東京地方裁判所 昭和60年(ワ)5586号 判決 1990年11月19日
主文
二 原告の被告らに対するその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、これを二分し、その一を原告の、その余を被告らの各負担とする。
四 この判決の第一項は、仮に執行することができる。ただし、被告らにおいてそれぞれ金四〇万円の担保を供するときは、担保を供した被告は、仮執行を免れることができる。
事実
一 被告らは、各自、原告に対し、金二二〇万円及びこれに対する昭和五七年五月一九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 訴訟費用は、被告らの負担とする。
三 仮執行の宣言
(請求の趣旨に対する被告らの答弁)
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は、原告の負担とする。
三 担保を条件とする仮執行の免脱宣言
(請求原因)
一 原告の入院
原告は、昭和五七年五月一八日、医療法人鳳生会成田病院(成田病院)のA医師により、精神衛生法(昭和二五年法律第一二三号。同六二年法律第九八号による改正前のもの。以下「法」という。)三三条の規定による入院を要するものとされ、同日以降、同病院に入院した。
同病院の管理者であるA医師は、同年五月三一日、八王子市長に対し、原告の入院について保護義務者として同意するよう求め、これに対し、同市長は、六月五日、五月一八日付けをもって同意した。
原告は、その後七月一五日まで同病院に入院し、同日退院した。
二 入院の違法
原告の入院は、左記のとおり、憲法若しくは条約に違反する法律に基づくか、又は入院に対する保護義務者の同意の要件を欠くもので、違法である。
1 法三三条の違憲等
(一) 法三三条は、精神障害者で、医療及び保護のため入院の必要があると認められ、保護義務者の同意がある者について、本人の同意がなくても入院させうると規定しており(以下、同条による入院を「同意入院」という。)、精神障害者の生き方を自ら決定する権利(自己決定権)を奪い、判断能力を有する精神障害者をも対象とする点において過度に広範であり、個人の尊厳を規定した憲法一三条並びに市民的及び政治的権利に関する国際規約(国際人権B規約。以下「人権規約」)九条一項に違反する。
(二) 法三三条は、精神障害者についてのみ本人の意思に反する入院の制度を定めており、他の身体的疾患の患者と比べ、不合理な差別取扱いを定めたもので、平等原則を定めた憲法一四条及び人権規約二条一項に違反する。
(三) 同意入院の制度は、本人の同意を要せず人身の自由を奪い、刑事罰又はこれに準ずる不利益を国民に課することを内容とし、入院者は、入院中は通信の自由も制限を受ける可能性があり(法三八条)、退院後も多数の資格に制限を受けるなど、社会生活の上で不利益を受ける。また、法三三条は、「精神障害者」及び「医療及び保護のため入院の必要がある」という文言の適用が診断者によって左右され、適用する者の裁量を排除するに足りる基準に明示しておらず、恣意的に適用される可能性を排除していない。これらの点において、同条の規定は、曖昧であり、憲法三一条及び人権規約九条一項に違反する。
(四) 同意入院の制度は、人身の自由を制限する制度であり、適正手続の見地から、収容の理由の告知、不利益な証拠に対する反論の機会、有利な証拠の提出の機会、弁護人依頼権、独立の公正な第三者による審査、定期的な再審査などが保障されなければならない。これらを欠く同意入院の制度を定める法三三条の規定は、憲法三一条、三四条及び人権規約九条二項、四項に違反する。
2 八王子市長の同意の違法
昭和五七年五月当時、原告に入院及び保護の必要はなく、また、成田病院の医師の診断も、原告に躁鬱病の疑いがあるというもので、原告が法三三条による入院の対象となる精神障害者に該当するというものではなかった。
(二) 八王子市長は、原告の住所が八王子市内にあることは調査して確認したものの、原告の状態については原告と連絡して調査することをしなかった。
(三) 八王子市長は、昭和五七年六月五日、成田病院に対し、日付を同年五月一八日にさかのぼらせて原告の入院に対する同意をした。
三 被告国の責任
