東京地方裁判所 昭和61年(ワ)8171号・昭62年(ワ)3657号 判決
第一、第二事件各原告 安井健彦
右訴訟代理人弁護士 有賀信勇
同 和久田修
同 佐藤容子
第一、第二事件各被告 安井美樹
右訴訟代理人弁護士 赤木巍
右訴訟復代理人弁護士 佐藤精一
右安井美樹補助参加人(第一事件のみ) 安井大樹
右安井美樹補助参加人(第一事件のみ) 磯村千世子
右両名訴訟代理人弁護士 落合長治
第一、第二事件各被告 渡邊美代子
右訴訟代理人弁護士 植村元雄
第一事件被告 医療法人報徳会(社団)
右代表者理事 平畑富次郎
第一事件被告 武村信義
右両名訴訟代理人弁護士 荒木和男
同 釜萢正孝
同 近藤良紹
同 早野貴文
右四名訴訟復代理人弁護士 田中裕之
同 宗万秀和
第一事件被告 石川文之進
右訴訟代理人弁護士 高田治
同 櫻井清
第一事件被告 栃木県
右代表者知事 渡辺文雄
右訴訟代理人弁護士 谷田容一
右指定代理人 大武秋雄
同 桑野哲実
同 白根沢彰
同 内田康雄
主文
一 第一事件被告医療法人報徳会(社団)、第一事件被告武村信義及び第一事件被告石川文之進は、原告に対し、各自、金一三二〇万円及び内金一二〇〇万円に対する昭和五八年六月二九日から、内金一二〇万円に対する第一事件被告医療法人報徳会(社団)及び第一事件被告武村信義については昭和六一年七月二九日から、第一事件被告石川文之進については同月三一日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告の第一事件被告医療法人報徳会(社団)、第一事件被告武村信義及び第一事件被告石川文之進に対するその余の請求並びにその余の被告らに対する請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、原告と第一事件被告医療法人報徳会(社団)、第一事件被告武村信義及び第一事件被告石川文之進との間においては、それを五分し、その一を右被告らの、その余を原告の負担とし、原告とその余の被告らとの間においては、補助参加によって生じた費用を含め、全部原告の負担とする。
四 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
一 第一事件
1 (被告渡邊美代子を除くその余の被告らに対する請求)
第一、第二事件各被告安井美樹、第一事件被告医療法人報徳会(社団)、第一事件被告武村信義、第一事件被告石川文之進、第一事件被告栃木県は、原告に対し、各自、金八八〇〇万円及び内金八〇〇〇万円に対する昭和五八年六月二九日から、内金八〇〇万円に対する第一、第二事件各被告安井美樹、第一事件被告医療法人報徳会(社団)、第一事件被告武村信義、第一事件被告栃木県については昭和六一年七月二九日から、第一事件被告石川文之進については同月三一日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 (被告渡邊美代子に対する請求)
(一) (主位的請求)
第一、第二事件各被告渡邊美代子は、原告に対し、別紙物件目録(一)記載の動産を引き渡せ。
(二) (予備的請求)
第一、第二事件各被告渡邊美代子は、原告に対し、金三億一六四〇万円及びこれに対する平成一〇年一二月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 第二事件
第二事件被告らは、原告に対し、各自、金七四五万六〇七〇円及びこれに対する、第一、第二事件各被告安井美樹は昭和六二年三月二八日から、第一、第二事件各被告渡邊美代子は同月二九日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
一 第一事件は、原告が、(一)(1) 原告の実兄である第一、第二事件各被告安井美樹(以下「被告美樹」という。)、東京大学医学部助教授であった第一事件被告武村信義(以下「被告武村」という。)及び第一事件被告医療法人報徳会(社団)(以下「被告報徳会」という。)の理事であった第一事件被告石川文之進(以下「被告石川」という。)は、昭和五三年三月ころ、共謀のうえ、原告に入院の必要がないのに、原告を被告報徳会が開設する宇都宮病院の精神科に入院させ、約五年三か月間にわたり、原告を違法に拘禁し、原告に損害を与えた、(2) 宇都宮病院の開設を許可をした栃木県知事及び第一事件被告栃木県(以下「被告県」という。)は、同病院の管理、運営に関し、指導、監督等の権限を行使すべき義務等があるのにこれを怠り、原告に右損害を生じさせたなどと主張して、被告美樹に対しては民法七〇九条の不法行為による損害賠償請求権に基づき、被告武村及び被告石川に対しては民法七〇九条の不法行為又は債務不履行による損害賠償請求権に基づき、被告報徳会に対しては民法七〇九条の不法行為又は医療法六八条、民法四四条一項による損害賠償請求権に基づき、被告県に対しては国家賠償法一条一項の損害賠償請求権に基づき、右被告ら各自に対し、右損害及びこれに対する不法行為の日以後の日からの民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を、(二)第一、第二事件各被告渡邊美代子(以下「被告渡邊」という。)は、(1) 原告の右入院後、原告所有の別紙物件目録(一)記載の動産(以下「本件動産」という。)を管理、占有している、(2) 仮に被告渡邊が本件動産を原告に無断で処分したのであれば、原告の所有権を侵害し損害を与えたと主張して、被告渡邊に対し、主位的請求として、所有権に基づき、本件動産の引渡しを、予備的請求として、民法七〇九条の不法行為による損害賠償請求権に基づき、右損害及びこれに対する不法行為の日以後の日からの民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。
第二事件は、原告が、被告美樹及び被告渡邊は、共謀のうえ、原告の宇都宮病院入院中、原告所有の別紙物件目録(二)記載の書籍等(以下「本件書籍等」という。)を原告に無断で売却、処分し、原告に損害を与えたと主張して、民法七〇九条の不法行為による損害賠償請求権に基づき、右被告らに対し、右損害及びこれに対する不法行為の日以後の日からの民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。
二 判断の前提となる事実(証拠を掲記しない事実は当事者間に争いがない。)
1 当事者等
(一) 原告は、昭和八年七月一三日、岐阜県中津川市(当時は、同県中津川町)において、亡安井豊吉(昭和二六年一〇月二四日死亡。以下「豊吉」という。)と亡安井貞子(平成二年一月四日死亡。以下「貞子」という。)の二男として出生し、昭和二九年四月一日に上智大学文学部独文学科に入学した後、洋画家を目指していたものであり、昭和三六年三月に同大学文学部史学科を卒業後、個展を開催したことがあった(甲一、六、丁一五、原告本人、弁論の全趣旨)。
(二) 被告美樹は、原告の実兄である(被告県との関係で、乙八、被告美樹本人)。
(三) 被告渡邊は、昭和二八年九月ころから昭和五三年三月ころまでの間、原告と内縁関係にあった(被告県との関係で、丙一七、被告渡邊本人、弁論の全趣旨)。
(四) 被告報徳会は、栃木県知事から病院開設の許可を受け、肩書地において精神科を中心とする宇都宮病院を開設している(被告美樹、被告渡邊との関係で、被告石川本人、弁論の全趣旨)。
(五) 被告石川は、昭和三五年一二月二八日から昭和五九年四月七日までの間、被告報徳会の理事であり、昭和四六年五月一〇日から昭和五九年四月六日までの間、医療法一〇条に基づく宇都宮病院の管理者であった(被告美樹、被告渡邊、被告県との関係で、被告石川本人、弁論の全趣旨)。
(六) 被告武村は、昭和五三年三月ころ、東京大学医学部助教授であり、時折、宇都宮病院に赴き、同病院において研究と治療に従事していた(被告美樹、被告渡邊、被告県との関係で、被告武村本人、弁論の全趣旨)。
(七) 栃木県知事は、栃木県内の精神病院の管理、運営に関し、地方自治法、医療法、精神衛生法(昭和二五年法律第一二三号。昭和六二年法律第九八号による改正前のもの。以下「精神衛生法」という。)等の関係法令に基づく諸権限を有しており、被告報徳会に対し、病院開設の許可を与えた(被告美樹、被告渡邊、被告報徳会、被告石川、被告武村との関係で、弁論の全趣旨)。
2 原告の入院
(一) 原告は、昭和五三年三月二〇日から同月二四日までの間、岐阜県瑞浪市大湫町所在の医療法人大湫病院(以下「大湫病院」という。)に入院した(被告県との関係で、甲四)。
(二) 原告は、同日から昭和五八年六月二九日までの間(一九二四日間)、宇都宮病院に入院した(被告県との関係で、甲一)。
三 原告の主張
1 宇都宮病院の拡大とその実態
(一) 宇都宮病院の拡大
(1) 被告石川は、昭和三五年、宇都宮市内において、内科及び小児科等の病院を開設していたが、精神病院の開設を意図して被告報徳会を設立し、被告報徳会は、昭和三六年五月、宇都宮病院を開設した。折しも、昭和三三年に精神科の医師、看護者数の基準を他科の基準よりも引き下げることが確定したのを皮切りに、昭和三五年に施行された医療金融公庫法による精神病院に対する低利かつ長期の融資の開始、昭和三六年の精神衛生法の一部改正による措置入院費に対する国庫負担率の引き上げ等、安価な費用で多数の患者を収容できる精神病院の育成を目的とした一連の優遇策が打ち出され、右政策の下、他科の医師による私立の精神病院の開設が相次いだが、宇都宮病院は、右時期に開設された安価な拘禁型病院の一つの典型であった。被告石川は、被告報徳会の理事に就任し、実質的に宇都宮病院を経営していた。
精神衛生法が昭和四〇年に一部改正され、精神障害者に関する申請、通報及び届出制度の強化、無断退去者に対する措置の強化、緊急措置入院制度の新設等、精神障害者に対する管理、収容の方向が一層強化されたが、右政策のもとで、宇都宮病院は拡大の一途をたどり、その病床数は、設立当初は五七床であったが、昭和四二年三月には三七五床、昭和四三年六月には五〇七床、被告石川が院長に就任し名実ともに宇都宮病院の全権を掌握した昭和四七年五月には七五九床にまで拡大した。そして、宇都宮病院は、昭和五八年九月、病床数九二〇床(精神科八〇九床、結核五六床、内科五五床。ただし、現実にはほとんど全てが精神科病床として利用されていた。)を擁する大病院に成長した。
(2) 宇都宮病院の右のすさまじい拡大を可能にした理由の一つは、「患者狩り」と呼ばれる広範囲の地域からの患者の強引な連行にあった。宇都宮病院は、他の病院が引き取りを渋る厄介な患者を積極的に引き受けることを宣伝し、栃木県内のみならず関東一円、特に埼玉県、東京都、神奈川県を中心に、警察、保健所、福祉事務所等から通報を受けては患者を強引に連行するなどの手段で常時入院患者の供給を受けることに成功したのである。
宇都宮病院の拡大を可能にしたもう一つの理由は、その徹底した経費削減策であった。被告石川は、経費の中でも特に人件費の抑制を図り、精神科の許可ベッド数八〇九床に九四四人の入院患者を収容し、その反面、常勤医は被告石川を含めてわずか三人(実質的には被告石川のみであった。)、看護者数は正看護者が六人、準看護者が六一人にすぎず、精神病院の医師、看護者数の標準について特例を定めた医療法施行令(昭二三年政令第三二六号)四条の六による基準(入院患者九四四人につき医師数二〇人、看護者一五八人)をはるかに下回るものであった。
(二) 宇都宮病院の反医療的処遇の実態
(1) 右(一)のとおりの宇都宮病院における極端な医療スタッフの不足は、必然的に暴力による患者支配と数々の不法の横行を生み出した。例えば、<1>宇都宮病院において昭和五六年から三年間に二二二人もの患者が死亡し、そのうち外的要因による不慮の事故死の可能性があるものが一九名にものぼった。また、<2>作業療法の名目で患者を強制的に冷凍庫内の重労働、農作業、病院建設、院長私宅での作業等に使役した。さらに、<3>無資格の病院職員が、少なくとも二二二名の患者に対し、エックス線検査を実施したり(診療放射線技師及び診療エックス線技師法違反)、<4>看護士又は看護婦の免許を持たない病院職員が、患者への注射、点滴、膀胱洗浄の診療補助行為を行ったり(保険婦助産婦看護婦法違反)したばかりか、<5>宇都宮病院は、患者にも診療補助行為に従事させ、他の患者の心電図検査及び脳波検査を行わしめた(同法違反)のである。また、<6>昭和五八年二月二五日から昭和五九年一月三〇日までの間、六回にわたり、宇都宮病院で死亡した患者の死体を無許可で解剖して脳を摘出した(死体解剖保存法違反)こともあった。そして、被告石川は、右<3>ないし<6>の各違法行為及び食糧管理法違反の事実(患者の栽培した米の無許可売買)について、宇都宮地方裁判所に起訴され、同裁判所は、昭和六〇年三月二六日、被告石川に対し、懲役一年及び罰金三〇万円の実刑判決を宣告した。
(2) 右(1) のような劣悪な状況の下、宇都宮病院の入院患者は医療なき拘禁を強制されていた。閉鎖病棟はもちろん、いわゆる開放病棟も時間を限っての開放にすぎず、しかも門外に出る場合にはその都度許可を要したのであるから、宇都宮病院全体が閉鎖病棟であるに等しく、全ての宇都宮病院の入院患者は拘禁下に置かれていたのである。
また、宇都宮病院の入院患者は、右の極端な医療スタッフの不足のため、院長回診は、患者一人当たり良くて週一回の数秒間しか受けられず、このため、在院期間が三年(日本の精神病院の平均在院期間は五二九・八日であり、三年は約二倍に相当する。)以上の入院患者が、その過半数を越える五〇六名にものぼった(昭和五九年二月二九日現在)。しかし、栃木県知事が同年に実施した実地審査(精神衛生法二九条の五第二項、三七条一項)によれば、措置入院中の被鑑定者一六一名中一一四名が措置不要(内一四名が入院不要、二名が医療不要)、同意入院中の被鑑定者三八二名中九八名が入院不要(内九名が医療不要)と判定されており、宇都宮病院の入院患者は医療不在の状況下で放置され、いたずらに長期間の拘禁を強制され続けてきたのである。
(3) 被告武村は、右の宇都宮病院における医療なき拘禁に権威付けを行ったものである。被告武村は、東京大学医学部助教授という肩書を利用し、多額の報酬を得るとともに宇都宮病院における違法な拘禁を推進した。
2 原告の入院に至る経緯及び入院後の経緯
(一) 大湫病院への入院
(1) 被告美樹は、被告武村に対し、原告に関する虚偽の情報(浪費、虚言、女性に対する依存、暴力)を伝えた。被告美樹は、原告と直接会うことなく、他の兄弟らからの情報と自らの原告に対するイメージのみを被告武村に伝えたにすぎなかった。そして、被告武村は、被告美樹からの情報の真偽を確かめることもせず、また、原告と直接面会することなく、原告を精神分裂病と断定し、原告を入院させるべきであると判断し、被告美樹にその旨を告げた。
(2) 被告美樹は、昭和五三年三月一九日夜、被告渡邊、補助参加人磯村千世子(以下「千世子」という。)、補助参加人安井大樹(以下「大樹」という。)、千世子の夫である亡磯村久通(以下「久通」という。)及び原告の知人らが千世子方に集った際、被告渡邊らに対し、東京大学の病院の専門医の判断によれば原告が精神分裂病である旨伝え、原告の治療のために力を貸して欲しいと依頼し、原告を押さえ込む際には、医者と警察官が立ち会うことなどを説明したうえで、具体的にどのような形で誰が原告の身体のどこの部分を押さえ込むかなどの細かい打合わせを行った。原告の知人らの中には、原告が精神病であると判断されたことに戸惑い、かつ、友人である原告を拘束するという被告美樹の説明に躊躇を覚えた者もいたが、一日でも早く友人として原告に力を貸して欲しい旨の被告美樹の言葉に負け、翌朝の原告の拘束に手を貸すことを承諾した。
(3) 被告美樹ら一一名は、同月二〇日早朝、寝ている原告を多数人で押さえ付け、布団ごと縛り上げたうえで手錠をかけて原告を拘束し、用意しておいたマイクロバスに原告を連れ込んだ。前日に美樹が説明していた医師や保健所の立会いはなかった。
