東京地方裁判所 昭和59年(ワ)8076号・昭61年(ワ)6094号 判決
一 請求の原因1ないし3の事実は当事者間に争いがなく、また、成立に争いのない甲第二号証によれば、被告フアイザーは、甲特許権をその登録日以来存続期間が満了した昭和五八年七月八日まで有していたことが認められ、更に、原告同隆は、カルバドツクスを輸入販売し、本件飼料添加物を製造販売していたことは、当事者間に争いがない。
二 原告らが主張する本件仮処分決定の違法性について、以下判断する。
1 請求の原因4(一)について
(一) 前記争いのない事実によると、被告フアイザーは、本件仮処分申請事件において、被保全権利として甲特許権に基づく差止請求権を主張したものであるところ、成立に争いのない甲第三号証によれば、甲発明の特許請求の範囲は、本件公報の該当項記載のとおりであり、同項記載の方法において、R2に水素、R3にNH―COOR5、R5に低級アルキルに属するメチル基(―CH3をそれぞれ選ぶと、特許請求の範囲の記載は、
「式
<省略>
を有する化合物(アルデヒド)と式H2NNHCOOCH3(メチルカルバゼート)を有する化合物又はその酸付加塩とを反応させることを特徴とする、
式
<省略>
を有する化合物(カルバドツクス)の製造方法。」
となることが認められる。
(二) そして、前記争いのない事実によると、被告フアイザーは、本件仮処分申請事件において、カルバドツクスは、甲発明の優先権主張日(アメリカ合衆国一九六四年九月一六日)前に日本国内において公然知られた物ではないから、特許法一〇四条の規定により、原告同隆が輸入販売したカルバドツクスは、甲発明の製法により生産されたものと推定される旨主張したものであるところ、成立に争いのない乙第二〇号証の一及び二並びに弁論の全趣旨によれば、右主張事実を認めることができる。これに対し、原告らは、本件仮処分申請事件において、原告同隆が輸入販売したカルバドツクスは、スペインのメナジオナ社がオキシム法により製造したものである旨主張したことは、当事者間に争いがないところ、成立に争いのない甲第一九号証ないし第二一号証、第二三号証及び弁論の全趣旨によれば、原告らの右主張事実を認めることができる。しかしながら、原本の存在及び成立に争いのない乙第三号証並びに成立に争いのない乙第四号証の一ないし三によれば、オキシムは、塩酸等の無機酸と共に暖めると容易に加水分解される性質を有しており、例えば、約六〇℃の条件で塩酸水溶液中に加えると、塩酸水溶液に溶解した時点で、既にその七分の四が加水分解によりアルデヒドに変化し、これにメチルカルバゼートを加えると、カルバドツクスが生成されること、更に、オキシムのメチルカルバゼートに対する反応は極めて緩慢であるのに対し、アルデヒドのメチルカルバゼートに対する反応は極めて速いため、オキシムが塩酸水溶液中で加水分解されて生じるアルデヒドは、メチルカルバゼートと反応してカルバドツクスを生成する一方、残存しているオキシムの多くは、メチルカルバゼートと反応するより前に、加水分解されてアルデヒドに変化していき、このアルデヒドは、更にメチルカルバゼートと反応してカルバドツクスを生成することが認められ、また、前掲甲第二一号証によれば、メナジオナ社のオキシム法においては、オキシムは三〇℃に加熱された塩酸水溶液が入つた反応釜中に投入された後、六五℃になるまで加熱され、六五℃に加燃された後にはじめてメチルカルバゼートが投入されることが認められる。右認定の事実によれば、メナジオナ社のオキシム法は、オキシムを出発物質とはするものの、オキシムがその反応工程において加水分解によりアルデヒドに変化し、主として、そのアルデヒドがメチルカルバゼートと反応してカルバドツクスを生成する方法であると認めるのが相当である。弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第二二号証及び第二九号証の一ないし三には、オキシム法の反応工程においてアルデヒドが存在しないことが、紫外線吸収スペクトル(UV分析)により確認された旨の記載が存するが、右甲号各証の記載内容は、前掲乙第三号証及び第四号証の一ないし三に照らし、直ちに採用することができない。また、成立に争いのない乙第一二号証によると、オキシムが塩酸水溶液中でアルデヒドに変化することは、高速液体クロマトグラフイー(HPLC)によれば確認することができるが、紫外線吸収スペクトル(UV分析)のみでは、アルデヒドの存在を確認しえないことが認められ、右認定の事実に照らしても、前掲甲第二二号証及び第二九号証の一ないし三の記載内容は、採用しえないものといわざるをえない。