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東京地方裁判所 昭和61年(ワ)16389号 判決 1987年8月19日

原告

外八名

右九名訴訟代理人弁護士

保持清

三上宏明

鈴木淳二

大口昭彦

高橋美成

伊東良徳

阿部裕行

遠藤憲一

加城千波

亀田信男

斉藤則之

被告

右代表者法務大臣

遠藤要

右訴訟代理人弁護士

中村勲

右指定代理人

星野雅紀

外二名

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告らに対し、それぞれ、各金五五万円及びこれに対する昭和六二年一月一四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告らは、いずれも、東京地方裁判所刑事第二部に係属する凶器準備集合等被告事件(同庁昭和六〇年合(わ)第三〇四号等、以下「本件刑事事件」という。)の被告人であり、現在東京拘置所に在監中である。

(二) 東京地方裁判所刑事第二部の部総括裁判官中山善房(分離前相被告。以下「中山裁判長」という。)は、本件刑事事件につき、昭和六一年一一月一〇日(第八回)及び同月一八日(第九回)の各公判期日において裁判長として、右訴訟を指揮していた。

2  不法行為

(一) 加害の状況

(1) 昭和六一年一一月一〇日午後一時一五分、原告らを被告人とする本件刑事事件の第八回公判が、東京地方裁判所四二九号法廷において開廷された。

右公判においては、証人甲野太郎(以下「甲野」という。)に対する証人尋問が実施された。同証人は、原告ら被告人に対する公訴事実のうち特に共謀及び共同加功状況を立証趣旨とする検察官請求に係る証人であり、原告ら被告人のいわゆる共犯者である。

しかるに、右証人尋問において、同証人は、検察官及び弁護人双方の尋問に対して、いずれも、ただ「言いたくありません。」と答えるのみで、終始一貫して証言を拒否し、証言を拒否する理由についても、同様に「言いたくありません。」と答えて証言拒否の理由を示さなかつた。

中山裁判長は、裁判長として後記のとおりの法規上の作為義務が課せられているにもかかわらず、右甲野証人の証言拒否に対して、過料等の制裁があることを告知せず、また、証言の勧告又は命令等の措置も全く行わなかった。それどころか、同裁判長は、弁護人が「証言を行うよう勧告して頂きたい。」旨職権発動を促しても、しかるべき指揮を行わずに次のように対応した。

「保持弁護人

裁判長、証人に証言をするように勧告してもらえませんか。

中山裁判長

先程検察官からもきかれ言いたくないということで今度弁護人から非常に個別的な事項にわたつてそれぞれ問いが行なわれたんだけど、その都度証人は言いたくない、答えたくありませんと言つていたけれども、これからも弁護人の個別的な質問の事項はかなりあるようだけれども、今後の弁護人の問いに対しても言いたくないという気持に変りありませんか。

甲野証人

言いたくありません。

保持弁護人

証言するように勧告していただけばいいんですが。

中山裁判長

言いたくないという意味は答えたくないという意味ですか。」

(右は第八回公判調書中甲野証人の供述速記録一五丁及び一六丁の各記載であるが、必ずしも正確ではない。この前後では、中山裁判長は、「もうよろしいでしよう。何度聞いても同じことです。」「そういうことです。もうこの程度でよろしいでしよう。」等の言辞をしきりにさし挟んでいた。)。

中山裁判長は、その後の弁護人の尋問についても、「もう聞くのはこの程度でよろしいでしよう。尋問を打ち切ります。」と尋問を打ち切り、検察官に調書の取調べの請求を促した。検察官は、右催促に応じて、右甲野の検察官面前調書(以下「検面調書」という。)及び分離公判調書の取調べを請求し、同裁判長は、弁護人から申し立てられた異議を棄却して直ちに右各調書を採用し取り調べた。その結果、弁護人は、甲野証人に対する反対尋問権を事実上行使することができなかつた。

(2) 昭和六一年一一月一八日の第九回公判では、証人乙山二郎(以下「乙山」という。)、証人丙川三郎(以下「丙川」という。)及び証人丁田四郎(以下「丁田」という。)の各証人が取り調べられた。そのうち、乙山証人及び丙川証人は、共謀及び共同加功状況を立証趣旨として検察官が請求した証人である(なお、検察官証拠関係カードによれば、右乙山、丙川各証人の主尋問予定時間は、各六〇分であつた。)。