右拘束は原告の意思に反することはもとより、右の当時、原告には、精神衛生法上の強制入院の要件である精神障害に基づく他害のおそれはなかった。
(4) 原告は、被告美樹らによって拘束された後、マイクロバスで大湫病院に連行され、遅くとも同日午前一〇時三〇分ころ、大湫病院に到着した。
原告は、被告美樹、久通、大樹とともに、大湫病院内の診察室に入り、同病院の医師江口和夫(以下「江口医師」という。)の診察を受けた。江口医師は、すでに被告美樹を通じて被告武村が原告を精神分裂病と判断したと聞いていたが、原告と面談し、その話を聞いているうちに、原告には精神分裂病と思われる兆候がなく、一般的に広い意味での性格の偏りによって本人が困りあるいは社会が困るという側面が認められる精神病質と解すべきであって、入院の必要性はないと考えた。そして、江口医師は、原告を入院させるとしても、家族とのトラブルを避ける意味での緊急避難的な意味での入院となり、長期の入院はあり得えないと考えた。そこで、江口医師は、原告の大湫病院への入院を渋った。
そのため、被告美樹は、被告武村と電話で連絡をとり、原告を宇都宮病院で受け入れることの承諾を取り付け、同日午後一時二〇分ころ、大湫病院は原告を入院させることに決めた。
被告美樹は、大湫病院の院長に宛てた同日付けの保護義務者としての入院同意書を提出し、原告が大湫病院において治療を受けることについて万が一原告の身の上にいかなる異変が生じても何ら異議を唱えない旨の承諾書を交付した。しかし、被告美樹は、家庭裁判所から保護義務者に選任されていなかった。
(5) 原告は、同日から同月二四日まで、大湫病院において入院という名目で拘禁された。
(二) 宇都宮病院への転院
原告は、同月二四日午後三時三〇分、大湫病院を退院すると同時に、宇都宮病院の職員三名によって自動車(小型バン)に無理矢理乗せられ、宇都宮病院に入院のため護送された。その際、宇都宮病院の職員は、原告に対し、投薬や注射をし、また、手錠をかけた。
(三) 宇都宮病院への入院
被告石川ら宇都宮病院の医師は、原告には何らの精神的疾患がなく、入院治療を要する事実はなかったにもかかわらず、原告を何ら診察しないまま、同年三月二四日、被告武村との間で予め決められたことであるとして、原告の宇都宮病院への入院を決定した。
そして、被告石川らは、入院当日、何ら診察をしていないのに、原告には精神分裂病、幻聴、幻視がみられる旨を栃木県知事宛の同意入院者入院届に記載しているのである(もっとも、被告石川らは、右のように被告県には精神分裂病であると届けておきながら、入院当日のカルテには、原告の症状を精神病質と記載している。そして、被告石川は、その後、原告の症状をパラノイアと診断している。なお、右診断も何ら合理的な根拠に基づくものではなかった。)。
また、被告美樹は、保護義務者として、原告が宇都宮病院に入院することに同意したとされているが、右入院時には保護義務者が選任されていなかった。そして、被告石川及び被告武村は、右事実について承知していた。
(四) 宇都宮病院入院中の経緯
(1) 原告は、昭和五三年三月二四日から昭和五八年六月二九日までの間、無意味に宇都宮病院に拘禁されていた。
被告美樹は、入院に際し、被告武村及び被告石川に対し、原告に関して全面的に依頼する旨を伝えるとともに、原告に誰とも面会させないよう要請した。また、被告美樹は、入院中、被告武村及び被告石川に対し、原告を退院させないよう頼み込み、被告武村及び被告石川はこれを承諾した。
被告石川は、数年治癒の見込みがないとして原告を宇都宮病院に収容し続けた。
被告武村は、原告の主治医として、原告が拘禁された約五年三か月間に二回インタビューしたのみであったが、被告武村は、原告の違法な拘禁の継続に主導的役割を果した。被告武村は、昭和五七年になっても、被告石川に対し、原告の面会及び通信を禁止し、原告の外出については逃走のおそれがあり注意を要すると指示したり、原告の退院は、当分(数年以上)の間、見込みなしとの指示を出したりして、ひたすら原告を拘禁し続けた。
(2) 原告は、入院中、自由に通信したり面会したりすることができなかった。また、原告は、入院中、宇都宮病院の職員等から暴行を受け、難聴等になった。
3 原告の入院に関する違法性(第一事件)
(一) 面接、診察抜きの強制入院の決定
被告美樹及び被告武村は、原告に強制入院の要件である精神障害に基づく他害のおそれはなかったにもかかわらず、原告に面会することなく一方的に原告の強制入院を決めたものであり、右被告らの行為は違法である。
(二) 強制入院のための原告に対する逮捕監禁等
被告美樹らが、原告を大湫病院に強制入院させるために行った原告の身体に対する拘束は、刑法上の暴行罪及び逮捕監禁罪に該当するものであって、右行為の違法性は大きい。
(三) 大湫病院入院時の要件の不存在
大湫病院の江口医師は、精神衛生法上、家族との軋轢を避けるための緊急避難的な強制入院が認められていないにもかかわらず、原告とその家族との軋轢を避けるために緊急避難的に入院が妥当であると判断して原告を入院させた。被告美樹は、右のような違法な入院を渋る江口医師に対し、被告武村の名前を出し、最終的には、被告武村が責任を持つであろうと誤信させ、江口医師に大湫病院への入院を承諾させた。
また、被告美樹は、保護義務者として、原告の大湫病院への入院に同意したが、この時点では、被告美樹は保護義務者に選任されていない。
したがって、原告の大湫病院への入院は、同意入院としての実質的要件(精神障害に基づく他害のおそれ)も、手続的要件(法定された保護義務者による同意)も欠く違法なものである。
(四) 診察なき宇都宮病院への転院決定
被告武村及び被告石川は、原告を一度も診察することなく、被告美樹と謀って、原告を大湫病院に入院させる時点で、予め宇都宮病院に入院させることを決めていたのであり、右行為は違法である。
(五) 転院手続の不存在
被告石川は、原告の同意も得ず、その他の適法な手続を踏むこともなく、また、医師が同乗することすらなく、宇都宮病院の職員をして原告を無理矢理に自動車に乗せ、拉致させた。しかも、右職員は、右自動車内で、原告に対し、投薬や注射を施し、手錠をかけた。したがって、被告石川の右行為は違法である。
(六) 診察なき宇都宮病院への入院の決定と手続違背
被告石川ら宇都宮病院の医師は、原告を診察しないまま、原告を宇都宮病院に入院させたものであり、その違法性は明らかである。
また、被告美樹は、保護義務者として、原告の宇都宮病院の入院に同意したが、右入院時には、保護義務者に選任されていなかったのであり、原告の入院は、適正な法的手続を経ておらず、違法である。
(七) 宇都宮病院における拘禁の継続
原告は、昭和五三年三月二四日から昭和五八年六月二九日までの間、宇都宮病院に入院させられたが、これは無意味な拘禁であった。
被告美樹、被告石川及び被告武村が右拘禁を長期にわたって継続させたことは違法である。
(八) 宇都宮病院における治療の不存在
宇都宮病院における医療の実態が、要求される水準と余りにも乖離しており、到底医療といえるものではなく、原告に対する約五年三か月間にわたる不法な監禁のもとでの治療の実態も、右と何ら異なるものではなかった。宇都宮病院が原告に対して施した治療(精神療法、薬物療法、生活療法、作業療法、絵画療法等)は、いずれも医療の名に値しないものであった。
4 各被告の責任(第一事件。ただし、被告渡邊の責任を除く。)
(一) 被告美樹の責任
(1) 原告に対する強制入院
被告美樹は、右2のとおり、原告を大湫病院及び宇都宮病院に強制的に入院させるまでの間、原告との面会や事実関係の調査をしないまま、他の兄弟らからの情報と自らの原告に対する偏見だけをもとに、被告武村及び被告石川と共謀して、実際には精神衛生法上の精神障害に基づく他害のおそれが全く認められない原告を精神分裂病と決め付け、保護義務者に選任されないまま、大樹ら多数の者を使って、原告を違法に拘束したうえ、大湫病院及び宇都宮病院に違法な強制入院をさせたものである。そして、被告美樹が精神分裂病でない原告を精神分裂病であると決めつけた点において、被告美樹には故意又は故意と同視できる重大な過失がある。
(2) 保護義務者としての義務違反
被告美樹は、原告を強制入院させた後、家庭裁判所からの保護義務者に選任されたにもかかわらず、原告の早期退院のための努力を全く行わず、いたずらに原告の入院(拘禁)を長期化させた。
(3) したがって、被告美樹は、原告に対し、民法七〇九条の不法行為責任に基づき、原告が被った損害を賠償する責任を負う。
(二) 被告武村の責任
(1) 原告に対する強制入院
医師である被告武村には、患者と面接したうえで治療及び入院の必要性の有無を判断すべき義務がある。そして、被告武村が、医師としての右の基本的義務を遵守していたならば、原告には精神障害が存在せず、精神衛生法に基づく強制入院の必要性がないことを直ちに看取し得たにもかかわらず、右義務を怠り、被告美樹及び被告石川と共謀のうえ、被告美樹からの情報だけで、原告を精神分裂病と断定し、入院の必要性を認め、原告に対し、大湫病院及び宇都宮病院への違法な入院を強制させたものである。
(2) 入院の長期化
被告武村は、原告が宇都宮病院に入院させられた三か月後、被告渡邊及び大樹から事情聴取を行い、原告に対する処遇方針(内妻である被告渡邊のみ月一回の面会可能、逃走要注意、退院当分(数年以上)見込なし等)を決定し、被告石川に対し、これをカルテに貼付する形で指示した。被告武村が事実関係を何ら調査せず、また、十分に原告から聞き取りを行わないまま、入院後わずか三か月で右方針を決定したことは、医師として要求される最低限の注意義務に違反していることは明らかであり、被告武村の右指示により、その後の原告の長期拘禁が決定付けられたことに鑑みれば、被告武村の右義務違反は重大である。
(3) したがって、被告武村は、原告に対し、民法七〇九条の不法行為責任又は債務不履行責任に基づき、原告が被った損害を賠償する責任を負う。
(三) 被告石川の責任
(1) 医師としての義務違反
被告石川は、医師の使命(医師法一条)を裏切り、医師に最低限要求されている自ら診療治療に当たる義務(同法二〇条)すら怠り、資格を有しない宇都宮病院職員らに指示して、無資格者による医療や検査行為を蔓延させ、宇都宮病院を医療とは無縁の拘禁施設とし、そこに原告を長期にわたり拘禁した。被告石川が、医師に要求される注意義務をもって原告に接していたのであれば、原告には精神的疾患が存在せず、精神衛生法に基づく入院の必要がないことを直ちに看取し得たのにこれを怠り、十分な診察をすることもなく、原告に対する違法な長期拘禁を行った。
(2) 病院管理者としての義務違反
被告石川には、宇都宮病院の管理者として、同病院の人的、物的施設を維持、充実すべき義務があるところ、前記のとおり、同病院の人的側面については、医療法二一条、同法施行規則一九条、同法施行令四条六による特例要件の充足すら著しく怠り、また、物的側面については、同法施行規則一〇条一、三号で禁止される超過収容、病室外収容を常態化させた。被告石川は、これらの違法状態を積極的に作出し、これを利用して医療収入の増加と利潤の拡大を追求し、右状況下で、本来は入院を強制し得ない原告を含む多くの人々に対する違法な拘禁が生じた。
また、被告石川は、精神病院の管理者として精神衛生法三三条に基づく入院を命ずるに際し、自ら直接に病状を診断するか、少なくとも同条所定の医療及び保護のための入院の必要性という要件該当性について、自ら医学的根拠に基づいて判断すべき義務があり、かつ、保護義務者の同意という手続要件についても、保護義務者の存否、適法な保護義務者選任手続の有無を確認すべき義務があるのにこれらを怠り、前記のとおり、入院に先立つ診断や精神衛生法三三条適用の可否の判断を行わず、かつ、同条の要件たる適法に選任を受けた保護義務者の同意の存否も確認せず、原告に入院を強要したものであって、被告石川には、原告に対する違法な拘禁について故意又は故意と同視すべき重過失がある。
(3) したがって、被告石川は、原告に対し、民法七〇九条の不法行為責任又は債務不履行責任に基づき、原告が被った損害を賠償する責任を負う。
(四) 被告報徳会の責任
(1) 不法行為責任
被告報徳会は、前記のとおり、医療ではなく営利を目的として宇都宮病院の規模を拡大させ、約一〇〇〇名の入院患者に対して実際に医療を担当できる常勤医師は、実質上、被告石川のみという事態を惹起させた。そして、右の当然の帰結として、宇都宮病院には医療法の定める最低限の医療すら存在せず、無資格者による違法な医療行為のみが横行するとともに、暴力によって入院患者を管理し、入院患者の基本的人権を侵害、剥奪することが常態となった。さらに、被告報徳会は、病院規模を拡大させるため、また、大規模化した病院を維持するため、医療収入を増加させる必要に迫られ、患者の病状の内容や程度を問うことなく入院を第一とする経営政策を推し進めた。
被告報徳会は、精神科を主とする病院を開設、経営するものとして、精神医療の持つ人権侵害の危険性に不断に留意するとともに、違法な拘禁が行われたり入院患者の諸権利が侵害されたりすることのないよう注意すべき義務があるにもかかわらず、これを怠り、違法状態を作出し、これを容認し続け、その結果、原告ほかの違法な拘禁がもたらされた。
したがって、被告報徳会は、原告に対し、民法七〇九条の不法行為責任に基づき、宇都宮病院の入院及び入院の継続により原告が被った損害を賠償する責任を負う。
(2) 医療法六八条、民法四四条一項に基づく責任
被告石川は、原告の宇都宮病院入院当時、被告報徳会の理事であったところ、前記のとおり、宇都宮病院を管理、運営するにつき、原告に対して損害を与えた。
したがって、被告報徳会は、原告に対し、医療法六八条、民法四四条一項に基づき、被告石川の不法行為により原告が被った損害を賠償する責任を負う。
(五) 被告県の責任
精神衛生行政に関する諸施策は、都道府県を単位に実施されることになっており、広範な権限が各都道府県知事と各都道府県に付与されていることから、栃木県知事及び被告県には、精神病院の適正な管理、運営の実現と精神障害者、精神病院入院患者の人権保障のため、その与えられた権限を日常的かつ具体的に行使すべき義務があるところ、栃木県知事及び被告県は、次の(1) ないし(3) のとおり、右義務を怠り、その権限を適正に行使せず、その結果、原告の違法拘禁を含むいわゆる宇都宮病院事件と総称される前代未聞の人権侵害事件が発生したのである。
したがって、被告県は、被告県及び栃木県知事の権限不行使について、国家賠償法一条一項の損害賠償責任に基づき、原告が被った損害を賠償する責任を負う。
(1) 精神病院の適正な管理、運営を指導、監督し、改善を命ずべき知事の義務懈怠
栃木県知事には、医療法二五条に基づく医療監視の結果、違法状態を発見したときは、これを是正させるべき義務があるところ、前記のとおり、宇都宮病院において大規模な違法状態が長期間にわたって継続し、かつ、栃木県知事は各年度の医療監視によって同病院の違法状態を十分に認識していたにもかかわらず、形式的な是正勧告を行うに止まり、同病院が右是正勧告を無視していることに対して何ら実効性のある措置を講じることなく、漫然と違法状態を放置、容認し続け、その結果、原告の違法拘禁を看過してしまった。宇都宮病院が右違法状態を自ら是正せず、その原因が病院管理者である被告石川の任務懈怠にある以上、栃木県知事は、医療法二八条に基づき、病院管理者の変更を命じ、これにより適正な病院運営を実現して入院患者の諸権利を回復させるべき義務があったにもかかわらず、これを怠り、原告らの違法拘禁を無為に継続させた。また、栃木県知事は、宇都宮病院の違法状態が適宜の行政上の指導、監督によっても是正されない以上、被告報徳会に対して医療法六四条に基づき業務の全部又は一部の停止を命じ、あるいは他に監督の方法がない場合には、同法六六条に基づき被告報徳会の設立の認可を取り消すべき義務があったにもかかわらず、栃木県知事は、右権限を行使せず、かつ、これに代わる実効性のある措置を講じることなく、その結果、重大かつ大規模な人権侵害事件を発生させた。
