東京地方裁判所 昭和60年(ワ)13436号 判決 1987年2月27日
原告
小出成孝
被告
共栄火災海上保険相互会社
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告に対し、四四七万円及びこれに対する昭和六〇年一一月二〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 事故の発生
(一) 日時 昭和五五年八月一二日午前四時五〇分ころ
(二) 場所 東京都練馬区大泉町一丁目四五番先路上
(三) 事故車両 普通乗用自動車
(四) 事故態様 原告の母である小出京子が助手席に原告を同乗させて事故車両を運転中、誤つて電柱に衝突した。
(五) 結果 原告が、下顎骨骨折、前歯欠損、顔面挫創等の障害を負つた。
(右事故を、以下「本件事故」という。)
2 保険契約
事故車両は、原告の父である小出正道の所有であり、同人と被告とは、事故車両につき、自動車損害賠償責任保険(以下「自賠責保険」という。)契約を締結している。
3 原告の損害
(一) 逸失利益 一〇八一万八〇九三円
原告は、前歯を欠損したのみならず、前記の下顎骨骨折の障害により、歯茎を欠損したため、義歯を装着することができない状態となり、このため咀嚼及び言語の機能に障害が残つた。
右後遺障害は、自動車損害賠償保障法施行令第二条別表後遺障害別等級表(以下「等級表」という。)第九級六号に該当する。
右後遺障害のため、原告は、その労働能力を少なくとも一〇年間、三五パーセントの割合で喪失したから、男子の平均賃金である月額三二万四二〇〇円を基礎に、新ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して、原告の逸失利益の現価を算定すると、その合計額は一〇八一万八〇九三円となる。
(二) 慰藉料 四五〇万円
原告の前記後遺障害に対する慰藉料は右金額が相当である。
4 被告の支払義務
原告の後遺障害は、前記のとおり、等級表第九級六号に該当し、かつ、原告には、右等級の本件事故当時における自賠責保険金限度額である五二二万円を下らない損害が生じているにもかかわらず、被告は、原告の後遺障害を前歯欠損による等級表第一四級二号に該当するにすぎないものと認定し、同級の保険金限度額である七五万円を原告に支払つたものの、咀嚼及び言語の機能の障害については、これを等級表に該当するものと認めず、その余の支払をしない。
したがつて、被告には、原告に対し、等級表第九級の後遺障害保険金限度額五二二万円から既に支払われた七五万円を控除した残額四四七万円の限度において損害賠償金の支払義務がある。
5 結論
よつて、原告は、被告に対し、本件事故による損害賠償として、四四七万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和六〇年一一月二〇日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1(事故の発生)の事実は認める。
2 同2(保険契約)の事実は認める。
3 同3(原告の損害)の事実は否認ないし争う。
4 同4(被告の支払義務)の事実中、被告が、原告の後遺障害を前歯欠損による等級表第一四級二号に該当するにすぎないものと認定し、同級の保険金限度額である七五万円を原告に支払つたものの、咀嚼及び言語の機能の障害については、これを等級表に該当するものと認めず、その余の支払をしていないことは認めるが、その余は否認する。
5 同5(結論)の主張は争う。
第三証拠
証拠関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これをここに引用する。
理由
一 請求原因1(事故の発生)の事実及び同2(保険契約)の事実は当事者間に争いがない。
また、被告が、原告の後遺障害を前歯欠損による等級表第一四級二号に該当するものとして認定して同級の保険金限度額である七五万円を原告に支払つたことは当事者間に争いがない。
二 本件においては、原告の後遺障害が等級表のどの等級に該当するかが争点となつているので、以下、この点について判断する。
1 成立に争いのない甲第二、第三、第七、第八号証、乙第一九ないし第二三号証、第二八、第三二、第三三、第三七号証、証人小出京子の証言により真正に成立したものと認める甲第六、第一一号証、証人望月兵衛の証言により真正に成立したものと認める乙第六号証、証人望月兵衛、同小出京子の各証言によれば、
