東京地方裁判所 昭和61年(行ウ)9号 判決 1991年7月03日
原告
国鉄労働組合
右代表者中央執行委員長
稲田芳朗
原告
国鉄労働組合東京地方本部
右代表者執行委員長
佐藤智治
右両名訴訟代理人弁護士
上条貞夫
同
田邨正義
同
大橋堅固
同
宮里邦雄
同
渡辺正雄
同
小野幸治
同
前田茂
被告
中央労働委員会
右代表者会長
石川吉右衛門
右指定代理人
市原昌三郎
外四名
被告補助参加人
日本国有鉄道清算事業団
右代表者理事長
石月昭二
右訴訟代理人弁護士
西迪雄
右訴訟復代理人弁護士
富田美栄子
右被告補助参加人指定代理人
室伏仁
外二名
主文
一 原告らの請求を棄却する。
二 訴訟費用は、補助参加によって生じたものを含め、すべて原告らの負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
公共企業体等労働委員会が昭和五八年(不)第二号不当労働行為事件について、昭和六〇年一二月一七日付けでなした命令を取り消す。
二 請求の趣旨に対する答弁
主文と同旨
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 公共企業体等労働委員会(以下「公労委」という。)は、原告らを申立人、日本国有鉄道(以下「国鉄」という。)を被申立人とする同委員会昭和五八年(不)第二号事件について、昭和六〇年一二月一七日付けで申立てを棄却する旨の命令(以下「本件命令」という。)を発したが、その命令書の写しは一二月二六日に原告らにそれぞれ交付された。
2 被告補助参加人(以下「補助参加人」という。)は、昭和六二年四月一日日本国有鉄道改革法一五条により承継法人に承継されない国鉄の資産、債務等を承継した。
3 公労委は昭和六二年に国営企業労働委員会と名称が変更され、昭和六三年の労働組合法等の一部改正法により国営企業労働委員会の権限が被告である中央労働委員会に統合されることになった。
4 しかしながら、本件命令は事実認定及び法律判断を誤ったものであって違法であるから、取り消されるべきである。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1ないし3の事実は認める。
2 請求原因4の主張は争う。
三 被告の主張
本件命令の理由は命令書記載のとおりであり、その事実認定及び判断に違法はない。
四 原告らの主張
本件命令には、次のとおり、事実認定及び法律判断を誤り、不当労働行為が成立するのにその成立を否定した違法がある。
1 神棚の礼拝関係
本件命令は神棚の礼拝強要の事実はなかったと認定しているが、これは事実認定を誤ったものである。昭和五八年七月四日に八重洲中央改札事務室の職員氏名札(出勤時に各自が表にかえすもの)掲示板の上方に大きな神棚が設置されたのであるが、その前は、中央改札の総括助役執務室のロッカーの上に雀の巣箱くらいの神棚が置かれていたにすぎない。大きく新しい神棚を氏名札の真上という位置に設置したのは異常なことであり、このような客観的経過の異常性が礼拝強要が行われた事実を雄弁に物語っている。本件命令は新たに大きな神棚を作って氏名札掲示板の真上に設置したのは方角の縁起によるものであると認定しているが、そのようなことは考えられない。現に昭和五八年一一月に国会議員等が現場調査に入ったところ、国鉄当局は神棚の位置を移動しているのである。また、本件命令は改札班の機関紙である東改ニュースに礼拝強要の事実の記載がないことを礼拝強要の事実がなかったことの根拠としてあげているが、当時助役らは連日テープレコーダーを持参して職場を巡回し、国鉄労働組合(以下「国労」という。)の組合員を怒鳴りつけては組合員の反論に対してテープを突き出して処分の恫喝をするなどかつてない強圧的な態度をとっており、礼拝強要の事実をそのまま東改ニュースに書くことができないという職場の状況だったのである。
2 処分通知書手交の際の管理者の言動関係
本件命令は、運輸指導係の高橋浩が昭和五八年七月に訓告処分を受けた際に、百瀬茂東京駅駅長(以下「百瀬駅長」という。)が「君は、国鉄の職員だろう。誰の命令でワッペンを付けているのか。」と問いただしたところ、高橋浩は、「国鉄の管理者は信用できない。以前民間会社にいたが、民間の管理者は信用できる。私達の権利を守ってくれる国労の指令に従ってワッペンを付けている。」と答え、これに対し、同駅長は高橋浩に対し、「そんなに民間会社がいいのなら国鉄を辞めろ。」、「いつまでもそういうふうに突っ張っているなら昇給、昇格等はないから覚悟しておけ。」と発言したと認定しながら、部内の規程等によって禁止されたワッペンを助役の事前の制止をも無視して着用したまま駅長室に入り、しかも、反省の色もなく反抗的態度をとり続けている職員に対し駅長としての立場から、厳しい言葉でその場において注意を与え、あるいは将来を戒めることには理由があるなどとして処分通知手交の際における管理者らの言動は不当労働行為にあたらないとしたが、この判断は誤りである。訓告や厳重注意という軽微な処分について被処分者を一人一人駅長室に呼び、駅長以下助役らが取り囲んで口々に大声で怒鳴りつけるという事態は全く異例のことである。この訓告や厳重注意などの処分はワッペンの着用などを理由とするものであったが、当時この国労のワッペンについては勤務中の組合員の一人一人を何人もの助役らが乗降客の面前で取り囲み口々に大声で罵声をあびせるという異様な事態が生じていた。日常業務になんら支障を及ぼすことのないワッペンに突如これほどまでに異常な対抗措置をとった国鉄の真意を考察すれば、処分通知書手交の際における管理者らの言動が不当労働行為にあたることは明白であるにもかかわらず、本件命令はこの点についての考察を怠り、不当労働行為ではないとの誤った判断を行ったものである。
また、本件命令は、百瀬駅長らが処分通知書手交の際に、「森、金沢の言うことを聞いても最後まで面倒はみてくれない。給料は、組合からもらっているわけではないだろう。」、「組合に入るなとは言わないが、当局の言っていることが正しいのだから、これからは組合の集会等に参加してはいけない。」などの発言をした事実は認められないとしたが、これは事実認定を誤ったものである。
3 掲示板の撤去関係
本件命令は、国労東京駅分会(以下「分会」という。)各班による掲示板の設置、使用が相当年月日にわたり正規の許可手続を経ることなく労使間の協議、合意あるいは当局の黙認によりなされてきたという事実を認定したうえで、右のような事実を労使慣行というにしても、企業は本来有している施設管理権に基づきそれを破棄しうるから掲示板の撤去は不当労働行為にはあたらないと判断したが、この事実認定及び判断は、誤ったものである。
(一) 本件命令は、掲示板の設置、使用につき労使間の協議、合意あるいは当局の黙認によりなされてきたとするが、掲示板の設置、使用はすべて当局と国労との合意に基づくものである。撤去された掲示板はすべて国鉄当局が設備を提供したものであり、組合側が勝手に設置したものは一つもなく、すべて当局側が設備を提供したという事実は、それ自体がその前提として掲示板の設置について労使の合意があったことを端的に裏付けるものである。したがって、掲示板について当局が黙認したにすぎないものがあるとしたのは事実認定を誤ったものである。
(二) 本件命令は、組合掲示板の設置、使用は国鉄の労働関係事務取扱基準規程(以下「事務規程」という。)が定める正規の許可手続を経ることなく行われてきたと認定するが、撤去された掲示板の設置、使用についてはすべて当局と国労との合意が存在し、合意があるために事務規程が定める許可手続をとる必要がなかったのであり、事務規程はその許可手続と別個に労使合意による施設利用が行われることを禁止する効力を有するものではない。
(三) 国鉄当局は、昭和五八年七月にすべての掲示板について許可申請をするように分会に申し入れ、掲示板については一パートに一枚という一方的に設定した基準を押し付けて同年九月に掲示板を実力行使によって撤去した。このように、国鉄当局は、国労側に協議を求めることもなく、一方的な通告と実力行使によって掲示板の設置、使用という労使の合意に基づく便宜供与を打ち切ったのである。使用者が労働組合に対する一定の便宜供与を組合の不利益をみこして突如一方的に廃止する場合には、不当労働行為意思の存在が認められるのであり、一方的な通告と実力行使による便宜供与の打切りという国鉄当局の行為は、国労の団結を職場から排除するという強固な不当労働行為意思に基づくものにほかならない。
4 組合集会関係
本件命令は、昭和五八年六月二〇日と七月二五日の遺失物取扱所裏の敷地における組合集会に対する国鉄当局の介入について、同敷地での従来からの組合集会は事務規程の正規の承認手続を経ることなく当局の黙認によって行われていたものであり、これをある時点から認めない措置をとったとしてもそれは当局が有する施設管理権等の権限に基づくものであり、不当労働行為は成立しないとするが、これは判断を誤ったものである。
分会では二〇年以上も前から遺失物取扱所裏の敷地において、年に四、五回程度午前九時三〇分から約三〇分間、勤務時間外の組合員(非番者)が参加する組合集会を開いて重要な課題についての意思統一を行ってきていた。所要時間三〇分程度の非番者が参加する組合集会が遺失物取扱所裏の敷地において、年に四、五回程度行われることによって、具体的な業務上の支障が生ずることはなく、またこの組合集会が職場規律の乱れとの評価を受ける余地も全くなかった。そうであるからこそ当局は昭和五八年六月二〇日の介入まではこの組合集会に対して警告や制止を行うことはなかったのであり、事務規程二〇条の承認手続を求めることもなく、組合集会が行われることを承認してきたのである。このような組合集会のための施設の一時利用は、昭和五七、八年に至って国鉄当局が強調するようになった職場規律の乱れとは全く次元の異なることであり、職場規律の乱れを理由として本件組合集会を突如禁圧することは不合理も甚だしい。本件組合集会に対する国鉄当局の突然の一方的な威嚇、禁圧は、労使関係の一般常識からは到底考えられない異常さと不合理性を示すものであり、本件組合集会に対する国鉄当局の介入が不当労働行為となることは明らかである。