被告国は、その公権力の行使に当たる公務員の左記過失により、又はその事務を行う八王子市長のした違法な同意により、国家賠償法一条一項に基づき、又は故意、過失の有無を問わず(人権規約二条三項a参照)人権規約九条五項に基づき、原告が被った損害を賠償する責任を負う。
1 国会議員には、昭和二五年、法の制定に当たり、法が国民の権利を侵害するものであることを認識していたか、これを欠いたことに過失がある。
2 法の執行に当たる公務員には、法が憲法及び人権規約に適合するよう、法三三条の適用の対象を判断能力が著しく減退した者に限定するために適正な指導をし、また、同意入院制度に各種の手続的保障をすべきであったにもかかわらず、これをしなかった点に過失がある。
四 被告八王子市の責任
被告八王子市は、代表者である八王子市長がした違法な同意により国家賠償法一条一項に基づき、原告の被った損害を賠償する責任を負う。なお、従来、被告八王子市においては、日付を入院初日にさかのぼらせて法二一条による八王子市長の同意をする取扱いがされ、このため、原告は、事前の同意を要しないと誤解したA医師により昭和五七年五月一八日から六月四日までの間、保護義務者の同意がないまま入院させられたのであるから、同被告は、原告の右期間の入院による損害についても賠償責任を負う。
五 原告の損害
原告は、違法な入院により、身体の自由を制限され、精神障害者のレッテルを貼られることとなり、将来にもわたり、精神的なものを含めて有形無形の損害(原告は、成田病院から七五万円の支払を受けたが、これを除いても、金二〇〇万円を下らない。)を被り、また、本訴の提起に当たり、原告訴訟代理人に訴訟の追行を委任し、その報酬として二〇万円の支払を約した。
六 よって、原告は、被告らに対し、それぞれ金二二〇万円及びこれに対する原告の損害の発生が開始した日の翌日である昭和五七年五月一九日から支払済みまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
(請求原因に対する被告国の認否)
一 請求原因記載一の事実は、認める。
二1 同二1の主張は争う。
精神障害者自身は、病識が乏しく、入院治療、保護の必要性についての十分な判断を期待し難く、法三三条は、精神障害者のうち医学的見地から入院治療、保護が必要であると診断された者に対する措置を定めたもので、保護義務者の同意を要件とし、人権尊重にも配慮しており、過度に広範な、又は平等原則に違反する規定であるとはいえず、憲法又は人権規約に違反するものではない。
被告国は、同意入院の制度について、昭和三六年八月一六日付け公衆衛生局長通知(衛発第六五九号)等により、統一的基準を示している。精神障害者の診断は、患者の諸症状、既往歴等を専門的、客観的かつ総合的に見て行われるもので、確立された診断技術、治療技術の下では恣意的な判断に流れることは医学的には考えられず、法三三条の文言が曖昧であるとはいえず、憲法又は人権規約に違反するものではない。
憲法三一条は刑事法の領域に関するもので、同意入院の制度には適用がない。また、同意入院の制度には、法三七条が都道府県知事の事後的な是正措置を定め、病院から都道府県知事に対する同意入院に関する届け出(法三六条)、患者本人からの手紙等諸般の事情から判断して必要があると認めるときは、二人以上の精神衛生鑑定医師による実地審査制度が設けられ、精神障害者でない者を入院させることがないような配慮がされている。また、入院者は、入院の前後を問わず、弁護士を依頼することを制限されてはおらず、入院の手続の適法性は、人身保護法によっても担保されているなど、十分な適正手続の保障がされており、憲法又は人権規約に違反するものではない。
2(一) 同2(一)の事実のうち、成田病院の医師の診断の内容は認めるが、その余は、否認する。
入院の際に病名が確定されていなければならないとする法的根拠はなく、同意申請書が適式に記載され、他に格別疑いを差し挟まなければならない事情もないから、八王子市長の同意は、原告の保護に欠けるとは言えない。
(二) 同(二)の事実は、認める。
精神医療上の診断が高度に専門的であることを考慮すると、保護義務者は、治療に当たる医師の診断により入院を要するとされている以上、医師が、資格もないのに診断をしているか、又は第三者と通謀の上で治療以外の目的の下に入院させるなど、入院が精神障害者の保護にならないことが明白な場合でない限り、医師の診断を尊重して入院に同意しても違法ではない。
