東京地方裁判所 昭和61年(モ)18417号 判決 1988年2月10日
債権者 有限会社三番町ヒルトップ
右代表者代表取締役 ライユウコン
右訴訟代理人弁護士 永石一郎
同 中村治郎
同 米沢幸子
債務者 富士コンサルタント株式会社
右代表者代表取締役 吉村勝彦
右訴訟代理人弁護士 成田信子
主文
東京地方裁判所が、同裁判所昭和六一年(ヨ)第七六三八号不動産仮処分申請事件について同年一一月六日にした仮処分決定を取り消す。
右仮処分申請を却下する。
訴訟費用は債権者の負担とする。
この判決は第一項に限り仮に執行することができる。
事実
第一当事者の申立て
一 債権者
1 東京地方裁判所が、同裁判所昭和六一年(ヨ)第七六三八号不動産仮処分申請事件について同年一一月六日にした仮処分決定を認可する。
2 訴訟費用は債務者の負担とする。
二 債務者
主文と同旨の判決並びに仮執行の宣言
第二当事者の主張
一 債権者
1(一) 債権者は、昭和六一年八月五日、債務者代理人ジェー・シー・ジャック(以下「ジャック」という。)から、別紙物件目録一、二の不動産(以下「本件不動産」という。また、同目録二の不動産を「本件マンション」という。)を同目録三ないし五の不動産(以下「成田の土地」という。)とともに代金合計四億円で買い受けた。
(二) ジャックは、右売買契約の締結につき、債務者代表者富田弘(以下「富田」という。)から、予め、その代理権を授与されていた。
(三) 仮に、ジャックが右代理権を授与されていなかったとしても、
(1) 富田は、同年八月六日以降、ジャックと頻繁に連絡をとり、ジャックと右売買の打合わせのためしばしば会合するなどしているうえ、本件不動産の売買契約を前提として本件不動産を債権者の支配に移すための手続をとっており、同月八日には債権者の従業員ジョン・黎(以下、「ジョン」という。)と右手続の打合わせをし、更に、同月二五日には、ジョンとともに、本件契約の履行準備のため、香港上海銀行に代金の一部である五〇〇〇万円を預金するためのエスクロー口座を開設するなどしたのであるから、遅くともその時点までに、黙示的にジャックの無権代理行為を追認した。
(2) 富田は、同年八月二五日、ジョンに対し、右売買契約におけるジャックの無権代理行為を追認した。
(四) 仮に右の事実が認められないとしても、ジャックと債務者とは実質的経済的に同一性が認められ、ジャックは売主本人として前記売買契約を締結したものである。ジャックと債務者との間に同一性が認められることは、(イ)債務者の株主が実質的にはジャック一人であること、(ロ)富田がジャックの支配下にあったこと、(ハ)ジャックは債務者の事業の実際上の推進者であったばかりか、債務者の財産の中で重要なものである本件マンションを自己の居宅に使用し、債務者所有の西寺尾のマンションを昭和六一年八月八日自分の妻のケイコに非常に安く売り渡しており、また、自ら主導的に債務者の重要な財産である本件不動産の売買交渉をしていること、(ニ)本件契約当時、債務者はその事業をやめることになっていたこと、(ホ)債務者について法定の株主総会や取締役会が開催されていたのか疑問があること等の事実からも明らかである。
2 仮に前項の売買契約締結の事実が認められないとしても、債権者は、昭和六〇年八月五日、債務者の全株主である香港会社たるイアスコ・リミテッド(以下「イアスコ香港社」という。三五万六〇〇〇株)、ジャック(二八〇〇株)、富田、小椋強三、鈴木徳子(各三〇〇株)の全株式を、株主全員の代表者であるイアスコ香港社の代表取締役ジャックから代金合計四億円で買い受けたが、それは形式的、外形的なものにすぎず、その目的は本件不動産の支配権を取得するところにあったものであり、したがって、その本質は本件不動産の売買契約の締結にある。すなわち、本件不動産の売買契約と右株式の売買契約とは、重畳的に成立したものである。そのことは次の事実から明らかである。
(一) 債権者は、本件不動産を取得したと考えていたが、他方債務者の業務であいるパイロット派遣業務等にはなんらの興味もなく、債務者の株式の取得も希望していなかったが、税金対策上の債務者側の強い希望により、株式売買の形式をとることを承諾したものである。
(二) 債務者側も、債権者に対し、債務者の会社としての実質を譲渡する意思はなく、富士プロムプターという別会社を設立し、債務者の営業をそちらに移した。また、債務者は、本件不動産以外には資産も負債もなく全く空の状態にして債権者に引き渡されることが合意され、富田が債務者の財産を整理して、昭和六一年八月末日ころまでに債務者の財産を本件不動産のみとするよう、その履行がされつつあった。