5 末永に係る配転、懲戒免職関係
(一) 配転関係
本件命令は、末永康文(以下「末永」という。)の配転(以下「本件配転」という。)は正当なものであり、本件配転について不当労働行為は成立しないとするが、これは事実認定及び判断を誤ったものである。
(1) 末永の組合活動
末永は昭和五二年に分会執行委員、昭和五三年に分会改札班班長となり、以後分会執行委員、分会書記長(昭和五八年一一月一五日の分会大会で選出)として積極的に国労の組合活動に参加してきた。
(2) 軟禁中の配転強要
末永が昭和五八年一二月一日に三か月の停職期間があけて出勤したところ、渡辺和弘東京駅首席助役(以下「渡辺首席助役」という。)らから八重洲中央改札の会議室で駅報、局報、広報などを読むように命ぜられた。芝崎昭利助役(以下「芝崎助役」という。)は末永に対して会議室から出るなと何度もいい、佐藤元助役は会議室から出るといろいろ点数をつけられて損をするから出ないほうがいいと何度も忠告した。さらに、芝崎助役は会議室の戸を開けて中をのぞいて監視するということを行った。結局、末永は会議室から自由な出入りができない隔離、軟禁状態におかれたのである。このような隔離、軟禁状態は一二月一六日まで続いたが、末永が読むことを命ぜられた駅報等は毎日朝から晩まで会議室にこもって読まなければ理解できないものではなく、停職後の職場復帰のために二週間以上にわたってこのようなことが行われるのは極めて異例なことであった。末永は昭和五八年一一月一五日に分会書記長に選出されたばかりであり、停職期間が過ぎて出勤したとたん会議室に異例の隔離、軟禁状態におかれ、そのような中で配転の話がもちだされたのであるから、この隔離、軟禁及び配転強要は不当労働行為を構成するというべきである。
(3) 配転協定違反
本件配転は、昭和五八年九月一日に東京南鉄道管理局と国労東京地方本部との間で締結された東京駅業務体制見直しに伴う労働条件に関する確認事項(以下「確認事項」という。)に基づいて実施されるべきものであったが、国鉄当局はこれに違反した。確認事項の二項には「配置転換に伴う取扱いについては、中央協定による」と定められており、この中央協定とは昭和四六年五月二〇日に国鉄本社と国労本部との間で締結された配置転換に関する協定(以下「中央協定」という。)をさすが、この中央協定一項には「配置転換にあたっては、地方対応機関において十分協議する」と規定されているにもかかわらず、国鉄当局は末永の本件配転についてだけこの規定に反して地方対応機関における協議をことさらに拒否したが、このような事態は前例のないことであった。
この点に関して、本件命令は、中央協定一項は個々の職員の配転についていちいち協議することを義務づけたものとみることができず、同項の意味するところは、全体的な配転のスケジュール等の人事の大枠について組合と協議すれば足りるとするところにあるというべきであり、職員の配転に関する従来の実際の取扱いをみても、個別の人事の問題については団体交渉や協議が行われることはなかったのであるとするが、これは事実認定及び判断を誤ったものである。
中央協定の運用上別個の配転問題をも労使協議の対象とすることは確立されたものであり、文言上も中央協定一項が個別の配転問題について労使協議の対象から除外する趣旨であると解することはできない。
国鉄当局が配転協定に違反してまで末永の配転についての労使協議を拒んだのは、就任早々の分会書記長の配転という従来の労使関係には例のなかった人事について、それをあえて行わなければならないほどの業務上の理由の説明がつかないことを十分承知していたからであり、末永に対する本件配転が不当労働行為意思に基づくものであることは明白である。
(4) 配転理由の不合理性
本件命令は、国鉄が末永を接客従事員として不適格であると判断し、旅客との接触を要しない貨物駅へ配転したことには理由があったと認められるとしたが、これは事実認定及び判断を誤ったものである。
本件配転について、国鉄当局は公労委段階で末永の接客業務不適が配転理由であると強調するに至ったが、末永の接客業務不適の根拠としてあげられた昭和五七年夏の一女性客に対する失礼な応対という一件は本件配転よりも一年半も以前のことであり、またその当事者が末永であるとする根拠はない。その失礼な応対をしたという職員は末永ではなく、当局としても末永であるとは断定しなかった。したがって、末永に対する別段の処分もなく、始末書等の提出が求められることもなかった。末永は昭和五八年七月二三日に停職三か月の処分を通告されたが、その理由は同人が昭和五七年七月から昭和五八年五月までの間に組合活動にかかわって職場内の規律を乱したというものであり、昭和五七年夏の女性客に対する応対の件は処分理由とはされていないのである。また、国鉄当局が昭和五七年夏の女性客に対する応対の件の当事者が末永であると考えたにせよ、配転当時まで八年間も改札係職員として勤務を続けていた末永について、その一件だけを理由に接客業務不適と断定し、昭和五七年九月に乗客から末永に対する丁重な感謝状が届いていることなどをことさら無視しているのはそれ自体不合理である。
このような接客業務不適などという不合理な理由をあげてまで末永の配転を正当化しようとする国鉄の態度をみても、本件配転の不当労働行為性をうかがうことができるのである。
(5) 配転のタイミング
昭和五八年一二月の公労委に対する申立てを契機に、不当労働行為に対する分会の抵抗は国労全体の行動に大きく発展した。昭和五九年二月一七日には総評、東京地評、全都反合共闘会議の大規模な統一行動のなかで、大量の調査団が東京駅に入って不当労働行為の調査、追及を行った。本件配転の通知がなされたのは、その翌日の同月一八日である。このような本件配転のタイミングは、本件配転が不当労働行為であることを物語るものである。
(6) 以上のような末永の活発な組合活動、本件配転の経過自体にあらわれた国鉄当局の国労に対する異常な対決姿勢、本件配転理由の不合理性などによれば、本件配転が不当労働行為であることは明らかである。
(二) 懲戒免職処分関係
本件配転は不当労働行為であり、これに従わないことを理由とする本件懲戒免職処分も不当労働行為であることは明らかである。
6 本件東京駅事件にあらわれた不当労働行為の手法は、昭和六二年四月一日の国鉄分割・民営化に向かって、さらには分割・民営の後今日に至るまで、全国的な規模の国労に対する攻撃として用いられることとなったのである。
国鉄の分割・民営化の方針が具体化するまでは、国鉄当局は職場規律を問題にすることはなかった。ところが、昭和五七年ころから国鉄は分割・民営化路線にそって国労対策を強化した。国鉄は、日常の業務に何ら支障のない国労のワッペンの着用に介入して現場の労使対立をあおり、従来職場ごとに労使の対応機関が交渉、合意して合理的に細目を取り決めてきた労働条件についてもヤミ慣行と称して否定する方針が貫かれたが、それは国労弱体化を狙った労務対策であった。昭和五八年五月に国鉄分割・民営化の方針を具体的に推進する国鉄再建監理委員会の設置と時期を同じくして、国鉄は特別のプロジェクトチームを東京駅に配置し労務対策を強化した。その一員として東京駅に派遣された助役らは、従来の管理職と異なり緊急時の所要業務を一切せず、国労のワッペンを外せと組合員を恫喝するなど組合活動に対する干渉を強め、異常な雰囲気を職場に作り出した。改札の職場の場合客の面前で三人から五人の管理職が組合員を取り囲んでワッペンを外せと恫喝した。
この時期から当局の国労対策は、組合集会への実力介入、神棚礼拝強要に伴う国労の中傷誹謗、処分通告時の威迫、組合掲示板の実力撤去、分会書記長の配転と免職にまでエスカレートした。このうちのどれひとつをとっても従来の国鉄の労使関係に例をみない激しい組合敵視の姿勢があらわれているのである。さらに当局は、その後、本件で公労委の証人に立った組合員を次々に配転し、末永の後任の分会書記長を続けて二人とも配転した。本件に引き続くこのような一連の介入と切り崩しによって、分会の組合員は大幅に減少した。
本件を端緒として、国鉄の分割・民営化に向けての国鉄当局の国労に対する不当労働行為は全国に拡大していき、今日までに全国各地の地方労働委員会と被告中央労働委員会において合計九〇件余りの救済命令が発せられているのであって、本件の国鉄の各行為が不当労働行為となることは明らかである。
五 原告らの主張に対する補助参加人の反論
1 原告らは、本件をことさら国鉄の分割・民営化に関連付け、あたかも国鉄の各措置が原告国労の団結破壊を意図したものであるかのようにいうが、東京駅における職場、職員の規律が荒廃し企業経営の見地からみて放置しえない事態に立ち至っていたのであり、本件における国鉄の各措置は、職場規律の乱れを改善し正常な業務の運営を確保することに関連してとられた措置であり、国鉄の分割・民営化の是非を論ずる以前の問題として企業の正常な業務運営上当然かつ妥当なものであり、本件命令が本件における国鉄の各措置は不当労働行為にあたらないと認定したのは、本件の本質を的確に理解したものであるといえる。
本件における国鉄の各措置の背景である国鉄の職場規律の乱れ及びこれに対する是正の努力の経緯は次の通りである。
(一) 国鉄の職場規律の乱れ及びこれに対する是正の努力
