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東京地方裁判所 昭和61年(ワ)2724号 判決 1997年1月14日

目次

主文

事実及び理由

第一 原告らの請求

第二 事案の概要

一 前提となる事実

1 当事者

2 窃盗事件の発生と被害車両の発見

3 総監公舎事件の発生

4 総監公舎事件発生直後の捜査状況

5 窃盗事件のその後の捜査

6 原告らの交友関係及び生活状況

7 原告らの逮捕とその後の捜査状況並びに窃盗事件及び総監公舎事件についての起訴

8 窃盗事件及び総監公舎事件の公判の経過

9 犯人蔵匿事件についての原告Aの逮捕・勾留・起訴・判決

二 原告らの主張

1 被告らの違法の本質

2 総監公舎事件における警察官の初期捜査の違法

3 窃盗事件における警察官の捜査の違法

4 窃盗事件における検察官の職務執行の違法

5 総監公舎事件における警察官の捜査の違法

6 総監公舎事件における検察官の職務執行の違法

7 犯人蔵匿事件における検察官の職務執行の違法

8 公訴追行上の違法

9 被告F及び同Gの故意による違法な職務執行

10 損害

11 結論

三 被告東京都及び同Gの主張

1 総監公舎事件における初期捜査の違法について

2 窃盗事件における捜査の違法について

3 総監公舎事件における捜査の違法について

4 被告Gの賠償責任の不存在

四 被告国及び同Fの主張

1 検察官の職務行為についての違法性の判断基準

2 原告Cに対する窃盗事件の公訴提起の適法性<省略>

3 原告B、同D及び同Eに対する窃盗事件の公訴提起の適法性<省略>

4 総監公舎事件における検察官の捜査の適法性<省略>

5 総監公舎事件の公訴提起の適法性<省略>

6 犯人蔵匿事件における公訴提起の適法性<省略>

7 公訴追行上の違法について<省略>

8 被告Fの賠償責任の不存在

五 争点

第三 争点に対する判断

一 当裁判所の基本的な考え方

二 原告B及び同Cに対する火取罪名での取調べの違法性

1 原告らに対する取調べに関する問題点として刑事裁判の判決が指摘する事項

2 本件爆弾の「爆発物」該当性

3 原告Bに対する火取罪名での取調べ

4 原告Cに対する火取罪名での取調べ

5 結論

三 総監公舎事件における警察官の初期捜査の違法性

1 証拠の歪曲・捏造

2 原告らの無罪証明につながる証拠の無視・隠匿

3 真実解明のための捜査活動の欠落

四 窃盗事件における警察官の捜査の違法性

1 捜査官による証拠資料の捏造と捏造された証拠資料による原告C及び同Aに対する窃盗事件逮捕の違法性

2 原告Cに対する取調べの違法性

3 原告Aに対する取調べの違法性

4 原告B、同D、同E及びHの逮捕の違法性

5 原告Bに対する取調べの違法性

6 原告Dに対する取調べの違法性

7 原告Eに対する取調べの違法性

8 Hに対する取調べの違法性

9 誘導による虚偽自白の捏造

10 裏付捜査の違法性

11 結論

五 窃盗事件における検察官の職務執行の違法性

1 警察の違法捜査への加担

2 原告Cに対する公訴提起の違法性

3 原告B、同E及び同Dに対する窃盗事件の公訴提起の違法性

4 アリバイ潰し

5 結論

六 総監公舎事件における火取罪名での取調べ以外の警察官による捜査の違法性

1 原告Cに対する火取罪名での取調べ以外の取調べの違法性

2 原告Bに対する火取罪名での取調べ以外の取調べの違法性

3 Hに対する取調べの違法性

4 原告Eに対する身柄拘束及び取調べの違法性

5 原告C、同B、同E及びHに対する弁護人解任の強要

6 原告Aに対する取調べの違法

7 被告Gによる虚偽の捜査報告書作成

8 誘導による虚偽自白の捏造

9 原告Cに対する実況見分における誘導、調書への虚偽記載

10 裏付捜査の欠落の違法性

11 原告らに対する起訴後取調べの違法性

12 原告Cに対する分離公判の強要

13 結論

七 総監公舎事件における検察官の職務執行の違法性

1 警察官の火取取調べに対する検察官の加担

2 警察官の違法捜査をカバーするための取調べ

3 参考人取調べの違法性

4 公訴提起の違法性

5 アリバイ潰し

6 爆取起訴後の取調べの違法性

7 原告らの移監時期の遅れと代用監獄の活用

8 結論

八 犯人蔵匿事件における検察官の職務執行の違法性

1 有罪判決を得る見込みのない公訴提起の違法性

2 公訴権の濫用

九 窃盗事件、総監公舎事件及び犯人蔵匿事件の公訴追行上の違法性

1 証拠の隠匿

2 弁護人側証人に対する威迫等

3 公判の引き延ばし

4 結論

一〇 被告東京都が賠償すべき原告らの損害

1 財産上の損害

2 慰謝料及び弁護士費用

3 結論

二 被告国、同F及び同Gの損害賠償責任

三 結論

原告

A

外四名

右五名訴訟代理人弁護士

伊藤まゆ

大口昭彦

後藤昌次郎

竹内康二

磯貝英男

被告

右代表者法務大臣

松浦功

右訴訟代理人弁護士

和田衛

右指定代理人

今村隆

外九名

被告

東京都

右代表者知事

青島幸男

右指定代理人

西道隆

外五名

被告

F

右訴訟代理人弁護士

和田衛

被告

G

右訴訟代理人弁護士

山下卯吉

竹谷勇四郎

高橋勝徳

金井正人

主文

一  被告東京都は、原告A及び原告Dに対し各金八〇万円、原告Bに対し金六〇万円、原告Cに対し金五〇万円、原告Eに対し金三〇万円並びにこれらに対する昭和四六年一二月七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らの被告東京都に対するその余の請求並びに原告らの被告国、被告F及び被告Gに対する請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用については、原告らに生じた費用の一〇分の一を被告東京都の負担とし、被告国、被告F及び被告Gに生じた費用は原告らの負担とし、その余は各自の負担とする。

事実及び理由

第一  原告らの請求

一  被告国及び被告東京都は、連帯して、原告Aに対し金六六七一万八〇〇〇円、原告Bに対し金四八二一万五〇〇〇円、原告Cに対し金三八九三万三〇〇〇円、原告Dに対し金三八九九万九〇〇〇円、原告Fに対し金四九八一万一〇〇〇円及びこれらに対する次の期日から次の金員支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

(付帯請求起算日)

原告Aの請求のうち、金四〇〇〇万円につき昭和四六年一一月七日以降、その余の金二六七一万八〇〇〇円につき昭和六一年三月二七日以降

原告Bの請求のうち、金三〇〇〇万円につき昭和四六年一一月一八日以降、その余の金一八二一万五〇〇〇円につき昭和六一年三月二七日以降

原告Cの請求のうち、金三〇〇〇万円につき昭和四六年一一月七日以降、その余の金八九三万三〇〇〇円につき昭和六一年三月二七日以降

原告Dの請求のうち、金三〇〇〇万円につき昭和四六年一一月二四日以降、その余の金八九九万九〇〇〇円につき昭和六一年三月二七日以降

原告Eの請求のうち、金三〇〇〇万円につき昭和四六年一一月二六日以降、その余の金一九八一万一〇〇〇円につき昭和六一年三月二七日以降

二  被告Fは、原告ら各自に対し、それぞれ金一一〇万円及びこれに対する昭和四七年一月六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  被告Gは、原告ら各自に対し、それぞれ金一一〇万円及びこれに対する昭和四六年一一月七日(ただし、原告Bにあっては同月一八日、原告Dにあっては同月二四日、原告Eにあっては同月二六日)から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  前提となる事実(以下、年号の記載がなく、月日のみを記載している場合は、昭和四六年を指す)

1  当事者

原告Aは、昭和九年一月一〇日生まれの男性で、昭和二八年四月早稲田大学教育学部社会学科に入学し、昭和三三年三月同大学を除籍になったのち、新聞記者等を経て、後述する昭和四六年一一月の逮捕当時は、株式会社講談社等と契約関係にあるフリーランスのジャーナリストとして妻子を扶養していた者である。原告Bは、昭和二三年二月一四日生まれの男性であり、昭和四二年四月日本大学文理学部中国文学科に入学したが、昭和四四年三月同大学を除籍になり、昭和四六年一一月の逮捕当時は、家業であるプラスチック染色業「××」の代表者として、両親及び姉妹とともに生計を営んでいた者である。原告Cは、昭和二二年一二月九日生まれの男性であり、昭和四一年四月日本大学文理学部物理科に入学したが、昭和四四年九月同大学を除籍になり、昭和四六年一一月の逮捕当時は、アルバイトによって生計を立てていた者である。原告Dは、昭和二三年一〇月二四日生まれの男性で、昭和四三年四月日本大学文理学部中国文学科に入学したが、昭和四四年三月同大学を除籍になり、昭和四六年一一月の逮捕当時はアルバイトによって生計を立てていた者である。原告Eは、昭和二二年一一月三日生まれの男性であり、昭和四二年四月日本大学二部経済学部経済学科に入学し、昭和四六年一一月の逮捕当時は、映画製作の照明担当として生計を立てていた者である。

被告Fは、昭和四六年及び四七年当時、東京地方検察庁公安部所属の検察官として、後述する原告らに対する公訴を提起した者である。

被告Gは、昭和四六年及び四七年当時、警視庁麹町警察署刑事防犯課長の地位にあった警察官であり、総監公舎事件の捜査主任官であって、後述する原告らの捜査及び逮捕をした者である。

2  窃盗事件の発生と被害車両の発見

昭和四六年五月七日午後一一時ころから翌八日午前七時四五分ころまでの間に、東京都小金井市本町四丁目五番東京都住宅供給公社小金井本町住宅(以下「小金井本町住宅」という)C一号館一七号伊藤健方北側前道路上に駐車中の同人の妻伊藤照子管理に係る普通乗用自動車トヨペットコロナデラックス(RT二〇D型紺色、車両番号多五せ四三二三、時価六万円)(以下「四三二三車」という)が窃取された(以下「窃盗事件」という)。

五月二七日午前二時三〇分ころ、千代田区麹町二丁目二番地先交差点(通称麹町二丁目交差点)において、四谷方面から半蔵門方面へ向かって走っていた三好政仁運転のハイヤーが、同交差点で赤信号のため停止していた四三二三車に追突し、さらに四三二三車がその前方に停止していた樋口芳雄運転のタクシーに追突するという交通事故が発生した(以下「二重追突事故」という)。右四三二三車には二名の男が乗車しており、事故直後、三好が右二名の男性に、体の状態などを尋ねたところ、右両名は「近くの知っている医者に診てもらう」旨述べて現場を立ち去り、以後同所には戻ってこなかった。三好は、右事故の発生を、直ちに付近の警視庁麹町警察署に届出をし、同署司法警察員丹波守次らが現場に赴き、事後処理などにあたったところ、四三二三車が前記盗難車両であることが判明した。事故当時の四三二三車には、被害者伊藤照子の所有物以外の物として、後部座席に「蒸留水」という記載のあるガソリン少量入りの白色のポリ容器一個と灯油用ポンプ、助手席の方のボックスにニッパーペンチ、新宿の喫茶店のマッチ数個、灰皿一個が遺留されていた。麹町警察署では、右事故直後、四三二三車に乗車していた者について三好らから若干の事情聴取を行ったほか、被害者伊藤照子からの事情聴取などを行ったものの、窃盗犯人を特定するに足りる資料は見出せず、同月二八日には同車を伊藤に返還したほか、その後まもなく関係記録を本件窃盗事件発生地を管轄する警視庁小金井警察署に移牒し、以後本件窃盗事件の捜査はさしたる進展がなかった。

3  総監公舎事件の発生

昭和四六年八月七日午前一時五七分ころ、東京都千代田区一番町<番地略>所在の警視総監公舎に時限装置付手製爆弾(以下「本件爆弾」という)を持った一人の若い男が侵入した。その直後、同夜右公舎の建物内で宿直勤務についていた警視庁総務部司法巡査関昭夫が右の若い男を発見し逮捕しようとしたが、男は同公舎前付近に待機していた乗用車で逃走した(以下「総監公舎事件」という)。また同日午前三時一三分には、千葉県警成田警察署でも爆弾が爆発した(以下「成田署事件」という)。

4  総監公舎事件発生直後の捜査状況

関は、犯人逃走後、直ちに一一〇番通報をし事件の発生を報告するとともに、逃走車両及び犯人の特徴として「逃走車両番号多摩記号不明四九八〇、犯人甲は小柄で髪短く白っぽい半袖シャツに黒ズボン、犯人乙は人相不明」と述べた。これを受けた警視庁では、同日午前二時五分ころ緊急配備体勢を敷き、関の右通報情報に基づき、総監公舎付近において不審車両、不審人物の検索に当たったところ、警視庁四谷警察署司法巡査加藤顕が新宿区坂町二五番地所在株式会社江戸屋新宿営業所先の通称靖国通り路上に、新宿方面を向いた状態で放置されていたトヨペットコロナデラックス(RT二〇型、シルバーメタリック塗装、車両番号多摩ひ四六八〇)(以下「四六八〇車」という)を発見した。右車両は、車両番号が関の通報情報に類似していたほか、エンジンがまだ暖かく、ドアロックもしていない状態であったことなどから、右逃走車両である可能性が考えられ、加藤において同車内を調べたところ、原告Bの車検証が発見された。加藤は、直ちに、四谷警察署にこの旨を報告し、同車の名義人である原告Bに対し連絡をとるよう依頼した。右四六八〇車からは、その他助手席からタオル及びハンカチ各一枚、トランクから赤色ポリタンク等の遺留品が発見された。

加藤からの右通報を受けた四谷警察署では、宿直勤務中の警察官大木健治が、北区上中里<番地略>所在の原告B方に電話連絡をしたところ、原告Bは不在であったが、その父親が電話に出て通話中、原告Bが帰宅し電話に出た。同原告は、四六八〇車について「石神井のAに貸してある。住所は知らないが道案内はできる」と答えた。

その後、警視庁麹町警察署の捜査員が原告B宅に赴き、同原告の案内で同日未明、練馬区上石神井<番地略>の原告A宅を訪ね、その後、麹町警察署において、右原告両名から事情聴取を行った。原告Bは「車は七月二八日ころAに貸した」と述べ、原告Aは「借りた車は、八月六日午後新宿コマ劇場付近で盗まれた」と述べた。

一方、事件発生直後ころ、捜査員が四六八〇車が遺留されていた場所付近で聞き込み捜査を行ったところ、靖国通りに面する新宿区片町二木全ビル一階にあるスナックサルビア経営者の杉本洋子及びその友人である本橋ヒデ子から、八月七日午前二時過ぎころ、杉本と本橋がともに店を閉めて出た際、店のある靖国通り南側歩道上を東方から走ってくる二人連れの男を目撃したとの情報を得た。また同日、麹町警察署では、警視庁公安部及び同刑事部の応援を得て準捜査本部体制を敷き(以下「準捜査本部」という)、捜査を開始し、八月八日には、練馬区関町四丁目四四番地所在の国場石油株式会社エッソ関町給油所の従業員高橋腎蔵から「八月七日午前零時少しすぎころ、報道されたコロナ四六八〇車に給油した」との通報を得た。また、九月初めころ、東京近鉄観光バス株式会社運転手東郷隆興から「八月七日午前一時すぎころ、渋谷区神宮前の表参道から岐阜県中津川付近の椛の湖で開催されるフォークジャンボリーのためバスを運転したが、出発直前に多摩ナンバーのコロナを見た」との情報を得た。

5  窃盗事件のその後の捜査

窃盗事件の捜査は、小金井警察署に記録が移牒された後、さしたる進展もないまま推移していたが、九月初めころ、準捜査本部において、四三二三車の二重追突事故に関する情報を入手するに至り、事故現場が公舎のすぐ近くであることや髭の男が乗車していたことなどの事実が判明したため、当時、同本部において総監公舎事件の関係者として把握していた原告Aらと窃盗事件の関係を捜査することとなった。準捜査本部では、原告A及び同Cらの写真を他の写真とともに、二重追突事故の関係者である三好及び樋口に示して四三二三車に乗車していた者の指示を求め、更に、三好及び樋口を同行して、原告A及び同Cについての実物面割りを行ったうえ、被告Gにおいて、三好については九月七日付けで、樋口については同月一〇日付けでそれぞれ四三二三車に乗車していた者が原告A及び同Cである旨の供述調書を作成した。その後、準捜査本部においては原告A及び同Cにつき、昭和四六年五月当時の居住地付近において、四三二三車に似た車についての目撃状況に関する参考人の捜査を行った。

6  原告らの交友関係及び生活状況

原告D、同B及び同Cは昭和四三年に日本大学で生起したいわゆる学園紛争の際、その活動の中で知り合って互いに交際するようになった。またHは、昭和三七年四月同大学芸術学部文芸学科に入学し、昭和四三年九月同大学を除籍になり、著作業などに従事していた者であるが、昭和四五年ころ知人の梅原正紀を通じて原告Dと知り合った。原告Eは、昭和四五年ころ、日大学園紛争を通じて原告Dと知り合った。その後、H、原告E、同B及び同Cは、原告Dの紹介で同年一二月に開店した後記「ローラン」などにおいて、互いに知り合うところとなり、他方、原告Aは前記日本大学の学園紛争の際、原告Dと知り合い、その後同原告を通じて原告Bや同Cと顔見知りとなった。

原告Dは昭和四五年一〇月ころ、日本大学経済学部の○○○○らとともに、新宿区西新宿に前記学園紛争に伴う活動の連絡事務所として「十月社」を設立し、機関誌「連合戦線」を発行するなどの活動を始め、右「十月社」の活動には日本大学法学部の学生であったIも参加した。

昭和四五年一二月ころ、Hは杉並区高円寺において、原告D及び同Cの協力を得てスナック「ローラン」の営業を始めたが、翌四六年二月ころ、店舗の都合で営業できなくなったことなどから、原告D、同E、同C及びHは、三月ころ、蜂蜜などの中国物産の販売を目的とする「桜蘭公司」をつくり、事務所を新宿区西大久保<番地略>KフラットC号のH宅に置き、原告Cが会計を担当し、原告Dや同Eなどが商品の仕入れ・販売にあたり、原告Bも自宅の自動車(フローリアンバン)で商品の運搬を手伝うなどした。なお、Hは、四月二六日妻H1とともに、新宿区三光町にバー「淵」を開店し、営業を始めた。

他方、四月ころ、原告D、同B、同E、同C及びHは、「桜蘭公司」などの仕事をするかたわら、各自が関心を持つテーマを取り上げて発表するという形式の学習会を計画し、原告Dの内妻D1、N、Hの妻H1らも参加して同年五月から七月にかけて、水曜日の夜にA宅で、断続的に学習会を開いた。

原告Aは、七月二八日ころ、それまで居住していた渋谷区幡ヶ谷三丁目三八番五号幡ヶ谷マンションから、練馬区上石神井<番地略>に転居した。原告Cは、五月二三日、それまで居住していた、杉並区堀の内三丁目二九番五号小長谷アパートから、同棲中のC1とともに、中野区弥生町<番地略>に転居した。

7  原告らの逮捕とその後の捜査状況並びに窃盗事件及び総監公舎事件についての起訴

原告A及び同Cは、昭和四六年一一月六日、窃盗事件の被疑者として逮捕、勾留された。原告Cは逮捕当初は全面的に窃盗事件の犯行を否認していたが、同月二二日司法警察員西海喜一に対し犯行を自白し、同月二七日窃盗事件で起訴された。一方、原告Aは、逮捕以来一貫して否認ないし黙秘を続け、右同日処分保留のまま釈放された。

準捜査本部は、原告Cについての捜査状況等に基づき、同月一七日に原告Bを、同月二三日に原告Dを、同月二五日に原告E及びHを、それぞれ窃盗事件の被疑者として逮捕、勾留した。原告B、同E及びHは当初いずれも犯行を否認していたが、原告Bは同月二九日に被告G及び司法警察員小出英二に対し犯行を自白し、原告Eは一二月一日に司法警察員大塚喜久治に対し犯行を自白し、Hは同月七日に犯行を認めるがごとき趣旨の自供書を作成し、翌八日司法警察員高橋充に対し犯行を自白した。他方、原告Dは逮捕以来一貫して否認ないし黙秘を続けた。そして、原告Bは一二月八日に、原告D、同E及びHは同月一四日にそれぞれ、窃盗事件の被告人として起訴された。

準捜査本部では、窃盗事件について起訴された原告Cに対し一一月下旬から、四六八〇車入手関係の取調べを行い、また、窃盗事件で勾留中の原告Bに対しても総監公舎事件に関する取調べを行ったところ、一二月七日、原告Bは被告Gによる火薬類取締法(以下「火取」という)違反の被疑罪名のもとでの取調べに対し、総監公舎事件の犯行を認める旨の供述を行った。また、原告Cは当初総監公舎事件への関与を否認していたが、一二月一二日西海による火取違反の被疑罪名のもとでの取調べに対し、犯行を認める供述を行った。そして準捜査本部は、右両名の供述に基づき、一二月一五日、総監公舎事件に係る爆発物取締罰則(以下「爆取」という)違反被疑事件の被疑者として、原告B、同C、同E、同D及びHを再逮捕し、勾留した。原告Aも、右同日、同じく爆取違反被疑事件の被疑者として、改めて逮捕・勾留された。爆取違反による取調べに対し、原告B及び同Cは自白を維持し、Hは当初犯行を否認していたが、一二月二一日に司法警察員松永鐵美の取調べに対し、犯行に加担した旨を認める供述をした。原告A及び同Dは、逮捕以後一貫して否認ないし黙秘を続けた。昭和四七年一月五日、アリバイが成立した原告Eを除く五名はそれぞれ、総監公舎事件の被告人として起訴された。

8  窃盗事件及び総監公舎事件の公判の経過

原告A、同B、同D、及びHに対する窃盗、爆取違反被告事件公判は、東京地方裁判所刑事第二部(以下「地刑二部」という)において、昭和四七年三月二三日に開始され、昭和五八年三月九日第二〇回公判期日に、いずれの被告事件についても無罪の判決が言い渡された。これに対して、検察官は控訴をせず、その結果右判決が確定した。

原告Eに対する窃盗被告事件公判は、東京地方裁判所刑事第二八部において昭和四七年二月二四日に開始され、昭和五一年一月二六日、地刑二部の原告Aらの公判に併合された。昭和五八年三月九日、地刑二部は原告Eに対し無罪判決を言い渡し、これに対して検察官は控訴をせず、その結果右判決が確定した。

原告Cに対する窃盗、爆取違反被告事件公判は、東京地方裁判所刑事第三部において昭和四七年二月一七日に開始され、原告Cは各犯行を認める供述をし、同年四月五日、第四回公判期日に懲役五年の判決が言い渡された。原告Cは、右判決に対して控訴を申し立て、昭和四七年九月二八日、東京高等裁判所第一〇刑事部(以下「高刑一〇部」という)において控訴審公判が開始された。高刑一〇部は、昭和五八年一二月一五日、第一〇一回公判期日において原告Cに対し無罪判決を言い渡し、これに対して検察官は上告をせず、その結果右判決が確定した。

この間、原告Eは昭和四七年五月六日に、原告A、同D、同B及びHは昭和四八年六月一五日に保釈された。原告Cは、昭和四七年三月八日に保釈されたが、同年四月五日第一審で有罪実刑判決を受けたため収監され、昭和四八年一一月八日に保釈された。

9  犯人蔵匿事件についての原告Aの逮捕・勾留・起訴・判決

昭和四六年二月一七日、栃木県真岡市内の塚田銃砲店で猟銃などが強奪されるという強盗傷人事件(以下「真岡事件」という)が発生し、警視庁特別捜査本部においては、同事件の犯人として三月二日にいわゆる「京浜安保共闘」の構成員であるJ、K、Lらを全国に指名手配した。六月二五日ころ、原告A宅をJ、K、L、Mが訪れた。その日、Lは途中辞去したが、他の三人は原告Aの了解を得て、同原告宅に一泊し、翌朝三人とも辞去した。

原告Aは、昭和四七年七月一八日、右J、K、Lに対する犯人蔵匿容疑で逮捕・勾留され、同月二九日、Lを除いたJ及びKを真岡事件の犯人と知りながら隠匿したとして起訴された(以下「犯人蔵匿事件」という)。

原告Aに対する犯人蔵匿事件公判は、地刑二部において昭和四八年六月一六日爆取被告事件とは分離して開始されたが、昭和五一年一月二六日、右爆取被告事件に併合された。地刑二部は、昭和五八年三月九日、犯人蔵匿被告事件につき原告Aに対し無罪判決を言い渡し、これに対して検察官は控訴をせず、右判決が確定した。

(以上の事実は、当事者間に争いのない事実及び弁論の全趣旨により認めることができる。)

二  原告らの主張

1  被告らの違法の本質

本件捜査機関は、総監公舎事件について当初容易に解決するとみられた捜査が行き詰まりを見せつつあるなかで、たまたま最も早く捜査対象となった原告B及び同A、さらに原告Bの友人である原告Cに対し、当初から無罪証拠が得られていたにもかかわらず、これを無視・隠蔽し、捜査の方向をゆがめてその身柄確保のため証拠を捏造し、窃盗事件の被疑者として原告A及び同Cを最終的には総監公舎事件の証拠を捏造するために逮捕し、次いで違法な取調べを通じて原告Cから獲得した供述をもとに原告Bの身柄を拘束し、さらに原告Cの虚偽自白を得て原告D、同E及びHを逮捕し、違法な捜査方法を駆使して暴力的、あるいは心理的拷問によって原告B、同E及びHからも虚偽自白を得、原告Aを除く五名を違法に起訴した。

その過程で、原告C及び同Bに対し、総監公舎事件の取調べを火取違反で執行猶予が期待できるとの利益誘導を伴う偽計をもって取り調べ、虚偽自白を獲得した。そして、右虚偽自白によって前記六名を爆取違反で逮捕・勾留し、Hから違法な手段で虚偽自白を獲得のうえアリバイの成立した原告Eを除く五名を爆取違反で違法に起訴した。

その後も起訴後の取調べ、原告Cに対する分離公判強要などを経て、刑事裁判の過程でも、公権力を濫用して原告らの不利を画策し続け、その一環として原告Aを犯人蔵匿容疑で不当に逮捕し、証拠を歪めて起訴した。満一二年にも及ぶ刑事裁判においても自らの犯罪の破綻と露顕を恐れて真実発見を妨げ、原告らへの打撃を増幅させることに努めたのである。

ここにあるのは、単なる個別行為の集積ではなく、被疑者の無実を知りながら、公権力を利用して犯人捏造に走った官憲による犯罪であってそれ以外の何ものでもない。違法はシステマティックであり、計画的なものである。窃盗逮捕から爆取起訴に至る全過程が、有機的に違法の体系を構成していると言わなければならない。

2  総監公舎事件における警察官の初期捜査の違法

捜査側は、総監公舎事件発生当日である八月七日の日中の捜査によって既に、原告B及び同Aの極めて有力な無罪証拠を把握していたにもかかわらずこれを無視し、真犯人の追及ではなく、いかにすれば原告らと総監公舎事件を結びつけられるかという視点からのみ捜査活動に取り組んだ。その結果、以下のとおり、原告らの無罪証明につながる証拠は一切無視・隠匿され、真実解明のための必要な関連捜査はサボタージュされ、各種証拠は原告らの不利へと歪曲・捏造された

(一) 証拠の歪曲・捏造

捜査側は、原告らと総監公舎事件を結びつけるため、以下のとおり、各証拠を原告らの不利へと歪曲・捏造した。

(1) 関昭夫の供述と被告Gの誘導

① 犯人及び逃走車の特徴に関する関供述

関昭夫は、総監公舎事件の犯人を発見し逮捕しようとした警察官である。同人は、犯人の人相に関して、事件当日である八月七日付け司法警察員の面前調書(以下「員面調書」という)では、玄関ドアを開けた瞬間犯人は一瞬自分の方を振り向いたとし、その人相を「頭髪を短く刈った丸顔」と述べたのに対し、被告G作成の八月一〇日付け員面調書では、犯人の顔を見たのは門の手前で右手を掴んだ一瞬で、相手がもがいていたためはっきりした人相はとれなかったと当初にはない弁解をしたうえ、「頭髪の点も短めだったのではないかという記憶であって、短い髪だったと言い切る自信はない」と事実上の訂正をしている。しかし、犯人を逮捕しようとしていた関が、その人相・特徴をとらえないわけがないのであって、関の右供述の変化は、被告Gが、やや長髪の原告Cを念頭に置いて、これと真っ向から矛盾する関の犯人の人相に関する記憶の修正を図ったことによるものであることが明らかである。

また逃走車両の特徴についても、関は事件発生後間もない時間帯に四六八〇車をその発見現場で検分した際には、ナンバー・色・尾灯の形などから逃走車とは違うようだとの判断を下していたにもかかわらず、八月一〇日付け員面調書では、四六八〇車を使った事件当時と同時刻・同場所における実験の結果、四六八〇車が逃走車に六割から六割五分似ていたとの供述に訂正されている。しかし、右供述変更に合理的な理由は見出せず、この供述変更も被告Gによる強引な誘導によるものであることが明白である。

② 犯人及び爆弾を発見した状況に関する関の供述

関は、犯人追跡の状況につき「公舎の鉄製門扉前で私がその右手で犯人の右手首を、左手で犯人の左手首を掴んで腕を交差する形で正対してもみ合っているときに、犯人が急に身体を下に落として尻の方から門扉の下の隙間をくぐって身体を外に出して手を振って逃げた」旨を述べている。しかし、犯人がくぐって逃げたとされる門扉下の空間は、現実には幅19.5センチ、高さ五二センチの狭い空間なのであり、右空間を両手を捕まれた状態のままで、しかも地上から二〇センチの位置にある下端の横板をまたぎながらくぐり抜けることは物理的に不可能である。仮に犯人がこのような不安定な体勢で逃走しようとすれば、現行犯逮捕を意図する若い警察官が犯人を取り逃すはずがない。結局、関供述のような脱出はありえず、関が供述する形での格闘は存在しなかったことが断定できる。

また関の供述によれば、玄関ソファで寝ていた同人が正門の内側約四〇センチのところに設置されている赤外線警報機のブザーで飛び起き、急いで玄関に降り扉を開けると、玄関の斜め前方左手約三メートルの位置に若い男が逃げ出す状態でおり、男の約1.5メートル後方の勤務員室前にビニール袋に入った物体が置かれていたのが見えたことになる。しかし、犯人侵入とほぼ同時に異常に気がついた関が玄関ドアを開けるまでの僅かな間に、犯人が一面砂利敷きの前庭を足音を忍ばせながら正門から公舎建物前まで約二五メートルを移動して、さらに爆弾を設置するのは不可能に近いといわざるを得ない。また、犯人がことさらに人気のないガレージではなく点灯している勤務員室前を目指す理由も理解しがたい。

以上の問題点を考慮すると、関が供述する犯人と本件爆弾を発見した位置及び追跡状況には多大の疑問が生ずるが、関が玄関ドアを開けたとき犯人は門を入って間もない地点におり、爆弾の設置前であったとすれば右疑問点はすべて氷解する。関の右供述は、本件事件を法定刑の軽い爆取二条使用未遂罪ではなく、法定刑の重い一条使用罪で確実に立件し、重罪適用によって今後の類似事件を抑制しようという捜査側上層部の意向を受けて捏造されたものと考えられる。

(2) 小野寺健二供述と実験車のすり替え

小野寺は、道路を隔てて総監公舎正門斜め向かいにある長門産業ビル四階の窓から、犯人逃走時の状況を目撃したものである。小野寺は、八月一一日付け員面調書で、事件当日目撃した逃走車の特徴について「セドリックのかなり古い車だと直感した。塗色は黒い様に思った」と述べたうえ、同月八日事件発生時と同時刻・同場所で実験車を使って行われた実験については「十中八、九間違いない。ただ、塗色について、実験車より幾分黒い色だったかなと思う」としている。しかしながら、右調書には実験車が四六八〇車である旨の記載はなく、またメタリックグレーの四六八〇車がなぜ黒く見えたかなどの理由も記載されていない。調書にこのような必要事項が記載されていないということは、目撃実験は、四六八〇車以外の実験車(黒のセドリックなど)にすり替えて行われたと考えられる。

(3) 高橋腎蔵供述と被告Gの誘導

高橋腎蔵は、エッソ関町給油所の従業員であり、八月八日、朝日新聞朝刊で四六八〇車の写真が総監公舎事件関連報道として掲載されているのを見て自分が七日未明に給油した車ではないかと思い一一〇番通報をした者である。そして、同人は同月二六日に、自己が給油した車が四六八〇車であるとする員面調書を作成されているが、以下の事情に照らせば、高橋の当初の供述は車の特定について確定的なものではなかったはずであり、右調書は被告Gの強引な誘導により作成されたものである。

すなわち、高橋は同月八日に一一〇番通報し同日即座に警察官らが事情聴取に訪れているにもかかわらず、その際作成されたと考えられる捜査報告書等が隠匿されている。同月二六日付け員面調書と矛盾する内容を含んでいるからと考えるほかない。また、高橋供述の車の特定が確定的であったのならば、より早い時期に調書作成が行われたはずであり、八月二六日まで員面調書の作成が遅れたのは、高橋供述が車の特定に問題があって重要視されなかったためと考えられる。さらに、高橋供述には、四六八〇車に給油したとされながら、それに該当する売上伝票が存在しないという不自然な点があり、伝票について調書に何ら記載されていない事実からすると、伝票の不存在に関して、高橋ないし店主と捜査側との間に一種の取引があった可能性もある。加えて、エッソ関町給油所の斜め向かいに位置する三井物産関町給油所の瀬島志郎は、公判廷において、総監公舎事件発生後一か月くらいの間に刑事が約三回にわたって来訪し、八月七日深夜に給油に現れた車について事情聴取を行ったことを供述しており、右事実からは当時捜査官が高橋による四六八〇車への給油をそれほど確定的に考えていなかった事実が窺われる。以上によれば、高橋の八月二六日付け員面調書の車の特定は被告Gの誘導によるものと断定できる。

② 人物特定に関する高橋供述

高橋は八月二六日付け員面調書で、原告Cが運転手に似ているとし身長一七〇センチくらいと述べている。しかし原告Cは、当時ペーパードライバーだったのであり、身長は一六〇センチに満たない。高橋の右供述が、原告Cの身長及び運転歴を把握していない被告Gの誘導によりなされたものであることは明らかである。

また、右調書には、給油中同乗者の一人が車外に出て、後部ウインドを隠すような仕草をしていたとの供述があるが、そのような行動をとれば却って人目を引くだけであり不自然である。右供述も、爆弾犯人らしい行動を被告Gが勝手に創作して、高橋の供述として誘導したものであることが明らかである。

(二) 原告らの無罪証明につながる証拠の無視・隠匿

捜査側は、以下のとおり、当初から原告らの無罪を明らかに示す証拠を入手していたにもかかわらず、原告らを総監公舎事件に結びつけるという視点からのみ捜査を行い、これらの証拠を無視し隠匿した。

(1) 杉本洋子供述

杉本は、八月七日午前二時すぎ、四六八〇車が遺留された方向から曙橋方向に向けて走って行った二人連れの男を目撃した者である。右同日麹町警察署で事情聴取を受けた際の杉本員面調書は未だに隠匿されているが、同人の右同日の供述内容は、同人の法廷供述及び一二月二〇日付け検察官に対する面前調書(以下「検面調書」という)から明らかである。すなわち、杉本は八月七日の右事情聴取に対し、目撃した二人連れの男性は二人とも同年輩の二〇代で、一方は身長一七五センチ位、サラリーマン風の短い髪型で髭のない男、他方は身長一六〇センチ位、眼鏡を掛けた男とし、同日麹町警察署で行われた原告A及び同Bに対する面通しでは、身長約一六〇センチの原告Bについては、眼鏡をかけている点は似ているようでもあるが「わからない」、身長一七〇センチ強で長髪かつ髭のある原告Aについては、明確に「ちがう」と答えた。右杉本供述により原告A犯人説は極めて強力に否定されたにもかかわらず、捜査官はこれを無視した。

(2) 四六八〇車の遺留品による臭気検査結果

八月七日、麹町警察署では警察犬を使って、原告A及び同Bから提出を受けた同人らの着衣と四六八〇車の遺留品であるタオル及びハンカチの臭気検査が行われた。ところが、被告らは右臭気検査について、結果を開示せず未だ隠匿を続けている。被告らは、右臭気検査結果について、右タオル等に油がしみ込んでいたため結果は不明に終わったと主張するが、油が付着していたならばわざわざ麹町警察署に警察犬を連れてきて臭気検査を行うはずがないこと、実況見分調書でも右タオル等について「油付着」の記載やその旨の写真が一切無いことに照らせば、右弁解は到底信用できない。右臭気検査結果を被告らが隠匿する理由は、その結果が明確に原告Aらとの結びつきを否定するものであったためと断定できる。それにもかかわらず、捜査官は右臭気検査結果を無視したのである。

(3) 四六八〇車の遺留指紋採取結果

四六八〇車の指紋採取状況を見ると、採取された指紋・掌紋は合計四一個、うち対照可能だった指紋・掌紋は一三個、うち三個が原告B及びA1のもので、残り一〇個は誰のものか不明となっている。前日まで九日間にわたって、ほぼ毎日のようにこの車を使用(運転)していた原告Aの指紋・掌紋は一個も検出されていない。そして前部座席周辺から採取された指紋の少なさからすれば、前部座席周辺はこの車の最終使用者が降車前に拭き取ったことがほぼ確実である。

そして原告Aが最終使用者である場合、同原告が拭き取って降りたことになるが、そもそも原告Bが警察官に対し即座に原告Aの名を出したうえ同原告宅まで警察官を案内した事実、原告Aが八月六日までこの車を公然と使用していた事実からして、同原告が同車を遺留するに際して時間を割いて指紋を拭き取ることはおよそ意味がない。また、同車には運転席外側のドア把手にも不明者の指紋一個が残されているが、ここは運転者が乗り降りする際、必ず手を触れる場所であり、ここに原告Aの指紋が残らず、それ以外の何者かの指紋が付着していた事実は、同原告が最終使用者であるとの仮説に大きな障害となる。遺留される直前の九日間(七月二八日〜八月六日)は、原告A以外の者は運転していないので、それ以前に使用していた者の指紋が残り原告Aのものが残っていないことはあり得ない。その他、トランク開閉用の把手からも対照可能な不明者の指紋が二個採取されているが、原告Aは九日間使用している間に二度のパンクのためトランクの開閉も行っているので、同原告の指紋が残らず何者かの指紋が残っていた事実は、やはり原告A以外に最終使用者が存在することを推認させるものである。以上のように、四六八〇車の遺留指紋採取結果は、原告Aより後にこの車を使用(運転)した第三者の存在を浮かび上がらせるものであったのに、捜査官はこれを無視した。

(4) 関の原告Cに対する面通し

関は、八月七日の時点において、原告A及び同Bの面通しを行い、これを否定した。また、八月末には、原告Cに対する面通しを行ったが、同原告についても否定的判断を示した。しかし、捜査官は右面通し結果を無視した。

(5) 原告Aらが四六八〇車の最終使用者であることの不自然さ

四六八〇車に原告B名義の車検証が放置されていたこと、帰宅した同原告が警察の問い合わせに対し原告Aの名前を出し案内を引き受けたこと、原告Aも在宅していたこと、原告Bにアリバイを問うと原告Cの名前を出したことといった、総監公舎事件直後の一連の経過は、原告Aらが犯人であるとすれば、やはり理解しがたい行動である。しかし、捜査官はこのような不自然さを無視した。

(6) 高橋腎蔵供述

高橋は、八月二六日付け員面調書で、乗員三名の特徴をそれぞれ具体的に述べているが、いずれも二一、二歳としているほか、髭の男も眼鏡をかけた男も指摘していない。また、原告C、同A、同B、同D及びHを含む写真を用いて写真面割りを行っているが、原告C以外の写真は選別していない。被告らが主張するように高橋供述の信用性が高いのであれば、右供述により原告Aと四六八〇車の線が八月七日午前零時の時点で断ち切られたはずであるのに、被告Gは原告らに有利な証拠としてはこれを無視した。

(三) 真実解明のための捜査活動の欠落

捜査側は、以下のとおり、いかにすれば原告らと総監公舎事件を結びつけられるかという視点からのみ捜査活動に取り組み、真実解明のための捜査活動を何ら行わなかった。

(1) 四六八〇車の入手経路捜査

四六八〇車は武蔵野市吉祥寺の中古車販店である双葉自動車販売株式会社(以下「双葉自動車」という)から七月下旬に原告Bが購入したものである。同車はそもそも、吉祥寺□□書店の店主であるSの紹介で、アジア経済研究所所員の井村哲郎が予約したものであるが、その後井村とともに双葉自動車を訪れた原告Bが、同原告名義で同車を購入した。ところが捜査官は、八月七日の時点で既に右経緯を把握していたにもかかわらず、犯行車両とみなされる四六八〇車購入をめぐる複雑な経緯の解明をしようとはせず、Sに対しては翌四七年一月一三日になるまで、井村に対しては一度も事情を聞かなかった。特に井村の勤務先であるアジア経済研究所は、四六八〇車が遺留された場所の道路を隔てた目の前なのであって、右捜査経過は真実究明を旨とする通常の捜査では考えがたい。右事実は原告Aを犯人視することに直結しない捜査は重視しないという本件捜査の特質を表すものである。

(2) 原告A供述に対する対応

原告Aは、八月七日の麹町警察署での事情聴取に対し、八月六日午後四時頃新宿コマ劇場裏路上に、左側ガードレールに寄せて四六八〇車を駐車し、喫茶店「蘭」に行き午後五時頃戻ってきたら同車は盗まれて無くなっていた旨の虚偽の供述をした。しかし、八月八日以降、捜査官は右虚偽供述に対し、弁解を述べる機会も与えず、虚偽供述を述べたから犯人だとの論理で前近代的・非科学的捜査を行った。

また、八月八日に新宿コマ劇場裏で行われた実況見分では、原告Aの右供述とは違って、駐車したという道路のガードレールが左側ではなく右側に移し替えられていたことが判明したが、西海は前日の調査でガードレールの移設状況について客観的事実を確認していたにもかかわらず、原告Aの「車をここに停めたことに間違いない」との返事に対し疑問を投げかけるなどの態度を何ら示さなかった。

(3) 中畑れい子供述

中畑れい子は八月当時「蘭」のウエイトレスとして勤務していたものであり、同月一九日付け中畑員面調書は、原告Aが同月六日に「蘭」に寄っていないことを供述するものである。しかしこのような供述調書一通を作成して原告Aの供述を虚偽であると結論づける捜査方法には問題がある。そもそも「蘭」は一階と二階に分かれウエイトレスは常時六人おり、勤務時間は午前九時から午後五時までと午後五時から午後一一時まで分かれているのだから、一階担当で午後五時までの勤務である中畑一人の供述を取り出してみても右供述の客観的価値がゼロに近いことは明らかである。ところが、他のウエイトレスの供述は全く明らかにされておらず、かつ捜査官が中畑の供述を得たのは、「蘭」について捜査官が確認してから少なくとも四日は経った八月一二日である。以上の事実から考えると、捜査官は時間をかけて特定の捜査方針に沿う証人を一二人の多くのなかからやっと一人だけ発掘したのだと見るべきである。右中畑調書からは、捜査官が原告Aらのみにターゲットを絞った偏った捜査活動を行っていた事実が明らかである。

(4) 原告B供述の関連捜査

原告Bは八月七日、麹町警察署での事情聴取に対し、事件発生当時のアリバイについて供述した。しかし、捜査官は原告Bのアリバイ主張のなかに登場した原告Cに対する事情聴取を試みようとはせず、また、原告Bに対して、四六八〇車の遺留品について尋ねることもしなかった。これは捜査官が真実解明の捜査を既に放棄していたこと、あるいは四六八〇車の最終使用者が別にいるとの判断に達していたことを表すものである。

3  窃盗事件における警察官の捜査の違法

捜査側は、原告らの身柄を確保して、総監公舎事件の捜査を進展させるとの目的のもと四三二三車窃盗容疑という別件をでっち上げ、証拠資料を捏造して、原告C及び同Aの逮捕を強行した。そして、原告らの身柄拘束後は、自白獲得を目的として、脅迫、詐術、利益誘導、欺罔などの違法行為を駆使して、連日長時間の過酷な取調べを強行し、原告C、同B、同E及びHから強制的に虚偽自白を獲得した。裏付捜査は基本的にサボタージュされ、無罪証明につながる証拠、否認主張、アリバイ主張は徹底的に無視された。

(一) 捜査官による評拠資料の捏造と捏造した証拠資料による原告C及び同Aに対する窃盗事件逮捕の違法

(1) 窃盗事件捜査の端緒

捜査側が原告らの爆取逮捕・起訴を可能とさせた四三二三車窃盗事件の捜査の端緒は極めて不明瞭であり、明確な説明がなされたことがない。また、四三二三車に髭の男が乗っていたという事実がどこから判明したのかについても、刑事審における関係捜査官の供述は、全く食い違っている。このような不明瞭さに加えて、四三二三車の事故を担当した麹町警察署の警察官丹波守次が被告Gの直属の部下であり、準捜査本部員として勤務していたことを考慮すると、丹波が原告Aの髭から四三二三車二重追突事故を思い出し、右事故をでっちあげの別件として利用することを思いついた可能性が極めて高い。

(2) 被告Gによる三好政仁及び樋口芳雄の供述の誘導・捏造

① 面割り方法の違法

捜査官は、四三二三車二重追突事故の当事者である三好政仁及び樋口芳雄に対し、四三二三車の乗員に関する写真面割り及び実物面割りを実施したが、捜査官は以下のような誘導的手法を用いて面割りを実施した。すなわち、写真面割りにおいては髭の写真を原告Aのものしか入れなかった。実物面割りにあたっては常に捜査官が先に対象者を発見し、三好及び樋口に示した。三好は事故の加害者に当たる者であり、警察官に迎合する可能性が高いのに、その客観性担保に何ら配慮をしなかった。

② 供述調書の捏造

三好及び樋口は、原告A及び同Cに対する実物面割り後、麹町警察署で被告Gによって員面調書を作成されている。しかし、右員面調書の内容は、後日三好及び樋口が公判廷で供述した内容とはかけ離れており、被告Gが強引な誘導により、右両名の供述内容を断定的なものにねじ曲げたことは明らかである。

(3) 捜査官による原告A及び同C住居付近住民の供述の捏造

捜査官は、原告A及び同Cの昭和四六年五月当時の住居付近で、四三二三車の目撃に関する大がかりな聞き込み捜査を行い、以下のとおり、誘導により供述調書を作成した。

① 幡ヶ谷マンションの住民の供述

当時原告Aが住んでいた幡ヶ谷マンションの住民である宮田幸一及び藤原美代子の目撃供述は、原告Aが四月末まで有していた紺色ブルーバードとの混同を利用して、捜査官が誘導したものである。

② 軽部清八の供述

軽部は当時原告Cが住んでいた小長谷アパートの住人であるが、同人は、被告G作成の一〇月一四日付け員面調書において、「C1が引越しをした五月二三日の午前一〇時ころ、アパートの前に紺色トヨペットコロナ六四年式が停車していて、その車にC1の引越し荷物をC、Bが積んでいた。その前日の五月二二日午後七時ころにも、アパートの前にそのコロナが停まっており、これにC1とCが荷物を積んでいた」旨供述している。しかし、後日の軽部の公判廷供述及び引越車が客観的には白色のスカイラインのライトバンであったことに照らせば、右供述は全くの虚偽であることが明らかである。そして、何らの利害関係のない第三者である軽部がこのような虚偽の供述をしたという事実は、被告Gが並大抵でない誘導を行って軽部供述を捏造したことを明白に裏付けるものである。

② 小長谷アパート付近住民の供述

小長谷アパート付近住民のあやしげな目撃供述も、捜査官の一定の目的に基づく誘導により得られたものである。

(4) 被告Gによる虚偽の捜査報告書の作成

被告Gは、原告A及び同Cに対する逮捕状を請求する際、間接的な証拠しか用意できなかった捜査側の弱点を補完するために、右両名の窃盗事件嫌疑を濃厚に見せかける虚偽記載を盛り込んだ捜査報告書を作成し、逮捕状請求書に添付した。被告らが、刑事審及び本法廷を通じて、右報告書を隠匿し続けている理由は、まさに右報告書が虚偽公文書だからであるとしか考えられない。

(5) 違法な別件逮捕

本件窃盗事件を理由とする原告A及び同Cに対する逮捕は、総監公舎事件の証拠(自白)の獲得を本来の目的とした、違法な別件逮捕である。

(二) 原告Cに対する取調べの違法

(1) 連日長時間の取調べ

原告Cは、逮捕後、被告Gの直接的管轄下にある麹町警察署の代用監獄に留置されたが、同原告は代用監獄の劣悪な環境のもと、連日長時間の取調べを受けた。右取調べにより、原告Cは、睡眠時間や規定の運動時間を奪われ、取調室で緊張を強いられ、毎日の食事も朝食以外は取調官たちに囲まれた中でしか取らされなかった。

被告国は、原告らの取調べ時間を記載した留置人出入簿を提出しているが、右留置人出入簿の記載を詳細に検討すると、単なる記載ミスとは考えがたい不自然・不合理な記載が多々存在し、捜査側が留置人出入簿を偽造したことは明らかである。したがって、右留置人出入簿記載の取調べ時間はミニマムとしての意味しか持ち得ないが、右偽造留置人出入簿によっても、一一月七日から窃盗起訴までの二一日間のうち取調べがなかったのは一日のみ、この間留置房外に引き出されていた時間は総計二一七時間、取調べのあった二〇日間の単純平均は一日あたり一一時間弱に達することが明らかである。このような連日長時間の取調べは、取調べとして許される限度を超えた違法なものである。

(2) 自白の強制

原告Cの自白及び不利益供述は、真偽を問わぬ自白獲得が命題とされた過酷な取調べによって強制されたものである。取調官は原告Cに対して、「このぬすっと野郎」「ぬすっと、ぬすっと」と怒鳴り声と悪罵の恫喝を浴びせつづけて自白を強制した。

原告Cの供述経過を検討すると、同原告は次の①記載のとおり、被疑事実を迂回しながら不利益供述を少しずつ積み重ねているが、右供述経過は自発的供述としては極めて不自然であり、取調官が同原告を否認に戻さないように注意しながら、不利益事実を徐々に強制している過程としか合理的に理解できない。また、原告Cの供述には、次の②記載のとおり、不自然・不合理な内容や供述の変遷が多々あるが、これらはいずれも同原告が記憶に基づかずに供述していることを示すもので、取調官が供述を強制したことは明らかである。

① 原告Cの不利益供述の推移

原告Cの供述は、被疑事実を迂回しながら不利益供述を積み重ねつつ、最終的に自白に至っている。具体的には、一一月九日に原告A、同B及び同Dが素性の知れない古い乗用車で来たのを三回目撃した旨が、一一月一〇日には右三回の機会に見た古い乗用車が同一の車(コロナ)である旨が、一一月一四日には右コロナのナンバーが多四三二三である旨が、一一月一六日には右コロナを盗難車であると思った旨が、一一月一九日には原告Bから原告A及び同Dが右コロナに乗って交通事故に遭ったことを聞いた旨が、一一月二二日の一通目の員面調書では原告Bから、原告D、同E及び同Bの三人でコロナを盗んできたことを聞いた旨が、右同日の最後の員面調書では原告D、同E、同B、同C、Hの五人でコロナを盗んだ旨が述べられている。

しかし、原告Cの右供述経過にかんがみれば、同原告が自発的に右各供述をなしたと考えるのは極めて不自然である。被疑者が良心に目覚めて自発的に供述しているならば、不利益供述をこのように小出しにする理由がないし、前記(1)のような長時間の取調べが必要であるはずがない。また、次々に不利益事実を明かしているにもかかわらず、なぜその日になって不利益事実を自白したのかの理由は調書上何ら記載されず、初めての自白調書にさえ自白に至った理由が記載されていない。以上の供述経過は、取調官が、原告Cを否認に戻さないように注意しながら、せめてこれだけは認めろという形で一歩一歩虚偽自白を強制している経過を表すものとしか合理的に理解できない。

② 不合理・不自然な供述内容や供述の変遷

原告Cの供述は、以下のとおり供述の変遷や不自然・不合理な供述内容が多々存在するが、それはいずれも、自白が強制されたものであることを示している。

Ⅰ 五月一〇日(一三日)に関する供述 原告Cは、原告A及び同Bが五月一〇日ころコロナに乗って原告C宅を訪れた目的について、一一月九日付け員面調書では桜蘭公司の抜本的解決策を話し合うためと供述しているが、原告Aは桜蘭公司に全く関与していなかったのであり、右供述が右事実を知らない取調官の押しつけであることは明らかである。

Ⅱ 五月二二日及び二三日に関する供述 五月二三日の引越しの際に原告A及び同Bがコロナでやってきた状況や二二日に原告Bが原告C宅にやってきた際の会話内容について、原告Cの供述は縷々変遷している。右供述変遷は原告Cが強制された自白内容を十分咀嚼していなかったために一貫した供述ができなかったものである。

Ⅲ コロナのナンバーに関する供述原告Cは一一月一四日付け員面調書で、原告Aらが運転していたトヨペットコロナのナンバーが「多四三二三」であることを供述したが、右供述を得るのに丸一日を要しているうえ、一六日付け検面調書では、コロナのナンバーは不明である旨供述している。一四日付け員面調書が取調官による強制であることは明らかである。

Ⅳ 原告E及びHの突然の登場 原告Cの当初の供述では古いコロナ車を使用していた者は原告A、同D及び同Bであったが、一一月一四日付け員面調書では、コロナ車を使用していた者として原告Eが説明なしに突然登場し、一一月二二日付け自白員面調書では、窃盗共犯の一員としてHが説明なしに突然登場している。何の説明もなしに右両名が突然登場するのは不自然であり、原告Eについては窃盗共犯の一員に車の扱いに慣れている者を必要としていた捜査側の事情により、Hについては窃盗の目的を桜蘭公司で使用するためとした手前、同人を加えざるを得なくなったという捜査側の事情により、勝手に登場させられたものであることが明白である。

Ⅴ 二重追突事故時の四三二三車乗員に関する供述 原告Cは、一一月一九日付け員面調書で「AとDが事故にあった話をBの口から聞いたことがある」旨の供述をしているが、右供述は一二月一三日に至って「事故の際四三二三車に乗っていたのはAと自分であった」との供述に変更される。しかし、原告Cが二重追突事故の際の乗員であるならば、原告Dの供述や目撃証言との不一致などによりすぐ判明するような虚偽を取調官に述べるとは、到底考えられない。原告Cが事故の当事者であれば、一一月一九日付け供述はあり得ないのであり、それにもかかわらず一二月一三日に原告Cを当事者とする供述変更がなされたということは、右各供述がいずれもが虚偽であり、強制されたものであることを意味している。

(3) 誘導による自白供述の捏造

捜査側は、後記(九)のとおり、自ら本件窃盗事件の犯行ストーリーを創作し、原告Cに対しこれを誘導して、虚偽自白を捏造した。

(三) 原告Aに対する取調べの違法

(1) 連日長時間の取調べ

原告Aに対しても、自白獲得を目的として、連日長時間の取調べが行われた。このような連日長時間の取調べは、取調べとして許される限度を超えた違法なものである。また、原告A関係の留置人出入簿は、刑事審及び本法廷を通じて提出されていないが、それは、まさに捜査側に不都合な記載が存在するからである。

(2) 自白の強制

原告Aの逮捕後三日間、多数の捜査官が原告Aに対し一日中恫喝と脅迫と侮辱を繰り返し、自白を強制した。

(四) 原告B、同D、同E及びHの逮捕の違法

(1) 被告Gの虚偽捜査報告書

被告Gは、原告Bに対する逮捕状を一一月一六日に請求し、同原告は同月一七日に逮捕された。右逮捕状請求書には、被告Gの捜査報告書が添付されたが、右捜査報告書が事実を曲げて原告Bへの嫌疑をアピールする虚偽公文書であったことは明らかである。

(2) 逮捕状請求書の虚偽記載

被告Gは原告D及び同Eに対する逮捕状を一一月二二日に請求、発付を受け、原告Dは同月二三日に、原告Eは同月二五日に逮捕された。被告GはHに対する逮捕状を同月二四日に請求、発付を受け、同人は同月二五日に逮捕された。

被告Gが作成した原告D及び同Eに対する逮捕状請求書では、両名とも逮捕の必要性につき「逃走中」との記載がなされているが、右記載は明白な虚偽である。原告Dは請求書に記載された住所に毎日帰宅しており、逮捕当日も右住所から連行された。原告Eは逮捕の数日前からH宅に泊まり夜は同人の店を手伝っていたが、数日前から同店に来店し同人らの動静を窺っていた警察官は原告Eが逃亡中でないことを十分認識していた。このような虚偽記載は右原告らの逮捕状請求に利用された原告Cの供述が原告Bからの伝聞に過ぎない点を補う目的で、捜査官が裁判所を欺瞞したものである。

他方、Hに対する逮捕状請求書には、「被疑者は一応住居を有するも留守がちであり、本件捜査を関知すれば逃走の恐れがあり、さらに共犯者Eは現在逃走中であり証拠隠滅のおそれあり」と記載されているが、Hは平日の夜間は店に出ることが多かったものの、毎日帰宅しているのであり、留守がちもないものである。またここに「Eは逃走中」と記載するために、捜査官が原告Dと同時に逮捕状発付を受けながら、原告Eの逮捕を遅らせたことも明らかである。

(3) 違法な別件逮捕

本件窃盗事件を理由とする原告B、同D、同E及びHに対する逮捕は、総監公舎事件の証拠(自白)の獲得を本来の目的とした、違法な別件逮捕である。

(五) 原告Bに対する取調べの違法

(1) 連日長時間の取調べ

捜査側は、原告Bに対しても、自白獲得を目的として、連日長時間の取調べを行った。被告国が提出する偽造留置人出入簿がミニマムの取調べ時間としての意味しか持ち得ないことは前記(二)(1)のとおりであるが、右出入簿によっても、原告Bの取調べ状況は、一一月一八日から窃盗起訴までの二一日間のうち、取調べのなかったのが一日のみ(ただし実際にはこの日も取調べを受けている)、二〇日間のうち房外に出されていた時間の総計は一九九時間強、一日当たり単純平均は約一〇時間である。このような連日長時間の取調べは、取調べとして許容される限度を超えた違法なものである。

(2) 否認の意思表示及びアリバイ主張の無視

原告Bは、一一月一七日に逮捕され、同月二九日に最初の自白調書を作成されたが、それ以前の否認段階で作成されたものは弁解録取書も含め、員面調書五通、検面調書一通に過ぎない。取調官が否認調書を作成する意思がなかったことは明らかである。また、原告Bは窃盗事件発生当日のアリバイとして「自宅で寝ていたと思う」旨の主張をしていたにもかかわらず、取調官はこれを黙殺した。

(3) 暴行・脅迫による自白の強制

① 妹に対する事情聴取の脅迫

捜査側は、原告Bに対し、同原告の家族に対する迫害を示唆することによって自白を強制した。原告Bには銀行に勤める妹と高島屋への就職が内定している高校在学中の妹がいたが、この妹らの勤務先に事情聴取に捜査官を差し向ける、勤務先では従業員の実兄が窃盗事件の被疑者であると知ってどうするだろうか、という恫喝が行われた。一一月二七日付け員面調書は、右の脅迫が繰り返され、原告Bがそのようなことはしないでくれと頼み込む状態の中で作成されたものである。右供述調書は「接見に来た伊藤弁護士から『みんな黙秘しているからがんばりなさい』と言われたので、私達の窃盗のことについては話せないのです」という盗みを前提とする本文部分と「私自身その事件については記憶がないから申し上げられません」という否認の追記部分から構成されるものであるが、右調書の記載からは、取調官が本文部分を一方的に作成したうえ原告Bに署名を強要したこと、同原告が一方的な記載に反発し撤回を求めたものの、連日長時間の取調べによる消耗及び妹たちへの迫害の脅迫のもとこれに抗しきれず、追記部分を付加させることで妥協した経過が明らかである。被告らは、原告Bが右本文部分を自発的に供述したと主張するようであるが、それでは本文部分と明白に矛盾する追記部分の成立過程を合理的に説明することが不可能である。また、原告Bの取調官は公判廷で、原告Bに原告Cの自白を告げて説得した旨供述しているのであり、原告Cの自白を知った原告Bが、右員面調書の本文部分のような供述をするわけがないのであって、被告らの主張は失当である。

② 両親の逮捕の脅迫

被告Gらは、原告Bに対し、同原告が自白しなければ両親を逮捕すると脅迫して、窃盗事件の自白を強制した。

すなわち被告Gらは、一一月二八日から、原告Bが盗難車(四三二三車)を自宅前駐車場に駐車していたのを知っていた疑いで両親を逮捕する、原告B本人に続いて両親まで逮捕されたらB家はどうなる、という脅迫を繰り返した。そして、原告Bに一晩の考慮時間を与えた。翌二九日の取調べで、当初、原告Bは小出に親の逮捕について念を押され、あきらめの心境にありながらも積極的に口を開かず、まずは簡単な調書が作成された(小出作成の六丁のもの)。小出が右調書を持って出ていって間もなく、被告Gが血相を変えて怒鳴り込んできた。直径二センチくらい、長さ五、六〇センチの鉄パイプを振りかざし、原告Bに対して「この野郎、昨日言ったことがまだ分からないのか。ふざけた調書作るんじゃない」と怒鳴り、鉄パイプを同原告の目に前に振り下ろした。反射的によけた原告Bに対し、被告Gは「てめえに何も言うことはねぇ。俺はてめえの親をしょっぴくだけだ」とドアを開け放したまま出ていき、逮捕状請求書の作成に取りかかった。取調室からこの様子を見ていた原告Bは「ちょっと待ってくれ」と叫び、請求書の作成を中断した被告Gは、再び取調室に戻り請求書を原告Bに示しながら「また、知らないとか何とか言うんじゃないのか。もう、そんなことは言わせないぞ」と告げ、原告Bは涙ながらに屈服した。被告Gは、原告Bが泣きやむのを待って、質問もなしに、短時間で一方的に調書を作成し、同原告に署名指印を求めた(被告G作成のもの)。その後、被告Gは具体的内容に関する供述は小出らに任せ、犯行の詳細な経過を記した三通目の供述調書が作成された(小出作成の七丁のもの)。

これに対して、被告東京都及び被告Gは、原告Bの右自白は自発的になされたものであると主張する。しかし、一日にテーマが同一の供述調書が三通も作成されたこと自体、自白が任意になされたものでないことを物語っている。また、右各調書には、自発的な自白であれば、当然語られるべき自白理由が何ら記載されていない。さらに、原告Bは、一二月三日に行われた勾留理由開示公判で、被告Gの脅迫により虚偽自白を強制された旨を告白し自白を撤回したが、同月七日に再度自白に転じた後に作成された調書でも、勾留理由開示で原告Bが主張した被告Gの脅迫が、虚偽であるという記載はなされなかった。右調書は、まさに被告Gの脅迫が事実であったことを示すものである。

(4) 利益誘導による取調べ

捜査側は両親の逮捕を脅迫する一方、原告Bに対し前科もないのだから認めさえすれば早々に釈放になると説得して自白を誘導した。捜査官が原告Bに寛大な処分を約束していた事実は、同原告の自白員面調書に繰り返し「何分寛大な処分をお願いいたします」との記載が登場すること、一一月三〇日付け員面調書に「家に老いた父が一人で仕事をしているので何とか早く家に帰って働かなければなりませんのでよろしくお願いします」との記載があることから明らかである。

(5) 虚偽情報による自白の誘導

捜査側は原告Bに対し、「Cらみんながどんどん認めている。お前だけが取り残されているのだ」と述べ、他の共犯者が皆自白しているとの虚偽事実を述べて、自白を迫った。

(6) 誘導による自白供述の捏造

捜査側は、後記(九)のとおり、自ら本件窃盗事件の犯行のストーリーを創作し、原告Bに対しこれを誘導して、虚偽自白を捏造した。

(六) 原告Dに対する取調べの違法

(1) 連日長時間の取調べ

捜査側は原告Dに対しても、自白獲得を目的として、連日長時間の取調べを行った。このような連日長時間の取調べは、取調べとして許される限度を超えた違法なものである。また、原告D関係の留置人出入簿は刑事審及び本法廷を通じて提出されていないが、それは、まさに捜査側に不都合な記載が存在するからである。

(2) 健康状態の無視

弁護人は一一月三〇日、重症の歯料疾患並びに心臓及び胃の不調を訴えて、原告Dの勾留執行停止の申立てを行った。これに対し捜査側は被告Fの指揮のもと、裏付捜査を行い、一二月一二日右捜査結果に基づいて「心臓、胃に異常は認められず、歯の治療は勾留のまま受診させる」として勾留停止不必要の意見を裁判所に提出した。この結果、右申立ては棄却されたが、捜査側は原告Dが連日取調べを受けていた警視庁本部内に歯科診療室があるにもかかわらず、同原告を受診させなかった。

(七) 原告Eに対する取調べの違法

(1) 連日長時間の取調べ

捜査側は原告Eに対しても、自白獲得を目的として、連日長時間の取調べを行った。このような連日長時間の取調べは、取調べとして許される限度を超えた違法なものである。

(2) アリバイ主張の無視

原告Eは、取調官に対し、本件窃盗事件の発生当日である五月七日についてアリバイがあること、すなわち右同日、同原告は午後八〜九時ころHに呼び出され「淵」へ行ったこと、同店においてHから、運転手を探していた映画監督新藤孝衛を紹介されたこと、新藤は午後一〇時頃帰ったが、同原告は午前一時頃まで同店におり、森川健一と連れ立って帰ったことを主張した。しかし取調官は、原告Eの右アリバイ主張を黙殺し、調書にも記載しなかった。

(3) 虚偽情報注入による自白の誘導

取調官は、原告Eに対し、総監公舎事件と関係ない旨を説得して、自白を求めた。取調官が右説得を行ったことは、原告Eの一二月二日付け員面調書に「公舎事件と関係ないとわかったりしたので話した」との記載があることから明白である。しかし、原告Eは一二月一五日、総監公舎事件に係る爆取違反容疑で逮捕されているのであって、取調官は同原告に対し虚偽の保証をして、自白を誘導したものである。

(4) 共犯者の自白を告げての心理的誘導

取調官は、原告Eに対し、他の者は自白しているなどと吹き込んで、心理的動揺を誘って自白を誘導した。

(5) 誘導による自白供述の捏造

取調官は、後記(九)のとおり、自ら本件窃盗事件のストーリーを創作し、原告Eに対しこれを誘導して、虚偽自白を捏造した。

(八) Hに対する取調べの違法

(1) 連日長時間の取調べ

取調官はHに対しても、自白を獲得するため、連日長時間の取調べを行った。このような連日長時間の取調べは、取調べとして許容される限度を超えた違法なものである。

(2) アリバイ主張の無視

Hは、逮捕当初から、取調官に対し、本件窃盗事件が発生した五月七日はアリバイがあること、すなわち、右同日の午後七時頃から翌日午前三〜四時頃までは「淵」にいたこと、新藤孝衛が来店したので原告Eを呼び出し紹介したこと、その日は新藤のほか、森川健一、梅原正紀、羽永義雄夫妻、中沢教輔などが来店していたことを主張した。しかし取調官は右アリバイ主張を直ちに調書に記載せず、一一月二六日に、新藤からアリバイを否定する供述が得られた後になって、ようやく新藤のみを特定するアリバイ調書を作成した。取調官が、アリバイをつぶす見通しをつける前にはアリバイ主張を記録にとどめない方針を採用していたことは明らかである。

(3) 脅迫による自白の強制

取調官は、原告Cの供述書において、Hの妻が窃盗謀議の場にいたと記載されていることを根拠に、Hに対して、自白しなければ妻を逮捕するとの脅迫を行った。Hは、取調官の右脅迫に屈服し、一二月八日自筆供述書を作成し、翌九日に自白員面調書が作成された。

右自筆供述書は、犯行に関しては一言も触れず、抽象的に心境を述べたものであるが、単なる中古車窃盗事件を認めるに際しての心境としては深刻にすぎ、大袈裟な感が否めない。ここで吐露されている心情は、窃盗事件を自白した心情ではなく、理不尽な追及に対する抵抗を貫けず、強権によって虚偽を認めさせられる悔しさが述べられているのである。右供述書の内容からは、取調官が脅迫によって自白を強制したことが明らかである。

(4) 共犯者の自白供述書を示しての誘導

取調官は、Hに対し、原告Eの一二月四日付け供述書及び原告Cの一二月五日付け供述書を示して、心理的動揺を誘って自白に追い込んだ。

(5) 誘導による自白供述の捏造

取調官は、後記(九)のとおり、自ら本件窃盗事件の犯行ストーリーを創作し、Hに対しこれを誘導して、虚偽自白を捏造した。

(九) 誘導による虚偽自白の捏造

取調官は、自ら犯行ストーリーを創作し、それを屈服した原告らに対し自白として誘導し、虚偽自白を捏造した。本件自白が、取調官による誘導・捏造の産物であることは以下の供述内容から明らかである。

(1) 自白と客観的事実との矛盾

原告らの自白の中には、客観的事実と矛盾している部分が多々あるが、このような供述は、以下のとおり、取調官の誘導・誤導によって生じたものである。

① 四三二三車の遺留指紋と遺留物品

四三二三車の遺留指紋については、原告Cが二重追突事故に遭遇した際タオルで拭き取った旨供述しているが、突然の事故で、しかも前後の運転手が直ちに下車してきた面前で、そのような行為ができるはずがない。取調官による辻褄合わせの誘導である。

また、四三二三車遺留物品である白色ポリ容器について、原告Cは「後部トランクにあったポリ容器は、事故の二、三日前、A、Bが御殿場で盗んできたもの」との供述をしている。しかし、右ポリ容器は現実には後部座席に遺留されていたものであること、同車の構造上窃盗犯人がトランクを開けられたとは考えられないこと、この点につき原告Bに尋ねていないことからして、取調官による誤導であることは明らかである。

② 四三二三車のドアロックの外し方

原告Eは、供述調書において、四三二三車のドアロック外し方として「ドライバーで運転席の三角窓をこじ開け、手を差し込んで運転席ドアのガラスを降ろし、降ろした窓から手を入れてドアのロックをはずした」旨述べている。四三二三車の運転席側ドアの開け方としては、三角窓の下枠部分にあるドアロックボタンを引き上げるか、その下約六センチメートル付近にあるドア開閉ハンドルを操作して開ける方法が考えられるが、原告Eの右供述によれば、同原告は三角窓をこじ開けた後、すぐ間近にあるドアロックボタンを引き上げることもせず、かつ、その下方数センチメートルのところにあるドア開閉用ハンドルを操作することもせず、わざわざ狭い三角窓の隙間から手を差し込んで、右ハンドルよりも更に二十数センチメートルも下方にある窓ガラス開閉用ハンドルを操作して窓ガラスを降ろしたうえ、ドアのロックを外したことになるのであり、極めて不自然な供述といわざるを得ない。また、そもそも、三角窓をドライバーでこじ開けられるものかどうか、狭い三角窓から手を伸ばし、窓ガラス開閉用ハンドルまで届くのか、届くとしてそれを操作することができるのかという疑問もわく。このような不自然・不合理な供述が、原告Eの記憶に基づいてなされるはずがなく、右供述が取調官の誘導によるものであることは明らかである。

③ 四三二三車の直結方法

Ⅰ エンジンキー裏の配線の本数原告Eは、エンジンキー裏の配線の本数を三本としているが、四三二三車のエンジンキー裏の配線の本数は実際にはバッテリー線、イグニッション線、スターター線、アクセサリー線の四本なのであり、原告Eが記憶に基づいて供述している限り、このような供述がなされるはずがなく、右供述が取調官の誤導によるものであることは明らかである。

Ⅱ エンジンキー裏の配線を切断するために用いられた工具 配線を切断するために用いられた工具に関する原告E供述は、最初ペンチであったものが、プライヤー、ニッパーと不自然に変遷している。記憶に基づく供述がこのように変遷するわけがなく、右変遷も、取調官の誘導によるものである。

Ⅲ 直結の方法 四三二三車のエンジンをキーなしで始動させる方法としては、バッテリー線とイグニッション線を結線させたうえで押しかけをする方法と、さらにスターター線をバッテリー線と接触させる方法とがある。この点原告E供述によれば、「三本を裸線にしたうえ、その三本を交互に接触させてスイッチランプをつくことを確かめ、その二本を結び合わせ、押しかけをした」ということであるが、右供述によれば押しかけをするまでもなく、バッテリー線とスターター線を直接接触させる方法によって発進させられるはずであり、右供述は不自然である。また、ペンチで剛性のコードのビニール被覆をむいて裸線にすることがそう簡単にできるかも疑問である。右供述も原告Eの記憶に基づく供述とはいえず、取調官の誘導によるものである。

④ キー部分の修理

原告C、同B及び同Eは四三二三車のキー部分は付け替えたと供述し、原告C及び同Bは付け替えたキー部分をテープで固定してあった旨供述する。しかしこの型のコロナのイグニッション部は、細長い円筒型をしたいわば金属の塊であって、重量があるためフロントパネルの外側から先端部をテープで固定することなどは全く不可能である。そして固定する目的以外にここにテープを貼りつける意味もない。右供述も、取調官の誘導ないし誤導によるものである。

⑤ 現場の状況

Ⅰ 原告C供述 原告Cは、一一月二二日に自白するに際して現場図面を作成している。しかし、右図面は単なる言葉の誘導ではこの程度しか書きようがないというサンプルのような図面であり、どの範囲が団地で、どこに建物があるのか、といった記載は全くない。現場に当てはめて考えると、図面の「ほこりっぽいかぐちゃぐちゃの自動車がよく通るせまい道」とされる道は、団地内の舗装され幅員もたっぷりした幹線道路になってしまう。現場を見たことのない同原告が誘導によって右図面を書かされたことは明白である。

Ⅱ 原告B供述 原告Bは、一一月三〇日付け員面調書で現場状況図を作成しているが、右状況図は空地と三叉路を直結させ、三叉路を中心に四三二三車とフローリアンバンを左右に配置するなど、現場の客観的状況と著しく乖離しており、実際に現場に行ったことのない者の誘導によって書かされた図面であることは明白である。

Ⅲ H供述 Hは一二月八日付け員面調書で現場状況図を作成しているが、右状況図は客観的な現場との乖離が甚だしく、現場を知らない者の図であることが明白なうえに、原告Bの一一月三〇日付け員面調書の添付図面と全く同じ誤りを犯しているのであり、Hの取調官が、原告Bの図面をもとにHを誘導したことは明らかである。

(2) ストーリー上の不自然・不合理

本件犯行ストーリーには、不自然・不合理な点が多々あるが、これは取調官が勝手に供述を創作しているからである。

① 窃盗の動機

窃盗の動機は、当初供述ではもっぱら桜蘭公司の営業活動のためとされ、のちにほぼ同一時期に三里塚闘争のため、あるいは十月社の活動のためという目的が追加され、又は変更される。しかし、盗難車を継続的営業活動に使用されることに現実性がないこと、発覚の危険に関する相談があまりに安易であること、桜蘭公司の覚業活動で車の必要性に迫られていた具体的事情が明らかでないこと、唯一運転できる原告Eが五月半ばから映画の仕事についてしまうことからすれば、桜蘭公司の営業用との動機は不自然である。また、十月社ないし三里塚闘争に関しては、十月社が三里塚闘争に関わるのは窃盗事件後であること、検問の厳しい三里塚の往復に盗難車を使用することに現実性がないこと、十月社で運転する者が謀議・実行に加担していないことからすれば、これまた動機としては不自然である。

② 実行行為に参加者

中古車一台を計画に基づいて盗むのに、五人も十人も実行行為に関わるのも不自然である。このようなストーリーは、どうしてもそのメンバーが犯行に行ったことにしなければならなかった取調官の都合から生まれたものである。

③ 使用関係

四三二三車が盗まれてから発見されるまでの日数は約二〇日間に及び、偶発的な事故に遭わなければ、さらにこの後も使用していたことになるが、目的があって同車を盗んだといいながら、使用に関する具体的供述はなきに等しい。これも取調官がストーリーを作っている結果である。

(3) 自白相互の矛盾・対立

原告らの自白には、相互に矛盾・対立する点が多く、現実にあった同一の出来事を供述しているとは到底考えられない。取調官による大まかな誘導に沿って、それぞれの被疑者が想像で供述しているからである。

① 謀議

謀議に関しては、最初の原告C自白が、H宅に五人(C、B、E、D、H)が集まって相談し、その後原告Bと同Eがフローリアンバンで下見に行ったのではないかとし、続く原告B供述も同様であったが、起訴後の一二月七、八日になると、原告CはこれにI、Nを追加し、同時期に原告BもNを追加する。一方原告E自白は、当初五月二日前記五人とWで話をし、五月五日にBと二人で下見に行ったと述べたうえ、最終的には理由を挙げて謀議の日を五月四日、下見の日を五日とした。H自白は、五日に相談したが、Iがいたかどうかはわからないという。話の内容もまちまちだが、原告C及び同Bは原告E主導であるのに、Hによると原告Eは消極的であり、原告E自白には他の供述にでてこないWが重要な位置を占める。

② 下見

下見に関しては、原告Bは現場では原告Eが一人で下車して見に行ったとし、原告Eはその逆を述べ、最終的に二人で見に行ったことに変更している。

③ 現場への経路

原告C、同B及び同Eの各自白には、H宅から小金井市内に至るまでのそれぞれ異なる経路が具体的に述べられている。概して、原告Cは新青梅街道―青梅街道―五日市街道という北回りのコース、原告Bは五日市街道―井の頭通り―五日市街道という南回りコース、原告Eは青梅街道―五日市街道の中間コースとなっている。彼らが犯人である場合、このような点で虚偽を述べるメリットは何もないのである。

④ 現場での行動

Ⅰ 四三二三車の駐車位置・向き四三二三車の駐車位置・向きに関する各人の供述は、伊藤照子が供述している客観的な位置と合致しないうえ、変遷している。また、客観的な位置を出発点とすると、押しかけの際無理が生じることになる(一旦バックさせないと進路がとれない)。

Ⅱ 押しかけの位置 押しかけの位置についても、原告E自白では、最初の駐車位置はアパートの前なので音を立てないため、という合理的な理由を挙げて一旦五〇メートル移動してから作業したとされているのに、他にこのような大幅な移動を供述する者はなく、駐車位置で原告Eが作業をしたとされている。

Ⅲ 押しかけの人員 誰が押しかけをしたかについては、原告Eは当初全員が押したと述べているが、最初押しかけをしていたとは述べていなかった原告BがH、Iが車を押しているのを見たと述べ、Hが同旨の供述をした後の検面調書で、誰が押したかわからないと供述を変更させている。

Ⅳ Iの役割 Iについて、原告Eは懐中電灯で作業中の原告Eの手元を照らしていたと供述する一方で、原告Bのみは自転車で周囲の見回りをしていたと特異な供述をしている。

⑤ 合流点・帰路

Ⅰ 合流点 犯行後、四三二二車とフローリアンバンがどこで合流するかという点においても、各自白は一致しない。しかも、原告C自白及び同B自白は、最初の供述が現場の状況に合わなかったため、それぞれ非常に不自然な大幅変更をしている。右二名及びH供述はいずれも場所は異なるものの団地外に出て合流するという限りで一致するが、原告E自白は一貫して、四三二三車のエンジンがかかった団地内の地点で待っていると、フローリアンバンがやってくるという全く違った状況を供述している。

Ⅱ フローリアンバンと四三二三車への分乗状況 二台の車に誰が乗車したかについても、H以外の自白者は、フローリアンバンに原告B、同C及び同Dが、四三二三車に原告E、I及びHが分乗したと供述しているのに、Hのみはフローリアンバンに原告B、同D及びHが、四三二三車に原告E、同C及びIが分乗したとし、現場を離れてから裏通りでHが四三二三車に乗り換え、他の四名はフローリアンバンで帰ったという特異な供述をしている。

Ⅲ 帰路 窃盗犯行の当夜、四三二三車がどこに行ったかについて供述しているのは原告E自白のみであり、原告Cらは具体的な供述を何らしていない。原告Eは、当初、H宅近くの海城高校から早大理工学部裏に置いたと述べ、その後海城高校横に置いたと特定し、次には十月社かH宅に待たせていたWに渡したと述べ、最終的にはH宅に待っていたWに渡してその後自分は「淵」に行ったと述べる。なお、数百メートルの位置にある海城高校と早大理工学部はともかく、大久保のH宅と新宿西口の十月社は混同するには離れすぎている。最初に二つの場所を述べ、翌日一カ所に絞るという供述は、誘導又は想像によって虚偽供述が作られていく過程がそのまま記載されたものといえる。なお、原告Eの右供述変更には二つの理由があった。一つは、四三二三車のキー部の修理先を逮捕される予定のないWに先送りする必要があったことであり、もう一つは、原告Eのアリバイ主張との関係で、五月七日にHはもちろん、原告Eについても「淵」に全く現れないとするのは、むしろ危険であるという判断が出てきたためである。

