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東京地方裁判所 昭和60年(行ウ)3号 判決 1988年3月10日

東京都江東区亀戸六丁目四六番一号

原告

鬼島義夫

右訴訟代理人弁護士

榎本武光

加藤芳文

林秀信

前同所二丁目一七番八号

被告

江東東税務署長

豊森照信

右指定代理人

田中澄夫

和栗正栄

中川和夫

小野雅也

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が昭和五八年三月九日付けでした、原告の昭和五八年分の所得税の更正のうち総所得金額三九二万七一五二円、納付すべき税額一二万五四〇〇円を超える部分及び過少申告加算税の賦課決定(ただし、いずれも審査裁決による取消し後のもの)、昭和五五年分の所得税の更正のうち総所得金額四一七万九八二三円、納付すべき税額二四万九四〇〇円を超える部分及び過少申告加算税の賦課決定(ただし、いずれも審査裁決による取消し後のもの)並びに昭和五六年分の所得税の更正のうち総所得金額四〇一万六五一四円、納付すべき税額一六万四七〇〇円を超える部分及び過少申告加算税の賦課決定を、いずれも取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求に趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  処分の存在及び不服手続きの経由

原告は、昭和五四年分ないし昭和五六年分の所得税について、別表一の昭和五四年分、昭和五五年分及び昭和五六年分の各「確定申告」の項に記載のとおり確定申告をし、昭和五五年分については、更に同表の昭和五五年分の「修正申告」の項に記載のとおり修正申告をした。

これに対して、被告は、原告の昭和五四年分ないし昭和五六年分の所得税について、同表の昭和五四年分、昭和五五年分及び昭和五六年分の各「更正、賦課決定」の項に記載のとおり、更正及び過少申告加算税の賦課決定(以下、昭和五四年分の所得税の更正を「五四年更正」と、同年分の過少申告加算税の賦課決定を「五四年賦課決定」といい、昭和五五年分、昭和五六年分についても、同様に略記する。なお、昭和五四年分及び昭和五五年分については、いずれも審査裁決による取消し後のものを指すものとする。また、以下、右各年分の更正を全部併せて「本件各更正」、右各年分の過少申告加算税の賦課決定を全部併せて「本件各賦課決定」、右両者を併せて「本件各処分」という。)をした。

原告は、本件各処分について、別表一の昭和五四年分、昭和五五年分及び昭和五六年分の各「異議申立て」及び「審査請求」の項に記載のとおり、不服手続きを経由し、それぞれにつき各「同決定」及び「同裁決」の項に記載のとおり、異議決定及び審査裁決を受けた。

2  不服の範囲

本件の各処分は、推計の必要性も合理性もないのに拘わらず、推計課税の方法によりされている違法があり、また、原告の所得を課題に認定した違法がある。

3  よって、請求の趣旨記載のとおり、本件処分の取消しを求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因1の事実は認め、同2は争う。

三  抗弁

1  推計の必要性

(一) 原告は、梱包材料の卸売業を営む者であるが、被告は、原告の昭和五三年分ないし昭和五五年分の所得税の確定申告の内容を検討したところ、<1>右確定申告書の所得金額欄には所得金額のみが記載され、収入金額及び必要経費の額については何らの記載がなく、<2>右確定申告の申告所得金額は、一般の業況等に照らすと過少ではないかとの疑いがもたれるものであり、また、<3>原告に対し長期間調査を行つていなかつたこと等から、原告について、所得税の調査の必要があるものと認めた。そこで、被告は、所部の作宮光明調査官(以下「作宮調査官」という。)に調査を命じた。

(二) 作宮調査官は、昭和五六年一〇月二日午前一〇時頃、原告宅に赴いたが、原告は不在であつた。作宮調査官は、在宅していた原告の妻鬼島満津子(以下「訴外満津子」という。)に所得税の調査に来訪した旨告げた上で事業の概要等について説明を求めたところ、<1>原告が梱包材料の卸売りを業としていること、<2>原告は、原告の弟である鬼島健(以下「訴外健」という。)と二人で仕事をしているが、訴外健には給料を支払つており、原告の事業は、訴外健との共同事業ではないこと、<3>青色申告はできないこと等の説明があつたが、それ以外の質問に対しては、「よく分からない。」という返事であつた。そこで、同調査官は、原告が昼頃には一旦帰宅するということであつたので、訴外満津子に原告から午後一時頃に署に電話して欲しい旨の伝言を依頼して辞去した。

同日午後一時頃、原告から同調査官に電話連絡があつた。同調査官は、原告に対し、昭和五三年分ないし昭和五五年分の所得税の調査を行いたい旨を告げるとともに、右各年分の帳簿等を見せてもらいたい旨を依頼した。これに対して、原告は、「税金のことは組合(民主商工会を指す。以下同じ。これを「民商」ともいう。)の人に頼んであり、帳簿等は組合に預けてある。」、「組合の人にやつてもらつたから申告内容について私にはよく分からないよ。」、「組合の人に来てもらうかな。」と申し立てるのみで、同調査官の調査に対する協力要請には「とにかく組合の人に連絡するから。」というだけであつた。そこで、同調査官は、帳簿等を取り寄せておくように再度要請し、原告の方で都合のよい日を決めた上で、翌日の午前九時頃に電話連絡をもらいたい旨依頼した。

(三) 昭和五六年一〇月五日、訴外満津子から作宮調査官に、同月一五日の午後二時に原告宅に来てもらいたい旨の電話連絡があつた。

同調査官は、右約束の日時に原告宅に赴いたところ、作業場にゴザが敷かれ、その上にテーブルが設置されていた。また、江東民商亀戸東支部の青田支部長(以下単に「青田支部長」という。)及び松沢事務局員ら六名が立会人と称して待機していた。

同調査官は、原告に身分証明書及び質問検査章を提示して、昭和五三年分ないし昭和五五年分の所得税の調査に赴いた旨を告げた。同調査官は、右ゴザの上に着席したところ、青田支部長ら六人の立会人も同調査官を取り囲むように着席した。同調査官は、原告に対して、右六人の立会人が調査に関係のない者であること、このような状況の下では税務調査上の守秘義務が保持できないこと等を説明して立会人の排除を要請したところ、原告は、「俺が頼んで来てもらつているのだから構わない。」、「あんたが守秘義務を守ればそれでいいじゃないか。」等と申し立て、青田支部長らは、「俺達は勝手に押しかけてきたんじやなくて鬼島さんの委任を受けて来ているんだ。税法のどこに立会つてはいけないと書いてあるんだ。」と声高な発言を繰り返し、同調査官の右要請を全く聞き入れようとはしなかつた。更に、原告は、「調査する具体的な理由はあるんだろうな。」と調査理由に開示を求め、青田支部長も同様の発言をしたので、同調査官は、「電話で前に説明したように、鬼島さんの申告された所得が正しいかどうかを確認する必要があるというとが今回の調査の理由です。」と説明した。これに対して、原告は、「確認といつたが、調査と確認ということは違うぞ。」、「確認というのでは調査の理由にならない。具体的に何月分のどの部分がおかしいからと具体的に言つてくれ。」、「なんで今頃になつて三年分も調査するんだ。」、「今まで放つておいたくせに。」、「俺は間違いなく申告しているし、調査にもこうして応じているのだから税務署が来たからといつて恐れることは何もないんだ。」等と申し立て、また、青田支部長ら立会人らは、「税務署は最初から疑つているから調査に来たのだろう。」、「全般的に見せろというのでは自主申告納税ではなくなるだろう。」等の発言が交互に繰り返され、原告から進んで帳簿の提示をするなどの調査を受けようとする姿勢を全く示されなかつた。

以上の状況から、同調査官は、調査の協力についてこれ以上の進展は望めそうもないものと判断し、当日の調査をあきらめ、後日出直すことにした。

なお、原告から、帳簿書類については、調査年分を準備して箱に入れてあるような趣旨の発言もあつたが、原告が帳簿書類等を提示したことは全くなく、それらについての具体的説明もなかつたので、同調査官は、その内容を確認できなかつた。

