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東京地方裁判所 昭和61年(行ウ)131号 判決 1991年12月18日

原告

蜷川澄村

右訴訟代理人弁護士

土屋公献

中吉章一郎

被告

東京都教育委員会

右代表者教育長

石川忠雄

右訴訟代理人弁護士

白上孝千代

岡安秀

右指定代理人

島田幸太郎

宮本光浩

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が昭和六一年一月一六日付をもって原告に対してした懲戒免職処分を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、昭和六一年一月当時、東京都町田市立木曾中学校(以下「木曾中」という。)に在籍する地方公務員たる教諭であった。

2  被告は、昭和六一年一月一六日、原告には地方公務員法二九条一項一号ないし三号に該当する事由があるとして、原告を懲戒免職処分(以下「本件処分」という。)にした。

3  しかし、原告には地方公務員法二九条一項一号ないし三号に該当する事由は存在せず、本件処分は違法であるから、取り消されるべきである。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1及び2の事実は認める。

2  請求原因3の主張は争う。

三  被告の主張

1  本件処分の理由

(一) 原告は、町田市教育委員会等の同意を得ることなく、昭和五九年八月三日、四日に鳴門教育大学大学院学校教育研究科修士課程を受験し、これに合格するや、被告の派遣決定を得ず、且つ、町田市教育委員会の出張命令を受けることなく、無断で昭和六〇年四月一六日入学し、同年一一月まで受講した。

(二) 右の事実を知らなかった原告の所属長である木曾中校長大野昭之(以下「大野校長」という。)及び町田市教育委員会の再三にわたる勤務命令にもかかわらず、原告は、昭和六〇年四月一六日から同年七月一三日までの間、全く出校せず勤務しなかった。

(三) 原告は、昭和六〇年九月二日以降同年一一月三〇日までの間、右違法な受講のために年次休暇二一日一時間を請求し、この間現実に勤務しなかった。

(四) さらに、原告は、昭和五八年四月以降、次に列挙するような行為を行っている。

(1) 昭和五八年四月二六日、原告が当時勤務していた東京都町田市立町田第一中学校(以下「町田一中」という。)校長室において、同校吉江和司校長(以下「吉江校長」という。)が原告に対し、学年の仕事を進んでやること、他教員への誹謗及び中傷をやめること等の注意及び指導を行っている際、原告は、右校長室清掃のため来室した同校三年三組の女生徒森加代子に対し、「校長と私の喧嘩を見ていけ。」と大声で呼びかけた。

(2) 昭和五八年九月一三日、町田一中の第二職員室において、一年担任教員間で当日の午後の授業中教室から抜け出した一年生片山哲ほか一一名についての指導方針等を、臨時学年会を開いて協議しようとした際、同学年の所属で出席義務のある原告が帰ろうとしたため、同学年副担任の堀越幸子教諭が呼びとめたところ、原告は、職員室に戻ってくるなり堀越教諭に「このクソ婆あ、何で俺に恥をかかせたんだ。」とくってかかり、職員室にいた前記生徒らの面前で「このぼけ婆あ、俺に恥をかかせたからテメエにも恥をかかせてやる。」と言い、生徒に向かって「おいお前たちこんなボケの言うことなんか聞くんじゃないよ。」などとののしり、指導を妨害した。

(3) 昭和五八年一一月二日午前一〇時ころ、町田一中における文化祭中に土足で体育館に入って遊んでいた一年男子生徒諸見哲也ほか六名を、一年六組担任の出村登志子教諭が第二職員室に呼んで指導しようとしたところ、職員室にいた原告は、生徒たちに向かって、児童相談所に入所している同組の生徒について「入所させられたのは担任が入れたんだ。この担任は子供が生まれないから冷たいからな。」などと生徒の面前で出村教諭を誹謗、中傷し、指導を妨害した。

(4) 昭和五八年一二月一七日、原告は、町田一中一年九組生徒真砂清彦に対し、第一時限終了後、授業中の態度が悪いなどの理由で同生徒を殴打し、さらに、教材室において同生徒に指導を続け、第四時限が開始されても教室に帰さないことから、同生徒の担任小山昌雄教諭と原告との間に言い合いが起こり、かけつけて注意を与えた吉江校長に対し、その眼鏡を払い落として破損させるなどの暴行を加えた。

(5) 昭和五九年四月九日、町田一中の校庭において、新一年生と二、三年生の対面式を行った際、吉江校長があいさつのため朝礼台に登りマイクに向かったところ、原告は、いきなり吉江校長とともに登壇して、テープレコーダーを校長の口もとにつけ「何かを言え。」と言いながら、吉江校長があいさつできない状態にし、吉江校長の制止も聞かず、マイクをとって大声で、全校生徒に向かって「共産党校長」と怒鳴り、対面式を中断させた。

(6) 昭和五九年四月二三日昼ころ、町田一中の校長室において、吉江校長、渡部吉郎教頭が、三年一〇組生徒男子青木宏長ほか五名、女子足立朋子ほか三名と会食していたところ、原告が許可なく入室し、校長の制止も聞かず「日教組べったりの教育をし、洗脳する会食」「生徒に媚を売る会食」などの暴言を吐き、吉江校長らの指導を妨害した。

(7) 昭和五九年五月二五日午後一時一五分ころ、町田一中の体育館において、三年全生徒に対して修学旅行の事前指導を行っていた際、吉江校長がマイクで諸注意について話しはじめたところ、原告がいきなり東側入口から入ってきて、三年所属の教員らの制止も聞かず、そのマイクに向かい、「日教組が・・・校長が・・・」と訳の分からないことをわめいて吉江校長の話を中断させ、事前指導を妨害した。

(8) 昭和六〇年四月一三日午前一一時五〇分ころ、原告は、木曾中において、町田市教育委員会の石井君男教育部長、八木昌平指導室長から勤務についての指導を受けた後、木曾中植松岩夫教頭とともに事務室で待機していたところ、所用のため事務室に入ってきた星正泰教諭と二年六組生徒瓜生由里らの面前で、「校長や教育委員会のあの連中は何をもたもたしているんだ。校長が仕事ができないで馬鹿だからダメだ。」と大声で校長らを誹謗した。