3(一) 債権者は、昭和六一年八月五日、債務者の株主からその全株式を買い受けたが、その際、債務者は債権者に対し、本件不動産を明け渡す旨約した。
(二) また、債務者は、同月八日、債権者に対し、本件不動産を明け渡す旨約した。
(三) 債権者は右合意をもって債務者に対し本件不動産の引渡請求権を有するものであるところ、右引渡請求権は単なる占有移転請求権でなく、その背後にある債務者の全株式の譲受けに伴う実質的所有権移転請求権の具体的な現れである。また、債務者は、右株式売買が債務者の全株式の売買であること及びそれが本件不動産譲渡の目的でされることをすべて承知したうえで、その譲渡の目的達成の一環として本件不動産の引渡しを約束したものであり、しかも、債務者は一応株主とは別個独立の法的主体であるが、もともと大株主のイアスコ香港社すなわちジャックの意のままになるものであるうえ、右売買に伴い、その営業は何も残さず、本件不動産のみを残すこととなっていたのであり、株主と別個独自の経済的利益は何もない。したがって、このような場合、債権者の債権者に対する引渡請求権は、本件仮処分の被保全権利となりうる。
4 本件マンションには、本件取引当時ジャックが居住していたが、同人は、昭和六一年一〇月一八日ころ他に引っ越し、更に同年一一月一三日、債務者は債権者に対し、本件不動産を代金九億五〇〇〇万円で買うよう要求し、もし買わないのであれば、本件不動産を第三者に売却する意向である旨通知してきたのであるから、本件仮処分については、保全の必要性もある。
5 よって、本件仮処分決定は正当であるから、その認可を求める。
二 債権者の主張に対する認否
1 債権者の主張1のうち、本件不動産が債務者の重要な資産であることは認め、その余の事実は否認する。
2 同2の本文のうち、昭和六一年八月当時、イアスコ香港社、富田、小椋強三、鈴木徳子が債務者の株主であり、富田、小椋強三、鈴木徳子の持株数が各三〇〇株であったことは認め、その余の事実は否認する。(一)のうち、ジャックが債務者の株式の売買を希望したことは認め、その余の事実は否認する。(二)のうち、債務者の営業が富士プロムプターという別会社に移されたこと、債権者とジャックとの間において、債務者については、本件不動産以外に資産も負債もない全く空の状態にして債務者の株式を債権者に引き渡すことが合意されたことは認め、その余の事実は否認する。
3 同3の(一)、(二)の事実は否認し、(三)は争う。
4 同4のうち、ジャックが昭和六一年一〇月一七日本件マンションを債務者に明け渡したこと、債務者が本件不動産を第三者に売却しようとしていたことは認め、その余は否認し又は争う。
三 債務者
1 ジャックは、昭和六一年八月五日に作成した同月六日付の覚書(以下「本件覚書」という。)に署名した当時、それが売買契約自体ではなく、後日税務問題を検討して問題のないことを確認したうえで、債務者の株式の売買契約を締結する意思であった。したがって、本件覚書への署名により本件不動産の売買契約が締結されたのであるとすると、右契約におけるジャックの意思表示は錯誤によるものであって無効である。
2 ジャックは、本件覚書に署名した際、イアスコ香港社に発生する譲渡益が日本の税金の課税対象とはならないものと考えており、このことが本件取引の重要な条件かつ動機として債権者に表示されていた。したがって、本件取引が債務者の株式の売買であるとしても、ジャックの意思表示は要素の錯誤に基づくものであって、無効である。
3 ジョンは本件覚書に記載された本件取引の目的が本件不動産であるにもかかわらず、その目的が債務者の株式であるとジャックに誤信させ、ジャックはその誤信に基づいて本件覚書に署名したものであるから、ジャックの意思表示はジョンの詐欺に基づくものであり、債権者はその当時右詐欺の事実を知っていた。そして、債務者は昭和六一年一一月一日、ジョンに対し、右意思表示を取り消した。
四 債務者の主張に対する認否
1 債務者の主張1の事実は否認する。
2 同2のうち、ジャックが本件覚書に署名した際、イアスコ香港社に発生する譲渡益が日本の税金の課税対象とはならないものと考えていたことは不知、その余の事実は否認する。
3 同3の事実は否認する。
第三疎明関係《省略》
理由
一 《証拠省略》を総合すると、次の事実が一応認められ、右認定を覆すに足りる資料はない。
1 債務者の昭和六一年当時の株式総数は三六万株であり、その株主は、イアスコ香港社(三五万六〇〇〇株)、ジャック(二八〇〇株)、富田、小椋強三、鈴木徳子(各三〇〇株)であった。イアスコ香港社は香港の会社であり、その代表者はジャックであって、株式の大多数を米国の会社であるインターナショナル・エア・サービス・カンパニー(以下「イアスコ本社」という。)が所有していた。ジャックはまたイアスコ本社の大株主でもある。
