東京地方裁判所 昭和60年(ワ)14829号 判決 1987年8月28日
原告
仲野芳則
右訴訟代理人弁護士
板垣光繁
同
蒲田哲二
被告
安全興業株式会社
右代表者代表取締役
太田邦彦
右訴訟代理人弁護士
安達正二
主文
一 被告の原告に対する昭和六〇年三月九日付譴責処分及び「始末書を提出するまで当分の間内勤を命ずる。」旨の処分がいずれも存在しないことを確認する。
二 被告は、原告に対し、金六六四万二六三〇円及び右金員に対する昭和六一年八月二九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
三 訴訟費用は被告の負担とする。
四 この判決は第二項に限り仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1(一) (主位的請求)
主文第一項と同旨
(二) (予備的請求)
被告の原告に対する昭和六〇年三月九日付譴責処分及び「始末書を提出するまで当分の間内勤を命ずる。」旨の処分がいずれも無効であることを確認する。
2 主文第二項と同旨
3 訴訟費用は被告の負担とする。
4 第2項につき仮執行宣言。
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 被告は肩書地に本社及び板橋営業所を置く他、都内に落合営業所、駒込営業所、中野営業所、江東営業所、牛込営業所及び大塚営業所の六営業所を有する、一般乗用旅客自動車運送事業(タクシー運送事業)等を事業目的とする株式会社であり、原告は、昭和五五年三月二〇日タクシー乗務員として被告に雇用され、江東営業所に配置されて、運転業務に従事する者である。
2 被告は、昭和六〇年三月九日被告は原告に対し譴責処分及び「始末書を提出するまで当分の間内勤を命ずる。」旨の処分(以下、右譴責処分を「本件譴責処分」、右内勤を命ずる旨の処分を「本件内勤処分」といい、両者を併せて「本件各処分」という。)を通告したと主張している。
しかしながら、同日、被告は、原告に対し、始末書の提出を命じたこともないし、内勤を命じたこともなく、本件各処分はいずれも存在しない。
3 仮に、本件各処分が存在するとしても、次に述べる理由により無効である。
(一) 本件各処分が全体で一つの懲戒処分であるとすれば、被告は就業規則の懲戒規定に定めのない懲戒処分をしたことになるが、就業規則に懲戒規定があるときは、懲戒処分はその規定に従ってなされなければならず、これに定められていない懲戒処分をなすことはできない。
(二) 本件譴責処分と本件内勤処分が別個独立の懲戒処分であるとすれば、本件各処分は二重処分となって許されない。
また、被告の就業規則の懲戒規定には、本件内勤処分のような懲戒処分は定められておらず、前同様このような懲戒処分をなすことはできないというべきであり、仮に就業規則の懲戒規定に定められていない懲戒処分も労使慣行により可能となることがあるとしても、被告において、このような懲戒処分をなす労使慣行は存在しない。
更に、本件内勤処分は、「当分の間内勤を命ずる。」というのみで、その期間を定めておらず、事実上無期限の内勤を命ずるものであり、このような処分は許されず、また、本件内勤処分は、始末書の提出を強制する手段として内勤を命じているが、労働者の良心に関わる始末書提出を、乗務させないという不利益によって強制することは違法である。
(三) 本件各処分が、懲戒処分としての譴責処分と、その付随処分としての内勤処分をしたものであるとすれば、内勤処分は減給を伴う点で譴責処分より重い処分であるから、譴責処分の付随処分としてはなすことのできない処分をしたことになる。
また、譴責処分は、将来を戒める処分と、始末書の提出という付随処分とによって構成されているのが通常であって、一般にこれとは別の付随処分はなく、被告の就業規則においても、同様に譴責処分の付随処分としては始末書の提出のみが定められているのであるから、更に付随処分として内勤処分を命ずることはできない。
4 原告は昭和六〇年三月八日から昭和六一年七月二五日まで五〇五日間にわたり、被告に乗務を拒否され、後記内勤による賃金の他は、賃金の支給を受けることができなかった。
