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東京地方裁判所 昭和60年(ワ)1997号 判決 1987年8月25日

原告 甲野花子

右訴訟代理人弁護士 安彦和子

被告 辻岡祥平

被告 坂元晴雄

右訴訟代理人弁護士 湯本正道

主文

一  被告らは原告に対し、各自金六〇〇万円及びこれに対する被告辻岡祥平は昭和六〇年三月一四日から、被告坂元晴雄は同年三月二九日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告の被告らに対するその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを五分し、その一を原告の負担とし、その余は被告らの負担とする。

四  この判決は、原告勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは原告に対し、各自金八〇〇万円及びこれに対する被告辻岡祥平(以下、被告辻岡という。)は昭和六〇年三月一四日から、被告坂元晴雄(以下、被告坂元という。)は同年三月二九日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の被告らに対する請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は大正四年生れであって、昭和五八年三月に日本女子大学助教授を退職し、以後無職で独り暮しをしていた。

2  訴外明治住建株式会社(以下、訴外会社という。)は宅地、建物の売買、仲介等を目的とする会社であるが、被告辻岡は昭和五七年九月四日から同五九年四月二五日までその代表取締役であった者であり、被告坂元は昭和五八年四月ないし六月頃はその専務取締役であった者である。

3  被告らは、以下のとおり、共同して原告から土地売買代金名下に八〇〇万円を詐取した。

(一) 原告は昭和五八年三月の退職以前から判断能力の低下を来たし、退職のしばらく前からほとんど教鞭をとっていなかった。

(二) 原告は、昭和五八年四月初旬、訴外会社の営業員武田及び林から、「退職金を預金していても目減りするばかりであるから、土地で持っていた方がはるかに有利だ。北海道に良い土地がある。温泉に無料招待するから是非土地の話を聞いてほしい。」と言われて、これに応ずることにした。

そして、原告は、同年四月八日頃、訴外会社からの無料招待を受けて静岡県船原温泉に行ったところ、被告坂元から、預金しているより北海道の土地を購入する方がいかに有利であるかという説明や、購入した土地を訴外会社が二、三年後に最低売買代金の三割高で買い取るなどの説明を受けてこれらをすっかり信用し、翌九日、原告は訴外会社から北海道上川郡清水町字旭山四一番地の原野の一部五一一平方メートルを六〇〇万円で購入することとし、同日一万円、同月一一日四二八万円、同月二三日一万円、同月二五日一七〇万円を訴外会社に支払った。

(三) 原告は、同年六月中頃、訴外会社の社員福永の案内で右購入物件を見に行ったところ、同人から「もっと条件の良い土地がある。」と言われて北海道中川郡幕別町字明野と称する土地に案内された上、同土地にはガス設備があるとの説明を受けた。

そして、原告は、その頃被告らのすすめにより訴外会社と前記売買契約を合意解除すると同時に、右の幕別町字明野四九六番九四、山林五一二平方メートルを八〇〇万円で購入することにして、内金六〇〇万円については前記売買代金六〇〇万円を充当し、不足分二〇〇万円については同月下旬頃訴外会社に支払った。

(四) ところが、前記土地の売買価格は、いずれも時価の約二〇〇倍であった。

(五) 被告らは土地売買を業とする者であるから、最も重要な事項である取扱物件の時価を知らないはずがなく、被告らは、右各土地の時価を熟知していながら、原告の判断能力の低下及び土地に関して無知であることに乗じて、法外な価格で右各土地を買わせて、原告から土地売買代金名下に八〇〇万円を詐取したものである。

被告らは本件同様の手口で原告以外の者に対しても損害を負わせているが、これらは被告らによる計画的不法行為によるものであることは明らかである。

(六) なお、被告坂元は、訴外会社の専務取締役として、同被告が自ら行った不法勧誘についてはいうまでもなく、他の社員の行った不法勧誘によって発生した損害についても責任がある。更に、原告が清水町所在土地を幕別町所在の土地に買替えたのは、被告坂元の不法勧誘行為に原因するから、被告坂元の行為と原告の被った八〇〇万円の損害との間には相当因果関係がある。

(七) 被告らは、故意による共同不法行為者として、民法七〇九条、七一九条に基づく損害賠償責任がある。

4  被告辻岡が仮に形式的、名目的な代表取締役であったとしても、訴外会社の代表取締役になることを承諾し、かつ、その登記がされている以上、その職務懈怠によって生じた原告の損害について、商法二六六条の三に基づいて、賠償責任を免れるものではない。