昭和五六年秋の第九五臨時国会において国鉄の再建に対する阻害要因としていわゆるヤミ慣行、ヤミ協定と呼ばれる企業の業務運営の基本を無視した悪慣行の存在、ヤミ休暇、ポカ休と呼ばれる業務放棄の実態、現場協議制度が管理者に対するつるし上げの場と化している実態等の職場規律の乱れが指摘されたのをはじめ、国鉄の職場管理に対する各方面からの厳しい批判が寄せられ、職場規律の是正が強く求められるに至った。
国鉄は、昭和五六年一一月九日、本社から各鉄道管理局長に対し、ヤミ休暇等の悪慣行、職員の服務態度、ビラ貼り、リボン、ワッペンの着用等の具体的項目を指摘して職場規律の是正を求め、これを受けて東京南鉄道管理局(以下「南局」という。)は、一一月三〇日及び昭和五七年一月二三日に東京駅駅長らに対し通達をもって本社の指示に適切に対処するように要請した。
また、昭和五七年三月四日に、東京北、南及び西の各鉄道管理局長は、国労、国鉄動力車労働組合、鉄道労働組合等の各労働組合に対し、国鉄の現状及び正常な労使関係確保の必要性を説いて、勤務関係、執務態度の厳正(特に接客に際しての言動)、服務の整正、現場協議の運用を本来のあるべき姿に戻すこと等の具体的項目を指摘して、それらの是正及び職場規律の確立を求めた。
運輸大臣は、昭和五七年三月四日に、国鉄再建のためには職場規律の確立をはかることが必須の条件であるとして、実態調査を行う等総点検を実施し、調査結果に基づき厳正な措置を講ずることが必要である旨を指示したので、これを受けて、国鉄総裁は、翌三月五日、各鉄道管理局長に対し、職場の実態について総点検を行うよう通達し、まずヤミ慣行、ヤミ協定の廃止、現場協議の運用の是正、職員に対する業務管理の徹底を重点的是正項目としてその対処を指示し、三月には全職場を対象にした総点検を実施したが、職場規律の乱れは予想を越えて極めて広くかつ根深いものであった。
また、昭和五七年七月三〇日に臨時行政調査会の行政改革に関する第三次答申においては国鉄に関する改革方策として、職場規律の確保をはかるため職場におけるヤミ協定及び悪慣行を全面的に是正すること、違法行為に対しての厳正な処分、昇給昇格管理の厳正な運用、職務専念義務の徹底等人事管理の強化を図ることが提言された。さらに、九月二四日には「日本国有鉄道の事業の再建を図るために当面緊急に講ずべき対策について」と題する閣議決定がなされ、そこでは職場規律の確立のために職場におけるヤミ協定及び悪慣行については総点検等によりその実態を把握し直ちに是正措置を講ずることが決定された。
(二) 東京駅の職場規律の乱れ及びこれに対する是正の努力
東京駅においては、分会役員等が出務表上は日勤となっているものの、実態は組合活動に従事し就労しないいわゆるブラ日勤や出勤当日の朝突然電話によって一方的に休暇を申し入れるポカ休を管理者への報復、いやがらせ等の目的をもってほしいままに行ったり、所定の名札を着用せず組合の闘争ワッペンを着用し職場内のフロントサービス教育に参加しないなど職場規律の乱れは極めて広くかつ根深いものであったので、南局は昭和五七年六月ころから局員を東京駅に派遣し業務命令確保のための努力を講じ、昭和五八年五月には職場規律がとくに乱れている東京駅を含む二〇職場を重点職場に指定し、南局内に重点職場専任チームを置くなどして職場規律確立のための重点指導を行うこととした。
これに対して、分会に所属する職員の多数は、職場規律の乱れを是正しようとする国鉄の努力に反発していたずらに反抗、抵抗を繰り返し、そのために国鉄の業務遂行の過程において他の企業においてはおよそ考えられないような紛争を発生せしめたのであって、本件における国鉄の各措置が不当労働行為に該当しないことは明らかである。
2 掲示板の撤去関係
東京駅駅長は、職場規律の必要上昭和五八年五月ころから組合掲示板等の実態を調査し、五月二八日、分会長に対し、正規の許可を得ないまま無秩序に設置されている組合掲示板を再検討しその適正化をはかる旨の国鉄の意向を伝え、組合が進んでこれに協力するよう申し入れたが、何らの改善もなされなかった。そこで、東京駅駅長は、七月六日に分会に対し、各係に一掲示板を認めることを原則とするが改札及び本屋職場については管理者個人に対する誹謗中傷の掲示が著しいためこのような事務規程違反の行為の中止の約束が必要であると付言して、所定の許可願を提出するよう申し入れた。分会は、八月二〇日、従来存在した掲示板のすべてをそのまま許可せよとの掲示板使用願及び掲示板設置願を提出したもので、東京駅駅長は、七月六日の申入れに従って再度許可願を提出するよう申し入れたが、分会からは何らの手続もなされなかった。
東京駅駅長は、無秩序な掲示板をそのまま放置しておくことはできないので昭和五八年九月九日、分会に対し、出札、旅行センター、乗客及び構内の各職場に一枚ずつの掲示板の設置を許可しその他の掲示板の設置は不許可とすること不許可の掲示板及び掲示物については分会自ら撤去することを申し入れたが、分会長から管理者において撤去してもやむをえない旨通告されたので、九月一二日に管理者が撤去したがその際何らトラブルは生じなかった。
原告らは、組合掲示板の設置につき、国鉄と分会との間に合意があったと主張するが、組合掲示板は、その設置が現場協議等における業務上の案件の協議の前段交渉として分会によって取り上げられ、その合意を得られなければ業務上の必要案件の協議が実施できない状況下にやむを得ず増設されたものであり、これが正当な合意などといえる実態にないことは明白である。また、仮に、組合掲示板の設置について合意又は黙認と認められる事情が存在するとしても、その実態が職場規律違反の状況にある場合においては、国鉄がその施設管理権に基づいて便宜供与を是正しうることは明らかである。組合掲示板の設置枚数については、国鉄の職場においては一分会一枚の掲示板の便宜供与が原則とされていたにもかかわらず、東京駅においては職員数が多く、各係によって就労場所が異なること等の事情を特に考慮して各係ごとに一枚ずつの掲示板を供与することとしたのであり、しかもいずれの掲示板も各係の職員との連絡に最も便利な場所に設置されていたのであるから、このような供与は合理的かつ妥当な範囲のものである。したがって、組合掲示板の撤去が不当労働行為であるなどといわれる余地はない。
3 組合集会関係
分会においては、国鉄の施設内における集会を行うにあたって事務規程二〇条が定める手続に従わないことが少なくなかったが、このような無秩序な施設利用に対し、国鉄は、職場規律の是正、確立の一環として承認をえない施設利用を禁止する旨を機会あるごとに警告してきた。特に、国鉄が闘争ワッペンの着用禁止を指示したことに対し、昭和五八年五月一日から二八日にかけて、改札事務室内、本屋事務室内等において分会組合員一〇名ないし五〇名が勤務中の管理者に罵声をあびせるなどの集団つるし上げ行動が繰り返されたが、五月一七日には、駅長室前(東京駅丸の内側中央付近の歩道に接する場所)において分会組合員七〇名ないし八〇名による抗議行動と称する承認をえない集会が開催され、ハンドマイクを使用した罵声等により駅管理者の打合せ会等が妨害され、職場秩序が著しく乱されたのみならず、旅客公衆のひんしゅくを招く事態が発生したため、それ以来承認をえない集会に対しては厳正に対処する旨を警告していた。ところが、分会が六月二〇日に承認をえないまま集会開催を計画していることが明らかになったので、六月一七日ころから分会長及び分会書記長に対し再三口頭で警告し、また六月二〇日には集会予定場所に無断集会禁止の張り紙を掲示して警告したが、これを無視して組合集会が強行されたので、国鉄の管理者はその状況を現認するため集会場所に待機した。七月二五日の集会についても事実関係はこれと同様である。
国鉄が職場規律を確立するために、施設管理権に基づき事務規程を無視する集会の開催を禁止すること、またその警告を無視して集会が強行された場合にその解散を求めその状況を現認することはいずれも正当な措置であって妨害といえないことはもとより、これを不当労働行為という余地はないのである。
4 末永に係る配転、懲戒免職関係
(一) 配転関係
末永に対する本件配転は、東京駅の合理化の一環として業務上の必要に基づくものであり、このような正当な業務命令を拒否し配転に応じなかった同人を懲戒免職処分に付したことも国鉄の正当な権限に基づく当然の措置であって、何ら不当労働行為として問擬しうるものではない。
東京駅においては、昭和五八年九月一日、業務体制見直しにより関係労働組合の合意をえて一四一名の合理化が妥結し、欠員分を控除してなお実人員において一〇八名の過員が生じることとなった。そのため、国鉄は営業係全員に対して転勤希望調査を行うとともに、通勤地、適性等を考慮して昭和五九年三月末日までに六六名の配転を完了し、年度末の退職者が四一名あったことにより過員はほとんど解消されたが、末永に対する本件配転もその一環としてなされたのである。
フロントサービスの改善が重視されている東京駅において、過去の客扱い上のトラブルや執務態度等を総合的に判断すれば、末永は接客従事員として不適格であるといわざるをえないので、旅客との接触を要しない貨物駅への配転が予定された。そして、末永が停職期間を終了して出勤した後である昭和五八年一二月から昭和五九年一月末日ころまでの間に、同人に対し、一〇回以上にわたり本人の意向及び経歴等を考慮して配転先の候補を示したうえ関係労働協約の定めに従い配転の説得が重ねられたが、同人は説得を一切拒否しこれに応じなかった。
また、末永は接客態度に問題があったので停職期間終了後に直ちに改札係として就労させることは適当ではなく、また停職期間中に業務体制の変更も行われたので、会議室においてこれまで受講を拒否していたフロントサービスに関する職場内教育、業務体制等に関する自主学習を行うことを命じたがその間末永は会議室に在室したとはいえ、勤務時間中であるにもかかわらず組合活動を行うなどしており、とうてい一室に隔離、軟禁したなどという状態でないことはもとより、教育効果も認めえない状況であった。