(三) 同(三)の事実は、認める。
八王子市長の同意の日付をさかのぼらせたことが原告の入院をもたらしたものではなく、それによって損害が生じたものではない。殊に、A医師は、原告の父及び兄の同意があり、適法な同意入院であると誤解しているのであって、後日八王子市長の日付をさかのぼらせた同意が得られることを信じて原告を入院させたものではない。
三 同三は、争う。
1 国会議員の立法行為が国家賠償法一条一項の適用上違法となるかどうかは、国会議員の立法過程における行動が個別の国民に対して負う職務上の法的義務に違背したかどうかの問題であって、当該立法の内容の違憲性の問題とは区別されるべきである。仮に当該立法の内容が憲法の規定に違反するところがあるとしても、それ故に国会議員の立法行為が直ちに違法の評価を受けるものでなく、立法の内容が憲法の一義的な文言に違反しているにもかかわらず国会があえて立法を行うような例外的な場合にのみ、国家賠償法上、違法の評価を受ける。本件は、右例外的な場合に当たるものではない。
2 法三三条の適用の対象者を原告のように限定して解釈することは、新たな立法行為にほかならず、行政庁にこれを指導する権限はない。また、被告国は、同意入院について昭和三六年に統一的な取扱要領を示し、法の施行の際には「精神衛生法の施行について」(昭和二五年五月一五日厚生省発衛第一一八号)の通知を行い、適正かつ必要な指導をしている。
四 同五は、争う。
(請求原因に対する被告八王子市の認否)
一 請求原因記載一の事実は、認める。
二1 同二2(一)の事実のうち、成田病院の医師の診断が原告に躁鬱病の疑いがあるというものであったことは認めるが、その余は、否認する。
2 同(二)の事実は、認める。
保護義務者が入院の同意をするに当たり調査すべき事項や内容について法に定めがないが、八王子市長は、成田病院のA医師から原告の入院について同意を求められ、原告の住所を調査して八王子市内に居住している事実を確認して同意した。患者である原告の治療や入院の必要性の有無は病院の管理者が判断する義務を負う事項である。
被告八王子市は、昭和五九年八月九日、東京都に対し、入院に係る同意をするについて調査すべき事項を照会したところ、東京都は、市町村長の調査は住所、家族構成等形式上の審査をすれば良い等の回答をしており、また、厚生省も、同意に関しては法が実情に即していないことは認める趣旨の回答をし、いずれも被告八王子市の取扱いを是認又は黙認している。
法律解釈に異なる見解がある場合、公務員が一方の見解に立って公務を行い、それが違法と判断されても、直ちに公務員に過失があるということはできず、八王子市長が原告の入院に係る同意をするについてした行為は、今まで解釈に争いがなかったところに従ったものであるから、故意又は過失がない。
3 同(三)の事実は、認める。
八王子市長が同意の日付をさかのぼらせたのは、従前から病院側の要請があり、それが慣例となっていたことによる。
三 同四は、争う。
昭和五七年五月一八日から六月五日までの間の原告の入院は、保護義務者の同意のない違法なものであり、八王子市長が同意の日付をさかのぼらせて同意したからといって、成田病院の違法な拘束が適法なものになるものではなく、日付をさかのぼらせた同意によって原告に損害が生じたものでもない。
四 同五は、争う。
(被告八王子市の抗弁)
原告と成田病院は、昭和五八年一二月二六日、原告の入院に関して七五万円をもって和解し、同日、支払を受けており、原告の損害は、消滅した。
(被告八王子市の抗弁に対する原告の認否)
原告と成田病院とが被告八王子市主張のころ、その主張の内容の和解契約を締結し、金員の支払を受けたことは認めるが、その余は、否認する。
(証拠)<省略>
理由
昭和五七年五月一八日、原告は、成田病院のA医師により、法三三条の規定による入院を要するものとされて同病院に入院した。同月三一日、同病院の管理者である同医師は、八王子市長に対し、保護義務者として原告の入院に同意をするよう求め、六月五日、同市長は、五月一八日付けをもって同意した。原告は、同病院に七月一五日まで入院し、同日退院した。(以上について、当事者間に争いがない。)
二 (法の憲法違反及び国会議員による違法な公権力の行使の有無)
