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東京地方裁判所 昭和59年(ワ)9859号 判決 1986年7月08日

原告 株式会社 守屋鉄工所

右代表者代表取締役 守屋一郎

右訴訟代理人弁護士 加藤次郎

同 増井喜久士

被告 佐藤鉄鋼株式会社

右代表者代表取締役 佐藤栄一

右訴訟代理人弁護士 清井礼司

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、金一二一〇万円及び昭和五九年八月四日から完済まで年六分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  田口鉄工株式会社(以下「田口鉄工」という。)は、昭和五八年八月初旬、被告との間に、小田原市高田四五〇番地、三共株式会社小田原工場内の蒸溜槽設備プラント架台組立鉄骨工事の請負契約を締結し、田口鉄工は同年八月五日から同年九月三〇日までに右工事を完成させることを約し、被告は完成後、工事代金一二一〇万円を支払うことを約した。

2  田口鉄工は、前記工事期間内に工事を完成させ、被告に対し一二一〇万円の請負代金債権(以下「本件請負代金(債権)」という。)を有していた。

3  原告は、田口鉄工を債務者、被告を第三債務者として昭和五八年一二月一二日東京地方裁判所に対し、原告が田口鉄工に対して有する二八〇〇万円の請負代金債権のうち一二一〇万円を請求債権とし、田口鉄工の被告に対する本件請負代金債権を被差押債権として、債権仮差押えを申請し(昭和五八年(ヨ)第七八〇六号事件)、同月一三日仮差押決定を得、その仮差押決定正本は、昭和五九年一月九日田口鉄工に、昭和五八年一二月一四日被告に、それぞれ送達された。

4  原告は、田口鉄工が右3の請負代金の支払のため原告に振り出した額面一〇〇〇万円の約束手形二通合計二〇〇〇万円の手形金につき昭和五九年七月一三日東京地方裁判所から仮執行宣言付手形判決を得(昭和五九年(手ワ)第二三二号事件)、その執行力ある判決正本に基づき、田口鉄工の被告に対する本件請負代金債権につき債権差押命令の申立てをし(昭和五九年(ル)第三四五二号事件)、同年八月二日差押命令を得、その差押命令正本は、同月三一日の経過により田口鉄工に、同月三日被告に、それぞれ送達した。

5  そこで、原告は前記差押命令による取立権に基づいて、被告に対し、本件請負代金一二一〇万円の支払いを求めたが、被告はこれに応じない。

よって、原告は被告に対し、本件請負代金一二一〇万円及びこれに対する差押命令送達の日の翌日である昭和五九年八月四日から完済まで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求の原因に対する認否

請求原因事実は全部認める。

三  抗弁(相殺)

1  反対債権の存在

(一) 株式会社浅野製作所(以下「浅野製作所」という。)は、田口鉄工から鉄骨工事等に請け負い、その請負代金等の支払のために、昭和五八年七月二五日から同年一〇月二五日までの間に田口鉄工から別紙約束手形目録記載(1)ないし(5)の約束手形(以下「本件手形(1)」のようにいい、全部を併せて「本件各手形」という。)の振出、交付を受けた。

浅野製作所は、被告から継続的に鉄鋼材を買い入れ、それによる代金債務を負っていたものであるところ、本件手形(1)ないし(3)を、昭和五八年一二月二日、同年九月分の鉄鋼材代金の一部の支払のために、本件手形(4)、(5)を、同年一一月二六日、同年一〇月分の鉄鋼材代金の一部の支払のために、それぞれ被告に白地式で裏書譲渡し、被告はこれらを所持している。

本件各手形は、いずれも満期に支払場所に呈示されたが、支払われなかった。

(二) 浅野製作所は、田口鉄工から昭和五八年九月出光新杉田給油所の鉄骨工事等を請負代金四四〇万円で請け負い、同月一九日までに完成した。田口鉄工と浅野製作所の取引における支払条件は、毎月二〇日締切、翌月二五日現金又は現金と約束手形(ただし、約束手形のサイトは一五〇日、支払限度は与信額三二〇〇万円の範囲で当月支払額の半額までとする。)によって支払う、というものであったので、右工事請負代金は、同年九月二〇日締切、同年一〇月二五日に現金四四〇万円又は現金二二〇万円と約束手形額面二二〇万円(支払期日は昭和五九年三月二五日)で支払われるはずであったが、その支払がされなかった。

