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東京地方裁判所 昭和60年(ワ)14443号 判決 1988年10月27日

第一事件本訴原告、第二事件反訴被告、第三事件原告

林   俊 夫

右訴訟代理人弁護士

佐々木 和 美

反 町 勝 夫

第一事件本訴被告、第二事件反訴原告

伊 東 俊太郎

右訴訟代理人弁護士

小 林   元

大久保 雅 晴

第三事件被告

右代表者法務大臣

林 田 悠紀夫

右指定代理人

伊 藤 正 髙

外四名

主文

一  第一事件本訴原告(第二事件反訴被告)林俊夫の第一事件本訴被告(第二事件反訴原告)伊東俊太郎に対する請求を棄却する。

二  第二事件反訴被告(第一事件本訴原告)林俊夫は、第二事件反訴原告(第一事件本訴被告)伊藤俊太郎に対し、別紙物件目録一記載の土地について、昭和四九年九月三〇日の時効取得を原因とする所有権移転登記手続をせよ。

三  第三事件被告国は、第三事件原告林俊夫に対し、金一一四〇万円及び内金九八〇万円に対する昭和五九年一〇月一日から、内金六〇万円に対する昭和六〇年一一月九日から、内金一〇〇万円に対するこの判決確定の日から、それぞれ支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

四  第三事件原告林俊夫の第三事件被告国に対するその余の請求を棄却する。

五  訴訟費用は、第一事件ないし第三事件を通じて、第一事件本訴原告(第二事件反訴被告、第三事件原告)林俊夫と第一事件本訴被告(第二事件反訴原告)伊藤俊太郎との間においては全部第一事件本訴原告(右同)林俊夫の負担とし、第一事件原告(右同)林俊夫と第三事件被告国との間においては第一事件原告林俊夫(右同)に生じた費用の一〇分の三を同原告(右同)の負担とし同原告(右同)に生じたその余の費用と第三事件被告国に生じた費用は第三事件被告国の負担とする。

六  この判決は、第三項に限り、仮に執行することができる。

ただし、第三事件被告国が金四〇〇万円の担保を供するときは、右仮執行を免れることができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

(第一事件について)

一  請求の趣旨

1 被告伊東は、原告林に対し、別紙物件目録二記載の建物(以下「本件建物」という。)を収去して、同目録一記載の土地(以下「本件甲地」という。)を明け渡せ。

2 訴訟費用は被告伊東の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1 原告林の請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告林の負担とする。

(第二事件について)

一  請求の趣旨

1 主文第二項と同旨

2 訴訟費用は反訴被告(第一事件本訴原告)林の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1 反訴原告(第一事件本訴被告)伊東の請求を棄却する。

2 訴訟費用は反訴原告(第一事件本訴被告)伊東の負担とする。

(第三事件について)

一  請求の趣旨

1 被告国は、原告林に対し、金一五六〇万円及びこれに対する昭和五九年一〇月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2 訴訟費用は被告国の負担とする。

3 仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1 原告林の請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告林の負担とする。

3 担保を条件とする仮執行免脱宣言。

第二  当事者の主張

(第一事件について)

一  請求原因

1 原告林は、昭和四二年四月二六日、相続により本件甲地の所有権を取得した。

2 被告伊東は、昭和五一年六月一六日から本件甲地上に本件建物を建築所有して、本件甲地を占有している。

3 よって、原告林は、被告伊東に対し、所有権に基づき、本件建物を収去して本件甲地を明け渡すことを求める。

二  請求原因に対する認否

1 請求原因1の事実は知らない。

2 同2の事実は認める。ただし、被告伊東が本件甲地の占有を開始したのは、昭和四九年九月三〇日からである。

3 同3は争う。

三  抗弁(取得時効)

1 被告伊東は、昭和四九年九月三〇日から一〇年間、所有の意思をもって平穏かつ公然に本件甲地を占有してきた。

2 被告伊東は、本件甲地の占有を開始するにあたり、後記3記載の事情により、本件甲地が自己の所有に属すると信じ、かつそう信じたことにつき過失がなかった。

3 被告伊東の本件甲地占有開始の経緯及び占有の状況

(一) 被告伊東は、東京大学教養学部の教授であるが、かねて夏期休暇中の著作執筆の場所として適当な別荘地の購入を希望していたところ、昭和四九年五月一〇日頃、被告伊東の妻の出身校である関東学院の教職員厚生会から別荘地の購入を勧誘するパンフレットが自宅に郵送されてきたので、同年六月上旬頃、その販売会社である訴外興和観光土地株式会社(以下「訴外会社」という。)の代表取締役社長杉浦文次郎から別荘地に関する説明を受けた上、同年七月一四日、被告伊東に代わって同人の妻と姉が訴外会社従業員と共に軽井沢町に行き、訴外会社軽井沢管理事務所の土井範幸の案内で別荘地の候補地三か所を見て歩いた結果、本件甲地が別荘地として最適であると判断し、境界石四か所を確認して帰った。

(二) 本件甲地は、別紙図面(長野県北佐久郡軽井沢町大字長倉字鶴溜二一一五番地の一部を表示したもの)(一)上のfile_4.jpgfile_5.jpgfile_6.jpgfile_7.jpgfile_8.jpgの各点を順次直線で結んだ範囲内の土地であるが、その当時、長野地方法務局軽井沢出張所備付の公図(以下「本件公図」という。)及び軽井沢町備付の地図(以下軽井沢町備付の地図を「本件町地図」という。)では、地番は「二一一五番三七五」と表示されていた。

(三) 被告伊東は、本件甲地の購入について検討するため、訴外会社に対し、本件甲地の不動産登記簿謄本と公図を持参するよう依頼したところ、同年八月上旬、訴外会社は、本件甲地の不動産登記簿謄本として、別紙物件目録三記載の土地(以下「本件乙地」という。)の不動産登記簿謄本と、本件甲地について公図に基づいて作成された本件公図と同一図面である本件町地図の写しを被告伊東宅に持参してきたが、被告伊東は、後に軽井沢町からの地図訂正の申入れがあった昭和六〇年八月まで本件町地図が公図であると信じていた。なお、後に判明したところによると、本件乙地は、別紙図面(二)上のfile_9.jpgfile_10.jpgfile_11.jpgfile_12.jpgfile_13.jpgfile_14.jpgfile_15.jpgfile_16.jpgfile_17.jpgfile_18.jpgfile_19.jpgfile_20.jpgfile_21.jpgの各点を順次直線で結んだ範囲内の土地(私道)である。

(四) これは、長野地方法務局軽井沢出張所(以下「軽井沢出張所」という。)が、昭和四一年九月、本件甲地及び本件乙地を含む長野県北佐久郡軽井沢町大字長倉字鶴溜地区の公図を再製した際、本件甲地の地番として「二一一五番三九九」と表示すべきところを、誤って本件乙地の地番である「二一一五番三七五」と表示してしまい、かつ、軽井沢町が右公図に基づいてこれと同一の本件町地図を作成し、同町役場に備え付けておいたためである(なお、軽井沢出張所は、昭和六〇年一〇月二日に、本件公図の訂正処理をした。)。

(五) 被告伊東は、訴外会社から本件甲地の面積が三四六.八〇坪(一一四四.四四平方メートル)であるとの説明を受けたが、見せられた不動産登記簿謄本(本件乙地のもの)では、面積が一一九平方メートル(約三六坪)となっていたので、面積の差異が一〇倍近くある理由について訴外会社に説明を求めたところ、訴外会社から、いわゆる「縄延び」によるものであり、本件甲地の周辺一帯は縄延びが激しい地域で、実際にあった例として、本件土地に近い長野県北佐久郡軽井決町大字長倉字鶴溜二一五五番八八〇の土地は、不動産登記簿上は面積が六八平方メートル(約二〇.六坪)となっているが、実測面積は三五〇坪(一一五五平方メートル)あるという説明を受けた。更に、念のため、訴外会社から本件甲地の実測図を取り寄せた上、被告伊東自身で本件町地図をもとにして地図上の面積を計算したところ、訴外会社の説明とほぼ一致したので納得し、本件町地図上で「二一一五番三七五」と表示されている土地が本件甲地であると信じた。

