東京地方裁判所 昭和61年(行ウ)148号 判決 1991年12月05日
原告 加藤茂喜
右訴訟代理人弁護士 浅井岩根
右訴訟復代理人弁護士 浦田乾道
被告 東京都知事 鈴木俊一
右指定代理人 江原勲
<ほか三名>
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
被告が昭和五六年一〇月一二日にした原告の船員保険被保険者資格確認請求を却下した処分を取り消す。
第二事案の概要
一 争いのない事実等
1 原告は、昭和五五年四月四日付けで、ワールドマリン株式会社(以下「ワールドマリン」という。)を代理店とするリベリア籍の外国法人であるレオニス・ナビゲーション・カンパニー・リミテッド(以下「レオニス」という。)との間で、昭和五六年四月五日までを雇用期間とする船員雇用契約を締結し、一等航海士として新興丸に乗り組んだ。
2 原告につき、新興丸の船長から四国海運局宇和島支局に対し船員法三七条に基づきイヨ・コーサン(パナマ)エス・エー(以下「イヨ・コーサン」という。)を船舶所有者とする雇入契約の公認申請がされ、同海運局同支局は、昭和五五年四月九日付けで、右雇入契約の公認をした。
3 間もなく、原告は、アメリカ合衆国等への航海を行なったが、昭和五五年一〇月三一日、直江津港において、新興丸甲板上で作業中、右上腕骨骨折の傷害を負い、労働基準法施行規則別表第二身体障害等級表第四級の後遺症を残した。
4 船員保険法一七条は、「船員法第一条ニ規定スル船員トシテ船舶所有者ニ使用セラルル者ハ船員保険ノ被保険者トス」と定めているところ、船員法一条は、「この法律で船員とは、日本船舶又は日本船舶以外の命令で定める船舶に乗り組む船長及び海員並びに予備船員をいう。」と定めており、右に日本船舶とは、船舶法一条にいう「日本船舶」であって、新興丸はこれに該当する。同船は、株式会社海栄社(以下「海栄社」という。)の所有に属し、イヨ・コーサンに賃貸されていたが、イヨ・コーサンは、パナマに住所を有する外国法人であって、日本に住所を有しなかった。
5 原告は、被告に対し、昭和五六年四月一七日、レオニス又はワールドマリンが船員保険法上の船舶所有者であると主張して、同法二一条ノ五第一項に基づき原告が船員保険の被保険者資格を有することの確認請求をしたが、被告は、同年一〇月一二日、レオニス及びワールドマリンは、いずれも同法一〇条に規定する船舶所有者とならないので、原告は同法一七条に規定する被保険者とはいえないとして右請求を却下した(以下「本件処分」という。)。
6 原告は、同年一一月一一日、本件処分を不服として東京社会保険審査官に対し審査請求をしたが、同審査官は昭和五七年六月二二日審査請求を棄却した。さらに原告は、同年七月一六日、社会保険審査会に対し再審査請求をしたが、同審査会は昭和六一年六月三〇日再審査請求を棄却し、原告は同年八月一五日右再審査請求に対する裁決書を受け取った。
7 以上のような経過のもとに、原告は、船員保険の被保険者資格を有するとして本件処分の取消しを求めている。
二 争点
本件の争点は、原告が船員保険の被保険者資格を有するか否かであり、具体的にはレオニスが船員保険法一七条、一〇条の「船舶所有者」に該当するか、レオニスとワールドマリンとが一体であるといえるか否かである。
これに関する当事者双方の主張は、次のとおりである。
1 原告の主張
レオニスは、船員保険法一〇条の「船舶所有者、船舶管理人及び船舶借入人以外の者が船員を使用する場合」の「その者」に該当し、法人格否認の法理によりワールドマリンはレオニスと一体というべきであるから、結局ワールドマリンが船員保険法上の船舶所有者とされるべきである。そして、原告は、船舶所有者であるワールドマリンに「使用せらるる者」として、同法一七条に基づき船員保険の被保険者資格を有する。
(一) 次に述べる事情を総合すると、本件における船舶所有者は、原告と船員雇用契約を締結したレオニスである。
(1) 本件で原告が乗船勤務していた新興丸は、海運界で一般的に「マルシップ」と呼ばれている船舶である。マルシップは、各種法規制の潜脱を目的とする便宜置籍船の模倣形態であり、「マル=丸」の名が示すように日本籍船の船籍を外国に移さないことを特徴とし、この日本国の船舶所有者が、自社船を外国船舶会社(ペーパーカンパニーである)へ裸用船(賃貸借)し、右外国船舶会社が当該船舶に外国人船員等を雇い入れ乗船させたうえで再び日本国の船舶会社がこれを定期用船(チャーターバック)して運航している形態である。マルシップは、①船主責任、船員法、船員保険法等の適用を免れること、②安価な労働力(外国人船員)を調達して有効に消費すること、③全日本海員組合との労働協約の拘束を免れること、④法人税・配当税・利子税の課税を免れること等船主の脱法目的の下に案出されたものであり、便宜置籍船に対する規制を回避する簡便な対策として生れたものである。
船員保険法の立法当時から便宜置籍船やマルシップが出現するまでは、船員保険法一七条、一〇条の「船舶所有者」に外国法人は予定されていなかった。すなわち、船舶法一条は、日本籍船の所有者を日本人又は日本法人に限定しているから、外国法人に雇用される日本人が日本籍船に乗船勤務するというのは異常なことであり、マルシップ等の出現までは、船員としての労働関係を生ずる原因を、
① 船舶所有者(船舶共有の場合は船舶管理人)が自ら船員を雇用して自社船に雇い入れるケース
② 船舶所有者が船舶を他に裸用船(賃貸借)に出し、裸用船者(賃借人)が船員を雇用し、船舶に雇い入れるケース
③ 所有者、用船者(賃借人)以外の者が、船内で労務に従事する者を雇用するケース
