチル水銀中毒の可能性を本人、家族とも疑っていた。しかし、前立線癌、及びその転移巣により引き起こされてきたと考えられる所見を除けば、大脳鳥距野に強調される神経細胞の変性脱落などなく、また、末梢神経においてもその変化は軽微であり、メチル水銀中毒の可能性を支持する所見とは言い難かった。」(症例4775)、「本例は、臨床的に脳血栓、肺結核のほか、水俣病の疑いがもたれたが、病理解剖所見では、脳血栓、老人性脳病変の他、有機水銀中毒症と診断し得る所見は、中枢、末梢神経のいずれにも見いだし得なかった。また生前X線上変形性脊椎症の存在が指摘されており、さらに死亡前七か月にわたり抗結核療法としてSM、PAS、INKが投与されているので、末梢神経病変(脊髄前根、後根に同程度のびまん性の変性が認められているなど。)の解析には、当然これらの影響も考慮されなければならない。」(症例5975)、「本例の脳病変はすべて巨大な髄膜腫による影響と加齢に伴う変化として説明が可能である。末梢神経病変は、昭和四〇年頃まで阿賀野川の魚を多食したという既往歴があるので、以前に有機水銀中毒による影響の存在した可能性を完全に否定することはできないと思われる。しかしながら、知覚神経優位の変化ではなく、脳腫瘍の進行に伴ってみられる栄養状態の悪化、長時間の臥床を余儀なくされた老人に認められた変化であることなどから、その原因を有機水銀中毒に帰することは困難と考えざるを得ない。」(症例6775)、「本例は、組織学的には、1。慢性多発性神経脊髄症、2。老人脳、3。脂肪性肝硬変が主な変化と診断された。末梢神経には、脊髄前根、後根、腓骨神経、腓腹神経、肋間神経、横隔神経、迷走神経、交感神経幹など検索したすべての神経に、中等度の神経線維の変性がシュワン細胞の増殖を伴って認められているが、多発性神経症の原因としては、アルコール性あるいは低栄養性などに加え変形性脊椎症による影響、また末期の糖尿病による影響など、種々の要因が考えられ、慢性有機水銀中毒に帰することは困難であると考えられた。」(症例1175)などと検討の結果がまとめられている。[<書証番号略>]
3 原告らは、武内・衞藤、生田らが病理判断にあたって採用している基準そのものが妥当であるかに疑問があるという趣旨の主張をしており、「病理解剖による水俣病の認定基準は、①大脳皮質(後頭葉、中心前回、中心後回、前頭葉、側頭葉)の所見、②小脳の顆粒細胞優位の所見、③末梢神経の感覚優位の所見の三つがそろって、かつそれを裏づける臨床症状が確認できることとなっている。すなわち、病理の基準が臨床と同様に典型例のみを水俣病とする立場に立っていることを示す。これら病理の三所見中一所見でも満たすものは八〇パーセントに及ぶ(衞藤の報告例中の原田正純自験九一例の検討から)といわれており、基準をゆるくすれば八〇パーセントの人は水俣病であるとの根拠を与えられたことになる。」という、原告らの主張と同旨の見解もある。(藤野糺「一人でも多くの被害者を救済するために」(「月刊保団連」第二八一号)、昭和六三年)[<書証番号略>]
この点について検討するに、前記の三つの所見はそれぞれ特徴的なものではあっても、水俣病に特異的なものではないから、一つの所見のみでは水俣病と診断することはできないとして、所見の組合せによる総合判断をしているわけであるから、こうした病理的診断も臨床診断と同様蓋然性(確率)の問題を含んでいるということは確かである。しかしながら、武内・衞藤、生田らの病理診断基準は、熊本、新潟水俣病の病理解剖の実践の中で多くの病理解剖の所見から得られた前記のような知見の集積によって形成されてきたものであって、「典型例のみを水俣病とする立場」に立っているものと評価することは妥当ではない。それを「典型例のみを水俣病とする立場」に立っていると評価することは、結局病理診断自体を否定することにほかならないであろう。生田らが水俣病と診断しなかった症例についてみると、それらは前記のとおり、例えば末梢神経に障害があっても、知覚神経優位の病変ではなかったりするなど、水俣病と診断された症例と異なるものもあり、一般に末梢神経障害の原因としてはさまざまなものが考えられ、病理学的に水俣病と診断されなかった症例では、原因として考えられるものが他に存在することも具体的に指摘されていることなどからすると、これらの症例は水俣病の蓋然性(確率)は低いものと考えざるを得ないと思われるのであって、これらの症例について水俣病の可能性を全く否定することはできないとしても、生田らの診断の過程に疑問な点を見いだすことはできない。
原告らは、武内・衞藤、生田らの診断基準や診断結果に疑問があり、その報告を鵜呑みにしても意味がないなど主張しているが、以上検討したとおり、原告らの右主張を採用することはできない。
第六節水俣病の発症機序と慢性水俣病について
一メチル水銀の生物学的半減期
【証拠】 <書証番号略>、証人藤木素士の証言
1 生体内に取り入れられた化学物質は体内に吸収される一方で分解排泄もされる。排泄の速度は化学物質や生物の種差によって異なる。生体内に取り入れられた化学物質が排泄されて半分にまで減衰する期間は、生物学的半減期とよばれる。
2 一日平均として一定量の化学物質の摂取がある場合、生物学的半減期をもとにして別紙三六の図のような体内蓄積推移曲線を描くことができる。体内蓄積は当初急激に増加し、半減期(1X)を経過すれば蓄積限界量の五〇パーセントにまで達するが、次第に増加速度は鈍化し、半減期の四倍を経過した時点(4X)では93.8パーセント、半減期の五倍を経過した時点では96.9パーセントとほぼ限界量に達し、以後一〇〇パーセントに近づいていく。そして、半減期の五倍の日数を経過すれば体内蓄積量はほぼ頭打ちになり、それ以後は吸収と排泄のバランスがとれるため、摂取吸収がどれだけ続いても体内蓄積量はほとんど増大することなく、摂取量あるいは吸収量の累積和直線との差はますます大きくなる。蓄積限界量の値は一日平均吸収量×半減期×1.44の数式によって理論的に求められる。
3 スウェーデンのAbergらは、微量の放射性水銀で標識したメチル硝酸水銀(CH3・203Hg・NO3)を研究者三名(年齢は、三七、四二、四四歳)自らが服用して人体実験を行い、その後の体内での減衰から三名についてのメチル水銀の生物学的半減期をそれぞれ算出したところ、約七〇日から七四日であった。身体の領域では、頭部に相当する部分で測定された半減期は、九五日、九五日、六四日となっており、Abergらは、頭中の代謝回転率(turn-over rate、原告ら提出の訳文では「半減率」とあるが、一般には「代謝回転率」と訳されている。)は体の他の部分よりもゆっくりである、と述べている。
その後Miettinenらも同様の実験を行い、男子一〇名(喜田村正次「メチル水銀の人体蓄積」[<書証番号略>]では一〇名とあるが、土井陸雄「有機水銀中毒の研究状況とその社会医学的検討」[<書証番号略>]では九名とある。)の平均値が七九プラスマイナス三日、女子六名の平均値が七一プラスマイナス六日、男女計一六名の平均値がプラスマイナス三日という成績を得ている。Bakirらは、イラクのメチル水銀中毒患者の血中水銀値を測定したところ、初回の測定値が半減するのに要した期間は、一六例で三五日から一八〇日まで分布しており、平均では六五日であったと報告している。[<書証番号略>] 椿忠男教授は、新潟水俣病患者の調査から、新潟水俣病患者では頭髪水銀量は平均約七〇日の半減期で減少していると報告している。[<書証番号略>]
4 メチル水銀の生物学的半減期は、右にみたように平均値としては七〇日前後であるが、個体差がある。「WHO環境保健クライテリア1・水銀」[<書証番号略>]も、「テスト志願者と、曝露された人々との、トレーサによる研究によって、人体内でのメチル水銀の新陳代謝モデルの主要な特徴は明らかになっている。身体全体及び血液全体からの排出半減期は約七〇日である。(中略)これらの平均値の回りに著しい個人差がみられ、曝露された人々の中での危険を評価するときには、このことを考慮する必要がある。」(二四頁)、「血液からのメチル水銀の排出半減期に個人的なばらつきが大きいという最近の結果は、長期間にわたる食事からの摂取による危険の評価にとって著しく重要である。各個人の半減期の分布の統計的パラメーターを決定し、これらの差異のもととなる生物学的メカニズムについて、さらに研究が必要である。」(二八頁)としている。
生物学的半減期の個体差の原因については、主として動物実験による検討が行われてきているが、人間における個体差についてどのような要因が働いているかはあまり明らかにされていない。熊本大学教授の高橋等は、網内系の機能が弱いとメチル水銀の分解が遅れ、体外排泄も悪く、したがって体内半減期も長くなる、との説を提唱している。(「国際フォーラム記録」所収の「メチル水銀の体内運命」)[<書証番号略>]
5 武内忠男教授は、メチル水銀は脳神経系の障害を第一とするので、脳における生物学的半減期が最も重要であるとして、初期の水俣病剖検例のうちから適当例を選んで発症から死亡するまでの期間と各剖検例の脳水銀量から脳水銀値の半減する減衰状態を類推する方法により、脳における生物学的半減期を算出している。(武内ら「水銀の人体蓄積とその推移」(熊本大学医学部水俣病研究班・一〇年後の水俣病に関する疫学的、臨床医学的ならびに病理学的研究)、武内「慢性水俣病と第三水俣病」(「科学」四三巻一号)、武内の当裁判所宛の書簡)[<書証番号略>]これによると、脳における生物学的半減期は、六基点をとって計算した場合に約二三〇日とされている。
しかしながら、証人藤木素士も指摘するように、右の算出方法では分析に用いられた各症例がどれだけメチル水銀を摂取したのかが全く不明であるので、これらから生物学的半減期を算出することには無理があり、右の方法によって得られた数値を「脳における生物学的半減期」と呼んだことは必ずしも適切ではなかったと思われる。もっとも、武内の意図が、「破壊の強い再生不能な神経細胞をもつ脳では生理的思考では及ばない病的機序がある。」「病変脳の水銀遺残の強さは生物学的半減期論では説明できず、病的機序の参加を考慮しなければならない。」ということにあるとすれば、その指摘自体は妥当といえようが、排泄機構そのものが障害を受けた脳において生物学的半減期論をあてはめることができないということについては特に異論は生じないと思われるので、「脳における生物学的半減期」というよりは「障害を受けた脳での水銀の代謝」の問題として論じられるほうがより適切であったということができようか。
武内らは、「メチル水銀由来水銀沈着症の概念について」(尚絅短期大学紀要二一輯、平成元年三月)[<書証番号略>]の中で、剖検例の脳水銀値を総水銀値とメチル水銀値に分けて、病変の比較的重症のものと軽症のもの別に観察した結果を報告ている。重症例については、「発病一九日経過例ではやや低値であるが、二六日経過例が最高で、総水銀値は数か月の間に徐々に減少し、年を経ても著しい減少がなく、十数年経過しても依然として高値を示す。これに反してメチル水銀値は数か月間の減少傾向は前者と変らないが、年を経ると著しく減少して行き、無機化傾向が窺われる。一七〜一八年経過した例でも、無機水銀は発症直後の約五分の一程度残留しているが、メチル水銀は八〜九分の一程度に減少する。しかし、依然として対照値よりかなり上回っている。」と記述されているが、「発症直後の何分の一」といっても、摂取量の明らかでない別々の症例で比較しているわけだから、非常に大雑把なものとはいえよう。軽症例については、「軽症長期経過例ないし慢性長期経過例においても、メチル水銀値は正常化していても、総水銀値は正常範囲内のものは少なく、多くはそれより高い値を示している。」と記述されており、軽症例ではメチル水銀値はほぼ正常化していること、生体内にメチル水銀を無機化する機構が存在することが窺われる。
6 旭川医科大学教授の土井陸雄は、「有機水銀中毒の研究状況とその社会医学的検討」(有馬澄雄編・水俣病―二〇年の研究と今日の課題)[<書証番号略>]の中で、「Abergらの生物学的半減期=七〇日という値は健康な成人男子に放射性水銀で標識したごく微量の硝酸メチル水銀を一回だけ投与して得られたものであり、水俣病患者のごとく多量のメチル水銀を連続して長時間摂取した場合とは区別して考えるのが当然である。一回微量投与では生体機能の障害は計測不能であるが、連続摂取によって神経症状をきたした症例の臓器、とくに中枢神経系での水銀の代謝をこれと全く同じと考えることはできない。」と述べており、原告らもこの記述を引用しつつ、Abergらの実験は連続投与には妥当しないなどと主張している。
しかしながら、正常な脳がどの程度のメチル水銀の連続摂取によって障害されるのかという問題を検討するときに、一回の摂取の場合に得られたパラメーターに基づいて連続摂取の場合のメチル水銀の挙動を推定することになるのであって、その際の重要なパラメーターが生物学的半減期であるといえる。もっとも、佐藤哲男ら監訳「毒性生化学―分子レベルからみた毒性の解析」(昭和五七年一二月)[<書証番号略>]四九頁にも、「体内の毒物の動力学的挙動とを理解することは、慢性的摂取が行われる場合には非常に重要である。なお、ここでは理想的な場合について述べたことに注意されたい。年齢、ストレス、さらには慢性的な摂取を続ける間に現れてくる毒性により、生理学的な反応や薬動力学的特性が変化する場合もあることに留意しなければならない。」と記述されているところであって、Abergeらの人体実験により得られた生物学的半減期の値をもとにして、どの程度のメチル水銀の連続摂取によって人体への影響が生じるのかを考えるときには、右のような慢性的な摂取に伴う問題に留意する必要があるといえよう。土井らが述べているような、連続摂取によって神経症状をきたし、代謝機構そのものが障害された場合に、生物学的半減期論をあてはめることができないことは、その限りにおいては当然とも考えられるのであって、議論としては、生物学的半減期をもとにメチル水銀の連続摂取の場合の人体への影響を考えるときに、連続摂取に伴う問題としてどのような点に留意しなければならないか、そういった留意点はどのような事実によって導き出されるのかというような方向に発展すべきものと思われる。
二メチル水銀の人体における発症閾値
【証拠】 <書証番号略>
1 発症閾値をめぐる問題についても当事者間でさまざまな議論の応酬がされており、これらの議論を分析すると、ここで検討すべきものとして、次のような問題点を指摘できる。すなわち、メチル水銀の蓄積がある値を超えてはじめて中毒症状が発現するのかどうかという発症閾値の有無の問題、人体はどの程度のメチル水銀を蓄積すれば水俣病の発症をみることになるのかという発症閾値の値の問題、発症閾値の個人差の問題(発症閾値に相当の個人差があること自体は当事者間に争いはない。)、臨床的には症状を把握できない場合にも神経細胞レベルで障害が生じている場合があるのかどうかという問題、神経細胞の障害の閾値の問題、神経細胞の障害がどのように水俣病の発症に結び付くのか、長期微量汚染による発症はあり得るのかという問題などであり、これらを念頭に置いて検討することとする。
2 喜田村正次は、別紙三七の図のような曲線を示し、体内蓄積量一〇mgまでを無作用レベル、一〇〇mgを典型的水銀中毒症を生じる量、一〇〇〇mgを致死量と推定している。喜田村は、一〇〇mgの蓄積量を中毒レベルとしたことについて、「熊本や新潟の水俣病患者の摂取した有毒魚介の水銀濃度とその推定摂取量から割り出し、ラウンドアップした数値であって、絶対的なものではなく、またこれらの患者の症状はハンター・ラッセル症侯群がそろった典型的な亜急性中毒患者についての推定値である。」と述べている。(「メチル水銀の人体蓄積」(財団法人日本公衆衛生協会・水俣病に関する総合的研究中間報告集、昭和五〇年)[<書証番号略>]また、無作用レベルを一〇mgとしたことについては、「確たる裏付けはなく、安全率として用いられる一〇分の一をとったものである。」と述べている。(「食品中の微量重金属について」)[<書証番号略>]
スウェーデンのL.Fribergらは、新潟水俣病患者のうちで、頭髪中水銀濃度が最も低かったのが五〇ppm、全血中の総水銀濃度が最も低かったのが0.2ppmであったことに着目し、これから推定して、最も感受性の高い人における発症閾値を体重七〇kgの人で三〇mgとしている。
3 次のような動物実験の報告がある。
(一) 川崎靖(厚生省国立衛生試験所安全性生物試験研究センター毒性部)らは、雄ザル五頭からなる動物群に対して、五二か月間にわたり塩化メチル水銀を一日当たり0.01mg/kg、0.03mg/kg、0.1mg/kg、0.3mg/kgずつ毎日餌に混ぜて投与する実験を行っている。その結果は、0.3mgの群では特徴的な神経病学的徴候を含む中毒徴候が平均して六二日目にあらわれ、この間における総摂取量は水銀として15.9mg/kgであり、0.1mgの群では中毒徴候が平均して一八一日目にあらわれ、この間における総摂取量は15.3mg/kgであった。これに対して、0.03mg/kgの群、0.01mgの群では、総摂取量は前者で39.6mg/kg、後者で13.2mg/kgになるが、前者における体重増加率の低下を除けばいずれも全期間を通してどのような臨床上の徴候も示さず生存した。[<書証番号略>]
この結果、サルにおいてもメチル水銀の発症閾値が存在し、メチル水銀中毒症状の発現には、総摂取量よりも一日平均摂取量が問題であることを示しているものと考えられる。
(二) 新潟大学脳研究所病理の佐藤猛らも、「微量メチル水銀長期摂取による神経組織障害」(「医学のあゆみ」九七巻四号、昭和五一年四月)[<書証番号略>]において、サルにメチル水銀を長期間投与した実験結果を報告している。佐藤らは、この実験で、投与量0.03mg/kg/日、総水銀投与量8.7mg/kg、投与期間三二七日のサルには症状は認められなかったが、電子顕微鏡では神経細胞に著明な変化をきたしていたことが認められたとしている。
(三) スウェンソンは、ウサギにメチル水銀ジシアンジアミドを静脈注射する実験を行い、その結果を一九五三年(昭和二七年)三月に報告しているが[<書証番号略>]、その中で、「これらの毒物投与後に神経障害の症状を全く示さなかった動物でも、神経細胞に対する損傷は広く認められるという点は注目すべきである。これらのintensiveな神経毒は、極めて少量でも神経細胞に損傷を与えると思われる。損傷がある程度以上大きいときは、神経症状が起こる。この考察は、極めて少量の有機水銀化合物に繰り返し曝露を受けた可能性のある例を検討する場合に非常に重要である。」と述べている。
(四) ワシントン大学医学部教授のチェン・メイ・ショウは、妊娠したサルに少量の水銀を与える実験を行い、生まれた新生児のサルの臨床症状と解剖結果を報告している。(「国際フォーラム記録」所収の「猿におけるメチル水銀の子宮内暴露」)[<書証番号略>]この実験結果の報告のうち、ここで注目されるのは次の点である。
毎日一〇〇μgあるいはそれ以上のメチル水銀を妊娠中に摂取した母サルから生まれたサル五頭のうち、三頭に強い脳の障害がみられ、二頭に軽度の障害がみられた。軽度の脳障害のみられた二頭は、一年半ないし二年九か月の間観察が行われていたが異常は認められていなかった。一日に八〇μgのメチル水銀を妊娠中に摂取した母サルから生まれたサル二頭は三年半以上の間臨床的に異常が認められず、解剖の結果はそのうち一頭だけに軽度の脳障害があった。一日に五〇μgのメチル水銀を妊娠中に摂取した母サルから生まれたサル四頭のうち一頭は母サルの急性の風疹のため未熟児死産となったので解剖の結果は判然とせず、残りの三頭は一年半ないし三年九か月の間観察されたが何ら異常も認められなかった。ショウは、「もともと、この実験は妊娠したサルに少量の水銀を与え、それによって生まれた新生児のサルのビヘイビアを研究し、そして現在あるビヘイビア・サイエンスの枠を集めて、病理学的な所見が発生する以前にビヘイビアの異常性をみつけるのが目的でしたが、結果としてはやはり病理学的所見がビヘイビアよりもセンシティブであった、ということになります。」と述べている。
(五) 以上の動物実験からは、メチル水銀中毒には発症閾値があるのではないかということ、臨床症状の把握されないものであっても病理学的所見の存在することがあり得るのではないかということが一応理解される。
4 武内らは、「メチル水銀由来水銀沈着症の概念について」[<書証番号略>]において、水俣病病変が認められないのに水銀組織化学の陽性の例があることを報告している。
このことは被告らの主張するように、多少のメチル水銀を摂取したとしても、排泄あるいは無機化の作用によって神経細胞が障害を免れること、神経細胞の障害にも閾値があることを示すものと考えられる。
5 マグロ、メカジキ等の海洋産大形魚類には昔から天然の海水中水銀に由来する比較的高濃度(平均0.252ppm)のメチル水銀が含まれていることが知られている。昭和四六年になされたわが国のマグロ漁船員一二一人の毛髪水銀量の調査では、最高六九ppmが検出され、三〇ppmを越すものは二五人に達していたが、水俣病像を示すものは発見されていない、韓国マグロ漁船員六二人及びサモア陸上かん詰め工場勤務者四五人の健康調査の結果でも、神経症状や感覚障害を示すものは認められていない。東京都衛生局が昭和四七年度に一般都民一九一名及びマグロ等魚介類多食グループ八四名を調査対象として行った毛髪、血液中の水銀含有量調査では、一般都民の毛髪中水銀の平均濃度は男子6.9ppm、女子3.8pmmであり、二〇ppmを越えているものはいなかったこと、多食グループでは毛髪中水銀濃度は平均19.3ppm、血液中水銀量は平均7.9μg一〇〇gといずれも高い値を示し、毛髪中水銀濃度二〇ppm、血液中水銀量一〇μg/一〇〇g以上の者を対象に検診、精密検診が行われたが、明らかな有機水銀中毒と思われる症状を示しているものはなかったことが報告されている。[<書証番号略>]
滝澤行雄(秋田大学)は、これらの事実について、「人類は古代から魚介類を摂取して生活してきた。ことに漁業従事者は、その摂取量も多いと認められるが、いまだにメチル水銀の蓄積による影響が皆無なのは水銀摂取量が健康域の閾値(限界蓄積量)以下におさまっていることを示唆する。」と述べている。(「環境における水銀の挙動」(「水質汚濁研究」一六巻五号)、昭和五八年)[<書証番号略>]
井形昭弘らも、「水俣病」(「神経進歩」二二巻四号、昭和五三年七月)[<書証番号略>]の中で、自然界汚染の特殊な例として鹿児島湾奥の水銀汚染があり、第三水俣病を契機として行った調査でタチウオなど二、三漁種の水銀値が高いことが判明し、同時に昭和四八年には毛髪水銀値が四〇ppmを超える漁民三〇名(最高一一六ppm)が発見されたので、現在まで精力的な検診を続けているが、確実な健康被害発症者は発見されておらず、水俣病の経験からいえばここで発見された毛髪水銀値は発症可能域にあり、水俣病に比べ自然界汚染では発症しにくいとの印象が得られている、と述べている。
なお、魚肉中のセレンがメチル水銀の毒性緩和に関係しているとの説があり、[<書証番号略>]、井形らは、右の「水俣病」の中で、自然界汚染ではメチル水銀の占める比率の低い例があること、汚染が時期的にかなり変動することが判明しており、これが発症しにくい主因をなし、さらにセレンなどの発症抑制因子が加わっている可能性があり得るものと推定している、と述べている。
6 以上2ないし5の知見からすると、メチル水銀中毒症状の発現には、総摂取量よりも一日平均の摂取量が問題であること、人体におけるメチル水銀中毒においても臨床症状が発現していない段階で神経細胞レベルにおいて病理学的所見の生じていることがあり得るであろうということ、神経細胞の障害にも閾値があるであろうということ、工場排水中のメチル水銀に起因する水俣病を除いては、自然界の魚介類の摂取によるメチル水銀の長期微量摂取では中毒症状の発現は起こりにくいと思われること、以上の程度の認識は相当の合理的根拠に基づくものといえよう。
7 原告らは、水俣病の発症機序をめぐる議論について、「発症閾値論及びそれを支える生物学的半減期論では、長期間にメチル水銀に曝露され続けた場合の発症を科学的に説明し得ない。」と主張し、これに対して、被告らは「発症閾値論では慢性水俣病発症のメカニズムは説明できないであろうが、そのことは中毒一般に広く認められているこの理論の誤りを意味するものではなく、まず、原告らの主張する慢性水俣病そのものについての見直しを迫るものと理解すべきである。」「原告らの主張は慢性水俣病なるものがあり得るという独自の前提に立った上での議論でしかない。」と主張している。
一般論としていえば、従来の理論で説明できない現象があるとすれば、従来の理論を再検討する必要があるとともに、はたしてその現象が事実であるか否かを慎重に検討する必要もあるものといえよう。そこで、発症閾値論では説明できない慢性水俣病の現実があるのかどうかという問題について検討する。
三慢性水俣病
【証拠】 <書証番号略>
1 原田「慢性水俣病の臨床症状」(有馬編・水俣病―二〇年の研究と今日の課題、昭和五四年一月)[<書証番号略>]では、「典型的水俣病の慢性期の臨床症状」について論じた後に、発病が慢性である「慢性型水俣病」について論じている。被告らも述べているところであるが(準備書面七)、右のような論述からもわかるとおり、疾患における慢性という概念は、急性疾患が長期間経過した後の態様を意味するものとしても、あるいは症状の発現を来す生体の器質的変化が長期間の間に徐々に進行することを意味するものとしても用いられている。原告らは、準備書面において、「急性水俣病の慢性期」と「慢性水俣病」とを区別して論じ、共同意見書[<書証番号略>]及び原田意見書[<書証番号略>]は、慢性水俣病の特徴として、症状の発現と進行が非常に緩やかなことを指摘しており、ここで慢性水俣病というのは後者の意味と理解される。これに対して、大勝反論書[<書証番号略>]は、「原告医師団が考えている意味の慢性水俣病というものは存在しない。我々が診ている現在の水俣病患者は、主として水俣病の後遺症に悩む者達である。」「水俣病で現在も悩んでいる人達は汚染時期よりはるかにへだたった現在に至るまでの長期間患っていた、すなわち慢性に経過したという理由でこれらのものを慢性水俣病ということにしたい。」と述べている。大勝反論書のいう慢性に経過した水俣病という意味における慢性水俣病患者が現在も多数存在するという事実については特に争いはないと思われ、問題は、原告らの主張や、共同意見書、原田意見書の意味における「慢性水俣病」の症例群が存在するかどうかにある。
2 立津正順らは、熊本大学二次研究班の調査において、水俣病及びその疑いのある水俣地区の症例について、自覚症状発現の時期を報告しているが、これによると、発症の時期はばらつきが大きく、昭和四六年にまで及んでいる。立津らは、この結果について、患者自身の陳述が中心であるから思い違いもあろうが、個々の例ではかなり確実に自覚症状の発現時期を確認できたものもあるとしている。また、加齢との関係については、おおまかにいって年齢と発症年次との間には有意差は証明し難く、昭和四〇年以降の比較的新しい発症が加齢によるものであるとの証明は得られなかった、と述べている。[<書証番号略>]
武内は、「慢性水俣病と第三水俣病」(「科学」四三巻一一号、昭和四八年一一月)[<書証番号略>]において、「果して慢性水俣病というものが存在するであろうか。それは急性ないし亜急性発症の後遺症ではないかということが、熊本では議論の対象になっているのである。」として、この問題について論じている。武内は、右論文においては、立津らの調査や認定患者の発症時期からみて、「水俣湾内外の濃厚汚染時期である昭和三五年以前の発症に伴う後遺症としての長期経過のもののほかに、慢性発症を考えざるをえない患者が存在し、殊に昭和四〇〜四三年以後の発症者も存在していることが明らかとなった。」と述べ、慢性水俣病を(1)急性及び亜急性水俣病が後遺症を残して長期にわたり経過したもの、(2)遅発性水俣病、(3)加齢性遅発性水俣病、(4)狭義の慢性水俣病、に分類している。
3 遅発性水俣病は、もともと新潟水俣病の症例について、椿忠雄や白川健一らによって提唱された概念である。新潟においては、新潟水俣病発生の後、昭和四〇年六月には川魚摂取規制の行政指導がなされ、その後住民は川魚を摂取していないはずであるのに、その後に症状の憎悪や遅発がみられたことから、遅発性水俣病の概念が提唱された。
原田は、原田意見書において、白川や椿が「遅発性水俣病」と呼んで報告したものは、新潟において、有機水銀の摂取をやめた後にも、経過を観察していると水俣病にみられる症状が出現してくる症例であり、新潟のように有機水銀に汚染されたのが川魚であり、しかも、ある時期に住民が汚染された川魚の摂取をやめたことが確認されて、しかも、症状の出現が継続観察によって確認されていたときに「遅発性」といえるのであって、熊本のように住民が魚介類を食べ続け、汚染も続いていた場合には厳密な意味での遅発性水俣病というのは県外転出者しか該当しない、と述べている(五頁)。しかし、右のように熊本と新潟とでは違った要素があるとしても、新潟や非汚染地区転出者のように有機水銀の摂取がなくなった後にも症状が発現、憎悪するという事実があるとすれば、それに加えて微量汚染が継続した状況においては慢性水俣病という経過をとることがあり得るといえそうであり、しかも後にみるように長期微量汚染の影響ということの評価自体も分かれているのであるから、遅発性の発症についての検討をした上で、長期微量汚染による発症の可能性を検討するというのが慢性水俣病をめぐる議論の整理の上で合理的と思われる。
白川は、「遅発性水俣病」(有馬編・水俣病―二〇年の研究と今日の課題)[<書証番号略>]において、「私どもの提唱した遅発性水俣病は、新潟水俣病発生の一九六五年(昭和四〇年)当時は全く自・他覚症状のなかったもの、あるいは全身倦怠感・頭痛・めまい・筋痛・関節痛などの訴えのみで他覚的所見のなかったものに、新たなメチル水銀の侵入がないにもかかわらず、数年の経過で他覚的にとらえられる水俣病症状が明らかになったものをいう。」と述べている。白川は、右論文で、昭和四九年末までに認定された五二〇名の患者の発症時期の分布から、昭和四〇年の川魚摂取禁止後もいかに多くの患者が発症しているかが明らかである、としている。そして、この論文では、昭和四〇年六月の一斉検診時に測定された頭髪水銀量と発症時期の関係から、頭髪水銀量の多いものほど早期に発症し、症状がそろって早期に認定され、頭髪水銀量の少ないものでは発症が遅れるという傾向があること、組織内に長期間残留する水銀が遅発性水俣病発症の重要な因子で、これによる緩徐な病変の進行性が遅発性水俣病という特殊な発症形式をとったと考えられること、一斉検診の当時頭髪水銀量が二〇〇ppm以上と異常高値を示したものは無症状でも水銀保有者として患者と同様に経過を観察したところ、感覚障害、協調運動障害、視野狭窄といった症状の発現がみられ、そのうちでは四肢遠位部の感覚障害が比較的早期に発見され、視野狭窄は遅れる傾向にあること、以上のような知見が述べられている。
椿も、「新潟水俣病の追跡」(「科学」四二巻一〇号、昭和四七年一〇月)[<書証番号略>]において、新潟水俣病患者にみられる症状の憎悪、遅発の問題について、昭和四〇年七月以降は阿賀野川の川魚を摂食しないようにとの行政指導がなされ、少なくとも患者や患者多発地域の住民はこの行政指導をよく守ったことは確かであるのに、追跡検診をしていくうちに、川魚を食べなくなって数か月、時には年余を経て患者の症状が悪化したり、また症状が出現する例があることがわかった、この理由はよくわかっていないが、高齢者にそのような例が多いことから、老化現象に関係があるかもしれない、と述べている。椿は、「新潟水俣病の臨床疫学」(有馬編・水俣病―二〇年の研究と今日の課題)[<書証番号略>]においても同趣旨の見解を述べている。
4 井形「鹿児島における臨床医学的研究」(有馬編・水俣病―二〇年の研究と今日の課題)[<書証番号略>]、井形・新名清成・浜田陸三「遅発性水俣病」(「医学のあゆみ」九六巻一三号、昭和五一年三月)[<書証番号略>]の中では、特に鹿児島県における遅発性水俣病について、概略次のとおり述べられている。
(一) 汚染の著しい時期を過ぎてからの発症は、年齢に関係ないが、昭和四八年以降は一例の発症者もなく不連続であり、遅発性水俣病はこの頃を境としてやや峠を越しているものと推定された。
(二) 昭和三六年当時五〇ppm以上の毛髪水銀値を呈した一一例を追跡してみると、水俣病と診断した例は六例で、その発症時期は三六年以前が三例、三八年が二例、四二年が一例で、他は現在水俣病の症状はみられず、健康であった。つまり、かつて濃厚汚染を受けても、その後発症するものは発症し、無症状で過ぎたものは今後水俣病に発展することは少ないものと推定された。
(三) 発症機序として、一旦汚染を受けた生体内に有機水銀が長く残留し、障害が進行してそれがある程度に達し、遅れて発症するとの仮説がある。この発症のメカニズムを支持する所見としては、有機水銀の生物学的半減期が長いこと、過去において濃厚な汚染を受けた者は、現在毛髪水銀値が正常範囲内にあっても多少高めで、過去の毛髪水銀値と相関関係を示し、またチオプロニンを投与すると現在なお正常者より多量の水銀が排出されること、最近の剖検例においても脳内の水銀値が一ppmを越える例があることなど、があげられる。急性中毒であっても、発症のピークまでにはしばらく時間が必要であると同時に、長期間の曝露で発症が遅れることは十分であり得ることであるが、その水銀量から推定しても、この因子のみによるならば、数年以内にその影響のピークは去るはずであり、井形らの臨床成績もこの因子が最近は徐々に小さくなってきていることを推定させる。つまり、現在健康なものが今後生体内残留水銀の影響で急速に発症悪化する可能性は極めて少ない。
(四) 長期微量汚染による発症の可能性も問題となる。チッソによる有機水銀排出が終焉したのは昭和四三年五月とされており、患者発症が激減した昭和三六年以降も微量ながら生体内水銀蓄積は続いていた。また、魚介類における水銀量も現在でこそ暫定基準値0.4ppm(総水銀)をこえるものはないが、過去の濃厚汚染から連続的に減少してきており、どの時点から汚染がなくなったとはっきり断言できない。また、当地区住民とくに漁民の魚介類摂取量は極めて多く、不知火海の島々においては蛋白源に乏しく、魚介類摂取は一日一キログラムをこえる場合があるとすれば、ごく最近まで微量の水銀がなお摂取されていたこととなろう。
いずれにしても、生体内残留水銀と長期微量汚染という両因子が発症に関与しているものと推定されるが、この両因子とも今後の経過とともに消失していくはずであり、その意味では遅発性水俣病はほぼ峠をこしていると考えるのが妥当であり、井形らの臨床データもこれを支持する成績となっている。
(五) 加齢の因子については、否定的であり、加齢が水俣病像を直接増強するとは考え難い。ただ、加齢は一応全患者が一様に受ける障害因子であり、今後年が経過するにつれて多彩な症状を呈するので、これからの汚染地区全員の精密な観察がこの問題に最終的な結論を導いてくれるであろう。
(六) 心因因子があり得ることは言うまでもない。これの医学的判断は必ずしも容易でないが、情報を多くとることによってそのパターンからこれを除外することができる。井形らの印象としては、根本に水俣病症状があり、これにpsychogenic over-lay(「心因的修飾」と訳されるか。)が加わっているのが大部分であろうと考えられる。現在の患者にはおそらくもともと水俣病症状があり、それに多かれ少なかれpsychogenicな因子が加わっているのがほとんどであり、psychogenicな因子があるからといって有機水銀の影響をもとから否定することはできない。この点、今後剖検との対比、神経伝導速度、その他の方法で心理的バイヤスを明らかにすることが必要であり、症状の変動ということもこの検討によって初めてより正確な結論に達しうるものである。ただ、井形らが心理的因子はそれほど大きくないと推定する根拠は、症状の悪化が自覚症状のみでないこと、悪化のパターンが水俣病像からあまりはみ出していないこと、心理的に発症しやすい動悸、過呼吸、などの症状がそれほど多くないことである。
井形は、「水俣病の医学」(「日本医事新報」三二五二号、昭和六三年七月)[<書証番号略>]の中で、遅発性水俣病をめぐる近時の議論について、「現在遅発性水俣病といわれているものは汚染終焉後一〇ないし二〇年も経過した後に症状が出現ないし憎悪するものを指し、医学的にまだその本態は解明されていない。元来中毒は障害因子に暴露したときに障害が起こり、暴露が終焉すれば症状は軽快していくのが原則で、他の中毒はこの原則で理解でき、事実認定患者の多くが経過と共に軽快している。したがって、汚染が終了してから長年月経過した後に住民に水俣病の症状が発症することは医学の常識では考え難い。事実外国では、このタイプの有機水銀中毒については報告もなく、理解を得るのが極めて困難であるのが現状である。われわれはかつて一斉調査を行った時の各人の訴えや症状を記入した記録を持っている。この当時は広く救済という発想で行政が掘り起こしを行ったもので、水俣病を矮小化する因子は全くなく、このことは当時の社会的評価や住民との対話での雰囲気からも確信が持てる。しかしその後、当時訴えも症状もなかった者の中から多くの認定申請者が出て、現在ではかつて「救済委員会」の評価を得た水俣病認定審査会が棄却のための審査会という批判を受けるようになったのであるから心外という他なく、この遅発性水俣病の問題は是非医学的に究明されなければならない。一般的にいえば、当時無症状だった住民が現在水俣病様自覚症状を訴える場合は、その後の汚染はないのであるから常識的には水俣病ではなく、老化現象ないし他の疾患によると考えるのが妥当であろう。しかし、確かに水俣病としか判断されない患者も稀ではなく、これらの例については、水俣病の診断に十分の自信はないが、神経症状の組み合わせがあれば「否定しえず」として、「広く救済」との原則に従い認定しているのが現状である。これを敢えて説明するならば、おそらく当時一見健康であった者の中で極めて濃厚な汚染を受けたものに限り、加齢に伴う老化現象と重なり、水面下の氷山ともいうべき潜在性の障害が老化に伴い水面上に出て、症状が出現するに至るものとの仮説が考えられる。微量長期汚染が原因であろうとの主張もあるが、これは現在の毛髪中や血中の水銀量が正しい指標を与えてくれるはずであり、その数値からみてその可能性は否定できる。」と述べている。
5 以上のように、同じ「遅発性水俣病」という言葉が使われていても、いつごろ症状が発生、憎悪した症例を問題にしているのかはその時代や問題意識によって異なっており、井形の近時の文献では、昭和四六年から四九年にかけて行われた住民健康調査の際には症状の訴えがなく、あるいは症状が認められなかったのに、その後症状が発生、憎悪したとする症例を特に問題にしているようである。
原田は、原田意見書において、井形の右文献を参考文献としてあげつつ、「一見医学的に見えるが、汚染が継続していた事実や当時の症状を確認していないという事情からくるものであって、そのような実情を知らない意見である。」(一〇頁)と批判している。
しかしながら、井形の見解は、住民の毛髪中水銀量や血中水銀量が正常化しているような状況では微量汚染による症状の発生、憎悪ということは考えにくいものであり、また、鹿児島県の住民健康調査の後の発症、憎悪を特に問題としているのであるから、それに対する反論でなければ意味がないであろう。原田意見書は、「昭和四三年以降、確かに魚介類の水銀値は減少し、住民の毛髪水銀値は減少していった。にもかかわらず、住民にその後発症したという患者たちがおり、この患者たちは、水俣病は終わったと信じてその後も魚介類を多食している。このような例における症状の発現に、現在の微量の水銀汚染が無関係とは言い切れない。」(一五頁)とも述べている。この記述は、魚介類の水銀値は減少したとはいえ、まだ正常といえるまでに減少したわけではないから、昭和四三年以降も魚介類を多食した者には有機水銀の相当量の曝露があり、それが症状の発生をもたらしたという趣旨のように理解されるが、そうすると、ある時点での毛髪水銀値がその時点における有機水銀の体内量の指標にはならないということになるのかどうか、という点において問題が生じてくる。原田意見書では、別の部分で、「結局、湾内のアサリの水銀値が確実に減少したのは昭和四三年五月のアセトアルデヒド生産の停止によってである。この時点で急激に湾内のアサリの水銀値が減少していくのであるが、しかし、ヘドロの中の水銀値はそのまま持続していたわけであるから、昭和四七年の第二次熊本水俣病研究班が指摘したとおり、汚染は続いていたと考えていい。そういった汚染された魚を長期に食べ続けたということが、熊本の慢性水俣病を考えるとき、あるいは症状の発生や進行のメカニズムを考えるときに極めて重要なことである。」(八頁)と述べられている。しかしながら、アサリその他の魚介類の水銀濃度が低下している事実がある以上(それがどの程度まで低下したかは重要な問題だが)、ヘドロの中の水銀値が持続していたからといって、「汚染された魚」ということにはならないはずであるし、水俣湾内の魚介類ということであれば、どの程度住民が水俣湾内の魚介類を摂食したのかが、「長期に食べ続けた」という事実があるのかがそもそもの問題であろう。また、ヘドロ中の水銀値と魚介類の汚染の関係についても、水俣湾泥土中の水銀化合物の形態は主として硫化水銀や酸化水銀のような無機水銀化合物であるし、水銀化合物を含む水俣湾底泥から水銀化合物が溶出し、魚介類にとりかこまれる可能性もほとんど否定されているのである。(第三章、第一、二、33参照)
四水俣病の発症機序をめぐる議論について
1 武内は、「メチル水銀中毒の病理学的研究」(文部省特定研究「難病」班による「難病の発症機構」、昭和五六年三月)[<書証番号略>]において、水俣病病理発生機序について、「メチル水銀化合物は、摂取されると全身諸臓器組織に当初はほぼ均等に分布するが、沈着蓄積性については細胞性格と臓器の代謝機序に密接に関連があり、蓄積残留しやすい組織とそうでない組織がある。蓄積残留しても比較的障害されにくい臓器と神経細胞のように障害を受けやすいものがある。これがなぜかということを解明することは困難である。しかし、生物学的半減期七〇日のメチル水銀では、一日0.3mg以上を摂取することにより一年で三〇mg以上を蓄積しうるので、多量のメチル水銀を摂取すれば急性発症し、その量が少なくなれば発症するまでの潜伏期は長くなり、その摂取量如何によっては急性発症から慢性発症までありうる。事実人体例では数年あるいは十数年を発症までに要しているものがあり、慢性発症はおこりうる事実であると考える。この際発症機序は水銀量のみではなく、単個壊死細胞の累積があることを忘れてはならない。一般臓器には再生現象があり、単個壊死の累積はなく、したがって機能障害は招来されにくい。しかし、神経細胞の壊死は再生ができず、メチル水銀の繰り返しの摂取は単個壊死の累積を招来し、それが多数に短期間にくれば急性発症となり、長期にわたり少数ずつくれば慢性発症となる。しかしこのことが神経系の障害の全部であるとは考えられない。メチル水銀の神経毒性が他細胞より強いということが考えられ、神経細胞内代謝阻害とも密接に関与すると思われる。」と述べている。また、「国際フォーラム」における報告「病因論からみた水俣病」(「国際フォーラム記録」)[<書証番号略>]でも、「水俣病には、水銀化合物の大量摂取による急性発症(一か月以内)と亜急性発症があり、これには水銀物質の発症までの一定の蓄積時間すなわち潜伏期incubation timeがあると考えている。この潜伏期は二、三か月ないし数か月であるとみる。この他に慢性発症があり、これは、境界領域の水銀摂取で軽い神経細胞の間引脱落があり、長い間の摂取によりこの病変の累積によって判然とした症状の発現があるものをいう。」と述べ、老化と重なって症状が出てくることもありうる。とも述べており、本訴においても同旨の証言をしている。原告らは、武内のこうした見解を援用して、慢性水俣病の発症機序について同旨の主張をしている。
2 G. Loefrothは、「自然界に放出された水銀化合物とその害Ⅰ」(「科学」三九巻一一号、昭和四四年一一月)[<書証番号略>]において、脳細胞に対するメチル水銀の長期的障害ということについて、次のように述べている。
「人に対するメチル水銀中毒の一つのあらわれは、ある部分の脳細胞を傷つけて、筋肉の協調運動などを障害する点にある。このような障害は、メチル水銀のとりこみがある値をこえてはじめて起こるのか否かという疑問が生ずる。ある個体にあらわれる全体としての臨床症状については、このような閾値機構がはたらくということができよう。しかし、この閾値機構は、メチル水銀の毒性作用に閾値があるというものではなく、破壊された細胞の数にある閾値があることを示すものである。破壊された細胞が一個または数個にすぎないときには、他の細胞がとって代って機能をはたすことができ、臨床症状はあらわれない。とって代わるべき細胞が存在しないほど多量の細胞が傷ついたときに、はじめて臨床症状がおこるのである。この症状がおこる機構がしばしばメチル水銀の毒性閾値と混同して考えられていることは注意を要する。個々の脳細胞に対して不可逆的に障害を与えるメチル水銀の濃度がどの程度であるかについてはまだわかっていない。しかし、脳細胞の障害のおこる率がきわめて低くても、それが自然におこる脳細胞の退化速度よりも大きいかぎりは、その生物のもつ脳細胞の数に限度があるために、長い時間ののちにはその個体に悪影響があらわれる。このような影響は、個体の後半生に大きくあらわれることもあろう。アルキル水銀の毒性を考える場合に、この点を考慮することは必要である。」と述べている。
土井陸雄も、「ハンター・ラッセル症侯群の再評価」(「科学」四一巻五号、昭和四六年五月)[<書証番号略>]の中で、G. Loefrothこの見解を評価し、同旨の見解を述べている。
3 被告らは、武内の見解には容易に賛成し難いとし、その理由として、神経細胞はある程度以上の曝露レベル(閾値)まではその排泄能力及び緩衝作用によって毒物による障害を自ら防ぐことができるのであり、いかに微量であっても少しずつ細胞が障害されるというような見解は誤りというべきである、と主張している。被告らの右の見解は、すでにみてきたところからすればそれ自体はおそらく正当といえるのであろうが、武内の見解やそれとほぼ同趣旨と考えられるG. Loefrothの見解も、神経細胞の障害に閾値があることは承認しつつ、神経細胞の障害閾値を超えた水銀の曝露によって臨床症状としては現れない程度の神経細胞の間引脱落が起こり、神経細胞はそれ以外の細胞と違い再生現象がないので、微量摂取によるこうした病変の累積、あるいは老化現象が加わることによって症状が発現するというものであると理解されるのであって、被告らの批判は的確なものとはいえないであろう。問題は右のような発症機序の理解の妥当性にある。
4 ここで慢性水俣病の発症機序について整理すると、次のような三つの仮説があるとされている(原田意見書[<書証番号略>]及び原田「慢性水俣病の臨床症状」(有馬編・水俣病―二〇年の研究と今日の課題)[<書証番号略>])。
(一) かつて濃厚に汚染された水銀が残留していて、それが後になって症状の発現ないし憎悪をもたらすという仮説。
(二) 汚染によって一定のダメージを受けたものの、症状発現に至らなかったが、老化現象やその他の合併症によって症状が表面化するとする仮説。
(三) たとえ少量であっても、それが超長期に汚染が続く場合、症状が発現ないし憎悪するとする仮説。
これらの仮説について、これまでみてきたところに基づき一応の検討をしておくと、(一)の仮説は、新潟における遅発性水俣病についての白川らの見方であるが、武内らの剖検所見で、重症例では脳内水銀値が高い例がみられるものの、軽症長期経過例ないし慢性長期経過例の脳内水銀値は、総水銀値は正常範囲よりも高い値を示しているが、メチル水銀値はほぼ正常化している点(対照地区住民よりは上回っているが、水俣病の発症のない水俣地区住民とは変わらない。)[<書証番号略>]をどうみるか、メチル水銀値が正常化するまでの残留期間中の発症、憎悪ということを考えるとしても、いつごろまでの発症、憎悪が考えられるか、濃厚汚染時期から相当期間が経過し、さらにはチッソ水俣工場からのメチル水銀の流出がなくなってから相当期間が経過した後の発症、憎悪は考え難いのではないか、といった問題点があるものと思われる。(三)の仮説については、すでにみたように毛髪水銀値がほぼ正常化している状況であってもなお微量汚染による発症、憎悪ということがあり得るのか、その程度の汚染であっても神経細胞レベルでの障害による病変の累積ということが考えられるのかといった問題点があるものと思われる。仮説として比較的受け入れられやすいのは、おそらくは、武内、G. Loefrothらが述べているように、過去に神経細胞の障害閾値を超えたかなり濃厚なメチル水銀の曝露を受け、臨床症状としては現れない程度の神経細胞の障害を生じていた者に、ある時期まではメチル水銀の継続的微量摂取あるいは残留メチル水銀の影響による病変の累積が加わり、さらに老化現象との重なりもあって、潜在性の障害が表面化するというような仮説であろうかと思われる(井形の近時の見方もこれに近いと思われる。)。いずれにしても、こうした仮説は、あくまで仮説の段階のものである上に、それ自体現在の知見からみて右にみたような問題点があるものもあり、今後の研究に負うところが大きいといえよう。
5 藤野は、御所浦地区住民検診の報告(第四節、九)において、同一対象者の急激な症状の悪化の機序について、過去の濃厚汚染に引き続いて現在も続いているメチル水銀の慢性微量汚染の影響である可能性が強く疑われ、昭和四六年の調査時には発症するまでに至っていなかったものが、その後比較的少量とはいえ慢性汚染が続いたことにより発症したものとの見方を示した。しかしながら、昭和四六年以降という住民の毛髪水銀値がほぼ正常化している状況であっても微量汚染による発症、憎悪ということがありうるのか、その程度の汚染であっても神経細胞レベルでの障害による病変の累積ということが考えられるのかということに関しては、一つの仮説という次元でみてもかなりの疑問が感じられる。
藤野は、また、過去の濃厚汚染時期に不知火海沿岸に居住し、昭和四三年五月以前に自覚的に健康な状態で非汚染地へ転出し、転出後に健康障害を呈した住民五三名を対象とした健康調査の結果、神経症状の組合せなどから四二名(79.2パーセント)を水俣病、二名(3.8パーセント)を水俣病の疑いと診断した。と報告している。(「メチル水銀の慢性微量汚染の影響―汚染地から転出した住民にあらたにみられた健康障害、いわゆる遅発性の問題」(水俣病被害者・弁護団全国連絡会議・「水俣病問題全国シンポジウム」、昭和六三年))[<書証番号略>]この報告によると、これら四四名の健康障害が出現した年齢は35.2±10.1歳であり、それまでの期間は転出後7.9±5.6年であった、とされいる。これらの症例は長期微量汚染の影響下にはないので、藤野は、症状の出現の発生機序としては、かつて濃厚汚染された水銀が排泄が悪く残留しており、症状の進行に関与すること(遅発性の影響)が可能性として考えられ、脳を含めた臓器内水銀値が慢性期も高値であることが遅発性発症の理論的根拠として考えられる、と述べている。藤野は、剖検例の多くは対象と比べ一〇倍から数十倍の高い脳内水銀値を示している、としているが、軽症例の脳におけるメチル水銀値としては、武内らの報告からすると、対照の水銀値を上回っているものの「一〇倍から数十倍」というほどではないのであって(第五節、一、4、(五))、転出後7.9±5.6年後の発症ということに対して、脳を含めた臓器内水銀値が高値であることを理論的根拠として持ってくることができるか、疑問が感じられるところである。
御所浦地区住民と転出住民についての右の二つの調査結果を藤野らの立場か説明しようとすれば、長期微量汚染ということだけでは説明できないのであるから、残留水銀による遅発性の発症があることが確実で、水俣地区ではさらに長期微量の影響も考えられる、とすることになるのであろうが、右に検討したところからすると、これらの調査結果を、被告らが主張するような、医師による所見のとり方の違いや、心因的、作為的な症状によるものではあり得ないとしてそのまま受け入れるには、なお研究の蓄積が必要と思わざるを得ないのである。
6 もっとも、当裁判所としては、これまでみてきた医学的見解の状況からみて、発症機序に関する前記のような仮説、ことに4で比較的受け入れやすいのではないかとみた仮説などに一応の合理性はあるとも考えるのであって、いわゆる発症閾値論は、その現状においては、これらの仮説やそれ以外の機序による慢性発症の可能性を完全に否定し、それによって説明できない現象は事実ではないとすることができるほどの精緻な理論とはいえないように思われるし、遅発性水俣病というものが存在することも事実であると思われるのである。しかしまた、慢性水俣病についての共同意見書や原田意見書の見解には、議論の展開に納得し難い点が多々みられ、医学的知見の現状からすると直ちには受け入れにくいと思われる面があるとも考えざるを得ないのである。
