東京地方裁判所 昭和60年(行ウ)31号 判決 1985年9月30日
原告
松本洋子
右訴訟代理人
阪本清
被告
東京法務局供託官
小坂文弘
右指定代理人
川野辺充子
外二名
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告が原告に対し、昭和六〇年一月一四日付けでなした昭和五八年(金)第一二九六二号、同第二二一六九号、同第四〇四〇一号、同第六二七三一号、同第六二七三二号、同第八八七二〇号各供託金の払渡請求却下処分を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁主文同旨。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 処分の存在
(一) 訴外弘重愼(以下「訴外人」という。)は、原告から賃料(東京都渋谷区恵比寿三丁目九九番一、宅地七〇〇・二三平方メートルについてのもの)の値上げを要求され、従前賃料額の受領を拒否されたため係争中である旨を供託事由として、左記のとおり、昭和五八年五月四日東京法務局に対し、同年四月分賃料として月額一六万六八〇〇円を供託したのを始めとして、以後同年一一月九日(二か月分)まで各供託(以下一括して「本件供託」という。)をした<編注・左「記」参照>。
記
供託年月日 昭和五八年度供託番号 供託金額
昭和五八年五月 四日 金第一二九六二号 金一六万六八〇〇円
同年 五月三一日 金第二二一六九号 同右
同年 七月 八日 金第四〇四〇一号 同右
同年 九月 五日 金第六二七三一号 同右
同年 九月 五日 金第六二七三二号 同右
同年 一一月 九日 金第八八七二〇号 金三三万三六〇〇円
(二) 原告は被告に対し、昭和五九年一二月二一日右各供託金について、供託金払渡請求書の払渡請求事由の還付欄の「1供託受諾」の部分に丸印を付け、かつその下部に「(留保付)」と記入し、更に備考欄に「供託者は昭和五八年四月以降地代として供託をなしているが、被供託者は期間満了による明渡し、及び無断転貸による解除又は建物朽廃による契約終了を理由として供託者に建物収去土地明渡及び明渡し済みまで一か月金三四万二〇〇〇円の損害金の請求をなして東京地方裁判所において審理中であるが、このたび前記損害金の一部として、留保を付し供託金の還付を申請する」と記入した上で、払渡請求(以下一括して「本件払渡請求」という。)をした。
(三) 被告は、昭和六〇年一月一四日、「本件供託は、地代の弁済として供託されたものであるから、地代として受領(供託受諾)する場合のほか、建物収去、土地明渡し済みに至るまでの損害金として払渡しを求めることは許されないものである」との理由で本件払渡請求の却下決定(以下「本件却下処分」という。)をした。
2 本件却下処分の違法性
原告は、訴外人との間の前記土地の賃貸借契約の期間満了の日(昭和五八年三月三一日)の後である同年四月五日、訴外人に対し更新拒絶の意思表示をし、さらに建物収去土地明渡を求めて、調停、訴訟に及び、現に訴訟係属中である。この間右土地の固定資産税及び都市計画税は、本来右土地を有効に利用した果実をもつてあてるべきところ、それが供託金として凍結されているため、その資金繰りに窮し、本件供託金の還付を必要とするに至つた。
しかしながら、供託金を「供託受諾」として払渡請求すれば、訴外人は必ずや賃料として受諾受領した上は、更新拒絶、賃貸借終了又は解除の意思を撤回するものと主張し、前記明渡訴訟を有利に導かんとするであろう。さりとて、払渡請求書には単に供託受諾とのみ記しておき、明渡訴訟において相手方から、これを援用されたときに一転して右「受諾」は「承諾」の意思でないと反論するのは、原告にとつて、およそ良心に反する苦役となる。
一方、賃借人である供託者にとつては、この供託金につき、更新後の賃料又は新賃料の一部として支払うべき義務を負うものであるか、あるいは更新拒絶後の賃料相当の損害金又はその一部として支払うべき義務を負うものか、という二者択一の問題でしかありえず、いずれであつても、供託者は右供託を取下げて供託金(または相当の金員)を永久に自己の支配下に納めておくことはできない。すなわち、右いずれの場合であつても右供託金は最終的に原告が取得すべきものである。
