東京地方裁判所 昭和59年(ワ)870号 判決 1985年7月26日
原告
石澤清子
ほか一名
被告
加藤敏明
ほか一名
主文
一 被告らは、各自、原告石澤清子に対し金一二〇万円及びこれに対する昭和五八年四月一日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告石澤清子のその余の請求及び原告石澤忠敏の請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用はこれを三分し、その一を被告らの、その余を原告らの、各負担とする。
四 この判決は、原告石澤清子勝訴の部分につき、仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは、各自、原告らそれぞれに対し、各金二〇〇万円及びこれに対する昭和五八年四月一日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行の宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告らの請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
第二当事者の主張
一 請求の原因
1 事故の発生
原告石澤清子(以下、「原告清子」という。)は、昭和五八年四月一日午後四時二五分ころ、東京都葛飾区小菅二丁目二三番二三号先交差点脇横断歩道上を青色信号に従つて横断歩行中、前記交差点を右折進行してきた被告加藤敏明(以下、「被告加藤」という。)運転の自家用普通貨物自動車(足立四五や二六二二。以下、「加害車両」という。)に衝突された。
2 責任原因
(一) 被告加藤は、加害車両を運転し前記交差点を右折進行するに当たり、横断歩道上の歩行者に注意の上徐行し、必要に応じて停止するなどの措置を採るべき注意義務を有していたところ、右注意義務を怠り漫然と進行した過失により本件事故を発生させた。
よつて、被告加藤は、民法七〇九条に基づき、本件事故により原告らが被つた損害を賠償すべき義務がある。
(二) 被告株式会社フジジヨイフル工業(以下、「被告会社」という。)は、右加害車両を保有し、従業員である被告加藤をして被告会社の業務の用に右加害車両を運転せしめ、これを自己のために運行の用に供していた。
よつて、被告会社は、自動車損害賠償保障法三条本文に基づき、本件事故により原告らが被つた損害を賠償すべき義務がある。
3 損害
(一) 原告清子は、本件事故により左手及び左足打撲の傷害を受けたので、東京都葛飾区堀切二丁目所在の新葛飾病院に通院し診察治療を受けたが、妊娠の可能性があつたので、レントゲン照射は受けなかつた。
(二) 原告石澤忠敏(以下、「原告忠敏」という。)と原告清子は、昭和五三年五月結婚して以来、二人で力を合わせて、鳥肉販売業を営む夫婦であり、昭和五六年三月長男大輔をもうけ、平穏な家庭生活を送つていた。本件事故当時は、長男が二歳になり、夫婦ともそろそろ次の子を望むようになつており、本件事故後判明したところによれば、原告清子は、夫である原告忠敏との間に胎児を懐胎し、妊娠二か月になつていた。
しかるに、原告清子は、事故の翌日である昭和五八年四月二日から性器に出血を見、次の日も出血が止まらなかつたので、同月四日に同区堀切六丁目所在の藤田産婦人科医院において藤田三市医師(以下、「藤田医師」という。)の診察を受けたところ、妊娠二か月で切迫流産の初期症状であり安静加療が必要である、とされ、治療を受けた。
(三) 原告清子は、右藤田医師の指示で安静を保つため仕事を休み、原告ら双方の母親(ともに新潟在住)に順次上京を求め、原告清子の看病に当たつてもらつた。
しかし、原告清子は、安静のかいなく、前記の出血が止まらなかつたので、同月一一日藤田医師により、切迫流産のため子宮内容除去手術を受けざるを得なくなり、胎児を失つた。
(四) 以上の次第で、原告らは、その胎児を失つたことによる筆舌に尽しがたい精神的苦痛を受けたので、仮に右苦痛を金銭に見積もるとすれば、少くとも各自金二〇〇万円を下らないものというべきである。
よつて、原告らは、本件事故により胎児を失つたことによる慰藉料として、被告らが、各自、原告らそれぞれに対し、各金二〇〇万円の支払をなすことを求める。
二 請求の原因に対する認否
請求の原因1は認める。同2の(一)、(二)の各前段は認める。
同3の(一)は認める。(二)のうち、原告らは夫婦ともそろそろ次の子を望むようになつていたことは不知、その余は認める。(三)のうち、原告清子は原告ら主張の日藤田医師により子宮内容除去手術を受けたことは認めるが、その余は不知。なお、原告清子の症状は胞状奇胎であり、本件事故と因果関係がない。(四)は争う。なお、原告忠敏の慰藉料請求権は否定されるべきである。
三 抗弁(過失相殺)
原告清子は、昭和五八年四月四日藤田医師から切迫流産の初期症状であるとされたにもかかわらず、その後も仕事を続け安静にしていなかつたもので、この点で原告ら側には損害を拡大させた過失があるから、右は過失相殺事由として原告らの損害算定に当たり斟酌されるべきである。
四 抗弁に対する認否
原告清子が藤田医師から切迫流産の初期症状であるとされたにもかかわらずその後も仕事を続け安静にしていなかつたとする点は否認し、その余は争う。