国鉄は、末永が配転の説得に応じないからといって放置することは妥当ではないので、昭和五九年二月一七日に汐留駅輸送係へ配転する旨の事前通知を行い、さらに二月二五日、配転命令を発した。しかし、末永は、配転命令に従わず汐留駅に赴任しないで勤務を放棄し続ける等したので、国鉄は、三月一七日、同人に対し、懲戒処分に付する旨を通知したが、同人が所定の期間内に異議を申し出なかったため、三月二四日、懲戒処分を発令した。以上の経過から明らかなように、末永に対する配転は業務上の必要に基づく合理的かつ妥当なものである。
原告らは、末永に対する配転については地方対応機関における協議が行われておらず配転協定違反であると主張するが、個別具体的な人事権の行使に関することは団体交渉事項となりうるものではなく、それが以前からの取扱いであり、末永の配転について国労の意向が確認されなかったからといってそのゆえに不当労働行為の問題が生じる筋合いにはない。
また、原告らは昭和五七年夏の女性客に対する応対の件は、末永が当事者ではないと主張するが、事件が発生した当時当該窓口において末永が勤務していたこと、事件直後被害者本人が末永を直接見たうえで、被害者に応対したのは末永であると確認していることなどにより当事者が末永であることは明らかであるが、さらに公労委の審問において末永が否認したことを契機としてなされた再調査においても被害者によって再確認されており、また事件当時当該窓口で就労していた他の職員によっても確認されているのであるから、末永が当事者であることは否定する余地がないのである。この一事によっても末永が接客業務に適さないものであることは明らかであるが接客係にふさわしくない服装の乱れやそれを注意されるや管理者に対して乗客の面前で中傷したりするなどの点を総合して考えれば、改札業務の合理化によって生じた職員の配転が考慮される際に、末永をその対象とすることには不自然、不合理な点は全くない。
(二) 懲戒免職処分関係
国鉄が行った末永に対する本件配転命令は合理的かつ妥当なものであるが、末永はこれを不当に拒否し二週間余の間勤務を放棄し続けたため、日本国有鉄道法三一条に基づき懲戒免職処分に付されたのであるから、本件懲戒免職処分は正当であり、これを不当労働行為とする原告らの主張は理由がない。
第三 証拠<略>
理由
一請求原因1ないし3の事実は当事者間に争いがない。
二昭和五六年以降の国鉄の職場規律をめぐる状況
<証拠略>によれば、以下の事実が認められる。
昭和五六年一〇月、一一月に開かれた第九五回国会の衆議院及び参議院の行財政改革に関する特別委員会においては国鉄におけるヤミ慣行、ヤミ協定、ヤミ休暇、ポカ休等の問題がとりあげられ、職場規律の乱れが指摘された。また、昭和五七年三月ころからは一部の新聞、月刊誌等において国鉄のポカ休や現場協議における管理者のつるし上げ等の職場規律の乱れに対する厳しい批判が展開され、国鉄は職場規律の乱れの是正を迫られることになった。
国鉄は、昭和五六年一一月九日、本社から各鉄道管理局長らに対し、一部の職場においては依然として規律の乱れが改善されず、国民・世論から厳しい批判を受けているとして、ヤミ休暇等の悪慣行、職員の服務態度、ビラ貼り、リボン、ワッペンの着用等の項目を指摘して職場規律の是正を求め、これを受けて南局は一一月三〇日及び昭和五七年一月二三日に管内の各駅長らに対し、この本社の指示に適切に対処するように要請した。また、三月四日に、東京北、南及び西の各鉄道管理局長は、国労、国鉄動力車労働組合、鉄道労働組合等の各労働組合に対して具体的な是正改善事項を示して職場規律の確立についての申入れを行ったが、国労に対する是正改善事項としては、勤務関係(突発休の完全自粛、ヤミ休暇の全廃等)、勤務態度の厳正(特に接客に際しての言動)、服務の整正(リボン、ワッペン、赤腕章を着用しない、ネクタイ、制帽、保護具の着用等)、管理者の許可のないビラ、横断幕、看板の撤去等があげられた。運輸大臣は、同日、国鉄に対し、ヤミ手当や突発休、ヤミ休暇、現場協議の乱れ等の悪慣行について実態調査を行う等総点検を実施し調査結果に基づき厳正な措置を講ずることが必要であると指示し、これを受けて、国鉄総裁は、翌五日、各鉄道管理局長らに対し、職場規律の実態について総点検を行い、ヤミ慣行、ヤミ協定の是正、現場協議の運用の是正、職員に対する業務管理の徹底を行うことを通達し、この通達に基づき昭和五七年三月に国鉄においては総点検が行われた。
昭和五七年七月三〇日に出された臨時行政調査会の行政改革に関する第三次答申においては、国鉄の経営状況は危機的状況を通り越して、破産状況にあるとの指摘がなされ、国鉄に関する改革方策が示されたが、その中では国鉄にとって最も必要なこととして経営者が経営責任を自覚しそれにふさわしい経営権限を確保し企業意識に徹し難局の打開に立ち向かうこと、職場規律を確立し個々の職員が経営の現状を認識し最大限の生産性を上げること、政治や地域住民の過大な要求等外部の介入を排除することの三項目が指摘され、緊急にとるべき措置として職場規律の確立を図るため職場におけるヤミ協定及び悪慣行(ヤミ休暇、ヤミ専従等)は全面的に是正し、現場協議制度は本来の趣旨にのっとった制度にあらためること、違法行為に対しての厳正な処分、昇給昇格管理の厳正な運用、職務専念義務の徹底等人事管理の強化を図ることが提言された。また、九月二四日には、「日本国有鉄道の事業の再建を図るために当面緊急に講ずべき対策について」と題する閣議決定がなされ、緊急に講ずべき対策のひとつとして、職場規律の確立のために職場におけるヤミ協定及び悪慣行については総点検等によりその実体を把握し直ちに是正措置を講ずることがあげられた。このように、国鉄の経営状況を改善させるためにも職場規律の確立は緊急の課題とされていた。
このような状況の中で、南局は、昭和五七年から営業部総務課職員を東京駅に派遣して業務命令確保のための努力をし、昭和五八年三月の第三次総点検が行われた後である五月には管内の職場規律が特に乱れている東京駅を含む二〇職場を重点職場に指定し、南局営業部内に重点職場の職場規律確立のための指導を行うチームを設置するなどして、職場規律を是正するための努力を重ねた。
三神棚の礼拝関係
<証拠略>によれば、以下の事実が認められる。
従前、国鉄においては安全祈願等の目的から職場に神棚を設置することが行われてきたが、東京駅でも昭和六〇年一月当時一一の職場に合計一五個の神棚が設置されており、昭和五八年当時もほぼ同数の神棚があった。改札の職場の神棚は改札助役室のロッカーの上に設置されていたが、古くてみすぼらしいものになったため、芝崎助役が百瀬駅長と相談して新しい神棚を設置することにし、改札助役が費用を出しあって新しくて、前よりも大きい神棚を購入して昭和五八年七月五日に改札助役室の隣の八重洲中央改札事務室の職員氏名札(改札の職員が出退勤の際に返すことになっているもの)がかけられている掲示板の真上に設置した。一一月七日国労本部と国労東京地方本部の呼びかけにより国会議員等の一〇〇人を超す調査団が東京駅に入ることがあったが、その後一一月一八日ころに神棚の位置は約二メートル横に移された。
以上のとおり認められるが、東京駅の管理者が国労の組合員に対して組合員であることを誹謗しつつ神棚の礼拝を強要した事実は認められない。
もっとも、前掲乙第九七号証(公労委における証人大橋孝久の審問調書)には、大橋孝久は昭和五八年七月一〇日ころ芝崎助役から国労のおまえらは普段から行いが悪いから札を返す前に神棚に向かって拝めと言われた及び他の組合員も芝崎助役から札を返す前に拝めと言われたと聞いている旨の記載部分があるが、分会の改札班が発行していた機関紙日刊東改ニュースの昭和五八年七月一四日号には「そのうちに『朝出勤してきたら神棚に向かって手を合わせ頭を下げろ。』とでも言ってきそうな感じがする。」との記載があり、同月一八日号には「毎朝この神棚に手を合わせろと言わんばかりである。」との記載があるが、礼拝を強要されたとの記載はなく、前掲乙第九七号証の当該記載部分は信用できない。
また、原告らは大きくて新しい神棚を職員氏名札の真上に置いたこと自体や昭和五八年一一月に国会議員等が現場調査に入った後に当局が神棚の位置を移動させたことが礼拝強要があったことを裏付けるもののように主張するが、職員氏名札の真上に神棚を置いたこと自体が礼拝強要であると直ちに評価することはできないし、昭和五八年一一月神棚の位置が約二メートル横に動かされたのは、<証拠略>によれば無用の混乱を避けるために職員氏名札の真上の位置からずらしたものと認められ、この点を礼拝強要があったことの間接事実と評価することもできない。
したがって、東京駅の管理者が国労組合員に対して組合員であることを誹謗しつつ神棚の礼拝を強要した事実があったことを前提として労働組合法七条三号に該当する不当労働行為があったとする原告らの主張は理由がなく、本件命令のうち神棚の礼拝関係についての部分には違法な点はない。
四処分通知書手交の際の管理者らの言動関係
<証拠略>によれば、以下の事実が認められる。