右証人両名は、丙川証人がその生年月日及び出身大学並びに右公判当日朝食をとつたか否かの各点について証言した以外には、いずれも、前記甲野証人と同様、検察官及び弁護人双方の尋問に対し「言いたくありません。」と終始一貫して証言を拒否し、証言を拒否する理由についても、同様に「言いたくありません。」と答えるのみで証言拒否の理由を示さなかつた。

中山裁判長は、裁判長として後記のとおり法規上の作為義務が課せられているにもかかわらず、右乙山証人及び丙川証人の証言拒否に対しても、過料等の制裁があることを告知せず、また、証言を行うよう説得、勧告ないし命令するなどの措置を一切採らなかつた。それどころか、同裁判長は、原告らを退廷させて証言を求めたい旨の弁護人の刑事訴訟法三〇四条の二に基づく申立てに対しても、これを無視し抹殺した。

そして、中山裁判長は、検察官が請求した右乙山及び丙川の各検面調書並びに分離公判調書の取調べについて、弁護人から申し立てられた異議を棄却して、直ちにこれらを採用し取り調べた。

その結果、弁護人は、右乙山証人及び丙川証人に対する反対尋問権を事実上行使することができなかつた。

(3) 以上のとおり、中山裁判長は、甲野証人、乙山証人及び丙川証人の何ら正当な事由に基づかない証言拒否を積極的に認容しかつ奨励する訴訟指揮並びにそれを前提とした同証人らの供述調書及び分離公判調書の採用及び取調べによつて、原告らの裁判を受ける権利を侵害したものである。

(二) 違法性

(1) 第一に、中山裁判長の右所為は刑事訴訟規則一二二条二項に違反する。

すなわち、刑事訴訟規則一二二条二項は、「証言を拒む者がこれを拒む事由を示さないときは、過料その他の制裁を受けることがある旨を告げて、証言を命じなければならない。」と定めている。したがつて、前記のとおり、各証人の証言拒否に対して、制裁の告知及び証言の命令のいずれについても裁判長としての義務を履践しなかつた同裁判長の訴訟指揮には、同条項に違反する重大な違法が存する。

(2) 第二に、中山裁判長の右刑事訴訟規則一二二条二項違反の所為は、刑事訴訟法一六一条の証言拒否罪の幇助に当たる不法行為である。

(ア) 右各証人の証言拒否行為が、刑事訴訟法一六一条所定の証言拒否罪に該当することは、明らかである。

すなわち、右各証人は、原告らと同一の公訴事実をもつて起訴されたものであるが、いずれも、自己が刑事被告人である刑事事件の公判廷においては、公訴事実をすべて自白し、検察官請求の証拠にもすべて同意した者である。また、乙山証人については、既に判決が確定して服役中であり、刑事訴訟法一四六条ないし一四九条所定の証言拒絶事由は何ら存しなかつたものである。しかも、右各証人は、前記のとおり、いずれも、証言拒否の理由について一言だに明らかにしなかつた。

(イ) 中山裁判長の不作為(刑事訴訟規則一二二条二項違反)は、正犯である右各証人の実行行為(刑事訴訟法一六一条所定の証言拒否罪)を無形的に助け、その実現を容易ならしめたものである。

刑事訴訟規則一二二条二項の規定は、訴訟指揮権の行使者である裁判長による制裁告知及び証言命令という毅然とした裁判所の態度により、不当な証言拒否を行おうとする証人をして厳粛なる国法上の義務ある証言の重要性について自覚させることによつて、証人の証言を実現することを期待して設けられたものである。しかるに、裁判長が法規上の明文をもつて課せられたこの職責を殊更に果たさないとすれば、それは、不当な証言拒否を行つている証人の行為をあえて是認し、証言拒否者を安心させ、さらにはこれを奨励するに等しい意味を有するものというべきである。

