東京地方裁判所 昭和61年(ワ)671号 判決 1987年7月10日
第七四六三号事件原告・第六四二八号事件被告・第六七一号事件反訴原告 モンサント・カンパニー
第七四六三号事件被告・第六四二八号事件原告 ストウファー・ジャパン株式会社
第六四二八号事件原告・第六七一号事件反訴被告 ストウファー・ケミカル・カンパニー
主文
一 被告ストウフアー・ジヤパンは、別紙目録(一)記載の物件を製造し、輸入し、使用し又は譲渡してはならない。
二 被告ストウフアーは、前項記載の物件を製造し、使用し又は譲渡してはならない。
三 被告らは、第一項記載の物件につき、財団法人日本植物調節剤研究協会をして除草剤としての薬効、薬害、残留性に関する試験をさせてはならない。
四 被告らは、第三項記載の試験結果を資料に用いて、農薬取締法の定める農薬登録申請をしてはならない。
五 被告らはその所有する第一項記載の物件を廃棄せよ。
六 被告らの請求をいずれも棄却する。
七 訴訟費用はすべて被告らの負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 原告
主文同旨
二 被告ら
1 原告は、被告らに対し、原告の有する登録第一〇七五一三一号の特許権に基づき別紙目録(二)記載の物件の製造・販売又は試験の差止めを求める権利を有しないことを確認する。
2 原告の請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用はすべて原告の負担とする。
第二当事者の主張
〔甲、丙事件〕
一 原告の請求の原因
1(一) 原告は、次の特許権(以下、「本件特許権」といい、その特許発明を「本件発明」という。)を有する。
特許番号 第一〇七五一三一号
発明の名称 除草剤
出願日 昭和四六年一〇月二二日
優先権主張日 一九七一年三月一〇日、同年八月九日(いずれもアメリカ合衆国への特許出願に基づく。)
公告日 昭和五六年二月一〇日
登録日 昭和五六年一一月三〇日
(二) 本件発明の特許出願の願書に添附した明細書(以下、「本件明細書」という。)の特許請求の範囲(以下、「本件特許請求の範囲」という。)の記載は、次のとおりである。
「一般式
〔式中、Rは
―OH、
―NR4R5(式中R4およびR5は、各々水素原子、低級アルキル基、低級ヒドロキシアルキル基および低級アルケニル基からなる群から選択されるか、あるいはそれらが結合する窒素原子と共にモルホリノ基、ビペリジル基またはピロリジル基を形成する)、
―OR3(式中R3はアルキル基、シクロヘキシル基、ハロ低級アルキル基、低級アルケニル基、低級アルコキシ低級アルキル基、ハロ低級アルコキシ低級アルキル基、低級アルコキシ低級アルコキシ低級アルキル基およびフエノキシエチル基からなる群より選択される)および
―OR6{式中、R6は、アルカリ金属、アルカリ土類金属、銅、亜鉛、アンモニウム、有機アンモニウム(但し、上記有機基がアリール基である場合には、このアンモニウム塩は第一級アミンである)およびそのような塩の混合物の陽イオンからなる群より選択される塩形成陽イオンである}
からなる群より選択され、そして、
R1およびRは、
各々
―OH、低級アルコキシおよび―OR6(R6は前記の意味を有する)からなる群より選択される(但しR、R1およびR2の2個より多くは、低級アルコキシであることはできず、R6がアンモニウムあるいは有機アンモニウムである場合には、R、R1およびR2の2個より多くは―OR6ではない)〕
の化合物、ないし上式の化合物の強酸塩(式中、R、R1およびR2は―OHであり、この強酸は、二・五あるいはそれ以下のpkを有する)を有効成分としてなることを特徴とする除草剤。」
2 本件特許請求の範囲に記載されている一般式において、R、R1、R2にすべて―OHを選んだ左記構造式で示される化合物は、N―ホスホノメチルグリシンなる化学名で呼ばれ、一般名をグリホサートと称される物質である(以下、「グリホサート」という。)。本件発明の化合物として、グリホサートを選択した場合、本件発明の要件は、「グリホサートを有効成分としてなることを特徴とする除草剤」となる。