(9) 昭和六〇年七月一八日、木曾中の職員室において、二年担任の中島由香子教諭が七月二二日から実施する夏季施設のパンフレットを二年二組の生徒島憲史ほか一名に手伝わせて作成していたところ、職員室に入ってきた原告は、居合わせた大野校長に対して「もと共産党の校長さん」と大声で言い、周囲の教員に対して「この校長はもと共産党員だけど皆そのことを知っているのかな。」などと執拗に聴いてまわり、教員らの執務を妨害した。

(10) 昭和六〇年一〇月一五日、木曾中における生徒発表会の際に、原告が三年一組生徒大久保亘を職員室に連れてきて将棋を指しはじめたので、三年学年主任武井良一教諭が原告及び同生徒に対し注意したところ、原告は、同生徒に向かって「こいつは赤だからこいつの言うことなんか聞かなくてよい。」と言い、同学年主任の指導を妨害した。

(11) 昭和六〇年一一月一日、木曾中の校長室において、星正泰教諭が盗まれた弁当箱を持っていた三年四組の男子生徒奈良晃義に事情を聴いていたところ、いきなり校長室に入ってきた原告は、同生徒に向かい、「お前、しっかりしろ。先生にやられたらやり返せ。何かあったら、徹底的にやり返せ。」と煽動し、星教諭や在室していた大野校長の注意や制止にもかかわらず、星教諭の同生徒に対する指導を妨害した。

(12) 昭和六〇年一一月二日、木曾中のマラソン大会の際、当日定められた服装をしないで、マラソン大会に参加しようとしなかった二年男子生徒殿崎秀博ほか二名を職員室において、重盛健一郎教諭が説諭していたところ、原告は、指導の内容や事実関係を知らないのに、三名の生徒に対して「お前らの方が正しいから、もっとどんどん言ってやれ。」「先生にやられたらやり返せ。」などと煽動して指導を妨害した。周囲にいた二年の担任教諭らが注意すると、原告は、生徒の面前で、「離婚した女はだまっていろ。」とか「ここの男の教員は女の教員と乳くりあっているんだろう。」などと暴言を吐いて誹謗した。

(13) 昭和六〇年一一月五日、木曾中の校長室において、町田警察署の少年係員が三年五組男子生徒竹下祐司を補導していたところ、原告は、校内放送を利用して同生徒のグループの三年男子生徒阿部弘次ほか一名を職員室に呼び出し、それらの生徒の面前で、「事務員といちゃつく校長がいるんだ。どうだこの学校は変な学校だろう」とか「校長や主任はみんな共産党ばかりだ。」などと、大野校長を誹謗する暴言を大声でわめくように言った。さらに、周囲にいた植松教頭や他の教員らの注意や制止を聞かず、原告は、校長室に無断で入り、補導中の生徒の面前で「校長、差別はやめろ。」とか「これはデッチあげだ。」などと言って大野校長の指導や右係員の指導を妨害した。

(14) 昭和六〇年一一月一一日、木曾中の一階西昇降口のところで、二年担任の小倉毅教諭が三年三組男子生徒笹森青に対して服装のことで指導しているところへ原告がやってきて、同生徒に「お前の言っていることを全部テープにとって警察に送っているんだよ。」と事実無根のことを言って、指導を妨害した。

(15) 昭和六〇年一一月二五日、木曾中の校長室において、重盛教諭が担任のクラスの二年六組の生徒殿崎秀博を指導しているところへ、原告がいきなり入室してきて、同生徒の面前で、重盛教諭に対して「お前暴力をふるうなよ。」とか「お前、女の教員と乳くりあってそれがばれて転勤させられるんだろう。」などの暴言を吐き、指導を妨害した。

(16) 昭和六〇年一一月二六日放課後、木曾中の東昇降口のところで、原告が、二年五組女子生徒矢部裕子外二名に対し、「小倉先生と重盛先生が馘首になる。」と事実無根のことを話し、さらに、原告は、他の多くの生徒たちに対しても同様のことを言いふらし、生徒たちを動揺させた。

2  本件処分の適法性

前記(一)ないし(三)の各行為は、それぞれ、地方公務員としての職務上の義務に違反するものであり、前記(四)の(1)ないし(16)の各行為は、それぞれ、職務上の義務に違反し職の信用を著しく傷つけるものである。さらに、前記(二)、(四)の(4)ないし(6)、(11)及び(13)の各行為は、それぞれ、上司の職務上の命令に従う義務に違反するものである。

したがって、原告には地方公務員法二九条一項一号ないし三号に該当する事由があるので、本件処分は適法なものである。

四  被告の主張に対する原告の認否等

1  被告の主張1(一)の事実のうち、原告が昭和五九年八月三日、四日に鳴門教育大学大学院学校教育研究科修士課程を受験してこれに合格したこと、同大学院に入学し(ただし、入学の日時は昭和六〇年四月一七日である。)受講したこと(ただし、受講したのは昭和六〇年一二月二日までである。)は認め、その余は否認する。

2  被告の主張1(二)の事実のうち、昭和六〇年四月一六日から同年七月一三日まで木曾中に勤務しなかったことは認めるが、その余は否認する。

3  被告の主張1(三)の事実は否認する。

4  被告の主張1(四)の事実について

(1) 同(1)の事実は否認する。原告が吉江校長との間で摩擦を生ずるようになったのは、五1(二)で後述するとおり、原告と小山昌雄教諭との間でいわゆる野球バット事件が発生した昭和五八年九月一七日以降のことであり、それ以前に同校長から注意や指導を受けたことはない。また、常識的に見て校長が教師に注意を与える際に、生徒が入室してくる状態のままで行うとすれば、その校長の資質こそ疑われて然るべきである。