幇助行為は不作為によつて行われ得る。すなわち、法規上正犯者の犯罪を防止すべき作為義務のある者がその義務に違反して故意にその防止を怠るときは、不作為による従犯が成立する。中山裁判長は、右のとおり、刑事訴訟規則一二二条二項の規定に基づき、正犯者である右各証人の不当な証言拒否行為を制裁告知、証言命令等の措置をもつて防止すべき作為義務を法規上負つていたものである。

そして、中山裁判長の所為には、右各証人の不当な証言拒否行為を幇助することについての故意が顕著である。前記のとおり、同裁判長は、右各証人が終始一貫して「言いたくありません。」と証言を拒み続けるという異常な尋問が続いているのにもかかわらず、その間一度として制裁告知、説得、勧告、命令等の措置を行つておらず、それどころか、証言拒否を積極的に奨励するような態度すら示したのである。このように、同裁判長の右各証人の証言拒否を認容する態度は顕著である。経験ある練達の刑事裁判官である同裁判長が刑事訴訟法一六〇条、一六一条、刑事訴訟規則一二二条二項等の各規定の存在及びその趣旨を熟知しているのは当然であつて、かかる同裁判長において、不当な証言拒否に対して毅然とした態度をとらずにかえつて前記のような対応をするとき、それが証言拒否をしている証人に対していかなる心理的効果をもたらすかについて認識していないということはあり得ない。同裁判長は、そもそも当初から、右各証人の証言拒否について、これを認容する態度を示し、かつ、自己の不作為がこれを助長することについても認識及び認容の意思を有していたのである。

(3) 第三に、中山裁判長の右所為は、その結果として原告らの反対尋問権を侵害し、憲法三二条所定の「裁判を受ける権利」及び憲法三七条二項所定の「すべての証人に対して審問する機会を充分に与へられ」る権利を侵害する違法な行為である。

そもそも公判廷における証言拒否についてこれを刑事訴訟法三二一条一項二号にいう「公判期日において供述することができないとき」に当たるとすることは、つとに問題とされてきたところである。少なくとも、右各証人の作為的拒否の証言態度に照らすと、前供述における特信情況の不存在の疑いはぬぐい難いところである。それにもかかわらず、中山裁判長は、特信情況に関する慎重な検討を一切行うことなく、これらの供述調書を直ちに採用し取り調べた。右各証人は、自己の検面調書として示された調書の末尾に存する署名及び指印が自分のものであか否かについての証言すら拒否しているにもかかわらず、同裁判長は、いとも簡単にこれらを証拠として採用しているのである。しかも、その前提として、前記のとおり、右各証人の証言拒否に対する積極的認容という同裁判長の訴訟指揮が行われているのであつて、原告らの反対尋問権は意図的に侵害されたものと断ぜざるを得ない。

このように、中山裁判長の右所為は、憲法三二条及び三七条二項に違反する違法行為である。これによつて、原告らの裁判を受ける権利は、完全に侵害された。

(三) 責任

以上のとおり、中山裁判長は、前記の両公判期日において、自己の裁判長としての作為義務に違反する不作為によつて証人の不当な証言拒否行為が助長されることを熟知しながら、殊更に制裁告知、証言命令等の作為義務を果たさなかつたのであるから、故意によつて原告らに後記の損害を加えたものである。

したがつて、被告には、その公務員である中山裁判長が裁判官としての職務を行うについて原告らに加えた後記の損害について、国家賠償法一条一項に基づき、賠償すべき責任がある。

3  損害

(一) 慰謝料

原告らは、中山裁判長による犯罪行為に該当する違法な訴訟指揮によつて、前記のように裁判を受ける権利を侵害されるという損害を被つた。

また、原告らは、公平かつ適正な訴訟を当然に保障されるべきことを予想していたものであり、右のような常軌を逸した訴訟指揮により被つた精神的衝撃及び苦痛は計り知れない。