(四) 作宮調査官は、昭和五六年一一月九日午後一時過ぎ、民商事務局員らの立会いのない状況で、原告と面接して帳簿等の提示を求め、調査に協力するよう説得するため、事前の連絡をしないで原告宅に赴いた。これに対して、原告は、「私は、組合に入つていて仲間もいるから、事務局員らの立会いの上でなければ帳簿は見せられないことになつている。」、「前の調査で二回もひつかけられているから、立会いなしには調査に応じにられない。」等申し立て、同調査官の説得には応じなかつた。

なお、調査の開始直後に、原告から「父が亡くなつてから初七日にもなつていない。」との話しがあり、同調査官も右事情を承知しないまま臨場したので、「そういう事情は知らなかつたから大変失礼した。」と原告に陳謝し、調査を直ちに打ち切つて辞去した。

(五) 作宮調査官は、昭和五七年五月一八日、原告宅へ赴き、原告に対し、原告から昭和五六年分の確定申告書が提出されたので、調査年分が昭和五四年分ないし昭和五六年分に変更された旨を告げ、民商事務局員らの立会いなしで調査に応ずるように説得した。しかし、原告は、「組合に入つている限り自分だけそんな勝手なことはできない。」、「組合の方でも税理士の国家資格を持つている人がいると聞いている。」と申し立てるのみで、同調査官の右説得に応じなかつた。そこで、同調査官は、このままでは、原告の帳簿書類等からの調査は行えないので、取引先に対する反面調査など税務署独自の調査を進めざるをえない旨を説明し、後日また連絡する旨を告げて辞去した。

(六) 作宮調査官から原告に対する調査事実を引き継いだ被告所部の岩本健弘調査官(以下「岩本調査官」という。)は、昭和五七年七月二九日午後一時三〇分頃、原告宅に赴いたが、原告は不在であつた。そこで、同調査官は、在宅していた訴外満津子に対し、調査担当官が変更になつたことを告げ、原告が帰宅したら明日にでも連絡して欲しい旨の伝言を依頼して辞去した。

同日午後、原告から同調査官宛に電話連絡があつたので、同調査官は、第三者の立会いのないところで調査に応じてもらいたい旨を要請した。しかし、原告は、「組合に入つているし、そういうわけにはいかない。」、「前々回の税務署の調査の時のようなことがあると困るから組合に連絡する。」と申し立てながらも、「お宅がうちへ来てくれるなら調査に協力するよ。」ということであつたので、同調査官は、くれぐれも調査に関係のない第三者を呼ばないように依頼して、八月六日午後一時から調査をする約束を取り付けた。

(七) 岩本調査官は、昭和五七年八月六日、約束の時刻に原告宅に赴いたところ、原告及び訴外満津子のほかに青田支部長ら五人の立会人が待機しており、調査の途中から、更に民商事務局員一人が立会人として参加した。同調査官は、原告に対し、身分証明書及び質問検査章を提示したうえ、調査に関係のない第三者を排除してくれるよう要請したが、原告は、「私は組合に入つているから、調査があるときはこういう形でやることになつている。」と申し立て、更に、青田支部長らが、「立会人が居ると調査できないのか。税法のどこに我々の立会いができないと書いてあるのか。」、「守秘義務はおまえが守ればいいんだ。俺達には関係ない。」と激しくその主張を繰り返し、しばらくの間、立会いの是非をめぐつて双方にやりとりが交わされた。

更に、原告が「お宅は電話で所得を確認すると言つたので、私はここにちやんと資料をそろえているんだから、早くどこが間違っているかいえよ。」と申し立てたので、同調査官は、「調査の理由は作宮からも説明があつたように、あなたの申告した所得金額が正しいかどうか確認することです。」と説明したところ、立会人から「それじや理由にならん。」、「何かあるだろう。何かが。」、「調査の理由を言えよ。鬼島さんだけ何回も調査を受けるなんておかしいんじやないか。」等の一方的な主張があつた。

以上のような状況にあつたことから、岩本調査官は、原告に対し、「こう言う状態では調査ができません。」と伝えたところ、原告は、「私は資料を見せると言つているんだ。」と言つて集計表を手にとり「どこがみたいの。」と言つたので、同調査官は、それを見せて欲しい旨申し入れたところ、原告は右集計表を提示した。同調査官は、右集計表から売上先と売上金額を書き写し始めたところ、原告から、「ちよつとまつてよ。お宅はさつき所得の確認がしたいと言つたろう。何で全部書き取る必要があるんだ。そろばんで計算して合わないところがあつたら俺にいえよ。そしたら、帳簿や伝票を調べて答えてやるから。」と発言があり、立会人らも「金額だけ計算して合つているかいないかしらべればいいじやないか。」とこれに同調した。これら対して、同調査官は、「調査のやり方についてあなた方の指図は受ける必要はありません。調査のやり方は調査官の裁量に任せられているのであつて、私は調査の必要から書き取つているのですからそれでご理解下さい。」と説明したところ、原告も一応納得したので、同調査官は引き続き書き取り作業を継続した。しばらくして、青田支部長がテーブルの下にセツトしていたテープレコーダーの録音テープの交換をしようとしたので、同調査官は、「何の目的でテープを取るのですか、やめて下さい。」と申し入れたところ、青田支部長は、「何だつていいだろう。」、「テープを取つてどこが悪いんだ。税法のどこに書いてある。後で勉強会に使うためだよ。」と言つて、同調査官の申し入れを聞き入れなかつた。同調査官は、「調査に関係のない第三者が勝手にテープを取るのは調査妨害に当たります。」と説明したところ、青田支部長は、「誰が調査妨害をしたんだ。妨害なんかしていないぞ。」、「調査妨害といつたな。じや、警察を呼べよ。」等と大声でまくし立て、極めて険悪な雰囲気となつた。

同調査官は、このような状況の下では正常な調査を続行することはできないと判断し、原告に対し、「このような状態では調査ができないので本日の調査を打ち切らざるを得ません。調査の打切りに至つた責任はすべてあなた側にあります。」と申し渡し、辞去したが、その際にも立会人等から種々の暴言が浴びせられた。

(八) 岩本調査官は、昭和五七年八月一一日、原告に対し、電話により立会人を排除して調査に協力するように要請したが、原告はこれを受け入れなかつた。

(九) 岩本調査官は、昭和五七年九月一一日、原告宅に電話したところ、原告は不在であつた。そこで、訴外満津子に対し、同月一七日の午後に原告宅へ調査に伺いたい旨を告げた。ところが、同月一三日、原告から同調査官に電話があり、調査日を同月二二日の午後に変更して欲しい旨の申し入れがあり、同調査官は、これを了承した。

同調査官は同月二二日午後一時過ぎ、五十嵐調査官を同行して原告宅へ赴いたところ、青田支部長が突然「この前の調査で立会人は認められないといつていたが、法律のどこに書いてあるのか言つてくれ。」と大声で怒鳴つたので、岩本調査官は、原告に対し「税務職員には職務上知りえた秘密を他に漏らしてはならないことになつており、いわゆる守秘義務が課せられているが、税理士でない第三者にはそういうものがないから立会いを認めないことにしている。」と説明したところ、立会人らから「守秘義務はお前達が守ればいいんだ。」、「勝手なことを言うな。」等の発言が繰り返された。

同調査官は、原告に対して「私は調査に来ているのであつて、法律論争をしに来ているのではありませんから、立会人抜きの調査に応じていただけませんか。」と説明したが、原告は、「俺は税務署を信用していないから立会人なしの調査に応じられない。」と述べ、更に、「調査の具体的理由を言つてくれ。」と申し立てた。そこで、同調査官は、調査の理由は所得金額の確認である旨を説明したところ、原告は、「そんなのは理由にならん。」と述べ、他の立会人からも「バカにしている。」、「納税者をなめている。」等、調査理由の開示をめぐつて執拗な発言が繰り返され、騒然とした雰囲気となつた。