(2) 同(2)の事実は否認する。この件については、東京都の管理主事による事情聴取の際、日時を昭和五八年九月一八日午後三時五五分と言われたので原告がその日に相違ないかと念を押したところ、同主事は資料を確かめたのち相違ないと言明した。しかし、原告がその日は日曜日である旨を指摘したところ、日付は同月一六日と訂正され、さらに、その後同月一三日と訂正された。被告の主張する事実の不確かさがこのような日付の変更に露呈されている。また、臨時学年会を開いたとすれば、その場に一二名の生徒を出席させておくことはあり得ない。

(3) 同(3)の事実は否認する。被告主張の日時ころに文化祭が行われていたことは事実であるが、原告は、この文化祭において駐車場係を担当し職員室にいたことはなく、職員室において原告が被告主張の発言をするはずがないし、その知識もない。また、その当時は生徒達がすさんでいて、女性教諭が一人で七名もの男子生徒を呼びつけて指導することが可能な状況では到底なかった。

(4) 同(4)の事実は否認する。被告主張の日の一年九組の第一時限の授業において、男子生徒真砂清彦が三角定規を忘れてきて友人からこれを借りる際に、ブーメランのように飛ばしているのを見て危険を感じたので定規を取り上げ、改めて授業終了後に注意を与えたものである。ところが、同生徒担任の小山昌雄教諭が、二時限終了後に担任のクラスの生徒約一〇名を従えて職員室の原告の席に近づき、「お前の教え方が悪いから生徒が理解できず、そのために騒ぐようになるのだ。なぜ生徒を叱るのだ。」と抗議してきた。問答の末、場所を校長室に移して事実の説明をしようとしたが、吉江校長は、生徒の面前で一方的に、「教え方が悪いからだ。一二月六日に転勤勧告を出したのにいうことを聞かないからこういうことになるのだ。」と原告をののしった。そこへ渡部吉郎教頭が現れて、場所を生徒相談室に移したが、同教頭は、生徒の面前で原告を一方的に誹謗し、小山教諭とともに生徒を煽動して原告を口汚く攻撃した。さらに、男子生徒真砂清彦が原告に対し悪態をついて帰ろうとしたので、原告が「待て」と言って手を伸ばしたところ、小山教諭、吉江校長、渡部教頭の三名が原告にとびかかり、小山教諭と渡部教頭とが原告の両腕を押さえたのであり、原告が吉江校長に暴行を加えたとか眼鏡を破損させた事実はない。

(5) 同(5)の事実は否認する。原告は、五1で後述するとおり、昭和五九年四月一日から研修期間に入っていたが、研修の理由説明を求めて町田一中に行ったところ、吉江校長が原告を無視して校庭に出たので原告が後をついて行った。そして、吉江校長が全職員、生徒の前で「原告が研修所に送られた。」と発言しかかったので、原告がこれを止めようとしたところ、組合員である教員らが原告に飛びかかり、これに対して原告を支持する教員が制止し対決状態になったのである。

(6) 同(6)の事実は否認する。当日、原告が町田一中に行ったのは、事務用品補充、給料受取、健康保険関係の用事のためであったが、原告は、町田市教育委員会の八木昌平指導室長より、町田一中に登校の際は必ず来意を教頭に告げるよう指示されていたので教頭の席に赴いたところ、教頭はおらず、織田教務主任より教頭は校長室にいるからそちらへ顔を出すように言われて校長室に入室したものである。原告は、校長室に入室するや、吉江校長から「来なくてよいから研修室に帰れ。」とののしられたので、これに抗議する発言をしたが、被告主張の発言はしていない。

(7) 同(7)の事実は否認する。当日原告が学校に赴いたのは、事務用品の補充と受信物の受取等のためであったが、教頭の席に行ったところ、不在であった。傍らに宣伝ビラがあったので、原告は参考までにコピーしようとしたが、渡部吉郎教頭が入室してきていきなり原告の胸ぐらをつかみ服を破り裂いた。原告は、このことについて校長に訴えようとして体育館に行ったところ、入口付近で多数の教師に取り囲まれ突きとばされてしまったのである。

(8) 同(8)の事実は否認する。原告は、昭和六〇年四月一二日に木曾中への転勤を指示され回答を保留したものの、考慮の末これに服することにして、翌一三日木曾中に出勤した。原告が教頭にあいさつし校長室に入室しようとしたところ、原告は、不法侵入者として扱われ、警察に通報されたのである。原告は、電話をかけるために事務室に行ったことはあるが、被告主張の発言をしたことはない。

(9) 同(9)の事実は否認する。

(10) 同(10)の事実は否認する。原告は、昭和六〇年一〇月からクラブ活動の将棋部の顧問とされていた。当時は生徒指導が不十分で生徒の校内生活の秩序が混乱しており、生徒の中には校内をふらついたり下級生の行動に干渉する上級生がいたりした。そのような状況下で職員室において問題生徒と教師とが将棋を通じて接触することには十分な意義があったのである。それに対して、武井良一教諭が干渉してきたので、多少のやりとりはあったが、原告は被告主張の発言をしたことはない。

(11) 同(11)ないし(16)の事実は否認する。

5  被告の主張2の主張は争う。

五  原告の主張

1(一)  原告は、昭和五七年九月一日から町田一中に数学科教諭として勤務していたが、昭和五九年三月二四日付で、被告から、研修期間・昭和五九年四月一日から昭和六〇年三月三一日まで、研修場所・町田市教育委員会の指定する場所、研修内容、町田市教育委員会の指定する課題という内容の研修決定(以下「本件研修決定」という。)の発令通知を受け、次いで、昭和五九年三月二七日付で、町田市教育委員会から、研修期間・昭和五九年四月一日から昭和六〇年三月三一日まで、研修場所・町田市中町一丁目四番一号町田市教育相談所、研修内容、生徒指導の充実をはかるため教師としてどうあるべきかという内容の研修命令(以下「本件研修命令」という。)の発令通知を受けた。

しかし、本件研修決定及び本件研修命令は違法なものであり、被告が本件処分の理由として主張する被告の主張1(一)ないし(三)の事実は、この違法な本件研修決定及び本件研修命令がなければ発生しなかったものである。このように、被告の主張(一)ないし(三)の事実は、違法な本件研修決定及び本件研修命令によって引き起こされたものであるから、本件処分の理由とすることは許されないというべきである。

