東京地方裁判所 昭和61年(ワ)9912号 判決 1992年4月27日
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
理由
第一 請求
被告は、原告に対し、金八六三六万二四九二円及び内金七八五一万一三五七円に対する昭和五八年九月二五日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
第二 事案の概要
本件は、原告が、昭和五八年九月二四日、髄膜炎の治療のために入院中の自衛隊中央病院脳神経外科(被告病院)において、同病院医師から腰椎穿刺による髄液採取及び薬液の髄腔内注入を受けた直後から下半身麻痺が発現し、下半身運動麻痺等の障害を負つたことについて、右医師の雇用者である被告に対し、診療契約上の債務不履行又は不法行為に基づく責任があるとして、損害賠償を求める事案である。
一 争いのない事実
1 (当事者等)
(一) 原告は、昭和二〇年一二月三日生まれの主婦である。
(二) 被告病院は、自衛隊の一機関として設置された国の機関であり、風川清医師は、同病院において、脳神経外科部長橋爪敬三医師らの指導の下に研修を行つていた医官である。
2 (本件事故)
(一) 原告は、昭和五八年八月三〇日、頭痛、嘔吐、頚部硬直等の症状を訴えて、被告病院脳神経外科へ入院し、諸検査の結果、化膿性髄膜炎(本件髄膜炎)との診断を受けた。
(二) 風川医師は、昭和五八年九月二四日、原告に対し、本件髄膜炎の治療のため、腰椎穿刺(ルンバール)を施行して、髄液採取並びに抗生物質であるセポラン及びゲンタシンの髄腔内投与(髄注)を行つた(以下、この腰椎穿刺を「本件腰椎穿刺」という。)
(三) 本件腰椎穿刺の終了直後から、原告に下半身麻痺が発現した。
3 (原告の症状)
(一) 原告は、本件事故発生後、下半身運動麻痺、下半身知覚麻痺、膀胱直腸障害等の症状(本件障害)となり、被告病院において断続的にリハビリテーションをするなどした後、昭和六〇年一月一七日、国立身体障害者リハビリテーションセンターに転院した。
(二) 原告は、昭和六〇年一月三一日、千葉県から身体障害者等級一級の判定を受け、身体障害者手帳の交付を受けている。
二 争点
一 本件障害の原因
(一) 原告の主張
本件障害の原因としては、次の(1)ないし(2)又はその複合した発生機序が考えられる。
(1) (穿刺針による物理的損傷及び薬液による化学的損傷)
本件障害は、本件腰椎穿刺の際、穿刺針によつて馬尾神経の神経根が物理的に損傷されたことによつて、又は、穿刺針が神経根に刺入されたまま抗生物質が髄注され、髄液によつて希釈されない高濃度の薬液により当該馬尾神経根及び周囲の神経根が化学的に損傷されたことによつて発生した。
(2) (穿刺針の不完全刺入による化学的損傷)
本件障害は、穿刺針がクモ膜下腔へ完全に刺入しないまま抗生物質が髄注されたため、薬液が硬膜下腔(クモ膜と硬膜の間)ないし硬膜外腔に流入し、硬膜下腔ないし硬膜外腔を走行する馬尾神経根を化学的に損傷したことによつて発生した。
(二) 被告の主張
本件障害は、髄膜炎による激しい化膿性炎症によつて膿、膿血塊が発生し、クモ膜下腔の狭窄等が生じたため、髄液の循環が停滞し、腰椎穿刺によつて注入された薬液が十分に髄腔内に拡散、希釈されず、腰神経及び仙骨神経に直接作用して化学的損傷を与えたために発生した。
2 被告の責任
(一) 原告の主張
(1) 橋爪医師は、腰椎穿刺は種々の副作用や穿刺針による神経の損傷等の高度の危険を伴うものであるから、事前の検査を十分に行い、経験のある熟達した医師の手技によつて慎重に実施されるべきであるにもかかわらず、腰椎穿刺の後遺障害についての十分な指導をすることもなく、ゲンタシンが効能書において髄注が禁止されていることを知らないような医師としての経験の未熟な研修医である風川医師に、単独で本件腰椎穿刺を行わせた過失がある。
(2) 風川医師は、本件腰椎穿刺の実施の際に、原告が痛みを訴えたのであるから、穿刺針によつて馬尾神経を損傷させたことを疑い、直ちに穿刺を中止して穿刺針を引き抜くなどの危険を回避する措置を構ずべきであつたのにこれを怠り、漫然と穿刺を続行した過失がある。
(3) よつて、被告は、被告の履行補助者又は被用者である右被告病院医師らの過失につき、不完全履行又は不法行為による責任を負う。