そこで、同調査官は、「鬼島さん、所得金額の確認ということでは調査に応じていただけないのですか。」と問いただしたところ、原告は、「応じないとはいっていない。でもこれは任意調査なのだろう。」と述べたので、同調査官は任意調査であつても間接的な強制力が働き、納税者には受忍義務がある旨を説明し、「今日は資料は見せてもらえるのですか。」と更に問いただし、昭和五四年分ないし昭和五六年分の資料の提示を要求した。これに対し、原告は、「おかしいじやないか。じや五四年、五五年は何をしていたんだ。職務怠慢じやないか。五六年分だけにしろ。」と申し立てたので、同調査官は、やむなく「それではとりあえず五六年分だけを見せていただいて、必要に応じ五五年分、五四年分も見せていただきますから。」と言つて、とりあえず昭和五六年分の資料の提示を求めたところ、原告は、同年分の集計表を同調査官に提示しようとした。ところが、青田支部長は、これをさえぎるようにして、「鬼島さん、調査官の我々に対する説明は納得できない。悪いけど今日は資料を見せないで帰つて貰いましよう。」と言つて他の立会人に賛同を求め、立会人全員がこれに賛同したことから、原告は、同調査官に対し、「皆さんもそう言うし、私も組合に入つている以上は従わなければならない。」と翻意し、帳簿書類の提示を拒否した。

以上の状況であつたので、同調査官は、「鬼島さん、今日はこれ以上調査には応じられないということですね。」と訪ねたところ、原告は、「そうです。」と答え、後で次回の調査の日程を連絡する旨の発言があつたので、同調査官らはやむなく調査を諦めて辞去した。

なお、当日の調査に際しても、原告がテープレコーダーを作動させていたので、同調査官は、原告に対し、再三再四にわたつてテープレコーダーを止めるように申し入れたが、原告はこれを受け入れなかつた。

(十) 昭和五七年九月二七日、原告から岩本調査官に電話連絡があり、次回の調査日を一〇月四日午後一時過ぎにして欲しい旨の申し入れがあつたので、同調査官は、立会人の排除を条件としてこれを了承した。

同年一〇月二日八時三〇分頃、原告から電話があり、その応対に出た福田統括国税調査官に対し、原告は、「調査年分を昭和五六年だけに限定しろ。」と申し立てるとともに、過去の調査のやり方に対する一方的な抗議を行つた。

岩本調査官は、同月四日約束の時間に原告宅へ赴いたところ、原告の他の青田支部長ら六名の立会人が待機しており、テーブルの上にはテープレコーダーが置かれていた。そして、原告は、「調査に入る前に、この前税務署に電話した時の様子を録音しておいたから聞いてみよ。」と言つてスイツチを入れて、同調査官に同月二日の福田統括国税調査官と原告との電話のやりとりをした録音テープを聞かせ、更に、「福田さんに俺が言つたことをお宅も聞いたろ。前の調査の時に来た税務署の人間がどんなにひどいことをしたかが分かつたろう。」、「以前親父の名前で仕事をしていた頃に病気で寝ている親父の枕元にまで踏み込んで来て、寝ている親父をたたき起こして調査をやつたんだ。こなんことが許されていいのかい。どうなんだ。青田さん、この事実を商工新聞に書いてよ。」等と本件の調査に全く関係のないことをくどくど申し立て、また、立会人もこれに同調して「全くひどい話しだよ。」等の発言があつた。

その後しばらくの間、立会人排除の是非及び調査理由の開示等についてやりとりがあつた後、同調査官は、「ともかく資料をみせ下さい。」と原告に要請したが、原告は「この前お宅は確認と言つていただろう。資料を見せるから算盤をいれてくれ。」と発言し、これに対して、同調査官は「単に計算するだけではなくて書き写すことも必要です。」と申し入れたところ、原告は、「それじや見せられないよ。」と述べた。更に、同調査官が「鬼島さん、どうしても私の言う方法では調査に応じられないんですか。」と問いただしたところ、原告は、「調査に協力しているじやないか。ちやんと時間までとつているんだ。あまり馬鹿にするなよ。」、「お宅が全部書き写すから見せないと言つているんだ。」、「これは俺の財産だ。誰が他人に自分の財産を明けつぴろげに見せるか。」等の挑発的な発言をし、同調査官に任意調査であつても納税者には調査に対してこれを受忍する義務があり、その義務違反に対しては、所得税法上罰則が規定されていることなどを説明したところ、立会人から「あんたの発言には間違いがあるよ。」、「総務課長に抗議の電話をしてくる。」などの発言があつた。

以上のような状況にあつたことから、同調査官は、原告に対する説得をあきらめ、原告に対し、「今までの状況ですと税務署の方で独自の調査をせざるを得ません。」と告げて辞去した。

なお、同調査官が退出する際に、立会人から「反面調査なんかやると承知しないぞ。」などの暴言を浴びせられた。

以上の事情のとおり原告が調査に応じないため、岩本調査官は、原告の取引先に対する反面調査により取り引きの状況を解明するしかないものと判断し、原告の得意先、取引銀行等の反面調査を行つた。

同調査官の右反面調査に対して、原告は、昭和五七年一一月四日午前一一時五〇分頃、電話で「得意先に対する反面調査で営業上迷惑を被つている。営業妨害をするようなことをやつたら承知しないぞ。」と抗議してきた。

岩本調査官は、昭和五八年二月七日、原告宅へ電話連絡したところ、原告が不在であつたので、在宅していた訴外満津子に対して、原告から同調査官に電話連絡してもらいたい旨の伝言を依頼した。同日午後三時三〇分頃、原告から同調査官に電話があつたので、同調査官は、調査により把握した金額と原告の申告額とはかなり食い違つているので、その原因を解明するために二人だけで話しをする機会をつくつて欲しい旨を告げたところ、原告は、最初のうちは「お前の方で勝手に更正でも何でもやればいいだろう。俺は出るところに出るつもりだから。」、「俺は立会人なしの調査には応じないよ。お前は嘘つきだから。」等申し立てたが、翌日の午後一時頃に調査に応ずることを承諾した。

翌八日、同調査官は、約束の時刻に原告宅に赴き、原告に対して「私の方で調べた売上金額と鬼島さんが言われた金額とかなり違つているものですから、どこが違つているのか確認したいので申告時の資料を出して下さい。」と要請したところ、原告は、「ちよつと待つてよ。お宅は俺の同意なしに勝手に取引先を調査したんだろう。そんなことしていいのか。」と申し立てた。そこで、同調査官は、「あなたの方で資料を提示してもらえなかつたから、やむをえず反面調査を行わざるを得なかつた。」と説明したが、原告は、「俺は調査を拒否した覚えはない。」と抗議し、これまでの調査についてやりとりが交わされ、その途中で原告は、「お前は信用できないからテープを取つておく。」と言つてテープレコーダーを作動し始めた。

そして、原告は、「資料は青田さんが持つているから。」と言つて青田支部長に電話したところ、同人は約二〇分程して二人連れで原告宅に到着した、その後、遅れて民商事務局員一人がやつてきた。同調査官は、「青田さんから資料を返してもらつて私に見せて下さい。」と要請したところ、青田支部長は、「ちよつと待て。あんたの方で勝手に調査をやつたのだから、調査の結果を鬼島さんに出して見せるのが先だろう。」と申し立て、原告に対しては、「鬼島さん、岩本さんが勝手に調べた金額で更正でもしてもらつていいんじやないの。こちらは最後まで戦うつもりだから。」と発言した。

更に、原告は、同調査官の資料呈示の要請に対して、「あんたの方で具体的な数字を言えよ。」と繰り返し、立会人からも「あんたの方で勝手に調査したんだから、あんたの方で先に資料をみせるのが本当だろう。」等の発言があつた。このような状況から同調査官は、昭和五六年分の売上金額の調査額を伝え、原告の申告額とかなり違つていることを説明しようとしたところ、原告は、「そんなに違つているはずがない。」と申し立てた。そこで、同調査官は、「私も資料を出しますから、あなたも資料を出して下さい。お互いに照合していけばいいでしよう。」と原告に申し入れたが、原告は、「いや、悪いけど見ないし、俺も見せない。そんなに違うのは絶対におかしい。もう一度調べ直してくれ。」と申し立てて、同調査官の要請を聞き入れなかつた。