五いわゆる心因性の問題
1 原田は、「慢性水俣病の臨床症状」(有馬編・水俣病―二〇年の研究の今日の課題)[<書証番号略>]において、慢性水俣病については従来の知識で説明しきれない点がいくつか存在するが、従来の知識で説明できないものを心因性に結び付けるのは、あまりにも短絡的であると述べている。そして、症状の動揺性という問題について、「多くの症例が症状の動揺性をもつ。筋力が低下していないのに歩けなかったり、注意力を集中するとますます運動が拙劣になったり、不自然な不規則な知覚障害がみられたり、疲労によって視野狭窄が動揺したり、話し声は理解できるが高度の聴力障害があったり、緊張すると言葉がでなかったりする。このような症状は多くのものが心理的なものとされる可能性がある。しかし、これらの症状を詳細にみていると、これらの症状の動揺と不合理さは大脳皮質の障害の一つと考えたほうが理屈にあうし、またそれを裏付ける大脳皮質障害所見がみられている。脳器質性疾患における失行、失認、失語などの単症状の回復期にみられる症状の動揺性、不合理にみえるなどの特徴は慢性水俣病の症状に酷似している。したがって、われわれは慢性水俣病に特徴的な大脳皮質の神経細胞の間引き脱落に対比させて考える方が合理的と考えている。」と述べ、原田意見書[<書証番号略>]においても、感覚障害の動揺性に関して、「感覚障害は客観的に証明することが難しいし、変動するから、症例によっては証明することが難しい例もある。しかし、われわれにはその動揺性も水俣病の一つの特徴と思われる。なぜなら、その感覚障害には中枢性障害の可能性が加味されていると考えられるからである。」、「症状の動揺はむしろ大脳皮質の障害の特徴として考えている。」と述べている[五四頁]。
そして、原田は、証人尋問(第三回)において、この点についておよそ次のとおり述べている。[<書証番号略>]
水俣病患者の症状が動揺するという事実は、多数の水俣病患者を診察している医師にとっては共通の認識である。その解釈として、症状の動揺があるときにはその症状はあてにならないととらえる者もいるが、原田のように、大脳皮質の障害の関与ということを考え、それを水俣病の特徴の一つととらえる者もいる。大脳皮質の障害が非常に重いものであるならば、症状が動揺するということはないであろうが、大脳皮質の障害の程度が非常に軽いものであれば、疲労やその他の負荷がかかることによって症状が発現することが十分考えられる。将来の研究の進展により、水俣病患者にみられる症状の動揺が大脳皮質の障害によるものであることが証明されるのではないか。
2 荒木らの近時の認定患者の神経症候の分析(第四節、一一)によると、調査対象一〇〇例中七七例は昭和四七年から昭和五七年にかけて二ないし五回(平均2.55回)の神経内科的診察を受けているが、診察のたびごとに感覚障害の分布や程度が変動するもの(不安定型)が、別紙三二の表のとおり六三例あることが認められ、認定患者にもこのような感覚障害の不安定、動揺があることが認められる。
3 井形は、「水俣病の医学」[<書証番号略>]の中で、「ボーダーライン層では、感覚障害を訴えても軽度のことが多く、それ故に日によって、あるいは時間によって症状の出没がありうる。これは他の病気でもありうることで、この経験から考えれば、一旦棄却された患者が再申請で認定を受けたケースが少なくないことも、あるいは認定患者の中にも後でみて誤りだったケースも少なからず存在しうることも理解でき、これが医学の限界というべきではなかろうか。」と述べている。
4 検討
原田は、症状の動揺と不合理さは大脳皮質の障害の一つと考えた方が理屈にあうし、またそれを裏付ける大脳皮質障害所見がみられている、と述べているが、なぜそう考えた方が理屈にあうのか、また、症状の動揺と不合理さを裏付ける大脳皮質障害所見とは何かということについては、これを一応にせよ納得させるだけのものは現時点では呈示されていないと思われる。例えば、例示されているような、「話し声は理解できるが高度の聴力障害がある」といった症例の場合、一般的にはこうした純音聴力検査成績と日常生活における音に対する感受性の食い違いといったことや反復検査における検査成績の動揺といったことは、器質的難聴ではあまり遭遇しないことであるから、心因性難聴や詐病を疑わせる一つの現象と考えられているのであって(鈴木篤郎・難聴一六三頁)[<書証番号略>]、水俣病の診断が問題となっている場合に限ってはこのような見方を排除すべきだという合理的理由は存在しないと思われる。したがって、水俣病に罹患しているか否かの診断において、症状の動揺と不合理さといったことから一つの原因として心因性を疑うこと自体は格別不合理なことではなく、短絡的として非難されるべき筋合いのものではないと思われる。
しかしまた、荒木らの分析でも近時の認定患者においても感覚障害の動揺という事実がみられること、審査会で感覚障害なしと判断されながら死後剖検により認定された症例が少なからず存在すること、一旦棄却処分を受けながら、再申請で認定された例が少なからず存在することなどからすれば、再現性のない障害は器質的な病気では起こり得ないと断定して水俣病を否定してしまうことにも疑問があると思われるのであって、結局は総合的な判断によるということになろう。
第七節水俣病の主要症候とその診断
第一感覚障害
【証拠】 <書証番号略>、証人大勝洋祐、同鈴木健世の各証言
一感覚障害の所見、診断
1 感覚検査の方法自体については、当事者間に特段の争いはない。
感覚障害の検査については、神経疾患の検査の中でも客観性に乏しく、難しい検査であることが一般に指摘されている。
ワルテンベルグは、「神経学的診察法」[<書証番号略>]の中で、「患者は感覚の検査をされているときはことに暗示を受けやすい。検査者のちょっとした何でもない言葉でも患者はそれによって暗示され空想的な感覚を生じることがある。感覚障害が完全であればあるほど、たとえば痛覚麻痺が強ければ強いほど、それらは医因性、すなわち、医師によってつくられたものである可能性が強い。ある神経学者たちは甚だしい感覚障害の九〇パーセントは心因性であると主張している。感覚を検査する際検者は自分自身を欺いて悲しむべき間違いをしでかしやすい。検査の結果についてある種の先入観を持って検査を始めたり、検査が終わらないうちに早急な結論を出したりするときには殊にそうである。感覚検査はもっとも高度の客観性、冷静な不偏不党性、および忍耐を要する。」と述べており、モンラッドクローン他「神経疾患検査法」[<書証番号略>]、ウエイン・マッシー他「神経診察法」[<書証番号略>]でも同趣旨の指摘がされている。田崎義昭ら「ベッドサイドの神経の診かた」[<書証番号略>]では、「感覚障害は、神経疾患の局所診断あるいは原因論的診断を下すのに大切ではあるが、客観性の乏しい所見であるので、これのみに頼ると失敗するので常にほかの神経学的所見と照らし合わせて、総合判定すべきである。」とした上で、感覚検査で注意すべきこととして、次のような点が指摘されている。
① 患者の知能、意識、精神状態に異常がないことを確かめておく。知能が低下していたり、軽い意識障害があったり、精神不安、非協力などのために正確な答えが得られないときには、その所見は信頼度に乏しい。
② 検査には患者の協力が必要である。このためには、患者に検査内容をよく説明し、気を散らさないよう、また疲労させないよう注意する。
③ 患者に暗示を与えたり、誘導するようなことをしてはいけない。医師のちょっとした言葉でも、患者は暗示にかかりやすいものである。
④ 患者の答えは確実に記録すること。先入観をもって検査したり、急いで検査したときは、つい無造作に感覚検査のチャートに書き込んでしまう危険性があるので注意すべきである。
2 ところで、被告らが以上のような文献の記述を示して感覚検査の問題を指摘したこと、審査会資料説明書総論[<書証番号略>]においても同様の指摘がされていることに対して、原告らは、感覚検査を不当に軽視しようとしていると批判している。共同意見書[<書証番号略>]でも、「神経学的観察の中で、知覚検査が反射検査等の他の検査に比べ患者の主観にその反応が依存し客観性に劣ることは事実である。」としつつ、知覚検査は、神経学における系統的診察法の柱の一つとして古くから確立された検査であり、日常診察において定式化されているものであるから、その診断上の価値は高く、以上のような感覚検査の問題点を一面的に強調することは誤りであるとの趣旨が述べられており、その作成者の一人である証人鈴木健世も同旨の証言をしている。
検討するに、感覚障害の弱点といわれるものの「一面的な」強調が妥当でないことは当然であるが、感覚検査に客観性に乏しいという弱点があること、そのために前記のように検査の際に注意すべき点が多く指摘されていることを認識しておくことは当然に必要と考えられるのであって、そうした認識の下で行われた感覚検査であってこそ、そうした弱点から免れないとしても一定の診断学上の価値を有するものといえるのであろうと考えられる。
3 被告らは、感覚障害の診断について、感覚検査の結果仮に被検者の応答結果では一定の感覚低下があるということであっても、そのことから直ちに一定の感覚低下があると判断しないのが通常である、かかる検査結果のみでは、右応答結果が客観的に正しいとも誤っているともいい得るだけの根拠がないのが通常であるからである、神経内科医はひたすら正確な情報の収集に努め、その結果の解釈(感覚障害の有無等の判断)は他の症候の所見とも併せて総合的に行うのである、との見解を主張している。こうした見解は、前記「ベッドサイドの神経の診かた」の「感覚障害は、神経疾患の局所診断あるいは原因論的診断を下すのに大切ではあるが、客観性の乏しい所見であるので、これのみに頼ると失敗するので常にほかの神経学的所見と照らし合わせて、総合判定すべきである。」との見解と同旨のものであって、一般論としては妥当なものと考えられる。
二水俣病にみられる感覚障害の態様
前記第四節で認定したとおり、熊本大学二次研究班の調査、近時における認定患者の神経症状の分析、その他多くのこれまでの研究から窺われるところでは、水俣病にみられる感覚障害には、四肢末梢の手袋靴下型のものが最も多いが、それ以外のパターンのものも少なくないということができる。第四節、一一の荒木らの報告によれば、近時の認定患者では手袋靴下型の感覚障害が最も多いが、全身の痛覚脱失ないし痛覚鈍麻といった多発神経障害のパターンと合致しないものも稀ではないことが認められ、また、剖検認定例でみると、一九例中五例が一肢あるいは二肢に節性あるいは不規則な感覚障害を示すという従前考えられていた水俣病の感覚障害のパターンとしてはかなり考えにくい型となっており、また三例が感覚障害なしとなってといることも注目されるところである。
なお、手袋靴下型という表現については、上肢の軸に対してほぼ直角の明瞭な境界線を有し、それより末梢部の知覚障害を示すものを手袋型知覚障害ということがあり、下肢においても同じ趣旨で靴下型知覚障害ということがあるが、わが国において慣用的に手袋靴下型と呼ばれているものは、知覚障害が末梢に強く、近位部に向かうにしたがって漸次減少し、自然に正常部に移行するものを指しており、水俣病にみられる手袋靴下型の感覚障害というのも、このような障害パターンのものである。(平山惠造・神経症候学[<書証番号略>]、共同意見書三五頁)
三水俣病にみられる感覚障害の原因(責任病変)
1第五節で認定のとおり、衞藤光明は、水俣病における感覚障害の原因として、水俣病では末梢の知覚神経にも障害があり、感覚中枢である後頭葉の中心後回にも障害がみられることから、その両者が同時にかかわっていると考えられる、との見解を示している。新潟大学教授の生田房弘も、新潟水俣病における感覚障害の原因としては、末梢の知覚神経の障害、後頭葉の中心後回の障害のいずれであるかを特定することはできず、その両者を原因として考える必要があるとの見解を示している。
2 水俣病にみられる感覚障害の原因という問題に関連し、次のとおり報告あるいは論評するものがある。
(一) 藤野糺「ある島における住民の有機水銀汚染の影響に関する臨床疫学的研究(第三報)」(「熊本医学会雑誌」五四巻三号、昭和五五年八月)[<書証番号略>]
藤野は、右論文の中で、藤野らが行った検査の結果を報告し、水俣病の感覚障害の原因についての従来の医学的知見を整理しつつ、次のとおり述べている。
「従来絡みの感覚障害は末梢性といわれ、その根拠として、ラットの有機水銀投与の実験で末梢感覚神経に障害が証明されること、および、ヒト水俣病の病理解剖と腓腹神経の生検で末梢神経に障害が見られるとの報告があることがいわれている。しかし、これらの報告のうち村井らのものを除けば、末梢神経の障害といっても、大径有髄神経の減少を指摘しているにとどまる。神経生理学的には、触覚は大径有髄神経が、温・冷覚及び痛覚は小径有髄神経と無髄神経が関与していると考えられている。したがって、今回の研究で明らかにされたように、有機水銀汚染地区の多数の住民に高度の痛覚障害が存する(しかも末梢型に)ことから、もしこれが末梢性とするならば、小径有髄神経と無髄神経の減少が高度でなければならない。現在のところヒト水俣病については、そのような報告はみられていない。ラットの実験で、村井らは大径と小径有髄神経が平等に減少しているが、無髄神経にはほとんど異常がなかったと報告しており、これらの今後の研究がまたれる。
感覚神経伝導速度は、最大伝導速度であるから直径の最も大きい成分の速度を示している。したがって、その遅延は最も大きい成分の消失を意味する。今回の研究で、感覚神経伝導速度の異常出現頻度は神経部位により5.1パーセント〜39.6パーセントにみられたが、感覚障害の出現頻度に比して小さく、高度の障害はほとんどみられなかった。このことは、病理組織学的報告の大径有髄神経の減少を反映したものかもしれないが、電気検査閾値やペインメーター検査での異常者あるいは高度異常者の頻度と比較するとはるかに低く、水俣病の感覚障害を単純に末梢性といいきることはできないことを示唆する。
重野は、認定水俣病患者二五名の電気生理学的研究から、水俣病の感覚障害については末梢神経障害のほか、中枢神経(脊髄、視床、大脳皮質)障害などが考えられるが、現在のところいずれが主な病巣部位か判然としないと報告している。
Le Quesneらは、イラクのメチル水銀中毒患者一九例の電気生理学的研究で、感覚障害が存在するにもかかわらず電気生理学的に異常がなかったことから、これらの感覚障害は中枢性であろうと述べている。
徳臣らは、急性激症水俣病患者の二〇年後の追跡調査の中で、一三例の電気生理学的検査を行い、全例のMCV(運動神経伝導速度)、SCV(感覚神経伝導速度)が正常範囲であり、CTで大脳萎縮の著名な一例でSEP(大脳誘発電位)が不明確であったことなどから、視床〜感覚受容帯の器質的障害を予想し、水俣病の感覚障害に関し、先に述べたLe Quesneの考えも一応念頭に置くべきであろうと述べている。
水俣病の感覚障害の本態については今後とも神経生理学的な、あるいは病理組織学的な研究が続けられるであろうが、それに対して著者らの検査結果はひとつの貴重な資料を与えたものと思われる。」
(二) 徳臣晴比古ら「水俣病の感覚障害―水俣病における短潜時SEPについて―」(水俣病に関する総合的研究(昭和五六年度環境庁公害防止調査研究委託費による報告書)、昭和五七年三月)[<書証番号略>]
徳臣らは、四肢末梢の感覚障害を呈する典型的水俣病患者八名について、電気刺激による短潜時SEP(皮質下で生ずる潜時の短い電位)を記録して検索した結果、全例に認められたN9の正常は末梢神経に著明な変化のないことを示唆し、全例につきみられたN20の欠如は大脳半球病変の結果に由来すると考えられるとし、水俣病の感覚障害の発生起源として中枢性要因が示唆される、としている。
(三) 黒岩義五郎ら「水俣病患者の感覚障害の研究―腓腹神経の電気生理学的ならびに組織定量的研究―」(水俣病に関する総合的研究(昭和五八年度前同報告書)、昭和五九年三月)[<書証番号略>]
九州大学医学部神経内科の黒岩義五郎らは、水俣病患者の感覚障害の責任病変の解明に役立てることを目的として、水俣病認定患者八例について腓腹神経の生検を行ったところ、「その大部分で四肢末梢の感覚障害が認められたにもかかわず、腓腹神経に明らかな組織病理学的な異常所見は認められないと判断された。」とし、「本研究において、in vivoでその神経活動と電位が実際的に記録不可能な小径有髄線維と無髄線維が組織学的には正常であることが明らかにされた意義は大きい。すなわち、本研究から、患者の下肢遠位部の触―圧覚だけでなく痛覚の鈍麻についてもその責任病変が腓腹神経などの末梢神経に存在しない可能性が強く示唆される。」としている。また同時に施行された水俣病認定患者九一例の腓腹神経の伝導検査においては、81.9パーセントの神経が正常の値を示したとしている。
(四) 井形昭弘「水俣病の医学」(「日本医事新報」三三五二号、昭和六三年七月)[<書証番号略>]
井形は、「水俣病の病像が末梢神経障害を底辺として、重症になれば小脳失調や視野狭窄が加わるというかつての説には批判が大きくなってきている。その理由は四肢の感覚障害を訴える患者に末梢神経障害の客観的徴候とされる腱反射の減弱ないし消失、伝導速度の延長などの異常を伴わないことが多く、また四肢の感覚障害のある患者の末梢神経生検でも必ずしも形態学的異常が証明できないことなどによる。また、水俣病の剖検所見では、末梢神経より中枢神経に異常所見が高度にみられ、中枢神経の所見がある程度以上の例に末梢神経異常が証明される。更に大脳誘発電位の所見でも末梢神経より中枢のほうに障害が高度であるとの成績もある。」として、「これらの所見から考えて、水俣病はまず中枢神経障害で発症し、それが高度になると末梢神経が侵されると考えるのが妥当であろう。つまり手袋・靴下状の感覚障害は必ずしも末梢神経の障害ではなく、中枢神経の障害の所見である可能性が高い。」としている。
なお、皆内康広・井形昭弘「重金属中毒によるニューロパチー」(上田英雄ら編・しびれ)[<書証番号略>]では、末梢神経伝導速度の点に関し、「末梢神経伝導速度は、多くの報告では、あまり低下しないとするもの、あるいは低下するとするものなど一定しないが、われわれは、鹿児島県出水地区の被汚染者のmass studyで対照群との間に差があり、また有機水銀中毒によると思えるニューロパチー陽性群と陰性群の間にも有意差をみた。」と記述されている。
(五) 原田意見書、共同意見書
原田は、原田意見書[<書証番号略>]において、水俣病による感覚障害について、「多くの場合筋力低下をも伴うが、腱(固有)反射は多くの場合亢進しており、これは急性例でも、外国の報告でも同様である。そういうことから、厳密にいえば教科書的な多発神経炎とは異なる特徴を示しているのである。しかし、そのことが糖尿病やその他の中毒による多発神経炎、頚椎症との鑑別に役立つ。」「神経伝導速度などはほとんど正常であり、末梢神経に病変が確認できないとした報告(ハンター・ラッセル)もあり、この症状は末梢神経障害のみではないようである。」としている。また、前記のとおり「感覚障害は客観的に証明することが難しいし、変動するから、症例によっては証明することが難しい例もある。しかし、われわれにはその動揺性も水俣病の一つの特徴と思われる。なぜなら、その感覚障害には中枢性障害の可能性が加味されていると考えられるからである。」とも述べている。
共同意見書も、「ニューロパチーは原因別にみても多種にわたり、またその臨床症状も一様ではない。しかし、これらのニューロパチーと水俣病を鑑別することは容易である。なぜならば、ニューロパチーでは、原則として、深部腱反射が低下もしくは消失し、また神経伝導速度(運動、知覚)の低下を来すからである。原告らを含む水俣病患者においては深部腱反射が低下せず、正常もしくは亢進を示す者の方が多数であり、かつ神経伝導速度もほとんどの例で正常である。このことは、水俣病の感覚障害がニューロパチーすなわち末梢神経障害によるものでなく、中枢神経障害によるとする一方の考え方の臨床的根拠になっていることでも理解できよう。とはいえ、腱反射の低下を示す例も存在するから、一通りの鑑別が必要である。」と述べている。
3 このようにみてくると、水俣病における感覚障害の原因(責任病変)という問題はなお未解決ではあるが、末梢神経の障害、中枢神経の障害の双方が関与している可能性が強く、近時の研究では中枢の関与の方が大きいことを示唆するものが多いと一応はいえるものと考えられる。なお、2、(五)でふれた原田意見書、共同意見書の多発神経炎等との鑑別についての見解の検討は、あらためて第一〇節で行う。
第二運動失調
【証拠】 <書証番号略>、証人元倉福雄の証言
一概念・分類
1 運動失調という言葉は学者によってかなり異なった意味に用いられているが、高柳哲也「運動失調」(上田英雄ら編・内科鑑別診断学)[<書証番号略>]では、運動失調とは、髄意筋の筋力に変化がみられないにもかかわらず、髄意運動が十分に行えない状態を指し、より具体的には、運動の巧緻性がそこなわれ、無駄な運動が増え、時間的、空間的、動作力学的に非能率的な運動を行う状態を意味するとされ、運動失調の概念は、運動に際しての運動時運動失調(協調運動障害)と平衡に関連する静止時運動失調(平衡障害)を包括するものとして用いられている。本訴において当事者が運動失調という言葉を使用しているときも、概ねこの意味で用いられているようである。
五二年判断条件では運動失調と平衡機能障害とが一応区別されて、症候の組合せの一つでは、「感覚障害があり、運動失調が疑われ、かつ、平衡機能障害あるいは両側性の求心性視野狭窄が認められること。」とされており、運動失調は平衡機能障害を包括する概念としては用いられてはおらず、協調運動障害のみを意味するものとして用いられている。
本判決理由中において運動失調というときは、特に断らない限り協調運動障害と平衡機能障害を包括する概念を意味するものとする。
2 運動失調は、その原因部位から、①小脳型運動失調、②脊髄後索型運動失調、③前庭迷路型運動失調、④大脳型運動失調に分けることができる。
(一) 小脳型運動失調
小脳型運動失調は、小脳及びそれと関連をもつ神経系の障害によってあらわれるが、その病変の占める部位によって失調の現れ方が異なる。また、疾患によって小脳系の侵す部位に選択性があるため、疾患によってその失調症状に特徴が現れる。
小脳虫部は発生学的に古く、古小脳といわれ、これに対し、小脳半球は発生学的に新しく、新小脳といわれる。古小脳は原始的な自動運動の平衡に関与し、起立・歩行などの姿勢をとる機能と関係するので、姿勢小脳といわれ、新小脳は四肢の随意運動の協調性と関係し運動小脳ともいわれる。病変によってそれぞれの機能が障害されれば、それぞれ姿勢性の小脳運動失調(静止時、起立・歩行、起座障害)、運動性の小脳運動失調(運動時、四肢協調運動障害)を来すことになる。(平山惠造・神経症候学)[<書証番号略>]
(1) 小脳虫部方運動と失調
小脳虫部の障害によって起こり、主として歩行、起立、起座における平衡障害のみられるもので、躯幹部の運動失調が強く、これに対し四肢の協調運動はほとんど正常であるか、あるいは全く正常である。
(2) 小脳半球型運動失調
小脳半球、あるいは脳幹にある小脳に関係した神経路の障害によって起こり、四肢、あるいき患側上下肢(一般に上肢の方が強い。)に失調がみられるものである。
(3) 全小脳型運動失調
全小脳の障害によるものであり、通常、平衡障害と四肢の協調運動障害がみられる。
(二) 脊髄後索型運動失調
深部感覚の経路である脊髄の後根、後索及び末梢神経の障害によって起こる。深部感覚は位置、動きに関する情報を末梢神経、脊髄の後根、後索を経て中枢に伝達するものであり、開眼時には視覚によって右情報が代償されるため運動失調は目立たないが、閉眼時には障害が明らかに増強し、あるいは出現する。したがって、ロンベルグ試験は陽性となる。
(三) 前庭迷路型運動失調
起立及び歩行に際して平衡機能障害を特徴とし、四肢における個々の随意運動の変化を来さない。ロンベルグ試験は陽性となる。
(四) 大脳型運動失調
前頭葉などの障害により起こる。病巣が片側の場合には、失調は病巣とは反対側の身体に出現するが、小脳性のものに似ている。
二運動失調の検査方法
1 協調運動障害の検査方法としては、指鼻試験、膝踵試験、交互変換試験、膝打ち試験、膝叩き試験などがあり、これらの試験においてジスメトリア(測定障害)、アジアドコキネーシス(変換運動障害)、ミスダイレクション、デコンポジション、ターミナル・トレモール(終末振戦)などの特徴的な徴候がみられるときには、協調運動障害があると診断される。
2 平衡機能障害の検査方法は、起立動作、立位姿勢及び保持、歩行などの観察により行われ、負荷をかけた動作による試験として、片足立ち試験、つま先立ち試験、ロンベルグ試験、マン試験、つぎ足歩行試験などが行われる。これらの負荷試験では自然動作よりもさらにバランスをとることが難しいので、軽い障害をチェックしうる利点がある。
以上の1及び2の各検査方法それ自体については、当事者間に特段の争いがない。
三水俣病にみられる運動失調
どのような症状があれば水俣病と診断できるかについて争いが大きいので、まず水俣病と診断することに争いの少ない患者にどのような形で運動失調の症状が発現しているかについてみる。
1 前記第四節、三の徳臣晴比古の報告では、三四例において、アジアドコキネーシス、書字障害、ボタン止め障害が各93.5パーセント、指々、指鼻試験拙劣が80.6パーセント、ロンベルグ徴候陽性が42.9パーセント、言語障害が88.2パーセント、歩行障害が82.4パーセントなどとこれらの症状が高頻度で発現している。
これに対して、近時の認定患者の所見では、前記認定のとおり、昭和五六年五月から昭和六〇年一二月までに熊本県で認定された患者一七一例について神経症候の分析検討を行った荒木淑郎らの報告[<書証番号略>]によると、各症状出現頻度は別紙三三の表のとおりであって、協調運動障害では、後天性水俣病で、アジアドコキネーシスが一三二例中四九例(三七パーセント)、指鼻試験障害が一三二例中三六例(二七パーセント)、膝踵試験障害が一二九例中九〇例(七〇パーセント)、脛叩き試験障害が一二九例中九七例(七五パーセント)となっている。また、起立歩行障害では、片足起立障害が一一九例中九九例(八三パーセント)、つぎ足歩行障害が一一七例中九七例(八三パーセント)と、両足起立障害(一九パーセント)、普通歩行障害(二六パーセント)に比して高率となっている。このように最近の認定例では、協調運動障害は上肢よりも下肢で障害が目立ち、平衡機能障害(躯幹失調)を反映する起立歩行障害の中では片足起立障害やつぎ足歩行障害を呈するものが多い。荒木らは、前記の昭和五五年六月から昭和五八年三月までに認定された一〇〇例の患者を対象に神経症候の分析検討を行った報告[<書証番号略>]において、水俣病発生当初の昭和三二年から三五年に発症したclassical typeの症例で、約一〇年後と約二〇年後に追跡調査が行われたもの(三〇例のうち、一〇年後には二二例が、二〇年後には一三例が追跡調査されている。)との比較も行っているが、これによると、アジアドコキネーシス、指鼻試験障害などはclassical typeでは極めて高率であるのに対して、近時の認定群においては三〇パーセント前後とかなり低くなっていることが窺われる。荒木らは、「起立歩行障害はclassi-cal typeでは普通歩行障害が約八〇パーセントから一〇年後及び二〇年後には約五〇パーセント程度に減少し、片足起立障害、つぎ足歩行障害は逆に障害が表面化し、九〇から一〇〇パーセントと増加しているが、新認定群でも片足起立やつぎ足歩行障害を中心とする起立歩行障害が六〇パーセント程度に認められた。」とも述べているが、右のうちclassical typeで片足起立障害などが増加しているとする点は、増加といっても一〇パーセント程度であり、症例が一三例と少ないことからほとんど意味をもたないように思われる。
なお、荒木らは、非水銀汚染地区在住高齢者の神経学的所見を検討し(第一〇節、第二、二、5参照)、片足起立障害が20.5パーセント、つぎ足歩行障害が17.9パーセントにみられたことから、水俣病患者にみられるこれらの症状の中に加齢による影響もある可能性が示唆された、と述べている。[<書証番号略>]
2 白川健一は、「水俣病の診断学的追及と治療法の検討」[<書証番号略>]の中で、新潟水俣病について、「軽症例では四肢の運動失調はみとめにくいが、動作は緩慢で単純な反復運動でも一定以上のスピードで行うことができず、運動の開始の遅れ、変換の遅れなどから一定のリズムでの繰り返し運動が行いにくいなどの特徴がある。」とし、ジアドコメーターと心電計を組み合わせて記録した分析や言語分析の結果から、「水俣病の協調運動の緩徐化と障害が症度とも平行することが客観的に示されたが、このほか速度を加えた軌跡撮影法による運動の記録、分析でも、やはり緩徐化のほか速度の不規則化などがみられている。したがって、軽症例では教科書的な小脳性失調症状はないが、このような異常が認められる。」としている。そして、「水俣病の診断に四肢の協調運動障害は必須であろうか。」として、眼科学的に求心性視野狭窄を認めた例のうち昭和四七年から四九年内に数回以上神経学的診察を行った一二八例について小脳症状を検討した成績では、小脳症状のうち交互反復運動異常が50.4パーセントに認められるが、膝踵試験、指鼻試験での異常もそれぞれ30.4パーセント、26.9パーセントと少なく、ロンベルグ徴候陽性も24.7パーセントと少なく、明らかな筋緊張異常も稀であり、視野狭窄を認めるような症例でも明らかな小脳症状を認めないこともかなり多い点を指摘している。
3 三嶋功(水俣市立病院外科)は、水俣病認定患者二五名と一般健康者を対象に手の回内回外、足叩き、拇指屈伸などの交互反復連続運動の検査を行い、その結果を「水俣病の症候に関する研究 第二報―特に運動の緩慢について」(水俣病に関する総合的研究中間報告集第四集、昭和五三年)[<書証番号略>]に報告している。これによると、二五名の患者のうち一般健康者の基準に達したものはわずか一名にすぎず、残りの二五名のうち二〇名は三運動とも基準値以下であり、他の四名も一部のテストでは正常値に達することができなかった。三嶋は、「これによって私は、水俣病ではこの運動緩慢を見逃すことのできない一つの大切な特徴であると考える。また、テストの成績は、中等症ないし重症者に運動のかなり緩慢ないし著しく緩慢の例の多いことを示しているので、水俣病患者の症度とも運動緩慢はよく一致するということができる。」と述べている。
四運動失調と水俣病の診断
1 大勝洋祐・井形昭弘は、「水俣病における失調症」(「最新医学」三一巻二号、昭和五一年二月)[<書証番号略>]の中で、水俣病の失調症を判断する場合にいろいろな困難が伴う理由として、以下の四点を指摘している。①水俣病患者においては純粋に小脳症状のみが抽出されることは少なく、多彩な症状が付け加わっているので、病像が複雑になっている。②水俣病に限らないが、小脳症状の程度はall or noneで出現するものではなく、典型的な失調から無症状のものまで連続しているので、これを小脳失調あり、小脳症状なしと区別することは困難であり、誤りを生じやすい。小脳症状ありと小脳症状なしとの間には、小脳症状があるようでもあり、ないようでもあるようないわゆるボーダーライン層があるからである。③現在の小脳症状の検査法は若干の特異な動作によって判断されるので、その検査法に慣れている人と慣れていない人では小脳症状の有無について判断する上で誤差を生じやすい。例えばラ音を言い慣れている人は失調症が軽度ならばあまり目立たず、逆にまったく言い慣れていない人では小脳症状がなくとも拙劣である。したがって、これらの小脳症状の評価は日常生活における動作の障害度、すなわち、しなれた動作がいかに障害されたかで判断されるべきであるが、実際にはこれを実施することは容易ではない。④心理的要因が加わっている可能性がある。この因子を考慮に入れると神経診断学の体系が瓦解するので、この因子を客観的に冷静に究明する必要がある。この因子については水俣病の認定患者と非認定患者の失調症のパターンの相違、認定患者における認定前と認定後の相違、地域全体での傾向、被検者における各症状の程度の食い違いなどからあるバイヤスをもって修正することは可能であると考える。
大勝らは、心因性の問題に関し、指鼻試験をミスダイレクション、ジスメトリア(測定障害)、デコンポジション、ターミナル・トレモール(終末振戦)、スローに分け、さらにその他にも小脳症状の検査をいくつか組み合わせて行ったときに、多くの水俣病患者ではおのおのの関連の上で一定のパターンを示すはずであり、これらの間に著しい差のあるような例は水俣病パターンからはずれるので心因性と判断せざるを得ないと述べ、また、大勝は証人として、小脳性の協調運動障害において、かなり明瞭な異常が一つの試験だけに出て、他の試験では出ないということも考えにくく、ある程度の症状がある試験で出れば他の試験でも同様に出現するのが通常であると証言する。もっとも、各試験結果の異常が必ずしも同程度に(パラレルに)発現するわけではないことは、大勝も右報告に対する質疑の中で肯定しているところである。
2 大勝が作成した「審査会資料説明書総論」[<書証番号略>]、これに対する批判を含む原告側医師団作成にかかる共同意見書[<書証番号略>]、大勝反論書[<書証番号略>]、原告側医師団作成にかかる「大勝反論書に対する反論」[<書証番号略>]、原田意見書[<書証番号略>]では、運動失調の所見のとり方、病像の理解をめぐり大要次のような議論がされてるいので、これらについて検討する。
(一) 運動の緩慢について
(1) 大勝見解
運動、動作がのろいということだけをもって小脳症状であると判断してはならない。不規則性が小脳症状の中心的な徴候であり、のろいというのは動作の不規則性の一つの表現である。のろいには心因性もあり得るし、パーキンソン病など他の疾患が示唆される。
(2) 原告側医師団見解(共同意見書)
四肢の協調運動障害を診察するにあたって、のろいということは小脳症状の一要素であり、さらに典型的失調症では動作が不規則となり、ハイパーメトリー(測動過大症)やデコンポジション(解体)を呈するのである。のろい(動作緩慢)という所見は、平衡障害の存在とも合わせ、今日の慢性水俣病患者に比較的多く認められる軽度の運動失調(小脳症状)と判定せざるをえない。のろいばかりでなく、不規則で、軽度のデコンポジションを呈する例もかなり存在する。なお、水俣病発見当初の重症水俣病患者及び胎児性水俣病患者に錐体外路症状が認められることや、錐体外路症状を伴う小脳変性症の存在は、水俣病における錐体外路系の障害を完全には否定できず、今後の詳細な臨床病理学的研究に委ねられなければならない。
(3) 原田意見書
水俣病の臨床症状の特徴の一つが小脳性の失調であることは間違いないが、慢性水俣病と呼ばれる患者たちの中で、教科書的な小脳性の運動失調を証明することは難しいことが多い。小脳性の運動失調は、診察の場で確認することが難しい場合、むしろ二つ三つの運動を組み合わせた日常生活の場で見た方が明らかになる場合が多い。単純な診察の場における運動失調のテストだけでは、よほど細かく症状を拾わないと運動失調は拾えないことが多い。そのことがむしろ、慢性水俣病における小脳失調の特徴といえる。最近は、教科書的小脳失調は、むしろ他の小脳変性症によることの方が多い。運動の緩慢さ、ぎこちなさという形で症状がみられる者があり、これは一部小脳性の運動失調が関与しているということもできるが、教科書的にはこれを小脳症状とみることには多少の無理がある。一方水俣病の中枢性の運動障害として、大脳皮質性の錐体路、錐体外路、感覚性などの存在が考えられることから、これらの症状は総合的にとらえる必要があると思われる。
(4) 検討
まず、運動動作がのろい(運動緩慢)ということのみで小脳失調症と診断することができるかについてみると、共同意見書が自らの主張に沿うものとしてその記載を引用した「ベッドサイドの神経の診かた」の著者である田崎義昭(北里大学)は、環境庁環境保健部特殊疾病対策室からの問い合わせに対して、運動動作がのろいということだけをもって小脳失調症と診断するのは誤りであり、運動緩慢は種々の原因で起こり得るので、それのみで小脳障害と診断することはできないと回答している。[<書証番号略>] この点については原告らもこれを認めており、原告側医師団の元倉福雄もまた、証人尋問において、スピードが遅いというだけでは小脳性の運動失調とはいえないのではないかと証言している。
次に、運動緩慢が小脳症状の一つの現象といえるかということについては、これまでみてきたところによれば肯定されるものと思われる。
共同意見書の「のろいことが小脳症状の一要素であり、さらに典型的運動失調症状では動作が不規則となる」との表現は、一般論として、「小脳症状の非典型例では不規則というのは常に発現するとは限らず、動作がのろいだけという症状を呈することもある。」との趣旨を含むものとすれば、のろいというだけでは小脳失調症と診断することはできないということと矛盾するので、適切ではない。典型的なものではないが、なお小脳失調症と診断するためには、のろいというほかにどのような要素が必要なのかを問題としなければならないのである。
本件において問題なのは、水俣病罹患の有無が問題となる患者に、運動失調(協調運動障害)の検査において運動動作の緩慢という形でのみ所見が得られた場合に、これをどのようにみるべきかである。原告側医師団の見解は、論旨が必ずしも明確ではない点もあるが、運動緩慢は他の原因でも起こるが、他の原因の主なものを鑑別することはできるし、平衡機能障害も認められる場合は、これを合わせて軽度の運動失調と判定することができる、というものであると一応解される。検討するに、三嶋や白川の報告から窺われるように、水俣病患者に運動緩慢の例が多いとの事実がみられるとすれば、このような所見を教科書的な小脳症状とみることはできないにしても、それは一つの事実として、水俣病罹患の有無を判断する上で検討に値するものというべきであろう。もっとも白川の報告でも単に緩慢というだけでなく、運動の不規則性が認められているのであって、不規則性ということが小脳症状の中心的徴候であることは確かなのであるから、軽度であっても不規則性がないかということに十分な関心が注がれるべきであるといえよう。そして、運動の不規則性が認められない場合は、認められる場合に比して、運動緩慢が水俣病に起因するものである可能性は相対的に低いと考えられ、その場合には運動失調(協調運動障害)があるということはできないであろうが、水俣病の可能性を判断する上で全く考慮しないことにも問題があろうかと思われる。
原田の見解は、小脳の障害が軽い患者では教科書的な小脳性運動失調を証明することは難しいから、診察の場においても細かく症状を拾うべく注意すべきであるという意味では納得できるが、単純な診察の場における運動失調のテストだけではよほど細かく症状を拾わないと運動失調を拾えないことが多いのを慢性水俣病の運動失調の特徴ととらえるのでは診断において無意味である。日常生活の場で見たほうが明らかになることが多いとの点は、大勝らの前記「水俣病における失調症」でも日常生活における動作の障害度を重視すべきであるとされており、被告らも、「神経内科医は、各検査の状況は当然のことながら、それのみに限らず、精神的緊張のより少ない検査時以外の被検者の状況、例えば衣服の着脱、ボタンかけの状況等、入室時から退出時までの被検者の全行動を注意深く観察し、そこで得られた全情報、すなわち、異常の有無、程度、態様、特徴等を総合して、自らの医学的知見に照らして協調運動障害の有無についての一応の具体的心証を形成し」と述べ、自然動作の観察の重要性を強調しているところである。もっとも、右の見解のうち、原田の見解が、診察の場におけるテストだけでは運動失調を確認できないが、日常生活の場でみれば明らかになるという方向に重点があるのに対して、被告らの主張は、検査の際の異常所見が自然動作においても同じようにみられるかどうか、その間に解離現象がないかどうかの観察が重要であることを強調する趣旨のように思われる。いずれの意味においても、日常生活における自然動作の観察が重要であると思われるのであるが、本訴において個々の原告についての自然動作に関する証拠が提出されているわけではないので(なお、原告浦中フジヨ(原告番号一一六)の検診記録中にこの点と関連する記載がある。)、本訴において原告らの水俣病罹患の有無を判断する上でその点が大きな意味をもつことはない。
(二) 平衡機能障害の所見のとり方
大勝が、「片足立ち、つま前立ち、マン試験、継ぎ足歩行、閉眼直線歩行などの負荷をかけて行う検査で異常がでた場合に、平衡機能の障害であると短絡的に判断をしてはならない。平衡機能の障害のほかにも、他の神経機能の障害、腰椎変形などによっても異常所見は容易に出るということを熟知しておく必要がある。」と述べているのに対して、共同意見書は、短絡的に判断しているのではなく、下肢の麻痺、腰椎々問板ヘルニア、膝関節の腫脹等の存在を十分検討した上で平衡機能を判定している、としている。
右の限りでは両者の主張は対立するものではなく、要するに、片足立ち、つま前立ち、マン試験、つぎ足歩行、閉眼直線歩行などの負荷をかけて行う検査において異常所見がみられたとしても、そうした異常所見は大勝見解や共同意見書で指摘されている平衡機能障害以外の他の原因によっても容易に現れるものであるから、そうした原因によるものとの鑑別が重要であり、異常所見がみられた各原因について、平衡機能障害によるものとする判断と他の原因によるものとする判断のいずれが妥当であるかが重要な問題となってくるのである。
(三) 平衡機能障害と水俣病の診断
(1) 大勝見解
平衡機能障害のみが出現し、協調運動障害を伴っていないという場合は水俣病の小脳障害によるものではない。下肢協調運動障害とつぎ足歩行障害などの平衡機能障害とを同義であるかのごとくに混同して理解してはならず、つぎ足歩行障害などの平衡機能障害が協調運動障害を伴わずに現れている場合に、これをいわゆる水俣病の小脳性運動失調の証明であるなどと誤解してはならない。
(2) 原告側医師団見解(共同意見書)
武内による慢性発症群の病理学的検討により、慢性水俣病患者においては全小脳が均一に障害されているわけではないことが証明されており、小脳病変の軽微なことが多くの軽症水俣病に特徴的な病理所見である。慢性水俣病の小脳障害は軽症例が多く、四肢の協調運動障害も「緩慢でやや拙劣」程度であるが、これを「運動失調なし、小脳失調なし」と判定することは病理学的所見からしても正しくない。
(3) 検討
ア 前記第五節のとおり、武内忠雄・衛藤光明は、水俣病では、一般に新旧小脳区別なく、小脳半球及び虫部の比較的深部中心性の障害が現れると報告しており[<書証番号略>]、生田房弘も新潟水俣病では小脳半球及び虫部がともに障害されると述べているところであって[<書証番号略>]、こうした病理学的所見からすると、水俣病では全小脳型の運動失調、すなわち、平衡機能障害と四肢の協調運動障害の双方がともに現れることが多いと一応は考えられる。共同意見書は、武内・衛藤「水俣病の病理各論」に記述されている二つの症例をあげて(そのうちの一つである症例一一は第五節、一、4、(四)の症例である。)、「慢性水俣病患者においては全小脳が均一に障害されているわけではない。」と述べているが、そのうち症例一一は小脳の所見につき「萎縮は著明ではないが、顕微鏡的に半月小葉の一部および虫部の一部に明らかに顆粒細胞型萎縮があり、きわめて小部分に第三度の障害をみるが、第一〜第二度障害も僅少で、一見不変と思われる部が広範囲に広がっている。したがって、全般的に障害は極めて軽度で、部位によりいわゆるapical scar formationをみる。小脳核の神経細胞は不変である。」と述べられており、半月小葉の一部と虫部の一部に顆粒細胞型萎縮があるというのであるから、水俣病においては平衡機能障害と協調運動障害がともに現れるとの大勝見解と矛盾しているわけではない。第五節、一、4、(一)の武内ら「軽症水俣病小脳病変の程度と分布」[<書証番号略>]では、前記のとおり、「軽症例でも定型的小脳病変と本質的に変わりはないが、小脳上に表現されるその程度と分布には従来の報告例とは著しい相違がある、検索一五例全例に小脳病変が存在したが、同じ第一度であっても、その中に程度の差と分布差があり一様ではない、プルキンエ細胞層直下の極めて狭い層の顆粒細胞の脱落とそれに伴うグリア増加とくにグリア線維の増加がみられる、このような微小所見は小脳の全域にあるのではなく、主に小脳中心性に存在するが、必ずしも一定ではなく、variantsがある、小脳の虫部小節・虫部垂及び片葉検索例では病変を発見しやすく、小葉では内側面に障害が起こりやすいが必ずしも一定しているわけではなく、variantsが多い」などとされており、武内・衛藤「水俣病の軽症例にみられる病理学的変化とその水銀組織化学について」[<書証番号略>]でも、「小脳病変の中心性発現傾向は依然として存在し、よく観察すると虫部、葉部ともにかなり広範にわたってみられる。」と述べられているのであって、病変が小脳全域にあるのではないという意味においては全小脳が均一に障害されているわけではないということがいえるが、小脳半球及び虫部がともに障害されていることがやはり多いのである。したがって、こうしたら武内らの病理学的所見からすると、水俣病では全小脳型の運動失調、すなわち、平衡機能障害と四肢の協調運動障害の双方がともに現れることが多いと一応は考えられるのであり、武内らの病理学的所見が原告側医師団の見解を裏付けるものではあるとはいい難い。
もっとも、軽症例においては、小脳障害が軽微で武内らの分類でいう病変の程度が第一度であり、しかも同じ第一度でもその中に程度の差があるということ、剖検によって認定された例が生前の検診でどのように運動失調の所見がとられていたかについてみても、「水俣病の軽症例にみられる病理学的変化とその水銀組織化学について」[<書証番号略>]での報告によると、生前認定例二例と剖検による認定例一〇例の一二例中で六例に運動失調の所見がみとめられていたにすぎず、三例は検定できず不明、三例は陰性とされていたことなどからしても、小脳障害が軽微な軽症例においては失調症状が不明瞭となるものが多く、その判断が困難になっていることも明らかであり、近時における認定例の分析からもそうしたことがいえよう。
イ 五二年判断条件の症候の組合せは、運動失調については、「感覚障害があり、かつ、運動失調が認められること」のほか、「感覚障害があり、運動失調が疑われ、かつ平衡機能障害あるいは両側性の求心性視野狭窄が認められること」、「感覚障害があり、運動失調が疑われ、かつ、その他の症候の組合せがあることから、有機水銀の影響によるものであると判断される場合であること」をあげており、五二年判断条件では、協調運動障害という意味における運動失調が疑われる程度であっても、平衡機能障害や両側性の求心性視野狭窄あるいはその他の症候の組合せがあれば水俣病と判断することにしているが、運動失調が疑われるともいえない場合には、原則としては水俣病と判断されないことになる。軽症例においては協調運動障害の所見を把握しにくくなっているとの検討結果からすれば、運動失調(協調運動障害)についてはこれが「疑われる」程度であっても有意のものとしていることは妥当といえようが、どの程度の症状をもって運動失調が「疑わしい」とみるべきか、運動の緩慢といったかたちで症状がみられる場合についても「疑わしい」とみるべきかが問題である。
また、運動失調が「疑わしい」ともいえない場合には、平衡機能障害があっても原則として水俣病と判断されないことが妥当かどうかも問題となる。病理学的所見からすれば、平衡機能障害のみが認められ、協調運動障害が認められない場合と、その両方が認められる場合とでは、水俣病の可能性の程度に違いがあるとはいえようが、協調運動障害が認められないということから水俣病と診断し得ないといえるかが問題となる。
椿忠雄は、「新潟水俣病の症候と診断」(水俣病に関する総合的研究(昭和五九年度環境庁公害防止等調査研究委託費による報告書)、昭和六〇年三月)[<書証番号略>]において、五二年判断条件が出されたことにより診断が厳しくなったのではないかとの指摘があることから、五二年判断条件の前後における診断の差ということについて検討している。これによると、昭和四九年一〇月から一一月の審査会で「水俣病を否定しえない」以上の診断をされた四七名について、五二年判断条件の下では水俣病と診断され得ない例がないかと探したところ、四肢感覚障害(+)、運動失調(−)、平衡機能障害(+)で水俣病と診断された例が九例あったという。そして、昭和五三年一月から昭和五九年七月の審査会で審査された申請者のうち、同じような症状がありながら水俣病と診断されなかった例がないかどうかを探したところ、四肢感覚障害(+)、運動失調(−)、平衡機能障害(±〜+)で、水俣病と診断されなかったものが六例あったという。椿は、前者の九例には、口周囲感覚障害(+)、滑動性追従運動障害(+)のものが多く、後者の六例とは明らかにレベルが違っていたとしている。椿のこの指摘は、後者の六例は仮に五二年判断条件が出される前であったとしても水俣病を否定し得ないと診断されなかったであろうという意味においては了解できるが、前者の九例は五二年判断条件が出される前には運動失調が(−)でも総合的にみて水俣病を否定し得ないと判断されたのに、五二年判断条件の下では原則的には水俣病と判断され得なくなってしまうのではないかという問題があることには変わりない。五二年判断条件の示している症候の組合せは、これ以外の組合せのものを水俣病と認定する余地を全く否定する趣旨ではないであろうが、右のように、運動失調(−)、平衡機能障害(+)でも総合的にみて水俣病を否定し得ないと診断された症例があり、その判断を現時点で改めるだけの理由がないとすれば、五二年判断条件が、運動失調が疑わしいともいえない場合には平衡機能障害があっても原則的には水俣病と判断されないこととしていることには、検討すべき余地があるとも思われる。
椿はまた、昭和五五年から五九年までの間の審査例では運動失調と平衡機能障害との間に相関が認められないが、初期の例ではこの両者にある程度の相関があったし、脊髄小脳変性症でも相関が認められ、これが認められないことは器質的神経疾患としては説明が困難である、とも述べている。椿が、器質的神経疾患としては説明が困難であるという趣旨は、心因的な要因の関与を示唆するものと受け取られ、確かにそうした観点からの検討も必要となってくると思われるが、水俣病が前例のない環境汚染による集団中毒であることからすれば、既存の論理では説明のつきにくい事実が生じているのではないかとの観点もまた必要であり、更に事実を積み重ねることによって器質的神経疾患として説明がつかないものなのかどうかを慎重に検証することが必要であろう。
(四) ロンベルグ徴候について
被検者を両足つま先の間を閉じて起立させ、閉眼させたときの身体の動揺をみるロンベルグ徴候についても、議論の応酬がされているが、その議論自体は、本訴において原告らの水俣病罹患を判断する上で必ずしも重要ではないと思われるので、特に検討結果をここに示すことはしない。ところで、被告らは、ロンベルグ徴候陽性という所見は水俣病にみられる小脳病変を窺わせるものではないと主張している。一般に、小脳性の運動失調では閉眼しても著明な変化はなく、ロンベルグ徴候は陰性になるとされており、ロンベルグ徴候陽性の所見は脊髄後索型、前庭迷路型の運動失調でみられることが多いとされているが、ロンベルグ徴候陽性の所見は水俣病患者にかなりの頻度でみられており(徳臣の初期の三四例の症状発現頻度の調査[<書証番号略>]では42.9パーセント、荒木らの近時の認定例の調査では後天性水俣病一二五例中三九例で三一パーセントとなっている[<書証番号略>]など。)、武内らは、病理学的見地から、ロンベルグ徴候陽性の失調は知覚系脊髄小脳路の二次的障害に由来するであろうと述べている。そうすると、ロンベルグ徴候陽性の所見が水俣病にみられる小脳病変を窺わせるものではないとは必ずしもいえないのではないかと思われるが、問題は特に軽症例で他に小脳障害を示唆するような所見がない場合に、ロンベルグ徴候陽性の所見を積極的に水俣病を示唆する所見とみることができるかどうかということであろうと思われる。
第三求心性視野狭窄
【証拠】 <書証番号略>、証人大勝洋祐、同元倉福雄の各証言
一水俣病による視野障害
1 水俣病にみられる視野の異常は、周辺部の視野が障害される求心性視野狭窄である。視野狭窄と平行して出現するのが視野の沈下である。透光体、網膜に異常のない水俣病にみられる沈下は全イソプターが均等に狭くなる傾向があり、他の眼疾患のように部分的沈下を示すことはない。