そして、前掲各証拠は、乙第一二号証を除き、既に本件仮処分申請事件において提出されていたものであることは、前掲各証拠の記載及び弁論の全趣旨により明らかである。以上によれば、原告らは、本件仮処分申請事件において、原告同隆が輸入販売したカルバドツクスは、メナジオナ社のオキシム法により製造したものであることを主張立証したものの、本件仮処分決定時においても、また、本訴の口頭弁論終結時においても、オキシム法が甲発明の製法とは異なる製法であることを疎明又は証明するには至らなかつたものというほかはなく、このような場合には、後記2に述べるとおり、原告同隆が輸入販売したカルバドツクスは、甲発明の製法により生産されたとの前示特許法一〇四条の規定による推定は、未だ覆されていないものというべきである。なお、原告らは、被告フアイザーは、第二仮処分申請事件において、メナジオナ社のオキシム法により製造されたカルバドツクスは、甲発明の製法ではなく、乙発明の製法により製造されたものであると、本件仮処分申請事件における主張とは矛盾する主張をし、その立証をした旨主張するが、成立に争いのない甲第二五号証によれば、乙発明は、オキシムとメチルカルバゼートとを反応させてカルバドツクスを生成するオキシム法を含むものであることが認められるから、オキシム法は、乙発明の技術的範囲に属するものと認められ、かつ、オキシム法は、前示のとおり、その反応過程において、甲発明の製法を経由してカルバドツクスを生成するものであるから、甲発明の製法にも触れるものである。したがつて、被告フアイザーが、第二仮処分申請事件において、メナジオナ社のオキシム法が乙発明に触れる旨主張したとしても、右主張は、本件仮処分申請事件における主張と何ら矛盾するものではない。また、被告フアイザーが、第二仮処分申請事件において疎明方法として提出した本訴における甲第二七号証、第三七号証及び第三八号証の各実験報告書には、第二仮処分申請事件において、債務者タイガー商事が、その輸入販売に係るカルバドツクスはコメツクス法により製造されたものである旨主張した点に関して、右のカルバドツクスは、メナジオナ社のオキシム法により製造されたカルバドツクスと共通の不純物を含むものであるから、オキシム法で製造されたものであつて、甲発明の実施例1記載の製法で製造されたものではない旨記載されていることが認められるが、右記載は、タイガー商事が輸入販売したカルバドツクスが甲発明の実施例1記載の製法で製造されたものではないことを意味するにすぎず、オキシムを出発物質とするオキシム法が甲発明の製法を反応過程中において経由するとの本件仮処分申請事件における被告フアイザーの主張と何ら矛盾するものではない。
(三) 以上によれば、原告同隆が輸入販売していたカルバドツクスが、甲発明の技術的範囲に属しない製法により製造されたとの原告らの主張は、理由がなく、したがつて、右主張事実を前提として本件仮処分決定が違法であるとする原告らの主張は、採用することができない。
2 請求の原因4(二)について
被告フアイザーは、本件仮処分申請事件において、原告同隆が輸入販売したカルバドツクスは、特許法一〇四条の規定により、甲発明の方法により生産したものと推定される旨主張したものであるところ、右主張事実を認めることができ、かつ、原告らが右推定を覆す疎明をなしえなかつたことは、前1の認定判断のとおりである。ところで、このように特許法一〇四条の規定による推定が働く場合には、相手方の製法を特定する必要はなく、相手方が製造販売等する物を特定して、その製造販売等の差止めを請求することができるものと解するのが相当であるから、本件仮処分決定が、製法を特定せずに、カルバドツクスの輸入販売等の差止めを命じたことには何らの違法も存しない。この点に関して、原告らは、本件仮処分申請事件において、原告同隆が輸入販売したカルバドツクスはメナジオナ社のオキシム法によつて製造されたものであることを主張立証したのであるから、このような場合には、もはや特許法一〇四条の規定による推定は働かず、裁判所は、製法を特定して差止めを命じるべきであるのに、これに反して製法を特定しないで差止めを命じた本件仮処分決定は、違法である旨主張する。