国会議員の立法行為が国家賠償法一条一項の適用上違法となるかどうかは、国会議員の立法過程における行動が個別の国民に対して負う職務上の義務に違背したかどうかにかかり、当該立法が憲法又は条約に違反することから直ちに右義務違反を肯定することはできない。国会議員は、立法に関しては、原則として、国民全体に対する関係で政治的責任を負うにとどまり、個別の国民の権利に対応した関係において法的義務を負うものではなく、立法の内容が憲法の一義的な文言に違反しているにもかかわらず、国会があえて立法を行うというような例外的な場合でなければ、国家賠償法一条一項の規定の適用上、違法の評価を受けるものではない。同意入院の制度を定めた法三三条の規定は、原告の指摘する憲法又は人権規約の規定の一義的な文言に違反するものということはできず、右規定を含む法の立法行為が国家賠償法一条一項の規定の適用上、違法の評価を受けるものではない。この点に関する原告の主張は失当である。
三 (法の憲法違反及び法の執行に当たる公務員による公権力の行使の違法)
1 都道府県知事による入院措置の制度(法二九条。以下、同条による入院を「措置入院」という。)は、本人の意思にかかわりなく入院させることを容認するが、同制度の下では、本人が精神障害者であり、かつ、医療及び保護のために入院させなければその精神障害のために自身を傷付け又は他人に害を及ぼすおそれがあることにつき、あらかじめ指定された二人以上の医師による診察の結果の一致すること等が予定され、また、入院の必要性を欠くに至った場合には、知事による入院措置の解除も義務づけられている(法二九条の四)。一方、同意入院の制度は、医療及び保護のため入院の必要があると認められる場合であって保護義務者の同意があるときには、本人の同意がない場合であっても、精神障害者を入院させることを容認するもので、法の規定によれば、精神障害者に該当すること並びに医療及び保護のための入院の必要性の判断は、資格のある医師がすることとされている。
2 同意入院の制度は、一般の疾病の場合と同様に治療のための任意の入院(向学上「自由入院」と呼ばれる。)契約が成立していること、又は、精神障害者に意思能力がないなどのために入院契約の効力に疑問がある場合においては、精神障害者本人又はその扶養義務者等、治療を求める者との間に任意の入院契約の外形があることを前提とするものであって、後記認定の精神障害の特質に鑑み、保護義務者の同意がある場合には、本人の同意を要しないで入院させることを認めたのにとどまり、有効な入院契約又は入院契約の外形のいずれもないにもかかわらず、精神障害者本人を意思に反して拘束し、入院させる権限を医師に与えるものではない。このことは、人身の自由の剥奪には法定の手続を要求し、身柄の拘束には司法官憲の発する令状を要求する憲法三一条及び三三条の法意に照らしても、明らかである。
同意入院につき、本人の同意ではなく、保護義務者の同意を要することとした法の趣旨は、他の疾病と異なり、精神障害においては、本人に病気であることの認識がないなどのため、入院の必要性について本人が適切な判断をすることができず、自己の利益を守ることができない場合があることを考慮し、保護義務者の同意の手続を通じて精神障害者本人の利益をより厚く保護しようとしたことにあると解するのが相当である。もっとも、同意入院については、入院後の都道府県知事の審査による退院命令の制度(法三七条参照)はあるものの、措置入院におけるような入院の要件の審査のための複数の医師による診察、入院措置の解除の義務づけ等理由のない入院から精神障害者を保護する手続が予定されていない。これは、措置入院について、自傷のおそれから本人を保護し、又は意思に反しても本人を入院させることによって他害のおそれから他人を保護する必要があることが入院の要件とされるのに比べ、同意入院については、医療及び保護という専ら本人の利益のために入院の要件が審査されるものであるため、措置入院の要件の審査の場合のような厳格な手続を設けるまでもなく、保護義務者の同意の手続を通じて容易に入院を回避することができ、これにより理由のない入院からの本人の保護が十分に確保されることを予定しているからに外ならず、同意入院の対象者に対する保護をより薄くし、本人の意思に反する入院を措置入院による場合より容易にする制度を設ける趣旨に出た(立法府がそのような憲法上重大な疑義を有する制度を設ける意図の下に立法したと推認すべき事情は、見当たらない。)