3 被告らは、別紙目録(一)記載の除草剤(以下、「被告除草剤」という。)の製造、輸入、使用、譲渡を開始すべく(ただし、被告ストウフアーについては輸入を除く。以下同じ。)、被告除草剤について農薬取締法二条による農林水産大臣の農薬の登録を得るため、登録申請に必要な除草剤としての薬効、薬害、残留性に関する試験を訴外財団法人日本植物調節剤研究協会(以下、「訴外協会」という。)に委託し、被告除草剤の製造、輸入、使用、譲渡の準備を進めている。また、被告ストウフアー・ジヤパンは、既に右試験遂行のために被告除草剤を輸入し、訴外協会による右試験において被告除草剤を使用させている。
4(一) 本件特許請求の範囲に記載の一般式に包含されるグリホサート以外の化合物は、一般式におけるR、R1及びR2の定義から明らかなようにすべてグリホサートの誘導体である。本件特許請求の範囲には、前記一般式と共に、グリホサートの強酸塩(この強酸は、二・五以下のpkを有する。)が、本件発明の除草剤の有効成分として掲げられているが、このグリホサートの強酸塩も、グリホサートの誘導体に属する。したがつて、本件発明の除草剤の有効成分は、グリホサートとグリホサートの誘導体とに大別される。
本件発明には二つの技術的態様が含まれている。第一は、グリホサートという化合物が強力な除草作用を示すという新しい知見に基づいて、グリホサートそのものを除草剤の有効成分として用いるということであり、第二は、グリホサートはこれを誘導体の形に導いても除草作用が失われず、しかもそれらの多くは水溶性に富み、除草剤としての実用性を高めるという知見に基づいて、グリホサートの誘導体を除草剤の有効成分として用いるということである。
(二) 被告除草剤は、別紙目録(一)記載のとおり、グリホサートをトリメチルスルホニウム塩の形にしたものの水溶液からなる除草剤であつて、水溶液中において次のように解離する。
〔式I〕
本件発明の除草剤は水溶液の形態をとりうる(本件明細書の実施例I参照)が、グリホサートは、水溶液中において次のように解離する。
〔式II〕
式Iと式IIとを比較すると、被告除草剤中にも、本件発明の除草剤たるグリホサートの水溶液中にも、共に、グリホサートイオン(前記各式の陰イオン)が存在していることが明らかである。そして、グリホサートの水溶液が除草剤として作用するのは、水溶液中のグリホサートイオンに基づいている。右から明らかなように、被告除草剤は、本件発明において、グリホサートを有効成分として用い、これを水溶液の形態とした除草剤と同じく、グリホサートイオンを含む水溶液であり、被告除草剤には本件発明の除草剤の有効成分がそつくりそのまま含まれている。
(三) 被告除草剤は、約二九・一パーセントのグリホサートイオンと約一五・一パーセントのトリメチルスルホニウムイオンとからなる水溶液である。グリホサートイオンとトリメチルスルホニウムイオンとの右含量は、モル比に換算すると、約一対一・一三となる。
ところで、本件明細書の詳細な説明には、「本発明の除草剤組成物は、少くとも一種の活性物質および佐薬を液体あるいは固体の形態で含有する。」(別添特許公報(以下、「本件公報」という。)一六頁三二欄五行ないし七行)及び佐薬の例として、「希釈剤、増量剤」(本件公報一六頁三二欄八行)、「表面活性剤」(同欄二六行)、「肥料、除草剤および植物生長調整剤、殺虫剤」(同一七頁三四欄一行)、「分散剤、懸濁剤および乳化剤」(同一六頁三二欄二九、三〇行)等、種々のものが例示されている。
そこで、除草剤の有効成分としてグリホサートを、佐薬としては、除草効果を有し、他の除草剤とも併用しうるものとして本件発明の優先権主張日に公知のトリメチルスルホニウムイオンを生ぜしめる化合物である水酸化トリメチルスルホニウムを選択し、両物質を水に加えて混合し、水溶液としたものは、「グリホサートを有効成分としてなることを特徴とする除草剤」との要件を充足し、本件発明の除草剤に当たることは明らかである。そしてこの水溶液の組成は、水とグリホサートイオンとトリメチルスルホニウムイオンとからなつており、しかも両化合物を水に添加する割合を調節することにより両イオンのモル比を被告除草剤と同じく一対一・一三とすることもできる。それ故、被告除草剤は、本件発明の実施態様に当たる右除草剤と同一の構成といえるのである。