以上のとおり、原告は被告の調査に全く応ぜず、原告の昭和五四年分ないし昭和五六年分の所得を実額により算出するに足りる帳簿書類等の資料を呈示せず、原告の右各年分の所得について実額により算出することは不可能であつたから、推計の必要性があつた。

2  推計の合理性

被告が原告の所得を算出するために採用した推計方法は、原告の総収入金額に比準同業者の平均算出所得率を乗じたものであるが、右比準同業者は、原告の納税地を管轄する江東東税務署とその近隣の税務署の管内に事業所を有し、原告と同様に梱包材料の卸売業を営む個人事業者のうち、次の(一)ないし(五)に該当する者を抽出したものである。

(一) 昭和五四年分ないし昭和五六年分について、青色申告の承認を受け、青色決算書を提出している者

(二) 昭和五四年分ないし昭和五六年分の各年分の総収入金額が原告のそれの半分以上二倍以下の範囲内の者

(三) 年を通じて梱包材料卸売業を営んでいる者

(四) 災害等により経営状態が異常であると認められる者以外の者

(五) 税務署長から更正又は決定処分を受けている者にあつては、国税通則法又は行政事件訴訟法の規定による不服申立期間の経過している者並びに当該処分に対する不服申立及び訴訟中でない者

ところで、右比準同業者は、右(一)ないし(五)記載の条件を全部満たす者を漏れなく抽出したものであり、そこに恣意が介在する余地は全くなく、原告と業種及び事業規模等が類似しているものであるから、比準同業者の算出所得率の平均値を適用して原告の算出所得金額を算出する方法には、合理性があるといえる。

3  昭和五四年分の総所得金額

(一) 総収入金額 一億四七一八万三四八一円

その内訳は、別表二の昭和五四年分の欄に記載(ただし、( )内の金額を除く。)のとおりである。

(二) 算出所得金額 二〇五四万六八一三円

算出所得金額とは、総収入金額から売上原価及び一般経費を控除したものをいうが、原告の場合、売上原価及び一般経費の額が不明であるので、その算出所得金額は、右(一)記載の総収入金額に右2記載の基準に合致する比準同業者の総収入に対する算出所得金額の割合(算出所得率)の平均値を乗ずるのが相当であるところ、比準同業者の算出所得率の平均値は、別表三の算出所得率の欄の平均の項に記載のとおり一三・九六パーセントであるから、原告の昭和五四年分の算出所得金額は、二〇五四万六八一三円となる。

(三) 特別経費 二一〇万円

訴外健に対する給与の支払額である。

(四) 右(二)記載の算出所得金額二〇五四万六八一三円から右(三)記載の特別経費二一〇万円を控除した一八四四万六八一三円が、原告の昭和五四年分の総所得金額(事業所得の金額)である。

4  昭和五五年分の総所得金額

(一) 総収入金額 一億七六四二万七六二九円

その内訳は、別表二の昭和五五年分の欄に記載(ただし、( )内の金額を除く。)のとおりである。

(二) 算出所得金額 二三〇二万三八〇五円

前記2記載の基準に合致する比準同業者の算出所得率の平均値は、別表の算出所得率の欄の平均の項に記載のとおり一三・〇五パーセントであるから、原告の昭和五五年分の算出所得金額は、二三〇二万三八〇五円となる。

(三) 特別経費 二八三万円

訴外健に対する給与の支払額である。

(四) 右(二)記載の算出所得金額二三〇二万三八〇五円から右(三)記載の特別経費二八三万円を控除した二〇一九万三八〇五円が、原告の昭和五五年分の総所得金額(事業所得の金額)である。

5  昭和五六年分の所得金額

(一) 総収入金額 一億五二四四万九八一三円

その内訳は、別表二の昭和五六年分の欄に記載(ただし、( )内の金額を除く。)のとおりである。

(二) 算出所得金額 一九二八万四九〇一円

前記2記載の基準に合致する比準同業者の算出所得率の平均値は、別表五の算出所得率の欄の平均の項に記載のとおり一二・六五パーセントであるから、原告の昭和五六年分の算出所得金額は、一九二八万四九〇一円となる。

(三) 特別経費 三〇〇万円

訴外健に対する給与の支払額である。

(四) 事業専従者控除額 四〇万円

原告の妻である訴外満津子に係る事業専従者控除額であり、原告が確定申告書に記載した金額である。

(五) 右(二)記載の算出所得金額一九二八万四九〇一円から右(三)記載の特別経費三〇〇万円及び右(四)記載の事業専従者控除額四〇万円を控除した一五八八万四九〇一円が、原告の昭和五六年分の総所得金額(事業所得の金額)である。

6  本件各更正の適法性

右3ないし5記載のとおり、原告の昭和五四年分ないし昭和五六年分の総所得金額は、順に一八四四万六八一三円、二〇一九万三八〇五円及び一五八八万四九〇一円となるところ、本件各更正における原告の昭和五四年分ないし昭和五六年分の総所得金額は、順に一六四八万四五四四円、一八七九万二二〇四円及び一四三三万三六五三円であつて、右各金額をそれぞれ下回るから、本件各更正はいずれも適法である。

7  本件各賦課決定の適法性

原告は昭和五四年分ないし昭和五六年分の総所得金額を過少に申告したものであるため、被告が国税通則法六五条一項の規定に基づき、いずれも右で認定された右各年分の原告の総所得金額の範囲内である本件各更正に係る総所得金額を基礎として算定した所得税の額(順に四二一万三九〇〇円、五五七万〇五〇〇円、三三三万六六〇〇円)と原告の申告に係る所得税の額(順に一二万五四〇〇円、二四万九四〇〇円、一六万四七〇〇円)との差額(順に四〇八万八〇〇〇円、五三二万一〇〇〇円、三一七万一〇〇〇円。ただし、昭和五九年法律第五号による改正前の国税通則法一一八条三項の規定により一〇〇〇円未満を切り捨てた額である。)に一〇〇分の五の割合を乗じて得た過少申告加算税額の額(順に二〇万四四〇〇円、二六万六〇〇〇円、一五万八五〇〇円。ただし、同法一一九条四項により一〇〇円未満を切り捨てた額である。)を賦課決定した本件各賦課決定は、いずれも適法である。

四  抗弁に対する認否及び反論

1  抗弁1について

(一) (一)のうち、原告が梱包材料の卸売業を営むこと及び<1>の事実は認め、その余の事実は不知。

(二) (二)のうち、作宮調査官が昭和五六年一〇月二日午前一〇時頃、原告宅を訪れたが、原告が不在であつたこと、同日午後一時頃、原告が作宮調査官に電話したこと、同調査官が原告に対して、昭和五三年分ないし昭和五五年分の所得税の調査を行いたい旨を告げたこと並びに右各年分の帳簿等を見せて貰いたい旨及び原告の方で都合のよい日を決めた上で、翌日の午前九時頃に電話連絡を貰いたい旨を依頼したことは認め、その余の事実は否認する。原告は、同調査官の依頼に対して、連絡して帳簿を取り寄せる旨を回答している。

(三) (三)のうち、作宮調査官が昭和五六年一〇月五日に原告宅を訪れたこと、江東民商亀戸東支部の青田支部長らが立会人として待機していたこと(ただし、その人数は七名である。)、同調査官が原告に身分証明書及び質問検査章を提示して、昭和五三年分ないし五五年分の所得税の調査に赴いた旨を告げた上、立会人がいる状況では税務調査上の守秘義務が保持できないとして、立会人の排除を要請したこと、原告が右要請を受け入れなかつたことは認め、その余の事実は否認する。昭和五六年一〇月五日に電話したのは原告であり、また、午後二時ではなく、午後一時に原告宅にきてくれるように連絡したものである。更に、原告は、調査に当たつて具体的な理由が明らかにされなれば、帳簿を提示する意思で、各年毎に帳簿を分けてそれぞれ箱に入れて用意し、「理由がはつきりすれば提示するんだよ。」と再三発言したが、同調査官から調査の理由が明らかにされなかつたために、これを提示しなかつたものである。

(四) (四)のうち、作宮調査官が昭和五六年一一月九日、事前の連絡なく原告宅を訪れたこと、同調査官が原告の父が死んで間がないことを原告から聞き、「大変失礼した。」と陳謝して帰つたことは認め、その余の事実は否認する。原告は、同日同調査官に対し、「おやじが死んで初七日がやつと済んだばかりで忙しい。調査どころではない。」と言つただけである。