2 なぜこのような視野狭窄が起こるのかということについては、視野の中心と周辺が後頭葉中枢に占める広さは、前者が後者の数百倍大きいため、仮にびまん性の障害が中枢に起こっても視野の中心部が生き残ることになり、臨床的に周辺狭窄を来すことになると説明されている。
水俣病の病理学的所見については、前記第五節でみたところであるが、後頭葉の視中枢である鳥距野の障害が強い。鳥距野の前方は対側視野の周辺部、鳥距野後方は視野の中心部に相当する。審査会資料説明書総論[<書証番号略>]は、「水俣病においては、両側鳥距野の前方ほど強く障害され、しかも両側同程度である。したがって、両側視野の同程度の狭窄が起こってくることが理解される。」と説明しており、このような説明は、筒井純「水俣病の眼科学的所見について」(有馬編・水俣病―二〇年の研究と今日の課題)[<書証番号略>]にもみられるところである。ただし、第五節でもみたように、武内・衛藤「水俣病の病理総論」では、鳥距野の障害は前方優位の障害が強調されてきたが、必ずしもそうではないと記述されており、新潟大学の生田も、新潟地方裁判所における証人尋問において、水俣病では鳥距野前方の障害が強いので視野狭窄が起こると説明されることが多いので、その点に注意しながら剖検例を検討してきたが、鳥距野前方と後方の障害にそれほど差は認められないと証言している[<書証番号略>]。
審査会資料説明書総論では、「周辺視野が正常で沈下現象のみ認められる視野障害は、後頭葉の解剖学的所見並びに水俣病の病理学的所見より、水俣病の視野障害としては重視されない。」との見解が述べられている。右のいう後頭葉の解剖学的所見とは前記のような所見の意味と理解され、水俣病の病理学的所見については右のとおり必ずしも鳥距野の前方優位の障害とはいえないとする報告があるものの、水俣病では周辺視野が正常で沈下現象のみ認められるという形の視野障害は起こりにくいということはいえるものと考えられる。
3 水俣病で中心視力が低下する例は、視中枢が高度に障害された重症例に限られ、視野狭窄との並行性は全くない。視野狭窄が著しくても中心視力は末期まで保たれることが特徴である。したがって、障害が軽度なのに視力の低下するものは水俣病ではない他原因が考えられる。
二視野の測定について
視野検査については、被検者が同一であっても、測定の仕方によって測定結果に相違が生じることがあるといわれている。
共同意見書には、眼科的検査を行うにあたって留意した点として、固視が保たれているのかの監視を充分に行ったこと、自覚的な検査なので答を誘導するような検者の態度は慎んだこと、被検者の疲労による影響を除くため、必要に応じて休憩を取らせたこと、などのいくつかの点が記載されており、それ自体は妥当なものと思われる。
審査会資料説明書総論では、視野検査の場合、測定点の検出は必ずしも容易でない症例がめずらしくなく、眼科学に精通した者とそうでない者との間に検査成績に差異のある場合がしばしばみられるため、視野検査は専門医師の管理のもとに施行されるのが望ましい、との見解が述べられており、検診医である園田輝雄医師は、昭和五一年九月一〇日に開かれた公害健康被害補償不服審査会において、参考人としてこのような点を強調する供述をしている。[<書証番号略>]
新潟水俣病における神経眼科的所見について調査検討した新潟大学の岩田和雄は、「眼科領域における研究」(有馬編・水俣病―二〇年の研究と今日の課題)[<書証番号略>]において、視野検査にあたって注意したこととして、「特に注意したことは、①各イソプターの再現性の確認、②再現性の疑わしいものは日を改め、器械を替えて何回か検査する、③患者の理解が十分になるまで練習する、ということであった。このためには、単なる検査技手は使用せず、熟練した眼科専門医四人が専属的に検査したことはその信頼性において高く評価されねばなるまい。」と述べ、また、視野検査について、「故意に成績を変えうるし、故意でなくても知識、認識、判断等に影響するすべての因子が視野を変えうる。眼科領域で、例えば緑内症のごとく、己れの視野が病状と予後を決めるものでは、きわめて積極的に協力し、他覚的検査に近いほど再現性のよいデータを得ることができる。水俣病のごとく、検者側の理由で測定するような性格のものでは、きわめてしばしば奇妙なデータが得られる。私どもの測定者を四人のエキスパートに限定したのもこのような理由に基づいている。」と述べている。
このようにみてくると、視野検査は自覚的な検査であり、また、水俣病では視野検査の結果が病状の判断や治療に直接結び付くものでないこともあって、再現性のある検査成績を得ることは決して容易なことではなく、検者によって検査成績にしばしば差異が生じることがあることが窺われる。
三眼球運動異常について
ここで、水俣病における眼球運動異常についてみておくこととする。
水俣病における眼球運動異常のパターンの一つは、比較的緩やかな視標追従運動(滑動性追従運動)において、なめらかでない跳躍運動が多数混入するというものである。この種の眼球運動異常の出現率は、筒井「水俣病の眼科学的所見について」では「定型的な重症例が多数を占める群では二五例中二三例にみられ、軽症者を含めた群では八〇パーセントに出現しいてる。知覚障害と軽度の失調しか現れていない水俣病では、視野狭窄も眼球運動異常もみられない。このような症例は新潟水俣病に多い。」と述べられている。新潟水俣病については、岩田「眼科研究」では、「重症患者では異常が高率に出現し、両眼の分離運動がみられたりする。軽症例では異常が少なく、視野狭窄例の二七パーセント、視野正常例の一一パーセントに歯車型、失調型の異常がみられた。」と述べられている。
もう一つの眼球運動異常のパターンは眼前の左右二点間を交互に固視するときの衝動性眼球運動の異常である。出現率は、筒井「水俣病の眼科学的所見について」では、小脳症状の著明な群では約五〇パーセント、小脳症状が著明でない群には三〇パーセントにみられる、と述べられている。岩田「眼科研究」では、「二三パーセントの例にdysmetry, flatter like occillationがみられた。異常頻度が軽症例で少なく、また正常高齢者で異常を示すものが多いので注意を要する。」と述べられている。
水俣病では、以上二種類の眼球運動異常の軌跡は両眼平行した乱れであるのが普通である。極めて重症例や、中脳付近に脳の血管障害などの併発症がある場合に平行のずれが生じることがある。
第四難聴
【証拠】 <書証番号略>
一難聴の種類・程度・検査方法
1 難聴は、聴覚機構のどこの障害によるものであるかによって、伝音性難聴、感音性難聴、混合性難聴に大きく分類される。伝音性難聴は伝音系、特に外耳・中耳の障害によって起こる難聴であり、感音性難聴は感音系すなわち内耳から大脳皮質に至る部位のどこかに器質的障害があると考えられる難聴である。混合性難聴は伝音例、感音系の両者の障害があると考えられる難聴である。さらに、感音性難聴は内耳性難聴と後迷路性難聴に細分される。内耳性難聴は主としてラセン器の有毛細胞を中心とする病変によるもので、後迷路性難聴は蝸牛神経及びそれより中枢部分の病変による難聴である。後迷路性難聴がさらに中枢神経性難聴と末梢神経性難聴(第八神経根性難聴)に分けられ、中枢神経性難聴がさらに皮質性難聴と脳幹性難聴に細分されることもある。
2 一般に、難聴を自覚するのは五〇〇ヘルツから二〇〇〇ヘルツのいわゆる主要言語聴取領域の聴力が低下するようになってからである。平均聴力レベル(五〇〇ヘルツ、一〇〇〇ヘルツ、二〇〇〇ヘルツ四分法平均)が二五デシベル以上になると小さな声の会話の聞き取りが悪くなり、四〇デシベル以上になると普通の大きさの対話にも支障をきたし、五五デシベル以上になると大きな声の聴取が困難になる。
3 聴力は老齢とともに低下する。別紙三八の図は各年令層一般健常人における平均オージオグラムであるが(立木孝「聴力障害」(「老年精神医学」三巻二号、昭和六一年))[<書証番号略>]、個人差は著しい。ちなみに、右図から各年代のおおよその平均聴力レベルを算出してみると、四分法では、五〇〜五四歳では六デシベル前後、五五〜五九歳では七デシベル前後、六〇〜六四歳では一四デシベル前後、六五〜六九歳では一六デシベル前後、七〇〜七四歳では二五デシベル前後、七五〜七九歳では三〇デシベル前後となり、六分法では、五〇〜五四歳では六デシベル前後、五五〜五九歳では九デシベル前後、六〇〜六四歳では一六デシベル前後、六五〜六九歳では一九デシベル前後、七〇〜七四歳では二九デシベル前後、七五〜七九歳では三五デシベル前後となる。
4 気導聴力検査は、純音を検査音として、気導あるいは骨導により、一側の耳ごとの聴力損失を測定する目的で行われ、この検査により、伝音性難聴と感音性難聴が区別される。気導聴力は伝音系(外耳、中耳)、感音系(内耳、中枢)を含めた総合聴力を示し、骨導聴力は感音系のみの聴力を示すので、両者の聴力損失度の関係から、どこに障害があるのかの判定が可能である(両者の差を気導骨導差air-bone gapという。)。すなわち、伝音性難聴では、骨導聴力は正常で、気導骨導差があり、感音性難聴では骨導聴力が低下し、気導骨導差がなく、混合性難聴では、骨導聴力が低下し、気導骨導差がある。
5 自記オージオメーターは、音の周波数と強さが自動的に変化して記録されるもので、可聴閾値の最大値と最小値が谷と山の鋸歯状曲線としてい自動的に記録紙上に描記される。検査音に持続音を用いた場合と断続音を用いた場合、難聴の種類による両者の鋸歯状曲線のパターンが異なってくるので、これを利用して難聴型の区別が可能である。ジャガーの分類による鑑別診断は次のとおりである。
Ⅰ型 持続音、断続音の軌跡は重複している。振幅は一〇デシベル程度。正常または伝音性難聴と診断される。
Ⅱ型 一〇〇〇ヘルツまでの低音域では断続音と持続音の軌跡は重複しているが、高音域では持続音の軌跡は下方に落ち、振幅も減少する(補充現象陽性)。内耳性難聴と診断される。
Ⅲ型 断続音の軌跡は純音オージオグラムと同じであるが、持続音の軌跡は低音域から落ち、高音になるに従い急速に落下する(TTS陽性)。後迷路性難聴と診断される。
Ⅳ型 全周波数にわたり持続音軌跡は断続音軌跡の下に低下する。後迷路性難聴と診断される。
Ⅱ型の説明中の補充現象recruit-ment phenomenonとは、聴覚の閾値は悪化しているのに、一旦音が聞こえはじめると閾値以上の音には敏感になるという現象である。この現象は内耳障害に特有のものといわれており、感音性難聴のうちの内耳性と後迷路性との鑑別に役立つものである。
6 感音性難聴のなかには、既往歴や現病歴の精密な問診調査、その他の所見や検査成績の分析によっても、どうしても原因と思われる要素を見いだすことのできない原因不明のものが多い。このような症例は、多数の感音性難聴のなかにときとして見いだされるというものではなく、感音性難聴のなかのかなりの率を占めて存在しており、文献に報告されている感音性難聴の原因統計を調査してみると、ほとんどの統計において原因不明例はそのほぼ半数を占めている。
この種の症例の大多数は長い間の経過観察にもかかわらず、目立った変化を示さず、ほとんどの場合両側性で、しかも左右対称性のものが少なくない。オージオグラムは高音障害漸傾型、軽度から中等度のものが多く、障害部位は内耳である。高年期の原因不明感音性難聴は老人性変化と何らかの関係があるものと推察されている。これらの症例では、耳鳴りを訴える場合と訴えない場合があるが、めまいは原則として訴えない。
二水俣病にみられる難聴
水俣病にみられる難聴は、主として後迷路性難聴であり、病理所見との対応としては、聴覚中枢である大脳側頭葉の横側頭回の皮質神経細胞の障害には起因するものと考えられている。なお、猪初男ら「耳鼻咽喉科領域からみた水俣病」(有馬編・水俣病―二〇年の研究と今日の課題、昭和五四年一月)[<書証番号略>]では、熊本水俣病でも新潟水俣病でも一部の症例に聴覚の補充現象陽性例が検出されていることから、内耳性難聴の出現も全く否定することはできない、と述べられている。
純音聴力検査のオージオグラムでは、初期の患者で全音域が平均して悪化している水平型が最も多く、高音部の聴力が悪化している高音斜降型がそれに次ぐとの報告(野坂保次「水俣病における聴力、前庭機能、嗅覚および味覚の障害」(熊本大学医学部水俣病研究班・水俣病―有機水銀中毒に関する研究、昭和四一年三月))[<書証番号略>]や新潟水俣病患者で高音斜降型が最も多く、水平型がそれに次いで多いとする報告(猪ら「耳鼻咽喉科領域からみた水俣病」)などがある。自記オージオメーターによる検査所見では、新潟水俣病患者一四四例について自記オージオメーターによって聴力検査を行ったところ、ジャガーの分類のⅢ型やⅣ型など後迷路性難聴を示す症例が三一例にみられたとの報告(猪ら「耳鼻咽喉科領域からみた水俣病」)などがある。
皮質性難聴では純音聴力が低下しないにもかかわらず、語音弁別能力が著しく低下する現象がみられることがあるが、水俣病でも、語音聴力検査において、音としては聞こえても、言葉として理解できない現象が多くみられる。
第八節水俣病のその他の症状について
【証拠】 <書証番号略>
水俣病のその他の神経症状の主なものとして、味覚、嗅覚障害、振戦、筋力低下について簡単にみておくこととする。これらの症状も水俣病に特異的なものではなく、姿勢(体位)振戦、筋力低下などが高齢者で発現することは稀ではないから[<書証番号略>]、水俣病の診断に当たっては、他の所見と合わせて総合的に判断することとなる。
一味覚、嗅覚障害
水俣病により味覚、嗅覚障害が生じることが報告されている。その原因については、一般に中枢性病変によるものと考えられているが、メチル塩化水銀をシロネズミに投与した実験結果によれば、メチル水銀は味覚受容器である味蕾に障害を及ぼすことも確認されている。[<書証番号略>] 一般に、味覚障害と嗅覚障害は順相関を示しており、嗅覚皮質中枢が海馬旁回及び海馬の前部に局在し、皮質の味覚中枢と隣接しているので、両者が合併するものと推察されている。[<書証番号略>]
二振戦
1 振戦は、身体の一部あるいは全身のふるえであり、規則的な時間間隔で繰り返されるあらゆる型の動きなどと定義される。振戦は、生理的振戦と異常振戦とにわけられる。異常振戦は発現の状況により、安静状態で現れる静止振戦、一定の肢位を保持したときに発現する姿勢振戦、動作中に現れる動作振戦に大別される。そのほかに、目標に向かって手を動かすとき動作中に振戦が出現し、目標に近づくにつれて振幅が大きくなり、目標に到達してそこで手を止めても振戦が引き続いてみられるという企図振戦(終末振戦)があり、これは小脳失調症の一つの要素とされており、水俣病を示唆する所見の一つと考えられている。
2 前記第四節、一一の最近の認定患者の神経症候についての荒木らの報告によると、別紙三三の表のとおり、後天性水俣病一三二例中企図振戦が二〇例(一五パーセント)、体位振戦が三九例(二九パーセント)、静止時振戦が一五例(一一パーセント)に認められている。[<書証番号略>]
三筋力低下
水俣病患者に筋力低下がみられることが少なくないことが指摘されており、前記荒木らの報告によると、後天性水俣病一三二例中筋力低下が三六例(二七パーセント)に認められている。
第二いわゆる全身病説について
【証拠】 <書証番号略>、証人白木博次、同武内忠雄の各証言
一原告らは、水俣病が神経疾患であることは当然であるが、全身性にも症状が発現していると考えられ、慢性水俣病患者の多くが、肝障害や胃障害、高血圧、心臓疾患などに悩まされているが、それは単に合併症としてすまされないものであって、水俣病をメチル水銀による全身病としてとらえることが必要であるとか、水俣病患者には血管障害、高血圧、腎臓障害、肝臓障害、すい臓障害、糖尿病など多彩な症状がみられるが、これらの症状をメチル水銀とは関係のない症状だとして切り捨ててしまうべきではなく、メチル水銀の影響の可能性も十分に考えられると主張している。本訴においては、原告らに、血管障害、高血圧、糖尿病などの症状が現れていた場合、第一に、神経症状以外にこうした全身性の症状があることを原告らの水俣病罹患の可能性を判断する上で、それを肯定する方向で考慮することができるかどうか、第二に、原告らが水俣病に罹患していると認められた場合に、その損害の判断においてそれらの症状によるものも損害に含まれるかどうかが問題となる。そこで、これについての判断に必要と思われる範囲で、原告らの前記主張について検討する。
二白木博次は、水俣病を単に神経系の疾患としてのみとらえるだけでは不十分であり、全身病、特に全身の血管系損傷としてとらえていく視点が必要であると強調している。
白木説の骨子は、次のようなものである(白木博次「水俣病をはじめとする有機水銀中毒症の神経病理学」(有馬編・水俣病―二〇年の研究と今日の課題)[<書証番号略>]、「水俣病の医学的検討―全身病、特に全身の血管損傷と関連して―」(「公害研究」一三巻一号、昭和五八年七月)[<書証番号略>]、証人白木博次の証言)。
① 昭和三〇年、三一年に発病した幼少児四例(死亡時四歳五か月から八歳一か月、発病から死亡までの期間は最も短いもので二六日、最も長いもので四年七日)と昭和四〇年に二八歳で発病し九八日後に死亡した新潟水俣病の若年性成人一例の合計五例の水俣病患者の剖検例では、幼少児の全例に、脳動脈に結合織性の内膜肥厚(同心円性内膜肥厚)が必発しており、急性例では局所性かつその程度が軽いが、慢性例になると、より著明かつ多発していく傾向が明らかである。この種の血管病変は初老期以降に好発する脳動脈硬化症の典型像とはいささか趣を異にすることは確かであるが、この種の血管病変は、健康な対照例の幼少児にはまず見いだされない以上、それは明らかに異常であり、メチル水銀中毒と密接な関連性があることを強く示唆している。この種の血管病変は、脳の破壊や萎縮が高度であれば、二次性に発展する可能性も考えられなくはないが、白木が三〇年にわたって経験した多数の脳の剖検例においては、この種の血管病変をほとんどみていない。また、近時はコレステロールを多く含む食物の摂食が増えるなどの食生活の変化により子供の栄養状態も変わってきているので、一〇歳以下の子供であっても場合によってはこの種の同心円性内膜肥厚が生じることもあり得るかもしれないが、水俣病発生当時の子供にこのような内膜肥厚が生じることは考えられない。前記新潟水俣病の若年性成人の剖検例でも、幼少児例同様、同心円性内膜肥厚がみられた。
② 五歳で発病し、二三歳で死亡した女子の剖検例では、大脳皮質、大脳白質、小脳の総水銀値は高値で、腎臓の総水銀量も5.4ppmと高値であった。武内、衛藤らは、「急性発症の小児水俣病長期経過の一剖検例」(「神経進歩」二〇巻三号、昭和五一年六月)[<書証番号略>]の中で、「一般臓器では、本例は二三歳にかかわらず、かなり著明な動脈硬化症が認められ、大動脈のみならず、脳及び一般臓器の中小動脈にも存在する。」と報告しており、大動脈にはコレステロール沈着を伴う典型的動脈硬化症がみられている。
③ ハンター・ラッセルが一九五四年(昭和二九年)に報告したメチル水銀の一剖検例(第四節、二参照)[<書証番号略>]は、二三歳で発病し、一五年後に死亡した例であるが、その間約一〇年後から高血圧症を示し、死因は、心筋障害による心不全とそれに由来する肺や脳の新鮮な血栓症であった。
白木が、本例の脳標本を検索したところ、大脳皮質のクモ膜腔内のかなりの数の小動脈に軽度ながら内膜肥厚が見いだされ、同様の所見は大口径の脳底動脈にも発展している。
冠動脈にはアテローム変性が明らかであり、死亡数週間前に生じた肺炎によって、もともと冠動脈硬化症によっておかされていた心臓が急速にその機能不全に陥ったため、新鮮な血栓が形成され、それが脳にも波及し、それらが死の直接の原因につながったものと判断され、大脳皮質に広範に分布する極めて新鮮な断血性または浮腫病変の合併は、このように末期に生じた心不全と、それに起因する新鮮な脳血栓に関連する断血性の意味での脳血行性障害によるものといえる。
臨床的には腎臓の機能障害は明らかではなかったが、剖検してみると、腎皮質の細小動脈は脂肪性、硝子性に変化し、それに関連して、中等度かつ局所性の断血性萎縮腎の病理像が確認されている。
本例における高血圧症、冠動脈硬化症による心筋障害、細動脈性・硬化性腎萎縮症などの存在は、若年性発症ゆえに、それ自体明らかに異常であり。さらに脳以外の臓器の血管系では、脳病変に遅れてその病変が発展した可能性を示唆している。
④ 疥癬にメチル水銀チオアセトアミドを含む軟膏を五か月間塗布したために生じた皮膚経由性メチル水銀中毒の一剖検例(一八歳で発病、一九歳で死亡)には、大脳皮質のクモ膜下腔内の大小口径の脳動脈に、広範かつバラエティに富む硬化性病変が多発し、血管腔は著しく狭まり、脳血行が悪化していたことが認められた。
⑤ 死亡時年齢が二九歳から六一歳、発病から死亡までの期間が一九日から一〇〇日の範囲内に属する急性・亜急性水俣病一一例の剖検例のうち四例の脳動脈の中小動脈に同心円内膜肥厚が見いだされた。しかし、この種の血管病変の頻度は、それほど高くはない。これは、本群がいずれも急性期から亜急性期に属していたためと考えられる。
⑥ 武内らが報告した、死亡時年齢が六三歳から八八歳、発病から死亡までの期間が8.8年から18年という慢性期かつ老年期の水俣病一〇剖検例中の八例に主として大口径に属する脳動脈にアテローム変性などの硬化性病変がみられた。また、神経系以外の臓器の血管系病変とそれに基づく組織病変が多数例に存在していた。
⑦ もっとも、⑥の群にみられる脳動脈硬化像は、老齢因子による脳動脈硬化像と本質的な差はないが、前者の場合の頻度があまりに多数にみられることから、成年期以降の水俣病の脳動脈硬化症の発展に対して、メチル水銀が何らかの意味で重要な役割を果した可能性を否定できない。ただし、決定的な結論は同年齢における対照例との厳密な比較検討なしには獲得できないのも確かである。
しかし、①のとおり、幼少児や若年者の有機水銀中毒症の脳動脈の硬化症が必発に近く、したがって、それは明らかにメチルまたはエチル水銀中毒症と密接に関連する以上、成年期以降の脳動脈硬化症に対しても、それをそのまま反映した可能性は極めて大きい。
もっとも、①、③の脳動脈病変には、この慢性期かつ老年期の水俣病剖検例群と違いアテローム変性は見いだされていない。この差が、発病時の年齢層の違いか、経過年数の違いか、現時点では何ともいえないが、両群ともこの種の血管病変によって血管腔が狭められ、脳への流入性の血行障害を招き、脳病変の二次的拡大化や重畳性を来したことには変わりはない。同心円性内膜肥厚というものは、動脈硬化症の一つの初期の病変を示しているのではないが、②の例のように、時間の経過とともにそこにアテローム変性という典型的なものが起こってくるということも考えられる。
⑧ 白木が行った標識塩化エチル水銀によるサルの全身オートラジオグラムの所見をみると、エチル水銀は、大動脈管壁の特に筋層に、心筋ともども、その多量が侵入し、遷延性に残留している所見が得られた。この事実が、機能的な意味での全身の循環障害を招き、それは脳のみならず、他の臓器や組織の血行障害にも当然反映された可能性が考えられる。その可能性は、③のハンター・ラッセルの一剖検例に、冠動脈硬化症とそれに基づく断血性の心筋障害、細小動脈硬化症の萎縮腎がみられていることにも示されている。
⑨ ⑧のようなメチル水銀の血管系に対する直接的影響とともに、メチル水銀によって全身性の代謝異常が引き起こされ、これによって血管系のこの種の病変が発展した可能性も考えられる。
サルの全身オートラジオグラム所見によると、標識塩化エチル水銀の相当量が膵臓に侵入する上、その残留性も高いという所見があること、ウサギに標識塩化エチル水銀を投与した若月俊一医師の実験によると、死亡前のウサギのほぼ全例に、血清の総コレステロール値と飢餓時の血糖値の異常な上昇が生じていること、1.6年から13年経過した胎児性水俣病及び小児水俣病六例に、膵臓ランゲルハンス島(以下「膵島」ともいう。)の減少、消失、島細胞の減数、再生肥大、瘢痕化などが見いだされたとする重永孝治らの報告があることなどからすると、その機序の詳細は不明であるが、有機水銀はインシュリンの生産を押さえ、一過性にせよ、また連続性にせよ、糖尿病を発展した可能性も推測に難くない。とすれば、この種の全身性の代謝異常の側面も、脳を含む全身の血管系の動脈硬化症の成立に当たってある種の役割を演じた可能性がある。
⑩ ⑧、⑨のとおり、脳とそれ以外の血管系の病変の成立には、血管壁へのアルキル水銀の直達効果と、また同じ水銀によって惹起された全身性の代謝異常の双方が、そこに重畳された可能性が考慮されなければならない以上、ヒトの有機水銀中毒症は全身性にとらえていかないと、その全貌を的確に把握することはできない。
三その他に、水俣病により全身性の症状が生じることを示唆するものとして、次のような報告がある。
1 熊大二次研究班の立津政順らは、水俣地区の水俣病患者の高血圧の頻度は49.81±3.01パーセントであり、四〇歳以上の水俣病患者は男一〇二人、女一一二人の計二一四人であるが、この中の高血圧症例は一二九人で60.28±3.35パーセントであり、これに対して、沖縄県平安座島における四〇歳以上の住民七六六人(うち男が二九八人)中の高血圧症例は二三八人で31.07±1.67パーセントであり、水俣地区水俣病患者と平安座島住民における高血圧の頻度の差は有意であるとし、有機水銀は「高血圧・心臓―血管障害、血行障害に基づく発作性ならびに神経症状の原因ともなりうるであろうという結果が得られた。」としている。立津らは、また、水俣地区住民にはGOT(グルタミン酸オキザロ酢酸トランスアミナーゼ)、GPT(グルタミン酢ビルビン酸トランスアミナーゼ)の陽性率が高いことを報告し、肝機能障害も有機水銀中毒の症状として現れることがあり得るものと考えられる、としている(「一〇年後の水俣病に関する疫学的、臨床医学的ならびに病理学的研究」(第二年度)、昭和四八年三月)[<書証番号略>]。
2 白木も引用しているが(二、⑨)、重永孝治らは、胎児性水俣病及び小児水俣病六剖検例に膵島の減少消失、島細胞の減数が認められ、膵島の障害が認められたこと、膵島障害に伴う再生肥大もあって、膵島の大小不同が著しく、また、瘢痕化を伴うものがあることを報告し、膵島の破壊があっても、その再生肥大があって、機能が保存されることが考えられるが、十分に再生し得ないものが、血糖の上昇を将来し、さらに尿糖へと発展するものと思われ、膵島病変が先行し、その病変の強いもののみが糖尿病を将来することは恐らく間違いないとの見方を示している(重永ら「水俣病剖検例にみられる膵島の病変について」(「熊本医学会雑誌」四八巻二号)[<書証番号略>])。
四しかし、以上のような所説、報告等に対しては、次のような問題点が認められる。
1 白木が、前記二の①、③、④のとおり、幼少児や若年者の水俣病剖検例、ハンター・ラッセルの一剖検例、皮膚経由性のメチル水銀中毒の剖検例にみられた同心円性膜肥厚をメチル水銀中毒と密接な関連性があるものとみたことに対しては、これに否定的な内容を含む次のような報告等がある。
(一) 長嶋和郎教授は、主として若年期に水俣病によらない脳障害を生じ、長期療養後に死亡した四〇例の剖検例を調査したところ、一歳から一八歳までの四〇例中の二〇例に軽度ないし中等度の内膜肥厚が認められ、白木が幼児期ないし若年者の水俣病で注目した血管の同心円性内膜肥厚を示す病変も一〇例に認められ、この特異な病変は成人脳の動脈硬化症にみられる血管病変とは明らかに異なっており、周産期障害脳や幼児期に脳障害を生じた後遺症脳に認められたこと、他方冠動脈にはこのような同心円性内膜肥厚が認められなかったことを報告し、この動脈病変は、脳の器質的病変に伴う二次的変化である可能性が強く、有機水銀中毒とは無関係に生ずることは確かであろうとしている(長嶋和郎「正常若年者および発達期脳障害児における動脈変化―若年水俣病の対照として―」水俣病に関する総合的研究(昭和五九年度環境庁公害防止等調査研究委託費による報告書)、昭和六〇年三月[<書証番号略>]及び長嶋和郎ら「正常若年者及び発達期脳障害における冠動脈硬化―若年者水俣病の対照として―」水俣病に関する総合的研究(昭和六〇年度環境庁公害防止等調査研究委託費による報告書、昭和六一年三月)[<書証番号略>])。
(二) 武内らは、小児、若年者にも認められる動脈硬化症は脳萎縮と人工栄養その他による二次的なものであって、メチル水銀障害には直接起因するものではない、との見解を述べており(武内ら「水俣病脳病変の成り立ちに関する研究、特にその好発部位の発生機序に関する考察」水俣病に関する総合的研究(昭和五四年度環境庁公害防止等調査研究委託費による報告書)、昭和五五年三月[<書証番号略>])、武内は、本訴における証人としても、メチル水銀そのもので動脈硬化症が起きるとは考えていないと証言している。
(三) ②の例についても、実際に解剖を行った武内、衛藤らは、前記「急性発症の小児水俣病長期経過の一剖検例」の中で、「本例の動脈硬化症は該当年齢にふさわしくないほど比較的高度である。この強い動脈硬化も中毒との直接因果関係となるとなお不明といわざるを得ない。やはり一八年の異常環境下の生存ということを考えると、早急に論ぜられない因子があまりにも多すぎる。」と述べている。
長嶋も、二歳から二四歳までの若年者二二例の剖検例の大動脈を調べた結果、「武内らは若年発症水俣病の長期生存例で二三歳で死亡した女性の大動脈の中等度硬化を記載している。同様の変化は一五歳女性(交通事故死)、一九歳男性(色素性乾皮症)、一九歳女性(卵巣悪性腫瘍併発毛細管拡張性失調症)等に認められた。したがって、武内らの示した症例の大動脈硬化病変は有機水銀中毒症とは無関係であろうといえよう。」と述べている(前記長嶋和郎「正常若年者および発達期脳障害児における動脈変化―若年水俣病の対照として―」[<書証番号略>])。
(四) チェン・メイ・ショウ教授らは、総計二八例のサルを対照及び急性高濃度から慢性低濃度のメチル水銀に曝露させた六群に分けて、脳の実質並びに脳血管の損傷が生じるかどうかを実験したところ、メチル水銀を投与した二五例中に四例に脳血管損傷が見いだされたことを報告し、その損傷は、小動脈並びに細小動脈に認められ、このような硬化性血管脳変化の存在部位は、大脳皮質損傷と場所的に対応し、前者の頻度と程度は、後者の程度と頻度とよく一致しており、それ以外の脳組織の血管や他の全身臓器の血管には認められなかったことから、こうした血管損傷がメチル水銀によって直接かつ単独で起こされたとは考えにくく、皮質病変が血管損傷の局在性と発生に寄与し、皮質障害に伴って二次的に血管損傷を生じるものであろうとの趣旨の見解を述べている(チェン・メイ・ショウら「実験的メチル水銀中毒性脳症における脳血管損傷」、一九七九年[<書証番号略>])。なお、ショウは、水俣病国際フォーラムにおいて、水銀が血中にずっとあるから、血管壁を損傷することは多分あると思うが、血管硬化症は急性中毒には全然みられておらず、猿を数か月生存させて脳に萎縮が起こった場合にのみみられたので、有機水銀は血管壁にはあまり有毒ではないかもしれないが、脳に入った後に有機水銀が無機水銀になり、その無機水銀が今度脳から出ていくときに血管を損傷するのではないかと疑っているが、科学的にこれを証明する根拠はなく、想像にすぎないと発言している(国際フォーラム記録[<書証番号略>])。
(五) ③のハンター・ラッセルの一剖検例について、高血圧症、冠動脈硬化症による心筋障害、細動脈性・硬化性腎萎縮症などの存在が、若年性発症ゆえに、それ自体明らかに異常であるとしている点についても、国際保健機関(WHO)の伝染病及び人口動態統計年表一九五二年版[<書証番号略>]によると、イングランド及びウェールズ地方における三五歳から三九歳までの男子全死亡三四五二例のうち動脈硬化症及び変性性心臓疾患が三一四例を占めていることが認められ、この年代におけるこのような疾患による死亡が必ずしも異常とはいえないことが示されている。
白木は、本訴における証人として、(一)の長嶋の報告に対し、メチル水銀以外の原因によっても動脈硬化症が生じることは確かであるが、そこでは同心円性内膜肥厚は全例に認められているわけではなく、それが認められている率が低いのに対し、前記二の①ないし④のような症例では全例にそれが認められていることからすれば、その原因としてはメチル水銀が最も有力であるとの趣旨の証言をしている。長嶋や武内の見解は、水俣病の小児や若年者に認められている同心円性内膜肥厚は、メチル水銀が脳組織等を障害し、脳萎縮等の変化をもたらすことの二次的影響であるとするものであり、メチル水銀が原因であることを否定するものではないから、問題は、そのような二次的影響であるか否かということである。白木が報告している症例は、いずれも水俣病としては初期の極めて重症例の患者であり、脳組織にも重い障害があったものであるから、その全例にそれに伴う二次的変化として同心円性内膜肥厚がみられたとしても、格別異常とは思われない。そうすると、それが脳の器質的障害に起因する二次的変化ではなく、メチル水銀による直接的効果であるとするためには、さらに根拠が必要であるが、その点になると白木の所説によっても必ずしも十分なものが示されているとは思われない。白木が挙げている幾つかの剖検例は、メチル水銀の動脈硬化に対する直接的影響ということについての蓋然性をもった一つの結論を導くためには、数も限られており、極めて重症例という点での偏りもあるように感じられる。
2 白木は、老年期かつ慢性期の剖検例にみられるアテローム変性などの脳動脈硬化像について、老齢因子による脳動脈硬化像と本質的な差はないとしており、そうであれば、それをなぜ老齢因子によるものだけでなく水俣病によるものも関与していると考えることができるのかが当然に問題となってくる。本訴において最も問題となるのも、原告らのような、成年ことに高齢者において脳動脈硬化症がみられる場合に、これを水俣病との関係でどうみるかということである。この点について、白木は、決定的な結論は同年齢における対照例との厳密な比較検討なしには獲得できないと留保しつつ、前者の場合の頻度があまりに多数にみられることから、成年期以降の水俣病の脳動脈硬化症の発展に対して、メチル水銀が何らかの意味で重要な役割を果たした可能性を否定できないとしている。
(一) 脳動脈のアテローム硬化症の頻度に関する成績としては、東京大学の冲中重雄教授を班長とする文部省科学研究班の調査結果があるが、これによると、四〇歳から五〇歳台のいわゆる壮年期になると、脳動脈硬化高度のものがかなりの頻度に含まれており、六〇歳以上の症例では、脳動脈硬化(±)以上の症例が約七八パーセント、(+)以上の症例が約六九パーセントに及んでおり、七〇歳代、八〇歳代の症例だけでみると、その頻度は更に高くなっている(亀山正邦「脳動脈の硬化」[<書証番号略>])。そうすると、白木が報告しているように、死亡時年齢が六三歳から八八歳という一〇剖検例中の八例にアテローム硬化症が認められたからといって、同年齢における対照例と比較してその頻度が高いとはいえず、したがって、老齢因子以外に水俣病の因子も関与しているとはにわかにいい難いことになる。
(二) 武内・衞藤は、「水俣病の病理各論」(有馬編・水俣病―二〇年の研究と今日の課題、昭和五四年一月)[<書証番号略>]の中で、「水俣病患者の直接死因に血管障害によるものがあり、脳血栓症、脳出血、および心筋梗塞が全体の約一七パーセントにみられている。これら、血管障害が直接死因になった症例は、いずれも年齢相応の動脈硬化症があり、いわゆるageingが重要な因子となっている。したがって、これらが水俣病の続発症だという証拠にはならないし、また頻度も高くない。白木は、水俣病剖検例のうち小児例においても動脈硬化症を証明することができており、また血糖上昇の記載や膵臓ランゲルハンス島B細胞障害の事実があることを考慮し、メチル水銀中毒による血管障害をもありうることを類推せしめる。これを事実とすれば、水俣病の際の血管障害に伴う死因を無視し得ないが、今回の剖検例の検討からは、水俣病の際に直接死因となった血管障害を水俣病によって惹起されたとみるほどの成績は把握しえなかった。この問題は、依然として今後に残された課題である。」と述べている。
3 白木が、幼小児にみられた同心円性内膜肥厚と成人にみられるアテローム性動脈硬化について、同心円性内膜肥厚はアテローム性動脈硬化の初期の病変を示しているのではないか、時間の経過とともにアテローム変成が起きるのではないかとしていることについては、白木自身もその根拠としては、二、②の五歳で発病し、二三歳で死亡した女子の例を挙げるにとどまり、それ以上のものを示しているわけではないので、有機水銀曝露とアテローム性動脈硬化症とを結び付けるには症例が少なすぎ、根拠が薄弱といわざるを得ないであろうし、右の見解についても、現在のところ、これを積極的に支持するような動脈硬化に関する研究成果があるというわけではない。
4 メチル水銀が全身の血管及び諸臓器に障害を及ぼす可能性ということについては、病理学的にみると、第五節で述べたとおり、武内らの病理学的研究によると、メチル水銀化合物は、生体内に広く分布し、神経系のみならず一般臓器組織細胞にも広範囲に沈着してることは確かであるが、それによる障害は特に神経系に強くあらわれ、一般臓器では軽いという事実が認められている。武内・衛藤は、「水俣病の病理総論」(有馬編・水俣病―二〇年の研究と今日の課題)[<書証番号略>]において、「一般臓器の病理には水俣病に特徴的な所見の把握は困難である。急性・亜急性期に消化管特に十二指腸のびらん、肝、腎における脂肪変性及び骨髄・リンパ節の低形成などがあげられてきた。しかし、長期経過例や慢性例については、それらは特記すべきものがない。動物実験では、いろいろの変化が記載されているが、人体剖検では特徴ある変化はほとんどない。症例によって認められる変化が水俣病特異のものであるかどうかはなおわからない。」と述べており、急性・亜急性期の症例についてはともかく、長期経過例、慢性例の症例については、一般臓器には水俣病に特徴的な病変はみられないことが認められる。
新潟大学の生田房弘も、新潟地方裁判所昭和五七年(ワ)第三八五号ほか事件の証人として、新潟水俣病患者の病理解剖のデータからすると、水俣病に共通する臓器の特徴的病変というものはない、内蔵器で有意に病変を起こしている臓器というものはみられない。膵臓ランゲルハンス島に有意の病変が起きるのではないかという点についても、これに注目して検索を重ねてきたが、それを肯定するようなデータは得られていない、との趣旨の証言をしている。[<書証番号略>]
衞藤も、福岡高等裁判所昭和六一年(行コ)第一〇号事件の証人として、膵臓、腎臓、肝臓など一般臓器には水俣病によると考えられる病変はない、との趣旨の証言をしている。[<書証番号略>]
このように、メチル水銀により全身の血管及び諸臓器に障害が生ずる可能性があるという説については、実際に多数の解剖を実施し、水俣病の病理に最も経験を有する病理学者が、いずれも水俣病剖検例に特徴的な臓器の病変はみられないとしており、その可能性は病理学的に裏付けされておらず、むしろ否定されているものと認められる。
5 臨床的にみても、
(一) 井形昭弘らは、前記第四節、七の住民健康調査で精密検診を行った七八〇名について、水俣病と診断した群(六五名)と非水俣病群(七一五名)とに分け、年代別に血圧値を比較検討したところ、水俣病群と非水俣病群との間に各年代間に差異は証明されなかったこと、また、眼低動脈硬化度及び脳卒中発作の既往と水俣病らしさの間にも相関関係は認められなかったことを報告している(井形昭弘ら「有機水銀中毒と脳血管性障害」水俣病に関する総合的研究(昭和四九年度環境庁公害防止等調査研究委託費による報告書)、昭和五〇年三月[<書証番号略>])。
(二) 岡嶋透らは、昭和四六年から四九年にかけて行われた水俣湾周辺地域及び有明海・八代海沿岸地区住民健康調査において、地元開業医による第二次検診の受診者に実施した血圧測定及び尿糖検査の結果、各地域の高血圧者、低血圧者及び糖尿陽性者は別紙三九の表のとおりであり、地域による差は認められず、汚染地域である水俣病周辺地域と対照である有明海地区の間にも差は認められなかったことを報告している。さらに、右対象者中昭和五二年以降に検診を受けた四八四名を、末梢優位の感覚障害、運動失調、平衡障害、両側性視野狭窄、中枢性難聴などを兼ね備えるA群、五二年判断条件に該当するC群、A群には及ばないがC群を越える症候を示すB群、五二年判断条件に該当しないD群に分けて、高血圧(WHOの基準に従い、最高血圧一六〇、最低血圧九五以上を示すものを高血圧とし、最高、最低血圧のいずれかが右の値を越えるものを高血圧疑いとする。)及び糖尿につき検討したところ、その結果は別紙四〇の表のとおりであり、高血圧については右四群の間に有意差がなく、糖尿については有所見者であるA群ないしC群の方がD群よりむしろ低いという成績であったことを報告している(岡嶋透ら「水俣病における血圧および糖尿―住民健康調査および検診結果より―」水俣病に関する総合的研究(昭和五四年度環境庁公害防止等調査研究委託費による報告書)、昭和五五年三月)[<書証番号略>]
(三) 白川健一らは、昭和四八年一一月以降の新潟水俣病認定患者二五八例において尿糖陽性率は八例(3.1パーセント)と低く、また昭和四八年以降一〇〇例に糖負荷試験を実施したところ、認定患者群六八例では異常八例(11.8パーセント)、境界三八例(55.9パーセント)、正常二二例(32.4パーセント)であったが、否認定者群三二例では異常八例(二五パーセント)、境界一九例(59.4パーセント)、正常五例(15.6パーセント)であり、患者群での耐糖機能低下傾向は認められなかったと報告している(白川健一ら「水俣病の神経系以外の機能障害の検討」水俣病に関する総合的研究(昭和五一年度環境庁公害防止等調査研究委託費による報告書)、昭和五二年三月)[<書証番号略>]。
(四) 前記三、(一)のとおり、熊大二次研究班の立津らは、四〇歳以上の水俣病患者の約60.3パーセントに高血圧が認められたとしているが、この調査に近い昭和四六年、四七年に厚生省が実施した成人病基礎調査の結果をみると、別紙四一の図のとおり、境界域以上の高血圧者の頻度は、男では、三〇歳代で29.5パーセント、四〇歳代で40.8パーセント、五〇歳代で56.1パーセント、六〇歳代で67.5パーセント、七〇歳以上で76.7パーセント、女では三〇歳代15.3パーセント、四〇歳代36.8パーセント、五〇歳代53.3パーセント、六〇歳代69.7パーセント、七〇歳以上78.0パーセントとなっている(「厚生の指標」臨時増刊「国民衛生の動向」昭和六二年[<書証番号略>])。立津らの報告には、高血圧の判定基準の記載がなく、また、年代別の高血圧の出現頻度の記載がない(平安座島住民については記載があるのに、水俣病患者については記載がない。)という点で不備があるが、水俣病患者の年齢構成については、四〇歳代が24.8パーセント、五〇歳代が25.7パーセント、六〇歳代が24.8パーセント、七〇歳代が21.0パーセント、八〇歳以上3.7パーセントと記載されている。そうすると、このような年齢構成の水俣病患者で仮に高血圧者の頻度が前記の成人病基礎調査結果の程度であるとして試算すれば、境界域以上の高血圧者の頻度は約六〇パーセント程度になるのであるから、四〇歳以上の水俣病患者の60.3パーセントに高血圧がみられたからといって、多いとはいえないことになる。
また、沖縄県平安座島住民が対照とされているが、都道府県別成人病死亡者及び死亡率(人口一〇万人対)の統計をみると、沖縄県は全国で最も高血圧症や脳卒中の死亡率が低く、昭和六二年の高血圧症による死亡率は、熊本県では13.9人(四七都道府県中四位)であるのに対して沖縄県では4.8人となっている(「成人病のしおり一九八九」[<書証番号略>])。そうすると、立津らの調査結果にはこうした地域的事情が反映している可能性が強いと考えられ、沖縄県平安座島は高血圧の対照地区としては必ずも適切ではなかったといえよう。
五このようにみてくると、メチル水銀が血管障害や全身の臓器の障害を起こす可能性があるとの説は、この問題に関心をもつ研究者の間で広く支持されているものではなく、その根拠とするところについても病理学的、臨床的にみて疑問な点が少なくないものと認められるから、現時点においては一つの仮説にとどまっているものと認められる。したがって、本訴においては、原告らに、血管障害、高血圧、糖尿病などの症状が現れていた場合、それを原告らの水俣病罹患の可能性を判断する上で、それを肯定する方向で考慮することはできないし、原告らが水俣病に罹患していると認められた場合にも、そうした疾患は有機水銀中毒によるものとは認められないから、それらの疾患による症状は損害に含まれないといわざるを得ない。
第三自覚症状
【証拠】 <書証番号略>
一水俣病患者の自覚症状
1 熊本大学二次研究班の立津政順らは、昭和四六年から昭和四八年当時水俣病と認定されていた患者四六人、一斉検診で水俣病と診断された患者五八人、合計一一四人の疫学事項や症状について詳しく報告しているが、その中で初発症状について、「初発症状の主なものだけを詳しく報告しているが、その中で初発症状について、「初発症状の主なものだけを頻度の高いところから挙げると、しびれ感(四三例)、頭痛(一六例)、体がぴくぴくする(一三例)、手がふるえる(一二例)、耳が聞こえにくい(一一例)、舌がもつれる(一〇例)、眼がかすむ、物を取り落とす、手などがじんじんする(各九例)、転びやすい、腰から下方ないし下肢の表現し難いだるさ―重さ―痛さ(各七例)、四肢の痛み、手の運動の不自由(各六例)、履物が脱げる、身体がよろよろする、よだれが多い、物忘れする(各五例)、めまいがする、疲れやすくなった(四例)などである」と報告している。また、患者の訴える自覚症状について、「四六項目にわたる種々の自覚症状のうち頻度の高いものから並べると、手足などのしびれ感(六七例)、物忘れ(四〇例)、頭痛(三七例)、身体がぴくぴくする(三一例)、舌がもつれる、疲れやすい(各二六例)、じんじんする(二〇例)、物を取り落とす、手が不自由、転びやすい(各一九例)、指先がきかない、ボタンかけが難しい、言葉がはっきりしない(各一八例)、手がふるえる、眠れない(各一七例)、履物が脱げる、耳鳴りがする、腰から下若しくは下肢のだるさ―重さ―痛み(各一六例)などの順であった。一方、針で刺して出血しても感じないような高度な知覚障害、高度の視野狭窄、失調などをもっていながら、患者自らそれを訴える例が至って少なかったことが注意をひいた。また、問われなくても自ら積極的に、ゼスチュアや著しい感情表現を伴って、自らの心身の故障を訴えたのは、わずか八例に過ぎなかった。」と報告している。[<書証番号略>]
岩田和雄「眼科領域における研究」[<書証番号略>]は、「私どもの現在診ているごくごく軽症の患者の自覚症状として共通していることは、眼の疲れとかすみである。これらの自覚症状は他覚的検査では何ら異常を示さない。つまり単一部の障害でないことは推定できても、自覚症状発生の解明と鑑別には今後なお莫大な努力が必要であろう。」と述べている。
その他にも、水俣病患者に右に掲げられているようなさまざまな自覚症状があることを報告しているものは多い。
2 共同意見書[<書証番号略>]は、慢性水俣病には一定のパターンをもった多彩な自覚症状が存在するとし、自覚症状の出現頻度の高いものとして、四肢のしびれ、疲れやすい、物忘れをする、頭痛、めまい、手足の力が弱い、カラス曲がり、耳鳴り、不眠、耳が聞こえにくい、倒れやすい、腰痛、ぼんやり見える、いらいらする、物を取り落とす、筋肉のぴくつき、言葉が出にくい、スリッパが履きにくい、頭がボーとする、指先がきかない、手が震える、何もしたくない、手足の痛み、舌がもつれる、嗅覚障害、まわりが見えにくい、といった症状をあげ、患者と対照群で自覚症状を比較してみると、慢性水俣病の自覚症状そのものが一定の特徴をもっており、有機水銀で汚染された家族、近隣の人とも同一パターンを示していることが明らかとなるとし、患者にとって最も苦痛な症状とされているものは、頭痛、四肢のしびれや痛み、疲労感、脱力、物忘れなどであり、頑固な自覚症状が長年月にわたり持続しているのである、と述べている。
しかしながら、被告らも指摘するように、これらの自覚症状が他疾患に比べてどのように特徴的であるのか、何が一定のパターンであるのかということについては説明されていない。
原告らは、このような自覚症状が「水俣病の臨床症状や病理所見に対応する」とも述べている。しかしながら、たとえば、回りがみえにくいとか、耳が聞こえにくいといった症状であれば、水俣病の主要症候である求心性視野狭窄や難聴という臨床症状に対応し、病理所見とも対応しているということがいえるけれども、頭痛、疲れやすい、物忘れといった自覚症状がどのような臨床症状、病理所見に対応しているのかは不明であり、岩田「眼科領域における研究」も述べているように、多彩な自覚症状の発生機序は解明されていない部分が大きいというのが医学的知見の現状であると思われる。
二頭痛
原田「中毒性疾患と頭痛」(「診断と治療」昭和四九年七月号)[<書証番号略>]は、各種中毒性疾患における頭痛について分析検討を加えており、水俣病においても頭痛はしびれ感と同様頑固で深刻な症状の一つであるとし、心因と頭痛との関係について、心因(社会的要因)によって頭痛が起こることは明らかであり、中毒性疾患が労災や公害補償の問題がからんでいる事例が多いだけにそのことを考慮に入れて検討しなくてはいけないとしつつ、重要なことはこれらの頭痛が全くないものから作り出されたものではなく、その強さ、訴え方が心因に影響を受けると考えるべきであると述べている。
白川健一ら「水俣病患者にみられる頭痛について」(「最新医学」三三巻六号、昭和五三年六月)[<書証番号略>]も、昭和五〇年七月に調査を行った熊本水俣病患者一〇一例(前掲白川「水俣病の診断学的追及と治療法の検討」[<書証番号略>]によると、この一〇一例を含む調査対象者は一一二例で、そのうちその当時の認定患者は三一例、申請者五七例、保留一七例、棄却二例、未申請者三例、不明二例となっている。)の自覚症状についてみると、しびれ六七例(66.3パーセント)についで頭痛の頻度が高く、六五例(64.4パーセント)にみられたこと、自覚症状中最も苦痛とする症状では、頭痛をあげているものが一八例(17.8パーセント)で最も多かったこと、頭痛の性状は持続性、緊張性で、項部から後頭部にみられるものが大部分であったことなどを報告している。そして、頭痛と心因との関係については、水俣病に心因(社会的要因)の影響は否定できないが、訴え方に影響しているとみるべきであろうとし、頭痛の発生機序については、知覚性の上部頚神経障害、頚部交感神経障害の関与が推定され、四肢、躯幹などにみられる痛み、こむらがえりなどと同様の機序で頭痛が生じていると考えられ、水俣病の基本病変である、chronic sensory polyneuropathyの一症状である可能性が高いとしている。
三自覚症状と水俣病の診断
1 共同意見書は、「水俣病の診断にあたっては、有機水銀汚染歴を十分に調査し、様々な細かい症状をも丁寧に拾いあげ、患者の訴える自覚症状を重視し、四肢末梢型及び場合によっては口周辺の特徴ある感覚障害が確認されて、他の疾患との関係を吟味すれば、水俣病と診断することは、決して困難なことではないと考える。」と述べ、水俣病の診断にあたって自覚症状を重視すべきことを主張している。ここで自覚症状を重視すべきだということの意味が、単に水俣病を疑う契機として重視すべきだというにとどまるのか、それを超えて水俣病の診断において積極的に評価すべき要素だと主張するのかが問題であるが、共同意見書の作成者の一人である鈴木健世医師は、本訴における証人として、共同意見書の呈示する診断基準②の「四肢末梢型感覚障害を主徴とする有機水銀中毒の症状を呈すること」との要件に関して、そこでいう有機水銀中毒の症状の中には自覚症状は含まないとし、自覚症状だけで水俣病と診断できるという見解はとっていないと証言しているが、元倉診断書及び共同意見書の考察の欄では、すべての原告について、「自覚症状でも水俣病患者によくみられる症状を多数訴えている」ということが水俣病と診断する一つの要素として記載されており、このような自覚症状の訴えが水俣病の診断において積極的に評価すべき一つの要素としてとらえていることは明らかである。
2 検討するに、たとえば、まわりが見えにくいといった自覚症状を訴えてはいるが、視野検査では求心視野狭窄の所見はないというような場合、そのような所見の裏付けのない自覚症状を診断にあたって考慮に入れることのできないことは当然であろう。
また、頭痛、めまい、疲労感、脱力、物忘れ、眼の疲れやかすみといった症状は一般によくみられるものであり、そのような症状は極めて多様な原因で生じるものである。そして、水俣病の公式発見からでも既に三〇年以上が経過しており、当時の住民の多くが高齢化してきていることから、水俣病患者によくみられる自覚症状と同じような症状を呈するさまざまな身体上の不都合が生じてくることがあることは当然に考えられる。また、いわゆる全身病説については第二で検討したとおりであり、高血圧、脳動脈硬化症、糖尿病、肝機能障害などの疾患を有機水銀中毒によるものとみることはできないから、これらの疾患によるものと考えられる自覚症状は水俣病の症状ではないものとみなければならない。したがって、水俣病によくみられるような自覚症状がみられる場合でも、それが水俣病以外の疾患によるものでないかについての十分な検討が必要であり、そうでないとその真の原因を見失うおそれがあるということができよう。