これを金銭をもつて慰謝することは困難であるが、あえてそれを金銭に評価するとすれば、原告らに対する慰謝料としては、各金五〇〇万円を下らない。

原告らは、本件訴訟においては、いずれも、その一部として各金五〇万円の限度で請求するものである。

(二) 弁護士費用

原告らは、原告ら訴訟代理人らに対し、本件訴訟の遂行を委任し、その報酬としてそれぞれ請求金額の一割を支払う旨約した。

4  よつて、原告らは、被告に対し、国家賠償法一条一項に基づき、それぞれ、各金五五万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和六二年一月一四日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する答弁

1  請求原因1は認める。

2  同2について

(一)(1) (一)(1)のうち、昭和六一年一一月一〇日午後一時一五分、原告らを被告人とする本件刑事事件の第八回公判が東京地方裁判所四二九号法廷において開廷されたこと、同公判において甲野証人の証人尋問が実施されたこと、右甲野証人は原告ら各被告人の共犯者であつたが、検察官及び弁護人双方の尋問に対して証言を拒否したこと、検察官が右甲野証人の検面調書及び分離公判調書の取調べを請求したところ、裁判所は右各調書を採用して取り調べたことはいずれも認め、その余は争う。

(2) (一)(2)のうち、昭和六一年一一月一八日、第九回公判が開かれ、乙山証人、丙川証人及び丁田証人が各取り調べられたこと、右乙山証人及び丙川証人は検察官及び弁護人双方の尋問に対して証言を拒否したこと、検察官が右乙山及び丙川の各検面調書及び分離公判調書の取調べを請求したところ、裁判所は右各調書を採用して取り調べたことは認め、その余は争う。

(3) (一)(3)は争う。

(二) (二)のうち、乙山証人が判決確定後服役中の者であること並びに甲野証人、乙山証人及び丙川証人がそれぞれ自己の検面調書として示された調書の末尾に存する署名及び指印につきそれが自己のものであるか否かについての証言をも拒否したことは認め、その余は争う。

(三) (三)は争う。

3  同3について

(一) (一)は争う。

(二) (二)は不知。

三  被告の主張

1  刑事訴訟規則一二二条二項の規定は、証人尋問の手続を円滑、迅速に進行させるための手続的規定であり、いわゆる訓示規定であつて、合理的理由があるときには例外を許す趣旨のものである。したがつて、同条項所定の事項の履践をすることの要否は、裁判長が、当該事件の審理状況にかんがみ、当該証人尋問の手続を円滑、迅速に進行させるという同条項の意義及び目的に照らし、合理的かつ合目的的な裁量によつて判断すべき事柄であつて、仮に裁判所においてかかる手続的、訓示的規定の所定事項を履践しなかつたとしても、それにより当該刑事訴訟手続が直ちに違法となるものではなく、まして国家賠償法における違法な公権力の行使と評価されるべきものではない。

2  裁判官がした争訟の裁判に上訴等の訴訟法上の救済方法によつて是正されるべき瑕疵が存在したとしても、これによつて当然に国家賠償法一条一項の規定にいう違法な行為があつたものとして国の損害賠償責任の問題が生ずるわけのものではなく、右責任が肯定されるためには、当該裁判官が違法又は不当な目的をもつて裁判したときなど、裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認め得るような特別の事情があることを必要とするものと解するのが相当である。

右1において述べたとおり、刑事訴訟規則一二二条二項の規定は手続的、訓示的規定にすぎず、制裁の告知及び証言命令の要否に関する訴訟指揮は裁判長の合理的裁量に属するものであるところ、本件において、中山裁判長が右裁量権の範囲を逸脱しあるいは裁量権を濫用したと認めるべき特段の事情は存しない以上、右に要件として掲げた特別の事情の存在しないことは明らかであり、同裁判長の訴訟指揮が国家賠償法にいう違法と解される余地は全くないというべきである。

3  原告らは、中山裁判長の刑事訴訟規則一二二条二項所定事項の不履践による原告らの反対尋問権の侵害を問題とするが、かかる事項は、当該刑事訴訟手続の中で争われるべき事柄である。すなわち、現に係属中の刑事事件における裁判長の訴訟指揮の違法ないし不当は、上訴を含めた当該刑事手続の中で是正されるべきものであり、かつ、それで足りるのであつて、当該事件が現に係属中である以上、原告らには依然としてその途をとることが法的に保障されているのである。したがつて、そもそも裁判長の刑事訴訟手続上の事項に関する履践の有無が国家賠償法の対象となるべき余地は全く存しないばかりでなく、原告らにはいまだ具体的な個別的損害は何ら発生していないというべきである。