(五) (五)のうち、作宮調査官が昭和五七年五月一八日、原告宅を訪れ、原告に対し、調査年分が昭和五四年分ないし昭和五六年分に変更された旨告げたこと、民商事務局員らの立会いなしで調査に応ずるように説得したこと、このままでは取引先に対する反面調査など税務署独自の調査を進めざるを得ない旨説明したこと、後日連絡する旨を告げて辞去したことは認め、その余の事実は否認する。

(六) (六)は認める。

(七) (七)のうち、岩本調査官が昭和五七年八月六日、原告宅を訪れたこと、訴外満津子のほかに青田支部長ら立会人が待機していたこと(ただし、その人数は七名である。)、同調査官が原告に対し、調査に関係のない第三者を排除してくれるように要請したこと、青田支部長が「立会人がいると調査ができないのか。税法のどこに我々の立会いができないと書いてあるのか。」と発言したこと、原告が集計表を同調査官に提示し、同調査官が集計表を書き写し始めたこと、青田支部長がテーブルの下にセツトしていたテープレコーダーの録音テープを交換しようとしたこと、同調査官が「何の目的でテープを取るのですか。やめて下さい。」、「調査に関係のない第三者が勝手にテープを取るのは調査妨害に当たります。」と発言したことは認め、その余の事実は否認する。同調査官は、「テープを取るので興奮する。」。「第三者のいる前では帳簿を見たくない。」などと言い、次第に大声を出し始め、ついには「帰ります。」と言つて帰つたもので、同月九日に至り、同調査官から原告に対して、「大人気ない大声を出して申し訳なかつた。」と謝罪の電話があつたものである。また、原告の提示したのは昭和五四年分ないし昭和五六年分の集計表であるが、原告が同調査官の転記行為に異議を述べ、転記した用紙を廃棄するよう求めたところ、同調査官はその求めに応じたものである。

(八) (八)は認める。

(九) (九)のうち、岩本調査官が昭和五七年九月一一日、原告宅に電話したところ、原告が不在であり、訴外満津子に対して同月一七日の午後に調査に伺いたい旨告げたこと、同月一三日、原告から同調査官に電話して、調査日を同月二二日の午後に変更して欲しい旨申し入れ、同調査官がこれに応じたこと、同調査官が同月二二日午後一時過ぎに、五十嵐上席調査官を同行して原告宅を訪れたこと、青田支部長が、「この前の調査では立会人は認められないといつていたが、法律のどこに書いてあるのか言つてくれ。」と言つたこと、岩本調査官が原告に対して、「税務職員にはいわゆる守秘義務が課せられているが、税理士でない第三者にはそういうものがないから立会いを認めないことにしている。」と説明したこと、立会人らから、「守秘義務はお前達が守ればいいんだ。」、「勝手なことをいうな。」と発言したこと、同調査官が原告に対して、「私は調査に来ているのであつて、法律論争をしに来ているのではありませんから立会人抜きの調査に応じていただけませんか。」と発言したこと、原告が、「俺は税務署を信用していないから立会人なしの調査に応じられない。」と発言したこと、同調査官が、「鬼島さん、今日はこれ以上調査には応じられないということですね。」と尋ねたところ、原告が「そうです。」と答え、後で次回の調査の日程を連絡する旨発言したこと、原告が同日もテープレコーダーを作動させていたこと、同調査官が原告にたいして、テープレコーダーによる録音を止めるように申し入れたが、原告がこれに応じなかつたことは認め、その余の事実は否認する。原告は、同調査官に対して、昭和五六年分の資料を示したところ、同調査官は、昭和五四年分及び昭和五五年分の帳簿も見せて下さいと言つたので、原告は、「理由がはつきりしているのならいいけど。」と答えたが、同調査官は所得の確認としか言わなかつたために、原告は納得せず、結果的に資料を提示しなかつたものである。

(一〇) (一〇)のうち、原告が昭和五七年九月二七日、岩本調査官に対して、電話で、次回の調査日を一〇月四日午後一時過ぎにして欲しい旨申し入れたこと、同調査官が立会人の排除を条件にこれを了承したこと、同年一〇月二日午前八時二〇分頃、原告が電話をし、これに福田統括国税調査官が応対したこと、岩本調査官が同月四日、原告宅を訪れたこと、立会人が待機していたこと(ただし、青田支部長はおらず、人数は五名である。)、原告が同調査官に同月二日の福田統括国税調査官との電話のやりとりを録音したテープを聞かせたこと、しばらくの間、立会人の排除の是非及び調査理由の開示等についてやりとりがあつたこと、同調査官が原告に対し、「とにかく資料を見せて下さい。」と要請したこと、同調査官が任意調査であつても納税者には受忍義務がある旨の発言をしたこと、同調査官が独自の調査をすると発言したことは認め、その余の事実は否認する。同月二日の電話の際に、原告は、同調査官が調査に協力してくれと頼むので、資料はその都度用意してあることなどを申し入れたものである。

(一一) (一一) のうち、原告が岩本調査官の反面調査に対して、昭和五七年一一月四日午前一一時五〇分頃電話で抗議したことは認めるが(抗議の内容は「得意先に対する反面調査で営業上迷惑を被つている。営業妨害をするようなことはやらないでほしい。」というものであつた。)、その余の事実は否認する。原告は、同調査官に対し、「調査の理由を明らかにしてほしい。その上で協力する。」と述べたにも拘らず、同調査官は、調査の具体的理由を一切明らかにしなかつたものである。

(一二) (一二) のうち、岩本調査官が昭和五八年二月七日、原告宅に電話したところ、原告が不在であり、訴外満津子に対し、原告から電話連絡して欲しい旨伝言を依頼したこと、同日午後三時三〇分頃、原告が同調査官に電話したこと、同調査官が調査により把握した金額と申告額がかなり違うので、その原因を解明するために二人だけで話しをする機会を作つて欲しい旨告げたこと、原告が翌日午後一時頃に調査に応ずることを承諾したこと、翌八日、同調査官が約束の時刻に原告宅を訪れたこと、原告は「資料は青田さんがもつているから。」と言つて、青田支部長に電話し、同人は約二〇分程して二人連れで原告宅へ到着したこと、その後遅れて民商事務局員一人がやつてきたこと、同調査官が、「青田さんから資料を返してもらつて見せて下さい。」と要請したことは認め、その余の事実は否認する。

(一三) (一三)は争う。原告は、一貫して被告の所部の調査官による調査に応じるつもりであつて、そのために必要な帳簿書類等を用意し、その提示をしようとの態勢をとつていたのである。そして、被告は、調査の具体的な理由が明らかとなれば、それに応じて帳簿書類等を提示するつもりで、右調査官に対して調査理由の開示の要求や調査の必要性の存在についての質問をしたのであるが、これに対し、右調査官からは紋切り型の説明があつただけで具体的な説明は全くなかつたので原告としても、帳簿書類等を進んで提示するには至らなかつた。また、右調査官の側でも、立会人がいるからとか、調査時の会話を録音しているからとか等の理由に固執し、原告が一部提示し、あるいは提示しようとしていた帳簿書類等を検討しようとはしなかつたものであつて、推計の必要性があつたとは到底いえない。

2  同2について

(一) 同2のうち、原告が梱包材料のの卸売業を営んでいることは認め、主張は争う。

(二) 本件においては、被告の主張する比準同業者なるものの氏名、住所も明らかにされていないため、右比準同業者が原告と類似する実態を有しているかどうかは全く不明である。また、原告は、店頭での小売を一切しておらず、比較的少数の特定の顧客を中心として大量取引をしており、取扱賞品も重梱包材料や配管材の取引が多いという他の梱包材料卸売業者と異なる際立つた特徴があり、梱包材料卸売業という業種の点で同一という基準だけで比較すること自体には問題があるというべきである。