(二)  本件研修決定及び本件研修命令に至る経緯

昭和五八年九月一七日、町田一中校内において、原告と小山昌雄教諭との間で、いわゆる野球バット事件が発生した。この事件は、同日午後四時四五分ころ、校舎玄関前で、当日の親善野球の野球道具を抱えて後片付けをし玄関に入ろうとする原告に対し、小山教諭が「野球ぐらいでガタガタ言うな。」と言いがかりをつけて体当たりを加え、原告を一~一・五メートル押したうえ、原告が左手に持っていた野球バットを手に取り原告を殴打し、原告の左腕に全治一〇日間の打撲症の傷害を負わせ、その際、なおも攻撃してくる小山教諭に対し原告が防ごうと左手を突き出したところ、小山教諭の顔面に当たり鼻血が出たという事件であり、小山教諭が先に殴りかかり原告にけがを負わせた事件である。ところが、小山教諭は、自分が原告にやられた如く騒ぎたて、組合員である教員の応援を求めるなどの卑劣な行為をした。原告は、真相をはっきりさせるために、傷害の被害届を町田警察署に提出した。原告は、小山教諭の態度が許せなかったが、吉江校長の説得を受け入れ、昭和五八年九月二四日、小山教諭が自分が悪かったことを認めることをもって和解することとし、示談書を交わし被害届を取り下げた。その際、吉江校長は、原告に対し、「組合に入ってくれ、そうすればうまく解決する。」などと再三説得し、また、「和解が成立したうえは学校長として今後この事件については一切触れないこととし原告が不利益にならないようにする。」と約束した。

ところが、吉江校長は、昭和五八年九月二六日の放送朝礼で、全校生徒に対し「先に殴ったのは蜷川先生である。」と話し、同月二八日臨時PTA中央委員会において、出席者に対し原告が先に殴ったとの虚偽の事実を報告した。また、吉江校長は、週刊サンケイの記者に対し原告が先に殴ったなどと虚偽の事実を告げ、これが週刊サンケイ昭和五八年一〇月上旬号で原告の写真及び実名入りの「先に殴りかかって被害者ヅラした図々しい奴」という偽記事となって全国的に報道流布され、原告の名誉が著しく毀損された。これらの吉江校長の行為は、和解の趣旨に反し、原告との約束に違反するものである。

これに対して、原告は、吉江校長に抗議し善処を求めた。仮に原告の吉江校長に対する言動の中に多少不遜と見られるようなことがあったとしても、それは、正当な権利行使であり許される抗議である。ところが、吉江校長は、反省、善処することなく、原告に対して逆襲した。吉江校長は、昭和五八年一二月六日付の「定期異動についての勧め」と題する文書を原告に渡したが、そこには「他地区の学校へ異動調査書を提出されるようお勧めいたします。」と記載されていた。さらに、吉江校長は、町田市教育委員会教育長に対し、昭和五九年三月二一日付の「蜷川澄村教諭のその後の報告」と題する文書を提出したが、その文書において、「蜷川教諭については、校長、教頭の指導に対しても、あらゆる点で指導を受け付けず、共産党校長、教頭と言い、誹謗も甚だしい状況である。教員として当然なすべき事務処理もしていません。情理を尽くして話しても、聞く耳を持たないという状態は、組織体の人間として、生徒を指導する教員としても許すことはできない。」という虚偽の事実を記載し、暗に原告に対する処分を要求しているのである。

この吉江校長の報告を真に受けた町田市教育委員会は、原告からの事情聴取を一切せずに、昭和五九年三月二三日付で、被告に対し、「学校長報告の通り、蜷川澄村教諭の校内における言動は指導のすべてを尽くしても改められず、職場における人間関係は円滑さを欠く状態です。この際、当該教諭の資質向上のため、教育公務員特例法二〇条三項並びに地方教育行政の組織及び運営に関する法律四五条に基づき、昭和五九年度研修を実施いたしたく資料を添え提出しますので御指示方お願い申し上げます。」という内容の蜷川澄村に対する研修についてと題する文書を提出し、被告の指示を要請した。これを受けて、被告は、前記(一)のとおり、本件研修決定を行ったのである。

(三)  本件研修決定の違法性

本件研修決定は、事実調査や原告の研修意思の確認を行わずになされているが、これは、原告の意思に反して研修を強制するものであり、教育公務員特例法一九条、二〇条に反し違法である。

本件研修決定は、研修に名を借りて原告を職場から排除することを狙ったものであり、違法である。

(四)  本件研修命令の違法性

町田市教育委員会の昭和五九年三月二三日付の蜷川澄村に対する研修についてと題する文書の記載によれば、原告に研修を命ずるに当たっては、原告の校内における言動が改められないこと及び職場における人間関係が円滑を欠くことが考慮された如くである。しかし、原告の校内における言動及び職場における人間関係が円滑を欠くことが問題となったのは、前記野球バット事件の発生、同事件の和解後の吉江校長の原告に対する裏切り行為が原因であり、職場における人間関係が円滑を欠くことになったのは、同僚である教職員組合所属の教諭らの原告に対する不当な攻撃中傷があったためでもある。したがって、原告の校内における言動が改められないこと及び職場における人間関係が円滑を欠くことが事実であったとしても、それは原告の資質にかかわる問題ではないから、そのことを理由として研修を命ずることはできないというべきである。本件研修命令は、研修を命ずべき理由がないにもかかわらず行われたものであり、違法である。

本件研修命令は、原告の意思確認をせず原告の当時の言動からは研修の拒否の意思は明白であるのにこれに反して行われたものであり、また、町田市教育委員会は、具体的な研修計画もその実施方法の準備もないまま一人原告を対象として場当たり的研修を強制したものであり、原告の教員としての教育する権利を奪い、研修の目的を侵害したものである。したがって、本件研修命令は、教員の教育権を定めた学校教育法四〇条、二八条六項に違反し、教員の身分の尊重を定めた教育基本法六条二項に違反し、教育公務員特例法一九条、二〇条一項、三項に違反する。