そこで、審案するに、右規定によると、同条所定の要件が満たされる場合には、相手方が製造販売等する物は、「特許発明の方法により生産したものと推定」されるのであるから、相手方としては、法律上推定される事実と異なる事実、すなわち、その物が特許発明の方法と異なる方法により生産されたものであることを主張立証しなければ、同条の推定を覆すことはできないものといわなければならない。ところで、原告らは、前説示のとおり、本件仮処分決定時においても、本訴の口頭弁論終結時においても、オキシム法が甲発明の製法とは異なる製法であることを疎明又は証明しえなかつたのであるから、メナジオナ社が製造したカルバドツクスは、甲発明の製法により生産されたとの特許法一〇四条の規定による推定は、未だ覆されていないものというべきである。したがつて、原告らの右主張は、採用しえない。
3 請求の原因4(三)について
前掲甲第二九号証の一、成立に争いのない甲第一四号証及び第一七号証、乙第五号証、第六号証の一ないし三及び第二一号証、原本の存在及び成立に争いのない甲第三四号証、原告ら代表者の尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第一一号証(後記措信しえない部分を除く。)、弁論の全趣旨により成立の認められる甲第一五号証、官署作成部分の成立は当事者間に争いがなく、弁論の全趣旨によりその余の部分の成立が認められる乙第一一号証並びに弁論の全趣旨によれば、(1)塩田利次は、昭和五六年二月に原告東理に入社し、同五七年九月に原告東理の代表取締役に就任したものであり、他方、昭和五六年五月に原告同隆を設立し、設立以来同社の代表取締役でもあつた、(2)原告東理は、本件仮処分申請当時、動物用医薬品関係の取引実績を有し、カルバドツクス及び本件飼料添加物の販売についても、原告東理の社員は、その取引先に出向き、その販売拡張のための営業活動をしていたものであり、その際前記塩田が原告同隆の代表取締役として同行する場合もあつたが、その場合であつても、取引の相手方は、原告東理がカルバドツクス及び本件飼料添加物を販売しているものと誤信していた程であつて、カルバドツクス及び本件飼料添加物の取引が取引書類上原告同隆名義でなされていたとしても、原告東理は、右取引に実質的に関与していたものである、(3)被告台糖は、原告同隆に対し、本件仮処分申請前に配達証明付郵便を発送したが、同郵便は、「不在のため郵便局で保管しましたが、保管期間を経過しましたのでお返しします。」との理由で返送されており、また、本件仮処分決定の執行は、昭和五八年四月八日午後〇時五五分、原告同隆の本店住所地において行われようとしたが、「全戸不在、立会人がない、執行場所には施錠あり」との理由で中止され、次いで、同月一二日午後〇時から〇時三五分まで同所において行われたが、原告同隆の社員は不在であり、かつ、その事務室とされる部屋は施錠されていたため、執行補助者が解錠して執行の目的物を捜索し、また、右執行には、原告同隆の事務室の隣室にある原告東理の研空室で仕事をしていた原告東理の社員遠藤忠弘が立ち会つたが、右遠藤によると、原告同隆の名前は業界誌で知るだけであり、その隣室が原告同隆の事務室であることも知らなかつたということであつた、(4)本件仮処分決定の執行時、原告東理の研究室には、カルバドツクスの表示のある空缶が存在し、原告同隆の事務室とされた部屋には、表示が削除された右と同じ空缶が存在していた、(5)スペインのメナジオナ社との連絡は、スペイン語ができる原告東理の社員梅田が原告東理のテレツクスを利用して行つていた、(6)原告東理は、昭和五三年五月四日、飼料の安全性の確保及び品質の改善に関する法律一八条一項の規定に基づく飼料添加物輸入業者届を了しており、本件仮処分決定当時、カルバドツクスを輸入販売することは、同法律上可能であつた、以上の事実が認められ、右認定の事実を総合すれば、本件仮処分決定当時、カルバドツクス及び本件飼料添加物についての取引は、実質的には原告東理によつてもなされていたものと認めるのが相当である。そうすると、右事実関係のもとにおいて、原告同隆及び原告東理の両名について、カルバドツクスの輸入販売及び本件飼料添加物の販売等のおそれがあつたものと認めた本件仮処分決定は、何ら違法ではないといわざるをえない。