(2) 違法な拘禁を防止し、違法な拘禁を受けている者を救済すべき知事の義務懈怠
栃木県知事は、右医療監視等の諸権限を行使することにより、入院者及びその入院形式等を具体的に把握し得るところ、精神衛生法三六条によれば、精神病院の管理者は、同意入院者の氏名、病名、症状等を保護義務者の同意書を添えて知事に届け出ることを義務付けられ、知事は、右届出によって、同意入院の運営が適正に行われているか、同意入院の要件を欠く違法な拘禁が行われていないか、同意入院者とその届出が合致するか、届出のない同意入院者が存在しないかなどを調査し、届出された事項について不審な点があり、調査する必要があると思われるときは、放置しておくことなく速やかに当該吏員に調査させ(昭和三二年厚生省公衆衛生局長通知「精神障害者の取扱について」参照)、保護義務者が精神衛生法二〇条に規定する保護義務者であるか疑わしいときは当該病院長に対してその確認を命ずる(右同)などし、違法な拘禁を防止すべき義務を負っている。また、知事は、右公衆衛生局長通知のほか、昭和三一年厚生省公衆衛生局長、医務局長通知「精神病院に対する実地指導の強化徹底について」、昭和三六年厚生省公衆衛生局長通知「精神障害者措置及び同意入院取扱要領について」、昭和四五年厚生省公衆衛生局長、医務局長通知「精神病院の運営管理に対する指導監督の徹底について」等の通知に基づき、栃木県下の各精神病院の適正な運営管理を指導監督することを通じて入院患者の人権を保障すべき義務を負っている。さらに、精神衛生法三七条によれば、知事は、同法三六条の届出のほか、精神障害でないのに同意入院をさせられているなどの第三者からの通報その他あらゆる情報を踏まえ、同意入院患者の拘禁に疑義が生じた場合には、精神衛生鑑定医の診察を求め、入院継続不要との鑑定がされたときには、その者の退院を命じる権限を有しているのであるから、違法拘禁から救済を図る義務を負っている。
原告は、前記のとおり、精神衛生法三三条に基づいて同意入院したとされているが、原告にはそもそも同意入院させられるような精神的疾患が存在しておらず、何らの医学的診断を受けずに入院が強制されたのであり、しかも、適法な保護義務者の同意がないにもかかわらず入院が強制されているなどの重大な違法が存在する。栃木県知事が右権限を適正に行使していたならば、原告の同意入院の違法は容易に発見し得たにもかかわらず、栃木県知事はこれを怠り、その結果、原告は長期の違法拘禁を強いられた。
(3) 医療法、精神衛生法の趣旨に基づく被告県の義務懈怠
精神医療、特に本人の意思に反する拘禁を可能とする精神衛生法上の措置入院や同意入院等の制度は、人権侵害の危険性を潜在的に有していることは周知のとおりであるから、精神衛生行政を所管する被告県には、違法拘禁等の人権侵害が発生しないように万全の注意をもって諸施策を実施すべき義務がある。しかし、被告県は、精神医療の潜在的な危険性を熟知しながら、公然と違法状態を拡大させる被告報徳会の反医療的行為を黙認し、精神衛生法五条の指定病院として多数の措置入院患者等を宇都宮病院に入院させ、被告報徳会の違法行為を助長するような対応に終始した。被告県が、医療法、精神衛生法の趣旨に則り、適切な行政上の指導、監督、是正の権限を行使していたならば、いわゆる宇都宮病院事件や原告の違法拘禁が発生し得なかったのに、被告県は右権限を行使せず、人権侵害を放置、助長したのである。
5 原告の損害(第一事件)
(一) 逸失利益 五二五〇万円
(1) 原告は、入院前に、絵画、肖像画、挿絵、焼物、工芸品等の製作、販売による収益や、株式や預貯金利息等による収入により、少なくとも年額一〇〇〇万円の所得があったと推認されるから、入院による身体拘束を受けていた五年三か月間に五二五〇万円の所得を得ることができたはずのところ、右拘束のため、右所得を得ることができず、同額の損害を被った。
(2) 仮に右(1) の逸失利益が認められないとしても、原告の入院前の所得は、その当時の四五歳の大学卒の男子の平均給与である年額約八〇〇万円を越えていたと思われるから、原告は、少なくとも、右の期間に四二〇〇万円の所得を得ることができたはずのところ、右拘束のため、右所得を得ることができず、同額の損害を被った。
(二) 慰謝料 三〇〇〇万円
原告は、前記のとおり、違法かつ理不尽な拘禁を受け、入院期間中、身体的、精神的な侵害を受けた。そして、後記のとおり、原告の一切の財物(出生時からの写真、友人及び知人の住所録や手紙類、自分の作品カードやスライド等を含む。)は、入院期間中に、原告に無断で隠蔽又は処分され、また、原告は、宇都宮病院退院後から現在まで後遺症に苦しみ、日々新たな違法行為が繰り返されている。右のような事情等を勘案すると、原告の被った精神的損害は計り知れないものである。しかも、被告らは原告に精神分裂病であるとの烙印を押し、被告渡邊が入院中の醜態を喧伝したため、原告の郷里である岐阜県中津川市の友人、知人は、原告が宇都宮病院を退院した後も、原告を危険視してなかなか信用せず、本件訴訟に対する協力要請はもとより、原告の郷里への帰省自体も著しく困難となった。また、原告自身のアイデンティティーを証明する写真や過去の記録が一切紛失していることも、金銭に代え難い精神的苦痛を生じさせるものである。これらの諸事情を勘案すれば、原告の精神的損害は三〇〇〇万円を下らない。
(三) 弁護士費用 八〇〇万円
原告は、原告訴訟代理人弁護士らに対し、本件訴訟の遂行を委任し、弁護士費用として八〇〇万円を支払うことを約束した。
(四) 原告の請求額
原告は、本件訴訟において、被告美樹、被告武村、被告石川、被告報徳会、被告県各自に対し、右(一)の損害のうち五〇〇〇万円、右(二)及び(三)の各損害の合計八八〇〇万円の支払を求める。
6 被告渡邊の動産引渡義務(第一事件)
(一) 被告渡邊に対する主位的請求に関する主張
被告渡邊は、昭和二六年ころから原告が入院を強制された昭和五三年三月までの間、原告と内縁関係にあり、岐阜県中津川市中津川字垣外一五三番一所在の原告の実家(以下「中津川の実家」という。)及び東京都千代田区麹町所在の原告の借家(以下「麹町の借家」という。)の鍵を所持し、これらに自由に出入りすることができたところ、原告が入院によって長期にわたり拘禁されているのを奇貨として、原告が右両家屋において所持、保管しておいた原告所有の本件動産を含む膨大な量のコレクションを全て持ち出し、自己の管理下に置いている。
したがって、原告は、被告渡邊に対し、所有権に基づき、本件動産の引渡しを求める。
(二) 被告渡邊に対する予備的請求に関する主張
(1) 仮に被告渡邊が本件動産を全て原告に無断で処分しており、その引渡しが不可能となっているとすれば、被告渡邊の右処分行為は、原告の本件動産の所有権を侵害した違法なものであり、不法行為を構成するから、被告渡邊は、原告に対し、原告が被った損害を賠償する責任を負う。
(2) 本件動産は、原告がこれを所持していた時期から現在に至るまでの間、次の価格を下回ることはない。
<1>万年筆(ウォーターマン特注品一本) 一億円
<2>古地図約一七〇点(一枚当たり一〇万円) 一七〇〇万円
<3>フルート一個 六〇万円
<4>紫檀机一個 五〇〇万円
<5>大型長火鉢(欅材)一個 二〇〇万円
<6>画集(いずれも署名入りのもの)合計三冊
小林古径画集一冊 五〇万円
前田青邨画集一冊 八〇万円
安田靫彦画集一冊 一〇〇万円
<7>玉露用茶入、茶壷一式 七五〇万円
<8>原告作品
油彩約二一五点 約一億〇七〇〇万円
(ただし、大型のもの約四〇点(総額約四〇〇〇万円)、中型のもの約九〇点(総額約五〇〇〇万円)、小型のもの約八五点(総額約一七〇〇万円)である。)
水彩約五〇〇点(一点あたり約一五万円) 約七五〇〇万円
<9> 右<1>ないし<8>の総額 三億一六四〇万円
(3) したがって、原告は、被告渡邊の右行為により、合計三億一六四〇万円の損害を被ったから、被告渡邊に対し、民法七〇九条の不法行為による損害賠償請求権に基づき、三億一六四〇万円の支払を求める。
7 被告美樹及び被告渡邊の共同不法行為(第二事件)
(一) 被告美樹及び被告渡邊は、原告が宇都宮病院の入院によって長期にわたって拘禁されていることを奇貨とし、昭和五五年八月ころ、共謀のうえ、原告所有の本件書籍等を原告に無断で売却、処分したが、同被告らの右処分行為は不法行為を構成する。
(二) 原告は、右不法行為により、別紙物件目録(二)の「価格」欄記載の価格相当額合計七四五万六〇七〇円の損害を被った。
(三) したがって、原告は、被告美樹及び被告渡邊各自に対し、民法七〇九条の不法行為による損害賠償請求権に基づき、七四五万六〇七〇円の支払を求める。
四 被告美樹の主張
1 入院に至る経緯
(一) 被告美樹は、家族や兄弟らから、原告が大学卒業後も定職に就かず、母親や複数の女友達に頼って徒食しているなどと伝え聞いていた。
(二) 原告は、昭和五三年二月ころ、中津川の実家に居住していたが、被告美樹は、久通及び大樹らから、原告に、<1>不必要に高価な食品を購入する、<2>高価なライター、靴を購入する、<3>相手が迷惑がっているのに、高価な酒、魚をやたらに知人に贈る、<4>著名人と付き合いがあるとひけらかす、<5>常時数人の女性と性関係を持つなどの異常な言動があり、最近はそれが激しくなったとの報告を受けた。
(三) また、原告は、昭和五三年二月から同年三月にかけて、貞子、千世子、被告渡邊らに対し、連日、皮ベルト、スリッパ等で殴る、蹴るなどの暴行を連日加えた。
(四) 被告美樹は、原告の奇行、暴行が激しくなるにつれ、千世子、久通、大樹(同人は東京に勤務していたが、原告の前記の言動のため、度々休暇を取り、中津川の実家に赴いていた。)らから、中津川に来て適切に対処して欲しいと繰り返し要求を受けた。
被告美樹は、同年三月初旬、久通から、電話で、貞子、被告渡邊が原告から半死半生の暴行を受けたこと、自分が相談した医師や被告渡邊が相談した医師は原告が精神病であると言っていること、一刻も早く被告美樹が中津川に来て原告を精神病院に入院させなければならないこと、既に大湫病院に事情を話してあり、原告を連れて行って診察のうえ、入院させてもらう約束になっていることを聞いた。
(五) 被告美樹は、慎重を期して、原告を精神病院に入院させることが自分のみの意思ではなく、兄弟全員及び内妻である被告渡邊の意思でもあることを確認したうえで、同月二〇日、原告を大湫病院に入院させ、同月二四日、宇都宮病院に入院させた。
2 原告の被告美樹に対する請求について
(一) 第一事件
(1) 被告美樹は、原告主張の不法行為責任を負うものではない。
原告は、右1のとおり、昭和五三年三月ころ、精神障害者で入院の必要があったのであり、大湫病院の江口医師及び被告石川は、原告を精神障害者であると診断し、同意入院の要件があるものと認め、原告を入院させたのであるから、被告美樹らが原告を精神病院に入院させたことは精神衛生法に基づく適法なものである。なお、各入院の際、被告美樹は、原告の保護義務者に選任されていなかったが、同年四月一一日、東京家庭裁判所に対し、保護義務者選任を申し立て(同裁判所昭和五三年(家)第二六一七号事件)、同月二四日、同裁判所において保護義務者に選任されたから、精神衛生法三三条所定の同意が追完されたというべきであり、手続違背はない。
(2) 原告の損害については争う。
(二) 第二事件
(1) 被告美樹は、原告主張の不法行為責任を負うものではない。
(2) 仮に、被告美樹が原告主張の不法行為責任を負うとしても、右不法行為に基づく損害賠償請求権は時効により消滅している。
原告は、昭和五八年六月二九日、宇都宮病院を退院し、麹町の借家に赴き、同家屋が滅失していることを知ったのであるから、遅くとも同日には、本件書籍等のうち同家屋に保管してあった物件が滅失したことを知ったはずである。また、本件書籍等のうち中津川の実家に保管してあった物件についても、原告は、遅くとも同年内にはこれが滅失したことを知ったはずである。したがって、原告の右損害賠償請求権は、遅くとも昭和六一年一二月三一日の経過をもって時効により消滅した。被告美樹は、原告に対し、昭和六二年一〇月一二日の本件(併合前の第二事件)口頭弁論期日において、右時効を援用するとの意思表示をした。
五 被告渡邊の主張
1 第一事件
(一) 主位的請求について
被告渡邊は、次のとおり、本件動産を所持ないし保管していたことはないし、現に所持ないし保管していない。
(1) 被告渡邊は、入院後も原告の回復を信じ、その退院を待っていたが、回復の見込みが立たないので、原告の入院から五年を経過した昭和五八年四月ころ、原告の友人である原純子(以下「原」という。)、北村精一(以下「北村」という。)、原告の従兄弟である井口ヨシオ(以下「井口」という。)らと相談のうえ、原告の身辺を整理することにした。被告渡邊は、原方の庭先にプレハブの物置を建てさせてもらい、原、井口、北村と共同して麹町の借家や中津川の実家にあった原告の所持品の全てを右物置に運び込み、まとめて保管した。しかし、本件動産はその際には存在しなかった。
(2) なお、被告渡邊は、昭和五九年五月ころ、原告の代理人の弁護士長谷川純(以下「長谷川弁護士」という。)らに対し、原らと共に、原告の所持品を全て送付し、これを引き渡した。
(二) 予備的請求について
(1) 被告渡邊は、本件動産を所持ないし保管していたことはない。
(2) 仮に原告主張の不法行為が成立するとしても、それによる損害賠償請求権は時効により消滅している。
すなわち、原告は、遅くとも平成三年七月八日の本件口頭弁論期日において、被告渡邊の本人尋問により、同被告が原告の所持品を処分したことを知ったものである。したがって、右損害賠償請求権は、その三年後の平成六年七月八日の経過をもって時効により消滅した。被告渡邊は、原告に対し、平成一一年二月一日の本件口頭弁論期日において、右時効を援用するとの意思表示をした。
2 第二事件
(一) 被告渡邊が、本件書籍等のうちの一部の書籍を代金五〇万円で売却したことは認めるが、その余の書籍等については、占有していないし、また、売却していない。
(二) 仮に原告主張の不法行為が成立するとしても、それによる損害賠償請求権は時効により消滅している。
すなわち、被告渡邊は、入院期間中である昭和五七年、原告に対し、麹町の借家と中津川の実家にある物件の売却を伝えた。そして、原告は、昭和五八年六月二九日、麹町の借家に赴き、同家屋が滅失していることを知ったのであるから、本件書籍等のうち麹町の借家に保管してあった物件が処分されたことを知ったものである。また、原告は、右時期からまもなく、中津川の実家にも赴いており、本件書籍等のうち右実家に保管してあった物件の処分について知ったものである。したがって、原告主張の不法行為による損害賠償請求権は、遅くとも昭和六一年一二月三一日の経過をもって時効により消滅した。被告渡邊は、原告に対し、平成一〇年一二月七日の本件口頭弁論期日において、右時効を援用するとの意思表示をした。
(三) 原告主張の不法行為による損害賠償請求は、信義則に違反し、権利濫用として許されない。
六 被告報徳会、被告武村、被告石川の主張
1 原告の精神障害(同意入院(精神衛生法三三条)の実質的要件の充足)
被告石川は、昭和五三年三月二四日、原告を診察し、原告の成育歴及び生活状況等について予め知っていた事実関係や右診察の結果により、精神分裂病と診断し、入院が必要であると判断した。被告石川は、その後、原告との度重なる面接、近親者の事情聴取、医師団による集団的な検討等により、精神病質との診断に達した。
したがって、原告は、宇都宮病院入院時、精神障害者であり、その医療及び保護のために入院が必要と判断されるものであった。
2 同意入院の形式的要件の追完