昭和五八年二月ころから分会組合員としてワッペンを着用していたが、そのうちの一つは、縦約4.5センチメートル、横約5.5センチメートルの大きさであり、そこには「国鉄分割・民営化反対、雇用安定協約を守れ、一時帰休・退職強要反対」という要求項目と国鉄労働組合という名称が書かれているものであった。南局の営業部長は管内の各長に対して、職場規律の是正の一環として昭和五八年四月二五日に「服務の整正について」と題する事務連絡を行い、ワッペンをはずす、つけないようあらゆる指導を進めること及び氏名札の着用についての指導を行うことを求め、これを受けて東京駅駅長は、同日、「服装の整正並びにフロントサービスの向上について」と題する文書を出して、ワッペンのとりはずし、制帽等に職務と無関係なものはつけない、無言の応対をやめることを要請した。東京駅においては、昭和五八年五月から管理職がワッペンの現認を行いワッペンのとりはずしを求めるようになっていたが、分会員はこれに対して抗議をするなどしており、五月一七日午前には無届けで分会員約八〇名が駅長室前に集まりワッペンのとりはずしを求める管理職の行動に対する抗議集会を約一〇分行いシュプレヒコールをくりかえすなどしたため、管理職らが行っていた会議に支障が生じた。南局局長は、この無届けの抗議集会などを理由として、七月二三日に、末永に対して九月一日からの停職三箇月、五名の組合員に対して戒告、八名の組合員に対して訓告、三八名の組合員に対して厳重注意の処分(処分を受けた者のうち一名は汐留駅駅員であるがその余の五一名はいずれも東京駅駅員である。)の処分を行った。これを受けて、百瀬駅長は、七月二三日ころから約五日をかけて駅長室において被処分者に対して処分通知書の交付を行ったが、その場には首席助役、庶務助役及び被処分者の担当助役らが立ち会った。運輸指導係(本屋班)の高橋浩は七月二四日ころ訓告処分の通知書を受けとったが、その際には駅長室の前で本屋助役小林との間でワッペンを取る取らないの押し問答が行われた。高橋浩は駅長室に入ると百瀬駅長から処分通知書をわたすので気を付けの姿勢をとるようにと指示されたが、これに従わずに手を後ろに組んで休めの姿勢をとっていたところ、百瀬駅長らは「なんだその態度は。」、「突っ張るんじゃない。」、「ワッペンをはずしなさい。」などと注意をした。これに対して高橋浩は「ワッペンははずせない。」と答え、百瀬駅長が「君は国鉄の職員だろう。誰の命令でワッペンを付けているのか。」と問いただしたところ、高橋浩は「国鉄の管理者は信用できない。私は以前民間会社にいたが、民間の管理者は信用できる。国労は私達の権利を守るために頑張ってくれているので、その指令に従ってワッペンを付けている。」と言ったため、百瀬駅長は「問題発言だ。そんなに民間会社がいいのであれば、国鉄を辞めてしまえ。」、「いつまでもそういうふうに突っ張っているなら昇給、昇格はないから覚悟しておけ。」などと発言した。
以上の事実が認められる。
前掲乙第九六号証(公労委における証人高橋浩の審問調書)には、処分通知書の交付の際に「森、金沢(国労の役員)の言うことを聞いても最後までは面倒を見てくれない。給料は組合からもらっているわけではないだろう。」と言われたり、「組合に入るなとは言わないが、当局の言っていることが正しいのだからこれからは組合の集会等に参加してはいけない。」と言われた組合員がいるとの記載があるが、前掲乙第一八号証によれば、本屋班の機関紙である本屋班ニュースの昭和五八年七月二六日号には処分通知書交付の際の状況について高橋浩と駅長らとのやりとりが記載されているほかに、「ワッペンをとれ。あいさつをしろ。手を後ろに組まず横にしろ。今回は厳重注意だが次は重いぞ。」、「局長の命令だ。駅長を無視するのか。誰に言われたのか。その人にドロボーしろと言われたらやるのか。そういう考えならこれからの将来についてよく考えろ。」と言われたと書かれているのみであり組合活動をやめるようにとの発言や国労を誹謗中傷するような発言があったとの記載はないこと等からすれば、前掲乙第九六号証の当該記載部分はただちには信用できないというべきである。
また、高橋浩に対する処分通知書交付の際の百瀬駅長らの言動はかなり厳しいものであったということができるが、当時の国鉄は経営状況の改善のために職場規律の是正が緊急の課題であったことは前記二に認定のとおりであり、ワッペンの着用の是正は職場規律の是正の一環として行われたものであること、高橋浩に対する処分はワッペンの着用の是正を求める管理者の行動に対する違法な抗議集会を理由とするものであること、同人は処分通知書交付の際にもワッペンをはずさず管理者に対して反抗的な態度をとったことなどからすれば、右の言動が不当であるとはいえず、組合に対する支配介入にあたるとすることはできない。
さらに、原告らは訓告や厳重注意という軽微な処分について被処分者を一人一人駅長室に呼び、駅長以下助役らが取り囲んで口々に大声で怒鳴りつけるという事態は全く異例のことであり、このことからも処分通知書交付の際の管理者の言動が不当労働行為に該当することは明らかであると主張する。しかし、処分通知書交付の際に駅長らがワッペンをはずすように注意する以上に口々に大声で怒鳴りつけた事実は認められないし、一人一人を駅長室に呼んで処分通知書を交付するという方法自体が不相当なものとはいえないことからすれば、原告らの主張は理由がない。
以上によれば、本件命令のうち処分通知書手交の際の管理者の言動関係についての部分には違法な点はない。
五掲示板の撤去関係
1 掲示板の設置、使用
<証拠略>並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
昭和五八年当時分会には、出札班、構内班、本屋班、乗客班、改札班、庶務班、旅行センター班及び小荷物班の各班があった。
このうち出札班は窓口等を担当する出札の職場の職員で構成されていたが、出札の職場の管理職を除いた職員数は昭和五八年九月当時二六二名であり、分会員は約二五〇名であった。出札班の分会掲示板は、後記2に認定のとおり昭和五八年九月に撤去あるいは業務用に転用されるまでは、第一オープン本館出札事務室の中の休憩室に二枚、第二オープン出札事務室の中の休憩室及び丸の内南口事務室の中の休憩室に一枚の合計四枚が設置、使用されていた。第一オープン本館出札の二枚の分会掲示板は、昭和三九年には既に設置、使用されており、そのうちの一枚は昭和五〇年に出札助役の承認をえて従来よりも大きいものにつけかえられた。丸の内出札の一枚は、昭和五三年に出札助役の承認をえて分会掲示板として使用されるようになったものであり、第二オープン出札の一枚は、昭和五六年三月の現場協議で掲示板の増設の要求が出されたのを受けて出札助役の承認のもとに設置、使用されるようになったものである。
構内班は輸送管理係信号担当、操車担当、運転係信号担当、操車担当等の職員で構成されていたが、構内の職場の管理職を除いた職員数は昭和五九年一一月当時には四八名であり、その全員が分会員であった。構内班の分会掲示板は、後記2に認定のとおり昭和五八年九月に撤去あるいは業務用に転用されるまでは、列車信号所(構内本部)休憩室、中央信号所休憩室、地下信号所休憩室、及び操車詰所休憩室に各一枚の合計四枚が設置、使用されていた。列車信号所では、昭和四〇年には既に信号所と休憩室との間のつい立ての片面を組合掲示板として利用していたが、昭和四八年には構内助役の承認のもとに組合掲示板が設置、使用されるようになった。中央信号所では、昭和四〇年には既に分会掲示板及び鉄労掲示板各一枚が設置、使用されていたが、このうち鉄労掲示板については昭和五三年ころに構内の職場から鉄労組合員がいなくなったことによって撤去された。操車詰所では、昭和四〇年には既に分会掲示板が設置、使用されていたが、昭和四七年ころに構内助役の承認を得て掲示板がつけかえられた。また、地下信号所では、昭和五五年に構内助役の承認のもとに分会掲示板が設置、使用されることになった。
一つのホームには、乗客係、営業係及び運輸係が配置されているが、このうち乗客係及び営業係が乗客班に組織され、運輸係が本屋班に組織されており、昭和五八年六月ころの本屋班の組合員数は約八六名であり、昭和五九年一一月ころの乗客班の組合員数は約九〇名であった。乗客班及び本屋班関係の分会掲示板は、後記2に認定のとおり昭和五八年九月と一〇月に撤去されるまでは乗客事務室、本屋事務室、第一ホーム、第六ホーム、第八ホーム及び第九ホームの各事務室の中の休憩室、地下第一ホーム及び地下第二ホームの各事務室の中の休憩室並びに小荷物総合浴場に各一枚の合計九枚が設置、使用されていた。このうち昭和五二年には既に乗客事務室、本屋事務室及び小荷物総合浴場に各一枚が設置、使用されていた。第一ホーム、第六ホーム、第八ホーム及び第九ホームの各事務室の中の休憩室の分会掲示板は、昭和五四年から昭和五五年にかけて各ホームの助役の承認のもとに設置、使用されるようになった。また、地下第一ホーム及び地下第二ホームの各事務室の中の休憩室の分会掲示板は、昭和五八年三月の本屋班の書記長の設置要求を受けて、同年六月に地下助役が設置して使用されるようになったものである。
改札班は改札口と精算口を担当する職員によって構成されていたが、改札の職場の管理職を除いた職員数は昭和五八年九月当時二一八名であり、分会組合員は約二〇〇名であった。改札班の分会掲示板は、後記2に認定のとおり昭和五八年七月あるいは九月に撤去あるいは業務用に転用されるまでは、八重洲中央口及び中央乗換(幹線)改札事務室の中の休憩室に各二枚、幹線南乗換改札、幹線南口改札、八重州南口、南乗換精算口、丸の内南口改札、地下南口改札口、丸の内中央改札口、丸の内北口改札口、地下北口改札口、中央乗換精算口、八重洲北口改札及び地下八重洲中央口事務室の中の休憩室に各一枚の合計一六枚が設置、使用されていた。八重洲中央口の二枚及び幹線南乗換改札の一枚は、昭和五四年の事務室移転工事の際に改札助役の承認のもとに設置、使用されたものであるが、移転工事以前にも組合掲示板は設置、使用されていた。丸の内南口改札及び地下北口改札の各一枚及び中央乗換(幹線)改札の二枚は、昭和五五年から昭和五六年に行われた事務室改良工事の際に改札助役の承認を受けて設置、使用されていたものであるが、いずれの事務室においても改良工事以前にも組合掲示板は設置、使用されていたが、地下北口改札のものは昭和四七年の事務室開設以来設置、使用されてきたものである。南乗換精算口の一枚は昭和五五年に、地下南口改札口の一枚は同年七月に、中央乗換精算口の一枚は同年六月に、地下八重洲中央口の一枚は昭和五六年一二月に事務室が開設された際に、改札助役の承認のもとに設置、使用されてきたものである。幹線南口改札の一枚は、昭和五二年に分会が設置したものを昭和五三年に改札助役がつけかえたものであり、八重洲南口の一枚は分会掲示板として使用されてきたものであるが、昭和五六年に改札助役の承認を改めて受けたものであり、丸の内中央改札口、丸の内北口改札口及び八重洲北口改札の各一枚は、設置の時期や承認の時期は明らかではないが、改札助役の承認のもとに設置、使用されてきたものである。