本件研修命令の研修場所は、町田市教育相談所内のホールにベニヤ板囲いをした約一坪程度の場所であり、同所には教育関係者、教職員組合関係者、外来者など多数の者が出入りする。研修場所として不適当であるばかりでなく、明らかに見せしめである。また、町田市教育委員会は、研修の指導担当者として宇野一を選任したが、同人に任せきりとし、教育委員会として原告に対する助言、指導などは一切しなかった。

さらに、被告及び町田市教育委員会は、研修期間満了に当たり研修に対するろくな評価もせず、研修後の適切な処置もしなかった。このように、本件研修命令は、全く場当たり的なものであり、その真の目的は原告を職場から排除することにあったのであり、このような研修は教育公務員特例法二〇条三項では許されない違法なものである。

2  鳴門教育大学大学院学校教育研究科修士課程の受験と受講について

原告が鳴門教育大学大学院学校教育科修士課程を受験したのは、研修を命ぜられている期間中であり、しかも、研修指導担当官の宇野一から、「教員としての資質の証明を準備するとよい。都立教育研究所とか、然るべき大学、大学院等で研修に参加してみてはどうか。」などと指導、助言されたからである。

原告の受験資格は、現場在職のまま許される一般の大学、大学院の受験と同じものであり、被告の派遣決定による受験ではないから、派遣決定に関する被告の手続規定の適用は受けない。

昭和六〇年三月一五日ころ、町田市議会の一般質問で原告の問題が取り上げられ、原告が鳴門教育大学大学院を受験し合格しているから同大学院において研修させるべきではないかという質問がされ、これに対して町田市教育委員会の南保正道教育長が答弁している。したがって、町田市教育委員会は、遅くともこの時に原告が同大学院を受験し合格している事実を知ったものであるが、原告に対して問責、注意などは一切なかった。この事実は、町田市教育委員会が原告の受験及び合格を追認したことを示すものである。

また、原告の鳴門教育大学大学院の受験及び合格の事実は、当然町田市教育委員会から被告に対して報告されたはずであり、昭和六〇年三月には、当時原告の世話役をしていた中村一正が被告の中島人事部長に対し、研修期間満了後の処置として原告が合格した鳴門教育大学大学院での受講研修を要請している。したがって、被告は、そのころ、原告が同大学院を受験し合格している事実を知ったものであるが、原告に対し問責や注意などは一切行わなかった。この事実は、被告が原告の受験及び合格を追認したことを示すものである。

3  木曾中に勤務しなかったことについて

町田市教育委員会は、原告を電報で呼び出し、昭和六〇年四月一二日に木曾中教諭に補するとの発令通知書を交付しようとしたが、原告はその受領を保留した。この発令通知書は、原告の意見聴取もなく原告の意思に反したものであり、日付を昭和六〇年四月一日と遡らせて作成した虚偽文書であり違法なものである。また、木曾中に勤務を命ずるという内容も不当なものである。すなわち、木曾中は組合員が多数いる学校であり、組合活動が町田市内でも最も活発な学校であるが、原告の問題は、町田一中における組合との関係及び学校長の指導管理能力の欠如により発生したものであって、原告を町田一中よりも組合の組織活動が強い木曾中に勤務させることは、原告潰しをねらったものと言わざるをえない。また、昭和六〇年四月八日付けで吉江校長名義の同月九日以降自宅待機をされたいという内容の指示文書が出されており、同月一二日当時は、この自宅待機の指示は取り消されていなかったのであるから、これと重複する木曾中への勤務を命ずる発令は、二重発令であり違法である。したがって、原告にはこの発令通知書を受領する義務はなく、原告はその受領を一時保留したのである。

原告は、昭和六〇年四月一六日から同年七月一三日まで木曾中に勤務しなかったが、勤務する義務はなかった。原告は、同年四月一三日に木曾中に出勤したが、大野校長から「のこのこ来るな、帰れ。」と怒鳴られたうえ、警察官導入による排除にあった。さらに、同日、原告は町田市教育委員会八木指導室長から「四月一五日付で処分(被告による分限免職処分の意味である。)がある。」と予告された。また、原告は、同月一五日にも木曾中に出勤したが、大野校長から排除された。このように、木曾中では原告が勤務できる状態になく、勤務を拒否された状態にあったから、原告には木曾中に勤務する義務はなかった。

大野校長及び町田市教育委員会の再三にわたる勤務命令は、職権の濫用であり、違法且つ無効である。大野校長及び町田市教育委員会が作り出した恐怖状態においては、到底正常に勤務ができる道理がない。出勤すれば「来るな」と言って排除され、処分の予告をされ、出ていけばどのような仕打ちをされるかもしれない恐怖状態において、原告には大野校長及び町田市教育委員会の勤務命令に従う義務はなかった。

原告は、昭和六〇年四月二六日、「四月一三日、四月一五日の木曾中での精神的ショックが回復するまで、四月二六日より当分の間休暇を申請する。」という内容の休暇申請をしている。さらに、原告は、警察官導入による排除の精神的ショック及び免職処分の予告という恐怖による苦痛を受け、心身共に疲労困憊し、自律神経失調症、神経性胃炎の病気となっており、同年五月一一日に、約二週間の加療を要するとの診断書とともに病気休暇届を提出し、その後、同月二五日付の一週間の安静加療を要するとの診断書、同年六月一日付の二週間の安静加療を要するとの診断書、同月一九日付の二週間の安静加療を要するとの診断書を提出しており、同年七月一三日まで正当に病気欠勤したものである。このように、原告の当時の状況は、木曾中に出勤したくとも恐怖観念に襲われ十分な勤務ができる状態ではなかったが、しかし、時々鳴門教育大学大学院に行き受講することは可能であった。同大学院へ行くことは、病気の療養を兼ね精神の安定回復に効果的であったのである。