右期間中の原告の賃金額は、原告の賃金が歩合給であり稼働額によって変動するので、右乗務拒否が開始された昭和六〇年三月八日における原告の平均賃金に基づき算出されるべきである。
被告においては、原則として前月二一日から当月二〇日までを賃金締切期間とし、その間の賃金が当月二八日または二九日に支給されているが、毎年二月の賃金締切日は一八日とされており、昭和六〇年三月八日の直前の賃金締切日は同年二月一八日となる。そして、その三か月前は暦日では昭和五九年一一月一九日となるが、同日は同年一一月分の賃金締切期間の途中であるから、本件における平均賃金算定期間の始期は昭和五九年一一月二一日とすべきである。ただし、原告は昭和六〇年二月二日業務上負傷し、右期間のうち、同月三日以降の一六日間は乗務できず、賃金も支給されなかったので、右平均賃金算定期間の総日数から右一六日を控除すると、残日数は七四日となる。そして、右七四日間の原告への賃金支給額の合計は一〇三万〇五二九円であるから、原告の平均賃金は右一〇三万〇五二九円を七四日で除した一万三九二六円となる。
したがって、右乗務拒否期間中の原告の賃金の合計は一万三九二六円に五〇五日を乗じた七〇三万二六三〇円となる。しかし、原告は昭和六一年四月一四日から同年七月二五日までの間内勤により合計三九万円の賃金の支給を受けているのでこれを差し引くと、原告が被告に請求し得る未払賃金は六六四万二六三〇円となる。
よって、原告は、被告に対し、主位的に本件各処分が存在しないことの、予備的に本件各処分が無効であることの各確認を求めるとともに、未払賃金六六四万二六三〇円及び右金員に対する昭和六一年八月二九日から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1記載の事実は認める。
2 同2記載の事実中、被告が、昭和六〇年三月九日被告は原告に対し本件各処分を通告したと主張していることは認め、その余の事実は否認する。
3 同3記載の主張は争う。
4 同4記載の事実中、原告が昭和六〇年三月八日から昭和六一年七月二五日まで乗務に就かなかったこと、被告においては、原則として前月二一日から当月二〇日までを賃金締切期間とし、その間の賃金が当月二八日または二九日に支給されているが、毎年二月の賃金締切日は一八日とされており、昭和六〇年三月八日の直前の賃金締切日は同年二月一八日であること、原告は昭和六〇年二月二日業務上負傷し、同月三日から同月一八日までの間は乗務できず、その間の賃金は支給されなかったこと、昭和五九年一一月二一日から昭和六〇年二月二日までの間原告に支給された賃金の総額が一〇三万〇五二九円であることはいずれも認め、原告が被告に対し未払賃金請求権を有するとの主張は争う。
三 抗弁
1 被告の江東営業所所長浴山迪は、昭和六〇年三月八日同営業所事務所カウンターにおいて、かねて原告より依頼のあった深川警察署長宛の優良自動車運転者推薦書を原告に手渡した。ところが、原告は、一回も運転者講習を受けていないのに、推薦書にはこれを受講したように記載して欲しいと浴山所長に頼んでいたのであるが、同所長が原告の頼みを聞き容れず、右推薦書に運転者講習回数を〇回と記入していたため憤慨し、「何故頼んだようにしてくれない。」というなり、右推薦書を丸めて浴山所長に投げつけたことから、両者間で口論となり、更に、原告は、カウンター上に紐でつないで備え付けてあったボールペンを、紐を引きちぎって浴山所長の顔めがけて投げつけた。そして、納金係の神藤秀雄がこれを見兼ねて原告を制止しようとしたが、原告は、右神藤に対しても暴言を吐いてつかみかかり、暴れ出した。浴山所長は、このような事態がこれから勤務に就こうとする乗務員らに精神的な動揺を与えて事故につながることを恐れ、その場の収拾をはかるため、原告に「今日は興奮しているし、気分がむしゃくしゃしていると事故を起こしやすい。乗らないほうがいい。」というと、原告は「わかったよ。」といってこれに応じ、同事務所を出ていった。
翌九日、原告が出番ではないのに心配したような顔付きで同事務所に出て来たので、浴山所長は原告に「昨日のことは君の方が悪い。二度とこのような不始末を起こさないという趣旨の始末書を提出しなさい。提出するまで当分の間内勤するように。」と反省を促した。