昭和五八年九月当時、旅行センター班及び小荷物班では分会掲示板が各一枚設置、使用されていたが、庶務班には設置されていなかった。
昭和五八年九月当時に設置されていた分会掲示板の設備はすべて東京駅当局が提供したものである。
事務規程によれば労働組合の掲示板を設置する場合には所属長又は勤務箇所の長(箇所長)の許可が必要であると定められており、東京駅の場合には駅長が箇所長に該当するが、分会掲示板はいずれも駅長の許可を得たものではなかった。
以上のとおり、分会掲示板は後記2に認定のとおり昭和五八年九月に撤去あるいは業務用に転用されるまでは合計三五枚(昭和五八年七月に業務用に転用された五枚、同年一〇月に撤去された一枚を含む。)あったが、このうち出札班の四枚、構内班の三枚、本屋班・乗客班の六枚及び改札班の一六枚については、設置、使用につき助役の承認を得ていることが認められ、構内班の一枚、本屋班・乗客班の三枚、旅行センター班及び小荷物班の各一枚については助役の承認の有無が必ずしも明確ではないが、弁論の全趣旨によればこれらについても助役の承認があったものと認められる。
2 掲示板の撤去
<証拠略>並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
昭和五八年五月二七日に百瀬駅長の指示により組合掲示板の実態調査が行われた結果、分会掲示板の枚数が三五枚と多いこと、掲示物が乱雑であること及び管理者に対する誹謗、中傷がみられることが明らかとなった。そこで、東京駅当局は、分会に対して、五月二八日及び六月二日の二回にわたって組合掲示板には管理者に対する誹謗、中傷を内容とする掲示板を掲示しないこと、それが改善されない場合には掲示板を撤去することもありうることを通告した。さらに東京駅当局は、分会に対して、七月六日、事務規程に基づく許可願を文書で提出することを求め掲示板の枚数については一職場一枚を原則とすることを伝えた。その後分会に対しては何回か掲示物の内容に管理者の誹謗、中傷にわたるものがあり改善されない場合には掲示板を撤去する等の東京駅当局の通告が行われたが、分会は八月二〇日に現存するすべての掲示板についての使用願と新たな掲示板の設置を求める設置願を提出した。これに対して、東京駅当局は、九月九日、出札、構内、乗客、旅行センターの四箇所に一枚ずつ合計四枚の掲示板を許可すること及び改札、本屋については管理者に対する誹謗、中傷を内容とする掲示物を掲示しないとの約束ができるまでは許可しないことを伝え、不許可となった掲示板、掲示物については分会自らが撤去するように申入れた。しかし、分会が撤去をしなかったため東京駅当局は九月一二日に出札、構内、乗客及び旅行センターの各一枚合計四枚を除きその余のものについては撤去し、あるいは業務用に転用した。同日の撤去あるいは業務用への転用の状況についてみると、出札では、第一オープン本館出札事務室の一枚が残され、第二オープン出札事務室の一枚は撤去され、その他の二枚については分会の掲示物がはがされ業務用に転用された。構内では、構内本部(列車信号所)の一枚が残され、地下信号所の一枚は業務用に転用され、その他の二枚は撤去された。本屋及び乗客では、乗客事務室及び小荷物総合浴場の各一枚が残され、その他の七枚は撤去され、小荷物総合浴場の一枚も昭和五八年一〇月下旬に撤去されたので、本屋班の掲示板は一枚もないことになった。改札では、八重洲中央口の二枚、幹線南乗換改札、南乗換精算口、丸の内南口改札、地下南口改札口、地下北口改札口及び中央乗換精算口の各一枚並びに中央乗換(幹線)改札の二枚のうちの一枚の合計九枚が撤去され、幹線南口改札及び地下八重洲中央口の各一枚の合計二枚が業務用に転用され(昭和五八年七月一九日に八重洲南口、丸の内中央改札口、丸の内北口改札口及び八重洲北口改札の各一枚並びに中央乗換(幹線)改札の二枚のうちの一枚の合計五枚が業務用に転用されていた。)、改札班の掲示板は一枚もないことになった。したがって、昭和五八年一〇月下旬の時点では分会掲示板は出札、構内、乗客及び旅行センターの各班に一枚ずつの合計四枚となったが、分会掲示板が残された場所はいずれも職場にあっても職員の出勤簿が置かれている場所の近くの休憩室であり組合員にとってはもっとも利用に便利な場所が選ばれていた。
3 そこで、本件の分会掲示板の撤去あるいは業務用への転用が不当労働行為に該当するか否かについて検討する。
分会掲示板の設置、使用の経緯についてみると、前記1に認定のとおり本件分会掲示板三五枚の設置、使用についてはいずれも助役の承認があったものであるが、事務規程では労働組合の掲示板の設置については箇所長の許可が必要であるとされているのであって、本件においては箇所長は東京駅駅長であるから、本件分会掲示板の設置、使用につき権限を有する者の正式の許可があるとはいえず、本件分会掲示板の設置、使用については労使間の正式の合意があったとまでは評価できない。
分会掲示板の設置、使用の見直しが行われた理由についてみると、前記二に認定のとおり当時の国鉄は経営の改善という点からも職場規律の是正をせまられていたのであり、弁論の全趣旨によれば東京駅当局の分会掲示板の設置、使用の見直しは、職場規律の是正の一環としてなされたものであることが認められる。
分会掲示板の設置、使用の見直しを行うにあたって国鉄当局がとった手続についてみると、前記二に認定のとおり東京北、南及び西の各鉄道管理局長は国労に対して昭和五七年三月四日に他の事項とともに管理者の許可のないビラ、横断幕、看板の撤去を申入れていること、昭和五八年五月二七日に東京駅当局により組合掲示板の実態調査が行われ、九月一二日に出札、構内、乗客及び旅行センターの各一枚合計四枚を除きその余のものについては東京駅当局の手によって撤去あるいは業務用に転用されるまでの経緯については前記2に認定のとおりであり、撤去等が行われた約二か月前である昭和五八年七月六日には掲示板の枚数は一職場一枚を原則とするとの東京駅当局の方針が分会に伝えられていること(<証拠略>によれば、昭和五六年三月ころに行われた出札の職場の現場協議において東京駅当局は組合掲示板について一職場に一つという考えが基本であると発言していることが認められ、少なくとも昭和五六年以降は東京駅当局は組合掲示板の数について一職場一枚を原則とするとの考えであったことが推認される。)などからすれば、分会掲示板の設置、使用の見直しを行うにあたっては、分会に対して説明がなされ一定の猶予期間をおいて撤去等がなされたものということができる。
分会掲示板の設置、使用の見直しによってすべての掲示板が撤去あるいは業務用に転用されたわけではなく、一職場一枚との原則のもとに出札、構内、乗客及び旅行センターの各一枚合計四枚については残されていること、本屋及び改札について分会掲示板が一枚も認められなかったのは東京駅当局が両班の掲示物には管理者に対する誹謗、中傷がみられるのでそのような内容の掲示物を掲示しないとの約束ができるまでは許可しないとの方針をとったためであることは、前記2に認定のとおりである。<証拠略>によれば本屋班の機関紙の本屋班ニュースには「ゴマスリ横溝助役」(昭和五八年四月三〇日号)、「松本助役、ウソをつく。セールスばかりやって仕事はおろそかだ。」(同年五月一二日号)、「労務屋=小林(本屋)、松野(在来総括)助役、転主(運転主任)の用心棒になりさがる」(同年五月三一日号)、「改札助役芝崎・庶務助役小林ら一三人〜一四人のブラ勤助役」(同年七月二六日号)などの管理者を誹謗、中傷する記載があったことが認められ、<証書番号略>(日刊東改ニュース昭和五八年七月一一日号)及び<証書番号略>(日刊東改ニュース昭和五八年七月二〇日号)によれば、改札班の機関紙の日刊東改ニュースには「芝崎はパンチも持てずにでかいツラするな。」、「芝崎助役のことは女房も頭に来ている。一家そろってのろってやるぞ。」、「俺達の弱みにつけ込んできたねえ野郎だよおまえ芝崎って野郎は。今度は局の連中がパスを見せずに入ろうとしたなら、すぐにパスを取り上げるからな。おまえはろくな死に方しねえぞクソ芝崎。」などの管理者を誹謗、中傷する記載があったことが認められ、<証拠略>によれば事務規程第一七条には個人を誹謗する掲示類が掲示板に掲示された場合には組合掲示板の使用を停止するとの規定があることが認められ、これによれば東京駅当局が本屋及び改札について管理者を誹謗、中傷する掲示物を掲示しないとの約束ができるまで掲示板の設置を許可しないとの方針をとったことはやむを得ないものということができる。
以上のような組合掲示板の設置という便宜供与が行われるようになった経緯、便宜供与が見直されることになった理由、便宜供与の変更を行うためにとられた手続、変更後の便宜供与の内容等の事情を総合して考慮すると、本件掲示板の撤去及び業務用への転用が組合に対する支配介入にあたるとすることはできない。
したがって、本件命令のうち掲示板の撤去関係の部分については違法はない。
六組合集会関係
<証拠略>並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