3 右のような検討をしても、自覚症状の原因について医学的に解明できない場合も少なくないと思われるが、そうした場合に自覚症状の訴えをどう評価すべきかが問題である。臨床症状から水俣病との診断を下すことのできない患者が水俣病患者によくみられる自覚症状を多数訴えているとして直ちに水俣病と診断することには無理があると思われるが、水俣病罹患の可能性の程度についての総合判断の一つの資料としては考慮すべきものと考えられる。
4 右にみてきたように、水俣病の自覚症状という問題については、水俣病と確実に診断される患者が多様な自覚症状を訴えているという事実があり、そうした自覚症状の発生機序について未解明の部分が大きく、今後の医学的研究に委ねられているというのが現状であると思われる。このような現状からすると、本訴のような損害賠償請求訴訟においては、この問題は、水俣病による損害賠償問題の法的解決を図る上では現在の医学の限界による負担を誰が負うのが公平かという見地から検討されるべきものを含んでいると思われる。この問題については更に後に検討する。
第九節有機水銀曝露歴をめぐる議論について
第一水俣病の診断と有機水銀曝露歴
【証拠】 <書証番号略>、証人元倉福雄、同中島洋明、同原田正純(第一ないし第三回)の各証言
一水俣病が有機水銀(メチル水銀)に汚染された魚介類を摂取したことにより起こる中毒である以上、水俣病の診断に当たっては、有機水銀に対する曝露状況の判断が必要不可欠であることは明らかであって、異論の余地はない。五二年判断条件は、認定申請者の有機水銀に対する曝露状況を判断するに当たっては、次のアからエまでの事項に留意することとして、ア 体内の有機水銀濃度(汚染当時の頭髪、血液、尿、臍帯などにおける濃度)、イ 有機水銀に汚染された魚介類の摂取状況(魚介類の種類、量、摂取時期など)、ウ 居住歴、家族歴及び職業歴、エ 発病の時期及び経過、をあげている。
原告らは、「水俣病か否かを判断するのに最も重要かつ決定的な要素は、有機水銀に曝露された事実の有無である。右の事実が、血中水銀値あるいは毛髪水銀値等により証明できれば問題はない。しかし、行政の怠慢により、沿岸住民の曝露歴―汚染の調査はほとんどなされなかったのである。それ故、右にかわるものとして、曝露の事実は、居住歴、生活歴、職歴、食生活歴、食生活を同じくする家族に水俣病の症状や健康被害はみられないか、あるいは類似の食生活をする同じ網で働く者や近所の者に同様の症状等はないか、家畜の狂死など環境の異変があったかどうか等の事実(これを疫学条件あるいは疫学的条件と称する。)調査によることとなる。」と主張している。
二右主張の中で用いられている疫学(的)条件とは、個人が有機水銀に曝露された事実の有無を推認するために用いることのできるその個人の社会生活に関わる事実関係を意味するものと考えられる。また、原告らの主張の中にもみられるのであるが、ときに有機水銀曝露歴自体のことを含めて疫学(的)条件と呼んでいる場合もある。しかし、疫学は、「人間集団における健康障害の頻度と分布を規定する諸要因を研究する医学の一分野」などと定義される学問であるから(重松逸造「新しい疫学の方法論」)[<書証番号略>]、個人が有機水銀に曝露された状況のことやそれを推認するための社会生活に関わる事実関係のことを「疫学(的)条件」と呼ぶことは、本来の「疫学」の意味からはやや外れた用法といえよう。そこで、本判決中においては、個人が有機水銀に曝露された状況は文字通り「有機水銀曝露歴」と呼ぶことにし、それを推認するための生活歴等についても特に「疫学(的)条件」という言葉は用いないこととする。
三原被告とも述べているように、有機水銀曝露歴を判断するに当たって汚染当時の毛髪水銀値等の有機水銀濃度を明らかにし得る例は限られていて、現実には五二年判断条件が留意事項として挙げているイ以下の事情や地域における水俣病発症者の有無、家畜における水俣病発症の有無といった事実から推認せざるを得ないことになる。そのうちでは、魚介類摂取状況が最も基本的な事実関係であることは明らかであって、それ以外の事実はそれを補充する事実といえよう。
四この問題をめぐる原被告間における実質的な争点の第一は、毛髪水銀値、血中水銀値などの成績資料がない場合に、有機水銀曝露歴をどの程度正確に把握することができるかということである。
1 被告らは、魚介類の喫食歴に関する個々人の供述からその有機水銀曝露歴を的確な推定することには、第一に、供述が記憶に依存するものであり、その記憶というものはしばしば不正確であって、ことに本件では三〇年も前のはなはだあいのまいな原告らの記憶に基づかざるを得ないこと、第二に、汚染の強い時期にあっても、魚種によってメチル水銀含有量が異なる可能性があること、第三に、同じ魚種であってもそのメチル水銀含有量は比較的短期間に急激に減少する場合があり、摂取した時期によって曝露量が大きく異なる可能性があること、第四に、同じ魚種でも捕獲された場所によってメチル水銀含有量はさまざまであり、したがって、魚介類の棲息地によっても曝露量に差の生じる可能性があること、などの多くの問題点があると主張する。右のうち、第一の問題点は供述そのものの正確性の問題であり、第二以下の問題点は供述内容から有機水銀曝露歴を正確に推定することができるかという問題と考えられる。
第二以下の問題点については、そのような問題点、あるいは、供述に基づいて有機水銀曝露歴を推定する際の限界ともいうべきものがあることは否定できないと思われる。第一の問題点についての原告らの反論は、魚介類摂取状況についての供述についてはある程度の客観的な裏付けは取れるということにあるようである。原田正純は、原田意見書[<書証番号略>]において、「疫学条件が数量化されにくいということはあったにしても、どの地域に住んでいてどういう漁業をやっていたとか、あるいは海からどれくらいの距離のところに居住しているとか、その地域や隣近所はどのような職業があるかとか、そういう細かい条件を考えていくと、いくつかのパターンに分けられるのであって、それはかなり客観的なものになり得るのである。(中略)そういう客観的な事実の裏付けをとっていけば、疫学条件は細かく数量化できないまでも、大まかA、B、C、Dくらいのランクには分けられるのである。」(五一頁)と述べている。確かに、二塚信らによって、不知火海沿岸住民の食生活の特性や、それから推定されるメチル水銀摂取レベルなどの研究がされており(「国際フォーラム記録」所収の「水俣病の疫学」)[<書証番号略>]、こうした疫学的研究は極めて重要なものと考えられる。また、過去のある出来事といったことではなく、食生活という基本的な生活習慣に関する記憶であれば、そう大きく事実と離れることもないのではないかとも考えられる。しかしそれにしても、三〇年も前の食生活を記憶に基づいて再現することにはある程度困難な面があることも否めないであろう。
2 井形昭弘は、「水俣病の医学」(「日本医事新報」三三五二号、昭和六三年七月)[<書証番号略>]の中で、「現状においては、先ず、神経症状から水俣病の有無を判断し、汚染状況に関しては当時当該地区に居住し不知火海の魚介類を多食しておれば、汚染を受けたとの前提を置いて症状の上から判断しており、いわゆる疫学条件から水俣病を否定することはほとんどない。」と述べており、審査会資料説明書各論[<書証番号略>]は、原告全員について、「有機水銀の曝露の有無」として、「生活歴から有機水銀に対する曝露歴を有するものと推定される。」としている。証人中島洋明も、患者の有機水銀曝露歴には程度の差はあるだろうが、摂取した魚介類がどの程度有機水銀に汚染されていたものか確認できないこと、有機水銀曝露歴の把握は患者の申告に基づくことになり、摂取量についてはいくら調査をしても確実には判断できないといったことから、原告らの有機水銀曝露歴については、水俣病罹患の可能性が十分あるものとした上で判断している、という趣旨の証言をしている。
検討するに、審査会のよってたつ補償法の趣旨からすれば、有機水銀曝露状況を十分に明らかにし得ないのは汚染当時将来健康障害が起こる可能性のある住民に対して毛髪水銀値の調査が十分になされなかったためであり、住民の責任ではないこと、などの事情に照らし、有機水銀曝露歴のないことが明確でない限り、一応有機水銀曝露歴が存在するものとして臨床症状から判断するというのは妥当であり、したがって、問題は、その判断が有機水銀曝露歴があるとした上で臨床症状から下した判断として妥当かどうかということに帰着するであろう。しかし、本件は、損害賠償請求訴訟、国家賠償請求訴訟であるから、このような手法によることはできず、結局は、原告本人尋問や陳述録取書等における魚介類摂取状況に関する供述が信用できるかどうかを判断した上で、それに基づいて有機水銀曝露歴の有無について判断する以外にはないのである。
五実質的な争点の第二は、第一の争点とも関連するが、水俣病診断における有機水銀曝露歴の意義ということである。
1 被告らは、メチル水銀に汚染された魚介類を多食したという事実は水俣病が発症するための必要条件であり、有機水銀曝露歴は臨床診断の必要条件であるにすぎないとして、その限りにおいて重要なものととらえている。これに対して、原告らが「有機水銀曝露歴が水俣病か否かを判断するのに最も重要かつ決定的な要素である」と主張していることの意味は必ずしも明らかでないものがあるが、結局は、有機水銀曝露歴があり、四肢末梢型感覚障害があれば、それだけで水俣病と診断できるということを主張しているように思われる。そうだとすると、問題はその見解の当否に帰着する。
2 原田は、原田意見書において、「疫学条件にも濃淡があって、一律ではない。それは、たくさんの魚介類を食する機会のあったものと、稀にしか食さなかったものとの間に、その影響すなわち、出てくる症状に差があることは当然である。したがって、診断にあたって症状の組合せを重視することを一概に否定するものではない。すなわち、症状が一つの場合と、さらにもう一つ加わった場合のその病気の診断の確率は当然違ってくる。換言すれば、一つの症状の場合と二つの症状の場合は、その個々の症状が水俣病に通常みられる教科書的な症状である場合、水俣病らしさの確率が違うことは明らかである。われわれが主張しているのは、仮に症状が一つであっても疫学的条件が非常に強ければ、それは水俣病と判断せざるを得ないものがあるということであり、仮に、疫学条件が比較的濃厚でない場合は症状が二つ、三つあっても水俣病である確率は低いということである。」と述べている。右の主張のうち、前段で一つの症状というのは、四肢末梢型の感覚障害のことと思われるから、濃厚な有機水銀曝露歴があり、四肢末梢型感覚障害があれば、それだけで水俣病と診断できるかという問題に帰着するし、後段は、「水俣病である確率が低い」ということが、相対的に低いというだけでなく、水俣病と診断するだけの確率がないということを意味するものであれば、水俣病の主要症候がいくつかみられても水俣病と診断できない程度の比較的濃厚でない疫学条件とはどの程度のものなのか、それを具体的に呈示できるのかということが問題となろう。
3 元倉福雄は、有機水銀曝露歴については、「鹿児島生協病院で実施した水俣病を疑わせる患者の精密検査の結果について」と題する書面(以下「元倉説明書」という。)[<書証番号略>]において、「食生活の調査で魚介類の多食が確認された上で、居住歴(生活した場所)、職業歴を中心に検討し、環境の変化、家族の認定者の有無を参考に判断した。」と述べている。そして、有機水銀曝露歴の濃淡について、第一群として「漁師及びその家族、半農半漁者及びその家族、鮮魚商、魚の行商人及びその家族」、第二群として「職業は漁業以外だが、汚染地域に長く居住し、生活状況より魚介類の多食が確実なもの」、第三群として「汚染の可能性は低いが、否定できぬもの」、第四群として「汚染なし」に分類したが、元倉診断書を作成するに当たって精密検査を受けた患者一三九名については、第一群が一二三人(88.5パーセント)、第二群が一六人(11.5パーセント)で、全員が有機水銀に濃厚に汚染されたものと判定されたとしている。元倉診断書では、原告全員について、考察欄に「本患者は疫学的条件に示すように魚介類の多食による濃厚な有機水銀汚染を有している」という趣旨の記述がされている。
検討するに、まず右の分類自体についてみると、漁師と半農半漁者が同じ群になっているのであるが、例えば、二塚は、国際フォーラム記録の中で食生活調査の結果、一日の平均の魚介類摂取量は漁師の場合には男子で約四〇〇グラム、女子で二五〇グラム、片手間の漁業では男子で二〇〇グラム、女子で一四〇グラムで、当時の国民栄養調査によるわが国の平均の魚介類摂取レベルが約九〇グラムであると述べており[<書証番号略>]、漁師と半農半漁者が同じ群でよいか若干問題であると思われる。次に個々の原告についての評価をみると、その評価が適切かどうかに疑問のあるものがある。例えば、後に認定するように、原告西村嘉哉市(原告番号四六)については、昭和二四年から昭和三八年までの間、筑豊、北九州で炭鉱夫して働き、その間の昭和二七年春から昭和三三年春までは妻子が名護で生活していたので、正月、盆はもちろん、その他にもしばしば休暇をとって妻子のいる名護に帰省し、その折に一、二週間位漁業の手伝いをしていたが、昭和三八年に名護に戻り再び漁業に従事するようになった、というのである。してみると、同原告につては、いわゆるメチル水銀の濃厚汚染時期には水俣病の関係地域に居住しておらず、帰省の際に汚染魚介類を摂取していたということになるから、汚染魚介類の摂取量はそれほど多くはないと推測されるのであるが、元倉診断書では「魚介類の多食による有機水銀の汚染歴を有し」とされており、元倉は、証人尋問において、同原告は昭和三八年に名護に帰郷してから魚介類を摂取しているので、汚染の程度は軽いが、水俣病に罹患する条件はある、という趣旨の証言をしている。また、訴えを取り下げた原告ではあるが、松下春雄(原告番号八七)については、元倉診断書[<書証番号略>]や陳述録取書[<書証番号略>]によれば、同人は、昭和二七年に自衛隊に入隊し、昭和三六年九月までは任地は福岡であったが、その後北海道に転任し、昭和四七年に水俣地方に戻ったが、福岡で勤務していたころは月に最低二回くらい帰省していたというのである。してみると、同人が不知火海の魚介類を摂取する機会は、昭和二七年の入隊前と、福岡勤務時代の帰省の際ということになるから、汚染魚介類の摂取量はそれほど多くはないと推測されるのであるが、元倉診断書では、「魚介類の多食による濃厚な有機水銀の汚染歴を有し」とされており、元倉は証人尋問において、この程度でも疫学条件としては十分であるという趣旨の証言をしている。
検討するに、右原告らについてまで濃厚な有機水銀曝露歴があるといえるかは疑問であり、原告西村嘉哉市(原告番号四六)についていえば、水俣病罹患の可能性を否定することはできないという意味において有機水銀曝露歴を肯定することは差し支えないと思われるが、有機水銀曝露歴の程度としては軽いものと判断されるのであって、より慎重に臨床症状を吟味することが要請されるものと思われる。結局、元倉診断書においては、その記載からすると、水俣病の診断に当たって有機水銀曝露歴があるということが重要な診断資料として積極的に評価されていると考えられるのであるが、有機水銀曝露の程度については厳密に検討されているとはいえず、有機水銀曝露歴の濃淡が臨床診断に反映されているようには見受けられない。もっとも、右二名のように濃厚汚染時期に水俣地区に居住していなかった者についてはともかく、水俣地区に居住していた者について、その有機水銀曝露の程度をさらに分類し臨床診断に反映させることは、中島証人が述べている前記のような理由から、実際上困難とも思われる。そうしてみると、「有機水銀曝露歴を重視するかどうか」ということについて、原告側医師団と審査会の認定業務に関与している医師らとの間に一見その見解に大きな相違があるようにもみえるが、原告側医師団において「有機水銀曝露歴を重視する」といってみても、有機水銀曝露の程度が厳密に調査検討されて臨床診断に反映されているわけではないのであって、原告らの供述から把握された有機水銀曝露歴が診断書にある程度詳しく記載してあるというにすぎないのである。したがって、結局最も問題なのは、有機水銀に汚染された魚介類を摂取し、水俣病罹患の可能性がある者について、どのような症状があれば水俣病と診断できるかということであり、そして、その結論は「有機水銀曝露歴を重視するか軽視するか」によって決定されるのではなく、有機水銀曝露歴のある者にどのような臨床症状がみられれば水俣病の可能性が高いと判断できるかということに関する医学的知見によって決定されるものというべきである。
4 原告らは、「五二年判断条件のような症状の組合せを要件とすれば、第三次訴訟判決も判示したように、神経内科、眼科、耳鼻咽喉科等の各専門分野において疫学的条件を無視して単なる単科的な医学的判断をした上、これを寄せ集めたに過ぎないような誤った結論を導くことは見易い道理である。」とか、「患者が汚染された魚介類をどの程度多食したかという疫学的条件を抜きにして、また患者との基本的な信頼関係の有無とは関係なく、各科目毎に機械的に実施した検診によって得られた一般内科、神経内科、神経科、眼科、耳鼻咽喉科の各所見等をバラバラに記載したのみの書証は信憑性に乏しい」などと主張している。右の見解は、疫学的条件を前提にして患者を所見を把握すべきであるとするかのように受け取られるのであるが、水俣病に罹患しているか否かが問題となっている者にどのような身体的異常が存するかということは、有機水銀曝露歴とは切り離して把握することが可能なものであり、それは水俣病の症状の特徴からして神経内科、眼科、耳鼻咽喉科、ときには精神科の各専門医においても最も正確に把握することのできる性質の事柄であると考えられる。国際フォーラムにおいて、カーランドは、疫学的調査について「さまざまなタイプのバイアスを避けるために、果たして自分が対照群を調査しているのか、それとも何らかの形で曝露した患者をみているのかということを知らないで診断しなければいけない。」と発言しているが(第四節、一〇参照)[<書証番号略>]、現実にはこうした形をとることは困難としても、所見を把握する際の姿勢の問題としては、どのような所見がみられ、その原因として何が考えられるのかということは有機水銀曝露歴とは無関係に把握させるべきであると思われる。そして、その所見の原因の最終的な診断においては、有機水銀曝露歴について十分に検討した上で、水俣病についての医学的知見に照らし、その所見が有機水銀曝露の影響によるものである可能性がどの程度あるかが総合的に判断されるべきものと考えられる。総合的な判断の結果、神経内科、眼科、耳鼻咽喉科等において把握された各所見が、水俣病の症状であるよりはそれぞれ神経内科的、眼科的、耳鼻咽喉科疾患に基づくものである可能性が高いと判断されることも当然にあり得ると考えられる。もちろん、右のような判断が相当でない場合も考えられるが、その場合にも問題はその総合的な判断の妥当性にあるのであって、総合的に判断することに誤りがあるのではない。原告らは、「複数の症状がみられる場合、個々の症状を分割して判断することなく、総合判断すべきである。」と、それ自体は妥当と思われる認識を示した上で、審査会の判断について、「審査会は、たとえば、知覚症状は変形性頚椎症で、視野狭窄は視神経レベルで、聴力障害は老人性ないし騒音性で、それぞれ説明できる、などとして棄却しているが、そのような判断は誤りである。」などと主張している。しかし、先に述べたとおり、問題は総合判断の妥当性にあるのであって、総合判断の結果として水俣病ではないと判断された場合には、水俣病でも生じ得る個々の症状がこの場合水俣病の症状ではなく、他の疾患ないし原因によるものであると診断され、右のような判断に達する場合もあるのである。
第二本件原告らの有機水銀曝露歴を推認させる一般的な事実
第三章、第四、四・五でみた鹿児島県不知火海沿岸住民の毛髪水銀値についての調査成績からみると、濃厚汚染期といえる昭和三五年以前に出水市などの汚染地域に居住していた者、とりわけ漁業関係者については、相当量の有機水銀に曝露されたものと推認することができよう。原告らについてみると、先に検討した原告西村嘉哉市(原告番号四六)を除くと、昭和三五年当時汚染地域に居住していた者であり、そのうちの多くを占める漁師、その家族、行商などの漁業関係者については、相当量の有機水銀に曝露されたものと推認することができよう。なお、昭和三六年ころ以降に汚染地域に転入してきた者については、昭和四三年五月のアセトアルデヒドの生産停止まではチッソ水俣工場からのメチル水銀の流出が全くなくなったわけではないとみられること、昭和三六年ころ以降も程度は相当減少したにせよなお魚介類の汚染は続いていたとみられることなどの背景事実を考慮しつつ、食生活歴などから慎重に検討すべきである。
第一〇節水俣病の診断
第一問題の所在
一原告らは水俣病の診断、補償法上の水俣病認定、本訴のような損害賠償請求訴訟における個別的因果関係の認定のいずれにも妥当する基準という趣旨と思われるが、
① 不知火海の魚介類を多食し、有機水銀汚染歴を有すること。
② 四肢末梢型感覚障害を主徴とする有機水銀中毒の症状を呈すること。
③ ②の症状が専ら他疾患によるものであることが明らかでないこと。
以上の三要件を提示し、これを充たせば水俣病と診断することができるし、本訴においても水俣病に罹患しているものと認定することができるとの趣旨の主張をしている。
二これに対し、被告らは、水俣病の主要症候のうち感覚障害だけが出現している場合には水俣病の蓋然性が低く、水俣病と診断することはできないと主張し、五二年判断条件は医学的に水俣病と診断できる最低限度の要件を示しているものであり、本訴において原告らが水俣病に罹患していると認められるためには、その高度の蓋然性があることが証明されることが必要であり、また、少なくとも五二年判断条件を充たしている必要があるとの趣旨の主張をしている。
また、前記のとおり、専門家会議見解は、水俣病の感覚障害について、「水俣病においては、ほとんどの症例で四肢の感覚障害が他の症候と併存しつつ出現するが、感覚障害のみが単独で出現することは現時点では医学的に実証されていない。他方、単独で起こる四肢の感覚障害は極めて多くの原因で生じる多発性神経炎の症候であり、臨床医学的に特異性がないし、また、四肢の感覚障害は、現時点で可能な種々の検査を行ってもその原因を特定できない特発性のものも少なくない。したがって、四肢の感覚障害のみでは水俣病である蓋然性が低く、その症状が水俣病であると判断することは医学的には無理がある。」としている。
三原告らの呈示する診断基準をみると、①の有機水銀曝露歴は水俣病の診断をする上での必要条件であるが、②については、まさに「有機水銀中毒の症状かどうか」を診断する基準が問題となっているのであるから「有機水銀中毒の症状を呈すること」というような表現では不適切であること、「主徴とする」という表現も診断基準としては不明確であることなどの問題点を指摘することができるが、被告らの主張や専門家会議見解との対比で問題となるのは、ある患者に水俣病の主要症候のうちで四肢末梢型感覚障害が発現している場合に、それだけで水俣病に罹患している可能性がどの程度あるといえるのかということである。③は、症状が専ら他の疾患によるものであることが明らかである場合は水俣病と診断しないという限りにおいては当然のことであり、四肢末梢型の感覚障害について専ら他の疾患に基づくことが明らかという程度までの完全な鑑別がどの程度可能なのかが問題といえる。
そこで、以下、水俣病の診断における四肢末梢型感覚障害の所見の意義ということと、水俣病の症状と他疾患の症状との鑑別ということについて検討することとする。
第二水俣病の診断における感覚障害の所見の意義
一まず水俣病にみられる感覚障害に特異性があるかどうかについて検討する。
【証拠】 <書証番号略>
1 水俣病にみられる感覚障害の態様については前記第七節、第一、二で検討したとおりであり、四肢末梢型(手袋靴下型)のものが最も多いということがいえ、このようなものが水俣病の感覚障害の特徴であり、感覚障害が水俣病のほとんどの症例で発現するということからすれば、このような感覚障害が「水俣病に特徴的な症状」ということができる。もっとも、前記第四節、一一の荒木らの報告によれば、近時の認定患者にみられた感覚障害のパターンはかなり多様であって、全身痛覚脱失型など多発神経障害のパターンと合致しないものが稀ではなく、また、剖検認定例の中には水俣病によるものとは考えにくいようなパターンの感覚障害が認められていたものや感覚障害なしとされていたものも稀とはいえないことも認められる。また、水俣病でみられる感覚障害の原因ということについても、第七節、第一、三でみたとおり、末梢神経、中枢神経の障害の双方が関与している可能性が強く、近時の研究では中枢の関与の方が大きいことを示唆するものが多いことからすれば、水俣病であれば感覚障害の態様は手袋靴下型となるはずであるというだけの医学的根拠もないものと思われる。これらのことは、手袋靴下型の感覚障害を呈していないからといって直ちに水俣病ではないということができないことを示すとともに、手袋靴下型の感覚障害というものを、水俣病の診断あるいはある目的のための線引きの際の基準としてどの程度積極的にとりあげることができるかを考えるに当たっても考慮しなければならないことであると思われる。
2 次に、四肢末梢型の感覚障害が「水俣病に特徴的な症状」ということを越えて、特異性があるかということについてみる。
(一) 四肢末梢型の感覚障害は、多発神経炎においてみられるものであり、多発神経炎型と総称される。多発神経炎は末梢神経障害の一つの型で、多発神経炎に対応するものであり、総称的な呼び名であって、種々の原因で起きる多数の疾患を包含するものであり、症候が両側性、左右対称性、遠位部優位などの特徴がある。荒木淑郎は、多発神経炎の主な原因を別紙四二の表のとおり分類しており、このように多発神経炎の原因は多様である上に、原因を明らかにし得ないものも少なくない。祖父江逸郎らは、多発神経炎二一〇例中原因を明らかにし得なかったものが一〇八例(51.4パーセント)あったとの調査結果を報告している。[<書証番号略>]
(二) 原田正純は、原田意見書[<書証番号略>]において、「四肢末端型の感覚障害あるいは口の回りの感覚障害、そういうものが確認された場合は、その症状だけでも水俣病である確率は高い。多発神経炎でもそのような症状がみられるから非特異的であるという主張もあるが、水俣病におけるこの四肢末端の感覚障害は多くの場合固有反射の亢進を伴っており、しかも細かく生活の場で観察すれば、手の細かい動作の障害や歩行の平衡の障害を伴っていて、きわめて特徴のある症状だということができる。」と述べている。
しかしながら、右見解のうち、手の細かい動作の障害や歩行や平衡の障害を伴っているとの点は、生活の場での観察を強調する点はさておき、これらの障害自体は手指の運動障害や平衡機能障害の所見であり、感覚障害の特徴ではないのであるから、水俣病にみられる感覚障害が非特異的なものであるとの見解に対する反論にはならないものであろう。水俣病における感覚障害は多くの場合固有(深部)反射の亢進を伴っているとの点については、他の疾患との鑑別の関係で後記第三、一において検討する。
(三) 以上のとおりであるから、水俣病にみられる四肢末梢性の感覚障害は、水俣病にのみみられるような症状ではないという意味において臨床医学的に非特異的なものであるといえよう。
二次に水俣病にみられるような感覚障害が他の原因によってどの程度の頻度で発現するのかについて検討する。
【証拠】 <書証番号略>、証人原田正純の証言(第三回)
1 熊本大学二次研究班の立津政順らは、知覚障害が水俣地区で二六〇人(28.0パーセント)と極めて高率にみられる症状であるが、対照地区である有明地区においても七六人(8.4パーセント)に知覚障害が証明されていることから、知覚障害の型について検討している。その結果は、別紙四三の図のとおりであり、手袋靴下型は水俣地区で15.6パーセント、有明地区では3.2パーセント、手袋靴下型に口周辺が加わった型は水俣地区で7.5パーセント、有明地区で0.1パーセントとなっている。研究班は、「口周辺の知覚障害と手袋状、ストッキング状の四肢の末梢性知覚障害は水俣地区に圧倒的に多い。さらに、全身性の知覚障害、および従来メチル水銀中毒と関係があまりないと考えられていた中枢型や脊髄型の知覚障害も水俣地区に高率に証明されていることは注目されなければならない。他方、神経症状としての知覚障害だけの場合や下肢又は上肢のみにみられる感覚障害には水俣地区と他の二地区の数字の間に有意差は認められなかった。」としている。(不知火海沿岸住民の健康に及ぼす有機水銀汚染魚介類摂取の影響に関する研究」)[<書証番号略>]
2 藤野糺は、「ある島における住民の有機水銀汚染の影響に関する臨床疫学的研究(第二報 非汚染地区住民の一斉検診)」[<書証番号略>]の中で、出水市桂島地区三一名と対照地区である鹿児島県大島群瀬戸内町西阿室地区三三名における表在知覚(痛・触覚)の出現頻度を報告している。これによると、桂島では四肢末梢性の手袋靴下型のものが一六名(51.6パーセント)、それに口周囲の障害が加わったものが一四名(45.2パーセント)であり、両者を合わせると四肢末梢性知覚障害は三〇名(96.8パーセント)に及び、その他に全身性の知覚障害が一名(3.2パーセント)みられている。これに対し、西阿室では四肢末梢性や口周囲の知覚障害を呈する例は一例もなく、上肢あるいは下肢の根性(分節性)知覚障害が三名(9.1パーセント)、外傷性及びハブ咬傷後遺症性のものが二名(6.1パーセント)みられている。
3 椿忠雄は、「水俣病の診断に対する最近の問題点」[<書証番号略>]の中で、社会福祉法人浴風園(養老院)に入園後死亡した老年者二一七例について、入園時及びその後の感覚障害の種類及び頻度を調査した結果を報告しているが、これによると、入園時八パーセント、死亡者の生前に一二パーセントの両側四肢しびれ感または知覚鈍麻が認められており、椿は、「この原因は中枢性のいずれかに求めえるが、老年者のかなりの率でかかる知覚障害があることは、水俣病認定申請患者が高齢化しているなかで現在十分考慮しなければならないことである。」と述べている。
4 徳臣晴比古らは、対照地区の老人における精神神経機能を詳細に検索し、老人性変化のみで水俣病類似症状がみられるか否かを検討することによって、老人水俣病の診断に役立てることを目的として、熊本県山間部に定住する五〇歳以上の一般老人九一名、熊本市内の施設老人二二名を対象として検診を行いその結果を報告している。(徳臣ら「老人検診よりみた水俣病診断の問題点」(水俣病に関する総合的研究報告集第二集、昭和五一年五月))[<書証番号略>]
これによれば、異常感覚を訴えたものは一般老人のうち二〇例(22.0パーセント)であり、六〇歳代二例、七〇歳代四例、八〇歳以上二例であった。脳卒中後遺症の一例では半身のしびれ感であったが、他はいずれも四肢末端におけるものであった。しかしながら、実際に表在感覚障害が証明されたのは一〇例(11.0パーセント)であり、五〇歳代一例、六〇歳代四例、八〇歳以上五例であった。その部位は一側上肢二例、一側下肢四例、両下肢、一側上下肢、半身、四肢各一例であり、両側性のものは二例であった。深部知覚障害は一八例(19.8パーセント)に認められた。五〇歳代四例、六〇歳代及び七〇歳代各五例、八〇歳以上四例であった。徳臣らは、異常感覚の訴えと表在感覚障害の不一致の原因は不明であり、将来検討の余地があろう、と述べている。
徳臣らは、結論的に「老人においては水俣病と共通した種々の神経症状が少なからず認められ、老人性変化のみによって水俣病類似の症状を来し得ると考えられる。したがって、水俣病の診断は個々の症状のみでなされるべきでなく、症状の組合せが最も重要である。」としている。
一方、原田は、この検査結果について、四肢末端の表在感覚障害が一名しか認められていないことに注目すべきであるとし[同人の証人尋問(第三回)における証言]、さまざまな神経症状がみられ、しびれ感や感覚障害は多数に認められるというものの、四肢末端型の感覚障害は稀であることが、水俣病の感覚障害が極めて特徴のある症状だということを示しているとする(原田意見書)。そして、立津、原田らが昭和四九年に行った京都府伊根町の一般住民検診でも感覚障害は9.7パーセントみられるが、四肢末端型は2.1パーセントであったとする。なお、原田の証言によれば、この住民検診は約八〇〇名程度を対象とし、年齢構成としては高齢者が多かったとのことである。
5 荒木らは、神経症状への加齢の影響を明らかにする目的で、平成元年二月三日現在非水銀汚染地区である熊本県のある町のある地区に在住する六〇歳以上の高齢者三九名について問診及び神経学的診察を実施して神経内科的愁訴及び所見を検討している。(「加齢による水俣病への影響に関する研究―非水銀汚染地区在住高齢者の神経学的所見の検討」、平成元年)[<書証番号略>]
これによると、対象者の76.9パーセントが何らかの神経内科的愁訴を有し、難聴(41.0パーセント)、腰痛(35.9パーセント)、手足のしびれ(25.6パーセント)、肩こり(25.6パーセント)、膝関節痛(23.1パーセント)、耳鳴り(20.5パーセント)、頭痛(15.4パーセント)などが高頻度であった。神経症状の出現頻度は別紙四四の表のとおりであり、79.5パーセントに神経症状がみられ、視力障害(30.8パーセント)、上方注視障害(25.6パーセント)、片足起立障害(20.5パーセント)、saccadic eye movement、感音性難聴、つぎ足歩行障害、深部反射の減弱・消失(各17.9パーセント)、マン徴候陽性(15.4パーセント)、深部反射亢進(12.8パーセント)などが高頻度にみられた。水俣病の主要症候である四肢型の表在感覚障害、視野異常はゼロであり、協調運動障害は低頻度であった。長谷川式簡易知能評価スケールによる検討では、正常と評価された人は35.9パーセントと少なく、境界〜軽度異常を示す人が53.8パーセントと全体の過半数を占めた。荒木らは、「水俣病認定患者にみられる症状は、大なり小なり当非水銀汚染地区でもみられたが、いずれの症状も水俣病患者に比し出現頻度は極めて低く、特に水俣病の特徴的症状である視野異常、協調運動障害、四肢型の表在感覚障害は比較的低頻度であった。しかし、本研究で比較的高頻度にみられた難聴、sac-cadic eye movement、片足起立障害、つぎ足歩行障害、体位時振戦、深部反射減弱などは水俣病患者においても、他の症状に比し比較的高率に認められる傾向を示し、これらの中には加齢による影響もある可能性が示唆された。」としている。荒木らは、また、「今後も引き続き、一、二年間の予定でこの町に在住の高齢者五〇〇〜一〇〇〇名について検診を行い、しかる後に最終結果を出したい。」「これまで非水銀汚染地区住民についての神経学的検討はいくつかなされているが、いずれも老人ホームやごく限られた母集団についての検討で、本研究のように地域在住の高齢者全員についての、しかも神経学的検討を詳細に行った報告はない。かかる研究は内外共にみられず、基本的には必ずしも十分には把握されていない老人の神経症候学の全貌を明らかにすることであるが、これにより水俣病への加齢の影響を、さらに水銀汚染地区在住の高齢者にみられる神経学的兆候の特徴を明確にし得るものと期待される。」としている。
三次に、水俣病の症状として感覚障害のみが単独で出現することが医学的に実証されているかどうかとの点について検討する。本件における最終的な問題は、「感覚障害だけの水俣病があるかどうか」ということ自体ではなく、ある患者に水俣病の主要症候のうち感覚障害が出現していれば、それだけでその患者が水俣病に罹患している可能性が高いといえるかどうかということにあるが、これを判断するに当たっては、「感覚障害だけの水俣病」の可能性について検討しておくことが必要となる。
【証拠】 <書証番号略>
1 原告らは、感覚障害だけの水俣病の可能性として、感覚障害が水俣病の初発症状であり、有機水銀の曝露量が比較的少ない場合、症状がその段階で止まっているという可能性があると主張する。
この問題に関連するものとして、次のような報告がある。
(一) 宮川によるラットに対するメチル水銀の投与実験
(1) 熊本大学医学部教授の宮川太平は、有機水銀を飼料に混ぜてラットに経口的に摂取させ、投与期間と障害との関係を検討した。宮川は、その実験データから、「メチル水銀の侵襲機序」(有馬編・水俣病―二〇年の研究と今日の課題、昭和五四年一月)[<書証番号略>]において、「有機水銀によってまず末梢神経の知覚線維、脊髄後根・後索、脳神経の三叉神経、聴神経などが選択的に傷害され、」「これらの病変に遅れて小脳顆粒細胞や後頭視領域の細胞に病変が見出される」としている。そして、宮川は、「このような動物実験データを基にして、ヒト水俣病の臨床症状をみると、症状がまず四肢末端や口周のしびれ感ではじまり、知覚の鈍麻、聴力障害がみられること、さらに運動失調、言語障害、求心視野狭窄などが出現する。これは末梢神経の傷害に遅れて小脳が傷害されるとからもよく説明できる。」とし、「(ラットの実験で)有機水銀投与量がある一定量以下の場合(摂取総量六〜七ミリグラム)、六〇〇日後における神経系の変化が末梢神経のみに限局されていることから考えると、臨床的にも一旦ある量以下の有機水銀を摂取した場合、長期間経過した時点において末梢の知覚障害のみをもつことになろう。」としつつ、「これはあくまでラットにおいての所見であるので、これをそのまま人間に適応することは慎重を要する。」としている。
(2) 原田は、「一六年後の水俣病の臨床的・疫学的研究」(「神経進歩」一六巻五号、昭和四七年一〇月)[<書証番号略>]の中で、宮川の右研究にも触れつつ、次のとおり述べている。
「われわれが、水俣病と考えたもののなかに知覚障害のみという例があったとする。これらの例は四肢の末梢性知覚障害、さらには口周辺の知覚障害という特徴を示し、多くは一般の対照者にもある頻度でみられるような、神経学的に障害とはっきり断定できない程度のものであるが、ごく軽い構音障害や共同運動障害などの痕跡的な症状がみられるのである。したがって、ある意味において全く知覚障害のみの水俣病は多くはなく、どこまで細かい症状をみるかによるのであると考えられる。宮川は実験的には末梢神経障害のみのメチル水銀中毒を見出しているが、人間の場合、しかも環境汚染による徐々な中毒の場合、ある部分にのみ障害があるということはまれであって、むしろその障害の程度にさまざまな差があると考える方が自然であろう。」
(二) 川崎らのサルに対するメチル水銀の長期投与実験
川崎靖(厚生省国立衛生試験所安全性生物試験研究センター毒性部)らは、雄ザル五頭からなる動物群に対して、五二か月にわたり塩化メチル水銀を一日当たり0.01mg/kg、0.03mg/kg、0.3mg/kg投与する実験を行ったところ、0.1mg投与した群と0.3mg投与した群では、病理組織学的所見として、脳の後頭葉、特に線条野に高度の病変が共通して認められたりしたが、末梢神経には変化が全く観察されなかった。(川崎ら「サルにおける塩化メチル水銀の長期毒性に関する研究」、昭和六一年六月)[<書証番号略>]
(三) イラクの有機水銀中毒の例について
(1) Bakirらは、一九七二年(昭和四七年)に、イラクでメチル水銀で消毒した種子小麦を製粉して作ったパンを食べたことが原因で発生した大規模な中毒事件について報告している。[<書証番号略>]
この事件では全国で六五三〇人が病院に収容され、うち四五九人が死亡している。Bakirらは、症状の程度は摂取量に比例し、パンを短期間食べた人は知覚異常(paresthesia)だけを示し、長期間食べた人は他の症状を呈したと述べ、血中メチル水銀濃度から体内水銀蓄積量を推定した上、体内蓄積量と各種神経症状発症との関係を検討し、各症状の出現するメチル水銀体内蓄積量の閾値として、体重五一キログラムの成人で知覚異常二五ミリグラム、歩行障害五五ミリグラム、構音障害九〇ミリグラム、聴覚消失一七〇ミリグラム、死亡二〇〇ミリグラムとの説を提唱している。
なお、Bakirらの報告の中で「四肢及び口囲のしびれ感―知覚異常numb-ness in the extremities and in the perioral areas-paresthesiaといっているのは、自覚症状としてのしびれ感のことであり、表在感覚障害のことではないように思われる。
(2) H.Rustam・T.Hamdiは、中毒患者五三人について研究した結果を報告している。[<書証番号略>]これによると、神経症状の発現頻度は、Bakirらの報告とは相違しており、小脳症状が九五パーセントと最も高頻度となっており、知覚障害の頻度は検査した四三人中二八例(六五パーセント)で、表在知覚障害の他覚所見がみられたのは一四例となっている。ただし、患者のなかには年少者が多く含まれており、原田は、「知覚障害の頻度が低いことも注意を引く。ピックアップの方法にもよるが、幼児や小児の場合知覚障害がみられないことがあり、そのためとも考えられる。」と述べている。H.Rustamらは、知覚障害の原因については、「結論的に、これまでに得られた病理組織学、電気生理学の知識では、メチル水銀中毒によっておこった末梢神経症という概念を確認することができない。」と述べている。また、中毒の重症度と血液中水銀レベルの間の関係については、「相関関係がなく、水銀に対する感受性の個体差が決定因子と思われる。」としている。
(3) デイヴッド・O・マーシュ(ロチェスター医科大学)は、「国際フォーラム」において、イラクの事件の患者についてなされた神経伝導速度の検査では運動及び感覚神経伝導速度ともに正常であり、電気皮質誘発電位も正常であったことを報告し、水俣病患者にみられる末梢神経の異常がメチル水銀によるものなのか、何か他の原因によるものなのかについては疑問を持っている、と発言している。また、イラクでは感覚低下が一番最初に現れる症状であったが、中等度の感覚障害の場合は回復する傾向があった、マイルドなケースでは細胞レベルでは変化があっても、構造的変化は起こらず、そうであれば症状は回復すると考えることは合理的である、もし他の症状や症候がないなら、感覚障害が永久に持続すると考えることは難しい(quite unrea-sonable)と思う、とも発言している。[<書証番号略>]
(4) 武内忠雄は、「慢性水俣病と第三水俣病」(「科学」四三巻一一号、昭和四八年一一月)[<書証番号略>]の中で、Bakirらの報告からすると、「理論的には水俣病には知覚障害のみのもの、知覚障害と失調のもの、知覚障害、失調、構音障害のものなど、症状の揃わないものもあってよいということになる。もちろん、臨床診断上、それらは他疾患との鑑別が困難であることは周知のとおりである。」と述べている。しかし、Bakirらの報告とH.Rustamらの報告とでは、同じ中毒事件を扱っていながら、その内容の相違が顕著であることは右にみたとおりである。
(四) 水俣病にみられる感覚障害の原因については、第七節、第一、三でみたとおりであって、末梢神経の障害、中枢神経の障害の双方の関与している可能性が強いが、近時の研究では中枢の関与の方が大きいことを示唆するものが多い。そして、中枢の障害に関しては、中枢の好発部位のうち感覚中枢のみが侵されるということは考えにくいと思われるから、感覚障害のみが単独で発現するということはそれだけ考えにくくなる。
(五) 検討
以上の報告からすると、宮川のラット実験の報告はあるものの、人間において末梢神経が先行的に障害されることにより感覚障害のみが単独で発現する場合があるとの医学的根拠は十分ではないと思われるし、イラクの有機水銀中毒についても、研究者による報告内容の相違が顕著であり、一定の結論を導く根拠とすることには困難があると思われる。
2 原告らはまた、水俣病の症状として、一旦感覚障害のほかに他の症状も出現したが、感覚障害以外の症状は軽減して把握できなくなり、その結果、感覚障害だけがみられる可能性があるとも主張する。
この問題に関連するものとして、次のような報告がある。
(一) 原田は、「長期経過した水俣病の臨床像」(「精神神経学雑誌」七四巻八号、昭和四七年八月)[<書証番号略>]の中で、昭和三六年当時ハンター・ラッセル症候群を揃えていた典型的な症例三九例の一〇年後の臨床症状を報告しており、ハンター・ラッセル症候群の症状が相変わらず高率に出現し、これらの症状は消失し難いが、その程度においてはかなり改善がみられた、共同運動障害、錐体外路症状などはその程度が改善したものが多くみられた、としている(共同運動障害では、三九例中、憎悪及び不変一五例、軽快二二例、消退二例のようである。)。
(二) 岡嶋透らは、「水俣病患者の追跡調査」(水俣病に関する研究(昭和五九年度環境庁公害防止等調査研究委託費による報告書)、昭和六〇年三月)[<書証番号略>]の中で、水俣病発生当初に診察し得た典型例九例と、症状は軽いが濃厚汚染があったと考えられる軽症例五例について、昭和五九年に臨床症状その他の追跡調査を行った結果を報告している。これによると、典型例では主要症候の出現頻度に大きな差は認められないが、感覚障害と失調を取り上げて個々の症例についてみると、表在感覚障害を除き改善を示すものが多く、軽症例では、表在感覚障害は過去、現在とも全例で存在したが、その他の症状は典型例に比し頻度が少なく、さらに改善傾向が強かった、軽症例では表在感覚障害が現在の主要症状であった、とされている。
(三) 徳臣らは、「水俣病に関する臨床的ならびに疫学的研究」(「水俣病に関する総合的研究中間報告集」第四集、昭和五三年二月)[<書証番号略>]の中で、水俣病患者二二例の神経症状を一〇年間追跡した結果を報告している。これによると、精神障害の頻度は発病当初に比してやや減少し、視野狭窄、難聴、言語障害、運動失調、感覚障害の頻度にはみるべき差がなかったが、症状の程度は、例えば協調運動障害、視野狭窄等で約半数に症状の改善がみられるなど、かなり改善していた、とされている。
(四) 検討
認定された水俣病患者の症状の追跡ということは、遅発性水俣病の問題や心因的要因の問題を考える上でも極めて重要と思われるが、本訴に提出されている証拠からみる限りでは、この点の研究は必ずしも十分ではないようである。以上(一)ないし(三)等の報告からすれば、失調等の症状は改善する場合がかなりあるという程度のことが理解されるにすぎず、感覚障害以外の症状が軽減して把握できなくなり、感覚障害だけが残存する可能性があるとの原告らの主張を裏付けるほどのものがあるとはいい難い。
3 被告らは、原告らの診断基準が正当と認められるためには、感覚障害のみを呈する例がメチル水銀に汚染された魚介類を多食したと認められる地域住民の中に多数存在していることが証明されなければならないと主張するのに対し、原告らは、水俣病患者全体の中には感覚障害に加えて、運動失調、視野狭窄あるいは難聴といった症状を複数個併せ持った例が多数存在するとともに、感覚障害のみの例も小数ではあるが存在するのであって、感覚障害のみの症状を呈する例がメチル水銀に汚染された魚介類を多食したと認められる地域住民の中に多数存在するとは主張していないと反論している。この点については、第四節、一二で検討したとおり、メチル水銀に汚染された魚介類を多食した地域住民に、対照地域の住民との比較において、感覚障害のみを呈する例が有意差をもって多数存在するのでなければ、その感覚障害を水俣病の症状とみることに困難が生じることは否めない。
そこで、メチル水銀に汚染された魚介類を多食した地域住民に、対照地域の住民との比較において、感覚障害のみを呈する例が有意差をもって多数存在しているのかを判断する資料となり得る調査研究の結果をみると、藤野らの御所浦地区における調査結果(第四節、九)はあるものの、熊本大学二次研究班の調査の後における同一対象者の急激な症状の憎悪を有機水銀中毒によるものとする藤野らの分析を承認するためには、さらに研究の蓄積が必要であると思われることについては、前記第六節、四、5において検討したとおりである。
4 このようにみてくると、水俣病の症状として感覚障害のみが単独で出現することが医学的に実証されているとはいえず、原田が「一六年後の水俣病の臨床的・疫学的研究」[<書証番号略>]の中で述べているように、環境汚染による人間の徐々の中毒の場合、ある部分にのみ障害があるということはまれであって、むしろその障害の程度にさまざまな差があると考える方が自然であるように思われる。しかし、逆に感覚障害が単独で出現する可能性がないことが医学的に実証されているとまではいえないであろう。
第三他疾患との鑑別
一深部反射の亢進
【証拠】 <書証番号略>
第七節、第一、二、(五)でみたとおり、原田は、原田意見書[<書証番号略>]において、水俣病による感覚障害について、「多くの場合筋力低下をも伴うが、腱(固有)反射は多くの場合亢進しており、これは急性例でも、外国の報告でも同様である。そういうことから、厳密にいえば教科書的な多発神経炎とは異なる特徴を示しているのである。しかし、そのことが糖尿病やその他の中毒による多発神経炎、頚椎症との鑑別に役立つ。」と述べ、共同意見書[<書証番号略>]も、「ニューロパチーは原因別にみても多種にわたり、またその臨床症状も一様ではない。しかし、これらのニューロパチーと水俣病を鑑別することは容易である。なぜならば、ニューロパチーでは、原則として、深部腱反射が低下もしくは消失し、また神経伝導速度(運動、知覚)の低下を来すからである。原告らを含む水俣病患者においては深部腱反射が低下せず、正常もしくは亢進を示す者の方が多数であり、かつ神経伝導速度もほとんどの例で正常である。このことは、水俣病の感覚障害がニューロパチーすなわち末梢神経障害によるものでなく、中枢神経障害によるとする一方の考え方の臨床的根拠になっていることでも理解できよう。とはいえ、腱反射の低下を示す例も存在するから、一通りの鑑別が必要である。」と述べている。また、第七節、第一、二、(四)の井形の見解でも、異なった問題意識からではあるが、水俣病患者の深部反射について触れられている。
そこで、水俣病患者の深部反射について、他疾患との鑑別という観点から検討する。
1第四節、一一の荒木らによる近時の認定患者の症候の分析では、一三一例中、亢進例一五例、減弱・消失例五四例となっており、近時の認定患者では亢進を示すものが多いとか、減弱又は消失を伴わないことが多いとは必ずしもいい難いことが示されている。
2 水俣病患者における深部反射という点に関し、皆内康広・井形昭弘「重金属中毒によるニューロパチー」[<書証番号略>]では、「四肢の深部反射は、水俣病では亢進するものが多く、新潟では低下が多く、一定せず、中枢神経障害の重症度と関連性があるものと思われる。」と記述されており、中枢神経障害が重症のものでは亢進するものが多く、軽症のものでは低下するものが多いのではないかということが示唆されている。
3 徳臣らは、「水俣病に関する臨床的ならびに疫学的研究」(「水俣病に関する総合的研究中間報告集第四集」、昭和五三年三月)[<書証番号略>]の中で、その当時五年間に診察したdefi-nite case及びprobable caseのうち、脳卒中、頚部脊椎症、糖尿病などの合併症を有せず、かつ深部反射の著明な左右差のない二二一例について下肢深部反射を検討した結果を報告している。これによると、別紙四五の表1のとおり、膝蓋腱反射(PTR)、アキレス腱反射(ATR)ともに正常を示すものが一一〇例で約半数を占めたが、両者とも亢進が二四例、両者とも減弱が三〇例であった。膝蓋腱反射のみについてみると、亢進は四〇例、減弱は三二例で亢進例がやや多く、アキレス腱反射については、亢進は二五例、減弱は七三例であり減弱を示すものが多かった。膝蓋腱反射亢進を示すにかかわらずアキレス腱反射減弱を示す例が五例あった。
徳臣らは、八例について、下肢深部反射と剖検所見を対比して、報告している(別紙四五の表2)。これによると、膝蓋腱反射又はアキレス腱反射減弱例(症例1ないし4)では錐体路病変は認められず、脊髄後根、後根神経節あるいは腓腹神経の病変が種々の程度に証明され、膝蓋腱反射亢進、アキレス腱反射減弱の認められた症例5では錐体路病変は認められなかったが、前中心回の病変が他の例よりやや強く、膝蓋腱反射、アキレス腱反射とも亢進を示した症例6ないし8では錐体路病変が確かめられた、とされている。
徳臣らは、この結果につき、「膝蓋腱反射のみについてみると亢進例がやや多く、アレレス腱反射については減弱例がはるかに多かった。同様の傾向は新潟水俣病においても気付かれている。膝蓋腱反射亢進を示すにかかわらずアキレス腱反射減弱を示す例が五例あったが、このようなパターンはかつてスモンで注目されたことがあり、「錐体路障害プラス末梢神経障害」の存在が示唆された。剖検でも膝蓋腱反射、アキレス腱反射減弱例では錐体路病変は認められず、膝蓋腱、アキレス腱とも亢進を示した例では錐体路病変が確かめられた。すなわち、深部反射の亢進、減弱は錐体路と末梢神経障害の組合せいかんによると思われる。」と述べている。
