東京地方裁判所 昭和60年(ワ)1177号 判決 1987年4月15日
原告 笠原博司
原告 笠原恭子
原告ら訴訟代理人弁護士 渡辺脩
被告 株式会社東京相互銀行
右代表者代表取締役 沼利兵衛
右訴訟代理人弁護士 鳥居克己
被告 東京信用保証協会
右代表者理事 磯村光男
右訴訟代理人弁護士 成富安信
右同 八代徹也
右同 高見之雄
主文
一、原告らの請求をいずれも棄却する。
二、訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一、当事者の求めた裁判
一、請求の趣旨
1. 原告笠原博司に対し、
(一) 被告株式会社東京相互銀行(以下「被告銀行」という。)は、別紙物件目録記載の土地(以下「本件土地」という。)について浦和地方法務局志木出張所昭和五九年八月二九日受付第三八四五二号をもってした根抵当権設定登記の抹消登記手続をせよ。
(二) 被告東京信用保証協会(以下「被告協会」という。)は、本件土地について同出張所昭和六〇年一月二五日受付第二五六九号をもってした根抵当権移転登記の抹消登記手続をせよ。
2. 原告らに対し
(一) 被告銀行は、別紙物件目録記載の建物(以下「本件建物」という。)について同出張所昭和五九年八月二九日受付第三八四五二号をもってした根抵当権設定登記の抹消登記手続をせよ。
(二) 被告協会は、本件建物について同出張所昭和六〇年一月二五日受付第二五六九号をもってした根抵当権移転登記の抹消登記手続をせよ。
3. 訴訟費用は、被告らの負担とする。
二、請求の趣旨に対する被告らの答弁
主文と同旨
第二、当事者の主張
一、請求原因
1. 原告笠原博司(以下「原告博司」という。)は本件土地を所有するとともに本件建物の三分の二の持分を所有し、原告笠原恭子は本件建物の三分の一の持分を所有している。
2. 本件土地及び本件建物(以下「本件不動産」という。)には、浦和地方法務局志木出張所昭和五九年八月二九日受付第三八四五二号をもって、同月二八日の設定を原因とし、債務者を訴外大誠紙業株式会社(以下「訴外会社」という。)とし、根抵当権者を被告銀行とする極度額金二、五〇〇万円の根抵当権設定登記及び同出張所昭和六〇年一月二五日受付第二五六九号をもって同日の代位弁済を原因として被告協会に対する右根抵当権の移転の登記がされている。
3. 本件根抵当権の登記原因である昭和五九年八月二八日付の原告らと被告銀行との間の根抵当権設定契約は次のとおり、原告らの錯誤に基づくものであるから無効である。
(一) 本件根抵当権設定契約は、債務者である訴外会社の代表取締役近藤吉仲(以下「近藤」という。)の懇請により締結されたものであるところ、昭和五九年七月頃は既に訴外会社の取引先である訴外株式会社たあみなる東京の倒産により訴外会社自身も倒産必至の状態にあったのであるが、近藤は原告博司に対してこれを秘し、また、借入金は訴外会社の債務の返済に充てる意図であったにも拘らず訴外会社の事業の拡張のための資金として使用する旨説明し、かつ、本件不動産を担保に提供してくれれば原告博司に対して毎月金二〇万円の謝礼を支払う旨申し向けてその旨誤信させた。
(二) 原告博司が本件根抵当権設定契約締結のため昭和五九年八月二七日に被告銀行新宿支店を訪れた際、近藤及び被告銀行の営業課長佐藤達雄から、「訴外会社は毎月金五〇万円ずつ弁済するほか金六〇万円ずつ定期を積み立てる約束になっていてこれは昭和五九年九月から確実に履行されるので絶対に迷惑をかけない」旨の説明を受け、もって訴外会社のため本件不動産に根抵当権を設定することを承諾した。
(三) ところが、訴外会社は本件根抵当権設定により被告銀行から金二、五〇〇万円を入手した直後である昭和五九年九月一四日、第二回目の手形の不渡りを出して倒産した。
(四) 以上のとおり、原告らは訴外会社が倒産必至の状態であること及び借入金の使途が訴外会社の債務の返済にあることを知らず、訴外会社は借入金をその事業の拡張のために用い訴外会社が確実に借入金を返済していくものと誤信して本件根抵当権設定契約を締結したものであるので、本件根抵当権設定契約は要素の錯誤があり、無効である。