5  よって、原告は被告らに対し、不法行為に基づく損害賠償として(被告辻岡について予備的に商法二六六条の三に基づく損害賠償として)、各自八〇〇万円及びこれに対する不法行為の後である本件訴状送達の翌日から支払済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する被告辻岡の答弁

1  請求原因1項のうち、原告が昭和五八年三月頃日本女子大学助教授を退職したことは認め、その余は知らない。

2  同2項のうち、訴外会社の営業目的及び被告辻岡が原告主張の期間商業登記簿上訴外会社の代表取締役として登記されていたことは認め、その余は知らない。

被告辻岡は不動産の売買、仲介業務については全く知らず、訴外会社の代表取締役として名義を貸したにすぎない。

3(一)  同3項(一)のうち、原告の判断能力の低下については知らない。

(二) 同3項(二)は知らない。

(三) 同3項(三)のうち、幕別町字明野の土地に「ガス設備がある」と説明したこと及び被告らのすすめによって売買契約を合意解除し、幕別町字明野四九六番九四の山林を購入したことは否認する。

(四) 同3項(四)は否認する。

(五) 同3項(五)は否認する。被告辻岡は土地の時価を知らなかったし、八〇〇万円を詐取した事実も知らない。

(六) 同3項(七)は争う。

4  同4項は争う。

三  請求原因に対する被告坂元の答弁

1  請求原因1項のうち、原告が大学教授であったことを認め、その余は知らない。

2  同2項のうち、原告主張の期間訴外会社の代表取締役が被告辻岡であったことは認め、被告坂元が専務取締役であったことは否認する。その余は知らない。

被告坂元は、昭和五七年九月頃、訴外会社が会長小原喜一、社長被告辻岡として新宿で営業を始めるに当り、両名に誘われて同社に入社した。入社に当り専務取締役として採用すると言われていたが、結局これを拒否したまま昭和五八年五月末同社を退職した。したがって、一介の営業部員であり、会社経営等にはタッチしていない。

3(一)  同3項(一)は知らない。

(二) 同3項(二)の昭和五八年四月初旬の事実のうち、原告に対する営業に当ったのが武田、林であることは認め、その余は知らない。

四月八日、九日頃の事実については否認する。ただし、四月二三日頃船原温泉で被告坂元が原告と面談したことは認める。

被告坂元が原告と最初に会ったのは、日時は四月八日頃かどうか明確ではないが、浜名湖への旅行が最初であった。その際、担当社員の林及び武田から元大学教授だと紹介され、名刺を渡して挨拶だけした。同日、右両名と福田猛彦常務が物件の説明をして、原告がこれを六〇〇万円で購入したものと思われるが、どのような説明、勧誘をしたかは知らない。

その後、四月二三日、船原温泉へ旅行した際に、被告坂元が原告に対し更に買い増しをすすめた。原告は前記購入物件に満足していたものであって、これに応じて一七一万円で買い増しをした。その際、被告坂元は二、三年後に買い戻しをする等の説明は一切していない。この間のやりとりは全く正常で、原告の判断能力が低下していたなどということは全く窺えなかった。

(三) 同3項(三)のうち、六月頃に売買契約が合意解除されたことは認め、その余は知らない。

仮に被告坂元が関与した四月二三日頃の売買契約に何らかの違法の問題があったとしても、右解除により被告坂元についてはすべての責任が消滅したものである。

(四) 同3項(四)は知らない。本件の土地は小原会長が取得してきたものであり、しかも被告坂元は経営に関与していないので、二〇〇倍などという主張については分からない。

(五) 同3項(五)は否認する。

(六) 同3項(六)は争う。

当初の不法勧誘者の行為により原告の損害が発生したものとすれば、非難されるべきは勧誘行為の主体である前記福田、林、武田である。

また、訴外会社自体の不法行為であるというのであれば、非難されるべきは経営の主体である前記小原及び被告辻岡である。

なお、原告には何ら判断能力の欠如はなく、四月八日の第一の売買契約の後に充分の熟慮期間を経て四月二三日頃の第二の売買契約(買い増し)に至り、更に充分の熟慮期間を経て六月中旬の合意解除となったのであるから、第一、第二の売買契約は当然に消滅したものである。そして右解除後の契約については、被告坂元は既に退職しており、全く関与していないし、何らの影響も与えていない。