(4) 明白な誘導

① Iの登場

Iが窃盗事件自白に初めて登場するのは、原告Bの被告G作成一一月三〇日付け員面調書であり、唐突に何の脈略もなく「次に話を前に戻して、この盗みにもう一人、自転車を使って見張りをしていた人のことを申し上げる」として、Iが現場に自転車をもってきていたと述べられている。これに対し、原告Eも当初の自白では、I以外の五人の犯行としていたが、一二月二日付け員面調書以降、Iを仲間に加えている。原告Cは一二月五日付け自筆供述書では、従来どおりI抜きの犯行経過を述べた後、同月八日付け調書で、今まで隠していたが窃盗にはIも加わっていたと供述した。同日初めで自白調書を作成されているHは、最初からIを含めた犯行を供述している。

そして、右の連鎖的供述変遷に加え、Iが予め時間の打ち合わせもなしに自転車で小金井の現場に先行していたという原告B供述の不自然性、同原告の一二月八日付け検面調書の「Iをかばう気で供述していたが、調べ官のほうでIが現場にいたことを知っていて、隠せなくなってしまったのです」との供述からすれば、右供述変遷が被告Gら取調官による誘導によるものであることは明白である。そして、被告Gらが右誘導を行った理由は、原告らの線で総監公舎事件の解決を図るためには、右事件と同一グループの犯行であると考えられていた成田署事件の担当者として、十月社の三里塚闘争本部の責任者であったIが不可欠の存在だったからである。

② 窃盗の動機

窃盗の動機も、やはり窃盗事件起訴から総監公舎事件逮捕までの時期に、従前の桜蘭公司の営業活動のためという目的から、三里塚闘争ないし十月社の活動のためという目的が付け加えられている。最初は、原告Cの一二月五日付け自筆供述書に「三里塚闘争と桜蘭公司のため」、同日作成の原告Eの員面調書に「Dが十月社で使うため」と同時に新しい動機が加わり、原告Bは一二月七日付け被告G作成員面調書で「本当は三里塚闘争のため」と「思い違い」を訂正している。なお、Hの一二月八日付け最初の自白調書では「私は桜蘭公司のためと思っていたが、Dらは十月社の三里塚闘争のためと言っていた」とされている。

この時期に政治的動機・要素が、各供述に連鎖的に付け加えられたのは、窃盗の動機に総監公舎事件につながる政治的背景を加味させるために、取調官が原告らを誘導したためである。

③ 四三二三車二重追突事故の際の乗員

四三二三車の二重追突事故の際の乗員もこの時期に連鎖的に変更されている。最初に原告A及び同C説に変更したのは、原告Eの一二月九日付け自筆供述書である。これに対し、原告Bはそれまで「D自身が事故の際アゴをぶつけたといっていたからDに間違いない」として原告A及び同D説を供述していたにもかかわらず、一二月一三日付け員面調書に至って、変更の理由もなしに「事故を起こしたのはAとDであると言ったのは間違いで、実はAとC」と突然供述を変更している。また、原告Cも一二月一三日付け員面調書で、従前再三、原告A及び同D説を主張していたものを撤回して、変更の理由も述べないまま、自分と原告Aが当事者であることを認めるに至っている。

右に述べた供述の連鎖的変遷、特に再三原告A及び同D説を主張していた原告B及び同Cの突然の供述訂正、二重追突事故の前提となるべき五月二六日夜の爆弾謀議の不自然性からすれば、右供述変更が、取調官の誘導によるものであることは明白である。取調官は、四三二三車二重追突事故は総監公舎の下見に行く際に遭遇したものであるというストーリーを創作することによって、総監公舎事件と窃盗事件を接続させ、窃盗事件が総監公舎事件のための別件であるとの批判をかわそうとしたものである。そしてその際、四三二三車に乗車していた者は、後に総監公舎事件で実行行為者としての役割を与えられる、原告A及び同Cである必要があったのである。

④ 原告Eの一一月三〇日付け員面調書

原告Eの一一月三〇日付け員面調書は「これから車を盗ってきたことについて申し上げます」と書き出され、「その後まをおいて午後一〇時過ぎころ、H宅前路地にフローリアンが駐車してあったので、運転席にB」で中断している。そしてこの後「ここまで録取したところ、被疑者は、しばらく考えさせてください、といって、約八〇分後再び、私の供述が自分自身のはっきりした記憶に基づき発言していないことを多く感じます。ということは、私の記憶の弱いはっきりしない発言が含まれていることです。さらにはっきりした記憶を再現したく思います。今日申し上げた中ではっきり記憶している点については、先程申し上げました集まりの状況です。それから先のことについては、さらに深く考えてお答えします」と述べたとされている。右調書の記載からは、取調官が前段部分を誘導によって書き進めたこと、ところが具体的な窃盗行為に供述が及んだため原告Eが異議を申し立て、調書作成が中断されたことが明らかである。

(一〇) 裏付捜査の違法

捜査側は、真実解明のための裏付捜査は何ら行わず、否認主張を突き崩すことを目的とした裏付捜査のみを行った。捜査側に、事実を追及しようという意図も意欲もなかったことは、以下の裏付捜査から明らかである。

(1) 菊池政和に対する事情聴取

捜査官は、一一月九日に幡ヶ谷マンション付近に居住している菊池政和に対し聞き込み捜査を行っている。しかし、捜査官は右時点までに、原告Aが四三二三車と類似したブルーバードを所有していた事実を把握していたにもかかわらず、菊池に対しコロナの写真のみを提示し、ブルーバードとの混同の可能性を避ける配慮を何ら加えていない。捜査官に、真実究明を行う意図がなかったことは明らかである。

(2) C1供述調書の毀損・改竄

C1は一一月一一日、被告Gの事情聴取などを受けたが、C1が引越の際に使用した車は白いライトバンであると供述すると、被告Gは、青い車に違いないとわめきちらして作成中の供述調書を破り捨てた。C1が右事実を刑事審で証言するや、検察官はC1の調書(乙第五一三号証)を提出してC1証言の信用性を弾劾しようとしたが、右C1の調書はその体裁上改竄されたものであることが明らかである。

(3) 新藤孝衛に対するアリバイ潰し

捜査官は、新藤孝衛に明確な記憶がなく、手帳には仕事の一環である試写会のスケジュールしか記されていないことを知るや、原告Eらが逮捕されていることも五月七日が問題とされていることも告げずに、新藤を誘導し、「淵」に行ったのは五月一〇日である旨の員面調書を作成した。また、Hらが主張の根拠とした「淵」の伝票にはあたって見ようともしなかった。

(4) 四三二三車イグニッション部の修理先とWに対する捜査の欠落

本件自白を裏付ける客観的証拠としては、四三二三車のキー部分を取り替えたという自動車修理工場に関する捜査が当然可能であるのに、捜査官は、修理を担当したとされるWに事情を聞くこともせず、修理先に関する捜査も行わなかった。虚偽自白から新たな客観的証拠を得られるはずがないことを、捜査側が十分認識していたからである。

(5) 四三二三車の窃取方法に関する捜査の欠落

原告E自白は、前記(九)(1)の②及び③のとおり、窃取の際のドアロックのはずし方及び直結の仕方について客観的事実と明白に矛盾するものとなっている。そして、四三二三車と四六八〇車が同型車であることは捜査側にとって周知の事実であり、当時四六八〇車は終始麹町警察署に置かれていたのであるから、原告Eの右供述の信用性をチェックすることは十分可能であったにもかかわらず、裏付捜査を怠った。

(6) 四三二三車の遺留指紋

四三二三車からは、運転席周辺等から遺留指紋が採取されており、他方、原告らは同車を約二〇日間にわたって使用したとされているにもかかわらず、捜査官は原告らの逮捕後、遺留指紋と被疑者指紋の対照をせず、あるいは、否定的結果の隠蔽に努めた。

(7) 四三二三車の遺留品

四三二三車の遺留物品のうち特徴的な、後部座席に置かれていたという「蒸留水」と記された白色ポリ容器については、入手先の捜査もなされていないし、被疑者らにその出所を問うこともしていない。修理先と同様、虚偽自白から新たな客観的証拠を得られるはずがないことを、捜査側が十分認識しているからである、

(8) 原告E及びHの引き当たり捜査の欠落

窃盗現場への引き当たり捜査は、原告C及び同Bについては行われたが、原告E及びHについては結局実施されていない。捜査側の犯行ストーリーでは、原告Eは下見・犯行時の二度にわたって一同を現場に案内し現場では直接被害車両を窃取したとされる者であり、Hも現場で原告Eの窃取行為を補助する役割を担ったとされる者である。これに対して原告C及び同Bは、現場では被害車両とは離れた位置で見張りをしたとされているに過ぎない。しかも、原告E自白においては窃盗現場の状況等を明らかにする図面すら何も作成されておらず、H自白においても、あいまいな図が一通作成されているだけである。

以上のように原告E及びHを同行しての引き当たり捜査は、本来ならば原告C及び同Bの引き当たり捜査以上に必要不可欠であったのであり、その実施を見送る正当な理由は成り立たない。にもかかわらずその捜査が実施されなかったのは、第一に原告E及びHの窃盗自白を詰める時期が遅れたために、捜査側の関心は本来の目的である総監公舎事件に移り窃盗事件を軽視したこと、第二に原告Cらの引き当たり捜査の経験から現場を知らない者に現場を教え込むことが容易でないことを知ったこと、第三に各人の自白相互の矛盾が、引き当たり捜査を重ねることによって拡大し自白が破綻する危険があったことによるものである。以上の事実からは、捜査側にこの事件の真相を解明する意思も意欲となかったことが明らかである。

4  窃盗事件における検察官の職務執行の違法

被告Fは、警察による違法捜査と、犯人捏造によって総監公舎事件の解決を図るという捜査の意図を把握しながら、黙認するのみか時には從慂し、予断と偏見をもって証拠を恣意的に選択し、また評価して原告らを起訴した。

(一) 警察の違法捜査への加担

検察官は、被疑者の否認・アリバイ主張については聞く耳をもたず、警察官が自白獲得のみを目指していること、その取調べが過酷なものであることを知りながら、否認主張する者を取り調べることを最大限回避し、警察官の取調べが自白という成果をおさめるまで放置し、あるいは督励した。特に原告Bについては、一二月三日の勾留理由開示で、同原告が被告Gの脅迫により自白を強制された旨主張したにもかかわらず、同原告が再び自白に転じるまで取調べをせず、警察の取調べ方法について調査確認もしなかった。

また、被告Fは、自白した者に対しては、員面調書の信用性をチェックするどころか、員面調書に露呈している虚偽自白の痕跡を解消することのみにつとめた。

(二) 公訴提起の違法

(1) 公訴提起の違法性・有責性の判断基準

公訴提起の判断基準はいわゆる結果違法説の立場からなされるべきである。本件事件の刑事審においては、地刑二部の統一公判及び高刑一〇部の原告Cの分離公判でいずれも無罪判決が出され「検察官は上訴をなし得ないまま確定している。原告らが無罪判決を得たという一事において、本件公訴提起が違法であったと論断するに十分である。仮に公訴提起において正当性・合理性があったのならば、被告らが違法性阻却事由として主張立証をなすべきである。なお、公訴提起の違法性判断基準としては、職務行為基準説も存在するが、職務行為の円滑な遂行の要請より無罪の被告人の救済にウエイトを置くべきであること、本件捜査に関する資料のほとんどが被告らの下に偏在し、原告らがそれを認識・利用する機会が一切奪われていること、同説では違法性判断の基準が曖昧になることに照らせば、同説は相当でない。そして、近年の過失の客観的傾向によれば、本件において、公訴提起の違法性が明らかである以上、公訴提起を行った公務員の有責性もまた明らかである。仮に違法起訴が無過失に基づくものであったならば、被告らが責任阻却事由として主張立証をなすべきである。

(2) 原告Cに対する公訴提起の違法

被告Fは、昭和四六年一一月二七日、原告Cを窃盗容疑で東京地方裁判所に起訴したが、右起訴は原告Cの自白のみを証拠とし、原告B以下、後に逮捕された者らの自白を後日獲得するとの見込みのもとに行われた違法なものであり、それなしでは公判維持に耐えられないことは明らかであった。

① 原告C自白の問題点

原告Cの自白が虚偽であること、及びその虚偽性に被告Fが気づかないはずがないことは、以下のとおりである。

Ⅰ 窃盗の目的・動機 原告C供述では、桜蘭公司の仕事のために車を盗んだことになっているが、日常の業務に盗んだ車を使おうという計画自体不自然である。そしてナンバープレートから発覚する危険性については、対策どころか話題にもなっていないのであり、不自然な供述内容である。

Ⅱ 四三二三車のナンバー 原告Cは、一一月一四日付け員面調書で、原告Aらが乗車していたコロナのナンバーは「多四三二三」である旨を供述している。しかし、原告Cがこのような数字を覚えていることは不自然であり、右員面調書は警察官の強制によるものであることが明らかである。

Ⅲ 自白の理由、Hの登場 原告Cの員面調書では、自白の理由やHが突然共犯として登場した理由については全く触れられていない。そして、一一月二六日付け検面調書では、自白の理由として、「車を盗るなんていう行為は全く破廉恥なことで、それを認めたくなかったからです」「警察がよく調べていて隠し通せないと思ったからです」旨が、Hの名を隠していた理由として「Hは先輩にあたるからです」旨が記載されている。しかし、原告Cの前記3(二)(2)①の供述経過を見ると、同原告がやっているけれども認めないという意思をもっていたとは到底言い難いし、警察がよく調べている事実のない本件で、右自白理由は不合理である。またH登場に関する原告Cの答えはおよそ不自然である。

Ⅳ 窃盗現場の状況 原告Cの一一月二二日付け員面調書添付の現場図面が、客観的な現場と著しく異なっていることは、前記3(九)(1)⑤Ⅰのとおりである。そして、右図面は同月二四日の引き当たり捜査を経て、同月二六日付け検面調書で大幅に訂正されるが、右訂正には、記憶違いでは説明がつかない問題点が多々存在する。

② 裏付証拠の不存在

Ⅰ 軽部清八供述 軽部清八は、五月二三日の引越しに原告Cらが紺色コロナを使用しているのを目撃した旨述べていた者であるが、右供述は、原告B及びC1が、五月二三日の引越しに使用した車は原告BがOS色素から借りてきた白色ライトバンであることを明白に供述したため、虚偽であることが明らかになった。なお、原告Cは、引越車とは別にコロナが昼以降に登場する代案を押しつけられているが、軽部の供述内容は、午前一〇時ころコロナに荷物を運び入れているC1らを見たというものであり、軽部供述は原告Cの右供述を裏付けるどころか対立している。

また、軽部は、五月二二日にも同じコロナを目撃した旨供述しているが、右出来事は原告B及びC1の供述調書で事実上否定されているし、原告Cの供述調書でも員面調書にあるだけで、検面調書では黙殺されている。結局、軽部供述は、いかなる意味でも原告Cの供述を裏付けているとはいえない。

Ⅱ 小長谷アパート付近住民の証言小長谷アパート付近住民の目撃証言は、そもそも対象車を四三二三車とも特定できない曖昧な証言の集まりであり、ほとんど証拠として意味のないものであるが、少なくとも原告C供述において、これらの目撃証言に対応する状況がないことは明らかである。

Ⅲ 三好政仁供述 三好政仁は、一一月一〇日、検察官鹿道正和による事情聴取に対し、四三二三車の二人の人相、服装などは事故後三ヶ月以上もたってからの記憶でもともとはっきりしないこと、写真を選ぶ際にも実物を選ぶ際にも自信に乏しかったこと、特に、原告Cについては写真の段階からあやふやだったこと、裁判所に証人として呼ばれても大きな男は似ているという程度、小さな男はそれ以上に自信がないことを述べている。三好供述は、被告Gの員面調書のように原告A及び同Cを断定したからこそ意味があったのであり、窃取行為と直接関連性がないこと、目撃時からの時間的ずれの大きさを考えれば、右検面調書程度の不明確な供述であれば、三好の供述が何らの意味も持たないことは明らかである。

③ 共犯者らの否認・アリバイ主張

原告Cが起訴された時点では、原告B、同D、同E及びHの四名が逮捕されていたが、右四名とも原告C起訴の時点では、窃盗容疑を否認していた。特にHは、一一月二六日の警察官調べでも二七日の検事調べでも、窃盗事件当日である五月七日には原告Eとともにアリバイがあることを具体的に主張している。

検察官が起訴するに際しては、公判維持が可能であるという合理的判断が必要とされるはずであるが、そもそも原告C自白は犯行現場では窃取対象の車も見ていないという立場のものからにすぎないのであって、共謀を裏付ける資料も皆無なのであるから、原告Hのアリバイが成立し、他の被疑者が否認を続ければ、公判維持は不可能である。右公訴提起が、続く原告Bらからも、警察が虚偽自白を獲得するであろうとの見込みに基づいた違法なものであることは明白である。

(3) 原告B、同E及び同Dに対する公訴提起の違法

被告Fは一二月八日原告Bを、同月一四日原告D、同E及びHを窃盗事件で起訴した。右起訴は原告C、同B、同E及びHの虚偽自白に基づくものであるが、検察官は、これらの自白が逮捕時期のずれ、抵抗の度合いに起因して時期を違えて獲得されたことから生じた甚だしい矛盾撞着、供述の不自然、不合理な変遷、客観的事実との乖離など、前記3(九)のとおり、供述の信用性・任意性に重大な疑問を投げかける数々の問題点を敢えて看過し、窃盗事件が、総監公舎事件捜査のための別件であるとの批判を免れ、かつ本来の狙いである総監公舎事件による逮捕・起訴を実現する意図をもって、起訴を強行した。

(三) アリバイ潰し

(1) 梅原正紀

被告Fは、昭和四七年一月一二日、梅原正紀に対して、五月七日のHのアリバイに関する事情聴取を行った。右検面調書には、午前零時過ぎ頃、Hの奥さんに指圧をしてもらったときにHがいたことは間違いないが、それまでHがいたかどうかは全く記憶がないとの供述が記載されている。しかし、梅原は公判廷ではHが最初から店内にいた旨を供述しているのであり、被告Fが、梅原の右供述に明確な記憶に基づく根拠がないことを盾に、午前零時以前は記憶がない旨の記述を押しつけたことは明らかである。

(2) 羽永義雄・知津子夫妻

検察官は、羽永知津子に対し、五月七日のHのアリバイに関する事情聴取を行ったが、その際、記憶どおりに供述した同女に対し「そんなかばい立てしても本人が吐いたんだから、あなたが言っていることは偽証になるよ」と述べて証人威迫を行った。また、羽永義雄も、警察官から事情聴取を受け、記憶どおりに供述したところ、警察官が仕事先の新聞社や出版社などを訪れ、羽永というのは何者なのかと尋ねてまわるなどの嫌がらせを行い、仕事を失った。

5  総監公舎事件における警察官の捜査の違法

警察官は、原告C及び同Bに対し、窃盗事件起訴後の勾留を利用して取調受忍義務があるとの前提のもとに強制的取調べを強行し、さらには、本件爆弾事件が火取違反の軽微な事件に過ぎないとの欺罔を用いて、同原告らから虚偽自白を獲得した。その他にも警察官は、原告ら及びHに対し、脅迫、利益誘導、欺罔、弁護人解任の強要などの違法取調べを敢行し、原告Cらに続いてHからも虚偽自白を獲得した。

(一) 原告Cに対する取調べの違法

(1) 窃盗事件起訴後の取調べの違法

準捜査本部は、原告Cが窃盗事件で起訴された後、それぞれ引き続き起訴後の勾留を利用して、総監公舎事件について、取調拒否の権利、取調室からの退室権のある旨を告知せず、取調受忍義務があるとの前提の下に、強制的取調べを強行した。

そして西海は、原告Cに対し、参考人とされた間は黙秘権がないとして執拗な取調べを行い、被疑者としても、黙秘に対してはそれが犯人である証拠だとする取調べを行った。また、西海は、Hの一二月八日付け手記を総監公舎事件を認めたものとして偽って示し、原告Cに自白を迫った。

(2) 火取罪名での取調べ

取調官は、原告Cに対し、火取と爆取の両方の条文を対比して、法定刑の大きな違いを示したうえで、総監公舎事件には軽微な火取が適用されると欺罔して、自白を詐取した。

そして原告Cは、一二月一五日、爆取違反容疑で逮捕されたが、取調官はその後の爆取取調べにおいて、火取調書を隠匿し、自白の撤回を防ぐため、同原告に改めて供述を求める取調べを行わず、ひたすら火取調書の爆取調書への転写作業を行った。

(3) アリバイ主張の抹殺

原告Cは、総監公舎事件の取調べに対し「八月六日夕方は、ニュートップスでD、B、O、Pと会った。その後PらがDの妻D1やCの妻C1に会いたいと言い出したので、全員でD宅に行ったが留守で、C宅へ行くとD1とC1が酒をのんでいた。総勢七人で午前二時ころまで談笑し、五人はBの車で帰った」旨のアリバイ主張をした。ところが、取調官はこれを嘘と決めつけ、アリバイ主張を抹殺し、後になってアリバイ工作にすり替えて調書を作成した。

(4) 誘導による虚偽自白の捏造

取調官は、後記(八)のとおり、自ら総監公舎事件の犯行ストーリーを創作し、原告Cに対しこれを誘導し、虚偽自白を捏造した。

(二) 原告Bに対する取調べの違法

(1) 窃盗勾留中及び窃盗起訴後の取調べの違法

準捜査本部は、原告Bに対し、窃盗事件の勾留又は窃盗事件起訴後の勾留を利用して、総監公舎事件について、取調拒否の権利、取調室からの退室権のある旨を告知せず、取調受忍義務があるとの前提の下に、強制的取調べを強行した。

(2) 脅迫による自白の強制

原告Bは勾留理由開示公判の行われた一二月三日の直後から、総監公舎事件の取調べを受けたが、被告Gらは、原告Bが油絵を趣味としていた事実をもとに、油絵の罐を利用して自宅で爆弾を製造したと決めつけ、そのうえで、狭い自宅で爆弾づくりをしているのを親が見ていないはずがない、爆取には告知義務違反があり、両親はそれに違反した疑いがある、原告Bが総監公舎事件についてあくまでも否認するのであれば、親を逮捕する、犯行に関係のあるフローリアンバンも押収して家業をつぶしてやると脅迫した。爆弾製造説は、一二月九日付け検面調書にのみ記載され、その後の原告B調書では一貫して京都仕入れ説が供述されているが、右供述の経緯も、製造説がそもそも脅迫の手段として用いられただけであると考えれば、合理的に説明される。

(3) 火取適用の約束

原告Bは、一二月七日、火取罪名のもとで総監公舎事件を自白したが、右自白は、被告Gが、総監公舎事件は刑の重い爆取ではなく、刑の軽い火取が適用されることを約束し、罰金刑ないしは窃盗と合わせての執行猶予や年内保釈を保証した欺罔により得られたものである。右火取自白調書の末尾には「私がいままで警視総監の家に爆弾を仕掛けた話ができなかったのは、CやAからこの罪は爆発物取締という法律でやられ、この法律では無期刑になると聞いていたので恐ろしくなって話せませんでした。ところが本日の調べでは火薬取締という法律で爆発物取締ではないということなので話すことにしたのです。とに角私としてはやった場所が警視総監の家なので刑が重いと思っておりました。これから後このことの詳しいことについてお話をして早く調べを終わらせて一日も早く帰していただきたいと思いますので寛大な処分をお願いします」と記されたうえ、「右のとおり録取して読み聞かせたところ誤りのないことを申立て署名指印するとともに本調書各葉下欄に割り指印を申立てたので割り指印をさせた」とあり、各葉に指印による契印が押されているのであって、右記載からは、被告Gが火取適用を約束して自白を誘導した事実が明白である。また、火取適用をめぐる取調官の公判廷供述は、相互に矛盾しているうえ、不自然・不合理な内容であって、到底信用できない。

そして原告Bは、一二月一五日、爆取違反容疑で逮捕されたが、取調官はその後の爆取取調べにおいて、火取調書を隠匿し、自白撤回を防ぐため、同原告に改めて供述を求める取調べを行わず、ひたすら火取調書の爆取調書への転写作業を行った。

(4) アリバイ主張の抹殺

取調官は、原告Bが一二月上旬から行われた被疑者調べにおいて、前記(一)(3)と同様のアリバイ主張をしていたのにこれを抹殺し、後にアリバイ工作に転化させた。

(5) 誘導による虚偽自白の捏造

取調官は、後記(八)のとおり、自ら総監公舎事件の犯行ストーリーを創作し、原告Bに対しこれを誘導し、虚偽自白を捏造した。

(三) Hに対する取調べの違法

(1) 被疑者であることを明示しない取調べ

Hに対する火取取調べは、一二月一二日ころから行われたが、取調官は、同人に対し被疑者であることを明示せず、総監公舎事件については圏外であることを信じ込ませ、被疑者としての権利行使と弁解の機会を奪って取調べを行った。

(2) アリバイ主張の回避

取調官は、Hからアリバイ主張をされることを避けるため、同人に対し、いつのアリバイが必要とされているのかを教えず、否認主張を具体的に述べる機会も、また、自分にアリバイが成立する可能性を探る機会も与えなかった。

(3) 脅迫による自白の強制

① 一生監獄暮らしであるとの脅迫

取調官は、Hに対し、認めなければ、一味の中心人物として一生監獄から出られなくしてやる、との脅迫を行って、自白を強要した。Hの初めての自白調書である一二月二一日付け員面調書に「一言でもしゃべることによって、一生監獄から出られないのではないかという恐怖があり否認を続けてきた」旨の供述があるのは、右脅迫の証左である。

② 妻を逮捕する旨の脅迫

取調官は、Hに対し、自宅に短時間とはいえ、爆弾を預かったのだから妻もそれを知っているに違いないとし、認めなければ妻を告知義務違反で逮捕することをちらつかせて、自白を強要した。一二月二一日付け員面調書の自白の理由中に、妻を大切に思う気持ちが述べられているのは、右脅迫の証左である。

(4) 共犯者が全員自白しているとの欺罔

取調官は、Hに対し、共犯者は全員自白して反省している旨の虚偽を告げて、自白を誘導した。仮に原告B及び同Cの自白のみを教えたとしても、れっきとした不当な自白誘導である。

(5) 告知義務違反に過ぎないとの欺罔

取調官は、Hに対し、自白すれば他の被疑者とは違って爆取の告知義務違反にすぎない、そうすれば不起訴に終わるか執行猶予であると欺罔して自白を誘導した。

(6) 誘導による虚偽自白の捏造

取調官は、後記(八)のとおり、自ら総監公舎事件の犯行ストーリーを創作し、Hに対しこれを誘導し、虚偽自白を捏造した。

(四) 原作Eに対する身柄拘束及び取調べの違法

(1) 被疑者であることを明示しない取調べ

原告Eに対する火取取調べは、一二月一三日ころから行われたが、取調官は、同原告に対し被疑者であることを明示せず、総監公舎事件については圏外であることを信じ込ませ、被疑者としての権利行使と弁解の機会を奪って取調べを行った。

(2) 身柄拘束続行のためのアリバイ無視

① 原告Eは、一二月二日の取調べにおいて、七月三一日から八月七日までは帰省しており、総監公舎事件発生前後にはアリバイがある旨を取調官に対し主張した。これに対し取調官は、裏付捜査により原告Eのアリバイ成立を確認しながら、別件逮捕の批判をかわし、爆弾事件初解決の宣伝効果をあおるために、右アリバイ主張を調書に記載せず、同原告を爆取被疑者として逮捕した。

仮に取調官が爆取逮捕までに原告Eのアリバイの裏付捜査を行っていなかったとすれば、それは故意に捜査を遅らせたものか、あるいは著しい職務怠慢である。

② 取調官は、本件虚構の崩壊を防ぐためには、原告Eの身柄拘束を続行しておく必要があると考え、逮捕後も勾留や勾留延長に差し支えないよう、同原告の具体的なアリバイ主張(帰省時の行動)を一二月二五日付け員面調書まで調書に記載しなかった。

(3) 誘導による虚偽供述の捏造

取調官は、後記(八)のとおり、自ら総監公舎事件の犯行ストーリーを創作し、原告Eに対しこれを誘導し、虚偽自白を捏造した。

(五) 原告C、同B、同E及びHに対する弁護人解任の強要

取調官は、一二月三日の勾留理由開示公判以降、検察官の指揮の下、実質的に弁護人の接見を妨害し、弁護人との交通を途絶えさせる中で、原告C、同B及び同Eに対し、当時の弁護人(伊藤まゆ、西垣内堅佑)の解任を強要し、これを実現した。

また、Hに対しては、取調官は、爆弾闘争反対の立場を主張したいなら、新左翼には反対なのであり、したがって、新左翼系の救援連絡センターの弁護士を頼むことは、主義主張から信念をもって爆弾闘争に参加したとみられても仕方がないという詭弁を使って、弁護人解任を迫った。Hの一二月二一日付け員面調書には「(救援センターの弁護士に弁護してもらうことは)主義主張、信念をもってこの事件に参加したと思われるのが嫌で、Eと共に分離裁判をして貰い、同じ弁護人を頼みたい」との記載があるが、Hは、救援センターを通じて弁護人を選任したわけでないから、右のような解任理由を述べるはずがない。また、Hに対し、原告Eが新しい弁護人を選任した事実を教えたのは、取調官以外にありえず、それを教えたのは、Hにそのことを要求したということである。

(六) 原告Aに対する取調べの違法

取調官は、原告Aに対し、爆取一条の死刑規定を読み聞かせて脅迫し、自白を強制した。また、原告Cらの自白によると爆弾を自宅に預かっているから家族も見ているはずであるとして、爆取告知義務違反を名目に、幼児を置去りにしての家族の逮捕を脅迫し、自白を強制した。

(七) 被告Gによる虚偽の捜査報告書の作成

被告Gは、一二月一五日、原告B及び同Cの火取自白を資料として爆取逮捕状を請求したが、右請求に際しては、火取取調べを隠蔽し、又は合理化するために、窃盗事件の場合と同様に、被告G作成の捜査報告書に何らかの虚偽記載を盛り込んだ疑いが強い。

(八) 誘導による虚偽自白の捏造

取調官は、原告ら五名及びHの無実を十分認識しながら、当初から得られていた関連証拠をベースに、原告C及び同Bの否認主張で明らかにされた事実で肉付けしながら虚構のストーリーをまとめ上げ、原告らに対しそれを誘導し、虚偽自白を捏造した。本件でっちあげ捜査の実態は、以下のとおり、原告らの供述内容から明らかである。

(1) 自白と客観的事実の矛盾

本件自白には、客観的事実・客観的条件に矛盾する部分が以下のとおり少なからず存在するのであり、取調官の誘導・誤導が明らかである。

① 爆弾について

Ⅰ 本件爆弾の構造・操作方法に関する共通の決定的誤り 原告C及び同Bは、本件爆弾のセット方法について、タイムスイッチで時間を合わせスイッチを入れると豆電球がつく旨供述しているが、実際には、本件爆弾で豆電球がつくのは、爆弾が破裂するときであるから、両名は豆電球がどの段階で点灯するかについて共通の決定的誤りを犯している。また、両名は、爆弾の構造について、時間が来るとビン型の罐が爆発し、それによって筆洗罐が誘爆すると供述し、両名が作成した爆弾の図面においても配線はビン型の罐にしか施されていない。しかし、実際には本件爆弾は二つの罐いずれにも点火装置が施され、配線も二つの罐になされているのであるから、起爆・誘導の関係にはなく、この点においても両名は共通の決定的誤りを犯している。

Ⅱ 爆弾の構造等についてのその他の誤り 原告Cは一二月一五日付け員面調書で「Bが爆弾の使い方を説明した際、起爆剤の先についている電気コードと接着している長さ約四糎、太さは直径約1.5糎を取り出し、これから火花が出て起爆薬に引火して跳ねると言っておりました」と供述したうえ、爆弾の分解図を作成している。しかし、実際には粉末状の火薬が詰っている罐に鉛筆ホルダーの雷管が挿入されているので、これを引き抜くことはできても、再び挿入するためには罐本体内の火薬を取り出さなければ無理であり、右供述及び分解図は客観的事実に矛盾している。そして虚構の成立過程を暴露する右分解図は爆取調書には再録されていない。

また、原告Bの一二月二三日付け員面調書では、爆弾のセット方法について、ビン型の罐からの配線が一本タイマーから外されており、仕掛けるときには外されている線をタイマーに取りつける旨が新たに付け加えられているが、右供述は本件爆弾の客観的形状と合致しない。

Ⅲ 爆弾の外観図 原告B及び同Cの作成した爆弾の外形図は、本件爆弾の客観的形状に合致していない。また、Hは、一二月二一日付け及び二二日付け員面調書で爆弾の図を作成しているが、実物と全く異なり、どちらも、現物をちらとでも見たことのある者は決して書かないような代物である。

② 曙橋陸橋下の空地と代替地の指示

原告Bの自白供述によれば、同原告は総監公舎事件犯行当日の午前一時から、曙橋陸橋の中央部真下の空地においてフローリアンバンで待機し、原告C及び同Aを乗せて逃走したとされ、原告Bは、陸橋下の空地で待機した状況の図面も作成している。しかし、実際には曙橋陸橋下には空地は存在しない。一二月二七日付け原告B立会の実況見分調書では、同原告は陸橋東端にある太平洋工業株式会社東京支店横路地の入口を指示したとされているが、右場所が同原告供述の空地と合致しないことは明らかであるし、その後の同原告の供述でも待機場所に関する変更は行われていない。

そして、右実況見分に先立つ一二月二三日付け正木実作成による写真撮影報告書には、原告Bの自供要旨として、右路地に待機した旨の記載があり、正木は公判廷で右自供要旨は被告Gから聞いたと供述している。以上の事実からは、陸橋下に空地がないことを知った被告Gが、実況見分に際して小出に代替地を指示したことが明らかである。

③ 表参道到着とバス発着

原告Cの員面調書では、Tらを表参道に送り届けたのは午前一時四〇分、バスの発車時刻は午前二時とされている。しかし、東郷隆興供述によれば、コロナらしい車が来たのは午前一時一五分、バスの発車時刻は午前一時二〇分なのであって、同原告の供述は客観的事実と矛盾している。また、午前一時一五分に四六八〇車が表参道を出発したとすれば、午前一時五七分の事件発生まで時間が余りすぎることになり、不自然である。

④ 総監公舎に爆弾を仕掛けた際の状況

原告Cの一二月二〇日付け員面調書では、総監公舎に爆弾を仕掛けた際の状況につき、公舎内は砂利敷だったので玉砂利を静かに踏んで音を立てないように注意して歩いたこと、発見されたら大変だからどこでもよいから早く置こうと思ったこと、敷地内に入ったとき建物の明かりは消えていたことが記載されている。しかし右供述は、赤外線警告装置で飛び起きて玄関に出ると既に男が建物近くに爆弾を設置して逃げるところだったこと、犯人が爆弾を設置した場所は明かりのついた警備室前であることを述べる関供述(前記2(一)(1))と決定的に矛盾している。また、右調書で原告Cは爆弾を置いた位置を供述し、その図面も作成しているが、同原告の供述は関供述と矛盾するのみならず、公舎敷地の客観的状況にも矛盾している。さらに、原告Cは正門鉄扉の間から脱出したとし右鉄扉の図面を作成しているが、右図面における脱出空間は約三〇センチ×一メートルとされており、19.5センチ×52センチという実際の寸法と大きく異なっている。

⑤ エッソ関町給油所への道順、高橋との会話

原告Cは一二月一二日付け員面調書において、原告A宅からエッソ関町給油所への道順を供述しているが、右供述は客観的事実と矛盾している。さらに車の行き先について、高橋腎蔵は「ハマナコ又はハマナカコ」と聞いたと供述しているのに対し、原告C供述では「中津川ケイコク」と答えたとされている。「中津川ケイコク」との供述は、フォークジャンボリーの開催地を岐阜県中津川市でなく神奈川県中津川溪谷と誤解した取調官による誤導である。

⑥ Hの爆弾闘争への反対と幻野祭

Hの一二月二一日付け員面調書では、八月一日の謀議でHが余りに爆弾闘争に反対するので、原告Dから爆弾闘争が反対なら三里塚の幻野祭を担当してくれと頼まれたこと、Hが断ったため原告Cが担当することになったことが記載されている。しかし、右供述は、幻野祭の日程が八月中旬であることや原告Cが幻野祭の仕事を始めたのが七月中旬であることに矛盾する。結局、右供述は検面調書において訂正されることになるが、右混乱は取調官が、原告DがHに幻野祭事務局の仕事を頼んだ事実と虚構の爆弾事件を結びつけようとした結果生じたものである。

⑦ 爆弾闘争への経緯

Hの一二月二一日付け員面調書では、「七月に入ってから鉄パイプ爆弾を明治公園などで赤軍派が使いだしてから、D君らはこの爆弾について、しばしば口にするようになったのです」とされているが、この時期鉄パイプ爆弾が使われたケースは六月一七日の明治公園事件以外になく、しかも当時は赤軍派の行動と見なされていたわけではないから、七月の時点で右のような話になるわけがない。

⑧ 「蘭」での原告AとHの会談

Hの一二月二二日付け員面調書では、八月一三日に原告Aに呼び出され「蘭」に行き、同原告から「心配しなくてもいい」と言われた旨の供述がある。しかし、警察は八月一二日に原告A及びHを含む写真を「蘭」の店員に提示し、同月一九日には中畑れい子の供述調書を作成しているのであるから、右H供述が事実であれば、中畑調書に反映されないはずがなく、右供述は中畑供述に実質的に矛盾している。

⑨ 四三二三車二重追突事故の位置

原告Cは、一二月一三日付け窃盗員面調書において、四三二三車が二重追突事故を起こした位置を、麹町二丁目交差点四谷寄りの上り三車線の左端車線とする図面を作成し、「甲州街道に出たら右に曲がり、麹町警察署方向に走ったら、総監公舎に曲がる交差点が赤信号だったので、前に信号待ちしている乗用車の後ろに停まり待っていたら」との供述している。しかし、右二重追突事故が発生したのは三車線のセンターラインに沿った中央部であり、原告Cの右供述は、総監公舎の位置を知らされ、公舎に向かう途中の事故と教えられたことによる間違いであることは明白である。

この点、同月一六日付け員面調書では「甲州街道に出て右に曲がり、後でよくわかったのですが、総監公舎で曲がる交差点の赤信号で」と左車線であるかどうかを曖昧にした供述変更がなされ、同月一八日付け員面調書には二重追突事故の図面が添付されていない。取調官が問題点の調整を図ったことは明白である。

(2) 供述内容の著しい不自然・不合理

本件自白には、内容が著しく不自然・不合理な点が以下のとおり存在する。また、そのような不自然・不合理な供述に対し、取調官は何ら問題を差し挟んでいない。取調官が他の客観的証拠をつなぎ合わせて犯行ストーリーを創作しているからである。

① 五月二六日の唐突な爆弾闘争謀議と下見

原告Cは、五月二六日の学習会の後、同原告、原告D及び同Bで同A宅を訪れたところ、原告Dから突然爆弾闘争を提案され、早速原告Cと同Aで下見に出掛けることになったと供述している。しかし、なぜこの時期に原告Dが突然爆弾闘争を提案したのか、原告Aがどのような経緯で爆弾闘争に賛成するようになったのか、なぜ具体的な計画の検討もなしにすぐ下見に行くことになったのか、なぜ提案者の原告Dが下見に行かないのか、など多くの疑問点があり、これに対する答えは全く存在しない。取調官が、窃盗事件と総監公舎事件を接続させるため、四三二三車二重追突事故を下見途中であったとの創作をしたために、不自然な供述にならざるをえなかったものである。

② 四六八〇車入手の依頼

原告Bは、四六八〇車は原告Dが京都の高瀬泰司に車の世話を依頼した結果、入手したものである旨の供述をしている。しかし、双葉自動車の江里重之の供述によれば、七月半ば以前から、双葉自動車と四六八〇車を購入する話を進めていたのは、高瀬の代理人井村であって、原告Bらは何ら関係がなかったことが明白である。右江里供述からは、四六八〇車の実質的な購入者は高瀬であり、原告Dらは高瀬から同車を預かったに過ぎない経緯が認められるのであり、原告Bの右供述は不自然である。

③ 四六八〇車乗り捨て・乗り継ぎ

Ⅰ 原告Bの供述 原告Bの供述によれば、九分九厘失敗はないだろうが万一失敗し、車を見られたり、発見されたときのことを考えて、同原告がフローリアンバンを運転し曙橋陸橋下の空地で待機し、失敗したらコロナを乗り捨て原告C及び同Aを乗せて逃げることにしたという。しかし、原告Cらが失敗し逮捕される可能性は考慮されておらず、原告Cらが曙橋までは逃げて来られるという本件で現実に起こった結果が前提とされている。また乗り捨ての可能性を考えながら、原告B名義の四六八〇車を乗り捨てた後の対策は全く考えられておらず、原告Bや同Aが現実に警察官に対して取った行動が前提となっている。

Ⅱ 原告Cの供述 原告Cの一二月二〇日付け員面調書では、検問に引っかかった場合原告Cと同Aが同じ車に乗っていては人相髪型からして過激派学生風であり、捕まるおそれがあるので、途中から原告Cが同Bの車に乗り換える計画であったとされ、乗り換えは計画通りだったが、乗り捨ては計画外であったとされている。しかし過激派学生風なのはむしろ原告Cと同Bであるし、外見は変装等で変えることが可能なのだから右供述はいかにも不自然である。そして原告Cの一二月二二日付け員面調書では、右理由が変更され、検問にかかった場合、原告Aが一人であれば説明がつくが、原告Cと一緒だと年齢の離れている二人の関係を説明しようがないという理由になっている。しかしそうであれば、原告Aと同Bの役割を交換すればよいのであり、これまた原告Aが実行正犯であるとの前提に立った不自然な供述である。

④ 謀議内容の不自然性

Ⅰ 動機や計画の不自然性 原告らの自白を検討すると、どのような目的で爆弾闘争を行おうとしたのか、どのような効果を狙っていたのか、警視総監公舎などという著名でない場所を誰がなぜ知っており、そこがなぜターゲットとされたのか、反対者とされる原告E及びHを巻き込む必要がなぜあったのか、なぜ京都から突然爆弾が手にはいることになったのかなど疑問点が多々あり、ストーリーとしての不自然性が顕著である。

Ⅱ 原告A不在の謀議での同原告の役割決定 原告Bらの自白では、八月一日の謀議で、それまで全く謀議に参加しておらず、その場にもいない原告Bに、突然下見の役をさせることが決まったとされているが、余りに不自然である。

Ⅲ 原告B及びIの突然の登場 原告Bらの自白では、原告A及びIは八月四日の謀議になって突然登場したとされているが、なぜ右両名が突然参加することになったのか、特に十月社・学習会・桜蘭公司のいずれにも無関係な原告Aがなぜ参加することになったのかは全く不明である。

Ⅳ 反対者であるH宅での謀議 原告Bらの自白では、七月二九日、八月一日、同月四日の謀議はH宅で行われたとされているが、爆弾闘争に反対しているHの家で謀議をするのは不自然であり、他の場所で謀議をすることが不都合な事情も窺われない。

⑤ 犯行直前のTらの運搬

原告Cは、十月社から表参道にTや小川了を四六八〇車で送り、その後総監公舎に向かって犯行に及んだと供述しているが、重大な犯行直前の時間帯に犯人がとる行動としては不自然である。

⑥ 成田と時刻を合わせながらの実行のなしくずし的遅延と犯行前夜の新宿での行動・それぞれの時間の持て余し方

原告C供述によれば、原告らは二つあった爆弾のうち一つをIに渡し、三里塚と総監公舎で午前一時に設置、午前二時に同時爆発と決めたとされているのに、犯行時刻はなしくずし的に遅延し、実際の設置時間は午前一時五七分、原告Cがセットした爆破時刻は午前三時とされている。反面、原告C、同D及び同Aは、午後八時ころから午前零時ころまで、原告Bも午後八時から午前一時近くまで、特に用事もないのに新宿で時間を潰している。

⑦ 無料駐車場

八月六日にニュートップスで原告Cと別れた後の行動について、原告Bは、一二月七日付け被告G作成の員面調書において、自分の車を歌舞伎町の無料駐車場に置いて時間をつぶしたと供述していたが、同月二三日付け小出作成の員面調書では、右無料駐車場とは道路のことである旨の供述訂正が行われた。しかし、道路に駐車した者が、無料駐車場に駐車したと供述することはありえない。無料駐車場は被告Gの造語であり、同被告はこの間の原告Bの行動が虚偽であることを認識しているからこそ、記録が残る有料駐車場を避け、時間が長すぎる路上駐車を避け、無料駐車場なる用語で虚構を粉飾しようとしたのである。

⑧ 阿佐ケ谷の交通事故

原告Cの自白には、事件当夜、原告A宅から新宿に向かう途中、阿佐ケ谷付近で警察官が大型トラックによる交通事故の処理をしているのを見て、一斉検問かと驚いた旨の供述がある。しかし、右交通事故は午後一〇時二五分ころ発生し、直ちに片側通行の規制が実施されているので、原告Cが往路で気づかず、帰路で「あ、一斉だ、ヤバイ」と思うことはありえない。そして、西海は右交通事故を事前に知っていたことを公判廷で認めており、西海が秘密の暴露を仮装するために供述を誘導したことは明らかである。

⑨ 原告Dの歯科通院と京都行き

原告Bの供述によれば、原告D及び同Bは、八月三日及び四日に京都へ爆弾を取りに行ったとされているが、原告Dは、七月三一日に重症な歯科疾患により淀橋歯科医院に来院し、八月三日に最も重症の歯について抜歯を行い、四日にその予後治療を行っている。同原告の通院時間を客観的に証明する証拠は存在しないが、少なくとも重症な歯を抜いたばかりの同原告が、敢えてその日に京都に出発し、翌日の治療前に帰ってくるスケジュールを立てることは、極めて不自然である。被告らが一貫して淀橋歯科医院での捜査結果を隠匿しているのは、それが原告Dの京都行きのストーリーに壊滅的な影響を及ぼすものだったからとしか考えられない。

また、この点について原告Bは一月五日付け員面調書で、「Dは歯が痛いというようなことを言っていた」と供述しているが、抜歯をしたばかりの原告Dが、旅行中に抜歯の話や具体的な歯の状態などについて話さないはずがなく、右供述は京都行きの事実と歯科治療の事実との不自然さを解消するため、取調官が誘導したものである。

⑩ 原告Eの帰省と上京

原告Eの一二月二五日付け員面調書では、「D君達は京都に爆弾を取りに行っているんだろう、爆弾攻撃をしたんじゃないかと心配で、様子を知るため東京に戻った」とされながら、他方では「八月八日まで田舎で取っている新聞やテレビで総監公舎事件が報道されたかわからないが、自分は見たり聞いたりしなかった」とされ、前後矛盾する供述となっている。前半部分が取調官の勝手な作文であることは明白である。

(3) 自白相互の対立・矛盾、重要部分の不一致

本件自白には、記憶の希薄化や混同、ないしは供述者の利害関係からは説明がつかない重大な供述の矛盾が多々存在する。このような供述の矛盾が生じたのは、各被疑者の取調官がそれぞれ虚偽供述を創作したためである。

① 犯行後の帰宅方法ないし経路

原告B供述によれば、同原告は犯行後原告C及び同Aをフローリアンバンに乗せ、十月社で二人を降ろし、真っ直ぐ自宅へ帰ったとされている。これに対し、原告C供述によれば、十月社に寄ったフローリアンバンには原告Dも加えて計四名が乗り、西新宿の原告D、中野の原告Cの順で自宅に送ってもらったとされている。しかも、右供述の不一致について、取調官は何ら問い質していないのであって、取調官が右供述の虚偽性を認識していたことは明らかである。

② 謀議のテーマ・内容

七月下旬の会合で話し合われた内容について、四人の供述は区々である。三里塚の状況に関する話の有無については、H及び原告Cがこれを供述しているものの、原告Eはこの話題に言及せず、原告Bは右話題があったことを明確に否定している。また、爆弾闘争やゲリラ闘争に関する話の有無については、原告C、同B及び同Eが供述しているのに対し、Hのみがこれを否定している。さらに、その日決行が決まったかどうかについては、原告C及び同Eがこれを肯定し、原告Bは八月一日に決まったとしている。

③ 四六八〇車の乗り捨て・乗り継ぎ

この点に関する原告C供述と同B供述が矛盾していることは、前記(2)③のとおりである。また、フローリアンバンの待機場所について、原告B供述では曙橋陸橋下の空地とされ、同車に原告C及び同Aが乗り込んだ位置は二人とも後部座席とされているが、原告C供述では同車は靖国通り路上に待機していたとされ、乗車位置も原告Cが助手席、原告Aが後部座席と食い違っている。

④ 五月二六日の下見

原告C供述では、五月二六日夜に原告A宅で爆弾闘争に関する話し合いをし、その後原告Cと同Aで下見に行った旨が具体的に述べられている。これに対し、原告Bは、原告D及び同Cとともに原告A宅へ行き、爆弾闘争に関する話し合いをしたことは認めるものの、原告Aと同Cが四三二三車で下見に行った事実は知らないと述べ、両者の供述は矛盾している。

⑤ 爆弾闘争への経緯

五月から七月にかけて、爆弾闘争に関するどのような話し合いがなされたかについて、H供述と原告C及び同B供述は一致していない。すなわち、Hは、六月一七日の明治公園事件が一つの契機となって爆弾闘争へ進展したと供述しているのに対し、原告Cらは、右事件の発生直後である同月二三日に「薔薇の詩」を検討したと供述しつつも、その際に右事件が話題になったとは述べていない。また、Hは七月中旬の会合で機動隊が集っているところに爆弾を投げる話が出たと供述しているが、原告Cらはそのような供述はしていない。

⑥ 八月一日の謀議開始時刻

八月一日の謀議の際、H宅に集合した時刻について、原告Bは午後三時とし、Hは午後七時か八時とし大幅に食い違っている。

⑦ アリバイ工作

工作したアリバイ案について、原告C供述と同B供述は一致しているが、その工作経路については完全に矛盾している。すなわち、原告Cは八月八日夕方に原告D、I及びOと会ってアリバイ案を決めOに頼んだと供述している。これに対し、原告B供述では八月一五日にOと会って、既に原告Cが頼んだのと結果的に同じアリバイ案をOに頼み、その後原告D及び同Cにも同じアリバイ案を伝えたとされているが、原告Bの提案に対し、Oも原告Dも同Cもそのアリバイ案は既に決まっているなどとは言っていない。アリバイ自体は原告Cも同Bも現実に体験したことであるから共通したものの、それを取調官がアリバイ工作にすり替えたために、このような矛盾が発生したものである。

(4) 明白な誘導

本件自白では、供述が不自然かつ極端に変遷する例が少なくないが、記憶の混同、自己の立場を有利に導く意図など供述者側からする合理的理由が見出しえず、取調官の誘導は明らかである。また、供述変更以外の点においても、取調官の明白な誘導の痕跡が残っている。

① 犯行当日の行動に関する原告Cの一二月一二日付け供述が、他の被疑者や参考人の供述と合致するよう大幅に変更されていること

Ⅰ ニュートップス 一二日付け調書では「午後八時ころ、ニュートップスでD、Bと色々な最終打ち合わせをした。午後九時ころAが来たので計画を話し了解を得た」とされているものが、一三日付け調書では「ニュートップスではBだけに会い、爆弾の話はせず、『じゃ頼むよ』と待機を頼んで午後八時ころ店を出た」と変更され、原告B供述との調整が図られている。

Ⅱ 原告A宅への出発 一二日付け調書では「午後一一時頃、僕とAはニュートップスにB、Dを残し、四六八〇車でA宅に爆弾を取りに出発した。Aが運転し、僕が助手席に乗った」とされているものが、一三日付け調書では「Bと別れた後、タイムスで待ち合わせをしているAとDに会った。Dから青年行動隊の連中がフォークジャンボリーに行くのでブツを取りに行った帰り十月社に寄って、連中を青山まで運んでくれと頼まれた。三人でタイムスに約三時間いて、夜中の零時をまわったころ四六八〇車でA宅に向かった。Aが運転し、Dが助手席、僕が客席に乗った」と変更され、高橋腎蔵及び東郷隆興の供述との調整が図られている。

Ⅲ 爆弾受け取り 一二日付け調書では「A宅近くに車を停め、Aが水色のナップサックをもってきたので受け取り、助手席のダッシュボードに入れた」とされているのが、一三日付け調書では「Aが『これだ』と言いながら、黒っぽいボストンバックを寄越したので、客席で受け取りながら、リアウインド棚右寄りに置いた」と変更され、高橋腎蔵供述との調整が図られている。

Ⅳ 給油 一二日付け調書では「ガソリンスタンドに寄り、トランクに積んでいた赤色補助タンク二〇リッター入りを僕が取り出し、いっぱい入れてもらった。代金は僕が払った」とされているが、一三日付け調書では「給油は補助タンクではなく車のタンクに約二〇リッター入れた。代金は僕でなくAが払った。僕はガソリンスタンドが明るく、リアウインド棚の爆弾を入れたボストンバックを店員に見られては大変だと思い、車の左側ウインドに体をかぶせるように腕を広げて防いだ」と変更され、高橋腎蔵供述との調整が図られている。

② 原告Eの謀議参画

原告B及びHは、従前の供述で、原告Eの爆弾使用に対する反応ぶりなど具体的情景を述べて、同原告の八月一日以降の謀議への参画を供述していたにもかかわらず、原告Bは一二月二三日付け員面調書で、Hは同月二五日付け員面調書で、八月一日の謀議の際には原告Eは帰省していなかった旨供述を変更している。

③ 高橋腎蔵供述に合わせた原告C供述の全般的かつ極端な変更

一二月一二日付け原告C員面調書が、高橋供述に合致するように、翌一三日に変更されているのは前記①のとおりである。さらに同原告は、爆弾の入れ物について、一二月一三日付け員面調書、一五日付け検面調書、一六日付け員面調書と入れ物が黒いボストンバックであることを前提とする具体的かつ詳細な供述を行いながら、同月一八日付け員面調書に至って突如「それはボストンバックではなく、水色の手提袋だった」と供述を変更している。右供述変更は、原告Cがガソリンスタンドで隠そうとするものが、中の見えないボストンバッグでは具合が悪いと考えた取調官による誘導であることが明白である。

④ 原告C自白における取調官の変更に伴う変更例

四六八〇車の貸与について、西海作成の一二月一三日付け及び一六日付け員面調書では、本件犯行後に山瀬に貸すことになっていたとされているが、北岡作成の同月一八日付け員面調書では、八月六日昼間の犯行前に、山瀬が中津川のフォークジャンボリーに行くために車を貸したとされ、さらに西海作成の同月二一日付け員面調書では、犯行後に貸すことになっていたことを前提とする供述に戻っている。そして、一二月二九日付け検面調書では犯行前に車を貸し犯行後にも貸すことになっていたとされている。この点、岐阜県中津川で開かれるフォークジャンボリーに行くために、昼間車を貸せば本件犯行に同車を使用することは不可能であり、同月一八日付け員面調書及びこれを要約した同月二九日付け検面調書は本件犯行ストーリーに明らかに矛盾する。右員面調書は、西海の京都出張中に、北岡が作成したものであるが、同人がフォークジャンボリーの開催地を神奈川県中津川溪谷であると誤解したまま、八月六日昼の原告Cの行動を創作したために、発生したミスである。出張から帰った西海は、右員面調書の記載を無視したが、右供述変遷からは、原告Cの自白調書が取調官の一方的な意思によって作成されている事実が明白である。

⑤ 四六八〇車購入経緯に関する時期の曖昧な繰り上げ

原告Bが同Dとともに京都へ行って高瀬に車の斡旋を頼んだ日にちについて、原告Bは一二月一〇日付け及び一八日付け員面調書では六月下旬としていたにもかかわらず、同月二三日付け員面調書では日にちの基準もなしに六月中旬と訂正されている。右供述変更は、双葉自動車に最初にSが安い自動車を求めてやってきたのが六月二二、二三日であると述べた江里供述との調整を図ったものである。

⑥ 爆弾外観図

原告Cは、一二月一三日付け及び一五日付け員面調書で、本件爆弾の外形図を作成しているが、一三日作成の図は二つの罐を上下に重ねたものであり、本件爆弾の客観的外形におよそ合致しない。ところが一五日作成の図では、原告B作成の外形図と基本的な構成で一致するように書き直されている。

⑦ 総監公舎脱出場面

原告Cの総監公舎からの脱出状況は、関昭夫の供述と不自然なほど完全に一致しており、関供述になく原告C供述で明らかになった事柄も存在しない。しかも右脱出方法は前記2(一)(1)②のとおり、物理的に不可能なのであり、不可能な脱出方法が不自然に一致している事実は、関供述に基づく取調官の誘導を如実に示すものである。

⑧ 時刻と時計

原告Cの供述調書では、犯行に関連する事項に関して逐一時刻の記載があるが、一二月二三日付け検面調書で、同原告は時計を持っていなかったことが明らかになっている。原告Cが時計を持っていないことを知らなかった取調官が、勝手に時刻の記載をしてきた事実は明らかである。

⑨ Hの不明瞭な供述

Hの自白供述には「ように思う」との表現や「○○か○○と思う」との表現が頻出する。このような不明瞭なH供述は、取調官の誘導の経過をそのまま表すものである。

また一二月二一日付け員面調書で、Hは供述をひととおり完了した後、取調官から質問され、八月四日の謀議にIがいた事実や爆弾が二つあった事実を認める形になっている。しかし右調書からは、Iの存在を失念して調書を作成していた取調官が、最後にこれに気づき、Hを誘導した事実が明らかである。

⑩ 原告B供述における五月二六日の下見

原告Bの一二月一六日付け員面調書では、爆弾闘争をしなければならないという話が出たのは五月初めであること、四三二三車で五月末ころ原告Aと同Cが下見中事故にあったことが述べられている。しかし、この結論部分のみの変更について、従前の供述との関連、具体的内容などについて一切触れられていないこと、原告Bは一二月二五日付け検面調書では、五月二六日に原告Aと同Cが下見に行ったことは知らないと供述していることによれば、右員面調書の記載が取調官による一方的作文であることは明らかである。

(5) 供述の欠落

本件自白においては、犯人であれば、当然述べられるであろう重要部分の供述の欠落が少なくない。

① 総監公舎で使用した爆弾と成田で使用したとされる爆弾の差異

原告Bは、京都で爆弾を受け取ったとき、「ナップザックの中には、別の一個が入っているとのことだったので、多分同じ型の爆弾だろうと思った」と供述しているが、Iが三里塚に持って行ったとされる別の一式が、八月七日成田署事件で使われたものだとすれば、その爆弾は部分的には総監公舎事件と同じような構成を持っているものの、全体構造としては三つの別な形状と構造の火薬入り筆洗罐が加えられたものであり、両者は同じ型とはいえない。

また原告Bは、一二月二三日付け員面調書で、「爆弾は線さえ外してあれば、落としても絶対爆発しないものだと自信をもった」と述べているが、線さえ外せば大丈夫なのは総監公舎事件の爆弾だけで、成田署事件で使用された爆弾は倒しても危険な触発式であるのに、こちらの安全対策に関する供述は全く欠落している。

② 総監公舎の状況

原告C自白における、総監公舎邸内の状況は具体性がなく、特に正門外からもわかる関らの勤務室が終夜点灯していることについて、下見・実行を通じて言及せず、「暗かったと思う」で済ませている。

③ 赤色補助タンク

四六八〇車に遺留されていたガソリン入り赤色補助タンクについて、どこで積み込み、どこでガソリンを入れたか、何ら言及がなく、取調官も原告Cに何ら問い質していない。同原告がそれを供述すれば裏付けが必要となるが、同原告が裏付けのとれる供述ができる筈のないことを取調官が知悉しているからである。

④ ビニール袋の欠落

本件爆弾はビニール袋に包まれて遺留されていたが、右客観的事実が原告Cの供述には全く反映されていない。時限装置をセットし、爆弾を抱えて侵入する犯人がビニール袋を失念するわけがない。右供述の欠落は、現場で直ちに取り除かれたビニール袋の存在を取調官が知らなかったことに基づくものである。

(6) 短時間で作成された膨大な供述調書

① 原告Bの一二月一〇日付け員面調書

原告Bの一二月一〇日付け員面調書は、謀議・準備段階のストーリーを初めて全面的に供述したものとなっているが、これだけの供述を一日で同原告が話すことができたとは考えられない。捜査側が創作したストーリーの骨格をもとに、被告Gの思いつきと原告Bの部分的な応答で、補いながら創作したものである。

② 原告Cの火取調書

原告Cは、総監公舎事件につき実行正犯とされており、その内容は極めて多岐にわたる。その内容は、一二月一二日から一五日までの四日間に作成された員面調書に盛り込まれているが、同原告が、自ら経験したこれだけの事実を、わずか四日間で順序立てて供述できたとは考えられず、捜査側が創作したストーリーを一方的に調書にまとめ上げた事実は明白である。

(九) 原告Cに対する実況見分における誘導、調書への虚偽記載

原告C立会による実況見分は、一二月二八日に行われたが、多くの関係現場を知らないまま供述させられた原告Cに対する引き当たりは、各所で偽犯人としての実態を暴露するものとなった。これに対して、捜査官は、原告Cがそれぞれの場所で実際に示した反応、言葉、態度を無視し、指示説明を誘導し、捜査側の都合に合致したみせかけの記述を実況見分調書に記載した。

(1) 上石神井の原告A宅へ

新宿を出発して車は青梅街道を西進するが、実況見分調書によれば、原告Cは、関町一丁目交差点に至ると「このへんを曲がってくれ、右に」と指示したとされている。しかし、なぜこのへんだとわかるのかの根拠は示されていない。原告A宅を知る捜査官が勝手に進路をとったことは明らかである。

また、右調書によれば原告Cは原告A宅路地入口まで道順を指示をし、そこで車を降り、路地入口角の家の鉄扉を指して「間違いない、この鉄格子に見覚えがある」と説明したとされている。しかし、右鉄扉は四六八〇車が停車した道路に面してでなく、前方で斜め西南方向に隅切りの形でついているのであるから、道路の右端に停車した車の後部座席に乗っていた原告Cの位置から右鉄扉を見ることは不可能である。

また、右路地入口での四六八〇車停車位置を示した渡辺吉男作成の見取り図では、同車は道路の右端に邪魔にならないように停車したように小さく描かれ、同車の車幅は図面上6.5ミリ、道路左端と車の左側面の距離は26.5ミリに描かれている。しかし、実際には同車の車幅は1.49メートル、道路左端と車の距離は1.3メートルなのであり、右図面は見る者の目をたぶらかす意図を持った作図といわなければならない。さらに、こんなところに車を停めれば他の車の通行を妨げることは確実であり、かつ、すぐ先には幅員の広い道があるのだから、住人である原告Aが運転しながらこのような場所に車を停車することは絶対にありえない。

(2) エッソ関町給油所

原告Cの供述では、エッソ関町給油所へは、元来た道を青梅街道に戻り、新宿方向へ左折して東進して行くことになっているが、右給油所は原告A宅より西寄りにある。この点、実況見分では、車は原告A宅を出ると、原告Cの指示なしに青梅街道へ出る前に右折し西進し、同原告の「青梅街道へ出てくれ」との指示で青梅街道交差点に出ると「もう少し先へ」の指示で右折、また西進している。原告Cの供述も指示も無視して西方へ向かっている。そしてその後、青梅街道北側に面したガソリンスタンド七つから、原告Cが正解を選ぶことになるが、エッソ関町給油所を特定するまでに三回のUターンを繰り返すことにより、そこが原告A宅からどのような位置関係にあるのかわからない記述となっている。原告Cに対し、結局どのような経路でここまで来たのか、あるいは従前の供述との関係を問うこともしていない。

(3) 阿佐ケ谷―新宿―表参道

実況見分調書では、新宿の十月社へ向かう途中、杉並消防署を通過する際、原告Cは「あの晩、この辺りでトラックが交通事故を起こしたのです」と指示説明したとされている。しかし、見分車は停車せず、場所は特定されていない。捜査官が事前に交通事故の正確な地点を把握してこなかったために、場所を特定させるわけにいかなかったのである。

表参道で四六八〇車を停めた位置については、現場の測定を行っているにもかかわらず、目標となったはずの二台のバスが止まっていた位置について何らの説明もなく、捜査官も指示の信用性を確認するような質問は回避している。

(4) 総監公舎

実況見分調書では、原告Cは公舎敷地内に入ると、従前の供述とは全く異なる建物右端の木戸の手前にある石を指して、爆弾を置いた石だと指示説明したとされている。従前の供述との関係は一切問題にされていないばかりか、従前の供述と決定的に矛盾する竹垣の木戸を前に「この木戸があったのをよく覚えております」と説明したとされている。右虚偽記載からは、捜査側が実況見分によって原告Cの自白を検証するどころか、同原告を犯人であるとは全く考えていなかった事実が明らかである。

(5) 乗り捨て・乗り継ぎ

現場から逃走した後の行動について、原告Cの供述では「どこをどう通ったのか夢中だったのでよくわからない」とされていたが、実況見分調書では、同原告は「逃げるとき走った道路を案内します」と乗り捨て地点までの経路を具体的に逐一指示説明したとされている。

(一〇) 裏付捜査の欠落

捜査側は、原告らの否認主張を裏付けるもの、及び本件爆弾の入手先を客観的に明らかにするための捜査活動は、本件虚構の崩壊と捜査の作為の露呈を防ぐという明確な目的意識のもとに、サボタージュした。

(1) 否認主張に関連する捜査のサボタージュ

捜査側は、否認主張を裏付ける可能性のある捜査を頭から排除した。

① 参考人に対する事情聴取のサボタージュ

四六八〇車入手に関するS、井村哲郎、高瀬泰司に始まり、同車の事件直前の引渡し及び原告Cが事件関係者として推測した山瀬一裕、T、小川了、光森甫康、飯田俊や、アリバイ関係者であるOやPらに対する事情聴取は一切行われず、接触を試みた形跡もない。そもそも光森に関しては、原告Cが一二月一〇日付け員面調書で四六八〇車の関係者として名前を挙げているのに、取調官は公舎の爆弾に関係深い人という概括的な供述にとどめ、その人物の特徴も尋ねていない。

② 新宿駅東口駐車場に関する捜査

捜査官は、原告Bが八月六日夜の行動について、具体的なアリバイ主張をしていたにもかかわらず、その裏付けとなる新宿駅東口有料駐車場についての裏付捜査を怠った。

③ 原告Dのアリバイに関する捜査

原告Dの歯科医院への通院の事実は、一二月二四日に行われた勾留理由開示公判における弁護人の主張によって捜査側の知るところとなったが、捜査側は、右事実によりストーリーの重要部分に少なくとも不自然ないし無理のあることを認識したにもかかわらず、原告Dに右事実を確かめてみることを回避したうえ、医師に当時の治療内容や時刻等を尋ねることも避け、もっぱら、原告Bに「Dは列車の中ではあまりしゃべらなかった。『歯が痛い』というようなことを言っていた」(昭和四七年一月五日付け員面調書)と供述させることによってまかなおうとした。

(2) 爆弾入手ルートに関する捜査のサボタージュ

爆弾を京都から受け取った状況については、原告Bの自白供述調書が作成されているが、取調官は原告Bから、直接話した相手のみ、特徴と言うにも足らないおおざっぱな印象を述べさせただけで満足している。そして、火取段階では爆弾供給側に関する捜査の動きは全くなく、一二月二〇日に至って、原告Bのいう受け渡し場所(銀閣寺付近の家屋)の住居を確認しただけの住居確認報告書が作成された。これに先立つ同月一八日には、本件爆弾は銀閣寺付近のアジトから入手されたものであるとの報道が一斉に為されたが、爆弾を引き渡した男としてQが逮捕されたのは、爆取起訴後の昭和四七年一月九日になってからであった。そして、Qは否認のまま釈放された。

右事実からは、捜査側が爆弾供給側へ捜査を拡大する意思がなかったこと、本件虚構を落着させるために本件爆弾の入手先は不明とせざるを得なかったことが明らかである。

(一一) 原告らに対する起訴後取調べの違法

原告らは、爆取起訴後も警視庁の代用監獄に収監されたまま、一月末から三月初旬にかけて、拘置所に移監されるまで、ほぼ連日のように取調べを受けた。そして、被告人に取調受忍義務がなく退室権があることなどは告知されず、取調べは従来からの延長として、事実上強制的に行われた。また起訴後の取調べでは、主として自白撤回に対する牽制・説得が行われた。

(一二) 原告Cに対する分離公判の強要

被告Gは、原告Cに対し分離公判を強要し、同原告の分離公判第一審被告人本人尋問の三日前には、同原告の自白撤回を防止するため、上申書を作成させた。

6  総監公舎事件における検察官の職務執行の違法

被告Fは、警察による火取取調べを知りながらその違法行為を黙認し、被疑者取調べにおいては員面調書の信用性をチェックするどころかリライトと整理のみを行った。また、原告らを起訴するにあたっては、原告Cらの自白が包含する数々の矛盾点、客観的事実との乖離、供述の不自然・不合理な変遷など供述の信用性、任意性に重大な疑問を投げかける数々の問題点を敢えて看過し、予定に基づいて起訴を強行した。

(一) 警察官の火取取調べに対する検察官の加担

(1) 被告Fによる火取取調べの容認

被告Fは、被告Gから原告Bが火取罪名で総監公舎事件を自白した旨の連絡を受けたうえで、一二月九日、原告Bに対する取調べを行い、自ら総監公舎事件自白を内容とする窃盗調書を作成し、それ以後、警察側が引き続き火取被疑者として原告B及び同Cの自白を獲得することを容認した。被告国は右事実を否認するようであるが、検察官が火取取調べに問題を感じたのであれば、一二月一五日の午前中まで火取調書が作成されるなどという事態が生じるはずがなく、被告F容認のもとで火取取調べが続行されたのは明白である。

(2) 一二月一五日の検察官調べの実態

被告F及び検察官久保裕は、警察での火取自白が完成するのを待って、一二月一五日午後、爆取逮捕以前に検察官作成の爆取調書が存在するとの事実をつくるために、原告C及び同Bに対し、爆取違反被疑者として取り調べる旨の告知をしないまま取調べを行い、爆取罪名の検面調書を作成した。

被告国らは、右検察官調べについて、検察官が爆取罪名で取り調べることにより、右両名の供述の信用性・任意性について心証を得、爆取による逮捕状執行の適否を判断するためと主張している。しかし、警視庁は右警察官調べの前に原告らの逮捕予定を発表し、原告Aは検察官調べの前に既に逮捕されているのであって、検察官調べと逮捕状執行は全く関係がない。また、一二月一五日付け検面調書は火取員面調書の要約版であって、火取員面調書に現われた様々な問題点は全く解消されず、検察官が供述の信用性・任意性をチェックした様子は全く窺われない。さらに、被告国らの主張によれば爆取であることを告知されたばかりのはずの原告C及び同Bが、爆取逮捕状を執行されて大きなショックを受けたことを各担当取調官は公判廷において認めているのであり、被告国らの主張は到底信用しがたい。

(二) 警察の違法捜査をカバーするための取調べ

被告F及び久保検察官は、警察での違法捜査を知りながら、員面調書の要約・リライトのみの取調べしか行わず、他方、警察官の作為を示唆する供述や信用性・任意性に問題を残す供述については、その原因を追及するのではなく、問題点の糊塗のみを行った。そこには自白の信用性を客観的にチェックする視点は全くなく、検察官が決定済みの起訴を可能とするために違法捜査の仕上げのみを意図していたことは明らかである。

(1) 原告Bに対する取調べ

① 員面調書に基づく一方的な口述・作文

久保検察官は、原告Bの口から供述を求めることはせず、員面調書を要領よくまとめながら、一方的に口述を進めて、検面調書を作り上げた。同原告の一二月二二日付け検面調書中、八月五日山瀬との会談状況、八月六日夜原告Cとニュートップスで会った時刻、八月二〇日以降のアリバイ工作に関する供述や、一二月二四日付け検面調書中、原告Eの八月一日謀議への参画、本件爆弾を受け取るときに見た爆弾の個数に関する供述など、原告Bの検面調書には、久保検察官が員面調書をもとに勝手な口述を進めているが故に発生したとしか考えられない記載ミスが多数存在する。

また、久保検察官は、員面調書に問題点を発見した場合には、自分の推論を原告Bの供述として勝手に作文し、作文したものに同原告の署名・指印を要求した。同原告の一二月二二日付け検面調書中、八月六日ニュートップスで陸橋下の待機について話さなかった理由、原告Aが犯行後四六八〇車の放置場所について話した内容、十月社前で原告Bが同Cらを見送った状況、八月七日原告Dと会って警察での供述内容を伝えた状況に関する供述や、一二月二四日付け検面調書中、八月一日謀議で原告Cが爆弾設置場所について話した内容、本件爆弾のよじり結線の方法、本件爆弾の威力に関する供述や、昭和四七年一月一二日付け検面調書中のアリバイ工作に関する供述などはすべて、久保検察官が原告Bの供述を一方的に作文したものである。

② 員面調書の問題点の無視・省略

久保検察官は、以下のとおり、原告Bの員面調書の信用性に重大な問題点があることを認識しながら、その原因を追及することもせず、問題点を無視・省略した。

Ⅰ 五月二六日の下見 小出が五月二六日の四三二三車による下見の事実を原告Bの一二月一六日付け員面調書に勝手に潜り込ませたことは前記5(八)(4)⑩のとおりであるが、久保検察官は一二月二四日付け検面調書で、右下見の事実を原告Bに問い質し、その結果同原告が下見の事実を知らないこと、右員面調書が小出の勝手な挿入であることを認識しながら、その原因を解明しようとするどころか、右質問を打ち切った。

Ⅱ 爆弾の入手先 原告Bの員面調書では、同原告に爆弾を渡した京都の男の特徴について、具体的な特徴が全く明らかにされていないのに、久保検察官はこの点を追及しようともしなかった。本件爆弾の入手先が解明されてはならない事情を同人が了解していたためである。

Ⅲ 爆弾の構造

一二月二四日付け原告Bの検面調書では、本件爆弾のよじり結線に関する供述変更が行われており、久保検察官が本件爆弾について、客観的知識を得ていたことがわかる。この時点で、久保検察官は起爆装置が二つそれぞれの罐に設置されているなど、原告B供述に決定的矛盾があること、右虚偽供述が警察官による誤導と強制の産物であることを認識したはずであるのに、その原因を追及することもせずに問題点を放置した。

Ⅳ 曙橋陸橋下の空地 久保検察官は原告Bが実況見分に立ち会った翌日の一二月二八日に検面調書を作成しているが、フローリアンバンの待機場所が陸橋下の空地ではなく、陸橋東端の路地であったという、当然調書上に記載すべき供述変更を行うことを回避し、問題点を無視した。

Ⅴ Qに対する面通し 久保検察官は、昭和四七年一月一二日原告BにQの面通しをさせ検面調書を作成しているが、その結果はおよそ中途半端なものである。真相解明のための捜査をしているのならば、原告Bに詳細な確認を求める必要は大いにあったし、同原告に対してはそれができる条件もあった。にもかかわらず、久保検察官はそのような追及を原告Bに対して行っていないのであり、本件爆弾の入手先を不明に終わらせるために、原告BにQを否定されても断定されても困る捜査側の事情が、右検面調書からは明らかである。

(2) 原告Cに対する取調べ

① 一方的な作文

被告Fは、員面調書を検面調書にリライトするにあたって、自分の一方的な作文を、原告Cの供述として調書に記載した。一二月二三日付け検面調書中の曙橋陸橋下の空地での待機依頼、同月二九日付け検面調書中の総監公舎付近における四六八〇車のUターン地点についての供述などは、被告Fが一方的に作文したものであることが明らかである。

② 員面調書の問題点の無視・省略

被告Fは、以下のとおり、原告Cの員面調書の信用性に重大な問題点があることを認識しながら、その原因を追及することもせず、問題点を無視・省略した。

Ⅰ 五月二六日の突然の爆弾謀議五月二六日の突然の爆弾謀議について不自然な点が多々あるのは前記5(八)(2)①のとおりであるが、被告Fは、疑問点の追及もせず、原告Dが突然爆弾の話を持ち出した理由が原告Cにはわからないとの供述を述べさせただけで、問題点を糊塗しようとした。

Ⅱ 四三二三車二重追突事故 被告Fは、前記5(八)(1)⑨のとおり、原告Cが一二月一三日付け窃盗員面調書で作成した四三二三車二重追突事故の状況図に大きな矛盾点があることを知りながら、その原因を追及することもせず、検面調書では右事故に関して最大限あいまいに記述することによって、右矛盾点に触れることを回避した。

Ⅲ 爆弾の操作方法 原告Cの一二月二三日付け検面調書では、爆弾の操作方法について、スイッチを入れると豆電球がつくという点と二つの缶が起爆・誘爆の関係にあるという点が理由も記載されないまま省略された。右二点が本件爆弾の客観的性状と矛盾していることは前記5(八)(1)①のとおりであり、被告Fは、右矛盾点の原因を追及することもせず、それを省略することにより問題を解決しようとしたのである。

Ⅳ 一二月一二日付け員面調書の大幅な変更 原告Cの一二月一二日付け員面調書が、翌一三日は大きく変遷していることは前記5(八)(4)①のとおりである。右供述変更が、内容的に記憶の混同や錯覚として理解しうる範囲を超えていることは明白であるにも関わらず、被告Fは原告Cに対し、その供述変遷の理由を尋ねてみることさえしなかった。

(3) Hに対する取調べ

① 員面調書に基づく一方的口述

久保検察官は、Hの取調べにあたって、Hの口から供述を求めることをせず、員面調書に基づいて一方的に口述を行い、検面調書を作成した。

② 員面調書の問題点の無視・省略

久保検察官は、以下のとおり、Hの員面調書の信用性に重大な問題点が存在することを認識しながら、その原因を追及することもせず、問題点を無視・省略した。

Ⅰ Hの自白理由 Hの一二月二三日付け検面調書では、二一日付け員面調書で述べられた自白の理由のうち、前記5(三)及び(五)で指摘した弁護人解任を強要した事実を示す部分、一生監獄暮らしの脅迫を行った事実を示す部分、共犯者が反省しているとの自白の誘導を行った事実を示す部分が、理由も示されないまま省略された。久保検察官が警察の違法捜査を認識しながら、その隠匿に努めていた事実は明らかである。

また、久保検察官は警察が告知義務違反の欺罔でHを自白させたことを認識しながら、Hの反対者としての立場を検面調書に多く記載してやることにより、起訴まで告知義務違反への期待をつなぎ止めようとした。

Ⅱ H宅で謀議を行った理由 反対者のH宅で謀議を行うことが不自然であることは前記5(八)(2)④Ⅳのとおりであり、同人の一二月二三日付け検面調書では、新宿に近く集まりやすく、電話があり、妻が夜は不在であるという理由が一応付け加えられた。しかし、同じような条件を備えた原告D宅、同C宅や十月社を利用せず、敢えて反対者であるH宅で謀議を行う理由になっているとは言い難い。にもかかわらず、久保検察官は問題点が一応糊塗されたことのみに満足し、さらにこれを追及することをしなかった。

Ⅲ H宅に爆弾を預けにきた人物H宅に爆弾を預けにきた人物について、Hの員面調書では、当初原告Dと同Cが来たとされ、次に原告Cと同Bははっきりしないが、原告D一人のような気がするとなしくずしに変更されている。しかし、久保検察官はHの記憶の明確化に努めるどころか、「預けにきたのはDだけであったように思いますが、Cもいたかもしれません。DはBの車に乗ってきたように思います」と一層曖昧な供述にまとめ、今後の如何なるストーリーの変化にも対応できるようにした。

Ⅳ Hが総監公舎事件をテレビのニュースで知った経緯 Hが総監公舎事件を八月七日にテレビのニュースで知った経緯についても、員面調書では、昼から午後五時までのニュースで見たとされていたものが、一二月二三日付け検面調書では、朝か昼かにニュースを見て知ったと変更されている。この点のやりとりを通じて、久保検察官は、犯人であれば重大な関心をもって見たはずのニュースの時刻についてHの記憶がはっきりしないこと、警察官が犯人の顔を目撃し車のナンバーが手配されたことが報道されながら、Hが八月六日夜のアリバイをはっきりさせておこうという努力もしていないことを知り、H自白に対する根本的な疑問が生じたはずである。しかし、久保検察官は右疑問を解明しようともせず、問題点を無視した。

(4) 原告Eに対する取調べ

原告Eが上京した理由に関する員面供述に不自然な点があることは、前記5(八)(2)⑩のとおりである。被告Fは、右員面調書の記載が供述の虚構性を露呈するものであることを認識しながら、これを追及することをせず、検面調書上では省略することにより、問題点を糊塗しようとした。

(5) 否認主張をする原告Dに対する取調べの懈怠

検察官らは、否認・黙秘を続けている原告Aについては、一度取調べを行い、アリバイ主張の機会を与えた体裁を整えたものの、総監公舎事件の中心人物とされている原告Dについては、爆取逮捕後の弁録以外、一度も取調べを行わなかった。

(三) 参考人取調べの違法

(1) 供述内容が事前に把握されている者のみに対する取調べ

被告F及び久保検察官は、総監公舎事件の参考人に対する取調べを行ったが、供述内容を事前に把握している参考人のみを取り調べ、供述内容を警察が事前に把握していない者は決して取り調べようとしなかった。検察官に自白を裏付ける意図がなかったことは明白である。検察官が取調べを回避した参考人は、四六八〇車購入経緯に関する高瀬泰司や井村哲郎、アリバイ証人であるOやP、四六八〇車で表参道まで送ったとされるT及び小川了、フォークジャンボリー行きのバスをチャーターした音楽舎の担当者である松本和子など多数にのぼる。