4. 仮りに3の錯誤による本件根抵当権設定契約の無効の主張が理由がないときは、次のとおり詐欺による本件根抵当権設定契約の取消しを主張する。
(一) 被告銀行は訴外会社に融資をするに当っては訴外会社の営業・財産・信用状態を何一つまともに調査していないが、金融機関に要求される注意をもって調査をすれば訴外会社に対する融資は容易に防げたものである。したがって、本件根抵当権設定契約は前3(一)のとおりの近藤の故意による欺罔行為と被告の重大な過失とが相まって設定されたものであり、被告銀行は近藤の故意に基づく欺罔行為について重大な過失によって加功したものである。したがって、原告らは被告銀行に対して本件根抵当権設定契約につき詐欺による取消しを主張することができる。
(二) また、原告らは、被告銀行に対し昭和六〇年一月一四日付同月一六日到達の内容証明郵便で本件根抵当権設定契約は錯誤により無効であるとして速やかに本件根抵当権設定登記の抹消をすることを求めたが、被告協会は右事実を知りながら昭和六〇年一月二五日、本件根抵当債務を被告銀行に対して代位弁済をし、もって本件根抵当権の移転を受けたものであるので、原告らは、被告協会に対しても詐欺による取消しを主張することができる。
(三) 原告らは、昭和六〇年二月一日、被告らに対し本件根抵当権設定契約を詐欺により取り消す旨の意思表示をし、この意思表示は同月四日までに被告らに到達した。
5. よって原告らは被告らに対し、本件根抵当権設定契約の錯誤による無効又は詐欺による取消しを理由として、本件不動産についての請求の趣旨記載の根抵当権設定登記及び根抵当権移転の登記の抹消登記手続を求める。
二、請求原因に対する認否
(被告銀行)
1. 請求原因12の事実は認める。
2. 同3の事実中(一)は不知、(二)は否認し、(三)は認め、(四)は争う。
3. 同4の(一)の事実は否認する。同(二)の事実中原告主張の書面が到達したこと、被告協会が本件根抵当債務を代位弁済したことは認めるが、その余は否認する。同(三)の事実は認める。
4. 同5は争う。
(被告協会)
1. 同12の事実は認める。
2. 同3の(一)ないし(三)の事実は不知。同(四)は争う。
3. 同4の(一)は争う。同(二)の事実中被告協会が本件根抵当債務を代位弁済をして本件根抵当権の移転を受けたことは認める。同(三)の事実は認める。
4. 同5は争う。
第三、証拠<省略>
理由
一、請求原因1及び2の事実は当事者間に争いがない。
二、そこで、錯誤による本件根抵当権設定契約の無効の主張について判断する。
<証拠>によれば次の事実を認めることができる。
1. 原告博司はトレース版下業を営んでおり、印刷業を営む訴外会社及び写植デザイン関係の業務を営む訴外株式会社京和アート(いずれも近藤が代表取締役をしており、両社は一体的な関係にある。)から仕事の発注を受けていた。
2. 訴外会社の取引先である訴外株式会社たあみなる東京が昭和五九年七月頃倒産したため、訴外会社の同社に対する約五、〇〇〇万円の債権の回収が困難となり、訴外会社自身も倒産の危機に瀕したが、原告博司に対して、近藤はこの事実を秘し、また、借入金は訴外会社の急を要する債務の返済に充てる目的であるにもかかわらず株式会社京和アート(以下「京和アート」という。)の事業拡張のために使用すると偽って、訴外会社が被告銀行から金二、五〇〇万円を借り入れるについて、その担保のため、本件不動産に根抵当権を設定することを懇請した。
その際、近藤は原告博司に対し、担保提供の謝礼として毎月金二〇万円を支払う旨を申し入れた。
原告博司は、当初は難色を示したが、右謝礼がもらえることと京和アートの事業が発展すれば自分の利益にもなることを考え、本件不動産に根抵当権を設定することを承諾し、本件建物の共有者である原告笠原恭子の了承も得た。
3. 融資実行の日の前日である昭和五九年八月二七日、原告博司、近藤及び目の不自由な近藤の手助けをするため訴外安生喜一が被告銀行新宿支店に行き、根抵当権設定契約証書等借入れの必要書類を作成した。その際、原告恭子の署名押印部分については原告博司において署名の代行をし、原告恭子の実印を押印した。