第三証拠《省略》

理由

一  《証拠省略》によれば、原告は昭和五八年四月九日頃、訴外会社から北海道に所在する「あさひ苑ナンバー三と称する土地を代金四二九万円で買受け、同年四月九日に一万円、同年四月一一日に四二八万円をそれぞれ支払ったこと、その後原告は訴外会社のすすめで右土地の代りに別の土地を買うことにし、昭和五八年四月二三日訴外会社から、売買契約書上では「北海道上川郡清水町字旭山四一番地の一部、みかけ苑(分譲地名)、ナンバー一の角地(区画番号)、地積五一一平方メートル」と表示されている土地(以下、本件土地という。)を代金六〇〇万円で買受け、既に前の売買の代金として支払っていた四二九万円をその一部の支払に充当したほか、昭和五八年四月二三日に一万円、同年四月二五日に一七〇万円をそれぞれ支払ったこと(したがって、原告は訴外会社に本件土地の代金六〇〇万円を全額支払ったことになる。)が認められる。

二  原告は、原告と訴外会社は昭和五八年六月に本件土地の売買契約を合意解除して、新たに北海道幕別町字明野四九六番九四、山林五一二平方メートルの土地について売買契約を締結し、原告は既に支払済みの六〇〇万円のほかに二〇〇万円を支払い、結局原告は訴外会社に合計八〇〇万円を支払ったと主張している。

しかし、この事実を認めるに足りる的確な証拠はない。

1  《証拠省略》によれば、昭和五八年一〇月二六日に、右幕別町の土地について同年一〇月一〇日売買を原因として原告に所有権移転登記がされていることが認められるから、原告は本件土地の代りにこの幕別町の土地を買替えたのではないかという疑いがないではない(本件土地については原告に所有権移転登記がされていることを認めるに足りる証拠はない。)。

2  しかし、右幕別町の土地については売買契約書が提出されていないし、原告が六〇〇万円のほかに更に二〇〇万円を支払ったことを認めるに足りる証拠もない。

前記六〇〇万円については訴外会社発行の領収書が存在するが、右二〇〇万円については領収書が提出されていないのであって、右二〇〇万円の支払があったものとは考えられない。

証人目沢省吾は、原告は右二〇〇万円を支払ったと述べており、原告の預金口座の金銭の動きからみてもその支払があったものと推認できると証言しているが(なお、右預金通帳は証拠として提出されていない。)、被告坂元本人は訴外会社では代金を受取っているのにその領収書を発行しないということはなかったと供述しており、右目沢省吾の証言だけで二〇〇万円の支払があったものと認めることはできない。

3  証人目沢省吾は、原告が本件土地を八〇〇万円で買受けたものであると証言しているが、採用することができない。本件土地の売買代金が六〇〇万円であることはその売買契約書(甲第一号証)の記載から明らかである。

4  被告辻岡本人は、原告を本件土地に案内し、その後もっと良い土地があるということで幕別町の土地に案内したことがあり、原告は本件土地の代りに幕別町の土地を買替えたものであると供述している。

しかし、同被告の供述によれば、同被告は原告との折衝を含めて売買の事務を直接担当したことはなく、名目的な代表取締役にすぎなかったというのであるから、右の買替えについての供述も確実な根拠に基づくものであるとは思われない。

5  《証拠省略》によれば、原告代理人が昭和五九年九月一二日に訴外会社及び被告辻岡に対し、原告は訴外会社から本件土地を代金八〇〇万円で買受けたとして、右八〇〇万円の返還を請求する内容証明郵便を発送したところ、訴外会社及び被告辻岡は同年一一月九日、原告代理人にその回答を内容証明で発送したが、その中には売買代金額が八〇〇万円であることを否定する趣旨の記載は全くないことが認められる。

しかし、右事実から直ちに訴外会社が売買代金八〇〇万円を受領したことを認めていたものということはできない。

なお、被告辻岡の本人尋問の結果によれば、同被告は右内容証明郵便を送付するに際して、訴外会社が原告から受領した代金額を調査した訳ではないことが認められる。

6  以上のとおりであるから、本件土地の売買契約が合意解除されて、その後に幕別町の土地の売買契約が締結されたという事実も、原告が六〇〇万円のほかに更に二〇〇万円を支払ったという事実もこれを認めるに足りる証拠はない。