に限っていても問題はなかった。右①、②のケースにおいて、船舶の所有者(又は共有者)でも裸用船者(賃借人)でもない者が、船員を雇用し、これを船舶に乗り組ませる(雇い入れしてもらう)というような異常な事態は同法の予定していないところであったのである。
ところが、マルシップに日本人が乗り組むという法の予定しない異常な雇用及び雇入形態が出現し、船員としての労働関係の発生を右のような類型に限ることが不都合となった。右の形態は、船員保険法の適用を免れる目的で考案された雇用関係の構図として存在しているのであるから、船員保険法一七条、一〇条の解釈適用にあたり、「船舶所有者」概念を拡張し、レオニスを同法一〇条の「船舶所有者、船舶管理人及び船舶借入人以外の者」に該当すると解し、船員としての労働関係を認めるべきであり、そう解することは、なんら不合理ではない。日本籍船に乗り組もうとする日本国内に居住する船員が日本国内において雇用契約を締結する以上、この船員が船員保険の保障を享受することに何一つ障害があるはずがなく、船員を雇用する側の、船員保険法の適用を免れる目的で考案された雇用関係の構図が存在する以上、船員保険法所定の「船舶所有者」概念を、経済環境の変化に対応して拡張ないし確定をはかることが、船員の社会保障を全うするゆえんである。
(2) 雇入契約の相手方ではなく、雇用契約の相手方が船員保険の「船舶所有者」とされるべきである。
船員法は、船員の雇用関係について、雇入契約と雇用契約という二つの契約の存在を前提としている(船員法三一条等)。雇入契約とは特定船舶への乗船により成立し(雇入)、下船によって終了する(雇止)契約である。船員の雇用形態が雇入契約のみにしぼられるとすれば、それは属船主義、期間雇用、企業に専属しない雇用契約であって、雇入契約と雇用契約は同一のものといえる。これに対し、近代海運企業は、陸上企業と同様、労働者たる船員の継続的雇用を前提として、企業に専属し、終身雇用を当然としての雇用契約を締結している。この場合の船員の雇入、雇止は、企業内での会社の指示による勤務場所としての船舶の乗下船の繰返しを意味している。単純な雇入契約にあっては下船(雇止)は労使関係の終了をもたらすのに対し、専属雇用関係が存在する中での雇止は、船舶勤務を止めて下船し、予備船員として在籍し、会社指示による次の船舶への雇入を待つという状態をもたらす。このように、予備船員制度を認める現行法制の下においては、船員として、乗り組むべき船舶を特定することなく、特定の船舶所有者との間に雇用契約を締結することが先行し、その上で、特定船舶へ乗り組むための雇入契約を締結するという形態が一般化し、雇止によって下船すれば当然に予備船員となるという形で船員の雇用契約上の地位が存続することになる。このため雇用契約と雇入契約との関係をいかに法律構成すべきかが問題となり、諸説が対立しているが、この点については次のように考えるべきである。すなわち、船員として船舶所有者に雇用される関係を創設する契約は雇用契約のみなのであって、雇入契約は雇用契約と別個独立の契約ではなく、乗船命令という企業内の指図に従うについての乗船条件についての船員からの確認的同意にすぎず、一般的な乗船中の労働条件は雇用契約の中においてすでに確定されており、ただ具体的な乗船中の労働条件の確定を個別乗船ごとの確認的な同意にかからしめる旨の合意が雇用契約においてされていると構成すべきである。船員法三六条は船長が雇入契約により定められた労働条件を海員名簿に記載して海員に示すこととし、三七条は船長が海員の雇入契約に関する公認申請を行政官庁になす義務を負うと定めているが、右雇入契約の公認制度は前記の確認、同意を得た労働条件の内容的妥当性の公権的確認のために存在するものと理解すれば足りる。中小船主においてとられている船舶への雇入の方式にあっては、雇用契約と乗船命令への同意とが同時になされているにすぎないと解するのが相当である。このように雇入契約が独立の契約と認められない以上、船員保険法の適用にあたっても雇用契約の相手方を船舶所有者とみるべきである。
そして、本件においては、イヨ・コーサンはレオニスに対して原告に対する賃金相当額を含む経費の支払義務を負うにすぎず、原告に対する賃金の支払義務を負っていたのはレオニスであったと解されること、レオニスが原告についてPI保険に加入していたことからすると、原告との雇用契約関係はイヨ・コーサンとの間にはなく、レオニスとの間にあったというべきである。したがって、レオニスが船員保険法上の船舶所有者であると解すべきである。
なお、原告は、昭和四五年五月から同四九年一〇月一八日まで大阪旭海運株式会社に雇用されていた際、三度にわたり他社所有船舶に融通派遣され、この際には雇用者である大阪旭海運とは別の会社と雇入契約を締結したが、船員保険の関係では、大阪旭海運が一貫して船舶所有者とされていた。すなわち、船員保険の関係では雇入契約関係の相手方ではなく雇用契約関係の雇用者が船舶所有者となっていた。
(3) イヨ・コーサンとレオニスとの間の契約関係の性質は、次のように「業務委託」と考えるべきである。
すなわち、レオニスは、イヨ・コーサンから単に個々の船員の派遣や労働提供を委託されたのではない。レオニスは、イヨ・コーサンから、新興丸の運航を担当する船員の一団の配乗とこれらによる労働の提供を委託され、それに対する対価の支払を受ける関係にあり、レオニスには、船員の人数、資質程度、日本人と外国人の組み合わせ等につき広い裁量が与えられていたのである。そのことは、この契約の対価が、一団としての船員全体についてのものとして支払われ、個々の船員毎についての金額を積算して支払われたのではないことからも明らかである。このような契約は、労働者派遣や在籍出向とは異なるものであり、一定の目的のもとに、法律行為でない一定の事務処理を相手方に委託して、その対価として報酬を支払うことを約し、相手方にはその目的の範囲内で、ある程度の自由裁量が認められる準委任的な労務利用契約という意味で「業務委託」と呼ぶべきものである。
