東京地方裁判所 昭和60年(合わ)240号 判決 1986年1月08日
主文
被告人を懲役二年六月に処する。
未決勾留日数中六〇日を右刑に算入する。
理由
(共謀の成立過程と犯行準備)
被告人は福島県南会津郡に生まれ育ち、地元の高校を卒業後上京してバスガイド、百貨店の派遣店員などの職を移り変り、享楽的で放逸な生活にますます羨望を抱くようになつていたところへ、昭和五六年五月ころマリファナパーティで三浦和義を知り、同人の身ごなしや言動に都会的な魅力を感じて惹かれ、間もなく情交関係を持ち、特に七月初めころその世話で以前の愛人から易易と慰謝料を入手できてからは、自分の身を案じてくれて頼りになるという信頼感を強め、恋情をますますつのらせていたものである。
その矢先の七月一〇日ころ、渋谷区内の喫茶店で和義と会つた被告人は、同人から、妻が競争相手に情報を流してその社長と浮気をしており、子供の面倒も見ない、妻を殺してくれれば保険金を半分やるなどと殺人への加功を持ちかけられた。被告人は、このような重大な話を打ち明けるのは和義もまた自分を信頼しきつていればこそだと心揺すぶられ、成功したら一生共に居ようという言葉に有頂点になると共に、悪妻に悩まされている同人の力になろう、保険金の分け前でかねて望んでいたような生活もできると考え、発覚の危険はないと説く同人の言うがままに加担を決意、その翌日ころ同じ店で和義にその旨返答し、こののち同年八月六日ころまでの間、両名で逐次犯行の手順を打ち合わせた。その概要は、犯行は犯罪も多く警察力も弱いロスアンゼルスで行う、そのためには被告人は東急観光株式会社の八月一〇日出発ツアーに参加し、和義は妻一美を伴つて被告人と同じホテルに泊まり合わせる、犯行はツアーの自由行動日である現地日八月一三日とし、被告人が実行にあたる、一美が一人在室している時に襲えるよう和義が手配する、生命保険金三〇〇〇万円の半分は被告人がもらうというものであつて、これら一連の謀議に並行して被告人はツアー参加を申し込み、和義から費用として渡された金を旅行会社に払い込んだ。
こうして八月一〇日、被告人はツアーの一員として成田を発ち、一二日(アメリカ合衆国太平洋標準時、以下同じ。)、合衆国カリフォルニア州ロスアンゼルス市サウスロスアンゼルスストリート一二〇所在ザ・ニューオータニホテルアンドガーデンに入り、和義もまた一美と共に同日同ホテルにチェックインした。
なお、当時一美を被保険者とし、和義又は法定相続人(和義と子供)を受取人とする生命保険の災害死亡保険金は合計一億五五〇〇万円となつていたものである。
(罪となるべき事実)
被告人は同月一三日午前一〇時ころ(前同様現地時間、以下同じ。)、前記ホテルの自室に和義を迎え、兇器としてハンマー状のT字型金属具(重量約一・五キログラム)を受け取り、和義夫婦の部屋番号や一美の服装、特徴などを聞き、同女が中国服の仮縫いのため中国系女性が訪れるのを夕方一人で待つ段取りをつける旨告げられ、更に、成功したら結婚しようという言葉を聞かされて一縷のためらいと不安も消え、犯行の意思を一層強くした。
そして同日午後六時過ぎころ、これから行くようにとの和義の電話を受けた被告人は、自らの発意で変装のため髪型を変えて準備をととのえ、七時前ころ、前記共謀に基づく一美殺害を実行すべく自室を出て二〇一二号室へ赴き、一美(当時二八年)に迎え入れられ、同女が特に警戒する様子もなく後姿を見せるや、所携の布袋から前記の兇器を右手に取り出してその後頭部を一回殴打したが、焦りもあつて見当が狂い、同女を制圧するほどの打撃を与えるにいたらず、却つて反撃する同女から兇器を取り上げられたため、全治約一週間を要する後頭部挫裂創を負わせたにとどまり、殺害の目的を遂げなかつたものである。
(証拠の標目)<省略>
(法令の適用)