(三) 原告の昭和五四年ないし昭和五六年までの実績に基づく取引品目の利益率について、軽梱包材料、重梱包材料、配管材及びその他雑貨の部門別に取引総額の多い五ないし一〇品目の仕入値、売値及び利益率を掲げると、別表六記載のおりである。これを基にして、例えば、原告の昭和五六年の平均利益率を算出すると、別表七の記載のとおり一〇五〇九パーセントとなり、被告主張の平均算出所得率の一二・六五パーセントないし一三・九六パーセントを大きく下回つているから、被告主張の平均算出所得率は、合理性がない。

3  同3について

(一) (一)のうち、別表二の昭和五四年分の欄の金額の前に×印を付けたものについては( )内の金額を越える部分を否認し、その余の売上金額は認める。ただし、△印を付けたものについては、同表( )内に記載の売上金額が正しい。

(二) (二)は争う。

(三) (三)の事実は否認する。原告が昭和五四年中に支払つた給与は、訴外健に対して三七〇万円、鬼島道子(以下「訴外道子」という。)に対して一九八万円の合計五六八万円である。

(四) (四)は争う。

4  同4について

(一) (一)のうち、別表二の昭和五五年分の欄の金額の前に×印を付けたものについては( )内の金額を超える部分を否認し、その余の売上金額は認める。ただし、△印を付けたものについては、同表( )内に記載の売上金額が正しい。

(二) (二)は争う。

(三) (三)の事実は否認する。原告が昭和五五年中に支払つた給与は、訴外健に対して三七〇万円、訴外道子に対して一九八万円の合計五六八万円である。

(四) (四)は争う。

5  同5について

(一) (一)のうち、別表二の昭和五六年分の欄の金額の前に×印を付けたものについては( )内の金額を超える部分を否認し、その余の売上金額は認める。ただし、△印を付けたものについては、同表( )内記載の売上金額が正しい。

(二) (二)は争う。

(三) (三)の事実は否認する。原告が昭和五六年中に支払つた給与は、訴外健に対して三九〇万円、訴外道子に対して二一七万円の合計六〇七万円である。

(四) (四)については、認否がない。

(五) (五)は争う。

6  同6、7は争う。

7  調査の手続の違法

作宮調査官及び岩本調査官は、調査にあたり単に「所得金額の確認に来た。」と述べただけで、原告に対して、調査を必要とする客観的合理的な理由を一切開示しなかつたし、原告の父鬼島松造(以下「訴外松造」という。)が高齢で、病気で寝ていたのに、作宮調査官は、原告方にあがりこんで調査しようとし、更に、原告の承諾を得ずに取引先に対する反面調査を実施するなど、法で認められた質問検査権の範囲を超えた違法な調査をしており、本件各処分には、手続上の違法がある。

第三証拠

本件訴訟中の書証目録及び証人など目録に記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  請求原因1(処分の存在及び不服手続きの経由)の事実は、当事者間に争いがない。

二  調査手続の適法性

1  原告は、作宮調査官及び岩本調査官は調査を必要とする理由を開示せず、また、原告の承諾なく取引先に対する反面調査をしていることなどを挙げて、本件各処分の調査手続は違法である旨主張する。

2  ところで、税務調査に際して、刑事法令違反、公序良俗違反などが認められるといつた例外的な場合はともかく、一般には税務調査手続の違法は、課税処分の取消事由たる瑕疵に当たらないと解するのが相当である。しかるに、原告主張の税務調査手続の違法は、仮にそれが認められるとしても、到底右の例外的な場合に当たらないことは明らかである。

したがつて、原告がその主張する税務調査手続の違法をもつて本件各処分に取消事由がある旨主張しているものと解し得るとしても、右主張が失当であることはいうまでもない。

3  のみならず、以下に述べるとおり本件の税務調査手続には違法があるとはいえない。

すなわち、調査を必要とする理由りの開示を欠くとの点については、所得税法二三四条一項所定の質問検査権は、調査権限を有する税務職員において、具体的事情にかんがみ客観的に必要があると判断される場合にこれを行使することができ、納税申告の適否を確認する必要がある場合も当然これに含まれると解されるところ、原告提出の昭和五三年分ないし昭和五五年分の所得税の確定申告書には、収入金額及び必要経費の額の記載がなかつたことは当事者間に争いがなく、この事実だけから考えても、被告において、昭和五三年分ないし昭和五五年分の確定申告はもとより、それに引き続く昭和五六年分の確定申告についてもその適否等について確認する必要性が存在したことは明らかであつて(なお、成立に争いのない甲第一〇九号証の一、二によると、昭和五六年分の確定申告書には、収入金額及び必要経費の額の記載があるが、それ以前の年分の確定申告にその記載がなかつたことにかんがみると、昭和五六年分の確定申告についても確認の必要性が存在するといつてよい。)、税務調査の必要性がなかつたとはいえない。そして、調査の必要性を納税者に開示することは、法律上の要件とはされていないから、仮に調査の必要性が原告に開示されなかつたとしても(なお、本件では、作宮調査及び岩本調査官が原告の確定申告を確認するために調査すると告げていることは当事者間に争いがないところであり、抽象的とはいえ、調査の必要性の理由が原告に開示されている。)、そのことにより当然に本件の税務調査手続が違法になるものではない。

また、原告の承諾なく反面調査がされているとの点についても、同項三号による反面調査の時期、範囲、程度等は、調査を行う税務職員の合理的な裁量に委ねられていると解されるところ、反面調査が原告の承諾なくされたからといつて当然に違法となるものでないことは明らかであり、後記三によれば、本件の反面調査が税務職員の裁量を逸脱したとは到底いえないのである。

更に、原告は、訴外松造が病気で寝ていたのに、原告宅にあがりこもうとしたことを捉えて件各処分の手続の違法事由の一つとして主張している。ところで、成立に争いのない甲第一号証及び原告本人尋問の結果によれば、昭和五六年一〇月一五日、作宮調査官が原告を訪れた際、訴外松造が病気で寝ていた事実が認められるが、本件全証拠によるも、同調査官が訴外松造が病気で寝ていることを知りながらあえて同人の寝ている部屋に入ろうとしていたものとは認められず、また、原告本人尋問の結果によれば、同調査官は、結局のところ、訴外松造の寝ている部屋に入ることなく同日の調査を行つている事実が認められるから、訴外松造が病気で寝ていたことにより、同日の調査手続が違法となることはないものというべきである。

そして、調査手続について違法であることにつき他に主張、立証はない。

そうすると、本件では、税務調査手続に違法な点はないものというほかない。

三  推計の必要性

<1>昭和五六年一〇月二日午前、作宮調査官が原告の昭和五三年分ないし昭和五五年分の所得税の調査のために原告宅を訪れたところ、原告が不在であり、同日午後、同調査官が電話で原告に対し右各年分の所得税の調査を行いたい旨告げ、右各年分の帳簿等を見せてもらいたい旨依頼したこと、<2>同月一五日、同調査官が原告宅を訪れたが、原告は、右各年分の帳簿書類等を提示しなかつたこと、<3>同年一一月九日、同調査官が原告宅を訪れたが、原告の父親が死亡した直後であつたために、具体的な調査をすることなく辞去したこと、<4>昭和五七年五月一八日、同調査官が原告宅を訪れ、調査年分が昭和五四年分ないし昭和五六年分に変更になつた旨を告げるとともに、このままでは取引先に対する反面調査など税務署独自の調査を進めざるをえない旨説明したこと、<5>同年八月六日、岩本調査官が原告宅を訪れ、原告は同調査官に対し、集計表を提示したが、同調査官が抜き書きを始めるとそれを止めたこと、<6>同年九月一一日、同調査官が五十嵐上席調査官を同行して原告宅を訪れたが、原告は昭和五四年分ないし昭和五六年分の帳簿書類等を提示しなかつたこと、<7>同年一〇月四日、岩本調査官が原告宅を訪れたこと、<8>昭和五八年二月八日、同調査官が原告宅を訪れたことは、いずれも当事者間に争いがない。

右事実によると、原告は、その帳簿書類等については、右<5>記載の集計表以外には提示しておらず(弁論の全趣旨によると、提出した集計表も間もなくこれを取り上げたことが認められる。)また、証人岩本健弘の証言によれば、原告は被告の所部の調査官の調査に対し、集計表以外の帳簿書類等を提示していないことが認められる。