(六) そこで、被告伊東は、昭和四九年八月二一日、訴外会社との間で、本件町地図上では本件乙地と表示されている本件甲地を代金八〇〇万円で買い受ける旨の売買契約を締結し、代金を次のとおり訴外会社に支払った。

(1) 昭和四九年八月二一日 金四〇〇万円

(2) 同年九月二八日 金三〇〇万円

(3) 同年同月三〇日 金一〇〇万円

(七) 被告伊東は、同年八月二一日、訴外会社に対し、本件甲地に接する幅四メートルの道路の開設と本件甲地の土盛り、木の伐採、草むしりを依頼し、その後、訴外会社から受領した本件甲地の実測図をもとにして、被告伊東の妻が右道路の開設、整地、土盛りの完了を現地で確認した。

(八) 被告伊東は、同年九月二八日、本件甲地について所有権移転登記をするつもりで、本件乙地について所有権移転登記を経由した。

(九) そして、被告伊東は、同年九月三〇日頃、訴外会社軽井沢管理事務所の土井範幸にその後の本件甲地の管理を委任し、本件甲地に被告伊東の所有を表示する被告伊東の名前入りの立看板を立てさせた。

(一〇) 被告伊東は、昭和五一年六月一六日、本件甲地上に本件建物を建築所有し、以後本件甲地及び本件建物を別荘として使用している。

4 被告伊東は、本訴において右取得時効を援用する。

四  抗弁に対する認否及び反論

1(一) 抗弁1の事実中、被告伊藤が昭和五一年六月一六日以降本件甲地を占有していることは認めるが、その余は否認する。

(二) 同2の事実は否認する。

(三) 同3の各事実中、軽井沢出張所が、昭和四一年九月、本件公図を再製した際、本件甲地の地番を誤記入したこと、被告伊東が、昭和四九年九月二八日、本件乙地について所有権移転登記を経由し、昭和五一年六月一六日、本件甲地上に本件建物を建築所有して、本件甲地を占有していること、また、軽井沢出張所が、昭和六〇年一〇月二日に、本件公図の訂正処理をしたことは、いずれも認めるが、その余はすべて知らない。

2 被告伊東が本件甲地を訴外会社から購入した際、本件甲地を本件乙地と誤信し両者を取り違えたことについては、被告伊東に過失があった。すなわち、

(一) 縄延びにはおのずから限度があり、被告伊東の主張のように実測面積が不動産登記簿上の面積の約一〇倍にも及ぶ場合には不動産登記簿上の土地と現地との同一性に疑問を持ち、然るべき官公署に照会、確認の上で売買契約を締結すべきであった。とりわけ、本件甲地及びその周辺は、被告伊東が購入した昭和四九年当時別荘地として区画整理をし業者が分譲していたところであるから、桁外れの縄延びはあり得ない土地であった。しかも、一筆の土地だけが極端に面積が増えるということはあり得ず、当然隣接地もそれに近い倍率で縄延びしているのが通常であるから、被告伊東は、土地の購入に際し、管轄法務局である軽井沢出張所に対し、右の異常な誤差を報告し、また、隣接地の縄延び率を確認するなどして、それが縄延びによるものか、土地の不一致によるものかを調査すべきであったのに、訴外会社の説明を軽信して、右調査を怠った。

(二) 被告伊東が訴外会社から受け取ったという図面によれば、本件甲地に該当する部分には、「御買上済土佐喜三郎様」と書かれており、その上から「土佐喜三郎様」の部分が横線で抹消されて、「御買上済」の部分のみがそのままになっているところ、付近の土地のうち本件甲地の部分だけにこのような不自然な記入がなされているのであるから、被告伊東は、本件甲地の所有関係について調査すべきであったのに、これを怠った。

(三) 一般に土地を購入する際に、買主は、隣接道路の所有関係等について調査すべきであり、本件において、被告伊東が右調査をすれば、不動産登記簿上の本件乙地が本件甲地の隣接道路であることが判明したはずである。しかるに、被告伊東は右調査を怠った。

(第二事件について)

一  請求原因

第一事件三抗弁(取得時効)記載の事実と同旨

よって、反訴原告(被告伊東)は、反訴被告(原告林)に対し、所有権に基づき、本件甲地について、昭和四九年九月三〇日の時効取得を原因とする所有権移転登記手続を求める。

二  請求原因に対する認否

第一事件四抗弁に対する認否及び反論記載の事実と同旨

(第三事件について)

一  請求原因

1 原告林は、昭和四二年四月二六日、相続により本件甲地の所有権を取得した。

2 原告の損害

(一) 原告の本件甲地の所有権喪失

第一事件三抗弁(取得時効)記載の事実のとおりであって、被告伊東の取得時効の完成により、原告林は、本件甲地の所有権を喪失した。

(二) 損害額

(1) 本件甲地の実測面積は一一五五平方メートル(三五〇坪)であり、被告伊東の取得時効完成時である昭和五九年一〇月一日の時点における本件甲地の一坪あたりの価格は四万円を下らないから、本件甲地の右当時の価格は金一四〇〇万円を下らない。

(2) 原告林は、本件訴訟の遂行を弁護士佐々木和美及び同反町勝夫に委任し、着手金として金六〇万円を支払い、かつ成功報酬として金一〇〇万円を支払うことを約した。

(3) 従って、原告林は、右(1)、(2)の合計金一五六〇万円と同額の損害を被った。

3 被告国の責任(登記官の過失)

(一) 本件甲地及び本件乙地付近の土地の分筆の経過

(1) 本件甲地及び本件乙地付近の土地(長野県北佐久郡軽井沢町大字長倉字鶴溜二一一五番の土地)は、昭和三一年九月六日、二一一五番一三五の土地が同番一三五、同番三七三、同番三七四及び同番三七五(本件乙地)の四筆に分筆され(本件乙地は、他の右三筆の土地及び同番三六六の土地の四筆の土地の間の道路部分として分筆された。)、次いで、同年一〇月一日、右二一一五番三七四の土地が、更に同番三七四及び同番三九九(本件甲地)の二筆に分筆された。

(2) ところで、昭和三一年九月六日に本件乙地が分筆された際、分筆申告書添付地形図上は、二一一五番三七五の地番は該当道路部分に記載されているのに対し、旧公図上は、右道路部分から棒線を引き、その後に分筆されることとなる本件甲地に該当する部分に、本件乙地の地番の地番を省略した三七五という枝番が記載された。その後、同年一〇月一日に本件甲地が分筆された際、分筆申告書添付地形図上は、二一一五番三九九の地番は該当土地上に正しく記載されているのに対し、旧公図上は、右該当土地上には既に本件乙地の地番の枝番である三七五という記載があったため、右該当土地から棒線を引き、本件甲地の南側の二一一五番一一の地番の該当土地上に本件甲地の地番の枝番である三九九という数字を記入して表示された。ところが、昭和三二年八月二一日に同番一一の土地が同番一一及び同番四九二ないし五二二に分筆された際、その分割線及び地番を別の用紙に記入してこれを旧公図の右該当土地上に貼付(「浮貼」という。)するという方法が取られたため、先に右同番一一の該当土地上に記載されていた本件甲地の地番の枝番である三九九という数字は、右貼付された用紙の下に隠れてしまい、その状態のまま放置された。

(3) 従って、このような分筆の経過からすれば、本件誤記の原因は、専ら被告国が、旧公図上において本件甲地に該当する部分に三九九の地番を記載せず、右該当部分の地番があたかも三七五であるように表示し、これを昭和四一年九月の再製時まで訂正せずにそのまま放したことによるものである。

(二) 本件公図作成上の過失

被告国の機関である軽井沢出張所は、昭和四一年九月、本件公図を再製したが、その際、軽井沢出張所登記官は、本件甲地の地番として「二一一五番三九九」と表示すべきところを、前記(一)の分筆時における旧公図上の記入の不適切さのため誤って隣接道路部分の本件乙地の地番である「二一一五番三七五」と表示してしまった。しかも、軽井沢出張所登記官は、職権で右誤記を訂正すべき義務があるのにこれを怠り、昭和六〇年一〇月二日まで右訂正をせずにこれを放置した。