被告美樹は、原告の入院前に、被告武村を通じて、被告石川に対し、原告の宇都宮病院への入院を要請していたところ、昭和五三年三月二四日付け「精神障害者入院についての同意書」を提出し、原告の宇都宮病院への入院に同意した。被告美樹は、東京家庭裁判所に対し、保護義務者選任を申し立て(同裁判所昭和五三年(家)第二六一七号事件)、昭和五三年四月二四日、同裁判所において保護義務者に選任された。
したがって、原告の宇都宮病院への入院について、同意が追完された。
3 入院継続の必要性
原告は、宇都宮病院の入院中、若干の波があるものの、入院期間中を通じ、他の患者との交流におしなべて消極的であり、また、入院五年目に他の患者とトラブルを起こし、相手に怪我をさせるなど、原告の対人関係形成の困難さは、入院中、十分には改善されなかった。
また、原告は、昭和五三年から絵画の制作を開始したが、宇都宮病院は、原告に対し、絵画制作を励まし、新館四階にあった空室を制作場所として提供し、絵の具、カンバス等を供与して便宜を図った。原告の絵画制作は入院中のほぼ全期間に及んだが、断続的であり、基本的には、気が向けば描くという状況であった。
したがって、原告は、退院の日である昭和五八年六月二九日まで入院の必要があった。
4 原告に対する治療
入院中の原告に対する治療は適切なものであり、違法性はない。
宇都宮病院は、原告に対し、生活療法、精神療法、薬物療法、作業療法を試み、また、原告の退院後を想定した環境調整を進展させるため、原告の親族等との連絡を図った。
七 被告県の主張
1 栃木県知事に医療法、精神衛生法上の権限行使を怠った違法があり、被告県が国家賠償法一条一項による責任を負うことは否認する。
2 被告県に医療行政及び精神衛生行政上の権限行使を怠った違法があり、被告県が国家賠償法一条一項による責任を負うことは否認する。
地方公共団体である被告県は、私立の精神病院に対し、医療法及び精神衛生法上の監督事務を所掌するものではない。
八 主たる争点
1 第一事件
(一) 原告の入院の違法性
(1) 原告の精神障害及び入院の必要の有無
(2) 保護義務者の同意の有無等
(3) 入院の継続の必要の有無
(二) 入院等についての被告美樹、被告報徳会、被告武村、被告石川、被告県の責任の有無
(三) 入院による原告の損害額
(四) 被告渡邊の本件動産の占有の有無
(五) 被告渡邊の本件動産処分の有無、損害賠償請求権の時効消滅
2 第二事件
(一) 被告美樹及び被告渡邊の本件書籍等の処分の有無
(二) 損害賠償請求権の時効消滅
第三当裁判所の判断
一 前記第二の二の事実、証拠(甲一、四ないし六、一二の1、2、一三ないし一六、一七の1ないし4、二〇、二一の1、2、二二ないし二四、二五の1、2、二六、二七ないし二九の各1、2、三〇の1、三一ないし三三、三五、三八ないし四五、四六の1、2、四七、四八、四九の1、2、五八、五九、六一の1ないし7、六三ないし六六、六八、六九、七一、七二、七四の1ないし3、乙一の1、2、二の1、2、三の1、2、四ないし一三、一四の1、2、一五、一六、丙一の1ないし7、二の1ないし8、三の1ないし4、四の1ないし6、五の1ないし5、六の1ないし6、七の1、2、八の1ないし27、九の1ないし4、一〇、一一、一二の1ないし35、一三、一四の1ないし16、一五の1ないし5、一六の1、2、一七ないし二一、丁一ないし六、七の1ないし3、八ないし一五、二六、三二の1、2、己1、証人水野三八三、同佐々木由紀子、同江口和夫、同大樹、原告本人、被告美樹本人、被告渡邊本人、被告武村本人、被告石川本人、土田病院及び株式会社東海銀行に対する各調査嘱託の結果)及び弁論の全趣旨によれば、以下の各事実が認められる。
1 入院に至る経緯
(一) 原告は、昭和八年七月一三日、岐阜県中津川市(当時は中津川町)において、豊吉(明治二四年一一月八日生)と貞子(明治三三年一月八日生)の第五子(二男)として出生した(豊吉と貞子の間の子供は、幼くして死亡した者を除けば、内堀千尋(大正九年一月二二日生。以下「千尋」という。)、被告美樹(大正一四年八月七日生)、千世子(昭和三年三月二五日生)、原告、吉田立子(昭和一二年五月二六日生)、大樹(昭和一六年一月一日生)の六人である。)。豊吉は、株式の仲買を業とし、中津川町議会議員を務めていたこともあった。
被告美樹は、原告が満九歳の時に、進学のため、中津川の実家を離れた(なお、この時から現在に至るまで、被告美樹と原告の交流の機会は少なかった。)。
(二) 原告は、昭和二七年三月、恵那高等学校(新制)を卒業したが、大学に進学することなく浪人した。原告は、浪人中の昭和二八年九月、長野県の上高地に旅行中、同じく旅行に来ていた名古屋市在住の被告渡邊(昭和六年五月二日生。昭和二八年当時、日本銀行名古屋支店に勤務していた。)と知り合った。原告は、旅行後、約束を取り付けたうえで、名古屋市において被告渡邊と会い、その後、原告が頻繁に名古屋市に赴き、二人は交際するようになった。
被告渡邊は、原告と数回会ったころ、原告には自己中心的な面があり、怒りやすく、また、すごく神経質な性格であると思った。
(三) 原告は、昭和二九年四月一日、上智大学文学部独文学科に入学した。原告は、同大学の寮に入ったが、被告渡邊に対し、手紙で、寮生活の不満をいろいろ述べ、一年足らずで神奈川県逗子市所在の一軒家に間借りした。しかし、ここも不便であったことから、原告は、その半年後には、東京都千代田区麹町所在の未亡人本木佐和(以下「本木」という。)の家(麹町の借家)に下宿することにした。
被告渡邊は、昭和三〇年から昭和三六年ころまでの間、何回か上京して原告と会い、麹町の借家に泊まった。被告渡邊は、その際に、本木と数回会ったが、本木は原告をひどく恐れている様子で、被告渡邊に対し、原告に腕が動かなくなるほど殴られたことや下宿代を全く支払ってくれないことなどを話し、助けを求めた。
原告と被告渡邊は、昭和三〇年秋ころ、肉体関係を持ちこれを継続したが、原告は、肉体関係を持ったことから、被告渡邊に対し、一層自己中心的な態度を取るようになり、被告渡邊が原告を避けるような態度を示すと、すぐに逆上し、被告渡邊に対し、二人の関係をばらして職場にいられないようにしてやるなどと脅したり、手で殴ったり足で蹴ったりするなどの暴行を加えた。
また、原告は、このころから、有名百貨店等に行って良い品物を欲しがるようになり、被告渡邊に対し、そのための金員を送るよう要求した。その額は次第に高額化し、原告は、被告渡邊に対し、下宿代、食費、電気代、学費、書籍代、絵の具代等と称して当然のように送金を求めた。被告渡邊は、できる限り送金するようにし、自己の給与のかなりの部分を送金したが、高額化した原告の送金要求に応じられないことがあった。原告は、被告渡邊から送金できないと述べられたときなど、被告渡邊に対し、暴力を振るうなどした。
(四) 原告は、昭和三一年四月一日、上智大学文学部外国語学科に転科し、昭和三四年四月一日、同学部史学科に再転科し、昭和三六年三月、同大学文学部史学科を卒業した。原告は、大学時代、洋画家を目指しており、昭和三八年ないし昭和三九年ころ、東京の銀座文春ホールにおいて、個展を二週間ほど開催した。右個展は原告がその費用を負担するものであったが、原告は、貞子、被告渡邊等に対して金員を要求し、これにより右費用を支払った。
原告は、昭和四〇年八月、渡米し、昭和四一年四月から同年五月までの間、ニューヨーク市のジャパンソサエティーで個展を開催した。原告は、右渡米期間中も、被告渡邊に対し、送金を要求し、被告渡邊は、右要求に応じ続けた。
原告は、同月ころ、帰国したが、ニューヨークで一緒に生活していた女性を探しに、すぐに福岡県久留米市に向かった。また、原告は、帰国後、高価な時計等の高級品を購入するようになり、被告渡邊に対する金員要求は一段と高額化した。このため、被告渡邊は、原告の右要求に応じられなくなった。
なお、原告は、そのころまで、絵を描いたり、書籍のカバーや雑誌等の挿絵を描いたりしており、それらによる収入を得ていたようであるが、少なくとも昭和四〇年代後半以降、画業等の芸術活動による収入を得ていたことを確認することはできない。
(五) 原告は、昭和五二年一二月ころ、中津川の実家に戻った。原告は、毎週のように週末、被告渡邊を中津川の実家に呼び付け、自己の身の回りの世話をさせた。また、原告は、被告渡邊以外の女性を中津川の実家に呼び付けることもあった。
原告は、従前から、貞子や被告渡邊に対し、すぐ怒っては暴力を振るっていたが、同年一二月に中津川の実家に戻ったころから、貞子に対して食事がまずいなどと言って暴力を振るうなどその傾向がますます顕著になり、殴るうちにますます興奮し、限度をわきまえない暴行を加えるようになった。
(六) 原告は、昭和五三年二月末から三月初めころの週末、東京都内に住んでいた大樹を中津川の実家に呼び付けたが、その用件は貞子の借財のことであった。そして、原告は、それ以降、毎週末、大樹を中津川の実家に呼び付け、大樹が東京に戻っているときは、大樹に対し、毎日のように原告に電話をかけるよう要求した。大樹は、原告の右要求に応じないと、原告が大樹の勤務先や寮へ異常な電話をかけることから、右要求に応じていたが、その間、被告美樹に頻繁に電話をかけるなどし、被告美樹に対し、原告の所へ行って対処するよう求めた。しかし、被告美樹は、大樹の右要求に応じなかった。
(七) このころ、原告に異常な言動が顕著にみられるようになった。例えば、原告は、毎日のように、朝と夜に知人らを呼び付けていた。また、原告は、「母の借財は俺がカタをつけてやる。そのかわり兄弟姉妹の財産を取り上げてやる。」、「兄弟姉妹に毎月数万円ずつ俺に送らせる。」、「兄弟姉妹、義兄、甥、姪をたたき殺してやる。」、「勤務先へ行ってクビにしてやる。」等と言ったり、俺は誰かに狙われていると言ってこたつで寝たりしていた。
そのため、大樹と千世子の夫である久通は、被告美樹に電話をかけ、被告美樹に対し、原告の言動の異常さが激しくなっており、原告が貞子や被告渡邊に対して殴る蹴るの暴行を加えるので至急中津川に来て対処して欲しいと要求した。また、大樹と久通は、被告美樹に対し、原告の異常な言動として、不必要に高価な食品を購入すること、高価なライターや靴を購入すること、高価な酒や魚をやたらに知人に贈り、贈られた方は迷惑がっていること、著名人と付き合いがあるとひけらかすこと、常時数人の女性と性関係を持つことなどを伝えた。しかし、被告美樹は、大樹や久通の右要求にも応じなかった。
(八) 原告は、同年三月初旬のある夜、誰かが自分を捕まえに来ている、何か音がする、誰かが見張っているなどと言って食卓テーブルの下に隠れたり、怖い怖い、助けてくれと言って被告渡邊にしがみついたりし、家中の明かりをすべてつけて家の中を逃げ回り、泣き出した。被告渡邊は、原告に対し、誰も見張っていない、絶対に大丈夫だからと言って落ち着かせようとしたところ、原告は、三〇分程度で落ち着き、普段の状況に戻った。
(九) 久通は、同月初旬及び同月中旬、被告美樹に電話をかけ、原告が再び貞子や被告渡邊に激しい暴力を振るったこと、自分らが相談した地元や名古屋市の医師は原告が精神病であると言っていること、直ちに被告美樹が中津川の実家に来て、原告を入院させる必要があること、既に大湫病院から入院の承諾を得ていることを話した。
そこで、被告美樹は、同月初旬ころ、大学時代の後輩である東京大学医学部の精神科助教授の被告武村に電話をかけ、原告の精神状況等について相談した。
(一〇) 被告渡邊は、同月一一日(土曜日)、仕事が終わった後、原告に電話をかけ、原告に対し、今日は中津川に行かないと伝えた。
貞子は、同日深夜、タクシーで被告渡邊の自宅に突然やって来た。貞子は、非常におびえながら、被告渡邊に対し、原告から殺されそうになるほどひどい暴行を受け、生命の危険を感じたので、タクシーに乗って被告渡邊の所に来たと話した。そして、貞子は、被告渡邊を中津川に連れて帰らないと原告に殺されそうだから、すぐに中津川に来て欲しいと懇願した。
被告渡邊は、貞子を少し休ませた後、同月一二日(日曜日)午前零時ころ、貞子と一緒にタクシーで中津川の実家に赴いた。被告渡邊らが、同日未明、中津川の実家に到着するとすぐに、原告は、被告渡邊と貞子に対し、暴力を振るい、手拳で殴打したり足で蹴ったりした。さらに、原告は、革製のスリッパで殴り始め、被告渡邊と貞子は、体中あざだらけになり、身動きができなくなった。その後、原告は、同日の朝、被告渡邊と貞子が動けなかったことから、千世子に朝食を作らせるため、同女を中津川の実家に呼び付けた。また、被告渡邊は、着替えの下着が欲しかったため、原告に頼んで、近所の藤井峰子を呼んでもらった。まもなく、千世子と右藤井は、中津川の実家に来たが、被告渡邊と貞子の様子を見て驚き、千世子は、東京にいる大樹を呼び出した。
大樹は、中津川の実家に到着すると、千世子の夫の久通や近所に住む原告の友人の梅田英樹(以下「梅田」という。)と相談し、被告美樹を呼ぶことにした。
被告渡邊は、同月一三日(月曜日)、体を動かすことができないため仕事を休み、同月一五日ころ、ようやく歩けるようになり、名古屋に戻った。しかし、被告渡邊は、膝に水がたまって痛みがひどくなり、再び動けなくなったため、同月一八日の朝、名古屋市所在の名古屋第二赤十字病院の外科で診察を受けた。
なお、原告は、被告渡邊が名古屋市の自宅に帰る際、被告渡邊に対し、誰かが一緒にいないと怖いので東京の岩井マキを呼べと言った。そこで、被告渡邊は、自宅に戻った後、右岩井に電話をかけ、中津川の実家に行ってもらったが、右岩井も、原告が手に負えないようで帰ってしまい、原告は、代わりに大野信子を中津川の実家に呼んだ。
(一一) 被告美樹は、同月初旬から中旬にかけて、二回にわたって被告武村の研究室を訪問し、被告武村に対し、原告に関して大樹や久通から聞いた内容などを話した。被告美樹は、被告武村に対し、原告の精神状態に様々な問題があるが、それが精神医療の対象になるものなのか、なるとすれば、どのような異常が考えられるのか、治療はどうしたら良いのかなどと相談した。被告武村は、被告美樹から、原告に関して、大学時代から大学中退(実際は卒業)後にかけて以前と違ういろいろな性格行動上の問題が出てきたこと、原告自身は働かないで母親や何人かの女性に依存して生活しており、それが長年にわたっていること、このような生活状況であるにもかかわらず、非常に高価な買物をたくさんすること、病的に潔癖であること、精神的に不安定になって興奮しやすく、最近になって被告渡邊や貞子に対して暴力を振るっていることなどを聞いた。そこで、被告武村は、被告美樹に対し、原告の精神状態は異常であるが、これは性格の異常であることも精神病であることも考えられること、精神病であるとすれば、精神分裂病が最も疑わしいことを伝え、原告には精神障害があって、現在著しく不安定な状況に至っているから、その治療のために入院治療が望ましいと助言した。
(一二) 大樹と久通は、同月一五日ころ、被告美樹に電話をかけ、被告美樹に対し、原告がとてもひどい状況になっており、いつ爆発するか分からないこと、貞子と被告渡邊が寝込んでいることなどを話し、中津川の実家に来るよう要求した。被告美樹は、大樹に対し、自分が東京の専門医に相談したところ、右専門医から原告の現状、家族の構成、兄弟姉妹の子供のころからの様子等を聞かれ、右専門医は原告を病院で診察してもらい入院治療の必要があると述べていた旨伝えた。そして、被告美樹は、大樹に対し、原告を入院させることに協力して欲しいと依頼し、「中津川の近くの病院から出されるようなことがあるときは、他の病院を先生から紹介してもらえるから安心するように。」とも述べた。
大樹は、梅田、同じく原告の友人である安江重信(以下「安江」という。)らに対し、被告美樹から聞いたことを伝え、梅田らは、協力を了承した。大樹は、被告美樹に対し、右了承の旨を伝えた。
(一三) 被告石川は、同月中旬ころ、東京大学の脳研究施設の助教授室を訪れ、被告武村と会った。当時、被告石川は、週に一回くらい、勉強や研究等のために東京大学に出掛けており、その折に、被告武村の研究室を訪問することがあった。他方、被告武村は、宇都宮病院の非常勤医師として精神鑑定の鑑定留置や症例検討会のために同病院に赴くことがあり、被告石川から特別に診察を頼まれた患者を診察することもあった。