ここで、水俣病患者にみられる錐体路病変についてみておくと、武内・衞藤「水俣病の病理総論」[<書証番号略>]では、運動中枢における神経細胞の全脱落あるいは比較的強い脱落は、水俣病の重症者にみられるが、それらの脱落をみるときに、二次的に錐体路の変性を招来することがある、脳幹特に橋や延髄及び脊髄を観察する時その病変を確かめておくのも水俣病の診察の助けとなる、と述べられており、武内「慢性水俣病と第三水俣病」[<書証番号略>]でも、「長期経過に伴う病変としてはarea4(運動中枢)の障害が強い例では錐体路の二次変性を伴うが、軽症慢性例では認めにくい。」と記述されている。軽症例については、武内・衞藤「水俣病の軽症例にみられる病理学的変化とその水銀組織化学について」[<書証番号略>]でも、脊髄には重症例、定型例にみたような錐体路やゴル索病変をみない、と述べられている。
4 白川健一は、「水俣病の診断学的追究と治療法の検討」[<書証番号略>]の中で、熊本水俣病患者五五例について、白川自身が深部反射を検査した成績を報告している。これによると、膝蓋腱反射の亢進が52.7パーセント、アキレス腱反射の減弱が47.3パーセントとなっており、上肢で上腕二頭筋反射、橈骨反射、下肢では膝蓋腱反射、アキレス腱反射について両者の関係を検討した結果は別紙四六の表2のとおりで、上肢では両者の乖離は9.1パーセントと少ないが、下肢では膝蓋は61.8パーセントと多くなっている。別紙四六の表2の下欄は初期の患者(第四節、三の徳臣の分析した三四例)を同様に整理したものであり、乖離はみられず、膝蓋、アキレス反射ともに亢進しているものが35.3パーセントと多い。
5 検討
以上の報告から、中枢神経障害の程度が比較的重いと考えられる水俣病重症例や定型例では運動中枢の障害やそれに伴う錐体路の二次的な障害などにより、深部反射が亢進することが比較的多く、しかも初期の患者のような重症例では膝蓋腱、アキレス腱反射とも亢進しているものが多いのに対して、症状が軽度になるにつれ、アキレス腱反射亢進を示す例が少なくなり(軽症例では錐体路障害がみられなくなるとの病理学的所見との関連が考えられよう。)、むしろ減弱・消失を示す例が増え、膝蓋腱反射とアキレス腱反射の乖離を示す症例も多くなり、中枢神経障害の程度の軽い症例では深部反射正常や、末梢神経障害による減弱・消失を示す例が増えているのではないかということが窺われる。中枢神経障害が比較的軽いと考えられる近時の水俣病認定患者においては、深部反射正常のものが多く、また、亢進を示すものよりも減弱・消失を示すものの方がはるかに多いという結果も、このような見地から理解することができるように思われる。
とするならば、原田意見書は、水俣病患者では腱反射が多くの場合亢進し、教科書的な多発神経炎とは異なる特徴を示していることが、糖尿病やその他の中毒による多発神経炎、頚椎症との鑑別に役立つと述べているのであるが、腱反射の亢進を示す患者の割合が低下していることから、それが他疾患との鑑別の上では果たす役割も低下しているものと考えられる上に、水俣病による錐体路病変の存在ということを考えにくい軽症例において深部反射の亢進がみられる場合には、むしろ他の疾患との鑑別がより重要となると思われる。原田意見書は、頚椎症との鑑別にも役立つとしているが、頚椎症性脊髄症では、通常、上肢に障害髄節を示唆する深部反射低下が現れ、それ以下の深部反射は下肢の深部反射も含め亢進するものであるから(酒匂崇編・頚椎症三七頁[<書証番号略>]、大勝反論書[<書証番号略>]四二頁以下)、レ線上頚椎に所見があり、下肢の深部反射が亢進しているような場合には、この鑑別がより重要となると思われる。
一方、軽症例で多くみられる深部反射の減弱・消失を示す例では、水俣病による感覚障害と他原因によるニューロパチーとの鑑別や、深部反射の減弱・消失といった症状は一般老人においても相当程度の頻度でみられるだけに(第二、二、5の荒木らの調査など)、年齢的要因によるものではないかといったことの検討が重要といえよう。また、深部反射正常、神経伝導速度の正常といったことは、共同意見書も述べているように、感覚障害の原因として中枢神経障害を示唆する一つの臨床的根拠となり得るものであるから、水俣病による中枢神経障害に特徴的な他の症状の発現が有るかどうかといった点が水俣病の診断の上で重要であることを示唆するものとも考えられる。
共同意見書も、原田意見書と同様、原告らを含む水俣病患者においては深部腱反射が低下せず、正常もしくは亢進を示す者の方が多数であり、かつ神経伝導速度もほとんどの例で正常であることを根拠に、ニューロパチーと水俣病を鑑別することは容易であるとしているのであるが、以上の理由によりその論理は必ずしも十分な説得力を有するものとはいえないと評価せざるを得ない。
二糖尿病ニューロパチー
【証拠】 <書証番号略>
1 糖尿病患者にみられる末梢神経障害を一括して糖尿病性ニューロパチーという。その成因は、糖尿病に特有な代謝異常に起因するというほかに、一般に血管障害をはじめとして種々の要因が直接、間接に絡み合った複雑なものと考えられている。病変の主座は末梢神経にあり、しかも遠位部に向かうほど著しい脱髄変化を示す。臨床的には、通常対称的に、四肢末端がおかされ、感覚障害が主体となったいわゆる感覚性ニューロパチーを示す。発病は徐々で下肢から上肢末端に向かって、疼痛、感覚異常をもって始まる。感覚の鈍麻は強くないが、主に深部感覚がおかされやすい。深部反射は減退あるいは消失するものが多い。自律神経障害を伴う場合が多く、瞳孔の異常、ぼうこう障害、胃腸障害(便秘、下痢、悪心など)、皮膚栄養障害などがみられる。[<書証番号略>]
2 ニューロパチーの頻度は報告者によってまちまちであるが、冲中重雄らは、来院中の糖尿病患者二四二例を対象とした臨床神経学的検討の結果、何らかの自覚症候または他覚徴候を示したものは96.2パーセントの高率に存在したと報告している。(阿部正和ら編・新版臨床内科学四三三頁)[<書証番号略>]
ブドウ糖経口負荷試験成績別にみた症状の頻度が、松岡健平「多発性神経障害―とくに四肢疼痛性神経障害について」(平田幸正・松岡健平編集「糖尿病性神経障害の臨床」所収)[<書証番号略>]の中で紹介されており、これによると、東京都済生会中央病院人間ドック入院の男性一五〇例、女性五〇例から得た自覚症状の頻度をブドウ糖経口負荷試験成績別にみた結果は別紙四七の表のとおりであり、糖尿病型に20.8パーセント、境界型に18.5パーセント異常感覚の訴えが認められると報告されている。
また、前掲の阿部正和ら編・新臨床内科学第四版四三四頁[<書証番号略>]には、症状の頻度が「膝およびアキレス腱反射の減弱ないし消失・脛骨縁振動覚障害・尺骨顆振動覚障害・上肢深部反射の減弱ないし消失が四〇パーセント以上の高頻度に認められる。そして、なんらかの深部反射異常は全例の八四パーセント、なんらかの知覚障害を示すものは全例の八六パーセントに及ぶ。自律神経系症状の頻度もかなり高くいずれかの症状を有するものを含めると八八パーセントの多きに達する。」と記載されている。
3 共同意見書[<書証番号略>]及び「大勝反論書に対する反論」[<書証番号略>]は、境界型糖尿病で四肢末梢型感覚障害が生じることがあるかという問題について、およそ次のとおり述べている。すなわち、前掲の松岡の報告は自覚症状の頻度にすぎず、「糖尿病性ニューロパチーは、糖尿病発見時には7.5パーセント、発症二五年後には四五パーセントの頻度で糖尿病患者に認められる。」とするPirartの成績はこれまでに実施された最も広範な追跡調査の結果であり、「四〇才以上ではじめて糖尿病の発見された例では、神経障害が診断時に高頻度であった」とも述べられているが、糖尿病患者の圧倒的多数が成人発症であることを考慮すれば、「神経障害の有病率は糖尿病診断時7.5パーセント」という成績からは、糖尿病の前段階ともいえるが糖尿病とは異なる境界型糖尿病一般において、水俣病患者にみられるような明らかな四肢末梢型感覚障害を呈するとは考えられない、というのである。
この論旨は、糖尿病患者の圧倒的多数が成人発症であるから、四〇才以上ではじめて発見される例が多いと思われるので、四〇才以上ではじめて糖尿病の発見された例で神経障害が高頻度であったといっても、糖尿病診断時7.5パーセントの有病率という数値からみて、それほど高頻度であるとは考えられず、しかも境界型糖尿病は糖尿病とは異なるのだから、水俣病患者にみられるような明らかな四肢末梢型感覚障害を呈するとは考えられない、という趣旨であると理解される。しかし、前掲の松岡の報告書二一六頁[<書証番号略>]では、「ブドウ糖負荷試験成績が糖尿病型で、症状がある場合、それが糖尿病性であるという確率は高い。しかし、境界型であっても、多発性神経障害に特徴的な自覚症状の既往があるときには、その症例のブドウ糖負荷試験成績が過去に糖尿病型ではなかった、とする保証はどこにもない。」と説明されており、「糖尿病性ニューロパチーは、糖尿病発見時には7.5パーセント、発症二五年後には四五パーセントの頻度で糖尿病患者に認められる。」とする報告からも窺われるように、発病後の経過年数の長いものでは糖尿病性ニューロパチーが出現する頻度も高いのであるから、ブドウ糖負荷試験成績が境界型であっても、過去には糖尿病と診断された既往があって現在特徴的な症状がある場合には、糖尿病性ニューロパチーの可能性がかなりあると考えられるし、過去には糖尿病性ニューロパチーに特徴的な自覚症状の既往があるという場合にも、現在の症状が糖尿病性ニューロパチーによる可能性があるといえるであろう。また、前掲報告書では、「発症年齢が高くなるに従って、初診時の医師が推定した糖尿病の発症以前に神経障害の自覚症状を有している例が多くなる。」とも記述されており、糖尿病患者には四肢末梢型の神経障害がみられるという事実があり、境界型糖尿病でも糖尿病型と同じ程度の頻度で異常感覚の訴えがあるとの事実もあるとすると、境界型糖尿病で四肢末梢型感覚障害はみられないと断定的にいうことにも疑問が感じられる。
4 共同意見書は、糖尿病性ニューロパチーが水俣病と異なる点として、①初期からアキレス腱反射の低下、消失を呈すること、②下肢遠位部に始まる深部感覚障害が初発で、糖尿病が重症化するのに従って表在感覚及び上肢遠位部へと進展すること、③運動失調を呈するのは深部感覚障害が高度な例であること、④神経伝導速度とりわけ知覚神経伝導速度が早期から低下すること、といった点があるので、糖尿病を合併する水俣病患者においても以上の検討を行えばいずれによる可能性が強いのかを鑑別することができる、との見解を示している。これらの点は、糖尿病性ニューロパチーの特徴といえようが、前掲書では、「神経障害の症状を考える上で重要なことは障害される線維の種類によって症状や所見が異なる点である。大径線維(太い有髄神経)と小径線維(細い有髄および無髄神経)との機能は異なる。糖尿病性神経障害では両者同時に侵されていることが多いが、時として選択的である。とくに小径線維障害は糖尿病例にめだった存在である。長い線維ほど侵されやすく、早期の疼痛、異常感覚は指先や足先より起こり、ソックス型よりストッキング型へと進展する。つまり神経細胞の体部より遠い位置の軸索障害がもとになっている。このような場合、アキレス腱反射や神経伝導速度は正常に保たれているにも拘らず痛みは著しく激しい。患者は触覚、痛覚の低下に気付いていることもあるが、位置覚、振動覚、筋力は早期のうちには下がらない。神経伝導速度もあまり低下しないが、やがて下肢より低下が目立つようになり、とくに誘発電位の低下が見られるようになる。」との記述もあり、水俣病との鑑別が必ずしも容易でない場合もあることが推測される。
三脊椎変性疾患
【証拠】 <書証番号略>
1 共同意見書[<書証番号略>]及び「大勝反論書に対する反論」[<書証番号略>]は、水俣病による感覚障害と脊椎変性疾患による感覚障害との鑑別は容易であるとして、①水俣病でよくみられる感覚障害は、手袋靴下型のものであり、頚椎症性脊髄症のなかにもこれと類似した感覚障害があるとする椿らの若干の報告もあるが、これは国際的には認められておらず、頚椎症性脊髄症による感覚障害は医学的にも理論的にも髄節性の感覚障害であり、正確には手袋靴下型にはならないのが一般である。②ただし、頚椎症性脊髄症の数パーセントに四肢末梢の感覚障害を呈するものがあるが、頚椎症性脊髄症の主症状は四肢の痙性麻痺による歩行障害(水俣病による失調歩行とは異なる)、手指の巧緻運動障害(箸が持てない、字が書けないなど)、四肢腱反射の亢進、病的反射陽性(ホフマン、ワルテンベルグ、トレムナー、バビンスキーなど)、膝蓋骨クローヌス・足クローヌスなどが認められる錐体路障害であるし、レントゲン線(X線、以下「レ線」という。)写真における所見やCT検査等による脊髄横断断層撮影等の所見などからも、水俣病との鑑別は困難ではない、と述べている。そこで、水俣病の症状と脊椎変性疾患の症状との鑑別の問題について検討していくこととする。
2 変形性脊椎症は、脊椎の老化、退行変性によってもたらされる消耗性疾患の一つである。脊椎の変形性変化は、二〇歳代より発現するものも認められ、ドイツの脊椎病理学者シュモールの報告によれば、剖検例において四九歳の女子の六〇パーセント、男子の八〇パーセントに脊椎の変形性変化がみられ、浪越の報告によれば、わが国の剖検例で五七歳以上の八七パーセントにこうした変化がみられている。こうした脊椎の変化は、脊椎に対し力学的負荷を過大に受ける職業の人々により強く認められる。
変形性脊椎症は、頚椎に起こる変形性頚椎症cervical spondylosisと腰椎に起こる変形性腰椎症に分かれるが、病名としては、変形性頚椎症は頚椎症、頚部脊椎症、頚椎骨軟骨症cervical osteochondrosisとも呼ばれることがある。頚椎椎間板の退行性変化によって、二次的に頚椎椎管周辺組織の変化(椎間板組織の後方突出、椎体辺縁部の骨棘形成、各椎体間の不安定性、椎間板狭小による後縦靱帯や黄色靱帯の弛緩や肥厚など)により脊髄が障害を受けて症状を呈した状態を(頚椎症性)脊髄症myelopathyといい、椎体周辺の変化により神経根が障害を受けて症状を呈した状態を(頚椎症性)神経根症radiculopathyという。
ところで、こうした変形性変化は、レ線上では健康成人においても高率に認められる所見であり、これを病的とみなし、臨床症状と関連づけるには慎重な検討が必要であるとされている(村上元孝ら編「老年病学」)[<書証番号略>]。村上弓夫「単純X線所見」(伊丹康人ら編・整形外科MOOK6頚椎症の臨床)[<書証番号略>]も、「頚部脊椎症は椎間板変性を基盤として生じた頚椎の変形性変化による症候群であり、X線検査は本症状の診断に欠かせぬ検査の一つである。しかし、変形性変化は加齢と共に一般に高率かつ顕著に認められるようになるが、全く症状を欠くこともあるなど必ずしも症状と一致しない。したがって、本症の診断にあたってはまず臨床症状を十分に検討することが大切であり、X線検査は補助診断に過ぎないことを銘記すべきである。」「頚椎X線像でみられる変形性変化は、四〇歳を過ぎると年令が増すにつれて男女ともみられる頻度が増加してくる。その程度は、男性が女性に比し一般に高度である。頚椎高位ではC5―6、C6―7で認められる頻度が高い。しかし、一般にX線像の変化と無症状群、有症状群とその程度との間には特に相関はみられない。」と述べている。
レ線上同じような変形性変化が認められても、症状を有したり、有しなかったりする点について、天児民和監修「新臨床整形外科全書」第四巻B(服部奨編集)所収の「頚椎骨軟症のmyelopa-thy」[<書証番号略>]では、「payneとSpillane(一九五七)が九〇例の頚椎X線像を調査して、脊髄症状を生ずるか否かは脊髄と脊椎管腔との関係、すなわち脊髄症状を生ずるような症例では本来頚椎における脊椎管腔前後径が狭いと報告した。それ以後同様な種々の報告をみる。この脊椎管腔前後径の狭小という概念が導入され、X線上同程度の頚椎症性変化を有しながら、ある症例では脊髄症状を呈するが、ほかの症例では脊髄症状を生じないことへの説明が可能になった。」「脊髄症状の発症の基盤として重要な所見は脊椎管腔前後径の狭小である。諸家が頚椎単純X線側面像から計測を行い、脊髄症を有する症例では健常人に比して狭いと報告している。筆者らの健常人の調査ではC5椎体高位で平均16.7ミリメートルである。一般に実長一二ミリメートル以下をdevelopmental stenosisとみなされ、実際値は各報告者でフィルム―焦点間距離が一定でないため値は異なるが、狭小例に脊髄症の発症例が多いという意見は一致している。」と述べられており、前掲「単純X線所見」でも、頚椎症性脊髄症症例では脊椎前後径が一三〜一二ミリメートル以下のdevelopmental spinal canal stenosisが高率にみられ、「いわゆるdevelopmental spinal canal stenosisが存在すれば、椎体、椎弓のわずかな変形性変化で脊髄症を併発しやすい。」と述べられている。
骨棘形成と臨床症状との関係については、共同意見書は、骨棘形成だけでは臨床症状を示すことは少ないと述べており、前掲の村上ら編「老年病学」は、「総じて椎体前方の骨棘は後方のものに比較し臨床的意義は少なく、神経障害を発生する脊柱管椎管孔内に突出する椎体後・側方の変化に注目する必要がある。」としている。
3 酒匂崇編「頚椎症」(臨床VISUAL MOOK11)所収の国分正一「頚椎症性神経根症と脊髄症の神経学的高位診断」[<書証番号略>]によれば、頸椎症性脊髄症の責任椎間板高位の頻度は、別紙四八の図1のとおり、C5―6椎間(胎生期における脊柱と脊髄の発育の差から脊髄の位置は相対的に上行し、その結果、頚椎部では多少の個人差はあるものの、いずれの椎間板高位も隣接する下位の椎体の番号より一つ大きい番号の髄節と対応するので、C5―6椎間板高位はC7髄節と対応することになる。)が最も多く、ついでC4―5、C3―4椎間の順であり、C6―7椎間は稀である。
別紙四八の図2は、国分による頚椎症性脊髄症の責任椎間板高位の診断指標であり、その意味するところは、実際の診断にあたってある所見がみられたときに推測される責任椎間板高位であり、併記された百分率はその確率を示している。たとえば、上腕三頭筋腱反射(TTR)低下がみられれば九〇パーセント、上腕三頭筋(Triceps)の筋力低下がみられれば九〇パーセント、尺側手指(小指のみの障害を除く)の知覚障害がみられれば九八パーセントの確率でC5―6椎間板高位の障害であると推測される、というものである(なお、大勝反論書[<書証番号略>]は、この図をもとに、第五、第六頚髄の障害で手袋型感覚障害を来す頻度はそれぞれ五一パーセント、七四パーセントであると述べ、被告らも同旨の主張をしているが、この図の意味は、左側に示されているような感覚障害がみられれば五一パーセントの確率で第五頚髄の障害と、真中に示されているような感覚障害がみられれば七四パーセントの確率で第六頚髄の障害と、それぞれ推測されるということであると思われる。この図の他の部分でいえば、C3―4椎間板高位の障害では一〇〇パーセント上腕二頭筋反射が亢進するという意味ではない。同論文でも、実際のC3―4椎間例では約三分の一ないし半数が上腕二頭筋反射低下を示していると述べられているところである。)。
4 いくつかの脊椎変性疾患の症状についてみることとする。
(一) 頚椎症性脊髄症
(1) 前掲の伊丹ら編「脊椎症の臨床」所収の服部奨ほか「頚椎症の臨床診断」[<書証番号略>]は、頚椎症性脊髄症の臨床症状をおよそ次のとおり述べている。
ア 四〇ないし五〇歳代の中年以後に多くみられる。
イ 初発症状として、四肢におけるしびれ感を訴えることが最も多く、運動障害がこれに次ぐ。部位別には、大部分の症例は上肢に始まって、その後下肢へとひろがっていくが、下肢から上肢へひろがるもの、上下肢同時に増悪するものもある。発症からの経過は緩慢で、徐々に増悪するのが普通である。
ウ 主な自覚症状は、上下肢のしびれ感、脱力感、歩行障害、手指運動障害、頚・肩の疼痛などである。
エ 他覚所見としては、上肢の手指巧緻運動障害が高率にみられ、手指の細かい素早い動きがみられなくなり、ぎこちなく、速度の遅い運動になる。ことに指の伸展、拇指の対立運動が障害される。握力もしばしば低下し、筋萎縮も手に多くみられる。
歩行障害は、ある程度myelopathyが進行したものでは、ほとんどすべての症例にみられる。下肢の牽引感、こわばり感、脱力感をともなった痙性歩行であり、その程度は、平地では支障ないが、階段の昇降、かけ足、片足立ちに支障を来す程度のものから、平地でもつまずきやすいもの、さらには歩行不能のものなどさまざまである。
腱反射の異常もほとんどの症例でみられ、上肢では障害部の高位によって異なった反応を示し、高位診断に大切であるが、実際上は必ずしも理論通りの明快な所見を認め難いことが多い。約半数の症例では上腕二頭筋反射、あるいは上腕三頭筋反射などが亢進して認められ、ホフマン反射、バビンスキー反射などの病的反射が出現している。なかにはこれらの上肢の反射が低下しているものもある。下肢では、膝蓋腱反射は約九〇パーセントの例で亢進しており、アキレス腱反射も約七〇パーセントの例で亢進している。バビンスキー徴候、膝クローヌス、足クローヌスなどもしばしば陽性を示す。
知覚障害の程度、範囲はさまざまであるが、程度の軽いものを含めると極めて高頻度に出現する。上肢下肢いずれも末梢部ほど強く現れやすく、知覚障害の上界は一般に明瞭ではない。やはり両側性であるが、左右非対称である傾向を有する。運動障害の程度と比較すると、知覚障害の程度、範囲が軽微であることが特徴である。
(2) 国分正一「頚椎症性神経根症と脊髄症の神経学的高位診断」[<書証番号略>]も、頚椎症性脊髄症の症状について、「通常、手指のしびれで発症し、ついで手指のもつれ、箸使い、書字・ボタンはめ困難といった巧緻障害が出現する。また、電撃性ショックが自覚されることがある。その後は、歩行で足を引きずる、もつれる、階段の昇降に手すりが必要である、下肢が痙攣する、しびれる、冷えるといった症状が出現し、さらに尿の出始めに間がある、残尿感があるといった排尿障害も出現する。一方、他覚所見では、通常上肢に障害髄節を示唆する腱反射低下、筋力低下、知覚障害が現れ、それ以下の腱反射は下肢の腱反射も含め亢進する。下肢の筋力は一般に低下せず、知覚障害は下肢末梢に強く自覚され、体幹に及ぶものがある。」としている。
(二) 頚椎症性神経根症
(1) 前掲服部ら「頚椎症の臨床診断」[<書証番号略>]では、「radiculopathyの好発年令は四〇才〜五〇才で、男性に多い。概して慢性に発症した頚、肩、上肢の自発痛、放散痛と上肢末梢部のしびれ感を主な自覚症状とし、これらの症状の増減は頚椎の肢位と関連性を有する特徴がある。上肢に知覚障害を認めるも、程度はあまり強いものではない。スパーリングテスト、テンションサインなどの陽性率が高く、頚椎単純X線写真ではC4・C5・C6高位の頚椎症性所見がみられる。」と要約されている。
(2) 前掲の天児監修「新臨床整形外科全書」第四巻B所収の「頚椎骨軟骨症のradiculopathy」[<書証番号略>]では、a 頚椎症性神経根症に特異的な症状・徴候として、①水野テスト、ジャクソンテストといった頚神経根―頚神経―頚もしくは腕神経の伸展テストとよばれている徴候、②スパーリングテストといった椎間腔あるいは孔をせばめる操作によって上肢の放散痛を出現するもの、b 頚椎症性神経根症の可能性の高い症状・徴候として、①頚、肩、腕痛あるいはcervicobra-chialgia(頚―肩―腕(特に前腕や手)にひろがる痛み・しびれ・だるさといった苦痛)とよばれる自覚症状、②知覚運動の異常や腱反射の低下などの他覚的神経症状、c 頚椎症性神経根症に伴ってしばしば出現する症状・徴候として、①頚椎の運動制限や筋緊張、②項部痛、肩こり、肩甲間部痛(けんびきの痛み)など椎間板や椎間関節由来と考えられる症状、③頭痛、めまい、耳鳴り、視力の低下など頭部愁訴のほか全身の疲れやすさ、以上のような症状・徴候が指摘されている。
(三) 変形性腰椎症
村上ら編「老年病学」[<書証番号略>]では、「腰椎の変形性変化に由来する症状は、腰痛、下肢緊張、疲労感、脊柱変形、坐骨神経痛様疼痛、下肢不全麻痺などである。これらの症状は、多少の消長を示しながらも、数年にわたり慢性化する場合が多い。一般に安静によって緩快し、労働によって増悪する。脊柱変形は、円背化が主にみられ、生理的腰椎前彎の消失を伴う。脊柱の運動性が低下し、運動痛を伴うことがある。下部腰椎棘突起圧痛、叩打痛、旁脊柱筋の緊張や圧痛、上臀神経坐骨神経に沿う圧痛を認めることが多い。神経根症状としては、ラセーグ、ブラガード徴候陽性、下肢腱反射減弱、知覚障害、筋力低下など認められることがある。」と説明されている。前掲「頚椎骨軟骨症のradiculopathy」では、腰椎における神経根症について、「神経根症による症状は原則として下肢に出現する。脊柱の症状(側彎、不橈性、旁脊柱筋の緊張・圧痛点の出現など)は、通常、神経根症から区別されている。下肢の症状のうち出現頻度の高い、また、神経根症に特有のものとされるのが、まずラセーグ徴候である。この徴候が坐骨神経から神経根にかけて生じるつよい緊張による痛みであることは今では疑うものはない。ついで他覚的な神経症状として頻度の高いものは、知覚異常(しびれ、鈍麻・paresthesiaなど)であろう。脱力・運動麻痺はさして高頻度には出現しない。下肢筋の萎縮は更にまれである。腱反射の低下はかなり高頻度に証明されるもので、片側に陽性であれば神経根症が十分に疑える。それに対して坐骨神経幹に沿った圧痛は、通常、神経炎や神経根炎の著しい場合のにみ証明され、下肢の冷感あるいは循環障害は更に非特異的な所見である。」と説明されている。
(四) 頚部椎間板ヘルニア
頚部椎間板ヘルニアは、椎間板の退行変性を基盤として、線維輪断裂部を通して髄核が脱出したり、あるいは線維輪の一部が後方ないしは後側方へ脱・突出し、神経組織(神経根あるいは脊髄)に圧迫症状を生じるものである。C5―6、ついでC6―7、C4―5レベルの順にヘルニア発生が多くみられる。
その症状は頚椎症と共通するものが多いが、後方への突出の度が軽く後縦靱帯を圧迫する程度であれば局所痛として頚痛、項痛のみを生じ、後側方へより大きなヘルニアが膨隆し神経根を圧迫すれば根症状radiculopathyを生じ、ヘルニア膨隆が中央部に存在すれば脊髄自体を圧迫しミエロパシーmyelopathyを生じる。広畑和志ら編「標準整形外科学」[<書証番号略>]では、自覚症状としては、根症状radicu-lopathyでは、「一側(まれに両側)の肩甲骨周辺の疼痛、肩より手部まで放散する上肢の疼痛、シビレと知覚障害、脱力、筋萎縮、fasciculationなどを認める。」と、脊髄圧迫症状myelopathyでは、「足の先より上行し、躯幹(多くは乳房の高さ位まで)および上肢におよぶ知覚障害と、歩行障害、筋力低下ときに膀胱直腸障害を訴える。歩行障害が軽いときは階段の昇降、特に降りるときに不自由を訴えるものが多い。」と述べられており、他覚所見としては、スパーリングテスト、ショルダー・ディプレッション・テストが陽性となり、根症状では、神経障害高位に一致して上肢の筋萎縮、知覚障害、反射異常が出現し、脊髄圧迫症状では、下肢深部反射亢進、下肢より躯幹に及ぶ知覚障害、手袋上の上肢のしびれと知覚障害などが出現する、と述べられている。
レ線所見は、初期には生理的前弯の消失のみで正常所見のことが多いが、やがて椎間腔の狭小化、骨棘形成などがみられるようになる。前掲の村上「単純X線所見」[<書証番号略>]は、本症の確実な診断は単純レ線写真では無理で、ミエログラフィー、ディスコグラフィー検査が不可欠であると述べており、前掲の酒匂編「頚椎症」所収の片岡治「ディスコグラフィー」[<書証番号略>]は、「頚椎に単純X線上で、椎間腔狭小化、椎体および椎間関節部の骨棘形成および椎体辺縁硬化像などの変性変化が認められる状態では、当然のことながら椎間板も相当高度の変性があり、たとえ無症候性でもディスコグラム上では中等度の変性像がみられる」と述べている。
(五) その他
後縦靱帯骨化症、脊椎すべり症、骨粗鬆症なども水俣病の症状との鑑別に関して問題となることがあるが、これらについては、後記第六章、第二の「個別原告についての検討」において、これらが問題となる症状を有する原告らにつき別途検討することとする。
5 脊椎変性疾患による症状と水俣病の症状との鑑別の問題に関し、次のような報告がある。
(一) 熊本大学二次研究班は、臨床症状の組合せと合併症との関係の分析の中で、「脊椎変形症は、三地区とも知覚障害のみ、または知覚障害に他の何らかの神経症状が加わったものに多くみられることから、診断に際しては最も注意を要する疾患であろう。」としている。右の「他の何らかの神経症状」とは、求心性視野狭窄、構音障害、運動失調、難聴という水俣病の主要症候以外の何らかの神経症状という意味である。
(二) 椿は、「水俣病の診断に対する最近の問題点」[<書証番号略>]の中で、およそ次のとおり指摘している。
軽症水俣病の症候をみると、末梢性知覚障害と運動失調の組合せが最も多く、このような場合は類似の症状を呈する疾患との鑑別が必要であり、そのうち最も鑑別が難しいのが頚椎症である。
昭和四〇年から昭和四八年の間に新潟大学神経内科へ入院し、頚椎症と診断された患者三六名を調査したところ、その主訴と症状は、上肢の知覚障害、下肢の知覚障害、下肢の脱力又は歩行障害が多く、メチル水銀中毒のそれに類似している。
知覚障害について、頚椎症の際の上肢の知覚障害は尺骨側優位になりやすいと考えられているが、実際にはメチル水銀中毒症に多い遠位部優位型をとるものが多い。下肢においては横断性知覚障害を呈するものが多いが、遠位部優位の知覚障害も少なくない。
頚椎症の症候は、整形外科方面では左右不対称のものが多いと考えられているが、調査結果では対称性のものが多い。これは整形外科と神経内科の症例の質的相違を示すものかもしれないが、神経内科を訪れる患者の知覚障害の分布は、メチル水銀中毒のそれによく類似している。
上下肢を合わせてみると、上肢が尺骨側優位で下肢が横断性のものが一三例で最も多く、これは頚椎症に定型的と考えられるが、上下肢とも遠位部優位のものが六例存在することからして、知覚障害の部位から水俣病と頚椎症を区別することは容易ではない。
筋力は、三六例中、上肢で低下二二例、正常一四例、下肢で低下一五例、正常二一例であり、メチル水銀中毒症のそれと著明な相違はない。
運動失調は、陽性一〇例、疑陽性一二例、陰性一四例で、これの存在が少なくないことが注目される。しばしば、メチル水銀中毒症の症候の組合せとして末梢知覚障害プラス運動失調があげられるが、頚椎症でもこれがみられることは無視できない。
反射異常についてみると、深部反射亢進、上肢反射間の解離、ホフマン反射、バビンスキー反射出現は比較的多く、メチル水銀中毒症との差があるが、メチル水銀中毒症によくみられる正常ないし減弱のものもある。
また、膀胱直腸障害は比較的頚椎症に多い。牽引が有効であったものが一二例あった。
レ線所見は重要であるが、頚椎変化が軽度であっても、頚椎症性神経障害を否定できない。臨床的には頚椎症に定型的であり、レ線所見が軽度と認められる時、頚椎症性神経障害の診断を下すのが神経学の常識である。
頚椎症の診療は神経内科よりも整形外科においてより多く扱われているが、整形外科を受診する患者は、四肢の痛みなどを主とするものが多く、神経内科を受診する患者は、むしろ神経障害を主徴するものが多いことが推測される。ここで厚かった患者は神経内科的患者というかたよりを示すものかもしれないが、そうとしても、神経内科の頚椎症患者は水俣病とかなり近似した症候を持っているといえる。ことに、末梢性知覚障害、運動失調の合併する場合は両者に共通している。
(三) 近時の認定患者一七一例の各種合併症を調査した荒木淑郎らの報告(荒木ら「慢性水俣病診断の問題点(第一報)―神経症候並びに患者高齢化に伴う各種合併症の実態を中心に」)[<書証番号略>]によれば、臨床的に変形性頚椎症及び変形性腰椎症と診断されたもの(レ線像上変形性変化が認められたものの意味)は、四〇歳以上では前者が一四五例中八二例(56.6パーセント)、後者が一二六例中八八例(69.8パーセント)、七〇歳以上では、前者が七九例中六〇例(75.9パーセント)、後者が七七例中六三例(79.7パーセント)となっている。荒木らは、「頚椎症の臨床症状は多彩であり、X線上頚椎の変性変化が軽度であっても神経症状を呈するものもあり、また水俣病類似の四肢末梢優位の知覚症状や運動失調を示すものもあり、水俣病の神経症状の分析にあっては常に頚椎症の関与を念頭においておくことが不可欠である。」と述べている。
6 小括的検討
(一) 共同意見書[<書証番号略>]は、審査会は単にレ線所見のみを強調し、臨床所見がないものや臨床所見が少ないものを「変形性脊椎症」として、水俣病による感覚障害を否定するために変形性脊椎症を手段として利用している、と批判している。これに対して、大勝反論書[<書証番号略>]は、審査会が糖尿病性末梢神経障害、脳血管障害、頚椎症、心因性疾患の患者を水俣病との鑑別の要もなく、これらの疾患名のもとに切り捨てているような事実はなく、これまでに鹿児島県知事から認定された患者の中には、これらの疾患を合併するものは数え切れないくらい存在し、「我々は、水銀に汚染された犠牲者のために、これら合併症の陰に隠れた水俣病を見逃してはならぬと最大限の努力をし、判断に迷う場合は何回も何回も繰り返して審査していることを強調しておきたい。」と述べている。
(二) ところで、5、(三)の荒木らの報告は熊本県における近時の認定患者の合併症の分析であり、熊本県の例ではあるが、近時の認定患者の中にレ線像上変形性変化が認められたという意味において変形性頚椎症及び変形性腰椎症と診断されたものがこれだけ多数存在するということは、一方では、審査会において、申請者に変形性脊椎症があっても、最終的には知事から水俣病の認定を受けることとなる判定ランク以上のランクに該当するものと判定した者が多数存在するということを意味するものであるから、審査会が変形性脊椎症がある患者については、それを理由として水俣病の認定をしていないとはいえず、審査会において水俣病の判断条件に該当しないと判断した者について、レ線像上脊椎の変形性変化が認められる場合に、考えられる疾患名として変形性脊椎症があげられることがあり、本訴においてもそのような原告については、被告らが考えられる疾患名として変形性脊椎症等を指摘している場合が多いということであるといえよう。
(三) そこで、問題となるのは、水俣病の主要症候のうち感覚障害しかみられないといった理由から審査会において知事から認定を受けられるランクに該当しないと判断された者について、レ線像上脊椎の変形性変化が認められる場合に、感覚障害等その者にみられる健康障害が変形性脊椎症によるものである蓋然性がどの程度あるかということである。
既にみた証拠として提出されている変形性脊椎症についての一般的な文献の記述、熊本大学二次研究班や椿らの報告によれば、頚椎症の臨床症状は多彩であり、レ線上頚椎の変性変化が軽度であっても神経症状を呈するものもあり、また水俣病類似の左右対称性の四肢末梢優位の知覚障害を示すものもあるので、水俣病による症状との鑑別が重要であるということがいえるであろう。しかし、脊椎の変形性変化は加齢と共に一般に高率かつ顕著に認められるようになり、全く症状を欠くこともあるなど必ずしも症状と一致しないことも一般に指摘されており、熊本県における近時の認定患者においても極めて高率に認められているというのであって、常識的に考えても、もしこれら脊椎の変形性変化が認められる者に脊椎症の臨床症状が高い頻度で発現するとしたならば、極めて多くの人々がそうした症状を有するということになろうが、そのような事実は一般に認め難いといえよう。そうすると、レ線上脊椎の変形性変化が認められるというだけでは、感覚障害等の症状が変形性脊椎症(そのうちで最も問題となるのは頚椎症性脊髄症)に起因するものである可能性があるといえる場合が多いとしても、その可能性が高いものとまでは判断できず、変形性脊椎症の診断に当たっては、他の臨床症状の十分な検討が必要と考えられるから、有機水銀曝露歴があり、四肢末梢の感覚障害を有する者について、その原因を変形性脊椎症と医学的に診断することができる場合がそう多くはないと思われる。
(四) ただ、ここで留意すべきことは、水俣病においては、既に検討してきたとおり、四肢末梢型の感覚障害のみが単独で出現することが医学的に実証されているのか、感覚障害以外の主要症候がみられない場合はそのことをどう評価すべきかといった問題があり、感覚障害の所見しかみられないといった場合には、当該患者の感覚障害の原因である可能性がある疾病として具体的に頚椎症等の疾病を指摘することができる場合はもちろん、そうでない場合であっても、当該患者が水俣病に罹患している可能性がどの程度あるといえるのかが問題となってくるのである。
四その他の疾患
水俣病にみられる症状と類似の症状を呈し、本訴原告の中にもみられるものとしては、その他に高血圧症、脳動脈硬化症などがあるが、これらについては、後記第六章、第二の「個別原告についての検討」において、これらが問題となる症状を有する原告らにつき別途検討することとする。
第四原告らの主張する診断基準についての総括的検討
一前記第二、一でみたように、水俣病にみられる四肢末梢型の感覚障害は、種々の原因で起こる多発神経炎でみられる症状であり、水俣病にのみみられる症状ではなく、その症状自体に特徴があるというわけではないから、臨床医学的に非特異的な症状である。
二次に、四肢末梢型の感覚障害が有機水銀曝露以外の原因によって発現する頻度と、有機水銀曝露歴を有する者に四肢末梢型の感覚障害が発現する頻度とが問題となり、一方において、他の原因による四肢末梢型感覚障害の発現頻度が極めて稀であり、他方において、有機水銀に汚染された魚介類を多食したと認められる地域住民の中に四肢末梢型の感覚障害のみを呈する例が高頻度で発現していることが認められるならば、有機水銀に汚染された魚介類を多食したと認められる者に四肢末梢型感覚障害が発現しているときには、他の原因による症状である可能性よりも水俣病の症状である可能性の方がはるかに高度であるといい得るものと考えられる。
四肢末梢型の感覚障害が有機水銀曝露以外の原因によって発現する頻度は、有機水銀の汚染を受けていない対照地区において、同年代の者にそのような症状がどの程度発現しているのかによって知ることができるはずであり、これについての調査研究の結果については前記第二、二でみたとおりである。荒木が述べているように、これまでの研究は限られた母集団についての検討が多く、今後の研究に期待されるものが大きいのではあるが、これまでの研究から窺われるところでは、対照地区においては、四肢のしびれ感の訴えや感覚障害はかなりの頻度で認められるものの、四肢末梢型の感覚障害の頻度はそれよりもかなり低いということができる。もっとも、比較的対象者の多い熊大二次研究班の調査において、対照地区で四肢末梢型の感覚障害が3.2パーセント認められ、立津らの行った京都府伊根町の一般住民検診においても四肢末梢型の感覚障害が2.1パーセント認められているというのであるから、有機水銀曝露以外の原因によって発生することが極めて稀であるとまではいい難い。
有機水銀に汚染された魚介類を多食したと認められる地域住民の中に感覚障害のみを呈する例が高頻度で発現しているかどうかについては、熊大二次研究班の調査結果では対照地区との有意差が認められておらず、藤野らの調査結果では有意差が認められているが、これについての評価はすでに述べたとおりであり、直ちにその分析を承認することはできないから、対照地区との有意差についての確実な判断は困難である。もっとも、後に各原告について認定するところからも明らかなとおり、現在の水俣病認定申請者の中には、検診において水俣病の主要症候のうち感覚障害の所見のみが認められている者が多いということは確かな事実である。
そうすると、四肢末梢型の感覚障害は、有機水銀曝露以外の原因によっても発現するが、一般的にはその頻度はかなり低く、他方において、有機水銀曝露歴を有する者の中に現在四肢末梢型の感覚障害のみを呈する者が少なくないと一応はいい得るが、確実な判断は困難ということになる。
三一般に、ある病因に曝露された集団において、曝露されていない集団よりも特定又は複数の症候の出現頻度が有意に高いとしても、一方で右症候が多くの原因によって生ずるものであり、他方である病因に曝露されても常に右症候が出現するとは限らない場合は、右曝露集団中の個人レベルにおける他疾患との鑑別の問題が解決されないまま残るということは、被告らも主張するとおりである。したがって、前記のとおり、四肢末梢型の感覚障害が有機水銀曝露以外の原因によって発現する頻度がかなり低く、他方において、有機水銀曝露歴を有する者の中に四肢末梢型の感覚障害のみを呈する者が少なくないと一応はいい得るとしても、有機水銀に汚染された魚介類を多食したと認められる個人のレベルにおいては、他疾患との鑑別が依然として重要な問題であり、四肢末梢型の感覚障害のみを呈する者の場合は、はたしてどの程度他の原因によるものとの鑑別ができるのかが問題となる。この点については、原告側医師団作成にかかる「大勝反論書に対する反論」[<書証番号略>]においても、「感覚障害のみを呈した患者の場合、我々は鑑別診断を行った上で、類似の症状を呈する他疾患とどちらの可能性がより大きいかを慎重に検討し、水俣病の診断を行っている。」と述べられており、原告側医師団においても、感覚障害のみを呈した患者については、他の疾患との鑑別をしなくても水俣病と診断できるとは主張していない。
有機水銀曝露以外の原因によるものとの鑑別がどの程度できるのかについては、前記第三でみたとおり、水俣病においては深部反射が亢進もしくは正常を示す者が多数存在するから、ニューロパチーと水俣病を鑑別することが容易であるとの原告側医師団の見解は説得力に乏しいものと考えられるが、糖尿病や脊椎性疾患がある場合については、四肢末梢型の感覚障害をこれによるものであると医学的に診断できる場合は多くはないと考えられ、また、四肢末梢型の感覚障害の原因を具体的に明らかにできる場合はそれほど多くはないものと思われる。
四以上のとおり、四肢末梢型の感覚障害は有機水銀曝露以外の原因によっても発現するが、一般的にはその頻度はかなり低く、他方において、有機水銀曝露歴を有する者の中に現在四肢末梢型の感覚障害のみを呈する者が少なくなく、その原因として有機水銀曝露以外のものを具体的に明らかにできる場合はそれほど多くはないということになるが、そこから、その原因として水俣病による可能性が高度であるということができるかについては、次のような問題があると考えられる。
まず、前記のとおり、有機水銀に汚染された魚介類を多食したと認められる地域住民の中に感覚障害のみを呈する例が高頻度で発現しているかどうかについては、熊大二次研究班の調査当時はともかくとして、現在は四肢末梢型の感覚障害のみを呈する者が少なくないとはいえるものの、これについての確実な分析、判断をすることは困難であることを留保しておかなければならない。
次に、一般に四肢末梢型の感覚障害についてはその原因を医学的に明らかにし得ない場合が少なくないのであるから、四肢末梢型感覚障害の原因を具体的に特定することが困難な場合であっても、そのことによって水俣病以外の原因による可能性が否定されたとはいえない。
さらに重要なのは、水俣病に関しては、他疾患との鑑別以前の問題として、水俣病において四肢末梢型の感覚障害のみが単独で出現するということが医学的に実証されているのかという問題があることである。水俣病において四肢末梢型の感覚障害のみが単独で出現することがあり得る、あるいは、四肢末梢型の感覚障害の所見しか得られなかった場合でもそれが水俣病の症状である場合があり得るという医学的前提があってはじめて他疾患との鑑別が問題となるはずであるのに、現時点においては、感覚障害のみが単独で出現することが医学的に実証されているとはいえないこと、病理学的所見でも感覚障害のみの水俣病を裏付けるような所見は得られていないことはすでにみたとおりである。
そして、一定の症候がみられないということは、ある症候がみられるということと同様に疾病の原因を検討する上では重要な意味を有していると考えられるから、感覚障害以外の症候がみられないということをどう評価すべきかという視点からの検討が必要である。そして、水俣病においては、感覚障害のみが単独で出現することが実証されておらず、障害の程度にさまざまな差があるとみるのが自然であるとすれば、水俣病であれば軽度ではあっても感覚障害以外に何らかの症候がみられることが多いのではないかと考えられるから、感覚障害以外の症候を臨床症状として把握できないというのであれば、水俣病の可能性が低いとの判断に傾くことになると一応は考えられる。
また、同じく他疾患との鑑別の以前の問題として、感覚障害自体の所見が客観性に乏しいということも、四肢末梢型の感覚障害のみで医学的に水俣病と診断することができるかを検討する上でやはり考慮から外し難い事実であると思われる。感覚障害の所見が客観性に乏しいということは、水俣病問題に限らず、多くの医学者によって一般的に指摘されていることがらなのであるから、こうした見方を「患者不信」の見方として非難するのは必ずしも妥当ではないと思われる。
五水俣病の病理学的診断と臨床所見との関係についてみると、「水俣病の判断条件に該当せず」として認定申請棄却処分を受けた者で、死亡後に熊大第二病理学教室における剖検の結果水俣病の特徴あるパターンが認められて、病理学的に水俣病と診断された例が七一例中一九例(二七パーセント)と少なからず存在しており、保留とされていた者では病理学的に水俣病と診断された例がさらに高率であることもすでにみたとおりであり、棄却処分を受けていた症例が生前の検診でどのような所見がとられていたのかは証拠上明らかではないものの、感覚障害のみの症例とされた例がかなりあるのではないかと推測されることからすれば、軽症例となるにしたがって、運動失調等の所見が現在の神経内科的検査では把握が困難となり、その結果「感覚障害のみを呈する症例」として現れるものが増加していることも十分に考えられる。また、感覚障害のみが単独で出現することはやや考えにくいとはいえ、単独で出現することがあり得ないと医学的に実証されているとまではいえないことも前記のとおりである。そうすると、感覚障害以外の症候の臨床症状が把握されないとしても、そのことから、水俣病の可能性が極めて低いとまでいうことはできないと考えられる。
他方、認定申請棄却処分を受け、死亡後に熊大で剖検された例では七〇パーセント以上が病理学的にも水俣病と診断されなかったことになるわけであるが、これらの例も認定申請の際には医師の診断書を添付しているはずであり、多くの者が水俣病あるいはその疑いとの医師の診断を受け、感覚障害その他の所見を有していたものと推測される。そうすると、水俣病の病理学的診断も絶対的なものではなく、やはり可能性(確率)の問題を含むとはいえ、四肢末梢型の感覚障害の所見のみを呈する症例を水俣病と診断すれば、水俣病の大部分を取り込むことができるとしても、それ以上に水俣病でないものまで水俣病として取り込むことになってしまうおそれも強いと考えられる。
六このようにみてくると、専門家会議見解が、四肢の感覚障害のみでは水俣病である蓋然性が低く、その症状が水俣病であると判断することは医学的には無理があるとしたことは、基本的には理解できることである。医学的な診断基準というものは、水俣病らしいものをできるだけ拾い上げ、水俣病らしくないものをできるだけ除外できるものが望ましいと考えられるが、原告らの主張する診断基準は、後者の点からみると問題が大きいといわざるを得ないのであって、診断基準として妥当とはいえない。したがって、対象者が水俣病に罹患している高度の蓋然性があるか否かの判断基準として、これを採用することはできないし、補償法上の水俣病認定基準としても妥当とはいい難いであろう。
七なお、濃厚な有機水銀曝露歴があり、四肢末梢型の感覚障害があれば、他の疾患に基づくことの反証がない限り水俣病と事実推定し、高度の蓋然性をもって水俣病と認定するという手法を採り得るかについていえば、他の原因に基づくものか否かの判断は原告らが水俣病に罹患しているか否かの判断と表裏の関係にあるのであって、他の原因に基づくものとの鑑別については被告の側に証拠が偏在しているというような事情もなく、医学的診断の当否の問題なのであるから、原告らが水俣病に罹患しているという因果関係について立証責任を負担する原告らが他の原因に基づくものでないことについても立証責任を負うものといわざるを得ない。そして、既に述べたとおり、有機水銀曝露歴があり、四肢末梢型の感覚障害があるというだけでは、水俣病に罹患している可能性があるとはいえても、高度の蓋然性があるとはいい難いから、こうした手法は医学的根拠を欠くものというべきであり、これを採用することはできない。
本件のような損害賠償請求訴訟あるいは国家賠償請求訴訟における個別的因果関係の認定判断においても、まずどこまで医学的に診断できるのかを判断し、その上で、本件紛争の特殊性をも踏まえつつ、それをどう法的に評価すべきかを検討するのが妥当である。原告らの水俣病罹患の有無について医学者の診断に顕著な対立がある状況において、もともと医学的専門能力をもたない裁判所がその当否を判断することには当然限界があるといえるが、その限界のなかでどこまで医学的に診断できるのかという判断をすることなくして法的判断をすることは不可能である。
第五水俣病診断及び認定をめぐる問題状況
一以上検討したとおり原告らの主張する水俣病の診断基準を採用することはできず、水俣病の診断は、有機水銀曝露歴を前提に、症候の現れ方、その経過、症候の組合せ及び程度を総合的に検討してするほかはないように思われる。
しかし、問題は更にその先にあるのであって、専門家会議見解でも指摘されているように、水俣病と診断するに至らないが、ある程度水俣病の可能性もあり、医学的に判断困難な事例があるという問題がある。
二認定申請棄却処分を受けていたが、死亡後に剖検により病理学的に水俣病と診断されて認定された症例や、逆に認定患者であったが剖検では病理学的に水俣病病変が確認されなかった症例の存在についてはすでにみたとおりである。また、水俣病の認定においては、一旦棄却処分を受けた患者が再申請で認定される例が少なからず存在しており、本訴においても、本訴提起後に再申請で認定され、被告チッソと補償協定に基づく和解をして、訴えを取り下げた原告が何名か存在し、そのうちの元原告東ツルエ、川元フヂノについては、棄却処分を受けた際の検診記録等の審査会資料が証拠として提出されていたが、棄却処分を受けた際の検診記録によって認められる所見と原告らの検診記録の所見とを比較すると、原告らの中にそれほどの所見の違いがないように思われる者も存在していることが窺われる。また、いわゆる熊本水俣病第二次訴訟の原告として、同訴訟の第一審判決において水俣病に罹患していると認められ、その後再申請で鹿児島県知事から認定を受けた吉田健蔵、尾上源藏について、その棄却処分を受けた際の検診記録と再申請で認定を受けた際の検診記録がいずれも本訴において原告らから証拠[<書証番号略>]として提出されている。前の申請では審査会の医学的判定は「水俣病ではない」であったが、再申請においては「水俣病の可能性は否定できない」へと変わったわけであり(なお、当時の鹿児島県審査会の答申書には「水俣病の可能性は否定できない」という判定ランクの次に「水俣病ではない」という判定ランクがあったが、現在は「水俣病の判定条件に該当せず」という判定ランクとなっている。)、そのどちらが医学的判定として妥当であるかはここで検討すべき課題ではないが、これらの検診記録をみると、なぜそのように医学的判定が変わったのかを理解することは容易なことではなく、第一審判決が水俣病に罹患していると認めたことに対する配慮によるものでないとすれば、極めて微妙なところで判定が変わったものと推測される。
こうしてみると、審査会の医学的判定において「水俣病の判断条件に該当せず」と判定された者の中には、「水俣病の可能性は否定できない」と判定された者との所見の相違が微妙である者も相当数含まれているものと推測される。
三このように、認定申請者にみられる健康障害が有機水銀曝露の影響によるものである可能性は連続的に分布しているわけであり、五二年判断条件該当性の判断にも微妙なものがある。ところが、認定処分を受けると被告チッソとの補償協定に基づいて被告チッソから最低一六〇〇万円と附帯の損害金及び月々の終身特別調整手当等が給付されることになるのに対して、棄却処分を受けると補償法による給付も補償協定に基づく被告チッソからの補償も受けられず、昭和六一年六月からは特別医療事業による医療費の助成を受けられることがあるようになったものの、認定された場合との差はあまりにも大きい。このような状況が、過去に有機水銀に汚染された魚介類を摂食した経験をもち、自らの健康障害が水俣病の症状ではないかとの不安感を抱いて認定申請をしたところ、認定を受けた者とのわずかな所見の違いによって棄却処分を受けたボーダーライン層の人々に対して、大きな不公平感、不信感を与えていることは容易に推測される。