(三) 旧公図と本件公図の照合義務違反及び訂正通知義務違反

仮に、本件公図再製の作業が軽井沢町によって行われたとしても、その原因は旧公図上本件甲地の地番があたかも二一一五番三七五であるかのような表示がなされ、それが軽井沢出張所により放置されていたことによるものであるのみならず、公図の本質上その作成主体は国であるというべきであるから、軽井沢出張所登記官は、本件公図を軽井沢町から交付されたとすればその時点以降において、本件公図が不動産登記簿の記載あるいは旧公図と一致しているか否かを調査すべきであり、その結果、本件公図に誤記のあることを発見した場合には、職権でその訂正をするとともに、誤記及びその訂正内容を軽井沢町に通知すべき義務があった。しかるに、軽井沢出張所登記官は、調査すれば発見し得たであろう本件公図上の本件甲地の地番表示の誤りを右調査義務を怠ったため発見し得ず、また、その訂正及び軽井沢町への訂正の通知もせず放置した。

4 本件町地図の作成経緯及び相当因果関係

(一) 市町村は、当該市町村の定めるところにより、地籍図、土地使用図、土譲分類図、家屋見取図、固定資産売買記録簿、その他固定資産の評価に関して必要な資料を備えて逐次これを整えなければならず(地方税法三八〇条二項)、自治大臣は、右資料及び固定資産税の統計を作成すための標準様式を定めてこれを市町村長に示さなければならない(同法三八八条二項)とされており、右地籍図の作成様式については、不動産登記法一七条所定の地図と同一様式によるものとされているところ、右一七条地図が整備されていない地域では、土地台帳附属地図、すなわち、公図をそのまま使用する旨の経過的取扱がなされている。そのため、右一七条地図が整備されていない地域においては、市町村備付の地図は、登記所から公図の写しを入手しそれと同一の図面を作成するという方法で運用されている。したがって、公図の再製等の手続を市町村の方が先行して行うということはあり得ず、これは軽井沢町においても同様である。すなわち、被告伊東が本件甲地を買い受けた際に見た本件町地図の写しの原本は、軽井沢出張所に備え付けられていた本件公図に基づいて軽井沢町が作成したものであるから、もし軽井沢出張所登記官に前記(3)(二)記載の過失がなければ、本件公図と同一の図面である本件町地図に本件誤記がなされなかったはずずであり、本件誤記がなければ、被告伊東は本件甲地を買い受けることもなく、これを時効取得しなかったであろうことは明らかである。従って、軽井沢出張所登記官の前記(3)(二)記載の過失と原告林の被った前記2記載の損害との間には相当因果関係がある。

(二) 仮に、本件公図が軽井沢町によって作成されたとしても、本件公図と本件町地図とは同一の図面であるから、もし軽井沢出張所の登記官に前記3(三)記載の過失がなければ、被告伊東が本件町地図の写しを見た時点までに本件誤記は軽井沢町によって訂正されていたはずであり、そうであるとすれば、被告伊東が本件甲地を時効取得しなかったであろうことは明らかである。従って、軽井沢出張所登記官の前記3(三)記載の過失と原告林が被った前記2記載の損害との間には相当因果関係がある。

5 よって、原告林は、被告国に対し、国家賠償法一条による損害賠償請求権に基づき、損害金一五六〇万円及びこれに対する右損害発生の日である昭和五九年一〇月一日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否及び反論

1 認否

(一) 請求原因1の事実は知らない。

(二) 同2(一)の各事実中、本件甲地上に本件建物が存在することは認めるが、その余は知らない。

(三) 同2(二)の各事実はいずれも争う。

(四) 同3(一)の(1)、(2)の各事実はいずれも認めるが、(3)は争う。

公図における地番の記入方法につき、該当土地が狭小で地番の記入が困難なものについては、該当土地外に地番を記載し、それと該当土地とを棒線で結ぶなどの適宜の方法によって地番を表示することは何ら誤りではなく、むしろ該当土地内に記入できない以上、右のような方法によらざるを得ない。本件の旧公図上においては、本件甲地及び本件乙地の地番は、いずれも該当土地内に記載されておらず、かつ、本件甲地についてはその地番の記載がその後その上に貼付された紙によって隠れた状態になったまま放置されていたことの不備は認められるものの、少なくとも本件乙地については棒線によって、三七五という地番に該当する土地が本件乙地であることが判読できるよう表示されており、本件甲地については、その地番を表示するための棒線が本件甲地から南側にかけて表示されており、慎重に判読すれば本件甲地上に記入された三七五の表示は本件甲地の地番ではなく、本件甲地の地番は別にあることに容易に気付き得たはずである。したがって、旧公図上の本件甲地及び本件乙地の地番の表示に誤りがあるとはいえない。

(五) 同3(二)の事実中、軽井沢出張所が昭和四一年九月に本件公図を再製したこと、その際、本件公図上の本件甲地の地番を「二一一五番三九九」と表示すべきところを、「二一一五番三七五」と表示したこと、軽井沢出張所が昭和六〇年一〇月二日に本件公図の訂正処理をしたことはいずれも認めるが、その余は争う。本件公図は、後記のとおり軽井沢町の協力により、軽井沢町が旧公図をもとに町地図を作成した機会に町地図と同一の地図を軽井沢出張所に提供を受け、これを本件公図として備え付けたものと認められるから、町地図及び本件公図上の本件甲地の地番の表示の誤りは、町地図再製の際に旧公図の判読を誤ったために生じたものと考えられる。

(六) 同3の(三)及び同4、5の各主張はいずれも争う。

2 被告国の反論

(一) 損害の不存在

被告伊東には、本件甲地の占有を開始するに当たり、本件甲地が自己の所有に属すると信じたことにつき過失があった。

すなわち、被告伊東は、本件甲地の売買契約に当たり、登記所の公図を閲覧せず、軽井沢町役場備付の本件町地図のみを見たのであるから、公図を閲覧した者にもまして慎重な調査を要したと言うべきところ、本件乙地の不動産登記簿謄本上の面積と本件甲地の実測面積とが著しく違うことに疑問を抱きながら訴外会社の縄延びの説明を安易に信用した。のみならず、被告伊東が訴外会社から交付された図面には本件甲地を訴外土佐喜三郎なる人物に売却した事実を示す記載があるのに、本件乙地の不動産登記簿謄本を見ても同人名義の登記が見当たらず、同人に対する売却の顛末が不明であること、本件町地図上では本件甲地に隣接する道路状の本件乙地の部分に地番の表示がないことからも疑問は一層強まったはずであり、この疑問を解明するため、本件売買契約の取引当事者として、本件甲地、本件乙地及びその近隣の土地の分筆の経過や分筆の際に登記所に提出された地形図を調査し、あるいは、不動産登記簿等によって把握し得る近隣の土地所有者や本件乙地の旧所有者らに照会したり、更には、訴外会社に対し、前記図面の記載の趣旨を問い質すべきであったのであり、そうしていれば、本件乙地が本件甲地に近隣する道路部分の土地であることを容易に確認できたはずである。