(一) 原告は、本件事故により、下前歯四本を失い、現在、仮義歯を装着していること、ところが、原告の場合には歯槽骨ないし歯茎の吸収が著しく、歯を失つた部分の歯茎が左右より約五ミルメートル程低くなつているため、仮義歯と歯茎との間に間隙が生じているうえ、仮義歯の装着状態が不安定であるため、食べ物を前歯で食い千切るような食べ方ができず、さ行の発音や英語の発音に支障があるなど、咀嚼及び言語の機能に不自由を感じていること、もつとも、原告は、奥歯は十分に咀嚼できること、
(二) 原告が在籍していた学校の校医で、かねて原告の虫歯の治療にも当たつてきた望月歯科医師は、通常、前歯を四本程度失つた場合、左右の残存する歯を少なくとも各二本ずつ削り、これを支えにして、いわゆるブリツジの方法により義歯を装着することが可能であるが、原告の場合には、前記のとおり、歯槽骨ないし歯茎の呼吸が著しいため、通常よりも高さのある義歯を装着する必要があり、この点において通常の義歯装着よりも技術的な困難を伴うものの、不可能ではなく、その方法によつて義歯を装着した場合、咀嚼及び言語の機能は、事故前の状態と比較すれば、多少の不自由が残るものの、通常の義歯を装着した人の場合と左程変わらない程度には改善されるものと判断していること、
(三) また、日本大学歯科病院の工藤忠男歯科医師は、原告の場合、固定性のブリツジは審美性及び衛生的観点から適応ではない旨判断しているが、固定式でない方法による義歯の装着は可能であると判断しており、さらに、その方法で義歯を装着した場合、必ず咀嚼及び言語の機能が十分に改善されるとの保証まではしなかつたものの、右機能は相当程度改善されるものと判断していること、
(四) 右のように、原告は、義歯の装着が可能であるとはいえ、そのためには、少なくとも左右の歯を各二本ずつ削つてこれを支えにする必要があるため、現在は十分に咀嚼できている奥歯まで悪化する恐れがないか心配するとともに、健康な歯まで削つて治療する以上、確実に機能が回復するものであつて欲しいと希望しており、原告の母である小出京子において、工藤医師に対し、必ず咀嚼及び言語の機能が十分に回復するか否かを尋ねたところ、同医師は、必ず治るとの保証まではしなかつたため、原告としても、いまだに、義歯の装着を決定するには至つていないこと、ただ、今後、必ず治るという保証があれば義歯の装着をする意思があること、
以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる確実な証拠はない。
2 ところで、等級表第九級六号所定の「咀嚼及び言語の機能に障害を残すもの」及び同表第一〇級二号所定の「咀嚼又は言語の機能に障害を残すもの」にいわゆる「咀嚼機能に障害を残すもの」とは、ある程度固形食は摂取できるが、これに制限があつて、咀嚼が十分でないものをいい、また、「言語の機能に障害を残すもの」とは、四種の語音(<1>口唇音〔ま行音、ぱ行音、ば行音、わ行音、ふ〕、<2>歯舌音〔な行音、た行音、だ行音、ら行音、さ行音、しゅ、し、ざ行音、じゅ〕、<3>口蓋音〔か行音、が行音、や行音、ひ、にゅ、ぎゅ、ん〕、<4>喉頭音〔は行音〕)のうち、一種の発音が不能のものをいうものと解するのが相当である。
3 これを本件についてみるに、前示の原告の現在の症状、すなわち、仮義歯を装着しているものの、仮義歯と歯茎との間に間隙が生じているうえ、仮義歯の装着状態が不安定であるため、食べ物を前歯で食い千切るような食べ方ができず、さ行の発音や英語の発音に支障がある状況は、それ自体、いまだ、前示の等級表第九級ないし第一〇級の「咀嚼機能に障害を残すもの」あるいは「言語の機能に障害を残すもの」に該当する程度に至つているものとは認め難いのみならず、原告の歯の欠損部に対しては、技術的な困難は伴うものの、義歯を装着することが可能であり、義歯を装着した場合には、現在よりもなお咀嚼及び言語の機能が改善される見通しである旨の診断を受けていることを勘案すると、その後遺障害の程度は、等級表第九級六号所定の「咀嚼及び言語の機能に障害を残すもの」にも、同表第一〇級二号所定の「咀嚼又は言語の機能に障害を残すもの」にも該当しないものといわざるをえない。
4 そして、そのほか、原告の後遺障害が等級表第一四級を越える等級に該当することを認めるに足りる証拠はないところ、原告が、既に被告から、等級表第一四級の保険金限度額である七五万円を受領したことは前示のとおりであるから、結局、原告の被告に対する本訴請求は理由がないものといわざるをえない。
三 以上によれば、原告の被告に対する本訴請求は、理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 小林和明)