また、後に認定するところによれば、各原告の健康障害の中には、水俣病以外の他の疾患によるものと考えられるものもあるが、ことに比較的重症と思われる症状については、水俣病以外の他の原因が考えられる場合が少なくない。井形昭弘「水俣病の医学」(「日本医事新報」三三五二号)[<書証番号略>]においても、「重症の老化症状が合併していると、水俣病症状の抽出が合併症のない若年者に比べ困難なことが多く、若年患者の判断の方が症度は軽くともより容易である現実がある。」と述べられており、老化以外の他の疾患による重い症状がある場合にも問題は同様と考えられる。このように健康障害の程度が重いとより判断が困難となるということも住民の抱く不公平感を大きくする一つの要素であるといえよう。
第一一節本訴における原告らの水俣病罹患の有無についての判断方法
一一般に、訴訟上の因果関係の立証は、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を高度の蓋然性の程度をもって証明することであり、高度の蓋然性の程度といえるためには、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを必要とし、かつ、それで足りると解される。
しかし、水俣病紛争をめぐる以上のような状況において、原告らが水俣病に罹患しているか否かの判断につき、水俣病に罹患していることの高度の蓋然性の程度の証明がない者について、これを水俣病に罹患していると認めるに足りる証拠がないとして個別的因果関係の立証がないとするならば、そのような判断は、水俣病紛争の法的解決においては妥当なものであるとは思われないのである。これまでの検討の結果からすると、過去の有機水銀に汚染された魚介類を摂食した経験をもつ不知火海沿岸住民に発現しているさまざまな健康障害の中に、有機水銀曝露の影響によるものがある可能性がどの程度あるのかを各人についてみれば、各人についてのその可能性の程度は連続的に分布しているわけであり、また、剖検による認定例の存在などは、現在の臨床医学からはその健康障害について水俣病という診断をすることが困難であり、その可能性があるとの判断しかできないものの中にも、実体的には水俣病による健康障害が含まれていることが少なくないことを示唆している。比較的軽症例の水俣病の診断についてこのような現在の医学の限界があるなかで、高度の蓋然性の程度の証明がない場合は因果関係の立証がないとする一般の判断方法をあてはめるならば、医学の限界による負担を水俣病に罹患していると主張する者に課すこととなるわけであるが、水俣病被害の発生につき全面的に責任を負うべき立場にある被告チッソと、自らの健康障害が過去に有機水銀に汚染された魚介類を摂食したことの影響ではないかとの不安を抱いている住民との立場の違いを思うとき、全体的にみて被害者の犠牲のもとに被告チッソに与することとなるこのような判断方法は、損害賠償制度の基本である損害の公平な分担という理念に合致しないものというべきであろう。また、有機水銀曝露歴を有する者に発現している健康障害が水俣病に起因する可能性の程度が連続的に分布しているにもかかわらず、唯一の基準で訴訟上の因果関係の有無を「水俣病に罹患していると認めることができる、水俣病に罹患しているものと認めることはできない」と割り切って判断するならば、それがどのような基準であっても、そのような解決方法は水俣病被害の実態に即したものとはいえないであろう。
また、水俣病被害者の被告チッソに対する損害賠償の問題は、昭和四八年に被告チッソと被害者団体との間で補償協定が締結されてから以降は、これに基づいて、救済法及び補償法による認定を受けた場合には被告チッソから補償金の支払を受けることができるという形で解決されてきたものであるが、すでに説示したとおり、救済法及び補償法の立法趣旨からすると、同法による水俣病の認定においては、臨床医学上の知見に照らし申請人が水俣病に罹患していると明確に診断し得る場合はもちろん、そのような明確な診断に至らない場合でも、相応の医学的知見に照らし「水俣病の疑いがある」と判断される事例、より具体的にいえば、水俣病に罹患している可能性がそうでない可能性と比較して同程度以上あるといえる症例については、これを水俣病と認定することがその立法趣旨に適合するものである。このように、水俣病被害者の被告チッソに対する損害賠償の問題が、第一次的には、第三者のためにする契約たる性質を有する補償協定に基づき、損害賠償請求訴訟における個別的因果関係の認定よりも立証の程度が緩和されてしかるべき救済法及び補償法による行政認定によって解決されることが予定されているということは、実質的、機能的には第二次的な解決方法となっている本訴のような損害賠償請求訴訟における個別的因果関係の認定のあり方を考える上でも、考慮に入れるべき一つの要素とすべきであろう。
そうしてみると、個別原告の水俣病罹患の個別的因果関係の判断という次元においては、原告らが水俣病に罹患している高度の蓋然性の程度の証明があれば訴訟上の因果関係の立証として十分であり、水俣病に罹患していると認めることができるが、そこまでの証明がなく、さらには、前記の行政認定における医学的判断の問題として水俣病と診断することができる限界線にまでは達していないという場合であっても、原告らが水俣病に罹患している一定程度の可能性があると認められる場合には、被告チッソの損害賠償責任を全く否定するのは妥当ではないというべきである。すなわち、その可能性というのが、水俣病に罹患していることも一つの可能性として理論的には完全に否定できないという程度のかなり低いものである場合には、いかに本訴における前記説示の特殊な事情を考慮しても被告チッソの損害賠償責任を認めることは不当であると考えられるが、その可能性がその程度のものではなく、講学上可能性とは区別された意味における蓋然性の程度を大きく下回るようなものではないと考えられる場合には、被告チッソの損害賠償責任を認めた上で、その可能性の程度を原告らの本訴請求にかかる損害賠償額(慰藉料)の算定に当たって反映させるのがより妥当と考えられる。
そこで、本訴においては、水俣病以外の疾患によるものと認められるものを除いた原告らの健康障害の中に有機水銀漁業の影響によるものが含まれている確率が右のような意味での可能性(以下においてこれを「相当程度の可能性」という。)以上のものと認められる場合には、被告チッソの損害賠償責任を認めた上で、その可能性の程度を、損害賠償額(慰藉料)の算定に当たって反映させることとする。
二原告らの自覚症状の訴えをどう評価すべきかという問題については、前記第八節、第三、三で述べたとおり、原告らが水俣病患者によくみられる自覚症状を多数訴えているという事実を水俣病の可能性の総合判断の一つの資料として考慮することになるが、水俣病と確実に診断される患者が多様な自覚症状を訴えているという事実があり、そうした自覚症状の発生機序について未解明の部分が大きく、今後の医学的研究に委ねられているという現状において、右説示のとおり、医学の限界による負担は被告チッソが負うのが妥当であるとの見地からすれば、原告らにその訴えている自覚症状があると認定することができ、その原因を医学的に判断することが困難な場合には、医学的な診断の問題とは別に、これを原告らの水俣病罹患の可能性を判断する上で十分考慮に入れるのが妥当と考えられる。
第六章原告らの水俣病罹患(個別的因果関係)・各論
第一全体的検討
【証拠】 <書証番号略>、証人元倉福雄、同大勝洋祐、同中島洋明の各証言、弁論の全趣旨
一原告らの水俣病認定申請棄却の経緯について
原告らは、いずれも鹿児島県知事に対して水俣病認定申請をしたところ、これを棄却された者である。原告らが水俣病認定申請を棄却されていること自体は、原告らが水俣病に罹患しているかどうかの判断に直接関係のある事実ではないけれども、原告らの置かれている社会的状況、ひいては本件紛争の全体像を知る上で参考となる一つの事実という意味でこれをみることとする。
まず、自らが水俣病に罹患していると主張する原告ら六〇名及びその相続人である原告らによって水俣病に罹患していたと主張されている被相続人四名の合計六四名について、第一回目の水俣病認定申請をした年をみると、昭和四八年が一名、昭和四九年が二名、昭和五〇年が一六名、昭和五一年が四名、昭和五二年が七名、昭和五三年が五名、昭和五四年が五名、昭和五五年が二名、昭和五六年が四名、昭和五八年が一〇名、昭和五九年が五名、昭和六〇年が三名となっている。
認定申請の回数についてみると、一回のみの者は九名であるのに対し、二回の者が二五名、三回の者が一五名、四回以上の者が一五名(最高は七回)となっており、棄却処分があっても、これを不服として再申請が繰り返されている状況が窺われる。[<書証番号略>]
二有機水銀曝露歴について
1 元倉診断書では、各原告について、「Ⅰ 診断名 水俣病」との記載に続き、「Ⅱ 疫学的条件」として、「1 生活歴」、「2 食生活歴」、「3 環境の変化」、「4 家族歴」が記載されている。
疫学調査には、元倉診断書の「1 生活歴」と内容的に対応するものとして「1 生活歴等調査」、「2 漁業状況」、元倉診断書の「2 食生活歴」に対応するものとして「3 魚介類の入手、摂食状況」、元倉診断書の「3 環境の変化」に対応するものとして「4 飼猫、家畜等の異常状況」、元倉診断書の「4 家族歴」に対応するものとして「5 家族等状況」との項目がある。ただし、疫学調書中の「5 家族等状況」欄については、前記のとおりの理由から(第五章、第三節、三)、証拠として提出されていない。
検診記録にも、「居住歴及び職歴」、「家畜の発病状況」、「家族内及び同居人発症者」、「魚介類の摂取状況(量、頻度)、入手方法」という欄が設けられている。また、検診記録には、毛髪水銀値を記載する欄があり、かつてその検査を受けたことがある一部の原告については、その記載がされている。
2 原告らの生活歴については、陳述録取書の記載がかなり詳しく、元倉診断書の「生活歴」欄の記載内容は、陳述録取書の要約のようなものが多い。
疫学調書の「生活歴等調査」の欄は、出生から順次に居住地の変更、又は職業の変更があれば欄を変えて記入する形式になっている。
ところで、陳述録取書記載の事実と疫学調書の「生活歴等調査」欄の記載を比較すると、その間に大きな食い違いのある例がみられる。いくつかの例をあげると、後記認定のとおり、原告西トミヨ(原告番号三九)の場合、昭和三七年から昭和四五年まで東京で居住していたのであるが、このことは疫学調書には記載されておらず、その間も出水市に居住していたと記載されている。原告西村嘉哉市(原告番号四六)の場合、昭和二四年四月から昭和三八年三月まで福岡県嘉穂郡大隅町と福岡県遠賀郡の炭鉱で炭鉱夫として稼働していたのであるが、疫学調書では、昭和二四年から昭和三〇年まで福岡県遠賀郡、大熊町に一年のうち三ないし六か月出稼ぎに行き、土方をした、昭和三〇年から昭和五二年までは出水の名古中に居住して漁業をしていると記載されている。原告百澤正四郎(原告番号八八)の場合、昭和三五年ころから昭和四七年まで岐阜に出稼ぎに行って、半年ごとに出水に帰ってきて失業保険をもらって生活していたのであるが、このことは疫学調書には記載されていない。原告尾上早一(原告番号一〇二)と同尾上マサエ(原告番号一〇三)夫婦の場合、昭和四一年ころから昭和五四年二月ころまで愛知県一宮市に居住していたのであるが、そのことは疫学調書に記載されておらず、その間も出水市に居住していたと記載されている。
これらの食い違い例には、右事例のように、保健婦らによる調査の際における原告らの勘違いや言い忘れ、あるいは保健婦の聞き漏らしとかの事情によるものとしてはいささか理解しにくいものもある。
3 元倉診断書の「食生活歴」の欄の記載、あるいは陳述録取書の食生活に関する記載内容と疫学調書の「魚介類の入手、摂食状況」の欄、検診記録の「魚介類の摂取状況(量、頻度)、入手方法」の欄の記載内容とを比較すると、摂食した魚介類の量、頻度に程度の違いがあるものが多く、元倉診断書及び陳述録取書の方が疫学調書及び検診記録よりも摂食した魚介類の量が多く記載されているものが多い。二、三〇年も前の水俣病多発時期の食生活についての記憶を喚起することには困難があるから、ある程度の違いは格別問題とすることもないと思われるが、なかには食い違いがかなり大きな例もみられる。これらについては、魚介類を摂食したからこそ水俣病に罹患しているのではないかとの疑いを抱いて認定申請をした者が、疫学調書作成のための調査の際に摂食した魚介類の量、頻度を特に過少に述べるということは考えにくく、本訴において証拠として提出することを予定して作成された元倉診断書及び陳述録取書の記載には、結果としてやや誇張があるのではないかと疑問が感じられるものがある。
いずれにしても、これらの証拠によって摂食した魚介類の量を正確に把握することは不可能であり、魚介類を多食していたという程度の大雑把な認定とならざるを得ない。
4 元倉診断書の「環境の変化」の欄には、飼猫や近所の猫、家畜の狂死、魚のへい死といった状況が記載されているが、疫学調書の「飼猫、家畜等の異常状況」の欄、検診記録の「家畜の発病状況」の欄の記載と食い違いのある例もみられる。
5 元倉診断書の「家族歴」の欄には、家族、親類、同居人の中の認定患者、認定申請者などの状況が記載されている。
ところで、当該原告の家族や同居人に水俣病患者がいるということは、当該原告の有機水銀曝露歴を認定する際の一つの資料となるものと考えられるが、それ以上に臨床検査においてそれを考慮することができるか、臨床症状の乏しさを補完するものとして考慮することができるかは問題である。元倉診断書の考察の欄では、「有機水銀汚染歴を有し、かつ両親ともに水俣病認定患者である」[<書証番号略>]とか、「有機水銀汚染歴を有し、かつ夫も同様の症状を訴えている」[<書証番号略>]などと記載されており、家族に認定患者がいること、さらには家族に同様の症状を訴えている者がいることや認定申請者がいることまでもが、有機水銀曝露歴とは別個の要素として臨床診断の上で考慮されているようにもよめる。
しかし、同じ家族の一因として同じような食生活をしていた者であっても、同じように水俣病に罹患するとは限らない以上、原告らが水俣病に罹患しているかどうかということは、基本的にはその原告の臨床症状によって判断されるべきものであり、家族に水俣病患者がいるということを臨床診断の上で重視することは妥当ではないと考えられる。しかし、臨床症状からみて水俣病と診断することができるかどうかとか、水俣病に罹患している相当程度の可能性があるかどうかが微妙で限界的な症例の場合に、家族に水俣病患者がいることをその判断に当たって一つの要素として考慮することは必ずしも不当ではないと思われる。
そこで次に問題となるのは、家族に水俣病患者がいるという場合において、その家族がどの程度の可能性をもって水俣病と診断できるものなのかということであり、それによって、そのことを原告らの水俣病罹患の可能性についての判断に当たってどの程度考慮できるかということである。まず、家族に原告と同様の症状を訴えている者がいるという場合については、その者がどの程度水俣病の可能性があるかについては、それを判断する証拠もなく、全く不明である。したがって、家族にそうした者がいるということを前記の判断に当たって考慮することは一般的には妥当ではないと考えられる。次に、本訴において夫婦等の食生活を同じくする家族がともに原告となっているようなときに、その一方の原告が臨床症状からみて水俣病に罹患している前記第五章、第一一節にいう相当程度の可能性があると認められる場合、そのことを他方の原告の水俣病罹患の可能性の判断に当たって考慮することが妥当かが問題となる。この場合の一方の原告の水俣病に罹患している相当程度の可能性とは、医学的には水俣病と診断するには至らない程度のものであるから、他方の原告がその臨床症状からは水俣病罹患の相当程度の可能性があるとの判断をしかねる場合については、家族にその程度の可能性がある者がいるということを考慮するとなると、医学的診断からはさらに離れてしまうことになり、妥当ではないと考えられる。次に、家族に水俣病認定患者がいるという場合、そのことは前記のとおり、補償法の趣旨からみて、その者が確実に水俣病と診断することができると判断されたということを意味するものではないが、少なくとも相応の医学的知見に照らし水俣病の可能性があるとの医学的判断がされたことを意味するものということができるから、そのことを前記のような限界的な症例の場合に考慮に入れることは必ずしも不当ではないと思われる。
このような見地から、後記認定のとおり、何人かの原告について、基本的食生活を共通にしている家族に水俣病認定患者がいるということを結論を導くに当たっての一つの要素として考慮することとした。
三症状の発生と経過について
1 症状の経過については、原告ら提出の証拠の中では、陳述録取書に詳しい記載がされている。元倉診断書の「現病歴」の欄にもその記載があり、元倉医師は、証人尋問において、入院時の問診票、カルテ、入院時以前に原告ら代理人の弁護士が作成していた各原告についての調査資料に基づいて元倉診断書を作成したが、各原告の陳述録取書は参照してはいないとの証言をしているが、元倉診断書の「現病歴」の欄の記載は、陳述録取書の記載の要約のような形になっているものが多い。また、元倉診断書の「現病歴」の欄の記載と陳述録取書の記載とを比較すると、元倉診断書に原告らの健康障害が水俣病によるものであるかどうかの判断に際して重要と思われる部分が脱落しているものが一部に見受けられる。例えば、原告関下シヅ子(原告番号三一)の場合、後記認定のとおり、陳述録取書[<書証番号略>]には、妊娠したころから身体に異常を感じるようになり、妊娠中の昭和三四年九月ころから手足の先がしびれて触っても感じないようになったことや、二度の出産の前後の症状が、水俣病と関連があるという趣旨で詳しく記載されているのであるが、元倉診断書[<書証番号略>]では、「既往歴」の欄に「昭和三四年九月ころ妊娠中毒様症状」との記載があり、現病歴の欄には「昭和三四年ころより手足の感覚が鈍くなってきた」と記載されているだけで、妊娠との関連については一切記載されていない。しかし、元倉医師の把握した妊娠中毒様症状の発症時期と同じころないしはこれに近接して手足のしびれ、感覚鈍麻が出現していたとすれば、これらの症状と妊娠との関連が当然に検討されて然るべきであるから、その検討の過程及び結果を記載していない点は説明不足との感を免れない。
2 被告国・県提出の証拠の中では、疫学調書の「6 疾病状況」の欄に現病歴が詳しく記載されており、検診記録の「現病歴」の欄にも、検診医が病歴を聴取した結果が記載されている。疫学調書作成のための保健婦等による調査は、第一回目のは多くの場合保健婦等が申請者の自宅に赴いてしているようであり、その後は検診のたびに検診会場である出水市立病院において再度調査がされ、前回の調査時以後の状況を中心に同じ用紙に続けて病歴が記載されている。
元倉診断書の「現病歴」欄の記載及び陳述録取書の現病歴に関する記載と疫学調査の「疾病状況」欄の記載及び検診記録の「現病歴」欄の記載を比較すると、自覚症状の発現時期や内容にかなりの食い違いがみられる場合が多く、これをどうみるかが問題となる。
その作成時期からみると、元倉診断書及び陳述録取書は本訴提起後の昭和六二年五月、六月に作成されたものがほとんどであるのに対して、疫学調査作成のための第一回目の聴取は、第一回目の認定申請後になされており、原告らが第一回目の認定申請をした時期は前記のとおり昭和四八年から昭和六〇年までとなっているから、第一回目の聴取がされた時期も各原告によってまちまちであるが、いずれも元倉診断書及び陳述録取書の作成時期よりも前となっている。過去の出来事についての記憶は、通常はその時点から時代がさかのぼるにつれて鮮明なものから曖昧なものへとなっていくのが一般的であるから、症状の経過についての原告らの供述も、その時期から時代がさかのぼるにつれて曖昧な記憶に基づくものとなっていくのが通常と考えられる。そうすると、一般的に、その供述がなされた時点における症状については、その供述内容の信用性が高いといえるし、その時点に近い時期の症状についても、その記憶は比較的鮮明なものであるはずであるから、その供述内容の信用性が高いといえよう。したがって、疫学調書作成のための第一回目の聴取がされた時点での症状についての供述やその時点に比較的近い時期の症状についての供述は一般的に信用に値するものと考えられ、第二回目以降の聴取がされた時点での症状に関する供述も同じ意味で信用性があるし、前回の聴取時以後の症状の経過についても、その間に時期の隔たりが小さい場合が多いから、一般的に信用性が高い場合が多い。陳述録取書の記載の中には疫学調書における調査時ないしはその時点に比較的近い時期の症状についての記載と著しい食い違いがあるものが見受けられるが、それらについては、右の視点からその信用性が検討されなければならない。
また、作成の状況についてみると、疫学調書は、保健婦等が認定申請者としての原告らから直接聴取したところに基づいて記載されているものであり、その信用性について疑いを抱かせるような一般的な事実は見当たらない。他方、陳述録取書については、原告代理人が、その作成に際し、保健婦等よりもより時間をかけて、原告らから丹念に事情を聴取したとすれば、それによって疫学調書作成時よりもより正確に記憶が喚起されたということはあるかもしれないが、前記のような疫学調査作成時やそれと比較的近い時期の症状に関する供述の食い違いなどは、陳述録取書作成時に記憶がより正確に喚起されたために生じたものとしては理解することが困難な場合も多い。
したがって、各個別原告の現病歴等について、その症状や発症時期の認定にあたっては、以上の諸事情を勘案しながら、提出された証拠を総合して検討することとなる。これらの検討は、後記第二の個別原告についての検討の際に行うこととする。
四既往歴について
1 既往歴については、元倉診断書の「既往歴」の欄、疫学調書の「疾病状況」の欄、検診記録の「既往歴」の欄、耳鼻科検診記録の「他科病名」の欄に記載がされている。
これらの記載をみると、水俣病の公式発見からでもすでに三〇数年以上が経過しており、原告らが高齢化していることから、原告らの中には、その間にさまざまな疾病に罹患している者が少なくないことが窺われる。
各原告が水俣病に罹患しているか否かを判断するに当たっては、昭和三〇年ころ以降に現れた各原告のさまざまな健康障害、自覚症状が水俣病によるものなのかどうかということが一つの大きな問題となってくる。そこで、現在に至るまでに、各原告にどのような健康障害、自覚症状があり、それについて医師からどのような診断、治療を受けてきたのかということを把握しておくことは重要なことであると考えられる。
疫学調書の「疾病状況」の欄の下には、保健婦等作成者への注意事項として、病歴について、「脳卒中、高血圧、神経痛、リュウマチ、心臓病、肝臓病、脚気、結核、胃、十二指腸潰瘍、腎臓病、糖尿病、小児マヒ、日本脳炎、スモン、性病、その他の神経疾患、妊娠中毒症、精神病(精神薄弱、テンカン、分裂病、アルコール中毒)その他」との記載があるが、水俣病の症状の特徴からして、これらの疾患の既往歴がある場合には、そのことを把握しておく必要があると考えられる。
2 既往歴に関する証拠を検討すると、次のような問題点を指摘することができる。
(一) 陳述録取書の問題点として、疫学調書や元倉診断書からある疾患に罹患していたことがあることが認められ、したがって、当然原告自身もそのことを認識しているはずなのに、陳述録取書には、その旨の記載がなく、ときには明らかに他疾患による症状であると認められるものが水俣病の症状であるかのような記載されているものがある。
例えば、原告尾上ハル子(原告番号三四)の場合、糖尿病や肝臓疾患によりかなり長期間にわたる入院歴があるのであるが、陳述録取書ではこれについて一切触れていない。原告西トミヨ(原告番号三九)の場合、肝臓病などによる数回の入院歴があり、元倉診断書にも昭和四九年に肝臓病で井上病院に入院したと記載されているのに、陳述録取書には、水俣病による症状であるかのような趣旨で「昭和四九年一一月には、私はとうとう倒れてしまいました。私は急いで井上病院に連れていかれ、五か月も入院しました。」と記載されている。
(二) 入院歴や通院治療歴が認められるものの、治療に当たった医師からどのような診断を受けていたのかが証拠上不明であり、その際の症状が水俣病と関連するものかどうかについてどう考えてよいのかわからない場合が多い。
例えば、原告村上ミツヨ(原告番号九〇)の場合、元倉診断書の既往歴の欄には、「昭和四五年 十二指腸潰瘍の治療(熊本県大浦病院)」といった記載とともに、「昭和五四年 頭痛・めまいのため大浦病院に入院」との記載がある。しかし、この入院時の症状である頭痛、めまい、貧血といったものについては、陳述録取書では、水俣病の症状であるとの認識に立って陳述されており、元倉診断書でも現病歴の欄に頭痛やめまいが出現したことが記載されている。元倉医師自身がこれについてどのような見方をしているのかはわからないが、右原告が水俣病に罹患しているか否かを判断するに当たっては、これらの症状が水俣病の症状か否かということが大きな問題となってくると思われるのであって、頭痛やめまいをもたらしている原因疾患について入院治療を受けた病院においてどのような診断を受けていたのか、原因疾患と判断できるものがあったのか、水俣病による可能性を含め原因不明のものだったのかということは、その問題を考える上での重要な事実と思われるが、こうしたことは証拠上不明である。
同じようなことは、後記認定のとおり、かなり多くの原告についてみられている。原告古賀喜久雄(原告番号七七)、同吉田稔(原告番号八五)については、通院して治療を受けたことのある吉井医師作成による当時の症状、治療内容を記載した診断書が証拠として提出されているが、現実に原告らの診察治療をした医師が原告らの症状をどのようにみていたのかということに関する証拠はこれのみである。そうすると、陳述録取書ではさまざまな健康障害が水俣病と関連するものとして訴えられているが、それについて判断するための証拠が乏しく、その判断が困難である。
(三) 右のことは、本訴において証拠が乏しいというだけでなく、審査会における審査や元倉医師等の診断に当たっても、そうした既往のさまざまな健康障害が水俣病による可能性があるものなのかについて判断するための材料が乏しいということを示しているものと思われる。水俣病の場合、検診医と認定申請者としての原告らは検診の場で接触するだけであろうし、元倉医師にしても、本件で証拠として提出する診断書を作成するためにはじめて原告らを診察したものであって、診断書作成後にも原告らの治療に当たっているわけではなく、いわゆる主治医として日常原告らを診ているという立場にはない。他方、実際に原告らの治療に当たったことのある医師は、神経内科の専門医ではなく、必ずしも水俣病に関する十分な知識を有しているわけではない場合が多いと思われるので、原告らの症状が水俣病による可能性があるものなのかについての判断はし難いという場合が多いと思われる。こうして、日常その患者を診ているわけではない医師が水俣病の判断をせざるを得ず、その際に既往の健康障害について判断するための材料も乏しいということも、水俣病の診断が困難な一因であるものと思われる。
五自覚症状について
1 自覚症状については、元倉診断書には自覚症状との項目があり、審査会資料には、疫学調書の「疾病状況」の欄に「特に強い自覚症状(肉体、精神、生活上の苦痛)」を記載する欄があり、検診記録には、嗅覚障害、視力障害、味覚障害、聴力障害、耳鳴り、嚥下障害、言語障害、頭痛、頚痛、肩痛、腰痛、しびれ感、脱力、振戦、からす曲がり、歩行障害、めまい、流涎、膀胱障害、睡眠障害という二〇個の自覚症状について、その有無と有る場合にいつから発生したかを記載する欄がある。
2 元倉説明書[<書証番号略>]によれば、元倉医師は、原告らの診断に当たっては、本人の訴える症状を記載した後、従来の水俣病患者にみられる症状について一つ一つその有無を確認したというのであるが、各原告についての元倉診断書の自覚症状の記載には、各原告が自ら訴えたものと、問われて訴えたものとの区別はされていない。また、検診記録の記載も同様に右の区別をしていない。しかし、自ら訴えた症状と、水俣病患者によくみられる症状という趣旨でその有無を問われた場合に訴えた症状とでは、その評価にも軽重があるのが当然である。この点につき、水俣協立病院の検診録[<書証番号略>]においては、自覚症状の項目は、現在あるもので自ら訴えたもの、聞かれて訴えたもの、過去にあったものの三つを区別して記載する形式になっており、このような区別をすることには合理性があると考えられ、自覚症状の有無を診断に当たって重視しようとする場合には、こうした配慮も必要となると考えられる。
六臨床症状について
1 感覚障害
(一) 元倉診断書には、人体図に感覚障害部位と障害の程度が斜線で記載されており、評価として、「四肢末梢の感覚低下あり」、「四肢の感覚低下あり」といった記載がされている。記載されているのは表在感覚だけであって、振動覚などの深部感覚や複合感覚は記載されていない。また、表在感覚も、触覚、痛覚、温覚ごとには記載されていない。元倉診断書によると、原告らの感覚障害の所見は、原告らの一部に口周囲にも感覚障害があったり、全身に感覚低下がみられたり、左右半身にも感覚低下があるといった例も見受けられるが、全員に四肢末梢優位の感覚低下がみられるとされている。
(二) 検診記録には、人体図に感覚障害部位と障害の程度が斜線で記載されており、表在感覚として触覚、痛覚及び温覚、深部感覚として関節位置覚、振動覚及び圧痛覚、複合感覚としてskin writing、二点識別覚及び立体覚について、それぞれ検査所見を記載する欄がある。検診記録によると、原告らの感覚障害の所見は、四肢末梢優位の感覚低下がみられているものが約半数程度あるが、上肢のみであったり、下肢のみであってり、三肢であったりするもの、上肢でも尺側のみであったり、橈側のみであったりするなどの分節性のもの、上肢や下肢の末端部に限られているもの、四肢末梢ほど低下が強いという要素がなく、上肢や下肢で一様に感覚が低下しているもの、触覚・痛覚、温覚がすべて低下しているのではなく、痛覚のみが低下しているといったいわゆる感覚解離を呈しているもの、半身のみの感覚が低下しているもの、といったさまざまな所見がみられている。
(三) 各原告についてみると、元倉診断書と検診記録とで感覚障害の所見が食い違っているものがかなり存在する。共同意見書にも感覚障害の所見が記載されており、元倉診断書と同じ所見となっているものが多いが、元倉診断書の所見と相当の食い違いがあるものも見受けられる。
こうした所見の違いが、原告ら患者側の要因に由来するものなのか、感覚検査をした医師ないしは検査それ自体の要因に由来するものなのか、あるいはその両方に由来するものなのかの検討は困難な問題である。
前記のとおり、元倉診断書では原告ら全員に四肢末梢型の感覚障害が認められているのに対して、検診記録ではさまざまな所見が認められているというはっきりした全体的傾向が現れており、こうした現象は原告ら患者側の所見自体が経過の中で変動したことに由来するものということだけでは理解しにくいものがあり、むしろ、感覚検査をした医師側の検査の仕方の違い、あるいは医師側の検査の仕方や立場の違いが検査の際における患者側の解答に与える影響の問題に由来するものが大きいと理解する方が合理的と思われるものがある。しかし、更に進んで、その医師側の要因がいかなるものなのか、元倉医師あるいは検診医の感覚検査の仕方に不適切なものがあるのかといったことを証拠から解明することは極めて困難であり、それについての認定はできない。
また、以上のとおり、個別原告の所見の違いについては、感覚検査をした医師ないしは検査それ自体の要因に由来する可能性がまず考えられることになるが、原告ら患者側の所見自体が変動したという可能性も考えられ、証拠からそのいずれとも判断はし難い。所見の変動ということになると、その原因が問題となり、それが水俣病によって起こり得るものであるかが問題となる。熊本県における近時の認定患者の神経症侯についての報告(第五章、第四節、一一)によれば、近時の認定患者の中にも検診のたびごとに感覚障害の分布や程度が変動する例が少なくないことからすると、感覚障害の所見にある程度の変動がある場合であっても、その変動が総合的にみて水俣病による器質的障害によっても起こり得る感覚障害の所見の変動の範囲内とみる余地がある場合もあると思われ、各原告について、そのようにみる余地があるかどうかを検討することが必要となってくる。
2 運動失調
(一) 元倉診断書では、「失調あり」、「軽度失調あり」といった判定のほか、「片足立ちやつぎ足歩行で軽いふらつきあり」といった記載のもの、「判定困難」と記載されているものがある。失調ありといった判定の根拠となった所見自体は記載されていないが、失調の判定基準については、元倉説明書[<書証番号略>]において、失調は「歩行・立位時、開脚位をとり、躯幹の動揺がみられ、つぎ足歩行や片足立ちがほとんど不可能な例」、軽度失調は「歩行や立位では異常が認められないが、片足立ちやつぎ足歩行で容易にかつ明らかに不安定さを示し、動作の継続が困難なもの」、失調疑いは「片足立ちやつぎ足歩行でふらつきが出るが動作の継続が可能なもので、通常の歩行や立位では異常なし、明らかな失調とは言い難いが、正常でもない例」、判定保留は「テストの際、合併する疾患が影響を与えており、失調の有無の判定は困難と思われた例」と説明されている。元倉は、証人尋問において、「失調疑い」については、水俣病の診断に当たっては特に有意の所見としては考慮しなかったと証言している。上肢の所見に関しては、元倉説明書[<書証番号略>]において、「指鼻試験で失調性と認められたものは一三九人中三人で2.2パーセント、アディアドコキネーゼでは約六割が陽性であったが、動きが異常に遅いという例が多数みられたのが特徴的であった。」と説明されている。
(二) 検診記録には、上肢の協調運動については、運動転換の所見、指指試験と指鼻試験につきジスメトリア、ミスダイレクション、デコンポジション、ターミナル・トレモールがみられるかを記載する欄があり、下肢の強調運動については、その所見を記載する欄がある。平衡機能障害に関するものとしては、坐位、立位、椅子からの起立、しゃがみ立ち、片足立ち、つま先立ち(両足、片足)、ロンベルグ徴侯、マン試験、歩行、つぎ足歩行の各検査所見を記載する欄がある。
(三) 元倉診断書の運動失調の判定基準について検討する。
(1) 元倉診断書の運動失調の判定基準は、水俣病にみられる運動失調症状のうち、立位保持、歩行、片足立ち、つぎ足歩行といった平衡機能障害(躯幹運動失調)の有無、程度をみる検査結果のみをもって判定基準とするものであり、狭義の運動失調すなわち協調運動障害は全く考慮されていない。
(2) このような判定基準を採用したことにつき、元倉は、証人尋問において、膝踵試験のような下肢の協調運動障害の試験も行ったが、検査を行った患者集団では、歩行、立位、片足立ち、つま先立ちといった試験で最も特徴が現れたので、それを中心に判定する方がわかりやすいからである、というような説明をしている。しかしながら、検査の対象者が水俣病に罹患しているか否かを診断しようとして失調の有無を判定しようとするときに、検査を行った患者集団で最も特徴が現れた試験を中心に判定するということは妥当ではない。ある特徴を判定基準にするということは、それを水俣病の失調の特徴ととらえることであるから、患者集団に現れた特徴を水俣病にみられる失調の特徴ととらえるためには、患者集団が水俣病患者集団であるという前提が必要となってくるが、ここでは患者集団が水俣病患者集団であるということは、前提ではなく、まさに判断されるべき対象なのである。
(3) 次に、言葉の問題としてみると、協調運動障害のことを運動失調という用法はあっても、平衡機能障害のみのことを運動失調という用法は一般的にはないのであるから、元倉診断書の判定基準のように、平衡機能障害の所見があることのみをもって「失調あり」ということは適切ではない。
(4) 次に、実質的な問題としては、水俣病の診断において、平衡機能障害の有無のみを考慮して、協調運動障害の有無を考慮しなくてもよいのかが問題である。第五章、第七節、第二でみたとおり、四肢の協調運動と平衡機能の責任部位は異なっており、水俣病の病理学的所見からは、水俣病では平衡機能障害と四肢の協調運動障害の双方がともに現れることが多いと一応は考えられ、平衡機能障害のみが認められ、協調運動障害が認められない場合と、その両方が認められる場合とでは、水俣病の可能性の程度に違いがあると考えられることや、水俣病において協調運動障害がないのに平衡機能障害のみがいわば突出して現れることがあり得るのかという問題もあることからすれば、協調運動障害の検査結果は水俣病罹患の有無を判断する上で無視し難いものである。また、片足起立障害、つぎ足歩行障害などは、非水銀汚染地区在住高齢者にもかなりの頻度でみられる症状であり、平衡機能障害以外の他の原因によっても容易に現れるものであるから、そうした意味でも、これらの所見があるというだけで、これを水俣病に特徴的な所見とみることには問題がある。もっとも、平衡機能障害があったとしても協調運動障害がみられない場合には、水俣病と診断することができる場合がないとまでいえるのかについては、前記のとおり検討すべき余地があると思われるのであるが、協調運動障害と平衡機能障害の検査結果を総合して、水俣病の診断に有意の所見とみるかどうかの判断をする必要があることは明らかである。したがって、元倉診断書が、協調運動障害の有無について考慮することなく、平衡機能障害の有無、程度をみる検査結果のみをもって水俣病の主要症侯としての「失調」の判定基準としたことは、実質的にも妥当ではない。
(5) 次に本訴における証拠としての評価という観点からみると、当裁判所としては、各原告についての協調運動障害と平衡機能障害の検査結果を総合して、水俣病の診断に有意の所見があるかどうかということを判断することになるわけであるが、元倉診断書には各原告についての協調運動障害の検査結果の記載がないので、元倉診断書からは協調運動障害の有無を総合して判断することができない。平衡機能障害の有無についても、「失調あり」、「軽度失調あり」といった結論の記載のみで、各原告の検査所見自体の記載はないので、前記の判定基準に従って、「失調」とあるものは「歩行・立位時、開脚位をとり、躯幹の動揺がみられ、つぎ足歩行や片足立ちがほとんど不可能な例」、「軽度の失調」とあるものは「歩行や立位では異常が認められないが、片足立ちやつぎ足歩行で容易にかつ明らかに不安定さを示し、動作の継続が困難なもの」として判断することとなる。このように、元倉診断書が「失調」の有無、程度についての同医師の結論的判断を大まかに分類したことは意味のあることではあろうが、各原告の検査所見自体はやはりさまざまなものがあったと思われるところであり、その記載がないと、検査所見から「失調あり」などとした元倉医師の判断が妥当なのかを当裁判所として検討することに困難なものが生じる場合がある。
(四) 元倉診断書の失調の判定では、原告尾上ハル子(原告番号三四)について「片足立ちやつぎ足歩行でふらつきあり」、同塩田信行(原告番号三五)について「片足立ちやつぎ足歩行で軽いふらつきあり」、同塩田ハル子(原告番号三六)について「つぎ足歩行時少しふらつく」、同山下アキ子(原告番号七九)について「つぎ足歩行、片足立ちで軽度のふらつきあり」、同濱島サダ子(原告番号八一)について「片足立ちやつぎ足歩行で軽度のふらつきあり」、同澤村幸子(原告番号八三)について「つぎ足歩行、片足立ちで軽度のふらつきあり」、同岩嵜民子(原告番号一二一)について「片足立ちやつぎ足歩行でふらつきあり」、同岩内義盛(原告番号一二五)について「つぎ足歩行で軽度のふらつきあり」と記載されていて、この八名についてはいずれも失調の判定は保留されており、考察部分でも失調については言及されていない。これらは、元倉説明書[<書証番号略>]にいう「失調疑」、すなわち「片足立ちやつぎ足歩行でふらつきが出るが動作の継続が可能なもので、通常の歩行や立位では異常なし、明らかな失調とは言い難いが、正常でもない例」に該当し、「軽度失調あり」との判断には至らず、水俣病の診断に当たって特に考慮しなかったという趣旨と思われる。
(五) 元倉説明書[<書証番号略>]では、判定保留については[テストの際、合併する疾患が影響を与えており、失調の有無の判定は困難と思われた例」とされており、元倉は、証人尋問において、脳卒中の後遺症があるとか、パーキンソン病が疑われるとか、けが等による下肢の痛みとか膝の痛みがあるといった場合は、動作のときに影響を与える可能性があるので、そういう例はすべて判定保留ということで別に分類したと説明している。右のうち膝の痛みがあるといった場合は、検査の際の所見が平衡機能障害によるものか否かの判断が困難ということであり、脳卒中後遺症などの場合は、平衡機能障害はあっても、それが水俣病によるものか他の疾患によるものかの判断が困難であるということであると思われる。
元倉診断書では、原告尾上春喜(原告番号三三)、亡坂口スエノ(原告番号五二)、原告古賀ミサ子(原告番号七六)、同山下覺(原告番号七八)、亡濱島綱行(原告番号八〇)、原告百澤正四郎(原告番号八八)、同嵐鐵夫(原告番号九二)、同松下淺義(原告番号九四)、同田原重夫(原告番号一〇四)、同澤村次良(原告番号一一二)、同岩川俊夫(原告番号一一七)、以上の一〇名について「判定困難」とのみ記載されており、元倉は、証人尋問において、このうちの原告澤村次良(原告番号一一二)について、頭部CTで脳室の拡大がみられたので、大脳皮質の障害が存在するかもしれず、その影響が考えられるので失調の判定は困難であるという趣旨の証言をしている。この他の原告について、「合併する疾患」とは何かということを元倉診断書でみると、原告尾上春喜については「頭部CT 第三脳室・側脳室の拡大目立つ」、亡坂口スエノについては「膝痛あり」、亡濱島綱行については「頭部CT 右被殻の小低呼吸域」、原告百澤正四郎については「軽度の右片麻痺」、「頭部CT 右放射冠領域に小低呼吸域一ケ所」、同松下淺義については「頭部CT 両側被殻に小低呼吸域、右前頭葉と右後頭部に皮質の低呼吸域あり、多発性脳梗塞」、同田原重夫については、「左片麻痺あり(軽症)」、「頭部CT 右内包前脚と左前頭葉白質に小低呼吸域あり」のことではないかと思われるが、原告古賀ミサ子、亡濱島綱行、原告嵐鐵夫、同岩川俊夫の四名については、いずれも元倉診断書の記載からは何が合併する疾患なのかは全く不明である。
しかしながら、これらの原告らの失調の有無の判定が困難であるという説明は疑問に思われる。「テストの際、合併する疾患が影響を与えており、失調の有無の判定は困難」とするのであるが、合併する疾患によって検査自体が困難な場合はともかく、そうでない限りは、どのような異常所見があるのかをみた上で、それが平衡機能障害によるものなのか、他の原因によるものなのかを検討した上で、平衡機能障害によるものと判断される場合には、それが水俣病によるものなのか否かを検討すべきものであるから、検査において現れた異常所見の原因として考え得る他の疾患とは何であるかを明らかにした上で、患者にみられる異常所見が平衡機能障害によるものなのか、他の原因によるものかの判定がなぜ困難なのかを説明すべきであると思われる。その鑑別こそがまさに医師に要求されていると思われるのであり、その判断が困難というのであれば、それもひとつの医学的判断なのであるから、その理由を説明するべきである。原告側医師団も、「大勝反論書に対する反論」[<書証番号略>]の中で、片足立ちやつぎ足歩行で「異常な動揺を呈した場合にも注意深い観察と丁寧な診察で片麻痺や膝関節痛によるか否かを判断することは可能である。」と述べ、審査会がいくつかの症例において、検査でみられた異常所見を水俣病による平衡機能障害によるものではなく、他の疾患ないし原因によるものと判断したことに批判を向けている。しかし、この場合、審査会はまさに他の疾患ないし原因によるとの判断をしているのであるから、この批判はその判断そのものの当否に向けられるのでなければ意味がなく、そして、このようにいうのであれば、元倉診断書で相当数の原告について判定困難としているのがなぜなのかを原告側医師団の立場から説明することが必要である。
また、元倉は、前記のとおり、下肢の痛みとか膝の痛みがあるといった場合は、検査における動作のときに影響を与える可能性があるので、そういう症例はすべて判定保留にしたと証言しているが、各原告についての後記認定のとおり、原告らのなかには、他の証拠から下肢の痛みとか膝の痛みがあると認められるのであるが、元倉診断書においては「失調あり」と判断されているものが存在する。これらの原告については、元倉医師が、下肢の痛みがあるといった検査の際の動作に影響を与える可能性のある要因を把握しなかったのか、それとも、把握しつつ、検査における異常所見はその影響によるものではなく、失調の症状であると判断したのかは明らかではないが、仮に後者であるとすれば、そうした判断についての説明をしておく必要があろう。
(6) 原告らの運動失調の所見をみると、元倉診断書では、「失調あり」、「軽度失調あり」と判定されているが、検診記録では、片足立ちやつぎ足歩行といった平衡機能検査で異常所見がみられていないという場合がかなり見受けられる。共同意見書各論[<書証番号略>]でも運動失調の所見の記載があるものがあり、元倉診断書と同様の所見となっているものが多いが、元倉診断書記載の所見と違いが見られるものがある。
このような所見の違いが生じている原因が、原告ら患者側の要因に由来するものなのか、診察した医師側の要因に由来するものなのかの検討は困難な問題である。診察した医師側の要因としては、片足立ちやつぎ足歩行といった検査におけるふらつきなどの所見について、どの程度までのものを正常範囲のものとみるかという見方が異なっているということが考えられる。しかし、ある程度の所見の違いであれば、各検査でみられた原告らの所見自体にはそれほどの違いはないが、診察した医師の側がどの程度までの所見を正常範囲とみるかという見方が異なっている場合も考えられようが、元倉診断書において「失調あり」、すなわち「歩行・立位時開脚位をとり、躯幹の動揺がみられ、つぎ足歩行や片足立ちがほとんど不可能な例」と判定されているが、検診記録では異常所見が全く認められていないといった場合は、あまりにも食い違いが大きすぎるから、医師による見方の違いによるものとは考えにくい。医師側の要因として考えられるとすれば、異常所見があるにもかかわらず、検診医がこれを所見として取り上げずに、異常なしと記載してしまうということがあろうが、本件においてそのような疑いを抱かせるに足りるような証拠はない。原告ら患者側の要因となると、検査における原告患者の所見自体に大きな違いがあるということになるが、元倉診断書ではかなり異常所見が認められているが、検診記録ではそれほど認められていないというはっきりした全体的傾向があるのであるから、全体的には医師側の要因も関与しているものと考えられ、診察する医師の検診の仕方や立場の違いが検査の際の原告患者の所見に影響を与えているといったことも考えられよう。しかし、更に進んで、その原因を証拠から解明することは困難である。
右のとおり、元倉診断書と検診記録にみられる所見の食い違いについては、ある程度の違いであれば、医師側の所見の見方の違いに由来する可能性も考えられるが、その場合もどちらの見方が妥当なのかを証拠から認定することは困難である。所見の違いが大きい場合は、原告の所見自体の変動に由来する可能性の方が高いと考えられるが、そうなると、そのような大きな所見の変動が生じることは器質的な障害によるものとしては考えにくいのではないかという問題が生じてこよう。
そうすると、元倉診断書や共同意見書と検診記録との間に所見の食い違いがある場合には、一方の判定を採用することはできない。
3 求心性視野狭窄
(一) 原告らの審査会における審査資料である各眼科検診記録には、ゴールドマン型視野計による視野表が記載されており、これによると、眼科検診において求心性視野狭窄があると判定された原告は一人もいない。これに対して、元倉診断書では、本訴原告(死亡した訴訟承継前の原告も含む。)六二名中二七名が求心性視野狭窄ありと判定されているが、結論のみが記載されているだけであって、視野図の記載はない。
(二) 審査会資料の眼科検診記録は、検診医である園田輝雄医師が視野測定、眼科的検診を行って作成したものであり[証人大勝洋祐の証言]、元倉診断書作成に当たっての眼科検査は、ゴールドマン型視野計による視野測定は鹿児島生協病院の検査技師が、その他の診察は同病院の眼科医師である中村啓子医師が実施したものである。[証人元倉福雄の証言及び弁論の全趣旨]
(三) 求心性視野狭窄の判定については、審査会資料説明書総論[<書証番号略>]において、「狭窄の判定は内側五七度以上、外側八〇度以上を正常とする基準に基づき行われるを妥当とする。上方は上眼瞼の影響が大きく測定誤差が多いため、、判定材料にはなり難い。また、水俣病の視野は、症状の出揃った定型的な水俣病ではリアス海岸型の視野狭窄や螺旋形視野がみられることがあるものの、それを除けば全般的狭窄を示し、他の眼疾患にみられるようないびつな視野は測定されない。したがって、鼻側視野、耳側視野の二ケ所の測定点の測定値をもって狭窄の判定を行ってもよい。しかし、視野測定にあたっては、可能であればなるべく多くのイソプターを用い、なるべく多くの測定点をプロットするのが望ましい。」との記述がされている。共同意見書[<書証番号略>]では、狭窄の判定は、筒井の基準にのっとり、V/4のイソプターの水平方向の和が一二〇度未満のものとした、と述べられており、右の筒井の基準については、筒井「水俣病の眼科学的所見について」[<書証番号略>]において、「視野狭窄は標準値の上五〇度、内六〇度、下七〇度、外九〇度より一五度以上減、水平方向和で計三〇度以上減を一応狭窄として私どもはとっている。」と述べられている。したがって、狭窄の判定基準についての考え方には、検診記録と元倉診断書との間に基本的に相違はなく、検診記録の視野表の記載をみても、V/4のイソプターの水平方向の和が一二〇度未満との基準に該当するものはないから、検診記録と元倉診断書の判定の相違は判定基準の相違に由来するものではなく、検査結果そのものの相違に由来するものであることが明らかである。
(四) 視野検査については、被検者が同一であっても、測定の仕方によって測定結果に相違が生じることがあるといわれていることや、その一般的な原因については、第五章、第七節、第三、二記載のとおりであるが、原告らは、園田医師の視野測定方法には疑問があり、その結果である視野図には証拠価値がなく、元倉診断書を採用すべきであると主張している。
共同意見書は、元倉診断書と検診記録で所見の相違が生じていることについて、理由は定かではないが、検診記録を検討した結果視野検査の信頼性に対しては次のような問題点を指摘できるとして、①「屈折状態や年齢から判断して、視野検査にあたって矯正レンズの使用が必要な場合が多いが、矯正の不適正が検査結果に影響を及ぼしていると考えられる例があった。」として、その実例として原告安留トヨ(原告番号五三」をあげ、「近視の記載はない。矯正レンズを用いずに視野検査を行い、結果は正常範囲とされているが、測定されてしかるべき内部イソプターでの測定結果の記載がない。」と指摘し、②「眼底疾患のため、視野に中心暗点が検出されるべき例で、眼底疾患の記載があるにもかかわらず、視野はV/4のみで、内部イソプター、暗点の記載がない。」として、その実例として共同原告の一人であったが後に認定を受けたため訴えを取り下げた東ツルエをあげ、「左に黄斑円孔があるにもかかわらず、左視野に黄斑円孔による中心暗点の記載がない。」と指摘する。
そこで、これらの指摘について検討する。