そして、同証言によれば、右集計表は、売上先の名称と売上金額を整理して記載したに過ぎないものであつて、必要経費は記載されていないものであることが認められる。しかるところ、売上金額だけが判明しても、必要経費が判明しなければ、所得金額を実額で把握することは不可能であるから、集計表が提示されたからといつて、右のとおり必要経費に関する帳簿書類等の提示のない以上、被告が、原告の右各年度の所得金額を実額で把握することは、不可能であつたというべきである。

そうすると、右各年度について、推計による課税の必要性があつたものというほかはない。

なお、原告は、右各年度の所得を実額で把握するに足りる帳簿書類等を準備し、税務調査に応じる意向であつた旨主張するが、原告が現実に右帳簿書類等を提示しておらず、前記二の2で述べたように、被告の税務調査手続に違法がなかつた以上、その不提示は被告の責に帰することができないから、推計の必要性があつたとする右判断を左右するものではない。また、本件の口頭弁論終結に至るまで、原告から右各年度の所得金額を実績で把握するに足りる帳簿書類等が書証として提出されていないことに鑑みると、右調査の際に、原告が右各年度の所得金額を実績で把握するに足りる帳簿書類等を有していたことについても、大いに疑問がある。

四  推計の合理性

被告は、原告の昭和五四年分ないし昭和五六年分の算出所得金額(売上金額から売上原価及び一般経費を控除したもの)を、実績で把握した売上金額に同業者の算出所得率の平均値を乗じて算出するという推計方法を主張している。

同業者の算出所得率等の平均値を利用して所得金額を算出する、いわゆる同業者率による推計方法は、比準同業者の業種、事業規模等が推計の対象となる者のそれと類似性があり、比準同業者の選定に恣意がない場合には、これを不合理とする特段の事由のない限り、推計方法として合理的なものというべきである。

成立に争いのない乙第六〇(原本の存在も争いがない。)、第一一一号証、証人日野文夫の証言により真正に成立したものと認められる乙第八九号証の一ないし三、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第六一号証、第六二号証の一ないし三、第六三、第六四号証、第六五ないし第六七号証の各一ないし三、第六八号証、第六九号証の一ないし三、第七〇号証、第七一、第七二号証の各一ないし三、第七三号証、第七四ないし第七七号証の各一ないし三、第七八号証、第七九、第八〇号証の各一ないし三、第八一号証、第八二号証の一ないし三、第八三号証、第八四号証の一ないし三、第八五、第八六号証、第八七号証の一ないし三、第八八号証、第九〇号証の一ないし三、第九一号証、第九二ないし第九六号証の一ないし三、第九一号証、第九二ないし第九六号証の各一ないし三、第九七号証の一、二、第九八号証の一ないし三、証人日野文夫の証言並びに弁論の全趣旨によれば、東京都二三区内に所在し、<1>専ら梱包材料卸売業を営み、<2>青色申告の証人を受けていて、<3>売上金額が昭和五四年分については七〇四五万六〇〇〇円以上二億八一八一万六〇〇〇以下、昭和五五年分については八五一九万三〇〇〇円以上三億四〇七七万六〇〇〇円以下、昭和五六年分については七四一三万三〇〇〇円以上二億九六五三万四〇〇〇円以下の範囲内で、<4>年を通じて右<1>の事実を継続し、<5>災害等により経営状態が異常であるとは認められず、更正又は決定処分がされている者については当該処分が確定しているという五条件を満たす者は、昭和五四年分については別表三記載のAないしEの五業者、昭和五五年分については別表四記載のAないしC及びEの四業者、昭和五六年分については別紙五記載のA、B、C、D及びEの五業者のみであり、Aは浅草税務署、B、C及びC記載は王子税務署、Dは江東西税務署、Eは、西新井税務署管内に所在すること、右各同業者の総収入金額及び算出所得金額が右各別表の各総収入金額欄及び算出所得金額欄の二八九四万七三三五円を二八九四万七三二五円と訂正する。)であることが認められ、原告本人尋問の結果も右認定を左右するに足りず、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。

原告が梱包卸売業を営むことは当事者間に争いがないから、原告と右各同業者とは同一の業種を営むものといえる。また、原告は江東東税務署管内に所在しているから、右各同業者は原告の比較的近隣に所在しているというべきである。そして、原告の昭和五四年分ないし昭和五六年分の売上金額は、後記五ないし七の各1記載のとおり、順に一億四七一八万三四八一円、一億七六四二万七六二九円及び一億五二四四万九八一三円であるから、右<3>記載の売上金額の範囲は、原告の当該年度の売上金額の概ね二分の一以上二倍以内にあり、その範囲内にある右各同業者の売上金額と原告のそれとは類似しているものというべきである。ところで、原告本人尋問に結果中には、梱包材料の卸売業者は一般的に小売もしているのに対し、原告は卸売専門で取扱賞品にも特色があつてその業態が異なる旨の部分もあるが、右部分は具体性を欠き、しかも客観的な資料に基づくものではなく、これをもつて原告と右各同業者との業態が異なるものとは認め難いので、原告と右各同業者は、業種、所在地、事業規模等が類似するものというほかない。また、右各同業者は、東京都二三区内に所在する、右<1>ないし<5>記載の条件を満たすもののすべてであるから、その選定の過程に恣意はないものというべきである。他に右各同業者との比準を不合理とする特段の事由があるものと認めるに足りる事情についての主張、立証はないから、右各同業者の算出所得率の平均値により原告の算出所得率を推計する方法は、合理的なものというべきである。

なお、原告は、別表六を基にして、昭和五六年分の平均利益率は一〇・五〇九パーセントとなり、被告主張の昭和五四年分ないし昭和五六年分の平均算出所得率を大きく下回つているから、推計の合理性がない旨主張し、原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第二三号証によれば、別表六記載の商品についての原告の仕入単価及び売上単価が同表記載のとおりであることが認められ、また、右本人尋問の結果中には、右主張に沿う部分も存在している。しかし、別表六記載の各部門の平均利益率は、記載されている商品の単価粗利益率の単純平均にすぎず、平均利益率とすることはできないものというべきであり、また、右本人尋問の結果によれば、帳簿等に基づいて計算した結果の平均利益率が一〇・五〇九パーセントというのであるが、その帳簿等が存在するものであれば当然提出されてしかるべきであると考えられるにもかかわらず、その帳簿等が証拠として提出されていないことに照らせば、これを容易に採用するわけにはいかず、いずれにしても、原告の右主張は採用できない。

五  昭和五四年分の原告の総所得金額

1  売上金額

別表二の昭和五四年分の項記載の各売上金額のうち、金額の前に×印を付けたものの( )内の金額を超える部分については争いがあるが、それ以外の部分は、当事者間に争いがない。証人岩本健弘の証言により真正に成立したものと認められる乙第一二、第一五ないし第一七、第一九、第二三、第二七、第二九ないし第三一、第一〇一号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第五、第八、第三六、第三七、第三九、第四〇、第四二、第四三、第四五号証、第九九号証の一、二、証人岩本健弘の証言によれば、右の争いのある無部に金額の売上げが存在することが認められる(なお、具体的に認定に供した証拠は備考に項に記載のとおりである。昭和五五年分、昭和五六年分に関する売上金額の認定につき同じ。)また、金額の前に△印を付けたものは、被告主張額を上回る部分についてはこれを認めるに足りる証拠はない。

したがつて、原告の昭和五四年分の売上金額は、被告主張のとおり、一億四七一八万三四八一円となる。

2  算出所得金額

別表によれば、昭和五四年分の比準同業者の算出所得率の平均値が算出所得率の欄の平均の項に記載のとおり一三・九六パーセント(算出所得率及びその平均値の計算につき小数点以下第三位を四捨五入した。以下同じ。)となることは、計算上明らかである。したがつて、原告の昭和五四年分の算出所得金額は、右1記載の一億四七一八万三四八一円に右一三・九六パーセントを乗じた二〇五四万六八一三円(円未満を切捨て。以下算出所得金額の計算につき同じ。)となる。