(2) 被疑者取調べに先立つ参考人取調べ

検察官による取調べは、犯行経過の自白に直接関わる参考人を一二月二〇日及び二一日の両日取り調べたうえ、翌二二日から本格的に被疑者取調べを行ったという時間的順序になっている。すなわち、被疑者の自白を得たうえで、参考人を取り調べて自白をチェックしたのではなく、参考人を取り調べたうえで被疑者調書を作成したのである。検察官に真相究明の意図がなかったことは明白である。

(3) 参考人供述の歪曲等

① 杉本洋子

久保検察官は一二月二〇日、杉本洋子を取り調べ、被疑者六人を面通しさせている。しかし、右取調べが行われたのは、原告らの逮捕が爆弾犯人として顔写真入りで大々的に報道され、杉本の目撃が関係する曙橋での車の乗り換え等も報じられた後であり、しかも、土田邸爆破事件の発生により爆弾犯人が社会の敵であることが力説されている時期であったのであるから、検察官が何の配慮も示さず、被疑者のみを一人ずつ見せたこと自体問題である。

また、杉本の後の公判廷供述によれば、同人が、背の高い方の男の特徴として、髪が短かったこと及び髭がなかったことを明確に記憶していることが認められるが、久保検察官は杉本にこの点を確認しながら、原告Aと明らかに矛盾する右特徴を、調書から敢えて省略した。

さらに、右検面調書では、面通しの後杉本が「なにしろ四か月以上経っているので、私の印象がうすれていますからはっきり覚えておらず、だれを見てもこの人だと断言することはできません」と述べたとされているが、杉本が目撃の数時間後に原告A及び同Bの面通しをし明確にこれを否定した事実は、調書上伏せられている。検察官が、四か月以上前に作成された杉本員面調書を隠蔽し、記憶の曖昧さを強調した右検面調書と差し替えることを目的として、右検面調書を作成したことは明白である。

② 関昭夫

犯人の人相に関する関供述が、八月七日付け員面調書では、「頭髪を短く刈った丸顔」だったのに対し、八月一〇日付け被告G作成の員面調書では断定を避ける形に変遷していることは前記2(一)(1)①のとおりである。この傾向は、被告Fが作成した一二月二一日付け検面調書ではさらに露骨であり、右検面調書では犯人の人相・髪型について一切触れられていない。そして、検察官は、関が人相や髪型を把握しなかった理由や八月七日に「丸顔・短髪」と供述した理由について何ら質問を発していない。検察官が、原告Cの特徴と矛盾する関供述の記載を故意に省略したことは明らかである。

③ 大木健治

大木健治は、遺留された四六八〇車を発見した加藤顕からの連絡を受けて、原告B宅に電話をした警察官である。原告Bが帰宅した時刻を客観的に証明する記録は、刑事審法廷及び本法廷を通じて提出されていないが、不審車両の所有者宅に電話をかけている最中、その本人が帰宅したというのに、大木が時計で時刻を確認しないわけがない。当然その客観的記録は確保されているはずであり、しかも原告Bの帰宅時刻に関して、本件犯行と矛盾する時刻を記録している蓋然性が高い。大木の一二月二八日付け検面調書は、不自然・不合理な点が多々あるが、それらは全て原告B宅への電話を遅らせる方向のものであり、検察官が右客観的資料を隠匿し、これに差し替えるため、虚偽を内容とする大木検面調書を作成したことは明白である。

④ 江里重之

江里は、双葉自動車の従業員であり、四六八〇車の販売を担当した者であるが、当然、総監公舎事件直後の時期に、警察から事情聴取を受けているはずである。そして、原告Bの供述中に、江里供述と合わせる形の供述変更があることは、前記5(八)(4)⑤のとおりであり、検面調書の作成は、原告Bの自白の右供述変更が江里供述に会わせたものではないとの体裁を整え、江里の八月段階の供述をないものとすることが理由であったと考えられる。

(四) 公訴提起の違法

総監公舎事件の起訴を可能にしたものは、原告B、同C及びHの自白のみであったが、被告Fは、自白に前記5(八)のとおりの問題点があり、かつ、以下のとおり自白を裏付ける客観的証拠や秘密の暴露が何ら存在せず、有罪判決が得られる見込みが存在しないにもかかわらず、敢えて問題点を看過し、従来の予定に基づいて公訴を提起した。

(1) 秘密の暴露の不存在

本件自白では、犯人でなければ知り得ない秘密の暴露が全くない。一見それらしく見える原告C供述における阿佐ケ谷付近の交通事故は、捜査側が予め把握していた事実であり、しかも不自然・不合理で取調官の誘導が明らかである。

(2) 自白を裏付ける客観的証拠の不存在

被告国は、各参考人の供述によって、原告Cらの自白が裏付けられたと主張するようであるが、各参考人の供述が裏付証拠たり得ないことは以下のとおりである。

① 杉本洋子供述

杉本は、総監公舎事件発生直後に、麹町警察署で原告A及び同Bの面通しを行い、前記2(二)(1)のとおり、原告Aに対しては明確に否定し、原告Bについても事実上否定している。また、一二月二〇日には久保検察官が杉本を取り調べ、被疑者六名の面通しを行っているが、背の高い男に該当する人はいない旨供述している。杉本供述が原告C自白を裏付けるものでないことは明白である。

② 高橋腎蔵供述

原告C自白によれば、高橋が目撃したコロナの乗員は、原告A運転、原告D助手席、原告C客席となるはずである。しかし、高橋は一貫して、原告Cを運転手に似ていると供述している。また、ウインドを隠すような仕草をしていた人間は、原告C供述でも高橋供述でも後部座席に乗っていた人物とされているが、原告C供述によればそれは自分であり、高橋供述によれば原告C以外の人物ということになる。以上のとおり、高橋供述が、原告C自白を裏付けるものでないことは明白である。

③ 東郷隆興供述

東郷供述によれば、フォークジャンボリー行きのバスが出発した時刻は午前一時二〇分とされているが、原告C供述でその時刻を午前一時三〇分よりも前とする供述はない。午前一時二〇分よりも早く表参道を出たのでは、総監公舎に午前一時半ころ着いてしまい、客観的な犯行時刻まで時間が大幅に余ってしまうことになる。また、東郷はコロナらしき車が停車してから発車するまで視界に入れていたというにもかかわらず、原告C自白のように、その車から二人の男が降りてバスに乗ったとは述べていない。東郷供述が、原告C自白を裏付けるものでないことは明白である。

(五) アリバイ潰し

Pは、総監公舎事件当夜の原告C、同B及び同Dのアリバイを裏付ける証人であるが、検察官は、アリバイ潰しを図るため、別件の詐欺事件を掘り起こして、Pを逮捕・勾留し、再三に渡って総監公舎事件に関する取調べを行った。

(六) 爆取起訴後の取調べの違法

(1) 原告Cに対する取調べ

被告Fは、公判開始を目前に控えた昭和四七年二月四日、原告Cを取調べ、検面調書を作成している。しかし、右検面調書は内容的に何ら新味はなく、被告Fが自白の撤回を防ぐための説得ないし牽制を行うために、右取調べを行ったことは明白である。

(2) 原告Eに対する取調べ

被告Fは、昭和四七年一〇月二〇日及び二二日に原告Eを取り調べ、爆取違反の被疑者検面調書を作成している。被告Fが、爆取被疑事実に関係のない取調べをことさらに爆取違反罪名で行った理由は、爆取起訴の可能性は今後もあるのだと恫喝し、自白の撤回を防ぐための牽制を行うためであったことが明白である。

(3) Hに対する取調べ

被告Fは、昭和四七年一月二四日にHを取り調べ、検面調書を作成している。しかし、右検面調書も意味の乏しいものであって、被告Fが自白撤回を牽制する意図で取調べを行ったことは明白である。

(七) 原告らの移監時期の遅れと代用監獄の活用

(1) 原告B、同A、同E、同D及びH

原告らは爆取起訴後も引き続き警視庁の代用監獄に置かれ、拘置所への移監は正当な理由なく遅らされた。東京拘置所への移監が実現した時期は、原告Bが昭和四七年一月二五日、原告Aが同月二六日、Hが同年二月一六日、原告Eが同年三月五日、原告Dが同月七日である。検察官は、代用監獄に留め置くことによって、虚偽自白の撤回を防ぎ、公判を検察官の有利に導くことを企図して、拘置所への移監を遅らせたのである。

(2) 原告C

なかでも、検察官は、自白維持のための環境保持を目的として、原告Cの拘置所への移監手続をサボタージュし、爆取起訴後も麹町警察署の代用監獄に留め置いて、被告Gの直接的監視下においた。原告Cは自己の分離公判第一審で自白を維持する立場からの供述を行った後、昭和四七年三月八日にようやく保釈された。

7  犯人蔵匿事件における検察官の職務執行の違法

検察官は、証拠を公正に評価すれば原告Aを犯人蔵匿罪に問うことは、根本的に無理であったにもかかわらず、総監公舎事件の公判を側面からバックアップし原告らを同事件の犯人と見せかけるために、原告Aを差別的に起訴した。

(一) 有罪判決を得る見込みのない公訴提起の違法

検察官は、原告Aを犯人蔵匿罪に問うことは根本的に無理であったのに、証拠を冷静に客観的に見ることも放棄し、Kらの原告A宅への一方的な立ち寄り・宿泊の事実を利用して、同原告を陥れるため、同原告を犯人蔵匿罪で起訴した。

(1) 原告Aが、宿泊した者が「罰金以上の刑に該る罪を犯したる者」であることを認識していなかったこと

① 客観的事実

昭和四六年六月二五日、原告A宅を訪れたK、J、M、Lはいずれも原告Aとは初対面であり、京浜安保共闘の関係者という以上に、指名・身分・組織内の地位などを明らかにすることは避け、指名手配を受けている者らは変装をしていた。

② Mの供述

Mは、原告AがJ・Kを認識していたはずだと思う旨供述しているが、その前提としてLが事前に原告Aに会い、何らかの交渉の結果、J・K・Mの訪問になったと思いこんでいた事実がある。Mがこのような先入観に基づいて右供述をしていることは、L供述とM供述を併せ検討するうえで、軽視されてはならない事実であったはずである。

また、Mは昭和四七年七月一一日付け検面調書において、原告Aとの会話で週刊誌の話題が出たこと、Kが色々な週刊誌が自分のことを中傷して記事にしているのに腹が立つと言ったこと、原告Aはこれに対して黙っていたこと等を供述している。しかし、当時Kを取り上げた週刊誌とは、講談社発行の「週刊現代」及び「ヤングレディ」であるところ、講談社で週刊現代の編集に関わっている原告Aが、Kから右のような話を向けられて、何一つ語らないなどということはありえず、右供述は極めて不自然である。Mが、明確な記憶のないまま供述を押しつけられたこと、少なくとも検察官がそのような供述の方向付けをしたことは調書の記載から明らかである。

さらに、Mは銃砲刀剣類所持等取締法違反・火取違反被疑事件で逮捕された者であるが、同人は右事件で起訴を免れている。Mに対する取調べは、結局、同人に対する起訴の免除と引き替えにKらの宿泊先等を述べさせる、あるいは捜査側の意図を満たすことによって初めて訴追を免れ得ることを示唆するという露骨に利益誘導的なものであったと見るほかない。

③ Lの供述

Lは、昭和四七年七月一八日付け検面調書において、原告AがL・J・Kを認識していたことを窺わせる言動等がいずれの側にも介在しなかったことを述べ、当時の彼らの組織では、第三者に指名手配者であることを感知させないことを重視していたことを強調している。また、Lは朝日ジャーナル以外の週刊誌の話題は知らないと供述し、これを前提として原告AがKらを認識していたはずであるとしているM供述と対立している。

(2) 原告AがJ・Kを宿泊させたことが、刑法第一〇三条にいう「蔵匿」行為にあたらないこと

① Kらの当時の活動状況

昭和四六年六月ころ、Kらは山岳アジトを根拠地とする方針を実行に移し、奥多摩山中(小袖)に安全なアジトを構えていた。したがって、六月下旬当時、Kらは匿ってもらうために都内に出向いたのではなく、各人は原告A訪問以外にそれぞれの用件があった。

② 原告A宅の客観的状況

当時の原告A宅は、マンション一階で、一DKの部屋はベランダ越しに幅員八メートルの公道に面し、ベランダの外側は高さ1.48メートルの低いブロック塀を隔てた幅員1.6メートルのガードレールを施された歩道である。冷房がないため、ベランダに出る引き戸を開放しており、就寝時までは歩道を通行する者から内部が見え、音声が漏れる状態であった。また、ベランダの反対側にある玄関ドアを開けても室内は丸見えとなるが、Kら在宅中に玄関に施錠はしていない。以上のように、原告A宅は、官憲に追われるものを匿うような前提条件をそもそも備えていないものであった。

③ Kらが原告A宅に宿泊した経緯

原告Aには、Kらを匿うべき理由、動機がない。四月に同じ組織の者ら三名を宿泊させた際も一、二泊で退去を求めているし、六月二五日の宿泊以後、Kらとの接触が続いた事実は全くない。また、六月二〇日ころ、原告A宅を訪れたLは、原告Aが旅行中で会えず、後日再訪する旨をA1に伝えたが、Kらが訪れることはその後になって決まった。したがって、同月二五日、四名で来ることは原告A側にとっては、全く唐突なことであるとともに、宿泊の依頼も事前には何らなされていないことも明らかである。同原告宅を訪問したKらにいかなる意図・期待があったにせよ、その意図が満たされる条件のないことは、同原告との面談後直ちに明らかとなり、何らかの援助を要請するような話にもならなかった。その晩、三名が原告A宅に一泊したのは、同原告の帰宅時間から時間的に夜遅くなったという成り行きによるもので、Kらが宿泊を依頼したのも同原告帰宅後数時間たってからのことである。Lは同日中に、また、他の三名も再訪などを約することなく、翌朝早々に退去している。

(二) 公訴権の濫用

連合赤軍事件後、逮捕された構成員らの供述によって、真岡事件後の指名手配者らの行動は詳細に把握され、その過程で彼らとさまざまな関わり合いをもち、犯人蔵匿・隠秘の嫌疑の対象となった者はおびただしい数にのぼる。しかし、そのなかで検察官によって公判請求にまで持ち込まれた者は例外的にしかいない。検察官は、総監公舎事件刑事審で公判開始早々から検察側立証が次々に破綻するなど窮地に追い込まれるなか、これを側面からバックアップし、原告らを総監公舎事件の犯人と見せかけるために本件を利用し、原告Aを差別的に犯人蔵匿罪で起訴したものである。

8  公判追行上の違法

(一) 証拠の隠匿

検察官は、原告らに有利な証拠を隠匿・隠滅し、あるいはその提出を刑事審の最終局面まで引き延ばした。検察官が隠匿した証拠は、留置人出入簿、総監公舎事件当日の関昭夫作成の報告書、坂内正和の員面調書、警察犬の臭気検査結果、杉本洋子の八月七日付け員面調書、八月六日夜に関する原告C宅周辺の聞き込み捜査結果、中沢教輔及び羽永夫妻の供述調書、辻塚智子の検面調書やカルテの写しなど多数にのぼる。とりわけ、検察官には火取調書の開示を拒否し続け、裁判所の強力な勧告の末、開示されるに至った。右行為は、検察官の職務に課せられた真実追求に対する義務に違反するものであって、違法行為以外の何ものでもない。

(二) 弁護人側証人に対する威迫等

検察官は、弁護人側証人となった井村哲郎、山瀬一裕、森川憲一、辻塚智子、大森康夫、Nとその郷里の両親、B1と近隣在住者及び広範な取引先等々に対し、偽証罪をちらつかせながら証言の変更を迫ったり、嫌がらせや、営業妨害を行った。

(三) 公判引き延ばし

検察官は、自らの請求した証拠が破綻すると、いたずらに意味のない証拠を羅列して追加請求を繰り返し、公判の引き延ばしを画策した。

9  被告F及び同Gの故意による違法な職務執行

被告Fは、窃盗事件及び総監公舎事件につき公訴提起を行った者であるが、同被告は前記の被告Gら警察官の違法な捜査活動を黙認するのみか、時には慫慂し、予断と偏見をもって証拠を恣意的に選択し、また評価して原告らを起訴するとともに、原告らの無罪証拠の隠匿・湮滅をも行った。被告Fは、故意により検察官としての職務権限を濫用したものである。

被告Gは、窃盗事件及び総監公舎事件の捜査主任官として右事件の捜査にあたった者であるが、捜査の端緒をなす窃盗事件による原告A及び同Cの逮捕状請求に際し、その疎明資料たる目撃者供述を歪曲する供述調書を作成して偽りの証拠を作出し、虚構の事実による逮捕を実現するとともに、原告らの身柄確保後は、自白獲得のため自ら陣頭に立って、脅迫、欺罔など違法な取調べを行った。そして、総監公舎事件逮捕状請求にあたっても、原告C及び同Bに対して窃盗事件起訴後の違法な強制取調べを指揮するとともに、総監公舎事件が火取違反の軽微な事件にすぎないとの説得を繰り返し、虚偽自白獲得を実現するなど、警察官として到底許されざる職権濫用を故意に行った。

10  損害

(一) 原告Aの損害

(1) 逸失利益

原告Aが本件窃盗事件逮捕当時フリーのジャーナリストであったが、逮捕起訴時にマスコミ報道によって爆弾犯人と大々的に報じられたことによって、講談社等との契約関係は消滅し、保釈後も刑事被告人との立場のために仕事先がほとんど得られない状態が続いた。また、原告Aの公判の出廷は二二二回に及び、自己の無実を明らかにするための公判活動及び公判準備は多大な労力と時間を必要とした。このため、原告Aは定期的な仕事を引き受けることも出来ず、自己の生活を犠牲にせざるを得なかった。

原告Aの収入は、本件窃盗事件逮捕前には出版印刷産業の男子平均を上回っており、かつ刑事裁判終結・無罪確定後にも出版印刷産業男子平均を上回っているから、同原告が本件不法行為によって失った利益は、出版印刷産業男子労働者の平均収入から実際に得た収入の差額を下回らない。よって、同原告の逸失利益は別紙逸失利益計算書一記載のとおりであり、その総額は二二三〇万六〇〇〇円(一〇〇〇円未満切り捨て。以下同じ)である。

(2) 精神的損害について

原告Aは、本件不法行為によって平和な生活を破壊され、無実の事件で犯人にされ、爆弾犯人として大々的に報道され、人格と名誉を傷つけられるとともに、社会的地位は失墜した。また、逮捕勾留中に行われた違法な取調べにより、深甚な精神的苦痛を受けた。連日警察通いをし、接見を拒否されるなどの嫌がらせを受けた妻は昭和四七年一月体調を崩して流産した。また捜査側は否認・黙秘を続ける原告Aに対する嫌がらせとして妻をKらの犯人蔵匿罪容疑で逮捕した。原告Aが保釈された後、同原告と妻は離婚した。本件不法行為によって同原告が受けた精神的損害を慰謝する金額は四二〇〇万円を下らない。

(二) 原告Bの損害

(1) 逸失利益

原告Bは昭和四五年四月以降今日に至るまで、自営業であるプラスティック再生着色加工業「××樹脂加工所」を営んでいる。昭和四五年四月、同原告の父B1が多額の借金を負い家業が倒産の危機に瀕したため、同原告が借金の返済と家業再建のため、代表者としてこれに従事したものである。昭和四六年一一月に本件で逮捕された当時は、借金返済と再建がようやく軌道に乗り始めた時期であったが、同原告が逮捕され、爆弾犯人として大々的に報道されたことにより、回復した信用は失われ、再建計画は一気に覆されてしまった。また、中心的労働力であった同原告が奪い去られたことにより、必然的に生産は低下し、収入は激減した。同原告の拘禁が昭和四八年六月まで続いた結果、家業再建は回復不能の打撃を受け、同原告は家族とともに甚大な損害を被った。また、同原告の公判の出廷は二〇二回に及び、自己の無実を明らかにするための公判活動及び公判準備は多大な労力と時間を必要とした。このため、家業は頻繁に休業を余儀なくされた。

原告Bの逸失利益は、少なくとも労働省統計による各年の調査産業計の男子常用労働者の平均月間現金給与額に対し、身柄拘束中はその全額、保釈後無罪判決を得るまでの期間については、その二分の一に相当する額を下らない。よって、同原告の逸失利益は別紙逸失利益計算書二記載のとおりその総額は一七二六万五〇〇〇円であり、右金額から支払済みの刑事補償金三四六万二〇〇〇円を控除した金一三八〇万三〇〇〇円が同原告の損害額である。

(2) 精神的損害

原告Bは、自ら何ら関与しない意図不明の爆弾事件の犯人とされ、あるいはポンコツ車の自動車泥棒とされたことにより、人格と名誉は耐え難いまでに損なわれ、社会的信用は失墜した。また、逮捕・勾留時には、捜査官が否認する同原告に対し、両親の逮捕を脅迫するなど、卑劣な圧力を加えて虚偽自白を強要した。同原告は虚偽自白を受け入れたことによって、終生消えぬ傷を負った。同原告は、取調べ中に慢性虫垂炎に罹患し、しばしば腹痛に悩まされていたが、捜査官はその訴えを無視し続けた。昭和四七年一月二四日、捜査官はようやく同原告を警察病院で受診させたが、既に危険状態であったにもかかわらず、数時間後にやっと東京拘置所内の病棟で手術を受けることができた。その時、患部は破裂寸前だった。刑事審公判で、弁護側証人が、原告Bのアリバイに関連する証言を行うと、検察官は同原告宅の近隣の住居者、取引先等に対し非常識で執拗な事情聴取を行い、アリバイ潰しを図った。本件不法行為によって同原告が受けた精神的損害を慰謝する金額は三二〇〇万円を下らない。

(三) 原告Cの損害

(1) 逸失利益

原告Cは、本件窃盗事件逮捕当時、アルバイト等により収入を得て生計を立てていたが、本件によって長期の身柄拘束を受け、さらに爆弾犯人の烙印を押されたことによって、就職の機会を奪われた。また、昭和四八年一一月に保釈後も、公判への出廷及び準備活動などに時間をとられ、爆弾犯人の肩書きのもとで一般会社への就職はままならなかった。親戚の紹介で株式会社○○のパートタイマーとして仮の職を得ることができたが、裁判の日に休むことを条件に低賃金での労働を余儀なくされた。昭和五〇年、原告Dとともに有限会社△△を設立したが、裁判関係に要する時間には多大なものがあり、経営を軌道に乗せるには、それが大きな障害となった。

原告Cの逸失利益は、少なくとも労働省統計による各年の調査産業計の男子常用労働者の平均月間現金給与額に対し、身柄拘束中はその全額、保釈後ほぼそれに近い収入を得られることが可能になった時期までは、その二分の一に相当する額を下らない。よって、同原告の逸失利益は別紙逸失利益計算書三記載のとおり、その総額は八四一万五〇〇〇円であり、右金額から支払済みの刑事補償金三八九万四〇〇〇円を控除した金四五二万一〇〇〇円が同原告の損害額である。

(2) 精神的損害

原告Cは、昭和四六年当時現在の妻と同居を開始、翌四七年春に挙式を予定していたが、同原告の逮捕・勾留により右計画は水泡に帰した。内妻は日本大学駿河台病院の看護婦として働いていたが、原告Cの逮捕とそれに続く捜査官による勤務先への再三の聞き込み等によって、右病院を解雇された。それに伴う経済的逼迫と、同原告が虚偽自白をしたこと、差入れ・接見等のために警察に日参するなかで捜査官から数々の嫌がらせを受けたことによって、精神的動揺も来たし、両人の関係は危殆に瀕した。このことは捜査官に翻弄され、自らを失い、孤立感の極にあった同原告にとって深刻な打撃となった。また、同原告は、原告Aとともに最初に逮捕され、何の情報も得られないまま余りに唐突で奇怪な容疑をかけられ、捜査官に恫喝を繰り返されるなかで、精神的混乱に陥り自己喪失の状態にさせられたうえ、虚偽自白を強いられた。その過程で、原告Cは記憶に自信を失いそれを補完する意図で友人を引き合いに出し、結局は彼らが逮捕される根拠を作り出してしまった。この事実は、同原告に脳裏から離れえぬ傷を残した。同原告の受けた精神的損害を慰謝する金額は三二〇〇万円を下らない。

(四) 原告Dの損害

(1) 逸失利益

原告Dは、本件逮捕当時アルバイトによって生計を立てていたが、本件不法行為によって、就職の機会を奪われ、生活を建て直すには長い年月を必要とした。捜査段階のマスコミ報道では、爆弾事件の張本人扱いされ、保釈後も容易に働き口を見つけられない状態が続いた。昭和五〇年、原告Cと前記会社を設立したのも、一般企業等の就職が不可能であることを思い知らされたためである。原告Dの逸失利益の算定方法は、原告Cと同様である。その総額は、別紙逸失利益計算書四記載のとおり、八〇一万三〇〇〇円であり、右金額から支払済みの刑事補償金三四二万六〇〇〇円を控除した四五八万七〇〇〇円が原告Dの損害である。

(2) 精神的損害

原告Dが本件不法行為によって受けた精神的損害は、他の原告と同様である。原告Dは逮捕当時、心臓疾患など健康を害していたため連日長時間の取調べは、非常に大きな苦痛を同原告に与えることを意味した。捜査当局は、同原告がいわゆる朝霞自衛官殺しにも関係しているなど、起訴事実にはもちろん含まれず、何の証拠資料もない犯罪容疑まで存在するかのような虚偽情報を新聞記者等にリークし、マスコミの虚偽報道を誘発させるなどして同原告の名誉を著しく傷つけた。同原告が受けた精神的損害を慰謝する金額は三二〇〇万円を下らない。

(五) 原告Eの損害

(1) 逸失利益

原告Eは、日本大学除籍後、アルバイト等により生活していたが、逮捕当時は映画照明の仕事が定期的に入り始め、独身者が生活するうえでは困らない程度の収入が得られる状態であった。原告Eは総監公舎事件での起訴を免れたが、本件公訴事実たる虚構の構成上、総監公舎事件と窃盗事件とは、不可分一体のものとされたため、当初他の原告とは別個に開始された原告Eに対する公判は、間もなく、無罪を争う限り統一公判に併合せざるを得ないことが明らかになった。したがって、同原告は保釈時期こそ早かったものの、実質的には総監公舎事件被告人らと同等の苦難を背負い、無罪獲得には一一年の年月を要することとなった。保釈後同原告は就職したが、公判への出廷、その準備活動等に多くの時間を費やさざるを得ず、それが原因となって転々と仕事先を変えなければならなかった。その結果、裁判の全期間を通じて、不安定で、しばしば最低の生活も維持しえない収入しか得られなかった。同原告の逸失利益の算定方法は、原告Bと同様である。その総額は別紙逸失利益計算書五記載のとおり一六三八万三〇〇〇円であり、右金額から支払済みの刑事補償金九八万四〇〇〇円を控除した金一五三九万九〇〇〇円が同原告の損害である。

(2) 精神的損害

原告Eは、窃盗事件のみで起訴されたとはいえ、敢えて総監公舎事件で逮捕され、爆弾犯人として一様に世間に紹介されたのであり、実質的にも他の原告らと同様、一一年余の間裁判を基本とする生活を余儀なくされた。違法な取調べ過程で受けた苦痛等も、いうまでもなく同等のものがあった。原告Eは、昭和四八年一二月亡妻E1と結婚し、少なくとも精神的な充実感を得たが、経済的にも、時間的にも余りに状況は厳しく、過酷な状態が続くなかで、同原告の逮捕三年目を控えた翌四九年一一月二四日、E1は「弾圧を夫と共有しきれない」もどかしさを遺書に残して自死してしまった。同原告の受けた打撃は、文字通り計り知れないものがあった。同原告が本件不法行為により被った精神的損害を慰謝する金額は三二〇〇万円を下らない。

(六) 弁護士費用

原告らは、本件訴訟追行のため弁護士伊藤まゆ他四名に対し、訴額に対し一〇分の一に相当する二三〇六万円を支払うことを契約した。これは、被告らの不法行為によって被った原告らの損害及び失った社会的地位と名誉を回復するために、必要欠くべからざる出費であるから、被告らは右金額を支払う義務がある。この金額は、原告各自に各四六一万二〇〇〇円を按分した。

11  結論

よって、原告らは、被告国及び被告東京都に対しては国家賠償法一条に基づき、原告ら各自の右損害から精神的損害二〇〇万円及び弁護士費用二〇万円を控除した金額を連帯して支払うよう求め、被告F及び被告Gに対しては民法七〇九条に基づき、原告ら各自の右損害のうち精神的損害一〇〇万円及び弁護士費用一〇万円をそれぞれ支払うよう求める。

三  被告東京都及び同Gの主張

1  総監公舎事件における初期捜査の違法について

(一) 証拠の歪曲・捏造について

(1) 関昭夫の供述と被告Gの誘導について

① 犯人及び逃走車の特徴に関する関供述

犯人の特徴に関する関供述は、確かに八月七日付け員面調書と八月一〇日付け員面調書との間に若干の表現の相違があるが、一〇日付け調書は犯人の頭髪が短かったと断言することはできないという趣旨であって七日付け調書の供述を否定するものではないから、関の認識がありのまま表現されたものであると認められる。

逃走車の特徴についても、確かに発見現場での四六八〇車の関の見分結果と逃走車についての同人の認識の間には若干相違があったことが認められるが、逃走車両を追跡しながら後方から見た場合と、静止している車両の間近で多方向から見た印象が相違するのは当然である。そして事件当時と同じ条件で行った実験結果の後、関は「四六八〇」を「四九八〇」と見間違えうる点などにつき合理的理由を示して、四六八〇車が「一〇割のうち六割ないし六割五分似ている」と供述しているのだから、被告Gが関を誘導し強引に供述を引き出したとは到底認められない。また、被告Gが関に対して逃走車の特徴を詳細に確認することは当然であって、何ら非難されることではない。

② 犯人及び爆弾を発見した状況に関する関の供述

犯人との格闘状況についての関供述に何ら不自然・不合理な点はない。犯人が脱出した鉄扉の寸法であるが、伊関徳吾郎作成八月二八日付け実況見分調書における正門測定結果(幅19.5センチ、高さ五二センチ)は誤りであり、西海作成一二月二九日付け実況見分調書の正門測定結果(高さ六〇センチ)が正しい。関が当時寝起きの状態にあったことに照らせば、同人が無理な体勢で鉄扉から脱出する犯人を取り逃がしても何ら不自然ではなく、そのうえ関の右供述は小野寺健二供述と合致すること、格闘状況に関する関の供述は一貫していること等に照らせば、関の供述は十分信用できる。

また犯人及び爆弾を発見した状況に関する関の供述にも、何ら不自然・不合理な点はない。まず犯人を発見した位置であるが、関は現実には赤外線警報装置のチャイムを聞いてすぐ飛び起きたわけではなく、チャイムを聞いて覚醒し、不審者の侵入とは考えなかったものの外部を確認しようと判断してソファーから起きあがり、スリッパを履き、公舎の玄関ドアを開けたものであり、その間にある程度の時間を要したことは明らかである。この間に犯人が爆弾を設置し終えることは十分可能である。爆弾の設置は人の殺傷を企図したものであるから、犯人が点灯している勤務員室を目指したことも何ら不合理ではない。

(2) 小野寺健二供述と実験車のすり替えについて

小野寺に対する実験に用いた車は四六八〇車であって他の車両ではない。調書にナンバーを記載しなかったのは、小野寺は逃走車のナンバーを目撃しておらず、取調官の関心は同人が目撃した逃走車の塗色・型・排気音等の特徴にあったからである。また、右実験の時点までには新聞などで四六八〇車発見の事実とその特徴が広く報道されていたのであり、四六八〇車以外の実験車を使って小野寺の供述を誘導できるわけがない。

(3) 高橋腎蔵供述と被告Gの誘導について

① 四六八〇車に関する高橋腎蔵の供述

高橋は四六八〇車の写真が掲載された新聞を見て自ら一一〇番により四六八〇車に給油した旨を連絡した者であって、当初から同車に給油した事実を明確に認識していたものと認められる。また、高橋が関町給油所の営業方針として練馬ナンバーや多摩ナンバーの車に乗車している者に対し、店の得意客とするためにクレジットカードを渡していた関係から、四六八〇車についても多摩ナンバーであると記憶していたこと、同人が「四六八〇」のナンバーを「ヨーロッパ」と記憶していたこと、同車の後部トランクを開けて給油した際後部座席とトランクとの間のボール紙の破れを確認していることなどすれば、被告Gが高橋を誘導して四六八〇車に間違いないとの供述を引出したとの事実は到底認められない。また高橋及び同店主が、伝票の不存在に関連して捜査側と取引を行った可能性があるとの原告の主張は邪推に基づくものである。伝票に関して高橋らに弱みがあるのならば、同人らが自ら一一〇番通報することなどあり得ない。

② 人物特定に関する高橋供述

原告Cを特定した高橋供述の信用性は、同人が新宿で原告Cの面通しを行っていること、検察官による取調べの際透視鏡越しに原告Cを確認し、四六八〇車の運転手によく似ている旨述べたこと、刑事審法廷においても原告Cの人相着衣につき、警察段階における供述を維持していることから、十分に担保されている。

(二) 原告らの無罪証明につながる証拠の無視・隠匿について

(1) 杉本洋子供述について

捜査官が八月七日の時点で原告らの無罪証明につながる証拠を無視ないし軽視する捜査方針を確立していた事実はない。そもそも本件事件の捜査は八月七日から開始されたものであり、この時点では原告Bや同Aは捜査官にとっては単なる参考人だったのであり、捜査官が右原告らを犯人視していたものとは到底認められない。また杉本は、八月七日に原告Aおよび同Bに対する面通しを行ったが、目撃した二人連れと右原告らが同一人物であるとまでは供述しなかったものの、明確に否定することもなかったものである。したがって、右原告らに有利な杉本供述を無視ないし軽視したなどという事実はない。

(2) 四六八〇車の遺留品による臭気検査結果について

八月七日に麹町警察署で警察犬による臭気検査が行われたことは事実であるが、四六八〇車に遺留されていたタオル及びハンカチには油が付着していたため、結果は不明に終わり、右遣留品と原告A及び同Bとの結びつきは肯定も否定もされなかった。右タオル等に油が付着していることは実況見分調書添付の写真を見れば明らかであり、また、油が付着していても原臭物となる可能性があると認められる遺留品が発見されている場合は臭気検査を実施することが捜査の常道である。検査結果が開示されていないのは、結果が不明に終わり捜査書類を作成しなかったためである。

(3) 四六八〇車の遺留指紋採取結果について

遺留指紋については、そもそも、九日間毎日のように四六八〇車を使用していた原告Aの指紋が一個も検出されないこと自体不自然・不合理である。特にトランク付近からは多数の指紋が検出されているから、トランク付近の拭き取りはされなかったものと推定されるが、二度のパンクのためトランクを開閉したと主張する原告Aの指紋が全く検出されない事実は極めて不可解である。以上の事実に照らせば、犯人は逃走間際に拭き取ったものではなく、本件犯行前の準備段階において既に指紋の拭き取りを行い、犯行時には指紋が付かないように同車を使用していたと見るのが合理的である。そして、原告Aの指紋が一つも残されていない不自然さは、自分の触れた部分を承知している同原告が、本件犯行前に指紋の拭き取りをしたとみれば容易に氷解する。また、原告ら主張のとおり運転席外側ドア把手等からは不明者の指紋が検出されているが、右事実から原告Aが同車の最終使用者でないと断ずることは出来ず、むしろ右の不可解な事実と原告Aの虚偽供述からすれば、同車の最終使用者は原告Aとみるのが合理的である。

(4) 原告Aらが四六八〇車の最終使用者であることの不自然さについて

犯人が、自己の所有車を乗り捨てる際、車検証を持って逃走しないことは不自然なことではない。すなわち、本件犯人が四六八〇車を乗り捨てたのは関にナンバーを見られたと認識したからであると考えられるが、そうであれば車検証の有無にかかわらずいずれナンバーから所有者が判明し、所有者に捜査が及ぶだろうと考えるのは当然である。この場合、車検証を持って逃走すれば、車検証の名義人が犯人であるとの高度の推定を受けることになるが、逆にこれを遺留しておけば、真犯人であればそんな愚かなことをするはずがないとか本件車両は盗難にあったものであるとの主張が容易にいれられることになる。したがって、犯人が車検証を遺留しているからといって、原告らと本件犯行の結びつきを否定することはできない。

(5) 高橋腎蔵供述について

高橋が原告Aの存在を否定した事実はない。すなわち高橋は、四六八〇車に乗車していた原告C以外の人物について、身長、頭髪、服装などを供述しているが、人相については述べておらず、高橋の供述や法廷証言によれば原告C以外の人物の顔はあまり見ていないというのであるから、高橋の供述中に髭に触れた部分がないからといって、原告Aの存在を否定したことにはならない。

(三) 真実解明のための捜査活動の欠落について

(1) 四六八〇車の入手経路捜査について

捜査官が四六八〇車の入手経路を捜査しなかったのは、原告B以前の入手経路が本件犯行の解明のうえでさほど重要な意味を持たなかったからであって、真実解明を旨とする捜査を放棄していたとの主張はあたらない。すなわち、四六八〇車の所有者が原告Bであること、同車を原告Aが借り受けていたことは総監公舎事件発生当日に捜査官に判明していた事実であり、また原告Aは四六八〇車を盗まれた旨供述していたのであるから、四六八〇車の最終使用者は原告Aの供述が虚偽であるとすれば同原告ということになり、同原告の供述が真実であれば四六八〇車の窃盗犯人ということになるのである。

(2) 原告A供述に対する対応について

捜査官が原告Aの虚偽供述によって、同原告の総監公舎事件への関与を疑ったことは事実であるが、右虚偽供述によってこのような心証を抱いたとしても、それは以下に述べるとおり合理的理由に基づくものであり、非科学的・前近代的と非難される筋合いのものではない。

すなわち、四六八〇車は関の目撃車両との類似性、放置状態の不自然性から総監公舎事件の犯人逃走車両と認められたところ、原告Aは八月七日の時点で四六八〇車は新宿コマ劇場裏で盗まれた旨供述したので、捜査官は右供述の真偽を確認するための捜査を行った。原告Aの右供述については、右供述が真実であれば同車の窃盗犯人が同車の最終使用者であると推認されることになり、逆に右供述が虚偽であれば同原告に総監公舎事件発生当夜のアリバイがある等の特段の事情が認められない限り、同原告が四六八〇車の最終使用者すなわち総監公舎事件の犯人の一人であると考えられた。そして右捜査の結果、新宿コマ劇場裏の実況見分結果、中畑れい子からの事情聴取結果、コマ劇場裏の駐車状況に関する稲田忠由、若山弘利からの事情聴取結果に併せ、自らの落ち度により原告B所有の車を盗まれた旨供述しながら、警察に被害届を提出せず、原告Bにも何ら連絡せずに深夜まで遊興していたという原告Aの行動が極めて不自然であることから、同原告の供述を虚偽と認め、同原告が同車の最終使用者、すなわち総監公舎事件の犯人の一人ではないかと考えたのである。

捜査官は原告Aの虚偽供述に対し、積極的に釈明を求めていないが、同原告はいつでも捜査官に対し自らその弁解をすることが可能だったのであるから、弁解を述べる機会は十分あったといわざるをえない。また、捜査官が積極的に釈明を求めなかったのは、釈明を求めれば同原告による罪証隠滅の恐れが生じ、捜査に支障が生じることとなり、捜査の密行性に反することになるからである。また仮に捜査官が原告Aに釈明を求めて、同原告が刑事審と同様の弁解を述べたとしても、右弁解は不自然かつ不合理なものであるから同原告の嫌疑が薄れたとは考えられない。したがって、捜査官が真実究明を旨としない捜査活動を行っていた事実はない。

また、実況見分に関する原告らの主張は、西海が実況見分前にコマ劇場裏のガードレール移設状況について調査確認していたという推測に基づくものであるが、西海は実況見分後に新宿区役所土木部工事事務所の責任者に連絡をとり調査確認を行ったものであって、原告らの主張は前提において誤っている。

(3) 中畑れい子供述について

捜査官が原告Aの供述を虚偽であると認めたのは、前記(2)の理由によるものであって、中畑供述のみを根拠としたものではない。また、中畑供述は具体的に記憶の根拠まであげて、八月六日に原告Aが「蘭」に来ていないことを結論づけているものであって、右供述は十分信用できるものである。

2  窃盗事件における捜査の違法について

(一) 捜査官による証拠資料の捏造と捏造された証拠資料による原告C及び同Aに対する窃盗事件逮捕の違法について

(1) 窃盗事件捜査の端緒について

四三二三車窃盗事件の捜査の端緒については、以下のとおりであって何ら不自然な点はない。すなわち、四六八〇車の目撃者発見のための聞き込み捜査に従事していた北岡均らは、八月下旬頃、日本テレビ株式会社に赴き、同社社員が深夜タクシーを利用して帰宅することが多い旨を聞き込み、同社の記録により判明した総監公舎事件発生時間帯における同社への出入り車両のナンバーから、その運転者を捜査し、運転者から四六八〇車の目撃事実の有無などの事情聴取をする等の捜査活動を行った。そして北岡らが九月三日、文京区後楽一丁目三番五〇号に所在する日本交通株式会社後楽園営業所に赴き、同営業所次長中村徹郎に対し、四六八〇車の写真を示しながら聞き込みをしたところ、右中村から「私のところの車がこの車種と同じ盗難車と麹町管内で交通事故を起こし、盗難車の運転手らは逃げたが、なんでも二人とも若い男で学生風であったということを聞いている」との情報を得た。そこで北岡らが麹町警察署において、中村が述べた交通事故の有無について調査したところ、右交通事故が四三二三車を被害車両とする二重追突事故であり、四三二三車が盗難車であり、同車に乗車していた者が事故の現場から立ち去っているほか、深夜警視総監公舎付近で発生していることが判明した。そしてその後、北岡は二重追突事故の当事者である三好及び樋口に事情を聴取し、四三二三車に乗車していた男の二名のうち一名が髭を生やしていた旨を聞き込んだものである。

なお、原告らは四三二三車の乗員に髭があった話がどこからでてきたのかについて捜査官の供述が食い違っていると主張するが、右捜査に直接従事したのは北岡であるから、それ以外の捜査官が正確な説明が出来なかったからといって、捜査の端緒が不明瞭だなどを論難するのは失当である。

(2) 被告Gによる三好政仁及び樋口芳雄供述の誘導・捏造について

① 面割り方法の違法

三好は四三二三車を間に挟んだ二重追突事故の加害者に当たるものであるが、右事故は事故当日に既に物件事故扱いが確定していたものであるから、捜査官が三好の立場につけ込んで、供述を誘導したなどという事実はない。また、捜査官が三好及び樋口に示した写真の中で、髭を生やした人物の写真は原告Aのものだけであったが、公判廷において三好は目の感じが似ている点から同原告の写真を選んだ旨を、樋口は髭以外に鼻が高くて色が黒い点から同原告を選んだ旨を供述しているのであるから、右面割り方法が、三好らの記憶に基づかない供述を誤導する結果を招来したものではないといえる。

② 供述調書の捏造

被告Gが、三好及び樋口を誘導して、虚偽の供述調書を作成した事実はない。原告らは、右両名の公判廷供述をもって、員面調書の信用性を弾劾するようであるが、公判廷供述によっても員面調書の信用性は十分担保されており、原告らの主張は失当である。すなわち、三好は公判廷において、原告Aの写真面割り状況につき、当時は記憶があり断言できた状態であった旨を証言し、弁護人の反対尋問に対しも四三二三車の乗員として法廷内の原告Aを明確に指示している。また、三好は原告Cの写真面割り状況については、警察官が一旦立ち去りかけていたところ、三好の方から「もう一度見せて下さい」と申し出て、再度確認したうえ原告Cの写真を抽出した旨を証言しており、捜査官が誘導をしていないことは明白である。なお、一一月一〇日付け三好の検面調書も日時の経過に伴う若干の記憶の希薄化はあるものの、警察段階の供述の信用性を裏付けるものである。

また、樋口は原告Aの実物面割りについて、長髪で髭のあることから「まあ、良く似ているんじゃないかということは言った」と証言し、被告人席にいる白髪の原告Aを見て髪の毛が違うようだが似ているような気がする旨証言しているほか、原告Cの写真面割りにつき、事故の現場において背の低い人物の横顔や顔の輪郭を見た際の印象に基づき、警察官が示した一〇枚の写真の中から、原告Cの写真を抽出した旨証言しているところであって、右樋口の法廷証言によっても、同人の警察段階における供述の信用性は十分認められる。

(3) 捜査官による原告A及び同C住居付近住民の供述の捏造について

①幡ケ谷マンションの住民の供述

捜査官が、幡ケ谷マンションの住民である宮田幸一及び藤原美代子に対して、原告Aが四月末まで所有していたブルーバードとの混同を利用して供述を誘導したなどという事実は存在しない。すなわち宮田は「多分コロナかブルーバード」と供述しているのだから、捜査官が誘導していないことは明らかであるし、藤原は目撃車両の特徴を明確に述べたうえ、四三二三車と同型の車であると思うと述べているのだから、捜査官が誘導したとは到底認められない。

② 軽部清八の供述

被告Gの作成した供述調書の内容と軽部の公判廷供述の内容を比較すると、証言内容が後退していることが認められるが、だからといって被告Gが軽部を誘導して供述調書を作成したとはいえない。すなわち、軽部の公判廷供述を検討すると、同人は表現力が乏しく適切かつ明確な証言ができないために、尋問で追及されるとそれ以上難しい質問がされないように安易な返答をする傾向があることが認められる。このような軽部の供述態度に照らすと、同人が公判廷で証言を変えているからといって、被告Gが軽部の供述しない内容を供述調書に記載したとは認められないのであって、原告らの主張は失当である。

③ 小長谷アパート付近住民の供述

小長谷アパート付近住民のうち、高久絹代、幡野三男、森下寛、池上昌子、神農侑子はそれぞれ地刑二部の公判廷で証言を行っているが、右各人は公判廷において、自らの記憶に基づいて捜査官に対し供述したことを述べているのだから、捜査官が右住民らを誘導して記憶にない虚偽の供述をさせた事実はない。また、同アパート付近住民のうち小沢良徳は証人として出廷していないが、供述調書作成時、同人は六二歳の会社員で健全な社会常識を身につけた人物であること、被告Gが調書を読み聞かせたうえ署名押印を得ていることに照らせば、被告Gが小沢を誘導した事実がないことは明らかである。

(4) 被告Gによる虚偽の捜査報告書の作成について

被告Gが、原告A及び同Cの窃盗事件の嫌疑を濃厚に見せかけるため、総括的な捜査報告書に虚偽の記載をしたとの事実は存在しない。原告らの右主張は単なる憶測にすぎないうえ、三好政仁、樋口芳雄、幡ケ谷マンションや小長谷アパートの付近住民らの供述から、原告A及び同Cに対する犯罪の嫌疑は十分に認められるものであるから、その主張自体に理由がないことは明らかである。

(5) 違法な別件逮捕について

被告Gら捜査官が四三二三車窃盗事件で原告A及び同Cから自白を獲得できれば、総監公舎事件に関する自白も獲得する道も開けるとの予測のもとに、確実な証拠に基づくことなく、右窃盗事件で原告らを違法に別件逮捕した事実はない。

いわゆる別件逮捕が違法と評価されるのは、例えば別件の逮捕勾留が、専ら未だ証拠の揃っていない本件についての被疑者を取り調べる目的でなされ、証拠の揃っている別件の逮捕勾留に名を借り、別件については身柄拘束の理由と必要性がないのに、その身柄拘束を利用して、本件について取り調べるのと同様な効果を得ることを狙いとした場合など、憲法及び刑事訴訟法の定める令状主義を実質的に潜脱することとなるような場合である。これを本件窃盗事件の逮捕勾留について考えると、そもそも本件窃盗事件は、その事案自体、乗用車という個人財産の重大な侵害であり、また、深夜施錠された車を窃取するという極めて悪質な犯行であって、その罪質、犯行態様、被害額等からすれば、軽微な事件でないことは明らかであり、しかも、犯行が発覚した交通事故現場から複数の者が虚偽の事実を告げて逃走しているのであるから、右被疑者らにおいて逃亡し又は罪証隠滅行為を行う蓋然性が高く、身柄拘束の必要性のない事件であるとは到底言えない。また、捜査官は、窃盗事件の逮捕勾留中には専ら右窃盗事件について原告A及び同Cを取り調べていたものであって、余罪取調べの限界を超えて、総監公舎事件について右両名を取り調べた事実はない。したがって、窃盗事件の逮捕を違法な別件逮捕と評価することはできない。

(二) 原告Cに対する取調べの違法について

(1) 取調べの適法性判断基準について

憲法三八条一項は、自白の強要を禁止しているが、同条二項及び刑事訴訟法三一九条一項によれば、右自白の強要とは、拷問若しくは脅迫等の方法により、被疑者の自由な意思決定を抑圧する行為をいうものと解される。そして、刑事訴訟法一条は実体的真実の究明をその目的としているのだから、憲法三八条の趣旨に反しない限り、ある程度詳しく真実を追及する取調べが行われることは、法は当然に予定しており、かつ、これを許容しているものといわなければならない。したがって、警察官による取調べが国家賠償法上違法と評価されるのは、その取調べが社会通念上許容される限度を超え、しかも、そのことにより自白の任意性を保ちえない程度に達した場合に限られると解するべきである。

(2) 連日長時間の取調べについて

原告Cが逮捕された一一月六日から自白前日の同月二一日までの期間中、同原告が麹町警察署の留置場を出房したのは、概ね午前九時三〇分から午前一〇時までの間であり、帰房時刻は午後九時ないし午後一〇時である。とりわけ午後に出房した日が三日、午後七時以前に帰房した日が三日もあり、午後一一時を過ぎたのは僅か一日しかない。そして押送や食事に要する時間等を考慮すれば、同原告の取調べは一日一〇時間を超えたことは殆どなかったと認められる。そして、原告Cを取り調べた西海の公判廷証言によれば、西海らは取調べにおいて、原告Cの健康状態を気遣い、取調べの合間に休憩をはさむとか、取調べ前に体操をさせるなどの特段の配慮をしていたことが認められる。したがって、午後一〇時過ぎまで取り調べた日があるといっても、それは連日ではなく、原告Cは当時二〇歳代の健康に恵まれた頑健な青年であるから、右の程度の取調べ時間が違法性を帯びるほどの長時間の取調べということは到底言えない。

次に、原告Cが自白した一一月二二日には、同原告が出房してから帰房するまでの時間は約一五時間であるが、押送や食事・休憩などに合理的に要する時間を考慮すれば、実質的な取調べ時間は一二〜三時間と認められる。また、翌日の取調べ開始時刻は午後からであること、この日は原告Cが自白し捜査が急展開したという特殊な事情が存すること、原告Cの年齢や健康状態などを考慮すれば、右取調べ時間が違法性を帯びるほどの長時間ということはできない。

さらに、原告が自白した翌日から同原告が起訴された同月二七日までの間は、原告Cが出房したのは、いずれも午後からであり、押送に要する時間等を考慮すれば、同原告に対する取調べが一日一〇時間を超えたことは全くなかったものと認められる。また、一一月二五日には取調べは行われていない。

以上によれば、取調官らが原告Cに対し、違法性を帯びるほどの長時間取調べを行った事実はない。なお、原告らは、被告らが提出する留置人出入簿は偽造文書であると主張するが、右文書が真正文書であることは高刑一〇部判決が認めるところである。原告らは留置人出入簿の単純な記載ミス等を捉えて、その信用性を論難しているにすぎない。

(3) 自白の強制について

① 原告Cの供述が任意になされたものであること

原告らは、取調官が原告Cに対し自白を強制したと主張するが、そのような事実がないことは、原告Cの公判廷供述からも明らかである。すなわち、原告Cは地刑二八部の原告E分離公判において、弁護人から「無理な取調べや強制があったのですか」と質問されたのに対し、「特にそういうことはありませんでした」と明確に否定している。そして、原告Cの控訴後に開かれた地刑二部の統一公判や高刑一〇部の公判においてでさえ、ある程度厳しい取調べを受けた旨を抽象的に述べるにとどまり、取調官から脅迫されたり、偽計を受けたなど具体的事実は一言も供述していない。

また、原告Cは高刑一〇部の公判廷で、不利益供述をしたことについて、「本当は、自分に記憶がないのだけれど、何度も聞いているうちに、そんなことがあったかも知れない、というような気持ちになって来た」という弁解をしているが、右弁解はいかにも不自然・不合理であって、このような重要な点に到底看過できない不自然・不合理な供述がみられることは、原告Cが取調べ方法等について述べるところにも、虚偽・虚構が取り混ぜられ、誇張され、趣旨が曲げられて述べられていることを推認させる。加えて、西海の公判廷供述によれば、原告Cは自白後、最初盗もうという話はH方の勉強会の際に出たこと、盗む数日前に現場を下見したことなど、当時取調官が知る由もない事実を自発的に供述したり、引き当たりの際に道案内をし、犯行地点を具体的に指示しているのであり、取調官が偽計を用いたり供述を強制したという事情は全く窺うことができない。

② 原告Cの供述内容に関する原告らの主張に対する反論

原告らは原告Cの供述経過は、自発的に供述をした者のそれとしては不自然であると主張するが、右供述経過は、犯罪事実そのものの自白には至らないものの、否認をとおしきれなくなって、隠していた事実を徐々にあるいは婉曲に認めていった過程と合理的に理解できるものである。また、原告らは二重追突事故の当事者についての原告Cの一一月一九日付け供述と一二月一三日付け供述は両立せず、いずれも虚偽で強制されたものであると主張するが、原告Cは当初の虚偽供述について、「交通事故を認めると自分は下見に行ったのだから、即総監公舎の事件を追及されると思い、交通事故の際には別の者が乗っていたと供述」したと明快かつ合理的な理由を弁解しているのであり、原告Cの各供述に不自然な点はない。

(三) 原告Aに対する取調べの違法について

(1) 連日長時間の取調べについて

取調官が原告Aに対し、違法性を帯びるほどの長時間の取調べを連日行った事実はない。原告Aの留置人出入簿が刑事審において提出されなかったのは、一貫して否認ないし黙秘を続けた同原告については、そもそも供述の任意性、特信性、信用性を証すべき自白が存在しなかったからであり、都合の悪い記載があるから提出されなかったなどという原告らの主張は失当である。原告Aが連日長時間の取調べを受けていなかったことは、同原告の公判廷供述からも明らかである。

(2) 自白の強制について

多数警察官が一日中、原告Aに対して怒鳴りまくっていたという事実はない。原告Aは警察の取調べに対し、一貫して完全否認ないし黙秘を通しているのであって、自白を強制された事実は存在しない。また、この間作成された供述調書は全て否認調書であるから、原告Aに対する取調べが、社会通念上許容される限度を超え、しかもそのことにより、自白の任意性を保ち得ない程度に達していたといえないことは明白である。

(四) 原告B、同D、同E及びHの逮捕の違法について

(1) 被告Gの虚偽捜査報告書について

被告Gが原告Bの嫌疑の薄さを補うために、同原告の嫌疑をアピールする捜査報告書を捏造した事実はない。原告らの主張は、原告Bに本件窃盗事件の嫌疑が存在しないことを前提とするものであるが、原告Bの逮捕状請求時までに、原告Cは四三二三車ではないかと疑われる古いコロナに友人である原告Bが乗っているのを何回も見たことを供述しており、原告Cの右供述により、原告Bに「罪を犯したこと疑うに足りる相当な理由」があったことは十分認められていたというべきであるから、原告らの主張はその前提において失当である。

(2) 逮捕状請求書の虚偽記載について

原告D、同E及びHに対する逮捕状請求書において、原告D及び同Eについて「逃走中」、Hについて「逃走のおそれがある」という記載があることは認めるが、右記載は各被疑者に対する身辺調査の結果を記載したものであって、何ら虚偽記載ではない。すなわち、捜査官は、それぞれ詳細に被疑者の身辺調査を行ったが、まず原告Eについては、所在が不明であったうえ、無職であり住居も不明であった。原告Dに関しても所在が不明であり、同原告は無職であった。Hについては住居は判明していたものの留守がちであり、職業も不詳で居所がわからなかった。したがって右記載は虚偽ではない。

(3) 違法な別件逮捕について

別件逮捕が違法と評価される基準及び本件窃盗事件が軽微な事件ではなく身柄拘束が必要な事件であったことは前記(一)(5)のとおりである。また、原告Dに関しては、一二月一四日に窃盗事件で起訴されるまで総監公舎事件の取調べは全く行われておらず、原告E及び同Bについては起訴日の前日から、Hについては起訴日の二〜三日前から総監公舎事件の取調べを開始したにすぎないのであり、窃盗事件の逮捕が違法な別件逮捕と評価できないことは明らかである。

(五) 原告Bに対する取調べの違法について

(1) 連日長時間の取調べについて

原告Bの留置人出入簿によれば、同原告が出房したのはいずれも午前九時ないし一〇時ころから、一日約七〜八時間ないし長いときでも一〇〜一二時間であり、右時間から押送に要する時間、さらに取調べ開始前、終了後あるいはその途中における雑談、昼食、夕食、休憩等の時間を差し引くと、実質的な取調べ時間は一日一〇時間を超えたことはほとんどなかったものと認められ、しかも取調べは遅いときでも午後一〇時過ぎには終了している。とりわけ、一一月二八日には、取調べは行われていない。そして、右程度の取調べ時間は、本件のような共犯者多数の計画的犯行にかかる窃盗事件の取調べとして許容されないほど長時間といえないことは明らかである。

なお、一一月二六日の帰房時間は午前零時を過ぎているが、同日の取調べは午後八時半ころに終了したものの、同夜麹町警察署から赤坂警察署へ通じる道路上がデモで荒れたため、車両が通行できるような状況になく、交通が平静の状態に戻るまでの間、移動を見合せたことによるものである。

(2) 暴行・脅迫による自白の強制について

① 一一月二七日付け員面調書の作成過程について

取調官が右調書を一方的に作成して原告Bに署名指印を強要した事実はない。この点に関する原告Bの公判廷供述は、右調書の筆記者を小出とする点(調書末尾の記載によれば筆記者は福島である)、この日の取調べが深夜まで及んだとする点(留置人出入簿によれば当日の原告Bの帰房時間は午後五時一〇分である)において客観的事実と食い違い、到底信用することができない。

原告らは右調書の本文部分と追記部分は矛盾すると主張するが、小出は、原告Bの供述に基づいて右調書の本文部分を録取したものであり、その後、読み聞けの段階で同原告から、この調書が裁判所に行き、弁護士に知れるとまずいのでなかったことにしてくれという申出があったため、同原告の要求通り追記部分を記載したものである。

② 両親を逮捕すると脅迫したり、鉄パイプで殴られそうになったことについて

被告Gらが、原告Bに対し両親を逮捕すると脅迫したとの事実や、鉄パイプで同原告を殴ろうとしたとの事実はない。このような事実がなかったことは、公判廷における被告Gらの供述からも明らかである。

原告Bは公判廷において、被告Gらが両親を逮捕すると脅迫したと供述するが、右供述は以下の点により到底信用できない。第一に、原告Bは一一月二八日の取調べにおいて右脅迫を受けたと供述するが、留置人出入簿及び同日同原告に示された勾留状によれば、右同日取調べが行われていないことは明らかである。第二に原告Bの弁護人ですら、勾留理由開示でこれを主張していない。第三に原告Bが両親の逮捕を脅迫されて自白に至ったのであれば、同原告は勾留理由開示の法廷でも両親の身の安全を案じて自白を維持したはずであろうし、両親の身の安全より、真実を述べるべきであると考えて右法廷で犯行を否認したのであれば、その後再び自白に転じることもなかったはずであり、いずれにせよ原告Bの供述は不自然である。

また、原告Bは公判廷において、被告Gに鉄パイプで殴られそうになったと供述するが、警察署に鉄パイプなど存在しないのであるし、仮にこのような事実があったのならば、何はさておき勾留理由開示公判でこの点を訴えるべきであるのに、原告Bも弁護人も、この点に関する主張を一切行っていないのであって、同原告の公判廷供述は到底信用できない。

(六) 原告Dに対する取調べの違法について

(1) 連日長時間の取調べについて

取調官が原告Dに対し、違法性を帯びるほどの長時間の取調べを連日行った事実はない。原告Dの留置人出入簿が刑事審において提出されなかったのは、一貫して否認ないし黙秘を続けた同原告については、そもそも供述の任意性、特信性、信用性を証すべき自白が存在しなかったからであり、都合の悪い記載があるから提出されなかったなどという原告らの主張は失当である。原告Dが連日長時間の取調べを受けていなかったことは、同原告の公判廷供述からも明らかである。

(2) 健康状態の無視について

原告Dの歯科疾患については、「急性歯根膜炎、急性歯ずい炎」が主な症状であったが、右病名である左下の歯は八月三日の段階で抜歯を終了しており、逮捕時である一一月二三日においては同原告の右病名による症状はほぼ完治していると認められる。また、同原告の一一月一七日時点での虫歯本数は一九本あったものの、全て型取りを終わった段階で、症状は悪化しない状況であったのであるから、逮捕後の段階において、取調べを受けられないほど症状が悪化したとは到底考えられない。したがって、原告Dの歯科疾患が重症であったのに、取調官がこれを放置して受診させなかったとの原告らの主張は失当である。

(七) 原告Eに対する取調べの違法について

(1) 連日長時間の取調べについて

取調官が原告Eに対し、違法性を帯びるほど連日長時間の取調べを行った事実はない。

(2) アリバイ主張の無視について

原告Eは、その供述調書から明らかなように、本件窃盗事件取調べ期間中において、自ら供述自体を留保するか、あるいは積極的に犯行に関する供述をするかのどちらかであったのであり、取調官が具体的な否認主張やアリバイに関する主張を無視して供述調書に記載しなかったなどという原告らの主張は失当である。原告Eから右主張がなかったことは、同原告の取調官である大塚、川原及び古田土の公判廷供述からも明らかである。

(3) 虚偽情報注入による自白の誘導について

取調官は、本件窃盗事件で原告らを取り調べている期間中は、総監公舎事件についての話や調べをしないという方針を厳守していたので、原告Eに対しても、「窃盗事件の取調べが総監公舎事件とは関係ない」との話をしたに過ぎず、取調官が虚偽の保証をして原告Eに自白を誘導したとの事実は存在しない。原告Eは、取調官が右の話をした前日である一二月一日の段階で、既に本件犯行の下見の状況や犯行当日の行動等について自供しており、取調官から総監公舎事件と関係ない旨を聞いたことが同原告の供述態度に影響を与えたことはない。

(4) 共犯者の自白を告げての心理的誘導について

大塚は、原告Eの取調べの際、同原告に対して、その警戒心を解き、より真実の供述を得るべく「他の共犯者が盗ってきたということを言っている」という事実を告げている。しかしながら、大塚は、取調べをする過程で、原告Eに対し、その内容を粉飾・誇張し、あるいは虚偽の事実を伝えたものではないのであるから、そのことが供述の任意性に疑いを生じさせるものではない。

(八) Hに対する取調べの違法について

(1) 連日長時間の取調べについて

取調官がHに対し違法性を帯びる程度の連日長時間の取調べを行った事実はない。

(2) アリバイ主張の無視について

取調官がHのアリバイ主張を無視して記録化しなかったなどという事実はない。原告らは、一一月二六日付け員面調書について、取調官はHの詳細なアリバイ主張を無視して、既にアリバイ潰しが終了した新藤のみを特定するアリバイを記載したと主張するが、右調書のアリバイ記載は、Hが申し出るまま詳細に録取したものである。Hは右調書への署名・指印を拒否したが、その理由は前科の部分が非常に長いこと及び原告Dの必要な車が京都から手に入るかもしれないとの供述内容につき削除して欲しいと申し述べたことによるものであり、取調官がアリバイ供述を省略したからではない。さらに、取調官は、翌二七日にはアリバイ主張に基づく図面をHに作成させ、二九日には詳細なアリバイ供述調書を作成しているのだから、Hのアリバイ主張を無視したとの原告らの主張は失当である。

(3) 脅迫による自白の強制について

取調官がHの妻を逮捕すると脅迫して、Hに自白を強制した事実はない。そのような事実がなかったことは、Hの取調官である高橋、矢澤、笠原の公判廷供述からも明らかである。また、原告らはHの一二月七日付け自筆供述書は、窃盗事件を自白した心情ではなく強権によって虚偽を認めさせられる悔しさが述べられていると主張するが、右供述書はHが自己の行動を心から悔い反省して作成したものであって、原告らの右主張は右供述書を自己に都合の良いように曲解するものと言わざるをえない。

(4) 共犯者の自白供述書を示しての誘導について

Hの取調官である高橋が、一二月七日、原告E及び同Cの自筆供述書をHに対して示したことは認めるが、共犯者の供述調書を示して取り調べることが直ちに違法となるものではない。すなわち判例上も、記憶喚起のため、あるいは説得により否認を覆させるために共犯者の供述調書を用いて取調べをし、さらには合理的範囲内で理詰めないし追及的質問を試みることは許されると解されているところ、本件において高橋は、頑なに否認しているHをして翻意させ、正しく記憶を喚起させたうえで、その任意かつ真意の供述を得るために各自筆供述書を示したに過ぎず、当然許される範囲の取調べ方法である。

(九) 誘導による虚偽自白の捏造について

取調官が、原告らに対し、自白内容を誘導したり、押しつけたりした事実はない。原告らは、本件自白には不自然な点、供述の不一致・変遷などが多々あり、取調官の違法な誘導を示すものであると主張するが、共犯事件においては、各人の記憶の喪失・混同や、自己の罪責を少しでも軽減したいとの各被疑者の心理から、供述の不一致や変遷などが生じることはままあることである。また、取調官は、原告らが申し述べる供述内容を忠実に録取しておき、相互の矛盾点を明らかにしたうえでこれを解明し、もって真相を究明するとの方針の下に取調べを行っていたものであり、誘導による取調べを行った事実はない。したがって、原告らの主張は、その前提において失当と言わざるをえないが、以下に述べるとおり、個々の主張についても、理由がない。

(1) 自白と客観的事実との矛盾について

① 四三二三車ドアロックの外し方

原告らは原告Eの供述するドアの開け方は、物理的に不可能であり取調官が誘導したものであると主張するが、四三二三車の三角窓の底辺の幅は一一センチメートルで上下二箇所の支点を中心に一四〇〜一五〇度回転し、最大八センチメートル以上隙間が空くので手を入れることは十分可能である。また、窓ガラス開閉用ハンドルのノブは、最下点にあった場合、三角窓の下方約三三センチメートル付近に位置することになるが、この距離は三角窓から手を差し入れて届かない距離ではない。

原告Eの供述するドアの開け方は迂遠であると言わざるをえないが、本件犯行時にはドアロックは押し下げられていた状態で見えにくかったこと、原告Eは殆ど手探りの形で作業をしたであろうこと、Iが原告Eの手元を懐中電灯で照らしていたのは直結作業のときのみであることに照らせば、同原告がドアロックの存在に気づかなかったとしても不思議はない。

② 四三二三車の直結方法

Ⅰ エンジンキー裏の配線の本数原告Eは本来四本あるエンジンキー裏の配線について、三本を切り二本をつなぎ合わせた旨供述しているが、現場において一刻も早く作業を終わらせたいという心理状態にあった同原告が四本のうち三本のみを裸線にして接触作業を行った可能性や、同原告が取調べにおいてエンジン始動に関係のないアクセサリー線についての説明を省略した可能性も考え得るのであるから、同原告の右供述が不自然であるということはできない。

Ⅱ エンジンキー裏の配線を切断するために用いられた工具 原告Eの右工具に関する供述は、ペンチ、プライヤー、ニッパーと変遷している。しかし、右三者は共に針金や電線等の加工あるいは切断に使用する鋏であって、いずれも一カ所を支点として対象物を鋏む機構を有する工具であるという点で共通し、その形状も似ている。したがって、原告Eとしても、当初の記憶では、その形状から一般的に知られている工具であるペンチではないかと供述したものの、その後正しく記憶を喚起する過程で、実際の形状を思い出し、プライヤー、ニッパーと供述を変更したものと認められ、何ら不自然ではない。

Ⅲ 直結の方法 原告らは、エンジンキー裏の配線を三本裸線にしながら、スターター線を接触させる方法により発進させる方法に気づかないとは考えられないと主張するが、原告Eが裸線にした三本のうちの一本にアクセサリー線が含まれ、残る一本がスターター線であった場合には、如何に接触させようとエンジン始動モーターが作動することはないのであるから、原告らの右主張は失当である。また、原告らは右配線をペンチで裸線にできるのかは疑問であると主張するが、東京トヨペット株式会社の三村隆が公判廷において配線の接続方法ついて述べるところによれば、これが可能であることは明らかである。

③ 現場の状況

原告らは、原告Bの一一月三〇日付け員面調書添付の現場状況図とHの同月八日付け自白調書添付の現場状況図は、客観的現場との乖離が甚だしく、現場を知らない者が作成したものであることは明白であると主張する。この点確かに、右両名の図面においては、四三二三車が駐車してあった三叉路とフローリアンバンを停車しておいた空き地との位置関係について客観的事実との不一致が認められるが、原告B及びHの犯行当日の現場での役割や見張位置等を考慮すれば、両名が取調べの当初の段階でこのような記載をすることは不自然ではなく、これをもって取調官の誘導の証左ということはできない。

また、原告らはHの右状況図は、原告Bの右状況図に基づいて誘導されたものであると主張するが、両者の現場状況図を比較すると両名はそれぞれ自分に特有の表現方法で図面を作成していることが認められ、原告Bの図面をもとにHの図面が作成されたとは考えられない。また、原告Bは一二月一日に引き当たりを行い翌二日にはより現場の状況に合致した図面を作成しているのであるから、その六日も後である八日に原告らのいう「誤った図面」がHによって書かれたことは、まさに取調官が誘導を行っていない事実を示すものである。

(2) ストーリー上の不自然・不合理について

① 窃盗の動機

原告らは、本件自白では桜蘭公司の営業活動で車の必要性に迫られていた具体的事情は何ら語られていないと主張するが、原告Cらの自白を検討すれば、桜蘭公司の業績を上げるため三多摩方面の団地等に出向くなどして蜂蜜等を販売するには車が必要不可欠だったこと、フローリアンバンをとりあえず使用していたものの、同車は夜間しか使えず、また実家の仕事が多忙になったこともあって常時利用できず不便であったこと、車を新たに購入する資力がなかったことを具体的に供述しているのであって、原告らの右主張は失当である。

また、十月社の三里塚闘争本部が設置されたのは、本件窃盗事件発生後の六月であるが、その支援活動をしていた原告Dが、闘争本部設置前に車を調達しておこうと考えたことは何ら不自然でない。また、検問の厳しい三里塚闘争のために四三二三車を使用するとの点も、闘争参加者の送迎や衣料品等の物品の購入など、三里塚に近づかない使用方法も十分考え得るから、何ら不自然ではない。また、原告Eらの自白によれば、盗難車であることが発覚する可能性が低いとの認識のもとに、なかば公然とこれを使用する目的で犯行を計画・実行したことが認められるから、検問の厳しい三里塚や桜蘭公司の営業用に使用するとの動機は何ら不自然でない。

② 実行行為の参加者

本件犯行では、原告Eが直結作業をし、原告Dがクラクションの合図役をし、その他押しかけ要員として二名、見張り要員として二名が配置されたものであり、本件犯行が夜間の犯行であること、多数の家族が居住している団地内の犯行であることを考え合わせれば、右人数で犯行を行ったことは何ら不自然ではない。また、原告らは桜蘭公司や三里塚闘争への参加のために四三二三車の窃取に及んだのだから、メンバーの一部で犯行を敢行することは却って不自然であり、原告ら六名で犯行が行われたことはむしろ必然であったというべきである。したがって、取調官が原告ら六名の犯行を押しつけたなどという事実はない。

③ 使用関係

原告らは、本件自白には四三二三車の具体的な使用関係が全く欠落していると主張するが、原告Cらの自白を検討すれば、具体的な使用関係が供述されていないとはいえない。また、原告らの自白によれば、四三二三車はほとんど十月社の関係で原告Dが使用し、窃取後、二重追突事故を起こすまでの後半の期間は、原告Aが使用していたことが認められるから、原告D及び同Aが否認ないし黙秘をしている状況では、同車の詳細な使用状況についての供述が得られないことはむしろ当然である。

(3) 自白相互の矛盾・対立について

① 謀議・下見

本件窃盗事件の謀議・下見について、原告C、同B及びHは五月五日としているのに対し、原告Eは五月四日に謀議をし、翌五日に下見をした旨供述している。しかし、原告Eの供述は、五月四日に全ての謀議をしたというものではなく、五日に犯行の方法等について全く話が出なかったというものでもないから、同原告の供述が原告Cらの供述と齟齬しているとはいえない。

謀議の参加者の顔ぶれについて、右原告らの自白には若干変更があり、原告Cは後にI、N、H1を追加しているが、Iについては後記(4)①の理由により隠していたと考えられるし、あとの二名については直接犯行に加わっていないことから敢えて言及しなかったものと考えられる。また原告Bも後にI、Nを追加しているが、Iの存在を隠していたことは原告Cと同様であるし、Nについては、そもそも遅れて謀議に参加した原告Bの記憶が鮮明でなく、記憶を喚起したことにより追加されたと考えられる。

謀議の参加者の顔ぶれに関する右原告らの供述は必ずしも一致していないが、原告らの五月初旬の段階では、極めて近接した時期に、頻繁かつ定期的に、ほぼ同一の出席者で、同一の場所で、学習会ないしは桜蘭公司のための会合を持っていたのであるから、七か月以上後の供述時に、ある程度の差異が生じることは何ら不思議ではない。

② 現場への経路

H宅から小金井本町住宅までの道順について、原告B、同E及び同Cの供述は合致していない。しかし、現場へは原告Eが指示して辿り着いたものであること、原告B及び同Cは現場への道順につき正確な知識を持っていなかったこと、右三者の供述する新青梅街道、井の頭街道、青梅街道はいずれも都心から西方に向かって伸びる隣接した主要街道であり、右三名の供述がその方向・位置においてそれほどの差異があるとはいえないこと、原告Cはフローリアンバンの後部座席に乗っており道順に注意を払う状況でなかったこと等に照らせば、右齟齬は合理的な範囲内にあるというべきである。

③ 現場での行動

Ⅰ 四三二三車の駐車位置・向き原告Bの一一月三〇日付け員面調書及びHの一二月八日付け員面調書における四三二三車の駐車位置及び向きは客観的事実と一致していないが、現場では原告BもHも主として見張りに従事しており同車の状態を注視していたわけではないこと、本件犯行が夜間決行されたものであることを考えれば、右供述は不自然とはいえない。また、伊藤照子が四三二三車を駐車した位置から、三叉路の北側路上方向に進路をとることは無理とはいえない。

Ⅱ 押しかけの場所 押しかけの場所について、原告Eは一旦約五〇メートル移動してから直結作業をしたと供述しているのに、他の自白は右直結作業前の移動について言及していない。しかし、全員が最初の移動を手伝ったとは限らないのであって、Iのみがこれを行った場合には他の供述に移動が欠落しているのは当然であるし、I及びHが行った場合にも、本件犯行には終始消極的で具体的犯行方法の要領を得ていないHが、取調べ時点において、直結作業前後の車の移動を一連の押しかけ作業として混同し、直結作業前の移動についてはこれを供述しなかったとも考えられる。

Ⅲ 押しかけの人員 押しかけの人員について、原告Eは全員で押したと思う旨供述し、原告B及びHは、I及びHが押した旨供述し、原告Cは何ら供述をしていない。しかし、原告Eの供述によれば、同原告は押しかけを頼む際、Iに「皆で押してくれ」と頼んだものの、押しかけ作業中は運転席で専ら前方のみを注視していたものであるから、薄暗い周囲の状況下で、実際に誰が押しかけ作業をしたのかは見ていないと考えるのが合理的である。また、見張り位置からフローリアンバンに向けて戻りかけていた原告Cが、押しかけ状況について何ら言及していないことも不思議ではない。したがって、押しかけ人員に関する原告らの自白に齟齬は存在しない。

④ 合流点・帰路

Ⅰ 合流点 合流点に関する原告B及びCの供述は変遷しているが、右両名の供述は、日時の経過にともない徐々に詳細な供述になっているのであって、これは、自己の記憶がより整理・喚起されたことによって生じた変更であるから、それ自体何ら不自然なものではない。

また、合流点に関する各人の自白は必ずしも一致していないが、原告C及びHは、犯行現場へは当日まで行ったことがないのであるから現場周辺の地理に詳しくないのは当然であり、また帰路につくに際して車を運転していたのも原告Eと同Bであったのだから、合流地点について、自車の正確な位置や相手車の距離、合流地点までの経路等につき、相互にある程度の認識の差が生じることはやむを得ないことである。そして、原告Bは合流点を「初めに団地に入ってきた道路」とし、原告Eは「その場」としているが、同原告の「その場」とは合流地点も含めた「犯行現場一帯」を意味するものであるから、右両名の供述相互に不一致はなく、原告らは自らが実行した同一の事実について供述しているといえる。

Ⅱ フローリアンバンと四三二三車への分乗状況 本件犯行後のフローリアンバンと四三二三車への分乗状況について、原告E、同B及び同Cの供述とH供述は必ずしも一致していないが、この点は、本件犯行に終始消極的であったHが、自らの犯行関与を少しでも軽減したいとの気持から敢えて虚偽の供述をしたとも考えられるし、記憶の混同・希薄化によって誤った供述をしたとも考えられる。

Ⅲ 帰路 四三二三車の行き先に関する原告E供述には、原告らが主張するような供述の変更がある。しかし、同原告が当初「海城高校横または早稲田の理工学部の横」と述べていたものを「海城高校横」としたのは、時日の経過により、より正確な記憶を喚起したことによるものであると考えられる。また、同原告が倉本に四三二三車を渡したことにつき、当初供述しなかった理由は、同人の名前を出すことによって、キーボックスの実際の修理先が明らかになり、その人物に迷惑がかかることを恐れて敢えてこれを秘匿したためであると考えられる。したがって、右供述変更に不自然な点はない。

(4) 明白な誘導について

① Iの登場

被告Gが、Iを窃盗共犯に加えるよう、原告Bを誘導した事実はない。原告Bが一一月三〇日にIの存在を供述するに至ったのは、同原告が前日の二九日の取調べにおいて「この盗みをやったのは私とD、C、E、Hとその他にもう一人いたように思います」と供述し、他にも共犯者がいることを窺わせる供述をしていたため、被告Gがこれを問い質したところ、翌日になってIの存在を供述したものである。そもそも、原告Bの一一月三〇日の供述は、共犯者のうちIのみが単独で現場に現れ、しかも、あらかじめ自転車に乗って待っていたという不自然極まりないものであり、このような供述を取調官が誘導するわけがない。

また、原告Eの取調官大塚も、同原告に対し、Iを加えるよう誘導した事実はない。すなわち、原告Eは、初めてIについて供述した一二月二日より前の供述において、既にIが仲間の一員であることを供述し、共犯者の人数も「私外四〜五人」と供述していたものであるから、具体的な犯行状況を説明する段階になってIの存在を隠しきれなくなって供述するに至ったと推測することができる。

さらに、原告Cの取調官西海も、同原告に対し、Iを加えるように誘導した事実はない。すなわち、原告Cは、一二月八日に至ってIの存在を供述したものであるが、その理由について「Iが捕まると三里塚闘争や十月社の機能がとまるからです」と述べているところであって、自らの意思で真実を話すことを決意し供述するに至ったことが明らかである。

② 窃盗の動機

原告Cらは、当初、窃盗の動機として桜蘭公司のためという理由のみあげ、三里塚闘争のためにという点については言及していないが、そもそも、未だ総監公舎事件の取調べを受けていない段階での原告Cらが、成田署事件やひいては総監公舎事件に結びつくおそれのある三里塚闘争のためとの動機を隠すのは当然であるから、右供述経過に何ら不自然な点はない。

③ 四三二三車二重追突事故の際の乗員

四三二三車の二重追突事故の際の乗員についての原告E供述は、当初「Aと誰か」であったものが後に「AとC」に変更されているが、そもそも原告Eは事故の話を仲間から聞いたに過ぎないものであるから、取調べの過程で次第に記憶を喚起して右供述に至ったと考えられる。また、原告C供述は、「AとD」から「AとC」に変更しているが、原告Cが当初の供述をしたのは、自己と総監公舎事件とのつながりを秘匿するためであり、総監公舎事件の自白に伴い、自発的に真実を申し述べたものである。さらに、原告B供述も「AとD」から「AとC」に変更しているが、同原告は当初の供述について「Dが事故の話をしていたのでDが事故にあったのだと話しておけばよいと思った」と理由を述べており、総監公舎事件の自白に伴い真実を供述する決意をした結果、それまでの安易な供述部分を改めるべく、供述変更に至ったと考えられる。したがって、いずれの供述変更も、取調官が誘導したものではない。