右供託金は、このように最終的に原告に帰属すべきものであるし、経済的にみても、供託者は、現実問題として既に土地使用という収益を継続又は完了し、その利益を享受して何ら害されるところがないのに、被供託者は、供託者に屈して、賃貸借の存在又は更新継続を是認しないことには供託金の還付を受けられないときは、日々自己所有土地を利用できないことによる損害金(いいかえれば、他の善良なる借地人に賃貸して得べかりし賃料)を取得し、これを原資として、固定資産税、都市計画税をまかなうことすら許されないことになる。
右のような賃借人(供託者)、賃貸人(被供託者)の利・不利の立場は、そのまま係争の場に反映され、賃借人が安易に供託を利用する「濫供託」並びに供託の無用な長期継続を容認、更には奨励する結果となる。すなわち、一方では、不動産の果実は供託金として凍結されるのに、その負担たる土地課税は供託による凍結がなされても停止などの措置がないため、公租支払いのため経済的に窮迫し、供託の長期化に耐えかねて泣く泣く明渡請求を放棄し、供託を受諾する例が少くないのである。かくては、保有不動産の賃貸利用を妨げることになり、既にその弊害は著しいものがある。
被告は、「損害金としての留保付供託受諾を認める場合は、供託者は、地代弁済の目的を達することができないうえ、供託金の取戻請求権をも失うこととなる。」というが、以上述べたところから、土地使用という既に収益を終えた部分の対価性において、賃料と損害金とに差異を設けるべき根拠のないことは明らかであつて、供託者は、使用収益の対価を弁済したという目的は十分に達成されており、いずれにしても、供託者は土地を無償で、あるいは供託金以下の金額で使用できないという根本の点において、その取戻請求権を保護する必要は、両当事者の利害を衡量すれば、全くないといわざるを得ず、本件却下処分は硬直のそしりを免れないものである。
しかもこのような事情の下で、国家が、当然原告の入手しうべき金員の払渡請求を却下し、右金員を保留し続けることは、供託物の利用を阻害し、反面、国家がこの運用の益にあずかるという違法かつ不当な結果を招来する。
よつて、本件却下処分は違法であるので、その取消しを求める。
二 請求原因に対する認否及び被告の主張
請求原因1の(一)ないし(三)の各事実は認める。
同2のうち、原告と訴外人との間の土地賃貸借契約、更新拒絶、調停、訴訟の経過及び右土地の固定資産税等の納付に関する原告の資金繰り並びに本件供託の払渡手続が右訴訟に及ぼす影響については不知、その余の本件供託が賃料の弁済を目的としたものであることは供託の原因たる事実欄の記載によつて明らかであるから、原告(被供託者)は賃料としてのみ供託受諾が許されるのであつて、損害金の一部としての供託受諾にその効力を認めることはできないものである。
また、供託は、被供託者の受領拒否など債権者の側に一定の事情が存在する場合に供託者の便宜を図り、これを保護するための制度であるから、供託後の事情の変更などによつて供託者が供託物を取り戻したいときに、これが許されないとすれば、債権者の保護に傾きすぎて供託者の保護という供託本来の趣旨に反することになる。仮に、被告が原告の留保付本件払渡請求を認可した場合は、訴外人は、賃料弁済の目的を達することができないこととなるばかりでなく、民法四九六条に基づく供託金取戻の権利をも失わせ、供託者の意思に反し、供託者に著しい不利益を招来させる結果となつて、不当であることは明らかである。
更に原告は、賃借人(供託者)としては、賃貸借契約が更新されれば賃料として、また解除されれば損害金として、いずれにしても賃貸人に金員を支払うべき義務を負つているのであり、賃料といい損害金というも、ひとしく被供託者の土地を供託者が使用収益している関係より発生した債権債務であることを根拠に、地代としてなされた弁済供託金を損害金として受領することは許されるべきであつて、そう解することが供託者・被供託者の公平にも資する旨主張する。
しかし、原告の所論が供託本来の趣旨に反することは前記のとおりである上、一般に、供託官は、そうした実体的権利関係を知りえないばかりでなく、実体的権利関係等の実質的審査権限を有していない。したがつて、契約の趣旨に基づき払い渡すことを許された供託官としては、契約内容と異なる性質の債権に基づいて払渡請求がなされても、これを認めることは困難である。
以上のとおり、本件却下処分は適法である。
第三 証拠<省略>
理由
請求原因1の(一)ないし(三)の各事実(本件供託、本件払渡請求及び本件却下処分)は、当事者間に争いがない。
そこで、本件却下処分が違法であるかについて判断する。