原告安留トヨの例についてみると、眼科検診記録[<書証番号略>]によると、細隙灯顕微鏡所見で、水晶体混濁(中等度)、角膜混濁があり、眼底所見は「十分みえない」ため正常、異常の判断ができず、視神経乳頭も正常、異常の判断ができていないことが読み取られ、内部イソプターでの測定結果の記載はなく、結論としては、狭窄はないが、沈下は判定不能とされていることが読み取れる。角膜や水晶体の混濁と視野の沈下との関係についてみると、筒井「水俣病の眼科的所見について」[<書証番号略>]では、細隙灯顕微鏡検査で角膜、水晶体、ガラス体に混濁がある場合、それによる視野の沈下は十分に考慮しなければならないと指摘され、視野狭窄の判断にあたって「老人の場合は水晶体の混濁度を考慮しなければならない。乳頭の存在が判る程度の混濁なら内五〇度、下五〇度、外七〇度程度の視野が得られる。沈下の判定はさらに難しい。」「眼底が鮮明に見えない場合は沈下については判断ができない。視力が不良であったり、未熟以上の白内症があったりする場合、ゴールドマン視野計は役に立たない。このような場合にアイカップ視野計を用い、ペスライト光源をプラスティックカップから当てることにより、高度狭窄は検出が可能である。これは定性的な意味しかない。」と述べられており、同じく筒井「神経眼科診断のルーティン」[<書証番号略>]でも、ゴールドマン視野の読みという項で、「老人の水晶体混濁はあたかもNDフィルターで視標の輝度を下げるのと同じ効果を示す。内部イソプターで診断の決を下す場合には五〇歳以上では必ず細隙灯顕微鏡所見を付記すべきである。水晶体に混濁がある場合は沈下の診断は注意しなければならない。水晶体混濁度と内部イソプターの沈下度の関係は数量的に修正する方法は全くない。」と述べられている。眼科検診記録の作成者である園田医師自身も、昭和五一年八月一〇日に開かれた公害健康被害補償不服審査会において、参考人として、「水晶体の混濁がある場合、ゴールドマン視野計の内部イソプターはそれによって修飾されるので、注意が必要である。水晶体や角膜に中等度の混濁があるときは、内部イソプターを判断資料とするべきではない。それよりもさらに混濁度が増して視野経乳頭がみえないくらいになったら、外側のイソプターもあやしくなってくるということを知るべきである。」という趣旨の供述をしていることが認められる。[<書証番号略>] なお、「水俣病に関する総合的研究(昭和五七年度環境庁公害防止等調査研究委託費による報告書)」(昭和五八年三月)に所収の岩田和雄の「眼科研究」[<書証番号略>]と題する報告では、「I―3―e及びそれより内部のイソプターは、加齢、白内症、屈折異常等により容易に修飾されるので、真の水俣病的異常を判定する資料とはなし難い。」と述べられている。このように、水晶体や角膜に混濁がある場合には視野沈下の判断が困難になることが指摘されており、原告安留トヨについての検診記録の記載も、水晶体に中等度の混濁があり、角膜にも混濁があり、眼底も十分にみえないため、V/4のイソプターで狭窄はないと一応判断できるが、内部イソプターは判断資料にはできず、沈下については判定不能であると判断したものと読み取れるものであって、こうした見解に異議をとなえるならともかくも、矯正レンズを使用せず測定し、内部イソプターでの測定結果がないとして眼科検診記録を非難する共同意見書の指摘は的外れのものといえよう。
東ツルエの例についてみると、眼科検診記録[<書証番号略>]によると、左側黄斑円孔との記載があるが、内部イソプター、中心暗点の記載がないことが認められる。しかしながら、これらの記載がないのは、眼底検査で左側黄斑円孔の存在が認められたので、内部イソプター、中心暗点といったデータは水俣病の判断資料とはならないとの判断の下に記載がされていないものと考えられる。共同意見書は、眼科的検査を行うにあたって留意した点の一つとして、「明らかな黄斑円孔や黄斑変性等、眼底中心部分の病変が眼底検査で認められているにもかかわらず、視野検査で中心暗転が検出されない場合は、視野検査自体の信頼性が問題となる。そこで、外側イソプター(V/4)が正常範囲であっても、内部イソプターの沈下や暗点がないか、慎重に検査をすすめた。」と述べており、それ自体は正確を期する上で妥当であろうが、明らかな眼底中心部分の病変がある場合に視野沈下や中心暗点の存在といったことが水俣病の判断資料としてどのような意味があるのかが疑問である上に、そもそも元倉診断書では眼底疾患の記載も、視野図の記載もないのであるから、検診記録は信頼できず、元倉診断書が信頼できるとする根拠にはなり難いであろう。
そうすると、本訴において、眼科検診記録の園田作成による求心性視野狭窄が認められていない視野図には証明力がなく、元倉診断書に記載された求心性視野狭窄ありとの診断の方が証明力があるとみるべき根拠は何もないといわざるを得ず、元倉診断書は、同診断書において「求心性視野狭窄ある」とされた原告らについて、求心性視野狭窄があるという事実を積極的に認定するに足りる十分な証拠とはいえないことになる。
4 難聴
(一) 鈴木診断書、元倉診断書では、耳鼻咽喉科所見欄に気導聴力の平均聴力レベルと所見の評価が記載されている。平均聴力レベルは、鈴木診断書では六分法で、元倉診断書では四分法で算出されている。所見の評価は、元倉診断書では、「伝音性難聴あり」(二例、原告番号一一六、一二一)、「神経性難聴あり」、「神経性難聴なし」などと記載されている。
元倉説明書[<書証番号略>]及び証人元倉福雄の証言によれば、難聴の診断に当たっては、鹿児島生協病院耳鼻咽喉科の検査技師がオージオメーターによる聴力検査を行い、耳鼻咽喉科医師が診察を行ったこと、鹿児島生協病院では感音性難聴の内耳性難聴と後迷路性難聴を細別診断するための自記オージオメーターによる検査等は実施しなかったこと、元倉は聴力検査及び診察に当たった耳鼻咽喉科医師らに対して、聴力検査結果の評価は出さなくてもよいとして、聴力検査と診察だけを依頼し、元倉自身がそれをもとに「神経性難聴」の有無を判断したこと、元倉は神経性難聴ということばを感音性難聴の同義のものとして使用したこと、などの事実が認められる。そして、元倉は、内耳性難聴と後迷路性難聴の細別診断のための検査を施行していないことや、聴力検査結果の判断を耳鼻咽喉科を専門としない元倉自身が行ったので、難聴についての診断は元倉自身がとった神経内科等の所見と違って弱い面があると思い、水俣病罹患の有無の診断に当たっては参考程度にとどめたと証言しており、各原告についての元倉診断書をみると、神経性難聴ありと判断された原告についても、元倉診断書の考察欄ではそのことについて触れられておらず、水俣病の診断に当たって特に考慮されていないことが認められる。
(二) 耳鼻科検診記録には、オージオグラム、平均聴力レベル(六分法)、難聴程度、自記オージオ所見、ティンパノメトリー、耳小骨筋反射の検査結果などの記載がされている。二回目以降の検診にかかる耳鼻科検診記録には、前回までの検診における平均聴力レベルの値が参考として記載されている。
審査会資料説明書総論[<書証番号略>]によると、審査会の耳鼻科検診では受信者全員に純音聴力検査(気導骨導検査)、自記オージオメトリーを施行し、それだけで判断し難い症例にティンパノメトリー、アブミ骨筋反射を実施し、感音性難聴、特に後迷路性難聴を示すものを重視する、と記載されている。しかし、耳鼻科検診記録のオージオグラムをみると、第一回目の認定申請にかかる第一回目の検診では、気導聴力、骨導聴力とともに検査がされてその記載がされているが、二回目以降の検診のオージオグラムには気導聴力の記載しかされていない。自記オージオメトリーも検診のたびに実施されているわけではない。ティンパノメトリーについては、審査会資料説明書総論によると、中耳伝音系の異常を検査するものであることが認められるが、検診記録に記載されているティンパノグラムのA型とかB型というのがどのようなことを意味するものなのかを説明する証拠は提出されていない。
(三) 前記のとおり、平均聴力レベルは、耳鼻科検診記録と鈴木診断書は六分法で、元倉診断書は四分法で算出されている。六分法は四〇〇〇ヘルツの聴力損失値を考慮するものであり、一般に高周波音域に対する聴力の方がより低いから、六分法で算出する方が四分法で算出するよりも平均聴力レベルの値はより大きくなる場合が多い。しかし、原告らについて、元倉診断書記載の平均聴力レベルと耳鼻科検診記録記載の平均聴力レベルとを比較すると、元倉診断書記載の平均聴力レベルの方が値が大きい場合が多く、測定誤差ということでは説明のつかない大きな違いがみられるものもある。その原因についての一般的な判断は困難であり、一般的にどちらがより証明力があるとの判断はできないが、各原告についてみると、後に認定判断するとおり、元倉診断書記載の検査結果の信頼性に対し疑問の感じられる場合がある。
(四) 難聴の種類については、第五章、第七節、第四、一で認定のとおり、感音性難聴であるか否かの鑑別のためには、骨導聴力の検査が必要であるが、元倉診断書にはオージオグラムや骨導聴力の検査結果の記載はなく、気導聴力の平均聴力レベルの記載があるだけである。したがって、元倉診断書によっては、鹿児島生協病院で実施された聴力検査によるオージオグラムから元倉医師が神経性難聴の有無についてした判断が妥当なものであるか否かを当裁判所として判断することはできない。
被告らは、元倉の神経性難聴の有無の判断について、元倉が証人尋問において平均聴力レベルの値で判断したかのような証言をしたことから、平均聴力レベルは単に難聴の程度を示すものであって、これで神経性難聴であるかどうかを判断することはできないと批判している。しかし、元倉診断書で伝音性難聴と判断されている原告についてみると、原告岩嵜民子(原告番号一二一)の場合、元倉診断書[<書証番号略>]では「右伝音性難聴」とされているのであるが、耳鼻科検診記録[<書証番号略>]のオージオグラムをみると、骨導聴力は正常だが右の気導聴力が低下しており、やはり右伝音性難聴があると判断される。したがって、元倉においても当然に通常のオージオグラムの読み方に従って判断しているものと思われ、証人尋問における証言は質問の趣旨の取り違えによるものと理解される。ただし、このことは検診記録のオージオグラムからの判断と元倉診断書の判断が一致しており、その両者に証明力を認め、当該原告の難聴を伝音性難聴と認定することができるとともに、検診における判断と元倉診断書の判断の双方ともにその一般的信頼性について重大な疑義を抱かせるような問題点はないであろうとひとまず判断できるということを示すものにすぎず、元倉診断書自体からはその判断の妥当性を判断することができないという点には変わりがない。
耳鼻科検診記録も、二回目以降の検診にかかるものが証拠として提出されている原告の場合には、オージオグラムに骨導聴力の記載がないので、伝音性難聴と感音性難聴とを鑑別することはできないことになる。
(五) 元倉診断書では、「神経性難聴あり」と記載されているものが多く、「伝音性難聴あり」と判断されているものもあるが、混合性難聴と記載されているものはない。混合性難聴は、伝音性難聴と感音性難聴が混合したものであるから、「神経性難聴あり」に含まれるといえないことはないが、気導聴力の平均聴力レベルの値によって難聴の程度が示された上で(量的診断)、その程度の難聴が聴覚機構のどこの障害によって生じているかという難聴の種類についての判断(質的診断)が問題となっているのであるから、混合性難聴であれば混合性難聴と記載すべきであって「神経性難聴あり」と記載することは適切ではない。
(六) 以上のとおり、元倉診断書自体からは「神経性難聴あり」との判断の妥当性を判断することができず、しかも元倉医師自身その判断に重きを置いていないのであるから、検診における気導骨聴力の検査結果が記載されたオージオグラムや自記オージオメーターによる検査結果等から感音性難聴との判断ができない場合には、元倉診断書の判断の方が証明力があるとみて、感音性難聴と判断することはできない。このとは鈴木診断書についても同様である。
七臨床診断上問題となるその他の所見について
1 レ線所見
鈴木診断書、元倉診断書、検診記録のいずれにも、頚椎及び腰椎のレントゲン線写真の所見が記載されている。これは、水俣病と脊椎変性疾患との鑑別に必要となるものである。なお、脊椎変性疾患について確実な診断をするためには、単純レ線写真だけでは足らず、ミエログラフィー、ディスコグラフィーなどの検査が必要となる場合もあるが、これらの検査は、検診においても元倉医師の診察においても実施されていない。
2 頭部CT所見
元倉診断書には、原告山下覺(原告番号七八)、同尾上利美(原告番号八四)、同吉田稔(原告番号八五)、同嵐鐵夫(原告番号九二)、同岩川俊夫(原告番号一一七)を除く各原告について、頭部コンピューター断層撮影(以下「頭部CT」という。)の所見が記載されている。
検診記録には、検診で頭部CTが実施された一部の原告について、その所見の記載があるものがある。
水俣病患者にみられる頭部CT所見について、白川健一は、「水俣病の診断学的追究と治療法の検討」(有馬編・水俣病―二〇年の研究と今日の課題)[<書証番号略>]の中で、胎児性水俣病を除く新潟水俣病患者一二例中一〇例(83.3パーセント)に異常が認められ、その所見では、小脳から高頭葉にかけて異常が多く見られたと報告している。
各原告についての元倉診断書をみると、頭部CT所見は正常となっているものが多く、異常所見がみられているものもあるが、元倉診断書の考察欄をみると、水俣病を示唆する所見という趣旨の記載があるのは、「小脳半球と高頭葉の萎縮あり」とされた元原告の川元フヂノ(原告番号四九、弁論終結後訴えを取り下げ。なお、再申請で認定を受けたとのことである。)だけである。原告田原ミツ(原告番号四一)、同新立マツエ(原告番号五四)、同百澤正四郎(原告番号八八)、同金丸清秋(原告番号九一)、同松下淺義(原告番号九四)、同田原重夫(原告番号一〇四)、同澤村ツタエ(原告番号一一三)、同中村フジエ(原告番号一一五)については、低吸収域などの異常所見がみられているが、これらについて考察欄では特に言及されていない。このうち、原告田原ミツ、同百澤正四郎、同松下淺義、同田原重夫、同澤村ツタエの所見は、後記認定のとおり、脳血管障害と関連するものである可能性が高いと考えられる。原告尾上春喜(原告番号三三)、同川﨑アサエ(原告番号四二)、同森ヨシエ(原告番号八二)、同澤村次良(原告番号一一二)については、脳室の拡大などの所見がみられているが、「頭部CT上脳室の拡大がみられるが、感覚障害を説明できるものではない。」などと、頭部CT所見からは水俣病以外の疾患の存在が考えられるが、感覚障害等の所見の原因であるとは考えられない、という趣旨の記載がされている。原告岩内義盛(原告番号一二五)の異常所見については、一酸化炭素中毒と頭部外傷によるものと判断されている。元倉説明書[<書証番号略>]には、(頚椎写・腰椎写・頭部CT」について、「全体として、特徴的所見・結果は得られなかった。一例に頭部CT上、小脳と高頭葉の萎縮がみられた。」と記載されており、この記載からも、小脳と高頭葉の萎縮がみられた一例についてのみ水俣病を示唆する所見と見たことが窺われ、この一例とは元原告の川元フヂノのことと思われる。したがって、原告らには、白川が報告しているような水俣病を示唆するようなCT所見はみられていないということがいえよう。
3 糖負荷試験
鈴木診断書、元倉診断書では、原告ら全員につき、経口ブトウ糖負荷試験(OGTT)の結果が記載されている。元倉説明書[<書証番号略>]によると、五〇グラムOGTTを実施し、トレーランGの内服前と後三〇分、六〇分、一二〇分の血糖を測定し、日本糖尿病学会の勧告値に基づいて判定したと説明されている。
元倉説明書[<書証番号略>]によると、原告らを含む一三九名の検査結果は、糖尿病型一四人(10.1パーセント)、境界型六〇人(43.2パーセント)、正常型六五人(46.8パーセント)となっている。
検診では、糖尿の検査は実施されているが、糖負荷試験は実施されていない。
4 その他
(一) 元倉診断書には、その他に、胸部レ線、血算、肝機能、腎機能、CRP(C反応性蛋白試験)、血沈(赤血球沈降速度)、ACE、尿蛋白定性、神経伝導速度、梅毒反応定性などの検査結果が記載されているものがあるが、特に記載されていないものもある。
(二) 検診記録には、一般に神経疾患の診断のために行われる諸神経検査の結果を記入するようになっている。
八共同意見書中の見解について
共同意見書各論[<書証番号略>]の各原告についての「考察と結論」の中に、特に原田医師の担当したものに、水俣病についての一般論的見解が述べられている部分があるので、それについてここで検討しておくこととする。
1 原告東山政盛(原告番号二五)についての意見の中で、原田医師は、同原告の所見について、「確かに教科書的小脳性運動失調とは認められない。」としつつ、「しかし、慢性型の水俣病においてはそのような所見が多数例に認められ、むしろ、そのような所見こそが慢性水俣病の特徴とさえいえる。しかも、その特徴的な起立・歩行・平衡障害は小脳性障害にその他の中枢性障害が加わったものであることは剖検所見などより明らかである(小脳障害だけの水俣病はない、むしろ小脳障害は他の所見に比べて軽い。)。したがって、同じ所見を認めながら、小脳性失調でないから水俣病ではないという結論は誤りである。」としている。
この意見は、①水俣病と診断される患者の剖検所見では、小脳の障害とともに、多くの場合小脳障害よりも程度の重い「その他の中枢性障害」がみられている、②そうした患者には、本原告と同じような「特徴的な起立・歩行・平衡障害」の臨床症状がみられていた、③そうした患者の「特徴的な起立・歩行・平衡障害」は、小脳の障害とより程度の重い「その他の中枢の障害」によるものと医学的に説明することができる、④したがって、そうした「特徴的な起立・歩行・平衡障害」があれば、小脳性の失調とは認められなくても、(慢性)水俣病による症状である可能性が高い、という論理のものと一応理解される。しかしながら、第五章でみたとおり、①については、水俣病の剖検例では、小脳のほかに大脳に障害がみられるのが特徴であるから、「その他の中枢の障害」とは主として大脳の障害のことかと思われるが、②については、軽症の水俣病患者に「特徴的な起立・歩行・平衡障害」とはどのようなものかが明らかでなく、軽症の水俣病患者にみられる運動失調について「特徴的な起立・歩行・平衡障害」の存在を指摘する見解が医学的に一般に指摘されているわけではないし、③についても、現在得られている医学的知見からは、そうした説明が一般に支持されているわけではなく、したがって、共同意見書の見解は説得力に欠け、④の結論を採用することはできないと考えられる。ただし、水俣病による平衡機能障害と病理所見との相関についても医学的に未解明の部分があると考えられるので、小脳性の平衡機能障害の特徴と一致しない部分があるからといって、直ちに水俣病によるものでないとみることにも問題がなくはないと思われる。
2 原告東山瑞枝(原告番号二六)についての意見の中で、原田医師は、主要所見として、しゃがみ立ち、座位保持、片足立ち、つま先立ち、つぎ足歩行、ロンベルグ、マン試験、膝踵試験、膝叩きの障害が認められ、これらの起立・平衡障害は矛盾なく陽性で、下肢には運動失調が認められるとした上で、考察と結論部分において、「本患者には軽いが下肢に明らかな運動失調が認められている。下肢に強い運動失調も慢性水俣病に特徴的にみられるものである。」としている。
しかしながら、運動失調という概念を協調運動障害と平衡機能障害を含めた意味で用いるにしても、下肢の平衡機能障害という言い方はないのであるから、下肢の運動失調といえば下肢の協調運動障害のこととなるはずであって、共同意見書のように、起立、平衡障害と下肢の運動失調を同義であるかのようにして、起立、平衡障害があるから下肢の運動失調があるとすることは不適切と思われる。既に述べたとおり、水俣病の軽症例においては、協調運動障害がないとか軽度であるにもかかわらず、平衡機能障害のみが特徴的に現れることがあるのかということも問題となるものと考えられ、審査会資料説明書総論[<書証番号略>]も指摘しているように、下肢の協調運動障害と平衡機能障害とは混同されてはならないものと考えられる。
3 原告塩田信行(原告番号三五)についての意見の中で、原田医師は、主要所見として、「上肢に微細な振戦と指微細運動、ボタンはめなどの拙劣、運動転換の拙劣、緩徐を認める。つまさき立ちには動揺を、しゃがみ立ち・片足立ち・つぎ足歩行には軽いふらつきを認める。緊張すると全身に粗大な振戦がみられる。」とした上で、考察と結論部分において、「本患者の軽い起立・歩行障害は典型的・教科書的運動失調ではない。しかし慢性水俣病においては、そのような典型的症状はみられないことが多く、全体として動作の緩徐差・拙劣さは共同運動障害との関係において重要であって、全く正常とすることはできない。」と述べている。
しかしながら、問題は、つまさき立ちでの動揺、しゃがみ立ち・片足立ち・つぎ足歩行での軽いふらつきといった典型的・教科書的運動失調とはいえないような起立歩行障害を、水俣病の診断において有意の所見として評価すべき根拠は何かということにあり、その点の根拠は十分ではないと思われる。また、全体として動作の緩徐、拙劣がみられるとすれば、全く正常ではないであろうが、問題は動作の緩徐・拙劣といったことを協調運動障害の有無・程度の判断においてどう評価すべきか、水俣病に有意な所見として評価すべき根拠は何かということにあり、これについては第五章、第七節、二で述べたとおりである。
第二個別原告についての検討
一原告渡邊幸男(原告番号三)について
【証拠】 <書証番号略>、原告本人尋問の結果、弁論の全趣旨
1 水俣病認定申請棄却の経緯
本原告は、鹿児島県知事に対し、昭和五九年五月一日に水俣病認定申請を行ったが(右の五月一日は認定申請受理日である。以下他の原告らについても同様。)、平成元年四月二七日に棄却処分を受けている。その後、本原告は再申請をしている。
2 有機水銀曝露歴
(一) 生活歴
昭和一六年一一月一九日、現在の出水市汐見庁に居住し、網元として漁業を営んでいた父渡邊虎雄と母キクエの三男として出生。昭和三二年三月に中学校卒業後、家業を手伝い、漁業に従事したが、水俣病問題の発生による漁業不振のため、昭和三六年に上京した。上京後は東京都日野市のスーパーマーケットに勤務し、昭和三八年ころには運送会社に転職して長距離運転の業務に従事したが、身体の不調のため一か月ほど勤務しただけで退職した。その後、自動車販売会社に二年間ほど勤務し、昭和四〇年ころから現在まで立川市内にあるパチンコ店に勤務している。昭和四一年三月、宇藤由美子(本件から分離された事件の原告宇藤正男の長女)と結婚し、一男一女をもうけたが、昭和五八年ころから別居状態となり、昭和六三年に離婚した。
(二) 食生活歴
出水市に住んでいた当時は、魚介類を多食する食生活を送っていた。
(三) 家族中の水俣病患者
母キクエ、長兄喜久雄、長姉古賀アヤコ、弟繁徳が水俣病認定患者である。
(四) 以上の事実から、本原告は、昭和三六年に上京するまでの出水市に居住していた間に有機水銀に曝露されたものと認められる。
3 症状
(一) 症状の発生と経過
(1) 鈴木診断書(昭和六二年五月三〇日付)[<書証番号略>]の現病歴の欄には、次のような趣旨の記載がある。
上京後の昭和三八年ころから、全身倦怠感があり、ほどなくして、頭痛、両足のしびれを自覚し、現在も続いている、昭和五九年ころから足がふらついてまっすぐ歩けないことに気づいた。
(2) 陳述録取書(昭和六三年一月一八日付)[<書証番号略>]には、次のような趣旨の記載がある。
運送会社に勤務していた昭和三八年ころ、疲れがひどくて身体がだるくなり、仕事が続かなくなった。やがて手足のしびれ、とくに腿から下の足全体にジンジンするようなしびれを感じよるようになった。しびれと痛みが重なって、とてもいやな感じだった。手指の感覚も鈍くなった。頭痛もするようになった。耳も遠くなった。長く歩けなくなった。昭和三九年ころから、車の運転中、視野が狭くなっているように感じ、運転していて脇の方がよく見えず、危なく衝突しそうになったことがあった。手の感覚も鈍くなり、昭和五七年ころ、ガラスの破片でうっかり左の小指を切ってしまったが、痛みを感じなかった。
(3) 疫学調書[<書証番号略>]の疾病状況の欄には、次のような趣旨の記載があるが、これは、平成元年一月三一日に保健技師が本原告から事情を聴取して記載したものである。
昭和三六年ころ、頭痛、手足のしびれがあり、時には不眠になることがあった。市販薬(ノーシン)を内服。
昭和三八年ころから、肉体労働をするととても疲れやすかった。また、そんなときは、自分でまっすぐ歩いているつもりでも、フラフラ歩いているときがあった。体が熱っぽいことがあった。運転していても信号が目に入らない。距離感のつかめないことがある。少し座っているだけで足がしびれる。同じ姿勢でいると手がしびれるし、物を持っても落としたりする。痛みに対する感覚なし。物忘れがひどい。イライラしやすい。耳鳴りがある。現在まで、右のような症状が持続している。特に強い自覚症状は全身の倦怠感。治療としては市販薬を内服している。身体症状のひどいときだけ鍼、灸、指圧をしてもらう。
(4) 本原告が第一回目の認定申請書に添付した診断書は、鈴木医師作成による昭和五九年四月二四日付の本原告を「水俣病疑」とする診断書[<書証番号略>]であり、「頭書の疾患にて手袋靴下型の知覚低下、筋力低下等の所見を認めます。」と記載されているが、本原告は、この鈴木医師による診断を受けるまでの間、市販の頭痛薬を服用していただけで、医師による診断治療は全然受けていない。
(二) 既往歴
鈴木診断書の既往歴の欄の記載によると、昭和四二年ころに虫垂炎の手術を受け、昭和五二年ころに左中耳炎に罹患していることが認められる。
(三) 自覚症状
鈴木診断書及び陳述録取書には、次のような自覚症状の訴えの記載がある。
両手足にジンジンするようなしびれ感と知覚鈍麻がある。両足底には灼熱感もある。手先の細かい作業ができず、物を取り落としたりし、ボタンのはめはずしも下手になった。スリッパ等が脱げてしまうことがあり、転びやすくなった。両手がふるえ、手足がこわばること(からす曲がり)があり、力も弱くなった。頭重、頭痛あり、両肩、上肢、腰にも痛みがある。周辺が見えにくく、耳鳴りがあり、耳も遠くなった。全身倦怠感、易疲労感、不眠があり、意欲が低下し、根気がない。物忘れがひどく、急にイライラしたり、哀しくなったりすることがある。ふらーっとするめまいがすることがあり、気の遠くなりそうなことがある。
(四) 臨床症状
(1) 感覚障害
ア 鈴木診断書では、顔面を含む全身に痛覚、温冷覚の低下があり、しかも四肢末梢型の著明な低下を示した、触覚は温痛覚障害に比べ軽度であるが、四肢末梢の低下を示した、とされている。振動覚は正常範囲となっている。
イ 平成元年一〇月一八日に鈴木医師があらためて神経学的診察を実施して作成した平成元年一二月五日付の診断書[<書証番号略>]では、表在知覚においては、四肢末梢型感覚障害及び口周辺の感覚低下を認め、とりわけ痛覚、温度覚は正常人に比し全身的にも著明な低下を示したとされている。振動覚は、下顎九秒、右肩(以下いずれも右)5.5秒、肘八秒、手首一一秒、前上腸骨棘7.5秒、膝五秒、足首七秒となっており、軽度の障害とされているが、末梢ほど障害が強いという要素は認められていない。
ウ 共同意見書各論(平成元年一〇月一八日診察、診察医師 原田正純)
[<書証番号略>]は、「四肢末梢とくに下半身に強い感覚障害と口周辺の軽い感覚障害がみとめられる。痛覚と触覚では末梢ほど障害が強く、温度覚についても同じような傾向がみられる。典型的な四肢末梢感覚障害とみるべきである。」としている。
エ 神経内科の検診医作成による水俣病検診記録(以下「検診記録」という。)(平成元年二月六日検診)[<書証番号略>]では、感覚障害は認められていない。
(2) 運動失調
ア 鈴木診断書では、「協調運動では手回内回外運動が両側とも緩徐で、かつ左側は不規則であった。左踵での右膝叩きは軽度失調(デコンポジション)を示した。立位では、ロンベルグテストは正常(陰性)、マンテストで左右への動揺(陽性)を呈した。歩行では、つぎ足歩行で動揺を示した。」とされている。
イ 鈴木医師作成の平成元年一二月五日付の診断書では、変換試験で運動が極めて遅い、指鼻試験では開眼時にぎこちなさがあり、閉眼するとハイパーメトリーとなるミスディレクションを呈した、指指試験では左右の指先がすれちがってしまった、膝踵試験ではぎこちなさはあるが動揺はなかった、膝叩き試験(踵で反対側の膝を三回叩く)では、打つたびごとに落下位置が異なり、デコンポジションを呈した、ロンベルグ試験では動揺がみられるが、揃えた両足をふみはずすほどではない、マン試験では開閉時とも動揺が著明で、いずれの場合も一メートル程離れた横の壁に手をついてしまうが、閉眼時の方が不安定である、片足立ちは、開眼時にもかなりバランスが悪く、閉眼では動揺顕著のため困難であった、つぎ足歩行では、両上肢をひろげてバランスをとろうとするが、躯幹の動揺が著明で、側方の壁に手をついてしまう程であった、とされており、上下肢ともに軽度の協調運動障害を呈し、平衡機能検査では明らかな障害を認めた、とされている。
ウ 共同意見書(原田)では、「指鼻試験では軽い障害がみられる。ジアドコキネーゼは不円滑で遅い。眼球運動も不円滑。足の検査では、膝踵試験は不円滑、マン試験・片足立ち・つぎ足歩行で動揺が著明。騒音障害はプラスではないが、言葉がのろく重い。すべてが運動失調とは判断できないが、全体的に軽度の協調運動障害、平衡機能障害が認められる。」とされている。
エ 検診記録では、上肢の検査で、指微細運動と運動転換がやや拙劣であるが、指指・指鼻試験はすべて(−)で失調性の要素は認められていない。下肢の協調運動も正常とされている。平衡機能の調査では、片足立ち、両足つま先立ちが「辛うじて可」、片足つま先立ち、ロンベルグ試験、マン試験、つぎ足歩行が「不可」といった強い異常所見が認められている。歩行は「ほぼ正常」とされている。
耳鼻科検診(平成元年三月一五日受診)の際の平衡機能の検査では、ロンベルグ試験(−)、片足直立試験、マン試験では開眼時(−)、閉眼時(±)となっている。
(3) 求心性視野狭窄その他眼科所見
本原告は、周辺が見えにくいという自覚症状を訴えているが、鈴木診断書、眼科検診記録ともに、求心性視野狭窄なし、と判定している。
(4) 難聴その他眼科所見
ア 鈴木診断書では、平均聴力レベルの検査結果(六分法)は右15.8デシベル、左20.0デシベルで、両耳とも軽度感音性難聴と判定されている。
イ 耳鼻科検診記録(平成元年三月一五日検診)では、平均聴力レベルの検査結果は右4.2デシベル、左10.8デシベルで、難聴なしと判定されている。
(5) その他
ア レ線所見
鈴木診断書、検診記録とも正常範囲。
イ 鈴木診断書において認められている所見
七五グラム糖負荷試験で境界型糖尿病と判定されている。
脳波検査で、基礎波の不規則化、デルタ波の混入がみられ、鈴木診断書は、これを中等度かつ、びまん性の脳機能障害としている。
四肢の筋力の軽度低下。
ウ 検診記録において認められている所見
頚部の後屈折制限が認められている。
4 その他
昭和四一年三月に本原告と結婚した妻由美子の父は本件から分離された事件の原告宇藤正男であり、母は水俣病認定患者である。本原告の陳述録取書には、妻も本原告と同じような身体の不調を訴えており、水俣病に罹っていたことは間違いないと思う、といった記載がある。ところで、園田恭一ら「関東に在住する水俣病と診断された人々の生活史と実態(下)」(「公害研究」一七巻三号)[<書証番号略>]は、不知火海沿岸地域に一定期間居住したのち、関東地方に移住した本訴原告らを対象として訪問面接法による調査を実施した結果を報告したものであるが、右調査の対象者の内、事例20は、その経歴からみて本原告と特定できる。この報告では、健康不調による家族関係への否定的な影響として、幾つかの事例が報告されているが、本原告である事例20は、「イライラして、夫婦げんかが絶えず、三〜四年前から別居している。妻には「あなたが水俣病にかかっているわけがないでしょう」とか「そのくらいの痛さで」とか言われた。」と記載されており、これによると、本原告が自らの健康障害を水俣病によるものと認識していることについては、妻からあまり理解を得られていなかったことが窺われる。
5 検討
(一) 症状の経過についてみると、鈴木診断書及び陳述録取書の記載内容と疫学調書の記載内容にそれほどの食い違いはないが、手足のしびれの初発時期については、鈴木診断書では昭和三八年、疫学調書では昭和三六年となっており、二年ほどの違いがある。ただし、本原告の場合、医師による治療は全然受けていないことからすると、昭和三〇年代の後半からこれらの症状があったとしても、その程度はそれほど重いものではなかったと考えられる。
(二) 水俣病の主要症侯についてみると、感覚障害については、検診記録では感覚障害が認められていないのに対して、鈴木診断書、共同意見書では、四肢末梢型の表在感覚障害と口周辺の感覚低下が認められている。鈴木診断書では、振動覚は正常範囲とされているが、同じ鈴木医師作成の平成元年一二月五日付診断書では振動覚も軽度障害となっている。
(三) 運動失調については、協調運動障害に関し、鈴木診断書では、手回内回外運動が両側とも緩徐で、かつ左側は不規則、左踵での右膝叩きが軽度失調(デコンポジション)を示したとされているが、平成元年一二月五日付の診断書では、変換試験で運動が極めて遅い、指鼻試験では開眼時にぎこちなさがあり、閉眼するとハイパーメトリーとなるミスディレクションを呈した、指指試験では、左右の指先がすれちがってしまった、膝踵試験ではぎこちなさはあるが動揺はなかった、膝叩き試験では、打つたびごとに落下位置が異なり、デコンポジションを呈したとされていて、所見の異常の程度が強くなっている。しかし、このように有機水銀曝露の時期から相当に時が経過した後に、短期間の間に所見が急激に変動している場合には、これを有機水銀曝露の影響によるものとみることには疑問が大きいと思われる。これに対して、検診記録では、上肢の検査で、指微細運動と運動転換でやや拙劣との記載があるが、指指・指鼻試験はすべて(−)で失調性の要素は認められておらず、下肢の協調運動も正常とされている。
平衡機能障害に関しては、さまざまな所見がみられている。鈴木診断書は、マン試験で左右への動揺、つぎ足歩行での動揺といった所見となっているが、平成元年一二月五日付の診断書では、マン試験では開閉時とも動揺が著明で、いずれの場合も一メートル程離れた横の壁に手をついてしまうが、閉眼時の方が不安定である、片足立ちは、開眼時にもかなりバランスが悪く、閉眼では動揺顕著のため困難であった、つぎ足歩行では、両上肢をひろげてバランスをとろうとするが、躯幹の動揺が著明で、側方の壁に手をついてしまう程であったということで、平衡機能障害で明らかな障害を認めたとされており、鈴木診断書と比較すると、所見の異常の程度が極めて強くなっており、ここでも、このような急激な所見の変動を有機水銀曝露の影響とみることには疑問が大きい。
共同意見書も、マン試験・片足立ち・つぎ足歩行で動揺が著明としており、検診記録でも、片足立ち、両足つま先立ちが「辛うじて可」、片足つま先立ち、ロンベルグ試験、マン試験、つぎ足歩行が「不可」といった強い異常所見が認められている。耳鼻科検診(平成元年三月一五日受診)の際の平衡機能の検査では、ロンベルグ(−)、片足直立試験、マン試験では開眼時(−)、閉眼時(±)となっており、それほど強い異常はみられていない。
ところで、検診時や共同意見書作成のための診察時にみられたような高度の下肢の平衡機能異常がみられれば、当然日常生活動作にも著しい困難を伴うものと考えられるが、内科検診時には日常生活動作に特段の障害は認められておらず、疫学調書の疾病状況の欄にも検査所見と符合するような強い歩行障害に関する訴えは記載されていない。
(四) 共同意見書は、運動失調の検査での本原告の所見につき、「すべてが運動失調とは判断できないが、全体的に軽度の協調運動障害、平衡機能障害が認められる。」、「本患者の軽い起立、歩行障害については運動失調との判断はできないが、全体的に軽度の協調運動障害、平衡機能障害と認められる。」としている。しかし、共同意見書に記載されているように、マン試験・片足立ち・つぎ足歩行で動揺が著明であったというのであれば、平成元年一二月五日付の鈴木医師の診断書のように平衡機能の明らかな障害ということになりそうであるのに、なぜ「軽い」起立、歩行障害ということになるのか、著明な動揺を示しているのになぜ運動失調かどうかが問題となるのか、運動失調との判断ができないというのであれば、判断できない部分は何であると考えられるのか、起立、歩行障害について運動失調との判断ができないのに、なぜ全体的に軽度の平衡機能障害があるという結論になるのか、これらの点は不明であり、これらの疑問について納得できる説明がない以上、右の見解を理解することはできず、原田医師の診察の合理性に疑問を感じざるを得ない。
(五) 難聴については、鈴木診断書と耳鼻科検診記録とで平均聴力レベルの値に若干の違いがあり、鈴木診断書では右15.8デシベル、左20.0デシベルとなっていて、軽度(感音性)難聴とされている。これは、一五デシベル以上を難聴とみたものかと思われ、鈴木医師の診察時四五歳という本原告の年齢からすると、平均よりもかなり聴力が低下しているとはいえようが、難聴の程度としては、正常範囲からごく軽度の難聴ということになろうと思われる。難聴の種類については、オージオグラムの記載とか、骨導聴力についての記載はないので、感音性難聴と判断した根拠は鈴木診断書からはわからない。平成元年三月一五検診の耳鼻科検診記録では、平均聴力レベルは右4.2デシベル、左10.8デシベルと正常範囲となっている。そうすると、本原告に難聴があると認めることはできない。
(六) 以上を総合して検討する。
(1) 本原告には有機水銀曝露歴が認められる。
(2) 臨床所見としては、鈴木診断書、共同意見書において四肢末梢型の表在感覚障害がみとめられているが、検診記録では感覚障害は認められていない。運動失調(協調運動障害及び平衡機能障害)については、急激な所見の変動を有機水銀曝露の影響によるものとみるには疑問が大きい。
(3) 感覚障害について右のような所見の違いが生じている原因については、医師側の要因のほかに、本原告の感覚障害の所見に変動が生じた可能性が考えられ、これについては、総合的にみて水俣病による器質的障害によっても起こり得る感覚障害の所見の変動の範囲内とみる余地があるかどうかが問題となる。
(4) 食生活において基本的に共通するものがある親族の中に水俣病認定患者が多く、自覚症状としても、認定を受けた弟の渡邊繁徳と同じような症状を多数訴えている。
(5) これらを考え合わせると、本原告の健康障害のなかに水俣病によるものが含まれている高度の蓋然性があると認めることはできず、また、医学的判断の問題としては水俣病と診断するに足りる程度のその可能性があるともいい難いが、相当程度の可能性はあるものと認められるから、被告チッソの損害賠償責任を認めた上で、その可能性の程度については、損害賠償額(慰藉料)の算定に当たって反映させることとする。
二ないし五<省略>
六原告渡邊美代子(原告番号二九)について
【証拠】 <書証番号略>
1 水俣病認定申請棄却の経緯
本原告は、鹿児島県知事に対し、昭和五二年三月一七日に初めて水俣病認定申請を行ったが、昭和五八年一月二二日に棄却処分を受け、その後同年、昭和五九年と申請を重ねたが、いずれも棄却処分を受けている。
2 有機水銀曝露歴
(1) 生活歴
昭和七年三月一一日、出水市住吉町(名護西部落)の現在地から一〇〇メートルほど離れた所(浜新田部落)に住んでいた漁師の父古賀末義、母ノブの長女として出生。高等小学校卒業後は、近所の網元のところへ地引き網の手伝いに行ったりしていた。昭和二七年に渡邊利男(原告番号二八)と結婚。以後現在地に居住。四人の子をもうけるが、昭和三三年生れの第四子は生後約三か月で死亡。夫の漁の手伝いをしたり農家、大工の手伝いなどをして働いてきた。
(二) 食生活歴
実家、婚家ともに漁業を営んでいたことから、魚介類を多食する食生活を送ってきた。
(三) 以上の事実から、本原告には有機水銀曝露歴が認められる。
3 症状
(一) 症状の発生と経過
(1) 元倉診断書(昭和六二年六月五日付)[<書証番号略>]の現病歴の欄には、次のような趣旨の記載がある。
昭和三四年ころから、頭に物をかぶせた感じとジンジンした頭痛が始まる。その後茶腕をあらうときに落としたりして、手足の先の感覚の鈍さに気づく。
昭和三六年ころから、階段を昇るとき、足が不安定で力が入らず、もつれたりするようになった。
昭和四〇年ころから、腰部の痛みとジンジンした感じが出現し、整骨院で電気治療やマッサージを受ける。また、目がボーッとして見えにくくなった。
昭和五〇年ころから、キーンという耳鳴りが出現し、聞えも悪くなった。
(2) 陳述録取書(昭和六二年五月一七日付)[<書証番号略>]には、健康状態については、昭和三三年ころからたまにおかしなことが起こり、それがそのうち時々になり、今では毎日いろいろな症状に悩まされているとの記載があり、具体的な症状については、(1)と同趣旨の記載のほか、昭和三四年ころに時々頭痛がするような感じに気づくようになり、昭和三六年ころに、階段を登るときに足がもつれるようになった。足先の感覚も鈍くなった、といった記載がある。
(3) 疫学調書[<書証番号略>]の疾病状況の欄には、次のような趣旨の記載がある。
ア 昭和五三年二月八日に保健婦が本原告から事情を聴取して記載したもの
昭和三八年ころから、手足のしびれを感じ始めた。手先の仕事が不自由になった。よく茶碗を取り落とし、歩くときにつまずきやすく、草履をはいたまま上がってしまったりした。視力も何となく弱くなり、かすみがかかったようになり、近くに寄らないと人の顔がはっきりしない状態が続く。ひどいときには医師の治療を受けている。
昭和五三年現在、頭痛がして頭が重苦しく、記憶力も薄れがち。手足のしびれは治療しても思わしくない上に歩行中転倒することもある。昭和三八年から昭和五三年現在まで、症状が悪いときだけ吉井医院に通院治療している。
イ その後の検診日に保健婦が事情を聴取して書き加えたもの
昭和五四年ころ、身体がきつい。
昭和五五年一一月現在、体が疲れやすい。手足のしびれ、ふるえあがり、不自由なため、船にもあまり乗りたくない。頭の奥の方が毎日痛い。
昭和五七年九月現在、体調が悪い。疲労感あり。足がふらつく。足先のからす曲がりあり。吉井医院、築地整骨院通院中。
昭和五九年三月現在、前記症状のほかに、めまい、頭のふらつき、頭痛。吉井医院に二週間に一回通院中。南鍼灸院に週二回から毎日通院中。
昭和六〇年一〇月現在、頭痛、足の裏がじかじかするようである。上下肢のしびれがある。身体がだるい。両下肢のひきつきが起こる。吉井医院に二週間に一回通院中。南鍼灸院に週二回通院中。
(4) 検診記録(昭和五九年三月一〇日検診)の現病歴の欄には、次のような趣旨の記載がある。
一二年位前から体がだるく、これは少しずつ進行してきている。同じころから手足先の違和感が出現し、現在まで続いている。同じころから、頭になにかかぶさった感じがするようになり、めまい(急に起きたときにくるくる回る感じ)がするようになった。
(二) 既往歴
耳鼻科検診記録(昭和五九年八月一八日検診)に、眼の手術で本年約一二日間園田眼科に入院との記載がある。
(三) 自覚症状
元倉診断書及び陳述録取書には、次のような自覚症状の訴えの記載がある。
常時頭全体が痛む。手足のジンジンした感じがあり、感覚も鈍く、動作が鈍いと人に言われるようになった。腰痛もする。全身がだるく根気がない。臭いがわからない。手から物をよく落とす。言葉がもつれる。力が弱い。手足に発作的に痙攣がくる。不眠。物忘れをする。めまい。口の回りがしびれている。人から呼ばれても気がつきにくい。キーンという耳鳴りがする。
(四) 臨床症状
(1) 感覚障害
ア 元倉診断書では、口周辺と四肢末梢の知覚低下あり、とされている。
イ 共同意見書(診察医師 土屋恒篤・重盛廉)は、四肢末梢に手袋靴下型の感覚障害を認めた、としている。
ウ 検診記録では、両側上肢前腕尺側に痛覚と温度の軽度低下、下肢末梢で振動覚の軽度低下が認められているが、それ以外は正常となっている。
(2) 運動失調
ア 元倉診断書では、軽度の失調あり、と判定されている。
イ 共同意見書は、指鼻試験でfine tremor(微細振戦)、膝踵試験で軽度緩徐、片足立ち動揺、つぎ足歩行軽度動揺、つま先立ち動揺、ロンベルグ試験(±)の所見がみられた、としている。
ウ 検診記録では、協調運動及び平衡機能の検査結果はすべて正常となっている。
(3) 求心性視野狭窄その他眼科所見
元倉診断書、眼科検診記録ともに、求心性視野狭窄なし、と判定している。
視力は、右0.4(矯正不能)、左0.6(矯正不能)となっている。
(4) 難聴その他耳鼻科所見
ア 元倉診断書では、平均聴力レベルは右77.5デシベル、左73.75デシベルで、神経性難聴あり、と判定されている。
イ 耳鼻科検診記録(昭和五九年八月一八日検診)では、平均聴力レベルは右25.8デシベル、左27.5デシベルとなっている。それ以前の検診の際の聴力検査では、昭和五三年三月一五日には右19.2デシベル、左11.7デシベル、昭和五四年八月三〇日には右38.3デシベル、左29.2デシベル、昭和五五年一二月一一日には右28.0デシベル、左24.2デシベル、昭和五七年一一月一一日には右28.3デシベル、左31.7デシベルとなっている。
(5) その他
ア レ線所見
元倉診断書は正常範囲としている。検診記録は、頚椎、腰椎とも軽度の脊椎症としている。共同意見書は、軽度の頚部痛及びレ線にて第四・五頚椎椎間の狭小化と腰椎の軽度の変化を認めたとしており、検診記録と一致する所見となっているが、「軽度の頚椎症が認められるが、頚部痛を主症状とするもので、知覚障害を来すものではない。腰椎の軽度変化も知覚障害を説明できない。」としている。
イ 元倉診断書において認められている所見
振戦が認められている。
ウ 検診記録において認められている所見
特になし。
4 検討
(一) 症状の経過についてみると、陳述録取書では、昭和三四年ころに頭痛がするようになり、少し後れて、手先がピリピリし、手先の感覚の鈍さに気がつき、昭和三六年ころから、足がふらつき、足先の感覚の鈍さに気がついたとの記載があるが、その当時の手先の感覚鈍麻などの症状は、たまに起こったものと記載されている。疫学調書では昭和三八年ころに手足のしびれを感じた旨の記載があるが、昭和五九年三月一〇日検診の記録では、一二年前ころから手足先の違和感が出現したとあり、症状の出現時期については判然としないものがある。
(二) 水俣病の主要症状についてみると、感覚障害については、元倉診断書では口周囲と四肢末梢の知覚低下、共同意見書でも手袋靴下型の感覚障害が認められているが、検診記録では両側上肢前腕尺側に痛覚と温覚の軽度低下(触覚は正常)があるが、下肢には、末梢で振動覚の軽度低下はみられるが、表在感覚は正常という、水俣病に多く見られる感覚障害とは異なる態様の感覚障害になっており、元倉診断書及び共同意見書とは所見の違いが大きい。
(三) 運動失調については、元倉診断書は軽度の失調ありとしているが、元倉診断書の「軽度失調」とは、「歩行や立位では異常は認められないが、片足立ちやつぎ足歩行で容易にかつ明らかに不安定さを示し、動作の継続が困難なもの。」というものである。共同意見書でも、平衡機能の検査で、片足立ち動揺、つぎ足歩行軽度動揺、つま先立ち動揺、ロンベルグ試験(±)の所見がみられたとあり、協調運動の検査で、指鼻試験で微細振戦、膝踵試験で軽度緩徐の所見もみられたとされているが、これだけでは協調運動障害があるということはできない。他方、検診記録では、平衡機能については、片足立ち、つぎ足歩行といった検査でも異常所見は認められておらず、元倉診断書及び共同意見書とは所見の違いが大きい。そうすると、本原告に軽度の平衡機能障害があると積極的に認定することはできない。
(四) 難聴については、元倉診断書では、平均聴力レベルが右77.5デシベル、左73.75デシベルという高度の難聴が認められているのに対して、耳鼻科検診記録では、平均聴力レベルは右25.8デシベル、左27.5デシベルとなっており、聴力検査結果の違いが顕著である。しかし、合計五回にわたる検診の際の聴力検査では、昭和五三年三月一五日の検査では両耳とも二〇デシベル以下で、一応正常範囲といえる値となっており、その後軽度の難聴と評価される数値となっているが、大体同じような値となっていること、認定申請書に添付された昭和五九年一二月六日付の藤野糺医師作成の診断書[<書証番号略>]でも、軽度聴力低下と記載されていること、一般に平均聴力レベルが五五デシベル以上になると大きな声の聴取も困難となるといわれているが、本原告の難聴の訴えの程度がそれほど強くないことからすると、元倉診断書記載の鹿児島生協病院で実施された聴力検査結果の信頼性に疑問が感じられるとともに、仮にこの検査結果が正確であるとしても、検診後に聴力が悪化した可能性が高いということになるから、時期的にみてこれを有機水銀曝露の影響によるものとみることはできないということになる。
(5) レ線所見では、元倉診断書は正常範囲としているが、検診記録は、頚椎、腰椎とも軽度の脊椎症としており、検診記録の判断を意識した上であらためて鹿児島生協病院のレ線写真を検討したものと思われる共同意見書も、軽度の頚部痛及びレ線にて第四・五頚椎間の狭小化と腰椎の軽度の変化を認めたとしていることから、検診記録及び共同意見書の判断が正確なものと思われる。共同意見書は、「軽度の頚椎症が認められるが、頚部痛を主症状とするもので、知覚障害を来すものではない。腰稚の軽度変化も知覚障害を説明できない。」としている。しかし、右のようなレ線所見があり、頚部痛があり、知覚障害があるという本原告の場合に、頚部痛は頚椎症によるものであるが、知覚障害は頚椎症によるものではないという判断がなぜできるのかについては何も述べられていない。共同意見書総論や大勝反論書に対する反論における議論からみて、四肢末梢型という知覚障害の態様やその他の臨床症状からすると頚椎症は知覚障害の原因としては否定されるという趣旨かもしれないが、なぜ「知覚障害を来すものではない」ということができるのか、理解しにくいものがある。
検診記録では、感覚障害は両側上肢前腕尺側に痛覚、温覚の軽度低下、下肢末梢で軽度振動覚の低下が認められているが、感覚障害の態様がこのようなものであれば、水俣病によるものとは考えにくく、変形性脊椎症によるものである可能性が強く疑われることになる。
(六) 以上を総合して検討する。
(1) 本原告には有機水銀曝露歴が認められる。
(2) 臨床所見は、感覚障害、失調、難聴について、元倉診断書及び共同意見書と検診記録とで所見に違いが大きい。難聴については、検診記録によっても軽度の難聴は認められるが、元倉診断書記載の検査結果の信頼性には疑問がある。感覚障害は、元倉診断書及び共同意見書(土屋・重盛医師)では四肢末梢型のものとなってるが、検診記録では水俣病によるものとは極めて考えにくく、変形性脊椎症によるものである可能性が強く疑われる態様のものとなっている。
(3) 右のような感覚障害の所見の違いが生じている原因については、感覚検査をした医師側要因に由来する可能性のほかに、本原告の所見自体に変動が生じた可能性が考えられ、これについては総合的にみて水俣病による器質的障害によっても起こり得る感覚障害の所見の変動の範囲内とみる余地があるかどうかが問題となるが、本原告の場合、検診記録で認められている感覚障害は、水俣病によるものとは極めて考えにくく、その原因として変形性脊椎症の可能性が強く疑われるものであるから、前記のような感覚障害の所見の変動が水俣病によって生じることがあるとみることは困難である。
(4) 本原告の自覚症状には水俣病患者によくみられるものも含まれている。
(5) これらを考え合わせると、(1)、(4)を考慮すれば、本原告の健康障害のなかに水俣病によるものが含まれている可能性を全く否定することはできないであろうが、その可能性かはなり低いものと認められ、相当程度の可能性があるということはできないから、本訴における前記説示の特殊の事情を考慮してみても、未だ被告チッソの損害賠償責任を認めるのを妥当とする程度の因果関係の証明があるとはいえない。
したがって、本原告の請求を棄却することとする。
七ないし二二<省略>
第七章 損害
第一原告らの包括一律請求について
一原告らは、原告らの損害は、被告らの不法行為によってひきおこされた原告らの環境ぐるみの長期にわたる肉体的、精神的、家庭的、社会的、経済的損害のすべてを包括する総体(「総体としての損害」)であり、その総体としての損害(将来の医療費及び健康管理に関する費用等を除く。)を本訴において包括して慰藉料として請求するとし、個別的算定方式はとらないが、逸失利益、過去の医療費その他の財産的損害が損害額算定の斟酌事由の一内容となることは当然である、と主張している。
原告らは、また、慰藉料として一律に一八〇〇万円(本訴係属中に死亡した元原告の訴訟を承継した原告らについてはその相続人らの合計請求額である。)の請求をし、その根拠として、各原告の総体としての損害の額は本件請求額をはるかに上回る莫大なものであり、原告らは右総体としての損害のうちごく一部を控え目に請求しているものであること、生命、健康は平等の価値を有するものであり、本訴はその尊厳を回復するために提起されたものであること、水俣病被害者の被った損害は概ね共通、等質であり、原告らは、ほとんど共通の身体的被害を被っており、等しく人間の尊厳が侵されているのであるから、これに差異を設けることはできないこと、財産的損害についても、水俣病被害者は、漁師またはその家族が圧倒的に多いから、財産的損害の額が概ね一定していると考えられる上、漁師またはその家族でない被害者であっても、生活状態はほとんど前者と変わらないこと、請求金額を区々にすればそれだけ訴訟が遅延し、救済が遅れてしまうこと、などを主張している。