なお、なぜ幕別町の土地について所有権移転登記がされているのか、その理由は明らかではない。

三  《証拠省略》によれば、以下の事実が認められる。

1  訴外会社は、昭和五七年九月に明治住建株式会社と商号を変更し、以後北海道の土地を購入し、これを販売する営業を始めた。その対象となる土地は北海道の十勝、帯広地方の土地である。

2  訴外会社の土地の販売方法は、飛び込みで顧客と交渉し、見込みがありそうな客を温泉や景勝地で行われる説明会に無料招待し、説明会で北海道の土地を買受けることが有利であることを強調して、その後相当の営業員が個別にその買受けを勧誘するという方法である。訴外会社はこのような説明会を月に数回開いていた。

売買契約の前には客を北海道の現地へは案内せず、売買契約が締結された後に現地に案内して契約の対象となった土地を確認してもらうことにしていた。

また、《証拠省略》によれば、本件土地の固定資産税評価額は一平方メートル当り二円前後であり、この土地の付近の売買事例は東京都などに在住している者が買受ける以外は事例がないが、取引価格は反当り六万円前後であろうと推測されること、幕別町字明野四九六番九四の土地の固定資産税評価額は一四三三円(一平方メートル当り二・八〇円)で、その時価は一平方メートル当り五〇円ないし八〇円程度であること、昭和五九年度北海道地価調査書(七月一日調査)には、幕別町字日新三四番六三の山林一三万二八一〇平方メートルの一〇アール当りの価格が一〇万円であるという事例が報告されていることが認められる。本件土地の時価が一反(三〇〇坪)六万円であるとすれば、一坪は二〇〇円であり、本件土地(一五五坪)の売買代金額六〇〇万円はその約二〇〇倍となる。

次に、《証拠省略》によれば、原告が本件土地を買受けた状況は次のとおりであったものと認められる。

1  原告は昭和五八年三月に日本女子大学助教授を退職し、一人暮しをしていた。当時年齢は七〇歳に近かった。判断力は相当低下しており、また土地売買の経験はなかった。

2  昭和五八年四月上旬、訴外会社の社員がアンケート調査と称して原告を訪れ、その後アンケートで当ったから温泉に無料招待すると言ってきた。そこで原告は四月上旬に二〇人位の客と一緒に温泉へ出かけたが、その際、訴外会社から説明会の席上、「現金は目減りするのでそのまま所持しているのは得策ではない。これに比較して土地は値上りすることはあっても値下りすることはないから安全である。我々が北海道に良い土地を所有しているから買うことをすすめる。二、三年後には三割増し位で買取る。」との説明をされ、土地の買受けを勧誘された。

そこで原告は北海道の土地を買受けることにし、温泉からの帰途訴外会社に連れてゆかれ、その場で売買契約を締結し、手付金を支払った(これが四月九日頃締結された最初の売買契約であろうと推測される。)。

3  昭和五八年四月一一日に支払った四二八万円については、訴外会社の社員が原告の印章と預金通帳を原告から預って銀行へ行き、払戻しを受けている。

以上の事実を総合すれば、訴外会社は北海道の極めて安価な土地を温泉等に無料招待した客に甘言をもって勧誘して高額な代金で売りつけるという営業をしていたものであって、このような営業行為は全体として不法行為にあたるというほかはない。

そして、原告に対する本件土地の売却行為も、老齢で判断力が充分でなく、不動産取引に経験のない原告に甘言をもって、あるいは事実に反することを述べて、時価の二〇〇倍もの価額で土地を売却したのであるから、やはり不法行為にあたるものというべきであり、原告はこれによって六〇〇万円の損害を被ったことになる。

四  そこで被告らの責任について検討することにする。

1  被告辻岡について

被告辻岡が昭和五七年九月から昭和五九年四月まで訴外会社の代表取締役として登記されていたことは当事者間に争いがないところ、同被告は、訴外会社の代表取締役として名義を貸したにすぎないと主張している。

しかし、《証拠省略》によれば、以下の事実が認められる。

被告辻岡は、小原喜一(《証拠省略》によれば、小原は訴外会社のオーナーであり、訴外会社では会長と呼ばれていたことが認められる。)に依頼されて訴外会社の代表取締役に就任した。訴外会社の営業は北海道の土地の販売であるということであった。被告辻岡はコンピューターの技術者であり、不動産業についての経験は全くなかったが、名前だけ貸してもらいたいということであったので、小原の依頼を承諾した。名義料として月一〇万円を支払うという話であった。