なお、原告ら代表者尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第四一号証(浄泉義弘作成の報告書)には、右浄泉は、昭和五七年春から、原告同隆の経理係として、原告同隆の本店住所地において勤務しており、自分のほかには塩田社長、薬剤師及び女子事務員が勤務していた、午後〇時から一時までの昼休みは、外で食事を取るので、事務室に誰もいなくなることがあるなどと記載されており、また、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第五八号証(原告ら代表者作成の報告書)の記載及び原告ら代表者の供述の中にも、同旨の記載及び供述があるが、被告台糖からの郵便が保管期間経過により返送されていること及び本件仮処分決定の執行のため、執行官が昭和五八年四月八日の午後〇時五五分、同月一二日の午後〇時から〇時三五分までの二回にわたり原告同隆の本店住所地に赴いたが、二回とも原告同隆の社員に会えなかつたとの前認定の事実に照らすと、前掲甲号各証の記載及び原告ら代表者の供述は、にわかに措信することができず、また、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第三〇号証(遠藤忠弘作成の報告書)には、原告東理の社員遠藤は、本件仮処分決定の執行時、原告東理に入社して、二、三か月しか経過していなかつたので、原告同隆のことは何も知らなかつたものである旨記載されているところ、仮に右記載のとおりであるとしても、右の本件仮処分決定の執行時の状況などによると、右遠藤が原告同隆のことを知らなかつたのは、原告同隆が前認定にみられるような会社であつたことにもよるものと認められる。更に、前掲甲第三〇号証には、本件仮処分決定の執行時、原告東理の研究室にはカルバドツクスの空缶は存在しなかつたのに、被告フアイザーの社員たちが別な空缶を指してカルバドツクスの缶に間違いないといつたのを執行官がそのまま信じて調書にそのとおり記載した旨記載されており、前掲甲第五八号証及び原告ら代表者の供述の中にも、その旨の記載及び供述があるが、前掲乙第五号証によれば、右当日の執行調書には、原告東理の研究室にあつた空缶にはカルバドツクスの表示があり、原告同隆の部屋に存した空缶は、その表示の部分が切り取られていた旨記載されていることが認められ、右の記載内容によると、執行官が、被告フアイザーの社員達の発言をそのまま信じて調書にそのとおり記載したものとは認められず、したがつて、右の乙第五号証及び甲第五八号証の記載並びに原告ら代表者の供述も、直ちに措信することができない。
4 以上によれば、本件仮処分決定が違法であるとの原告の主張は、すべて理由がなく、他に本件仮処分決定が違法であることを認めるに足りる証拠もない。
三 請求の原因7について
原告同隆名義で輸入販売されていたカルバドツクスが甲発明の製法により製造されたものであることは、前説示のとおりである。したがつて、仮に、被告らが、原告同隆名義で輸入販売されていたカルバドツクスについて甲特許権を侵害している旨口頭又は書面で陳述流布したとしても、右行為は、虚偽事実の陳述流布ということはできない。次に、被告らが、原告同隆名義で輸入販売されていたカルバドツクスについて、密輸品であるとか、農林水産省の許可を得ていないなどと陳述流布したとの原告らの主張事実について検討するに、原本の存在及び成立に争いのない甲第五一号証の一、弁論の全趣旨により成立の認められる甲第五一号証の二、成立に争いのない甲第五一号証の四並びに弁論の全趣旨、以上によつて真正に成立したものと認められる甲第四七号証ないし第五〇号証及び第五八号証の記載並びに原告ら代表者の供述の中には、原告らの右主張事実に沿う記載又は供述があるが、右記載及び供述内容は、成立に争いのない乙第二四号証ないし第二六号証、及び弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第二七号証に照らし、直ちに措信することができず、他に原告らの右主張事実を認めるに足りる証拠はない。
四 よつて、原告らの本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、すべて理由がないから、これを棄却することとする。
〔編註〕 本件に関する仮処分決定の主文は左のとおりである。
一 債務者らは、別紙物件目録(一)記載の物件を輸入し販売してはならない。
二 債務者株式会社同隆は、別紙物件目録(二)記載の物件を製造してはならない。
三 債務者らは、別紙物件目録(二)記載の物件を販売してはならない。
四 債務者らの別紙物件目録(一)、(二)記載の物件に対する占有を解いて、管轄地方裁判所執行官にその保管を命ずる。