④ 原告Eの一一月三〇日付け員面調書

一一月三〇日の供述調書作成中に原告Eが一時それまでの供述を撤回したことは、右調書記載のとおりであるが、右撤回は、同原告が取調べ中に弁護人と接見した後、心に迷いを生じたことによるものであり、取調官が供述を誘導したことに抵抗したことによるものではない。右調書はこの経緯をありのままに録取したものであり、これはとりもなおさず、取調官が原告Eに対し、供述を押しつけたり無理な誘導をしていないことを如実に示すものである。

(一〇) 裏付捜査の違法について

(1) C1供述調書の破棄・改竄について

被告GがC1の供述調書を破棄・改竄した事実はない。C1の公判廷供述によれば、被告GはC1の供述に激昂して調書を破棄し、その後取り直すこともなかったということであるから、右供述に従えば、同人が署名した供述調書は存在しないはずである。しかし、現実にはC1の署名・指印入り供述調書が存在するのであり、C1の右供述が虚偽であることは明らかであり、原告らの主張は失当である。またC1供述調書の体裁からも、改竄を窺うことはできない。

(2) 新藤孝衛に対するアリバイ潰しについて

被告Gが、H及び原告Eのアリバイをつぶすために、新藤を誘導して供述調書を作成した事実はない。被告Gが新藤を誘導していないことは、新藤がその供述調書において、手帳に基づき根拠をあげて原告Eと会った日を五月一〇日としていること、新藤が右調書に署名・押印をしていることから明らかである。

(3) 四三二三車イグニッション部修理先と倉本に関する捜査の欠落について

捜査官がイグニッションキー修理場所に対する捜査を怠った事実はない。捜査官は倉本の身元や居所等について必要な調査を行ったが、原告E供述における倉本の特定が、はなはだ曖昧であって具体性のないものであったために、結果的に修理先等について十分な確認ができなかったものである。

(4) 四三二三車の窃取方法に関する捜査の欠落について

捜査官は四三二三車の窃取方法に関する原告Eの供述を裏付けるために必要な捜査を行っている。すなわち、被害者である伊藤照子から被害時の状況(特に施錠の状態)につき再度事情聴取をし、四三二三車の処分経過につき、同車を譲り受けた中村徹郎から事情聴取をし、H宅から犯行に用いたドライバーを押収し、伊藤健から四三二三車の構造・特徴について答申書の提出を受け、捜査官の大塚自身も、交通課に直結方法に関する疑問点を問い合わせている。したがって、必要な裏付捜査を怠ったという原告らの主張は失当である。

(5) 四三二三車の遺留指紋について

四三二三車の遺留指紋のうち、対照可能な三個の指紋については、原告A及び同Cの指紋と対照している。そして結果は合致しなかったものであるが、遺留指紋がわずか三個しかなかったことは、同車の使用者において窃盗事件の発覚を恐れて、意図的に指紋を拭き消したことによるものと認められ、指紋が合致しなかったことから直ちに右原告らが四三二三車の最終使用者ではないとすることはできなかった。

(6) 四三二三車遺留品について

四三二三車の遺留品のうち、白色ポリ容器については、原告Cが出所を供述しており、捜査官がその出所の説明を被疑者に求めていたことは明らかである。そして遺留品の捜査は右程度にとどまっているが、それは遺留品がいずれも大量に出回っている物品であって、その経済的な価値も僅少であることから別件の窃盗事件として捜査する必要性が乏しかったことによるものであり、何ら不自然・不合理な点はない。

(7) 原告E及びHの引き当たり捜査の欠落について

捜査官は、既に本件窃盗事件につき原告C及び同Bを犯行現場に同行して、詳細に引き当たり捜査を行い、現場の状況については十分確認済みであるとの見地から、原告E及びHの引き当たり捜査を行わなかったのであって、故意にその実施を回避したかのような原告らの主張は失当である。

3  総監公舎事件における捜査の違法について

(一) 原告Cに対する取調べの違法について

(1) 窃盗事件起訴後の取調べの違法について

① 取調受忍義務の存在

被告Gら捜査官は、窃盗事件起訴後に、余罪である総監公舎事件につき、原告Cの取調べを行っているが、公訴提起後の被告人に対し、当該被告事件以外の被疑事件の取調べを行うことは、何ら違法ではなく、判例上も認められている。そして、刑事訴訟法一九八条一項により、身柄を拘束されている被疑者は取調受忍義務を負うが、同条但書が逮捕勾留について何の限定もしていないこと等によれば、右義務は逮捕勾留の基礎となった被疑事実に限らず、およそ余罪すべてに及ぶ。そして、右取調受忍義務は、被疑者が逮捕・勾留されているという状態に着目して認められるものであるから、被告人も勾留されている以上、当然余罪についても取調受忍義務を負うものである。したがって、取調官が、原告Cに対し、取調拒否権や取調室からの退室権を告知しないのは当然であり、これを告知しない取調べが違法となることはない。

② 本件起訴後取調べの適法性

本件における原告Cに対する起訴後取調べが、任意捜査としての限界を何ら逸脱するものでなかったことは、以下のとおりである。

Ⅰ 取調べの必要性 自動車窃盗の事実と爆発物使用の事実とが社会的事実として一連の密接な関連を有していたことは、高刑一〇部判決が明らかにするところであり、総監公舎事件に使用された疑いの強い四六八〇車、同事件の下見に使用したのではないかと客観的に思料された四三二三車、各目撃者の供述内容等のそれぞれの捜査結果を総合的に勘案すると、原告Cに対して両事件に関する事情を聴取する必要性があると考えられた。

Ⅱ 取調べの妥当性 取調べを開始するにあたり、西海は、原告Cに対し、起訴後の余罪(火取被疑事件)について取調べを開始すること及び供述拒否権があることを明確に告知している。これに対し原告Cが、取調室への同行を拒否する言動、あるいは取調室から退去する旨の言動を示した事実はない。また同原告は、取調期間中である一二月二日には、伊藤弁護人と接見を行っている。

取調べ時間も、取調べのない日が一日、午後からの取調べが二日間あり、帰房が午後一〇時以降になったのは三日間であり、長時間にわたって原告Cを取り調べた事実はない。同原告も公判廷において、和やかな雰囲気のなかで起訴後の取調べが行われたことを供述している。このように、原告Cの取調べ状況が緩やかなものであったことは、高刑一〇部判決も認めるところである。西海が、原告Cに対して、参考人である間には黙秘権がないとして執拗な取調べを行ったり、被疑者としては、黙秘は犯人である証拠だとして取調べを行った事実はない。

(2) 火取罪名での取調べについて

原告Cに対する火取罪名による取調べは、その手段、方法等の全てにおいて適法かつ妥当なものであって、何ら違法な点はない。

本件取調べにおいて、同一事実について調書を取り直したのは、原告らの爆取逮捕に伴い、以後、火取の延長でなく爆取被疑者として取り調べることを原告Cに正しく認識させるためであって、同原告の自白撤回を防ぐためとか火取調書を隠匿するためなどという事実はない。また、爆取調書には、文体・表現等が火取調書と酷似しているものが存在するが、両調書は同一の被疑事件を対象として作成されているのだから、その内容が大要において同一であるのは当然である。しかも、両調書を比較すると、新供述の付加、旧供述の脱落、供述の訂正、新たな図面の作成などがあり、その全ての調書が同文ないしほぼ同文とは言えず、取調官が火取調書の内容を確認しながら、改めて取り調べた上で爆取調書を作成したことは明らかである。

(3) アリバイ主張の抹殺について

一二月九日ないし一一日の員面調書によれば、原告Cが総監公舎事件の関係者として名前を挙げた人物について、ありのままに録取し、調書を作成しているのだから、取調官が原告Cの否認主張を嘘と決めつけた事実はない。また、原告Cが具体的なアリバイ主張をした事実はなく、取調官がアリバイ主張を抹殺した事実もない。このことは、原告Cがアリバイの録取されていない調書について、読み聞け・閲覧を経たうえで、特に加除訂正を申し立てることなく署名・指印していることから明らかである。

(二) 原告Bに対する取調べの違法について

(1) 窃盗勾留中及び窃盗起訴後勾留中の取調べの違法について

① 取調受忍義務の有無及び告知義務の存否について

勾留中の原告Bに取調受忍義務があったこと、取調官が取調拒否権等を告げなかったことが違法でないことについては、前記(一)(1)①と同様である。

② 本件起訴後取調べの適法性について

本件における原告Bに対する起訴後取調べが、任意捜査としての限界を何ら逸脱するものでなかったことは、以下のとおりである。

Ⅰ 取調べの必要性 原告Bに対し、総監公舎事件に関する事情を聴取する必要性があったことは、前記(一)(1)②と同様である。また、同原告に対する総監公舎事件の取調べは、同原告の窃盗勾留中に開始されているが、これは、同原告が一二月七日に自発的に総監公舎事件について犯行を認める供述をしたので、これを明らかにする必要が生じたためである。

Ⅱ 取調べの妥当性 取調べを開始するにあたり、小出は、原告Bに対し、起訴後の余罪(火取被疑事件)について取調べを開始すること及び供述拒否権があることを明確に告知している。これに対し原告Bが取調室への同行を拒否する言動、あるいは取調室から退去する旨の言動を示した事実はない。また同原告は、一二月六日に、西垣内弁護人と接見を行っている。

取調べ時間も、帰房が午後一〇時以降になったのは一日のみであり、午後からの取調べが三日間もあるのであって、長時間にわたって原告Bを取り調べた事実はない。同原告も公判廷において、和やかな雰囲気のなかで起訴後の取調べが行われたことを供述しており、原告Bの取調べ状況が緩やかなものであったことは、高刑一〇部判決も認めるところである。

(2) 脅迫による自白の強制について

取調官が爆弾製造説を両親逮捕の脅迫の材料に使って原告Bに自白を強要したなどという事実はない。そもそも、原告Bの両親が、総監公舎事件の謀議、爆弾の入手・保管・運搬・製造の研究等について関与していることを窺わせる供述部分は、原告らの供述からも、家族からの参考人供述からも皆無なのであって、両親を逮捕する根拠自体が存在しなかったのであるから、取調官が逮捕云々をほのめかしたりすること自体ありえない。

一二月九日付け検面調書には、「多分、Aが製造したと思う」旨の供述があるが、原告Bは、一二月七日付け員面調書では「私と別れてからおそらく爆弾をどこかで用意してAさんと一緒になったものと思います」と述べ、爆弾の入手先・入手方法についての供述を避けていることが窺われるのであるから、九日の検察官調べで自ら右供述をし、京都からの爆弾入手を秘匿しようとしたとしても、何ら不思議はない。

(3) 火取適用の約束について

取調官が、総監公舎事件は刑の重い爆取ではなく刑の軽い火取が適用されると断定的に述べたり、罰金刑ないしは執行猶予や年内保釈などを保証して、原告Bに虚偽自白をさせたとの事実は存在せず、原告らの主張は以下のとおり失当である。

① 原告Bが総監公舎事件を自白した経緯

一二月七日、小出が原告Bと雑談をしていたところ、同原告が総監公舎事件の話を始めたので、小出は被告Gにこの旨を報告した。これを受けた被告Gが原告Bから事情を聞くと、同原告はしきりに爆弾の威力のことを気にしており、「課長、これは火取、爆取どっちなんだ」と質問してきたので、被告Gは、未だ鑑定が出ていなかったことからどちらともいえない旨答えた。しかし、さらに原告Bが「今の段階では火取か」と重ねて聞くので、今の段階では火取以外に取る方法はないんじゃないかという見解を述べたところ、同原告は、じゃ火取で取って欲しいと自ら希望し、すらすらと自供した。

② 火取取調べの適法性

右のとおり、被告Gが原告Bを火取で取り調べたことについては、右段階では本件爆弾の威力に疑義があり、未だ鑑定結果も出ていなかったという合理的理由が存在する。そして、原告Bは自ら求めて火取で供述調書を取って欲しいと希望したものであり、かつ、被告Gは「鑑定もしていないのに火取だ爆取だとは言えない」と告知しているのだから、本件取調べが何ら違法でないことは明らかである。

③ 一二月七日の火取員面調書の記載について

右員面調書には、「本日の調べでは火薬取締という法律で爆発物取締ではないということなので話すことにしたのです」との記載がある。しかし、敢えて「本日の調べでは」との断り書きが明記されたのは、当日の調べの時点では火取が適用されるということを注意的に表示する趣旨と考えられるから、右記載をもって、被告Gが火取適用を約束したということはできない。

また、右員面調書には原告Bの指印による契印がなされているが、右契印は、真実を話すべきか終始悩んでいた原告Bが、これを自供することを決心し、その内容が偽りでないことの証しとして割り指印を希望したものと考えられるから、右指印をもって、被告Gが火取適用を約束したということはできない。

④ 火取取調べと爆取逮捕

原告らは、一二月一五日、爆取違反容疑で逮捕されたが、原告Bら五名に対する逮捕状執行は、検察官の爆取による取調べを経てから行われている。すなわち、被告F及び久保両検事は、原告Bら五名に対する逮捕状執行に先立って、供述の任意性・信用性について、独自に検察官の立場から判断するために、原告B及び同Cを取り調べ、右両名に対し、総監公舎事件は爆取に該当すると解され、その刑は重い旨を告げるなどして、その注意を喚起したが、右両名は、いずれも格別異議を述べることなく両検事の取調べに素直に応じ、総監公舎事件の犯行の状況を警察官に対してと同様、具体的、かつ、詳細に自白をしたものである。したがって、火取取調べと爆取逮捕の間に直接の因果関係がないことは明らかである。

⑤ 爆取取調べ

原告Bの爆取逮捕後、取調官が、同原告を爆取被疑者として改めて取り調べたことは前記(一)(2)と同様である。

(4) アリバイ主張の抹殺について

原告Bが、身柄拘束後にアリバイ主張をした事実はないから、取調官がこれを抹殺したとの原告らの主張も失当である。

(三) Hに対する取調べの違法について

(1) 被疑者であることを明示しない取調べについて

取調官が、Hに対し、被疑者ではないように欺罔し、認否の機会を与えないまま取調べを行ったとの事実はない。Hの一二月一四日付け員面調書の記載から明らかなように、同人は、取調官から被疑事実の要旨及び黙秘権を告げられたうえで供述しているのであり、原告らの主張は失当である。また、取調官が、Hに対し、総監公舎事件については圏外であることを信じ込ませて取調べを行った事実もない。

(2) アリバイ主張の回避について

取調官がHに対しアリバイが成立する可能性を探る機会を与えなかったなどという事実はない。同人は、一二月一六日の員面調書において、七月下旬から八月上旬にかけて仕事の打ち合わせが忙しかったこと、八月九日及び一〇日は妻と旅行に行っていたことなどを述べているが、右供述は、取調官がHに対し、総監公舎事件の謀議をした七月二九日、八月一日、同月四日の行動及び事件当日の八月七日の行動について問い質したのでない限り、なされることのないものである。

(3) 脅迫による自白の強制について

① 一生監獄暮らしであるとの脅迫について

取調官が、Hに対して、屈服しない限りは爆弾反対の弁解が意味をなさない、一生監獄から出られないなどと脅迫した事実はない。右事実がなかったことは取調官の公判廷供述から明らかである。

② 妻を逮捕する旨の脅迫について

取調官がHに対し妻を逮捕すると脅迫して自白を強要した事実はない。そもそも、Hの妻が、総監公舎事件の謀議、爆弾の入手・保管・運搬・製造の研究等について関与していることを窺わせる供述部分は、原告らの供述からも、家族からの参考人供述からも皆無なのであって、妻を逮捕する根拠自体が存在しなかったのであるから、取調官が逮捕云々をほのめかしたりすること自体ありえない。

(4) 共犯者が全員自白しているとの欺罔について

取調官である松永鐡美は、Hの警戒心を解き、より真実な供述を得るとの観点から共犯者の自白の事実を伝えたに過ぎないのであり、このような取調べ方法が適法であることは判例の認めるところである。

(5) 告知義務違反に過ぎないとの欺罔について

取調官の公判廷供述から明らかなとおり、取調官が、Hに対し、軽い告知義務違反に過ぎないと欺いて自白させた事実はない。

(四) 原告Eに対する身柄拘束及び取調べの違法について

(1) 被疑者であることを明示しない取調べについて

取調官が原告Eに対し被疑者としての取調べでないように欺罔して取調べを行った事実はない。取調官が原告Eに対し被疑事実の要旨及び黙秘権を告知して取調べを行ったことは、同原告の一二月一四日付け員面調書から明らかである。

(2) 身柄拘束続行のためのアリバイ無視について

① アリバイを確認したうえでの逮捕について

原告Eが一二月二日の時点で、アリバイ供述をしていた事実はないから、捜査官が、右時点で原告Eのアリバイ主張を把握しながら、その裏付けを怠り、爆取逮捕を強行したなどということはない。原告Eのアリバイ主張については、一二月一四日及び同月一六日の取調べにおいて具体的日時が述べられたことから、捜査官が右事実を確かめるべく必要な裏付捜査を行ったところ、一二月二一日の段階になって、右アリバイの存在につき確認がとれたものである。

そもそも、同原告に対する爆取逮捕の根拠となった、原告B及び同Cの供述は、七月二九日の謀議に原告Eも出席しており、同原告は爆弾使用に消極的だったが、結局出席者全員で爆弾を仕掛けることに決まった(共謀共同正犯)というものであるから、逮捕前に八月一、四、七日のアリバイが確認されていても、当該逮捕を理由のない違法なものとすることはできない。

② 具体的なアリバイ主張の調書への不記載について

捜査官は、一二月一四日及び同月一六日の員面調書に原告Eのアリバイ主張を録取し、これに基づき、必要な裏付捜査を行っていたものであり、身柄確保のため意図的にアリバイ供述の記載を遅らせたとの事実はない。

(五) 原告C、同B、同E及びHに対する弁護人解任の強要について

(1) 原告C、同B及び同Eについて

捜査官が、原告C、同B及び同Eに対し、弁護人の解任を強要した事実はない。右三名はそれぞれ、全文自筆による弁護人解任届を作成しているのであり、その内容も「一身上の都合により」「私の都合で」と、解任の決定が自らの理由に基づくものであることを明記したうえで、署名・指印している。そして原告E及び同Bは、公判廷において、それぞれ自分の判断で解任するに至ったことを証言している。原告Cは、公判廷において、原告Bの書いた解任届を見せられて、そのとおりに同じものを書かされたなどと証言しているが、両解任届を比較すれば、その文字・文体が一致しないことは明白であり、原告Cの供述は信用できない。

(2) Hについて

捜査官の公判廷供述から明らかなとおり、捜査官がHに対し弁護人の解任を強要した事実はない。

(六) 原告Aに対する取調べの違法について

(1) 妻の逮捕の脅迫について

捜査官が、原告Aに対し妻を逮捕すると脅迫して自白を強要した事実はない。そもそも、同原告の妻が、総監公舎事件の謀議、爆弾の入手・保管・運搬・製造の研究等について関与していることを窺わせる供述部分は、原告らの供述からも、家族からの参考人供述からも皆無なのであって、妻を逮捕する根拠自体が存在しなかったのであるから、捜査官が逮捕云々をほのめかしたりすること自体ありえない。

(2) 爆取一条の死刑規定による脅迫について

捜査官が原告Aに対し爆取一条の死刑規定を読み聞かせて脅迫した事実はない。

(七) 被告Gによる虚偽の捜査報告書の作成について

被告Gが令状請求にあたっての捜査報告書に虚偽の記載をしたなどという事実は全くない。当該爆取逮捕状の請求は、原告Bの自白、原告Cの自白、原告Eの供述、Hの供述やその他参考人調書(小野寺健二、本橋ヒデ子、高橋賢蔵、東郷隆興)によって、原告らに対する犯罪の嫌疑が十分に認められるものであるから、そのような虚偽記載をする必要はなく、原告らの主張は言いがかりに過ぎない。

(八) 誘導による虚偽自白の捏造について

原告らは、原告C及び同Bの自白内容を個々に取り上げ、それが客観的事実に反すること、供述に変遷があること、両名の供述に齟齬があることなどの点を縷々取り上げて、捜査官による違法行為の証拠であると主張する。しかし、共犯事件においては、各人の記憶の喪失・混同や、自己の罪責を少しでも軽減したいとの各被疑者等の心理から、供述の不一致や変遷などが生じることはままあることである。また、捜査官は、原告らが申し述べる供述内容を忠実に録取しておき、相互の矛盾点を明らかにしたうえでこれを解明し、もって真相を究明するとの方針の下に取調べを行っていたものであり、誘導による取調べを行った事実はない。したがって、原告らの主張は、その前提において失当と言わざるをえないが、以下に述べるとおり、個々の主張についても、理由がない。

(1) 自白と客観的事実との矛盾について

① 爆弾について

Ⅰ 点火装置の配線に関する誤り本件爆弾の写真等によれば、筆洗缶から出ている配線は、外から見えない部分に存在するのであり、配線が筆洗缶の上からではなく横から出ているということは、両方の周囲に巻かれているビニールテープを外し、各部分を分解してみて初めて分かるようになっている。したがって、本件爆弾を分解したことのない原告C及び同Bが、点火装置の配線がビン型の缶(グラスター缶)のみから出ているような図面を作成したとしても何ら不思議ではなく、これをもって、捜査官の押し付けの証左とする原告らの主張は失当である。

Ⅱ 豆電球の点灯について 本件爆弾のセット方法は、概ね以下のとおりである。すなわち、よじり結線がなされていない場合は、ⅰスイッチオン→表示灯点灯→タイムスイッチセット→よじり結線という方法か、ⅱスイッチオン→表示灯点灯→スイッチオフ→よじり結線→タイムスイッチセット→スイッチオンという方法であり、よじり結線がなされている場合には、ⅲタイムスイッチセット→スイッチオンという方法である。そして、表示灯がわざわざ設けられていること、誤爆の危険性を考えれば、爆弾セット直前までよじり結線はなされておらず、犯人は右ⅰⅱのいずれかの方法を取ったと考えられる。

この点、原告C及び同Bは、いずれも「タイムスイッチを入れた後、スイッチを入れたら豆電球がつく」と供述しているが、本件爆弾の構造上、豆電球が点灯するときというのは、タイムスイッチをセットしていない状態でスイッチをオンにしたとき以外にはあり得ないので、この点で右供述は客観的事実と相違している。しかし、右のような複雑な作業手順が必要な爆弾のセットであるにもかかわらず、右両名は本件爆弾の製造には何ら関与しておらず、操作方法を聞いたのみであり、その記憶自体、断片的・機械的なものにならざるを得ない。加えて、右両名の供述が四か月以上経過した時点でなされたものであることを考えれば、特に印象に残っている部分については正確な供述ができても、複雑な操作手順を順序正しく説明することは極めて困難である。この点を踏まえて両名の供述を検討すると、操作の順序は入れ替わっているものの、「タイムスイッチのセット」「スイッチオン=豆電球の点灯」という最も印象に強く残る点については、そろって供述しており、しかも個々の操作手順内容自体に誤りはないのだから、不自然不合理なものとはいえない。右供述をもって捜査官の誤導であるとする原告らの主張は失当である。

Ⅲ 原告C供述のグラスター缶の雷管について、本件爆弾の鑑定結果によれば、グラスター缶は全長が12.6センチメートル、直径が6.1センチメートルであり、雷管に使用されている鉛筆用ホルダーは、全長が六センチメートル、直径が0.95センチメートルである。以上の前提事実によれば、グラスター缶に火薬が詰められていた状態でホルダーを引き抜いたとしても、これを、また挿入することがそれほど困難であるとは考えられない。したがって、この点に関する原告C供述をもって捜査官の誘導であるとする原告らの主張は失当である。

Ⅳ 原告Bのセット方法 鑑定結果によれば、本件爆弾は、グラスター缶から出ている配線とタイムスイッチ等の装置から出ている配線をよじり結線して使用する構造になっていると考えられる。そして、原告Bの一二月二三日付け員面調書は、この点を「グラスター缶からの配線をタイマーに取りつける」と説明するものであるが、右供述はグラスター缶のみから線が出ていてタイマー自体に直接つなぐという意味ではなく、グラスター缶からの配線をタイムスイッチ側に取りつけるという意味の表現と理解できるから、右供述が客観的事実と矛盾することはなく、むしろ正しい操作方法を理解した上でなした供述と考えられる。また、本件爆弾の構造に関する鑑定結果が一〇月一一日に出ているにもかかわらず、このような不十分な表現方法がとられていることは、捜査官が誘導等を行っていないことの何よりの証左である。

Ⅴ 爆弾の外観図 Hが作成した爆弾の図には客観的なそれと相違している部分があるが、同人は本件爆弾の入手や設置等に何ら関与していないうえ、爆弾闘争に反対であった同人は、謀議の場でも遠巻きに爆弾を見たにすぎず、預かったときはナップザックに入ったままだったのであるから、右相違は当然である。そもそもこのような相違があること自体、捜査官の誘導がなかった事実を示すものである。

② 曙橋陸橋下の空地と代替地の指示

曙橋陸橋の真下に、原告Bが員面調書で作成した図面のような空地は存在しないが、同原告は実況見分において、車の停車場所として、陸橋東端の脇道を指示している。そして、舗装されておらず児童公園と接しているという右脇道の状況、原告Bが待機したのが深夜であること、右場所が同原告にとって初めての場所であったこと、脇道にはバックで入り一度も車を降りていないことなどに照らせば、同原告が右脇道を空地と思っていたとしても何ら不思議ではない。また、供述に客観的事実と異なる部分があることは、捜査官の誘導がなかったことの何よりの証左である。陸橋真下に空地がないから、右供述は捜査官が誘導したものであるとの原告らの主張は失当である。

③ 表参道到着とバス発着

東郷供述によれば、四六八〇車らしき車が発車したのは、バス出発(午前一時二〇分)の少し前であるから、同場所から総監公舎までの所要時間が約一〇分、爆弾セットに約五分としても、事件発生の午前一時五七分まで約二〇分強の空白が生まれる。この間における原告Cらの行動については、同原告らから何ら具体的な供述が得られず、捜査官としても必要な捜査は行っていたものの、特定するには至らなかったものであるが、この点が捜査官による供述の捏造等に直結するわけではなく、原告らの主張は失当である。

④ 総監公舎に爆弾を仕掛けた際の状況

総監公舎の建物の右角の警備員室前には常夜灯が点灯しており、原告Cは一二月二〇日の員面調書で「僕が敷地内に入ったときは、建物内の明かりは消えていたと思う。」と供述しているが、右供述は「建物内」の明かりが消えていたということであり、建物全体の照明が全て消えていたという趣旨ではないから、右供述をもって捜査官が誘導したとの原告らの主張は失当である。

また、爆弾を置いた位置に関して、原告C供述と関供述との間には差異が存するが、設置場所が公舎建物の右角であること及び警備員室前の敷石部分であることにおいては一致しているのだから、両供述が全く異なるとは言えない。また、設置場所に関する原告C供述には、公舎建物の客観的構造と矛盾する点があるが、犯行時同原告は深夜周囲が暗い中で、一刻も早く適当な場所を探して逃げなければならないという緊迫した心理状態にあったこと、公舎に来たのは下見を含めて二回であり、下見の段階では設置場所についてさほど関心がなかったこと、犯行後五か月以上経過した時点の供述であることに照らせば、爆弾の設置場所及びその周辺の建物内の状況等について不鮮明な点があってもやむを得ず、右矛盾点は何ら不思議ではない。したがって、右供述をもって捜査官が誘導したとの原告らの主張は失当である。

また、原告Cが作成した総監公舎の鉄扉の寸法と客観的寸法は一致していないが、同原告が右鉄扉を見たのは、下見の際も犯行の際も夜間のことであるから、右鉄扉の寸法、形状などについて正確に記憶することは困難であって、実物と全く相違しない供述ができるというようなことはありえない。同原告が右鉄扉を知らないままに供述させられたという原告らの主張は失当である。

⑤ 爆弾闘争への経緯

Hは、「七月に入ってから、鉄パイプ爆弾を明治公園などで赤軍派が使いだしてからDらはしばしば爆弾について口にするようになった」と述べており、明治公園の事件は六月一七日であり、赤軍派が右事件で逮捕されたのは九月であるが、右供述の「七月に入ってから」は右事件の発生時期ではなく、原告Dらが爆弾闘争をしきりに口に出すようになった時期の趣旨であるし、右供述時点では、赤軍派が同事件で逮捕されたとの認識はあったのだから、「赤軍派が使いだしてから」との供述も何ら不思議ではない。右供述が事実と矛盾するとの原告らの主張は失当である。

⑥ 四三二三車二重追突事故の位置

四三二三車が二重追突事故を起こした状況の図面は、一二月一八日の爆取調書に再録されていないが、右調書は犯行日前後の八月六日と七日の状況に関する原告Cの供述を録取したものであり、右事故については何ら言及していないのであるから、右図面が添付されるはずがない。右図面の添付をことさらに回避したとの原告らの主張は失当である。

(2) 供述内容の著しい不自然・不合理について

① 謀議内容の不自然

Ⅰ 原告A不在の謀議での同原告の役割決定・八月四日の突然の登場 原告Dを除く原告らとAの関係については、元来、原告Aだけが年齢が一〇歳以上離れており、それほど親しい間柄ではなく、いわば別格の相談役とでもいうべき存在であったのであって、十月社のリーダー的立場にあった原告Dを通じて知り合い、原告Dを介して連絡し、接触が持たれていたのであるから、原告A不在の謀議で同原告の役割決定がなされたり、八月四日に突然同原告が現れても、何ら不思議はないというべきである。

Ⅱ 反対者であるH宅での謀議 本件犯行は、H宅での学習会の機会において、ゲリラ闘争や爆弾闘争の必要性が話し合われるようになり、その結果敢行されたものであるから、H宅で謀議が行われることに何ら不自然はなく、取調官が改めてH宅で謀議が行われた理由を聞く必然性もない。

② 無料駐車場

原告Bが一二月二三日の員面調書で、フローリアンバンを駐車したと供述している道路は、通称職安通りであるが、右道路は当時通行量も少なく、殆ど駐車場代わりのように両側に駐車できる場所であったのだから、同原告がこれをもって無料駐車場との表現をしたとしても何ら不思議ではない。また、無料駐車場などという客観的に存在しない場所を、被告Gが原告Bに押しつけるはずがないのであって、原告らの主張は失当である。

③ 原告Dの歯科通院と京都行き

原告B供述によれば、原告Dが実際に京都にいた時間は八月三日午後八時頃から四日午前一〇時頃であり、診察は十分可能であったことからすれば、同原告の歯科通院は京都行きを否定するものとは考えられない。そして一月一五日の員面調書によれば、原告Bは、京都へ行った際の原告Dの状態について、「Dは列車の中では余りしゃべらなかった。『歯が痛い』というような事を言っていた」と供述する程度で、治療の件などが話題に出た旨は供述していないが、原告Dの歯痛は八月三日の抜歯により緩和されていたと考えられるのであり、原告Dが余り会話をしなかったという状況下で、原告Bが右程度の記憶しか有していないとしても何ら不思議はない。したがって、原告Bの右供述が取調官の誘導によるものであるとの原告らの主張は失当である。

(3) 自白相互の対立・矛盾、重要部分の不一致について

① 四六八〇車の乗り捨て・乗り継ぎ

原告Bは、一二月一〇日の員面調書において「失敗したらコロナを私の待機している辺りに置き」(成功したら四六八〇車は放置しないことになる)と供述しているのだから、同原告が乗り換えを前提にしていなかったなどということはない。したがって、乗り換え計画の有無について原告Cと同Bの供述が矛盾しているとの原告らの主張は失当である。

② 爆弾闘争への経緯

原告らは、Hが六月一七日の明治公園事件について言及しているのに、同月二三日に「薔薇の詩」を検討したと述べている原告Bが、右事件について言及していないのは不自然であると主張するが、共犯者のいずれかが他の共犯者の供述していない事項につき言及していること自体が直ちに取調官の誘導に結びつくとはいえないし、爆弾使用に恐れを抱いていて、他の爆弾事件の成り行きにつき特に関心を持っていたHが、明治公園事件につき特に強い印象をもっていたとしても何ら不思議はないから、原告らの右主張は失当である。

(4) 明白な誘導について

① 犯行当日の行動に関する原告Cの一二月一二日付け供述が、他の被疑者や参考人の供述と合致するよう大幅に変更されていること

原告Cは、一二月一二日に初めて自白をしたものであるから、その時点では、自白への迷いや記憶の未整理などにより細部まで正確な供述ができなかったが、翌一三日になって記憶を整理し、より正確な状況を述べるに至り、一三日の供述変更になったと考えられる。原告Cの右供述変遷は、あくまで犯行の周辺状況に関してであって、犯行の核心部分については何ら変更されていない。原告らは、右供述変遷を、原告Bや高橋賢蔵や東郷隆興の供述との辻褄合わせを図ったものだと主張するが、捜査官は原告B及び高橋の供述内容を一二月一二日までに把握しており、原告ら主張のように捜査官が供述を作っているのであれば、一二日の調書から同様の供述内容が録取されるはずであるから、原告らの主張は失当である。

Ⅰ ニュートップス 犯行当日、原告Cは、喫茶店ニュートップスで原告Bに会った直後に、別の喫茶店タイムスに行って、原告D及び同Aに接触しているのだから、喫茶店で会った旨を述べている一二日の原告C供述はあながち、間違いであるということもできない。また、原告Cは、タイムスでは青山に人を送ることを頼まれただけで、ニュートップスでは犯行の最終確認をしたのだから、ニュートップスでの記憶が強く残っていたと考えられる。

Ⅱ 原告A宅への出発 原告DからTらを青山に送るよう頼まれた旨の供述については、原告Cは一二日に、既にTらを青山に送った旨の供述をしているから、東郷供述との辻褄合わせをしたとの原告らの主張は失当である。そして、原告Cが、原告A及び同Dの三名で原告A宅に向かったと供述を変更しているのは、Ⅰの供述変更に伴うものであるから、個々に論難される筋合いのものではない。

Ⅲ 爆弾受け取り 爆弾を車内においた位置に関する供述変更は、原告Dも一緒に行ったというⅡの供述変更に必然的に伴う変更であるから、個々に論難される筋合いのものではない。また、爆弾の入れ物についても、原告Cは、水色のナップザックを黒いボストンバッグに変えたものではなく、ボストンバッグの中にナップザックが入っていたものをナップザックとして供述したに過ぎないのであるから、それほどの不自然・不合理はない。

Ⅳ 給油 高橋の八月二六日付け員面調書によれば、同人は、原告Cがガソリン代金を支払った者に似ていると供述している。これに対し、原告Cの一三日付け員面調書は原告Aがガソリン代金を支払ったとするものであるから、取調官が誘導等の手段を用いていないことは明らかである。

② 原告Eの謀議参画

原告Bが、同Eの関与に関する供述を訂正したのは、右の点に関する原告E及び同C供述と同B供述が矛盾するため、取調官が、矛盾する相互の供述につき、真相を得るために、原告Bにこれを問い質して正しく記憶を喚起させ、右事実を確認したことによるものである。そして、総監公舎事件の具体的謀議は、七月二九日、八月一日、同月四日という極めて近接した時期に、いずれもH宅で行われたものであるし、爆弾闘争に消極的な原告Eは謀議での発言も少なかったと推測されるから、原告Bが記憶の混同により、当初の供述をしても何ら不思議ではない。よって、右供述変更は、取調官の確認により原告Bが記憶を喚起した結果であり、取調官が違法な誘導をした事実はない。

またHも、原告Eの帰省時期について、当初八月一日の謀議の後としていたものを、後に七月下旬の会合の後と供述を訂正しているが、Hは原告Eの帰省時期についてもともと曖昧な記憶しか持っていなかったものであり、取調官の質問、追及によって正しく記憶を喚起し、具体的根拠を示した上で自分の勘違いであることを認めて、供述の訂正をしているのであるから、右訂正に何ら不自然な点はない。

③ 高橋賢蔵供述に合わせた原告C供述の全般的かつ極端な変更

原告Cの一二月一二日付け員面調書から一三日付け員面調書への変更については前記①のとおりである。そして、原告Cが、爆弾の入れ物をボストンバッグから水色手提袋に入った水色ナップザックに訂正したのは、同原告が、ボストンバッグは自分が持って来た旨思い出したことを要因とした変更であることが明らかであるから、取調官が同原告を誘導した事実はない。また、原告Cの供述は、高橋供述と必ずしも一致しておらず、取調官が供述を誘導していないことの証左である。

④ 原告C自白における取調官の変更に伴う変更例

原告Cの一二月一八日付け員面供述は、原告Dから聞いた話などの状況から、四六八〇車を八月六日に既に貸していたと原告Cが思ったという当時の認識を述べているものであり、実際に貸した事実を述べているものではない。また、仮に四六八〇車が貸された事実があったとしても、原告Cは「中津川の関係者に貸した」と述べているに過ぎないから、必ずしも中津川に行く者に貸したとは限らないのであって、右供述は客観的事実と矛盾しない。また、原告Cは一二月一二日の員面調書で「岐阜県中津川で行われるフォークジャンボリーへ」と述べており、右調書の筆記人は北岡であるから、原告C及び北岡がフォークジャンボリーの開催地を神奈川県中津川溪谷と誤解していた事実はない。

また、西海作成の一二月二一日の員面調書では、四六八〇車の犯行後貸与を前提とする供述があるが、右のとおり四六八〇車の貸与に関する原告Cの供述には何ら矛盾はないのであるから、西海が敢えて一二月一八日の員面調書を無視した事実はない。原告Cの右供述をもって取調官が一方的に供述を作文している証左であるとする原告らの主張は失当である。

⑤ 四六八〇車購入経緯に関する時期の曖昧な繰り上げ

高瀬に車の斡旋を依頼した日にちに関する原告Bの供述には変遷があるが、右変遷はいずれも六月半ばなのか末頃なのかという、同じ月の中での一〇日前後の短い期間について誤差があるに過ぎないものであって、六か月も前の事実に関する供述であることを考えれば、取調べの当初から明確な記憶が存している筈がなく、右期間内の供述の変更は合理的なものと言える。また、原告ら主張のとおり、取調官が八月七日の時点で江里供述を得ていたのであれば、当初から右供述に符合する供述調書を作成できたはずであり、むしろ右供述の変遷は、取調官が誘導をしていない証左であるというべきである。

⑥ 総監公舎脱出場面

原告らは、原告Cの供述が関供述と合致していることをもって誘導の証左と主張するが、特異な脱出形態がお互いの記憶に残り、供述が一致しても至極当然なことであるから、右主張は失当である。

⑦ Hの不明瞭な供述

Hが調書において「ように思う」との表現を用いるのは、総監公舎事件の供述にも窃盗事件にも見られるところであるが、いずれの事件についても反対であり、謀議についても消極的な参加にならざるを得なかったHが、このような表現を多用することは自然なことであり、かえって取調官の誘導がなかった事実を示すものである。

⑧ 原告B供述における五月二六日の下見

取調官が、一二月一六日の員面調書で、五月下旬の四三二三車による下見に関する供述等を、一方的に作文したり、原告Bに気づかれないように書き加えた事実は存在しない。原告Bは、一二月七日から同月一五日までは本件犯行及び犯行に直結する事項につき述べていたのだから、一六日になって右供述が出ることは何ら不思議ではないし、二重追突事故に関する具体的供述は一三日の員面調書で既に述べられているから、一六日の調書で具体的供述がないことが一方的作文の証左とはいえない。

(5) 供述の欠落について

原告Bの一二月二三日付け員面調書には、本件爆弾について、「線さえ外してあれば、たとえ落としても絶対爆発しないとの自信をもったのです」との記載があり、その際、成田で使用された触発式の爆弾について触れられていないが、右供述は、謀議の際のよじり結線の説明の時に、原告B自身が内心でそのように思ったという当時の認識を述べたに過ぎないのであって、同原告が実際に説明した内容を指すわけではない。また、右認識は、よじり結線がなされている爆弾についてのものであって、原告らがいう触発式の爆弾についてではないのであるから、原告Bの右供述に不自然な点はない。

(6) 短時間で作成された膨大な供述調書について

取調官が、原告Bの一二月一〇日付け員面調書につき、自ら創作したストーリーを原告Bに押しつけた事実はない。一二月一〇日の取調べは一日中行われたのであり、九日の調書には「この次は、警視総監の家に爆弾を仕掛けたことなどを話します」と記載されているのだから、原告Bは予め自己の供述内容について整理していたものであって、このような状況からすれば、翌日総監公舎事件の謀議・爆弾引き取りについての詳細な供述が得られても何ら不思議はない。また、調書の作成枚数を比較しても、検察官の取調べの後に作成された九日の調書が一一枚、一日中行われた一〇日の調書が図面を含めて二二枚なのであるから、この点からしても無理な取調べが行われたなどと言うことはできない。

(九) 原告Cに対する実況見分における誘導、調書への虚偽記載について

原告Cの実況見分は、捜査官に何らの作為もなく実施・作成されたものであり、原告らの主張は以下のとおり失当である。

(1) 上石神井の原告A宅へ

実況見分調書には、原告Cが青梅街道の関町一丁目交差点に至って「このへんを曲がってくれ」と指示したことにつき根拠が記載されていないが、調書には指示事項につき逐一その根拠を説明させた上で記載しているのではなく、指示事項の全てを逐一録取しているわけでもないので、右不記載は不自然ではなく、原告らの主張は失当である。

原告らは、車内にいた原告Cが路地入口の家の鉄扉を見ることができたはずがないと主張するが、四六八〇車の到着時ないし出発時の移動中に右鉄扉を見ることは十分可能であるから、右主張は失当である。また、右見取図の四六八〇車停車位置の縮尺は必ずしも正確ではないが、実況見分調書の位置の表現については、基点を決め方位・角度・距離などを正確に記載することが重要であり、実際の寸法を同比率でそのまま縮小して見取図を作成しなければならないものではないから、見る者の目をたぶらかすなどという意図は皆無であって、原告らの主張は不当なこじつけである。さらに、実況見分で原告Cが指示した四六八〇車停車位置は、運転しづらい路地に入ることを避ければ、原告A宅への最短距離なのであるから、原告Aがそこに停車することはごく自然であるし、交通妨害になれば同車に残った原告Cが連絡すれば済むことなのであるから、右停車位置が不自然で捜査官が誘導したとの原告らの主張は失当である。

(2) エッソ関町給油所

実況見分における現場の特定は、一般に駅や公的機関などの建造物を二箇所以上選定して、これを基点として距離を記載するところ、エッソ関町給油所についても、同様の方法で位置を特定しているのだから、この点について非難されるいわれはない。

(3) 阿佐ヶ谷―新宿―表参道

原告Cは実況見分において、交通事故に遭遇した地点を特定していないが、同原告はそもそも正確な事故場所を記憶しておらず、調書に記載されている以上の指示はできなかったものであり、捜査官が特定をさせなかったなどという原告らの主張は失当である。また実況見分調書には、表参道で四六八〇車を停めた際の二台のバスとの位置関係の説明の記載がないが、西海の公判廷供述によれば、原告Cからバスが停まっていた位置につき説明があったことは明らかであり、捜査官が敢えて質問を回避したとの原告らの主張は失当である。

(4) 総監公舎

原告Cは爆弾の設置場所の指示に際して「この木戸があったのをよく覚えています」と説明しているが、同原告は従前の供述で右木戸の存在については全く述べていないのだから、右説明が従前の同原告の供述に矛盾するとの原告らの主張は失当である。

(5) 乗り捨て・乗り継ぎ

総監公舎からの離脱状況について、原告Cは一二月一五日の検面調書では「どこをどう通ったか夢中だったので良く分からない」と供述し、実況見分では逃走経路を具体的に指示説明しているが、検面調書作成時には自己の記憶のみに頼って供述しなければならないのに対し、実況見分時には現場の状況を見ながら確認し、必要があれば移動しながら説明ができるのだから、右差異は何ら不自然ではない。

(一〇) 裏付捜査の欠落について

(1) 否認主張に関連する捜査のサボタージュについて

① 参考人に対する事情聴取のサボタージュ

捜査官は、四六八〇車購入に当たって浮かんだ者についての捜査や購入資金提供者である高瀬の身辺調査など必要な捜査は行っている。もっとも、原告Cが挙げた山瀬、T、小川、島、Qに関しては、全て同原告が直接知っていたのではなかったため、これらの人物に対する捜査については、手がかりが極めて少なく、その所在がつかめないなどの理由により、結果的に供述に直結するようなものや裏付けが十分に取れ得なかったものの、捜査官が必要な捜査をしなかったなどということはない。

② 新宿駅東口駐車場に関する捜査

原告らは、原告Bが否認段階で、八月六日夜フローリアンバンを新宿駅東口駐車場に停めたことを主張していたのに、その裏付捜査を怠ったと主張するが、そもそも原告Bが否認していた事実はないから、原告らの主張はその前提において失当である。また、同原告が当初アリバイ工作を供述した際にも、新宿駅東口駐車場については何ら言及しておらず、同原告が同駐車場について初めて供述したのは起訴後の昭和四七年一月一二日になってからであるから、捜査官が裏付捜査を怠った事実はない。

③ 原告Dのアリバイに関する捜査

捜査官は、原告Dが八月三日及び四日に淀橋歯科医院に通院していた事実を辻塚智子医師から聞き込んで把握し、アリバイ成立の可能性があったことから、右両日の同原告の行動について必要な裏付捜査を継続していた。しかし、辻塚医師からの聞き込み時においては診療時刻は確認できず、原告D本人は依然として犯行を否認し続けたままで、右状況について確かめることができなかったことから、昭和四七年一月五日の取調べで、原告Bに対し、京都へ行った際の食事、原告Dの状態について問い質したものである。したがって、原告Dのアリバイに関する捜査を怠って原告Bの供述でまかなおうとしたとの原告らの主張は失当である。

(2) 爆弾入手ルートに関する捜査のサボタージュ

捜査官は、爆弾入手ルートである銀閣寺アジトに関しての捜査を行い、その捜査結果を一二月二〇日の捜査報告書にまとめ、爆弾を引き渡した男としてQを逮捕しているのであるから、捜査官が必要な捜査をしなかったなどということはない。そして、Qが結果的に釈放されたのは、同人の取調べによっても自供や物証等が得られず、本件爆弾の出所について明らかにすることが出来なかったことによるものであり、捜査官が爆弾の出所を不明にするためにQを逮捕・釈放したなどという事実はない。

(一一) 原告に対する起訴後取調べの違法について

公訴提起後の被告人に対して、当該起訴事実に関する取調べを行うことについては、何ら法の禁ずるところではなく、判例もこれを認容している。もっとも、被告人の取調受忍義務については、これを否定的に解さざるを得ないが、この場合においても取調受忍義務の不存在の告知は、法に何ら規定が存在しないから、必要ないというべきである。

そして、本件について起訴後に作成された員面調書は、全て総監公舎事件の第一回公判期日前に作成されたものであるし、その内容も総監公舎事件の捜査の補充的事項に過ぎず、また、取調べ時間も午後からの出房が多く、午前からの取調べの時も大部分が一〇時以降であり、殆ど午後五時前後には帰房し、取調べの行われていない日もあるのであるから、捜査官が強制的な取調べを行った事実は存在しない。

(一二) 原告Cに対する分離公判の強要について

被告Gが代用監獄を利用して、原告Cに対し、分離公判を選択させた事実はない。同原告は中野弁護士と爆取起訴後において接見し、同弁護士と相談した上で、自らの判断で分離公判を選択したものである。三月三日の供述書は、全面的に犯行を認めていた原告Cが、現在の心境について思うところを自発的に全文自筆で作成したものであって、被告Gが右作成を強要したなどという事実はない。

4  被告Gの賠償責任の不存在

公権力の行使にあたる地方公共団体の公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によって違法に他人に損害を与えた場合には、地方公共団体がその被害者に対して賠償の責に任ずるのであって、公務員個人は被害者に対し、直接に賠償責任を負わない。

四  被告国及び同Fの主張

1  検察官の職務行為についての違法性の判断基準

(一) 検察官の職務行為についての国家賠償法上の違法性の判断基準

検察官の勾留請求及び公訴提起は、無罪判決が確定した場合でも、国家賠償法一条一項の適用上直ちに違法と評価されるべきではなく、検察官が職務上遵守すべき基準すなわち行為規範に対する違反がある場合に初めて違法と評価されるべきである(職務行為基準説。最高裁判所昭和五三年一〇月二〇日第二小法廷判決参照)。

(二) 公訴提起の違法性の判断基準

右職務行為基準説によれば、検察官が、公訴提起時において、証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があれば、検察官の公訴提起に国賠法上の違法性は存しないというべきである(最高裁判所昭和五三年一〇月二〇日第二小法廷判決参照)。右違法性判断基準を検察官の公訴提起の特質を踏まえて具体化すると、検察官の公訴提起は、有罪と認められる嫌疑があると判断した検察官の証拠評価及び法的判断が、法の予定する一般的検察官を前提として通常考えられる検察官の個人差による判断の幅を考慮に入れても、なおかつ行き過ぎで、経験則、論理則に照らして到底その合理性を肯定することができない程度に達している場合に、初めて違法となると解すべきである。

そして検察官の公訴提起の違法性の有無を判断する場合の判断資料は、公務提起時において検察官が現に収集した証拠資料及び通常要求される捜査を遂行すれば収集し得た証拠資料に限られるものと解するのが相当である(最高裁判所平成元年六月二九日第一小法廷判決参照)。右「通常要求される捜査を遂行すれば収集し得た証拠資料」とは、検察官が公訴提起までにそれらの証拠を収集しなかったことに義務違反があると認められる場合、すなわち、公訴の提起時に検察官が現に収集した証拠資料に照らし、その存在を予想することが可能な証拠資料であって、通常の検察官において公訴提起の可否を決定するに当たり、当該証拠資料が必要不可欠と考えられ、かつ、当該資料について捜査をすることが可能であるにもかかわらずこれを怠ったというような事情のある場合をいうものと解される。

2  原告Cに対する窃盗事件の公訴提起の適法性<省略>

3  原告B、同D及び同Eに対する窃盗事件の公訴提起の適法性<省略>

4  総監公舎事件における検察官の捜査の適法性<省略>

5  総監公舎事件の公訴提起の適法性<省略>

6  犯人蔵匿事件における公訴提起の適法性<省略>

7  公訴追行上の違法について<省略>

8  被告Fの賠償責任の不存在

公権力の行使にあたる国の公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によって違法に他人に損害を与えた場合には、国がその被害者に対して賠償の責に任ずるのであって、公務員個人は被害者に対し、直接に賠償責任を負わない。

五  争点

1  総監公舎事件における警察官の初期捜査の違法性

2  窃盗事件における警察官の捜査の違法性

3  右事件における検察官の職務執行の違法性

4  総監公舎事件における警察官の捜査の違法性

5  右事件における検察官の職務執行の違法性

6  犯人蔵匿事件における検察官の職務執行の違法性

7  窃盗事件、総監公舎事件及び犯人蔵匿事件の公訴追行上の違法性

8  公務員個人の賠償責任の存否

9  原告らに生じた損害の額

第三  争点に対する判断

一  当裁判所の基本的な考え方

本件損害賠償請求訴訟の基礎となった総監公舎事件は、昭和四六年八月七日に発生したものであり、本件訴訟において原告らを代表して原告本人として供述した原告Aは、右事件当時三七歳であったが、本件口頭弁論終結時である平成八年七月三〇日には既に六二歳となっており、他の原告らも皆、その間に二五年の年齢を加えている。原告らは右事件及びこれに先立つ窃盗事件等により起訴された後、これらの事件について無罪の確定判決を得るまでに、一一年余の歳月を右刑事裁判のために費やしている。右刑事裁判においては、合議体を構成する裁判官の面前で多数の証人の尋問その他の証拠調べがなされ、法廷で右裁判官が直接取り調べた証拠と弁論の結果に基づき、昭和五八年、原告らをいずれも無罪と認める地刑二部判決及び高刑一〇部判決が言い渡され、右各判決が確定したものであり、その後の本件訴訟においても、右刑事裁判において提出された証拠を明らかに凌駕するような証拠が提出されているわけではないから、本件訴訟において、原告らが起訴に係る犯罪を犯した可能性もあるのではないかというような議論をする余地はない。真実とは何かを追求して一一年余にわたり立証活動が行われた右刑事裁判における裁判所の判断は、それが確定した以上、当事者及び司法関係者が最大限尊重し、これを前提に行動すべきものである。

当裁判所としては、このような考え方のもとに、本件訴訟において認定すべき事実関係の基本を、裁判官の面前で証拠調べ及び弁論がなされ、これに基づいて事実の認定がなされた右刑事裁判の確定判決に求めることとし、この認定を否定ないし修正するような新たな証拠ないし新たな見方がありうるかどうかという観点から事実の認定をし、これに基づいて法律判断を加えることとする。

このような観点から地刑二部判決及び高刑一〇部判決を見てみると、両判決が一致して捜査における問題点として指摘しているのは、原告B及び同Cに対する警察官による火薬類取締法(火取)の罪名での取調べである。そこで、まず、右取調べの違法性について判断し、その後にその他の争点について判断することとする。

二  原告B及び同Cに対する火取罪名での取調べの違法性

1  原告らに対する取調べに関する問題点として刑事裁判の判決が指摘する事項

原告らに対する捜査上の問題点については、原告らが刑事裁判において多数点にわたって指摘してきたところであるが、そのうち、原告B及び同Cに対する警察官の火取罪名での取調べについて、地刑二部判決及び高刑一〇部判決とも、次のとおり、一致して問題点を指摘している。

(一) 地刑二部判決

地刑二部判決は、次のように述べている。「以上の事実に照らすと、同日(一二月七日)の取調べに際して、被告人Bに対し、捜査官において、死刑又は無期若しくは七年以上の懲役又は禁錮刑まである爆発物取締罰則(第一条)と罰金刑も含まれているような極めて法定刑の低い火薬類取締違反との差異を示したうえで、総監公舎事件について自白を求め、その結果自白を得たことが窺われ、更に、異例の被疑者による契印の事実に照らすと、捜査官の意図はともかく、少なくとも、被告人Bにおいては火薬類取締法違反という軽罪による処分の約束を得たと受けとめた余地があると言わざるを得ない。結局、右のような取調べは、非常に軽い罪による利益誘導的な取調べとの疑いが生じ、そのような取調べによって得た自白については、任意性についても問題があるが、少なくとも信ぴょう性は肯定し難い。」「次に、Cについても、同人の取調べに当たった西海喜一の供述部分によれば、同人に対する火薬類取締法違反の被疑罪名による取調べの際、被告人Bの場合と同様に同法の条文をCに示して爆発物取締罰則違反との差異を説明したことが認められ、右事情に照らすと、やはり、軽罪による利益誘導的な取調べにより自白を得たのではないかとの疑いを生ずる。」(<書証番号略>

(二) 高刑一〇部判決

高刑一〇部判決は、次のように述べている。「以上によれば、警察官による取調べが、所論主張のように偽計を用い故意に被告人ら(原告C及び同Bのことをいう。以下同じ)を欺き、又は火薬類取締法違反による起訴を約束したなどということはできないとしても、取調べ方法としては瑕疵重大な利益誘導を伴うものといわざるを得ないのであって、被告人らとしては、本件が爆発物取締罰則一条に比較して法定刑が格段に軽い火薬類取締法五九条により処断されるものと信じ、又はこれを期待したとしても無理からぬものがあり、そのために自白をするに至ったのではないか、との疑念を払拭し去ることができない。してみると、警察官の右のような取調べは公正な捜査とはいえず、社会通念上妥当を欠く手段に依拠して自白を得たものであり、被告人らの心理に及ぼす影響も決して軽視しえないものがあるうえ、警察官らの厳しい追及と相まち、虚偽の自白を誘発する蓋然性が高いといわざるを得ないから、被告人及びBの前記火薬類取締法違反の罪名のもとになされた自白はその任意性に疑いがあり、これを録取した各供述調書は、その後警察官らがこれを爆発物取締罰則違反の罪名のもとにいわば書き直した各供述調書とともに、証拠能力がなく排除されるべきものといわなければならない。」(<書証番号略>)

2  本件爆弾の「爆発物」該当性

(一) 本件爆弾の組成と「爆発物」該当性

<書証番号略>によれば、本件爆弾の組成及び爆取に規定する「爆発物」該当性に関し、次の事実を認めることができる。本件爆弾は、金属製のグラスター缶(高さ12.6センチメートル、径6.1センチメートル)と金属製の筆洗缶(高さ11.8センチメートル、径七センチメートル)の二つの缶に、時限付電源閉路装置を組合わせた手製の爆弾である。二つの缶のうち、グラスター缶には黒色粉末が約三〇〇グラム充填されており、その組成は炭末、硫黄、硝酸カリウムを主成分とする黒色火薬の一種と考えられる。他方、筆洗缶には黒色粉末が約四三四グラム充填されており、その組成は硫黄、炭末、及び硝酸カリウム配合の黒色火薬を主成分とし、これ以外にマグネシウムと過塩素酸カリウムを配合したものと考えられる。各缶にはガスヒーターを装置した手製雷管が挿入されており、設定時間に通電するとガスヒーターが灼熱し、火薬に引火して爆発する仕組みとなっている。

本件爆弾のような火薬を要素とする爆弾の使用等を処断する法令としては、火薬類取締法及び爆発物取締罰則が考えられる。火薬類取締法にいう「火薬類」とは、火薬・爆薬・火工品を指し、火薬には、黒色火薬その他硝酸塩を主とする火薬が含まれる。許可を受けずに火薬類を譲り受け、又は法定の除外事由がないのに火薬類を所持した者は、同法五九条により、一年以下の懲役又は一〇万円以下の罰金に処され、又は併科される。他方、爆発物取締罰則にいう「爆発物」とは、理化学上の爆発現象を惹起するような不安定な平衡状態において、薬品その他の資材が結合せる物体であって、その爆発作用そのものによって、公共の安全を乱し又は人の身体財産を害するに足る破壊力を有するものを指称する(最高裁昭和三一年六月二七日大法廷判決参照)。爆発物を、治安を妨げ又は人の身体財産を害する目的で使用した者は、同罰則一条により、死刑又は無期若しくは七年以上の懲役又は禁錮に処せられる。

したがって、火薬を要素とする爆弾を使用した場合に、火取と爆取のいずれの法令によって処断されるかは、爆弾の破壊力の程度によって決せられることになるが、黒色火薬などの火薬は、通常、公共の安全や人の身体財産を害するような破壊力を有するから、これら火薬を要素とする爆弾は、一般的には爆取一条にいう「爆発物」に該当すると判断される場合が多い。

(二) 鑑定による本件爆弾の破壊力の確定

本件爆弾は、犯人の設置直後に関昭夫巡査によって発見され、その後、現場に駆けつけた鑑識課警察官によって配線が切断されたために、現実には破裂するに至っていない。したがって、現実の破裂状況や被害の程度から本件爆弾の破壊力の程度を判定することはできず、警視庁科学検査所に依頼した鑑定結果を待って初めてその破壊力を確定することができたものである。警視庁科学検査所では、一二月二五日に、本件爆弾を再現した爆弾によって爆発実験を行い、右実験では、二個の缶体のうちグラスター缶のみが爆発し、一メートル四方にめぐらされたベニヤ板に明らかな損傷はなかったものの、右爆発により缶体は開裂し、破片が飛散することが判明した。そして昭和四七年一月四日、警視庁科学検査所では、右構造及び実験結果を踏まえて、本件爆弾は「爆発により人を傷害させる威力を有する」との鑑定結果を出した。検察官は右鑑定結果を受けて、同年一月五日、原告Eを除く原告ら四名及びHを、爆取違反の被告罪名で起訴した。

3  原告Bに対する火取罪名での取調べ

(一) 取調べの経緯

(1) <書証番号略>によれば、原告Bに対する火取罪名での取調べの経緯について、次の事実が認められる。

原告Bは一一月一七日から窃盗事件で逮捕勾留されていたが、右勾留中の一二月七日、警視庁麹町警察署において、司法警察員小出英二及び被告Gから総監公舎事件に関する取調べを受けた。右取調べに先立ち、小出らは、原告Bに対し、警務要鑑の火取の部分を示して、火取違反と爆取違反の法定刑の軽重に格段の差があることを了解させたうえで、総監公舎事件の取調べを火取罪名で行うことを告げ、自白を求めた。原告Bは、右取調べに対し、総監公舎事件が軽罪である火取罪名で処断される可能性があることを理解したうえ、犯行を認め、被告Gに対し具体的な自白供述を行うに至った。そして同日、火取罪名による自白員面調書が作成されたが、原告Bは、右調書末尾に「私がいままで警視総監の家に爆弾を仕掛けた話ができなかったのは、CやAさんからこの罪は爆発物取締という法律でやられ、この法律では無期刑になるということを聞いていたので、恐ろしくなって話せませんでした。ところが本日の調べでは火薬取締という法律で、爆発物取締ではないということなので話すことにしたのです。(中略)これから後このことの詳しいことについてお話をして早く調べを終わらせて一日も早く返して頂きたいと思いますので、寛大な処分をお願いします」との供述を録取させたうえ、右員面調書の各葉に自分の指印による契印を施した。

(2) なお<書証番号略>によれば、原告Bは公判廷において、被告Gに「火取でちゃんとやってやるから認めてしまえ。火取なら窃盗と併せても執行猶予だし、年内に保釈される」と火取による処分を約束されて、自白を詐取された旨供述していることが認められる。

しかし、原告Bが爆取違反を被疑事実とする裁判官による勾留質問において、裁判官に対し、火取による処分の約束が捜査官によってなされた旨の主張をしたことを認めるに足りる証拠はない。また、<書証番号略>によれば、原告C及びその弁護人は高刑一〇部においても、原告Bの供述調書の任意性に関連して右供述と同様の主張をしたが、高刑一〇部判決は右主張に沿う認定をしなかったことが認められる。したがって、被告Gに火取による処分を約束されて自白を詐取されたとの原告Bの右公判廷供述は、容易に信用することができず、他に右(1)の認定を覆すに足りる証拠はない。

(二) 取調べの違法性

前記(一)認定の取調べ経過を前提に、その違法性について検討することとする。

まず、被告Gが、本件爆弾が爆取にいう「爆発物」に該当することを知りながら、原告Bを故意に欺罔し、火取取調べという偽計を用いて自白を詐取したものであるかを検討するに、原告C及びその弁護人は高刑一〇部において右事実を主張したが、同部判決は右主張に沿う認定をしなかったことは前記のとおりであり、また、前記2認定のとおり、本件爆弾の破壊力は鑑定結果を待たなければ鑑定しえず、爆発実験が行われたのは一二月二五日になってからであるから、一二月七日の右取調べ時点では、本件爆弾が爆取にいう「爆発物」に該当するかは未だ不明だったことが認められる。そして、他に被告Gが故意に原告Bを欺罔したとの事実を認めるに足りる証拠はない。

次に、故意に欺罔したのではないにせよ、法定刑の差を示して火取罪名で取調べを行ったことが、違法な取調べ方法にあたるのではないかとの点について検討するに、前記2(一)認定のとおり、火取五九条の法定刑は、爆取一条違反のそれと比較して遥かに軽微なものであるから、両者の法定刑の差を説明したうえで、軽微な火取罪名での取調べであることを示して取調べを行うことは、被疑者に軽微な犯罪による処分の可能性が相当程度あるものと期待させる蓋然性が高く、ひいては虚偽の自白を誘発する原因ともなりかねないものである。したがって取調官としては、合理的根拠がない限り、このような取調べ方法を用いるべきではない。

そこで、被告Gらが爆取との法定刑の差を説明したうえで、火取罪名での取調べであることを示して取調べを行ったことについて、合理的根拠があったといえるかどうかを検討するに、<書証番号略>によれば、被告Gは右取調べ時点において既に本件爆弾に火薬類が使用されていることを知っていたこと、前記2(一)認定のとおり火薬を要素とする爆弾は「爆発物」に該当する場合が多いところ、本件爆弾がこれにあたらないと考える事情は右時点では特に存在しなかったこと、原告B及び同Cの供述調書以外の捜査資料は、事件発生から一貫して爆取違反被疑事件名下で作成されていること、主任検察官である被告Fも総監公舎事件は爆取罪名で捜査すべきものと考えており、火取罪名で自白を獲得したとの被告Gの連絡に驚き同被告に問題があることを厳しく指摘したことが認められ、以上の事実に照らせば、総監公舎事件は爆取罪名で取り調べるのがむしろ自然であったことが窺われるのであって、爆取との法定刑の差を説明したうえで同事件の取調べを軽罪である火取罪名で行うべき合理的根拠があったとは認められない。

したがって、被告Gらが原告Bに対し、爆取との法定刑の差を説明したうえで、火取罪名での取調べであることを示して取調べを行ったことは、違法であったものというべきである。

4  原告Cに対する火取罪名での取調べ

(一) 取調べの経緯

(1) <書証番号略>によれば、原告Cに対する火取罪名での取調べの経緯について、次の事実が認められる。

司法警察員西海喜一は原告Cに対し、窃盗事件起訴後である一一月二九日から、総監公舎事件の参考人として取調べを開始したが、同原告が黙秘したため、一二月上旬から被疑者としての取調べに切替えることにした。その際、西海は適用罪名について上司である被告Gないし松崎武志と相談をしたが、鑑定が未了であったため、火取罪名で取り調べることで了解を得、原告Cに対し、火取違反の被疑罪名で取調べを開始した。原告Cは右取調べに対し、当初、黙秘ないし否認を続けていたが、西海が一二月一二日、警視庁麹町警察署において「火取になるか爆発物になるかは、鑑定結果待ちで今はわからないが、いずれにしても自分がやったことはやったなりに責任を負うべきだ」などと述べて説得をし、同時に、同原告に条文を示し、火取違反なら懲役一年以下又は罰金一〇万円以下であること、爆取違反なら死刑又は無期若しくは七年以上の懲役又は禁錮であることをそれぞれ説明して、火取罪名で自白することを求めたところ、同原告は否認を撤回して、総監公舎事件の犯行を自白するに至った。

(2) なお<書証番号略>によれば、原告Cは公判廷において、取調官に「お前のやったことは火取に決まったんだ。だから心配しなくてもいい。爆弾がちゃちで爆取にできないんだ」と火取による処分を約束されて自白した旨供述していることが認められる。

しかし、原告Cが、爆取違反を被疑事実とする裁判官による勾留質問において、裁判官に対し、火取による処分の約束が捜査官によってなされた旨の主張ないし抗議をした事実を認めるに足りる証拠はない。しかも、<書証番号略>によれば、原告Cは自己の第一審刑事裁判の公判廷でも自白を維持しており、原告Cもその弁護人も、捜査段階で火取による処分の約束があったなどという主張は全くしていないことが認められる。また、甲第二号証によれば、原告C及びその弁護人は高刑第一〇部においても右と同様の主張をしたが、高刑一〇部判決は右主張に沿う認定をしなかったことが認められる。したがって、取調官が火取による処分を約束して自白を詐取したとの原告Cの右公判廷供述は、容易に信用することができず、他に右(1)の認定を覆すに足りる証拠はない。

(二) 取調べの違法性

前記(一)認定の取調べ経過を前提に、その違法性について検討することとする。

まず西海が、本件爆弾が爆取にいう「爆発物」に該当することを知りながら、原告Cを故意に欺罔し、火取取調べという偽計を用いて自白を詐取したものであるかを検討するに、原告C及びその弁護人は高刑一〇部でも右事実を主張したが、同部判決が右主張に沿う認定をしなかったことは前記のとおりであり、また、前記3(二)認定のとおり、右取調べが行われた一二月上旬には、本件爆弾が爆取にいう「爆発物」に該当するか否かは未だ明らかでなかったことが認められる。そして、他に西海が故意に原告Cを欺罔したとの事実を認めるに足りる証拠はない。

次に、法定刑の差を示して火取罪名で取調べを行ったことが、違法な取調べ方法にあたるのではないかを検討するに、前記3(二)認定のとおり、爆取と火取の法定刑の差を説明したうえで、火取罪名での取調べであることを示して取調べを行うことは、被疑者に軽微な犯罪による処分の可能性が相当程度あるものと期待させる蓋然性が高く、ひいては偽計の自白を誘発する原因ともなりかねないものである。したがって、取調官としては、合理的根拠がない限り、このような取調べ方法を用いるべきではない。しかし、前記3(二)において説示したのと同じ理由により、原告Cに対する取調べにおいても、右合理的理由があったとは認められない。したがって、西海が原告Cに対し、爆取との法定刑の差を説明したうえで、火取罪名での取調べであることを示して取調べを行ったことは、違法であったものというべきである。

5  結論

以上のとおり、警察官が原告B及び同Cに対し、爆取との法定刑の差を説明したうえで、火取罪名での取調べであることを示して取調べを行ったことは違法であり、右違法行為の内容に照らせば、右違法な取調べを行うについて、警察官には過失があったものというべきである。

三  総監公舎事件における警察官の初期捜査の違法性

1  証拠の歪曲・捏造

原告らは、捜査官は各種証拠を原告らの不利につながるように歪曲ないし捏造したと主張するので検討する。

(一) 関昭夫の供述と被告Gの誘導

(1) 犯人及び逃走車の特徴に関する関供述

① 犯人の特徴について

<書証番号略>によれば、関は犯人の特徴に関して、八月七日付け員面調書では「年のころ二五、六歳で、背丈が一六〇くらいで、頭髪を短く刈った丸顔の男」と供述していること、同月一〇日付け被告G作成の員面調書では「私が不審者の人相を見たのはこの時(格闘の際)で、ほんの一瞬の間で不審者は私から逃げようとしてもがいていたので、はっきりした人相はとれませんでした。したがって不審者の頭髪の点も短めだったのではないかという記憶であって、果たして短い髪だったと言い切る自信はありません」と供述していることが認められる。そしてこの点に関し、原告らは、関の右供述の変遷は、長髪の原告Cを念頭において被告Gが関の記憶の修正を図ったものであると主張する。

そこで検討するに、<書証番号略>によれば、事件当時総監公舎の中庭を照らす照明は四灯あり、全体的にはおおよその物が識別できる程度の暗さであったこと、関と犯人との格闘場所を照らす照明としては、正門門柱頭頂部の水銀灯(一〇〇ワット)と正門と道路を隔てた場所にある水銀灯があるが、いずれも門に背を向けた犯人を見るには逆行であるうえ、道路の水銀灯については桜の木でほとんど光が通らないこと、したがって関が犯人の人相を明確に認識しうる程の光源はなかったことが認められる。後記(2)①のとおり、関は犯人と正対して若干の間揉み合ったことが認められるが、右の総監公舎邸内の照明状況からすれば、犯人と揉み合っている間に犯人の特徴を確認する余裕があったとはいいきれず、関が犯人の特徴を明確に捉えていなくとも必ずしも不自然ということはできない。そうすると、八月一〇日付け員面調書の供述は、被告Gに記憶の程度を確認された関が、犯人の特徴に関する自分の記憶をより正確に表現するに至った結果ではないかとの推論を排除することはできず、したがって、同日付け員面調書の供述が、七日付け員面調書より断定を避けるものになっているからといって、この事実から直ちに、被告Gが関を誘導して記憶にない虚偽の供述をさせたものと推認することはできないのであり、他に原告らの右主張事実を裏付けるに足りる証拠はない。

② 逃走車の特徴について

次に<書証番号略>によれば、総監公舎事件発生当日である八月七日に四六八〇車を発見現場で見分した関は、ナンバー、テールランプの出っ張り、色の具合などの点から四六八〇車と逃走車は違うのではないかという印象をもったこと、その後八月一〇日に事件発生当時と同時刻・同場所で四六八〇車を使った実験を行った結果、同人は四六八〇車について逃走車と六割から六割五分似ているとの供述をするに至ったことが認められる。そしてこの点についても原告らは、関の右供述変更は被告Gの誘導によるものであると主張する。

しかし、右各証拠によれば、同時刻・同場所において四六八〇車で実験をしたところ、ナンバーを読みとりにくい部分があり、また、色やテールランプも逃走車と区別しにくかったというのであるから、関の右供述変更をもって直ちに被告Gの誘導を推認することはできず、他に原告らの右主張事実を裏付けるに足りる証拠はない。

(2) 犯人及び爆弾を発見した状況に関する関供述

① 犯人の逃走状況について

<書証番号略>によれば、関は犯人の逃走状況について、「私は玄関ドアの左斜め三メートル程の位置に犯人を発見した。そして、表の方向に向かって逃げる犯人を追いかけて正門の三メートル位手前で犯人に追いついた。そして私が後方から犯人の右腕を掴んだところ、犯人は振り向いて左手で私が掴んだ右腕を離そうと抵抗したので、左手で犯人の左手を掴んだ。犯人はそのままずるずると鉄扉の近くに行き、体全体を下の方向に縮めてお尻の方からずる―と抜けて表に出た。表に出た犯人が立ち上がったので、私の手が鉄扉の横棧にあたって手が外れ、犯人は逃走した」旨供述していることが認められる。<書証番号略>によれば、関が供述する門扉下の隙間は幅19.5センチ、高さ五二センチであることが認められる。なお、一二月二九日付け実況見分調書<書証番号略>には、右門扉下の隙間の高さは六〇センチである旨の記載があるが、弁論の全趣旨によれば、右門扉は事件発生後、右実況見分が実施された一二月二八日までの間に改修されたことが認められるから、右実況見分調書記載の高さは採用できない。

原告らは、関が供述するような犯人の脱出状況は物理的に不可能であるから、関供述は捜査側の意向を受けて捏造された虚偽供述であると主張する。確かに右空間の大きさからすると、ここを犯人がくぐり抜けることはかなり困難であると考えられる。他方、乙第一五号証によれば小野寺健二も、関供述と同様の犯人脱出状況を供述していることが認められること、関は犯人が鉄扉をくぐり抜けた後、鉄扉の横棧にあたって掴んだ手が外れた旨供述しているが、<書証番号略>によれば右供述に対応する傷が関の手にあることが認められること、この空間を犯人がくぐり抜けることが不可能とはいえないことからすると、関の右供述が虚偽であって、それが捜査側の作為に基づくものであるとまで認めることは困難である。

② 犯人及び爆弾の発見状況について

<書証番号略>によれば、犯人及び爆弾の発見状況について関は、「事件当日は午前零時四〇分ころ玄関のソファで就寝した。公舎邸内の赤外線警報装置はチャイムとブザーがあるがこの日はチャイムになっていた。就寝後、赤外線警報装置のチャイムで目を覚まし、ソファの上に上半身を起こした。ただ深夜だったので人が来たということはピンと来ず、また犬でも迷い込んだのではないか位に考えていた。しかし一応チャイムが鳴ったので外に出てみようと思い、足下にそろえてあるスリッパを履いて玄関ドアを開けた。この扉は大変重いので徐々に開けてドアを一杯に開いたところ、玄関脇に一人の男がいるのを発見した。男から一メートルほど後方に爆弾らしき物があり、男は正門に向けて逃げ出そうとしているところだった。その時勤務室の照明はついており、勤務室前はぼおっと明るかった」旨供述していることが認められる。また<書証番号略>によれば、公舎の前庭は一面砂利敷きであること、正門から関が発見した時の犯人の位置までの距離は約二五メートルであることが認められる。

そしてこの点について、原告らは、関が赤外線警報機のチャイムで目を覚まして玄関ドアを開けるまでの僅かな時間に、犯人が砂利敷きの前庭を足音を忍ばせながら公舎建物まで二五メートルも移動し爆弾を設置するのは不可能であるとし、犯人及び爆弾を発見した位置に関する関供述は捜査側の意向を受けた虚偽供述であると主張する。

しかし、<書証番号略>によれば公舎正門から建物までは前庭北寄りに敷石が敷かれていることが認められ、犯人は敷石を辿って公舎建物近くまで素早く接近した可能性がないとまではいえない。また関の右供述によれば、同人がチャイムで現実に覚醒して外部の様子を見ようと判断し玄関ドアを開けきって男を発見するまでに、ある程度の時間を要したと考えられなくもない。関の右供述によれば、犯人は無人のガレージを目指さず点灯した勤務員室に接近して爆弾を設置したことになるが、その事実も、犯人の爆弾設置の目的が人の殺傷にあったのではないかと推論すると、直ちに不合理とはいえない。したがって、関の右供述が虚偽であって、それが捜査側の意向に基づくものであるとの原告らの主張が、右証拠関係から裏付けられたものということはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

(二) 小野寺健二供述と実験車のすり替え

<書証番号略>によれば、小野寺の八月一一日付け員面調書には、同月八日に行った実験で用いた実験車のナンバーが記載されていないことが認められる。この点について原告らは、員面調書に実験車のナンバーが記載されていないのは、実験車が四六八〇車でなかったからであると主張するが、右員面調書の記載からそこまで推認することは困難であり、他に原告らの右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

(三) 高橋賢蔵供述と被告Gの誘導

(1) 四六八〇車に関する高橋賢蔵の供述

<書証番号略>によれば、高橋は八月八日、勤務先であるエッソ関町給油所において、総監公舎事件の関連自動車として四六八〇車が朝日新聞に報道されているのを知り、前日午後零時頃自分が給油した車であるとして一一〇番通報したものであること、通報を受けた警察では同日数名の捜査員を高橋のもとに派遣し同人に対する事情聴取を行ったこと、高橋は同月二六日被告Gによる事情聴取を受け、同月七日午前零時ころ四六八〇車に給油した旨を述べ、同日員面調書が作成されたことが認められる。そして、<書証番号略>によれば、高橋は右員面調書において、自分が給油した状況について、「八月七日午前零時五分過ぎ、コロナの普通乗用車で多摩四六八〇、白に近い色塗りの車に給油をした。当給油所では店に近い多摩・練馬ナンバーの客にはクレジットカードを渡してサービスすることになっているので、多摩・練馬ナンバーの車についてはナンバーを覚える習慣になっている。この車については、ヨーロッパという様に覚えた。また、給油の際トランクの突き当たりになる内装が破れていることに気がついた」旨供述していることが認められる。

原告らは、高橋の右員面調書は、車の特定が確定的でなかった高橋を被告Gが誘導して、四六八〇車に間違いないとの供述をさせ作成したものであると主張する。しかし、右各証拠によれば、高橋は新聞を見て一一〇番通報してきたものであり、同人の「ヨーロッパ」とのナンバー記憶方法は具体性があり、また、同人の供述するトランク内装の破損は四六八〇車と合致しているのであって、これらの事実に照らせば、高橋の供述が被告Gの誘導によるものであるとする原告らの右主張は直ちに首肯することができず、他に右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

なお、原告らは、右員面調書以前に作成された報告書ないし供述調書が隠匿されているのは、右員面調書と矛盾する内容が含まれているからであると主張するが、そのような報告書が存在することを認めるに足りる証拠がなく、供述調書についても高橋は公判廷でそのような調書の存在を供述していないのであるから、右主張は採用することができない。

(2) 人物特定に関する高橋供述

<書証番号略>によれば、高橋が四六八〇車を運転していた人物の特徴として身長一七〇センチ程度、二一、二歳、長髪と述べ、写真面割りに対しては原告Cをよく似ているとして選定したことが認められる。

原告らは、高橋の右供述は原告Cがペーパードライバーで身長一六〇センチであることを知らない被告Gが誘導したものであると主張するが、高橋供述と実際の原告Cが食い違ったとしても、右事実から直ちに被告Gが誘導したとの事実を認めることはできず、他に原告の右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

また<書証番号略>によれば、高橋は四六八〇車の乗員がリアウインドウの荷物を隠すように車体を覆い被さっていた旨供述していることが認められる。原告らは右供述内容は不自然であり、被告Gが爆弾犯人らしい行動を創作して高橋に誘導したものであると主張する。しかし、右供述が現実におよそあり得ないような不自然な供述内容であるともいえないのであるから、右供述内容から直ちに被告Gの誘導を推認することはできず、他に右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

(四) 結論

以上の認定事実からすると、総監公舎事件の初期捜査の段階において、被告Gあるいはその他の捜査官が証拠を捏造ないし歪曲したとの事実を裏付けるに足りる証拠はないものといわなければならない。

2  原告らの無罪証明につながる証拠の無視・隠匿

原告らは、捜査側は早くから原告らの無罪証明につながる証拠を収集していたのに、これを無視して、原告らを総監公舎事件につなげる方向でのみ捜査を行ったと主張するので検討する。

(一) 杉本洋子供述

杉本洋子は、八月七日午前二時ころ自分の店の鍵を閉める際、自衛隊方向から歩道を走ってくる二人連れの男を発見し、自分の後ろを走り抜けるのを見送ったものである。そして、<書証番号略>によれば、杉本は公判廷において、同人が目撃した二人連れの男の特徴について「背の高い方の男は身長一七五センチ位で割とやせており、髪は普通のサラリーマンのやっているような短いヘアスタイルで鼻の下には髭はなかった」旨を、「背の低い方の男は、身長一六〇センチあるかないか位、縁の黒い眼鏡をかけており、背の高い方より少しふけて見えた」旨を供述していることが認められ、右供述内容が一二月二〇日付け検面調書(<書証番号略>)とほぼ一致していることからすると、杉本は八月七日麹町警察署で事情聴取を受けた際にも同趣旨の供述をしたものと推認される。また、<書証番号略>によれば、杉本は同日の原告A及び同Bの面通しに対し、原告Bについては眼鏡をかけている点は似ている、原告Aについては違うとの供述をしたことが認められ、以上の認定事実によれば、八月七日に杉本が麹町警察署で述べた目撃供述及び面割り結果が、少なくとも原告Aについては否定的なものであることが認められる。