4  本件のような現に進行中の刑事事件における裁判長の訴訟指揮に関する措置について、これに不服があることを理由として、公正な裁判の実現を意図して設けられている適法な刑事訴訟上の手続によることなく、しかもその判決前に国家賠償法に基づく訴えを提起することは、右刑事裁判に不当に介入し、自己の主張を別異の局面において達成しようとするものであつて、不当な目的による訴訟提起というべきである。

四  被告の主張に対する答弁及び反論

被告の主張はすべて争う。

1  本件刑事事件における中山裁判長の刑事訴訟規則一二二条二項所定事項の不履践という違法な訴訟指揮に関して原告らが問題とする事柄の本質は、右訴訟指揮による原告ら及び弁護人らの反対尋問権(証人審問権)の侵害の点にあるのであつて、単に刑事手続上の規定違背それ自体の問題に尽きるものではない。

2  本件刑事事件において刑事訴訟法一二二条二項所定の事項を履践しなかつた中山裁判長の訴訟指揮に関しては、右規定の例外を認めるべき合理的理由は何ら存しないことは明らかである。

現に、本件刑事事件の関連事件が係属している東京地方裁判所刑事部の他の三箇部においては、本件刑事事件において証言を拒否し続けた甲野、乙山及び丙川の各証人をはじめとする計五名のいわゆる共犯証人らが、各部の裁判長による制裁告知、証言命令、証言の勧告、説得等の措置によつて、当初の証言拒否の態度を改め証言をするに至つているである。

第三  証拠<省略>

理由

一原告ら主張の請求原因によると、原告らは、本件刑事事件において、証人らが拒否の理由を示すことなく証言を拒否し続けていた状況の下では、中山裁判長は、刑事訴訟規則一二二条二項所定の制裁告知及び証言命令の手続を履践することによつて不当な証言拒否を防止すべき法規上の作為義務を課せられていたにもかかわらず、右義務にあえて違反し同条項所定の措置を一切採らなかつたばかりでなく、原告らを退廷させて証言を求めたい旨の弁護人の刑事訴訟法三〇四条の二に基づく申立てに対しても何ら応答しなかつたと主張し、同裁判長の右刑事訴訟規則一二二条二項所定事項の不履践をもつて刑事訴訟法一六一条の証言拒否罪の幇助(不作為による従犯)に問擬するとともに、右所定事項の不履践によつて原告らの反対尋問権が侵害されひいて憲法三二条所定の「裁判を受ける権利」及び憲法三七条二項所定の証人審問権が侵害されたと主張し、同裁判長の訴訟指揮権の行使につき右の違法を根拠として、国家賠償法一条一項に基づき被告に対し損害賠償として慰謝料の支払を求めるものである。

二しかしながら、刑事訴訟規則一二二条二項の規定は、証人尋問の手続を円滑かつ迅速に進行させようとする趣旨で設けられた手続的な規定にすぎず、それ自体証言ないし実体的な尋問権(審問権)の確保そのものを直接目的とする規定ではない。

ある法規の所定事項の不履践という不作為が特定の犯罪につきいわゆる不真正不作為犯を構成するためには、当該犯罪につき不真正不作為犯が成立するための要件である法律上の作為義務が当該法規自体によつて規定されていること、すなわち、当該犯罪の保護法益とされている法益に対する保護義務(法益侵害の結果防止義務)が当該法規上明確に規定されていることを要するものと解すべきである。しかるに、刑事訴訟規則一二二条二項の規定は、右に述べたとおり、証人尋問の手続を円滑かつ迅速に進行させようとする趣旨で設けられた手続的規定にすぎず、それ自体証言の確保そのものを直接目的とする規定ではなく、裁判長に証言の確保義務ないし証言拒否の防止義務までをも課したものではないから、証人の証言拒否罪(刑事訴訟法一六一条)につき、刑事訴訟規則一二二条二項の規定が、不真正不作為犯としての幇助(従犯)の成立要件としての法律上の作為義務の根拠規定となり得ないことは明らかである。しがつて、刑事訴訟規則一二二条二項所定事項の不履践が証人の証言拒否罪(刑事訴訟法一六一条)につき不真正不作為犯としての幇助(従犯)を構成する余地はないものというべきである。