このような「業務委託」契約においては、雇用関係のみならず、指揮監督関係もレオニスと原告との間にのみ存在し、イヨ・コーサンと原告との間には指揮監督関係はなく、単なる船の賃借人と操船者の関係があるにすぎないものと解すべきであり、レオニスには、直接新興丸に対する船員の配乗権があったとみるべきである。したがって、業務の委託を受けたレオニスが船員保険法上の船舶所有者となるものというべきである。
(4) 原告の労働関係が労働者派遣に当たるとしても、労働者派遣の場合、労働基準法においては、通達(昭和六一年六月三〇日基発第三八三号「労働者派遣事業に対する労働保険の適用及び派遣労働者に係る労働者災害補償保険の給付に関する留意事項等について」)によっても、派遣元に災害補償責任があるとされており、労働基準法の個別事業主の災害補償に関する責任保険としての労災保険法上も、派遣元が強制加入事業者となるものとされているのであるから、船員法上の船舶所有者の災害補償(船員法九五条)に関する責任保険としての性質をもつ船員保険の場合も、これと同様に解すべきである。そうすると、本件においては、派遣元であるレオニスが、労災保険法における強制加入事業者に相当する船員保険法上の船舶所有者に該当することになる。なお、原告が、本件以前に、融通派遣の形態により雇用主と異なる者の船に乗り組んでいた際にも、派遣元の雇用主が船舶所有者とされていたことは前記のとおりである。
(5) 災害補償責任は、およそ賃金支払義務負担者が負うべきものである。特に、船員法で船舶所有者に義務づけられている災害補償のうち、傷病手当、予後手当、障害手当、遺族手当が、就労によって得べかりし賃金による稼得金額の補填を目的とするものと解されることからすると、船員法上の災害補償責任は賃金支払義務負担者が負うものと解すべきである。そして、前記のように、船員保険は、船員法上の船舶所有者の災害補償に関する責任保険としての性質をもつものであるから、当該船員に対する賃金支払義務負担者をもって船員保険法上の船舶所有者というべきである。本件においては、原告は継続的にレオニスから賃金の支払を受けていたものであり、イヨ・コーサンとレオニスとの間の前記契約の趣旨からも、原告に対する賃金支払義務者はレオニスであったというべきであり、現に、療養補償、傷病手当、予後手当、障害手当が、レオニスが加入していたPI保険によって全額支払われている。したがって、右の点からも、レオニスをもって船員保険法上の船舶所有者とすべきである。
(二) 原告は、前記のとおり書面上レオニスと船員雇用契約を締結しているが、次に述べる事情を総合すると、レオニスは、ワールドマリンが船員保険法上の責任を含む様々な責任を免れるために設立したいわゆるペーパーカンパニーであり(法人格の濫用)、ワールドマリンが完全に支配し思いのままにその名前で法律行為のできる存在にすぎない(法人格の形骸)から、いわゆる法人格否認の法理によりワールドマリンを右船員雇用契約の当事者として船員保険法上の船舶所有者と扱うべきである。
(1) 本件船員雇用契約において、レオニスを雇主とし、ワールドマリンを代理店とする形式をとった目的は、①船員保険法の適用を潜脱すること、②全日本海員組合との労働協約の拘束を免れること、③法人税、配当税、利子税の課税を免れることにある。
(2) レオニスは、本店をリベリア共和国内に置くが、右本店所在地には何らの事務所も設備も人員も存在せず、ワールドマリンが完全にコントロールする単なる名義上の会社(ペーパーカンパニー)である。
(3) レオニスは、リベリア共和国営利法人法に準拠して設立されているが、その手続はすべて東京においてワールドマリンが行った。レオニスの資本金は米貨一〇〇ドルであり、その払込みはワールドマリンの職員が行った。
(4) レオニスは、香港に事務所があると称しているが、机とテレックスを借りているだけで同所には誰も常駐しておらず、必要な都度ワールドマリンの職員が同地に出張して事務処理をしていた。
(5) レオニスの代表者は設立以来昭和六三年春ころまで陳明富であったが、同人は終始台湾に居住している登記上の名義人で会社の実務とは全く無関係であり、実質的権限は何もなかった。
(6) レオニスの運営はワールドマリンがすべてコントロールし、出入金もワールドマリンの経営管理者松浦祐一が同社社長木内志郎の指示に基づきレオニスの営業上の資金の移動、送金、支払等を行っていた。また、レオニスの陳社長のサインもワールドマリンの職員である曽我謙が代行していた。
(7) 曽我は、ワールドマリンの職員として同社の安永良夫専務(当時)と共にレオニス名義で船員配乗業務を行ったが、雇い入れる船員の募集、選定、配置配乗、下船等の人事は、完全にワールドマリンによって処理された。
(8) レオニスが形式的に雇用した船員の給与支払等の金銭出納は、曽我がすべて機械的に管理したが、さらにワールドマリンがこの資金の包括的管理支配を行った。
2 被告の主張
レオニス及びワールドマリンは、次に述べるとおり船員保険法上の船舶所有者ではなく、イヨ・コーサンが船舶所有者となるところ、イヨ・コーサンは国内に住所を有しない外国法人であるから、原告につき船員保険法の適用はない。