原告は、その後、同年六月七日に一日内勤した他は始末書の提出にも内勤にも応じなかったが、昭和六一年四月一六日に至り内勤を開始したため、被告は同年七月二六日から原告を乗務させるようになった。
2 右のとおり、昭和六〇年三月九日浴山所長は、原告に対し、前日の原告の行為につき、「二度とこのような不始末を起こさないという趣旨の始末書を提出しなさい。提出するまで当分の間内勤するように。」と反省を促しており、これは、原告に対し、譴責処分に付すると同時に始末書提出まで当分の間の内勤を命ずることを通告したものであって、本件各処分はいずれも存在する。
3 本件各処分のうち、本件譴責処分は被告の就業規則第八九条に基づくものであり、本件内勤処分は譴責処分に付随する処分であって、被告における労使慣行として定着しているものであり、いずれも有効である。
4 昭和六〇年三月八日原告が乗務しなかったのは前記1記載のとおり浴山所長が原告に「今日は乗らないほうがいい。」といったところ、原告がこれに同意したためである。また、同月九日から昭和六一年七月二五日までの間被告が原告を乗務させなかったのは、本件各処分に基づくものである。即ち、被告においては、内勤処分は、始末書の提出があれば終了し、またその提出がなくとも、一週間から一〇日間の内勤を真面目にすれば乗務させる取り扱いになっているところ、原告は、本件各処分に付されたのに、反省する様子が全くなく、被告が、始末書を提出するか一週間位内勤すれば乗務させると再三告げたにも拘わらず、同年六月一一日以降一日置き位に形式的に江東営業所に顔を出して「配車してくれ」というだけで、すぐ帰ってしまい、命じてある内勤に就いて働こうとしなかったため、被告は原告を乗務させなかったのであるが、昭和六一年四月一六日に至りようやく内勤を開始したため、その勤務態度を考慮して同年七月二六日から乗務させることとしたものである。
したがって、原告には未払賃金請求権はない。
四 抗弁に対する認否
1 抗弁1記載の事実中、浴山所長が昭和六〇年三月八日江東営業所事務所カウンターにおいて、かねて原告が依頼していた深川警察署長宛の優良自動車運転者推薦書を原告に手渡したこと、その際、原告と同所長の間で口論となったこと、被告が同年七月二六日から原告を乗務させるようになったことはいずれも認め、原告が同所長に運転者講習を受講したように推薦書に記載して欲しいと頼んだこと、原告が同所長から右推薦書を交付された際、「何故頼んだようにしてくれない。」というなり、右推薦書を丸めて浴山所長に投げつけたこと、原告がボールペンを浴山所長の顔めがけて投げつけたこと、浴山所長が原告に「今日は興奮しているし、気分がむしゃくしゃしていると事故を起こしやすい。乗らないほうがいい。」というと、原告は「わかったよ。」といってこれに応じ、同事務所を出て行ったこと、昭和六〇年三月九日浴山所長が原告に「昨日のことは君の方が悪い。二度とこのような不始末を起こさないという趣旨の始末書を提出しなさい。提出するまで当分の間内勤するように。」と反省を促したことはいずれも否認する。
真の経緯は次のとおりである。
即ち、原告は、深川警察署長の優良自動車運転者の表彰を受けたいと考えたが、浴山所長から、右表彰は運転者講習を受講していることが必要と聞き、原告はこれを受講していなかったことから、昭和六〇年三月五日深川警察署に右講習を受講していなければ右表彰は受けられないものかを確認しに行ったところ、同署の担当者から、表彰が受けられるかどうか判らないが、ともかく、明後日の午前一〇時前か午後二時以降に、封筒に同担当者名を書いて推薦書を提出するよういわれた。
そこで、原告は、同月六日浴山所長に推薦書を書いてくれるよう依頼し、右指定された提出時期を話したところ、同所長の返答は、推薦書ができるのには一週間位かかるとのことだったため、原告は、同所長に、それでは推薦書ができるまでの間に運転者講習を受けることにすると述べ、翌七日右担当者に推薦書ができるのは来週になる旨伝えた。