(二) 被告の反論
本件障害の原因は前記1の(二)のとおりであるところ、被告病院医師らには、髄液の循環の停滞が生じることにつき予見可能性がなかつた。また、本件腰椎穿刺による薬液の髄注は、意識混濁まで起こした重篤な髄膜炎の治療として行われたものであり、被告病院医師らの施行した治療等は相当な医療行為である。よつて、被告には責任はない。
(三) 被告の反論に対する原告の主張
仮に本件障害の原因が前記1の(二)のとおりだとしても、被告病院医師らには以下のとおり過失があるから、被告には責任がある。
(1) (予見可能性)
化膿性髄膜炎においては、必然的に化膿性炎症による膿、膿血塊の発生が生じるものであり、また、クモ膜下腔は膿等によつて容易に通過障害を起こすものである。したがつて、被告病院医師らは、化膿性髄膜炎の治療に当たり、膿、膿血塊の発生及びこれによる脊髄腔の狭窄、髄液の停滞の発生を予見することが可能であつた。また、本件腰椎穿刺前日に実施した腰椎穿刺の際に採取した髄液は強い黄色で混濁していたのであるから、この点からも、被告病院医師らは膿の発生を予見し得た。
(2) (発見可能性)
髄液の停滞は、髄液採取の際の一般的な手順として実施されるクエッケンステット検査(頚動脈を押さえて脳圧の上昇の程度を調べ、脊髄と脳との間の髄液の流れに障害があるか否かを判断する手法)によつて容易に診断できるから、被告病院医師らはこれを発見することが可能であつた。
なお、クエッケンステット検査は、クモ膜下腔が完全に閉塞しない不完全ブロックの場合には検査結果の判定が困難となるものの、検査の実施が無意味となるわけではなく、また、V-Pシャント(原告が正常圧水頭症の治療のために受けていた脳室と腹腔の双方から入れたチューブにより髄液循環の経路を作る施術)が設置されている場合は検査結果の信頼度が低くなるが、シャント機能が正常であるかどうかの検査を併用することによつて通過障害の有無は判定できる。
(3) (回避可能性)
髄液の停滞を発見していれば、腰椎ドレナージ(髄腔内にカテーテルを入れて持続的に髄液を排出すること)の設置やシャントチューブの開通等の措置により通過障害を除去することは可能であつた。また、本件髄膜炎の治療は、腰椎穿刺によらず、全身投与又は頭部からの投与などの方法によつて行うことが可能であつた。
(4) しかるに、被告病院医師らは、髄液の停滞を予見せず、また、これを発見せず、本件腰椎穿刺を実施した過失がある。よつて、被告には、不完全履行又は不法行為の責任がある。
3 損害(被告の主張)
(一) 介護料 二五六一万七〇一四円
(二) 入院雑費 六五万六〇〇〇円
(三) 逸失利益 三四二三万八三四三円
(四) 慰謝料 一八〇〇万円
(五) 弁護士費用 七八五万一一三五円
(合計 八六三六万二四九二円)
第三 争点に対する判断
一 前記第二の一の1の事実及び《証拠略》により認定した事実は、以下のとおりである。
1 (当事者等)
(一) 原告は、昭和五七年九月二八日から同年一二月一〇日の間、被告病院において、正常圧水頭症の入院治療を受け、V-Pシャント(脳室腹腔短絡術、すなわち、脳室と腹腔の双方から入れたチューブにより髄液循環の経路を作る施術)の設置を受けていたものであるが、昭和五八年八月三〇日、本件髄膜炎のため、被告病院に入院した。
(二) 被告病院の風川医師は、昭和五七年三月に防衛医科大学校を卒業し、同年五月に医師免許を取得した。風川医師は、昭和五八年九月二四日当時、初任実務研修(防衛庁において厚生省の指導により実施されている制度で、医師免許を取得した医者が免許取得後二年間は指導官の指導の下で実務研修をするという制度)中の医官であり、昭和五八年六月六日から、被告病院の研修医として勤務していた。風川医師は、防衛医大病院において、三か月間、脳外科の研修医として勤務した経験があり、被告病院においては、診療実務指導官である橋爪医師の指導の下に、熊谷頼佳医師からも指導を受けながら原告の診療行為に当たつた。なお、研修医であつても逐一指導官が立ち会うことなく検査などの医療行為をする場合があり、腰椎穿刺は研修医が一人で行う場合も多かつた。
(三) 橋爪医師及び熊谷医師は、いずれも原告の主治医であつたが、橋爪医師は主に治療方針についての指示を与えるなどの診療指導を行う総括的な立場にあり、熊谷医師は、風川医師と共に個々の診療行為をするという形になつていた。