(一) 船員保険の被保険者となるのは、船員法一条に規定する船員として船舶所有者に使用される者である(船員保険法一七条)。そして、船員法一条に規定する船員とは、①日本官公署の所有する船舶、②日本国民の所有する船舶、③日本法人の所有する船舶、④右①ないし③の者が借り入れ、又は国内の港から国外の港までの回航を請け負った船舶、⑤日本政府が乗組員の配乗を行っている船舶等のいずれかの船舶に乗り組む船長及び海員並びに予備船員をいう(同法一条、同法施行規則一条、船舶法一条)。また、船員保険法一七条にいう船舶所有者とは、船舶所有権を有する者のほか、船舶共有の場合には船舶管理人、船舶貸借の場合には船舶借入人、船舶所有者、船舶管理人及び船舶借入人以外の者が船員を使用する場合には、その者が船舶所有者となるのであって(同法一〇条)、具体的には、自己の所有する船舶、管理する船舶、借り入れた船舶、又はその他の船舶において労務の提供を受けるために船員を使用する者をいう。
原告は、昭和五五年四月四日付けでリベリア籍の法人であるレオニスとの間で雇用契約を締結している。しかしながらレオニスは、船舶所有者、船舶管理人ないし船舶借入人のいずれでもなく、後記のとおり新興丸の船舶借入人であるイヨ・コーサンとの船員労務供給契約に基づいて新興丸の乗組員を供給したにすぎないもので、新興丸とは何らの係わりのない者であるから、船舶において労務の提供を受けるために船員を使用する者ではない。したがって、レオニスを船舶所有者と認める余地はない。
原告は、レオニスと原告との間の右雇用契約を前提として、レオニスの法人格を否認し、ワールドマリンを雇用契約の当事者とみるべきであると主張する。レオニスの法人格を否定する右主張には根拠がないが、仮に原告の主張に沿ってワールドマリンを雇用契約の当事者とみることができるとしても、ワールドマリンもレオニスと同じく原告の乗船した新興丸とは何らの関係がないものであるから船舶所有者とはなり得ない。
(二) 雇用契約の相手方ではなく、雇入契約の相手方が船員保険の「船舶所有者」とされるべきである。
船員は、船主の命令に従い特定船舶に乗船し、一定の船内秩序の中で労働し、かつ生活する。そして、日々所定の労働時間の枠を超えて自己の労働力を全面的に船主に委ね、その指揮命令に従って労働する義務を課され、乗船中は、原則として抽象的・部分的・間接的に労働力を継続して提供し、緊急・変則的事態が発生した場合には、船主の指揮命令に従って労働する義務を課せられる。このように船員の労働力の売買は日々の時間ではなく、乗船から下船までを単位として行われる。さらに、当該船舶毎にその航路、航海期間、船舶の大きさによる労働の程度の相違等が存在するため、当該船員が具体的にどの船舶に乗船するかによってその労働条件は著しく異なる。このような海上労働の特殊性に鑑みると、船員の労働関係を規制するにあたって乗下船を限界として考え、これについての労働基準を法定するということが合理的である。沿革的にも諸外国における船員の雇用形態は、特定船舶への乗組みに際して雇用契約を締結し、下船によって終了するのを原則としており、わが国においても、ほぼ同様の形態をとっていた。これが我が国の船員法に雇入契約として採用されたものである。雇入契約とは、単に船舶を特定するという意味における乗船契約ではなく、特定の船舶において船員が船舶所有者に対し労務に服することを約し、船舶所有者がこれに報酬を与えることを約することによって成立する労働契約である。船舶における労働関係は、この雇入契約を中心として構成されるべきである。国際的にも船舶における労働関係は特定船舶における雇入契約として規定されていることからも明らかである。
船員保険は、陸上の健康保険、厚生年金保険、雇用保険、労働者災害補償保険を総合して一つにまとめたものであり、船員の生活上必要な補償を行う総合的な保険であり、保護の対象となる被保険者は船舶所有者に使用される船員法一条に規定する船員である。そして、前記のとおり船員法においては船員労働関係の基本は雇入契約であるとされているから、船員保険法の適用を受ける船員とは、原則として、雇入契約によって特定の船舶に乗船することが決定した船員である。例外的に予備船員制度が設けられている場合には、当該予備船員も船員保険の被保険者となるが、原告は予備船員ではないから、本件はこの場合に当たらない。要するに、船員は、原則として雇入契約によって初めて船員保険の被保険者としての資格を取得することになる。これを本件についてみると、原告は、当初レオニスとの間で雇用契約を締結しているが、レオニスは船舶所有者ではないため、原告は船員保険法の被保険者とはならず、この雇用契約のみでは、陸上の社会保険の適用の可否が問題となるのみである。その後原告がイヨ・コーサンとの間で雇入契約を締結したことによって、初めて原告について船員保険の適用の可否が問題となってくるのである。
(三) レオニスは、原告との雇用契約の前提として、イヨ・コーサンとの間で、レオニスがイヨ・コーサンを船主とする新興丸の全乗組員を供給し、イヨ・コーサンは契約に従い供給された新興丸の全乗組員に対し、事業主として給与等の財政上の責任及び法律上の責任を負い、レオニスはそれにより雇用契約上の責任を負わないとの内容の契約を締結していた。右契約内容からみて、レオニスとイヨ・コーサンとの間の契約は労務供給契約であると解すべきである。原告は、右契約が業務委託契約であると主張するが、もし業務委託契約であるとすれば、委託業務の内容が契約書に明記されているはずであるところ、契約書にはそのような記載は一切ないから、原告の右主張は失当である。