ところが、浴山所長は、翌八日に江東営業所で右推薦書を原告に交付してきたため、原告は「何で嘘をつくのか。」と同所長を詰問し、両者間で激しい口論となり、同所長は、配車係の沖山廣光に、原告には配車しないよう命じた。そこで、原告は、その処置を文書にするよう同所長に要求したが、これに応じないため、右要求を文書にして提出しようと、カウンター上にあった領収書の用紙に、同所に紐でつないであったボールペンで右要求を書こうとして、右沖山や会計担当の神藤秀雄ともみ合い等するうち、同所長は原告に解雇する旨告げた。
翌九日原告が出社して浴山所長に再び書面を要求すると、同所長は「一週間以内に解雇と書いた文書を送るから、会社に来るな。」というので、原告は被告からの解雇通知を待ったが、一週間経っても被告から何の連絡もないため、同月一七日出社し、浴山所長に話し合いを求めたが拒否され、同月一八日以降出勤日には毎日出勤したが、被告は昭和六一年七月二五日まで原告には配車せず、乗務させなかった。
2 抗弁2記載の事実は否認する。
3 同3及び4記載の各主張は争う。
第三証拠
証拠関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録各記載のとおりであるから、これを引用する。
理由
一 請求原因1記載の事実は当事者間に争いがない。
二 同2記載の事実中、被告が、昭和六〇年三月九日被告は原告に対し本件各処分を通告したと主張していることは当事者間に争いがない。
三 そこで、本件各処分の存在について判断する。
1 浴山所長が昭和六〇年三月八日江東営業所事務所カウンターにおいて、かねて原告から依頼されていた深川警察署長宛の優良自動車運転者推薦書を原告に手渡したこと、その際、原告と同所長の間で口論となったこと、被告が同年七月二六日から原告を乗務させるようになったことはいずれも当事者間に争いがなく、右各事実と、(証拠略)を総合すれば、以下の事実が認められ、右認定に反する(人証略)並びに原告本人尋問の結果は措信し難く、他に右認定を覆すに足る証拠はない。
(一) 原告は、昭和六〇年三月初め頃、過去三年間無事故、無違反等の自動車運転者に与えられる深川警察署長の優良自動車運転者表彰があることを知り、これを受けたいと考えた。しかし、原告は、運転者講習を受講していなかったところ、浴山所長から右表彰を受けるには右講習を二回以上受講していることが必要と聞き、同月五日、深川警察署に右表彰は右講習を受講していなければ受けられないものか問い合わせに行くと、同署交通課の担当者から、受けられるかどうか分からないが、ともかく同月七日の午前一〇時前か午後二時以降に、封筒に同担当者名を書いて、優良自動車運転者推薦書を提出してみるよういわれた。そこで、原告は、同月六日、浴山所長に右推薦書の発行を依頼し、翌七日に警察署に提出したい旨話したが、浴山所長は右推薦書ができるのには一週間位かかると返答した。原告は、前記のとおり深川警察署に行った直後に、城東、深川両警察署で同月一一日から同月二〇日まで運転者講習が行われる旨の新聞の折込み広告を目にしていたため、浴山所長に、それでは右推薦書ができるまでの間に運転者講習を受けることにする旨述べ、同月七日前記深川警察署交通課の担当者に右推薦書ができるのは来週になる旨伝えた。
(二) ところが、翌八日朝、原告が江東営業所に出勤し、事務所で乗務に備えて日報用紙、乗務者証、始業点検用紙等の交付を受けていると、浴山所長が右推薦書を原告に手渡したため、原告は同所長が約束に違反したとして憤慨し、同所長に右書面を丸めて投げ付け、「何で嘘をつくのか。」と食ってかかり、両者間で激しい口論となった。そして、その場に居合わせた沖山廣光や神藤秀雄ら同営業所職員四名も口々に原告を非難して騒然となるうち、同所長は、配車係の右沖山に、原告には配車しないよう命じた。これに対し、原告は、その処置を文書にするよう同所長に要求したが、同所長がこれに応じないため、右要求を同事務所のカウンターに置いてあった領収書用紙に書き付けようとして、同所につないであったボールペンをつかみ紐を引きちぎったところ、前記神藤は、原告が右ボールペンを投げつけようとしているものと思い、制止しようとして原告ともみ合いとなった。