また、被告除草剤は、グリホサートに水酸化トリメチルスルホニウムを反応させることによつてトリメチルスルホニウム塩の形にしたものであり、グリホサートの優れた除草作用を維持しつつ、その水溶性を高めたものであるが、本件発明の右実施態様とは製法を異にするとしても、本件発明は物の発明であるから、被告除草剤が本件発明の右実施態様と同一の構成である以上、本件発明の「グリホサートを有効成分としてなることを特徴とする除草剤」との要件を充足することは明らかである。
よつて、被告除草剤は本件発明の技術的範囲に属する。
5(一)(1) 被告らは、日本において被告除草剤を製造、輸入、使用、譲渡するため、被告除草剤について農薬取締法上必要とされる農薬登録の申請(同法二条一項)をしようとしており、また、右登録申請には試験成績を記載した書類を提出することが義務付けられている(同法二条二項)ので、その資料に用いるため、訴外協会に委託して、除草剤としての薬効、薬害、残留性に関する試験を行わせている(なお、農薬登録申請は適用分野毎にすることができるので、被告らは、既に申請に必要な試験結果がそろつた適用分野については現に農薬登録申請をしようとしており、他の適用分野については委託試験を続行している。)。
原告は、被告らの試験の委託行為、右試験結果を用いての農薬登録申請行為の禁止を、第一に特許権侵害予防請求権に基づいて求める(特許法一〇〇条一項、二項末段)。
一般に、予防的差止めの場合は、直接の侵害行為以外の行為でも、それを防止することが将来の権利侵害に対する予防手段として有効で、他により適切な手段がなく、また相手方にその行為をなすにつき保護に値する利益がない場合には差止めの対象とすることができると解される。
本件において、被告らの前記行為は、将来の侵害行為すなわち製造、輸入、使用、譲渡のための固有の準備行為であることは疑いない。すなわち、農薬取締法に基づく農薬登録申請に必要な試験は、農林水産省の行政指導により、日本国内の公的試験機関における試験であることが必要とされているのであり、被告ストウフアーが英国において既に被告除草剤の販売を開始し、他の諸国においても販売許可を得るに必要な各種試験を進め、既に十分な資料を蓄積しているにもかかわらず、訴外協会に試験を委託するのは、農薬取締法における農薬登録を受けるに必要な試験成績の収集のためにほかならない。
また、被告らは、自ら差止請求権不存在確認請求訴訟を提起し、被告除草剤の製造等が本件特許権を侵害するものであることを争つているのであるから、農薬登録が得られるや被告除草剤の製造、輸入、使用、譲渡を開始するものと考えられ、これを未然に防ぐためには、その固有の準備行為たる試験の委託及び農薬登録申請の禁止を求める必要がある。一方、被告らにとつて、試験を委託し、農薬登録申請をなすことは被告除草剤を販売するための法律上の要件を整えるという以外に意味のない行為である。しかも、被告らの試験は、後述のように特許法六九条の「試験又は研究」に当たらず、それ自体本件特許権を侵害する違法なものであり、農薬登録申請もその違法な試験の結果を用いて行おうとしているのであるから、これについて被告らを保護すべき理由はない。
(2) 仮に、被告らが、本件特許権存続期間満了後直ちに被告除草剤の製造、輸入、使用、譲渡をなしうるようにその期間内に準備行為をするという場合であつても、特許期間中にかような準備行為をする利益は、右に述べたとおり試験自体が本件特許権を侵害するものであるという理由から法的保護に値する利益といえず、また、以下に述べる理由からも法的保護に値する利益とはいえない。
すなわち、農薬に関する特許では、特許出願後特許権者が現実に農薬の登録を受け、その製造、販売により利益を享受しうるようになるまでは相当の長期間を要し、この間特許権者は特許の利益を享受できない。現に、本件発明の出願日は昭和四六年一〇月二二日であるが、訴外日本モンサント株式会社が農薬登録申請のための試験を終了して登録申請を行つたのは、昭和五〇年一二月一五日であり、農薬登録を得たのは同五五年九月二二日である。本来特許法は、特許権者の特許発明の独占的実施の利益とその競争者の他人の発明を自由に利用しうる利益との対立を、特許権の存続期間だけ特許権者に独占的実施の利益を保障することによつて調和させたはずである。それにもかかわらず、競争者の方が予め特許権存続期間中に農薬の製造、販売のための準備を完了できるとなると、それは特許法が意図した特許権者と競争者との公平に反することになる。したがつて、競争者が特許権存続期間中に準備行為をする利益は法的保護に値しない。特許法一〇一条も、実施の準備をする者が本来の実施行為を特許期間経過後に行う意図であると否とを問わず、一定の準備行為を特許権侵害とみなし、その差止めを許しているのである。