原告は、右労務供給契約に基づいて新興丸に乗船したものであるから、日本籍船である新興丸に乗り組んだことによって初めて船員法の適用を受ける対象船員となるはずのものであった。そして、新興丸はイヨ・コーサンが海栄社から借り入れた船舶であるから、新興丸の船舶所有者は船舶借入人であるイヨ・コーサンであると解すべきである。
また、労働者供給契約による場合の労働契約上の雇主はその供給先であると解されるところ、本件の供給先はイヨ・コーサンであるから、原告の船舶所有者はこの点からもイヨ・コーサンであると解するのが相当である。レオニスとイヨ・コーサンの間の右契約は、雇用上の権利関係をすべて出向先に移転する移籍出向であるとも解されるが、仮にそう解したとしても出向先はイヨ・コーサンであり、この場合も船舶所有者はイヨ・コーサンであるから、いずれにしても本件で原告が船員保険の対象となることはない。この点は原告の主張するように法人格否認の法理によりワールドマリンが契約の相手方であると解しても同様である。
なお、原告は、大阪旭海運勤務当時、他社船に融通派遣された際に、船員保険の関係では派遣元である大阪旭海運が船舶所有者として取扱われていたとして、雇用契約関係の雇用者である派遣元が船舶所有者とされるべきであるとの主張を根拠づけようとしている。しかし、海運業界で従来から行なわれているいわゆる融通派遣は、自社船を長期に係留した場合等に余剰となった船員の雇用安定を図る等の目的から、これら余剰船員を他社船へ移籍出向させるものと解され、当該船員は、派遣先で船員保険の被保険者資格を取得することになっている。したがって、原告が以前融通派遣された場合にも、本来は派遣先が船舶所有者とされるべきであったが、派遣元及び派遣先が所定の手続(船員保険被保険者資格取得届、同喪失届)を怠ったため、派遣元が依然として船舶所有者と取り扱われたにすぎず、このようなことは船員保険法上認められたことではない。したがって、このような事例をもって原告の右主張を根拠づけることはできない。
(四) 右のとおり、新興丸の船舶所有者はイヨ・コーサンであるところ、船舶所有者が国内に住所を有しない外国法人の場合には、船員保険法の適用はない。なぜなら、船員保険は、強制社会保険制度として一方において保険料の強制徴収を行い、他方において一定の支給要件に該当する場合に当然に受給権が発生することを制度の根幹とするものであるから、船員保険制度の適正な運営が行われるためには、保険料の強制徴収等制度の運用上不可欠な公権力の行使が担保されていなければならないところ、船舶所有者が外国に住所を有する場合には、保険料の納付等船舶所有者の義務が履行されない場合に国がその履行を確保する手段が存しないからである(保険者が右と同様の取扱いをしていることについては、昭和五四年三月九日庁保険発第二号の二社会保険庁医療保険部船員保険課長通知がある。)。
第三当裁判所の判断
一 船員保険の被保険者については、船員保険法一七条に「船員法第一条ニ規定スル船員トシテ船舶所有者ニ使用セラルル者ハ船員保険ノ被保険者トス」と規定されており、船員法上の「船員」であることと「船舶所有者」に使用されていることが要件とされるが、ここでいう「船舶所有者」は、国内に住所を有する者でなければならないと解されている。船員保険制度は、被告の主張するように、社合保障制度の一環として国家によって運営されている強制適用保険であり、「船舶所有者」に保険料の一部を負担させ(船員保険法六〇条)、かつ、保険料納付義務を負わせている(同法六一条)ため、「船舶所有者」に対して保険者である我が国政府の強制徴収権(同法一二条、一二条の二、一四条)が及ばない場合には、制度の適用を拒否せざるを得ないからである。そのため本件においては、原告が「船舶所有者」に使用されていたか、換言すれば、原告との関係で誰が「船舶所有者」であったと考えるべきかが、明示的に争われている。他方、原告が「船員」であったかという要件については、新興丸が船員法一条にいう日本船舶であり、原告が一等航海士としてこれに乗り組んでいたことは争いがなく、「船員」であったという結論自体は当事者間に争いがないようである。しかし、後述のとおり、船員法上の「船員」となるためには「船舶所有者」との間の労働契約の締結が要件となっているから、原告が「船員」に該当することになった根拠となると、必ずしも当事者の主張が一致しているわけではないのであって、本件における原告の「船員」該当性を考えるに当たっても、原告が労働契約を締結した「船舶所有者」は誰かという問題が、前提として存在する。
二 そこで、本件において原告との関係で誰が「船舶所有者」であったかを考えるに、右の「船舶所有者」の概念については、船員保険法ないし船員法になんらの規定がなく、ただ船員保険法一〇条が「本法又ハ本法ニ基キテ発スル命令中船舶所有者トアルハ船舶共有ノ場合ニ在リテハ船舶管理人、船舶賃貸借ノ場合ニ在リテハ船舶借入人、船舶所有者、船舶管理人及船舶借入人以外ノ者ガ船員ヲ使用スル場合ニ在リテハ其ノ者トス」と規定するだけである。右法文の文言が船舶所有者、船舶管理人及び船舶借入人(以下「船舶所有者等」という。)とそれ「以外ノ者」のいずれをも「船舶所有者」とするという形になっているところから、一見すると、船舶に乗り組んでいる者との間で雇用契約を締結してこれを使用する者であれば、誰でも同法の「船舶所有者」となり得るかのようにみえる。したがって、本件においても、原告の主張するように、レオニスが原告との関係で船員保険法一七条の「船舶所有者」に該当すると解することが可能なようである。
しかし、次に述べるとおり、「船員」及び「船舶所有者」概念の沿革、さらに、そのもとになっている海上企業、海上労働の特質に照らすと、本件において原告との関係で「船舶所有者」となり得るのはイヨ・コーサンであって、レオニスがこれに当たると解する余地はないというべきである。