3  特別経費

弁論の全趣旨により原本の存在及び真正に成立したものと認められる乙第一〇二号証の一並びに原告本人尋問の結果によれば、原告は、昭和五四年中に訴外健を雇用していたこと、同年中に同人に支払つた給与は総額で二一〇万円であることが認められ、右認定を超えて三七〇万円を訴外健に給与として支払つたことを認めるに足りる証拠はなく、他に右認定を左右するに足りる証拠もない。

原告は、同年中、訴外健の他に訴外道子も雇用していて、総額一九八万円を支払つた旨主張し、原告本人尋問の結果中には訴外道子を倉庫番として雇い、給料を支払つていた旨の供述部分があるが、原告本人尋問においては、当初、従業員は弟である訴外健一人である旨供述している部分もあり、また原告は訴外道子を雇用し始めたのが何時なのか明らかにせできず、同年中に同人を雇用していたという供述ではないこと、原告が訴外道子に対して給与を支払っていたことを窺わせるに足りる原告の帳簿、源泉徴収表等といつた客観的な資料がないこと、同訴外人が同年分の所得について所得税あるいは住民税の申告をしたことを窺わせる証拠がないことを併せ考えれば、原告が同年中に訴外道子を雇用していたものと認めることはできない。

特別経費について他に主張、立証がないから、原告の昭和五四年中に支出した特別経費は、右二一〇万円となる。

4  右1ないし3によれば、原告の昭和五四年分の総所得金額(事業所得の金額)は、右2記載の二〇五四万六八一三円から右3記載の二一〇万円を控除した一八四四万六八一三円となる。

六  昭和五五年分の原告の総所得金額

1  売上金額

別表二の昭和五五年分の項記載の各売上金額のうち、金額の前に×印を付けたものの( )内の金額を超える部分については争いがあるが、それ以外の部分は、当事者間に争いがない。前掲乙第一二号証、証人岩本健弘の証言により真正に成立したものと認められる乙第一、第三、第九、第一一、第一三、第二〇、第二四、第一〇〇号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第一八、第二一、第三五、第四四、第五一、第五二号証によれば、右の争いのある部分の金額の売上が存在することが認められる。また、金額の前に△印を付けたものは、被告主張額を上回る部分についてはこれを認めるに足りる証拠はない。

したがつて、原告の昭和五五年分の売上金額は、被告主張のとおり、一億七六四二万七六二九円となる。

2  算出所得金額

別表によれば、昭和五五年分の比準同業者の算出所得率の平均値が算出所得率の欄の平均の項に記載のとおり一三・〇五パーセントとなることは、計算上明らかである。したがつて、原告の昭和五五年分の算出所得金額は、右1記載の一億七六四二万七六二九円に右一三・〇五パーセントを乗じた二三〇二万三八〇五円となる。

3  特別経費

弁論の全趣旨により原本の存在及び真正に成立したものと認められる乙第一〇二号証の二並びに原告本人尋問の結果によれば、原告は、昭和五五年中に訴外健を雇用していたこと、同年中に同人に支払つた給与は総額で二八三万円であることが認められ、右認定を超えて三七〇万円をそ訴外健に給与として支払つたことを認めるに足りる証拠はなく、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

原告は、同年中に、訴外健の他に訴外道子も雇用していて、総額一九八万円を支払つた旨主張するが、同年に関しても、前記五の3において昭和五四についての右と同様の主張に判示したところと全く同じ事情であるといい得ること、更に、成立の争いのない乙第一一二号証及び弁論の全趣旨によれば、訴外道子は昭和五五年分の所得について所得税及び住民税の申告をしていないことが認められことを併せ考えれば、原告が同年中に訴外道子を雇用していたものと認めることはできない。

特別経費については他に主張、立証がないから、原告の昭和五五年中に支出した特別経費は、右二八三万円となる。

4  右1ないし3によれば、原告の昭和五五年分の総所得金額(事業所得の金額)は、右2記載の二三〇二万三八〇五円から右3記載の二八三万円を控除した二〇一九万二八〇五円となる。

七  昭和五六年分の原告の総所得金額

1  売上金額

別表二の昭和五六年分の項記載の各売上金額のうち、金額の前に×印を付けたものの( )内の金額を超える部分については争いがあるが、それ以外の部分は、当事者間に争いがない。前掲乙第三、第一六、第一七、第二〇、第二九、第三〇、第一〇〇、第一〇一号証、証人岩本健弘の証言により真正に成立したものと認められる乙第四、第一〇、第二二、第二五、第二六号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第六、第二八号証の一及び二、第四六、第四七、第五三号証によれば、右の争いのある金額の売上げが存在することが認められる。また、金額の前に△印を付けたものは、被告主張額を上回る部分についてはこれを認めるに足りる証拠はない。

したがつて、原告の昭和五六年分の売上金額は、被告主張のとおり、一億五二四四万九八一三円となる。

2  算出所得金額

別表によれば、昭和五六年分の比準同業者の算出所得率の平均値が算出所得率の平均の項に記載のとおり一二・六五パーセントとなることは、計算上明らかである。したがつて、原告の昭和五六年(行ウ)第号分の算出所得金額は、右1記載の一億五二四四万九八一三円に右一二・六五パーセントを乗じた一九二八万四九〇一円となる。

3  特別経費

弁論の全趣旨により原本の存在及び真正に成立したものと認められる乙第一〇二号証の三並びに原告本人尋問の結果によれば、原告は、昭和五六年中に訴外健を雇用していたこと、同年中に同人に支払つた給与は総額で三〇〇万円であることが認められ、右認定を超えて三九〇万円を訴外健に給与として支払つたことを認めるに足りる証拠はなく、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

原告は、同年中、訴外健の外に訴外道子も雇用していて、総額二一七万円を支払つた旨主張するが、同年に関しても前記五の3において昭和五四年についての右と同様の主張につき判示したところと全く同じ事情であるといい得ること、更に、成立に争いのない乙第一一二号証及び弁論の全趣旨によれば、訴外道子は昭和五六年分の所得について所得税及び住民税の申告をしていないことが認められることを併せ考えれば、原告が同年中に訴外道子を雇用していたものと認めることはできない。

特別経費については他に主張、立証がないから、原告の昭和五六年中に支出した特別経費は、右三〇〇万円となる。

4  事業専従者控除額

原告の昭和五六年分の事業専従者控除額が四〇万円であることは、原告において明らかに争わないから、同額をもつて事業専従者控除額と認める。

5  右1ないし4によれば、原告の昭和五六年分の所得金額は、右記載の一九二八万四九〇一円から右3記載の三〇〇万円及び右4記載の四〇万円を控除した一五八八万四九〇一円となる。

八  本件各処分の適法性

右五ないし七記載のとおり、原告の昭和五四年ないし昭和五六年分の総所得金額は、順に一八四四万六八一三円、二〇一九万三八〇五円及び一五八八万四九〇一円となるところ、本件各更正におけるそれの一六四八万八五四四円、一八七九万二二〇四円及び一四三三万三六五三円をいずれも上回つている。

ところで、弁論の全趣旨によれば、原告は、本件訴訟において、もつぱら右各年分の所得税の課税標準額(総所得金額)が過大である事のみを争つているものであり、右各年分の所得税の課税標準額が本件各更正の課税標準額を下回るものでない限り、本件各更正の所得税額、本件各賦課決定の過少申告加算税額を争つていないものと認められる。

そして、右に述べたとおり、右各年分の所得税の課税標準額が本件各更正の課税標準額を下回るものでないから、本件各処分は適法である。

九  よつて、原告の請求は理由がないからいずれもこれを棄却し、訴訟費用の負担につき行訴法七条、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 鈴木康之 裁判官 加藤就一 裁判官 青野洋士)

別表一

課税の経緯一覧表

(金額単位円)

<省略>

別表二

売上金額明細表

<省略>

売上金額明細表

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売上金額明細表

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売上金額明細表

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売上金額明細表

<省略>

別表三 比準同業者(昭和五四年分)

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別表四 比準同業者(昭和五五年分)

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別表五 比準同業者(昭和五六年分)

<省略>

別表六 利益率表

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別表七

<省略>

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