2 (腰椎穿刺等)
腰椎穿刺は、髄液採取、髄液圧の測定、薬液注入などのために行われるものであるところ、脊髄のクモ膜下腔に穿刺針を刺入するため、脊髄を傷つけないように脊髄下端部よりも低い位置、すなわち第二腰椎以下で行うこととされ、通常は第三及び第四腰椎間を刺入点とし、場合によつては第四及び第五腰椎間を刺入点として実施される。右穿刺部分である脊髄の第二腰椎以下の部分では、脊髄神経根の集団である馬尾神経が、終糸(脊髄の下端部から糸状に延びた部分)を取り囲んで垂れ下がつているのみであり、右馬尾神経根は、クモ膜下腔を満たしている脳脊髄液(髄液)中にそうめんのように糸状に浮遊している。
腰椎穿刺による髄液採取は、穿刺針がクモ膜下腔内に刺入した後、注射針の内筒(マンドリン)を抜いて髄液が自然滴下するのを採取する方法で行われるが、穿刺針がクモ膜下腔内に入つたかどうかは、吸引して髄液が流出するかどうかや針を回転させて全方向から髄液が採取できるかどうかなどによつて確認することができる。
また、腰椎穿刺に伴い、通常、クエッケンステット検査が実施される。これは、患者の頚部を手で押さえたときの髄液圧の変動をみることにより、髄腔内の閉塞の有無を調べるもので、圧迫によつて髄液圧が急速に上昇するときは正常所見であるが、髄液圧が上昇しないかあるいはごく緩慢にしか上昇しない場合には、髄腔内に閉塞ないし狭窄が疑われる異常所見となる。
3 (本件事故に至る経緯)
(一) (入院経過)
原告は、昭和五八年八月三〇日、頭痛、発熱等の症状を訴えて被告病院を受診した。風川医師は、原告を診断し、主訴及び頚部硬直の症状等から髄膜炎を疑い、熊谷医師に相談の上、検査のための髄液採取を行つた。髄膜炎は、髄液圧が高くなり、蛋白や細胞数の増加によつて髄液の混濁や黄変が見られるものであるところ、右腰椎穿刺時における髄液圧はかなり高く、髄液は黄色で混濁していた。そこで、原告は、緊急の血液検査等の検査を受け、被告病院に即日入院し、抗生物質であるペントレックスの点滴投与等を受けた。
(二) (髄膜炎の診断)
風川医師及び熊谷医師は、翌八月三一日、原告の頭痛、発熱、嘔吐感等の臨床症状に加え、髄液検査及び緊急検査の結果によつて髄液中の細胞数や蛋白量や血液中の白血球数が非常に高いなどの髄膜炎に顕著な所見が見られたことから、原告は重症の化膿性髄膜炎であると診断し、抗生物質の投与等による治療を開始することとし、右当日は、ペントレックスの点滴投与を継続した。
(三) (抗生物質投与による治療の経過等)
(1) 風川医師は、原告に対し、翌九月一日もペントレックスの点滴投与をしたが、右同日に判明した髄液の細菌培養検査結果により本件髄膜炎の起炎菌がレンサ球菌ではないかと推測されたため、熊谷医師に相談の上、レンサ球菌に効くと考えられた抗生物質のゲンタシンを髄注(腰椎穿刺によつて髄腔内に薬液を注入投与する方法であり、点滴投与や筋肉投与の場合に比べ、より効果が高いとされる。)により投与することとした。なお、被告病院においては、髄注する薬液は、当初の数回は医師が看護婦に示しながら自ら準備し、その後は看護婦が医師に指導された要領で準備することとしていた。
(2) 原告は、九月二日はペントレックスの点滴投与及びゲンタシンの髄注を受け、九月三日及び同月四日にはペントレックスの点滴と共にゲンタシン及びペントレックスの髄注を受けたところ、容体が改善した。そこで、風川医師は、九月五日から髄注を中止してペントレックスの点滴投与のみを行うこととした。
(3) 原告の髄液所見は、その後、九月七日ころまでは改善傾向を示した。
ところが、原告は、九月八日ころから軽度の頭痛等を訴えるようになり、九月九日には髄液所見においても細胞数が上昇するなど髄膜炎の悪化を示す傾向となつたため、風川医師は、熊谷医師に相談の上、抗生物質であるセポラン及びゲンタシンを髄注することとした。
なお、本件髄膜炎の起炎菌は、九月八日に採取した髄液の細菌培養検査の結果、九月一二日、クラブシエラというグラム陰性球菌の一種であつたと判定され、右セポラン及びゲンタシンは、九月一一日の薬剤感受性検査(細菌に対する抗生物質の有効性を調べる検査で、有効度はプラス一からプラス三までの値で示される。)の結果、右起炎菌に対する感受性がプラス三を示したものであつた。また、右二種類の抗生物質を併用することについては、風川医師と熊谷医師とが相談の上、問題はないと判断していた。