ものと解すべきではない。換言すると、専ら本人の利益のためにある同意入院の制度において、理由のない入院から精神障害者を保護する手段は保護義務者の同意のみであることに鑑みると、法は、保護義務者の同意の手続が、措置入院において理由のない入院から精神障害者を保護するために定められた厳格な手続と同等かあるいはそれ以上の機能を果すことを予定しているものと解するのが相当である。法は、保護義務者の義務について精神障害者に必要な医療を受けさせ、行動を監視し、財産の保護を行うべきこと(法二二条)を定め、その権限について同意入院に対して同意を与えうること(法三三条)を定めるにとどまり、右権限を行使する基準を定めた規定は見当たらない。しかしながら、前記の法の予定する保護義務者の同意の機能に鑑みると、法は、保護義務者に対し、同意入院への同意をするに当たっては、保護義務者が自ら入院契約を締結した場合を除き、有効な入院契約又は前記のような入院契約の外形が存すること、及び法の定める入院の要件に関する医師の判断の当否について疑いを抱くべき事情のないことを確認すべき義務を負わせているものと解するのが相当である。このように解することによって、同意入院の制度について、適正手続の保障の欠如等の重大な憲法上の疑義を除きうるものというべきである。
3 右の解釈を前提とすると、同意入院の対象者が法の上でも措置入院の対象者又は他の一般の疾病の患者と比較して、取扱いを異にする合理的な理由があるということができる。そして、精神障害者の自由を制限する同意入院の制度は、法律に根拠を置き、保護義務者に対して同意を求めるに当たって入院を要する理由が告げられることは法律上予定されているほか、前記のとおり都道府県知事の審査による退院命令の制度も予定され、弁護人に依頼する権利もなんら制限を受けるものとは解されず、違法な拘束については人身保護法による救済の途は当然開かれている。
右に認定した同意入院の制度の趣旨、仕組みに鑑みると、同意入院の制度を定めた法三三条の規定が原告の主張するように憲法又は人権規約の諸規定に違反するものということはできない。法の執行に当たり、行政庁がなんらの指導をしなかった点の違法を咎める原告の主張は、前提を欠く。
四 (原告の入院に対する八王子市長の同意の違法)
1 原告の入院及び右入院に対する八王子市長の同意の経緯について、<証拠>を総合すると、次の事実が認められる(一部前記認定の争いない事実を含む。)。
(一) 原告(昭和二〇年四月六日生)は、昭和四八年五月結婚し、妻の両親と養子縁組したが、同五三年七月ころから妻と別居した。原告は、同五五年七月一三日から同五六年五月一五日まで、鬱病の治療のため、成田病院に入院した。右入院について、法三三条に定める保護義務者の同意は、されていない。
(二) 原告は、同五七年五月一八日当時、八王子市内に居住して就職していたが、前記入院の経歴を理由に勤務先を解雇され、その効力を争うについて弁護士の示唆を受け、治癒したとの診断書を得るため、同日、成田病院を訪れてA医師の診察を受けた。同医師は、原告について、多弁で浪費が激しく、他人に害を加えることはないが、迷惑をかける可能性のある躁状態にあると診断し、また、同五六年五月の退院後も定期的に来院しないなど外来による治療も期待できず、入院させることが本人の利益になると判断し、数人の看護士により原告を拘束し、入院させた。原告の拘束後、A医師は、原告の父親と兄から入院への了解を得、これによって原告を法三三条により適法に入院させたものと解していた。
(三) 成田病院は、原告の入院後の同五七年五月三一日、病名「躁鬱病の疑い」、通知事由欄に「保護義務者選任申立て中」と記載し、A医師名義をもって書面<証拠>を八王子市長に送付し、原告の入院への同意を求めた。
(四) 八王子市長は、原告の住所が八王子市内にあることを確認した外には格別の調査をすることなく、同年六月五日、病院からの要請でもあり、従前からの慣例となっていたところに従い、日付を同年五月一八日にさかのぼらせた原告の入院への同意の書面を成田病院に送付した。
(五) 原告の入院当時の法二〇条の規定による保護義務者は配偶者のみであり、原告の退院(同年七月一五日)後の同年七月二六日、実父が原告の配偶者に優先する保護義務者に選任された。