被告武村は、被告石川に対し、原告の状況に関して、原告は、大学中退後、約二五年間、就労してないこと、幻覚、妄想があって非常にひどい状態であること、原告の母親や内妻に対する暴力行為が甚だしいこと、原告は母親や内妻に金銭を要求していること、借金が増えていること、原告は多くの女性と付き合い、金銭をもらっていることなどを説明し、原告は家族や内妻等の近親者の手に負えない状況にあり、周りの者が原告の対応等に苦慮している旨述べた。そして、被告武村は、被告石川に対し、原告にはこのような精神障害があり、住居が名古屋であることから、名古屋の近辺に入院させたいが、それが不可能なときは、宇都宮病院にお世話になるかもしれないと話した。これに対し、被告石川は、原告が宇都宮病院に入院することに消極的であり、被告武村に対し、原告は近くの病院に入院して治療を受けるのが一番である旨述べた。
(一四) 被告渡邊は、同月一八日、前日の大樹の依頼に従い、原告の健康保険証を持って中津川市にある千世子方に到着すると、千世子方には貞子もいた。大樹と千世子は、被告渡邊に対し、原告を入院させることにしたと述べた。被告美樹は、同日夕方、千世子方に到着した。
その夜、千世子方に、被告美樹、大樹、被告渡邊、千世子、久通、梅田、安江らが集まり、被告美樹は、大樹らに対し、被告武村に相談した際の話を伝え、原告を大湫病院に入院させること、もし原告が大湫病院から出されることがあれば、他の病院を紹介してもらえることを説明した。
(一五) 被告美樹、大樹、千世子、久通、千尋及び梅田、安江を含む原告の友人ら四、五名は、同月一九日、原告を入院させる段取りを決めるため、千世子方に集った。そして、被告美樹らは、翌日に原告を入院させるための打ち合わせなどを行った。また、被告美樹は、大樹の運転する自動車に同乗して地元の警察署に行き、翌日に警察官が立会ってもらうよう手はずを整えた。
被告美樹は、大樹、千世子、千尋に対し、原告の入院に必要であると述べて、同日付け同意書(乙二の1)を差し出し、被告美樹、大樹、千世子、千尋は、右同意書に署名及び捺印(ただし、千尋は指印)した。
また、被告美樹は、被告渡邊に対し、被告渡邊は原告の親族ではないが、原告を入院させるための同意書を書いて欲しいと依頼した。被告渡邊は、原告の行動は異常であり病人であると思っていたことから、同日付け同意書(乙二の2)に署名指印した。
(一六) 被告美樹、大樹、久通、被告渡邊、原告の友人らは、同月二〇日の朝、中津川の実家に集った。被告美樹は、布団の中で寝ていた原告に対し、これから原告を精神病院に連れて行って診察を受けてもらう旨述べると、原告は、これに抵抗して暴れ出した。そこで、被告美樹らは、横になっていた原告を取り囲んで手錠をかけ、布団で原告を巻き上げ、ひもで縛った。この時、警察官二人が立ち会い、事態の推移を見ていた。また、被告渡邊は、マイクロバスの中で待機していた。
被告美樹らは、原告をマイクロバスに乗せ、手錠をはめたままで大湫病院に連れて行った。同日午前一〇時三〇分ころ、被告美樹、大樹、久通は、大湫病院の院長である江口医師と面会し、江口医師に対し、原告のこれまでの生活状況や異常な言動等を説明した。江口医師は、原告を診察し、右診察の結果と被告美樹らの説明から、原告の精神症状について、manie(精神病質の疑い)(manieは躁病を意味する。)と診断し、医療及び保護のため入院の必要があると判断した。しかし、江口医師は、原告を入院させると病院の秩序が保てないおそれがあると考え、被告美樹らに対し、その旨とそのため原告の入院を断ると述べた。そこで、被告美樹は、被告武村に電話をかけたところ、被告武村は、被告美樹に対し、宇都宮病院が原告の入院を受け入れるので、宇都宮病院が原告を引き取りに来るまでの間、大湫病院で原告を一時的に入院させて欲しいと回答した。被告美樹は、江口医師に対し、近いうちに宇都宮病院が原告を引き取るので一時的に原告を預かって欲しい旨依頼し、江口医師は右依頼を受け入れた。
江口医師は、同日午後一時二〇分ころ、原告を大湫病院に入院させ、原告に対する処方として、ヒルナミン一五ミリグラム(向精神薬、抗精神病薬)、バランス三〇ミリグラム(向精神薬、抗不安薬)、ポポンS三・〇(綜合ビタミン剤)の投与を指示した。被告美樹は、右入院の際、保護義務者として原告の右入院に同意し、同日付け入院同意書(甲四の二三丁目はその写し)に署名捺印した。
なお、原告の診療録(甲四はその写し)のうち入院診療録の「現症歴」欄(一丁目)には、被告美樹、久通、大樹が原告に関して陳述した内容として、「定職がなく東京から五二年一一月より中津川市の実家に帰って来ている。入籍していない女友達があり(渡辺)、三月四日(土)に、中津川へ来ないので電話を掛けたら母親の件で行かないと言うので怒り出し、老母に『迎えに行け、迎えに行かないと殺す』等と言って怒るのでタクシーで迎えに行った。『すぐ来い、来なければ姉の子供を殺す。』等と言って怒り、渡辺さんと母親が着いたら殴ぐる、けるの乱暴をした。その後も『俺に内緒で借金している』等と言って怒ったりしている。自分勝手な事、嘘と事実とを折り混ぜてしゃべり続けている。『誰れかが連れに来る。』『誰かが殺しに来る』『お袋が俺を殺しに来る。』『恐ろしくて眠れない。』等と言って電気を付けたままにしている。この一〇日間位殆んど眠れない。何万円もするウイスキーやカメラをー〇台とか何十本も部屋に並べたりする様な浪費をする」と記載されている。
(一七) 原告は、同日から同月二四日までの間、閉鎖病棟の中にある観察室に収容されたが、右観察室は保護室に相当するものであった。そして、江口医師は、入院期間中、原告の言動を観察し、原告の精神症状について「redselig」(良くしゃべることを意味する。)、「unruhig」(落ち着かない、不穏を意味する。)と判断し、原告の症状について、Psychopathie(manieの疑い)(Psychopathieは精神病質を意味する。)と診断した。
(一八) 原告は、同月二四日午後、大湫病院を退院した。そして、原告は、宇都宮病院から迎えに来た藤田看護士が運転する自動車に乗せられて宇都宮病院に向かい、同日午後一〇時前に宇都宮病院に到着した。
被告石川は、原告の到着後、右藤田看護士から、原告に首を絞められ、自動車が一〇〇メートルほど暴走し、あわや人身事故になりそうだったとの報告を受けた。
(一九) 被告石川は、その後、宇都宮病院の南一病棟にある診察室で原告の診察を行った。被告石川は、右診察の結果、原告の精神症状等について、精神運動が非常に興奮して人格を飛び跳ねた異常行動をしており、精神分裂病の緊張病状態になっていると診断し、医療及び保護のため入院の必要があると判断した。被告石川は、その際、普段用いているメモ用紙一枚(甲一の六九頁)に、原告に対する総括的な所見として、「頑固 かまえて 人品よし steif 言うまい flieβende」と赤ペンで記載した。そして、被告石川は、原告に対する処方について指示を出し、催眠鎮静剤(麻酔薬)であるイソミタールを注射して原告を寝かせるよう命じた。
被告石川は、同日午後一〇時すぎころ、原告を宇都宮病院に入院させた。その際、被告石川は、ケースワーカーに対し、原告に関する同日付け同意入院者入院届(甲一の二六頁)の「病名 症状の概要」欄に、「精神分裂病 幻聴、幻視、就労意欲なし。暴力行為は非常に激しい」と記載させた。
原告は、イソミタール五〇〇ミリグラムを筋肉注射により投与されたため意識を消失し、その状態で南一病棟の大部屋に収容された。なお、被告石川は、原告に対する処方として、クロルプロマジン二〇〇ミリグラム(向精神薬、抗精神病薬)、ヒルナミン二〇〇ミリグラム(向精神薬、抗精神病薬)、ルミナール(催眠鎮静薬)、パアキン(抗パーキン剤)、ビタメヂン(綜合ビタミン剤)、タチオン(肝臓薬)の投与を指示した。
2 宇都宮病院入院中の経過
(一) 原告は、宇都宮病院入院中、精神症状の改善を主たる目的として、薬物療法、精神療法及び作業療法等の治療を受けた。入院中の原告の診察は、主として被告石川が担当したが、各病棟担当の医師もこれを行っていた。被告武村は、宇都宮病院に関係する医師として、時折、原告の診察を行い、原告に対する処方や処遇の方針を指示した。
原告の入院中の経過は、次のとおりである。
(二) 原告は、昭和五三年三月二五日、二六日、訴え事が多く、不満を述べるなどした。
被告美樹は、同月二五日、宇都宮病院を訪れ、被告石川と面会した。被告美樹は、被告石川に対し、原告の浪費癖、貞子や被告渡邊に対する暴力、原告の女性関係、原告の異常な言動、大湫病院入院時の様子等を話した。そして、被告美樹は、原告の宇都宮病院への入院に同意し、同月二四日付け精神障害者入院についての同意書(甲一の二五頁)に署名捺印した。また、被告美樹は、宇都宮病院の事務員から、東京家庭裁判所において原告の保護義務者として選任を受けるよう指示された。
原告は、同月二七日、ケースワーカーと面接し、ロールシャッハテストを受けた。
(三) 被告石川、宇都宮病院に関係する医師らは、同月二八日午後、原告に対する診察の一環として症例検討会(ディスカッション)を行った。被告石川らは、原告と会話を交わし、原告から、これまでの生活状況、家族との関係等を聞き出した。そして、右症例検討会後、他の医師らから、好訴狂(querlant)、精神病質(pathie)との診断が述べられ、被告石川は、妄想型分裂病(demantia paranoides)又は妄想狂(paranoia)であろうと診断した。被告石川らは、被告武村に次回の症例検討会に出席してもらうことにした。
原告は、同月二九日、東三病棟に移り、被告石川の回診を受けた。
(四) 被告石川、被告武村、宇都宮病院に関係する医師らは、同年四月一日午後、原告に対する症例検討会を行った。右症例検討会後、他の医師らから、好訴狂、類パラノイアで誇大的で躁病的である、空想人、虚談人、妄想狂等であるとの診断が述べられ、被告武村は、精神病質であり、そうでないとすれば、欠陥分裂病の疑いがあると診断した。
被告石川は、原告の診察の結果と二回の症例検討会の結果等から、原告の精神症状について、情性欠如型、爆発型、顕示型の精神病質であると診断した。
なお、原告の診療録(甲一)の「診断」欄(二頁)には、入院時の診断として「pathie」(精神病質を意味する。)と記載されていたが、その後、右記載が二重線で抹消され、確定診断として「Paranoid」(類妄想狂を意味する。)と記載されている。
(五) 原告は、同月一日ころ、表情と動作ともに落ち着かず、多くの訴えをし、不穏な状況であった。また、原告は、毎日のように手紙を出していた。
被告渡邊は、原告が宇都宮病院に入院したことを知り、同月二日、宇都宮病院を訪れた。そして、被告渡邊は、被告石川に対し、自分と原告との関係、原告の女性関係、原告の潔癖性、原告の労働意欲、原告の金銭感覚と女性に対する金員の要求、原告の浪費癖、原告の暴力、原告と貞子との関係、貞子の借金、原告が被告美樹と不仲である理由、原告の異常な言動、大湫病院入院時の状況等について詳細に話した。
(六) 原告は、同月八日、表情が優れず、自分の病室で横になっていたが、与薬時、看護婦の目を盗んで薬をポケットの中に入れたことから看護婦に叱られ、表情と動作ともに落ち着かなかった。また、原告は、他の入院患者といざこざを起こし、打撲傷を負い、精密検査をして欲しいと強く訴えた。そこで、原告の右訴えは、ヒステリックでわざとらしい所があったが、原告は、エックス線撮影を受け、ゼラップ湿布を施してももらった。
原告は、同月九日、医師加藤進昌の診察を受けた際、「Mittelを飲まなかったら私刑にあった。」と述べ、全く一方的で、要領を得ない主張を繰り返した。
(七) 原告は、同月一〇日、相変わらず毎日のように手紙を出していたが、表情と動作ともに落ち着かず、不穏状態であった。
原告は、同月一三日、家に電話して帰らせてくれと訴え、医師の言うことをすべて否定した。
原告は、同月一四日、東二病棟に移った。
東京家庭裁判所は、同月二四日、被告美樹が申し立てた保護義務者選任申立事件(同裁判所昭和五三年(家)第二六一七号事件)において、原告の保護義務者として被告美樹を選任するとの審判をした。
(八) 被告武村は、同年五月一三日、原告を診察した。原告は、被告武村に対し、貞子や被告美樹のこと、自己の貞子に対する暴力、貞子の借金のことなどを話した。
原告に投与されていたクロルプロマジンの量は、同月二〇日、二〇〇ミリグラムから一〇〇ミリグラムに減少された。
(九) 原告は、同月二四日、与薬を拒否したところを発見された。また、原告は、このころ、他の入院患者と交流することを好まず、読書をしたり手紙を書いたりしていた。
(一〇) 原告は、同年六月二八日、入院患者内田と気が合う様子であり、こそこそと話し合っていた。ただし、不穏感は増加した。原告は、被告石川の指示により、新四病棟に移った。
なお、被告渡邊は、被告武村と面会をしたい旨希望していたところ、同月ころ、宇都宮病院において、被告武村と面会した。被告渡邊が、被告武村からの様々な質問に答えた後、被告武村は、被告渡邊に対し、「医者も一生懸命やるが、周りの家族も患者に対して愛情を持って欲しい。そうすれば早く治る。」と述べた。
(一一) 原告は、同年七月、無口でおとなしく、他の入院患者と交流せずに自室にこもって読書をしたり横臥したりすることが多く、意欲に欠けていた。しかし、原告は、家族から電話があったときには、達弁ぶりを発揮するといった裏表を巧みに使っていた。
被告武村は、同月一三日、原告を診察した。原告は、被告武村に対し、貞子の借金について述べたほか、被告渡邊に金員を預けておいたなどと主張した。
また、被告武村は、同月ころ、東京大学脳研究所において、被告渡邊及び大樹と面接し、原告の過去の生活、行状について事情を聴取した。被告渡邊及び被告大樹は、被告武村に対し、原告の家族状況、女性関係、金銭感覚、浪費癖、暴力、絵画制作等の労働意欲、潔癖性等の性格、日常生活の様子等を話した。そして、被告武村は、被告渡邊及び被告大樹に対し、原告の精神状況と治療の見込みについて説明した。被告武村は、右面接後、メモ(甲一の四四四頁)を記し、右メモに、原告が現在主張していることはほとんど虚言であり、原告は、二五年余り、自ら労働せず、経済的に内妻等に依存し、虚言、暴力、女性、非常に高価な品物乃び強迫的清潔、整頓癖で自分の周りをガードしてきた自我萎小の冷情性爆発性分裂病質者である旨記載した。そして、被告武村は、右メモに、今後当分の間の原告に対するコントロールが必要であるとして、内妻の月一回の面会以外の面会を許可せず、内妻との面会には立会いが必要であること、内妻への電話を週一回に制限し、他の者への電話はせいぜい月一回に制限し、手紙も月五通までに制限すること、外出については逃走に注意すること、退院については当分(数年以上)見込みがないことを記載し、右メモを原告の診療録(甲一)に貼付させた。
(一二) 原告は、同年八月、テープ作業を真面目に行っており、言葉遣いも丁寧であったが、相変わらず他の入院患者との交流がなく、また、電話をかけたいとの訴えが多かった。なお、原告は、難聴であるからテープの作業は無理であり、清書の方をお願いしたい旨申し出た。
原告に投与されていたクロルプロマジンの量は、同月二日、一〇〇ミリグラムから一五〇ミリグラムに増加され、ヒルナミン、フェノバールの投与は中止された。
(一三) 被告武村は、同年九月二日、原告を診察した。原告は、被告武村に対し、自分の診療録の冒頭に書いてある内容は全くでたらめであり、早く退院させて欲しいと述べた。そして、原告は、武村に対し、貞子の株式取引等について話したが、被告武村は、原告の右説明の中に依然として虚偽が多く混ざっていると考えた。そこで、被告武村は、原告に対し、原告の話す内容に嘘がないことが判明し、潔癖が治ったら退院しても良いと述べた。