(4) そこで、原告は、九月一〇日から、セポランの点滴投与とともに、セポラン及びゲンタシンの髄注投与を受けた。原告には、発熱、頭痛、嘔吐などの症状があり、九月一四日及び一六日の髄液検査結果においては細胞数が三四〇前後の高い数値を示していた。
しかし、右九月一〇日からセポラン及びゲンタシンの髄注等が継続され、九月一九日の髄液検査結果までは細胞数が七八まで減少し、また、そのころには臨床症状も改善してきた(なお、九月一二日にはセポランの代わりに同質の抗生物質であるケフロジンが髄注されている。)。そこで、風川医師は、熊谷医師と検討の上、九月二〇日、セポランの点滴投与を中止することとし、次いで、九月二一日、セポラン及びゲンタシンの髄注も中止することとした。
原告は、髄注を中止した後である九月二一日及び同月二二日の両日は頭痛等の臨床症状もなく、検査結果にも特に問題が見られなかつた。
(5) ところが、原告は、同年九月二三日早朝から、発熱、悪寒を訴えて嘔吐し、その後、強度の頭痛、三九度を超える発熱、強い頚部硬直などが発現し、髄膜炎が再び悪化した症状を示した。
そこで、風川医師は、それまでの髄注により本件髄膜炎に効果があることが判明していたセポラン及びゲンタシンを再び髄注することとし、右同日の髄注は、右同九月二三日午前一〇時五〇分ころ、被告病院研修医の千先医師により行われたところ、髄液は混濁し、細胞数が増加していることを示していた。また、原告は、右腰椎穿刺の後、腰背部の痛みを訴えていた。
原告は、右同日午後二時ころにも三九度を超える発熱があり、解熱剤の投与を受けて熱はやや下がつたものの、午後四時ころと午後八時五〇分ころには嘔吐があり、午後一二時ころには自制不可能な頭痛があつて鎮痛剤を投与されるなどの症状であつた。
4 (本件腰椎穿刺)
(一) 風川医師は、翌九月二四日午前九時五〇分ころから、原告に対し、本件腰椎穿刺を実施し、髄液採取と髄液圧の測定を行つた後、薬液の髄注を実施した。すると、原告が、右髄注のころから腰部から両足にかけての強い痛みを訴え、さらに髄注が終了した午前一〇時ころには、非常に強い痛みを訴えた。原告は、以前にも腰椎穿刺の際に痛みを訴えることがあつたが、本件腰椎穿刺の際の主訴は、従前とは程度を異にするものであつた。
風川医師は、直ちに、髄注した薬液がいつもどおりであることを看護婦に確認し、午前一〇時五分ころ、原告に対して鎮痛剤(インダシン)を使用したものの、あまり効果がなく、原告がさらに痛みを訴えて興奮状態となつたので、さらに午前一〇時一五分ころ、鎮痛剤(ソセゴン)を筋肉注射により投与したところ、原告はやや安静状態となつた。しかし、そのころには、原告は両足の感覚がなく動かせない旨を訴え、被告病院医師らにおいても原告には下半身麻痺が発現したことを確認していた。
なお、風川医師は、通常どおり、第三腰椎と第四腰椎の間又は第四腰椎と第五腰椎の間のいずれかを穿刺位置として、本件腰椎穿刺を行つた。
(二) 本件腰椎穿刺の際に採取した髄液は、かなり強い黄味を帯びて混濁しており、右当日夕方ころに判明した髄液所見では、細胞数が四〇一〇、蛋白量が八〇〇ミリグラムといずれも非常に高く、髄膜炎がかなり重篤であることを示していた。
(三) 本件腰椎穿刺において髄注された薬液は、予め熊谷医師及び風川医師から指導を受けていた看護婦が準備したものであるが、右薬液は、セポランは粉末で一〇〇ミリグラム分を、ゲンタシンはアンプル入りの液から四ミリグラムを、それぞれ計測し、さらに希釈して三ないし五cc程度としたものであつた。
5 (本件腰椎穿刺以後の治療)
(一) 風川医師は、熊谷医師らと相談し、原告の麻痺はセポラン及びゲンタシンが何らかの形で作用したものと考え、薬液の髄注を一時中断することとし、ペントシリン等の抗生物質を点滴投与するなどして髄膜炎の治療を継続した。
(二) 原告の髄液所見は、昭和五八年九月二六日では細胞数が一九三、蛋白量が二三六〇ミリグラム、翌二七日では細胞数が三八八、蛋白量が一五七五ミリグラムと非常に高い値であり、本件髄膜炎が相当に悪化しているものと考えられる結果であつた。しかし、右症状は次第に改善し、同年一〇月二〇日ころには髄液が透明になり、本件髄膜炎はほぼ治まつた。