そこで、杉本の右目撃供述をもって、捜査官が原告Aに対する嫌疑を払拭すべきであったかを検討するに、杉本自身公判廷で認めているように、同人の右目撃状況は、二人連れの人相について注意して観察したり特に記憶に留めるようなものではなかったこと、目撃したのが深夜の路上であること、目撃時間も二人が走り抜ける間の短いものだったことからすれば、捜査官が杉本の目撃供述を信用性の高いものと評価しなかったことを一概に不合理であったということはできない。したがって、右供述から直ちに原告Aに対する嫌疑を払拭しなかったとしても、捜査官が無罪証拠を無視ないし軽視したとまではいえない。

(二) 四六八〇車の遺留品による臭気検査結果

<書証番号略>及び弁論の全趣旨によれば、八月七日、四六八〇車に遺留されたハンカチ及びタオルと、原告A及び同Bから提出された着衣の警察犬による臭気検査が行われたこと、刑事審及び当審を通じて右検査結果に関する捜査資料は提出されていないことが認められ、原告らは右臭気検査結果は、原告A及び同Bと遺留品とのつながりを否定するものであったと主張する。

これに対し、被告東京都は、右臭気検査はタオル等に油が付着していたために結果不明に終わり、捜査資料は作成されなかったと主張し、司法警察員宮下昌男や四六八〇車の発見者である加藤顕も、公判廷において、同趣旨の供述をしている。この点について原告らは、油が付着していたのならば臭気検査が行われるはずがないと主張するが、捜査官が、少しでも可能性のある検査は行うとの方針を取ることもありうるから、原告らの右主張は直ちに首肯することはできず、他に被告東京都の右主張を否定し、原告らの主張を裏付けるに足りる証拠はない。原告らは四六八〇車遺留品の捜査報告書には油付着の記載やその旨の写真がないとも主張するが、<書証番号略>の添付写真六葉目及び二九葉目によれば、右タオル及びハンカチには、何かを拭いたような汚れが付着していることが認められるから、右主張も裏付けを欠く。

したがって、警察犬による臭気検査結果が原告Aらと遺留品のつながりを否定するものであったとの原告らの主張は、これを認めるに足りる証拠がないものといわなければならない。

(三) 四六八〇車の遺留指紋採取結果

<書証番号略>によれば、四六八〇車から合計四一個の遺留指紋が採取されたこと、そのうち対照可能指紋は一三個であり、内訳は原告Bのもの一個、原告Aの妻のもの二個、不明者のもの一〇個であること、同車前部ドア外側把手及びトランク開閉用の把手から不明者の指紋が検出されていることが認められる。そこで右遺留指紋の検出結果が、原告Aが同車の最終使用者である可能性を排斥するものであるかを検討する。

この点について、被告らの主張によれば、捜査官は、原告Aがトランク開閉時には指紋が付かないように意を用い、ドア把手の握り部分など、指紋を遺留したと思われる部分は犯行前に指紋の拭き取りをしたとの仮説を立てて捜査に当たっていたというのであり、犯人が指紋の拭き取りをしたとの推論も一つの仮説としては成り立ちうる。また、<書証番号略>によれば右指紋はドア把手の握り部分ではなく把手の根元部分から採取されているものであることが認められるところ、右部分はドアの開閉を行う者が当然に触れる場所であるとはいえないから、捜査官において、犯人がこの部分は拭き取らなかったと考えても、不合理な推論とまではいえない。

右のような推論も一つの仮説として成り立ちうる以上、右遺留指紋採取結果から、捜査官が原告Aに対する嫌疑を払拭しなかったとしても、無罪証拠を無視したとはいえない。

(四) 関の原告Cに対する面通し

<書証番号略>によれば、関は八月末ころ新宿大ガードそばで原告Cに対する面通しを行ったこと、その結果は「似ているところもあるけれど、断言はできない」というものであったことが認められる。そこで、右面通しの結果により捜査官が原告Cらに対する嫌疑を払拭すべきであったかを検討するに、関の犯人の人相に関する記憶が必ずしも明確とはいえないことは前記1(一)(1)①のとおりであるし、右面通しの結果も原告Cについて否定的結論を出したものとは理解できないから、右面通し結果をもって原告Cらに対する嫌疑が払拭されたと考えなかった捜査官の判断が一概に不合理であるということはできず、右事実により捜査官が無罪証拠を無視したとはいえない。

(五) 原告Aらが四六八〇車の最終使用者であることの不自然さ

四六八〇車のダッシュボードに原告B名義の車検証が遺留されていたこと、警察からの問い合わせに対し、同原告は原告Aに貸したと話し、同原告宅まで案内したこと、その後右原告らは警察の事情聴取に応じたことは前記第二の一4のとおりである。

そこで、右行動が真犯人としては不自然で、捜査官が右事実から原告らに対する嫌疑を払拭すべきであったかを検討する。捜査官の認識によれば、四六八〇車が遺留されていた事実からして、総監公舎事件の犯人は、関が逃走車のナンバーを目撃したことを知っていたと考えていたものであり、そのため、目撃されたナンバーの車を遺留すれば所有者に対し捜査の手が及ぶことは当然予想されることであり、所有者が犯人であれば、車検証を持ち去ることは意味のないことであるばかりか、却って嫌疑が深まる結果ともなりかねないと考えていたものであり、そのような考え方も一つの仮説として成り立ちうる。また、原告Bが原告Aの名前をすぐ出した点についても、原告Aは事件直前まで四六八〇車を使用していたものであり、右使用について近隣の目撃者がいることは十分予想されることであるから、原告Bが原告Aへの貸与を敢えて隠さなかったことが真犯人の行動として不自然とはいえないと考えた点も同様である。したがって、これらの事実から右原告らの嫌疑を払拭しなかった捜査官の判断が必ずしも不合理であるとはいえない。

(六) 高橋賢蔵供述

<書証番号略>によれば、高橋は、四六八〇車に乗車していた人物について、運転席の男は年齢21.2歳、身長一七〇センチ位、中肉、髪は長かったが肩までは伸びておらずふさふさした髪で油っけがあったこと、助手席の男は年齢21.2歳位、身長一七〇センチ位、中肉で髪は運転手と同じ位の長さだが油気がなくぼさぼさだったこと、後部座席の男は同じ位の年齢で、身長も一七〇センチ中肉で、髪は他の二人と同じ位の長さで油っ気のある髪だった旨を供述したこと、そして原告A、同B及び同Cの写真を含んだ写真一二枚を示した写真面割りに対しては、原告Cの写真を抽出し、その他の人達についてはこの写真の中には見あたらない旨述べたことが認められる。

そこで、高橋の右供述から捜査官が原告Aに対する嫌疑を払拭するべきであったかどうかを検討する。確かに右認定事実によれば、高橋は髭のある人物の存在を供述しておらず、写真面割りでも原告Aの写真を抽出していないのであり、高橋供述は、同原告の嫌疑を薄める方向の供述であると考えられる。しかし、<書証番号略>によれば、高橋は、同人が原告Cに似ていると指摘した人物と会話を交わしたのみで、他の乗員二人とは格別会話などしておらず、特に人相を観察したり記憶に留めておくような状況も窺われないうえ、高橋は髭のある人物がいなかったと供述しているわけではないから、捜査官が、高橋供述をもって原告Aに対する嫌疑が払拭されたと考えなかったとしても、その判断を一概に不合理であるということはできない。

(七) 結論

以上の認定事実からすると、総監公舎事件の初期捜査において、捜査官が原告らの無罪証明につながる証拠を無視ないし隠匿したとの事実を裏付けるに足りる証拠はないものといわなければならない。

3  真実解明のための捜査活動の欠落

原告らは、捜査側は通常の真実解明のための捜査活動は全く行わず、いかにして原告らを総監公舎事件につなげるかという視点のみから捜査活動を行っていたと主張するので検討する。

(一) 四六八〇車の入手経路捜査

<書証番号略>によれば、四六八〇車はそもそもSの紹介で双葉自動車を訪れた井村哲郎が予約したものであること、その後双葉自動車の担当者江里重之が井村に対し引き取りを催促したがなかなか現れず、七月下旬になってやっと井村が若い男二人(原告B及び同D)を連れて引き取りに来たこと、同車は原告Bの名義で購入されたこと、捜査官は遅くない時期に右入手経路について把握していたことが認められる。また、<書証番号略>によれば、捜査官はS及び井村について住所・氏名・勤務先等の基礎的調査をし、井村が四六八〇車遺留場所の真向かいにあるアジア経済研究所に勤務していることを把握していたこと、しかし、Sが総監公舎事件に関連して事情聴取を受けたのは昭和四七年一月一三日であり、井村に関しては一度勤務先に捜査官が訪ねたが帰省中で接触できず、その後は事情聴取を行っていないことが認められる。

そこで、捜査官が同車の入手経路に関する捜査を行わなかったことから、捜査官が真実解明ではなく原告らを総監公舎事件に結びつけるという視点のみから捜査活動を行っていたといえるかどうかを検討する。

<書証番号略>によれば、総監公舎事件においては、関の目撃供述、四六八〇車の不自然な遺留状況、同車以外の4680.4980ナンバーの車の稼働状況に不審な点がなかったことなどから、四六八〇車が逃走車両であり、同車の最終使用者が総監公舎事件の犯人であるとの可能性があったことが認められる。したがって、準捜査本部の捜査においても、同車の最終使用者の特定に一つの重点が置かれたものと考えられるが、関係各証拠を精査しても、四六八〇車の購入経緯に関与したS及び井村が、同車の最終使用に関係していることを窺わせる証拠はなく、初期捜査の時点で同人らの供述を得る必要性が高かったとは認めることができない。また、<書証番号略>によれば、捜査官は井村が左翼の活動家であることを把握し、事情聴取を行っても有益な供述は期待できないとの予測のもとに、取調べを行わないまま様子を窺っていたことが認められ、以上の認定によれば、捜査官がS及び井村の事情聴取を行わなかったことが不合理な判断であったということはできず、したがって、捜査官が同車の入手経路に関する捜査をしなかった事実をもって、捜査官が真実解明のための捜査を怠っていたと認めることはできない。

(二) 原告A供述に対する対応

原告らは、捜査官が原告Aの供述を虚偽と判断しながら、八月八日以降何らの弁解の機会も与えず、虚偽供述イコール犯人として偏った捜査を行ったと主張する。そこで検討するに、<書証番号略>によれば、捜査官は原告Aの虚偽供述により、同原告が四六八〇車の最終使用者であり、総監公舎事件に何らかの形で関与しているのではないかとの嫌疑を抱いたことが認められるが、捜査官が原告Aの虚偽供述から同原告に右嫌疑を抱くことが一概に不合理な判断であるとはいえず、その場合に、捜査の密行性の観点から即座に同原告に対する事情聴取などを行わないことも、必ずしも不合理な判断とはいえないから、これをもって捜査官が偏った捜査を行っていたと認めることはできない。

また<書証番号略>によれば、新宿コマ劇場裏で行われた実況見分の際、ガードレールの位置が原告Aの供述と異なっていたため、西海が「貴男は左側ガードレール壱杯に車両(被害車)を駐車したと話しておりますが、事実はこのとおり左側ではなく右側ですね。駐車場所が違うのではないですか」と質問したこと、これに対して原告Aは「ガードレールは左側と思っておりましたが右側ですね。車は此処に停めたことに間違いない。此処は一方通行だから右側に駐車はしません」と返事をしたこと、西海はそれ以上の追及を同原告に対し行っていないこと、西海が右ガードレールの移設状況について新宿区役所土木部工事事務所に調査確認したところ、右ガードレールは七月二九日までに左側から右側に移設されたことが判明したことが認められる。そして原告らは、西海は右実況見分時に既に右調査確認を終えていたにもかかわらず、原告Aの返答に対して何らの反応も示さなかったのであり、そのような捜査活動には問題があると主張する。

しかし、西海と原告A間の右問答が右調査確認の後に行われたものであることを認めるに足りる証拠はないから、原告らの右主張は理由がない。

(三) 中畑れい子供述

<書証番号略>によれば、原告Aは八月七日の取調べに対し「八月六日午後四時頃新宿コマ劇場裏の道路に四六八〇車を停め、喫茶店『蘭』に行った。『蘭』では店内一階一番奥のソファに腰掛け、友人に電話を掛けたりしていたが、午後五時頃店を出て車を停めた場所に戻ってみると車がなくなっていた」旨の供述をしたことが認められる。そして<書証番号略>によれば、中畑れい子は「蘭」のウエイトレスであり一階と二階に分かれている同店内のうち一階を担当していること、同店の勤務時間は午前九時から午後五時までと午後五時から午後一一時までに分かれているが同人は他の五名とともに午後五時までの勤務であること、同人は休みを取った八月八日の五、六日前に原告Aが同店に来たのを見たが、その後は見ていない旨供述したことが認められる。

そして原告らは、他のウエイトレスの供述調書がないのは不自然であり、捜査官は特定の方針に沿う証人を一二人のウエイトレスからやっと一人だけ発掘したのであると主張する。しかし、原告Aに見覚えがないウエイトレスであればその供述調書を作成する必要性が乏しいといえるのであり、また、捜査官が中畑と異なる供述をするウエイトレスの存在を無視したことを窺わせる証拠はないから、原告らの右主張は理由がない。

(四) 原告B供述の関連捜査

原告らは、捜査官は八月七日の事情聴取の際、原告Bが八月六日夜のアリバイを主張したにもかかわらず、原告Cに対する事情聴取を行わず、また原告Bに対して四六八〇車の遺留品の確認もしなかったのであって、右事実は捜査官が真実解明を旨とする捜査方法を放棄していたこと、あるいは四六八〇車の最終使用者が別にいるとの判断に達していたことを示していると主張するので検討する。

<書証番号略>によれば、捜査官は八月七日に原告Bのアリバイ主張を聴取した後、原告C宅にも事情聴取に赴いたが留守のため事情聴取を行えなかったこと、その後捜査官は、高橋賢蔵から四六八〇車の乗員の一人が原告Cに似ているとの供述を得、同原告についても総監公舎事件に関する嫌疑が発生したため、事情聴取を行うことを中止したことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。そして、以上の認定事実によれば、捜査官が原告Cに対し事情聴取を行わなかったことが不合理とはいえず、これをもって捜査官が真実解明を旨とする捜査を放棄していたと認めることはできない。

次に、<書証番号略>によれば、八月七日の事情聴取の際、捜査官が原告Bに四六八〇車の遺留品の確認を求めなかったことが認められるが、<書証番号略>によれば、原告Bは七月下旬に同車を購入したものの、ほとんど使用しないまま同月二八日には原告Aに同車を貸したことが認められるのであるから、捜査官が、とりあえず原告Aのみに遺留品を確認すれば足りると判断したか、あるいは確認を失念したとしても一概に不合理ということはできない(<書証番号略>によれば、原告Aに対しては四六八〇車の遺留品について簡単な確認が行われていることが認められる)。したがって、右事実から捜査官が真実解明を旨とする捜査を放棄していたと認めることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

(五) 結論

以上の認定事実からすると、総監公舎事件の初期捜査において、捜査官が原告らと総監公舎事件を結びつける視点のみから捜査活動を行い、真実解明のための捜査を怠ったとの事実を裏付けるに足りる証拠はないものといわなければならない。

四  窃盗事件における警察官の捜査の違法性

1  捜査官による証拠資料の捏造と捏造された証拠資料による原告C及び同Aに対する窃盗事件逮捕の違法性

(一) 窃盗事件捜査の端緒

原告らは、本件窃盗事件捜査の端緒は不明瞭であり、四三二三車の髭の男の存在がどこから判明したかについても各捜査官の供述が食い違っており、四三二三車二重追突事故を処理した丹波から髭の男の存在を知った捜査側が、窃盗事件を総監公舎事件に利用することを思いついた疑いが強いと主張するので検討する。

<書証番号略>によれば、司法警察員北岡均は昭和四六年九月当時総監公舎事件の目撃者について聞き込み捜査を行っていたこと、その捜査過程で、日本テレビが午前零時過ぎに要請した無線自動車の記録をとっている事実を把握したこと、そこで北岡は右記録をもとに事件発生日の午前二時ころを中心にタクシーやハイヤーの運転手に聞き込み捜査を行ったこと、その一環として日本交通の後楽園営業所に行った際、次長の中村徹郎から「写真の車(四六八〇車)と同じ型の車が約二か月前、麹町署管内で交通事故を起こした」との情報を得たこと、右情報に基づき麹町警察署で交通記録を調査したところ四三二三車二重追突事故の事実が判明したことが認められるのであり、準捜査本部が四三二三車窃盗事件の存在を知った経緯に特に不自然な点は認められない。

また、<書証番号略>によれば、捜査官が、二重追突事故の際に四三二三車に髭の男が乗っていたことを知った経緯について、北岡均は中村徹郎に聞いたと供述していること、宮下昌男は当初窃盗事件関係記録から判明したとしながら、後に交通事故について調べているときに帰ってきた丹波から聞いたと供述を変更していることが認められ、右捜査官の供述には齟齬・変遷があることが認められる。しかし、日本交通の中村、右事故の処理を担当した丹波、窃盗事件関係記録のいずれからも、四三二三車に髭の男が乗っていたことを知ることができることが認められるところ、そのいずれかから端緒を得た捜査官が、他の記録・捜査官にあたるなどして髭の男の存在を確認した場合に、当初の端緒がいずれであったかについての記憶の混同が生じるのは必ずしも不自然とはいえない。まして宮下は自ら直接捜査に従事したわけでもないのであるから、右捜査官の供述の齟齬・変遷のみをもって、原告らの右主張事実を認めることは困難であり、他にこれを裏付けるに足りる証拠はない。

(二) 被告Gによる三好政仁及び樋口芳雄の供述の誘導・捏造

(1) 面割り方法の違法性

<書証番号略>によれば、写真面割りで捜査官が三好及び樋口に示した写真の中に、髭のある男の写真は原告Aのもの一枚しか含まれていなかったことが認められ、原告らは右写真面割りの方法は目撃供述を不当に誘導するもので違法であると主張する。

そこで検討するに、<書証番号略>によれば、宮下は写真面割りに際して、事前に三好らから聴取した人相に近い写真を選んで捜査員に持たせたが、髭のある男性の写真が他に手元になかったため、結果的に髭の写真が原告Aのもの一枚になってしまったというのであり、他方、捜査官が三好及び樋口の目撃供述を不当に誘導する目的で、髭の写真を原告Aのものしか入れなかったとの事実を裏付ける証拠はない。したがって、右写真面割りの方法が違法であるとまで認めることはできない。

なお、この点について、地刑二部判決は、髭の男について、被告人Aの写真だけを示したことが客観的証拠について慎重な検討を欠いた措置であると考えているようである(六二丁裏)が、高刑一〇部判決は、写真面割りの前後の事情も認定のうえ、右写真面割りを特に問題視する判示をするに至っておらず(一六丁裏)、両裁判所の間に認識の相違が見られる。

次に、原告らは、四三二三車二重追突事故の加害者であり、警察に対して迎合的であった三好を誘導して面割りを実施したと主張するが、捜査官が三好に対して、黙示・明示を問わず、そのような誘導を行ったとの事実を認めるに足りる証拠はない。

さらに、<書証番号略>によれば、原告A及び同Cに対する実物面割りは、捜査官によって特定された右両名を三好及び樋口に確認させるという方法で行われたことが認められるが、面割りが行われた場所やその際の人通りの多さなどの具体的状況を勘案すれば、捜査官が先に原告らを特定したことをもって、直ちに違法な誘導であると認めることはできない。

(2) 供述調書の捏造

原告らは、三好及び樋口の公判廷供述によれば、右両名の員面調書の内容は実際の供述より断定的なものにされていることが明白であり、右調書は被告Gの強引な誘導によって作成された偽造調書であると主張するので、この点について検討する。

① 三好供述について

Ⅰ 九月七日及び同九日付け員面調書の内容<書証番号略>によれば、三好は被告G作成の員面調書において、四三二三車に乗車していた二人の男について、次のように供述していることが認められる。「背の高い男(甲)は、写真のAに間違いありません。今日、刑事さんに連れられて実物を見ましたが、その結果は絶対に間違いないという自信を深めました。最初この男を上石神井駅のホームで確認し、この男が甲だと直感しました。その後同じ電車に乗り込みこの男を観察したのですが、その間にこの男が何回もやっていた右手で頭髪をなで上げる仕草が甲と同じだったので、この男が甲だと確信をもちました。」「背の低い方(乙)は、九月六日に刑事さんから写真を見せられたとき、写真のCが事故の相手の一人だと直感したものの自信が持てず、一旦刑事さんが写真をしまったのをもう一度見せてもらい、まず間違いないと思ったので、この男を乙だと答えました。今日この男(原告C)の実物を確認しましたが、最初新宿駅近くの大交差点で顔を見たときは、交通事故をやったときに見た顔に似ていると印象をもったのですが、まだ自信が持てませんでした。今度は地下鉄入口ですれ違うようにして顔を見て、ほぼ間違いないと思いました。さらに地下鉄切符売場の前で五分ほどじっくり見てほぼ間違いないと思いました。この人は甲と違って髭や髪をなであげる癖・特徴がなく、交通事故現場でも口をきいていないのでしっかりしたところをとらえることができませんでしたが、頭髪の長さ、顔づくり、体つき、身長、とくにやさ型という感じなどからして、まず間違いないと思っております。」

Ⅱ 原告Aの面割りに関する供述についての誘導の有無 まず原告Aの写真面割りに関する供述について、被告Gの誘導の有無を検討するに、<書証番号略>によれば、三好は公判廷において、現時点では原告Aが二重追突事故の時に会った人であると完全に確信を持っては言えないが、写真を選んだ段階では断言できた状態であったと供述していることが認められる。したがって、原告Aの写真面割りに関する前記Ⅰの員面供述は三好の記憶に基づくものと認められる。

次に、原告Aの実物面割りに関する供述について、被告Gの誘導の有無を検討するに、<書証番号略>によれば、三好は公判廷において、最初原告Aを見た時点では、服装や周囲の明るさなどから感じが掴みにくく、はっきりこの人だとは断言できない状態であったが、さらに電車に乗って同原告の観察を続けた結果、髪の毛を手でかき上げる仕草が事故の時会った人と同じだったのでこの人じゃないかと思った旨述べていることが認められ、三好の右公判供述は前記Ⅰの員面調書の内容に概ね沿うものであるから、原告Aの実物面割りに関する右員面供述は三好の記憶に基づくものと認められる。

Ⅲ 原告Cの面割りに関する供述についての誘導の有無 原告Cの写真面割りに関する供述について、被告Gの誘導の有無を検討するに、<書証番号略>によれば、三好は公判廷において「背の低い方については写真を見せられたがはっきりせず、捜査官が帰る際にもう一度見せてもらい、この人どこかで見たことがあるような感じがするんだがと言ってもう一枚(Cの写真)を選んだ」旨供述していることが認められ、この公判廷供述と前記Ⅰの員面調書の内容を比較すると、員面調書の方が断定的な内容になっていることが認められる。しかし、三好の公判廷供述においても被告Gが三好を強引に誘導し右員面供述を得たことを窺わせる供述はなく、他に右員面調書が被告Gの一方的な作文ないし強引な誘導によるものであるとの事実を認めるに足りる証拠はない。

次に、原告Cの実物面割りに関する供述について、被告Gの誘導の有無を検討するに、<書証番号略>によれば、三好は公判廷において原告Cの実物面割りの際の感想として「体つき、背丈などはやっぱり似てる感じはするんですが、はっきりこの人だって断言はできかねるような」と供述していることが認められるが、これに対応する前記Ⅰの員面調書にも、原告Cの面割りについてはなかなか自信をもてなかった経緯が縷々記載されており、最終的な結論も「ほぼ」間違いないというもので断言を避ける形になっている。したがって、右員面調書は三好の記憶に基づく供述内容を録取したものといえる。

Ⅳ 以上の認定事実からすると、被告Gが三好を取り調べるにあたって、同人を強引に誘導し偽造調書に等しい調書を作成したとの事実は、これを認めるに足りる証拠がないものというべきである。

② 樋口供述について

Ⅰ 九月一〇日付け員面調書の内容<書証番号略>によれば、樋口は被告G作成の九月一〇日付け員面調書において、二重追突事故の際四三二三車の乗っていた人物について、次のように供述していることが認められる。「九月七日に刑事さんが来て事故のことを聞かれ、多くの写真を見せられました。このとき私は髭の生えた男については写真のAですと答え、もう一人については、この男に似ていると言ってCの写真を出しましたがこちらについては自信がなかったのです。今日写真の二人の実物を見て確認しました。髭の男(原告A)については、顔については間違いありません。私が事故現場で見て覚えているのはもう少し髭が多くあった様に記憶していますが、今日よく見てみると顔も姿も事故の際見た男に相違ありません。もう一人の男(原告C)も、間違いなくコロナ乗用車に乗っていた髭のない方の男に相違ありません。あの事故現場から知っている病院に行くといって立ち去った後姿もそっくりです。この男は今日見たよりももっと背が高かった様に思っていましたが顔それから体つきからして間違いありません。」

Ⅱ 写真面割りに関する供述についての誘導の有無 原告A及び同Cの写真面割りに関する供述について、被告Gによる誘導の有無を検討するに、<書証番号略>によれば、樋口は公判廷において「覚えていないと言うと捜査官から似通った人でもいいからちょっと指してくれないかと言われ、一応似ていると思った人を指した」旨供述していることが認められ、右公判廷供述と前記Ⅰの員面調書を比較すると、員面調書の方が断定的な内容になっていることが認められる。しかし、樋口の公判廷供述においても被告Gが樋口を強引に誘導し右員面供述を得たことを窺わせる供述はなく、他に右員面調書の記載が被告Gの強引な誘導ないし一方的作文による偽造であるとの事実を認めるに足りる証拠はない。

Ⅲ 実物面割りに関する供述についての誘導の有無 原告Aの実物面割りに関する供述について、被告Gによる誘導の有無を検討するに、<書証番号略>によれば、樋口は公判廷において、「私の記憶には髪の長かったことというのと、髭のあるということがあったんで、まあよく似ているんじゃないかということは言ったんですけれども」と供述していることが認められ、前記Ⅰの員面調書の記載と実質的に相違する点は特に認められないから、右員面調書は樋口の記憶に基づく供述を録取したものと認められる。

次に原告Cの実物面割りについて、被告Gによる誘導の有無を検討するに、<書証番号略>によれば、樋口は公判廷において「それについては私は全く全然わからないと言ったんです」と述べていることが認められ、右公判廷供述は前記Ⅰの員面調書の記載と明らかに異なっている。しかし、樋口の公判廷供述によっても、被告Gが樋口を強引に誘導して、記憶にない虚偽の供述をせしめたことを窺わせる供述は全く存在しない。したがって、右員面調書がどのような問答の末に作成されたものであるか明らかではなく、他に右員面調書が被告Gの誘導・偽造によって作成されたことを裏付けるに足りる証拠はない。

Ⅳ 以上の認定事実からすると、被告Gが樋口を取り調べるにあたって、同人を強引に誘導し偽造調書に等しい調書を作成したとの事実は、これを認めるに足りる証拠がないものというべきである。

(三) 捜査官による原告A及び同C住居付近住民の供述の捏造

原告らは、原告A及び同C住居付近で得られたとされる付近住民の目撃供述は、捜査官の誘導に基づくものであると主張するので、検討する。

(1) 幡ヶ谷マンションの住民の供述

<書証番号略>によれば、幡ヶ谷マンション一〇一号室居住の宮田幸一は大要「五月ころ、隣の一〇二号室の部屋の前に、紺色の手入れをしていない汚れた車で、多分コロナかブルーバードと思われる車が駐車してあったのを何回となく見た。この車を駐車し運転していたのは一〇二号室の長髪の髭を生やした男の人である。五月と言えるのは隣の人の引越し(七月)の一ヶ月位前のことだからだ」との旨を、同マンション三〇一号室居住の藤原美代子は大要「同マンションに三月一日に引っ越して来てから二か月位後かその後で夏になる前ころ、写真の男(原告A)が、同マンションの南側の一方通行道路に、駐車させておいた古い普通乗用車を運転して出掛けるのを、自分の部屋から二、三回見た。この車は古い型で濃いブルーの塗色で最近では珍しいと思っていたので印象に残っている。写真の車(四六八〇車)の型のように記憶している」旨を供述していることが認められる。

原告らは、右員面調書の供述は、原告Aが当時所有していたブルーバードとの混同を利用して捜査官が誘導したものであると主張するのであるが、右各員面調書の内容自体から捜査官による誘導の事実を推認することはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

(2) 軽部清八の供述

① 軽部清八の員面調書の内容

<書証番号略>によれば、被告G作成の一〇月一四日付け員面調書において、軽部は以下のとおり供述していることが認められる。

「C1が引越しをした五月二三日の午前一〇時ころ、アパートの前に紺色のトヨペットコロナ六四年式が停車していて、荷物を部屋からこの乗用車に積んでいました。C1の引越しには、CとBが手伝いに来ていました。また、この引越しの前日の午後七時ころ、アパートの玄関先にこのトヨペットコロナが停まっており、C1とCが荷物を部屋から運んでこの自動車に積んでいたのを見ました」

次に<書証番号略>によれば、田中克彦作成の一一月七日付け員面調書において、軽部は次のとおり供述をしていることが認められる。「引越しの時にC1が荷物を運ぶためにCが運転していた車は普通乗用車でトヨペットコロナで黒に近い紺色の車でした。(四三二三車の写真を提示されて)C1が引越しに使った車の型は、この写真の車に間違いありません。そして、引越しの時に荷物を運ぶのを二階の自室から見ていたときに、車の後部トランクの上に洋服箱のような箱数個と手ボーキ一本を乗せてそれを後部座席に移し替えているのも見ているので、この車はトランクがあるので、トラック型やライトバン型ではなく普通乗用車であることをはっきり覚えているのです」

② 被告Gによる誘導の有無

<書証番号略>によれば、軽部は公判廷において「五月二三日の引越しの日に、小長谷アパートの前に洋酒のナポレオンの瓶のようなチャコールグレーのような色の古い型のコロナが停まっているのを見た。その日は、午前一〇時ころ車だけを見たもので、昼頃にはもうその車はおらず、荷物を運んでいた者や運転をしていた者は見ていない。前日も同じ車が停まっているのを見たが、誰が扱ったかはわからない」旨供述していることが認められ、右公判廷供述と前記①の員面調書を比較すると、公判廷供述は、コロナとC1らとの結びつきやコロナの特徴に関して、かなり不明確な供述にとどまっていることが認められる。そこで以下、軽部の右員面調書は、被告Gが軽部を誘導して、記憶にない虚偽の事実を供述させたものであるかを検討する。

まず、コロナ車とC1らの結びつきに関する供述について検討するに、<書証番号略>によれば、軽部は弁護人の反対尋問に対して、C1らがコロナ車に荷物を積むところは見ていない旨を供述しているものの、続く「それではコロナ車がC1の引越しに使われた車かどうかはわからないではないのですか」との弁護人の質問に対しては、「コロナ車はC1の部屋に通じる入口に停めてあり同人の戸も開いていたから同人の引越しに使われたのに間違いない」旨を断言していることが認められるのであって、軽部の右供述態度に照らせば、同人が被告Gの取調べに対しても、このような自己の推測判断に基づいて右員面調書の供述をした可能性も否定できない。したがって、軽部の公判廷供述をもって、C1らのコロナ車への荷物積み込みに関する員面調書の供述が被告Gの誘導によるものであると認めることはできない。

次に軽部の員面調書の供述のうち、コロナ車の特徴に関する供述が被告Gの誘導によって生まれたものであるかを検討するに、<書証番号略>によれば、コロナ車の色に関する軽部の供述は、員面調書では「紺色」だったものが公判廷では「チャコールグレー」に変わっていることが認められるものの、<書証番号略>によれば、結局軽部の言わんとするところは、黒の艶がなくなったような色であったということであることが認められるのであるから、右供述の差異はその時々の差異にすぎないとも考えられ、公判廷供述と員面調書との差異をもって、被告Gの誘導を推認することはできない。また、コロナ車の型式に関しては、員面調書では「六四年式」と供述していたものが、公判廷では「古い型」「六〇年代」という程度の供述にほぼ終始したことが認められるが、員面調書の供述から公判廷供述までさらに八か月程度が経過していることに照らせば、記憶が稀薄化した結果とも考えることができ、右公判廷供述をもって、直ちに被告Gの誘導を推認することはできない。また、<書証番号略>によれば、C1の右引越しには原告BがOS色素から借りてきた白色ライトバンが使用されたことが認められるが、参考人供述と客観的事実が食い違ったことから、直ちに捜査官が参考人を誘導して記憶にない虚偽の事実を供述させたものと推認することはできない。

(3) 小長谷アパート付近住民の供述

① 小長谷アパート付近住民の員面調書の内容

<書証番号略>によれば、小長谷アパート付近住民は、昭和四六年五月ころの、同所付近における駐車車両の目撃状況について以下のとおり供述していることが認められる。

東京都杉並区堀の内<番地略>居住の小沢良徳は大要「五月中旬ころ、断続的に五日間か一週間位、森下寛宅前の道路で、トヨペットコロナ六四年型、一五〇〇、紺色のほこりだらけの車が駐車してあったのを見たことがある」旨を、同区堀の内<番地略>居住の高久絹代は大要「五月ころか六月の初めころ、森下寛宅前の道路で夜七時か八時ころに二、三回、コロナの古い型で色は<書証番号略>(四三二三車窃盗事件の被害者の夫が四三二三車の色に近いと思う紙片を貼ったもの)と同じの汚い車が駐車してあるのを見た」旨を、同区堀の内<番地略>居住の幡野三男は大要「五月ころ、朝夕五回から六回位森下寛宅前の路上で、紺色のコロナが駐車してあるのを見た」旨を、同区堀の内<番地略>居住の森下寛は大要「自宅の玄関前路上にトヨペットコロナ六三年式一五〇〇cc位の紺色の相当古い車が駐車しているのを見た。見たのは、五月中の一〇日か二〇日間位の内の数回で、午前八時ころと午後八〜九時ころである。一度そのコロナに乗っている男を見たことがあり、その男は示された写真のうち、写真のAが全体的な感じとしては似ているが、間違いないとは断定はできない」旨を、同区堀の内<番地略>居住の池上昌子は大要「五月中旬ころか六月初めころ午前七時半ころ、森下寛宅前の路上で、紺色のほこりを一杯かぶった車が駐車してあるのを見た。車の型は今示して貰ったトヨペットコロナ一五〇〇デラックス六四年型の見本写真と横から見た型がそっくりで、色は<書証番号略>と殆ど同じである」旨を、五月一八日まで同区杉の木<番地略>に居住していた神農侑子は大要「五月中旬ころ朝や晩に、森下寛宅前路上や小沢良徳宅前路上で、紺色の汚れたほこりをかぶった車が駐車しているのを見た。この車の型は今示して貰ったトヨペットコロナ六四年型の写真のものに間違いない」旨を、同区堀の内<番地略>居住の小山栄造は大要「五月中旬ころの朝夕に、自宅付近路上で、紺色のほこりが一杯かぶっている『多』か『多摩』ナンバーの車が駐車しているのを見た。車の型は今示して貰ったトヨペットコロナ一五〇〇デラックス六四年型の見本写真と横から見た型がそっくりである」旨を、同区堀の内<番地略>居住の木村とも子は大要「四月二七日から五月二九日までの間の午後六時半〜七時ころ、小沢良徳宅前路上や森下寛宅前路上で、写真の車(トヨペットコロナ)を見た。『多』ナンバーで紺色だった」旨を各々供述している。

② 捜査官による誘導の有無

<書証番号略>によれば、右員面調書の供述者のうち、池上昌子、高久絹代、森下寛、神農侑子及び幡野三男が公判廷において証人として証言を行っていることが認められるが、右各人の公判廷供述を検討しても、証言時までの約五年の経過により記憶が稀薄化した点以外に員面調書の供述と内容的に変わるものは見出せず、かつ、いずれの証人も警察官の誘導の事実を窺わせるような供述は全くしていない。なお、<書証番号略>によれば、池上昌子の公判廷供述中には「紺と白のツートンカラーだった。調書の時も白と紺と述べたと思う」という員面調書と矛盾する供述も認められるが、池上はその後の検察官の質問に対して、「紺とは言ったが、ツートンカラーという説明をしたかは覚えていない」との訂正をしている。

また、公判廷供述の存在しないその他の供述者について、各人の員面調書の内容その他関係各証拠を子細に検討しても、捜査官が、参考人を誘導して員面調書を作成した事実を窺わせる証拠は見当たらない。

(四) 被告Gによる虚偽の捜査報告書の作成

原告らは、原告A及び同Cに対する逮捕状請求に添付された被告G作成の捜査報告書には、右両名の嫌疑を濃厚に見せかけるための虚偽記載が含まれていたと主張する。しかし、前記(二)(2)①Ⅰの三好の員面調書の内容、同②Ⅰの樋口の員面調書の内容、同(三)(1)の幡ヶ谷マンション居住者の員面調書の内容、同(2)①の軽部の一〇月一四日付け員面調書の内容、同(3)①の小長谷アパート付近住民の員面調書の内容に照らせば、逮捕状請求時にはこれに必要な書類が揃っていたことが推認されるのであって、被告Gが捜査報告書に虚偽記載をしなければならない必要があったとは認めがたい。右捜査報告書は本法廷には顕出されていないが、右のような事情に照らせば、右報告書が提出されていないことをもって原告らの主張に沿う記載が右報告書にあると推認することはできない。

したがって、原告らの右主張はこれを認めるに足りる証拠がないものというべきである。

(五) 違法な別件逮捕

<書証番号略>によれば、原告C及び弁護人は、高刑一〇部の原告C控訴審において、窃盗事件逮捕勾留は違法な別件逮捕勾留である旨を主張したこと、高刑一〇部判決は右主張に沿った判断をしなかったことが認められ、また、<書証番号略>によれば、本件窃盗事件は団地内に施錠したうえ駐車してあった車両(被害金額約六万円)を夜間盗んだものであったこと、四三二三車を巻き込んだ二重追突事故から逃走した人物は二名であり複数犯による犯行と考えられたこと、三好政仁、樋口芳雄、軽部清八、その他原告A及び同Cの住居付近住民から情況証拠としての供述が得られたこと、原告C及び同Aの窃盗事件の逮捕・勾留中に総監公舎事件の取調べは行われず、原告Cについては窃盗事件起訴後に窃盗事件と並行して総監公舎事件の取調べが行われたのみであることが認められる。

以上の認定事実からすると、原告C及び同Aに対する本件窃盗事件による逮捕勾留が、違法な別件逮捕勾留であると認めるのは困難であり、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

(六) 結論

以上の認定事実からすれば、被告Gら捜査官が、原告A及び同Cの身柄を拘束して総監公舎事件の捜査を進展させる目的のもと、窃盗事件の関係者の供述を捏造・歪曲して資料を整え、右両名の逮捕を執行したとの事実は、これを認めるに足りる証拠がないものといわなければならない。

2  原告Cに対する取調べの違法性

(一) 原告Cに対する取調べの経過

<書証番号略>によれば、原告Cに対する取調べの経過については以下のとおり認められる。

原告Cは、一一月六日の早朝、東京都中野区の自宅から任意同行を求められ、同日午後六時過ぎ警視庁で逮捕状を執行された。同原告は警視庁麹町警察署の拘置監に留置された。

原告Cに対する取調べは、主として司法警察員西海喜一、北岡均、大塚喜久治が抵当した。原告Cは、逮捕当日の弁解録取では被疑事実を否認したが、一一月九日からは原告A、同B及び同Dが四三二三車に似た古いブルーのコロナを使用していた旨の供述を始め、一四日には、右三名が乗車していたコロナのナンバーが、逮捕状を読んだときに直感的に自分が乗ったか見たかしたと思った「多四三二三」である旨の供述を行った。そして一六日にはコロナを盗難車だと思った旨を、一九日には原告Aと同Bがコロナに乗っていて交通事故に遭ったと聞いた旨を、二二日には原告Bからコロナを盗んだのは同原告と原告Dと同Eであると聞いた旨を供述したうえ、右同日夜に原告C、同B、同D、同E及びHの五名でコロナを盗んだ旨の自白をするに至った。

その後、原告Cは翌二三日に犯行についての詳細な自白をし、二四日には実況見分を行い、二七日の起訴後も供述の変遷はあったものの、高刑一〇部での自己の控訴審に至るまで一貫して自白を維持した。

(二) 連日長時間の取調べ

(1) 留置人出入簿の成立の真正

<書証番号略>によれば、原告ら本件窃盗事件及び総監公舎事件の被告人及び弁護人は、右事件の刑事裁判においても、留置人出入簿の成立の真正を争ったこと、地刑二部及び高刑一〇部は、留置人出入簿の偽造を認めず、留置人出入簿の記載を前提とした判断をしたことが認められる。そして右経過を踏まえ、さらに本件訴訟において改めて、刑事裁判における被告人質問の内容、取調官の証人尋問の内容、留置人出入簿の記載内容、その体裁等を勘案して、右出入簿を子細に検討しても、なお、留置人出入簿が偽造されたものであるとの事実を認めるに足りる証拠はない。

(2) 連日長時間の取調べ

<書証番号略>によれば、原告C及びその弁護人は、高刑一〇部の原告C控訴審において、同原告の各供述調書は連日長時間の取調べによって自白を強要されたもので任意性がないと主張したこと、高刑一〇部判決は同原告が常軌を逸するような長時間の取調べを受けた事実があるということはできないとし、窃盗事件の各供述調書の任意性を肯定したこと(七丁裏ないし八丁表)が認められる。一方、地刑二部判決は、同原告について、一一月六日の逮捕以来自白に至る同月二二、二三日までの間、連日、相当長時間にわたる取調べが行われたと認定している(六三丁裏ないし六四丁表)。

右経過を踏まえ、さらに本件訴訟において改めて検討するに、<書証番号略>(麹町警察署留置人出入簿)によれば、原告Cは、逮捕された一一月六日から窃盗事件で起訴された同月二七日までの間、二五日を除いて連日取調べを受けたが、押送や食事に通常合理的に要する時間を差し引けば実質取調べ時間が一〇時間を超えたと考えられる日は二日程度であると考えられること、初めて自白をした一一月二二日までの間、入房時間が午後一一時を過ぎたのは一日のみであっこと、二二日の入房時間は午前零時をまわっているが、翌日の出房は午後零時三五分と一応の配慮がなされていること、午後の出房も三回あることが認められる。右に認定した取調べ時間や時刻からすると、原告Cの取調べについて、社会通念上取調べとして許容される限度を超えた違法なものであるということはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

(三) 自白の強制

(1) <書証番号略>によれば、原告C及びその弁護人は、高刑一〇部の原告C控訴審において、同原告の各供述調書は捜査官により自白を強要されたもので任意性がないと主張したこと、高刑一〇部判決は捜査官が拷問その他自白の任意性を失わせるに足りる程度の強要、脅迫を加えてその自白を得たとの事実を認めることができないとして、窃盗事件の各供述調書の任意性を認めたことが認められる。一方、地刑二部判決は、特に初めて自白をした一一月二二日及び翌二三日には相当厳しい取調べが行われたと認定している。

(2) 右経緯を踏まえて、本件訴訟でさらに原告らの主張を認めるに足りる証拠があるかを検討するに、<書証番号略>によれば、原告Cは、地刑二部統一公判の証人尋問及び高刑一〇部自己の分離公判控訴審の被告人質問において、取調べの状況について、大要「質問に対して黙っていると、机をどんどんやったり、大声で『盗人、盗人』と罵倒したり、頭を小突かれたりした。そして、目はまっすぐ見てろ、膝はちゃんとしてろ、まっすぐ姿勢を正せと言われ、足を組んでいると靴ですねをつつかれた。そして近所の人も見ているから絶対間違いないと言われるうちに、自分の記憶がおかしいのかと思うようになって、毎日毎日の長時間の拷問とも言えるみたいな取調べの中で、もうどうでもいいやという気持ちになった」と供述し、連日の厳しい取調べにより自白を余儀なくされた旨を述べていることが認められる。

しかし反面、<書証番号略>によれば、原告Cは自己の第一審公判廷においては、自白の強制については何ら主張をせず、公訴事実を認めていたことが認められ、また<書証番号略>によれば、自分が第一審で実刑有罪判決を受けた後に行われた地刑二八部原告E分離公判の証人尋問においても、「無理な調べや強制があったのですか」との弁護人の質問に対して「特にそういうことはありませんでした」と否定していることが認められる。また、<書証番号略>によれば、原告Cは逮捕後早い段階から、共犯者として共に逮捕されている原告Aが引越しの時に四三二三車に似たコロナで来たとの不利益供述をしていることが認められるが、右供述をするに至った経緯について、原告Cは地刑二部の公判廷において「五月二三日の引越しの時コロナが来た事実はなかったが、向こうが来た来たというし、僕もよくわからなくなって、まあどうでもいいやということで来たと認めた」などと供述していることが認められ、右供述からは、原告Cが取調官の厳しい追及に耐えかねて、不利益供述を余儀なくされたとの状況を窺うことはできない。さらに、原告Cは一一月一八日には勾留理由開示公判に臨んでいるが、<書証番号略>によれば、原告C及びその弁護人が右公判で取調官が怒号や暴行により自白を強制したとの訴えをした事実は認められない。

以上を総合すれば、取調官の怒号や暴行などにより自白を強制されたとの原告Cの地刑二部及び高刑一〇部における供述はにわかに信じがたいといわざるをえない。

(3) 原告らは、原告Cの捜査段階の供述が強制によるものであることの証左の一つとして、同原告の供述経過が自発的供述をしているもののそれとしては不自然である点や変遷が多々ある点を主張するが、原告ら主張のような供述内容の不自然さをもって、原告Cの供述が強制によるものであるということはできない。

3  原告Aに対する取調べの違法性

(一) 原告Aに対する取調べの経過

<書証番号略>によれば、原告Aの取調べ経過は、以下のとおり認められる。

原告Aは、一一月六日の早朝、東京都練馬区の自宅から任意同行を求められ、同日午後六時過ぎ警視庁において逮捕状を執行された。同原告は、警視庁本部の拘置監に留置された。原告Aに対する取調べは、司法警察員宮下昌男及び松永鐡美が担当したが、同原告は、逮捕当初から被疑事実を否認ないし黙秘し、そのまま一一月二七日に処分保留で釈放された。

(二) 連日長時間の取調べ

<書証番号略>によれば、原告Aは公判廷において、自らの取調べ状況について、一一月七日から九日は午前九時ころから午後一〇時ころまで取調べを受けたが、同月二一日には初めて午後五時から六時ころの早い時間に取調べが終わったこと、二二日はかなり遅くに取調べが始まったこと、二三日には二時間程度の取調べだったこと、二四日から二六日の間は取調べがなかったこと、二七日は午前中のみの取調べだったことを供述していることが認められ、右の供述によって認められる同原告に対する取調べ時間や時刻が、直ちに社会通念上取調べとして許容される限度を超えた違法なものであるとまで認めることはできない。

(三) 自白の強制

原告らは、取調官は原告Aに対し、一一月七日から一一日までの間、連日大人数で恫喝と脅迫と侮辱を浴びせかけて、自白を強要したと主張し、原告Aも公判廷において同趣旨の供述をしている。これに対し、原告Aの取調官である宮下及び松永鐡美は公判廷で右事実を否定する供述をしており、右供述の信用性を否定するに足りる証拠は存しない。そして、関係各証拠を精査しても、原告Aの右供述を裏付けるに足りる適切な証拠は存在しないから、原告らの右主張は、これを認めるに足りる証拠がないものといわざるをえない。

4  原告B、同D、同E及びHの逮捕の違法性

(一) 被告Gの虚偽捜査報告書

原告らは、原告Bの逮捕状請求書に添付された被告G作成の捜査報告書は、同原告の嫌疑の薄さを補うため、事実を曲げて同原告の嫌疑をアピールするものであったと主張する。

そこで検討するに、<書証番号略>によれば、原告Bの逮捕状請求時までに、原告Cは、原告Bが四三二三車によく似たコロナに乗っているのを幾度となく目撃したこと、右コロナのナンバーは文字が「多」で、数字は逮捕状を読んだときに直感的に自分が乗ったか見たかした四三二三であること、原告Eがキーボックスから垂れ下がっているコードをいじってエンジンをかけたので自分はコロナを盗難車だと思った旨の供述をしていることが認められるのであり、以上の原告Cの供述調書によれば、原告Bに本件窃盗事件を犯したと疑うに足りる相当な理由は基礎づけられており、虚偽の捜査報告書がなければ逮捕状の請求ができなかったような事情は認められない。右捜査報告書は本法廷には顕出されていないが、右のような事情に照らせば、右報告書が提出されていないことをもって原告らの主張に沿う記載が右報告書にあると推認することはできない。そして、他に原告らの主張に沿う虚偽記載が右報告書にあることを裏付けるに足りる証拠はない。

(二) 逮捕状請求書の虚偽記載

(1) 原告Dに対する逮捕状請求書について

<書証番号略>及び弁論の全趣旨によれば、原告Dに対する逮捕状請求書には「被疑者は逃走中であり、共犯者と通謀し証拠隠滅のおそれがある」との記載があること、同原告は一一月二三日逮捕状請求書に住居として記載された新宿区のアパートから任意同行されたことが認められる。

原告らは、原告Dは当時右住居に毎日帰宅しており逃走中などという事実はなかったのに、捜査官は裁判官を欺瞞するために逮捕状請求書に「逃走中」との虚偽記載をしたものであると主張する。そこで、検討するに、関係各証拠を精査しても、当時捜査官が、原告Dが逃走中でないことを知りながら右記載をしたとの事実を認めるに足りる証拠はないから、原告らの右主張は採用することはできない。

(2) 原告Eに対する逮捕状請求書について

<書証番号略>によれば、原告Eに対する逮捕状請求書には「被疑者は逃走中であり、共犯者と通謀し証拠隠滅のおそれがある」との記載があること、同原告は一一月二五日「淵」についたところを客を装った捜査官に連れ出され、外で待機していた別の捜査官に麹町警察署へ任意同行されたうえ、同日午前二時ころ逮捕状を執行されたことが認められる。

原告らは、原告Eは逮捕数日前からH宅に泊まり「淵」を手伝っていたものであり、逮捕の数日前から同店に来店し原告Eらの動静を窺っていた捜査官は同原告が逃走中でないことを十分認識していながら、逮捕状請求書に「逃走中」との虚偽記載をしたものであると主張する。また、<書証番号略>によれば、原告Eも公判廷において、逮捕数日前から同原告の動静を窺っていた捜査官がいた旨の供述をしていることが認められる。

しかし、<書証番号略>によれば、被告Gは公判廷において、原告Eを「淵」から連れ出した捜査官は自分であること、その当時警察は同原告の所在が確知することができず捜索中であったこと、被告Gは同店において同原告を発見したので、翌日も同店を訪れ同原告を店外に連れ出したうえ、麹町警察署員に任意同行をさせたことを供述していることが認められる。そして、当時捜査官が原告Eの所在を確知していたことを裏付けるに足りる証拠はない。したがって、原告の右主張事実はこれを認めるに足りる証拠がないものといわなければならない。

(3) Hに対する逮捕状請求書について

<書証番号略>によれば、Hに対する逮捕状請求書には「被疑者は一応住所を有するも、留守がちであり本件捜査を感知すれば、逃走のおそれがあり、さらに共犯Eは現在逃走中であり証拠隠滅のおそれあり」との記載があることが認められる。原告らは、Hは平日の夜間は店に出ることが多かったものの毎日帰宅しているのであって、留守がちとはいえず、右記載は虚偽記載であると主張する。

しかし、<書証番号略>によれば、Hは平日の夜は妻の営業する「淵」に原則として顔を出すことにしていたこと、同人はその他に自己の仕事として著作業も営んでおり、その関係で昼間に外出することも少なくなかったことが認められるのであり、以上の事実によれば、仮に同人が毎日帰宅していたとしても、「留守がち」との右逮捕状請求書の記載が、虚偽記載であるとまでいうことは困難である。

(三) 違法な別件逮捕

<書証番号略>によれば、原告C及び弁護人は、高刑一〇部の同原告控訴審において、原告B及びHの供述調書は、違法な別件逮捕・勾留により得られたものであることを主張したこと、右控訴審判決は、右主張に沿った判断をしなかったことが認められる。

そこで、右経緯を踏まえて、本件訴訟で改めて検討するに、窃盗事件の逮捕勾留の理由及び必要性が認められることは前記1(五)のとおりである。また、<書証番号略>によれば、原告Dは窃盗事件起訴まで総監公舎事件の取調べは全く受けなかったこと、原告Eは窃盗起訴日の前日から総監公舎事件の取調べを受けたこと、原告Bは窃盗事件勾留の終盤に窃盗事件と並行して総監公舎事件の取調べを受けたこと、Hは窃盗起訴日の三日前から総監公舎事件の取調べを受けたことが認められ、以上によれば、窃盗事件の逮捕勾留中は基本的に窃盗事件の取調べが行われたということができる。

したがって、原告B、同D、同E及びHに対する本件窃盗事件による逮捕勾留が、違法な別件逮捕勾留であると認めることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

5  原告Bに対する取調べの違法性

(一) 原告Bに対する取調べの経過

<書証番号略>によれば、原告Bに対する取調べの経過は以下のとおりであると認められる。

原告Bは、一一月一七日、自宅から任意同行を求められ、正午過ぎ警視庁で逮捕状を執行され、警視庁赤坂警察署の拘置監に留置された。

原告Bに対する取調べは、主として司法警察員小出英二、福島勝三、田中克彦らによって行われ、重要な取調べにおいては被告Gがこれを行った。原告Bは当初被疑事実を否認していたが、一一月二七日に、弁護士から皆黙秘しているから頑張りなさいと言われたので私たちの窃盗については話せないと供述し、二九日に窃盗犯行を自白した。原告Bは、翌三〇日詳細な自白調書を作成され、一二月一日には引き当たり捜査に同行し、二日及び三日午前中の被告Fによる取調べでも自白を維持したが、三日午後に開かれた勾留理由開示公判で被疑事実を否認した。その後、原告Bは七日に再び自白調書を作成され、その後は一四日に作成された最後の窃盗員面調書まで自白を維持した。

(二) 連日長時間の取調べ

<書証番号略>によれば、原告C及びその弁護人は、高刑一〇部の同原告控訴審において、原告Bの各供述調書は連日長時間の取調べによって自白を強要されたもので任意性がないと主張したこと、高刑一〇部判決は同原告が常軌を逸するような長時間の取調べを受けた事実があるということはできないとし、窃盗事件の各供述調書の任意性を認めたことが認められる。一方、地刑二部判決は同原告について、一一月一七日の逮捕以来自白に至る同月二九日までの間、連日、相当長時間にわたる取調べが行われたと認定している。

右の経過を踏まえて、さらに本件訴訟で改めて検討するに、<書証番号略>(赤坂警察署留置人出入簿)によれば、原告Bは逮捕された一一月一六日から窃盗事件で起訴された一二月八日までの間、一一月二八日を除いて連日取調べを受けたが、押送や食事に通常合理的に要する時間を差し引けば実質取調べ時間が一〇時間を超えたと考えられる日はほとんどないこと、入房時間が午後一一時を過ぎたのは一回のみであること、午後七時までに入房した日が九日間あることが認められる。右に認定した取調べ時間や時刻から、原告Bの取調べについて、社会通念上取調べとして許容される限度を超えた違法なものであるということはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

(三) 否認の意思表示及びアリバイ主張の無視

(1) 否認の意思表示の無視

原告らは、原告Bが否認している間に作成された供述調書はわずかであり、取調官に否認調書を作成する意思がなかったことは明らかであると主張する。

<書証番号略>によれば、原告Bが一一月一六日に逮捕されてから同月二九日に窃盗事件を自白するまでに作成された否認調書は、弁解録取書を含めて員面調書四通及び検面調書一通であることが認められる。右認定事実によれば、取調官が原告Bの否認の意思表示を逐一調書化していないことが認められるが、取調べのどの段階でどのような内容の供述調書を作成するかは、捜査の進展状況や被疑者の供述内容など、その時々の状況に応じて判断されるべき問題であって、取調べ毎に供述調書を作成しなければならないものではないから、右事実をもって取調官に否認調書を作成する意思がなかったと認めることは困難であり、他に原告らの右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

(2) アリバイ主張の無視

原告らは、原告Bは窃盗事件発生当日のアリバイとして「自宅で寝ていたと思う」と供述していたにもかかわらず、取調官はこれを黙殺したと主張する。

<書証番号略>によれば、原告Bは逮捕当初から窃盗事件発生当日のアリバイとして、自宅で寝ていたと思う旨を供述していたこと、同原告の逮捕当日である一一月一七日の弁解録取書及び供述調書には、同原告の右アリバイ主張が記載されていないこと、右各調書の次に作成された一一月二二日の員面調書において初めて、同原告のアリバイ主張が記載されていることが認められる。しかし、原告Bが主張したアリバイの内容及び一一月二二日の員面調書においては右アリバイ主張が記載されていることからすると、逮捕当日の供述調書にアリバイ主張が記載されなかったことのみをもって、取調官によるアリバイ黙殺の意図の存在まで認めることは困難であり、他に原告らの右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

(四) 暴行・脅迫による自白の強制

<書証番号略>によれば、原告C及びその弁護人は、高刑一〇部の同原告控訴審において、原告Bの各供述調書は脅迫によって自白を強要されたもので任意性がないと主張したが、高刑一〇部判決は捜査官が拷問その他自白の任意性を失わせしめるに足る程度の強要、脅迫を加えてその自白を得た事実を認めることはできず、右自白の強要があったとする原告Bの供述は信用できないと判断したことが認められる(八丁表)。そこで右の経緯を踏まえて、以下、本件訴訟で改めて原告らの主張を検討することとする。

(1) 妹に対する事情聴取の脅迫

① <書証番号略>によれば、原告Bは、一一月二七日付け員面調書において「警視庁の接見室で伊藤弁護士と会ったとき『みんな黙秘しているからがんばりなさい』と言われました。私は其の言葉が事件のことは一斉話さない様にと言う意味だと思いましたから私達の盗みのことは話せないのです」と供述したうえ、付け加えて「私自身その事件について記憶がないから申し上げられません」と供述していることが認められる。そして、原告らは、右同日の取調べについて、取調官は原告Bに対して、窃盗事件を自白しなければ妹の勤務先に捜査員を差し向けると脅迫し、右調書の本文部分を一方的に作成して、同原告に署名・指印を強要したものであり、脅迫に屈した同原告は追記部分の記載で妥協したものであると主張する。

② そこで、原告らの右主張を認めるに足りる証拠があるかどうかを検討するに、<書証番号略>によれば、原告Bは公判廷において、大要「取調官らに妹のことで脅迫されて、自然と黙り込む形になった。すると小出がお前、この前の弁護士接見の時に弁護士から黙秘しろと言われたんだろうと言って、急に小出が自分で調書を作成していって、一一月二七日付け員面調書の本文部分を書き上げた。その後『書き直して欲しい』『署名しろ』というやり取りが二時間以上続いて、結局小出が、お前の言い分を最後に書いてやるから署名しろ、と言って追記部分を書き込んだ」と供述していることが認められる。他方、<書証番号略>によれば、一一月二七日付け員面調書は、その末尾の奥書及び調書本文の筆跡からして、小出ではなく、福島が筆記したものであることが認められる。

以上の認定事実によれば、小出自身が右調書を一方的に作成し署名を強要したことを明確かつ具体的に供述した原告Bの公判廷供述は、誰が虚偽の員面調書を作成したかという極めて重要な点について客観的事実と矛盾するものであることが認められ、右の点についての記憶の混同・希薄化が考えにくいことを考慮すれば、右矛盾は原告Bの供述の信用性を大きく減殺するものであるというべきである。

③ また、原告らは、一一月二七日付け員面調書の矛盾する本文部分と追記部分は、本文部分を強制されたことによるものとしか合理的に理解できないと主張する。そこで検討するに、<書証番号略>によれば、小出は公判廷において、右記載内容が録取された経緯について「Bの供述にしたがって本文部分を録取したところ、同人からこの調書は裁判所に行くのか、裁判所に行って弁護士に知れるとまずいのでこの調書はなかったことにしてくれと言われ、Bの希望どおり追記部分を記載することにした」と説明していることが認められ、右供述の信用性を否定する書証その他の客観的証拠はないから、一見矛盾する本文部分と追記部分が存在することから直ちに、本文部分が強制されたものであると推認することはできない。

さらに、<書証番号略>によれば、取調官は原告Bに原告Cが自白していることを告げて説得していたことが認められるところ、原告らは、原告Cの自白を知った原告Bが本文部分のような供述をするわけがないと主張する。しかし、原告Cの自白を告げられた原告Bが本文部分の供述をすることが、ありえないこととはいえない。

④ 以上によれば、取調官が原告Bに対し、自白しなければ妹の勤務先に捜査員を差し向けるとの脅迫を行って、一方的に作成した員面調書に署名・指印を強要したとの事実は、これを認めるに足りる証拠がないものというべきである。

(2) 両親の逮捕の脅迫について

① 原告らは、取調官は原告Bに対して、自白しなければ同原告の両親を逮捕する、同原告に続いて両親が逮捕されればB家はどうなると脅迫して自白を強制したと主張する。

② そこで、原告らの右主張を認めるに足りる証拠が存在するかどうかを検討するに、<書証番号略>によれば、原告Bは公判廷において、「一一月二八日にGらから『お前がしゃべらないから、親父やお袋をここに連れてきて聞かざるを得ない』と脅迫された。翌二九日に右脅迫に屈服し自白調書を作成された」旨供述していることが認められるが、<書証番号略>及び弁論の全趣旨からその存在及び記載内容が認められる原告Bに対する勾留状によれば、一一月二八日には同原告に対する取調べは行われていないことが認められる。

また、<書証番号略>によれば、原告Bは一二月三日午前中の検察官調べまで具体的かつ詳細な自白を維持していたこと、同原告は同日午後に開かれた勾留理由開示公判で自白を撤回し、自白したのは警察官から両親の逮捕を脅迫されたためである旨主張したこと、しかし、同月七日には、勾留理由開示で否認したのは弁護人にみんな否認しているからあなたも否認しなさいと言われたためであると述べ、再び自白に転じたことが認められる。そして、<書証番号略>によれば、原告Bは公判廷において右供述経過について、検察官に対して警察官の脅迫の事実を言わなかったのは両親の逮捕を恐れたからであること、勾留理由開示公判で自白を撤回したときは、警察官がどう対応するか頭になかったこと、再び自白に転じたのは警察官に両親の逮捕を再び脅迫されたからであることを供述していることが認められる。しかし、両親の逮捕を恐れて検察官の面前でも自白を維持したのであれば、勾留理由開示公判でこれを翻した理由が問題となり、また、勾留理由開示公判で真実を述べたのであれば、その後以前と同じ脅迫をされて自白に転じるというのも不可解である。いずれにせよ、原告Bの右公判廷供述は不自然であるといわざるをえない。

以上を総合すれば、原告Bの公判廷供述は、にわかに信用することができないものというべきである。

③ なお、原告らは一一月二九日に三通もの員面調書が作成されているのは、原告Bの供述がスムーズに得られなかった証左であると主張するが、三通の員面調書が存在するということのみから、同原告の自白が強制されたものであるということはできない。

また、<書証番号略>によれば、原告Bが再び自白に転じた一二月七日付け員面調書には、同原告が勾留理由開示公判で述べた両親の逮捕の脅迫の有無について何ら記載されていないことが認められるが、右員面調書の主たる目的は、同原告が勾留理由開示公判で自白を撤回した理由及び再び自白に転じた理由を記載することにあったと考えられるのであるから、脅迫の有無に関する記載がないことをもって直ちに脅迫があったと推認することはできない。

④ 以上によれば、取調官が原告Bに対して、自白しなければ両親を逮捕すると脅迫して自白を強制したとの事実は、これを認めるに足りる証拠がないものというべきである。

(3) 鉄パイプの使用について

原告らは、被告Gが原告Bに対し、鉄パイプを振り下ろして自白を強制したと主張し、原告Bも公判廷において同趣旨の供述をしている。

そこで、原告Bの公判廷供述について検討するに、真に鉄パイプを振り下ろされて自白を強制されたのであれば、同原告としては勾留理由開示公判でそのことを述べるのが自然であると考えられるにもかかわらず、<書証番号略>によれば、同原告ないしはその弁護人が右公判でそのような事実を主張したことは認められない。被告Gが鉄パイプを使用して、原告Bに自白を強制したとの事実はこれを認めるに足りる証拠がないものというべきである。

(五) 利益誘導による取調べ

原告らは、取調官は原告Bに認めさえすれば早々に釈放になるなどと利益誘導を行い、自白を誘導したと主張し、同原告も公判廷において同趣旨の供述をする。これに対して被告G及び福島は、公判廷において右事実を否定する供述を行っている。

そこで、原告Bの右公判廷供述を真実と認めるに足りる裏付証拠が存在するかどうかを検討するに、同原告の自白員面調書には「何分寛大な処分をお願いします」との記載や「家には老いた父が一人で仕事をしているので、何とか早く家に帰って働かなければなりませんので、よろしくお願いします」との記載があることが認められるが、右記載があることをもって、直ちに取調官が早期釈放を約束するなどの利益誘導を行ったとの事実を推認することはできない。そして、他に原告Bの公判廷供述を裏付けるに足りる証拠は存在しないから、原告らの右主張事実は、これを認めるに足りる証拠がないものというべきである。

(六) 虚偽情報による自白の誘導

原告らは、取調官は原告Bに対し、他の奴はみんなどんどんしゃべっているなどと虚偽情報を注入して自白を誘導したと主張し、同原告も公判廷において同趣旨の供述をしている。これに対し小出は公判廷において、原告Cの自白を告げて供述を促したことはあるが、皆が自白していると言ったことはない旨供述している。

そこで、原告Bの右公判廷供述を真実と認めるに足りる裏付証拠があるかを検討するに、関係各証拠を精査しても、右公判廷供述を裏付けるに足りる証拠は存在しないから、結局、取調官が原告Bに対し、共犯者が皆自白している旨虚偽を告げて自白を誘導したとの事実は、これを認めるに足りる証拠がないものというべきである。

6  原告Dに対する取調べの違法性

(一) 原告Dに対する取調べの経過

<書証番号略>によると、原告Dに対する取調べの経過は以下のとおりであると認められる。

原告Dは、一一月二三日、自宅から任意同行を求められ、昼過ぎに警視庁麹町警察署において逮捕状を執行された。同原告は、警視庁愛宕警察署の拘置監に留置された。同原告に対する取調べは、主として司法警察員松永鐡美がこれを担当した。同原告は、逮捕当初から被疑事実を否認し、尋問事項によっては黙秘をした。同原告は、否認のまま一二月一四日起訴された。

(二) 連日長時間の取調べ

<書証番号略>によれば、原告Dは公判廷において、一一月二六日に心臓が苦しくなって警察病院に行ったこと、その日以降取調べは午後八時までになったことを供述していることが認められる。そして、右供述によれば、同原告に対する取調べが、その日数や時間において、社会通念上取調べとして許容される限度を超えた違法なものであると認めることはできない。

(三) 健康状態の無視

<書証番号略>によれば、原告Dは窃盗事件で逮捕されるまで淀橋歯科医院に通院していたこと、主な病名は急性歯根膜炎・急性歯ずい炎であること、逮捕当日は患部の治療をしながら型どおりが終わった段階であったこと、右時点ではまだ悪化はしていない状況であったが放置しておくと悪化するおそれもあったこと、同原告は勾留中歯医者に連れて行かれたことはないことが認められる。そして、原告らは捜査官は原告Dの健康状態を無視したと主張するので検討するに、同原告の公判廷供述によっても、歯痛により取調べに耐えられなかったとか、歯痛を取調官に訴えても医者に連れていかなかったなどの事情を窺わせる供述はなく、同原告の歯科疾患を捜査官が無視したとの事実を認めるに足りる証拠はない。

7  原告Eに対する取調べの違法性

(一) 原告Eに対する取調べの経過

<書証番号略>によると、原告Eに対する取調べの経過は以下のとおりであると認められる。

原告Eは、一一月二五日深夜に客を装った警察官に「淵」から連れ出され、外に待機していた別の警察官によって、任意同行を求められた。同原告は右同日午前二時過ぎ警視庁麹町警察署において逮捕状を執行され、警視庁神田警察署の拘置監に留置された。

原告Eに対する取調べは、主として司法警察員大塚喜久治、川原洋、古田土邦がこれを担当した。原告Eは、逮捕当日は被疑事実を否認していたものの、翌二六日には桜蘭公司で車を盗む話をしたことを供述し、二七日には原告Bと小金井に窃盗の下見に行ったことを供述し、一二月一日窃盗犯行を自白した。同原告は、二日に詳細な自白を行い、三日の勾留理由開示公判では被疑事実を否認したものの、四日には自筆自白供述書を作成し、その後は最後の一二月一一日付け検面調書まで、極めて詳細な供述をし自白を維持した。

(二) 連日長時間の取調べ

<書証番号略>によれば、原告C及びその弁護人は、高刑一〇部の同原告控訴審において、原告Eの各供述調書は連日長時間の取調べによって自白を強要されたもので任意性がないと主張したこと、高刑一〇部判決は原告Eが常軌を逸するような長時間の取調べを受けた事実があるということはできないとし、窃盗事件の各供述調書の任意性を認めたことが認められる。

そこで右経過を踏まえて、本件訴訟で改めて検討するに、原告Eのこの期間に関しては、留置人出入簿が提出されていないので客観的な取調べ時間等は明らかではないが、同原告の公判廷供述及び同原告の取調官の公判廷供述に照せば、その取調べ時間等は前記原告C及び同Bとほぼ同様であったことが推認されるのであるから、原告Eに対する取調べの時間や時刻が、社会通念上取調べとして許容される限度を超えた違法なものであるということはできない。

(三) アリバイ主張の無視

<書証番号略>によれば、原告E及びHは公判廷において、窃盗事件発生の五月七日のアリバイとして、Hは同日夕方から「淵」にいたこと、午後八時ころ以前から人を求めていた映画監督の新藤孝衛が来店したので、Hが原告Eを同店に呼び出し新藤に紹介したこと、この日同店には羽永義雄夫妻、森川健一、梅原正紀、中沢教輔らがいたこと、原告Eは午前一時の閉店まで「淵」におり、同店を出た後は森川とさらに飲みに行ったこと、Hはその後店を閉め帰宅したことを主張していることが認められる。

このアリバイについて、地刑二部判決は、五月七日夜本件犯行が行われたとされる時刻ころH及び原告Eが「淵」にいた可能性は否定し難い(七一丁裏)と認定しているが、高刑一〇部判決は、Hらの右アリバイ証言の信用度は低く、右各供述によって、右アリバイの存在を認めるわけにはいかない(四〇丁表)としており、両裁判所の間に認識の相違が見られる。

原告らは、原告Eは逮捕当初から右アリバイを主張していたにもかかわらず、取調官は同原告のアリバイ主張を無視したと主張し、同原告も公判廷において同趣旨の供述をしている。

そこで検討するに、原告Eは前記(一)認定のとおり、窃盗事件で逮捕された翌日である一一月二六日には早くも、五月二日ころ桜蘭公司で必要な車を小金井方面で盗もうという相談をしたとの不利益供述をし、二七日には原告Bとともに小金井に窃盗の下見に行ったとの不利益供述をしているところ、このように窃盗に関与したことを窺わせるような不利益供述を重ねている被疑者が、他方で犯行につき明確なアリバイがあることを主張していたとは考えにくい。また<書証番号略>によれば、Hのアリバイ主張は一一月二六日付け員面調書及び同月二九日付け員面調書に詳細に記載されていることが認められるのであり、取調官がHのアリバイ主張を調書に記載しながら、原告Eのアリバイ主張を敢えて黙殺したとも考えにくいところである。取調官がアリバイ主張を無視したとの原告Eの右公判廷供述はにわかに信用することができない。

なお、<書証番号略>によれば、捜査官は一一月二五日に右アリバイ主張に登場する新藤孝衛宅に事情聴取に訪れ、翌二六日には麹町警察署で員面調書を作成していることが認められ、原告らは右事実をもって原告Eがアリバイ主張をした証左であると主張するが、<書証番号略>によれば、Hは二五日に既にアリバイ主張をしていたことが認められるから、新藤への事情聴取の事実をもって、原告Eがアリバイ主張をしていた事実を認めることはできない。

以上によれば、取調官が原告Eのアリバイ主張を黙殺したとの事実は、これを認めるに足りる証拠がないものというべきである。

(四) 虚偽情報注入による取調べ

<書証番号略>によれば、一二月二日付け員面調書には「本日正直に話すことができたのは、心のわだかまりがなくなったからです。それは以前新聞に出ていた総監公舎爆破未遂事件にBの名前が出ており、今度の車を盗んだ件で、私はB君らと一緒に行動して車を盗みましたから何かしら自分自身に割り切れない気持ちを持っていましたが、取調べの過程で爆破未遂事件と関係がないということが判り、私自身の気持ちがはれたからです」との記載があることが認められる。

そして、原告らは、取調官は原告Eに総監公舎事件とは関係ない旨の虚偽の保証を与えて自白を誘導したものであると主張する。しかし<書証番号略>によれば、準捜査本部は、窃盗事件の捜査着手の時点で既に、四三二三車二重追突事故は総監公舎の下見に行った際に遭遇したものではないかとの推測を抱いていたことが認められるものの、取調官が原告Eに総監公舎事件とは関係ない旨発言した一二月二日の時点では、右推測を裏付けるに足りる証拠関係は得られておらず、客観的には窃盗事件と総監公舎事件は別の事件であったといわざるをえないのであるから、取調官の右発言をもって、客観的事実と相違する虚偽を述べて原告Eを欺罔したものであるということはできず、取調官が違法な取調べを行ったとまで認めることはできない。

(五) 共犯者の自白を告げての心理的誘導

<書証番号略>によれば、原告Eの取調官である大塚喜久治は、同原告に対し、他の共犯者が自白した旨を告げて同原告の説得にあたったことが認められる。そして、原告らはこのような心理的誘導は違法であると主張するので検討するに、取調官が、否認や黙秘を続ける被疑者に対し、他の共犯者が自白していることを告げて説得することは、その説得が事実である場合には、そのような説得が許されない特別の事情のない限り、取調べ方法として違法であるということはできない。そして右説得が許されない特別の事情があることを認めるに足りる証拠はないから、大塚の右説得をもって、違法な取調べであると評価することはできない。

8  Hに対する取調べの違法性

(一) Hに対する取調べの経過

<書証番号略>によれば、Hに対する取調べの経過は、以下のとおりであると認められる。

Hは、一一月二五日、自宅から任意同行を求められ、右同日午後二時過ぎ警視庁麹町警察署において逮捕状を執行され、逮捕後二日は警視庁丸の内警察署の拘置監に留置された後、警視庁本部地下の拘置監に留置された。

Hに対する取調べは、主として司法警察員宮下昌男、高橋充、笠原正八が担当した。Hは当初被疑事実を否認し、窃盗事件発生当日のアリバイを主張していたが、一二月七日、被疑事実を認めるかのような自筆供述書を作成し、翌八日に詳細な自白を行った。Hは、窃盗調書最後の一〇日付け検面調書まで自白を維持した。

(二) 連日長時間の取調べ

<書証番号略>によれば、原告C及びその弁護人は、高刑一〇部の同原告控訴審において、Hの各供述調書は連日長時間の取調べによって自白を強要されたもので任意性がないと主張したこと、高刑一〇部判決はHが常軌を逸するような長時間の取調べを受けた事実があるということはできないとし、窃盗事件の各供述調書の任意性を認めたことが認められる。

右経過を踏まえて、本件訴訟で改めて検討するに、Hのこの期間に関しては、留置人出入簿が提出されていないので客観的な取調べ時間等は明らかではないが、Hの公判廷供述及び同人の取調官の公判廷供述に照らせば、その取調べ時間等は前記原告C及び同Bとほぼ同様であったことが推認されるのであるから、Hに対する取調べの時間や時刻が、社会通念上取調べとして許容される限度を超えた違法なものであるということはできない。

(三) アリバイ主張の無視

<書証番号略>によれば、Hが逮捕当日の一一月二五日からアリバイ主張をしていたこと、右同日にはアリバイ調書は作成されず、翌二六日に新藤のみを挙げたアリバイ調書が作成されたこと、二七日に羽永夫妻、梅原、森川、新藤などの名前の入った五月七日当時の店内の状況図をHが作成したこと、二九日に右五名の名前を挙げた詳細なアリバイ調書が作成されたことが認められる。このアリバイについて、地刑二部判決がその可能性を否定しがたいとするのに対し、高刑一〇部判決が全面的に否定していることは、前記7(三)のとおりである。

原告らは、取調官が一一月二五日にアリバイ調書を作成せず、同二六日に既にアリバイを否定する供述を行っている新藤のみを特定するアリバイ調書を作成していることは、取調官がアリバイをつぶす見通しをつけるまではアリバイ主張を記録にとどめない方針を採用していたことを示すものであると主張する。

そこで検討するに、右認定のとおり、取調官は二七日にはHに新藤以外の名前の入ったアリバイ図面を作成させ、二九日にはこれに対応する詳細なアリバイ調書を作成していること、関係各証拠によれば、右時点で新藤以外の客からアリバイを否定する供述は得られていなかったことが認められるのであり、これらの事実を合わせ考えると、右認定のとおりアリバイ調書の作成が遅滞したことをもって、取調官がアリバイをつぶす見通しをつけるまではアリバイ主張を記録にとどめない方針を採用していたと認めることは困難である。

(四) 脅迫による自白の強制

<書証番号略>によれば、原告C及びその弁護人は、高刑一〇部の同原告控訴審において、Hの各供述調書は脅迫によって自白を強要されたもので任意性がないと主張したこと、高刑一〇部判決は捜査官が拷問その他自白の任意性を失わせしめるに足る程度の強要、脅迫を加えてその自白を得た事実を認めることはできないと判断したことが認められる。

右の経緯を踏まえて、本件訴訟で改めて原告らの主張を検討するに、Hは公判廷において、取調官から自白しなければHの妻やアリバイ証人を逮捕すると脅迫された旨供述している。一方、Hの取調官である高橋、宮下、笠原はそれぞれ公判廷において、右事実を否定する供述をしている。

そこで、Hの右公判廷供述を真実と認めるに足りる裏付証拠が存在するかどうかを検討する。原告らは、一二月七日付け自筆供述書の内容は、強権によって虚偽を強制された被疑者の悔しさが述べられているものとしか合理的に理解できないと主張するが、右供述調書の内容が原告ら主張のようにしか読めないかというと、必ずしもそうとはいえず、右供述調書がHの公判廷供述の裏付けとなるとはいえない。そして関係各証拠を精査しても、他にHの公判廷供述の的確な裏付けは存在しないから、原告らの右主張事実はこれを認めるに足りる証拠がないものというべきである。

(五) 共犯者の自白供述書を示しての誘導

<書証番号略>によれば、高橋は、一二月七日、Hに対して原告C及び同Eの自白供述書を示して供述を求めたことが認められる。原告らは、高橋は他の共犯者の自白供述書を示して心理的な動揺を誘ってHの自白を誘導したものであるから、右取調べ方法は違法であると主張する。

しかし、共犯者の自白供述書を示して供述を促すことは、その供述書が真正なものである場合には、そのような説得が許されない特別の事情のない限り、取調べ方法として違法であるということはできない。本件においては、アリバイを主張して否認を続けるHに対して、Hのアリバイ主張に含まれる原告Eの自白供述書や、Hを共犯者として供述している原告Cの自白供述書を示して、説得を試みたものであり、これを違法視すべき特別の事情は認められないから、原告らの右主張は採用することができない。

9  誘導による虚偽自白の捏造

原告らは、捜査側は犯行ストーリーを創作し、それを原告らに対し誘導し、自白調書を捏造したと主張するので、その根拠と主張する点について以下検討する。

(一) 自白と客観的事実との矛盾

(1) 四三二三車の遺留指紋と遺留物品

① 遺留指紋

<書証番号略>によれば、原告Cは一二月一三日付け員面調書において「四三二三車に乗っていて交通事故にあった際、自分の指紋が残っていたら大変だと思ったので、ダッシュボードに入っていたタオルを取り出し、助手席付近のドアや座席、フロントのあたりを拭き消した。Aも同じようにタオルみたいなもので運転席の周りをしきりに拭いていた」と供述していることが認められる。また<書証番号略>によれば、右二重追突事故の追突車の運転手である三好は「前の車に追突し、大変なことをやってしまったと思い、直ぐ車から降りると、四、五メートル先に押し出されて停まったコロナからも二人の男が降りてきてこちらに歩いてきました」と供述していることが認められる。そして、原告らはこの点について、突然の事故で直ぐ三好もやってきた状況で指紋の拭き取りなどという行為ができるはずがなく、原告Cの右供述は取調官による辻妻合わせの誘導であると主張する。

そこで検討するに、三好のいう「直ぐ」と二人の男が降りてきた時が客観的にどの程度の時間が経過した後だったかははっきりせず、右供述のみから、指紋を拭き消すという行為がこの間におよそなし得なかったとまで断定するのは困難である。そして、他に取調官の誘導を裏付けるに足りる証拠はないから、原告らの右主張は、結局、これを認めるに足りる証拠がないものといわざるをえない。