(二) 原告は、第二に、前記委託試験の実施が本件特許権を侵害するものであることから、現在の侵害を理由として、被告らに対し、試験の委託の禁止を求め、また、侵害組成物の廃棄請求として、試験結果を用いて農薬登録申請をすることの禁止を求める。
(1) 被告らは、前記のとおり農薬登録申請の資料として用いるために訴外協会に試験の実施を委託しているのであるが、右のような行為は、被告らが被告除草剤を販売するための法律上の条件を得るためになす専ら商業目的の行為であり、より良い発明の開発を目的とするものではないから、試験という名称は付されていても特許法六九条の「試験又は研究」には当たらない。したがつて、被告ストウフアー・ジヤパンが適性試験遂行のため被告除草剤を輸入した行為、及び被告らの委託により訴外協会が被告除草剤に関する試験を実施し被告除草剤を使用する行為は、本件特許権を侵害するものである。
(2) 被告らは、自己の農薬登録申請に用いることを目的として、被告除草剤に関する試験を訴外協会に委託している。訴外協会は準公的機関であつて、農薬の試験の委託があつた場合には、試験を委託された農薬が特許権を侵害するものであるかどうかとは無関係に、これを受託し、試験を行うのであり、このような場合、原告は試験を直接実施している訴外協会に対して試験の禁止を求めうるばかりでなく、訴外協会に試験を委託し、試験を実施せしめている被告らに対してもその禁止を求めることができると解すべきである。
(3) 訴外協会の被告除草剤についての試験の実施は、前記のとおり本件特許権の侵害に当たるから、その試験データは特許法一〇〇条二項の侵害行為を組成した物として、原告はその廃棄を求めることができる。
侵害行為を組成した物とは、通常は物の発明についてはその物自体であることが多いが、本件のように試験データを得ることを目的とした試験の実施が特許権侵害行為である場合には、侵害者が得た試験データは侵害行為の必然的内容をなす物として侵害行為を組成した物というべきである。しかも、本件の試験データは、農薬登録申請に用いられ、次の侵害行為たる製造、販売を招くものとして使用されようとしており、再び侵害行為がなされることを予防しようとした特許法一〇〇条二項の趣旨からしてもその廃棄を認められるべきものである。そして、廃棄とは物の使用をやめ、物を捨て去ることを意味するから、本件の場合には廃棄のうち物の使用をやめることの一態様として、原告は、被告らに対し、試験結果を資料に用いて農薬登録申請をすることの禁止を求める。
(三) 農薬登録申請は、私人の公法上の行為に属するが、これをなすか否かは、法律上義務付けられている出生届等とは異なり、行為者の自由に委ねられている。したがつて、公法上の行為であることは、原告が被告らに対し、本件特許権に基づいて農薬登録申請の禁止を求めることの障害となるものではない。
6 原告は、被告らが日本国内において所有する被告除草剤について、被告ストウフアー・ジヤパンが既に輸入した物については特許法一〇〇条二項の「侵害の行為を組成した物」として、被告ストウフアーが将来の譲渡等のために所有している物については、同条同項の「その他の侵害の予防に必要な行為」として、それぞれの廃棄を求める。
7 よつて、原告は、被告らに対し、本件特許権に基づき、被告除草剤の製造、輸入、使用、譲渡及び訴外協会に対する試験の委託と右試験結果を用いての被告除草剤の農薬登録申請の各差止め並びに被告除草剤の廃棄を求める。
二 請求の原因に対する認否及び被告の主張
1 認否
(一) 請求の原因1、2及び3の第一文記載の事実は認める。ただし、被告除草剤の化学式は別紙目録(二)のとおり表記されるべきである。