1 現行船員法は、陸上労働者に関する労働基準法に対応して、海上労働者である「船員」と使用者である「船舶所有者」との間の労働関係を規律しているが、このように「船員」の労働関係につき特別に法規制を加えている背景には、海洋を航行する船舶上で展開されることに起因する海上労働の特殊性が存在するものと解される。
海上企業者は、一定の目的に従って船舶を航行させるが、航海中の船舶は、ひとたび港を離れれば、他の干渉も援助も受けることもなく、特殊な危険を伴う公海上に、長期にわたって陸地との接触を断って孤立することになる。船員は、海上企業者が行うこのような航海活動において、一定の船内秩序の中で労務を提供しつつ共同生活を営み、航海中はいわば船舶共同体を形成する。海上労働には常に海上危険に抗争する労務であるという特性があり、海上航行の安全性は、当該船舶の規模・構造・設備等の能力と船長以下の操船者の技術能力とに依存する。また、船員にとって、船内での労働環境、日々の生活といった広い意味での労働条件は、航路、航海期間、船舶の大きさなどによって、船舶毎に異なってくるということができる。このような海上労働の特質から、船員概念の中心は、継続的に船内航行組織のヒエラルヒーの中に組み入れられるという意味での船舶への乗組みであるとされてきた。
そこで船員法も、海上企業者である船舶所有者等との間で、船舶を特定した上で一航海中の海上労働に関する事項を取り決めた労働契約により船舶航行組織へ編入された者を「船員」としている。船員法は、この特殊な労働契約を雇入契約と称して、第四章において雇入契約についての強制的契約規範を、第五章において労働条件についての基準をそれぞれ定めて、その内容に制限を加えているのであって、原則的には、船舶所有者等との間で雇入契約を締結した者を「船員」の中心に据えているということができる。
もっとも、現行船員法は、「船員」を右の本来的な意味における船員にとどまらず、二条一項において海員の範囲を「船内で使用される船長以外の乗組員で労働の対償として給料その他の報酬を支払われる者」とし、さらに、一条及び二条二項において「予備船員」の規定を設け、五条において「船舶所有者、船舶管理人及び船舶賃借人以外の者が船員を使用する場合」を想定している。これらは昭和二二年の船員法の全面改正により「船員」に加えられた者で、船舶所有者等以外の者に使用されている海員とは、従来は海員に準ずるとされていた者であって、本来の船舶の航行を司る組織構成員とは別に、当該船舶における生活共同体の便益のために乗船している者、例えば理髪店、洗濯屋、売店、酒場等の営業主に雇われて乗船している者をいう。また、「予備船員」とは、日本船舶等に乗り組むため雇用されている者で船内で使用されていないものをいい、即時乗船可能者、換言すれば、雇入契約と次の雇入契約との間にあっていつでも次の雇入契約に入り得る者である。これらの者は政策的配慮から「船員」に加えられたものということができ、現行法の「船員」概念は、昭和二二年改正以前における船舶航行組織に組み入れられた者を船員とする基本的な考え方を変更したものではない。
2 次に、船員保険法中の「船舶所有者」概念については、前述のとおり同法自体にはその定義がなく、同法一〇条の「船舶所有者、船舶管理人及船舶賃借人以外ノ者」が何を意味するか必ずしも明らかではない。同条は、昭和二二年に改正されているが、昭和二二年一二月二四日法律第二三五号による改正前は「本法又ハ本法ニ基キテ発スル命令中船舶所有者トアルハ船舶共有ノ場合ニ在リテハ船舶管理人、船舶賃貸借ノ場合ニ在リテハ船舶借入人トス」と規定し、船舶所有者等以外の者については何の規定も置かれていなかった。それが現行法のように改正されたのは、前記の船員法の改正と密接に結びついている。すなわち、昭和二二年の船員法の全面改正により「船員」の範囲が拡大されたため、「海員ニ準ズル者」から海員となった者及び予備船員に船員保険制度を適用する必要が生じたからほかならないと解される。
したがって、船舶所有者等以外の者が船員保険法上の「船舶所有者」となるのは、いわば例外的な場合に過ぎないのであって、本来的な船員に対する関係ではあり得ないとするのが現行船員保険法の趣旨であるというべきである。
3 本件において、新興丸の船舶所有者は海栄社であり、イヨ・コーサンがこれを賃借して船舶賃借人となっていたこと、原告が一等航海士として新興丸に乗り組んでいたこと、原告につき船員法に基づきイヨ・コーサンを船舶所有者とする雇入契約の公認がされていることは、前述のとおりである。そうすると、原告は、イヨ・コーサンとの間で船員法上の雇入契約を締結して新興丸に乗り組んだものと推認され、これにより船員法上の「船員」に該当することになったと考えられる。すなわち、原告は本来的意味における船員であって、船員法の適用に当たっては、船舶賃借人であるイヨ・コーサンにつき船舶所有者の規定が適用されることになる。船員法と船員保険法では、規定の仕方が異なり、船舶所有者概念に若干の差異があるが、両者の間には前述のとおり関連があるので、本来的な船員については船舶所有者等のうちいずれかが船員保険法上の「船舶所有者」となり得るのであって、船員法において船舶所有者の規定が適用される者と船員保険法一〇条における「船舶所有者」となり得る者とは一致すると解すべきである。したがって、本件においては、原告との関係で船員保険法上の「船舶所有者」となり得るのはイヨ・コーサンであるといわざるを得ない。