原告は、同月五日、作業意欲が減退し、以前に増して難聴を訴えた。しかし、原告は、イヤホーンでラジオを聴いていた。
原告は、同月中旬及び下旬、生活意欲にも欠け、自室で過ごすことが多くなった。また、原告には自分本位な面が多分に見られ、他の入院患者との交流がなく、協調性に欠けていた。なお、原告は、自室の掃除等をしっかりとしなかったため、注意を受けたことがあった。
(一四) 原告は、同年一〇月、掃除をしないことがあるため、注意を受けた。すると、原告は、病院に対する不満を述べ、退院させて欲しいと話した。また、原告は、被告渡邊から電話がかかってくる度に、被告渡邊に対し、自分は病気ではないなどと話した。なお、原告は、相変わらず他の入院患者とあまり交流せず、自分本位な面が見られた。
原告は、同月中旬ころから、絵(スケッチ)を描くようになった。被告石川は、絵画制作の過程及び成果により退院を検討しようと考え、同月一七日ころ、原告に対し、絵を一〇〇枚描いたら退院できるとの趣旨を述べた。
(一五) 原告は、同年一一月、被告渡邊から電話があると、一方的に話し、退院させて欲しいとしきりに訴えた。そして、原告は、不満そうな笑いのない表情をしていた。また、原告は、相変わらず自己中心的に物事を考えていた。
原告は、異常に張り切ってスケッチを描いたが、いずれも丁寧に描いたとはいい難いものであった。
原告は、同月三〇日、被告石川に対し、スケッチを一〇〇枚描いたので退院させて欲しいとしつこく訴えた。
(一六) 同年一二月四日、原告に対する処方は、クロルプロマジン一〇〇ミリグラム、トプクロン四錠(抗パーキン剤)に減少された。
原告は、同月八日、スケッチを一〇〇枚描いたのに退院させてくれないと不満そうであったが、箱折作業には参加していた。
原告は、同月中旬及び下旬、テレビを観て過ごすことが多くなり、相変わらず退院を訴えていた。
(一七) 原告は、昭和五四年一月、清掃時に怠けていることが多く、絶えず看護者の様子を伺いながら行動し、要領良く逃げようとしていた。そして、原告の表情はむっつりとして不機嫌であり、自分の思いどおりにならないことを認めようとせず、わがままな面が見られた。また、原告は、特定の入院患者とは交流していたが、協調性がなく、一人でいることが多かった。
なお、後記3の(一)のとおり、貞子は、同月一九日、土田病院(精神科)に入院したが、被告石川ら宇都宮病院の医師は、同月下旬にはその事実を知っていた。
(一八) 原告は、同年二月から五月までの間、相変わらず不満げな顔をして早期の退院を希望していた。そして、原告は、箱折作業を真面目に行う以外は、テレビを観て過ごすことが多く、特定の入院患者とのみ交流するようになり、他の入院患者との交流は不活発であった。また、原告は、以前と比べて激しい訴えをすることが少なくなったが、時折、興奮し、以前と同様に顔面を紅潮させた。
(一九) 被告武村は、同年七月二六日、原告を診察した。被告武村は、診療録に、「名古屋の内妻ワタナベ氏はあくまで本人のため自分の生涯を捧げる。早く自覚して過去を反省し、将来地道にやっていってほしいと。」、「Patはワタナベ氏、マスブチ氏その他二股も三股もかけている。母は老年、年令相応の痴呆の他体健。」などと記載した。
(二〇) 原告は、同年八月二日、固い表情をし、相変わらず特定の者を除いて他の入院患者と交流しなかった。そして、原告は、同日、被告武村の診察を受け、被告武村に対し、被告美樹が自分を宇都宮病院に入院させたのは被告美樹の陰謀であるなどと話し、かなり興奮していた。被告武村は、原告に対する処方について、クロルプロマジン、トプクロンの投与を中止して、ドグマチール二〇〇ミリグラム(向精神薬、抗うつ剤)を投与するよう指示し、同日から右指示どおりの処方がされた。
被告渡邊は、同月一七日、宇都宮病院を訪れたが、原告とは面会しなかった。
原告は、同月二二日、「自分がどうして入院しなければならないのか全くわからない。」などとー方的にしゃべりまくった。
(二一) 同年九月一七日、原告の精神症伏の悪化に伴ない、前記ドグマチールに加え、クロルプロマジン一五〇ミリグラムが処方され、その後、原告の精神症伏が鎮静化したので、同年一〇月八日、クロルプロマジンが五〇ミリグラムに減量され、同年一一月五日まで右クロルプロマジンが処方された。
また、同年一一月一日からコパゼパム二錠(向精神薬、抗不安薬)がドグマチールと同時に処方されたが、以後昭和五八年六月二九日の退院に至るまで、クロルプロマジン、ヒルナミン等のいわゆる大精神薬は投与されなかった。
(二二) 原告は、同年一一月ころ、退院患者や外泊患者に対して原告の家族と連絡をとるよう仕向けた。宇都宮病院の担当者は、同月五日、原告に対し、右行為に関して注意したが、原告は、これを否定し認めなかった。
その後も、原告は、退院患者に対し、繰り返し被告渡邊に電話をかけさせ、自分を退院させるよう要求させた。
原告は、昭和五五年二月一八日、他の入院患者と脱院の相談をし、鉄やすりを所持していた。看護者が原告を注意すると、原告は、病院側の取扱い等に不満を述べ、全く反省の様子が見られなかった。原告には、自分の行った行動の原因を他に求める他罰的な側面が見られた。原告は、被告石川の指示により、南一保護室に移棟し、二二日間、右保護室に入室した。
(二三) 原告は、同年三月一一日、被告石川の指示により、東三病棟に移った。
同年四月二六日、原告に対する三回目の症例検討会が行われ、原告の症伏は、pseudologia(虚談症を意味する。)と診断された。
(二四) 原告は、同年五月三〇日、東二病棟に移り、同年七月一〇日、被告石川の指示により、絵画制作のために西三病棟に移り、さらに、同月二四日、新四病棟に移った。
原告は、テレビを観たり、絵を描いたりして過ごしていた。
(二五) 原告は、昭和五六年一月ころ、再び脱院する企てをほのめかしたことがあった。原告は、同年二月以降、相変わらず絵を描いており、また、箱折作業もしていたが、退院したいとの思いが強かった。
被告武村は、同年九月五日、原告を診察し、原告の退院については、原告の今後の生活を決めて考えたいと判断した。
(二六) 原告は、同年一〇月及び同年一二月、ケースワーカーと面接した際、ケースワーカーに対し、兄弟達が退院に反対して退院できないから、兄弟達を納得させて欲しい、被告石川が被告渡邊において引き取れば退院して良いと言ったので、何とか被告渡邊を説得して欲しいなどと一方的に述べた。
(二七) 原告は、昭和五七年八月ないし一〇月ころ、口数が減り、他の入院患者との交流もほとんど見られなくなった。そして、原告は、自室等で横臥する事が以前より多くなり、自己中心的で、協力性に欠け、自己上位型であった。
原告は、同年一一月八日、被告渡邊に電話をかけ、退院の引取りについて話した。また、原告は、被告美樹にも電話をかけたが、被告美樹は不在であった。
原告は、このころ、わがままを言うことが多くなり、訴え事も多かった。また、原告は、他の入院患者と交流していたが、おとなしい状態とはいえず、口論になることがあった。原告は、自己中心的で、自分勝手に物事を進めて行かないと気に入らない様子であった。
(二八) 原告は、同年一二月一〇日午後一〇時ころ、入院患者大幡がうるさいので注意して欲しいと訴えた。同日午後一〇時三〇分ころ、右大幡は、以前から原告に文句を言われていたこともあって、原告の訴えに腹を立て、原告に対し、文句を言って原告の布団の中に入った。すると、原告は、起き上がり、右大幡を殴ったり蹴ったりするなどし、右大幡に対し右目上に約一三ミリの傷を負わせた。同日午後一〇時四〇分ころ、原告は、東三病棟の保護室に収容された。
原告は、同月一一日、被告石川の指示により、西一病棟の保護室に移り、同月一八日まで入室し、同日、新四病棟に移った。
(二九) 原告は、昭和五八年一月、以前に比べるとおとなしくなった様子であるが、わがままで短気な所があり、何か気に入らないと周囲の人に対していばる所があった。また、原告は、絵を描く意欲があまり見られず、昼寝等をしていることが多かった。
被告石川は、同年四月下旬、原告に対し、開放病棟に移りたいか尋ねたところ、原告は、これを断った。
(三〇) 被告石川は、同年五月二四日、原告を診察し、原告に対し、原告が退院しても原告を迎え入れてくれるところがないこと、原告の兄弟は原告の面倒をみられないと言っていることを伝えた。
(三一) 被告石川は、同年六月ころ、医師平畑富次郎(以下「平畑医師」という。)と相談し、原告の退院を決定した。
被告渡邊は、同年六月一一日、被告武村と一緒に宇都宮病院に赴いたところ、平畑医師は、被告渡邊に対し、被告石川が原告を退院させると言っている旨伝えた。被告渡邊は、これを聞いて驚き、原告が治ったから退院するのかと尋ねると、平畑医師は、「治ったというようなことではないであろう。まあ、五年経っているからね。」と答えた。
(三二) 平畑医師は、同月二九日、原告に対し、原告は本日中に退院することになったが、引取人は来院しないことを伝えた。
原告は、同日、引取人の迎えがないまま、宇都宮病院を退院した。
(三三) なお、被告美樹は、原告の入院中、数回、宇都宮病院を訪れたが、原告の小遣いを病院に渡しただけで、一度も原告と面会しなかった。
3 貞子の状況等について
(一) 貞子は、昭和五三年三月一八日には、久通方に引き取られていたが、被告美樹は、同年四月中旬ころ、貞子を東京都所在の自宅に引き取った。貞子は、原告が中津川の実家に戻った昭和五二年一二月ころ、粗相をすることがあったが、昭和五三年夏ころには、それが頻繁となり、老人性痴呆と思われる症状が発現した。
被告美樹は、昭和五四年一月一九日、貞子を東京都台東区所在の土田病院(神経科)に入院させた。貞子は、その際、病名は脳動脈硬化症及び人格障害と診断され、痴呆の程度は年齢を考慮すると軽度であり、推定発病時期は昭和五三年三月ころと判断された。貞子は、昭和五四年六月六日、土田病院から相愛病院に転院し、同年九月一一日、再び土田病院に転院したうえ、昭和五五年一月一七日、千葉県柏市所在の柏初石病院に転院した。貞子は、平成二年一月四日、右病院において死亡した。
(二) 被告美樹は、貞子を自宅に引き取った直後ころから、中津川近辺の人達から、貞子に金を貸してあるとか、株券を預けているとかの申出を受けるようになり、調査の結果、貞子が十数人の人達に総額で約三〇〇〇万円の貸金債務や預かり保管中の株券を無断で処分して横領したことなどによる損害賠償債務を負っていることが判明した。
小原すぎ子(以下「小原」という。)ほか四名は、弁護士三角信行(以下「三角弁護士」という。)らを代理人として、昭和五三年一二月ころ、横浜地方検察庁に対し、昭和五一年九月の預かり保管中の株券の横領等の事実で貞子を告訴した。そのため、被告美樹らは、三角弁護士らと交渉し、昭和五五年一一月一日、千尋、千世子、吉田立子及び大樹と小原ら一三名との間において、大樹らが損害の一部金として小原らに対し全部で三〇万円ないし一〇〇万円宛を支払うことなどを内容とする合意が、同月四日、被告美樹と小原ら一三名との間において、被告美樹が損害の一部金として小原らに対し一〇〇万円を支払うことなどを内容とする合意が成立した。
4 入院中の中津川の実家及び麹町の借家の様子等
(一) 原告が宇都宮病院に入院した後は、中津川の実家に住む者は誰もいなくなり、被告渡邊が、原告の荷物を管理するため、中津川の実家に通っていた。
大樹は、昭和五五年、被告渡邊に対し、中津川の実家を処分する旨伝えた。そこで、被告渡邊は、中津川の実家にあった原告の荷物について、藤井峰子にその一部の保管を依頼し、また、原に依頼して原方の庭にプレハブの物置を建てさせてもらい、その中にその余の荷物を保管した。しかし、二、三年後には右物置内の荷物がぼろぼろになったため、被告渡邊は、予め原告に対し電話で右荷物を処分する旨話したうえ、昭和五八年四月ころ、古本屋である株式会社喜鶴書房(代表取締役北村。以下「喜鶴書房」という。)に対し、原告の書籍を代金二〇万円で売却した。また、被告渡邊は、原と井口に対し、原告の衣類その他の雑貨を引き渡し、これを保管してもらった。
(二) 他方、麹町の借家にあった原告の荷物は、入院後もそのままの状態になっていたが、昭和五六年、麹町の借家を取り壊すことになり、大家である本木は、被告渡邊に対し、原告の荷物を引き取って借家を明け渡して欲しいと要望した。しかし、右荷物の保管場所がなかったため、被告渡邊は、やはり予め原告に対し電話で右荷物を処分する旨話したうえ、昭和五七年六月ころ、喜鶴書房に対し、原告の書籍の保管を依頼し、同年一一月ころ、同社にこれを売却してもらい、右売買代金として三〇万円を受け取った。また、被告渡邊は、このとき、北村に対し、原告の雑貨等を引渡し、これを保管してもらった。さらに、被告渡邊は、井口に対し、原告のその他の荷物類を引き渡し、しばらくの間、井口方で保管してもらった。なお、被告渡邊は、麹町の借家に残っていた原告のベッド、箪笥、ストーブ、テレビ等のかさばる物については、そのまま麹町の借家に残した。
(三) 原告は、宇都宮病院を退院した日に、麹町の借家に赴いたところ、右借家は既に取り壊されていた。また、原告は、同年一一月五、六日、中津川市に赴いたが、そのころまでに中津川の実家にあった自己の荷物がなくなっていることを知った。
(四) 原告は、宇都宮病院を退院した直後から被告美樹に頻繁に電話をかけるようになり、被告美樹に対し、「まず、土下座して俺に謝れ。昭和五三年三月時点の状態にすべてを戻せ。中津川の家を住めるようにしろ。俺の持ち物をすべて返せ。」などと要求した。
原告は、昭和五九年五月一日、原告の代理人である長谷川弁護士及び清水弁護士、東京大学医学部の三浦医師、原告の友人の水野三八三及び藤井峰子と一緒に、被告渡邊に会うために勤務先の日本銀行名古屋支店を訪れた。そして、原告は、被告渡邊に対し、自分は、宇都宮病院を退院したその足で麹町の借家に行ったが、被告渡邊から電話で聞かされていたとおり既に家が壊されており、荷物類が処分されていたことを確認したと述べた。なお、被告渡邊は、この時、長谷川弁護士に対し、原告の入院に関する経緯等を説明した。
(五) 被告渡邊は、同月二三日、原告の代理人である弁護士安田好弘(以下「安田弁護士」という。)に対し、原と井口に保管してもらっていた原告の衣類その他の雑貨を引き渡し、安田弁護士は、被告渡邊に対し、同日付け受領証二七通(丙八の1ないし27)を交付した。また、被告渡邊は、同年六月一〇日、長谷川弁護士に対し、原告所有の記念切手、ドル紙幣等を引き渡し、長谷川弁護士は、被告渡邊に対し、同日付け受領証四通(丙九の1ないし4)を交付した。さらに、被告渡邊は、長谷川弁護士に対し、同月二一日に原告の帽子等を、同年七月七日に原告の銀行取引明細書を引き渡し、長谷川弁護士は、それぞれ受領証一通(丙一〇、一一)を交付した。
北村は、同年六月二日、安田弁護士に対し、保管していた原告の雑貨等を引き渡し、安田弁護士は、北村に対し、同日付け受領証三五通(丙一二の1ないし35)を交付した。
井口及び原は、同月二一日、長谷川弁護士に対し、保管していた原告の荷物類を引き渡し、長谷川弁護士は、井口及び原に対し、同日付け受領証合計二一通(丙一四の1ないし16、丙一五の1ないし5)を交付した。
二 原告の入院について
1 原告の精神障害及び入院の必要の有無について
(一) 精神病質について
証拠(甲八、証人佐々木由紀子、被告武村本人、被告石川本人)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
(1) 精神医学概念としての精神病質は、必ずしも統一された意義、内容を持つものではないが、わが国では、一般的に、クルト・シュナイダーの概念及び類型が採用されていた。それによると、精神病質は、性格異常があって、「その異常性のために自ら悩み、あるいは社会が悩むもの」であり、その類型には、異常性のために自ら悩むものとして、抑うつ型等の三類型が、異常性のために社会が悩むものとして、顕示型、爆発型、情性欠如型等の七類型があるとされる。