4  年次休暇の取得について

被告は、原告が違法な受講のため昭和六〇年九月二日以降同年一二月三〇日までの間、年次休暇二一日一時間を請求し現実に勤務しなかったと主張するが、年次休暇の申請は原告の権利であり、原告の年次休暇申請に対して大野校長はすべて異議なく承認した。したがって、原告の年次休暇の取得には責められるべき点はない。また、原告が年次休暇を利用して鳴門教育大学大学院を受講したのは、昭和六〇年一〇月二一日、同月二二日、同月二八日、同年一一月六日、同年一二月二日の五日間である。

第三証拠

本件記録中の書証目録及び証人目録記載のとおりであるから、これを引用する(略)。

理由

一  請求原因1及び2の事実は、当事者間に争いがない。

二  被告の主張1(本件処分の理由)について

1  被告の主張1(一)の事実のうち、原告が昭和五九年八月三日、四日に鳴門教育大学大学院学校教育研究科修士課程を受験しこれに合格したこと、原告が同大学院に入学(証拠略)によれば、原告は、昭和六〇年三月二五日に入学科等を納入し、同年四月一六日付で入学していることが認められる。)して少なくとも同年一一月まで受講したことは、当事者間に争いがない。

弁論の全趣旨によって真正に成立したものと認められる(証拠略)及び原告本人尋問の結果によれば、原告は、右大学院の昭和五九年度の受験につき、学校長を通して町田市教育委員会の同意を求めたが右同意を得られなかったこと、本件で問題となっている昭和六〇年度については、受験についての町田市教育委員会の同意はもとより、入学、受講についての被告の派遣決定及び町田市教育委員会の出張命令のいずれをも得ていないことが認められる。原告本人尋問の結果中、この認定に反する部分は、右各証拠に照らして信用できない。

2  被告の主張1(二)の事実のうち、原告が昭和六〇年四月一六日から同年七月一三日まで木曾中に勤務しなかったことは、当事者間に争いがない。

(証拠略)によれば、大野校長は、欠勤中の原告に対し、「出校命令」と題する内容証明郵便を昭和六〇年四月二三日付、同月二七日付、同年五月一〇日付及び同年二七日付の四回にわたって送っていること、町田市教育委員会もまた、教育長名義で、右原告に対し、「出校命令」と題する内容証明郵便を昭和六〇年四月二三日付及び同年五月一〇日付の二回にわたって送っていることが認められる。

3  (証拠略)によれば、原告は昭和六〇年九月九日以降同年一一月三〇日までの間に年次休暇二一日一時間を請求して取得していることが認められる。

4  (証拠略)の各証言によれば、被告の主張1(四)(1)の事実及びそれが発生したのは原告から提出されていた横浜国立大学の特別講座の受講承認の扱いに関する話合いの機会においてであることが認められる。原告本人尋問の結果中、この認定に反する部分は、右各証拠に照らして信用できない。

5  (証拠・人証略)によれば、被告の主張1(四)(2)の事実が認められる。原告本人尋問の結果中、この認定に反する部分は、右各証拠に照らして信用できない。なお、(証拠・人証略)、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、被告の主張1(四)(2)の事実については、その日付が九月一八日から一六日に訂正され、更に一三日に訂正されたことが認められるが、これは右認定を覆すに足りないものである。

6  (証拠・人証略)によれば、被告の主張1(四)(3)の事実が認められる。原告本人尋問の結果中、この認定に反する部分は、右各証拠に照らして信用できない。

7  (証拠・人証略)によれば、被告の主張1(四)(4)の事実が認められる。原告本人尋問の結果中、この認定に反する部分は、右各証拠に照らして信用できない。

8  (証拠・人証略)によれば、被告の主張1(四)(5)の事実が認められる。原告本人尋問の結果中、この認定に反する部分は、右各証拠に照らして信用できない。

9  (証拠・人証略)によれば、被告の主張1(四)(6)の事実が認められる。原告本人尋問の結果中、この認定に反する部分は、右各証拠に照らして信用できない。

10  (証拠・人証略)によれば、被告の主張1(四)(7)の事実が認められる。原告本人尋問の結果中、この認定に反する部分は、右各証拠に照らして信用できない。

11  (証拠略)によれば、被告の主張1(四)(8)の事実が認められる。原告本人尋問の結果中、この認定に反する部分は、右各証拠に照らして信用できない。

12  (証拠略)によれば、被告の主張1(四)(9)の事実が認められる。原告本人尋問の結果中、この認定に反する部分は、右各証拠に照らして信用できない。

13  (証拠略)によれば、被告の主張1(四)(10)の事実が認められる。原告本人尋問の結果中、この認定に反する部分は、右各証拠に照らして信用できない。

14  (証拠略)によれば、被告の主張1(四)(11)の事実が認められる。原告本人尋問の結果中、この認定に反する部分は、右各証拠に照らして信用できない。

15  (証拠略)によれば、被告の主張1(四)(12)の事実が認められる。原告本人尋問の結果中、この認定に反する部分は、右各証拠に照らして信用できない。

16  (証拠略)によれば、被告の主張1(四)(13)の事実が認められる。原告本人尋問の結果中、この認定に反する部分は、右各証拠に照らして信用できない。

17  (証拠略)によれば、被告の主張1(四)(14)の事実が認められる。原告本人尋問の結果中、この認定に反する部分は、右各証拠に照らして信用できない。

18  (証拠略)によれば、被告の主張1(四)(15)の事実が認められる。原告本人尋問の結果中、この認定に反する部分は、右各証拠に照らして信用できない。

19  (証拠略)によれば、被告の主張1(四)(16)の事実が認められる。原告本人尋問の結果中、この認定に反する部分は、右各証拠に照らして信用できない。

三  被告の主張2(本件処分の適法性)について

1  まず、前記二1及び2の事実が、全体の奉仕者たる地位に反し且つ地方公務員としての職務上の義務に違反するものであるか否かについて検討する。

(一)  鳴門教育大学大学院学校教育研究科修士課程の受験と受講について

(証拠略)によれば、以下の事実が認められる。原告本人尋問の結果中、この認定に反する部分は、右各証拠に照らして信用できない。

東京都の中学校教員が現職のまま鳴門教育大学大学院に入学するには、受験についての区市町村教育委員会の同意と入学についての被告の派遣決定及び区市町村教育委員会の出張命令が必要であるという取扱いになっており、区市町村教育委員会が同意を与える場合には事前に被告と協議しなければならないものとされている。ところが、原告は、前記二1のとおり、右同意及び派遣決定、出張命令のいずれをも得ることなく、同大学院学校教育研究科修士課程を受験して入学した。原告は、同大学院に入学願書を提出するに当たって、「同意書・有」と記載するとともに本件研修発令通知書を添付したところ、同大学院から、教育委員会の同意書が必要である旨の連絡を受けて後日提出する旨を約したが、再三の催促にもかかわらず、未提出のままとなった。