しかし、原告は、右神藤を振り切って、右領収書用紙に、原告に配車しない理由を文書にするよう要求する旨を書き付け、右沖山にこれを提出しようとしたが、突き返され、このようなことを何度か繰り返すうち、浴山所長は原告に解雇する旨告げた。そこで、原告は、労働基準監督署に行こうと同営業所を出たが、その前に被告の本社営業部長佐竹則昭に会おうと、本社の置かれている落合営業所を訪ねた。佐竹営業部長は、秋に交通安全週間があるのでその時運転者講習を受けてから、改めて優良自動車運転者表彰の推薦をしてもらえと原告を諭したが、原告は、「会社をやめて、徹底的にやる。」等といきり立つばかりであったため、物別れに終わった。そこで、原告は、亀戸労働基準監督署に相談に行ったが、解雇されたのかどうか、もう一度確認するよう指示された。
(三) 翌九日原告が前日の処分を確認するため江東営業所に出社して浴山所長に再び書面を要求すると、同所長は「書面はまだできていない。一週間以内に解雇と書いた文書を送る。」旨述べた。そこで、原告は、亀戸労働基準監督署に行くと、係員から解雇予告手当を請求するよう助言を受けたため、再び江東営業所に戻り、その請求をすると、浴山所長は「解雇とはいっていない。一週間以内に処分を通知するから、自宅で待機せよ。」との旨述べた。
(四) そこで、原告は被告からの通知を待ったが、一週間経っても被告から何の連絡もなく、同月一七日浴山所長に面会を求めたが拒否されたため、同月一八日出勤し、配車を要求したところ、浴山所長は「原告が同月八日のことを反省するまでは乗務させる訳には行かない。同月九日自宅で待機するよういったのは、一週間の出勤停止の趣旨である。」旨述べた。以後、原告は、出勤日毎に出勤し、配車を求めたが、同所長は始末書を書いて来たか問い、原告が書いて来ていないと答えると、配車を拒否するという繰り返しで、原告になされた処分の説明は、下車勤、配車止め、あるいは出勤停止等と一定しなかった。昭和六〇年四月一〇日板垣光繁弁護士が原告と共に江東営業所を訪れ、浴山所長に面会して原告を乗務させないのは就業規則上いかなる処分に当たるのか問いただしたが、埓が明かず、同弁護士が同所から佐竹営業部長に電話して交渉した結果、原告が始末書に代えて誓約書を提出し、浴山所長が遺憾の意を表明するとの和解案がまとまったが、原告が未払賃金の補償がないとして右案に同意しなかったため成立に至らず、その後も前同様原告を乗務させない状態が継続した。
(五) そこで、原告は、昭和六〇年一二月五日被告の原告に対する同年三月八日の就業禁止処分の取消と、同日以降の賃金の支払を求めて本件訴訟を提起したのであるが、これに対して、当初被告は、原告は同年三月九日解雇されたものと誤解して以後出勤せず、同年四月一〇日原告が誓約書か始末書を提出することとする旨の和解が成立したので、被告は原告が右和解に基づき誓約書か始末書を提出すれば配車する用意をしているのであるが、原告は右書面を提出せず、それからも欠勤を続けているにすぎないと主張していた。しかし、被告は、昭和六一年四月一三日に至り、原告に対し、「被告は昭和六〇年三月八日原告を『始末書を提出するまで当分の間内勤を命ずる。』旨の処分に付したものであり、原告に内勤の意志があれば被告はいつでもこれを受け入れる用意がある。」旨の通知書を出し、昭和六一年四月一五日の本件第五回口頭弁論で、本件各処分の存在を主張するようになり(これにより、原告は、請求の趣旨を変更して、右昭和六〇年三月八日付の「始末書を提出するまで当分の間内勤を命ずる。」旨の処分及び本件各処分の各不存在確認((主位的請求))及び各無効確認((予備的請求))と、未払賃金の支払を求めるに至ったが、被告が右通知書記載の処分の日付は昭和六〇年三月九日の誤記であると主張したため、右同月八日付の処分の不存在確認及び無効確認の各請求は取下げた。)、原告が昭和六一年四月一四日から内勤を開始したため、同年七月二六日から原告への配車を再開し、乗務に就かせた。
2 被告は、昭和六〇年三月九日浴山所長が原告に対し、「昨日のことは君のほうが悪いじゃないか。二度とこのような不始末を起こさないという趣旨の始末書を提出しなさい。提出するまで当分の間内勤するように。」と反省を促したと主張し、右主張に沿う証人浴山迪及び同神藤秀雄の各証言があるが、右各証言は、右に認定した経過に照らし措信し難く、他に右主張を認めるに足る証拠はない。