(2) 精神病質の概念に対しては、その有用性につき多くの批判があり、殊に価値規範の採用はもはや医学概念とは相容れないものであり、これに対する医療というものは成立しないなどとの批判がある。
しかし、原告の入院当時、精神医学、殊に臨床精神医療においては、右の概念及び類型に従った精神病質の診断及び治療が広く行われており、また、その治療の必要性が肯定されていた。
(3) 精神病質の診断は、行動の異常を契機として、現症、生活史、問診所見及びテスト所見等に基づき、その正常との差異が大きいことについての量的鑑別と、その行動の異常が精神疾患の結果生じたものではなく本人の性格の異常を主な原因として生じたことについての質的鑑別により行い、その鑑別診断の中心は他の要因の可能性を除外して行く作業にあるとされていた。
精神病質の治療においては、その人格特徴そのものを改変することは困難であるが、その症状を軽減させることは可能であるとされており、精神療法、薬物療法、社会的治療が試みられていた。もっとも、社会を悩ませる類型の精神病質については、自ら悩む類型のものと比較して、治療の困難性が指摘されていた。
(二) 原告の精神障害及び入院の必要の有無について
前記一の1、2の事実によれば、大湫病院の江口医師は、原告の入院時、原告の現症、生活史及び問診所見から、原告の精神症状について、躁病(精神病質の疑い)と診断し、入院治療の必要があると判断し、同病院入院中の行動観察の結果をも加えて、精神病質(躁病の疑い)と診断したことが認められ、また、被告石川は、原告の宇都宮病院入院時、原告の現症、生活史及び問診所見から、精神分裂病の緊張病状態であると診断し、入院治療の必要があると判断し、その後の診察及び二回の症例検討会を経て、情性欠如型、爆発型、顕示型の精神病質と診断したことが認められる。なお、被告石川の診断には変遷があり、宇都宮病院の症例検討会における医師の診断が分かれていることは前記一の2のとおりであるが、右(一)の事実と証拠(被告武村本人、被告石川本人)及び弁論の全趣旨によれば、精神病質の鑑別診断の中心は他の要因の可能性を除外して行く作業にあることから、精神科医の間において、精神障害者であることの診断は一致するものの、それが精神病者であるか、精神病質者であるかについて見解が分かれることも稀ではなく、宇都宮病院の症例検討会における医師の診断も原告が精神障害者であることでは一致していることが認められる。そして、原告には、大湫病院の入院及び宇都宮病院の入院の前に、前記一の1の異常な言動があったことが認められるのである。
これらの事実によれば、江口医師及び被告石川の右の診断及び判断は、合理的な根拠に基づくものと認められる。
証人佐々木由紀子は、証人尋問の際、右認定、判断に反する供述をし、甲第六二、第七〇号証にも同旨の記載があるが、前記一の1、2の事実、証拠(被告石川本人、被告武村本人)に照らして、容易に採用できない。
したがって、原告は、大湫病院の入院及び宇都宮病院の入院当時、精神障害者に該当し、医療及び保護のため入院が必要であったものと認められる。
2 入院の同意について
精神衛生法三三条は、いわゆる同意入院について規定していたところ、同意入院が精神障害者の意思にかかわらず、その身体の自由を拘束するものであり、精神障害者の人権に深い関わりを有するものであるところから、同意入院の要件を厳格に定めたものと解される。したがって、医師による精神障害者の診察と診断、精神病院の管理者による入院の必要性の認定及び保護義務者の同意という同条が定めていた要件は、いずれも精神障害者の入院時に満たされていることが必要であり、右要件を欠く同意入院は違法というべきである。そして、右の要件を欠く同意入院が行われた場合、入院後に右要件が追完されたときは、追完後の入院状態は適法となるが、それまでの入院状態は違法であり適法となることはないと解すべきである。
ところで、右要件のうち、保護義務者の同意については、入院時にこれを満たすことが困難な事態が生ずることが予想される。すなわち、精神障害者に後見人、配偶者及び親権を行う者のいずれもない場合、他の扶養義務者(以下単に「扶養義務者」という。)が家庭裁判所において保護義務者に選任されることが必要であるが、その手続にはある程度の日時を要する。他方、精神障害者のうち、精神病者であるがその病識のない者、精神病質者であるがその認識のない者等にあっては、医師の診察を受けること自体に拒否的であることが多いと予想され、右のような精神障害者について、扶養義務者が家庭裁判所に対し保護義務者の選任の申立てをするに先立ち、医師の診察を受けさせることは実際上は困難であると考えられる。そうすると、保護義務者の選任を要する場合にまで、入院時までに、保護義務者の同意を得なければならないとすることは難きを強いるものである。したがって、このような場合においては、入院をさせるときまでに、医師による精神障害者の診察と診断、精神病院の管理者による入院の必要性の認定及び保護義務者に選任されるべき扶養義務者の同意があり、かつ、右同意をした扶養義務者が家庭裁判所において保護義務者に選任されたときは、それまでの入院状態は違法ではあるが、損害賠償責任を発生させるほどの実質的違法性はないものと解するのが相当である(前記改正後の精神保健法三三条二項参照)。
前記一の1、2の事実によれば、原告については扶養義務者が保護義務者となる場合であるところ、原告の兄である被告美樹は、大湫病院の入院に際して右入院に同意し、宇都宮病院の入院に際して、右入院を要請して予め右入院に同意し、昭和五三年四月二四日、東京家庭裁判所において保護義務者に選任されたものであることが認められる。
江口医師が、大湫病院の入院に際し、原告を躁病(精神病質の疑い)であると診断し、入院治療の必要があると判断し、被告石川が、宇都宮病院の入院に際し、精神分裂病の緊張病状態であると診断し、入院治療の必要があると判断したことは前記1の(二)のとおりである。
したがって、被告美樹が保護義務者に選任された後の宇都宮病院の入院は適法であり、大湫病院の入院及びそれまでの宇都宮病院の入院については、損害賠償責任を発生させるほどの実質的違法性はないものというべきである。
3 宇都宮病院の入院の継続について
同意入院が精神障害者の意思にかかわらず、その身体の自由を拘束するものであり、精神障害者の人権に深い関わりを有するものであることに加え、精神病質の治療においては、その人格特徴そのものを改変することは困難であり、殊に社会を悩ませる型の精神病質においては、治療そのものも困難であるとされていたことに鑑みると、精神病質者の同意入院においては、薬物療法、精神療法等を施すとともに、これと並行して環境調整等の社会的治療を施し、精神症伏が軽減し、通院治療が可能と認められるときは、可及的に速やかに退院の措置を講じるべきものである。
前記一認定の事実によれば、被告石川は、昭和五三年一〇月中旬、原告に対し、絵を一〇〇枚描いたら退院できるとの趣旨を述べており、これは、絵画制作の過程及び成果等により退院を検討するという趣旨のものであるけれども、被告石川が原告の精神症状が軽減してきていると判断したことを示すものであり、同年一二月ころ以降は原告の問題行動も減少していたのである。被告石川は、本人尋問において、向精神薬について、その効果及び副作用からみて、それが強い大精神薬と弱い小精神薬があり(精神薬は向精神薬を意味すると解される。)、原告に処方された精神薬のうち、クロルプロマジン及びヒルナミンは大精神薬に、ドグマチール及びコパゼパムは小精神薬に分類され、医師としては、通常、小精神薬しか投与しない症状の患者に対しては、退院を勧めたり通院に切り替えることを考える旨供述しているところ、前記一認定の事実によれば、昭和五三年一二月四日には、クロルプロマジンの投与量が減少しており、昭和五四年八月二日をもってクロルプロマジンからドグマチールに切り替えられ、その後一時的にクロルプロマジンがドグマチールと併用されたが、その後いわゆる大精神薬は投与されていないのであるから、被告石川の供述に照らしても、原告の精神症状は、昭和五四年八月初めころには入院治療の必要を要しない程度に軽減されたものと推認することができる。
他方、貞子は、昭和五三年四月以降被告美樹宅に引き取られ、昭和五四年一月一九日には土田病院に入院しており、貞子の債権者の請求も被告美樹にされるようになっていたのであるから、昭和五二年一二月ころから昭和五三年三月までの原告の異常な言動の原因もひとまず棚上げされたと言い得る状態となっていたものと認められ、原告が再び入院前の異常な言動に出る環境にはなかったということができる。そして、被告石川ら宇都宮病院の医師は、このような原告の環境の変化等を知っていたものである。
また、原告の退院後の事情ではあるが、栃木県知事が昭和五九年に実施した実地審査により、同意入院中の被鑑定者三八二名中九八名が入院不要(内九名が医療不要)と判定された事実(弁論の全趣旨。原告と被告県との間では争いがない。)に照らすと、宇都宮病院における患者の入院継続の判断に誤りがあった疑いがある。
これらの事実を総合すると、原告は、遅くとも昭和五四年八月末日には通院治療を受けることで足り、入院治療の必要はなかったものと推認するのが相当である。
なお、前記一認定の事実によれば、原告は入院期間中を通じて退院を希望しており、入院の継続に同意していなかったから、原告の身元引受人の有無は入院継続の可否に影響を与えるものではないと考えられるが、そうでないとしても、被告渡邊は、昭和五四年八月当時、原告に愛情を持っており、定期的に原告に面会し、電話をしていたのであるから、被告渡邊が原告の身元引受人となることができたものと認められる(なお、宇都宮病院において、被告渡邊に対し、精神病質に関し正確な理解を得るように努めるなどの社会的治療を行った形跡はない。)。
この点について、被告石川は、本人尋問において、原告は昭和五八年六月二九日の退院に至るまで入院の必要があったとし、その根拠として、原告には退院まで精神症状の悪い期間が発生している旨、原告には勤労意欲の欠如があり、投薬の他にいわゆる生活療法や作業療法の必要性があった旨供述する。しかしながら、前記一認定の事実によれば、昭和五八年の退院時点と右昭和五四年八月時点とを比較して、その精神症状にさしたる差異は認め難いこと、生活療法や作業療法の必要性は直ちに入院継続の必要性を肯定させるものではないこと(なお、宇都宮病院において原告にされた生活療法や作業療法が原告の勤労意欲の喚起に有効であったとは認め得ない。)に照らすと、右供述は採用できず、他に右推認を覆すに足りる証拠はない。
したがって、昭和五四年九月一日以降の原告の入院は、同意入院の要件を満たさない違法な入院であったというべきである。
三 入院に関する違法性(第一事件)について
1 面接、診察抜きの強制入院の決定について
原告は、被告美樹及び被告武村が、原告と面会することなく、一方的に原告の精神病院入院を決めたことは違法であると主張する。
しかし、前記二の1判示のとおり、原告の大湫病院への入院、宇都宮病院への入院に際し、原告に精神障害があって医療及び保護のため入院の必要があると判断したのは、江口医師、被告石川であるから、被告美樹及び被告武村が原告の入院を決定したということはできない。
したがって、原告の右主張は理由がない。
2 強制入院のための原告に対する逮捕監禁等について
原告は、被告美樹らが原告を大湫病院に強制入院させるために行った原告の身体に対する拘束は違法であると主張し、確かに、前記一の1の事実によれば、被告美樹らは、横になっていた原告を取り囲んで手錠をかけ、布団で原告を巻き上げてひもで縛り、原告をマイクロバスに乗せ、手錠をはめたまま、大湫病院に連れて行ったことが認められる。
しかし、前記二の1判示のとおり、原告は、大湫病院入院当時、精神障害者であり入院治療の必要があったところ、前記一の1認定の事実によれば、原告は、被告渡邊及び貞子に対し、何度も暴力を振い、けがをさせていたのであって、被告美樹らが原告の身体を拘束して大湫病院に連れて行ったのは、原告を同病院に入院させて治療を受けさせるためであり、また、被告美樹が、布団の中で寝ていた原告に対し、これから精神病院に行って診察を受けてもらう旨述べると、原告は、これに抵抗して暴れ出したのであるから、被告美樹らの原告の身体の拘束は、その目的において正当であり、その方法及び態様等においてやむを得ないものであったというべきである。
したがって、被告美樹らの原告に対する身体の拘束が社会的相当性を逸脱した違法な行為であるということはできず、原告の右主張は理由がない。
3 大湫病院入院時の要件不具備について
(一) 原告は、大湫病院への入院は同意入院の要件を欠く違法なものであったと主張する。
しかし、前記二の1判示のとおり、原告は、大湫病院入院当時、精神障害者であり医療及び保護のため入院の必要があったものである。
そして、前記二の2判示のとおり、大湫病院への入院は、保護義務者の同意を欠いていたが、損害賠償責任を発生させるほどの実質的な違法性はないものというべきである。
(二) また、原告は、被告美樹が、違法な入院を渋る江口医師に対し、被告武村の名前を出し、最終的には被告武村が責任を持つであろうと誤信せしめ、大湫病院への入院を承諾させたものであり、被告美樹の右行為は違法であると主張する。
しかし、前記一の1認定事実によれば、被告美樹が、江口医師に対し、近いうちに宇都宮病院が原告を引き取るので一時的に原告を預かって欲しい旨依頼したことが認められるが、被告美樹が、江口医師に対し、被告武村の名前を出し、最終的には被告武村が責任を持つであろうと誤信させたと認めることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。
したがって、原告の右主張は理由がない。
4 診察なき宇都宮病院への転院決定について
原告は、被告武村及び被告石川が、原告を一度も診察することなく、被告美樹と謀って、原告の大湫病院入院時に、予め宇都宮病院に入院させることを決めていたのであり、右行為は違法であると主張する。
しかし、前記一の2認定の事実によれば、被告石川は、原告の宇都宮病院への入院に際し、原告を診察したうえ、入院を決定したことが認められるから、被告武村及び被告石川が、原告を一度も診察することなく、被告美樹と謀って、原告の大湫病院入院時に、予め宇都宮病院に入院させることを決めていたということはできない。
したがって、原告の右主張は理由がない。
5 転院手続の不存在について
(一) 原告は、被告石川が、原告の同意を得るなどの適法な手続を踏むことなく、宇都宮病院の職員に原告を無理矢理に自動車に乗せ、宇都宮病院まで連行させたことは違法であると主張し、確かに、前記一の1認定の事実によれば、被告石川が原告の右同意を得ていたとはいえない。
しかし、前記二の1判示のとおり、原告の大湫病院への入院及び宇都宮病院への入院は同意入院の実質的要件を具備していたものであり、実質的違法性を有しないものであったことに鑑みると、大湫病院から宇都宮病院に転院させるため、原告を自動車に乗せて宇都宮病院に連行したことが違法であるとはいえない。
したがって、原告の右主張は理由がない。
(二) また、原告は、宇都宮病院の職員が、自動車内で、原告に対し、投薬や注射を施し、手錠をかけたことは違法であると主張する。そして、原告は、本人尋問の際、宇都宮病院の職員が、自動車内で、原告に対し投薬や注射を施し、手錠をかけたと供述し、甲第四二号証(原告作成に陳述書)にも同旨の供述記載がある。
しかし、右供述及び供述記載は、被告石川の供述と対比すると、容易に採用し難く、他に右供述等に係る事実を認めるに足りる証拠はない。
したがって、原告の右主張は理由がない。
6 診察なき宇都宮病院入院の決定と手続違背について
(一) 原告は、被告石川ら宇都宮病院の医師が原告を診察しないまま入院を決定したことは違法であると主張する。
しかし、前記二の1判示のとおり、被告石川は、宇都宮病院への入院に際し、原告を診察したものである。
したがって、原告の右主張は理由がない。