2 本件マンションを含む共同住宅は、債権者代表者の兄である黎秀光が分譲したもので、債務者は昭和四九年ころ本件不動産を購入した。
3 ジャックは、資金調達の必要から本件不動産を売却することを検討していたが、他方、債権者は本件不動産を債務者から買い戻すことを希望していた。そこで、ジャックは、昭和六一年八月一日ころ、債権者従業員でかつ黎秀光の息子であるジョンに対し、債権者において本件不動産を債務者から代金二億五〇〇〇万円で買い戻すことを打診した。
4 債権者はこの申し出を受諾することにしたところ、ジャックはその直後、債権者に対し本件不動産と成田の土地とを代金合計四億円で買い取って貰いたいと要求し、更に、同月二日ころ、不動産の売買では債務者における本件不動産の簿価と売買価格との差額に対し譲渡差益として高額の税金が課されることから、債務者の全株式を買い取る形式をとってほしいと要求した。債権者は、成田の土地や債務者の営業には全く関心がなかったものの、本件不動産の取得を強く希望していたので、同月三日ころ、ジャックの要求を受諾した。
5 ジャックは、同年八月五日ころ、ジョンに対し、債務者の株式の売買に関する覚書の草案を交付した。債権者はこれを検討した結果、売買の対象が形式的には債務者の株式であるものの、債権者にとって、その売買の真の目的は本件不動産を取得するところにあったので、その趣旨を明確にするため、覚書の条項中に、(1)イアスコ香港社/債務者が債務者の全株式、本件不動産、成田の土地の売却を希望していること、(2)イアスコ香港社/債務者と買主(黎秀光又はその指名する会社)は株式及び資産を代金四億円で売買することを合意することが明記された覚書(本件覚書)を作成し、黎秀光とジャックがこれに署名した。もっとも、本件覚書において売主たる当事者として表示されたのはイアスコ香港社であり、また、本件覚書の締結後三〇日以内にイアスコ香港社と買主(黎秀光又はその指名する会社)とは本件覚書の条件条項に基づき、確定的な売買契約を締結することも明記された。確定的な売買契約の締結までに三〇日間の余裕をおいたのは、本件不動産を売却した場合の課税金額の算定により売買の対象(それに伴って売主)を更に検討するなどの必要があったからである。なお、本件覚書には、本件不動産の引渡しに関する条項があったが、その引渡日は後日定めることとされ、その部分は空白となっていた。
6 ジョンは、同月二二日ころ、債権者が債務者の株式三六万株を買い受けるための資金五〇〇〇万円を香港上海銀行において融資する旨の同銀行作成にかかる保証書をジャックに交付し、更に、同月二五日、富田を同道のうえ、香港上海銀行において、右株式代金支払いのため、ジャックの要求に応じて、エスクロー口座を開設した。
7 債権者とイアスコ香港社は、同月二八日、債務者の株式の最終的な売買契約書を作成することとしていたが、それは同年九月二日に延期された。
8 ところが、同年九月二日に至り、ジャックが同人及びイアスコ香港社等の所有する株式にかかる株券を紛失していたことが判明したため、売買契約書の作成は延期され、債権者とジャックらは協議のうえ、紛失した株券の除権判決に代えて債務者において株式譲渡制限の規定を設け、これによって従来の株券を無効にすることとし、紛失した株券の処理等に関する条項を追加した売買契約書を同月三日に作成すると同時に、債権者がイアスコ香港社に対し金二億五〇〇〇万円を支払うこととした。
9 そして、債権者は、同月三日、協和銀行子安支店に香港上海銀行員を待機させ、右代金の支払いを準備したが、ジャックは、イアスコ本社を売主として、イアスコ香港社の株式売買の形式をとってほしいと要求したため、売買契約書は作成されないまま、話合いを継続することとなった。その後、債権者とジャックは売買の対象、売主、売買条件等について交渉を重ねたが、最終的な合意には至らなかった。
二 そこで、本件覚書に黎秀光及びジャックが署名したことにより、本件不動産の売買契約が成立したか否かについて判断する。