2 右認定のとおり、原告は、自身が精神障害者に当たるか、又はその疑いがあると認識してA医師に治療を求めたものではない。治療及びそのための入院を求めておらず、逆に、前記認定の経緯により、前同年五月一八日、入院の意思がないことの明らかな原告を意思に反して拘束し、同年七月一五日までも拘束することは、法三三条に基づく同意入院とはかかわりのないもので、私人(成田病院)による逮捕及び監禁に外ならず、原告に対する不法行為となる(右拘束の開始後、原告の父親及び兄がこれを了解したことは前記認定のとおりであるが、これによって原告の拘束が違法でなくなるものではない。)。
前記のとおり、同意入院が任意の有効な入院契約又は入院契約の外形の存在を前提としながら、精神障害者の意思に反する拘束という重大な法益の侵害を招来するものであること、一方、入院の要否は医師の専門的判断を前提とするものである点に鑑み、法は、保護義務者に対し、自ら入院契約を締結した場合を除き、同意するに当たり、右前提事実、即ち入院契約締結の事実(本人を診察するに至った経緯等を含む。)、法三三条の定める入院の必要性に関する医師の判断について疑義を抱くべき事情のないことを確認する義務を負わせている。そして、保護義務者の同意は、医師による拘束とともに、精神障害者の意思に反する拘束の直接の原因に当たり、保護義務者は、精神障害者本人との関係においても、前記確認をする義務を負い、これをしないでされた同意により違法な拘束がされるに至ったときは、保護義務者も、同意したことに基づき、違法な拘束について責任を免れないと解するのが相当である。このことは、法二一条の規定によって市町村長が保護義務者となる場合においても、異なるところはない。
3 昭和五七年五月一八日当時、原告が配偶者と別居しており、他に保護義務者が選任されていないことは前記認定のとおりで、唯一の保護義務者(配偶者)がその義務を行うことができないときに当たり、八王子市に居住する原告の法三三条の規定による入院については、八王子市長が保護義務者としてこれに同意する権限を有していたと解すべきである(法二一条参照)。
前記認定のとおり、原告が成田病院に拘束されるに至った経緯は、原告本人又は親族からの求めに基づくものでなく、前同日当時のA医師の診断による原告の状態は、多弁で浪費が激しいというもので、法三三条の要件を具備しないものと解せざるを得ない。加えてA医師は、「躁鬱病の疑い」を理由として原告の入院について八王子市長の同意を求めている。右理由の記載によっては、原告が、精神障害者に当たるが病名を確定し難い場合、又は精神障害者に当たるかどうか自体に疑いがある場合、のいずれに該当するのか明らかでなく、法三三条の入院の要件を満たしているかどうかに疑義があるという外ない。
本件の場合、成田病院からの同意を求める書面には、原告が入院の要件を満たしていることに疑義のある記載がされ、「保護義務者選任申立て中」という八王子市長の保護義務者の権限の行使に疑義を生じる記載もされており、原告の入院の要件の有無及び同市長の権限の有無のいずれの点にも疑問が存した。右事情の下で、原告に係る入院契約締結の事実の確認も、前記疑義の確認もされず、原告の住所地のみを確認してされた原告の入院に対する八王子市長の同意は、原告に対する関係においても違法であり、また過失があるというべきである。
被告国は、同意を求めるに当たり病名が確定されていなければならないものでなく、医師により入院を要するとされた以上、精神障害者の保護に全くならないことが明白でない限り、医師の診断を尊重して保護義務者が入院に同意することは違法でないと主張し、また、被告八王子市は、治療や入院の必要性の有無は病院の管理者が判断すべき事項であって、保護義務者である市町村長は対象者の住所、家族構成等形式上の審査をすれば足りると主張する。
同意を求めるに当たり、病名が確定されていなければならないものでないことは、被告国の主張するとおりである。しかし、前記のとおり、本件は、同意申請書自体から原告の入院の要件の存否、及び八王子市長の権限に疑問を生じる場合であって、被告らの主張は、前提を欠く。
被告八王子市は、また、解釈に争いがなかったところに従って原告の入院に同意したことを理由に八王子市長の行為に故意又は過失がないと主張するが、同市長による同意に過失があるとすべきことは、先に判断したとおりである。