また、右に述べたとおり、刑事訴訟規則一二二条二項の規定がそれ自体証言ないし実体的な尋問権(審問権)の確保そのものを直接目的とする規定ではない以上、同条項所定事項の不履践につき当該尋問手続における当事者の実体的な反対尋問権(審問権)の侵害の問題を生ずる余地はないものというべきである。

したがつて、裁判長の訴訟指揮における刑事訴訟規則一二二条二項所定事項の不履践につきこれを刑事訴訟法一六一条の証言拒否罪の幇助(従犯)に問擬し、反対尋問権の侵害による違憲(憲法三二条及び三七条二項違反)を論ずる原告らの主張は、いずれも理由がない。

以上のとおり、原告ら主張に係る裁判長の刑事訴訟規則一二二条二項所定事項の不履践については、原告らの本件刑事事件における当事者としての実体的な権利ないし利益の侵害の問題、すなわち、国家賠償法上の違法の問題を生ずる余地はなく、原告らの主張は、つまるところ、現に係属中の本件刑事事件における裁判長の訴訟指揮に関して、訴訟手続上の瑕疵の存在を主張するものというべきである。しかしながらかかる刑事訴訟手続上の事柄は、それが訴訟手続上の瑕疵の有無の問題にとどまり、当事者の実体的な権利ないし利益の侵害の問題を伴うものではない以上、本来上訴をも含めた当該刑事訴訟手続の中で争われべき問題であり、これを国家賠償法上の問題として論ずることはそれ自体当を得ないものというべきである。

三原告らは、原告らを退廷させて証言を求めたい旨の弁護人の刑事訴訟法三〇四条の二の規定に基づく申立てに対して中山裁判長が応答しなかつたと主張し、同裁判長の右訴訟指揮についてもこれを問題としている。

しかしながら、そもそも右規定は、公判期日において証人を自由に証言させる必要性から、憲法三七条二項の被告人の証人審問権の保障に対する特別の例外(制限)として、刑事訴訟法が裁判長に対しその裁量によつて被告人に退廷を命ずる権限を特に例外的に付与した規定であり、弁護人による被告人の退廷を求める旨の申立ては裁判長の職権による権限の発動を促すものにすぎない。したがつて、裁判長において右職権を発動しない場合に右申立てに応答すべき義務は存しないばかりでなく、むしろ右職権を発動すること自体が憲法三七条二項の保障する被告人の証人審問権に対する重大な制限となるのであつて、右職権を発動しないことにつき証人審問権の侵害の問題を生ずる余地はないものというべきである。

したがつて、原告らの主張のとおり弁護人の右申立てに対して中山裁判長が応答しなかつたとしても、右訴訟指揮について手続上違法ないし違憲の問題を生ずる余地は存しないものというべきである。

四以上のとおり、原告ら主張の請求原因によつても、原告らの本件刑事事件における当事者としての実体的な権利ないし利益の侵害の問題を生ずるものではないから、中山裁判長の訴訟指揮につきこれを国家賠償法上の違法な職務行為と認めることはできず、したがつて、原告らの本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。

五なお、原告らは、本件において、本訴請求を本案として、本件刑事事件の第八回及び第九回各公判期日の審理経過に関する録音テープ及び反訳前の速記録(速記原本)につき証拠保全の申立てをしている(昭和六一年(モ)第八二四二号証拠保全申立事件)ので、この点につき判断するに、右申立ての本案である原告らの本訴請求は、さきにみたように、事実関係につき証拠調をするまでもなく理由がないことが明らかであるから、本件証拠保全の申立ては、保全の事由を欠くものとしてこれを却下するのが相当である。

六結論

右の次第で、原告らの本訴請求は、いずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官新村正人 裁判官近藤崇晴 裁判官岩井伸晃)

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