(二) 同4の事実は否認する。
(三) 同5は争う。
2 主張
(一) 本件特許請求の範囲記載の一般式R、R1及びR2にいずれも―OHを選択した化合物、すなわちグリホサートと、被告除草剤の有効成分たるグリホサートのトリメチルスホニウム塩とは、明らかに異なる。
(二) 原告はグリホサートを水に溶かしたときと解離し、被告除草剤もグリホサートイオンを含む水溶液であるから、本件発明の技術的範囲に属する旨主張するが、本件特許請求の範囲は、例えば「N―ホスホノメチルグリシンイオンを含有する水溶液を有効成分として含む除草剤」とは記載されていないのであるから、原告の主張は失当である。また、本件特許請求の範囲に包含される物質にはイオン化するものとしないものがある。例えば、左記の物質はいわゆるキレート化合物を形成し、水溶性ではあるがイオン化しない。更に、グリホサートのイソプロピルアミン塩は、水溶液中において、となり、グリホサートイオンを含有するが、原告は本件特許請求の範囲において、これをグリホサートとは別の物質として記載しているのである。
(三) 本件明細書には本件発明の実施例として多数の化合物(本件特許公報一〇頁ないし一三頁中のIないしXXXIV及び1ないし40の番号の化合物)が記載されているが、被告除草剤の有効成分たるグリホサートのトリメチルスルホニウム塩がこれらのいずれとも異なることは明らかである。化学の分野における発明は実際の実験によりその反応と効果が確認されることにより発明が完成されるのであり、理論的解明は必要とされていないが、それ自体経験的なものである。本件発明の出願時においてスルホニウムイオンが除草効果を持つことが公知であつたとしても、本件発明の発明者は無数ともいうべきモイエテイ(グリホサートの片方の結合物)を試験しながら、グリホサートのスルホニウム塩については全く考慮していないのであり、これを実験もせず、後になつて単に佐薬であるということはできない。
(四) 特許権の効力は、試験又は研究のためにする特許発明の実施には及ばない(特許法六九条)。被告除草剤の薬効性等の試験を訴外協会に委託すること及び農林水産大臣に対し農薬登録の申請をすることは、市場に製品を出すわけではなく、特許権者の独占的利益を阻害するものではないから、右の試験、研究のためにする実施と同様に本件特許権の効力が及ばない。
更に、原告の請求は実質的に特許権の存続期間を延長させることになり不当である。農薬として登録されるためには、少なくとも三、四年の試験期間が必要とされ、仮に特許権存続期間中は試験ができないとすると、特許権消滅後も三、四年は特許権の独占状態が続いてしまうのである。これは一定の技術の開示の代償として一定期間独占権を付与するという特許権の本質に反する。
〔乙事件〕
一 被告らの請求の原因
1 原告は本件特許権を有している。
2 被告らは、被告除草剤すなわち別紙目録(二)記載の除草剤を製造、販売し、又は被告除草剤につき農林水産大臣に農薬登録申請をするための試験を行う予定である。
3 原告は被告らの前項の行為が本件特許権を侵害する旨主張している。
4 前記甲、丙事件二2被告らの主張のとおり、被告除草剤は本件発明の技術的範囲に属しないし、また、被告除草剤に関する農薬登録申請のための試験はその性質上本件特許権の侵害に当たらない。
5 よつて、被告らは原告に対し、原告が本件特許権に基づき被告らの第2項の行為の差止めを求める権利を有しないことの確認を求める。
二 請求の原因に対する認否及び原告の主張
1 認否
(一) 請求の原因1ないし3の事実は認める。ただし、被告除草剤の化学式は別紙目録(一)のとおり表記すべきである。
(二) 同4の事実は否認する。
2 主張
甲、丙事件、一原告の請求の原因に記載のとおり、被告除草剤は本件発明の技術的範囲に属する。また、被告除草剤に関する農薬登録申請のための試験は本件特許権の侵害に当たる。
第三証拠<省略>
理由
一 甲、丙事件の請求の原因1及び3の第一文記載事実並びに乙事件の請求の原因1、2の事実は、被告除草剤の化学式の表記法の点を除き、当事者間に争いがない。