4 成田病院は、八王子市長の同意が得られない場合にもなお、原告の入院を継続したとは解し難く、かえって、右同意が得られなければ、原告を退院させたと推認しうるところであり、八王子市長の違法な同意と同意の日以降の成田病院による違法な入院の継続との間には、相当因果関係を認めうる。
A医師は、前記認定のとおり、前同年五月一八日、保護義務者の同意がないまま原告の拘束を開始し、事後的に父親と兄の了解を得たことによって原告を法三三条の規定により適法に同意入院させたものと解していた。右認定の事実の下では、原告の違法な拘束は、A医師の法についての初歩的な知識の欠如の結果として開始されたものと解すべきである。確かに、前記認定のとおり、違法な拘束が一〇日以上も経過した後に、成田病院からは、管理者であるA医師名義をもって八王子市長に対して保護義務者としての同意が求められ、八王子市においても、病院の要請と従前からの慣例に従い、日付を原告の入院の日にさかのぼらせた同意書を送付した。しかし、成田病院と八王子市との間において、従前も同様の取扱いをし、成田病院においてこれに期待して事後の同意を求め、八王子市長においても、右事実を基に同意したと認めるに足りる証拠もないから、日付をさかのぼらせて原告の入院に同意を与えたことと前同日から八王子市長の同意がされるまでの間の成田病院による違法な入院の継続との間に因果関係を認めることはできない。
結局、原告の入院期間中、同年六月五日から同年七月一五日までの違法な拘束を継続されて被った損害は、八王子市長の保護義務者としての義務を尽くさない違法な同意によって生じたものと認められる。
五 (被告八王子市の抗弁について)
昭和五八年一二月二六日、原告と成田病院が原告の入院に関して七五万円の支払をもって和解し、同日、原告が金員の支払を受けた事実は右当事者間に争いがないが、右和解によって原告の全損害を回復する合意をしたものと認めるに足りる証拠はなく、同被告の抗弁は、理由がない(右主張は、原告の損害の一部の填補に関する主張として考慮される。)。
六 (原告の損害)
原告は、同意入院に対する八王子市長の違法な同意により、昭和五七年六月五日から同年七月一五日までの間違法に拘束され、身体の自由を奪われて損害を被ったもので、違法な入院であっても、精神病院に入院した経歴を有する者が社会一般から受ける取扱いに厳しいものがあること(公知の事実である。)をも考慮すると、これを慰藉するに足りる賠償額は、一五〇万円をもって相当とする。そして、原告が右入院によって被った損害について、成田病院から七五万円の支払を受けたこと(被告八王子市の抗弁)は原告と被告八王子市との間において争いがなく、被告国との間においても、原告の自認するところであるから、原告の未だ回復されない損害は、七五万円となる。
原告が本訴の追行を原告訴訟代理人に委任したことは、当裁判所に顕著であり、同人との間に二〇万円の報酬の支払を約したことも弁論の全趣旨によって認めうる。右報酬の支払は、本件訴訟の内容、進行を考慮すると、八王子市長の違法な同意との間に因果関係を認めうる損害に当たる。
七 (結論)
法三三条の規定による入院に対する八王子市長の同意に関する事務は国家賠償法一条一項に規定する公権力の行使に当たり、また、被告国の機関委任事務に該当するから、被告国は、その事務の執行として八王子市長がした同意の違法により原告が被った損害を賠償する義務を負い、また、被告八王子市は、その代表者である市長が被告国からの委任に基づく事務としてした同意の違法により原告が被った損害を賠償する義務を負う。
よって、原告の本訴請求中、被告ら各自に対して損害賠償金九五万円及びこれらに対する原告が退院した日(不法行為の終了した日であり、原告の損害額は、同日確定したものと解される。)から支払済みまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金を求める部分は理由があり、正当として認容し、その余は失当として棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条、九三条、仮執行及びその免脱の宣言について同法一九六条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 江見弘武 裁判官 貝阿彌誠 裁判官 福井章代)