三 原告は、船員法あるいは船員保険法の立法当時の趣旨が右のように解されることを否定するものではないようであるが、その後の船員の労働関係の変化に伴い、船員保険法上の「船舶所有者」の解釈に変更を加えるべきであると主張するので、これにつき判断する。
1 原告は、新興丸は船籍を日本国に置きながら外国法人に賃貸され、外国法人が船員等を雇い入れた後に日本国の企業に定期用船するという形態を取る、いわゆるマルシップの一種であって、このような船舶の運航形態は船員保険法の適用を免れることを目的の一つとしている行われているが、日本船籍の船舶に日本人船員が乗船している場合には、当該船員に船員保険法の保護を享受させるべきであるとの見地から、原告と雇用契約を締結したレオニスないしワールドマリンが船員保険法上の「船舶所有者」となると解釈すべきであると主張する。
しかしながら、このような船舶に乗船する船員が、船舶賃借人との間で雇入契約を締結して当該船舶に乗り組み、船舶賃借人の指揮命令権に服するのであるとすれば、「船舶所有者」に該当すべき者は船舶賃借人以外には見当らず、たまたま船舶賃借人が外国法人で国内に住所を有しないため日本船舶に乗船した日本人船員に船員保険法の適用がないことになることが不都合であるからといって、それだけの理由で船舶賃借人以外の者を「船舶所有者」とする法解釈を採用することができないことは明らかである。原告の主張の趣旨も、一般的にこのような法解釈をすべきであるというのではなく、本件のように船舶所有者等以外の者と雇用契約を締結したうえ、右の者の指示に基づいて船舶に乗り組んだ場合には、その者を「船舶所有者」とすべきであるとするものと解され、そうだとすれば、原告のこの主張は、船舶所有者等以外の者との間で雇用契約を締結してその指示で乗船した場合、雇用契約の相手方を「船舶所有者」とすべきか、という次の2以下で判断する問題に帰着し、これを肯定的に解すべき一つの事情であるということになる。
2 原告は、近代海運企業においては、労働者たる船員の継続的雇用を前提として雇用契約を締結し、その後に雇入契約を締結して特定船舶に乗り組むという形態が一般化しており、雇入契約は雇用契約と別個独立の契約ではなく、乗船条件についての船員からの確認的同意に過ぎないから、船員保険法の適用に当たっても雇用契約の相手方を「船舶所有者」とみるべきであると主張する。
我が国の海運企業が、船舶を特定しないで船員との継続的な雇用契約を締結し、一般的な乗船中の労働条件は雇用契約中に確定し、特定船舶への乗船ごとに乗船中必要な具体的労働条件の合意をするという形態を取っているとしても、それは雇用契約を締結した企業が船舶所有者等である船舶に乗船する場合に限られているはずである。このような形態を取る船員は、予備船員制度により雇用契約の締結を基準として船員法上の船員となるとされており、雇用契約の相手方が船舶所有者等である船舶に乗船するときには、船員法に定める雇入契約という形での合意をしなくとも船員法及び船員保険法の適用に特段の問題が生じることはない。しかし、このように継続的に雇用されている者であっても、雇用契約の相手方以外の者が船舶所有者等である船舶に乗船する場合には、前述の海上労働の特殊性に鑑みると、あらためて労働条件を決定する雇入契約を締結することが不可欠であると考えられる。したがって、原告主張のような形態の船員が多いからといって、雇入契約の性質が原告主張のように変貌して現在においては意味を持たなくなったということはできず、船員たる身分の取得及び船員保険の適用について原則として雇入契約の締結を基準とするとの現行法の解釈を変更することはできない。
3 次に、原告は、レオニスとイヨ・コーサンとの間の契約関係について、レオニスはイヨ・コーサンから、新興丸の運航を担当する船員の一団の配乗とこれらによる労働の提供を委託され、それに対する対価の支払を受ける関係にあり、レオニスには、船員の人数、資質程度、日本人と外国人の組み合わせ等につき広い裁量が与えられていたとして(これを原告は、「業務委託」と呼ぶ。)、このような契約関係のもとでは、雇用関係のみならず、指揮監督関係も、レオニスと原告の間にのみ存在し、イヨ・コーサンと原告の間には、指揮監督関係はなく、単に船舶賃借人と操船者の関係があるにすぎないから、「船舶所有者」はレオニスであると解すべきであると主張する。
しかしながら、原告が業務委託と呼ぶ契約関係についてみるに、《証拠省略》によると、新興丸に乗り組んでいた船員は、レオニス又はワールドマリンを経由して乗船した者ばかりではなく、他の企業を経由して乗り組んでいた者もいたことが認められるから、新興丸という船舶共同体の構成員全体を一括してレオニス又はワールドマリンが手配したものではないことは明らかである。したがって、新興丸の運航に対する支配権をレオニス又はワールドマリンが有していたものではなく、イヨ・コーサンが船舶賃借人であったのであるから、運航についての支配権及び船員に対する指揮監督権はイヨ・コーサンにあったものといわなければならない。そして、前述のとおり、原告につきイヨ・コーサンとの間の雇入契約の公認がされていたことからみて、イヨ・コーサンと原告との間で雇入契約が締結され、雇用関係が形成されていたものと推認されるのである。もっとも、《証拠省略》によると、原告は、イヨ・コーサンとの間の雇入契約を意識していなかった節が見受けられるが、本件訴訟の当初において原告は、イヨ・コーサンとの間の雇入契約によって船員性を取得したと主張していたことからみても、レオニスを通じて右契約を締結し、原告がこれを承認していたと考えるべきである。
したがって、原告は、イヨ・コーサンとの間で雇入契約を締結し、その指揮監督下にあったというべきであるから、原告の右の主張は採用できない。