② 遺留品

<書証番号略>によれば、原告Cは一二月一三日付け員面調書において「四三二三車の『トランク』に入っていた白色ポリ容器は、AとBが盗ってきたものである」と供述していること、白色ポリ容器は四三二三車の遺留時には後部座席に置いてあったことが認められる。原告らは原告Cの右供述は、客観的事実と矛盾しており、取調官による誤導であると主張する。

そこで検討するに、白色ポリ容器の置き場所などということは特に記憶に残りやすい性質の事柄とも考えられないうえ、原告Cが右供述をしたのは四三二三車の遺留時から半年以上経過した後であることを考えると、右供述内容自体から、直ちに取調官の誤導を推認することはできず、他に原告らの右主張を裏付けるに足りる証拠はないから、原告らの右主張は、これを認めるに足りる証拠がないものといわざるをえない。

(2) 四三二三車ドアロックの外し方

<書証番号略>によれば、四三二三車の運転席側ドアの開け方としては、三角窓の下枠部分にあるドアロックボタンを上方に引き上げてから開ける方法と、ドアロックボタンの下方約六センチメートル付近にあるドア開閉用ハンドル(ドアインサイドハンドル)を開閉して開ける方法があることが認められる。そして、<書証番号略>によれば、原告Eは、右ドアロックの開け方として「ドライバーで運転席の三角窓をこじ開け、手を差し込んで運転席のドアのガラスを降ろし、降ろした窓から手を入れてドアのロックを外した」と供述していることが認められる。

原告らは右供述について、三角窓の下枠部分にあるドアロックにも、その直ぐ下にあるドア開閉用ハンドルにも気づかず、右ハンドルよりさらに二十数センチメートルも下方にある窓ガラス開閉用ハンドルを操作して窓ガラスを降ろしたうえでドアロックを外すなどという方法は、いかにも迂遠で不自然であり、取調官による誤導であると主張する。そこで検討するに、確かに右供述は、ドアロックを外す方法としては迂遠で不自然な印象を免れないが、<書証番号略>によれば、原告Eは以前に知人が右供述のような方法で車のドアロックを外すのを見たことがあり、同様の知識を有していたと述べていること、<書証番号略>によれば、Iが懐中電灯で同原告の手元を照らしていたのは直接作業のときのみであるとされており、手元の暗いなか手探りで作業をしていたことが窺われる供述となっていること、そのような暗さのなかでは、押し下げられた状態のドアロックを見落すということも一般にありえないことではないこと等の事実も合わせ考えると、右供述のドアロックの外し方が、およそ現実にはあり得ないような不自然・不合理な方法であるとまでいうことはできず、右供述内容から、直ちに取調官の誤導を推認することはできない。

また、原告らは、ドライバーで三角窓を開けたり、三角窓から手を入れて窓ガラス開閉用ハンドルを操作するのは物理的に不可能であり、この点からしても右供述は取調官の誤導であると主張する。そこで検討するに、<書証番号略>によれば、トヨタ自動車販売株式会社勤務の倉地孝憲は公判廷において、ドライバーを中に差し込みベンチレーティングウインドそのものの建付けを壊し、ロックレバーのかかりしろをなくして三角窓を開けることは、条件次第で可能であることを供述していることが認められ、この事実も合わせ考えると、原告Eの右供述が物理的におよそ不可能なことを供述しているとまでいうことはできない。また、<書証番号略>によれば、三角窓は回転して最大九〇度まで開くこと、その場合には八センチの隙間が開くこと、窓ガラス開閉用ハンドルの最下点は三角窓枠から三三センチ下方であることが認められ、以上の前提条件であれば、三角窓から手を入れて窓ガラス開閉用ハンドルを操作することは必ずしも不可能であるとは考えられない。したがって、原告Eの供述内容から、直ちに取調官の誤導を推認することはできない。

(3) 四三二三車の直結方法

① エンジンキー裏の配線の本数及び直結の方法

<書証番号略>によれば、四三二三車のイグニッションスイッチ裏の配線は、バッテリー線、イグニッション線、アクセサリー線、スターター線の計四本であること、直結の方法としては右の配線のうちバッテリー線とイグニッション線を結線して押しかけをする方法と、バッテリー線とイグニッション線を結線したうえスターター線をバッテリー線に接触させる方法があることが認められる。そして<書証番号略>によれば、原告Eは直結方法について、「三本の配線を交互に接触させてスイッチランプがつくことを確かめ、その二本を結び合わせ、もう一本はブラブラしたままにした」と供述していることが認められる。原告らは、原告Eの右供述は、イグニッション部裏の配線本数が四本であるところを三本と供述している点で客観的事実と矛盾しており、また、配線三本を接触させながらバッテリー線とイグニッション線にスターター線を接触させてエンジンを始動させる方法に気づかなかった点は不自然であるとして、右供述は取調官が誘導したものであると主張する。

そこで検討するに、確かに右供述は不自然な印象を免れないが、被告らはそれが不合理とはいえないいくつかの仮説を提示しており、そのような仮説も成り立ち得ないものとは断定できず、また、原告Eが何らかの他の理由で不正確な供述をした可能性もないとはいえないのであるから、右供述から直ちに取調官の誤導を推認することはできない。

② エンジンキー裏の配線を切断するために用いられた工具

<書証番号略>によれば、原告Eは一二月九日付け員面調書ではペンチを使って配線を切断したと供述していること、一〇日付け員面調書及び一一日付け検面調書ではプライヤーで配線を引き抜いたと供述していること、一二日付け員面調書ではプライヤーをニッパーに訂正していることが認められる。原告らは、右供述の変遷は不自然であり、右供述変遷は取調官の誘導によるものであると主張する。

そこで検討するに、右供述変更が取調官の誘導によるものであるとすれば、取調官において右供述変更を必要とする何らかの理由があったのではないかと考えられるが、関係各証拠を精査しても、取調官においてそのような必要性があった事情を窺うことはできない。すなわち、<書証番号略>によれば、四三二三車の遺留品にはニッパーが存在したことが認められるが、右事実は右供述変遷より以前に取調官に把握されていたと考えられるから、一二月一二日に至って供述訂正を行うのは不自然であるうえ、ペンチからプライヤーへ変遷したことについては更に説明が困難となる。また、<書証番号略>によれば、原告Eは公判廷において、プライヤーだと配線の先がバラバラになるというのでニッパーに変えられた旨供述していることが認められるが、そうであれば、そもそもペンチからプライヤーへ訂正させる必要がなかったはずであり、これも誘導による供述変更の理由とは考えがたい。

以上によれば、右供述変更が如何なる理由で行われたのかは判然としないが、少なくとも右供述変更から取調官による誘導を推認することは困難であり、他に原告らの右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

(4) キー部分の修理

<書証番号略>によれば、原告C及び同Bは、四三二三車のキーボックスが取り替えられて前部がテープで留めてあった旨を供述していること、四三二三車のイグニッションキーの本来の構造は、キー部をインパネの後ろから入れて、前へ突き出たところを雌ねじで留める仕組みになっていることが認められる。原告らは、右のようなキー部の客観的構造に照らせば、これを取り替えても、その前部をテープで留めただけではキー部を保持することはできないのであるから、原告Cの右供述は不自然であり、取調官による誤導であると主張する。

そこで検討するに、原告Cらの右供述はキー部の前部がテープで留められているのを見たことのみを述べるものであり、テープのみでキー部の重量を保持していたというわけではないから、右供述をもって直ちに不合理なものということはできない。また、<書証番号略>によれば、四三二三車が発見された際、同車のキーボックスは新しいものと取り替えられていたことが認められるから、その位置を安定させるためにキー部がテープで留められていたということが全く考えられないわけではない。したがって、原告Cらの右供述が直ちに不自然であるということはできず、右供述内容をもって取調官の誤導を推認することはできない。

(5) 現場の状況

① 原告Cの一一月二二日付け員面調書の添付図面

<書証番号略>によれば、原告Cの一一月二二日付け員面調書添付の現場状況図は、現場のどこを示したものなのか、団地はどこに位置しているのか等が必ずしも確定できず、相当不明確な図面となっていることが認められる。そして原告らは、実際に現場に行ったことのある者がこのような図面を作成するはずがなく、取調官の大まかな誘導によって原告Cが作成したものであると主張する。

そこで検討するに、確かに右図面は、現場で見張りをしていたとされる者が作成した図面としては不明確であるとの印象を免れないが、<書証番号略>によれば、原告Cが現場に行ったのは犯行当日のみであるとされていること、犯行時は真夜中で視認性が悪かったと考えられること、見張り自体長時間に及んだわけではないこと、犯行時から供述まで半年以上が経過していることを合わせ考えると、右図面が記憶に基づくものとして現実におよそあり得ないような内容であるとまでいうことはできない。したがって、右図面が不明確であることをもって取調官の誘導を推認することはできず、他に原告らの右主張を裏付けるに足りる証拠はない。

② 原告Bの一一月三〇日付け員面調書の添付図面

<書証番号略>によれば、原告Bの一一月三〇日付け員面調書添付の現場状況図は、フローリアンバンを停車したとされる空地と四三二三車の駐車位置と三叉路の位置関係が現場の客観的状況と異なっていることが認められる。原告らは、実際に現場に行ったことがある者が右のような図面を作成するはずがなく、原告Bが取調官の誘導に基づいて作成したのは明らかであると主張する。

そこで検討するに、確かに右図面は、下見及び見張りを担当した者の作成した図としては不自然であるとの印象を免れないが、<書証番号略>によれば、原告Bが下見及び見張りをしたのはいずれも視認性の悪い真夜中であるとされていること、犯行から供述時まで半年以上が経過していること、原告Bの右図面は、三叉路・空き地・神社など現場の特徴的な部分の存在については客観的状況と一致していることが認められるのであり、以上の事実を合わせ考えれば、右図面が記憶に基づくものとして現実におよそあり得ないような内容であるとまでいうことはできない。したがって、右図面をもって、取調官の誘導を推認することはできず、他に原告らの右主張を裏付けるに足りる証拠はない。

③ Hの一二月八日付け員面調書の添付図面

<書証番号略>によれば、Hの一二月八日付け員面調書添付の現場状況図は、道路の状況や四三二三車の位置が、原告Bの一一月三〇日付け員面調書添付の現場状況図とほぼ同じように書かれており、結果的に同じ点で現場の客観的状況と食い違っていることが認められる。原告らは、右各図面を比較すれば、取調官が原告Bの右調書を参考にHを誘導したことは明白であると主張する。

そこで検討するに、確かに右各図面には同様の誤りが認められる。ところで、<書証番号略>によれば、Hが右図面を作成した一二月八日の時点では、原告Bは一一月三〇日付け図面を訂正して正しい図面を作成していたことが認められ、その他の客観的資料としても、原告Cの実況見分調書や原告Bの犯行現場確認捜査報告書が存在したことが認められるのであるから、取調官が被疑者を誘導するのであれば、より正確なこれらの資料を利用するはずではないかとも考えられる。したがって、右各図面が似ていることをもって、直ちに取調官の誘導を認めることはできず、他に原告らの右主張を裏付けるに足りる証拠はない。

(二) ストーリー上の不自然・不合理

(1) 窃盗の動機

<書証番号略>によれば、原告Cらは、四三二三車の窃盗目的として、桜蘭公司の営業用と三里塚闘争での利用という二つの動機を挙げていることが認められる。原告らは、右供述について、盗難車を日常の営業に使用するなどという目的は不自然であるし、検問の厳しい三里塚への往復に盗難車を使用するのも非現実的であるとし、右供述は取調官が誘導したものであると主張する。

そこでまず、桜蘭公司の営業用のためとの動機について検討するに、窃盗犯人が盗難車を人目を気にしない形で日常的に使用することがおよそ現実にあり得ないような不自然なことであるとまではいえない。<書証番号略>によれば、原告Eは「古い車なら被害者が届出ることが少ないので捕まる率も少ないと思った」と供述しているとおり、そのようなことも不自然・非現実的とまではいえない。また、一般に原告Eの右供述のような認識で盗難車を使用する場合には、検問を問題にする必要はあまりないのであるから、三里塚で盗難車を使用するとの目的も必ずしも不自然とはいえない。<書証番号略>によれば、十月社が三里塚に現地闘争本部を設置したのは七月に入ってからであることが認められるが、原告Dが三里塚闘争に興味を持ち始めたのは三月ころからであることが認められるのだから、現闘本部の設置時期との関係で、右動機が直ちに不自然であるということもできない。したがって、右供述から直ちに取調官の誘導を推認することはできず、他に原告らの右主張を裏付けるに足りる証拠はない。

(2) 実行行為の参加者

<書証番号略>によれば、原告Cらは、同原告、原告B、同E、同D、H及びIの六名で、四三二三車の窃盗を実行した旨供述していることが認められる。そして、原告らは、自動車を一台盗むのに六名もの大人が加功するのは不自然であり、右供述は取調官が誘導したものであると主張する。

そこで検討するに、原告Cらの供述によれば、現場では右六名にそれぞれ、原告Eが直接作業、I及びHが押しかけ、原告B及び同Cは見張り、原告Dは犯行が発覚した場合にクラクションを鳴らす役、というように必要な役割が与えられていたというのであるから、六名もの人数が必ず必要であったとはいえないにせよ、六名が加功したとの供述が、そのような事実はありえないと思われるほど不自然であるということはできない。したがって、右供述内容をもって、取調官の誘導を推認することはできない。

(3) 使用関係

<書証番号略>によれば、四三二三車の使用状況に関する原告らの供述は、原告Cは「桜蘭公司の仕事のために使ったことは二、三回」「日頃はE、Bが乗っており、ときどきAが乗っていた」などと述べ、原告Bは、「Eが持って行って、昼は桜蘭公司の仕事に使っていたとのこと、後にAが使っていた」「Eが運転してDを乗せて三里塚へ行ったと聞いた」などと述べ、原告Eは「五月一二日ころ一度だけコロナに乗ったことがある。同車は、Dらが十月社の活動に使っていたと思う」と述べ、Hは「一度桜蘭公司で使用したが、あと十月社で使っていたと思う」と述べていることが認められる。原告らは、四三二三車は盗まれてから二重衝突事故に遭うまで約二〇日間の使用期間があったはずであるのに、原告Cらの供述には具体的な使用関係が欠落しており、不自然であると主張する。

そこで検討するに、確かに右認定事実によれば、原告Cらの供述で四三二三車の使用関係が具体的に解明され尽くしているとはいえないものの、使用から供述時まで半年以上が経過しており記憶の喪失が見込まれること、被疑者それぞれが自己の刑責を軽くするために、自分が関与した使用状況を敢えて秘匿するということは一般論としてはありうること、右各供述によれば、原告D及び同Aがかなりの割合において同車を使用していたことになり、右両名の否認・黙秘のために具体的使用関係の重要部分が解明されなかったのではないかと考える余地もあったことなどの事情を合わせ考えると、原告Cらの右供述がおよそ不自然であるとはいえず、右供述内容をもって、取調官の誘導・押し付けを推認することはできない。そして他に原告らの右主張を裏付けるに足りる証拠はない。

(三) 自白相互の矛盾・対立

(1) 謀議

<書証番号略>によれば、窃盗の謀議に関する原告Cらの供述は以下のとおりであると認められる。すなわち、原告Cは当初「五月初めころC、B、D、E、H(以下この項では「五名」という)が集まった」と供述していたが、その後「五月五日水曜日に五名とI、N、H1が集まった」と供述を変更した。原告Bは当初「五月五日に五名が集まった」と供述していたが、後に「五月五日、五名のほかにNがいた」旨を供述変更した。原告Eは「盗む話をしたのは五月四日で、その日には五名のほかに倉本も来ていて車の修理先の話をした。またBと翌日下見をすることに決めた。翌五日には五名のほかにI、N、H1、D1が集まり、Bと二人で下見に行った」旨を供述している。Hは「五月五日に盗む話があったが自分は反対だった。Iについてはわからない」と供述している。原告らは右各供述は、変遷や齟齬が著しく現実の出来事を述べたとは考えられず、取調官が誘導ないし押し付けをした結果であると主張する。

そこで検討するに、確かに、右各供述はその日時及び参加者の点において変遷や齟齬があることが認められるが、原告らは当時、H宅において、右五名を中心にH1、I、N、D1が適宜参加するなどして、毎週水曜日には学習会を、毎週日曜日には桜蘭公司の仕事を行っていたのであるし、そうした特定の曜日以外にも適宜集まって話をすることがあったことが認められるのであるから、供述の対象となった集まりから半年以上経過した供述時に、その日時やメンバーについて記憶の混乱や喪失を来すということが全くあり得ないわけではない。したがって、右変遷や供述間の齟齬から、直ちに取調官の誘導や押し付けを推認することはできず、他に原告らの右主張を認めるに足りる証拠はない。

(2) 下見

<書証番号略>によれば、下見の際、誰がフローリアンバンを降りて対象車両を物色したかという点について、原告Bは「自分は降りていない」と供述していること、原告Eは当初「Bが一人で降りていった」と供述し、後に「二人で一緒に降りた」と変更したことが認められる。原告らは、右各供述は変遷及び矛盾が認められ、現実の出来事を述べているとは考えられず、取調官による誘導ないし押し付けの結果であると主張する。

そこで検討するに、確かに原告Bと同Eの供述間には矛盾があるうえ変遷していることが認められるが、右矛盾や変遷については、右両名が何らかの理由で虚偽の事実を述べたのではないかとの考え方もあり得るのであるから、右供述の矛盾及び変遷をもって、直ちに取調官の誘導や押し付けを推認することはできず、他に原告らの右主張を裏付けるに足りる証拠はない。

(3) 現場への経路

<書証番号略>によれば、H宅から小金井本町住宅に至る道順について、原告Cは若干変遷しているものの、新青梅街道を通った旨述べるなど概ね北寄りのコースを供述したこと、原告Bは井の頭通りを通った旨述べるなど概ね南寄りのコースを供述したこと、原告Eは青梅街道、五日市街道を通った旨述べるなど原告Cと同Bの中間的なコースを供述したことが認められる。原告らは、右各供述は著しく矛盾しており、現実の出来事を語ったとは考えられず、取調官の誘導ないし押し付けの結果であると主張する。

そこで検討するに、<書証番号略>によれば、原告Bは、自分は三多摩方面の地理には明るくなく専ら原告Eの案内によって現場に向かった旨供述していること、原告Cはフローリアンバンの後部座席に乗車していたとされ、特に道順について留意する立場になかったこと、H宅を出発したのは早くとも夜の午後九時とされ、道路状況を掴みにくい夜間であったことが認められるのであり、右事情に加えて、犯行から供述まで半年以上が経過していることを勘案すれば、右矛盾は、原告C及び同Bが記憶の喪失・希薄化を来した結果であるとの考え方が全くありえないわけではない。したがって、右供述の不一致をもって、直ちに取調官の誘導や押し付けを推認することはできず、他に原告らの右主張を裏付けるに足りる証拠はない。

(4) 現場での行動

① 四三二三車の駐車位置・向き

<書証番号略>によれば、被害者伊藤照子は、本件窃盗事件発生当時、四三二三車を小金井本町住宅C一号棟北側三叉路付近路上に前部を西向きにして駐車していたことが認められる。そして、<書証番号略>によれば、原告Bは一一月三〇日付け員面調書添付の現場状況図において、四三二三車の駐車位置を団地南側・東向きに図示していること、その後同原告は一二月一日に引き当たり捜査を行い、駐車位置を団地北側に訂正したものの、当初はC一号棟の西隣のC二号棟北側に東向きに駐車してあったと指示説明し、その後C一号棟北側三叉路付近に向き不明で駐車してあったと訂正したこと、しかし一二月七日付け員面調書ではC一号棟北側三叉路よりも西側の駐車位置の前提で供述がなされていることが認められる。また、<書証番号略>によれば、Hは、一二月八日付け員面調書添付の現場状況図において、四三二三車の駐車位置を三叉路西側・東向きと図示していること、原告Eは現場状況図を作成していないこと、原告Cは一一月二二日付け員面調書添付の現場状況図において四三二三車の位置は不明としていることが認められる。原告らは、右各供述及び図示は変遷や矛盾が著しく、現実の出来事を供述・図示しているとは考えられず、取調官の誘導・押し付けの結果であると主張する。

そこで検討するに、確かに原告Bらの供述は変遷しているうえ、客観的事実とも殆ど合致していないことが認められ、現場で窃盗を行った者の供述・図示としては不自然な印象を免れない。しかし、原告Cらの供述によれば、犯行現場で直接窃盗行為を担当したのは原告Eであり、他の者は専ら周囲の見張りをしていたとされていること、犯行時刻は視認性の悪い真夜中であったこと、現場は類似の団地が多数立ち並ぶ場所であり状況がつかみづらいこと、現場は原告らがよく知った場所ではなく、下見を行ったとされる原告B及び同Eでさえ二回しか行っていていこと、犯行から供述まで半年以上経過していることなどに照らせば、右矛盾や変遷は、原告らが記憶の喪失・希薄化を来した結果であるとの考え方も全く成り立ちえないわけではなく、他に何らかの原因で右のような矛盾や変遷が生じた可能性もないとはいえない。したがって、右供述内容をもって直ちに取調官の誘導ないし押し付けを推認することはできず、他に原告らの右主張を認めるに足りる証拠はない。

② 押しかけの位置

<書証番号略>によれば、押しかけをした位置について、原告Eは「車のドアを開けた後、アパートの前で音がしてはまずいので、その場で皆に押してもらい、約五〇メートル位移動して人家の少ない生け垣のあるところまで来て、そこで直結作業をしたのち押しかけをした」と供述していることが認められる。これに対し、<書証番号略>によれば、原告B及びHは、当初四三二三車が駐車していた地点で直結作業をして、この地点から押しかけをして発進をした趣旨の供述ないし図面を作成していることが認められる。原告らは、右各供述の矛盾は不自然であり、取調官の誘導ないし押し付けの結果であると主張する。

そこで検討するに、<書証番号略>によれば、原告Bは押しかけを担当したわけでもなく、四三二三車の移動は道が曲っていたためよく見えなかったと供述していることが認められる。原告EとHは押しかけを担当した者でありながら供述が食い違っているが、両者のこれらの矛盾した供述の存在をもって直ちに、それが任意の供述ではなく、取調官の誘導ないし押し付けによるものであると推認することはできず、他に原告らの右主張を裏付けるに足りる証拠はない。

③ 押しかけをした人員

<書証番号略>によれば、誰が押しかけをしたかについて、各人の供述は以下のとおりである。すなわち、原告Eは当初自分以外の者皆が後押しをした旨の供述をしていたが、最終的には、誰が後押ししたかわからないと曖昧な供述に変わっている。原告Cは、自分は四三二三車から離れたところにいたので同車を見ていないと供述している。原告Bは、自己は見張りのみであるとして当初は押しかけについても言及していなかったが、その後HとIが押したと思うという推定的な供述になっている。Hは、自分がIと押しかけをしたと供述している。原告らは、右各供述は変遷が著しいうえ不明確であり、現実の出来事を供述したとは考えられず、取調官の誘導ないし押し付けの結果であると主張する。

しかし、押しかけに関わった者の人数、各人の担当した行為の内容、供述が録取された時期等を合わせ考えると、押しかけに関する供述が変遷し又は不明確であることから、直ちに取調官の誘導ないし押し付けを推認することはできず、他に原告らの右主張を裏付けるに足りる証拠はない。

④ Iの役割・行動

<書証番号略>によれば、原告B、Iは自転車で現場周辺の見回りをしていたと供述していること、原告Eは、Iは懐中電灯で作業中の原告Eの手元を照らしていたと供述していること、原告C及びHは、Iについてこのような特別な役割を述べていないことが認められる。原告らは、右各供述は矛盾が著しく、現実の出来事を述べたとは考えられず、取調官による誘導ないし押し付けの結果であると主張する。

そこで検討するに、右各供述の中で、Iが自転車で現場の見回りをしていたとの原告Bの供述は、他の三名の供述と全く合致せず、その内容上、記憶の混同や希薄化の結果とも考えにくいところである。しかし、<書証番号略>によれば、原告Bは一一月三〇日の員面調書において、「Iは自転車で一人で先に団地へ行っていて、自転車で見張りをしていた」との供述をしていたこと、一二月八日の検面調書で「Iが突然現場にいたという話はいかにも不自然であるので、ひょっとしたら警察がIは関係ないと取ってくれるのではないかと思って、突然現場にいたという嘘をついた。本当はH宅から一緒に行った」旨供述していることが認められ、Iの自転車の話は、当初の虚偽供述に伴って出てきたものであるとの供述をしていることが認められ、この虚偽とされる供述が取調官の誘導ないし押し付けによるものであることを認めるに足りる証拠はない。そして、一般に任意の虚偽供述がある場合には、関係者の供述が著しく矛盾しうるのであり、このような供述の矛盾をもって、取調官の誘導ないし押し付けを推認することはできない。

また、原告C及びHは、Iが懐中電灯で原告Eの手元を照らしていたことを供述していないが、原告Cはそもそも離れた位置で見張りをしており四三二三車を見ていない旨供述しているのであるから、Iの右役割に関する供述がないことが不自然であるとはいえない。また、<書証番号略>によれば、原告Eは、Iが懐中電灯で手元を照らしていたのは直結作業の最中のみと供述していることが認められるのであるから、短い時間のIの右行動についてHが供述していないことが不自然とはいえない。したがって、右供述の不一致が必ずしも不自然であるということはできず、これをもって取調官の誘導ないし押し付けを推認することはできない。そして他に原告らの右主張を裏付けるに足りる証拠はない。

(5) 合流点・帰路

① 合流点

<書証番号略>によれば、四三二三車窃取後、どこで四三二三車とフローリアンバンが合流したかの点について、各被疑者の供述は以下のとおりであることが認められる。

原告Cは、当初「現場でB車のところへコロナが来た」「B車が五〇〇メートル位走ったところでE運転の車が来た」と述べたが、その後「B車がもと来た方に戻り、五日市街道へ出て間もなくE運転の車が来た」とし、更に「B車は団地の中へ入っていったが、盗んだ車を見失った。五日市街道のそばでBが一旦降りたが、付近にコロナがいたらしい」「B車は車を盗んだ方向に走り、団地内を通ったが、E運転の車を見たのは団地内を走っているとき。はっきり見たのは五日市街道に出てから」と供述を変遷させている。原告Bは、大要「B車は団地に入って来た道を出ていき、Eの運転する車は一旦これとは別の方向へ行った後現場からほど近い場所で合流した」と述べている。原告Eは「現場においてコロナのところへB車が来てから、Eがコロナを運転して先行した」と供述している。原告らは、右各供述は変遷及び矛盾が著しく、現実の出来事を述べたとは考えられず、取調官の誘導ないし押し付けの結果であると主張する。

そこでまず、原告Cの供述の変遷について検討するに、<書証番号略>によれば、同原告は帰路もフローリアンバンの後部座席に乗っていたうえ、現場に行くのは犯行当日が始めてであった旨供述しているのであるから、四三二三車といつどこで合流したかについて当初の記憶が不明確であり、右供述変遷は、引き当たり捜査などにより現場の記憶を喚起することにより、徐々に正確な記憶が蘇った結果ではないかとの見方も、一つの仮説として成り立ち得ないではなく、また、それ以外の何らかの自発的意思によってそのような供述変遷が生じた可能性もないとはいえないのであるから、右供述変遷の事実から直ちに取調官の誘導ないし押し付けの事実を推認することはできない。また、各人の供述の不一致について検討するに、犯行から供述まで半年以上が経過していること、犯行が視認性の悪い夜間に敢行されていること、下見に行ったとされる原告B及び同Eでさえ現場へ行ったのは二回のみであることなどに照らせば、右供述の矛盾は記憶の混乱や希薄化を来した結果ではないかとの見方もできなくはなく、右供述の不一致の事実から直ちに取調官の誘導ないし押し付けの事実を推認することもできない。そして他に原告らの右主張を裏付けるに足りる証拠はない。

② フローリアンバンと四三二三車への分乗状況

<書証番号略>によれば、原告C、同B及び同Eは、四三二三車に「E、H、I」が乗り、フローリアンバンに「B、C、D」が乗ったと述べていること、これに対してHのみは、四三二三車に「E、C、I」が乗り、フローリアンバンに「B、H、D」が乗ったが、その後合流地点において、帰る方向の問題でHのみが四三二三車に乗り換え、他の四人はフローリアンバンで帰ったと述べていることがが認められる。原告らは、右各供述は矛盾が著しく、現実の出来事を述べたとは考えられず、取調官の誘導ないし押し付けの結果であると主張する。

そこで検討するに、右のような供述の不一致は、その内容に照らすと、各人が自発的供述を行っている場合にも、何らかの理由により起こりえないわけではなく、このような各人間で一致しない供述があるからといって、そのことから直ちに、右供述を取調官が誘導し、又は押し付けたものということはできず、他に原告らの右主張を裏付けるに足りる証拠はない。

③ 帰路

<書証番号略>によれば、四三二三車の行き先に関する、各被疑者の供述は以下のとおりであることが認められる。

原告Eは、当初、「皆で新宿まで帰り、コロナを早大理工学部付近にとめた後、Bに自宅まで送ってもらった」「二台の車は一緒にH宅近くの海城高校横または早稲田の理工学部の横に行った、その場所に盗難車をおいた」「海城高校の横に置いた」と述べていたが、その後供述を変遷させ「十月社かH宅に待たせていた倉本に渡した」「B車が倉本の待っているH宅に先行し、E車が着いたときには、倉本がB車のところで待機していたので渡し、自分は『淵』に行った」と供述している。これに対して、原告E以外の被疑者は、概ね四三二三車とは途中で分かれた旨供述し、修理先については原告Eが担当したという程度の供述しかしていない。原告らは原告Eの右供述は変遷が甚だしく、修理先の問題を逮捕される予定のない倉本に先送りするために、取調官が誘導したものであると主張する。

そこで検討するに、原告Eの当初の供述は、早稲田の理工学部と海城高校横の間で変遷し一定してないが、右供述変更は、その内容に照らすと、原告Eが自発的に供述を行っている場合にも、何らかの理由により起こりえないとはいえず、他に同原告の右供述を取調官が誘導したことを裏付けるに足りる証拠はない。

(四) 明白な誘導

(1) Iの登場

<書証番号略>によれば、Iは、当時日本大学法学部の学生であったもので、十月社の活動に参加し、十月社の三里塚現地闘争本部の責任者として、十月社と三里塚を往復していた者であることが認められる。また、<書証番号略>によれば、原告B、同C及び同Eは三名とも、当初は窃盗の犯行メンバーとしてIを挙げていなかったが、原告Bが一一月三〇日の員面調書で、原告Eが一二月二日の員面調書で、原告Cが一二月八日の員面調書でIをメンバーに加えたこと、一二月八日に最初の自白調書を作成されたHは当初からIをメンバーに加えていることが認められる。原告らは、捜査官は総監公舎事件と成田署事件を同一グループによる犯行と考えており、成田に爆弾を運ぶ者としてIを必要としていたために、右供述変更を原告らに押しつけたものであると主張する。

そこで、最初にIの名前を挙げた原告Bについて検討するに、<書証番号略>によれば、原告Bは公判廷において、被告Gから「小金井団地のことをよく知っている奴がもう一人窃盗に関与しているんじゃないか」と追及されて、Iが小金井の近くに住んでいると話したこと、Iについては被告Gも初めて知った様子で、「I、初めて聞く名前だな。どういう人物だ」と尋ねられたことを供述していることが認められるのであり、原告Bの右供述によっても、Iの名前を窃盗関係者として持ち出したのが取調官ではなく同原告であることが認められる。

なお、<書証番号略>によれば、原告Bは一二月八日の検面調書において「取調官がIが現場にいたことを知っていて隠せなかった」と供述していることが認められ、原告らは、右記載を被告Gの誘導の証左と主張する。しかし、<書証番号略>によれば原告Bは一一月二九日の員面調書において「盗みをやったのは私とD、C、E、Hとその他にもう一人いたように思います」と供述していることが認められるから、右検面調書の記載は、被告Gに「もう一人」の共犯者について追及された原告Bが、何らかの理由で自らの意思によりIの関与を供述した経過を述べたものと考える余地もあり、一方、右供述を被告Gが誘導したことを裏付けるに足りる証拠はない。

したがって、取調官が窃盗事件を総監公舎事件に接続させるため、原告Bに対し、Iの関与を誘導したとの事実は、これを認めるに足りる証拠がないものといわなければならない。

次に、原告C及び同Eの供述変更について検討するに、右供述変更が、原告Bの供述変更後に連鎖的に行われている事実に照らせば、各取調官が原告C及び同Eに対し、原告Bの右供述をもとにIの関与の有無について確認・追及を行ったことが推認される。しかし、<書証番号略>によれば、原告Cは、Iの関与を従前供述していなかった理由として「I君が捕まると、僕たちがやってきた三里塚闘争や十月社の機能がとまって困るので、今まで話せなかったのです」と供述していることが認められるから、右供述変遷の事実から、直ちに取調官が度を超えた追及により、原告Cらに対し、記憶にない虚偽の事実を供述させたとの事実を推認することはできず、他に右事実を裏付けるに足りる証拠はない。

(2) 窃盗の動機

<書証番号略>によれば、本件窃盗の動機についての、原告らの供述は以下のとおりであることが認められる。すなわち、原告Cは、当初「桜蘭公司のため」と供述していたが、一二月五日付け自筆供述書からは「三里塚闘争と桜蘭公司のため」「三里塚闘争で使う大きな目的」と供述を変更した。原告Bも、当初は「桜蘭公司のため」と供述していたが、一二月七日付け員面調書からは「本当は三里塚闘争のため」「桜蘭公司のためと十月社が三里塚闘争に参加するため」と供述を変更した。原告Eも当初は「桜蘭公司のため」と供述していたが、一二月五日付け員面調書からは、「Dが十月社で使うため」「桜蘭公司のためと言っていたが、十月社でも使うと思った」と供述を変更した。一二月八日に最初の自白調書を作成されたHは、当初から「私は桜蘭公司のためと思っていたが、Dらは十月社の三里塚闘争のためと言っていた」「Dが桜蘭公司や十月社の三里塚闘争のためと言っていた」と供述している。原告らは、右供述変更は、取調官が窃盗事件を総監公舎事件に接続させるために、窃盗の動機に政治的・思想的要素を付け加えさせたものであると主張する。

そこで検討するに、<書証番号略>によれば、原告Bは右供述変更について「三里塚での利用を供述していなかったのは、情状が悪くなると思ったから」と供述していること、原告Bは一一月三〇日付け員面調書において、桜蘭公司のメンバーではないIの関与を供述していたこと、取調官は事前の内偵捜査や身柄拘束後の原告らの供述により、Iが三里塚現地闘争本部に常駐している事実や、原告らが十月社や三里塚闘争と浅からぬ関係を有している事実を把握していたことが認められ、以上の事実を総合すれば、原告らは、Iの関与等から使用目的に疑念を抱いた取調官から追及を受け、何らかの理由で自己の意思により三里塚の利用について供述するに至ったものとの見方も成り立ち得ないではなく、右供述変遷の事実から、直ちに原告らが主張するような取調官の誘導ないし押し付けを推認することはできず、他に原告らの右主張を裏付けるに足りる証拠はない。

(3) 四三二三車二重追突事故の際の乗員

<書証番号略>によれば、四三二三車二重追突事故の際の乗員についての、原告らの供述は以下のとおり認められる。すなわち、原告Cは、当初から一貫して、根拠を挙げて「AとD」と供述していたが、一二月一三日付け員面調書から「Aと自分」と供述を変更している。また、原告Bも当初根拠を挙げて「AとD」と供述していたが、一二月一三日付け員面調書から「AとC」と供述を変更している。原告Eは、当初「Aほか一名」と供述していたが、一二月九日付け自供書から「AとC」と供述している。そして、原告らは、右供述変更は、窃盗事件を総監公舎事件に接続させるために、取調官が誘導ないし押し付けをした結果であると主張する。

そこで検討するに、<書証番号略>によれば、原告Cは一二月一二日に初めて同事件について自白したこと、同原告は一二月一三日に右供述変更をし、一二月一五日付け検面調書において「なぜ自分が乗っていないと嘘をついたかというと、自分が乗っていたというと爆弾を仕掛ける場所を下見していたことまで話さなくてはいけなくなると思ったから」と供述していることが認められるから、この供述の真偽は別として、同原告は何らかの理由により自らの意思で供述変更をしたと考える余地もあり、一方、原告B、同C及び同Eの供述変更が取調官の誘導ないし押し付けであることを裏付けるに足りる証拠はない。

(4) 原告Eの一一月三〇日付け員面調書

<書証番号略>によれば、原告Eの一一月三〇日付け員面調書には大要「これから車を盗ってきたことについてお話しします。五月七日ころH宅にH、その妻H1、N、私、C、B、Dが集まり、私とBが下見の結果について報告したところ、これから盗ってこようということになりました。そして午後一〇時ころ車を盗みに行くため、H宅を出発しました。『ここまで録取したところ、被疑者はしばらく考えさせて下さい、と言って考え、約八〇分後再び』、私の供述が自分自身のはっきりした記憶に基づいていないことを多く感じます。午前中にH、D、C、B、私で自動車を盗んできたと供述したのは結果としては嘘になります。五人で盗りにいった状況については想像し答えてしまいました」との記載があることが認められる。原告らは、右調書の記載内容は、前半部分を取調官が誘導によって一方的に作成したことを如実に表すものであると主張する。

そこで検討するに、<書証番号略>によれば、右調書の前半自白部分までを録取した段階で、原告Eは弁護人と接見を行っていることが認められ、このような中断の前後で供述の大幅な食い違いがあるとしても、このことから直ちに、一方の供述が誘導によって得られたものであることを推認することはできず、他に原告らの右主張を裏付けるに足りる証拠はない。

(五) 結論

以上のとおり、原告Cらの供述内容をもって、直ちに取調官の誘導や押し付けを推認することはできない。原告らは右認定事実以外にも、原告Cらの供述内容には不自然・不合理な点が多々あると主張するが、原告らが指摘するその他の点も、取調官の誘導や押し付けを推認しうるものとはいえない。したがって、取調官が原告らを誘導して、虚偽自白を捏造したとの原告らの主張は、これを認めるに足りる証拠がない。

10  裏付捜査の違法性

(一) 菊池政和に対する事情聴取

<書証番号略>によれば、幡ケ谷マンション付近のアパートに居住している菊池政和は大要「自分は自動車整備工として働いている。五月下旬の午前七時半ころ、通勤途中に、幡ケ谷マンション前路上で、七、八年前の古いコロナで紺色のほこりをかぶった汚い車が駐車してあるのを見た。どうしてこんな汚い車があるのかと記憶に残っている。この汚いコロナは頭文字に四と書いてあることを覚えている。(四三二三車の写真を示されて)只今話した車はこの車にそっくりである」旨を供述していることが認められる。原告らは、捜査官は原告Aが四三二三車と類似したブルーバードを昭和四六年四月末まで所有していた事実を把握しながら、菊池に対しコロナの写真のみを示し、ブルーバードとの混同を避ける配慮を何ら加えていないのであって、捜査官に真実解明の意図がなかったことは明らかであると主張する。

そこで検討するに、右認定によれば、自動車整備工であり車には特に詳しいと考えられる菊池が、四三二三車の写真を提示される前から、目撃車両がコロナであること、ナンバーの頭文字が四であること、目撃時期は原告Aがブルーバードを廃車にした一か月も後であることを特定して供述しているのであるから、このような同人に対して、捜査官が四三二三車の写真のみを提示していることをもって、真実解明の意思がなかったと推認することはできない。原告らの右主張は理由がない。

(二) C1供述調書の毀損・改竄

原告らは、被告Gは自己の意にそぐわない供述を続けるC1の供述調書を破り捨て、刑事審で問題となるやこれを改竄して法廷に提出したと主張する。そして、<書証番号略>によれば、C1は公判廷において大要「一一月一三日にGから事情聴取を受けた。引越車について白いライトバンだと話したら、Gは青い車に違いないといって怒って調書をくしゃくしゃにして投げつけた。引越しについて調書を取られたのはその時のみで、Gが調書を丸めて捨ててしまっておしまいになった」と供述していることが認められる。

そこで検討するに、C1の右公判廷供述は、被告Gが調書の作成途中でこれを破り捨て、調書は完成に至らなかったとの趣旨と理解されるが、<書証番号略>によれば、C1の一一月一一日付け員面調書は、調書として完成しており、末尾にC1本人の署名・指印があることが認められるのであるから、C1の右公判廷供述は容易に信用することができない。なお、原告らはC1の右公判廷供述を、完成後の調書のうち一枚目のみを被告Gが破り捨て、後に一枚目をすり替えて法廷に提出したと理解するようであるが、右公判廷供述はそのような趣旨には理解しがたいばかりか、原告らの主張に従えば、被告GはC1の供述をそのまま録取した調書を作成・完成させながら、その後いきなり怒りだして一枚目のみを破り捨てたという不自然な経過になる。また、原告らは右員面調書の一枚目と二枚目以降に連続性がないと主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。したがって、被告GがC1の員面調書を毀損・改竄したとの原告らの主張は認めることができない。

(三) 新藤孝衛に対するアリバイ潰し

原告らは、捜査官は原告E及びHのアリバイをつぶすため、新藤孝衛を誘導してアリバイを否定する供述調書を作成し、他方右両名が主張の根拠とした「淵」の伝票にはあたって見ようともしなかったものであり、捜査官の真実解明の意図の欠如は明らかであると主張する。

そこでまず新藤に対する捜査官の誘導の有無について検討するに、<書証番号略>によれば、新藤は警察官による事情聴取に対し、映画の試写会の予定を書き込んだ自らの手帳を根拠に記憶を喚起し、自分が「淵」に行った日にちを五月一〇日であると特定していることが認められ、右調書にも後の新藤の公判廷供述にも、捜査官の誘導を窺わせる供述は存在しない。なお原告らは、捜査官が新藤に、Hらが逮捕されていることや五月七日がポイントであることを告げなかったことを問題とするようであるが、新藤が「淵」に行った日を確認する場合において、右のような事情を説明すると、却って新藤の供述に不当な影響を与える可能性もありうるから、捜査官が右事情を説明しなかったことをもって、捜査官の誘導や真実解明の意思の欠如を推認することはできない。

次に「淵」の伝票について検討するに、弁論の全趣旨によれば、「淵」の伝票は、原告E及びHの勾留満期日以前である一二月一一日に押収されていることが認められる。そして、他に捜査官に真実解明の意思が欠如していたことを裏付けるに足りる証拠はない。

(四) 四三二三車イグニッション部の修理先と倉本に関する捜査の欠落

<書証番号略>によれば、被告Fは四三二三車イグニッション部の修理先の捜査を行うよう警察に指示を行ったこと、警察において修理担当者とされている倉本について基礎的な調査を行ったが身元が判明せず、結局修理先を解明することができなかったことが認められ、右認定に反する証拠はない。

したがって、修理先が未解明に終わったことをもって捜査官に真実解明の意図がなかったと推認することはできず、これをもって捜査官に真実解明の意図がなかったことが裏付けられるとする原告らの主張は採用できない。

(五) 四三二三車の窃取方法に関する捜査の欠落

原告らは、捜査官は四三二三車と同型車である四六八〇車を麹町警察署に領置しながら、原告Eの供述する窃取方法を四六八〇車で実験することを怠ったものであり、捜査官に真実解明の意図がなかったことは明らかであると主張する。

しかし、窃盗事犯において、被疑者の供述した窃取方法を実際に実験することが、常に必要とされる裏付捜査であるとはいえない。そして、本件において捜査官が四六八〇車での窃取方法の実験を行うことを必要とする特別の事情が存在したことを認めるに足りる証拠はないから、原告らの右主張は採用することができない。

(六) 四三二三車の遺留指紋

<書証番号略>によれば、二重追突事故後放置された四三二三車からは、三号指紋が三個及び四号指紋が一個採取されたことが認められる。原告らは、捜査官は遺留指紋と原告らの指紋の対照すら怠ったと主張する。しかし、<書証番号略>によれば、複数の捜査官が公判廷において、遺留指紋と原告ら被疑者の指紋の対照を行ったが結果は一致しなかったことを供述していることが認められ、右公判廷供述の信用性を否定するに足りる証拠は存在しないから、原告らの右主張はこれを認めるに足りる証拠がないものというべきである。

また、右各証拠によれば、捜査官が遺留指紋と被疑者指紋の不一致を重視していなかったことが窺われ、原告らはこの点について、捜査官が否定的結果の隠蔽に努めた主張する。しかし、対照可能指紋が三個しか採取されていない状況では、その中に犯人のものが含まれていない可能性も十分ありうるから、右対照結果を捜査官が重視しなかったことが不自然・不合理な判断ということはできない。

(七) 四三二三車の遺留品

<書証番号略>によれば、二重追突事故の後放置された四三二三車には「蒸留水」と書かれた白色ポリ容器が遺留されていたことが認められる。また<書証番号略>及び弁論の全趣旨によれば、右白色ポリ容器に関しては、原告Cが一二月一三日の員面調書で「事故の二、三日前に、BとAが御殿場にドライブしたときに盗んできたものと聞いた」と供述しているのみで、その他に右容器の入手先を窺わせる証拠資料は得られていないことが認められる。原告らは、捜査官は右白色ポリ容器について何らの捜査も行っていないのであり、真実解明の意図がないことは明らかであると主張する。

しかし、ポリ容器の製造及び流通の実情からみて、捜査官がポリ容器の入手先の捜査を行わなかったことが直ちに不合理な判断であるということはできず、他に捜査官において原告ら主張の捜査をすべきであった事情の存在を裏付けるに足りる証拠はない。

(八) 原告E及びHの引き当たり捜査の欠落

<書証番号略>並びに原告E、同C、同B及びHの捜査段階の供述によれば、本件窃盗事件においては、原告Eが窃取行為を実際に担当し、Hは押しかけを手伝い、原告B及び同Cは見張りをしていただけの役割とされていること、原告C及び同Bについてはそれぞれ一一月二四日及び一二月一日に引き当たり捜査が行われているが、原告E及びHに関しては引き当たり捜査が行われていないことが認められる。原告らは、捜査官は自白の矛盾の拡大の恐れや真犯人でないものに現場を教えることの難しさなどから故意に引き当たり捜査を回避したと主張する。

しかし、関係各証拠によれば、捜査官は原告C及び同Bの引き当たり捜査により、犯行現場の客観的状況が既に十分明らかになっていたとして、原告E及びHの引き当たり捜査を行わなかったものであると認められ、他に捜査官がこれを故意に回避したことを認めるに足りる証拠はない。

11  結論

以上のとおり、窃盗事件における警察官の捜査が違法であったとする原告らの主張事実は、これを認めるに足りる証拠がないものといわなければならない。

五  窃盗事件における検察官の職務執行の違法性

1  警察の違法捜査への加担

原告らは、被告Fは警察官が自白獲得を目指して、自白の強制・誘導・脅迫・利益誘導等の違法な取調べを行っているのを知りながら、適切な指揮を行わず、むしろ積極的に加担したと主張する。しかし前記四認定のとおり、警察官が窃盗事件について原告らに対し違法な取調べを行ったことを認めるに足りる証拠はないから、被告Fがこれに加担したとの右主張は、前提において理由がない。

また、原告らは、被告Fは員面調書の信用性をチェックする意図がなく、専ら員面調書に露呈している虚偽自白の痕跡解消のみに努めたと主張するが、原告らの右主張事実を裏付けるに足りる証拠はない。

2  原告Cに対する公訴提起の違法性

原告らは、被告Fの原告C起訴は、同原告の自白のみを証拠とし、原告B以下、後に逮捕された者らの自白を後日獲得するとの見込みのもとに行われた違法なものであり、それなしでは公判維持に耐えられないことは明らかであったと主張するので、以下、被告Fが原告Cを起訴するにあたって基礎とした証拠資料について検討する。

(一) 四三二三車の使用状況に関する参考人の供述

(1) 三好及び樋口の目撃証言

(以下、二重追突事故の際四三二三車に乗車していた二人の男のうち、背の高い方を「甲」、背の低い方を「乙」とする)

① 三好及び樋口の供述内容

三好及び樋口の員面調書における供述内容は、前記四1(二)(2)①及び同②のとおりである。また、<書証番号略>によれば、三好は、一一月一〇日付け検面調書において、大要「捜査官に写真一〇枚を示されて交通事故の際の二人がいないか聞かれた。その中に口髭の男の写真があり、口髭と目のあたりの印象が甲に似ていたので、それを選んだ。ただ口髭の写真は一〇枚中一枚だった。乙は残りの写真を見ても思い出せず、一旦帰ろうとした捜査官にもう一度写真を見せて貰ったところ、一枚の写真がどこかで見たことがあるような気がしたので、これかも知れないと言った。その後実物を確認し、Aについては、最初見たことのある顔だなと思いながらも迷ったが、そのうちAが前髪をなで上げるような格好を三回位やったので、あの晩の甲の仕草と同じであることを思い出し、この男に間違いないようだなと思った。Cについては、どこかで見たことのある人だと思うが、あの晩の乙だと言う自信はもてなかった。以上の次第で、もし裁判に証人として呼ばれた場合、甲については似ているという程度で間違いないと言い切れる自信はないし、乙はそれ以上に自信がもてない」旨供述していることが認められる。また、<書証番号略>によれば、樋口は警察での事情聴取の後、検察官からの呼び出しを受けたが、出頭に応じなかったことが認められる。

② 三好の右供述内容の検討

そこで、三好による原告Aの特定に関する供述部分を検討するに、三好が甲を目撃したのは、自己が加害者となった二重追突事故の現場という極めて記憶に残りやすい場面であること、同人は甲を間近で見たのみならず言葉を交わしていること、三好は原告Aを甲と判断した理由について、口髭、目のあたりの印象、髪をなで上げるようにかきあげる仕草などが似ているとして具体的な根拠を挙げていること、検面調書の供述は員面調書より若干後退しているが、原告Aと甲の同一性については維持しているうえ、右後退はさらに時間が経過したことによる記憶の希薄化によるものと考える余地があることに照らせば、三好が原告Aを甲であると特定した供述の信用性が高いと考えた検察官の判断が不合理であるということはできない。

次に、三好による原告Cの特定に関する供述部分を検討するに、三好は乙とは直接言葉を交わしていないこと、より記憶の新しい段階の員面調書でも、原告Cが乙だとは断定していないこと、検面調書ではさらに供述が後退していることに照らせば、三好の右供述のみで原告Cを乙であると認めることは困難であるが、後記③の樋口の供述も合わせ考えれば、乙が原告Cである可能性が高いと考えた検察官の判断が不合理であるということはできない。

③ 樋口の右供述内容の検討

まず樋口による原告Aの特定に関する供述部分を検討するに、甲乙は樋口が降車してから直ぐ後に立ち去っていること、樋口は被害者の立場であり三好ほど甲乙に関心があったとは考えられないこと、樋口は原告Aを甲と判断した理由について髭の存在しか挙げていないことに照らせば、写真面割り及び実物面割りで原告Aを甲であるとした樋口の員面供述は、三好供述ほどの信用性はないと考えられるが、少なくとも三好の右供述を裏付けうると考えた検察官の判断が不合理であるとはいえない。

次に樋口による原告Cの特定に関する供述部分を検討するに、樋口は写真面割りでは、乙が原告Cかどうかは自信がないとしているが、実物面割りでは「事故現場から立ち去った後ろ姿とそっくりである」と具体的な根拠を挙げて、乙を原告Cであると断定しており、樋口供述と前記②の三好供述と合わせ考えて、乙が原告Cである可能性が高いと考えた検察官の判断が不合理であるということはできない。

(2) 原告A及び同Cの住居付近住民の目撃証言

① 原告Aの住居付近住民の目撃証言

原告Aが当時居住していた幡ケ谷マンションの居住者である宮田幸一及び藤原美代子並びに同マンションの近くに居住する菊池政和の員面調書の内容は、前記四1(三)(1)及び同10(一)のとおりである。

そこで右各員面供述の信用性について検討するに、右各供述は半年程度前の目撃状況に関するものではあるが、右三名はそれぞれ車に興味を持っている人物で、特に菊池は自動車整備工であること、駐車車両が印象に残った理由(汚い、色は珍しい等)をそれぞれ具体的に供述していること、右三名の述べる特徴は車種・色・型・ナンバーが四三二三車に極めて類似しているところ、周辺に他に混同の可能性がある車両があったことも窺われないことに照らせば、右三名の供述の信用性が高く、彼らの目撃した車両が四三二三車である可能性が高いと考えた検察官の判断が不合理であるということはできない。

なお、<書証番号略>によれば、原告Aは昭和四六年四月までブルーのブルーバードを所有していたことが認められるが、右三名は目撃時期をいずれも五月以降としており、とりわけ宮田及び藤原は五月以降であることについて具体的根拠を挙げているのだから、ブールバードの混同の可能性を考慮しなかった検察官の判断が不合理であるということはできない。

② 小長谷アパート付近住民の目撃証言

Ⅰ 軽部清八の目撃証言について、原告Cが当時居住していた小長谷アパートに居住していた軽部清八の員面調書の内容は前記四1(三)(2)①のとおりである。右軽部の右員面供述の信用性について検討するに、軽部供述は、五月二二日及び二三日にC1らがトヨペットコロナ六四年式の紺色一五〇〇ccを使って引越しをしているのを目撃したこと、その他にも同じコロナが近くに路上駐車したあるのを度々見たことを具体的かつ詳細に述べているものである。

ところで、<書証番号略>によれば、原告B及びC1は、五月二三日の引越しに使用した車を、原告BがOS色素から借りてきた白色ライトバンである旨供述していることが認められ、右軽部供述と食い違っている。しかし、<書証番号略>によれば、原告Cは、一一月一六日付け検面調書において、引越しの際には原告Bの白色ライトバンの他に、原告Aらが紺色トヨペットコロナに乗って昼ころ手伝いに来た旨供述していることが認められるのであるから、右軽部の供述が、原告Bらの右供述と矛盾しないと考えた検察官の判断が不合理であるということはできない。なお、コロナが来た時間について、原告Cは昼頃とし、軽部は午前一〇時前としているが、半年近く前の出来事に関する供述であることを考えれば、いずれかが記憶の混同・希薄化を来した結果であるとの見方も成り立ちうるのであり、右不一致を重視しなかった検察官の判断が不合理であるとはいえない。

したがって、軽部の右供述に基づき、軽部が五月二二日及び二三日に目撃した車が四三二三車である可能性が高いと考えた検察官の判断が不合理であるということはできない。

Ⅱ その他の付近住民の目撃証言その他の小長谷アパート付近住民の員面調書の供述内容は、前記四1(三)(3)①のとおりである。右各住民らはそれぞれ具体的な理由があって駐車車両の存在を記憶に留めていたこと、右各供述は、車種、年式、色、大きさ、手入れの状況、ナンバー等の点から、四三二三車に類似した特徴の車が五月ころ森下寛宅前路上などに駐車してあった事実を一致して述べるものであること、四三二三車の他にこれに該当する車両の存在を窺わせる資料はなかったことに照らせば、付近住民の右各供述に基づき、各人が目撃した車両が四三二三車である可能性が高いと考えた検察官の判断が不合理であるということはできない。

(二) 原告C供述の信用性

(1) 自白の裏付証拠

① 小長谷アパート付近住民の供述

<書証番号略>によれば、原告Cは四三二三車の使用状況について「五月一〇日にBが私宅にやってきて『あの車家の前に一晩駐車させてくれ』と言った。五月一三日にAが運転し、B及びDが乗って私宅に来た。五月一五日ころBが運転し、私宅まで送ってくれた。五月二二日にBが運転しDが乗って私宅に来て、日大闘争の資料の入った段ボールを運んでいった。五月二三日の引越しの際、Aが運転し、Dが乗って来た」旨供述していることが認められる。そして、右供述は前記(一)(2)②の小長谷アパート付近住民や軽部清八の供述に概ね対応するものであるということもでき、原告Cの供述は付近住民の供述に裏付けられており、その信用性は高いと考えた検察官の判断が不合理であるということはできない。

なお、小長谷アパートの付近住民の供述と原告Cの供述は、その日時・時間帯・駐車状況などの点において、必ずしも完全に合致しているものではないが、半年以上前の出来事に関する供述であり、細かい点について記憶の混同・希薄化を来したことによる食い違いであるとの見方も成り立ちうるのであり、一致していない点があることを重視しなかった検察官の判断が不合理であるということはできない。

② 三好及び樋口の供述

<書証番号略>によれば、原告Cは一一月二七日の時点で「五月末にBの車の中で、DとAが四三二三車で交通事故に遭ったという話を聞いた」と供述していることが認められ、右供述中、二重追突事故に遭ったのが原告Aであるとの点においては、原告Cの自白は三好及び樋口の供述で裏付けられていると評価しうる。

ところで、原告Cの右供述は、二重追突事故にあったもう一人を原告Dとしている点で、三好及び樋口との供述と食い違う点が問題となる。しかし、右事故が深夜の午前二時ころ総監公舎の直ぐ近くの交差点で発生したものであること、当時原告Cには、四六八〇車との関係や高橋腎蔵供述などにより総監公舎事件の嫌疑が少なからず及んでいたことに照らせば、原告Cは総監公舎事件との関係を追及されることを恐れ、又はその他の何らかの理由で虚偽供述をしているのではないかとも考え得たのであるから、右矛盾から直ちに原告Cの信用性が損なわれるものではないと考えた検察官の判断が不合理であるということはできない。

(2) 自白の内容

① 窃盗の目的・動機

桜蘭公司の営業用の自動車を盗むという動機が必ずしも不合理であるとはいえないことは、前記四9(二)(1)のとおりである。また、原告らは、原告Cの供述中に、窃盗車のナンバープレートの処置に関して話し合った形跡がないのは不自然であると主張するが、実際にナンバープレートに何らの細工もしないまま窃盗車を使用する例は少なくないのであるから、これらの点が原告Cの自白全体の信用性を左右するものではないと考えた検察官の判断が不合理であるということはできない。

② 四三二三車のナンバー

<書証番号略>によれば、原告Cは、一一月一四日の員面調書で「ナンバープレートの数字は、僕が最初逮捕状を示され、自分で内容を読みましたとき、直感的に僕自身が乗ったか見たかしたことのあるナンバー『多四三二三』という続いた数字であったと思ったのです」と供述していることが認められる。原告らは、原告Cがそのような数字を覚えていること自体不自然であり、取調官が強制したことは明らかであると主張する。

そこで検討するに、同原告の右供述は、数字を暗記していたという趣旨ではなく、逮捕状の数字の連続性に見覚えがあるという程度の趣旨であると理解できるから、右供述が格別不自然であるとはいえず、右供述内容をもって、原告Cの自白全体の信用性を左右するものではないと考えた検察官の判断が不合理であるということはできない。

③ 自白の理由、Hの登場

<書証番号略>によれば、原告Cは、一一月二六日付け検面調書において、自白をした理由として「車を盗るなんていう行為は全く破廉恥なことで、それを認めたくなかったからです」「盗みに行ったことは事実間違いなく、警察がよく調べていて隠し通せないと思ったからです」と供述していること、Hの関与を隠していた理由として「Hは先輩だからです」と供述していることが認められ、原告らは、右理由はいずれも不自然・不合理であると主張する。

そこでまず自白の理由について検討するに、右の自白理由がそれ自体不自然であるということはできず、右自白理由から原告Cの自白の信用性を否定的に解さなかった検察官の判断が不合理であるとはいえない。また、Hは先輩なので隠していたとの供述について検討するに、確かに右理由は四人の共犯のうちの一人のみを故意に隠匿する理由としては若干薄弱といえるものの、そうだからといって、右理由をもって原告Cの自白の信用性を否定的に解さなかった検察官の判断が不合理であるということはできない。

④ 現場状況図

原告Cの一一月二二日付け員面調書添付の現場状況図が現場の客観的状況と必ずしも合致していないこと、しかし右矛盾があるからといって取調官が誘導したものとはいえないことは、前記四9(一)(5)①のとおりである。したがって、右矛盾をもって原告Cの自白全体の信用性を左右するものでないと考えた検察官の判断が不合理であるということはできない。

また<書証番号略>によれば、一一月二四日に行われた実況見分の前後で、原告Cの現場に関する供述が大きく変更されていることが認められるが、前記四9(一)(5)①のとおり、原告Cの現場での役割、犯行の時間帯、犯行から供述までの時間的間隙に照らせば、右供述変遷をもって原告Cの自白全体の信用性を左右するものとはいえないと考えた検察官の判断が不合理であるということはできない。

(3) 共犯者の供述

① 原告Eの供述

<書証番号略>によれば、原告Eは一一月二六日付け員面調書において「五月二日ころ、私、H、C、D、B、倉本が集まり桜蘭公司の売上げの話をした際、車が必要だという話が出た。そしてDから自動車窃盗の方法を聞かされたので、直結の方法を説明した」「その二〜三日後に私とBが下見に行った状況やその後二〜三日たってから私外四〜五人で盗ってきたことについてはよく思い出して後日また申し上げます」と供述したこと、一一月二七日付け員面調書においては「五月五日にBと一緒に小金井の方面に下見に行った」と供述したこと、一一月二七日付け検面調書においては「事実については今のところ記憶がない。しかし盗んでないという意味ではないので、実際はやっているかもしれませんが、今記憶に浮かんでこないということです」と曖昧な供述をしたことが認められる。そして、以上によれば、原告Eの供述内容は、原告Cら五名で窃盗の謀議や下見をしたとの点において、同原告の自白内容と合致するものであり、原告Eの供述が原告Cの自白を一部裏付けるものであると考えた検察官の判断が不合理であるということはできない。

② 原告Bの供述

<書証番号略>によれば、原告Bは原告Cが起訴された一一月二七日の時点では被疑事実を否認していたことが認められる。しかし、原告Bの供述が原告Cの供述に比べて信用性が高いと認めるに足りる証拠はなく、かえって右<書証番号略>によれば、原告Bは一一月二七日の員面調書において、「伊藤弁護士と接見したとき『皆んな黙秘しているから頑張りなさい』といわれた。わたしはその言葉が事件のことは一斉話さない様にと言う意味だと思いましたから、私達の盗みのことは話せないのです」と述べていることが認められる。したがって、原告Bの否認が原告Cの自白の信用性を損なうものではないと考えた検察官の判断が不合理であるとはいえない。

③ 原告D及びHの供述

<書証番号略>によれば、原告D及びHは、一一月二七日の時点で被疑事実を否認していたことが認められるが、前記(一)のとおり複数の第三者の供述により、原告A、同Cやその友人による四三二三車の使用が認められると判断し得たこと、前記(二)のとおり原告Cの自白には一定の裏付けがあったことに照らせば、右両名の否認が原告Cの自白の信用性を損なうものではないと考えた検察官の判断が不合理であるということはできない。

なお、<書証番号略>によれば、Hは当時、犯行当日のアリバイを主張していたことが認められるが、<書証番号略>によればHがアリバイ証人として挙げた新藤孝衛は、一一月二六日の警察の事情聴取に対してアリバイを否定する供述を行っていたこと、前記①のとおりHのアリバイに含まれる原告Eはアリバイ主張を行っていなかったことが認められるのであるから、Hのアリバイ主張が原告Cの自白の信用性を否定するものではないと考えた検察官の判断が不合理であるということはできない。

(4) 結論

以上によれば、原告Cの自白が信用しうると考えた検察官の判断が不合理であるということはできない。

(三) 結論

以上の(一)及び(二)を総合すれば、原告Cに窃盗事件で有罪と認められる嫌疑があると考えた検察官の判断が不合理であるということはできない。

3  原告B、同E及び同Dに対する窃盗事件の公訴提起の違法性

原告らは、原告B、同E及び同Dに対する窃盗事件起訴は、被告Fが、原告B、同E、同C及びHの自白の甚だしい矛盾撞着、供述の不自然、不合理な変遷、客観的事実との乖離など供述の信用性、任意性に重大な疑問を投げかける数々の問題点をあえて看過し、本件窃盗事件が総監公舎事件捜査のための別件であるとの批判を免れ、かつ本来の狙いである総監公舎事件による逮捕、起訴を実現する意図をもって、起訴を強行したものであると主張するので検討する。

(一) 四三二三車の使用状況に関する参考人の供述

前記2(一)認定のとおりである。

(二) 原告C、同B、同E及びHの自白の信用性

(1) 右四名の自白の整合性

<書証番号略>によれば、右四名の自白供述は、相互に矛盾する内容を含んではいるものの、五月上旬に桜蘭公司の営業に車が必要であるという話から、窃盗の謀議に発展し、原告B及び同Eが下見に行ったこと、五月七日にH宅に原告C、同B、同D、同E、H、Iが集まり、フローリアンバンで現場へ向ったこと、現場ではフローリアンバンを空地に停め、原告Eが窃盗行為を担当し、残りの者は見張りを担当したこと、帰りは二台の車に分乗して帰ったことなど窃盗犯行の基本的部分においては、各自白は一致していることが認められる。

(2) 自白の内容

原告らは、右四名の自白には、客観的事実との矛盾、ストーリー上の不自然・不合理、供述間の対立・矛盾、明白な誘導等問題点が多々あり、到底信用性の認められないものであると主張する。しかし、前記四9で認定したとおり、原告らが指摘する問題点は、そのいずれもが右四名の自白の信用性を否定するに足りるものであるということはできない。

(3) Hのアリバイ

<書証番号略>によれば、Hは否認段階において五月七日当時のアリバイを主張していたこと、Hがアリバイ証人の一人として挙げた梅原正紀は、一二月七日の警察による事情聴取に対し、Hのアリバイ主張を裏付ける供述をしたことが認められる。

そこで、右各供述から検察官が右四名の自白の信用性を否定的に解すべきであったかを検討するに、前記四7(三)及び同8(三)のとおり、Hが挙げた他のアリバイ証人である新藤孝衛はアリバイを否定する供述をしていたこと、Hのアリバイに含まれる原告Eはアリバイ主張をしていなかったことが認められ、また、後記4(一)のとおり、梅原正紀はHの親しい知人であり、その供述の信用性について慎重な判断が必要であったことに照らせば、右各供述が右四名の自白の信用性を否定するものではないと考えた検察官の判断が不合理であるということはできない。

(4) 結論

以上によれば、原告C、同B、同E及びHの自白が信用しうると考えた検察官の判断が不合理であるということはできない。

(三) 結論

以上の(一)及び(二)によれば、原告B、同E及び同Dに窃盗事件について有罪と認められる嫌疑があると考えた検察官の判断が不合理であるということはできない。

4  アリバイ潰し

(一) 梅原正紀

<書証番号略>によれば、梅原正紀は昭和四七年一月一二日付け検面調書において「五月七日『淵』に行った。その日の午前零時ころHが同店にいたことは間違いないが、Hが最初から店にいたか、途中から入ってきたかどうかは全く記憶がない」と供述していることが認められる。原告らは、右供述について、被告Fは、Hが最初から店にいたとの梅原の記憶に明確な根拠がないことにつけこんで、右供述を押しつけたものであると主張する。

そこで検討するに、<書証番号略>によれば、梅原はHの親しい知人であること、梅原は昭和四七年一月六日にも警察官から事情聴取を受けたが、その際の警察官の対応について被告Fに抗議したことがあることが認められる。また、<書証番号略>によれば、梅原は公判廷において、検面調書は正確で自分としては気に入っている調書になったこと、五月七日はHに用件があって「淵」に行ったのではないので鮮明な記憶はないと検察官に述べたことを供述していることが認められる。そして、他に被告Fが梅原に対して供述を押しつけたとの事実を認めるに足りる証拠はない。

(二) 羽永義雄・知律子夫妻

<書証番号略>によれば、羽永義雄は、公判廷において「警察から五月七日の『淵』での様子について事情聴取を受けたので、その日は妻知律子と一緒に『淵』に行ったこと、同店にはHがいたことなどを述べた。妻はその後検察庁でも事情聴取を受けたが、検察官から『そんなかばい立てをしても、本人が吐いたんだから、あなたの言っていることは偽証になるよ』と言われたと聞いている。また、警察が自分の仕事先に『羽永というのは何者か』と聞き込みをしたために、自分は小原流や中央公論の仕事を切られた」と供述していることが認められる。原告らは、検察官らは、アリバイ証人である羽永夫妻に対し、証人威迫を行ったと主張する。

そこで検討するに、羽永知律子に対する検察官の発言内容は、羽永義雄が公判廷で伝聞を述べたものであって、正確性に疑問があり、また、右公判廷供述のみから、直ちに検察官又はその意を受けた警察官が違法な証人威迫を行ったとの事実を認めることはできず、他にこれを裏付けるに足りる証拠はない。

5  結論

以上のとおり、検察官が窃盗事件の捜査及び公訴提起において、違法な職務執行を行ったとの原告らの主張は理由がない。

六  総監公舎事件における火取罪名での取調べ以外の警察官による捜査の違法性

1  原告Cに対する火取罪名での取調べ以外の取調べの違法性

(一) 原告Cに対する取調べの経過

<書証番号略>によれば、原告Cは窃盗事件起訴後の一一月二九日から総監公舎事件の参考人として四六八〇車の入手経緯等に関する事情聴取を受けたこと、一二月二日ころ弁護人との接見後、同原告が黙秘に転じたため、西海喜一は、同原告を総監公舎事件による火取違反容疑の被疑者として取調べを開始したこと、同原告は当初総監公舎事件への関与を否認していたが、同月一二日に至ってこれを自白したこと、同月一五日に爆取違反容疑で逮捕されたが、その後も逮捕時の弁解録取手続、検察官による弁解録取手続、裁判官による勾留質問、警察官及び検察官による取調べのいずれにおいても、自白を維持し、自己の第一審判決に対する控訴に至って初めて自白を撤回したことが認められる。また、原告Cの取調べは、西海が主にこれを行ったが、途中西海が京都に出張した関係上、一二月一八日付け及び同月二〇日付け員面調書は、北岡均及び渡辺吉男が取調官として、これを作成したことが認められる。

(二) 窃盗起訴後の取調べの違法性

(1) 取調受忍義務不存在を告知すべき義務

原告Cが黙秘に転じた後、西海が同原告を総監公舎事件に係る火取違反容疑の被疑者として取り調べたことは前記二4のとおりであるが、<書証番号略>によれば、その際西海は原告Cに対し取調拒否の権利や取調室からの退室権を告知しなかったことが認められる。

しかし、被疑者の取調べに際し、取調受忍義務がない場合について、その旨を告知すべき義務を捜査官に課した規定はなく、解釈上も捜査官にそこまでの義務があるものとは認められない。したがって、西海が取調受忍義務の不存在を原告Cに告げなかったからといって、直ちに違法な取調べであるということはできない。

(2) 強制的取調べの有無

原告らは、捜査官は、窃盗事件起訴後も原告Cに対し強制的取調べを行ったと主張するので、同原告に対する起訴後取調べが任意の取調べとしての範囲を逸脱し、被疑者の取調拒否の自由意思を抑圧する強制的なものであったか否かを検討する。

<書証番号略>(麹町警察署留置人出入簿)によれば、原告Cは、窃盗事件起訴後、一日休みをおいた一一月二九日から、総監公舎事件で爆取逮捕される一二月一五日まで連日取調べを受けたことが認められるが、取調べ時間に関しては高刑一〇部判決が認めるように、窃盗事件の場合と比較してかなり緩やかなものとなり、その間の出房時刻は午前一一時前後が多く、午後からの取調べも三日あること、帰房時刻も午後一〇時を過ぎたことは少なく、多くは午後五時から八時までの帰房であることが認められる。地刑二部判決も一一月二四日以降の取調べについては、厳しい取調べがあったとは認定していない。

また原告らは、西海は原告Cに対し、参考人である間は黙秘権がないとして執拗な取調べを行い、被疑者としても黙秘は犯人である証拠だと決めつけて執拗で強制的な取調べを行ったと主張し、同原告も公判廷において同趣旨の供述をしている。しかし、高刑一〇部判決はこれを肯認していない。地刑二部判決にも右の点の指摘はない。

さらに原告らは、西海が原告Cに対し、Hの一二月八日付け手記を、総監公舎事件について自白したものであると欺罔して示し、自白を迫ったと主張するが、原告Cの公判廷供述によっても右事実は認められず、かえって<書証番号略>によれば、同原告は公判廷において、「Hの手記を見て、僕が窃盗事件で屈服してそれを認めたために、こういうことになってしまったので、すまないという気持ちになった」と述べていることが認められ、Hの手記を窃盗事件のそれとして認識していることが窺われるのであるから、原告らの右主張は認めることができない。

したがって、原告Cに対する起訴後取調べが任意の取調べの範囲を逸脱し、強制的なものであったとの事実を認めるに足りる証拠はないものといわなければならない。

(三) アリバイ主張の抹殺

<書証番号略>によれば、原告Cは、否認段階において、「八月六日の夕方ニュートップスで僕、D、B、Oが会ったあと、僕の家にBの車で行き、七日の午前二時ころまで話していた」旨のアリバイ主張をしたこと、原告Cの右アリバイ主張を記載した調書は作成されていないことが認められる。

原告Cの公判廷供述<書証番号略>によれば、同原告が右アリバイ主張をしたのは一二月一〇日ころであると認められる。ところで、<書証番号略>によれば、右時点では、原告Bが既に原告Cらと総監公舎事件を敢行した旨の自白をしていたこと、エッソ関町給油所の高橋が八月七日午前零時ころ給油した四六八〇車に原告Cによく似た人物が乗っていた旨供述していたことが認められるのである。このような事情がある場合には、西海が右各証拠に照らして右アリバイ主張を直ちに信用せず、直ちにアリバイ調書を作成することなく、さらに右アリバイ主張の合理性や事件への関与を追及したとしても、そのことをもって違法であるということはできない。したがって、一二月一〇日のアリバイ主張から同月一二日の自白までの間にアリバイ調書が作成されなかったことをもって、西海がアリバイ主張を無視・抹殺したと認めることはできないのであり、他に原告らの主張事実を認めるに足りる証拠はない。

なお、八月六日夜から七日午前二時ころまで、原告C、同B及び同Dらが原告C方住居で歓談していたとの原告Cらのアリバイ主張について、地刑二部判決は、これを一概には否定しがたいと認定している(一四五丁裏)が、高刑一〇部判決は、アリバイに関する右主張事実は到底認めることができないとしており(三一丁表)、両裁判所の間に認識の相違が見られる。

2  原告Bに対する火取罪名での取調べ以外の取調べの違法性

(一) 原告Bに対する取調べの経過

<書証番号略>によれば、原告Bは窃盗事件勾留中から総監公舎事件の取調べを受け、一二月七日火取罪名のもとで総監公舎事件への関与を自白したこと、その後同原告は同月一五日に爆取違反容疑で逮捕されたが、逮捕後の弁解録取手続、検察官による弁解録取手続、裁判官によるち勾留質問、警察官及び検察官による取調べのいずれにおいても、一貫して自白を維持し、自白のまま一月五日、総監公舎事件に係る爆取違反で起訴されたことが認められる。また、原告Bの取調べについては、一二月七日の総監公舎事件の初めての自白の際は、被告Gが取調べを行ったものの、それ以降の取調べは小出英二が主としてこれを行い、福島勝三と田中克彦がその立会を勤めたことが認められる。

(二) 窃盗勾留中及び窃盗起訴後の取調べの違法性

(1) 取調受忍義務不存在を告知すべき義務

取調官には取調受忍義務不存在の告知義務は課せられていないから、窃盗事件勾留中及び窃盗事件起訴後に行われた総監公舎事件の取調べについて、原告Bに取調受忍義務がないことを告げなかった取調官の措置が直ちに違法となるものでないことは前記1(二)(1)と同様である。

(2) 強制的取調べの有無

原告らは、捜査官は、窃盗事件勾留中及び起訴後も原告Bに対し強制的取調べを行ったと主張するので、同原告に対する取調べが被疑者の取調拒否の自由意思を圧殺する強制的なものであったか否かを検討する。

<書証番号略>によれば、原告Bは遅くとも窃盗事件勾留中の一二月七日からは総監公舎事件の取調べを受けていたことが認められる。そして、<書証番号略>(赤坂警察署留置人出入簿)によれば、同原告は同日から爆取違反容疑で逮捕される同月一五日まで、連日取調べを受けていたことが認められるものの、出房時刻は概ね午前一〇時以降で、午後の日も二日あり、帰房時刻も午後七時前後までの日が六日あることが認められる。

取調べの方法については、原告Bの公判廷供述によって、この時期の取調べにおいて、取調官が同原告に対し、自白の強制・恫喝、執拗な追及等を行った事実は認められない(脅迫の有無については後記(三)のとおり)。したがって、原告らの右主張事実は、これを認めるに足りる証拠がないものといわなければならない。

(三) 脅迫による自白の強要

原告らは、被告Gが原告Bに対し、同原告が自宅で爆弾を作ったと決めつけ、総監公舎事件について自白しないと両親を爆取の告知義務違反で逮捕すると脅迫したと主張し、原告Bは、公判廷において同趣旨の供述をしている。これに対し、高刑一〇部判決は、捜査官が原告Bに対し、拷問その他自白の任意性を失わしめるに足る程度の強要、脅迫を加えてその自白を得たとの事実を認めることができず、右自白の強要があったとする原告Bの供述は信用できないと判示している(八丁表)。そこで右経過を踏まえて、以下、本件訴訟で改めて原告Bの右供述を真実と認定するに足りる裏付証拠が存在するかを検討する。

原告らは、一二月九日付け検面調書に自分たちで爆弾を製造した旨の供述があり、その後、右爆弾製造説が京都からの仕入れ説に理由もなく変更されているのは、爆弾製造説が右脅迫の材料に使われた証拠であると主張する。そこで、爆弾の入手先に関する原告Bの供述を検討するに、<書証番号略>によれば、一二月七日付け員面調書では「(Cは)私と別れてからおそらく爆弾をどこかで用意してAさんと一緒になったものと思います」としか供述していないこと、同月九日付け検面調書では「私は家で使っている油絵の絵具のあきカンがいいのではないかと思い、それをHの家に届けましたが、その後の製造には全く関係しておりません。多分Aが製造したのではないかと思います」との供述していること、同月一〇日付け員面調書以降の調書では「八月三日及び四日に、Dと一緒に京都に行き銀閣寺近くの木造二階建て家屋で、男から爆弾を受け取った」旨を供述していることが認められる。しかしこのような供述の変遷をもって、直ちに被告Gが爆弾製造説を材料に原告Bを脅迫したと推認することはできず、他に、原告Bの公判廷供述を裏付けるに足りる証拠はない。

したがって、捜査官が原告Bを脅迫したとの原告らの主張は、これを認めるに足りる証拠がないものといわなければならない。

(四) アリバイ主張の抹殺

原告らは、原告Bは一二月上旬から行われた総監公舎事件の被疑者調べに対し、具体的なアリバイ主張をしたにもかかわらず、取調官はこれを無視し抹殺したと主張し、原告Bも公判廷で同趣旨の供述をしている。これに対し、小出及び被告Gは公判廷において、原告Bが身柄確保後にアリバイ主張をした事実を否定する供述を行っている。そして、原告Bの右供述を裏付け、小出及び被告Gの右供述の信用性を否定するに足りる証拠は提出されていないから、原告らの右主張事実はこれを認めるに足りる証拠がないものといわなければならない。

なお、八月六日から七日までの間の原告Bの公判廷におけるアリバイ主張について、地刑二部判決は、その可能性を否定しがたいと認定している(一四二丁表ないし一四七丁表)が、高刑一〇部判決は、アリバイに関する右主張事実は到底認めることができないとしており(三一丁表)、両裁判所の間に認識の相違が見られる。

3  Hに対する取調べの違法性

<書証番号略>によれば、Hは窃盗勾留中の一二月一一日ころから総監公舎事件の取調べを受けたこと、Hは当初総監公舎事件への関与を否定し、一二月一五日に爆取違反容疑で逮捕されてからも否認していたこと、同人は同月二一日に至ってこれを自白し、その後は取調官が警察官であるか検察官であるかにかかわらず、一貫して自白を維持し、自白のまま昭和四七年一月五日に総監公舎事件に係る爆取違反で起訴されたことが認められる。また、Hの取調べについては、当初は高橋充がこれを取調べ、笠原正八及び矢沢俊典などが立ち会っていたが、一二月二一日からは松永鐡美がその取調べにあたり、数藤馨が立会いをしたことが認められる。

原告らは、取調官はHに対し、被疑者であることを明示せず、総監公舎事件については圏外であることを信じ込ませ、被疑者としての権利行使と弁解の機会を奪って取調べをしたと主張する。また、原告らは、取調官はHに対し、何時のアリバイが必要とされているかを教えず、否認主張を具体的に述べる機会も、自分にアリバイが成立する可能性を探る機会も与えなかったと主張し、その根拠として、Hの一二月一六日付け員面調書の問答部分に、具体的な日の行動を尋ねた問いがないことを挙げている。さらに原告らは、取調官が脅迫によりHに対して自白を強要したと主張する。

しかし、これらの主張に対し、地刑二部判決及び高刑一〇部判決は、その主張事実の存在を認めていない。右経過を踏まえて、以下、本件起訴で改めて原告らの右主張のうちの主要な点について検討することとする。

(一) 一生監獄暮らしであるとの脅迫

原告らは、取調官はHに対し、認めなければ一味の中心人物として一生監獄から出られなくしてやるとの脅迫を行ったと主張し、Hも公判廷において、高橋及び矢沢から右脅迫を受けたとの供述をしている。