なお、被告病院医師らは、同年九月二六日、原告の脳室に設置されていたフラッシング・デバイス(脳室のシャントチューブにつなげられた髄液の貯液槽)内の髄液を採取して検査したが、その髄液所見では細胞数が五九、蛋白量が七六〇ミリグラムであり、いずれも右同日に腰椎穿刺によつて採取した前記の髄液所見に比べてかなり低い値であつた。
(三) 原告は、同年九月二八日、熊谷医師によつて腰椎ドレナージ(髄腔内にカテーテルを入れて持続的に髄液を排出すること)の手術を受けたところ、かなり濃い黄色の髄液が流れ出した。また、原告は、同年一〇月七日、ミエログラフィー(脊髄造影検査)を受けたが、髄腔内には襄腫状のものなどは発見されなかつた。そして、被告病院医師らは、同年一〇月一二日、原告に設置されていたV-PシャントをL-Pシャント(腰椎クモ膜下腔腹腔短絡術)に変更したが、その際に抜かれたV-Pシャントの腹側のシャントチューブ内は黄緑色で膿状になつていたことが分かつた。
(四) 原告は、右同昭和五八年一一月ころから、被告病院理学診療科によるリハビリテーションの指導等を受け、昭和五九年七月ころには平行棒による歩行訓練を受けるなどしたが、原告に発熱、意識障害が生じるなどしたため被告病院におけるリハビリテーションは断続的であつた。そして、原告は、昭和六〇年一月一七日、国立身体障害者リハビリテーションセンターに転院した。
6 (本件障害)
原告の両下肢は、当初ほぼ完全麻痺の状態であつたが、右転院のころの状態は、知覚については、両足の甲の外側部分及び両下肢の臀部から両足裏にかけての中央部分で触覚及び痛覚が脱失し、その他の部分では触覚及び痛覚が鈍麻している状態であり、運動能力の検査結果(筋肉につき正常値を五として測定し、筋力が弱くなるにつれて数値が低くなる。)では、両膝関節の伸展の筋力が正常値であるほかは概ね二ないし三の数値であつた。
また、原告は、右転院当時においても、膀胱直腸機能障害のため自己排尿排便ができない状態であつた。
5 (神経の障害部位)
原告の本件障害は、両下肢の知覚の鈍麻及び一部脱失、運動機能低下並びに膀胱直腸障害であり、これは、下部胸髄(第九ないし第一二胸髄)から上部腰髄(第二ないし第三腰髄)において不完全麻痺を生じる神経障害があり、下部腰髄(第四腰髄)以下において完全麻痺が生じる神経障害が生じたことによる。
二 争点1(本件障害の原因)について
1 前記第二の一の争いのない事実及び右一の認定事実によれば、風川医師は通常の穿刺位置(第三腰椎と第四腰椎の間又は第四腰椎と第五腰椎の間)において本件腰椎穿刺を実施し、薬液髄注前に髄液採取を行つたこと、原告の神経損傷は第九胸髄以下で生じており、第四腰髄以下の神経において損傷が強く、その上部において損傷が弱いこと、原告は昭和五八年九月二三日早朝から高熱、強度の頭痛及び頚部硬直の症状を呈して髄膜炎の悪化が顕著であつたこと、同月二四日(本件腰椎穿刺の当日)及びその後数日間の髄液所見によれば原告の髄膜炎が相当に悪化していたことがうかがわれ、同月二八日の腰椎ドレナージにおいて濃黄色の髄液の排出が見られたこと、同月二六日の脳室からの髄液所見は、同日に行われた腰椎からの髄液所見に比べてかなり低い値であつたことが認められる。そして、これらの事実に証人寺尾の証言及び鑑定の結果を総合すれば、原告には、本件腰椎穿刺当時、髄膜炎の悪化によつて脊髄内に化膿性病変が生じ、膿又は膿血塊が下部脊髄クモ膜下腔を埋めて、その狭窄により髄液の循環に停滞が生じ、そのため本件腰椎穿刺により髄注された薬液がクモ膜下腔内の髄液によつて十分に拡散、希釈されなかつたため、クモ膜下腔で馬尾を形成している神経根及び下部胸髄以下の脊髄白質部が高濃度の薬液にさらされて化学的に損傷され、その結果、原告に、前記のとおり、第九胸髄から第三腰髄における不完全麻痺及び第四腰髄以下における完全麻痺を生じる神経損傷が発生したものと解するのが相当である。
2 これに対し、原告は、本件障害の原因について前記争点の1の(一)の(1)及び(2)のとおり主張するが、原告の主張はいずれも次のとおり採用できない。
(一) 原告は、本件障害は、馬尾神経根に穿刺針が刺入されてこれを物理的に損傷し、あるいは右穿刺針の刺入に加えて穿刺針が馬尾神経根に刺入されたまま薬液が注入されたために髄液によつて希釈されない高濃度の薬液により当該馬尾神経根及び周辺の神経根が化学的に損傷されたのが原因であると主張する。