4 さらに、原告は、原告の労働関係がレオニスを派遣元とする労働者派遣に当たるとしても、労働基準法においては、派遣元に災害補償責任があるとされており、その災害補償に関する責任保険としての労災保険法上も、派遣元が強制加入事業者となるものとされているとして、船員法上の船舶所有者の災害補償に関する責任保険としての性質をもつ船員保険の場合も、これと同様に解すべきであると主張する。
しかし、陸上の労働者派遣について、派遣元が労災保険の強制加入事業者となるのは使用者とみられるからにほかならず、本件が労働者派遣と同様の関係にあったとしても、前述したとおり、本来の船員の海上労働関係においては、その特殊性から船舶所有者等が指揮監督権を有する使用者となり、派遣元は指揮監督権を持つものではないと解さざるを得ず、現に前述のとおり原告との関係においてもイヨ・コーサンが指揮監督権を有したのである。したがって、本件において、派遣元であるレオニスに船員保険法上の災害補償責任があるとして、レオニスを「船舶所有者」とすることはできない。
5 また、原告は、船員保険が責任保険としての性質を有する以上、災害補償責任を負う者が「船舶所有者」となると解すべきところ、災害補償責任はおよそ賃金支払義務負担者が負うべきものであり、本件ではレオニスが賃金支払義務者であったと主張する。
原告の主張の趣旨は必ずしも明確でないが、原告のいう賃金支払義務負担者が、船員としての労働契約上原告に対する法的義務として賃金支払義務を負担している者という意味であるとすれば、それは船員としての労働契約の相手方を指すものにすぎず、既に述べたように、本件において右労働契約の相手方は船舶賃借人たるイヨ・コーサンであってレオニスではないから、原告の主張は前提を欠くことになる。
原告はむしろ、レオニスと原告との間で「船員雇用契約」が締結され、その中で賃金額が決められていることから、レオニスが原告に対して賃金支払義務を負担することは明らかであり、実際上もレオニスから原告に対して支払われていたことを根拠に、レオニスが賃金支払義務負担者であるとして主張を構成しているようである。しかし、仮に、レオニスが賃金支払義務負担者であったとしても、そのことから直ちに同社が船員保険法上の船舶所有者であると解する根拠はないばかりでなく、レオニスが原告に対する賃金支払義務負担者であったとすること自体認め難い。すなわち、原告に対する賃金等の支払を直接行った者が誰かについてみると、《証拠省略》によれば、原告は、昭和五五年四月九日にワールドマリンの専務取締役綱脇澄から新興丸への乗船旅費をワールドマリンの社名入り封筒に入れて渡されたこと、その後、給料は、東海銀行東新町支店の原告の預金口座にレオニス名義で振り込まれたこと、同年九月からは、基本給は東洋海技株式会社名義で、乗船給はレオニス名義で振り込まれるようになったことが認められるのであり、必ずしも継続的に一貫して支払われていたわけではないにしても、直接的にはレオニスから支払われていた。しかし、レオニスと原告との間の契約は、《証拠省略》によると、英文の「船員雇用契約」と題する書面によるものではあるけれども、契約期間を一九八〇年四月六日から一九八一年四月五日とし、給料は別紙の契約規約によるものとし、PI保険を準備するとする記載のあるほかは、他に特段の記載のないものであること、右に別紙とされる規約なるものにも給料額と振込先の記載があるだけであることが認められ、《証拠省略》によると、その後、原告が実際に新興丸に乗り組むについて、イヨ・コーサンとレオニスとの間には、船員供給に関する契約書が取り交されているが、その内容からみて、原告が新興丸に乗り組んで船員となった段階以降、レオニスは、イヨ・コーサンとの間の契約に基づいて賃金相当額を含む金員の供給を受ける立場にあり、少なくとも原告に対する賃金の出捐についての実質的な負担者ではなかったことが明らかである。そして、前述のとおり雇入契約がイヨ・コーサンとの間に存在したのであるから、原告に対する賃金支払義務負担者はレオニスではなく、むしろイヨ・コーサンであると解する方が自然である。
さらに、原告は、船員保険法上の補償が船員法による災害補償責任の責任保険たる性質をもつことを根拠としているが、船員法が「船舶所有者」に災害補償責任を認めている実質的根拠は、船員が生計を立てるために災害の危険を内在する企業に雇用される一方、「船舶所有者」が船員を自己の支配下に置き、その労働力によって利益を得ていることから、労働災害が発生した場合には、「船舶所有者」の支配領域内での危険の顕在化として、船員に生じた損害を補償すべきものとするところにあると解される。本件において、危険領域たる船舶とその運航の組織体を支配しているのは、船舶賃借人たるイヨ・コーサンであり、また、新興丸の運航による利益の帰属するところもイヨ・コーサンであって、レオニスではないというべきであるから、右のような実質的根拠から考えても原告の右の主張は、理由がない。
6 以上のとおりであるから、原告が本件における船員保険法上の「船舶所有者」をレオニスとすべきであるとする主張は、いずれも理由がないものであり、たとえこれらの主張を総合してみても、前記二に述べた「船舶所有者」の解釈を変更すべきであるとは考えられない。
四 よって、本件において船員法上の「船舶所有者」となり得る者はイヨ・コーサンであるところ、イヨ・コーサンはパナマに住所を有する外国法人で、国内に住所を有しないから、原告は船員保険法上の被保険者資格を有しないといわざるを得ない。
(裁判長裁判官 相良朋紀 裁判官 松本光一郎 阿部正幸)