ところで、被告除草剤の特定については、別紙目録(一)又は(二)記載のとおり、グリホサートのトリメチルスルホニウム塩の化学式をイオン形で表記するか否かの点でのみ争いがあるが、いずれも成立に争いのない甲第一五号証の一ないし一六によれば、被告除草剤中の右化合物は水溶液中においてグリホサートイオンとトリメチルスルホニウムイオンとに解離することが認められるから、同化合物を別紙目録(一)又は(二)記載のいずれの化学式で表記しても差支えないというべく、右目録(一)と(二)記載の物は、化学式の表記の仕方に差異があるだけで全く同一の物と認められる。
二 当事者間に争いがない本件明細書の本件特許請求の範囲の記載と成立に争いのない甲第二号証によれば、本件発明の構成要件は、
「一般式(式中、R、R1、R2は本件特許請求の範囲の記載と同一である。)の化合物ないしグリホサートの強酸塩(この強酸は、2.5あるいはそれ以下のpkを有する。)を有効成分としてなることを特徴とする除草剤」であることが認められる。したがつて、右の化合物として一般式のR、R1、R2にすべて本件請求の範囲記載の―OHを選択して得られる化合物すなわちグリホサートを選んだ場合の本件発明の要件は、「グリホサートを有効成分としてなることを特徴とする除草剤」となる。
三 前掲甲第二号証によれば、本件発明は、既知の物質であるグリホサートと、新規物質であるグリホサートの誘導体(本件特許請求の範囲記載の物)に優れた除草効果があるとの知見に基づき、グリホサートないしはその誘導体を有効成分とする有用な除用剤を提供したものであることが認められる。
ところで、被告除草剤が水溶液状の除草剤であり、水溶液中において、グリホサートイオンとトリメチルスルホニウムイオンとに解離することは、前記のとおりである。
前掲甲第二号証、第一五号証の一ないし一六によれば、本件明細書の発明の詳細な説明には、本件発明の実施例1として、グリホサートの水溶液を除草剤として用いることが記載されており(本件公報六頁一二欄三一行以下参照)、本件発明の右除草剤が水溶液の形態をとつた場合には、グリホサートが水溶液中においてグリホサートイオンと水素イオンに解離し、グリホサートイオンが除草剤の有効成分として機能することが認められるが、他方、水溶液である被告除草剤中にも右のグリホサートイオンが存在していることは前記のとおりである(なお、水溶液であるから、被告除草剤中には水素イオンも存在していることは自明である。)。
次に、被告除草剤には前記のとおりトリメチルスルホニウムイオンも含まれているのであるが、前掲甲第二号証によれば、本件発明はその有効成分たる化合物のほかに佐薬として他の除草剤をも含みうることが認められ(本件公報一七頁三三欄四四行ないし三四欄三行)、そして成立に争いのない甲第一六号証によれば、被告除草剤中のトリメチルスルホニウムイオンは、本件発明の最先の優先権主張日において他の除草剤と併用しうる除草剤として公知であつたことが認められるのである。すなわち、前掲甲第二号証によれば、本件発明の除草剤の有効成分に当たるグリホサートと、佐薬の除草剤として、本件発明の最先の優先権主張日に公知の除草剤であつたトリメチルスルホニウムイオンを生ぜしめる水酸化トリメチルスルホニウム(この点は前掲甲第一五号証の一ないし一六により認められる。)を水に加えてできる水溶液は、「グリホサートを有効成分としてなることを特徴とする除草剤」との要件を充足するものであつて、本件発明の一つの実施態様であることが明らかであるが、右の水溶液は、前掲甲第一五号証の一ないし一六によれば、グリホサートイオンとトリメチルスルホニウムイオンとにより構成されており、被告除草剤はこの水溶液とその構成において同一であること、しかも被告除草剤のグリホサートイオンとトリメチルスルホニウムイオンとのモル比は約一対一・一三であるが、本件発明の実施態様たる右水溶液もグリホサートに加える水酸化トリメチルスルホニウムの量を調節することによつてグリホサートイオンとトリメチルスルホニウムイオンとのモル比を被告除草剤のそれとほぼ同一にしうることが認められる。
以上によれば、被告除草剤は、除草剤の有効成分としてグリホサートを、佐薬たる除草剤として水酸化トリメチルスルホニウムを含有する本件発明の一つの実施態様である前記水溶液と同一の構成であり、「グリホサートを有効成分としてなることを特徴とする除草剤」との本件発明の要件を充足するから、本件発明の技術的範囲に属する。