分会は二〇年以上前から東京駅構内の遺失物取扱所裏において、年に四、五回程度午前九時三〇分ころから約三〇分間勤務時間外の組合員(非番者)一四〇名前後が参加する組合集会(以下「非番者集会」という。)を開いて春闘、秋闘などの重要な課題についての意思統一を行ってきた。事務規程二〇条では所属長又は箇所長は労働組合から正規の組合活動のため集会所その他構内等の一時的な利用について申出があった場合は業務上の支障又はそのおそれがないこと、使用の目的、責任者名、時間等が明らかなこと等を条件として認めることができると定められているが、非番者集会はこの規程の手続をへることなく行われていた。しかし、東京駅当局は今回までは非番者集会について事務規程二〇条が定める手続をとるように申し入れたことはなく、非番者集会を開くことに対して警告を行うこともなかった。遺失物取扱所裏の敷地は丸の内南口の通路及び中央線ホームに接しているが、大部分が壁、ドア等によって囲まれており上は二回が丸の内電力支区、三階が寝室となっている建物によっておおわれており、非番者集会の様子が外部から見えることはない。非番者集会ではシュプレヒコールなどが行われることもあるが、その音は電車の発着する音などによってかき消されるような状況であった。遺失物取扱所裏の敷地は、毎日午前八時三〇分ころまでに遺失物取扱所に遺失物を取りにくる警視庁の自動車の出入りに使われるほか、改札口を通らずに直接駅長室に来た身体障害者や職員がときおり通路として利用することがある程度であった。昭和五八年五月一七日午前に分会員約八〇名が無届けで駅長室前に集まり、分会員が組合活動として着用していたワッペンのとりはずしを求める管理職の行動に対する抗議集会を行いシュプレヒコールをくりかえすなどしたため管理職らが行っていた会議に支障が生じる事態となった。そこで、東京駅当局は、分会に対して、東京駅構内で組合集会を開く場合には事務規程に定める手続をとるようにとの申入れを行った。六月二〇日には、事務規程二〇条の手続をへることなく遺失物取扱所裏の敷地で分会員約一三〇名が集まり夏季一時金カット及び労働協約の破棄通告に抗議する非番者集会が、午前九時三〇分ころから約三〇分間にわたって行われた。同日に非番者集会が開かれることを六月一七日付の本屋班ニュースで事前に知った東京駅当局は、分会長らに対して事務規程二〇条の承認を得ていない組合集会は行わないように申し入れるとともに、遺失物取扱所裏の敷地に集会を禁止する旨の貼紙をして警告をした。それにもかかわらず非番者集会が開催されたため、渡辺首席助役は集会の責任者に対して直ちに解散するように通告し、小林光雄庶務助役、芝崎助役ら一〇数名の管理者が現認のために待機してメモをとったり写真撮影を行ったりした。さらに、七月二五日にも、事務規程二〇条の手続をへることなく、遺失物取扱所裏の敷地で、分会員約一二〇名が集まり七月二三日に行われた分会員に対する処分に抗議する非番者集会が午前九時三〇分ころから約三〇分間にわたって行われた。七月二五日に非番者集会が開かれることを七月二四日付け本屋班ニュースで事前に知った東京駅当局は、分会長らに対して事務規程二〇条の承認を得ていない組合集会は行わないように申し入れるとともに、遺失物取扱所裏の敷地に集会を禁止する旨の貼紙をして警告した。それにもかかわらず非番者集会が開催されたため、小林光雄庶務助役、芝崎助役ら一〇数名の管理者が現認のために待機してメモをとったりした。
そこで、昭和五八年六月二〇日及び七月二五日に行われた非番者集会に対する東京駅当局の対応が不当労働行為になるものか否かについて検討する。
非番者集会は二〇年以上にわたって年に四、五回行われてきたものであり、これに対して昭和五八年六月以前には東京駅当局から警告が出されることがなかったことは前記認定のとおりであるが、この非番者集会は事実上行われてきたものにすぎず、このことから直ちに非番者集会について東京駅当局の黙示の許諾があったとすることはできない。
本件非番者集会に対して東京駅当局が警告を行う等の対応をとったのは、昭和五八年五月一七日に事務規程二〇条の承認を得ていない分会の抗議集会が行われ業務に支障が生じたために、組合集会については原則どおりに事務規程二〇条の手続をとるように分会に申し入れていたにもかかわらず、分会がこれを無視して非番者集会を強行したことによるものであり、職場規律を是正するためにやむをえずとった対応であるというべきである。
以上のように、従来行われてきた非番者集会については東京駅当局の黙示の許諾があったとはいえないこと、東京駅当局が今回警告を行う等の対応をとったのは職場規律の是正のためであったことからすれば、本件非番者集会に対して東京駅当局が警告を行う等の対応をとったことが不当労働行為にあたるということはできない。
したがって、本件命令のうち組合集会関係についての部分に違法はない。
七末永に係る配転、懲戒免職等関係
1 配転関係
<証拠略>並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
末永は、昭和五八年七月二三日に、五月一七日の無届けの抗議集会の開催などを理由として九月一日からの停職三箇月の処分を受けたが、停職期間中の一一月一五日に末永は分会の書記長に選出された。末永は停職期間が終了して一二月一日に出勤したが、東京駅当局は同人に対しては教育が必要であるとして従前の改札の業務にはつかせず、八重洲中央改札の会議室において学習を行うことを命じた。学習の内容としては、九月一日からの合理化によってC形勤務の導入、窓口閉鎖等があり業務体制が変更となったが末永は停職期間中であったために全職員が参加した業務体制の変更に関する説明会等に参加していなかったのでそれに関する書面や同月から同年一〇月にかけて行われたフロントサービスについての教育のテキスト並びに局報、駅報、東改報等の資料を渡して、それを閲読することを命じた。会議室の広さは73.8平方メートルであって事務室、助役室などに隣接していた。ドアは三か所にあってそれぞれ事務室、波動要員詰所、新幹線南口側に通じており、この三か所のドアはいずれも内側から開けて外に出ることができるものであった。会議室にはコピー機がおかれていたので職員の出入りもあった。末永の会議室における学習は一二月一六日まで続きこの間に休暇が三、四日あったが、この期間中末永は勤務時間中に組合用務でかかってくる電話の応答をしたり職員を会議室に呼んで雑談するなどしていた。また、会議室に隣接する事務室で執務していた芝崎助役は、ドアを開けて末永の動静を観察したり、会議室から出たりしないように末永に対して注意を与えたりした。末永は、一二月一七日と翌一八日は休日にあたっていたので、同月一九日から従前の改札業務に従事した。東京駅の改札の職場では末永の場合以外にも、過去に停職一年の処分を受けた職員に対してすぐに職場に復帰させることなく約三週間の学習を行わせた例があった。
東京駅当局は、昭和五八年一〇月半ばころ南局から末永を配転するとの意向を伝えられていたが、一二月二日に初めて同人に対して東京駅からの配転を説得し、配転先としては汐留駅、東京貨物ターミナル駅、横浜羽沢駅という三つの貨物駅を提示した。
東京駅当局がこの時期に末永に対して配転の説得を行ったのは、次のような経緯による。昭和五六年一二月に出された行政管理庁行政監察局による国鉄監督行政監察結果報告書において駅業務の効率化として「国鉄における駅職員の配置状況をみると、駅の中には出・改札等における業務運営の合理化が必ずしも十分行われていないため、民鉄に比べて要員が多くなっていると考えられるものがある。したがって、運輸省は、国鉄に対し、駅職員の配置の見直しを行い、業務の効率化を推進することにより早急に要員の縮減を図るよう指導する必要がある。」との勧告がなされたため、国鉄は駅業務の効率化、合理化をより一層進める必要にせまられることになった。これを受けて南局は昭和五八年七月に要員の削減、C形勤務の導入、出札窓口の統廃合等を内容とする合理化を提案し、国労東京地方本部(以下「東京地本」という。)との間で交渉を行った結果、九月一日に妥結し確認事項が締結され、東京駅の要員を合計一四一名(出札三七名、改札七一名、乗客一八名、小荷物九名、運輸係等六名)削減すること、欠員分を除いて過員となる出札三〇名(現在員二六二名)、改札五九名(現在員二一八名)、乗客七名(現在員一六九名)、小荷物七名(現在員一〇名)、運輸係等五名(現在員七八名)の合計一〇八名についての配転を行うことなどについて労使の合意が成立した。南局はこの一〇八名の配転を行うために配転のスケジュールについて東京地本との調整を行ったうえで、九月六日から一二日までの間に要員削減の対象となる職場の全職員に転勤希望調書を提出させ、各職員の希望、能力、適性、経歴等を考慮して配転対象者を選定して内命をへて発令していき、九月二七日から昭和五九年三月一〇日までの間に出札一六名、改札三九名(昭和五九年二月二五日に汐留駅へ配転された末永を含む。)、乗客五名、小荷物一名、運送係等五名の合計六六名の配転を行った。
このように、末永に対して配転の説得がなされたのは昭和五八年九月一日に過員の配転を行うとの労使合意がなされたことに基づくが、同人が配転の対象として選定されたのは、国鉄当局が同人は接客業務にむいていないと判断したからである。すなわち、昭和五七年八月三〇日に改札の職員が女性客に対して不適切な応対をするという事件があり、その女性客の抗議の投書により事件が発覚したが、国鉄当局は、その後の調査によりこの事件の当事者は末永であると認め、同人は接客業務に不適格であると判断したのである。