従って、被告伊東は、本件甲地の所有権を時効取得できないから、原告林には、所有権喪失の損害は発生しない。

(二) 登記官の過失の不存在

(1) 公図及び市町村備付地図の沿革並びに両者の関連性

ア 現在登記所に備え付けられている公図は、地租徴収の資料とするために編製された沿革を有する土地台帳附属地図を承継したものである。

すなわち、明治初年地券交付の際に地引絵図が作成され、明治六年地租改正に伴い野取図(改租図)が作成されたが、当初編製された地図はその精度が低いため地図を更正することが心要となり、明治二〇年六月二〇日大蔵大臣内訓「地図更正ノ件」、「町村地図調整式及更正手続」により更正図が作成され、右更正図は、その後土地台帳規則(明治二二年勅令第三九号)の制定に伴い土地台帳と共に郡役所(後には府県収税部出張所)において管理されていた。その後土地台帳は、地租法(昭和六年法律第二八号)施行後は税務署に備え付けられることになったが、同法には地図に関する定めはなく、事務処理上土地台帳附属地図として取り扱われた。その後、昭和二二年法律第三〇号をもって土地台帳法が施行され、昭和二五年七月三一日法律第二二七号土地台帳法等の一部を改正する法律により、土地台帳と同附属地図は税務署から登記所に移管された。右改正に伴い制定された土地台帳法施行細則(昭和二五年七月三一日法務府令第八八号)には、土地の区画及び地番を明らかにするための地図を登記所に備えることが定められていた(同細則二条)が、その地図について税務署から引き継いだ地図をもって当てるとの規定は存しなかったものの、税務署から引き継いだ地図を同細則二条の土地台帳附属地図として取り扱っていた(昭和二五年七月三一日民事甲第二一一一号法務省民事局長通達第一の一八)。そして、土地台帳法は、不動産登記法の一部を改正する等の法律(昭和三五年法律第一四号)二条により廃止された(軽井沢出張所では昭和四〇年一月一日から廃止を適用。)が、一般に公図と呼ばれる土地台帳附属地図は、土地台帳法施行細則二条所定の地図であって、不動産登記法一七条所定の地図には該当しないが、これが整備されるまでの間、便宜従来どおり閲覧に供する取扱がなされることとなった(昭和三七年一〇月八日民事甲第二八八五号法務省民事局長通達)。そして、いわゆる公図は、地租徴収を目的として作成されたという沿革的な理由からしても、現地復元性といったことには重点が置かれておらず、地図としての精度は高くないのであり、土地の位置関係や形状、広狭等を知るための、あくまで参考資料として閲覧に供されているに過ぎない。

イ 一方、市町村に地図を備え付けることについては、明治二〇年の前記大蔵大臣内訓により定められていたが、昭和二五年七月三一日法律二二六号による地方税法の施行により、固定資産税が市町村税とされたことから、固定資産の評価に関して必要な資料の一部として、市町村の条例の定めるところにより地籍図を備えることとなった(同法三八〇条)。

ウ 従って、地方税法施行後市町村備付の地図は、地方税法にその法的根拠があるが、登記所備付の公図は、土地台帳法の廃止後法的根拠を失い、いわば行政サービスとして閲覧に供されているに過ぎない。両者は法的に関連性がなく、前者の地図は、本来市町村が独自の権限と責任により作成するものであって、公図と同一の地図をもってこれに充てたり、公図をもとにして作成するといった法令上の定めはなく、市町村がその地図の作成にあたっていかなる資料を利用するかは、専らその判断に委ねられているのである。

(2) 本件公図及び本件町地図作成の経緯と登記官の過失の不存在

本件公図が再製される前の旧公図は、前記大蔵大臣内訓「地図更正ノ件」により明治二八年二月に六〇〇〇分の一の縮尺で調製されたものであり、これを昭和四一年九月縮尺を三〇〇〇分の一に改めて再製したものが本件公図であるが、再製の際に地番の記載を誤ったものである。そして、本件公図と同じ頃に作成されたと思われる本件町地図にも本件公図と同一の誤りが存したところ、このように地番の記載に同一の誤りを持つ二通の地図が作成された経緯、原因はつまびらかでないが、本件公図が再製された昭和四一年度の軽井沢出張所備付の地図に関しては、再製による補修は全く計画されておらず、予算の支出もなかったことからすれば、本件町地図が、本件公図に基づいて作成されたものとはにわかに考えられず、むしろ旧公図に基づいて軽井沢町が町地図を作成しその際本件甲地の地番の表示を誤ったものであって、その機会に右町地図と同一の地図が軽井沢町から登記所に提供され、登記所がこれを再製公図(本件公図)として備え付けたものと推認できるから、本件町地図の不備は本件公図に起因するものではない。

そして、前記のとおり、登記所備付の地図と市町村備付地図とは法的に関連性がなく、後者の地図は、市町村が地方税法三八〇条二項に基づいて独自の権限と責任で作成し備え付けるものであり、同法三八二条一項によれば、土地の表示に関する登記事項に異動があったときは、登記所はその旨を市町村長に通知すべきものと定められているが、登記所備付地図の修正に関しては、その修正内容を市町村に通知すべきことを定めた規定はなく、ただ登記所では、分・合筆等の登記がなされたときに、登記官の判断により分・合筆線を記載した地形図もしくは地積測量図の写しを異動通知に添付するなどして、市町村備付地図の修正の便宜を図るという程度の事実上の協力関係があるに過ぎない。

従って、本件公図が再製、備付された後に、軽井沢町が本件公図と本件町地図とを照合したとの事実もない本件においては、本件公図の過誤についてはともかく、本件町地図の誤りについてまで登記官がその責任を負ういわれはなく、仮に本件公図の誤りを修正したからといって、市町村備付地図の修正の便宜を図るためその修正内容を必ず市町村に通知しなければならないという法律上の義務はないから、いずれにせよ登記官が本件町地図の誤りについてまで責任を負うことはない。

(三) 相当因果関係の不存在

(1) 原告林の過失

もし、原告林が、本件甲地の所有者として当然なすべき管理を怠らなければ、被告伊東が現地を調査した際、容易に原告林が本件甲地を管理している事実に気付き、本件甲地が原告林の所有であることを察知して本件売買そのものを未然に回避できたはずであるし、また、被告伊東が事前に原告林の所有であることに気付かず、一旦本件甲地の占有を開始したとしても、原告林において直ちに被告伊東の占有を察知してこれを排除し、あるいは、時効中断の法的手段を講じることができたはずである。

従って、原告林の所有権喪失は、専ら右過失に起因するものであるから、登記官に過失があるとしても、これと原告林の右損害との間には相当因果関係はない。

(2) 訴外会社による二重譲渡

訴外会社の本件売買契約当時の代表者であり契約に直接関与した訴外杉浦文次郎は、先に本件甲地を訴外土佐喜三郎に譲渡していたのであり、訴外会社は、本件売買契約当時分譲区画図等訴外会社の内部資料からその事実を知りながら、本件町地図の地番の記載の過誤を奇貨として、本件甲地を被告伊東に売却したものと推認されるところ、かかる地図上の地番の記載に過誤があれば、訴外会社が、これに乗じて本件甲地を実質的に二重に譲渡するような行為にでることが、通常の事象であるとは経験則上も到底認め得ないから、本件町地図の過誤ひいては本件公図の過誤と原告林の損害との間には相当因果関係はない。

(3) 本件公図の不備と本件町地図の不備の関係

本件甲地を買い受けるに当たって被告伊東が見たのは本件公図ではなく、本件町地図であり、しかも、前記(二)のとおり、本件町地図が本件公図に基づいて作成されたものとはいえず(むしろ旧公図に基づいて作成されその際旧公図の判読を誤ったと推認すべきこと前記のとおり。)、かつ本件町地図が是正されずに放置されていたことが本件公図の不備に起因するともいえないから、本件公図の不備と原告林の損害との間には、自然的因果関係すらないというべきである。仮に本件町地図の不備が是正されずに放置されていたことが本件公図ないし旧公図の不備に起因するとしても、前記(二)のとおり登記所備付の地図と市町村備付地図とは法的関連性がなく、後者は市町村が独自の権限と責任において備え付けるもので、その誤りを回避、是正するのも専ら当該市町村の責務であり、仮に登記所がその備付地図を修正した場合にも市町村に対し修正内容を通知すべき義務はないから、本件公図の不備と原告林の損害との間には相当因果関係がない。

三  抗弁(過失相殺)

仮に、被告国に損害賠償責任があるとしても、原告林にも前記二、2、(三)、(1)記載の過失があるから、損害賠償の認定に当たり、これを斟酌すべきである。

四  被告国の反論及び抗弁に対する認否及び反論

1 前記二、2の被告国の反論(一)ないし(三)の各主張は、いずれも争う。

なお、同(三)、(3)の事実中、本件甲地を買い受けるに当って、被告伊東が見たのは本件公図ではなく本件町地図であることは認めるが、その当時軽井沢出張所においては公図の謄写ができなかったのに対し、軽井沢町役場においては町地図の謄写が可能であったので、訴外会社は、被告伊東の公図持参の要求に応じるため、訴外土井範幸が軽井沢町役場において本件町地図を謄写し、その後軽井沢出張所において右謄写した本件町地図の写しと本件公図とを照合し、本件甲地周辺の地番等につき両地図が合致していることを確認した上で、被告伊東に対し、本件町地図の写しを本件公図の写しである旨述べて交付したものであるから、被告伊東は、訴外土井範幸を介して、本件公図と本件町地図とを照合したものというべきである。