二検討するに、まず、原告らは総体としての損害のうち一部を請求すると主張するけれども、その損害の全額を何ら明示していないのであるから、本来の意味の一部請求とはいえず、請求額は判決による認容額の上限を画するにすぎないものというべきである。
原告らの包括請求は、固有の意味の精神的損害に対する慰藉料のほかに休業損害及び逸失利益等の財産的損害に対する賠償を含めたものを包括して慰藉料として請求しているものと解される。水俣病のように、同一の加害者による不法行為によって多数の被害者が発生しており、その症状も発症以来長期間にわたって継続し、さまざまな内容の財産的、精神的損害が発生するような場合には、個別の損害の立証が困難であり、これを必要とすると訴訟の遅延をもたらすおそれがあるから、このような請求の仕方にも相応の合理性があると考えられる。もっとも、財産的損害については、原告らごとの休業損害及び逸失利益等を算定する基礎となる事実の主張立証がない以上、立証された事実が慰藉料算定の基礎となる事実と評価することができる場合に限り、慰藉料額の算定に当たって斟酌することができるというにとどまるものと解される。
一律請求については、水俣病のように同一の加害者による多数の被害者が発生している場合において、被害の中に全員が最小限度この程度まではひとしく被っているものがあるとし、これを全員に共通する損害ととらえて、各自につき一律にその賠償を求めることは許されるものといえるから、このような請求が認められるかどうかは、右のような全員に共通する損害というものが認められるかどうかにかかることになる。また、裁判所としては、各人の損害が異なると判断した場合には、個別的にこれを算定することも可能であり、損害の態様・程度に一定の共通性をもったいくつかの類型があると判断した場合には、損害の態様・程度をいくつかに区分して、その区分ごとの損害額を算定することも可能である。
第二本訴における損害賠償額
一慰藉料
1 前記説示のとおり、本訴においては、原告らの健康障害のなかに水俣病によるものが含まれている相当程度以上の可能性が認められる場合には、被害チッソの損害賠償責任を認めた上で、その可能性の程度を損害賠償額(慰藉料)の算定に当たって反映させることとした。
したがって、水俣病による相当程度以上の可能性があると認められる健康障害について、症状の内容及び程度、継続している期間、社会生活上の影響の程度などの事情をみた上で、次に、それが水俣病によるものである可能性がどの程度であるかをみて、その両者の相関において、損害賠償額を算定すべきこととなるわけである。
2第六章、第二でその健康障害のなかに水俣病によるものが含まれている相当程度の可能性があると認定した原告(本訴係属中に死亡した元原告を含む。以下「認容原告」という。)らについて、右の両者について検討することとする。
(一) 水俣病による相当程度以上の可能性があると認められる健康障害の内容についてみると、その疾患の性質上明らかに有機水銀曝露の影響とは考えられないもののほか、第五章、第八章、第二で検討したとおり、血管障害、高血圧、肝臓障害、糖尿病などによる健康障害については、有機水銀曝露の影響によるものとは認められないから、これらの疾患による症状である可能性が高いものはこれに含まれない。そうすると、各認容原告の健康障害の内容は多様ではあるけれども、水俣病による相当程度以上の可能性があると認められるものは、主として四肢末梢にみられる感覚障害などを中心とした神経症状による身体的苦痛であり、これによる各認容原告に対する社会生活上の影響の程度にもそれほど大きな開きはないものと認められる。
(二) 次に、水俣病によるものである可能性についてみると、その程度には認容原告らの間でも若干の幅があることは確かであるが、いずれも、相当程度の可能性はあるものの、医学的判断の問題としては水俣病という診断をするに足りる程度に達しているとはいい難く、帰するところその幅はそれほど広いものではないものと認められる。
3 認容原告らに認容すべき慰藉料の額を検討することとする。
(一) 右のとおり、各認容原告についての水俣病よる相当程度以上の可能性がある健康障害の内容及び程度、それが水俣病によるものである可能性の程度には、いずれもそれほど大きな違いはないものと認められるが、それらをさらに関係証拠から個別にきめ細かく認定することができるものならば、それに応じていくつかの区分を設定し、その区分ごとに慰藉料を算定する方が、第五章、第一一節において示した水俣病問題の実態からみてもより妥当であるとはいえよう。しかし、本件においては、第六章でみたとおり、関係証拠からそのようなきめ細かい判断をすることはできないから、前記のような区分を設定することは困難である。そこで、慰藉料は各認容原告について一律に算定することとする。
(二) 次に、その額については、前記のとおり、各認容原告の水俣病による相当程度以上の可能性がある健康障害について、自覚症状を含む症状の内容及び程度、症状が継続している期間、現在まで及び将来において予想される社会生活上の影響の程度などの諸事情を勘案して算定すべきこととなるが、これらをいかに慮ったとしても、一般の損害賠償請求訴訟においては、個別的因果関係の認定について、高度の蓋然性の程度の証明がない以上は因果関係の証明がないものとして請求を棄却すべきものであることとの均衡上、慰藉料の算定は控え目なものにならざるを得ないこととなる。
(三) 以上説示の事情及びその他本件に顕れた一切の諸事情を考慮し、認容原告らのうち訴訟継承をした原告らを除くその余の者については、本件口頭弁論終結日である平成元年一二月八日を基準として損害としての慰藉料額を算定すると、その額は、それぞれ一律に三五〇万円が相当である。本訴係属中に死亡した亡樋渡シモ(原告番号四五)及び亡濱島綱行(原告番号八〇)については、その死亡時を基準としてその慰藉料を定めるほかないものと解され、死亡時までに生じた損害としての慰藉料額は、それぞれ三五〇万円が相当である。
二弁護士費用及び遅延損害金
1 本件訴訟の規模、性質、立証の難易度、当事者の訴訟活動の状況、認容される額、その他諸般の事情を勘案すると、認容原告らの弁護士費用のうちそれぞれ五〇万円を本件と因果関係ある損害と認めるのが相当である。
2 各認容原告の前記損害賠償請求権については本件口頭弁論終結日である平成元年一二月八日から、それぞれ民法所定年五分の割合による遅延損害金を付すべきことになる。なお、亡樋渡綱行に係る右請求権については、各死亡日から遅延損害金が発生するとみるのが理論的であるが、右両名の死亡時までに生じた損害に対する慰藉料額と他の認容原告の本件口頭弁論終結時までに生じた慰藉料額に強いて差をつけなかったこととの均衡、その他認容原告らの損害額算定についての本件における前記一記載の特別な事情にかんがみ、右両名に係る損害金請求権についても本件口頭弁論終結日から遅延損害金を付することとする。
三亡樋渡シモ及び亡濱島綱行の死亡による継承
1第六章、第二、二〇、1で認定したとおり、訴訟継承前の原告亡樋渡シモは昭和六三年三月八日に死亡し、原告樋渡眞紀代、同樋渡絹代、同樋渡一男、同岩﨑澄子はいずれもその子であるから、右原告らは、亡樋渡シモの損害賠償請求権を法定相続分に従って相続したものと認められる。
2第六章、第二、三三、1で認定したとおり、訴訟継承前の原告亡濱島綱行は昭和六三年一二月二四日に死亡し、原告濱島サダ子(原告番号八一)はその妻であり、同濱島剛、同濱島浩昭はいずれもその子であるから、右原告らは、亡濱島綱行の損害賠償請求権を法定相続分に従って相続したものと認められる。
第八章 被告チッソ子会社の責任
【証拠】 <書証番号略>、証人山口の証言、弁論の全趣旨
第一被告チッソ子会社の概要
一被告チッソ石油化学株式会社(以下「被告チッソ石油化学」という。)は、昭和三七年六月一五日、石油化学製品の製造等を目的として設立され、資本金は、当初一億円であったが、その後の増資により、昭和四一年以降は二〇億円となっている。主要な事業所は、千葉県五井にある工場であり、昭和六三年三月期における年間売上高は約五五〇億円、従業員数は七七一名である。被告チッソ石油化学は、設立当初から被告チッソがその株式を一〇〇パーセント保有する被告チッソの子会社であり、昭和五二年四月以降から制度化された連結計算書類の作成が義務づけられる連結子会社でもある。
二被告チッソポリプロ繊維株式会社(以下「被告チッソポリプロ」という。)は、昭和三八年五月一八日、ポリプロピレン繊維の製造、加工等を目的として設立され、資本金は、当初三億円であったが、その後の増資により、昭和五二年一〇月以降は約八億四〇〇〇万円となっている。主要な事業所は、滋賀県守山市にある工場であり、昭和六三年三月期における年間売上高は約六二億円、従業員数は一八三名である。被告チッソポリプロは、その株式を被告チッソが設立当初は八五パーセント保有し、その後昭和五二年一〇月以降は一〇〇パーセント保有している被告チッソの子会社であり、昭和五二年四月以降から制度化された連結計算書類の作成が義務づけられる連結子会社でもある。
三被告チッソエンジニアリング株式会社(以下「被告チッソエンジニアリング」という。)は、昭和四〇年二月八日、化学工業設備設計等を目的として設立され、資本金は、当初七五〇万円であったが、その後の増資により、昭和五九年四月以降は三億六〇〇〇万円となった。被告チッソエンジニアリングの昭和六三年三月期における年間売上高は約一二二億円、従業員数は二一六名である。被告チッソエンジニアリングの株式に占める被告チッソの保有割合は、当初一〇〇パーセントであったが、昭和五九年四月以降は九〇パーセントとなっている。被告チッソエンジニアリングは、当初は被告チッソの非連結子会社であったが、昭和六三年四月以降は、連結計算書類の作成が義務づけられる連結子会社となっている。
四被告チッソの子会社は、時期によってその数に多少の変動がみられるが、平成元年三月期の連結情報によれば、同期における被告チッソの連結子会社は一二社、連結子会社は一六社あり、被告チッソ石油化学、被告チッソポリプロ及び被告チッソエンジニアリング(以下この三社を「被告チッソ子会社」という。)は、いずれも前認定のとおり連結子会社一二社に含まれている会社である。
第二法人格の形骸化の主張について
一原告らは、本件においては法人格否認の法理が適用され、被告チッソ子会社は、被告チッソと共同して損害賠償責任を負うと主張し、まず被告チッソ会社については、法人格形骸化の事例に該当すると主張する。
法人において、法人格がまったくの形骸にすぎない場合またはそれが法律の適用を回避するために濫用される場合には、その法人格を否認することができるとされている(最判昭和四四年二月二七日民集二三巻五一一頁)。そして、法人格が形骸化していることにより法人格否認の法理が適用される場合とは、法が法人格を認めている制度趣旨に照らし、当事者が実質的にまったくの個人企業の会社である場合などで、その背後にこれを実質的に支配している個人その他の単独株主等の存在が認められるときにおいて、その会社では、法が会社に対し法人としての独立性その他の利便を与える反面として会社の組織や活動について遵守すべきものとして定めている事項がまったくないしは重要部分につき履行されておらず、会社あるいはこれを支配する者が実質的に会社の機能を自ら否定しているにひとしいと評価できる場合がこれに該当するのであり、法人格の形骸化を理由として法人格が否認される結果、その会社と取引等をした相手方は、特定の法律関係につきその法人格を否定し、その背後にいる会社を支配する個人その他の単独株主等の責任を追求し、また会社を支配する個人その他の単独株主等と取引等をした相手方は、その個人等に対する責任をその者が支配している会社に対しても追求することができることになり、これによって相手方の取引等に対する信頼を保護することになるのである。したがって法人格の形骸化として法人格否認の法理が適用されるには、特定の個人その他の単独株主等が会社を実質的かつ完全に支配しているということがもとより必要であるが、この要件のみでは十分ではなく、そのほかに法が会社に対し遵守すべきことを求めている事項の重要部分が遵守されていないこと、すなわち、たとえば会社と単独株主等の間の財産の混同、取引や業務活動の混同が反復継続していること、明確な帳簿の記載ないしは会計区分が欠如していること、株主総会あるいは取締役会の不開催など会社として必要な手続きが無視されていることなどが、その要件として必要であると解される。
二これを本件についてみると、被告チッソ子会社は、前認定のとおりいずれも被告チッソがその株式の一〇〇パーセントないし大部分を設立以来現在まで保有している被告チッソの子会社であり、被告チッソは、被告チッソ子会社の議決権をほぼ完全に掌握していると解されるほか、被告チッソは、別紙四九のとおり被告チッソ会社の設立以来その主要役員を被告チッソの役員と兼任させるなどして、子会社との経営の一体化を図っていること、また被告チッソ子会社の営業活動は被告チッソと一体となり、他の子会社とともに被告チッソの企業活動全体におけるそれぞれの役割分担を担っていること(ただし、被告チッソエンジニアリングについては、前認定の年間売上高(受注高)の大半は、被告チッソあるいはその関連会社とは関係のない取引に基づくものであると認められる。)、被告チッソ会社の従業員は、被告チッソにおいて一括採用された後に子会社に派遣されるなどの労務政策がとられ、一定の人事交流もなされていることなどの事実が認められる。したがって、被告チッソは、被告チッソ子会社を実質的かつ完全に支配することが可能であり、また現実に被告チッソ子会社の設立以来現在まで実質的にこれを支配してきていると評価することができる。
しかし他方、被告チッソ子会社の営業規模、従業員数等は前認定のとおりであるところ、その保有する工場等の資産、設備等については、被告チッソ子会社がそれぞれ被告チッソとは別の独自の権原に基づきこれを保有しており、親会社である被告チッソとの間にこれらの財産の混同はないこと、被告チッソ子会社は、従業員関係についても労務の提供、給料の支払その他において、被告チッソとは別個の処理をしており、親会社である被告チッソとの間に混乱はみられないこと、被告チッソ子会社の取引や業務活動は、被告チッソあるいはその関連企業との取引の分を含め企業会計上明確に区分され、両者の間に混同はみられないこと、被告チッソは、従前から証券取引法上の有価証券報告書の提出を義務づけられ、その計算書と付属明細書につき会計監査人の監査を受けているほか、被告チッソ子会社(被告チッソ石油化学及び被告チッソポリプロについては連結計算書類の作成が義務づけられた昭和五二年四月当初から、被告チッソエンジニアリングについては昭和六三年四月から、いずれも被告チッソの連結子会社となっていることは、前認定のとおりである。)などの連結子会社については、連結財務諸表についても同様に監査を受けていること、被告チッソ石油化学及び被告チッソポリプロについては、同社自体が会計監査人の監査を受ける会社であり、その監査を経ていること、したがって、被告チッソと被告チッソ子会社とは、別の経理組織を有し、収支を区分した会計処理をしており、両者の間に混同はみられないこと、以上の事実も認められる。
三したがって、以上二で認定した事実ないし事情を前記一の観点から総合して検討すると、被告チッソは、子会社である被告チッソ子会社を実質的に支配していることは認められるのであるが、それ以上に、法人格が形骸化しているとして法人格否認の法理が適用されるための他の要件については、前記認定事実によれば、被告チッソ子会社のいずれにおいてもこれを認めることができないことが明らかというべきであり、また他にこれを認めるに足る事情を窺わせるような証拠はない。したがって、その余の点について検討するまでもなく、法人格の形骸化を根拠とする原告らの被告チッソ子会社に対する請求は、理由がないことに帰することになる。
第三法人格の濫用の主張について
一原告らは、被告チッソによる被告チッソ子会社の設立及びその後のその利用は、水俣病患者からの損害賠償を免れるためになされているものであるから、法人格の濫用に該当し、法人格否認の法理が適用されるべきであると主張する。
法人格の濫用による法人格否認の法理が適用されるのは、会社を自己の道具として意のままに用いることができる支配的地位にある個人その他の単独株主等が存在し、その者により会社の実質的支配がなされていることを前提とし、その単独株主等が違法または不当な目的によりその会社形態を利用する場合であると解されるから、これが認められるためには、右の意味における法人格支配の要件と法人格濫用目的の要件を具備していることが必要である。そして、法人格濫用目的の要件である違法または不当な目的によりその会社形態を利用する場合には、債務者が取引上の債務を回避するため、あるいは債権者からの請求あるいは強制執行を免れるために新会社を設立し、その営業及び資産等の責任財産を新会社に移転するような場合も含まれるのであるが、新会社の設立に伴い、旧会社が実質的に解散ないしは営業停止をして、みるべき資産等を有しなくなり、新旧両会社の株式、企業形態及び営業内容等の全部または主要な部分が実質的に同一である場合には、法人格支配の要件とともにこれらの客観的事情が認められることにより、法人格濫用目的の要件の具備が推認されることが多いと一般的にはいえる。
これに対し、本件のように親会社が子会社を設立し、その資産や営業の一部を移転する場合などで、設立に伴う新会社の株式を旧会社が保有し、さらには旧会社も営業を継続している場合においては、新会社の設立自体は、企業活動における種々の必要からの合目的な選択としてなされる経済行為として一般的にみられることであることに加え、新会社に移転された営業、資産等の総体は、株式に化体して旧会社の資産としてとどまっていて、必ずしも旧会社の責任財産から離脱したとはいえないのであるから、法人格濫用目的の要件が具備しているか否かについては、新会社設立に際しての旧会社の営業状態とこれに関する経済的、社会的環境、新会社設立についての必要性、新旧両会社間の取引内容あるいは営業に関する相互関係、新会社設立及びその後の運営に伴う会社債権者その他の者に対する経済的、社会的影響等の諸事情を総合して考慮しながら、新会社設立あるいはその後の新会社の運営につき法人格濫用の要素があるか否かを検討することになる。なお、株式は、一般に財産的評価の問題としては、会社に関する現在及び将来の資産その他の価値の総体を現価で体現しているべきものであるが、原告らも一部指摘するように、現実には、証券市場その他の経済環境や取引に参加するものの思惑や操作等により、会社の価値の総体を離れた評価や変動を受け易い性質を元来有していることに加え、財産権に対する強制執行の問題としても、会社の総資産を構成する個々の財産権に対する強制執行とその株式に対する強制執行とでは執行方法が相違し、差押えあるいは換価の方法についての難易、また結果としての満足の程度、内容に差を生じることが当然考えられるから、親会社が子会社の株式を保有しているという一事のみにより、子会社の設立及び運営が法人格濫用目的の要件を排除しているとする被告チッソらの主張を、そのまま直ちに採用することはできない。しかし、新会社(子会社)設立に伴う資産等の移転があっても、その資産等に対する旧会社(親会社)の支配が株式に化体して法的に残っている以上は、その事実それ自体は、新会社の設立が法人格の濫用であるとするには一般的に消極の方向に働くことを否定できないから、本件における被告チッソ子会社の設立及び運営が法人格濫用目的の要件を具備しているか否かの判断については、前示の諸事情を総合考慮しながら、慎重に判断すべきことになるのである。
二以上を前提として、被告チッソ子会社の設立及び運営が法人格濫用目的の要件を具備しているとする原告らの主張の主要な根拠の当否につき、検討することとする。
1 原告らは、被告チッソは、水俣病被害についての不法行為責任があることを承知していたにもかかわらず、その責任を回避するために被告チッソ子会社を設立したと主張する。
しかし、被告チッソ子会社の設立については、それぞれにつき被告チッソの企業活動からくる相応の必要性があり、同業他社においても同様な子会社が相前後して設立されていたことが認められることに加え、被告チッソ子会社の設立の時期は、前記第一で認定したとおり被告チッソ石油化学につき昭和三七年六月、被告チッソポリプロにつき昭和三八年五月、被告チッソエンジニアリングにつき昭和四〇年二月であるが、これら被告チッソ子会社が設立された時期は、第三章、第一、二及び三で認定したとおり、昭和三四年一二月にいわゆる見舞金契約(この契約は、後に判決で公序良俗に反し無効であるとされたものであり、被告チッソに格段に有利な内容であると評価される。)が締結され、これにより被告チッソの責任が有利に制限されていた上、昭和三五年一〇月以降は新たな水俣病患者の発生が公式には確認されなくなり、水俣病は終息したという社会的雰囲気が形成されていた(水俣病認定患者数の推移については別紙一一参照)期間に該当するところ、被告チッソが、この時期に将来の多数の患者発生を予測して、その責任を回避するため、あえて被告チッソ子会社を設立したことを窺わせるに足りる事情は、本件の全証拠によってもこれを認めることができない。したがって、被告チッソ子会社の設立が被告チッソの不法行為責任を回避する目的でなされたとする原告らの主張は、採用することができない。
2 次に原告らは、被告チッソは、被告チッソ子会社に対し、異常な投資を行い、資本構成、資産、売上高その他については被告チッソの減少と被告チッソ子会社の増大という異常な主客逆転現象がみられ、また被告チッソと被告チッソ子会社との間で振替価格を設定することにより、被告チッソの資産を被告チッソ子会社に移転していることから、被告チッソの法人格濫用目的が明らかであると主張し、明治大学教授山口孝による被告チッソの経営分析の結果をその主要な証拠として提出する。[<書証番号略>]
しかし、山口による被告チッソの経営分析は、その経営分析論という学問的立場から、被告チッソの公表された財務諸表等から被告チッソと被告チッソ子会社の資本構成の推移等についての分析を行い、その結果して、被告チッソは、自らは経営黒字化の努力を放棄して賠償能力を低下させながら、利潤を被告チッソ子会社に蓄積するという異常な子会社政策によって、水俣病被害者に対する責任を回避しようとしていると結論づけているものであるが、その判断過程においては、公表されていない資料等に関する部分につき当然ながら推論に基づくことを余儀なくされているなどの限界があるほか、その経営分析手法及び結論への判断過程についても、被告チッソらが批判するような無視できない問題点を含んでいることが認められる。また、山口による被告チッソの経営分析の立論とその検討結果については、被告チッソと被告チッソ子会社間の企業活動に関する相互関係、被告チッソあるいは被告チッソ子会社のそれぞれの営業状態、営業に関する経済的、社会的環境、昭和四八年以降の多数の水俣病認定患者に対する損害賠償義務の履行に伴う経理処理等の内容、及び同業他社との対比に関する資料及び他の立論に基づく異論も予想されるところである。したがって、山口による被告チッソの経営分析の結果による判断過程と前記の結論は、他にこれを裏付ける客観的かつ確実な証拠の存しない本件においては、いまだ一応の仮説にとどまっているものと評せざるをえないというべきである。
3 原告らは、被告チッソ子会社の設立及び運営が法人格の濫用に当たるとする根拠事実を他にも主張するが、原告ら主張事実を十分考慮したとしても、前記一で説示した観点に照らして、それらの事実ないし事情によっては、いまだ法人格濫用目的の要件があると認めることはできず、さらに本件の全証拠を総合しても、この要件の具備を肯認するに足りる事実を認めることはできない。
三以上によれば、法人格の濫用を理由として法人格否認の適用を求める原告らの主張は、その余の点について判断するまでもなく、失当というほかなく、これを根拠とする原告らの被告チッソ子会社に対する請求は、理由がないものとして棄却を免れないことになる。
第九章 除斥期間について
一民法七二四条後段の定める二〇年間の期間は、被害者側の認識のいかんを問わず一定の時の経過によって不法行為をめぐる法律関係を確定させるため、損害賠償請求権の存続期間を画一的に定めたものと解するのが相当であるから、右規定は、不法行為によって発生した損害賠償請求権の除斥期間を定めたものと解するのが相当である。そして、このような除斥期間の性質にかんがみるならば、裁判所は、損害賠償請求権が除斥期間の経過により消滅した旨の被告の主張がなくても、右期間の経過により損害賠償請求権が法律上当然に消滅したものと判断すべきである(最一小判平成元年一二月二一日民集四三巻一二号二二〇九頁)。しかしながら、このような除斥期間の規定が設けられたのは、同条前段の短期時効の進行の開始が被害者又は法定代理人が損害及び加害者を知るという被害者側の主観的事情に係っているため、時には数十年を経ても損害賠償請求が可能となって加害者の法的地位が浮動的な状態に置かれる場合があり、長期間の経過により加害者側の防御も著しく困難になることにかんがみ、長期間責任を追求されるか否か不明のままの状態におかれる加害者の法的地位の安定を図ることを主たる目的としたものであって、長期間の経過によって不法行為の事実の認定が困難になることによる裁判所の負担軽減を図るという公益保護の目的は付随的なものにとどまると解されるから、およそ加害者において除斥期間の経過による利益を放棄し得ないものではないものというべきである。したがって、除斥期間の経過後において、加害者である被告において原告の請求に係る損害賠償請求権が除斥期間の経過により消滅した旨の主張をしていないことが、被告が積極的に除斥期間の経過による利益を放棄する意思を有していることによるものと認められる特段の事情がある場合においては、裁判所は除斥期間の規定を適用すべではないものというべきである。
二これを本件についてみるに、被告国・県は、民法七二四条前段の短期消滅時効を援用するとともに、同条後段の除斥期間の経過による権利の消滅をも主張しているが、被告チッソは短期消滅時効の援用をせず、除斥期間の経過による権利の消滅も主張していない。すでにみてきたとおり、本件水俣病紛争においては、昭和四八年に被告チッソと患者各団体との間で補償協定が成立し、協定締結以降に救済法及び補償法による認定を受けた患者については右協定に基づいて補償問題の解決がされてきたのであって、被告チッソと水俣病患者の損害賠償の問題は、右協定により第一次的には救済法及び補償法による行政認定によって解決されるべきものとされてきたのである。また、救済法及び補償法の認定業務の実現においては、認定申請から処分がなされるまでに相当の時日を要していること、一度棄却処分を受けても再度の申請によって認定される場合が少なからずあることもすでにみてきたとおりである。本訴は、一ないし数回の棄却処分を受けた原告らが水俣病に罹患していると主張して提起したものであり、本訴において被告チッソが除斥期間の経過による原告らの損害賠償請求権の消滅を主張していないのは、右のような水俣病紛争をめぐる特殊な事情の下でみると、仮に除斥期間が経過していることがあったとしても、除斥期間の規定による利益を積極的に放棄するという意思によるものであると認められる。
したがって、本訴においては、原告らの被告チッソに対する損害賠償請求権が除斥期間の経過により消滅したか否かを判断する必要はないものというべきである。
第一〇章 結論
以上のとおり認定、説示したところによれば、別紙認容金額一覧表記載の原告らの被告チッソに対する請求は、同表「合計認容金額」欄記載の各金員及びこれに対する平成元年一二月八日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、右原告らの被告チッソに対するその余の請求及びその余の被告らに対する請求並びに別紙請求棄却原告目録記載の原告らの被告らに対する請求は、いずれも理由がないからこれを棄却することとする。
よって、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を適用し、仮執行の宣言については同法一九六条一項を適用して各認容金額の二分の一の限度において相当と認めてこれを付すこととし、主文のとおり判決する。
第一一章 水俣病紛争の早期、適正かつ全面的な解決について
原告らの請求に対する当裁判所の判断は以上のとおりであるが、本件の社会的重大性にかんがみ、本件水俣病紛争の早期、適正かつ全面的な解決に向けて、当裁判所の考えをさらに付加して述べておきたい。
一被告国・県の原告らに対する国家賠償法上の損害賠償責任については、仮に原告らが水俣病に罹患していると認めることができたとしても、前示のとおりその責任を認めることはできないのであるが、さりとて、法的責任の観点から離れてその対応を検討し、水俣病の発生から今日に至るまでの歴史をたどるとき、水俣病被害の拡大を食い止めるための行政措置が被告国・県において可能な限り講じられていたとは思われない。
すでにみたとおり、水俣病公式発見の約一年後の猫実験が成功したころの時点では、古くから沿岸住民の食用に供されてきた不知火海に生息する魚介類が水俣湾を中心とする海域において有毒化されている疑いがあり、その原因については、疫学調査などにより、早くから被告チッソ水俣工場の工場排水に含まれる物質がその原因物質として強く疑われていたのではあるが、これを化学的に究明するにはなお時間を要するという状況にあったものといえよう。このような状況は、歴史上未だかつて経験したことのなかったものであって、原告らが被告国・県の規制権限の根拠規定と主張する食品衛生法、漁業法等の諸法令も、このような状況における魚介類の摂食による住民の健康被害発生防止のために適用されることを立法者において想定していたようなものではないと解されるのであるが、このような歴史上経験したことのなかった状況である以上、それも当然のことであったともいえ、そこに水俣病問題の難しさの一つの理由があるのである。しかしながら、まさにそうであるからこそ、被害の拡大を防止するためには、人間の生命健康を最大限に尊重しようとする精神が社会全体に必要とされ、とりわけ政治に携わる者の英知が求められていたということもいえるのであって、水俣病問題はまさに政治問題であったのだといえよう。
そうした観点からみるとき、被告国・県の対応には問題が多く、結果として水俣病被害の拡大を防止し得なかったことについて、行政として厳しい反省が求められるところであるが、とりわけ被告国の被告チッソに対する行政指導の面については顧みて悔いの残るものがあったと解される。すでにみたとおり、通産省は、被告チッソに対して格別の指導を行っていないのであるが、喜田村教授の疫学調査などにより、当初の時点から被告チッソ水俣工場の排水に含まれる物質が水俣病の原因物質として強く、また結果として正当に疑われていたのであるから、被告チッソに対し、企業としての社会的責務を自覚し、原因究明の調査に十分協力し、自らも自社の工場排水中に原因物質が含まれていないかを積極的に検証するよう指導するなどの措置は、少なくとも当然になされてしかるべきであったと思われる。また、水俣病の原因究明の過程をみるとき、被告チッソが熊大研究班をはじめ原因究明に当たっていた研究陣に対して、工場排水についての十分な資料を提供していたならば、研究の方向もより早期に的確に定まり、より早期に原因を究明できたのではないかと思われるのであって、通産省が被告チッソに対して、熊大研究班らによる原因究明等の調査に十分協力し、工場排水の提供を求められたならばこれに応じるよう行政指導をしていたならば、被告チッソの対応もまた違ったものになっていたのではないかとも思われ、このような行政指導がなされていたならば、水俣病被害の拡大をかなりの程度防止できたのではないかとの念を禁じ得ないのである。
ところで、第三章、第一、三、26でみたとおり、通産省は昭和三四年一一月一〇日付の全国のアセトアルデヒド生産工場に対する工場排水の水質調査依頼文書のなかで、右調査について、「水俣病問題が政治問題化しつつある現状に鑑み、秘扱いにする」としている。しかしながら、水俣病問題はまさに政治問題としてとらえることが必要であったのであり、右に象徴的にみられるような政治問題化を避けようとする姿勢は、水俣病をめぐる行政、とりわけ通産行政に色濃くみられるものであって、このような姿勢が水俣病被害の拡大を防止し得なかった一因であるということは否定し難く、その意味において、被告国には、水俣病被害の拡大を十分防止し得なかったことについての政治的責任があるということができよう。
また、不知火海沿岸の多くの住民が有機水銀の曝露を受け、その健康への影響が危惧される状況があったにもかかわらず、昭和三五年一〇月以降いったん公式には新たな水俣病患者の発生が確認されなくなり、水俣病は終息したという社会的雰囲気が形成されていったなかで、被告熊本県及び鹿児島県が不知火海沿岸住民の健康状態の追跡調査を継続的にしてこなかったことが、今日の水俣病をめぐる混迷をもたらした一つの原因となっているものと思われる。
現在、被告チッソの経営状態からみて、被告国・県の関与なしに水俣病紛争の解決を図ることは事実上不可能な事態となっている。水俣病は、被告チッソの不法行為によって生じた疾患ではあるが、人間の生命、健康をなによりも尊重するという精神を欠いたまま高度経済成長を志向した国家、社会が生み出したという側面があることは否定し難く被害の拡大を防止し得なかったことについて被告国・県にも政治的責任があるということができるから、国家、社会全体の責任において解決が図られるべき問題であると思われる。したがって、被告国・県に国家賠償法上の責任がないとしても、被告国には、本件から分離した事件の和解手続において行政上の解決責任を認めている被告熊本県とともに、本件の解決のために尽力すべき責務があるといえよう。
二原告らの一人一人が水俣病に罹患している可能性がどれだけあるのかを証拠から判断することは、当裁判所にとって極めて困難な課題であり、前記第五章、第一一節にいう水俣病罹患の相当程度の可能性があるとみることができるかについても、そのボーダーライン付近にあると思われた原告らについては、請求認容との結論に達した者と請求棄却との結論に達した者についての心証の差には微妙なものが含まれているといわざるを得ない。どのような基準によるにせよ、水俣病罹患の可能性についてどこかで線引きをすることは避けられないことであり、そこに新たな不公平感が生ずることもまた避けられないことではあるが、線引きによってもたらされる不公平感をできるだけ少なくするためには、個々人の健康障害が水俣病によるものである可能性と症状の過程に応じた総合的な対応措置が講じられることが必要である。
その観点からみるとき、これまでの水俣病被害者の救済システムは問題のあるものだったといえよう。補償法による水俣病の認定を受けた者は、第三者のためにする契約たる性質を有する補償協定に基づいて被告チッソから補償をうけることになるわけであり、認定を受けた以上は補償協定に基づいて補償金を受けることは当然の権利ではあるが、補償協定の締結された昭和四八年当時と比較し現在は大幅に貨幣価値が下がっているにもかかわらず、補償協定に定められた補償金額は、軽微な症状の患者の場合には、その損害額を上回っているとみられる場合のあることは否定し難く、それだけに、認定を受けた者とごくわずかな症状の違いで棄却処分を受けたボーダーライン層の人々の抱く不公平感、不信感も大きなものだったと推測されるのである。
当裁判所が、本件から分離した事件において和解を勧告し、その趣旨説明において、既存の制度だけで水俣病紛争の解決を図ることには限界があると述べたのは、右のような現状認識に基づくものである。
三本件のような大規模で複雑な社会的紛争を判決手続によってすべて解決しようとすることにはおのずから限界があるといえよう。訴訟手続以外の面では、たとえば、一定の要件に該当する者に対し、治療費の公費負担や治療のために要する費用としての療養手当を支給するといった行政措置の導入が、本件水俣病紛争解決のために必要、有益なものと考えられるが、本件水俣病紛争を早期、適正かつ全面的に解決するためには、結局のところ、これらの行政措置とともに、訴訟上の和解による合意を全当事者間で形成することが何よりも必要とされていることが明らかである(和解手続においては、前記二記載の問題点を念頭においた解決のための基準を定立することが要請されるのであり、その基準が判決における請求認容の基準と異同を生ずることがあったとしても、それは訴訟上の和解による解決として当然に許容されることである。)。したがって、被告国を含む全当事者がこれまでの行き掛かりを捨て、まずこの点について共通の認識をもつことが重要である。水俣病紛争の根の深さからすれば、和解によって合意を形成することには多くの困難を伴うことになろうが、本判決が一つの契機となり、その冷静な検討の中から、この紛争を和解によって解決しようとする気運が本件の全当事者間に生まれてくることを期待したいと思う。当裁判所が先の和解勧告の趣旨説明として述べたところをくり返すと、本件のような多数の被害者を生んだ歴史上類例のない規模の公害事件が公式発見後三〇年余年を経てなお未解決であることは誠に悲しむべきことであり、その早期解決のためには訴訟関係者がある時点で何らかの決断をするほかないと思われる。当裁判所は、あらためて現時点において、訴訟関係者にその決断をなすことを求める。
(裁判長裁判官荒井眞治 裁判官三輪和雄 裁判官峯俊之)
別紙九
公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法の認定について(通知)
公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法(以下「法」という。)は、昭和四四年一二月一五日公布施行(医療費の支給に関する規定については昭和四五年二月一日施行)されたところであり、公害の影響による疾病に罹患している者の救済にあたり相当の効果をあげていることは周知のとおりであるが、法第三条の規定に基づき都道府県知事等が行う認定処分については、昨年来いくつかの疑義が呈せられ、種々議論されたところである。
本法は、公害に係る健康被害の迅速な救済を目的としているものであるが、従来、法の趣旨の徹底、運用指導に欠けるところのあったことは当職の深く遺憾とするところであり、水俣病認定申請棄却処分に係る審査請求に対する裁決に際しあらためて法の趣旨とするところを明らかにし、もって健康被害救済制度の円滑な運用を期するものである。
法の運用の適否は公害対策の推進に影響するところが多大であるので、次の事項に十分留意するとともに、別添で示す前記裁決書の趣旨を参考とし、法に基づく認定に係る迅速な処分を行うべく努められたい。
なお、関係公害被害者認定審査会委員各位に対し、この旨を周知徹底されたい。
記
第一 水俣病の認定の要件
(1) 水俣病は、魚介類に蓄積された有機水銀を経口摂取することにより起る神経系疾患であって、次のような症状を呈するものであること。
イ 後天性水俣病
四肢末端、口周のしびれ感にはじまり、言語障害、歩行障害、求心性視野狭窄、難聴などをきたすこと。また、精神障害、振戦、痙攣その他の不随意運動、筋強直などをきたす例もあること。
主要症状は求心性視野狭窄、運動失調(言語障害、歩行障害を含む。)、難聴、知覚障害であること。
ロ 胎児性または先天性水俣病
知能発育遅延、言語発育遅延、言語発育障害、咀嚼嚥下障害、運動機能の発育遅延、協調運動障害、流涎などの脳性小児マヒ様の症状であること。
(2) 上記(1)のうちのいずれかの症状がある場合において、当該症状のすべてが明らかに他の原因によるものであると認められる場合には水俣病の範囲に含まないが、当該症状の発現または経過に関し魚介類に蓄積された有機水銀の経口摂取の影響が認められる場合には、他の原因がある場合であっても、これを水俣病の範囲に含むものであること。
なお、この場合において「影響」とは、当該症状の発現または経過に、経口摂取した有機水銀が原因の全部または一部として関与していることをいうものであること。
(3) (2)に関し、認定申請人の示す現在の臨床症状、既往症、その者の生活史および家族における同種疾患の有無等から判断して、当該症状が経口摂取した有機水銀の影響であることを否定し得ない場合においては、法の趣旨に照らし、これを当該影響が認められる場合に含むものであること。
(4) 法三条の規定に基づく認定に係る処分に関し、都道府県知事等は、関係公害被害者認定審査会の意見において、認定申請人の当該申請に係る水俣病が、当該指定地域に係る水質汚濁の影響によるものであると認められている場合はもちろん、認定申請人の現在に至るまでの生活史、その他当該疾病についての疫学的資料等から判断して当該地域に係る水質汚濁の影響によるものであることを否定し得ない場合においては、その者の水俣病は、当該影響によるものであると認め、すみやかに認定を行うこと。
第二 軽症の認定申請人の認定
都道府県知事等は、認定に際し、認定申請人の当該認定に係る疾病が医療を要するものであればその症状の軽重を考慮すること必要はなく、もっぱら当該疾病が当該指定地域に係る大気の汚染または水質の汚濁によるものであるか否かの事実を判断すれば足りること。
第三 すでに認定申請棄却処分を受けた者の取扱い
都道府県知事等は、認定申請に係る疾病が、当該指定地域に係る大気の汚染または水質の汚濁の影響によるものではない旨の処分を受けた認定申請人について、上記の趣旨に照らし、あらためて審査の必要があると認められる場合には、当該原処分を取り消し、関係公害被害者認定審査会の意見をきいて、当該認定申請に係る処分を行うこと。
第四 民事上の損害賠償との関係
法は、すでに昭和四五年一月二六日厚生事務次官通達において示されているように、現段階においては因果関係の立証や故意過失の有無の判定等の点で困難な問題が多いという公害問題の特殊性にかんがみ、当面の応急措置として緊急に救済を要する健康被害に対し特別の行政上の救済措置を講ずることを目的として制定されたものであり、法三条の規定に基づいて都道府県知事等が行った認定に係る行政処分は、ただちに当該認定に係る指定疾病の原因者の民事上の損害賠償責任の有無を確定するものではないこと。
別紙一〇協定書
水俣病患者東京本社交渉団と、チッソ株式会社とは、水俣病患者、家族に対する補償などの解決にあたり、次のとおり協定する。
前文(省略)
本文
一 チッソ株式会社は、以上前文の事柄を踏まえ、以下の事項を確約する。
(1) 本協定の履行を通じ、全患者の過去、現在及び将来にわたる被害を償い続け、将来の健康と生活を保障することにつき最善の努力を払う。
(2) 今後いっさい水域及び環境を汚染しない。また、過去の汚染については責任をもって浄化する。
(3) 昭和四八年三月二二日、水俣病患者東京本社交渉団ととりかわした誓約書は忠実に履行する。
二 チッソ株式会社は、以上の確認にのっとり以下の協定内容について誠実に履行する。
三 本協定内容は、協定締結以降認定された患者についても希望する者には適用する。
四 以下の協定内容の範囲外の事態が生起した場合は、あらためて交渉するものとする。
五 水俣病東京本社交渉団は、本協定の締結と同時に、チッソ東京本社前及び水俣工場前のテントを撤去し、坐り込みをとく。
協定内容
チッソ株式会社は患者に対し、次の協定事項を実施する。
一 患者本人及び近親者の慰謝料
1 患者本人分には次の区分の額を支払う。
現在までの水俣病による(その余病若しくは併発症または水俣病に関係した事故による場合を含む)死亡者及び
Aランク 一八〇〇万円
Bランク 一七〇〇万円
Cランク 一六〇〇万円
2 この慰謝料には認定の効力発生日(昭和四四年七月一四日以前に認定を受け、または認定の申請をした者については同日)より支払日までの期間について年五分の利子を加える。
3 このランク付けは環境庁長官及び熊本県知事が協議して選定した委員により構成される委員会の定めるところによる。
4 近親者分は前記死亡者及びA、Bランクの患者の近親者を対象として支払う。
近親者の範囲及びその受くべき金額は、昭和四八年三月二〇日の熊本地裁判決にならい3の委員会が決定するものとする。
二 治療費
公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法(以下「救済法」という。)に定める医療費及び医療手当(公害健康被害補償法が成立施行された場合は、当該制度における前記医療費及び医療手当に相当する給付の額)に相当する額を支払う。
三 介護費
救済法に定める介護手当(公害健康被害補償法が成立施行された場合は、当該制度における前記介護手当に相当する給付の額)に相当する額を支払う。なお、同法が実施に移されるまでの間は救済法に基づく介護手当に月一万円の加算を行う。
四 終身特別調整手当
1 次の手当の額を支払う。なお、このランク付けは一の3の委員会の定めるところによる。
Aランク 一月あたり六万円
Bランク 一月あたり三万円
Cランク 一月あたり二万円
2 実施時期は昭和四八年四月二七日を起点として毎月支払う。ただし、昭和四六年八月以前の認定患者は昭和四八年四月一日を起点とし、また、昭和四八年四月二八日以降の認定患者は認定日を起点とする。
3 手当の額の改定は、物価変動に応じて昭和四八年六月一日から起算して二年目ごとに改定する。ただし、その間、物価変動が著しい場合にあっては、一年目に改定する。物価変動は熊本市年度消費者物価指数による。
五 葬祭料
1 葬祭料の額は生存者死亡のとき相続人に対し、金二〇万円を一時金として支払う。
2 葬祭料の額は物価変動に応じ、昭和四八年六月一日から起算して二年目ごとに改定する。ただし、その間、物価変動が著しい場合一年目に改定する。物価変動は熊本市年度消費者物価指数による。
六 ランク付けの変更
1 生存患者の症状に上位のランクに該当するような変化が生じたときは一の3の委員会にランク付けの変更の申請をすることができる。
2 ランクが変更された場合、慰謝料の本人分及び近親者分並びに終身特別調整手当の差額を申請時から支払う。ただし、近親者分慰謝料については、一の4にならい前記委員会が決定する。
3 水俣病により(その余病若しくは併発症または水俣病に関係した事故による場合を含む)死亡したときは、慰謝料の本人分及び近親者分の差額を支払う。この場合、死因の判定その他必要な事項は前記委員会が決定する。
七 患者医療生活保障基金の設定
チッソ株式会社は全患者を対象として患者の医療生活保障のための基金三億円を設定する。
1 基金の運営は熊本県知事、水俣市長、患者代表及びチッソ株式会社代表者で構成する運営委員会により行う。
2 基金の管理は日本赤十字社に委託する。
3 基金の果実は次の費用に充てる。
(1) おむつ手当 一人月一万円
(2) 介添手当 一人月一万円
(3) 患者死亡の場合の香典
一〇万円
(4) 胎児性患者就学援助費、患者の健康管理のための温泉治療費、鍼灸治療費、マッサージ治療費、通院のための交通費
(5) その他の必要な費用
4 患者の増加等により基金に不足を生じたときは、運営委員長の申出により基金を増額する。
(以下省略)
別紙一排水系統図《省略》
別紙二水俣湾および水俣川河口の貝中水銀量《省略》
別紙三水俣湾およびその周辺の魚類中水銀量《省略》
別紙四各地区の魚貝類中水銀濃度の比較《省略》
別紙五第一回・不知火湾沿岸住民の毛髪中の水銀量地区別成績《省略》
別紙六第二回・毛髪中の水銀量地区別成績《省略》
別紙七第三回・毛髪中の水銀量地区別成績《省略》
別紙八毛髪中の水銀量地区別成績
《省略》
別紙一二症状《省略》
別紙一三症状発現頻度《省略》
別紙一四各症状の出現率《省略》
別紙一六神経精神症状の出現頻度の比較《省略》
別紙一七臨床症状の組合せ《省略》
別紙一八臨床像を構成する主な症状の組合せ《省略》
別紙一九水俣病症状の因子分析《省略》
別紙二〇水俣病診断についての判別分析《省略》
別紙二一対象者全員についての判別値ヒストグラム《省略》
別紙二二臨床症状の出現頻度《省略》
別紙二三臨床症状の組合せと症度
《省略》
別紙二四症度の内容《省略》
別紙二五臨床症状の大要の比較《省略》
別紙二六臨床症状の組合せによる比較《省略》
別紙二七自覚症状の推移《省略》
別紙二八神経症状の推移《省略》
別紙二九症状の組合せによる推移
《省略》
別紙三〇主要神経症候出現頻度《省略》
別紙三一表在感覚障害パターン《省略》
別紙三二感覚障害パターンの各病型と不安定型の頻度《省略》
別紙三三各症状出現頻度《省略》
別紙三四水俣病病像図《省略》
別紙三五各剖検例の症状と病変《省略》
別紙三六総摂取量と蓄積量との関係《省略》
別紙三七メチル水銀の人体蓄積推移曲線《省略》
別紙三八各年齢層一般健常人における平均オージオグラム《省略》
別紙三九各地域の血圧異常者数・各地域の糖尿陽性者数《省略》
別紙四〇症候の組み合わせと血圧・症候の組み合わせと糖尿《省略》
別紙四一性・年齢階級別にみた高血圧者の割合の推移《省略》
別紙四二多発神経炎の主な原因《省略》
別紙四三知覚障害の型とその出現頻度《省略》
別紙四四各神経症状の出現頻度《省略》
別紙四五表一 下肢深部反射《省略》
表二 下肢深部反射と病理所見《省略》
別紙四六表一 深部反射の出現頻度《省略》
表二 上下肢における深部反射の関係《省略》
別紙四七ブドウ糖経口負荷試験成績別にみた症状の頻度《省略》
別紙四八図一 頚椎症性背髄症の責任椎間板高位《省略》
図二 頚椎症性背髄症の責任椎間板高位の診断指標《省略》
別紙四九被告チッソ及びチッソ子会社の役員状況図《省略》
別紙一ないし四九の出典等について
《省略》
【別添(一)】〔原告らの主張(個別原告の症状について)1〕《省略》
【別添(二)】〔原告らの主張(個別原告の症状について)2〕《省略》
【別添(三)】〔被告国・熊本県の主張(個別原告の症状について)〕《省略》
別紙一一
認定制度のあゆみ
年
(昭和)
認定者数
棄却者数
保留者数
31
50
――
――
32
14
――
――
33
4
――
――
34
11
――
――
35
8
2
――
36
2
(剖検胎児性1)
――
――
37
16(胎児性)
――
――
38
0
39
6
(胎児性4小児1)
1
――
・
・
・
43
44
5(胎児性1)
13
2
45
5(16.1)
11(35.4)
15(48.3)
46
58(89.2)
1(1.5)
6(9.2)
47
154(78.1)
10(5.0)
33(16.7)
48
298(59.3)
42(8.3)
162(32.2)
49
73(40.7)
32(17.8)
74(41.3)
50
128(22.7)
24(4.2)
410(72.9)
51
110(15.6)
90(12.8)
503(71.5)
52
174(19.0)
92(10.0)
648(70.8)
53
143(12.9)
296(26.8)
662(60.1)
54
117(9.1)
601(46.8)
566(44.0)
55
52(4.0)
845(65.7)
385(29.9)
56
51(6.0)
448(53.3)
340(40.5)
57
66(11.6)
319(56.1)
183(32.2)
58
64(14.2)
288(64.0)
98(21.8)
59
41(7.0)
392(67.3)
109(18.7)
60
33(4.6)
517(71.5)
173(23.9)
61
43(3.7)
866(73.9)
262(22.4)
62
16(0.98)
1267(78.1)
338(20.9)
( ):%
別紙一五
新潟水俣病の診断要項
① 神経症状発現以前に阿賀野川の川魚を多量に摂取していたこと
② 頭髪(または血液,尿)中の水銀量が高値を示したこと*
③ 下記の臨床症候を基本とすること**
a.感覚障害(しびれ感,感覚鈍麻)
b.求心性視野狭窄
c.聴力障害
d.小脳症候(言語障害,歩行障害,運動失調,平衡障害)
④ 類似の症候を呈する他の疾患を鑑別できること***
*この値は水銀摂取を止めれば,数カ月以内に正常に復するので,
川魚摂取時期との関連において考慮すること。また,その時期
の水銀量が不明の場合,できるだけ状勢判断を行なうこと。たとえ
ば同一家族で食生活を共にしていたものの中に水俣病患者があっ
たり,頭髪などの水銀量が高値を示したものがあれば重視すること。
**以下の4症候をすべて具備しなければならないわけではない。
また感覚障害は最も頻度が高く,とくに四肢末端,口囲,舌に
著明であること,またこれが軽快し難いことを重視する。
***糖尿病などによる末梢神経障害,脳血管障害,頸椎症,心因性
疾患は,とくに注意を要する。ただし,上記の疾患をもっていても,
患者の症候がそれのみで説明し難い場合は,水俣病と診断する
ことができる。