浅野製作所は、前記のとおり被告に対し鉄鋼材代金債務を負っていたところ、田口鉄工にたいする右工事請負代金債権の一部三五五万円を昭和五八年一一月分の鉄鋼材代金の一部の支払のために同年一二月二日被告に譲渡し、同日付内容証明郵便をもってこの旨を田口鉄工に通知し、同郵便は同月四日田口鉄工に到達した。

(三) 被告は田口鉄工に対し、昭和五八年三月ころ、葛飾区鎌倉三―二四―七電正ビル鉄骨工事を請負代金六四五万円、工期同年三月二三日から同年五月一〇日までの約定で発注したところ、右工事の完成が約三か月間も遅延したため、被告と田口鉄工は、同年一一月初め、右遅延による損害賠償金として、被告が手配した人夫代、材料代、諸経費相当額五〇万六〇〇〇円を田口鉄工が被告に支払う、右損害賠償金は被告が田口鉄工に本件請負代金債権を支払う際に控除して支払うものとする、旨合意した。

(四) したがって、被告は請求の原因3の仮差押決定が送達された昭和五八年一二月一四日より前に、田口鉄工に対する右(一)ないし(三)の反対債権合計一二一〇万六〇〇〇円を取得していたものである。

2  相殺の意思表示

(一) 被告は、田口鉄工に対し、昭和五九年八月一一日、右1の反対債権と原告の請求に係る本件請負代金債権とを対当額で相殺する旨の意思表示をした。

(二) 被告は、原告に対し、昭和六〇年九月三〇日の本件第八回口頭弁論期日において、右1の反対債権と原告の請求に係る本件請負代金債権とを対当額で相殺する旨の意思表示をした。

四  抗弁に対する認否及び原告の主張

(認否)

1 抗弁1の事実は不知。

2 同2(一)の事実は不知。

(主張)

1 田口鉄工は、昭和五八年一一月二五日手形不渡りを出して倒産した。浅野製作所の田口鉄工に対する債権の弁済期は、いずれも右倒産後である。すなわち、本件各手形債権の弁済期は昭和五八年一二月二六日以降昭和五九年三月二六日まで、また、抗弁1(二)の工事代金債権の弁済期は同年四月二五日である。したがって、被告が浅野製作所から譲り受けた債権はすべて、およそ決済される見込みのない債権である。被告は、浅野製作所に対する鉄鋼材代金債権の一部の支払のために田口鉄工の倒産後に右債権の譲渡を受けたと主張するが、何故に倒産しておらず資力ある浅野製作所からの支払のために、決済される見込みのない田口鉄工に対する債権を譲り受けたか理解に苦しむところである。しかして、本件の場合このような債権譲渡があえて行われた動機は、被告が浅野製作所の債権回収に協力し、同社の利益のために田口鉄工にたいする債権を譲り受けたものと推定される。

2 被差押債権(受働債権)と反対債権(自働債権)の弁済期の前後と相殺との関係について、最高裁判所大法廷昭和四五年六月二四日判決は、いわゆる無制限説を採っているが、右判例は、一般に相殺予約の取引約款の存在することにつき公知性の高い銀行預金債権を被差押債権とする特殊性ある事案についての判断であって、条件の異なるすべての事案について一般的に妥当するものではない。本訴において、被告が相殺を主張する債権は損害賠償債権を除き、いずれも被告が田口鉄工に直接有していた債権ではなく、同社倒産後に浅野製作所から譲り受けた債権であるから、このような場合にまで相殺の主張を認めることはできないものである。

五  原告の主張に対する被告の反論

前記最高裁判所大法廷判決の採用したいわゆる無制限説は、原告主張のように相殺予約の約定がある銀行取引に限定されるものではなく、本件の場合にも当てはまるものである。被告の債権譲受の動機に、浅野製作所の債権回収に対する協力の側面があったことは否定しないが、同時に被告の浅野製作所に対する鉄鋼材代金の確保でもある。すなわち、被告、田口鉄工、浅野製作所の間には、順次債権が存在し、回り手形による簡易決済が可能な状態にあったものであるが、これを逆に見れば、倒産の連鎖でもあり、業界ではこのような関係は日常的に存在している。本件の場合には、右のような三者の関係の中で、被告と浅野製作所が自己の債権確保のために一歩先んじただけであって、原告ら他の債権者から避難される理由はない。