しかしながら、前記一の2のとおり、本件腰椎穿刺の穿刺位置である第三、第四腰椎間又は第四、第五腰椎間の脊髄内には馬尾神経根が存するのみであるところ、馬尾神経根はクモ膜下腔の髄液内にそうめんが垂れ下がるように浮遊しているものであり、穿刺針が馬尾神経根の一本に当たつても、馬尾神経根は穿刺針をすべり通してしまうと考えられるので、穿刺針によつて馬尾神経根が物理的に損傷されるということはあまり考えられない。仮に穿刺針が馬尾神経根の一本に刺さつたとしても、当該馬尾神経根の支配する限局した部位に障害が生じるのみで、本件障害のように広範囲に生じることはない。
したがつて、穿刺針による物理的損傷のみを本件障害の原因とする旨の原告の主張は採用できない。
もつとも、《証拠略》によれば、穿刺時に穿刺針が神経に当たつたときには下肢に放散痛が起こり、さらに穿刺針が神経根に刺さることもあることがうかがわれるところ、原告本人は、本件腰椎穿刺において穿刺針が刺さつた瞬間に強い痛みがあつて右足がビリビリとし、その痛みとビリビリした感じは本件腰椎穿刺の終了まで続き、穿刺中及び穿刺終了後にその旨を風川医師に訴えたとして、本件腰椎穿刺において穿刺針が神経根に刺さつたのではないかとも考え得る内容の供述をする。しかしながら、《証拠略》によれば、原告は腰椎穿刺に対して過敏な患者であり腰椎穿刺時に痛みを訴えることが多かつたが、本件腰椎穿刺の際には、髄注を開始したころから痛みを訴え、その終了時にそれまでになかつたほどの腰痛を訴えたことを記憶しているというのみで、診療録及び看護記録(乙一、三)においても原告の供述するように穿刺針の刺入の瞬間に右足がビリビリとした感じとなつたことを訴えたなどの記載はなく、一方、証人寺尾栄夫の証言によれば、腰椎穿刺時の電撃痛や放散痛は穿刺針が神経根に当たつた場合でも刺さつた場合でも生じ、本件腰椎穿刺においていずれであつたかは分からないというのであり、結局、本件腰椎穿刺において穿刺針が神経根に刺さつたことを認めるに足りる的確な証拠はない。
そうすると、穿刺針の神経根への刺入に加えて穿刺針が馬尾神経根に刺入されたまま薬液が注入されたため高濃度の薬液により当該馬尾神経根及び周辺の神経根が化学的に損傷された旨の原告の主張もまた採用できない。
(二) また、原告は、本件障害は穿刺針がクモ膜下腔へ完全に刺入しないまま抗生物質が髄注されたため、薬液が硬膜下腔又は硬膜外腔に流入し、硬膜下腔ないし硬膜外腔を走行する馬尾神経根を化学的に損傷したことが原因である旨の主張をする。
しかしながら、前記第三の一の2のとおり、腰椎穿刺は脊髄のクモ膜下腔内に穿刺針を刺入して行い、穿刺針がクモ膜下腔内に刺入したか否かは髄液が採取できるか否かによつて判断するものであるところ、前記第三の一の4の(一)のとおり、風川医師は、本件腰椎穿刺において薬液の注入前に髄液を採取していたというのであり、穿刺針はクモ膜下腔内に完全に刺入されていたとみるのが相当である。よつて、原告の右主張も採用できない。
三 争点2(被告の責任)について
そこで、被告の責任について検討する。
1 原告は、被告病院医師らには髄液の循環の停滞が生じることにつき予見可能性があり、本件腰椎穿刺の際にクエッケンステット検査を実施することが右髄液停滞の発見が可能であつた上、シャントチューブの開通や腰椎ドレナージの設置等により髄液停滞を除去して本件障害の発生を回避する手段もあつたと主張する。
2 《証拠略》によれば、確かに、化膿性髄膜炎においては化膿性炎症により膿、膿血塊等が発生し易く、右化膿性炎症によつてクモ膜下腔内に狭窄や閉塞が生じてクモ膜下腔内の通過障害を生じ得ることは予想され得る事態であり、このような狭窄や閉塞の有無はクエッケンステット検査によつて発見することが可能であること、クエッケンステット検査は簡単な手技で行えるものであり、腰椎穿刺の実施の際に一般的に行われる検査方法であること、また、腰椎ドレナージの設置等の措置により右通過障害を除去することも可能であることが認められる。