もつとも、成立に争いのない甲第五号証によれば、被告除草剤は、グリホサートと水酸化トリメチルスルホニウムとを一定の条件下で反応させて、グリホサートのトリメチルスルホニウム塩としたものであり、本件発明の前記実施態様のように単にグリホサートに水酸化トリメチルスルホニウムを混合したものではないことが認められる。しかし、本件発明は製法の発明ではなく、物の発明であるから、被告除草剤が本件発明の前記実施態様と異なる製法によつて製造されるとしても、被告除草剤が本件発明の前記実施態様の除草剤と同一の構成の水溶液である以上、製法の差異は前記結論を左右すべきものではない。
被告らは、被告除草剤が本件発明の技術的範囲に属しないことの理由として、被告除草剤が本件発明の構成要件を文言どおりには充足しないこと及びグリホサートのスルホニウム塩については本件明細書において具体的な開示がないこと等を主張するが、被告除草剤が本件発明の除草剤の有効成分としてグリホサートを選択した場合の要件を文言どおり充足することは、右にみたとおりであり、また、被告除草剤が本件明細書に具体的に開示されていないとしても、グリホサートを有効成分としうること及び佐薬として他の除草剤を加えうることが本件明細書に開示されていること、並びにトリメチルスルホニウムイオンが本件発明の最先の優先権主張日に公知の除草剤であることは前記のとおりである以上、被告らの主張はいずれも前記認定を覆すべきものではない。
四1 被告らが、被告除草剤を日本において製造、輸入、使用、譲渡すべく、農薬取締法二条に基づく農薬登録申請に必要な被告除草剤の薬効等についての適性試験を訴外協会に委託していることは当事者間に争いがなく、右争いのない事実と原本の存在、成立とも争いのない甲第九ないし第一三号証及び弁論の全趣旨によれば、被告ストウフアーは、既に英国において被告除草剤の販売を開始し、更にアメリカ合衆国、西独、ニユージーランドにおいても被告除草剤の販売を開始すべく農薬登録に必要な適性試験を進めてきており、これに対し原告が試験又は販売等の差止めを各国の裁判所に求めたこと(英国、西独、ニユージーランドにおいては原告が既に請求認容の判決又は決定を得ていること)、したがつて、被告ストウフアーは被告除草剤の適性試験については既に十分な資料を収集しているにもかかわらず、その子会社である被告ストウフアー・ジヤパンをして被告除草剤を輸入させ、訴外協会に被告除草剤の適性試験を実施させていることが認められる。また、成立に争いのない甲第二二号証によれば、農薬取締法二条に基づく登録申請に必要な適性試験のうち、薬効、薬害及び残留性の試験については、農林水産省の行政指導により、日本国内の公的試験機関において試験を実施することが必要とされていることが認められる。以上によれば、被告らが被告除草剤について既に十分な試験結果を有していても日本における農薬登録を得るためには日本の公的機関での適性試験が必要であること、すなわち被告らの日本における被告除草剤についての公的機関への適性試験の委託は新たな除草剤開発のための試験、研究の委託ではなく、専ら被告除草剤を日本において販売するために必要な農薬登録を得ることを目的とするものであることが認められる。
特許法六九条は「特許権の効力は試験又は研究のためにする特許発明の実施には、及ばない。」と規定しているが、右規定の立法趣旨は、試験又は研究は本来技術を次の段階に進歩せしめることを目的としたものであつて、特許に係る物の生産、譲渡等を目的としたものではないから、特許権の効力をこのような試験、研究にまで及ぼしめることは、かえつて技術の進歩を阻害するということであり、同条の右立法趣旨からすれば、本件のような農薬の販売に必要な農薬登録を得るための試験は、技術の進歩を目的とするものではなく、専ら被告除草剤の販売を目的とするものであるから、特許法六九条にいう「試験又は研究」には当たらないというべきである。
したがつて、被告らが、前記のとおり右試験のために被告除草剤を輸入し、使用することは本件特許権を侵害するものである。