第三証拠
証拠関係については、本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるからこれを引用する。
理由
一 請求の原因1の事実(事故の発生)は当事者間に争いがない。
二 請求の原因2(一)、(二)の各前段の事実(責任原因)はいずれも当事者間に争いがない。
これによれば、被告加藤は民法七〇九条に基づき、被告会社は自動車損害賠償保障法三条本文に基づき、それぞれ、本件事故により原告らが被ることあるべき損害を賠償すべき義務がある。
三 前記一判示の当事者間に争いのない事実、成立に争いのない甲第二号証、乙第一ないし第六号証、原告石澤清子本人尋問の結果により成立が認められる甲第六号証、原告石澤清子本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すれば、本件事故時、加害車両の右前部が原告清子の左肘及び左膝に衝突し、これにより同原告は加害車両から約一メートル離れた路上に尻もちをついて転倒したこと、同原告は本件事故により左手及び左足打撲の傷害を受けたので、当日東京都葛飾区堀切二丁目所在の新葛飾病院に通院し右傷害の診察治療を受けたこと、翌日の四月二日同原告は、家業である鳥肉卸売業の仕事に従事し、夫である原告忠敏が細かく切つた鳥肉片を用い、これを串に刺す作業をなしたが、同日午後性器にかすかな出血を見たので、その時は遅れている月経が来たものと思つていたこと、次の四月三日は家業は休みであつたところ、当日昼過ぎころ、原告清子に再び前日同様のかすかな出血があり、以上の二度の出血の量がいずれも通常の生理の場合と比較して少ないものであつたことから、同原告は右出血に異状を覚えて医師に診てもらう必要があると考え、当日は日曜日であるためそのまま自宅で安静にしていたこと、翌四月四日朝に同原告は同区堀切六丁目所在の藤田産婦人科医院に行き藤田医師の診察を受け、これにより同原告が既に妊娠約二か月であることが判明するに至り、同原告は初めて右妊娠の事実を知つたものであるところ、同医師は本件事故及びその後の出血の経過を同原告から聴き、右出血は切迫流産の初期症状である旨述べ、同原告に対し流産を避止するための注射をする一方服用薬を与え、自宅安静を命じたこと、そこで同原告は当日から四月一一日まで自宅において就床し安静を続けながら一日置きに藤田医師の注射を受けるなど加療に努めたが、この間性器の出血はますます増量して止まらなくなり、このため、四月一一日藤田医師において切迫流産は最早免れ得ないものとの判断の下に同原告に対し子宮内容除去手術をし、これにより同原告は胎児を失つたものであること、同原告は本件事故以外に転んだとか打つたとか、およそ流産の原因となり得るようなことをした覚えが全くないこと、また藤田医師は本件事故による転倒が同原告を切迫流産を免れ得ない状態にした主な原因であると判断していること、以上の事実が認められ(原告清子が前同日藤田医師により子宮内容除去手術を受けたこと及びこれに至る通院経過の大要は当事者間に争いがない。)、右認定を左右する証拠はない。
右認定の事実によれば、「原告清子は、本件事故に因り胎児を失つたものというべきで、本件事故と原告清子が胎児を失つたこととの間には因果関係があるものというべきである。」なお、被告らは原告清子の症状を胞状奇胎である旨主張するが、本件全証拠によるも右主張を裏付けるに足りる事実を窺うに足りない。
四1 原告らは本件事故により胎児を失つたことによる慰藉料を求める。
そこで、これを検討するのに、前記三認定のとおり原告清子は妊娠約二か月の胎児を失つたものであり、原告石澤清子本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すれば、原告らは昭和五三年五月に結婚した夫婦であり、昭和五六年三月長男大輔をもうけたものであること、更に原告清子は本件事故後の昭和五九年一〇月原告忠敏との間に第二子(男子)を出産したことが認められ(原告らが前同時期に結婚した夫婦であり、前同時期に長男大輔をもうけたものであることは当事者間に争いがない。)、以上の事実その他本件に顕われた諸般の事情を勘案すれば、原告清子に対しては胎児を失つたことに対する慰藉料として金一二〇万円を認めるのが相当であるが、他方、民法七一一条に照らし、原告忠敏については、妻である原告清子が前記の次第で胎児を失つたことに関し、そのことから原告忠敏本人においてもその固有の慰藉料請求権を有するものとすべき事情を未だ認めるには足りず、原告忠敏の慰藉料請求は理由がないものというべきである。
2 被告ら主張の過失相殺については、本件全証拠によるもこれを認めるに足りる証拠はない。
五 よつて、原告らの本訴各請求は、原告清子が被告ら各自に対し金一二〇万円及びこれに対する本件事故の日である昭和五八年四月一日から支払済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、同原告のその余の請求及び原告忠敏の請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言について同法一九六条を各適用の上、主文のとおり判決する。
(裁判官 福岡右武)