この昭和五七年夏の女性客に対する応対の件についての経緯は次のとおりである。昭和五七年八月三〇日午前八時一〇分ころ、東京駅丸の内南側改札口の精算窓口において、西船橋駅から西船橋・大手町間の営団地下鉄の定期券で営団地下鉄と国鉄の共用改札口を通って国鉄に乗車し、右窓口で精算しようとした若い女性客に対して、窓口の職員が「どこから入ったんだ。こんなもんじゃ降りられんよ。」、「ふざけんじゃねえよ。あんた地下鉄の定期使って国電乗って精算しろなんて自分で勝手すぎると思わないのか。わがままなんだよ。」などと非難、罵倒する極めて不適切な応対をするという事件があり、当事者の女性の東京駅駅長に対する投書により事件が発覚した。東京駅当局はこの応対にあたった職員が誰であるかの調査を行ったが、丸の内南口で事件当時勤務していた職員には該当者がみあたらなかった。渡辺首席助役が当該女性に確認したところ事件があった場所は丸の内地下南口であることが判明し、事件当時は丸の内地下南口改札には三人が勤務しており、末永が精算窓口を担当し、一人が改札口のラッチにはいっており、残りの一人は手待ち時間であったことが明らかになった。そこで、昭和五七年一〇月半ばころ、当事者の女性に東京駅に来てもらい勤務中の末永の顔を確認してもらったところ、応対にあたった職員は末永に間違いないということであった。渡辺首席助役が同年一一月中旬ころに末永からこの事件についての事情聴取を行ったところ、同人は当事者が自分であることは否定したものの、この事件のようなことはよくあることだから該当者がいなければ自分がかわりになってもよいという旨の発言をした。また、事件当時末永とともに丸の内地下南口で勤務していた職員のひとりは芝崎助役らに対して当事者は末永であると話した。以上の経緯により、国鉄当局は、昭和五七年夏の女性客に対する応対の件の当事者は末永であったものと判断した。
東京駅当局は、末永に対して、昭和五八年一二月二日以降昭和五九年一月末までの間に約一〇回にわたって配転の説得を行ったが、同人はこれに応じなかった。そこで、東京駅当局は、昭和五九年二月一八日に末永に対して二月二五日付で汐留駅への配転を命ずるとの事前通知を行い、前日の一七日には東京地本に対して末永に対する事前通知の内容を連絡した。これに対して、東京地本は二月二〇日に、末永に対する配転は不当なものであるとして団体交渉の申し入れを行ったが、南局は同日に、末永の配転は人事権に基づく措置であって団体交渉事項ではないとしてこれを拒否するとともに、事前通知に対する簡易苦情処理の申立てが二月一九日までになかったので、二月二五日には所定どおり発令することを通知した。そこで東京地本は、二月二七日、南局に対して配置転換に関する協定に基づく具体的な実施方についての南局の見解を求める団体交渉の申し入れを行い、この点に関する団体交渉が行われた。
以上の事実が認められる。
原告らは末永の会議室での学習について会議室からの自由な出入りのできない隔離、軟禁状態であったと主張するが、会議室の三か所のドアはいずれも内側から開けることができるものであったこと、会議室はコピー機があったために職員の出入りがあったこと、末永は外部からの組合用務の電話に応答したり他の職員を会議室に呼んで雑談したりしていたことは前記認定のとおりであり、これらによれば、会議室に隔離、軟禁されていたものとはいえない。助役らが末永の動静を観察したり、会議室からみだりに出ないように注意したことは前記認定のとおりであるが、末永は会議室における学習を命じられたのであるからそこをみだりに離れてはならないことは当然のことであり、助役らの行動は右認定を左右するものではない。また、原告らは停職後の職場復帰のために二週間以上にわたって会議室での学習が命ぜられることは極めて異常なことであり、末永が読むことを命ぜられた駅報等は毎日朝から晩まで会議室にこもって読まなければ理解できないものではなかったと主張するが、停職後の職場復帰のために数週間の学習が命ぜられた例が末永の以前にもあったこと、末永が読むことを命ぜられた資料は昭和五八年九月一日からの業務体制変更に関する書面、フロントサービスについて教育のテキスト、九月以降の局報、駅報、東改報等であったこと、末永は全職員が参加した九月の業務体制の変更に関する説明会等の教育を停職期間中であったため受けていないことは前記認定のとおりであり、これらによれば末永に対して会議室での学習を命じたこと及びその期間が二週間程度になったことが異例なものであったとか、不必要なものであったということはできない。
原告らは本件配転は配転協定違反であると主張するので、この点について検討する。本件配転が確認事項に基づいて実施されるべきものであることは前記認定のとおりであり、<証拠略>によれば、確認事項の二項には「配置転換に伴う取扱いについては中央協定による。」と定められていること、この中央協定とは昭和四六年五月二〇日に国鉄本社と国労本部との間で締結された配置転換に関する協定をさすこと、この中央協定の前文には「機械化、近代化、合理化等の実施に伴って生ずる配置転換を円滑に行うため、次のとおり協定する。」、一項には「配置転換にあたっては、地方対応機関において十分協議する。」と規定されていること、本件配転という個別具体的問題については地方対応機関である南局と東京地本との間での協議は行われていないことが認められる。原告らは本件配転についての協議が行われなかったことは中央協定一項に違反すると主張するが、同協定は前文にも定められているように機械化、近代化、合理化等の実施に伴って生ずる配置転換を円滑に行うために合意されたものであり、多数の職員の配転を行うための一般的な協議を義務づけたものと解すべきであり、個々の職員について協議することを義務づけたものとは解されない。とすれば、中央協定一項が定める協議とは、個々の職員の配転についての協議ではなく全体的な配転についてのスケジュール等についての協議と解するのが相当であり、本件配転について協議がなされていないからといって同項に反するものとはいえない。また、<証拠略>によれば、国鉄にあっては本件配転以前において個別の配転の問題が労使協議の対象となることもあったことがうかがわれる。しかし、これは過去に配転について事実上そのような運用がなされていたこともあったにとどまるものというべきであるから、中央協定一項の協議の解釈についての右認定を覆すに足りるものではない。したがって、本件配転が配転協定違反であるとする原告らの主張は理由がない。
原告らは昭和五七年夏の女性客に対する応対の件の当事者は末永ではなく同人には接客従事員として不適格な点はないので本件配転の理由は不合理であると主張するが、前記認定事実によれば、当裁判所も右事件の当事者が末永であると判断するものであり、この点に関する原告らの主張は失当である。
また、原告らは右の一件だけを理由に接客業務不適と判断し昭和五七年九月に乗客から末永に対する丁重な感謝状が届いていることなどをことさら無視しているのはそれ自体不合理であると主張するが、昭和五八年九月当時改札の職場では現在員二一八名に対して五九名という大きな割合の過員が生じていたのは前記認定のとおりであること、右の一件は接客従事員の適格性判断にあたって軽視できないものであることなどからすれば、右の一件だけを根拠として接客不適格と判断して配転の対象としたとしても不合理なものということはできず、原告らの主張は理由がない。
さらに原告らは本件配転の事前通知が末永に対してなされたのは昭和五九年二月一八日であり、その前日の一七日には総評、東京地評、全都反合共闘会議の大規模な統一行動のなかで大量の調査団が東京駅に入って不当労働行為の調査、追及を行っており、このような本件配転のタイミングからすれば本件配転が不当労働行為であることは明らかであると主張するが、右のような調査団が入った翌日に本件配転の事前通知がなされたという事実から当然に不当労働行為であると判断することはできず、原告らの主張は理由がない。
したがって、本件配転が不当労働行為に該当するということはできず、本件命令のうち末永の配転関係についての部分には違法はない。
2 懲戒免職処分関係
<証拠略>によれば、以下の事実が認められる。
末永は昭和五九年二月二五日以降も配転を命ぜられた汐留駅に行かず約三週間にわたって汐留駅での勤務を放棄し続けたので、南局は末永に対し、三月一七日に「昭和五九年二月二五日付で汐留駅輸送係を命ずる旨の転勤命令を受けたにもかかわらず、同駅に赴任せず勤務を放棄し続け、もって業務命令に違反したほか、昭和五八年一二月一日から昭和五九年二月二五日までの間、東京駅構内において同駅管理者に対し暴言を浴びせたり勤務中の職員の氏名札をもぎとる等、再三にわたりいやがらせ行為をするなどしたことは、職員として著しく不都合な行為であるため。」という理由で同人を懲戒免職処分にする旨の事前通告を行い、昭和五九年三月二四日に懲戒免職処分の発令を行った。
原告らは本件配転は不当労働行為でありこれに従わないことを理由とする本件懲戒免職処分も不当労働行為であることは明らかであると主張するが、本件配転が不当労働行為とならないことは前記1に認定のとおりであり、本件配転命令に従わず約三週間にわたって配転先での就労を放棄したことは、他の事由を考慮するまでもなくそれだけで<証拠略>によって認められる「国鉄と国労との間の懲戒の基準に関する協約」第一条、日本国有鉄道就業規則第六六条が定める懲戒事由に該当し、その程度は極めて重大で免職を相当とするものと認められるので、不当労働行為と判断する余地はなく原告らの主張は理由がない。
したがって、本件懲戒免職処分が不当労働行為であるということはできず、本件命令のうち末永の懲戒免職処分関係についての部分には違法はない。
八結論
以上によれば、本件命令に違法はなく、原告らの請求は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用(参加によって生じた費用も含む。)の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条、九三条、九四条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官草野芳郎 裁判官竹内民生 裁判官山本剛史)