第三証拠関係《省略》

理由

一  請求原因事実は争いがない。

二  相殺について

1  《証拠省略》を総合すれば、抗弁1の事実は全部認めることができ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

抗弁2(一)の事実は、これを認めるに足りる証拠はないが、同(二)の事実は、原告において明らかに争わないからこれを自白したものとみなす(なお、差押債権者が取立権を取得した場合は、第三債務者の反対債権による相殺の意思表示は、差押債権者に対してすべきものと解される。)。

2  右事実を前提に、抗弁2(二)の被告の相殺の意思表示(以下「本件相殺の意思表示」という。)の効力について判断する。

民法五一一条は「支払ノ差止ヲ受ケタル第三債務者ハ其後ニ取得シタル債権ニ依リ相殺ヲ以テ差押債権者ニ対抗スルコトヲ得ス」と定めるが、右規定の解釈として、債権が差し押さえられた場合において、第三債務者が債務者に対して反対債権を有していたときは、その債権が差押後に取得されたものでない限り、右債権及び被差押債権の弁済期の前後を問わず、両者が相殺適状に達しさえすれば、第三債務者は、差押後においても、右反対債権を自動債権として、被差押債権と相殺することができると解するのが相当である(最高裁判所大法廷昭和四五年六月二四日判決、民集二四巻六号五八七頁)。しかして、民法五一一条は何らの限定も設けていないから、右の理は、原告主張のように相殺予約の取引約款の存在することに公知性の高い銀行預金債権を被差押債権とする場合に限られる理由はないと言わなければならない。もっとも、個別的事情により、第三債務者の相殺の意思表示が信義則違反や権利濫用に当たるなどの理由で無効とされる場合がありうることは当然である。

これを本件についてみるのに、田口鉄工に対する前記反対債権(合計一二一〇万五〇〇〇円)を被告が取得したのは、いずれも原告申請の仮差押決定が被告に送達される前である。しかして、被告が浅野製作所から、右反対債権(損害賠償債権を除く。)を譲り受けるに至った事情につき、《証拠省略》によれば、被告、田口鉄工、浅野製作所の三者の関係は、被告が元請として田口鉄工に鉄骨工事を下請に出し、田口鉄工は更にこれを浅野製作所に孫請に出し、浅野製作所は被告から工事用の鉄鋼材を購入するという関係にあったこと、田口鉄工は昭和五八年一一月二五日手形不渡りを出して倒産したため、同社に対する債権の回収が事実上不可能となった浅野製作所は、元請で鉄鋼材代金債権者でもある被告に相談を持ちかけたこと、そこで浅野製作所が田口鉄工に対する債権を回収できなければ浅野製作所に対する自己の鉄鋼材代金の回収が困難になる被告は、これを避けるため、右代金額に見合う本件各手形及び前記工事代金債権を、鉄鋼材代金の支払のために譲り受け、本件相殺の意思表示をしたこと、以上のように認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。右認定事実によれば、本件の実態は被告が自らの債権確保のために浅野製作所の債権回収に協力したというものであって、浅野製作所ないし債権譲受人である被告が他の債権者に先んじて債権を確保する結果は生じたものの、だからといって右債権の譲受が信義則に反しあるいは権利濫用に当たるとは認められず、その他本件相殺の意思表示が信義則に反しあるいは権利濫用に当たるなどの理由で無効であると認めるに足りる証拠はない。

しかして、前記認定によれば、本件請負代金債権と前記反対債権とは、弁済期の前後はあっても、遅くとも昭和五九年三月末ころまでには全部弁済期が到来し相殺適状にあったものであると認められるから、本件請負代金債権は、本件相殺の意思表示によって相殺適状の生じた始めに遡って消滅したものと認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。したがって、抗弁は理由がある。

三  以上の次第で、原告の請求は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 西尾進)

<以下省略>

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