3 しかしながら、前記のとおり原告には水頭症の治療のためのV-Pシャントが設置されていたから、クエッケンステット検査を行つて髄液圧の上昇がみられないときでも、その原因がV-Pシャントが有効に機能している(圧をかけられた髄液が脳室に設置されたシャント側に逃げてしまう。)ためであるか、クモ膜下腔内に狭窄又は閉塞が生じているからであるかを判断し難い。また、髄液圧がごく緩慢に上昇する場合に、その原因が、クモ膜下腔の狭窄等による部分的な詰まりによるものか、頚の押さえ方が不十分なために生じるのかを判断するのは困難であるというのである。そうであれば、クエッケンステット検査の実施によつて髄液の停滞を容易に発見できたとはいえない。
しかも、前記第三の一の3のとおり、原告の本件髄膜炎は、いつたん治まつては再び悪化するという経過を二度たどつた上、原告には本件腰椎穿刺が実施された前日(昭和五八年九月二三日)から強度の頭痛、三九度を超える発熱及び強い頚部硬直が発現して髄膜炎の三度目の悪化が顕著となり、右九月二三日に採取した髄液には混濁がみられて細胞数も相当に増加していることが分かつたというのであり、このような髄膜炎が何度も再燃するときは髄膜炎が重症であることを示すものとも考えられるところ、前記第三の一の4の(二)のとおり、翌九月二四日の本件腰椎穿刺の際に採取した髄液もかなり強い黄色を呈していたというのであるから、前日(九月二三日)の抗生物質の髄注によつても本件髄膜炎の状態はあまり改善されず、なお悪化の傾向にあつたことがうかがわれる。そして、髄膜炎が悪化した場合には、速やかな措置をとらなければ死亡するか又は植物状態となるおそれが高く、緊急に抗生物質の投与を行うことが重要であり、その投与の方法としては髄液中に抗生物質を注入する髄注の方法によることが最も効果的であると考えられるというのである。
そうであれば、本件腰椎穿刺の際にクエッケンステット検査を実施していたとしても、必ずしも髄液の停滞を発見できたとはいえないのであり、しかも本件髄膜炎が右のように重篤な状態にあつたという事情の下においては、風川医師がクエッケンステット検査を実施せず本件腰椎穿刺を行つたことをもつて過失があつたとまでいうことはできない。
4 もつとも、原告は、髄液の停滞の発見につき、シャントが有効に機能しているか否かはCTスキャンを連続的にとることやシャントのバルブを押さえることによつて判断でき、右のような検査を併用してクエッケンステット検査を実施すれば、シャントが閉塞している場合には髄液圧の上昇の有無でクモ膜下腔内の閉塞又は狭窄の有無を判断できるのであるし、また、クモ膜下腔が完全に閉塞せず、不完全ブロックすなわち狭窄が生じている場合でもクエッケンステット検査はその信頼性が低くなるだけであつて、その実施が全く無意味となるわけではないのであるから、クエッケンステット検査によつて髄液停滞の有無は発見できたと主張する。
しかしながら、本件髄膜炎は、いつたん症状がおさまつたと思われた数日後に再び顕著に悪化したものであつたが、原告に対しては、昭和五八年九月一九日までは髄液検査が実施されており、それまでの髄液所見においてはクモ膜下腔内の閉塞又は狭窄の発生を疑わせるような事情は見られなかつたというのである。その上、シャントチューブの閉塞の有無はシャントチューブのバルブを押さえる方法や脳室のCTスキャンをとつて脳室の大きさを連続的に観察するといつた方法によつてある程度は発見できるものの、これらは必ずしも確実なものではなく、確実な方法としてはシャント造影法が考えられるが、シャント機能についても本件腰椎穿刺の実施日(昭和五八年九月二四日)ころにおいて、その閉塞や狭窄の有無を疑うべき事情があつたことはうかがわれず、したがつて右九月二四日の状態ではまだシャントは機能していると判断せざるを得なかつたというのである。
そして、右のような事情に加えて原告の症状が重篤なものであつたとの前記3の事情も併せ考慮すると、風川医師らがクエッケンステット検査及びシャントチューブ機能の検査を実施せずに本件腰椎穿刺を行つたことに過失があるというのは困難である。
したがつて、原告の前記主張は採用できない。
なお、本件のV-Pシャントは、昭和五八年一〇月一二日に腹側のチューブに膿状のものが発見されたことから、閉塞又は狭窄が生じていたことがうかがわれたものであり、化膿性髄膜炎の感染はシャントチューブから生じることも考えられるが、右V-Pシャントは、前記第三の一の5の(三)のとおり、原告の水頭症治療のために設置されていたものであつて無意味に入つていたものではないし、仮に抜去すれば何らかの代替手段を講じなければならなかつたのであるから、前記のような本件当時の事情の下で、右V-Pシャントの抜去等の措置がとられなかつたことをもつて被告に過失があつたということも困難である。