2 抗弁の主張事実は争う。

一般に、土地所有者には、時効取得者以外の第三者との関係において、他人の占有を排除するため、あるいは他人に時効取得されないために、自己所有の土地を管理すべき法律上の義務はない。まして、本件甲地は原告林が相続によって取得した別荘地であるため、常に管理をし自己の土地が第三者に侵害されていないかどうかを調査しなければならないとすることは、甚だ無理を強いることとなり、原告林が右管理を怠ったからといって過失を認めることはできない。

第三  証拠<省略>

理由

(第一、第二事件について)

一第一事件の請求原因について

1  <証拠>並びに第一、第三事件原告兼第二事件反訴被告(以下「原告」という。)林本人尋問の結果によれば、原告林は、昭和四二年四月二六日相続により本件甲地の所有権を取得したことが認められ、この認定に反する証拠はない。

2  第一事件被告兼第二事件反訴原告(以下「被告」という。)伊東が昭和五一年六月一六日から本件甲地上に本件建物を建築所有して、遅くとも右時点から本件甲地を占有していることは、両当事者間に争いがない。

二第一事件の抗弁及び第二事件の請求原因について

1  <証拠>によれば、第一事件の抗弁(取得時効)3記載の事実中、(一)、(六)ないし(九)の各事実(すなわち、被告伊東が訴外会社から本件甲地を別荘地として購入することを決心するに至った経緯、昭和四九年八月二一日訴外会社との間で本件甲地を代金八〇〇万円で買い受ける売買契約を結び、同年九月三〇日までに代金を完済した事実、同年八月二一日訴外会社に本件甲地の土盛り、草むしり、通路開設等の管理を依頼し、その後被告伊東の妻がその結果を現地において確認した事実、被告伊東が同年九月二八日本件甲地について所有権移転登記をするつもりで、本件乙地を表示した土地について所有権移転登記を経由した事実(ただし、被告伊東の右所有権移転登記経由の外形的事実は当事者間に争いがない。)、被告伊東は、その頃訴外会社軽井沢管理事務所駐在の土井範幸に本件甲地の日常管理を依頼し、同人の手により遅くとも同年九月三〇日には本件甲地上に被告伊東の所有を表示する被告伊東の名前入りの立看板が立てられた事実)を認めることができ、右認定に反する証拠はない。

これらの各事実と被告伊東が昭和五一年六月一六日から本件甲地上に本件建物を建築所有して本件甲地を占有している前記争いのない事実を合わせれば、被告伊東は、昭和四九年九月三〇日以降一〇年間所有の意思をもって平穏かつ公然に本件甲地を占有してきたもの(抗弁1の事実)と認められる。

2  そこで、被告伊東が本件甲地の占有を開始するに当たり、本件甲地が自己の所有に属すると信じたことにつき過失がなかった(抗弁2及び3)か否かについて検討する。

(一)  前記認定の各事実に加えて、<証拠>によれば、以下の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

(1) 被告伊東は、東京大学教養学部の教授で科学史と科学哲学を専攻する者であるが、これまで不動産関係の仕事に従事したことは全くなく、一方、訴外会社は、土地建物の取引業等を目的とする会社であること。

(2) 被告伊東は、本件甲地の売買契約を締結するに当たり、訴外会社に対し、公図及び本件甲地の不動産登記簿謄本を持ってくるよう要求したところ、訴外会社は、軽井沢町長の認証印のある本件町地図と本件乙地の不動産登記簿謄本を持ってきたこと。

(3) 本件甲地及び本件乙地の所在地は、いずれも長野県北佐久郡軽井沢町大字長倉字鶴溜であるが、本件甲地は、別紙図面(一)上のfile_22.jpgfile_23.jpgfile_24.jpgfile_25.jpgfile_26.jpgの各点を順次直線で結んだ範囲内の土地(赤斜線部分)で、その地番は二一一五番三九九であり、本件乙地は、別紙図面(二)上のfile_27.jpgfile_28.jpgfile_29.jpgfile_30.jpgfile_31.jpgfile_32.jpgfile_33.jpgfile_34.jpgfile_35.jpgfile_36.jpgfile_37.jpgfile_38.jpgfile_39.jpgの各点を順次直線で結んだ範囲内の土地(青斜線部分)で、その地番は同番三七五であるところ、本件公図(前掲丙第一号証の一、二)及び本件町地図(前掲乙第五、第六号証)上では、いづれも本件甲地に相当する部分の地番は、本件乙地の地番である「二一一五番三七五」と表示されており、本件乙地に相当する部分には何ら地番表示がなされていなかったこと(なお、原告林は、後に昭和六〇年八月三〇日軽井沢出張所に対し、本件公図上の本件甲地の地番表示を「二一一五番三七五」から「二一一五番三九九」に訂正し、かつ本件乙地に相当する部分の地番を「二一一五番三七五」と表示するよう申し出たところ、当事者間に争いがない事実として、軽井沢出張所は、同年一〇月二日、右申出のとおり本件公図の訂正処理をしたこと)。

(4) 被告伊東は、訴外会社から本件甲地の面積は三四六.八〇坪(一一四四.四四平方メートル)であると聞いていたが、本件乙地の不動産登記簿謄本では地積が一一九平方メートル(約三六坪)となっていることに疑問を抱き、面積の差異が一〇倍近くもある理由について訴外会社に説明を求めたところ、訴外会社、右の差異は土地の分筆の過程で生じたいわゆる縄延びによるものであり、現に、本件甲地付近に実測面積が不動産登記簿上の面積の一〇倍以上となっている土地の実例があることなどを説明したこと。

(5) 被告伊東は、更に、自ら本件町地図上における本件甲地の縮尺面積を実際の面積にひきなおして拡大計測したところ、本件甲地の実測面積である三四六.八〇坪にほぼ一致する三五〇坪という数値を得て、本件甲地の実測面積と不動産登記簿謄本上の面積の差異について納得したこと。

(6) 被告伊東は、縄延びという言葉も知らず、また不動産に関する専門的知識も有していなかったが、前記のとおり本件町地図上における本件甲地の地番と本件乙地の不動産登記簿謄本上の地番とが一致し、更に、本件町地図から算出した本件甲地の面積がその実測面積とほぼ一致したことから、本件町地図上で「二一一五番三七五」と地番表示されている土地が本件甲地であると信じたこと。

(7) 被告伊東は、本件売買契約当時、本件町地図と法務局備付の公図との違いについては認識していなかったが、軽井沢町長という公的機関の長が土地図面の原本と相違ないことを証明している地図であれば間違いがないと信頼し、本件町地図上の本件甲地の地番表示が誤っているとは思い及ばなかったこと。

(8) 本件売買契約当時、本件乙地は、草木が生い茂っていて殆ど歩けるような状態ではなく、道路状をなしていなかったことから、本件甲地と本件乙地の識別は、外観上明確ではなかったこと。

(二)  右の各事実及び弁論の全趣旨を総合すれば、被告伊東は、不動産売買について特段の知識を有してはいなかったものの、本件甲地の売買契約にあたり不動産取引業者たる訴外会社の説明を鵜呑みにしたわけではなく、現地を見分し、訴外会社に対し公図及び不動産登記簿謄本の交付を要求し、訴外会社が持参した本件町地図や不動産登記簿謄本といった公簿を確認した上、本件甲地の実測面積と本件乙地の不動産登記簿謄本上の地積との差が一〇倍近くもあることに当然ながら疑問を抱き、これを訴外会社に問い質すなどの手段を講じているのみならず、およそ町長の認証印のある公的図面における地番の表示に誤りがあるとは通常人として思い及ばないことは当然というべきであるから、たとえ、被告伊東において、本件甲地の隣接地の縄延び率やその所有関係並びに本件甲地及びその周辺の土地の分筆の経緯や分筆の際に法務局に提出された地形図ないし隣接道路の関係を調査せず、また、訴外会社から交付された図面(前掲乙第七号証)には、本件甲地に該当する部分に「御買上済土佐喜三郎様」という記載があり、その上から「土佐喜三郎様」の部分が横線で抹消されて、「御買上済」の部分のみがそのまま残されていたのにその趣旨を訴外会社に尋ねなかったとしても、被告伊東が、訴外会社から本件甲地の譲渡を受けた際、右の本件売買契約により有効に本件甲地の所有権を取得したと信じたことには相当の理由があったものというべきであり、したがって被告伊東には本件甲地の占有を開始するに当たり、本件甲地が自己の所有に属すると信じたことにつき過失はなかったものと認めるのが相当である。