(二) また、原告は、宇都宮病院への入院は同意入院としての要件を欠く違法なものであったと主張する。
しかし、前記二の1判示のとおり、原告は、宇都宮病院入院当時、精神障害者であり、医療及び保護のため入院の必要があったものである。
そして、前記二の2判示のとおり、宇都宮病院への入院は、保護義務者の同意を欠いていたが、損害賠償責任を発生させるほどの実質的な違法性はないものというべきである。
7 宇都宮病院における拘禁の継続について
昭和五四年九月一日以降の原告の入院は、同意入院の要件を満たさない違法な入院であったことは前記二の3判示のとおりである。
8 宇都宮病院における治療の不存在について
原告は、宇都宮病院が原告に対して施した治療(精神療法、薬物療法、生活療法、作業療法、絵画療法等)は、いずれも医療の名に値しない違法なものであると主張する。
しかし、宇都宮病院が原告に対して施した治療それ自体が精神医学的にみて無意味で違法なものであったと認めるに足りる証拠はない。
したがって、原告の右主張は理由がない。
四 被告石川、被告武村及び被告報徳会の責任(第一事件)について
1 被告石川の責任について
被告石川は、原告の宇都宮病院入院当時、同病院の管理者であったから、患者を同意入院させるに当たり、精神衛生法三三条の規定する要件を充足しているかをその責任において判断する義務がある。
右二の3によれば、被告石川は、原告が遅くとも昭和五四年八月末日には入院治療の必要がなかったにもかかわらず、右義務に違反し、右事実を認識しなかった過失があり、右過失により、原告の身体の自由を拘束し続けたものであるから、民法七〇九条に基づき、原告がこれにより被った損害を賠償する責任がある。
2 被告武村の責任について
前記一認定の事実と証拠(甲一、被告石川本人、被告武村本人)によれば、被告武村は、被告美樹から相談を受け、原告の宇都宮病院への入院を依頼したものであること、原告の入院直後の昭和五三年三月二八日、症例検討会終了後、宇都宮病院の常勤医萱場徳子医師、被告石川は、被告武村に原告の主治医になって貰う旨発言していること、被告武村は、同年七月ころ、原告に関して、内妻との面会、電話等の制限、外出、退院の見込み等についての指示をメモに記載し、これを原告の診療録に貼付させ、また、昭和五四年八月二日には、原告に対する向精神薬の処方の変更を指示したこと、被告石川は、原告に対し、被告武村がオーケーと言ってくれれば退院できると述べ、実際にも、被告石川は、被告武村に対し、原告の精神状態は鎮静化しているとして、原告の退院について、その内妻や兄弟への連絡を依頼したこと、被告武村が原告を診察したのは、入院中五回、計三時間程度であったが、被告武村は、原告の入院中その診療録を見て、原告の精神症状や投薬の状況を把握していたことが認められる。
右認定の事実によれば、被告武村は、宇都宮病院に関係する医師として、継続して原告を診察し、原告を同病院に紹介した実質的な主治医の立場で、同病院に対し、原告の処方や処遇の方針を指示していたのであるから、原告の同意入院が精神衛生法三三条の規定する要件を充足しているかを判断し、その結果を同病院の管理者であった被告石川に伝える義務があるものというべきである。
右二の3によれば、被告武村は、原告が遅くとも昭和五四年八月末日には入院治療の必要がなかったにもかかわらず、右義務に違反し、右事実を認識しなかった過失があり、右過失により、原告の身体の自由を拘束し続けたものであるから、民法七〇九条に基づき、原告がこれにより被った損害を賠償する責任がある。
3 被告報徳会の責任について
被告石川は、原告の宇都宮病院入院当時、宇都宮病院の理事であったところ、右1の事実によれば、被告石川が同病院の理事として、同病院を管理、運営するにつき、前記過失により、原告の身体の自由を拘束し続けたものであるから、被告報徳会は、医療法六八条、民法四四条一項に基づき、原告がこれにより被った損害を賠償する責任がある。
五 被告美樹の責任(第一事件)について
1 原告の身体の拘束及び入院に関する責任について
被告美樹がした原告の身体の拘束に違法性が認められないことは前記三の2判示のとおりであり、また、原告の大湫病院の入院及び宇都宮病院の入院に違法性が認められないことは前記三の3、5、6判示のとおりである。
2 原告の宇都宮病院の入院の継続に関する責任について
被告美樹が原告の早期退院のための努力を行ったことを認めるに足りる証拠はない。
しかし、前記一の事実によれば、被告美樹は、原告の退院の可否に関して、専門医である被告石川ら宇都宮病院の医師の判断に従っていたものと認められるところ、被告石川ら同病院の医師は、昭和五九年六月ころまで原告に入院の必要があると判断していたのであるから、被告美樹が専門医である被告石川らの右判断に従ってそのころまで原告に入院の必要があると考え、原告の早期退院のための努力を行わなかったとしても、被告美樹に過失があるとは認められない。
3 したがって、被告美樹は、原告に対し、原告の身体の拘束及び入院、その継続に関して不法行為責任を負うものではない。
六 被告県の責任(第一事件)について
1 原告は、栃木県知事は、被告報徳会に対し病院管理者の変更を命じるか業務の停止を命じ、又は、被告報徳会の設立を取り消すべき義務を負っていたと主張する。
医療法二八条、六四条及び六六条に規定する知事の権限が、いずれも知事の裁量により行使されるべきことは右各条の規定上明らかであって、右各条の規定する処分の選択、その権限行使の時期等は、知事の専門的判断に基づく合理的裁量に委ねられているというべきである。したがって、具体的事情の下において、知事に右監督処分権限が付与された趣旨及び目的に照らし、その不行使が著しく不合理と認められるときでない限り、右権限の不行使は、当該医療法人の不正な行為によって損害を被った個々の関係者に対する関係で国家賠償法一条一項の適用上違法の評価を受けることはないものといわなければならない。
本件についてこれをみるに、本件全証拠によるも、栃木県知事は、実地審査を行った昭和五九年以前の段階において、宇都宮病院が精神衛生法三二条の要件を充足しない患者を同意入院させていることを認識していたとは認められないのであって、栃木県知事が原告の入院当時ないしそれに接着する時点において右のような違法な同意入院の具体的蓋然性を認識しており、又は、容易にこれを認識し得たということはできない。そうすると、原告が宇都宮病院に入院した昭和五三年三月から昭和五八年六月までに、栃木県知事において報徳会に対する右各監督処分権限を行使しなかったことが著しく不合理であるということはできないから、右権限の不行使は、国家賠償法一条一項の適用上違法の評価を受けるものではない。
2 原告は、栃木県知事は、同意入院の要件を欠く違法な拘禁の存否等について調査すべき義務及び同意入院の適法性に疑義が生じた場合には鑑定医の診察を命じるなどすべき義務を負っていたと主張する。
精神衛生法二六条は、病院管理者に対し、同意入院者の氏名、住所、病名症状等に保護義務者の同意書を添えて県知事に届け出ることを義務づけているが、これをもって直ちに、県知事において積極的に同意入院の要件を欠く違法な入院の存否及び届出のない同意入院者の存否を調査すべき法的義務を負っているものと解することはできない。
また、精神衛生法三七条による知事の退院命令は、知事の裁量に属するものであることは同条の規定上明らかであるから、右1のとおり、右権限の不行使が著しく不合理と認められるときでない限り、それによって損害を被った個々の関係者に対する関係で国家賠償法一条一項の適用上違法の評価を受けることはないものといわなければならないところ、栃木県知事が原告の入院当時ないしそれに接着する時点において右のような違法な同意入院の具体的蓋然性を認識しており、又は、容易にこれを認識し得たということができないことは右1のとおりであるから、栃木県知事が同条の権限を行使しなかったことが著しく不合理であるということはできず、右権限の不行使は、国家賠償法一条一項の適用上違法の評価を受けるものではない。
3 原告は、被告県は、宇都宮病院に対し、医療法及び精神衛生法上の監督権限等を行使せず、人権侵害を放置、助長したと主張する。
しかし、原告の入院当時、被告県が、私立の精神病院である宇都宮病院に対し、医療法及び精神衛生法上の監督権限等を有していたとはいえないから、右主張は理由がない。
七 原告の損害(第一事件)について
1 逸失利益について
原告は、入院前に、絵画、肖像画、挿絵、焼物、工芸品等の製作、販売による収益や、株式や預貯金利息等による収入により、少なくとも年額一〇〇〇万円の所得があったと推認され、そうでないとしても、その当時の四五歳の大学卒の男子の平均給与である年額約八〇〇万円を超える所得があったと思われると主張する。そして、原告は、本人尋問の際、絵画等の製作、販売により年額一〇〇〇万円を下らない収入を得ていたとの趣旨の供述をする。
しかし、原告の右供述は、証拠(甲一、四、八、丁一七、証人大樹、被告美樹本人、被告渡邊本人)に照らして容易に採用できず、他に原告主張の右事実を認めるに足りる証拠はない。なお、原告にその主張の株式や預貯金利息等による収入があったとしても、それが入院等により失われる理由はない。
ところで、原告が、少なくとも昭和四〇年代後半以降画業等の芸術的活動による収入を得ていたことを確認できないことは前記一の1のとおりであり、証拠(甲一、四、八、丁一七、証人大樹、被告美樹本人、被告渡邊本人)及び弁論の全趣旨によれば、原告は、入院前、働く能力はあったが、他に雇用されて働くことを軽蔑し、これを厭っていたものであり、現に他に雇用されて働くなどしたことはないことが認められる。右事実によると、原告は、入院等がなければ、社会において通常人として就労して収入を得ることが可能であったとは認め難く、その可能性は疑問であるといわざるを得ない。
もっとも、原告は、本人尋問において、宇都宮病院退院後、スーパー等で働いたことを供述している。しかし、右は原告と被告渡邊との内縁関係が解消された時期のものであるところ、前記一認定の事実に照らすと、原告が昭和五四年八月末日に退院した場合には、原告と被告渡邊との内縁関係が解消されたとはいい難く、原告が被告渡邊と内縁関係にあった入院前には、右認定のとおり、他に雇用されて働くなどしたことはないのであるから、原告本人の右供述に係る事実から、入院等がなければ、原告が社会において通常人として就労して収入を得ることが可能であったとは認め難いといわなければならない。
そうすると、原告の逸失利益は算定不能というほかはない。
しかし、これらの事情は、慰謝料の算定において斟酌する。
2 慰謝料について
原告は、昭和五四年九月一日から昭和五八年六月二九日まで、その意に反して違法に入院を強制されたものであり、これにより甚大な苦痛を被ったものと認められるところ、右の入院期間、前記入院の経緯その他本件に現れた一切の事情を考慮すると、原告の精神的苦痛を慰謝するには一二〇〇万円が相当と認められる。
3 弁護士費用
本件事案の内容、その難易度、認容額その他本件に現れた一切の事情を考慮すると、右不法行為と相当因果関係のある弁護士費用は一二〇万円が相当と認められる。
八 原告の被告渡邊に対する請求(第一事件)について
1 主位的請求(動産引渡請求)について
原告は、被告渡邊が本件動産を占有していると主張するが、右主張事実を認めるに足りる証拠はない。
したがって、原告の右請求は理由がない。
2 予備的請求(損害賠償請求)について
(一) 原告は、入院の前に、中津川の実家及び麹町の借家において、本件動産を所持、保管していたと主張するところ、原告は、本人尋問の際、右主張に沿う供述をし、甲第五五号証(原告作成の陳述書)にも同旨の供述記載がある。
しかし、被告渡邊は、本人尋問の際、右事実を強く否定し、丙第一七号証(被告渡邊作成の陳述書)にも同旨の供述記載がある。そして、他に原告が入院の前に、本件動産を所持、保管していたと認めるに足りる的確な証拠はない。
(二) また、被告渡邊が、平成三年七月八日の本件口頭弁論期日における本人尋問の際、中津川の実家にあった原告の荷物については、昭和五八年四月ころ、前記藤井、原、井口に保管を依頼したほかは、処分又は紛失したこと、麹町の借家にあった原告の荷物については、昭和五七年一一月ころ、井口、喜鶴書房に保管を依頼したほかは、処分、残置又は紛失したこと、原らに保管を依頼した荷物については、昭和五九年五、六月に全てを原告の代理人弁護士に引き渡したことを供述していることは記録上明らかである。
したがって、原告が入院の前に本件動産を所持、保管し、これを被告渡邊が原告に無断で処分したとしても、それによる損害賠償請求権は平成六年七月八日の経過をもって時効により消滅したというべきである。
被告渡邊が原告に対し平成一一年二月一日の本件口頭弁論期日において右時効を援用するとの意思表示をしたことは記録上明らかである。
(三) したがって、原告の右請求はその余の点について判断するまでもなく理由がない。
九 原告の第二事件請求について
原告は、被告美樹及び被告渡邊が、共謀のうえ、本件書籍等を原告に無断で売却、処分したと主張する。
被告渡邊が本件書籍の一部を売却したことは原告と被告渡邊との間において争いがないところ、被告渡邊が右売却につき原告の承諾を得たと認めるに足りる証拠はない。
しかし、前記一の4認定の事実によれば、原告は、宇都宮病院を退院した昭和五八年六月二九日に麹町の借家に赴き、右借家が既に壊されており、自己の荷物が処分等されていたことを知り、また、遅くとも同年一一月初旬までに中津川の実家に保管されていた自己の荷物が処分等されたことを知ったものというべきである。
したがって、原告の右損害賠償請求権は遅くとも昭和六一年一二月三一日の経過をもって時効により消滅したというべきである。
被告美樹が原告に対し昭和六二年一〇月一二日の本件(併合前の第二事件)口頭弁論期日において、被告渡邊が原告に対し平成一〇年一二月七日の本件口頭弁論期日において、それぞれ右時効を援用するとの意思表示をしたことは記録上明らかである。
してみれば、原告の右請求はその余の点について判断するまでもなく理由がない。
第四結論
以上の次第であるから、原告の本訴請求は、被告報徳会、被告武村及び被告石川各自に対し、前記損害合計一三二〇万円及び前記慰謝料一二〇〇万円に対する不法行為の日以後の日である昭和五八年六月二九日から、弁護士費用一二〇万円に対する不法行為の日以後の日である、被告報徳会及び被告武村については昭和六一年七月二九日から、被告石川については同月三一日から各支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分は理由はあるから認容し、右被告らに対するその余の請求及びその余の被告らに対する請求はいずれも理由がないから棄却する。
(裁判長裁判官 丸山昌一 裁判官 草野真人 裁判官 清原博は転官のため署名押印できない。裁判長裁判官 丸山昌一)
別紙 物件目録(一)
一 万年筆、ウォーターマン特注品一本
西暦一九四〇年ころに製作されたもので、約八カラットのルビーがペンの頭部についている。J.R.の文字がダイヤモンドの小粒なもので表されている。純金製軸
二 古地図約一七〇点
1 右のうち約四〇点は、西洋古地図で、原告が元上智大学のロス司教からもらったものである。古いものは、一七世紀の滞日イエズス会士等が使用したものも含まれる。
2 右のうち約一三〇点は、江戸時代以降の木版地図で、享保、天明時代の江戸府内地図も含まれる。
三 フルート一個
西暦一八九〇年ころ、パリで製作されたもの。純銀製。
四 紫檀机一個
五 大型長火鉢(欅材)一個
小引出は黒檀材。隠し引出付きで、金具は赤銅製打金造りの高級調整品である。
六 画集(いずれも署名入りのもの)合計三冊
1 小林古径画集一冊
2 前田青邨画集一冊
3 安田靫彦画集一冊
七 玉露用茶入、茶壷一式(青銅製、錫打物)
八 原告作品
1 油彩 約二一五点
2 水彩 約五〇〇点
別紙 物件目録(二)<省略>