同大学院修了のためには、二年以上在学し三四単位以上を習得することが必要であるが、原告は、鳴門市にある世帯用学生宿舎に単身で居住して通学し、昭和六〇年度について二単位科目を二二科目、一単位科目を五科目の合計四九単位(その他に課題研究三単位がある。)の履修を届け出、出席状況は概ね良好であった。そして、原告は、昭和六〇年一二月の段階で二単位科目を一四科目、一単位科目を二科目の合計三〇単位の試験に合格した。

(二)  木曾中での勤務をしないことについて

(証拠略)原告作成部分についてはその成立につき争いがなく、その余の部分については(証拠略)並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。原告本人尋問の結果中、この認定に反する部分は、右各証拠に照らして信用できない。

(1) 町田市教育委員会教育長から被告教育長に対し、昭和五九年三月二三日付で、「原告の校内における言動は指導のすべてを尽くしても改められず、職場における人間関係は円滑さを欠く状態であるので、原告の資質向上のため教育公務員特例法二〇条三項、地方教育行政の組織及び運営に関する法律四五条に基づき昭和五九年度において原告に対して研修を実施したい。」旨の文書が出された。これを受けて、被告は、昭和五九年三月二四日付で、研修期間・昭和五九年四月一日から昭和六〇年三月三一日まで、研修場所・町田市教育委員会の指定する場所、研修内容・町田市教育委員会の指定する課題という内容の本件研修決定を発令通知し、次いで、町田市教育委員会は、昭和五九年三月二七日付で、研修期間・昭和五九年四月一日から昭和六〇年三月三一日まで、研修場所・町田市教育相談所、研修内容・生徒指導の充実を図るため教師としてどうあるべきかという内容の本件研修命令を発令通知した。

(2) 原告は本件研修命令に従い、昭和五九年四月一日から町田市教育相談所で研修に入り、昭和六〇年三月三一日に研修期間が満了したが、その後の昭和六〇年四月一日には、吉江校長から「町田市教育委員会の指示により追って指示のあるまで自宅において待機されたい。」という内容の指示を文書で受けた。その後、同月六日付で、町田市教育委員会名義の「昭和六〇年四月一日に自宅待機という指示を出したのは東京都教育委員会と協議中のためである。」という内容の文書が、同月八日には、吉江校長名義の「町田市教育委員会からの指示により同月九日以降は指示のあるまで自宅において待機されたい。」という内容の指示が、それぞれ、文書で原告に対して出された。しかるところ、同月一二日、町田市教育委員会教育長は、原告に出頭を求め、教育部長、指導室長及び大野校長立会いのもとで、「木曾中教諭に補する。」という内容の昭和六〇年四月一日付の発令通知書を原告に交付しようとしたが、原告は、「木曾中に転勤になる理由を聞かせてほしい。」と要求して発令通知書を受けとることを拒否し、教育長に対して「昔は組合の役員をやったくせに今は人の首を切るつもりか。」などと怒鳴り声をあげた。

原告は、発令通知書を受けとるかどうかの態度を明らかにしないまま、翌一三日午前八時三〇分ころ、木曾中職員室に現れ、大野校長に対して「四月九日の文書はどうした。」と訳の分からないことを言ってくってかかり、大野校長が職員の打合せに支障があるので職員室を出るように求めてもこれに応じなかったため、大野校長は教頭に警察への連絡を依頼し、警察官は約二時間後に木曾中にやって来たが、騒ぎがおさまっていたために原告と顔をあわせることなく帰っていった。これより先の同日午前九時二〇分ころ、原告からの電話連絡を受けて、町田市教育委員会の石井君男指導部長と八木昌平指導室長が木曾中にやって来たが、原告は同人らに対して「いやいや学校へ来たんだ。」などと話をし、その後、事務室で待機中に、前記二11認定のとおり、星教諭や生徒の面前で「校長や教育委員会のあの連中は何をもたもたしているんだ。校長が仕事ができないで馬鹿だからダメだ。」と大声で校長らを誹謗したりした。原告は、昭和六〇年四月一五日午前八時三〇分ころ、木曾中職員室に現れ、「出勤簿はどうなっているんだ。」と大声を出したりして約五分で帰っていった。原告は、その翌日である昭和六〇年四月一六日付で、前記二1認定のとおり、鳴門教育大学大学院学校教育研究科修士課程に入学した。

(3) 原告は、その後、昭和六〇年四月二六日、内容証明郵便で「四月一三日、四月一五日の木曾中での精神的ショックが回復するまで、四月二六日より当分の間休暇を申請する。」という内容の年休申請を大野校長に対して行った。原告は、同年五月一一日、自律神経失調症で約二週間加療を要するとの診断書とともに病気休暇届を郵送し、さらに、同月二五日付の自律神経失調症により一週間の安静加療を要するとの診断書を、同年六月一日付の自律神経失調症により二週間の安静加療を要するとの診断書を、同年六月一九日付の神経性胃炎により二週間の安静加療を要するとの診断書を、それぞれ、大野校長に郵送した。

原告の昭和六〇年度の出勤簿上は、最終的に昭和六〇年四月一六日から同月三〇日まで(日曜、祝日を除く。)は年休、同年五月一日から同月一〇日まで(日曜、祝日を除く。)は不参、同月一一日から同年七月一三日まで(日曜、祝日を除く。)は病欠として処理された。