ところで、被告伊東は、前記のとおり本件町地図と法務局備付の公図との違いを知らず、本件公図を閲覧してはいなかったのであるが、前記認定のとおり、本件公図上の本件甲地の地番表示も本件町地図同様誤っていたのであるから、仮に被告伊東が本件公図を閲覧したとしても、本件甲地が売買の対象であることに疑念の生ずる余地はなかったものと考えられるから、被告伊東が本件公図を閲覧しなかった事実は、同被告に過失はなかったとする前記認定を左右するものではない。

3  被告伊東が本訴において右取得時効を援用していること(抗弁4)は、当裁判所に顕著である。

4  以上によれば、被告伊東は、右一〇年の取得時効により、昭和四九年九月三〇日、本件甲地の所有権を取得したものであって、これにより原告林は本件甲地の所有権を喪失したものと認めるのが相当であり、原告林は被告伊東に対し、本件甲地について右時効取得を原因とする所有権移転登記手続をすべき義務がある。

三したがって、第一事件については、結局被告伊東の抗弁が理由があることになるから原告林の請求はその理由がないことになり、第二事件については、被告伊東の請求原因はその理由があることになる。

(第三事件について)

一請求原因1(原告林の本件甲地の相続)の事実については、「(第一、第二事件について)」一の1に認定したとおりである。

二請求原因2の(一)(被告伊東の時効取得による原告林の所有権喪失)の事実については、「(第一、第二事件について)」二に認定したとおりである。

三請求原因3(被告国の責任)について

まず、被告国の責任(登記官の過失)の有無について検討する。

1  本件公図及び本件町地図の作成経緯と本件誤記の原因

(一)  請求原因3(一)のうち、(1)、(2)の各事実(本件甲地及び本件乙地付近の土地の分筆の経過と旧公図上の分筆記入の方法)は、いずれも両当事者間に争いがない。

ところで、<証拠>によれば、なるほど、旧公図上において、本件乙地とその地番の枝番である三七五の記載との間に棒線が引かれていること、本件甲地については、その地番である三九九の記載は、その上に貼付された用紙によって隠れてしまい、ただ、本件甲地と三九九の記載を結ぶ棒線だけが残って見える状態になっていること、そして、右三九九の記載は、裏側からライトで照らし透かして見るような方法によらなければ、これを判読することは難しいこと、また、元番(二一一五番)に対して枝番であることを示すための棒線が土地の境界近くから引かれている箇所もあること、軽井沢出張所が昭和四一年九月に本件公図を再製したことは当事者間に争いがないところ、当時の拡大再製の方法としては、原図をマイクロフィルムに撮影してその印画紙を拡大しトレースする方法は一般的にはとられておらず、むしろ原図にトレーシングペーパーを重ねて手写ししたものを写真化し拡大再製するのが一般的であったことが認められ、これらの事実と前掲丙第一八号証並びに弁論の全趣旨を総合すると、公図上において、該当土地外に地番の記載をしそれと該当土地とを棒線で結ぶという地番記入の方法それ自体は誤りとはいえないものの、本件おいては、旧公図を閲覧又は再製のためにトレーシングペーパーを重ねて手写しする場合に、旧公図上の本件乙地と三七五という枝番の記載を結ぶ棒線の存在を見落さずに、右三七五が本件乙地の地番(枝番)であり本件甲地の地番(枝番)ではないことを識別することは、容易ではなかったものといわざるを得ず、まして用紙の下に隠れた三九九の記載が本件甲地の地番(枝番)であることを認識することは、かなり困難であったものと認めるのが相当である。

(二)  ところで、軽井沢出張所が昭和四一年九月に本件公図を再製した際、本件公図上の本件甲地の地番を「二一一五番三九九」と表示すべきところを、「二一一五番三七五」と表示したことについてはいずれも当事者間に争いのないところ、この事実に加えて、<証拠>によれば、以下の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

(1)本件公図は、昭和四一年九月、縮尺六〇〇〇分の一の旧公図に基づき三〇〇〇分の一の縮尺で再製されたが、本件町地図もまた同年同月、三〇〇〇分の一の縮尺で作成されたこと。

(2) 長野地方法務局登記課長は、同年七月五日付で、「地図の復製について」と題する文書を管内支局長及び同出張所長宛に送付し、裏打補修(地図の裏張りを修復して行う補修)及び再製補修(地図を再度作成して行う補修)を要する地図があるか否かを照会したこと。

(3) 裏打補修は、本局において管内全部の地図を取り纒めて実施するものとされ、再製補修には、登記所備付の地図によって再製する場合には、本局において管内全部の地図を取り纒めて実施するが、市町村備付の地図によって再製する場合及び実測により新たに作成する場合には、いずれもその経費を計上するものとされていたこと。

(4) 再製補修の実施庁の指定は、各登記所からの計画上申に基づき、予算の範囲内で行われていたが、長野地方法務局会計課長及び同登記課長は、同年九月二四日付で、「土地台帳附属地図の補修について」と題する文書を土地台帳附属地図補修実施庁宛送付し、土地台帳附属地図の補修実施要領を示した。これによれば、市町村備付の地図により再製補修を実施する庁の中に軽井沢出張所は入っていなかったこと。

(5) 長野地方法務局の昭和四一年度地図補修計画においては、裏打補修と再製補修とがあったが、軽井沢出張所については、再製補修は実施されず、裏打補修のみが実施され、予算もその限度でしか計上されなかったこと。

(6) 登記所備付の地図を市町村の費用負担で再製してもらい、市町村からその交付を受けるという例は、過去にも幾つかあったこと。

(7) 昭和四一年頃、東京方面の地図製作業者が軽井沢町の依頼により同町に一週間ほど泊り込んで、地図の再製作業に当たったことがあったこと。

(三)  右(一)、(二)の各事実と弁論の全趣旨を総合すれば、本件公図の再製は長野地方法務局が独自に行うとすれば管内取り纒めの上行う筈のところ、予算事情等のため、軽井沢町の協力のもとに、同町の費用負担によって、縮尺六〇〇〇分の一の旧公図に基づいて地図製作業者により本件町地図と同時に作成されたものが軽井沢出張所に提供され、これが本件公図として同出張所に備え付けられるに至ったものであって、同法務局としては、前記地図複製計画の一環としての意味を持ち得るものであったと推認することができる。そして、右地図製作業者による再製作業の際、旧公図上において、本件甲地の地番(枝番)である三九九の記載が別の用紙の下に隠れた状態にあって判読が難しかったことなどから、本件甲地と三九九の記載を結ぶ棒線の存在及び本件乙地と三七五の記載を結ぶ棒線の存在をいずれも見落してしまい、三七五の記載が本件甲地の地番(枝番)であると誤認して、本件甲地の地番(枝番)を三七五と表示した本件公図及び本件町地図を作成しこれがそのまま軽井沢町から軽井沢出張所に交付されたものと容易に推認することができる。甲第五号証(成立に争いがない。)も右認定の妨げとはならず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

2  登記官の過失の有無

そこで次に、軽井沢出張所登記官は、本件公図を軽井沢町から交付された時点において、本件公図が旧公図と一致しているか否かを調査し、その結果本件公図に誤記のあることを発見した場合には、職権でその訂正をするとともに誤記及びその訂正内容を軽井沢町に通知すべき義務があったか否か(請求原因3(三))について検討する。