そこで、Hの右公判廷供述を真実と認めるに足りる裏付証拠があるか検討するに、<書証番号略>によれば、Hの一二月二一H付け員面調書には「一言でもしゃべることによって、一生監獄から出られないのではないかという恐怖もあり、今日まで曖昧な態度なり否認し続けて来たのです」との記載があることが認められ、原告らは右記載をもって右脅迫の証左と主張する。しかし、右記載は被疑者が長期実刑を恐れる心情を述べたものと理解することも可能であり、右記載をもって右脅迫の事実を推認することは困難である。したがって、右記載がHの公判廷供述の適切な裏付けとはいえず、他にHの右供述を裏付けるに足りる証拠はない。

(二) 妻を逮捕する旨の脅迫

原告らは、取調官はHに対し、自白しなければ妻を爆取の告知義務違反で逮捕するとの脅迫を行ったと主張し、Hも公判廷において、同趣旨の供述をしている。

そこで、Hの右公判廷供述を真実と認めるに足りる裏付証拠が存在するかを検討するに、<書証番号略>によれば、Hの一二月二一日付け員面調書には「私は心から私のことを信頼してくれる妻がおり、私もこの妻をかけ替えのない妻と思い、これから長い間、女手一つで店を続けさせる気持ちはないし、現在のところ子供がいないので早く子供を作って立派な家庭を築き上げたい心算です」との記載があることが認められ、原告らは右記載をもって右脅迫の証左と主張する。しかし、右記載をもって右脅迫の事実を推認することは困難であり、右記載がHの公判廷供述の適切な裏付けとはいえず、他にHの右公判廷供述を裏付けるに足りる証拠はない。

(三) 共犯者が全員自白しているとの欺罔

原告らは、取調官はHに対し、共犯者がみな自白していると欺罔して自白を誘導したと主張し、Hも公判廷において同趣旨の供述をしている。これに対し、松永鐡美は公判廷において「Dは話してくれないが、CやBはいろいろ話してくれているらしい」とHに告げたにとどまる旨供述している。

そこで、Hの右公判廷供述を真実と認めるに足りる裏付証拠があるかを検討するに、<書証番号略>によれば、Hの一二月二一日付け員面調書には「取調べ官から色々話され、共犯者の人達が心から反省しているのを聞いて(知っていることを全て話す気になった)」との記載があることが認められるが、右記載は取調官が、「複数の」共犯者の自白を告げた事実の裏付けとはなっても、松永鐡美の供述を否定するものとまではいえないから、右記載がHの右公判廷供述の適切な裏付けになるものとはいえない。そして、他にHの右公判廷供述を裏付けるに足りる証拠はないから、原告らの右主張は採用できない。

(四) 告知義務違反に過ぎないとの欺罔

原告らは、取調官はHに対し、自白すれば他の被疑者と違って爆取の告知義務違反にすぎないと利益誘導的な取調べを行ったと主張し、Hも公判廷において同趣旨の供述をしている。

そこで、Hの右公判廷供述の信用性を検討するに、Hは逮捕・勾留にあたって被疑事実の読み聞けを受け、自己が正犯として逮捕・勾留されていることを十分認識していたはずであるから、Hの供述するとおり、その後の警察での取調べにおいて告知義務違反の約束を受けたのであれば、自己の処分を決める検察官に対し、その確認を行わないはずがないと思われるのに、同人の公判廷供述によっても、同人が久保検察官に対して、そのような確認を行った事実は全く認められないのであって、Hの右公判廷供述は容易に信用することができない。そして他に原告らの右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

4  原告Eに対する身柄拘束及び取調べの違法性

(一) 被疑者であることを明示しない取調べ

原告らは、取調官は爆取逮捕以前の取調べにおいて、原告Eに対し、被疑者であることを明示せず、被疑者としての権利行使と弁解の機会を奪って取調べを行ったと主張する。そして、原告Eは、公判廷において、取調官である大塚喜久治から参考人で調べること、参考人には黙秘権がないことを告げられて取調べを受けたと供述している。

しかし、<書証番号略>によれば、大塚は、調書作成にあたっては、作成した員面調書を一枚一枚原告Eに渡し、閲覧させた上で署名指印をさせていたこと、一二月一四日付け員面調書の冒頭には被疑者取調べであること及び供述拒否権があることが明記されており、末尾には原告Eに右調書を閲覧させた旨の奥書があることが認められ、以上の認定事実によれば、大塚が参考人調べであると偽って取調べを行ったとの原告Eの右供述は、容易に信用することができない。そして、他に原告らの右主張事実を認めるに足りる証拠はないから、これを採用することはできない。

(二) アリバイ成立を確認しながらの逮捕

原告らは、原告Eは一二月二日の時点でアリバイ主張を行い、捜査官もこれを確認していたのに、調書にも記載せずに、敢えて原告Eを逮捕したと主張するので検討する。

(1) まず、原告Eがアリバイ主張をした時期について検討するに、<書証番号略>によれば、同原告が、七月三一日から八月八日ころまで愛知県の実家に帰省していた旨のアリバイ主張を初めてしたのは、一二月一四日の火取取調べにおいてであることが認められる。なお、<書証番号略>によれば、原告Eの一二月二日付け窃盗員面調書には「今日公舎事件と関係ないと判り」との記載があることが認められ、原告らは右記載をもって原告Eが一二月二日にアリバイ主張をした証左であると主張するようであるが、右記載から直ちに、アリバイ主張が行われたことを推認することは困難である。

(2) 次に、原告Eの右アリバイ主張の裏付け確認の時期について検討するに、<書証番号略>によれば、川原洋が一二月二一日に原告Eの実家のある愛知県幡豆郡に赴き、両親や友人に会い、同原告のアリバイ主張について裏付けを取ったことが認められる。

この点原告らは、地元警察への連絡等により、もっと早い時期に確認していた可能性があると主張するが、右事実を窺わせる証拠資料は全く存在せず、また、後記8(四)(2)のとおり、原告Eの謀議参画に関する原告Bらの供述訂正が行われたのが一二月二三日以降であることに照らせば、右事実を認めることは困難である。また、原告らは、川原の右裏付け捜査の報告書等は本法廷に提出されておらず、右捜査自体もっと早い時期だった可能性があると主張するが、右認定のとおり、川原は原告Eの両親に会って裏付けを取っているのだから、川原の右供述が客観的事実と齟齬しているのであれば、原告らは当然この点を主張・立証するはずであると考えられるが、そのような主張・立証は行われていない。

以上によれば、捜査官がアリバイ成立を確認しながら、これを無視して敢えて逮捕を行ったとの原告らの主張事実は、これを認めるに足りる証拠がないものというべきである。

(三) 裏付捜査の遅れ

原告らは、仮に捜査官が、原告E逮捕までにアリバイ主張の裏付捜査を行っていなかったとすれば、それは同原告の身柄拘束のために、裏付捜査を敢えて遅らせ、あるいは著しい職務懈怠によりこれを遅らせたものであり違法であると主張するが、右主張事実を裏付けるに足りる証拠はない。

(四) 具体的アリバイ主張の調書への不記載

原告らは、原告Eはアリバイの具体的内容(帰省時における具体的行動等)について主張をしていたのに、取調官は同原告の身柄拘束を続けるためにこれを調書に記載せず、アリバイの裏付捜査が終わった一二月二五日になって漸く調書に記載したと主張するので検討する。

この点、<書証番号略>によれば、原告Eは川原が裏付捜査を行った一二月二一日以前に具体的なアリバイ主張をしていたこと、原告Eの右主張が調書に記載されたのは一二月二五日になってからであることが認められるが、調書は、被疑者の供述内容や他の捜査の進行状況等を勘案して作成されるものであるから、被疑者の主張を直ちに調書に記載しないこと自体が違法となるわけではなく、他に取調官が原告ら主張の意図を持って調書作成を遅らせたことを裏付けるに足りる証拠はない。

5  原告C、同B、同E及びHに対する弁護人解任の強要

原告らは、取調官は、新左翼系の救援連絡センターの弁護士を頼むことは、主義主張から信念を持って爆弾闘争に参加したと見られても仕方がないという詭弁を使って、Hに対し弁護人の解任を強要したと主張し、Hも公判廷において同趣旨の供述をする。

そこで、Hの右公判廷供述を真実と認めるに足りる裏付証拠が存在するか検討するに、<書証番号略>によれば、同人の一二月二一日付員面調書には「新左翼の救援センターの弁護士に弁護して貰うようなことは、私自身が今回の事件に主義主張をもってこの事件に参加したように思われるのが嫌で、E君とともに分離裁判をして貰い、同じ弁護士さんに頼みたいと思います」との記載があることが認められる。原告らは、Hは救援センターを通じて弁護人を選任したわけではないから、このような解任理由を述べるはずがなく、右記載は取調官が解任を強要した証左であると主張する。しかし、「新左翼の救援センターの弁護士」とは、必ずしも救援センターを通じて選任した弁護士を意味するわけではないから、右記載がHの公判廷供述の的確な裏付けとなるとはいえない。そして、他にHの公判廷供述を裏付けるに足りる証拠はないから、原告らの右主張事実はこれを認めるに足りる証拠がないものといわなければならない。

同様に、取調官が原告C、同B及び同Eに対し弁護人(伊藤まゆ、西垣内堅祐)の解任を強要したとする原告らの主張事実も、右三名の供述の信用性を裏付けるに足りる証拠は存在しないから、これを認めるに足りる証拠がないものといわなければならない。

6  原告Aに対する取調べの違法

原告らは、取調官が原告Aに対し、爆取一条の死刑規定を読み聞かせての脅迫を行ったり、同原告の妻を爆取の告知義務違反で逮捕するとの脅迫を行って自白を強制したと主張し、原告Aも公判廷において同趣旨の供述をしているが、爆取一条の規定を読み聞かせること自体が直ちに違法であるとはいえず、他に取調官による右脅迫の事実を裏付けるに足りる証拠はない。

7  被告Gによる虚偽の捜査報告書の作成

原告らは、被告Gが窃盗事件の場合と同様に、爆取逮捕状の請求に際しても捜査報告書中に火取取調べを隠蔽し又は合理化するための虚偽記載を盛込んだ疑いが強い旨主張するが、右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

8  誘導による虚偽自白の捏造

原告らは、捜査官は原告らが真犯人でないことを知っていたのに、虚構の犯行ストーリーを作り上げ、それを自白調書として捏造したと主張するので、以下、原告らが右主張の根拠であると主張する事実について検討する。

(一) 自白と客観的事実の矛盾

原告らは、本件自白に客観的事実や客観的条件と矛盾する部分が存在するのは、取調官の誘導・誤導を示すものであると主張するので検討する。

(1) 爆弾について

原告らは、原告B及び同Cの供述する本件爆弾の構造及び操作方法は、客観的事実と食い違う誤りが多数あり、これらは取調官が誘導した結果であると主張する。確かに原告ら主張のとおり、原告B及び同Cの供述する爆弾の構造及び操作方法には客観的事実と食い違う点が多数あり、これらが原告らに対する刑事事件の無罪判決の重要な基礎的事実となったものであることは明らかであり、また取調官の原告B及び同Cに対する取調べには前記二認定のような違法行為があったものである。しかし、爆弾の構造及び操作方法に関する原告B及び同Cの自白獲得過程において取調官に違法な誘導ないし誤導があったことを認めるに足りる証拠はない。

(2) 曙橋陸橋下の空地と代替地の指示

<書証番号略>によれば、原告Bは、総監公舎事件当日のフローリアンバンで待機していた場所について一貫して、曙橋陸橋の真下にある空地に車をバックで入れて待機したと供述していること、一二月七日及び一六日付け員面調書では曙橋陸橋の真下にある空地に車を停めた状況図を作成していることが認められる。ところが、<書証番号略>によれば、曙橋陸橋の真下に原告Bが供述・図示したような空地は存在せず、一二月二七日に実施された同原告立会の実況見分では、同原告は待機場所として、曙橋の市ケ谷寄りの側端下の幅員三メートルの路地を指示したことが認められる。原告らは、原告Bの供述及び作成図面は客観的事実と矛盾するから、取調官が誤導したものであると主張するが、右のような原告Bの供述と客観的事実とに矛盾があることから直ちに、原告Bの右供述が自発的供述ではないものと認めることはできず、他に右供述が取調官の違法な誘導ないし誤導によるものであることを裏付けるに足りる証拠はない。

なお、<書証番号略>及び弁論の全趣旨によれば、一二月二三日付け正木作成の写真撮影報告書中には、原告Bの自供要旨として「八月七日Bは、新宿区片町四番太平洋工業株式会社東京支店横路地に至り待機し」との記載があること、正木が公判廷において右自供要旨は被告Gに教えてもらった旨供述していることが認められる。そして原告らは、右記載は、陸橋下に空地がないことを知った被告Gが、実況見分に先立ち小出に代替地を指示したことの証左であると主張する。しかし右自供要旨の記載からは、被告Gが現場の客観的状況に照らして、原告B供述の「空地」を右路地のことであると考えていた事実は認めることができるものの、そのことから直ちに被告Gが実況見分に先立って代替地を指示したとの事実を推認することはできず、他に原告らの右主張事実を裏付けるに足りる証拠はない。

(3) 表参道到着とバス発着

<書証番号略>によれば、八月七日にTらを表参道に送り届けた時刻について、原告Cは一二月一二日及び一六日付け員面調書において、「午前一時四〇分」と供述していること。同月二三日及び同月二九日付け検面調書においては「午前二時近く」と供述していることが認められる。これ対し、<書証番号略>によれば、東郷隆興が四六八〇車らしき車を目撃したのは午前一時一五分ころであることが認められる。しかし、右不一致の事実から直ちに取調官の違法な誘導や誤導の事実を推認することはできない。

(4) その他の原告C自白の客観的事実との矛盾点

原告らは、そのほか、原告Cの自白調書中、総監公舎に爆弾を仕掛けた際の状況、エッソ関町給油所への道順、高橋腎蔵との会話、四三二三車二重追突事故の発生場所に関する部分が客観的事実と食い違っている点についても、取調官の違法な誘導ないし誤導に基づくものであると主張するが、これを裏付けるに足りる証拠はない。

(5) Hの爆弾闘争への反対と幻野祭

<書証番号略>によれば、Hは、一二月二一日付け員面調書において、八月一日の会合で原告Dから爆弾闘争に反対なら幻野祭を担当してくれと頼まれたこと、Hが断ったため原告Cが担当することになったことを供述していることが認められる。しかし、<書証番号略>によれば、原告Cが幻野祭の事務局長を勤めることになったのは七月中旬であることが認められ、Hの右供述は客観的事実と食い違っていることが認められる。原告らは、右供述は取調官が、原告DがHに幻野祭を頼んだ事実と虚構の爆弾事件を結びつけようとした結果であると主張する。

そこで検討するに、<書証番号略>によれば、Hは公判廷において、「幻野祭というふうなことも聞かれて、それは私が反対だから、そのように言われたというふうに私が答えたという気がしますが…」「(断わったから幻野祭の話が出たということは)検事から言われたというよりも、そのように私がつなげていったんじゃないかと思いますけどね」と供述していることが認められ、右公判廷供述からは、Hが自ら進んで右調書の供述をしたことが認められるのであるから、原告らの右主張を認めることはできない。

(6) 爆弾闘争への経緯

<書証番号略>によれば、Hは、一二月二一日付け員面調書において、「七月にはいってから、鉄パイプ爆弾が明治公園などで赤軍派が使い出してから、D君らは、この爆弾について、しばしば口にするようになったのです」との供述をしていることが認められる。そして、原告らはこの時期鉄パイプ爆弾が使用されたのは六月一七日の明治公園事件以外になく、しかも当時は赤軍派の行動と見なされていたわけではないから、右供述は事実に反し、取調官の誤導であると主張する。

そこで検討するに、「六月一七日」と「七月にはいってから」では半月しか違わないうえ、この場合、事件発生日自体に特別な意味があるわけではないのだから、右程度の不一致から直ちに取調官の誘導の事実を推認することはできない。また、弁論の全趣旨によれば、明治公園事件で赤軍派が逮捕されたのは九月であること、それまでは赤軍派の犯行と考えられていたわけではないことが認められるが、Hが、供述時(一二月)の認識に基づいて右のような供述をすることが直ちに不合理であるとはいえない。

したがって、右供述がHの自発的供述として現実にあり得ない内容であるということはできず、これをもって取調官の誤導を推認することはできない。そして、他に原告らの右主張を認めるに足りる証拠はない。

(7) 「蘭」での原告AとHの会談

<書証番号略>によれば、Hは、一二月二二日付け員面調書において、八月一三日に原告Aと喫茶店「蘭」で会い、同原告から「心配しなくてもよい」と言われた旨を供述していることが認められる。また、<書証番号略>によれば、捜査官は八月一二日に「蘭」を訪れ、従業員に原告A及びHのものを含む写真を提示したこと、同店のウエイトレスである中畑れい子は同月一九日に員面調書を作成されているが、右調書には、同月一三日に右両名が同店に来た旨の供述は存在しないことが認められる。そして、原告らは、八月一三日に原告A及びHが「蘭」に来店したのならば、前日に右両名の写真を提示された中畑が、同月一九日付け調書でその事実を述べないはずがなく、Hの右供述と中畑供述とは矛盾していると主張する。

そこで検討するに、<書証番号略>によれば、中畑の勤務時間帯は午前九時から午後五時までであること、Hの右供述によれば、同人が「蘭」で原告Aと会ったのは午後五時過ぎとされていることが認められるのであるから、中畑が勤務時間外の右両名の来店を知らず、八月一九日付け員面調書でこれを述べなかったとしても格別不自然であるとはいえず、Hの右供述と中畑の供述とが必ずしも矛盾しているとはいえない。そして、他に原告らの右主張を認めるに足りる証拠はない。

(二) 供述内容の著しい不自然・不合理

原告らは、原告B、同C、同E及びHの供述には著しく不自然・不合理な点が多々存在するとし、不自然・不合理な供述は、捜査側が他の客観的証拠をつなぎ合わせて犯行ストーリーを創作している証拠であると主張するので検討する。

(1) 五月二六日の唐突な爆弾闘争謀議と下見

<書証番号略>によれば、原告Cは、五月二六日、原告A宅に原告D及び同Bと遊びに行った際、原告Dから突然爆弾闘争の提案があったこと、その後原告Aと同Cで爆弾を仕掛ける場所の下見に出掛けたことを供述していることが認められる。原告らは、右供述には、なぜ突然原告Dが爆弾闘争を提案したのか、原告Aがどのような経緯で爆弾闘争に賛成するようになったのか、なぜ具体的な計画もなしに直ぐに下見に行くことになったのか、なぜ提案者の原告Dが行かずに原告Cが下見に行くのか等々疑問な点が多々あり、右供述は捜査官が総監公舎事件と窃盗事件を接続させるために勝手に創作したものであると主張する。

そこで検討するに、まず、この時期に原告Dが爆弾闘争を提案した理由についてであるが、<書証番号略>によれば、原告Cは原告Dの提案に関し「私やBだけなら学習会などの席で、『今までのやり方ではだめだ』と話し合っていたから、爆弾のことを言い出してもおかしくはありません」と供述していることが認められるのであり、この時期に原告Dが爆弾闘争を提案するということ自体がおよそ不自然なことであると認めることはできない。

次に、原告Aがどのような経緯で爆弾闘争に賛成するようになったのかについては、<書証番号略>によれば、原告Cは「Dがなぜこんなところで突然爆弾のことを言い出したのかよく判りません。察するところ、Aと一番親しいのはDですから、DとAの間で爆弾を使う話ができていたのではないかと思います」と推測するにとどまっていることが認められ、結局本件捜査を通じて明らかになっていない。しかし、原告B、同C、同E及びHの各供述を検討すると、原告Aは、他の原告ら四名及びHに比して年齢も離れているうえ、日大の出身者でもないこと、むしろ原告らのリーダー格であった原告Dの相談に何かと応じていた者であり、原告D以外の者とのつながりも、全て原告Dを通じてのものであったことが認められるのであるから、原告Aと同Dの間でどのような話し合いがなされ、原告Aがなぜ爆弾闘争に賛成したのかについて、原告Cが知らないと述べたことが、およそ不自然であるということはできない。

また、具体的計画もなしに直ぐ下見に出掛けたことが、現実にありえないような不自然な行動であるということはできない。

さらに、提案者の原告Dが下見に行かない理由については、<書証番号略>によれば、同原告は極度に視力が低く請求すれば身体障害者手帳がもらえる程度であったことが認められ、実際に下見に役立たない原告Dが行かなかったことが、必ずしも不自然であるとはいえない。

そして、原告らは、この他にも五月二六日の謀議及び下見については、不自然・不合理な点が多々あると主張するが、原告らの主張するその他の事項は、およそあり得ないという程不自然・不合理な内容であるということはできないのであって、原告ら主張の供述内容から、捜査官が供述を作っていると推認することはできない。そして他に原告らの右主張を認めるに足りる証拠はない。

(2) 四六八〇車入手の依頼

<書証番号略>によれば、四六八〇車を原告Bらが購入するに至った経緯について、同原告は、六月に原告Dが高瀬泰司に車の斡旋を頼んだこと、七月中旬に高瀬から車の代金三万円を渡され井村哲郎と連絡を取るように言われたこと、その後井村に連絡を取ったうえ同人の案内で双葉自動車に赴き、同人が予約していた四六八〇車を原告B名義で購入したことを供述していることが認められる。また、<書証番号略>によれば、双葉自動車と四六八〇車購入の話を進めていたのは高瀬の代理人である井村であり、七月下旬に同社に赴き同車を購入するまで、原告Bらは一度も同社に赴いたことがないことが認められる。そして、この点につき原告らは、右経過に照らせば、そもそも四六八〇車の購入の手配をしたのは高瀬であり、原告Bらは高瀬が購入した車を預かったにすぎないと見るべきであり、原告Dが車の斡旋を依頼したとの原告Bの右供述は不自然であると主張する。

そこで検討するに、<書証番号略>によれば、原告Bは「高瀬は『東京で自由に使っていてよいけど、京都から誰か行って使いたいと言ったら貸してやってくれ』と言って三万円を出してくれた」と供述していることが認められ、右供述によれば、高瀬は、原告Dから斡旋依頼を受け、四六八〇車をいわば共同使用する意図でもって、その購入手続を主体的に行ったとも理解することができるのであり、原告Bの供述が一概に不自然であるとはいえない。また、原告らが主張するように四六八〇車は高瀬が購入したものであり、原告Bらはこれを預かったに過ぎないのであれば、なぜ同原告がその名義人にならなければならないのかとの疑問もわくところである。したがって、原告Bの右供述が、同原告の自発的供述として現実にありえないような内容であるということはできず、右供述をもって、捜査官が供述を作っているとの事実を推認することはできない。そして、他に原告らの右主張を認めるに足りる証拠はない。

(3) 四六八〇車の乗り捨て・乗り継ぎ

① 原告Bの供述

<書証番号略>によれば、原告Bは、四六八〇車の乗り捨てについて「この爆弾を仕掛けるのに九分九厘失敗はないだろうが、万が一失敗し、自動車を見られたり発見されたときのことを考えて、私が自分のフローリアンを運転し、曙橋陸橋下の空地で待機し、失敗したらコロナを私の待機している辺りに置き、AさんとCを私の車に乗せて逃げることにしたのです。失敗しなければ、そのまま二人はコロナで十月社に行くとのことでした」と供述していることが認められる。原告らは、原告Bの右供述では、原告Cらが失敗して逮捕された場合や、原告B名義の四六八〇車を乗り捨てた後の対策が考えられておらず、現実に起こった結果のみを前提にしており、不自然であると主張する。

そこで検討するに、<書証番号略>によれば、原告Bは「Cの話では絶対に失敗することがないような様子だし、たぶん待機が無駄になるだろうと思っていました」と供述していること、<書証番号略>によれば、原告Cは「(八月二日下見の際)門の中には人影はなく、これなら簡単に奥の建物の脇に爆弾をしかけることができると思いました」「実際には下見の状況から見て成功間違いないと思っておりました」と供述しており、同原告らが成功率が極めて高いとの見込みのもとに、失敗した場の対策を疎かにしていたかのようにも見える右供述を、一概に不自然・不合理であると断定することはできない。また、仮に原告Cらが逮捕されたり、四六八〇車を乗り捨てたりすれば、少なくとも原告Bに捜査の手が及ぶことは免れ得ないが、事前に有効な対策が練られていなかったことが常に不自然なことであるとはいえない。

したがって、原告Bの右供述が、同原告の自発的供述として現実にあり得ないほど不自然・不合理な供述内容であるということはできず、右供述をもって、捜査官による供述の捏造を推認することはできない。そして他に、原告らの右主張を認めるに足りる証拠はない。

② 原告Cの供述

<書証番号略>によれば、原告Cは、四六八〇車の乗り捨てについて、一二月二〇日付け員面調書においては「八月四日の謀議の際、僕の発案で『失敗した場合は公舎から新宿まで逃げ切れないので途中でB君の車に乗り換える。失敗のみならず、仕掛けて逃げた後に発見された場合に警察の検問にひっかかり、僕とAさんの二人が同じ自動車に乗っていては、人相髪型からして過激派学生風であり捕まるおそれがあるので、途中から僕がB君の車に乗り換えれば自然で安全である』との意見を出した」と供述していること、一二月二二日付け員面調書においては「(乗り移る手筈にした理由は)爆弾を仕掛けた後、何らかの関係で警察の検問にひっかかった場合、Aさんが一人で乗っておれば、B君から借りているという事実を話せばよいが、僕が一緒に乗っておりますと第一に年齢がかけ離れていることと二人の関係をつかれたら説明の仕様がないということです」と供述していることが認められる。そして、原告らは右各供述内容は不自然であり、捜査官が供述を作っている証左であると主張する。

そこで検討するに、確かに右各供述内容は、不自然であるとも考えられるが、取調官が供述を作っているのであれば、もっと自然で合理的な供述を作るのではないかとの疑問もわくところであり、右供述が不自然・不合理であることをもって、直ちに捜査官が供述を作っているものと推認することはできず、他に原告らの右主張事実を裏付けるに足りる証拠はない。

(4) 謀議内容の不自然性

① 謀議や計画の不自然性

原告らは、原告Cらの自白では、爆弾闘争を行うことになった動機、総監公舎がターゲットにされた理由、反対者である原告EやHを巻き込んだ理由、京都から突然爆弾が入手されることになった理由など疑問点が多々あり、このように不自然なストーリーになったのは、捜査官が供述を作っているからであると主張する。

そこで検討するに、まず、爆弾闘争を行うことになった動機について、<書証番号略>によれば、原告Bは、一二月一四日付け手記で、大要「学習会では、現在の日本における情勢(闘争の状況やあり方等)を理論的に明確にすることとその中から方針・展望を導き出すのが主題だった。そして、日本に革命の情勢があるか検討した結果、高度成長によるひずみが公害問題、土地問題、農業問題、そして沖縄、三里塚、北富士等に見られるように不安と不満が鬱積しているから、いつかは爆発するはずだと分析し、そしてこの不安と不満の爆発するのを待つのではなく、私達自身が作り出さなければいけないのではないかというふうに私自身結論していた。そしてそのためには、今までによるデモ、ゲバルト闘争も意味が薄れてきているのではないかというふうに考え、日本においても中国の抗日戦争の時のように『ゲリラ』闘争が必要になってきているのではないかということが、学習会の中で話されるようになった」と供述していることが認められる。また、<書証番号略>によれば、原告Cは、一二月一四日付け員面調書において「拠点を守って敵(機動隊)が来てから攻撃するという形では、結局今までの大衆運動と大して変わらない。ただ負けるだけで挫折感を感じるのみだ。我々はこのような拠点をめぐる闘いではなく、我々自体が攻撃的運動をしなければ駄目だ。それは結論として爆弾によるゲリラ闘争だ」と供述していることが認められる。そして、以上の供述からは、原告らが三里塚闘争などを通じて従来の大衆運動に限界を感じ、爆弾によるゲリラ闘争で一気に現状を打破すべきであるとの考えのもとに、爆弾闘争を遂行したとの動機が述べられているものと認められるのであるから、原告Bらの供述において、総監公舎事件を行う動機が不明確であるとは必ずしもいえず、右供述が不自然であるとは一概にいえない。

また、総監公舎がターゲットにされた理由については、<書証番号略>によれば、原告Cが、一二月二七日付け員面調書において「総監公舎を的にした狙いですが、一つには弾圧機関への報復として機動隊を出せばなんでも片づくという安易さへの一撃と二つには僕たちが現在までやって来た三里塚や沖縄闘争の運動と関連がなければならない」と供述していることが認められ、右供述が、それ自体不自然であるということはできない。

さらに反対者であるHらを巻き込んだ理由について検討するに、<書証番号略>によれば、原告Bは「H、Eは、いつかは爆弾使用も考えなければならないが、現在の時点では時期が早いとの意見であった」「八月一日の謀議の際、Dが爆弾闘争をやろうと話しだすと、Hは『今爆弾を使うのは冒険主義だよ』といって賛成しないような口振りだったが、D、C、僕が熱心に説得したので、Hは押し切られて『それではしようがないだろう』と同意した」旨供述していること、原告Cは「七月二九日の謀議の際、爆弾闘争の話が出ると、HとEは『爆弾闘争には反対ではないが、まだ時期が早いのではないか』と消極論を述べたが、それほど強い反対ではなく、私が説得するとそれ以上反対しなかった」旨供述していることが認められる。右供述によれば、Hらは爆弾闘争という考え方そのものに反対していたというよりも、慎重論あるいは時期尚早論を唱えていただけのものであり、かつ、原告Dらの爆弾闘争の提案に対しさして強硬に反対してはいなかったというのであるから、Hらをメンバーに加えたという供述がそれ自体不自然であるということはできない。なお、<書証番号略>によれば、Hは、自らが爆弾闘争自体に反対であったこと、原告Dらの意見には強硬に反対したことを供述していることが認められるが、このような供述の食い違いがあったからといって、Hらを謀議に参加させたとする原告Bらの供述が直ちに不自然・不合理であるということはできない。

次に、京都から突然爆弾が手に入ることになった理由について検討するに、右理由については本件捜査を通じて明らかになっていないが、原告B及び同Cは、本件爆弾は原告Dが京都のRと連絡を取って入手できることになったこと、Rと直接つながりがあったのは原告Dのみであり、原告Bらは原告Dに連れられてRに会ったことが数回あるのみであることを供述していることが認められ、右供述によれば、原告DがRとどのような話し合いを経て爆弾を入手することになったのかを原告Bらが知らないとしても、あながち不自然・不合理ということはできず、この点の供述が欠落していることをもって、原告Bらの供述が直ちに不自然・不合理であるということはできない。

そして、以上の点以外にも、原告らは本件爆弾謀議には不自然・不合理な点が多々あると主張するが、原告らの主張するその他の点は、現実におよそありえないという程不合理な内容であるとは認められない。したがって、本件爆弾謀議に関する原告Bらの供述が、その内容自体から同原告らの自白的供述として現実にありえないような不自然・不合理なものであるということはできず、右供述内容をもって、捜査官による供述の捏造を推認することはできない。そして他に右事実を認めるに足りる証拠はない。

② 原告A不在の謀議での同原告の役割決定

<書証番号略>によれば、原告B、同C及びHはいずれも、八月一日の謀議には原告Aは参加していなかったこと、それにもかかわらず右謀議で、原告Aと同Cが爆弾設置場所の下見に行く旨の役割分担が決定したことを供述していることが認められる。そして、この点について原告らは、本人のいない場所で勝手に役割分担を決めるのは不自然であり、捜査官が供述を作っているからだと主張する。

そこで検討するに、原告Aがいない場で同原告の役割分担が決定された経緯については、原告Bらの供述でこれを述べるものはないが、前記(1)認定のとおり、原告Aは原告Dとは親しかったものの、その他の原告ら及びHとは、原告Dを通じての知り合いに過ぎなかったものであるから、原告Bらの供述から、右経緯が欠落していることをもって、同原告らの本件謀議に関する供述内容が、捜査官の捏造した架空の出来事であることの裏付けであるということはできない。

③ 原告A及びIの突然の登場

<書証番号略>によれば、原告B、同C及びHはいずれも、本件事件の謀議は七月二九日、八月一日及び同月四日に行われたこと、原告A及びIは、八月四日になって突然謀議に参加したことを供述していることが認められる。そして、この点について、原告らは突然原告AとIが謀議に参加するのは不自然であり、捜査官が供述を作っているからであると主張する。

そこで検討するに、原告Aが本件事件に参加するに至った経緯について、原告Bらの供述でこれを述べるものはないが、同原告らが右経緯を知らないことが格別不自然といえないことは、前記②と同様であるから、この点の供述が欠落していることをもって、同原告らの本件謀議に関する供述内容が、捜査官の捏造した架空の出来事であると認めることはできない。

次に、Iが本件謀議に参加するに至った経緯も、原告Bらの供述でこれを述べているものはない。しかし、原告B及び同Cの供述によれば、Iは、当時十月社の三里塚現闘本部の責任者として同地に常駐していたこと、十月社の責任者である原告Dとは密接な関係にあったことが認められるが、原告Bらの供述上、Iが原告D以外の原告らと連絡を取り合っていた様子は窺われないから、この点の供述が欠落していることをもって、原告Bらの本件謀議に関する供述内容が、捜査官の捏造した架空の出来事であると認めることはできない。

④ 反対者であるH宅での謀議

<書証番号略>によれば、原告B、同C及びHはいずれも、総監公舎事件の謀議はすべてH宅で行われたことを供述していることが認められる。原告らは、この点につき、反対者であるH宅で謀議を行うのは不自然であり、捜査官が供述を作っているからだと主張する。

そこで検討するに、前記①のとおり、原告Bらの供述によれば、必ずしもHが、爆弾闘争自体に強硬に反対していたとは認められない。また、<書証番号略>によれば、原告B及び同Cは、爆弾闘争に関する議論は学習会でH宅に集まった際などによく行っていた旨を供述していることが認められ、また、<書証番号略>によれば、Hは「私宅は、新宿の近くにあって集まりやすいことと妻が夜店に行っていないし、電話があるのでよく集会場所に使われ、学習会をやっていたので、そのような理由でその日(八月一日)も私宅に集まることになったのだと思います。」と供述していることが認められ、本件謀議がH宅で行われたとの供述が必ずしも不自然であるとはいえず、右供述内容から、捜査官が供述を捏造していると推認することはできない。そして他に原告らの右主張を認めるに足りる証拠はない。

(5) 犯行直前のTらの運搬

<書証番号略>によれば、原告Cは、八月七日の総監公舎事件を敢行する直前に、T及び小川了を五六八〇車に乗せて、フォークジャンボリー行きのバスが出発する表参道まで送ったことを供述していることが認められる。この点について、原告らは、重大な犯罪を敢行しようとする者がそのような行動をとるのは不自然で、捜査官が東郷隆興供述に合致するよう供述を作っているからであると主張する。しかし、右供述が現実におよそあり得ないような不合理な供述内容であるとまでいうことはできないから、右供述内容から捜査官が供述を捏造していると推認することはできず、他に原告らの右主張を認めるに足りる証拠はない。

(6) 成田と時刻を合わせながらの実行のなしくずし的遅延と犯行前夜の新宿での行動・それぞれの時間の持て余し方

<書証番号略>によれば、原告Cは、謀議において成田も総監公舎も犯行時刻は午前一時に設置、午前二時に爆発と決めたこと、ところが実際には時間が遅れ、総監公舎に爆弾を設置したのは午前二時ごろで爆弾のセット時刻は午前三時としたことを供述していることが認められる。この点について、原告らは、成田と時刻を合わせながら、特に理由もなく犯行時刻がなしくずし的に遅れているのは不自然であり、捜査官が供述を作っているからだと主張する。

そこで検討するに、<書証番号略>によれば、原告Cは犯行時刻が遅れた理由について「四日の打ち合わせでは、午前一時ころにIのやる成田と時間を合わせて爆発させるということに一応なっておりましたが、この日は車を人に貸したり、人を送ったりして、予定が遅れてしまったのです」と供述していることが認められる。そして、人に車を貸したとは中津川の関係者に昼間四六八〇車を貸していたことを、人を送っていたとはTらを表参道に送っていたことを指すと考えられるが、これらの事情により、実行が遅延したとの供述が必ずしも不自然であるとはいえない。また、前記第二の一3のとおり成田署事件の爆弾は午前三時一三分に爆発しているのであるから、捜査官が供述を作っているのならば、当初から午前二時設置、午前三時爆発と供述させるはずではないかとも考えられる。したがって、この点の原告Cの供述内容をもって、捜査官が供述を作っていると推認することはできず、他に原告らの右主張を認めるに足りる証拠はない。

(7) 無料駐車場

<書証番号略>によれば、原告Bは被告G作成の一二月七日付け員面調書で、八月六日夜にニュートップスを出た後、自分の車を歌舞伎町の無料駐車場に置いた旨供述していること、小出作成の一二月二三日付け員面調書で、無料駐車場とは道路のことと述べ、路上駐車をした場所の図示をしていることが認められる。この点につき、原告らは、路上駐車をした者が「無料駐車場」などという言い方をするはずがなく、右供述は被告Gの勝手な作文であると主張する。

しかし、被告Gに「路上駐車」との供述を避け「無料駐車場」と言わせなければならない事情があったことを認めるに足りる証拠はなく、右用語の存在自体から、原告Bの右供述を被告Gが作文したと推認することは困難である。そして他に原告らの右主張を認めるに足りる証拠はない。

(8) 阿佐ヶ谷の交通事故

<書証番号略>によれば、原告Cは、八月七日午前零時ころ四六九〇車に乗って、上石神井の原告A宅まで爆弾を取りに行ったこと、その帰りに青梅街道を新宿に向けて進行中、阿佐ヶ谷付近で警察官が赤灯を振っていたので「あ、一斉やってる、やばい」と思ったこと、しかしよく見たところ大型トラックが道路左側の歩道に突っ込んだ交通事故であったのでホッとしたことを供述していることが認められる。また、<書証番号略>及び弁論の全趣旨によれば、八月六日午後一〇時二五分ころ、杉並区阿佐ヶ谷南一丁目一二番二一号の青梅街道上り線上で、大型トラックがタクシーに追突しそのまま歩道に乗り上げた事故が発生したこと、青梅街道ではその後直ぐに交通規制が実施され、八月七日午前零時の時点では、上下各二車線の青梅街道の上り線は第一車線を閉鎖して、第二車線のみの通行になっていたこと、下り線は正常な通行を確保していたことが認められる。この点について原告らは、往路でも交通規制が実施されていたのだから、原告Cが往路で気づかず、帰路で初めて気づくのは不自然であり、右供述は秘密の暴露を仮装するために、取調官が誘導したものであると主張する。

そこで検討するに、<書証番号略>によれば、原告Cは、四六八〇車の後部座席に乗っていた旨供述していることが認められること、右認定事実によれば交通規制が実施されていたのは上り線の第一車線のみであり、下り車線の通行には何らの支障もなかったこと、原告Cの供述によれば、往路においては爆弾をまだ積み込んでいない状態であることを考え合わせれば、右供述が原告Cの自発的供述として現実にあり得ないような供述内容であるということはできず、これをもって取調官による誘導を推認することはできない。そして他に原告らの右主張を認めるに足りる証拠はない。

(9) 原告Dの歯科通院と京都行き

① <書証番号略>によれば、原告Bは、八月三日午後五時三〇分ころ東京駅で原告Dと落ち合い京都へ行ったこと、その日の夜は銀閣寺近くの木造二階建て家屋へ泊まり、翌四日にそこの住人である男から爆弾を受け取って午前一〇時ころ京都を出発したこと、午後二時ころ東京駅に着き、駅で原告Dと別れたことを供述していることが認められる。また、<書証番号略>によれば、原告Dは、七月三〇日急性歯根膜炎等のため淀橋歯科医院を受診したこと、右同日は歯が非常に腫れていたので、薬で炎症を散らしてから八月三日に抜歯が行われたこと、翌四日には抜歯の予後治療が行われたこと、来院時間を明らかにする資料は残っていないことが認められる。原告らは、重症の歯科疾患を抱えた原告Dが、敢えて抜歯の日に京都へ行き、翌日予後治療に間に合うように帰ってくる計画を立てることは不自然であり、捜査官が右事実を知らないまま供述を作ったためであると主張する。

そこで検討するに、右認定事実によれば、抜歯はある程度腫れがひくのを待って行われたものであることが認められるし、通常患部の歯を抜いてしまえば、抜歯による痛みはあるにせよ、そもそもの症状による痛みは緩和するものと考えられる。また、<書証番号略>によれば、捜査官は一二月一日の段階で、既に八月三日及び四日の原告Dの歯科通院の事実を把握していたことが認められるのであるから、捜査官が供述を作っているのならば、当然その日は外すはずではないかとも考えられる。なお、原告らは、被告らが淀橋歯科医院で確保した捜査資料等を提出していないことをもって、右捜査資料等には原告Dの京都行きと決定的に矛盾する事実が記載されていたはずであると主張するが、原告らの方で同じころに確保したと推認される治療状況報告書にもそのような記載は認められないし、辻塚の公判廷供述によっても、京都へ行くことがおよそ不可能であるような症状にあったことは窺われないから、原告らの右主張は採用できない。

したがって、原告Bの右供述が同原告の自発的供述として現実にありえないような不自然な内容であるということはできず、右供述から捜査官による供述の捏造を推認することはできない。そして、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

② また、<書証番号略>によれば、原告Bは、昭和四七年一月五日付け員面調書において「(京都行きの列車の中で)Dは普段私と会うと良く話しをしてどちらかと言えば口数の多い方なのですが、其の時は列車の中であまりしゃべらず押しだまっていましたから、私が『どうしたのだ』と聞いたら『歯が痛い』と言う様な事を言っておりました」と供述していることが認められる。右供述について、原告らは、抜歯をしたばかりの原告Dが抜歯の話や具体的な歯の状態などについて話さないのは不自然であり、右供述は、京都行きに原告Dの歯痛の事実を潜り込ませるために捜査官が創作したものであると主張する。しかし、右供述が一概に不自然であるとはいえず、右供述内容から、捜査官が供述を作っていると推認することはできない。

(10) 原告Eの帰省と上京

<書証番号略>によれば、原告Eは、一二月二五日付け員面調書において、田舎では原告D達のことを思い浮かべ、京都方面に爆弾を取りに行っているんだろうと何回も思い出したこと、また、爆弾攻撃をしたんではないか心配になり、様子を知るため東京に戻ることにしたこと、八月八日まで田舎にいる間には爆弾攻撃を報道した新聞やテレビは見なかったことを供述していることが認められる。この点について、原告らは、原告D達の爆弾闘争の様子を気にして東京に戻った原告Eが、田舎で新聞やテレビも見ていないというのは不自然であり、東京に戻った理由の点は、捜査官の創作であると主張する。

そこで検討するに、<書証番号略>によれば、原告Eは、七月二九日の謀議では、爆弾闘争を行うことのみが決まったこと、目標については結論が出ず持ち越されたこと、爆弾攻撃の時期に関する話はまだ全く出ていなかったことを供述していることが認められる。また、<書証番号略>によれば、原告Eは右一二月五日付け員面調書において、田舎では原告D達のことをなるべく忘れよう忘れようとしていたと供述していることが認められる。以上によれば、原告Eの前記供述が自発的供述として現実にあり得ないような不合理な供述内容であるということはできず、右供述をもって、取調官による供述の捏造を推認することはできない。そして他に原告らの右主張を認めるに足りる証拠はない。

(三) 自白相互の対立・矛盾、重要部分の不一致

原告らは、原告B、同C、同E及びHの供述が、相互に対立・矛盾していることをもって、捜査官による供述の捏造や誘導を主張するので検討する。

(1) 犯行後の帰宅方法ないし経路

<書証番号略>によれば、原告Bは、総監公舎事件の犯行後、十月社で原告Cと同Aをフローリアンバンから降ろし、一人で自宅に真っ直ぐに帰った旨供述していることが認められる。これに対し、<書証番号略>によれば、原告Cは犯行後、十月社で待機していた原告Dを拾い、原告B、同D、同A及び同Hがフローリアンバンに乗り、原告D、同Cの順で家まで送ってもらった旨供述していることが認められる。この点について原告らは、右供述の不一致は、原告Cの取調官と原告Bの取調官が、それぞれに供述を作ったために生じたものであると主張する。

そこで検討するに、原告C及び同Bの供述によれば、原告Cは同Bが運転するフローリアンバンで自宅まで送ってもらったことが何度もあることが認められ、また、犯行後にどのような方法で帰宅したかは、いわば犯行の周辺事情に属する事柄であり、実行行為に比して印象に薄く記憶に残りにくいことから、いずれかの者が記憶の混同を来すということも一般にありうるのであり、一方、取調官が供述を創作しているのであれば、むしろ被疑者間の供述は一致するはずではないかとも考えられるので、右供述の不一致をもって、捜査官の供述の捏造を推認することはできない。そして他に原告らの右主張を認めるに足りる証拠はない。

(2) 謀議のテーマ・内容

<書証番号略>によれば、七月下旬の謀議で話し合われた内容について、原告B、同C、同E及びHの捜査段階の供述は、以下のとおりであることが認められる。すなわち、原告Bは、原告D、同C及び同Bから爆弾闘争の提案がなされたが、原告E及びHは否定的で、その日は結論が出ないまま散会したこと、三里塚の話は出なかったことを供述している。原告C及び同Eは、三里塚の強制収用の話から爆弾闘争の話へ発展したこと、原告E及びHは反対したが押し切られて全員で決行が決まったことを供述している。Hは、三里塚の現闘本部の状況説明はあったが、爆弾闘争の話はなかったことを供述している。

以上の認定事実によれば、各人の供述は、三里塚の話が出たかどうか、その日に決行が決まったかどうか、爆弾闘争の話が出たかどうかという点において、一致していないことが認められる。この点について、原告らは、供述が区々であるのは、それぞれの取調官が供述を作っている結果であると主張する。しかし、原告Bらが自発的に供述を行っている場合にも、右のような不一致が生じることは一般にありうるのであり、右不一致をもって取調官による供述の捏造を推認することはできない。そして、他に原告らの右主張を認めるに足りる証拠はない。

(3) 四六八〇車の乗り捨て・乗り継ぎ

① 四六八〇車の乗り捨て問題について、原告Cは、失敗しても成功しても同原告が四六八〇車からフローリアンバンに乗り換える計画であった旨供述していること、これに対し原告Bは、失敗したら四六八〇車を乗り捨て、成功したら原告C及び同Aはそのまま四六八〇車で十月社に戻る計画であった旨供述していることは前記(二)(3)のとおりである。この点について、原告らは、右不一致はそれぞれの取調官が供述を創作しているために生じたものであると主張する。

そこで検討するに、取調官が供述を作っているのならば、四六八〇車からフローリアンバンへの乗り継ぎなどという重要な問題については、当然供述を一致させるはずではないかとも考えられるのであり、供述が一致しないことが必ずしも、捜査官による供述の捏造を推認するものとはいえず、他に原告らの右主張を認めるに足りる証拠はない。

② <書証番号略>によれば、フローリアンバンの待機場所について、原告Cは曙橋陸橋近くの靖国通り上と供述・図示し、原告Bは曙橋陸橋真下の空地と供述・図示していること、同車への乗り込み状況については、原告Cは自分が助手席に原告Aが後部座席に乗った旨供述し、原告Bは右両名とも後部座席に乗った旨供述していることが認められる。右不一致について、原告らは、各取調官が供述を創作しているために生じたものであると主張する。しかし、右供述の不一致をもって、捜査官による供述の捏造を推認することはできない。

(4) 五月二六日の下見

<書証番号略>によれば、原告Cは捜査段階において、五月二六日の学習会の後、原告A宅に原告D、同B及び同Cが集まった際、原告Dから爆弾闘争の提案があったこと、そして爆弾闘争について話し合った後、原告Aと同Cで爆弾設置場所の下見に行ったことを供述していることが認められる。これに対し、<書証番号略>によれば、原告Bは、「学習会の後、D、Cの三人でA宅へ行き下見をすることになったのではないか」との検察官の質問に対し、「D及びCとA宅へ行った際、爆弾闘争の話をしたことはあるが、AとCが四三二三車で出ていったという記憶はない」旨供述していることが認められる。この点について原告らは、右供述の不一致が生じたのは捜査官が供述を捏造しているからであると主張する。しかし、捜査官が供述を捏造・誘導しているのであれば、五月二六日の下見の有無などという極めて重要な出来事については、各被疑者の供述を一致させるはずではないかとも考えられるので、右供述の不一致をもって、捜査官による供述の捏造・誘導を推認することはできず、他に原告らの右主張を認めるに足りる証拠はない。

(5) 爆弾闘争への経緯

<書証番号略>によれば、Hは、明治公園事件をきっかけに原告D達が爆弾についてしばしば口にするようになったこと、七月中旬ころの会合では機動隊が集まっているところに爆弾を投げる話が出たことを供述していることが認められる。これに対し、<書証番号略>によれば、原告C及び同Bは、六月二三日の学習会で「薔薇の詩」を読んで爆弾の作り方を検討したと供述しながらも、その際に明治公園事件が話題になったとは述べていないこと、いずれの会合においても機動隊に爆弾を投げる話が出たとは述べていないことが認められる。右供述の不一致について、原告らは、Hの右供述は捜査官が捏造したものであると主張するが、右不一致をもって取調官による供述の捏造を推認することはできず、他に原告らの右主張を認めるに足りる証拠はない。

(6) 八月一日の謀議開始時刻

<書証番号略>によれば、八月一日の謀議開始時刻について、Hは午後七〜八時ころと供述していること、原告Bは午後三時ころと供述していること、原告Cは午後四時ころと供述していることが認められる。原告らはこの点について、右供述の不一致が生じたのは、取調官が供述を捏造しているためであると主張するが、右不一致をもって、取調官による供述の捏造を推認することはできず、他に原告らの右主張を認めるに足りる証拠はない。

(7) アリバイ工作

<書証番号略>によれば、アリバイ工作に関する原告B及び同Cの供述は、以下のとおりであることが認められる。

(原告B) 八月一五日、池袋西口の喫茶店「シャロン」でOと会ってアリバイ工作の依頼をした。その内容は「八月六日午後七時過ぎからCとBとOとPの四人で『ニュートップス』で会っていて、午後一〇時ころ店を出てフローリアンバンでD宅へ行き、一二時頃まで居て、その後C宅へ行き、翌七日の午前一時四〇分頃帰った」というものである。Oはあまりいい顔はしなかったが引き受けてくれた。その後八月二〇日頃、C宅へ行き、CにOに頼んだアリバイのことを話した。するとCは別にアリバイ工作をしていなかったようで、私の話を了解してわかったと言っていた。

(原告C) 八月八日、十月社にいたらDに呼び出され「緑屋」という月賦屋の前に行ったら、D、I、Oがいた。そして四人で道路を歩きながら話をし、その時、私がOに「六日夜の夕方『ニュートップス』でC、D、B、Oが会ったあと、C宅にBの車で行き、七日の午前二時頃まで話をしていた」とのアリバイ工作を頼んだ。Oは簡単に引き受けてくれた。その後四人で喫茶店「富士」に入った。

右両名の供述につき、原告らはこのような矛盾した供述が生じたのは、取調官が供述を捏造したためであると主張する。

そこで検討するに、右両名の供述を比較するとその内容は矛盾している。しかし、<書証番号略>によれば、原告Bが八月一五日にOと「シャロン」で会って総監公舎事件に関する話をしたこと、原告Cが八月八日IとOと「緑屋」の前で待ち合わせをし、その後「富士」に行きアリバイについて話し合ったことはいずれも実際にあった出来事であることが認められるところ、右事実は原告B及び同Cが自発的に供述しなければ、取調官に判明しようのない事実であると考えられ、このような事実を含む供述があることも考えると、右両名の供述に矛盾があることをもって取調官による供述の捏造の事実を推認することはできず、他に原告らの右主張を認めるに足りる証拠はない。

(四) 明白な誘導

原告らは、原告Cらの自白には、不自然かつ極端な供述変遷が多々あり、取調官が誘導的取調べを行っていることは明白であると主張するので検討する。

(1) 犯行当日の行動に関する原告Cの一二月一二日付け供述が、他の被疑者や参考人の供述と合致するように、大幅に変更されていること

① ニュートップス

<書証番号略>によれば、原告Cは一二月一二日付け員面調書において、「八月六日午後八時予め約束してあった喫茶店ニュートップスに行くと、D及びBが来ており、その場で最終打ち合わせを行った。午後九時ころ、Aが来たので再度計画を話して了解を得た」旨供述していること、ところが原告Cは、一二月一三日付け員面調書において右供述を訂正し、「ニュートップスへは自分がBに電話をして来てもらった。そこでは他の客がいたので爆弾の話はしなかった。午後八時過ぎに同店を出て、喫茶店タイムスで待ち合わせをしていたD及びAと会った」旨供述していることが認められる。この点について、原告らは右供述変遷は、原告B供述に合致するよう変遷しており、取調官が誘導したことは明白であると主張する。

そこで検討するに、<書証番号略>によれば、一二月一二日付け員面調書は、原告Cが総監公舎事件について初めて自白した調書であり、実行行為に主眼が置かれた取調べが行われたことが窺われる。また、原告Cらの供述によれば、原告らは日頃から同じような顔ぶれでニュートップスやタイムスを頻繁に利用していたことが認められるから、これらの喫茶店での打ち合わせについて、記憶の混同その他の供述者の事情により供述が変遷していくということが全くありえないわけではない。したがって、右供述変更をもって、取調官が原告Cに記憶のない虚偽の供述をさせたと推認することはできず、他に原告らの右主張を認めるに足りる証拠はない。

② 原告A宅への出発

<書証番号略>によれば、原告Cは、一二月一二日付け員面調書において「八月六日午後一一時ころ、自分とAは、ニュートップスにBとDを残し、爆弾を取りに行くため四六八〇車でA宅へ向かった。その際同車はAが運転し、自分は助手席に乗った」旨供述していること、ところが原告Cは一二月一三日付け員面調書で右供述を訂正し、「ニュートップスを出た後、タイムスでDとAに会った。その際Dから、爆弾を取りに行った帰り十月社に寄ってフォークジャンボリーに行く三里塚の連中を青山まで運んでくれるよう頼まれた。午前零時ころ三人でタイムスを出発し、四六八〇車をAが運転し、Dが助手席に乗り、自分は後部座席に乗って、A宅へ向かった」旨供述していることが認められる。この点について、原告らは、三里塚の連中を青山に送るという部分は東郷隆興供述に合致するよう誘導したものであり、四六八〇車の乗員が三人になったのは高橋腎蔵供述に合致するよう誘導したものであると主張する。

そこでまず、青山へ三里塚の連中を送る点について検討するに、<書証番号略>によれば、原告Cらが本件犯行前にTらを青山のバス出発場所まで送ったことについては、一二月一二日付け員面調書で既に述べられていることが認められ、東郷供述に合致させるよう取調官が原告Cを誘導したとの事実は認めることができない。次に、原告A宅へ行くときの人数について検討するに、まず、一二月一二日付け員面調書は実行行為を主眼とするものであったことは前記①のとおりであり、また、<書証番号略>によれば、原告Cは、少なくとも三回(五月二六日、八月二日、八月七日)原告Aの運転する車に二人きりで乗ったことがある旨を供述していることが認められる。したがって、乗車状況について記憶の混同その他の供述者の事情により供述が変遷していくということが全くありえないわけではない。したがって、右供述変更をもって、取調官が原告Cに記憶のない虚偽の事実を供述させたものと推認することはできず、他に原告らの右主張を認めるに足りる証拠はない。

③ 爆弾受け取り

<書証番号略>によれば、原告Cは一二月一二日付け員面調書において、「A宅近くに車を停めて待っていると、Aが爆弾の入った水色のナップザックを持ってきたので、受け取って助手席のダッシュボードに入れた」旨供述していること、ところが同原告は同月一三日付け員面調書で右供述を変更し、「車で待っていると、Aが爆弾入りのナップザックの入った黒っぽいボストンバックを寄越したので、受け取って客席後ろのリアウインド右寄りに置いた」旨供述していることが認められる。原告らは、右供述変更は、高橋腎蔵供述に合致するように、取調官が誘導したものであると主張する。

しかし、<書証番号略>によれば、高橋腎蔵は、四六八〇車のリアウインドにあった荷物について、右側に新聞紙の包み、左側に薄茶色の旅行用カバンがあった旨を供述していることが認められるのであるから、原告Cの供述が高橋の右供述に合致するように変更されているとは言い難く、他に右供述変更について、取調官による違法な誘導があったことを裏付けるに足りる証拠はない。

④ 給油

<書証番号略>によれば、原告Cは一二月一二日付け員面調書において、「A宅を出発した後、ガソリンスタンドに立ち寄り、トランクに積んでいた赤色補助タンクにガソリンを給油してもらった。代金は自分が支払った」旨供述していること、ところが同原告は同月一三日付員面調書において右供述を訂正し、「ガソリンは補助タンクではなく車のタンクに給油してもらった。代金はAが支払った」旨供述していることが認められる。原告らは、右供述変更は高橋腎蔵供述に合致するように、取調官が誘導したものであると主張する。しかし、右供述変更について、取調官に違法な誘導があったことを裏付けるに足りる証拠はない。

(2) 原告Eの謀議参画

<書証番号略>によれば、原告Aは、一二月一〇日、一五日及び一六日付け供述調書で、いずれも原告Eを含めたメンバーで八月一日及び四日の謀議を行ったと供述していたが、一二月二三日付け員面調書において、「その頃だったと思うが、HのアパートでHからEは国(田舎)へ帰っているということを言われたことを思い出しました。それで一日及び四日はEはH方に来ていなかった様な気がしますから、この様に訂正して下さい」と供述を変更していることが認められる。また、<書証番号略>によれば、Hは、一二月二一日、二二日及び二三日付け供述調書でいずれも、原告Eは八月一日の謀議に参加した後、田舎に帰省したと供述していたが、一二月二五日付け員面調書で、「八月一日というのは勘違いで原告Eが田舎に帰ると言ったのは七月下旬である」旨の供述変更をしていることが認められる。この点について、原告らは、原告Eが八月の謀議に参加していることにしてしまったのは、供述創作上のミスであり、同原告のアリバイに気がついた捜査官が供述変更を誘導したものであると主張する。

この点について、地刑二部判決(一一九丁裏)及び高刑一〇部判決(二八丁表)とも、捜査官が原告Eの帰省の事実を確認した後に、原告B及びHが従来の事実に反する供述を変更したのは、捜査官の誘導によるものではないかとの疑念を表明している。

そこで、右供述変更が捜査官の違法な誘導によるものであるかどうかについて検討するに、原告B及びHが原告Eの謀議出席に関し右のような虚偽の供述をしたことについて、原告B及びHの取調べに当たる捜査官と右両名の間に厳しいやり取りがあったことは、被疑事実の重大性にかんがみて容易に推認しうるところである。しかし、果たして捜査官が原告ら主張のような違法な誘導をしたのかというと、右主張事実の存在を裏付けるに足りる証拠はないものといわざるをえない。原告らは、右両名を含む本件被疑者の取調べの際に脅迫その他幾多の違法行為がなされた旨主張するが、既に認定した限りでは、原告B及び同Cに対する火取罪名での取調べにつき違法行為があったと認められる(前記二)ほかは、原告らの主張事実を裏付けるに足りる証拠はないのであり、原告B及びHの右虚偽供述についても、捜査官の違法な誘導を推認させるだけの証拠はないものといわざるをえない。

なお、<書証番号略>によれば、小出及び松永鐵美は、原告Eの帰省の有無について再確認をせよとのデスクの指示に基づき、原告B及びHに確認を行い、その結果、右両名が記憶違いを認めたため供述が訂正されたことが認められるが、右のように供述を訂正させたことをもって、違法な誘導ということはできない。

(3) 高橋腎蔵供述に合わせた原告C供述の全般的かつ極端な変更

爆弾の入れ物に関する供述が、水色ナップザック(一二月一二日付け員面調書)から、ナップザックの入った黒色ボストンバック(一二月一三日付け員面調書)に訂正されたのは、前記(1)③のとおりである。そして、<書証番号略>によれば、原告Cは、一二月一三日、一五日及び一六日付け員面調書において、爆弾の入れ物を黒色ボストンバッグと供述していたこと、一二月一八日付け員面調書に至って「爆弾が入ったナップザックが入っていたのは、黒いボストンバックではなく、水色の紙製手提袋である」との供述訂正を行ったことが認められる。原告らは右供述変更は、取調官が高橋供述に合致するように、供述を誘導したためであると主張する。

しかし、前記(1)③のとおり、この点に関する高橋腎蔵供述は、リアウインドの右側に新聞紙包みがあり、左側には薄茶色の旅行用カバンがあったというものであるから、右原告C供述が、これに合致するように変更されているとは言い難い。また、爆弾入りのナップザックの入れ物については、前記(1)③でも供述訂正が行われているところ、取調官が高橋供述に合致させようと供述を誘導しているのならば、最初から目標の供述に誘導するのではないかとも考えられる。そして、<書証番号略>によれば、右供述訂正の理由について、原告Cは「黒いボストンバックは自分が朝、家からもってきたもので、自分の服装や所持品を考えているうちに思い出した」と供述していることが認められ、右理由が一概に不自然であるとはいえない。したがって、右供述訂正をもって、取調官の違法な誘導の事実を推認することはできず、他に原告らの右主張を認めるに足りる証拠はない。

(4) 原告C自白における取調官の変更に伴う変更例

<書証番号略>によれば、四六八〇車の第三者に対する貸与に関する原告Cの供述は以下のとおりであることが認められる。

(西海作成の一二月一二日、一三日及び一六日付け員面調書)本件犯行が終わった後、山瀬がフォークジャンボリーに行くために四六八〇車を貸すことになっていた。

(北岡作成の一二月一八日付け員面調書)八月六日、僕が十月社にいるとDが午後三時ころ来て「三里塚の奴が中津川へ行くから車(四六八〇号)を貸すことにした」と言ったので、この時僕は、爆弾を仕掛けたあと車を貸すのだなと思った。午後五時ころ、Bに電話をしてニュートップスに来るよう伝えたが、その目的は、曙橋下での待機の最終確認と昼間中津川の関係で車(四六八〇車)を貸していたので決行時間が遅れるかも知れないということを伝えるためであった。

(西海作成の一二月二一日付け員面調書)本件犯行後、十月社に行くと、そこには約束どおり山瀬が待っていた。山瀬には「車は、今日は一寸駄目だ」と右手をあげて謝る言葉をかけた。

(被告F作成の一二月二三日及び二九日付け検面調書)八月六日、十月社にいると午後三時ころDが来て「三里塚の奴が中津川へ行くので車を貸すことにした」と言った。午後五時ころ、またDが来て、車を人に貸したような話をしていた。それで私は、ひょっとすると車が帰ってくるのが遅れ、爆弾を仕掛ける時間も遅れるかもしれないので、待機時間の延長を頼むため、Bをニュートップスに呼び出した。(中略)犯行後、十月社へ行くと山瀬がいた。山瀬は、この日中津川のフォークジャンボリーに行くので車を貸してやることになっていたが、車は乗り捨ててきたので貸せなくなり、山瀬に「車、今日はかんべんしてくれ。」と言って謝った。

以上の原告Cの供述を検討するに、本件犯行前の貸与を述べるもの、犯行後の貸与を述べるもの、その両方を述べるものの三通りがあることが認められる。

原告らは、原告Cのこのような供述変遷から、同原告の自白調書の作成が取調官の一方的な意思によるものであることは明白である旨主張する。しかし、地刑二部判決は、このような原告Cの供述の変遷について、取調官の誘導的取調べと同原告の迎合的態度が窺われると認定しており(一二五丁表)、原告ら主張のように取調官の一方的な意思によるものであるとは認定していない。そして、他に原告らの右主張を認めるに足りる証拠はない。

(5) 四六八〇車購入経緯に関する時期の曖昧な繰り上げ

<書証番号略>によれば、原告Bは、京都に行って高瀬に車の斡旋を頼んだ時期について、一二月一〇日及び一八日付け員面調書では六月下旬とし、一二月一五日付け検面調書では六月一七日、一八日とし、一二月二三日付け員面調書では、これを六月中旬の平日であると供述訂正をしていることが認められる。また、<書証番号略>によれば、双葉自動車の江里重之は、Sが安い車を求めてやって来たのは、六月二二、二三日ころであると供述していることが認められる。原告らは、原告Bの一二月二三日付け員面調書の供述変更は、取調官が、江里供述に合致するように誘導をしたものであると主張する。

そこで検討するに、原告Bの右供述を見ると、同原告は供述訂正前は、六月の後半という程度の幅のある供述をしていることが認められ、また、一般に、半年も前の日付けの供述は、日記等に基づくものでない限り、不正確なものとなりやすいものであるから、右供述訂正をもって、取調官が誘導により、原告Bに記憶のない虚偽の事実を供述させたと推認することはできず、他に原告らの右主張を認めるに足りる証拠はない。

(6) 爆弾外観図

<書証番号略>によれば、原告Cは、一二月一三日及び一五日付け員面調書で本件爆弾の外観図を作成していること、前者の図面はタイムスイッチの場所が実際のものと異なっており、また二つの缶の位置関係が上下なのか左右なのかはっきりしない不明確なものであること、これに対し後者の図面は、タイムスイッチの位置や二つの缶の位置関係が実際のものに近づき、原告Bの作成図と基本的に一致するものであることが認められる。原告らはこの点について、原告Cの外観図が訂正されているのは、原告Bの外観図に合わせて取調官が誘導したものであると主張する。

そこで検討するに、原告C供述によれば、同原告が本件爆弾を見たのは、八月四日に原告Bから操作方法の説明を受けた際と、八月七日深夜に車内灯をつけずに外の明かりを頼りに時限装置をセットした際のみだというのであるから、犯行から四か月以上経った供述時に、正確な外観図が作成されていないことが一概に不思議とはいえず、また、<書証番号略>によれば、原告Bの爆弾外観図は一二月一〇日に既に作成されていることが認められるのだから、取調官が誘導しているのならば、原告Cが一二月一三日に外観図を作成した時点で、原告Bの作成図にもっと近いものができるはずではないかとも考えられるところである。したがって、原告Cの爆弾外観図が訂正されていることをもって、取調官が原告B作成図をもとに違法な誘導を行ったと推認することはできず、他に原告らの右主張を認めるに足りる証拠はない。

(7) 総監公舎脱出場面

<書証番号略>によれば、関と原告Cが総監公舎で格闘した状況について、両者の供述の一致している点及び矛盾している点は以下のとおりであると認められる。すなわち、関が逃げる原告Cの両手を掴んで向き合ったこと、そのままの体勢で、同原告が後ろに下がりながら公舎正門の鉄扉の間から腰を落として抜け出たこと、抜け出た後、同原告が手を振り上げたため掴んでいた関の手が鉄扉の横棧に当たり、手が離れてしまったこと、以上の点について両者の供述は一致している。反面、関は、逃げる原告Cの右腕を右手で掴んだところ、同原告は振り向いてこれを左手で振り払おうとしたので、左手で同原告の左手を掴んだと供述しているが、これに対し原告Cは、関に左肩をつかまれたので、振り切るため左肩を左に回すようにしたら、関と向かい合う形になり左手を掴まれ、右手でほどこうとしたら右手首も捕まえられたと供述し、この点は一致していない。右両名の供述について、原告らは、原告C供述は関供述に不自然なほど一致しているうえ、関供述の脱出方法は物理的に不可能なのであるから、取調官が関供述に基づいて原告Cを誘導したことは明らかであると主張する。

しかし、右認定事実によれば、原告C供述と関供述は、格闘状況のうち、記憶に残りやすいと考えられる重要なポイントについては一致し、最初に原告Cのどこをどう掴んだのかなどという細かい部分については齟齬を来しているのであり、原告Cがなぜそのような供述をしたのか解明されていないから、右両名の供述内容の一致をもって、直ちに取調官の誘導を推認することは困難である。また、関供述が、必ずしも物理的に不可能といえないことは、前記三1(一)(2)のとおりである。そして他に原告らの右主張を認めるに足りる証拠はない。

(8) 時刻と時計

<書証番号略>によれば、原告Cは、一二月二三日付け検面調書において「Tらを降ろし荷物を降ろした時刻は、時計を見ていないのでよく判りませんが二時近くになっていたのではないかと思います」と供述していることが認められる。この点について、原告らは、右供述により原告Cが時計をもっていなかった事実が判明したのであり、従前の供述調書における時間の特定が、取調官の勝手な記載であることは明白であると主張する。

しかし、右供述は「時計を見ていない」と述べるだけで時計をもっていないと述べているわけではないうえ、時刻についておおよその推測をすることは一般にありうることであるから、そのことから直ちに取調官が勝手に時間を特定したと推認することはできず、他に原告らの右主張を認めるに足りる証拠はない。

(9) Hの不明瞭な供述

① 不明瞭な供述

<書証番号略>によれば、H供述には、「〜のように思う」との表現や「お茶かコーラか又はお菓子かアイスクリームか」「タイムスイッチは赤っぽいような色かクリーム色」「正午のNHKかTBSかフジのニュース」などという不明瞭な供述が多数存在することが認められる。原告らはこの点について、H供述がこのように不明瞭であるのは、取調官の誘導を示すものであると主張する。

しかし、取調官が誘導しているのであれば、このような不明瞭な供述にはならないのではないかとも考えられるのであり、H供述が曖昧であることから、直ちに取調官の誘導を推認することはできず、他に原告らの右主張を認めるに足りる証拠はない。

② Iの存在

<書証番号略>によれば、Hは一二月二一日付け員面調書において、原告C、同B、同D、同A及び同Eと爆弾闘争の謀議をした経過を一通り供述した後、取調官から「八月四日はIが来ていなかったか」と尋ねられ、「今聞かれてわかったが、Iも来ていたように思う。Iは三里塚に常駐しているという頭があって思い出さなかった。」と供述していることが認められる。この点について、原告らは、右調書の体裁上からは、取調官がIの存在を忘れたまま供述を誘導し、最後になってIを思い出して、Hに対しIの存在を誘導したことは明らかであると主張する。しかし、右供述がHの自発的供述として現実にあり得ないような不自然な供述内容ということはできず、右供述から取調官の誘導を推認することはできない。そして他に原告らの右主張を認めるに足りる証拠はない。

(10) 原告B供述における五月二六日の下見

<書証番号略>によれば、原告Bは、一二月一六日付け員面調書において、自分たちのグループで爆弾闘争の話が出たのは五月初めからであること、五月末頃原告A及び同Cが四三二三車で下見中交通事故にあったことを供述していること、一二月二五日付け検面調書では、五月二六日に原告A及び同Cが下見に行った記憶はないことを供述していることが認められる。右員面供述について、原告らは、他の原告B供述にこのような早い時期の爆弾闘争提案を述べたものはないのに、従前の供述との関連や具体的内容が述べられていないこと、また、検面調書では右員面供述を否定していることからすれば、右員面供述を取調官が一方的に作文したことは明白であると主張する。

そこで検討するに、<書証番号略>によれば、原告Bが一二月一五日以前の供述調書において述べている爆弾闘争の話し合いのうち、最も時期の早いものは六月中旬であることが認められるが、右各供述は、それ以前に爆弾闘争の話があったことを否定する趣旨とは解されないから、一二月一六日付け員面調書は爆弾闘争の話が出た時期について、従前の供述を変更したものとは必ずしもいえず、従前の供述との関連が述べられていないことをもって、取調官の一方的な作文と推認することはできない。また、一二月一六日付け員面調書においては、確かに五月初めの話し合いについて具体的内容が述べられていないことが認められるが、そのことによって直ちに取調官の作文と推認することはできない。さらに、原告Bは検面調書で右員面供述を否定していることが認められるが、被疑者が警察官の面前と検察官の面前で異なる供述をしたからといって、直ちに警察官が一方的に作文をしたと推認することはできない。そして、他に原告らの右主張を認めるに足りる証拠はない。

(五) 供述の欠落

原告らは、原告Bらの自白には、犯人であれば当然に述べられるであろう重要部分の供述の欠落が多いが、これは取調官が供述を作っているからであると主張するので検討する。

(1) 総監公舎で使用した爆弾と成田で使用されたとされる爆弾の差異

① 爆弾の構造について

<書証番号略>によれば、原告Bは、一二月一〇日付け員面調書で、八月四日に京都の男から爆弾を渡された際の状況について、「ナップザックの中には別の一個が入っているということでしたので、多分同じ型の爆弾だろうと思ったのです」と供述していることが認められる。他方、<書証番号略>によれば、成田署事件で使用された爆弾は、起爆装置付の二個の缶体と誘爆形式の三個の缶体とからなっていること、本件爆弾の二個の缶体と成田署事件の起爆装置付の二個の缶体及び両者の爆弾の構造、組成物、工作方法等は酷似していることが認められる。原告らは、この点について、本件爆弾と成田署事件の爆弾は全体構造が大きく異なっているのであるから、右供述は不自然であり、成田署事件の爆弾を知らない取調官が供述を捏造したためであると主張する。

そこで検討するに、右認定事実によれば、本件爆弾は起爆装置付の二個の缶体であるのに対し、成田署爆弾事件の爆弾は起爆装置付の二個の缶体と誘爆形式の三個の缶体であるから、その点においては異なる構造の爆弾ということもできるが、爆弾の中心部分である起爆装置付の二個の缶体の部分は酷似していることが認められるのだから、これをもって「同じ型の爆弾」と評することもあながち不合理とはいえない。したがって、原告Bの右供述が不合理な内容であるということはできないから、右供述自体から取調官による供述の捏造の事実を推認することはできず、他に原告らの右主張を認めるに足りる証拠はない。

② 爆弾の安全対策について

<書証番号略>によれば、原告Bは、一二月二三日付け員面調書において、「八月四日H宅で爆弾の操作方法を説明した。京都から持ってくるとき、瓶の型の缶から配線がタイマーから外されていたので、配線を取りつけて操作するよう注意した。私はこの爆弾を京都で渡されたとき、何時爆発するのではないかと非常に怖い思いをしたが、爆弾の仕組みを知って線さえ外しておけば、例え落としても絶対爆発しないと自信を持った」旨供述していることが認められるが、原告B供述を通じて、右供述部分以外に、爆弾の安全対策に関する供述は特に存在しない。他方、弁論の全趣旨によれば、成田署事件で使用された爆弾は、倒しても危険な触発式であることが認められる。原告らはこの点について、例え落としても安全なのは本件爆弾だけであるのに、危険な触発式の成田署爆弾について、何ら安全対策が供述されていないのは不自然であり、成田署事件の爆弾を知らない取調官が供述を捏造しているためであると主張する。

しかし、成田署事件は千葉県警で別に捜査が行われていたものであり、総監公舎事件の取調官が、成田署事件の爆弾についてまで供述を求めなかった可能性も否定できず、右供述の欠落の事実から直ちに取調官による供述の捏造の事実を推認することはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

(2) 総監公舎の状況

原告らは、原告Cが供述する総監公舎邸内の状況は具体性がなく、特に正門外からもわかる関らの勤務室が終夜点灯していることについて、下見・実行を通じて言及していないことは不自然であるとし、公舎邸内の状況を知らない取調官が供述を捏造しているためであると主張する。

そこで検討するに、<書証番号略>によれば、原告Cは、総監公舎内の概略図を作成し、前庭が砂利敷きだったこと、門を入った右側に植え込みがあったことなどを供述していることが認められるのであるから、原告Cが供述する総監公舎邸内に状況に具体性がないとはいえない。また、総監公舎の状況は、取調官が容易に把握しうるものであるから、供述を捏造しようとする取調官がその状況を把握していないというのも不自然である。したがって、原告Cの右供述から取調官による供述の捏造を推認することはできず、他に原告らの右主張を認めるに足りる証拠はない。

(3) 赤色補助タンク

原告Cの各供述調書によれば、同原告は四六八〇車に遺留されていた赤色補助タンクの出所について何ら言及していないことが認められる。原告らは、原告C供述にこの点の言及がないのは不自然であり、かつ、取調官が追及をしていないのは、原告Cから裏付けのとれる供述が得られないことを取調官が知っていたからであると主張する。

しかし、補助タンクの製造及び流通の実情に照らせば、補助タンクの出所について取調官の追及及び調書への記載ないことをもって、取調官の取調べが違法ないし不自然であるということはできない。

そして、他に取調官の右取調べに原告ら主張のような違法性があることを認めるに足りる証拠はない。

(4) ビニール袋の欠落

<書証番号略>によれば、本件爆弾は、発見されたとき透明のビニール袋に包まれて遺留されていたことが認められる。そして、原告Cの各供述調書によれば、同原告は、本件爆弾を包んでいた右ビニール袋の存在について何ら言及していない。この点について原告らは、時限装置をセットし爆弾を公舎内に設置した原告Cが、ビニール袋の存在を失念するはずがなく、取調官がビニール袋の存在を知らなかったために供述が欠落したものであると主張する。

しかし、右ビニール袋の存在は、総監公舎事件の犯人が、爆弾の時限装置をセットし、爆弾を持って公舎邸内へ侵入し、公舎内でこれを設置するという一連の動作をするにあたって、特別の意味や役割をもつとは考えられないから、右供述の欠落をもって、取調官による供述の捏造を推認することはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

(六) 短時間で作成された膨大な供述調書

原告らは、原告B及び同Cの供述調書は、短時間に膨大な量が作成されており、取調官が供述を作っていることは明らかであると主張するので、以下検討する。

<書証番号略>によれば、原告Bの一二月一〇日付け員面調書は、供述部分二〇丁及び図面二枚の計二二丁で構成されていること、内容的には四六八〇車の入手経緯に加え、七月二九日、八月一日及び同月四日の謀議並びに八月三日及び四日の京都行きの大要を述べたものであることが認められる。また、<書証番号略>によれば、一二月一〇日の原告Bの出房時刻は午前一一時二五分、入房時刻は午後一〇時二五分であることが認められる。

次に、<書証番号略>によれば、原告Cは、一二月一二日から同一五日まで計五通の火取員面調書を作成されていること、その内容は、総監公舎事件の犯行に至る経緯から八月七日の実行行為まで基本的な部分が全て網羅されていること、この間作成された一日当たりの供述調書の丁数は一一丁から一七丁の間であることが認められる。また、<書証番号略>によれば、一二月一二日から一五日まで原告Cは連日取調べを受け、その出房時間は約九時間から一一時間半の間であったことが認められる。

しかし、本件被疑事件の重大性に鑑みると、右取調べに関し、右のような供述調書を作成していることが異常であるとまでいうことはできず、他に原告らの右主張を認めるに足りる証拠はない。

(七) 結論

以上の認定事実によれば、原告B、同C、同E及びHの供述内容等から取調官による供述の捏造の事実を推認することはできない。また、原告らは右認定事実以外にも、原告Bらの供述には不自然・不合理な点が多々あると主張するが、原告らのその他の主張事実も、取調官による供述の捏造の事実を推認させるものとはいえず、したがって、取調官が供述を捏造したとの原告らの主張はこれを認めるに足りる証拠がないものといわなければならない。

9  原告Cに対する実況見分における誘導・取調への虚偽記載

原告らは、原告Cに対する実況見分は、各所で偽犯人としての実態を露呈するものであったのに、捜査官は、同原告がそれぞれの場所で実際に示した反応、言葉、態度を無視し、指示説明を誘導して、捜査官の都合に合致したみせかけの記述を実況見分調書に記載したと主張するので検討する。

(一) 上石神井の原告A宅へ

(1) 青梅街道の右折場所

<書証番号略>によれば、一二月二九日付け実況見分調書には、八月六日夜四六八〇車が新宿を出発して原告A宅に向った道順の指示説明について「(青梅街道を西進して)四面道路交差点を経て関町一丁目交差点に至ると、立会人は『このへんを曲がってくれ、右に』と指示があった」と記載されていることが認められる。そして、原告らはこの点について、右調書には原告Cがどのような根拠で右指示をしたのか記載されておらず、捜査官が勝手に進路をとったことは明らかであると主張する。

しかし、実況見分調書には、立会人がした指示説明の根拠が全て記載されるわけではないから、指示説明の根拠が記載されていないことをもって、直ちに捜査官が勝手に進路をとったと推認することはできず、他に原告らの右主張を認めるに足りる証拠はない。

(2) 路地入口角の家の鉄扉

<書証番号略>によれば、原告A宅付近の見分において、原告Cが、原告A宅へ通じる路地入口東角にある中村方の表門鉄扉を指示して「ここです。間違いない。この鉄格子に見覚えがある」と説明したこと、そして四六八〇車の停車位置を中村方の南側道路と指示したこと、右中村方の表門は南西方向に隅切りの形でついていることが認められる。原告らはこの点について、四六八〇車の右停車位置からは、隅切りの形で付いている中村宅の鉄扉が見えたはずがなく、右指示説明は捜査官の創作であると主張する。

しかし、右指示説明の内容の真実性はともかく、右指示説明が原告Cの意思に基づくものではなかったことを認めるに足りる証拠はないから、右指示説明が捜査官の創作であるとする原告らの右主張を認めるに足りる証拠はないものといわなければならない。

(3) 添付図面における四六八〇車の位置

<書証番号略>によれば、実況見分調書添付の四六八〇車停車位置の図面において、同車は中村宅前路上の右側に寄せて小さく描かれ、図面上の同車の幅は6.5ミリ、同車左側面から道路左端までの距離は二六ミリとして描かれていることが認められる。そして<書証番号略>によれば、実際の四六八〇車の車幅は1.49メートル、道路と同車左側面から道路左端までの距離は1.3メートルであることが認められる。原告らは右図面について、現実には道路を塞ぐ不自然な形で停車していた同車を右側に小さく寄せて自然に見えるよう描いたもので、見るものの目をたぶらかす意図を持った作図であると主張する。