そして、右認定の経過によれば、始末書の提出については、原告が昭和六〇年三月一八日以降勤務日毎に出勤して配車を求めるようになってから、被告がこれを拒否する理由として挙げるようになったものにすぎず、また、「始末書を提出するまで当分の間内勤を命ずる。」旨の処分については、被告が昭和六一年四月一三日に発した前記通知書で初めてその存在を主張するに至ったものであって、本件各処分はいずれもこれがなされた形跡を認め難く、本件各処分はいずれも存在しないものといわざるを得ない。
四 次に、未払賃金請求について判断する。
1 原告が昭和六〇年三月八日から昭和六一年七月二五日まで乗務に就いていないことは当事者間に争いがない。
被告は、昭和六〇年三月八日の乗務については、原告が乗務しないことに同意した旨主張するが、前記三1(二)に認定したとおり原告は浴山所長に解雇する旨いわれて退社したものであって、右主張を採用する余地はなく、また、同月九日以降乗務させなかったのは本件各処分に基づくものである旨主張するが、本件各処分の存在が認められないこと前記三2に述べたとおりである。
したがって、原告は、右期間中の未払賃金を被告に請求し得るものといえる。
2 そこで、右未払賃金の額について検討する。
(一) まず、(証拠略)によれば、被告におけるタクシー乗務員の賃金構成には能率給等歩合給に属するものが含まれており、原告の賃金額も右歩合給によって変動する割合が少なくないことが認められるから、昭和六〇年三月八日から昭和六一年七月二五日までの間の原告の賃金額は、昭和六〇年三月八日における原告の平均賃金により算定すべきであるとする原告の主張は相当と認められる。
(二) そこで、右平均賃金についてみると、被告においては、原則として前月二一日から当月二〇日までを賃金締切期間とし、右期間の賃金が当月二八日または二九日に支給されているが、毎年二月の賃金締切日は一八日とされており、昭和六〇年三月八日の直前の賃金締切日は同年二月一八日であることは当事者間に争いがなく、したがって、右平均賃金は同日から起算すべきこととなる。そして、同日の三か月前は、暦日では昭和五九年一一月一九日となるが、右は賃金締切期間の途中であるので、これに最も近い賃金締切期間の始期である同月二一日を三か月前とするのが法の趣旨にかなうものといえるから、右平均賃金の算定期間は昭和五九年一一月二一日から昭和六〇年二月一八日までの九〇日間ということとなる。
ただ、原告が昭和六〇年二月二日業務上負傷し、右期間のうち、同月三日から同月一八日までの間は乗務できず、その間の賃金は支給されなかったことは当事者間に争いがないので、その間の日数一六日を前記平均賃金算定期間の総日数から控除すると七四日となる。
そして、右七四日間の原告への賃金支給額の合計が一〇三万〇五二九円となることは当事者間に争いがないから、原告の平均賃金は一〇三万〇五二九円を七四日で除した一万三九二六円となる。
したがって、昭和六〇年三月八日から昭和六一年七月二五日までの間の原告の賃金額合計は右一万三九二六円に右期間の日数五〇五日を乗じた七〇三万二六三〇円となる。
(三) 前記三1(五)記載のとおり、原告は、昭和六一年四月一四日から同年七月二五日まで内勤していることが認められるところ、(証拠略)及び弁論の全趣旨によれば、右内勤により原告には合計三九万円の賃金が支給されていることが認められるので、右金額を前記七〇三万二六三〇円から差し引くと、原告が被告に請求し得る未払賃金は六六四万二六三〇円ということになる。
五 以上のとおりであるから、原告の本件各処分の不存在確認を求める主位的請求並びに未払賃金合計六六四万二六三〇円及び右金員に対する最終分の弁済期経過後である昭和六一年八月二九日から支払ずみまで民法所定年五分の遅延損害金を求める請求はいずれも理由があるので認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、仮執行宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 川添利賢)