(一)  公図の沿革と機能

証人藤澤利幸の証言及び弁論の全趣旨によれば、登記所備付の公図の沿革及び機能は、次のとおりであることが認められる。

(1) 公図は、明治六年地租改正に伴い作成された野取絵図(改租図)を基礎とし、明治二〇年大蔵大臣内訓「地図更正ノ件」、「町村地図調整式及更正手続」により、これを更に正確にした更正図を基本としていること。

(2) 右更正図は、明治二二年土地台帳規則の制定に伴い土地台帳とともに管理され、事務処理上土地台帳附属地図として取り扱われていたが、明治二五年七月三一日、土地台帳法の一部改正によって、税務署から登記所に移管されたこと。

(3) 右土地台帳法の改正に伴い制定された土地台帳法施行細則によって、登記所に地図を備えることが初めて明文化された(同細則二条)が、新しく地図を作成したわけではなく、税務署から引き継いだ右地図を同細則二条の土地台帳附属地図として取り扱っていたこと。

(4) その後、昭和三五年の不動産登記法の改正によって、土地台帳法が廃止され(軽井沢出張所については昭和四〇年一月一日に廃止を適用された。)、土地台帳と不動産登記簿との一元化が実施されるとともに、新たに一七条として登記所に地図を備える旨の規定が設けられたが、公図は、土地台帳法施行細則二条所定の地図(土地台帳附属地図)であって、不動産登記法一七条所定の地図には該当しないものであるから、右土地台帳法の廃止によって、公図はその法的根拠を失ったこと。

(5) しかしながら、不動産登記法一七条所定の地図が整備されるまでの間、便宜従来どおり、公図を閲覧に供する取扱がなされることとなったこと。

右の各事実によれば、公図は、当初租税徴収を目的として作成されたという沿革的理由から必ずしも精度の高い地図ではないが、単なる私人が作成したものではなく、国が関与して作成したものであり、不動産に関する権利関係を公示する官署である登記所において閲覧の用に供されていることから、不動産登記法一七条所定の地図が整備されていない地域においては、各筆の土地の位置、形状、境界線、面積等の概略を明らかにする一応権威ある資料として、現実の不動産取引に際して広く利用されているものということができる。

なお、土地台帳事務取扱要領(昭和二九年六月三〇日民事甲第一三二一号民事局長通達)第一八条によれば、新たに作成した地図を土地台帳法施行細則二条の地図とするには、当該地図に記載された各筆の土地の状況が土地台帳の記載事項に符合するかどうか、その他、その地図が土地台帳法施行細則二条の地図として相当であるかどうかを調査しなければならない旨規定されていた(証人藤澤利幸の証言、更に、同証言によれば、右取扱要領は、土地台帳法の廃止に伴い形式的には廃止されたが、その後の事務処理は右取扱要領に従って行われていたことが認められる。)。

(二)  右(一)認定の事実及び前記1認定の事実に基づき判断するに、本件公図及び本件町地図は、いずれも軽井沢町の費用負担によって同時に作成され、いずれもその際再製作業に当たった業者による旧公図の地番判読の誤りにより本件甲地の地番表示に誤りが生じたものであるが、前記1認定の本件公図再製の経緯に照らせば、少くとも本件公図が長野地方法務局軽井沢出張所に備え付けられた以降においては、その表示の誤りは公図そのものの誤りとして登記所の責任に帰することは明らかである。そして、公図上における地番表示は、土地の特定において最も基本的な事項であるのみならず、前記(一)認定の公図の沿革及び現実に果たしている機能、役割並びに前記1認定の本件公図及び本件町地図作成の経緯に鑑みれば、軽井沢出張所登記官としては、本件公図を軽井沢町から交付された時点において、これが旧公図の記載内容と一致しているか否かを照合し、本件甲地の地番表示の誤りを発見して、これを職権で訂正した上、右地番表示の誤りとその訂正内容を軽井沢町に通知すべき義務があったと言うべきであり、しかも、右照合、発見、通知は、登記官としては困難なことではなかったものと認められる。

しかるに、本件公図上の本件甲地の地番表示の誤りは、昭和六〇年一〇月二日に至るまで訂正されないまま放置され(この点の軽井沢出張所が昭和六〇年一〇月二日に本件公図の訂正処理をしたことについては当事者間に争いがない。)、軽井沢町に通知されることはなかったのであるから、軽井沢出張所登記官には、右義務を怠った過失があると認めるのが相当である。

これに対し、被告国は、登記所備付の地図と市町村備付の地図とは法的に関連性はなく、後者の地図は、市町村が独自の権限と責任で作成し備え付けるものであり、また、登記所備付の地図の修正に関しては、その修正内容を市町村に通知すべきことを定めた規定はないから、本件公図備付後に軽井沢町において本件公図と本件町地図とを照合したとの事実のない本件においては、本件町地図の誤りについて登記官に責任はなく、仮に登記所備付の地図の誤りを訂正したからといって、その訂正内容を市町村に通知しなければならない法律上の義務はない旨主張する。

しかしながら、証人藤澤利幸の証言によれば、登記所備付の地図を市町村の予算で作成してもらうことがあるだけではなく、市町村が登記所備付の地図を閲覧して市町村備付の地図を再製することも一般的に行われていること、また、登記所備付の地図の誤りを訂正した場合には、登記官の判断により、その旨を市町村に連絡している例も多いことが認められる上、前記認定のとおり、本件公図と本件町地図とは、同一の機会に、軽井沢町の協力により旧公図に基づき作成されたものであって、軽井沢出張所としては公図複製作業の一環としての意味をもち、その際に本件甲地の地番表示の誤りが生じたという特段の事情がある本件においては、本件公図と本件町地図の法律上の根拠が異なることや、登記所が公図を修正した場合に、これを市町村に通知すべきことを定めた明文の規定がないことをもって、軽井沢出張所登記官の前記義務を否定する根拠とはなし得ないと言うべきである。

従って、被告国の右主張は採用しがたい。

四請求原因4(本件町地図の作成経緯及び相当因果関係)について

1  相当因果関係の存在

本件甲地を買い受けるに当たって、被告伊東が見たのは本件公図ではなく本件町地図であることについては当事者間に争いがないところ、被告伊東が本件甲地を買い受け、結果的にこれを時効取得するに至ったのは、本件町地図上の本件甲地の地番表示を真実と誤信したためであるから、もし軽井沢出張所登記官に前記三2記載の過失がなければ、被告伊東が本件町地図を訴外会社から見せられた時点までに、本件町地図上の本件甲地の地番表示の誤りは軽井沢町によって訂正されていたはずであり、そうであるとすれば、被告伊東が本件甲地を買い受けこれを時効取得しなかったであろうことは明らかである。そして、公図と同一図面である市町村備付の地図に地番表示の誤りがあれば、その記載を真実と誤信した者が、本件のように、土地の同一性を誤認して当該土地を買い受けこれを時効取得し、反面、誤認された土地の所有者がその土地の所有権を喪失するということは、一般に起こり得るものであると認めるのが相当であるから、本件においては、軽井沢出張所登記官の前記過失と原告林の当該土地所有権の喪失という損害との間には相当因果関係があると言うべきである。

従って、被告国は、国の公権力の行使に当たる公務員である軽井沢出張所登記官の過失により原告林の被った右損害を賠償する責任がある。

2  被告国の反論(2、(三)、相当因果関係の不存在)について

(一)  被告国は、原告林の損害は専ら原告林が本件甲地の所有者としての管理を怠ったという自らの過失に起因するものであって、軽井沢出張所登記官に過失があったとしても、これと原告林の損害との間には相当因果関係はない旨主張する。

しかしながら、前記認定のとおり、軽井沢出張所登記官の過失が原告林の損害発生の原因になっていると解すべきである以上、原告林に土地所有者として何らかの過失があったとしても、それを過失相殺として斟酌することはともかく、原告林の右過失の存在をもって、本件の前記相当因果関係を否定する理由とはなし得ないものと言うべきである。