前記認定事実によると、(1)債権者側は、本件不動産を取得することを目的としてジャックとの交渉に臨んでおり、ジャックもそのことは認識していたが、本件不動産売買の形式をとると、債務者に対し、不動産譲渡所得として高額の課税がされるため、ジャックにおいて、債務者の株式の売買の形式をとることを希望し、債権者もこれを了承していた、(2)ただ、税金問題について更に検討を要するため、一応債務者の株式の売買の形式をとることとしつつ、なお、将来の検討にまつこととした、(3)債権者側とジャックは、売買の対象を、一応、債務者の株式とすることとしていたため、本件覚書の売主の表示は債務者の大株主であるイアスコ香港社とした、(4)本件覚書において、売買の対象は形式的には債務者の株式とされているが、債権者が取得を希望するものは債務者の営業でなく本件不動産であることを明らかにするため、本件覚書の条項中において債務者も売主となり売買の目的物は債務者の株式だけでなく本件不動産及び成田の土地も含まれるかの如き文言が挿入された、というのである。そして、右の事実関係によると、本件覚書において売買の対象として予定されていたのは、債務者の株式であったというべきであり、したがって、その余について判断するまでもなく、本件覚書により本件不動産の売買契約が成立したものではないといわなければならない。
三 債権者は、本件覚書において売買の対象とされているものが債務者の株式であるとしても、それと重畳的に本件不動産もまた売買の対象となっていると主張する。
しかし、本件不動産を売買の対象とするときには債務者がその売主となるが、債務者における本件不動産の簿価と売買価格との差額である譲渡益に対して高額の課税がされるため、ジヤックは債務者の株式を売買の対象とする旨希望し、債権者もこれを了承していたことは前記認定のとおりである。そして、これによると、債務者の株式とともに本件不動産をも売買の対象としたのでは、結局本件不動産の譲渡益に課税されることとなるのであるから、ジャックとしては、債務者の株式を売買の対象とした目的が達せられなくなる。また、債権者としても、本件不動産を買い受けるのであれば、債務者の株式を買い受けることは全く無意味になるというほかない。したがって、これらの点に鑑みると、本件覚書の真の目的が本件不動産の支配権の移転にあるとしても、それは当事者の本件覚書を作成するに至る動機にすぎず、本件不動産が債務者の株式とともに売買の対象となっていたものではないというべきである。
もっとも、本件覚書の条項中には、売主として債務者が、売買の目的物として本件不動産及び成田の土地が付加して表示されているが、それは、前記のとおり、債権者が債務者の株式を買い受ける実質的理由を明らかにするために記載したものにすぎす、右記載によって本件不動産が売買の対象となっていたとみることはできない。
よって、その余について判断するまでもなく、債権者の右主張は理由がない。
四 債権者は、本件覚書により、債務者の株主からその全株式を買い受けた際、債務者が債権者に対し、本件不動産を明け渡す旨約し、また昭和六一年八月八日にも本件不動産を明け渡す旨約したものであるところ、右合意による本件不動産の引渡請求権は本件仮処分の被保全権利になり得ると主張する。
しかし、不動産の引渡請求権は登記を目的とする権利ではないから、特別の事情のない限り、占有移転禁止仮処分の被保全権利となるにとどまり、処分禁止仮処分の被保全権利とはなり得ないものというべきであり、かつ、本件において右の特別の事情は認められないというべきである。なぜなら、仮に、債権者が本件覚書により債務者の株主からその全株式を買い受けたとしても、それにより、債権者が債務者の全株式を所有する株主となるにとどまり、債務者に対しそれ以上の権利を取得するものではない。すなわち、債務者とその株主たる債権者とは法的に別個独立の人格を有するものであり、債務者の財産を本件不動産等のみとすることとされていたとしても、債権者が本件不動産について移転登記請求権を有するものでないことはもちろん、債務者の本件不動産に対する処分行為を差し止める権利を当然に取得するものでもない。債権者としては、その株主たる地位に基づいて、本件不動産の処分行為が株主総会の特別決議事項(商法二四五条一項)であるとして株主総会の招集を求め(商法二三二条の二)、一定の要件のもとに取締役の行為の差止請求権を行使し(商法二七二条)、取締役を解任し(商法二五七条)、更には損害賠償請求権を行使するほかないというべきだからである。
よって、その余について判断するまでもなく、債権者の右主張も理由がない。
五 以上の次第であるから、その余について判断するまでもなく、債権者の主張する被保全権利はその疎明がないものというべきであり、かつ、その疎明に代えて保証を立てさせることも相当でないので、本件仮処分決定を取り消したうえ、右仮処分申請を却下することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を各適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 佐賀義史)
<以下省略>