そこで検討するに、右認定事実によれば、右作図においては、縮尺寸法が正確に描かれていないことが認められるが、右図面の縮尺が不正確であることから直ちに、原告らが主張するような意図を推認することは困難である。

また、原告らは右停車位置について、このような細い道路に通行を妨害する形で車を停車するのは不自然であり、右停車場所は捜査官の勝手な創作であると主張する。しかし、原告C供述によれば、右位置に四六八〇車を停車したのは、夜中の午前零時ころの、しかも二、三分であるとされているので、右位置に停車したとの指示が、現実におよそあり得ないような不合理な指示内容であるということはできない。そして、他に右停車位置が捜査官の創作であるとの原告らの右主張を認めるに足りる証拠はない。

(二) エッソ関町給油所

原告らは、原告A宅からエッソ関町給油所に至る道順の見分において、捜査官は原告Cの指示を無視して、勝手に給油所のある西方に進行したと主張するが、これを認めるに足りる証拠がない。

また、原告らは、実況見分調書で原告A宅と給油所の位置関係が明らかになっていないのは、調書作成者が故意にこれを避けたからであるとの主張をするが、原告A宅及び給油所はそれぞれ客観的に位置が特定されており、実況見分の目的としてはそれで十分であるから、原告らの右主張は理由がない。

さらに原告らは、本件実況見分では原告Aから給油所までの道順が明らかになっていないのに、捜査官は敢えて原告Cにこれを問い質さなかったと主張をするが、<書証番号略>によれば、原告Cは指示説明において、「ガソリンスタンドの道はよく覚えていない」旨繰り返し述べていることが認められるのであるから、捜査官がこれ以上に追及をしなかったからといって、故意に質問を避けたと認めることはできない。

(三) 阿佐ケ谷―新宿―表参道

<書証番号略>によれば、見分車がエッソ関町給油所から新宿に向かい、杉並消防署前を通過する際、原告Cが「あの晩、このあたりで、トラックが交通事故を起こしたのです」との指示説明をしたこと、調書上、右交通事故の場所は特定されていないことが認められる。この点について、原告らは、右地点が特定されなかったのは、捜査官が事前に交通事故の正確な地点を把握していなかったためであると主張する。

しかし、右交通事故は総監公舎事件犯行前の原告Cらの行動とは直接関係がなく、場所を特定させる必要性に乏しいうえ、青梅街道を車で走行中に事故を目撃したに過ぎない同原告に右交通事故の位置を特定させていなくとも必ずしも不自然ではなく、これをもって、捜査官が敢えて位置の特定を避けたと認めることはできない。

また、<書証番号略>によれば、原告Cは、表参道で四六八〇車を停車した位置として、神宮前四丁目歩道橋の手前を指示説明していること、他方、当時同所に停車していたとされるバス二台の位置についての説明は調書上記載されていないことが認められる。原告らは、この点について、目標となったはずのバスの位置について何ら説明がないのは不自然であると主張する。

しかし、右実況見分調書によれば、原告Cは歩道橋を根拠に四六八〇車の停車位置を指示説明していることが認められ、必要な指示説明は調書に記載されているのであるから、バスに関する説明が調書から省かれたとしても必ずしも不自然とはいえない。原告らの右主張は、認めることができない。

(四) 総監公舎

<書証番号略>によれば、原告Cは、爆弾設置場所として、総監公舎建物西南角の敷石を指示し、「この木戸があったのをよく覚えております」と説明したことが認められる。原告らは、この点について、原告Cの従前の供述内容は、右木戸の存在と決定的に矛盾するのであり、捜査官が誘導したことは明らかであると主張する。

そこで検討するに、同原告が一二月二〇日付け員面調書において、爆弾設置場所として供述・図示している地点(建物角から五メートル奥)は、客観的には竹垣及び木戸の奥にあたることが認められる。そこで、原告Cが実況見分で指示説明したように、木戸の手前に爆弾を置いたことを覚えていたのであれば、右員面調書のような五メートルも奥に入った図を作成しないはずではないかという疑問が生じる。

しかし、木戸の存在を記憶していたことは、必ずしも木戸の位置まで正確に記憶していることを意味せず、半年も後の供述においては、現場で当時の状況を再現して供述するような場合を除き、物の位置や距離に関して不正確な内容となることは一般にありうることであり、一二月二〇日付け員面供述が実況見分における指示説明と異なっていたとしても、その事実のみから、前者を捜査官が誘導したものと認めることはできず、他に原告らの右主張を認めるに足りる証拠はない。

(五) 乗り捨て、乗り継ぎ

<書証番号略>によれば、原告Cは、総監公舎から脱出した後の逃走経路について「直ぐ右に曲がったのは覚えておりますが、その後は恐ろしさのため、どこを車が走ったか覚えておりません」と供述していることが認められる。他方、<書証番号略>によれば、原告Cは実況見分において、総監公舎から原告Bが待機していた曙橋陸橋下までの道順を逐一指示説明したことが認められ、原告らは、指示説明が誘導によるものであることは明白であると主張する。

しかし、一般に、取調べにおいて自己の記憶のみに基づいて供述しているときと、実況見分で実際に周囲の状況を確認しながら指示説明を行うときでは、記憶の蘇り方に大きな差が出うるものであって、右差異から直ちに、捜査官による指示説明の誘導を推認することはできず、他に原告らの右主張を認めるに足りる証拠はない。

(六) 結論

以上の認定事実によれば、捜査官が実況見分において、指示説明の誘導や虚偽記載等の違法な捜査を行ったとの事実を推認することはできない。また、原告らは右認定以外にも、実況見分調書には不自然・不合理な記載が多々あると主張するが、そのいずれも、右事実を推認するに足りるものとはいえない。したがって、捜査官が実況見分において違法な捜査を行ったとの原告らの主張は、これを認めるに足りる証拠がないものといわなければならない。

10  裏付捜査の欠落の違法性

(一) 否認主張に関連する捜査のサボタージュ

原告らは、捜査側は本件虚構の崩壊と捜査の作為の露呈を防ぐという目的意識のもと、原告らの否認主張を裏付ける可能性のある捜査を頭から排除したと主張するので検討する。

(1) 参考人に対する事情聴取のサボタージュ

① 四六八〇車入手の関係者(S、井村、高瀬)

<書証番号略>によれば、右三名はいずれも左翼の活動家であること、Sに関しては、別件による身柄拘束中の昭和四七年一月一三日に久保検察官が事情聴取を行うことができたものの、井村については接触できず、高瀬については全く捜査に協力せず、事情聴取を行うことができる状況でなかったことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。したがって、捜査官が右三名の事情聴取を怠っていたとの事実は認められない。

② 原告Cが事実関係者として挙げた人物(山瀬、T、小川、光森、Q)

<書証番号略>によれば、原告Cが挙げた右各人物のうち光森以外の四名は三里塚闘争に従事している活動家であること、光森は京都の活動家であること、警察は右各人について必要な調査を行ったものの、所在不明や接触困難などの事情により事情聴取を行うことができなかったことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。なお、<書証番号略>によれば、昭和四六年の暮れ小川は救対の関係で警察署に出入りしていたこと、Tは一二月八日から同月末ころまで千葉中央署に逮捕・勾留されていたことが認められるが、関係各証拠を精査しても、右事実を準捜査本部が知っていたことを窺わせる証拠はない。したがって、捜査官が故意に右人物らの事情聴取を怠ったと認めることはできない。

③ アリバイ証人(O及びP)

<書証番号略>によれば、O及びPは日大出身の活動家であり、原告Dらとは大学時代からの友人であること、Oに関しては所在は分かっていたものの、同人が警察の出頭要請に応じなかったために事情聴取を行うことができなかったこと、Pに関しては昭和四七年二月一九日に久保検察官が事情聴取を行い、参考人取調状況報告書が作成されたことが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。したがって、捜査官が故意に右人物らの事情聴取を怠っていたものと認めることはできない。

(2) 新宿駅東口駐車場に関する捜査

原告らは、原告Bが八月六日夜の行動について具体的なアリバイ主張をしていたにもかかわらず、その裏付けとなる新宿駅東口駐車場についての裏付捜査を怠ったと主張する。しかし、前記2(四)のとおり、原告Bが八月六日夜の行動について捜査段階で具体的なアリバイ主張を行っていた事実を認めるに足りる証拠はないから、原告らの右主張は認めることができない。

(3) 原告Dのアリバイに関する捜査

原告らは、捜査官は原告Dの歯科通院の事実を把握したにもかかわらず、原告Dに事実を確かめることもせず、医師に当時の治療内容や時刻等を尋ねることも避け、もっぱら原告Bの昭和四七年一月五日付け員面調書に歯痛の事実を潜り込ませることでまかなおうとしたと主張する。

しかし、<書証番号略>によれば、原告Dは取調官とは一切口をきかないと決心して一貫して黙秘を続けていたことが認められるのだから、このような状況で、取調官が原告Dに対し歯科通院の事実についての発問しなかったとしても、故意にこれを避けたと認めることはできない。また、<書証番号略>によれば、警察官が淀橋歯科医院を何度も訪れ、カルテの確認等の捜査を行っていることが認められるから、歯科通院の事実や状況を医師に確認することを避けたとの事実も認めることはできない。したがって、原告らの右主張は理由がない。

(二) 爆弾入手ルートに関する捜査のサボタージュ

(1) 原告Bに対する事情聴取

<書証番号略>によれば、原告Bは一二月二三日付け員面調書において、京都で爆弾を引き渡した男の人相について「年齢二四・五歳、身長166.7センチメートル、やや面長、色普通、眼普通、髪は後ろの首筋まで伸ばし、体格はやや痩型の感じ、一見学生風」と供述していることが認められる。原告らはこの点について、取調官は特徴というにも足らないおおざっぱな印象を述べさせただけで満足しており、爆弾供給側に捜査を拡大する意思がなかったことは明白であると主張する。

しかし、原告B供述によれば、同原告が爆弾を渡した京都の男に会ったのは、八月三、四日の時のみであるとされており、右時点から供述時まで四か月以上が経過していることを考えれば、右供述内容をもって取調官が爆弾供給側に捜査を拡大する意図がなかったことまで推認することはできず、他に原告らの右主張を認めるに足りる証拠はない。

(2) Qの逮捕と釈放

<書証番号略>及び弁論の全趣旨によれば、一二月二〇日、西海らが京都へ赴き、原告Bの供述する爆弾の受け渡し場所(銀閣寺アジト)及びその住人の確認捜査を行ったこと、昭和四七年一月九日、原告Bらに爆弾を渡した者としてQが逮捕されたこと、同月三一日Qは否認のまま釈放されたことが認められる。原告らは、早くから原告B供述を得ながら、爆弾供述側に対する捜査が遅れたのは、捜査官が爆弾供述側に捜査を拡大する意思がなかったためであると主張する。

そこで検討するに、爆弾を引き渡した人物を逮捕するためには、原告Bによる写真面割りを実施する必要があるが、そのためには銀閣寺アジトに対する内偵捜査を行い、アジトに出入りする人間を把握しなければならないのであるから、原告Bの供述後、一定の捜査期間が必要とされるのはやむを得ないところである。また、爆弾供給側の人間を逮捕しても、被疑者は否認ないし黙秘する可能性が高いのであるから、逮捕時期を決定するには、必要な関係資料の入手状況や、原告B及び同Dの供述状況等も勘案する必要があろう。とすれば、これらの諸事情を総合的に勘案して判断された右逮捕時期が、不自然に遅いということはできないのであって、右逮捕時期をもって、捜査官が爆弾供給側に捜査を拡大する意思がなかったことの裏付けとすることはできない。

また、原告らは、Qが釈放されたのは、総監公舎事件を落着させるために爆弾の入手先を不明とせざるを得なかったためであると主張する。しかし、本件爆弾の受け渡しは、ほとんど物証のない犯罪であるから、関係者の供述の有無が決め手であるところ、Q及び原告Dは否認ないし黙秘をしていたものであるし、<書証番号略>によれば、原告BによるQの面通しも同人を明確に断定するには至らなかったことが認められるから、右証拠関係のもと、検察官が公訴維持が難しいと判断したのは無理からぬことであって、Qが釈放されたことをもって、捜査官が爆弾入手を不明にする意図であったと認めることはできない。

したがって、捜査官が爆弾入手先に関する捜査を故意にサボタージュしたとの原告らの主張は、これを認めるに足りる証拠がない。

11  原告らに対する起訴後取調べの違法性

(一) 取調受忍義務の不存在を告知すべき義務

取調官に取調受忍義務不存在の告知義務が課せられていないことは前記1(二)(1)のとおりであるから、取調拒否権や退室権を告知しなかったからといって、そのこと自体が直ちに違法になるわけではない。したがって、取調官が、原告ら及びHに、取調拒否権や退室権を告知せずに、起訴後取調べを行ったことが違法であると認めることはできない。

(二) 強制的取調べ

原告らは、原告らに対する起訴後取調べが、事実上強制的に行われたと主張するので、本件起訴後取調べが、被疑者の取調拒否の自由意思を抑圧するような強制的な取調べであったかどうかを検討する。

(1) 原告B

<書証番号略>によれば、原告Bは、起訴後の昭和四七年一月六日から東京拘置所に移監された同月二五日まで取調べを受け、同月一一日、一六日、二一日及び二四日に休みがあった以外は連日取調べを受けたこと、取調べ時間については、午後からの出房が八日あるうえ、午前中の出房の場合もほとんどが午前一〇時以降であること、帰房時刻も一日を除いて午後七時前までであること、出房時間が一時間前後の日も五日あることが認められる。右事実認定によれば、取調べ日数・時間の点において、任意の取調べとして許容される限度を超えた違法な取調べが行われていたと認めることはできず、また、関係各証拠を精査しても、取調べの方法において、強制的手段が用いられたことも認めることができない。

(2) H

<書証番号略>によれば、Hは、起訴後の昭和四七年一月六日から東京拘置所に移監される直前の二月一四日まで取調べを受け、その取調べ日数は二一日であること、取調べ時間については、午後からの出房が一六日あり、午前からの出房もほとんど午前一一時以降であること、帰房時刻もほとんどが午後六時前であることが認められる。右認定事実によれば、取調べ日数・時間の点において、任意の取調べとして許容される限度を超えた違法な取調べが行われたと認めることはできず、また、関係各証拠を精査しても、取調べの方法において、強制的手段が用いられたことも認めることができない。

(3) 原告E

<書証番号略>によれば、原告Eは、窃盗事件起訴後である昭和四七年一月六日から東京拘置所に移監される直前の三月三日まで総監公舎事件について取調べを受け、その取調べ日数は二七日であること、取調べ時間については、午後からの出房が一七日あり、午前からの出房もほとんど午前一一時以降であること、帰房時刻もほとんどが午後六時前であることが認められる。右認定事実によれば、取調べ日数・時間の点において、任意の取調べとして許容される限度を超えた違法な取調べが行われたと認めることはできず、また、関係各証拠を精査しても、取調べの方法において、強制的手段が用いられたことも認めることができない。

(4) その他の原告(原告A、同D、同C)

その他の原告三名については、この期間の留置人出入簿が提出されていないが、原告らは、右三名については留置人出入簿が提出できないような過酷な取調べが行われていたものであると主張する。しかし、各原告の公判廷供述を比較するに、原告D、同C及び同Aに対する起訴後取調べが、原告B、同E及びHに対する起訴後取調べに比して、とりわけ過酷であったような事実を推認させる供述は認められず、原告らの右主張は採用することは出来ない。

したがって、右三名に対する取調べ日数・時間を客観的に確定することは出来ないが、右三名に対する起訴後取調べも、原告Bらに対するそれと同様であったと推認されるから、任意の取調べとして許容される限度を超えた違法な取調べが行われたことを認めることはできない。

(三) 自白撤回を防ぐための取調べ

原告らは、原告らに対する起訴後取調べは、自白撤回を防ぐためにのみ行われたと主張するので、以下検討する。

<書証番号略>によれば、原告Bは総監公舎事件起訴後、爆弾入手ルート、原告DとRの関係、事件後のIとの接触状況、Iの立ち回り先などについて取調べを受けていたことが認められる。また<書証番号略>によれば、原告Cは同事件起訴後、原告Dと朝日新聞記者との関係、事件後の森岩弘との接触状況、Pとの関係などについて取調べを受けていたことが認められる。さらに、<書証番号略>によれば、Hは同事件起訴後、爆弾の入手ルート、十月社、原告Dと京都との関係などについて取調べを受けていたことが認められる。以上によれば、右起訴後の取調べにおいては、総監公舎事件の公訴維持に必要な補充的事項や他事件の参考人としての取調べがなされていたものと見ることが可能であり、他に捜査官が自白撤回を防ぐためにのみ起訴後取調べを行ったとの原告らの主張事実を認めるに足りる証拠はない。

12  原告Cに対する分離公判の強要

原告らは、被告Gが原告Cに対して、分離公判を強要したと主張する。しかし、<書証番号略>によれば、原告Cは当時同原告の弁護人を勤めていた中野弁護士と接見し分離公判にするかどうか相談をしたこと、同弁護士から分離公判にした方が公判準備がすぐできるし様子もわかると助言を受けたこと、右助言に加え沖縄恩赦の噂もあったため分離公判を行うことを決心したことが認められ、他に原告らの右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

また、原告らは、被告Gが原告Cの自白撤回を防止するため上申書を作成させたと主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。

13  結論

以上のとおり、火取罪名での取調べを除き、総監公舎事件における警察官の捜査が違法であったとする原告らの主張事実は、これを認めるに足りる証拠がないものといわなければならない。

七  総監公舎事件における検察官の職務執行の違法性

1  警察官の火取取調べに対する検察官の加担

(一) 被告Fによる火取取調べの容認

原告らは、被告Fは原告Bの火取自白直後に、警察官が原告Bらに対し火取取調べを行っている事実を知ったのに、警察に対する適切な指示を行わず、火取罪名で自白を獲得することを容認したと主張するので検討する。

(1) 被告Fが火取取調べを知った時期

<書証番号略>によれば、被告Fは一二月一三日又は一四日ころ、被告Gから原告らの今後の身柄処理について相談を受け、その際、原告Bらが火取罪名で総監公舎事件を自白している旨の事実を知ったことが認められる。

この点、<書証番号略>によれば、被告Gは公判廷において、窃盗の勾留が切れる前後に、今後の相談をするため被告Fに連絡をした旨供述し、弁護人からの「その勾留というのはB君の勾留」との質問を受け、「だと思いますね」と供述していることが認められる。しかし、原告らの窃盗勾留期限は原告Cが一一月二七日、原告Bが一二月八日、原告D、同E及びHが一二月一四日とずれているところ、被告Gのその後の供述経過も合わせ検討すると、同被告の記憶の根拠は「窃盗の勾留が切れる前後」という点にあり、それが誰の勾留かという観点から考えているわけではないことが認められるうえ、今後の身柄処理を検察官に相談するのであれば、原告Dらの窃盗勾留が切れる一二月一四日前後に、これを行うのが自然であるから、被告Gの右供述のうち、弁護人の誘導質問に対する答えの部分は信用性が低く、右認定事実を覆すに足りないというべきである。

また、<書証番号略>によれば、原告Bは一二月九日、被告Fによる窃盗罪名での取調べにおいて、総監公舎事件の自白をしていることが認められ、原告らは、被告Fが警察からの火取自白の連絡を受けて右検察官調べを行ったものであると主張する。しかし、<書証番号略>によれば、被告Fは、右取調べの経緯について、総監公舎事件に使用するために四三二三車を盗んだのではないかを確認するために取調べを行ったところ、思いがけず自白が得られたものであるとし、警察で既に自白していることは知らなかった旨供述していることが認められ、関係各証拠を精査しても、右供述の信用性を否定するに足りる証拠はない。したがって、原告らの右主張事実は、これを認めるに足りる証拠がないものといわなければならない。

以上によれば、被告Fが一二月一三日又は一四日以前に、警察での火取取調べを知っていたとの原告らの主張は理由がない。

(2) 被告Fの被告Gに対する指示

<書証番号略>によれば、一二月一三日又は一四日ころ、被告Gは被告Fに対し、原告B及び同Cが火取罪名で総監公舎事件を自白した旨を連絡し、今後の逮捕状の取り方を相談したこと、これに対し被告Fは、鑑定結果が未了とはいえ捜査の着手は爆取違反でなすべきであることを被告Gに告げ、火取取調べには疑問があり調べるなら爆取違反で調べるべきであると述べたこと、一二月一五日警察は爆取違反容疑で原告ら及びHに対する逮捕状の発付を受けたが、被告Fは、逮捕状を執行する前に、右両名を自ら取調べ直接心証を得ておいた方がよいと考え、異例のことではあったが逮捕状執行に先立ち、久保検察官と手分けをして右両名の取調べを行ったことが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

なお、<書証番号略>によれば、一二月一五日に原告Cの火取員面調書が作成されていることが認められるところ、原告らは、被告Fが被告Gに対し右のような注意を与えたならば、右火取調書が作成されるはずはなく、被告Fは注意をするどころか、警察の違法行為を積極的に容認していたものであると主張する。しかし、後記(二)認定のとおり、被告F及び久保検察官は、一二月一五日に原告B及び同Cを自ら爆取違反容疑で取調べを行っている事実に照らすと、右火取員面調書が存在することをもって、直ちに被告Fが火取取調べを容認したと推認することはできず、他に原告らの右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

(二) 一二月一五日の検察官調べ

(1) 原告らは、一二月一五日の検察官による取調べは、爆取違反容疑者であることを原告Cらに告げないまま、単に火取員面調書を爆取検面調書にリライトしたものであると主張する。そこで、右取調べの経緯について検討するに、<書証番号略>によれば以下の事実が認められる。

被告Fは、被告Gから、原告C及び同Bが火取罪名で自白している旨の連絡を受け、慎重を期するため異例のことではあったが、逮捕状を執行する前に、原告C及び同Bを直接調べ、心証を得たうえで執行の適否を判断することにした。そこで、被告Fは、一二月一五日久保検察官に事情を話し、同人を原告Bの取調べにあたらせ、自分自身は検察庁で原告Cの取調べを行った。そして被告Fが、原告Cに対し、警察では火取で取り調べられているが本件は火取ではなく爆取であること、爆取は刑が重いことを告げ、同原告の注意を十分喚起したうえで新たに供述を求めたところ、同原告は、どういう罪名かは別にしてやったことはやったこととして仕方がないんだと述べ、格別異議も述べないまま調べに素直に応じ、被告Fが個別具体的な質問を行ったのに対し、具体的かつ詳細な自白を行った。被告Fは、右自白を受け、爆取違反罪名でその旨の検面調書を作成し、読み聞けしたところ、同原告は間違いないことを認め、署名・指印した。一方、久保検察官は、麹町警察署において原告Bの取調べを行い、取調べ開始に当たっては、本件は爆取違反に該当する旨告げて同原告の注意を喚起したが、同原告は格別異議も述べないまま素直に取調べに応じ、久保検察官が個別具体的な質問を行ったのに対し、具体的かつ詳細な自白を行った。そこで久保検察官は、右自白を受け、爆取違反罪名でその旨の検面調書を作成し、読み聞けしたところ、原告Bは間違いないことを認め、署名・指印をした。

(2) これに対し、<書証番号略>によれば、原告Bは公判廷において、取調べ中、久保検察官に対し火取に間違いないか尋ねたところ、火取に間違いないとの返事だったこと、検面調書の被疑罪名欄が空欄になっていたので、もう一度念を押したところ火取だと言われたことを供述していることが認められる。また、<書証番号略>によれば、原告Cは公判廷において、被告Fは原告Cに対し質問もせずに員面調書を見ながら勝手に検面調書を作成したこと、検面調書の被疑罪名欄は火取罪名であることを確認したので火取だと思っていたことを供述していることが認められる。

しかし、原告B及び同Cの右のような供述は、地刑二部判決及び高刑一〇部判決のいずれにおいても採用されていないのであり、信用することができない。

(3) なお、原告B及び同Cに対し、爆取罪名により逮捕がなされる前に警察において行われた火取罪名による取調べについては、それを違法と評価すべきことは前記二認定のとおりであるが、右原告両名に対する検察官の取調べは、(1)認定のとおり、右問題点を説明した上で行われたものであり、高刑一〇部判決は、警察において行われた右違法を承継するものではないとして、その任意性を肯定しており(一二丁表)、地刑二部判決も、その取調べに問題があったとは認定しておらず(一三六丁)、また、両判決とも、検察官が警察官の取調べの問題点を指摘し、その是正のための努力をし、任意の供述を得るように努めたことを認定している。

2  警察の違法捜査をカバーするための取調べ

(一) 原告Bに対する取調べ

(1) 員面調書に基づく一方的口述・作文

① 原告らは、久保検察官は、原告Bから供述を求めることをせず、一方的に員面調書に基づいて口述を進め、問題点を発見した場合は勝手な粉飾を施して調書を作成し、同原告に署名・指印を要求したと主張する。

そこで検討するに、原告Bの員面調書と検面調書を比較すると、検面調書には員面調書にはない新規供述や説明の補充が多くあることが認められ、久保検察官が実質的な取調べを行わずに、員面調書の引き写しのみを行っていたとは認めがたい。また、原告Bが公判廷において検察官調べについて供述しているところによっても、久保検察官が原告Bに供述全く求めず、員面調書の引き写しのみをしたことを窺わせる供述はなく、むしろ、久保検察官が一つ一つ質問をするのに対し、原告Bが答える形で検面調書が作成されたことが認められる。さらに、<書証番号略>によれば、原告Bは員面調書で供述していた五月二六日の下見について、検面調書ではこれを否定していることが認められるが、右差異は久保検察官が単に員面調書を引き写していたのではないことを示しているといえる。原告らは、そのほかにも検面調書の記載を縷々取り上げて、員面調書を引き写した結果生じた記載ミスであると主張するが、そのいずれについても、原告らの右主張を認めることはできない。

② また、原告らは久保検察官は調書に勝手な作文をしたと主張するが、原告Bの公判廷供述によっても、同原告が検察官調べに任意に応じたことが認められる。また、<書証番号略>によれば、久保検察官が、他の共犯者の供述との齟齬について原告Bに記憶を質したのに対し、同原告は、自己の記憶に基づいて肯定すべきは肯定し、否定すべきは否定していることが認められるのであるから、同原告はまさに自己の意思に基づいて供述を行っていたと評価しうるところである。なお、原告らは検面調書には不自然・不合理な供述が多々あり、久保検察官が一方的作文をした結果であると主張するが、原告らが指摘供述する供述部分は、いずれも原告Bが自発的に供述している場合におよそありえないような供述内容であるということはできない。

(2) 員面調書の問題点の無視・省略

原告らは、久保検察官は員面調書の信用性に重大な問題があることを知りながら、敢えてその追及を行わず、問題点を無視・省略したと主張するので以下検討する。

① 五月二六日の下見

原告Bは一二月一六日付け員面調書で、五月二六日の下見について供述しながら、一二月二五日付け検面調書では、記憶がないと供述している。原告らは、久保検察官がこの取調べで一六日付け員面調書の記載が小出の一方的な作文であることを知ったにもかかわらず、原因を解明しようともせず、質問を打ち切ったと主張する。

しかし、員面調書と検面調書の違いをもって、久保検察官が小出の一方的作文を知ったとは認められず、他に原告らの右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

② 爆弾の入手先

原告らは、久保検察官は、員面調書に爆弾入手先の男について大ざっぱな印象しか記載されていないことを知っていながら、本件爆弾の入手先を不明にするため、それ以上の追及を行わなかったと主張する。

そこで検討するに、爆弾入手先の男に関する員面調書の記載は、四か月以上前に一度会ったきりの人物に関する特徴を述べたものであり、それが必ずしも不自然なものであるとはいえない。したがって、その後に取り調べた久保検察官が員面調書以上に詳しい特徴を引き出せなかったとしても格別不自然とはいえず、検面調書に員面調書より詳しい特徴が記載されなかったといって、久保検察官が敢えて追及を回避したと推認することはできない。そして、他に原告らの右主張を認めるに足りる証拠はない。

③ 爆弾の構造

原告らは、久保検察官は、一二月二四日付け検面調書を作成した際までに、原告B供述における爆弾の構造や操作方法に重大な矛盾があることに気がついたにもかかわらず、その原因を追及することもなく、問題点を無視したと主張する。

そこで検討するに、<書証番号略>によれば、久保検察官は公判廷において、一二月二四日の時点では、本件爆弾が起爆・誘爆の構造ではないことや原告B供述の操作方法が間違っていることを知らなかった旨供述していることが認められ、右供述の信用性を否定するに足りる証拠はない。そして、他に久保検察官が、原告B供述が客観的事実と矛盾していることを知りながら、これを無視したとの原告らの主張事実を認めるに足りる証拠はない。

④ 曙橋陸橋下の空地

原告らは、久保検察官は、原告Bが一二月二七日に行われた実況見分で待機場所として従来の供述とは違う路地を指示したことを知っていたにもかかわらず、翌二八日の取調べで供述変更を求めることもせず、問題点に触れることを回避したと主張する。

そこで検討するに、一二月二八日の検察官調べの際に、久保検察官が前日の実況見分の結果を知っていたことを認めるに足りる証拠はない。そして、他に久保検察官が実況見分の結果を知りながら、この点について触れるのを回避したとの原告らの主張事実を認めるに足りる証拠はない。

⑤ Qに対する面通し

<書証番号略>によれば、原告Bは昭和四七年一月一二日に、Qに対する面通しを行い、同日作成された検面調書において「大体あの感じでしたが、当時はもう少し老けていたように思います。僕の印象と一致しているのは顔の輪郭と目つきです」と供述していることが認められる。この点について原告らは、右面通し結果はおよそ中途半端なものであり、本件爆弾の入手先を不明に終わらせるために、久保検察官が詳細な追及を避けたことは明らかであると主張する。

しかし、右検面調書の記載内容自体から直ちに、久保検察官がそのような意図をもって面通しに当たったことを推認することはできず、他に原告らの右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

(二) 原告Cに対する取調べ

(1) 一方的な作文

原告らは、被告Fが原告Cの検面調書に、勝手な加筆や歪曲を行ったと主張する。

しかし、<書証番号略>によれば、原告Cは公判廷において、検察官の取調べは紳士的であった旨供述していることが認められ、他に原告らの右主張事実を裏付けるに足りる証拠はない。

(2) 員面調書の問題点の無視・省略

原告らは、被告Fは、原告Cの員面調書の信用性に重大な問題点があることを認識していたにもかかわらず、その原因を追及することをせず、問題点を無視・省略したと主張するので検討する。

① 五月二六日の突然の爆弾謀議

原告らは、五月二六日の爆弾闘争謀議には、不自然な点が多々あるのに、被告Fは全く疑問を差し挟んでおらず、員面調書の信用性をチェックする意図がないことは明らかであると主張する。

そこで検討するに、五月二六日爆弾謀議に関する原告C供述は、原告Aが爆弾闘争に賛成した経緯に関する供述が欠落している以外は一概に不自然ともいえず、この点について被告Fが疑問を差し挟んでいないことが格別不自然とは認められない。また、原告Aが爆弾闘争に賛成した経緯については、まさに原告Cが、一二月二三日付け検面調書において、「Dがなぜこんなことろで突然爆弾のことを言い出したのかよく判りません。(中略)察するところ、Aと一番親しいのはDですから、DとAの間で爆弾を使う話ができていたのではないかと思います」と述べているところであり、右供述は被告Fが原告Cに問い質した結果得られたものである。そして他に、被告Fに員面調書の信用性をチェックする意図がなかったとの原告らの主張事実を裏付けるに足りる証拠はない。

② 四三二三車二重追突事故

原告らは、被告Fが、一二月一三日付け窃盗員面調書添付の四三二三車二重追突事故の状況図に大きな問題があることを知りながら、同月二三日の検察官調べで、その原因を追及することをせず、問題点を無視したと主張する。

しかし、関係各証拠を精査しても、一二月二三日の取調べにおいて、被告Fが、同月一三日付け窃盗罪名の員面調書の状況図が間違っていることを認識しながら取調べを行っていたことを認めるに足りる証拠はなく、他に被告Fが、右問題点を知りながら敢えてその原因追及を回避したとの原告らの主張事実を裏付けるに足りる証拠はない。

③ 爆弾の操作方法

<書証番号略>によれば、一二月二三日付け検面調書には、従前の原告C調書で本件爆弾に関して述べられていた「スイッチを入れると豆電球がつく」との部分と「時間が来ると起爆剤が爆発し、それによって火薬が誘爆する」との部分が記載されていないことが認められる。原告らは、被告Fは、原告Cの従前の供述が本件爆弾の客観的性状と矛盾することを知って、右部分を勝手に省略し、問題点を糊塗しようとしたと主張する。

そこで検討するに、<書証番号略>によれば、被告Fは公判廷において、右調書に豆電球の供述がないのは、原告Cが被告Fの取調べに対し豆電球のことを供述しなかったためであり、被告Fが勝手に省略した事実は全くないこと、訂正調書を作成していないのは、おそらく、その時点で員面調書の問題点に気づいていなかったためであることを供述していることが認められる。そして、関係各証拠を精査しても、被告Fの右供述の信用性を否定するに足りる証拠は存在しないから、同被告が勝手に供述を省略したとの原告らの右主張は採用できない。

④ 一二月一二日付け員面調書の大幅な変更

原告らは、原告Cの一二月一二日付け員面供述が一三日に大きく変遷しているにもかかわらず、被告Fはその原因を追及することもせず、問題点を無視したと主張する。

そこで、検討するに、前記六8(四)(1)のとおり、右供述変更が記憶の混同その他の供述者の事情によりなされたとの見方がなりたちえないのではないのだから、被告Fがこの点を追及していないとしても、同被告が原告C供述の問題点を無視したと認めることはできない。

(三) Hに対する取調べ

(1) 員面調書に基づく一方的口述

原告らは、久保検察官は、Hの口から供述を求めることなく、員面調書を要約して一方的に口述を進め、検面調書を作成したと主張する。

そこで検討するに、Hの員面調書と検面調書を比較検討すると、検面調書には、員面供述の変更、新規供述、員面調書に関する説明の補足等が少なからずあることが認められるから、久保検察官がHから供述を求めることなく、単に員面調書の要約・引き写しのみを行っていたとの事実を認めることができない。したがって、原告らの右主張は採用できない。

(2) 員面調書の問題点の無視・省略

原告らは、久保検察官は、Hの員面調書の信用性・任意性に重大な問題点があることを知っていたにもかかわらず、その原因を追及することをせず、問題点を無視したと主張するので検討する。

① Hの自白理由

原告らは、久保は一二月二一日付け員面調書で述べられていた自白の理由のうち、弁護人解任を強要した事実を示す部分や、一生監獄暮らしである旨の脅迫を行った事実を示す部分や、共犯者の自白を告げて自白を誘導した事実を示す部分を勝手に省略したと主張する。

そこで検討するに、前記認定のとおり、警察官による右違反行為の存在を認めるに足りる証拠がないのであるから、久保検察官が右各記載を故意に省略したとの原告らの主張は、理由がない。

また、原告らは、久保検察官はHが警察で告知義務違反の約束を受けているのを知りながら、その期待を起訴までつなぎ止めようとしたと主張するが、前記認定のとおり、Hが警察で告知義務違反の約束を受けた事実を認めることができないから、原告らの右主張も理由がない。

② H宅で謀議を行った理由

原告らは、久保検察官は、謀議がH宅で行われた理由に関する同人の供述が、不自然・不合理であることを認識しながら、それ以上の追及をせずに問題点を放置したと主張する。

そこで検討するに、前記六8(二)(4)④のとおり、総監公舎事件の謀議がH宅で行われることが、一概に不自然・不合理であるとはいえないのであるから、久保検察官がこの点をさらに追及していないとしても、同検察官がH供述の問題点を放置したと認めることはできない。

③ H宅に爆弾を預けにきた人物

<書証番号略>によれば、Hは、八月四日にH宅に爆弾を預けにきた人物について、一二月二一日付け員面調書では、原告D及び同Cと供述していること、同月二三日付け検面調書では、「預けにきたのはDだけであったように思いますが、Cもいたかもしれません。DはBの車に乗っていたように思います」と供述していることが認められる。原告らは、この点について、久保検察官は、Hの記憶の喚起を図るどころか、後のストーリーの変化に対応できるように出来るだけ曖昧な調書記載方法をしたもので、真実解明の取調べを行っていないことは明らかであると主張する。

しかし、供述調書の記載が曖昧に変更されているからといって、そのことから直ちに、取調官が故意に曖昧な記載にしたとか、真実解明の取調べを行っていないと認めることはできず、他に原告らの右主張事実を裏付けるに足りる証拠はない。

④ 総監公舎事件発生をテレビのニュースで知った経緯

原告らは、久保検察官は、Hが、総監公舎事件発生のニュースを見た時刻を明確に記憶しておらず、事件発生後もアリバイ工作をしていないなど、真犯人の行動としては不自然な供述をしていることを認識しながら、その点の追及を行わず、問題点を回避したと主張する。

そこで検討するに、<書証番号略>によれば、Hは、総監公舎事件発生のニュースを見た時刻について、「昼から午後五時頃までのニュース」「正午のニュース」「朝か昼のニュース」などと供述していることが認められ、明確な記憶は存在しないことが認められる。しかし、自分に関係のある事件についてのニュースであることを考慮しても、四か月以上経過した時点において、ニュースを見た時刻まで正確に記憶していないことが、およそあり得ないと断言できるほど不自然な供述内容であるということはできない。また、Hの供述調書によれば、総監公舎事件発生後、同人がアリバイ工作等を行った事実は窺われないが、<書証番号略>によれば、Hは「私はD君に『私は関係ないからね』と念を押して爆弾闘争から手を引いたつもりでおりました」と供述していることが認められるから、アリバイ工作等を行わなかったことが一概に不自然・不合理であるということもできない。したがって、久保検察官がHの供述に特に疑問を差し挟まなくとも不合理とはいえないのであって、他に久保検察官がH供述の問題点を追及することを敢えて回避したとの原告らの主張事実を認めるに足りる証拠はない。

(四) 原告Eに対する取調べ

前記六8(二)(10)のとおり、原告Eは、一二月二五日付け員面調書において、原告D達の様子が心配で東京に戻ることにしたこと、しかし東京に戻ってくるまで総監公舎事件発生のことは知らなかったことを供述していることが認められる。また、<書証番号略>によれば、検面調書には右員面供述に対応する供述が記載されていないことが認められる。この点について、原告らは、被告Fは、右供述が不自然であることに気づいたにもかかわらず、その原因を追及することもせず、単に供述を省略することで問題点の糊塗を図ったと主張する。

しかし、右員面供述が、およそ現実にありえないと断言できるほど不自然な供述内容といえないことは前記六8(二)(10)のとおりであるから、これが検面調書に記載されていなことをもって、被告Fが故意に問題点を省略したと推認することはできず、他に原告らの右主張を認めるに足りる証拠はない。

(五) 否認主張をする原告Dに対する取調べの懈怠

原告らは、検察官は、否認主張をする原告Dについて、弁解録取手続以外一度も取調べを行わなかったと主張する。しかし、<書証番号略>によれば、久保検察官は弁解録取手続以外にも原告Dの取調べを行ったこと、右検察官調べに対し同原告は全て黙秘で一言も話さなかったことが認められ、右認定に反する証拠はない。なお、原告らは原告Dの検面調書が存在しないことをもって、検察官による取調べの存在を否定するようであるが、完全黙秘であった同原告についての検面調書がないことをもって取調べを行っていないと認めることはできない。したがって、原告らの右主張は理由がない。

3  参考人取調べの違法

(一) 供述内容が事前に把握されている者のみに対する取調べ

原告らは、検察官は供述内容を事前に把握している参考人のみを取り調べ、事前に把握されていない参考人を取り調べることを回避したと主張する。

しかし、原告らが挙げる参考人のうち、井村哲郎、高瀬泰司、T、小川了、Oについては、前記六10(一)(1)のとおり所在不明や接触困難などの理由により、事情聴取を行うことができなかったものであるから、検察官が右各参考人の取調べを回避したとの事実は認めることができない。また、松本和子について考えるに、<書証番号略>によれば、東郷隆興はバスの乗員について「全日本フォークジャンボリー大会に出席するお客さん」と供述していることが認められ、右バスに一般の客が乗車していないのではないかとの疑問を抱くべき状況にはなかったのだから、検察官が、松本を取り調べてバスの乗員を確認すべき必要があったとはいえず、検察官が松本の取調べを回避したとの事実を認めることはできない。したがって、原告らの右主張は理由がない。

(二) 被疑者取調べに先立つ参考人取調べ

原告らは、検察官は一二月二〇日及び二一日に参考人を取り調べたうえで同月二二日から被疑者取調べを行っており、自白を参考人供述でチェックするという意図がなかったことは明白であると主張する。しかし、取調べの日程は、参考人の都合や警察での被疑者取調べとの日程調整等さまざまな要因で決められるものであり、単に参考人調べが被疑者調べに日程的に先行したからといって、検察官に自白をチェックする意図がなかったと推認することはできず、他に原告らの右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

(三) 参考人供述の歪曲等

(1) 杉本洋子

<書証番号略>によれば、杉本は公判廷において、八月七日午前二時ころに同人が目撃した二人連れのうち、背の高い男は髪が短くサラリーマンがやっているような髪型で、髭はなかったことを供述していること、同人の一二月二〇日付け検面調書には、背の高い男に関する特徴が記載されているが、その中に髪型及び髭に関する供述はないことが認められる。そして、原告らは、久保検察官は杉本から、右公判廷供述と同様の供述を得たのに、原告Aと矛盾する右特徴に関する供述を調書に記載することを故意に避けたと主張するが、右主張事実を裏付けるに足りる証拠はない。また、<書証番号略>によれば、杉本の右検面調書には、八月七日に同人が麹町警察署で行った面通し結果に関する記載がないことが認められ、原告らは、検察官は杉本の八月七日付け員面調書を隠蔽する意図で、記憶の曖昧さを強調した検面調書を作成したものであると主張する。しかし、検面調書に右面通し結果の記載がないことをもって、直ちに原告ら主張の意図を推認することはできず、他に原告らの右主張事実を裏付けるに足りる証拠はない。

(2) 関昭夫

<書証番号略>によれば、被告F作成の関の一二月二一日付け検面調書二通のうち、二一丁の調書には、犯人の服装に関する供述はあるものの犯人の人相に関する供述はないこと、三丁の調書には、原告Cに対する面通し結果に関連して「顔付きはよく覚えていないので判断ができません。ただCを上から見降ろすとあごが細くなった逆三角形に見え、これは当時もみ合った犯人の顔の輪郭と一致します」というだけの供述があることが認められる。原告らはこの点について、被告Fは原告Cの特徴と矛盾する関供述の記載を故意に省略したものであると主張している。

そこで検討するに、前記三1(一)(1)のとおり、関と犯人の格闘状況や公舎邸内の照明状態を勘案すれば、関が犯人の人相を明確に記憶していなくとも一概に不自然とはいえないうえ、<書証番号略>によれば、関は公判廷においても、犯人の人相について極めて漠然とした印象しか供述していないことが認められる。したがって、検面調書に犯人の人相に関する記載がないことをもって、被告Fが故意に記載を省略したと推認することはできず、他に原告らの右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

(3) 大木健治

<書証番号略>によれば、大木健治は、被告F作成の検面調書において、以下のように供述していることが認められる。

「私は、八月七日深夜四谷署の起番にあたっていた、午前二時過ぎ、総監公舎事件発生により緊急配備が発令され、二時三四分警ら用無線自動車から四六八〇車発見の連絡が入った。私は所有者照会を担当し、警視庁本部の交通部に照会したところ、持主は双葉自動車販売株式会社であることがわかった。そこで同社の電話番号を調べ、問い合わせたところ原告Bに売られていることが判明し、同原告の電話番号を一〇四番で問い合わせたところ、B名義では見あたらないが同じ番地にB姓の電話があるというので、その電話番号を教えてもらった。二時四〇分ころ、原告B宅に電話をすると、同原告の父が電話に出て息子は外出中である旨答えた。電話をかけてから四分程したところで、原告Bが帰宅し、替わった。原告Bとは三分くらい話し、電話を切った後、通信指令室に報告をした。その記録によると報告開始時間は午前二時五〇分とのことである」

そして、原告らは、右大木供述は原告B宅への架電時間を遅らせる方向での不自然な内容が多く、被告Fは原告Bのアリバイ成立を妨げるために、大木に虚偽の供述をさせて検面調書を作成したものであると主張する。

そこで、右大木供述の内容について検討するに、<書証番号略>によれば、四六八〇車の発見者である加藤顕は、四谷署に贓物照会及び所有者照会を頼んだ五、六分後に、車検証を発見してB名義であることを無線連絡したことが認められ、また、<書証番号略>によれば、大木は加藤からの連絡とは別に所有者照会を行い、その結果に基づいて双葉自動車に連絡を取ったことを供述していることが認められる。そして、車検証による報告があった場合に、それとは別に所有者照会の結果に基づく確認を行うことが一概に不自然・不合理であるということはできない。

次に、弁論の全趣旨によれば、当時原告B宅の電話はB名義で登録されていたことが認められ、一〇四番で問い合わせたら、B名義の電話がなかったとの大木の右検面調書と食い違う。しかし、原告ら主張のように検察官が大木に虚偽の供述をさせたものであるとすれば、このように簡単に調べられる事項について事実と食い違った調書を作成するということがむしろ不自然といえる。

さらに、右検面調書では原告Bが帰宅した客観的時刻が述べられていないが、総監公舎事件に使用されたかもしれない車両の所有者であるということから、直ちに原告Bに嫌疑が及ぶ状況ではなかったのであるから、大木が原告Bが帰宅した際に時刻を確認しなかったことが、およそあり得ないほど不自然であるということはできない。その他にも、原告らは大木の右検面供述には多くの不自然・不合理な点が存在すると主張するが、原告らの指摘するその他の事項も、現実におよそあり得ないといえるほど不自然・不合理な内容とは認められない。

したがって、被告Fが原告Bのアリバイ成立を妨げるため、大木に虚偽の事実を述べさせて右検面調書を作成したとの原告らの主張は、これを認めるに足りる証拠がないものといわなければならない。

(4) 江里重之

原告らは、検察官は、原告B自白の供述変更が江里供述に合わせたものではないとの体裁を整え、八月段階の江里供述をなかったものとするために検面調書を作成したと主張する。

しかし、警察官が原告Bに対し、江里供述をもとにした違法な誘導を行った事実が認められないのは前記六8(四)(5)のとおりであるし、四六八〇車の販売担当者として、江里に対して検察官調べを行う必要性は十分あったのであるから、原告らの右主張は認めることができない。

4  公訴提起の違法性

(一) 原告C、同B及びHの自白の信用性に関する判断

(1) 供述の一貫性

原告C、同B及びHの供述経過は前記六1(一)、2(一)及び3のとおりであり、右三名とも自白後は一貫して具体的かつ詳細な自白を維持したことが認められる。また、右三名の供述には変遷があるものの、本件犯行の基本的部分である八月一日H宅で爆弾闘争を行うことの決定がなされたこと、同月二日右決定に基づき原告C及び同Aが下見を実施したこと、同月三日から四日にかけて、原告B及び同Dが京都へ行き爆弾を入手してきたこと、同月四日H宅で、決行の日取り及び段取りが決められたこと、同月七日原告A運転の車で同Cが総監公舎に向かい、原告Cが公舎内に爆弾を設置したが、発見され格闘のすえ脱出したこと、原告Bは曙橋陸橋下でフローリアンバンに乗って待機し、脱出してきた原告A及び同Cを乗せて逃走したことという各点においては、供述が概ね一貫していたことが認められる。

(2) 供述態度及び任意性

<書証番号略>によれば、原告Bは久保検察官の取調べに対し、素直な態度で質問にも積極的にきちんと答えていたこと、警察での取調べについて抗議等はなかったこと、久保検察官は原告Bの右供述態度及び供述内容からして自白の信用性が高いと判断したことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

また<書証番号略>によれば、原告Cは総監公舎事件での被告Fの取調べに対し、終止一貫して素直に自白したこと、警察の取調べに関して抗議等はなかったこと、被告Fは原告Cの右供述態度及び供述内容からして自白の信用性が高いと判断したことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

さらに<書証番号略>によれば、Hは最初の久保検察官による弁解録取手続の際は否認していたが、一二月二三日の取調べの際には自白し、今まで否認して申し訳なかったと久保検察官に対し謝ったこと、Hから警察での取調べについて抗議等はなかったこと、Hの供述には責任回避的な部分もあったが、自白そのものは間違いないと判断したことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(3) 自白の補強証拠

① 阿佐ケ谷の交通事故

原告Cが、八月七日に原告A宅に爆弾を取りに行った帰り、青梅街道で阿佐ケ谷の交通事故を目撃した旨供述していたこと、右交通事故の存在は客観的に裏付けられていること、原告らは往路で右事故に気づかないのは不自然であると主張するが、右供述が一概に不自然であるともいえないことは前記六8(二)(8)のとおりである。

② 銀閣寺アジト

<書証番号略>によれば、原告Bは、本件爆弾の入手先を、京都の銀閣寺近くにある木造二階建て(階下が八畳、四畳半、三畳位の台所)に住んでいる学生風の男である旨供述し、その詳しい地図を作成していることが認められる。また、<書証番号略>によれば、捜査官の捜査により、原告Bが図示した場所に、同原告が供述したとおりの木造二階建家屋が存在したことが認められる。

③ 関昭夫供述

総監公舎邸内で犯人と格闘した状況についての関昭夫の供述内容は前記三1(一)(1)のとおりである。そして、右供述は前記六8(四)(7)のとおり、原告C供述と基本的な部分で合致している。

なお、関が八月七日付け員面調書で、犯人は頭髪を短く刈っていた旨供述していたことは前記三1(一)(1)のとおりであり、右供述は、長髪の部類に属する原告Cの特徴に矛盾するのではないかとも考えられる。しかし、関は八月一〇日付け員面調書で、犯人の顔を見たのは一瞬で、逃げようともがいていたのではっきりした人相がとれず、短い髪であったと言い切る自信がない旨供述を訂正しており、前記三1(一)(1)認定の公舎内の照明状況や当時の格闘の状況を考えれば、関の当初の供述が原告C供述に矛盾しないと考えても必ずしも不合理な判断とはいえない。

したがって、関の右供述は、総監公舎脱出状況に関する原告Cの供述を裏付けるものとなっていたといえる。

④ 高橋腎蔵供述

高橋腎蔵の供述内容は、前記三1(三)(1)のとおりである。また、<書証番号略>によれば、原告Cは、八月七日深夜原告Aが運転する四六八〇車に原告D及び同Cが乗り、原告A宅近くのガソリンスタンドに寄って給油をしたことを供述していることが認められる。

なお、右高橋供述のうち運転手が原告Cであるとの点は、原告Aが運転していたとの原告C供述と矛盾しているが、右矛盾は高橋の記憶の混同や思い込みによるものと考える余地がないではないから、検察官が、右矛盾を重視しなかったとしても不合理な判断とはいえない。

したがって、高橋の右供述は、原告Cを乗せた四六八〇車が右給油所で給油をしたとの同原告の供述を裏付けるものとなっていたといえる。

⑤ 東郷隆興供述

<書証番号略>によれば、東郷隆興は、八月七日午前一時二〇分ころフォークジャンボリーに参加する客を乗せたバスを表参道から出発させたこと、右出発の直前に古い多摩ナンバーのコロナが来たこと、右コロナは白っぽい感じの金属製ロッカーより若干薄い色だったこと、ナンバー年式は分からないが四六八〇車と同じ型の車であったこと、コロナから何か荷物が降ろされたような気配はあるがどんな荷物かわからないこと、コロナは四〜五分の間停まって国道二四六の方向に発車し、その直後バスも出発したことを供述していることが認められる。また、<書証番号略>によれば、原告Cは八月七日午前二時近くにフォークジャンボリーに行くTらを四六八〇車で表参道まで送り、トランクに入れてあった毛布二枚とテントを降ろしたことを供述していることが認められる。

なお、右東郷供述のうち、コロナ到着時刻が午前一時一五分ころであるとの点は原告C供述と矛盾しているが、半年前の出来事に関する時刻の供述の矛盾を検察官が重視しなかったとしても不合理な判断とはいえない。また、右東郷供述には、人の乗降に関する供述はないことが認められるが、東郷はコロナが停車している間、同車を注視していたものではないのであるから、人の乗降に気づかなくとも必ずしも不自然とはいえず、この点を重視しなかった検察官の判断が不合理であるとはいえない。

したがって、東郷の右供述は、表参道立ち寄りに関する原告Cの供述を裏付けるものとなっていたといえる。

⑥ 本橋ヒデ子・杉本洋子供述

<書証番号略>によれば、本橋ヒデ子及び杉本洋子は、八月七日午前二時ころ、曙橋の東側の靖国通りにある喫茶店「サルビア」の前で、二人連れの男が急ぎ足で駆けて行くところを目撃したこと、そのうち一人は身長一七五センチ位の若い男で、もう一人は身長一六〇センチ前後位の若い男であることを供述していることが認められる。そして、<書証番号略>によれば、原告Cは、総監公舎事件の犯行後、曙橋の東側約二〇〇メートルの地点に四六八〇車を乗り捨て、曙橋陸橋下で待機している原告Bのフローリアンバンまで原告Aと走った旨供述していることが認められる。

なお、杉本が八月七日付け員面調書で供述していると推認される背の高い男の特徴が、原告Aの特徴と矛盾することは前記三2(一)のとおりであるが、前記三2(一)に認定した杉本の目撃状況に照らせば、検察官が、同人の人相に関する目撃供述の信用性を高く評価しなかったことが不合理であるとは一概にいうことできない。

以上によれば、本橋及び杉本の右供述は、曙橋近くでの四六八〇車乗り捨てに関する原告C供述を裏付けるものとなっているといえる。

(二) 四六八〇車の使用

(1) 四六八〇車の本件犯行への使用

関昭夫が目撃した逃走車のナンバーが「多摩四九八〇」であること、事件直後に総監公舎にほど近い場所で、四六八〇車が不審な状態で発見されたことは、前記第二の一4のとおりである。また、<書証番号略>によれば、四九八〇又は四六八〇のナンバーをもつ他の普通乗用自動車の八月七日深夜の稼働状況については不審な点はなかったこと、関が事件発生当時と同時刻・同場所で四六八〇車による目撃実験をしたところ、四六八〇車が六割から六割五分似ているとの供述をしたことが認められ、以上の認定事実によれば、四六八〇車を逃走車両と判断した検察官の判断が不合理であるということはできない。

(2) 四六八〇車と原告らのつながり

① 原告A

<書証番号略>によれば、四六八〇車の所有名義人は原告Bであること、同原告は七月二八日に同車を原告Aに貸し、同原告は少なくとも八月六日午前中まではこれを使用していたこと、同原告は総監公舎事件発生後の警察による事情聴取に対し、同車は同六日夕方新宿コマ劇場裏にキーをつけたまま駐車していたところ盗まれた旨供述したこと、しかし同原告の右供述は不自然な点が多く、盗まれたとの供述は虚偽であると判断されたこと、同原告は本件事件で逮捕された後の取調べにおいても、八月六日以降の同車の使用状況について何らの弁解もしなかったことが認められる。以上の認定事実によれば、八月六日以降も原告Aが四六八〇車を使用していた可能性や、同原告が同原告以外の者による同車の使用に深く関与している可能性があり、この点が原告Aの嫌疑を深めるものであると考えた検察官の判断が不合理であるということはできない。

② 原告C

高橋腎蔵が、八月七日午前零時ころエッソ関町給油所で四六八〇車に給油したこと、同車の乗員の一人が原告Cに似ていることを供述していることは前記三1(三)(2)のとおりである。そしてその後の捜査によっても、午前零時から総監公舎事件発生時刻の午前一時五七分までの間に同原告が同車から降車して総監公舎には至らなかったとの証拠は得られなかったのであるから、検察官が高橋の右供述をもとに、同原告が四六八〇車の最終使用者の一人であるとの心証を深めたことが不合理であるということはできない。

③ 原告B

原告Bが四六八〇車の所有者であること、同原告が原告Aや同Cと親しい友人関係にあること、原告Bは八月七日深夜総監公舎事件発生後に自宅に帰っていること、同原告は同日深夜のアリバイについて原告Cと一緒にいたと述べたことは前記第二の一4及び6のとおりである。そして前記①及び②の事情を合わせ考えれば、以上の認定事実が、原告Bの嫌疑を深めるものであると考えた検察官の判断が不合理であるということはできない。

(三) 結論

以上の認定によれば、原告B、同C、同D、同A及びHについて、総監公舎事件に係る爆取違反被告事件において、有罪と認められる嫌疑があると考えた検察官の判断が不合理であるということはできない。

5  アリバイ潰し

<書証番号略>によれば、Pは昭和四七年二月初旬から中旬まで築地警察署に逮捕・勾留されたこと、被疑事実は印刷屋に日大闘争委員会のパンフレットの印刷を注文し、納入を受けたのに代金を支払わなかったという詐欺事件であること、原告Dが共犯とされていたため麹町警察署が管轄し久保検察官が主任検事となったこと、久保検察官は詐欺事件について調べる一方、総監公舎事件のアリバイ関係についても事情聴取を行ったこと、釈放後の同年二月一九日に久保検察官はPを呼び出し事情聴取を行った結果、同人は昭和四六年八月に原告らに会った事実はないことを供述したことが認められる。原告らは、検察官は原告Cらのアリバイを潰すために、別件をでっち上げてPの身柄を拘束し、虚偽を認めさせたと主張するが、関係各証拠を精査しても、原告らの右主張を裏付けるに足りる証拠はなく、右主張を認めることはできない。

6  爆取起訴後の取調べの違法性

(一) 原告Cに対する取調べ

<書証番号略>によれば、原告Cは昭和四七年二月四日に被告Fの取調べを受け、参考人調書を作成されていることが認められる。原告らは、右調書は何らの新味もないものであり、被告Fが自白撤回を防ぐための説得を行うために取調べを行った事実は明らかであると主張する。

そこで検討するに、<書証番号略>によれば、右調書の内容は、昭和四七年一月二日付け及び四日付け員面調書等に述べられている内容と重なる部分が多いことが認められるが、同一内容の員面調書があることをもって検察官が取り調べる必要性がなかったと認めることはできない。また、原告Cの公判廷供述によっても、被告Fの取調べにおいて自白撤回を防ぐための説得が行われた事実は認められない。したがって、原告らの右主張は理由がない。

(二) 原告Eに対する取調べ

<書証番号略>によれば、原告Eは、昭和四七年一月二〇日及び二二日に被告Fの取調べを受け、爆取違反の被疑者検面調書を作成されていることが認められる。原告らは、被告Fは何ら新味のない爆取違反の被疑者調書を作成することで、原告Eに対し、まだ総監公舎事件での起訴があり得ることを匂わせて、自白撤回への牽制をしたものであると主張する。

しかし、<書証番号略>によれば、原告Eは、右時点では起訴はされていなかったものの、中止未遂の成否に絡んで未だ被疑者の地位にあったことが認められるのであるから、被疑者調書が作成されるのは当然であり、そのことをもって自白撤回への牽制をしたと認めることはできない。また、右検面調書の内容は、概ね以前の員面調書に記載されている内容であるが、同一内容であることをもって取調べの必要性がないとはいえない。そして、<書証番号略>によれば、原告Eは公判廷において、被告Fから「お前は確実にこれは執行猶予だから認めておくんだな」と念を押された旨供述していることが認められるが、被告Fはこれを否定する供述を行っており、他に原告Eの右供述を裏付けるに足りる証拠はないので、原告らの右主張は、これを認めるに足りる証拠がないものといわなければならない。

(三) Hに対する取調べ

<書証番号略>によれば、Hは、昭和四七年一月二四日、被告Fの取調べを受け、検面調書を作成されていることが認められるが、原告らは、右検面調書は意味に乏しいもので、被告Fが自白撤回を牽制する意図で右取調べを行ったものであると主張する。

しかし、<書証番号略>によれば、被告Fは公判廷において、Hに自白を撤回する様子が窺われたので、一二月二二日付け員面調書を検面調書に取り直すために右取調べを行った旨を供述していることが認められ、右供述の信用性を否定するに足りる証拠はないから、取調べの必要性がなかったとは認められない。また、<書証番号略>によれば、Hは公判廷において、被告Fから「Cは自分でやるようだ。お前も早く認めた方がいいんじゃないか」と言われた旨供述していることが認められるが、関係各証拠を精査しても、右供述を裏付けるに足りる証拠はない。したがって、原告らの右主張事実は認めるに足りる証拠がない。

7  原告らの移監時期の遅れと代用監獄の活用

原告らは、被告Fは、爆取起訴後も原告ら及びHを代用監獄に留め置き、虚偽自白の撤回を防ぐために拘置所への移監を故意に遅らせたと主張する。

そこで検察官の移監請求義務の有無について検討するに、刑事訴訟規則第八〇条第一項は「検察官は、裁判長の同意を得て、勾留されている被告人を他の監獄に移すことができる」として検察官に移監請求権があることを定めているが、右規定から検察官に移監請求義務が課されていると解することはできない。したがって、これを前提とする原告らの主張は採用できない。

8  結論

以上のとおり、検察官が総監公舎事件の捜査及び公訴提起において、違法な職務執行を行ったとの原告らの主張は、理由がない。

八  犯人蔵匿事件における検察官の職務執行の違法性

1  有罪判決を得る見込みのない公訴提起の違法性

(一) 原告Aが、私宅に宿泊させた者が「罰金以上の刑に該る罪を犯したる者」であることを認識していたかどうか

(1) 原告Aの真岡事件に対する知識・関心

<書証番号略>によれば、二月一七日真岡事件が発生したこと、三月二日警視庁は同事件の犯人として、京浜安保共闘の構成員であるK、J、Lらを全国に指名手配したこと、指名手配に伴って、新聞及びテレビ等で全国的に右の人物らの写真が発表・報道されたこと、警視庁では三月及び五月に右写真入り手配書計数十万枚を全国に配布、掲示したことが認められる。また、<書証番号略>によれば、原告Aは当時、政治経済や社会関係の記事を取材して、週刊現代等に記事を入れるジャーナリストであったこと、同原告は四月末ころ、原告Dに頼まれて京浜安保共闘の構成員である大槻節子らを二、三日自宅に宿泊させたこと、六月二〇日ころLは右大槻とともに原告A宅を訪れたが同原告は不在で、同原告の妻に再訪する旨告げて辞去したこと、六月二五日ころLがKら三名を伴って同原告宅を再訪したことが認められる。

そして以上によれば、当時、真岡事件及びその指名手配犯人についてはマスコミや警察等で大々的に取り上げられていたところ、原告Aはジャーナリストであったうえ、個人的にも京浜安保共闘と一定の関わりを有していたのであるから、同原告が、真岡事件の概要、指名手配犯人の特徴・経歴、京浜安保共闘の組織・構成などについて関心を持ち、相当程度の知識を有していたであろうと考えた警察官の判断が不合理であるということはできない。

(2) Mの供述

① Mの供述内容

<書証番号略>によれば、Mは、原告A宅での状況について、「Aの帰宅後、Kが『前にお宅にお世話になったうちの組織の女の子から逃亡ルートを持っていると聞いたがどうか』と聞くと、Aは『誰かと間違っているのではないか、私は全く知らない』と答えた。その後、Aから京浜安保の現状について聞かれた。そしてAから『警察から指名手配を受けたりしているのにうまく身を隠しているがどうやっているのか』と聞かれ、Kは『根拠地を設けて着々と闘争の準備を進めている』などと答えていた。その後週刊誌の話になり、Kが『朝日ジャーナルに赤軍とRGと京浜安保の対談記事が載っているが、私の組織の方からは誰も派遣していない。でっち上げではないか』と言う趣旨の話をすると、Aは『朝日ジャーナルの場合はでっち上げというようなことはないだろう』と答えた。さらにKは『色々な週刊誌が自分のことを中傷して記事にしているが、女性を蔑視するようなことで、組織闘争の場合自分は女性とは思っていない。これが非常に腹が立つ。』というようなことを言ったが、Aはこれに対して黙っていた。このような会話からも、Aは当時名前こそ出していないが、相手が警察から真岡事件で指名手配されている京浜安保のKやJだということはよく分かっていたはずだと思う」旨供述していることが認められる。

② M供述の信用性

そこで、Mの右供述の信用性について検討するに、Mは原告Aと何らの利害関係もなく、敢えて同原告に不利な供述をするなどの動機がないこと、Mらが同原告宅に宿泊してから供述時まで一年程度が経過しているが、Mの供述は具体的であること、<書証番号略>によれば、朝日ジャーナル昭和四六年五月二一日号には京浜安保とRGの対談記事が、週刊現代昭和四六年三月二五日号には「京浜安保共闘女隊長Kの男遍歴」と題する記事が掲載されていることが認められ、Mの右供述は客観的事実に裏付けられていること、<書証番号略>によれば、Lも同原告は相手が京浜安保の上層部の者だということは分かっていたと思う旨や朝日ジャーナルの話題ができたことを供述していることが認められ、M供述はL供述により一部裏付けられていることからすれば、Mの右供述の信用性が高いと考えた検察官の判断が不合理であるということはできない。

なお、原告らは、M供述によれば、原告Aは自分が編集に関わっている週刊現代の記事のことが話題に出たのに何も発言しなかったことになり、極めて不自然であると主張する。しかし、前記①の供述内容によれば、Kは「色々の週刊誌」と述べただけで「週刊現代」と特定したわけではないのだから、原告AがKが問題にしている記事に反論しないのも不思議ではなく(<書証番号略>によれば原告Aは実際に週刊現代のKの記事を知らなかった旨供述していることが認められる)、右供述内容が不自然であるとはいえない。したがって、右供述内容をもってM供述の信用性を否定的に解さなかった検察官の判断が不合理であるとはいえない。

また、<書証番号略>によれば、Lは「週刊誌にKの記事があるとか、その記事が女性蔑視だとかいう話は出なかったと思う」と供述していることが認められるが、同号証によればLが原告A宅にいたのは二時間程度であること及びLの右供述は一年以上前の出来事に関するものであることが認められるから、Lの右供述をもってM供述の信用性を否定的に解さなかった検察官の判断が不合理であるということはできない。

さらに原告らは、検察官がMの記憶の不明確さにつけこんで週刊誌の話題が出た旨の供述を押しつけたとか、M自身の訴追を免除することと引き替えに捜査側に有利な供述を誘導した等と主張するが、関係各証拠を精査しても、検察官がMに対して供述の押し付け・利益誘導その他の違法な取調べを行った事実を認めるに足りる証拠はない。

(3) Kらの偽名や変装

<書証番号略>によれば、Kらは当時変装をしており、かつ、原告A宅では偽名を名乗っていたことが認められる。そこで、Kらの変装及び偽名をもって原告Aの認識を否定的に解すべきであったかを検討するに、まず変装に関しては、<書証番号略>によれば、五月下旬にKらを宿泊させたUが「K、Jは指名手配の写真と実物があまり変わらない」と言っていたことが認められ、その他にKらが原告A宅を訪れた際どのような変装をしていたかを窺わせる証拠は存在しないから、Kらが変装していたことを重視しなかった検察官の判断が不合理であるということはできない。また、偽名を名乗ったことについて検討するに、当時過激派組織の構成員が組織名を使用することは何ら特異なことではなく、指名手配の名前と異なる名前を名乗ったからといって、違う人物であるとの推認が働く状況ではなかったのだから、Kらが偽名を名乗ったことを重視しなかった検察官の判断が不合理であるということはできない。

(4) 結論

以上のとおりであるから、原告Aは自宅に宿泊させた相手が「罰金以上の刑に該る罪を犯した者」であることを認識していたと考えた検察官の判断が不合理であるということはできない。

(二) 原告AがKらを宿泊させたことが、刑法一〇三条にいう「蔵匿」行為にあたるかどうか

刑法一〇三条にいう「蔵匿」とは、官憲の発見・逮捕を免れるべき隠匿場を供給することをいうと解される。そこで、原告A宅に一泊させた行為が「官憲の発見・逮捕を免れるべき隠匿場の供給」にあたるか否かを検討するに、<書証番号略>によれば、原告A宅のある幡ケ谷マンションは京王線幡ケ谷駅の西方約六〇〇メートルの住宅街に位置していること、同原告宅は同マンションの一階であること、同マンションのベランダ側は約八メートルの公道に面していること、ベランダと公道の間には1.48メートルのブロック塀があること、部屋の中には1DKでドアを開ければ中が見通せる構造であることが認められる。しかし、そのような状況であるとしても、右マンション内の自宅に一泊させた行為が「官憲の発見・逮捕を免れるべき隠匿場の供給」にあたると考えた検察官の判断が不合理であるということはできない。

なお、原告らは、同条の「蔵匿」に該るためには、単に宿泊場所を提供するだけでは足りず、積極的にかくまう行為が必要であるとし、突然押しかけられて断りきれず一泊させたという本件の場合には「蔵匿」に該らないと主張する。しかし、蔵匿者がどのような経緯でどのような意思で隠匿場を供給したのかは、刑事司法の機能を妨げるという本罪の法益侵害結果とは関係がなく、「蔵匿」の要件を判断するにあたって、そのような事情を考慮する必要はないとの考え方も成り立ちうるところであるから、右事情を考慮せずに、宿泊場所の提供をもって「蔵匿」に該ると解した検察官の判断が不合理であるということはできない。

(三) 結論

以上の認定によれば、検察官が、原告Aについて犯人蔵匿罪で有罪と認められる嫌疑があると考えたことが不合理であるということはできず、原告らの主張は理由がない。

2  公訴権の濫用

<書証番号略>によれば、原告A及びその弁護人は、地刑二部の刑事審において、同原告に対する犯人蔵匿罪での起訴は公訴権の濫用である旨主張したこと、地刑二部判決は右主張に沿った判断をしなかったことが認められる。そして右経緯を踏まえて、さらに、本件訴訟において、関係各証拠を検討しても原告Aに対する犯人蔵匿罪の起訴が公訴権濫用にあたるとの事実を認めることはできない。したがって、この点に関する原告らの主張は採用することができない。

九  窃盗事件、総監公舎事件及び犯人蔵匿事件の公訴追行上の違法性

1  証拠の隠匿

原告らは、検察官は原告らに有利な証拠を隠匿・隠滅したもので、右行為は検察官に課せられた真実追求義務に違反する違法行為であると主張する。

そこで、検察官が手持ち証拠について証拠を開示する義務があるか否かを検討するに、検察官は証拠調べを請求する意思のない証拠についてまで被告人又は弁護人に閲覧させるべき義務はないと解される(昭和三四年一二月二六日最高裁第三小法廷決定参照)。ただし、裁判所は、証拠調べの段階に入った後、弁護人から開示を必要とする具体的理由を示して、一定の証拠を弁護人に閲覧させるよう検察官に命じられたい旨の申出がなされた場合、事案の性質、審理の状況、閲覧を求める証拠の種類及び内容、閲覧の時期、程度及びその方法、その他諸般の事情を勘案し、その閲覧が被告人の防御のため特に重要であり、かつこれにより罪証隠滅、証人威迫の弊害を招来するおそれがなく、相当と認めるときは、その訴訟指揮権に基づき、検察官に対し、その所持する証拠を弁護人に閲覧させるよう命ずることができる(昭和四四年四月二五日最高裁第二小法廷決定参照)。

したがって、裁判所が開示命令を出したにもかかわらず、検察官がこれを無視して証拠を隠匿した場合には、右行為は当然違法との評価を免れないが、裁判所が開示命令を発していない場合には、検察官が手持ちの証拠を開示しないことが違法であるということはできないのであって、本件の公判廷で検察官が手持ち証拠を開示しなかったことが違法であると認めることはできない。したがって、原告らの右主張は理由がない。

2  弁護人側証人に対する威迫等

原告らは、検察官は、公判の最終段階にいたって、弁護人側アリバイ証人等に対して、偽証罪をちらつかせながら証言の変更を迫ったり、嫌がらせや、営業妨害活動を行ったと主張する。

そこで検討するに<書証省略>によれば、捜査官が本件各事件の係属中に、原告Bの隣家居住者である倉持鉦作、中尾葉子(旧姓国分)、同女の両親、辻塚智子の通院患者、山瀬一裕、井村哲郎、大森康夫、森川健一に対し補充捜査を行ったことが認められる。しかし、地刑二部判決においても高刑一〇部判決においても、右補充捜査が違法であることの指摘はなく、他に右補充捜査が違法であることを裏付けるに足りる証拠はない。

3  公判の引き延ばし

原告らは、検察官はいたずらに意味のない書証を羅列して追加請求を繰り返し、公判の引き延ばしを画策したと主張する。しかし、関係各証拠を精査しても、検察官が意味のない証拠を請求して公判の引き延ばしを図ったことを認めるに足りる証拠はない。

4  結論

以上のとおり、検察官が窃盗事件、総監公舎事件及び犯人蔵匿事件の公判追行上において、違法な職務執行を行ったとの原告らの主張は理由がない。

一〇  被告東京都が賠償すべき原告らの損害

原告B及び同Cに対する前記二認定の違法行為によって原告らに生じた損害について判断する。

1  財産上の損害

被告Gが一二月七日に原告Bに対して行った火取違反の罪名による取調べ及び西海が一二月一二日に原告Cに対して行った火取違反の罪名による取調べは、前記二認定のとおり違法と評価されるものであり、被告Gらには右違法な取調べを行うについて過失があったものと認められる。

この取調べにつき、検察官は前記七1認定のとおり、一二月一三日又は一四日ころ、原告B及び同Cが火取違反の罪名により総監公舎事件を自白している旨の連絡を受け、問題があると感じ、逮捕前である一五日に、自ら本件が爆取違反の罪名による取調べであることを示して原告B及び同Cを取り調べ、右自白のとおり間違いない旨確認し、その上で、爆取違反の被疑事実により原告らを逮捕することを指示している。爆取違反の被疑事実により原告らを逮捕した後は、警察においても右問題点が認識され、以後の取調べは爆取違反の罪名を明示してなされている。そして、検察官による取調べについては、高刑一〇部判決は、その任意性を肯定しており、地刑二部判決も、その取調べに問題があったとは認定しておらず、また、両判決とも、検察官が警察官の取調べの問題点を指摘し、その是正のための努力をし、任意の供述を得るように努めたことを認定している。その後、原告Bは第一回公判期日において、総監公舎事件への関与を否定する供述をし、この供述を基礎として裁判手続が進められたが、一方、原告Cは、第一審の公判廷において右自白と同趣旨の供述をして実刑の有罪判決を受けた後に、控訴審において右自白の内容を否定する供述に転じている。

原告らについての爆取違反の被疑事実については、原告B及び同Cの自白調書以外にも、現場に遺留された本件爆弾並びに前記七4(一)(3)及び同(二)認定のような関係証拠があったものである。

以上の認定事実に基づいて、前記違法行為により原告らが被った損害について検討すると、原告B及び同Cの火取自白調書の存在が一つの重要な証拠となって原告らは爆取違反の被疑事実について逮捕されたものであるが、右被疑事実については、それ以外にも右関係証拠があり、また、検察官は本件が爆取違反の罪名による取調べであることを示して原告B及び同Cを取り調べ、右自白調書と同様の供述を得たものである。さらに、原告Cの右自白調書と大略同趣旨の公判廷における供述は、任意性の高い自由意思に基づく供述として、他の原告らが無罪判決を得るのを困難とする方向に働いたものである。

したがって、原告B及び同Cの火取自白調書は、検察官による起訴の判断及びその後の裁判所における審理に影響を与えたものの、右自白調書作成に際しての前記違法行為と原告ら主張の財産上の損害との間に相当因果関係があるとまで認めることはできない。

2  慰謝料及び弁護士費用

次に、前記違法行為によって原告らが被った精神的損害に対する慰謝料の額について判断する。なお、弁護士費用を要したことは、右慰謝料の判断要素に含めて考慮することとする。

(一) 原告Bの慰謝料の判断要素

前記違法行為は原告B及び同Cに向けられたものであり、その意味で、原告B及び同Cの前記違法行為による精神的苦痛は他の原告らに比して大きかったものといえる。しかし、原告Bは、これに先立つ一一月二九日に自動車の窃盗事件についても自白している。これは後に無罪となったことからすると、虚偽の自白ということになり、しかも、前記四認定のとおり、右自白に関し捜査官による違法な取調べの存在を認めるに足りる証拠はない。そして、原告Bは、一二月七日に総監公舎事件への関与を認めた後、一二月一五日に検察官から右事件については爆取違反の罪名となる可能性があることを説明され、爆取違反の罪名で供述を求められたにもかかわらず、自白を維持し、その後起訴に至るまで、裁判官による勾留質問や検察官の取調べにおいても無罪の主張をしていない。これらの事実を合わせ考えると、原告Bが総監公舎事件への関与を認める自白をしたことについては、自らの意思の寄与もあるものといわざるをえない。

このような事実と、総監公舎事件に関する原告B及び同Cの警察での自白調書以外の関係証拠の存在及び前記違法行為の態様を考えると、前記違法行為によって原告Bが被った精神的損害につき被告東京都に支払を命ずべき慰謝料(弁護士費用を含む。以下同じ)の額は、六〇万円をもって相当と認める。

(二) 原告Cの慰謝料の判断要素

原告Cは、原告Bと同様に、検察官に対し総監公舎事件への関与を認める自白をしているが、検察官において右自白調書を取る際に違法と認められる行為が存しなかったことは前認定のとおりである。また、原告Cは自動車窃盗事件について、原告Bらが自白するのに先立つ一一月二二日、犯行を自供しており、捜査官が右自白調書を取る際に違法と認められる行為が存したとの事実を認めるに足りる証拠が存しないことは前認定のとおりである。しかも、原告Cは、弁護人が付いた後であり、任意の供述が可能である第一審裁判の公判廷においても右自白を維持して第一審の有罪判決を受けているのであり、また、総監公舎事件に関する警察段階での原告B及び同Cの火取罪名での取調べについては前記違法行為があったものの、原告Cが総監公舎事件への関与を認める自白をしたことについては、原告B以上に自らの意思が寄与していたものといわざるをえない。

このような事実と、総監公舎事件に関する原告B及び同Cの警察での自白調書以外の関係証拠の存在及び前記違法行為の態様を考えると、前記違法行為によって原告Cが被った精神的損害につき被告東京都に支払を命ずべき慰謝料の額は、五〇万円をもって相当と認める。

(三) 原告A及び同Dの慰謝料の判断要素

原告A及び同Dは、総監公舎事件への関与を一切否定しているにもかかわらず、右事件について起訴されたものであり、原告B及び同Cの火取罪名での自白調書の存在が右逮捕、勾留及び起訴についての判断に寄与する一つの大きな要素となったものといえる。しかし、右公判においては、原告B及び同Cの右自白調書のほかにも、前認定のとおり関係証拠が存在し、これが争われたものであり、また、原告Cは、第一審の公判廷においても総監公舎事件への関与を認めた右自白調書と同趣旨の供述をしたものであり、これは公判廷での供述であっただけに信用度の高い一つの重要な証拠とみられたものである。

このような事実関係を総合的に勘案すると、前記違法行為によって原告A及び同Dが被った精神的苦痛につき被告東京都に支払を命ずべき慰謝料の額は、各八〇万円をもって相当と認める。

(四) 原告Eの慰謝料の判断要素

原告Eは総監公舎事件について起訴されていない。そして、同原告が右事件について逮捕、勾留されたことについて、原告B及びCの火取罪名での自白調書以外に関係証拠があったこと等も勘案すると、前記違法行為によって原告Eが被った精神的苦痛につき被告東京都に支払を命ずべき慰謝料の額は三〇万円をもって相当と認める。

3  結論

以上のとおりであるから、原告らの被告東京都に対する国家賠償法一条に基づく損害賠償請求は、慰謝料として、原告A及び同Dについては各八〇万円、原告Bについては六〇万円、原告Cについては五〇万円、原告Eについては三〇万円及びこれらに対する不法行為の日である一二月七日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容し、その余は理由がないから棄却すべきである。

一一  被告国、同F及び同Gの損害賠償責任

検察官の行為が違法であったことを認めるに足りる証拠はないから、原告らの被告国に対する損害賠償請求は理由がない。

国又は公共団体の公務員がその職務を行うについて、故意又は過失によって違法に他人に損害を加えた場合には、国又は公共団体が被害者に対して損害賠償責任を負い、当該公務員個人は直接被害者に対して損害賠償責任を負うものではないから、原告らの被告F及び同Gに対する損害賠償請求も理由がない。

三 結論

以上のとおり、原告らの被告東京都に対する請求は、損害賠償として、原告A及び原告Dにあっては各八〇万円、原告Bにあっては六〇万円、原告Cにあっては五〇万円、原告Eにあっては三〇万円並びにこれらに対する昭和四六年一二月七日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による金員の支払を求める限度で理由があるから認容し、その余は理由がないから棄却し、原告らの被告国、同F及び同Gに対する請求はいずれも理由がないから棄却すべきである。なお、原告らの昭和六三年六月七日付け文書提出命令の申立ては、必要性がないこととなったものと認められるから、これを却下することとする。また、認定事実の内容、認容額等に照らし、右請求認容の部分に仮執行の宣言は付さない。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官園尾隆司 裁判官永井秀明 裁判官渡邉千恵子)

別紙逸失利益計算書<省略>

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