本件供託は、訴外人の賃料債務の弁済供託であり、これによつて、供託者である訴外人はその債務を免れ、他方、供託官は、供託者のために供託物を受け入れ管理するとともに、被供託者である原告(債権者)に対して供託物の払渡しをなす義務を負うものである。この弁済供託の制度を、供託者と供託官との間の法律関係についてみれば、第三者である被供託者のためにする寄託契約の性質を有するものと解することができるが、第三者は、供託官に対して、改めて受益の意思表示(民法五三七条二項)をすることなく当然に供託物の引渡請求権(還付請求権)を取得する反面、右請求権の行使は供託法規所定の手続に則つてされなければならない(供託法八条一項、同規則第三章)から、この点で右契約には供託法規による規制が加えられているものである。
右弁済供託によつて被供託者がどのような還付請求権を取得するかは、当該供託行為すなわち右にいう寄託契約によつて定まるものであつて、これを離れては還付請求権の発生原因はない。そして、右還付請求権は実質的には、弁済供託によつて免れることになる(民法四九四条参照)債務に代わるものであるから、本件供託が請求原因1(一)の各賃料債務の弁済供託としてなされたものである以上、これによつて原告が取得する還付請求権も、実質的には同賃料債権に相当するものであつて、損害賠償債権もしくはこれに代わるものとしての還付請求権を取得することは起こりえない筋合である。
原告は、賃料債務の弁済供託であつても、不法占拠による損害賠償債権の満足として受領する旨の「留保」を付して還付請求をすることができると解釈すべきであると主張する。しかし、還付請求に際して供託受諾の意思表示に付することができる「留保」は、被供託者が取得した還付請求権(本件で言えば、賃料債権の実質を有するもの)の同一性を損なわない範囲においてであつて、当該還付請求権の埓外の権利(本件で言えば、損害賠償債権)の満足を得る手段として還付請求をする旨の「留保」は、賃料債権に代わるものとして取得した右還付請求権は行使しない旨を明らかにしたものに他ならないから、右に述べた同一性を損なうものである。したがつて、このように当該還付請求を不適法なものにする「留保」は、供託制度上許されないものと言わなければならない(右「留保」を還付請求手続において表示しない場合は別論である。)。
観点を変えて言うと、訴外人は、賃料としての弁済供託をし、被告もそのようなものとして本件供託を受け入れたものであるから、被告としては、右賃料債権に代わる還付請求権の行使と認められる場合にのみ、当該還付に応じるべき本件供託上の義務(寄託契約上の義務)を負い、かつ、これに尽きるものである。ところが、原告の本件払渡請求は、その「留保」によつて、右賃料債権と実体法上両立しえない損害賠償債権に基づき還付請求をする旨を表示したものであつて、これに被告が応じることは、右義務に違背することになるから、被告がこれを拒否できるのは当然と言うべきである。
よつて、被告が本件払渡請求を却下したことは正当であり、なんら違法はない。
なお、原告は、賃料と賃料相当損害金とを截然と区別して本件払渡請求を却下した被告の所為は、硬直のそしりを免れないと非難する(請求原因2)。しかし、賃料と賃料相当損害金とはその権利の性質を異にしていることは前述のとおりである。したがつて、不法占拠者が任意に右賃料相当損害金を支払わないときは、法律上は、債権者においてなんらかの債務名義を取得しないかぎり、暫定的にもせよ、その支払を強制して満足を得る手段はないものである。ところが、原告主張のように、賃料と賃料相当損害金との間で弁済供託金について彼此流用を認めるという便宜的な還付請求手続を許すときは、債務名義なしに暫定的満足を債権者に得させる結果となる。これは、現行の法体系が、債務者の任意の支払がないとき、債務名義の形成手続を通じて債権者の権利主張が正当か否かについてそれ相応の吟味をする構造を採用していることと相容れないものであつて(供託官に現行法で認められている審査権をもつてしては右に言う債務名義の形成手続に代えることはできない。)、債権者の一方的な便宜に堕するものであり、是認することができない。原告の主張する被供託者の不利益は、供託制度の運用の中で解決されるべき性質の問題ではなく、執行制度の運用の中で考究されるべき事柄と言わなければならない。
よつて、原告の右主張も失当である。
以上のとおり、原告の本件請求は、理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について行訴法七条、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官山本和敏 裁判官太田幸夫 裁判官塚本伊平)