被告辻岡は、当初は訴外会社の業務に全く関与せず、出社もしなかったが、昭和五七年一一月中旬になって訴外会社が資金的に苦しく、社員の給料も支払えない状態であると聞いたので、資金繰りに努力して資金の手当をし、以後は昭和五九年四月に代表取締役を辞任するまでほとんど毎日出社した。

訴外会社の実権は小原が握っていたが、被告辻岡は、訴外会社が客を温泉等に招待して説明会を開き、そこで買受けの勧誘をするという方法をとっていることは知っており、四、五回は右の招待旅行に参加しているのであって、説明会場に出たことも一、二回はある。また、買受けた土地の現地案内をするために原告と北海道へ同行したこともある。訴外会社が坪四〇〇〇円ないし四五〇〇円位で購入した土地を坪四万円位で売却していることも知っていた。

被告辻岡は名義料(月一〇万円)は全く受取っていないが、出社するようになってから三か月位後から代表取締役辞任まで一か月六〇万円の報酬を受領している。

以上の事実が認められる。

右認定の事実によれば、被告辻岡は訴外会社の実権は有しておらず、名目的な代表取締役であったとしても、訴外会社の営業方法、営業内容を知りながら代表取締役の地位にあって一定の役割を果たしており、その営業活動の一部には自ら参加していたのであるから、訴外会社の違法な営業行為に少なくとも過失によって荷担したものというべきであり、共同不法行為者として原告に対する損害賠償責任を免れるものではない。

2  被告坂元について

《証拠省略》によれば、同被告は昭和五七年八、九月頃知り合いであった小原喜一からすすめられて訴外会社に入社してその営業に従事し、昭和五八年五月に退職したこと、原告が出席した昭和五八年四月上旬の説明会には被告坂元も出席しており、四月二三日の本件土地の売買契約は、被告坂元が自ら招待旅行の際に原告に対し「資金があれば、もう少し買い増しして下さい。」とすすめたことによって成立したものであること、四月二三日に支払われた一万円、四月二五日に支払われた一七〇万円はいずれも被告坂元が原告から受取っていること、右一七〇万円は被告坂元が原告の代りに銀行へ赴いて預金の払戻しを受けていること、被告坂元は訴外会社の販売する北海道の土地を実際に見てはいなかったこと、以上の事実が認められる。

被告坂元は、入社に当り専務取締役として採用すると言われていたが、これを拒否したまま退職したと主張し、被告坂元本人はこれに沿う供述をしている。しかし、《証拠省略》によれば、被告坂元は訴外会社の「専務取締役」という肩書の付された名刺を訴外会社から支給されてこれを使用しており、原告にも交付していること、被告坂元は訴外会社における営業の総責任者であって、実際に専務取締役としての地位にあり、社内で専務と呼ばれていたことが認められる。したがって、被告坂元は専務取締役ではなかったとする前記の同被告の供述は措信することができない。

そうすると、被告坂元は、訴外会社の専務取締役として営業の責任者の地位にあったのであるから、その間の訴外会社の営業行為については責任を免れることができないものであり、しかも原告への売却についても自ら関与している以上、共同不法行為者として原告の被った損害についてこれを賠償する責任を負うものといわなければならない。

なお、被告坂元は、本件土地の売買契約は昭和五八年六月に合意解除され、被告坂元は同年五月に退職しているから、同被告の責任は消滅したと主張する。しかし、この合意解除の事実が認められないことは前述したところである。もっとも、原告と被告坂元との間ではこの合意解除の事実は争いがないが、合意解除により原告の損害がいったんは回復されたというのであれば格別、そのような事実は認められないのであるから、被告坂元は原告が昭和五八年四月までに被った六〇〇万円の損害についての責任を免れるものではない。

五  以上述べたとおり、被告らは原告に対し、不法行為に基づく損害賠償として各自六〇〇万円を支払う義務があるから、原告の本訴請求のうち各自六〇〇万円及びこれに対する不法行為の後である本件訴状送達の翌日(被告辻岡については昭和六〇年三月一四日、被告坂元については同三月二九日)から支払済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分を正当として認容し、その余は失当として棄却することとする。

よって、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言について同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 矢崎秀一)

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