(三)  以上によれば、原告が、町田市教育委員会の同意を得ることなく、鳴門教育大学大学院学校教育研究科修士課程を受験し、これに合格するや、被告の派遣決定及び町田市教育委員会の出張命令のいずれをも受けることなく、無断で同大学院に入学し昭和六〇年四月一六日から同年一一月まで受講したこと、大野校長及び町田市教育委員会の再三にわたる出校命令にもかかわらず同年四月一六日から同年七月一三日までの間全く出校せず勤務しなかったことは、全体の奉仕者たる地位に反し、且つ、地方公務員としての職務上の義務に違反するもので、地方公務員法二九条一項一号ないし三号に該当するものである。

(1) この点について、原告は、被告の主張1(一)及び(二)の事実は違法な本件研修決定及び本件研修命令がなければ発生しなかったものであるから、これをもって本件処分の理由とすることは許されないと主張するが、被告の主張1(一)及び(二)の事実は、原告が自己の自由な意思に基づいて決定し実行したもので、本件研修決定及び本件研修命令の必然的結果として発生したものではないから、本件研修決定及び本件研修命令が違法であるか否かを問題にするまでもなく、原告の主張は理由がない。

原告は、原告の鳴門教育大学大学院学校教育研究科修士課程の受験、合格については、被告及び町田市教育委員会の追認があったと主張するが、仮に被告の主張する事実が認められるとしても、それによって被告及び町田市教育委員会の追認があったと評価することはできない。

また、原告は、原告の受験資格は、現場在職のまま許される一般の大学、大学院の受験と同じものであり、被告の派遣決定による受験ではないから、派遣決定に関する被告の手続規定の適用は受けないと主張するが、鳴門教育大学大学院は、その所在地が原告の勤務場所から遠隔の地にあること、その教育課程からすると中学校教員として在職のまま卒業することは不可能であることが明らかであるから、現場在職のまま許される一般の大学、大学院の受験と同一視することはできず、しかも、前記のとおり、原告は、教育委員会の同意書が必要であることを確認し同大学院からの催促に対しても後日提出することを約しながら未提出となったのであるから、被告の主張は理由がない。

さらに、本件研修命令の内容は、「生徒指導の充実をはかるため教師としてどうあるべきか」というもので、研修の場所も町田市教育相談所と限定されていたのであるから、本件研修命令が鳴門教育大学大学院への入学をあらかじめ許容する趣旨を含むものでないことはいうまでもない。

(2) 原告は、木曾中での勤務をしないことについて、昭和六〇年四月当時、木曾中では原告が勤務できる状態になく、勤務を拒否された状態にあったから、原告には木曾中に勤務する義務はなく、大野校長及び町田市教育委員会の出校命令に従う義務はなかった旨主張するが、そのような状態ではなく、かえって、原告が鳴門教育大学大学院に入学して勤務地を遠く離れていたことは、前記三1(一)(二)のとおりであるから、原告の主張は理由がない。また、自宅待機の指示を取り消さないまま木曾中での勤務を命ずる発令をしたことは、自宅待機の指示がこれによって失効することを意味するから、二重発令として違法となる余地はない。

原告は、原告の当時の状況は警察官導入による排除の精神的ショック及び免職処分の予告という恐怖による苦痛を受け、木曾中に出勤したくとも恐怖観念に襲われ十分な勤務ができる状態ではなく、診断書とともに病気休暇届を提出しているのであるから、昭和六〇年七月一三日まで正当に病気欠勤したものであると主張するが、昭和六〇年四月当時の事実経過は前記三1(二)のとおりであり、原告が木曾中に出勤したくとも恐怖観念に襲われ十分な勤務ができる状態ではなかったとは認められず、原告の主張する診断書の存在も右認定を覆すに足りるものではないから、原告の主張は理由がない。

また、原告の昭和六〇年度の出勤簿上の取扱いは、前記三1(二)(3)のとおりであるが、出勤簿上そのような取扱いがなされたからといって昭和六〇年四月一六日から同年七月一三日まで全く出校せず勤務しなかったことが正当化されるものではない。

2  なお、被告は、前記二3の事実が地方公務員の職務上の義務に違反するものであると主張するが、原告の昭和六〇年九月二日以降同年一一月三〇日までの間の年次休暇二一日一時間については、原告の年次休暇申請に対して、時季変更権の行使はされておらず、年次休暇をどのように使おうと原告の自由なのであるから、これを本件処分の理由とすることはできない。もっとも、そのように解したからといって、本件処分の適法性に関する結論に影響はない。

3  次に、前記二4ないし19の各行為は、原告の職員としての信用を傷つける行為であるから、地方公務員法三三条に反する行為であり、同法二九条一項一号、二号に該当し、さらに、前記二7ないし9、14及び16の各行為は、上司の職務上の命令に従うべき義務に違反する行為であるから、同法三二条に反する行為であり、同法二九条一項一号及び二号に該当する。

原告は、いわゆる野球バット事件の発生、右事件についての和解の趣旨及び原告との約束に違反した吉江校長の行為が前記二4ないし19の一連の行為の原因となっているかのように主張し、原告本人尋問の結果中には、これに符合する部分がないではないが、前記二4ないし19の各行為の認定に供した各証拠に照らして信用することができず(特に、前記二4、5の行為がいわゆる野球バット事件よりも前のものであることや右一連の行為の中には吉江校長以外の者が相手方となっている行為が少なくないことの説明ができない。)かえって、右各証拠を総合すると、著しく自己中心的で協調性に欠け且つ教員とは信じ難い原告の特異な発言・行動様式がその原因となったものであることが認められるから、原告の右主張は理由がない。また、教職員組合所属の教諭らが原告に対して不当な攻撃中傷を加えたために、原告と同僚との間の人間関係が円滑を欠くようになったことを認めるに足りる証拠はない。

4  以上によれば、原告には地方公務員法二九条一項一号ないし三号に該当する事由があり、本件処分が懲戒権者の裁量権を濫用したものと認めるに足る事情も存在しないから、本件処分は適法なものである。

四  したがって、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 太田豊 裁判官 山本剛史 裁判官 坂本宗一)

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