もつとも、本件においては、前記のとおり、被告らが直接試験を実施するわけではなく、公的機関である訴外協会に委託して、被告除草剤についての試験を行わせているのであるが、訴外協会は委託があれば特許権侵害か否かにかかわりなく、専門的見地から適性試験を実施する公的機関であり、このような場合は被告らは公的機関である訴外協会を自らの手足として利用し、試験を実施させているものとみて差支えない。
2 被告らは、本訴において、被告除草剤が本件発明の技術的範囲に属しない旨主張し、原告においてその製造、販売の差止めを求める請求権を有しないことの確認を求めているのであり、右の点及び前記のとおり被告らが既に英国、アメリカ合衆国、西独、ニユージーランドにおいて被告除草剤の販売又は適性試験を開始していて、原告と各国の裁判所において係争しているとの事実に鑑みれば、被告らが農薬登録を取得すれば、本件特許権の存続期間内においても直ちに被告除草剤の製造、輸入、使用、譲渡を開始するおそれのあることは明らかである。また、被告除草剤についての適性試験の委託が新たな技術の研究、開発を目的としたものではなく、専ら被告除草剤の日本における販売を目的とした行為であることは前記のとおりであり、更に被告除草剤についての農薬登録申請も、被告除草剤の日本における販売を直接の目的としたものであることは明らかであるから、右の試験の委託及び農薬登録申請はいずれも被告除草剤の製造、輸入、使用、譲渡のための準備行為、すなわち客観的には将来の被告らの侵害行為のための準備行為であり、かつ右以外には何らの意味も有しない行為であると認められる。
ところで、特許権者は現在の侵害行為の差止めだけでなく、将来の侵害行為について、そのおそれがある場合その予防を請求することができる(特許法一〇〇条一項)のであるから、本件の場合、原告は被告らに対し、本件特許権に基づき、被告除草剤の製造、輸入、使用、譲渡の予防的差止め及び訴外協会への適性試験の委託の停止を求めうる。また、特許権者は、侵害の停止又は予防を請求するに際し、「侵害の行為を組成した物の廃棄、侵害の行為に供した設備の除却その他の侵害の予防に必要な行為を請求することができる。」(同法一〇〇条二項)のであるが、右規定は、侵害組成物の廃棄又は設備の除却等によつて、同条第一項の規定に基づく差止命令を実効あらしめようとしたものである。そして、被告らによる訴外協会への試験の委託及び農薬登録の申請は、前記のとおり、被告らによる被告除草剤の製造、輸入、使用、譲渡を目的とした準備行為であり、かつ右の目的以外には何の意味も有しない行為であるから、その差止めを求めることは、正に将来の侵害の予防に必要な行為であり、同条第一項の規定による製造、譲渡等の差止命令を実効あらしめるものであるから、原告は試験の委託及び農薬登録の申請を同法一〇〇条二項末段により求めうると解すべきである。
3 被告ストウフアー・ジヤパンが既に輸入し、現在所有している被告除草剤については、前記のとおり適性試験のために輸入したものであつても本件特許権を侵害するものであるから、「侵害の行為を組成した物」として、原告はその廃棄を求めうる(特許法一〇〇条二項)。またこれまでに認定したところによれば、被告ストウフアーが現在日本国内において所有している被告除草剤は、将来の譲渡等のために所有しているものと認められるから、「その他の侵害の予防に必要な行為」として、原告はその廃棄を求めうる(同法同条二項)。
五 以上によれば、原告の被告らに対する被告除草剤の製造、輸入(輸入については被告ストウフアー・ジヤパンについてのみ)、使用、譲渡及び訴外協会への試験の委託、農薬登録申請の差止め並びに被告ら所有の被告除草剤についての廃棄請求はいずれも理由があり、被告らの差止請求権不存在確認請求はいずれも理由がない。
よつて、原告の請求をいずれも認容し、被告らの請求を棄却し、訴訟費用については民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 安倉孝弘 小林正 設楽隆一)
別紙 特許公報<省略>
目録(一)
左記構造式に示すN―ホスホノメチルグリシンのトリメチルスルホニウム塩を含有する濃縮水溶液状の除草剤
目録(二)
左記構造式に示すN―ホスホノメチルグリシンのトリメチルスルホニウム塩を含有する濃縮水溶液状の除草剤