5 さらに、原告は、風川医師は本件腰椎穿刺の際に原告が激痛を訴えているのにもかかわらず、漫然、腰椎穿刺及び髄注を続行した過失があると主張する。
しかしながら、《証拠略》によれば、腰椎穿刺において穿刺針の刺入のときに痛みを訴えるときは刺入をやり直すことがあるが、いつたん穿刺針が刺入された後の薬液の髄注時には、髄注が髄膜炎の治療行為として必要なものであることに加え、髄注そのものはごく短時間に終了するものであることから髄注を中止することはないというのであり、証人寺尾も薬液の髄注中に痛みを訴える場合には、注射器のシリンダーを少し引いて髄液と混ぜることによつて薬液の濃度を薄めながら注入することがあるというのみであり、したがつて、いつたん穿刺針が髄腔内に刺入された後の段階では、腰椎穿刺を施行する医師において、薬液髄注の際に痛みを訴えられた場合には薬液髄注そのものを中止しなければならない注意義務があるとまではいい難く、他に右のような注意義務があることを認めるに足りる的確な証拠はない。よつて、原告の右主張もまた採用することはできない。
なお、前記第三の二の2のとおり、原告は本件腰椎穿刺の際に穿刺針が刺入された瞬間から強い痛みがあつて右足先までビリビリとして、その旨を風川医師に訴えたとの供述をしており、右供述が直ちに採用できるものではないことは前示のとおりであるけれども、少なくとも本件腰椎穿刺による薬液の髄注が開始されたころからは風川医師に対して痛みを訴えていたことは認められる。しかし、このことは風川医師において本件腰椎穿刺による髄注を中止すべきであつた注意義務を認めることができないとの前記認定を左右するものではない。
6 また、原告は、本件腰椎穿刺により髄注された抗生物質のゲンタシン髄注が禁止されており、橋爪医師は、このことを知らないような経験の未熟な風川医師をして腰椎穿刺の後遺障害についても十分な指導をすることもないまま単独で本件腰椎穿刺を行わせた過失があると主張する。
確かにゲンタシンの効能書きには、「筋肉内注射にのみ使用すること。」との記載があり、風川医師はこのことを本件腰椎穿刺当時に知らなかつた旨の証言をしている。しかしながら、《証拠略》によれば、ゲンタシンは、臨床現場においては一般的に髄腔内投与が行われており、また、本件髄膜炎に対しては感受性が高く治療効果もあがつていたものであつたことが認められるから、原告の右主張は採用できない。
そして、風川医師は、医師免許を取得した後の研修制度として、研修医の立場でより経験のある医官から適宜指導を受けながら診療活動を行つていたものであり、本件腰椎穿刺以前に単独で腰椎穿刺を実施した経験も少なくないのであつて、橋爪医師は経験の未熟な風川医師をして単独で本件腰椎穿刺を実施させた過失があるとの原告の主張を認めることもできない。
もつとも、風川医師は、本件腰椎穿刺当時、腰椎穿刺の後遺障害として本件障害のような脊髄神経障害が永続的に続くということについて知らなかつた旨の証言をしているけれども、風川医師の右証言は、抗生物質の髄腔内投与による副作用が生じる可能性はないわけではないと思つていたが、本件ほどの障害が生じることについては知らなかつたというものであつて、麻痺や脊髄障害が生じ得ることは理解していたことが認められる。したがつて、橋爪医師が風川医師に対し腰椎穿刺による後遺障害についての十分な指導を怠つたとの点もまた認められない。
7 なお、原告は、本件髄膜炎は髄注の方法によらなくとも全身投与の方法によつて治癒したと主張するが、本件腰椎穿刺当時における前記認定のような事情の下においては、被告病院医師らが髄注の方法を採用したことが相当ではなかつたということはできない。
以上のとおり、原告の主張はいずれも理由がなく、風川医師及び橋爪医師の注意義務違反を認めることはできないから、本件障害についての被告の責任を認めることもできない。
四 結論
以上の次第であるから、その余の点につき判断するまでもなく、原告の請求は理由がない。
(裁判長裁判官 宮崎公男 裁判官 井上哲男 裁判官 河合覚子)
《当事者》
原 告 甲野花子
右訴訟代理人弁護士 塩谷順子
被 告 国
右代表者法務大臣 田原 隆
右指定代理人 武田みどり <ほか七名>