なお、原告らが保証人として作成されている「信用保証付金銭消費貸借契約証書」及び「特定保証約定書」には、訴外会社が借り入れる金二、五〇〇万円の使途は「印刷機械購入」と明記されている。
そして、翌二八日、被告銀行は訴外会社に金二、五〇〇万円を融資するとともに、翌二九日、本件不動産について本件根抵当権設定登記がされた。
4. 近藤は借入金をもって訴外会社の急を要する債務の返済に充てたが、訴外会社は昭和五九年九月一四日、二回目の手形の不渡りを出し、約一億七、〇〇〇万円の負債を抱えて倒産するに至った。
以上の事実が認められ、この認定を覆すに足る証拠はない。
なお、原告らは、被告銀行の営業課長佐藤達雄が、昭和五九年八月二七日、被告銀行新宿支店で原告博司に対して「訴外会社は毎月金五〇万円ずつ弁済するほか金六〇万円ずつ定期を積み立てる約束になっていてこれは昭和五九年九月から確実に履行されるので原告博司には絶対に迷惑をかけない」旨説明したと主張するが、原告博司本人尋問の結果中これに沿う部分(もっとも、これとてもその説明があったので根抵当権設定を承諾したとするものではない。)は証人佐藤達雄の証言に照らして直ちに採用できず、その他に右事実を認めることができる証拠はない。
以上認定した事実からすると、原告らは、訴外会社が倒産の危機に瀕していることを知らず、また借入金は京和アートの事業拡張のために用いられると誤信して本件根抵当権設定契約を締結したものであり、訴外会社の真実の財産状態や借入金の真実の使途を知っていたならば本件根抵当権設定契約は締結しなかったと認めることができる。
しかし、他人の借入金債務の担保のために自己所有の不動産に根抵当権を設定する場合、債務者の財産状態や借入金の使途についての根抵当権設定者の錯誤は根抵当権設定契約を無効とするものではないと解すべきである。けだし、債務者の財産状態の評価の誤りをもって根抵当権設定契約の錯誤による無効の主張を許すとすれば、他人の債務の保証という制度自体を無意味にしてしまうし、借入金の使途についても、これが根抵当権設定契約締結に当って明示されていたとしても、借入後、債務者は事実上、その一存で借入金を自由に使用することができるものであって、これが当初の借入金の使途と異なることをもって根抵当権設定契約の錯誤による無効の主張を許すとすれば、債権者を害すること甚しいからである(これらの誤りは、まさに根抵当権設定契約において根抵当権設定者が債権者に対して引受けることを約した危険であるというべきである。)。
よって原告らの錯誤による本件根抵当権設定契約の無効の主張は理由がない。
三、次に詐欺による本件根抵当権設定契約の取消しの主張について判断する。
原告らは、まず被告銀行について、被告銀行が訴外会社に対して融資をする際にした調査があまりにずさんであって重大な過失があるとし、これをもって被告銀行自身、近藤の原告らに対する故意による欺罔行為に加功したとして、被告銀行に対して詐欺を理由として本件根抵当権設定契約を取り消すことができる旨主張する。
しかし、法理上、被告銀行の融資に際しての調査のずさんをもって被告銀行の原告らに対する欺罔行為と同視してこれに対して詐欺による本件根抵当権設定契約の取消しができるとは解し難いのみならず、成立に争いのない乙第一号証、乙第三号証、証人近藤吉仲の証言により成立を認めることができる乙第二号証並びに証人近藤吉仲及び証人佐藤達雄の各証言によれば、被告銀行は、本件融資に当って、訴外会社の昭和五七年九月一日から昭和五八年八月三一日までの期間に係る確定申告書の控え及び昭和五八年九月一日から昭和五九年六月三〇日までの期間に係る試算表並びに昭和五八年度の近藤の確定申告書の控えを提出させて訴外会社の財務内容を調査しているのであり、被告銀行の調査に重大な過失があったということもできない。
よってその余について判断を加えるまでもなく、被告らに対する詐欺による本件根抵当権設定契約の取消しの主張は理由がない。
四、以上のとおり原告らの本件請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九三条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 佐藤修市)