被告人の判示所為は、刑法三条六号所定の国外犯であつて、同法六〇条、二〇三条、一九九条に該当するところ、所定刑中有期懲役刑を選択し、右は未遂であるから、同法四三条本文、六八条三号を適用して法律上の減軽をした刑期の範囲内で被告人を懲役二年六月に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中六〇日を右刑に算入することとする。
(補足)
弁護人は、被告人に殺意はなく、仮りに殺意があつたとしても未必的であり、また本件は中止犯である旨主張する。
しかし、そもそも、被告人が犯行に加担した目的、意図は一美を殺害してこそ実現できるものであるうえ、被告人は約一・五キログラムもの重量のあるハンマー状金属具で被害者の頭部を殴打し、また、犯行後数時間を経ずして自分は人を殺そうとした旨第三者に述べているという事情もある。結果的には見当が狂つて重大な結果を生ぜずに済み、後述の経緯で一回の加害に終つたという事情があり、また、犯行にいたるまでに心中何程かの躊躇や動揺があつたろうとも推測はできるが、右の事実は捜査過程におけるこの点の自白の信用性を裏付けるものであつて、少くとも実行の時点において被告人に確定的な殺意の存したことは疑い得ない。
また、本件が未遂に終つたについては、一撃を受けた一美が崩れるようにしやがみ込んだのを見て被告人が気おくれしたところへ、被害者のとつさの反撃を受けてその剣幕にたじろぎ、兇器を取り上げられてしまつたことによると認められるから、これをもつては、自己の意思により中止したものと言うこともできないものである。
(量刑の理由)
本件事案は、保険金目当てに殺人を企て、発覚を免れるため国外を犯行地に選び、周到な計画をめぐらし、準備を重ねて実行行為にまで及んだというものであり、その利慾的な動機と高度の計画性にかんがみ、事案自体の犯情は極めて悪質である。
これを被告人自身の個別的犯情に限つてみても、いわば共犯者の妻にとつて代ろうという狙いの外に、保険金の分け前にあずかる意図をも有していたと認められるのであつて、そのあまりに身勝手で自己中心的な動機に斟酌の余地は見出せない。そのうえ、犯行計画に早くから加わり、自らの判断も加えて着着と準備をすすめたばかりか、なによりも実行行為を一人でにない、本件の結果を招来しているのであるから、被告人の本件における役割ないし関与の度合いは決定的に重要なものがあつたと評価されて当然である。被告人の心情に共犯者に対する強い傾斜という基底があつてのこととはいえ、殺人の依頼を持ちかけられていとも安易に加担を決意し、一月以上にわたり特段の反対動機を形成することもなく犯意を抱き続けた無思慮と短絡性、倫理感の低さにも、単に若気のいたりと言い切れない非難要素を見ないわけにはいかない。
即ち、被告人の刑事責任には厳しく咎められてやむを得ないものがある。
もとより、本件が未遂に終り、被害者の怪我の程度も比較的軽く済んだことは被告人にとつて量刑上最も有利な事情である。犯行計画を立て、その手順を整えたのが主として共犯者であること、被告人が犯行を決意し動機を形成する経過においては、共犯者に対する恋情と心理的依存につけ込まれ、利用されたという一面のあるのを否定できないこと、未だ年若で前科前歴もなく、本件犯行についてすすんで告白し、捜査段階から自白し、自己の非を認めて反省悔悟の念が窺われること、父親を通じて被害者の両親に謝罪していること等の諸事情も、被告人に有利に若しくは同情的に考慮されて然るべきものであるが、記録上認められるその他一切の情状を総合して勘案してもなお、注文に示した刑はやむを得ないところである。
(求刑懲役三年)
よつて、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官柴田孝夫 裁判官林 秀文 裁判官渡邉 弘)