従って、被告国の右主張は理由がない。

(二)  また、被告国は、訴外会社は、本件町地図上の地番表示の誤りを知りながらこれを奇貨として本件甲地を被告伊東に売却したものと推認されるところ、かかる地図上の地番表示に誤りがあれば、訴外会社がこれに乗じて本件甲地を実質的に二重譲渡するような行為にでることが通常の事象であるとは経験則上到底認められないから、本件町地図の過誤ひいては本件公図の過誤と原告林の被った損害との間には相当因果関係がないと主張する。

ところで、<証拠>によれば、本件売買契約当時の訴外会社の代表者であった杉浦文次郎は、昭和三一年一〇月二日に本件甲地を訴外土佐喜三郎に売却していること、被告伊東が訴外会社から受け取った図面には、前記認定のとおり、本件甲地に該当する部分に「御買上済土佐喜三郎様」と書かれ、その上から「土佐喜三郎様」の部分が横線で抹消され、「御買上済」の部分のみがそのまま残されていること、訴外会社が作成した軽井沢町鶴溜周辺別荘分譲区画図上の本件甲地に該当する部分には「土佐」という記載があり、これが訴外土佐喜三郎を表示するものであることが認められるが、右認定の事実のみによっては訴外会社が本件町地図上の本件甲地の地番表示の誤りを知りながら、これを奇貨として本件甲地を被告伊東に売却したことを推認するには足りず、他に被告国の右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

従って、被告国の右主張は、その前提を欠き理由がない。

(三)  更に、被告国は、本件甲地を買い受けるに当たって被告伊東が見たのは本件公図ではなく本件町地図であり(この点は前記認定のとおり。)、本件町地図が本件公図に基づいて作成されたものではないから、本件公図の不備と原告林の損害との間には自然的因果関係すらなく、また、登記所備付の地図と市町村備付の地図とは法的関連性がなく、登記所がその備付の地図を修正した場合に、その修正内容を市町村に通知すべき義務はないから、本件公図の不備と原告林の損害との間には相当因果関係はない旨主張する。

なるほど、前記認定のとおり、本件甲地の売買契約の際被告伊東が見たのは本件公図ではなく本件町地図の写しであり、また、前記認定のとおり、本件町地図は本件公図ではなく旧公図に基づいて作成されたものであることが推認できる。

しかしながら、前記認定のとおり、本件公図と本件町地図とは、同一の機会に作成された同一内容の図面であるところ、証人土井範幸の証言及び被告伊東本人尋問の結果によれば、本件甲地の売買契約当時、軽井沢出張所においては公図の謄写ができなかったのに対し、軽井沢町役場においては町地図の謄写が可能であったので、右売買契約の際、訴外土井範幸は、被告伊東の公図持参の要求に応じるため、軽井沢町役場において本件町地図を謄写し、これが本件公図と同一内容であることを確認した上、その写しを被告伊東に対し本件公図と同じ物である旨述べて交付したことが認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

右の事実によれば、本件公図の不備と原告林の損害との間に自然的因果関係を認めることができ、また、前記認定のとおり、軽井沢出張所登記官には、本件公図と旧公図とを照合して本件甲地の地番表示の誤りを発見し、これを軽井沢町に通知すべき義務があったといわざるを得ないから、結局右通知義務の不存在を前提とする被告国の右主張は理由がない。

(四)  以上のとおり、軽井沢出張所登記官の過失と原告林の損害との間に相当因果関係がないとする被告国の右各主張はいずれも失当である。

五原告林の損害と過失相殺

1  本件甲地の所有権価格

前記認定のとおり、原告林は、被告伊東の時効取得によって本件甲地の所有権を喪失し、本件甲地の所有権価格と同額の損害を被ったか、<証拠>によれば、被告伊東の右取得時効完成時である昭和五九年一〇月一日当時の本件甲地の所有権価格は、金一四〇〇万円を下らないものと認めるのが相当である。

2  過失相殺

民法七二二条二項における被害者の「過失」とは、裁判所が賠償額を定めるについて、損害の公平な分担という見地から賠償額を公平に調整する根拠として斟酌し得るものであるから、それは、社会通念上、損害の発生について寄与したと評価される被害者の不注意ないし怠慢であれば足り、何らかの注意義務に違反するものである必要はないと解すべきである。

これ本件についてみると、原告林本人尋問の結果及び被告伊東本人尋問の結果によれば、原告林は、本件甲地を相続により取得した後、昭和四二、三年頃初めて本件甲地を見に行ったことがあるものの、被告伊東が本件甲地の占有を開始してこれを時効取得するまでの一〇年間を含む昭和四八年から昭和六〇年までの間、本件甲地を見に行ったことはなく、また、本件甲地が自己の所有地であることを表示する立看板等を設置することもしなかったのであり、本件甲地について、本来の所有者としての管理を全くといってよいほどしてこなかったことが認められるところ、なるほど、原告林主張のように、一般に、土地所有者には、時効取得者以外の第三者との関係において、他人の占有を排除するため、あるいは、他人に時効取得されないために、自己所有の土地を管理すべき法律上の義務があるとは言えないが、少なくとも、不動産のような重要な自己の財産の保全という自己の利益を守るために合理的な行動をとることは、社会生活上各人に期待されていると言うべきであって、この点、原告林は、前掲の乙第一号証によれば、昭和五三年六月六日に本件甲地につき自己への所有権移転登記手続をしているところ、右のような機会等に、本件甲地についての財産保全のための行動をとり得たにもかかわらず、何らこれを行わず、自己所有の土地の管理を怠ったという不注意ないし怠慢によって、時効取得による所有権の喪失という自らの損害の発生に寄与したものと認めるのが相当であるから、原告林には、民法七二二条二項の過失があるものと言わざるを得ない。

よって、本件賠償額の算定にあたっては、原告林の右過失を斟酌することとし、右認定の各事情を総合考慮して、原告林の過失割合は三割と認めるのが相当である。

従って、原告林が被告国に対して賠償請求できる損害額は、金九八〇万円となる。

3  弁護士費用

原告林が昭和六〇年一一月八日原告訴訟代理人らに本訴の提起及び追行を委任したことは本件記録上明らかであり、その着手金として右同日金六〇万円を支払い、かつ成功報酬として金一〇〇万円を支払うことを約束したことは、弁論の全趣旨により認められるところ、本件事案の性質、難易、審理の経過、認容額等に鑑みると、軽井沢出張所登記官の前記過失と相当因果関係があるものとして、被告国に対し賠償を請求し得る弁護士費用の額は、その全額である金一六〇万円と認めるのが相当である。

4  従って、原告林が被告国に対し、その賠償を請求し得る損害額は、合計一一四〇万円となる。

六まとめ

以上の次第で、被告国は、原告林に対し、国家賠償法一条により、原告林の被った右金一一四〇万円の損害を賠償すべき義務があり、かつ、右の内金九八〇万円に対する右の原告林の損害発生の日である昭和五九年一〇月一日から内金六〇万円に対する支払日の翌日である昭和六〇年一一月九日から、内金一〇〇万円に対する本判決確定の日の翌日からそれぞれ支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるというべきである。

(結論)

以上によれば、第一事件本訴原告(第二事件反訴被告)林の第一事件本訴被告(第二事件反訴原告)伊東に対する請求は理由がないからこれを棄却し、第二事件反訴原告(第一事件本訴被告)伊東の第二事件反訴被告(第一事件本訴原告)林に対する請求は理由があるからこれを認容し、第三事件原告林の第三事件被告国に対する請求は、主文第三項掲記の限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を、担保を条件とする仮執行免脱の宣言につき同条三項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官荒井史男 裁判官安間雅夫 裁判官 小川 浩)

別紙物件目録

一 所在 長野県北佐久郡軽井沢町大字長倉字鶴溜

地番 二一一五番三九九

地目 原野

地積 四八九平方メートル(不動産登記簿上の地積)

二 所在 長野県北佐久郡軽井沢町大字長倉字鶴溜二一一五番地三九九(不動産登記簿上の所在地同所同番地三七五)

家屋番号 二一一五番三七五

種類 居宅

構造 木造亜鉛メッキ鋼板葺平家建

床面積 四一.四〇平方メートル

三 所在 長野県北佐久郡軽井沢町大字長倉字鶴溜

地番二一一五番三七五

地目 原野

地積 一一九平方メートル

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