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東京地方裁判所 昭和62年(ヨ)2249号 決定 1987年8月24日

債権者 甲野太郎

右代理人弁護士 安倍正三

同 小村亨

債務者 持田製薬株式会社

右代表者代表取締役 持田英

右代理人弁護士 和田良一

同 狩野祐光

同 石川清隆

主文

本件申請を却下する。

申請費用は債権者の負担とする。

理由

第一当事者の求めた裁判

一  申請の趣旨

1  債務者は、債権者に対し、金六七二万一、〇〇〇円並びに昭和六二年四月以降本案判決確定にいたるまで毎月二七日限り金五一万七、〇〇〇円を仮に支払え。

2  申請費用は債務者の負担とする。

二  申請の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当裁判所の判断

一  本件疎明資料及び審訊の結果によれば、次の事実を一応認めることができ、これを覆すに足りる疎明資料はない。

1  当事者

(一) 債務者は、本社を肩書地に置き、全国に二六ヵ所の支店、出張所、配送センター、三ヵ所の研究所、五ヵ所の工場等を有し各種医薬品、化粧品、医療機器の製造販売及び輸出入等を目的とする資本金三九億六、九〇〇万円、従業員数約一、九〇〇名、年商約四五一億円の株式会社である。

(二) 債権者は、昭和三五年三月、弘前大学農学部農芸化学科を卒業後、株式会社西武百貨店、ファイザー株式会社を経て、昭和四七年八月、自ら、流通問題を調査研究するエービィ興業株式会社を設立して、その経営に当たるとともに、昭和五六年三月には慶応大学大学院経営管理研究科修士課程を終了していたところ、昭和六〇年五月一日、株式会社リクルート人材センター(以下、「株式会社リクルート」という。)の紹介によって、新設されたばかりのマーケティング部部長に就任するために、債務者に入社した。しかし、債権者は、昭和六一年二月二八日、債務者から、就業規則第五五条第五号の「その他前各号に準ずる程度の事由があるとき」に該当するものとして、解雇する旨の通告(以下、「本件解雇」という。)を受け、それ以降、就労することを拒否されている。

2  マーケティング部新設と債権者の採用

(一) 債務者は、昭和六〇年四月一日、営業部門のライン組織とは別に、マーケティング部を従来の貿易、各事業部のうち、広告の部門を包括して新設したが、その背景には医薬品業界を巡る環境の急激な変化があった。すなわち、昭和五〇年後半にたて続けに行われた薬価の改定、老人保険法の施行による老人医療費の一部負担、健康保険法改正による受診者の医療費一割負担化等に見られるように、国民所得に占める医療費の割合が、国の政策として抑制が計られ、一方、開発期間の長期化、開発費の増大、異業種からの医薬品事業への参入等によって、製薬各社は、昭和五〇年後半以降マーケットが拡大しないという状況の下で、シェアーの拡大を求める熾烈な競争に突入していたのである。

(二) こうした経営環境の変化に対して、債務者は、薬価基準改定の影響を受けない薬粧品の売上げを伸ばすことで、対処しようとしていたが、既に発売に入っている薬粧品の中には、医療関係者からは、好評を得ているにも係わらず、業績に寄与するまでに至っていないのが在るのは、開発、営業を含めて、債務者の従来のやり方には、マーケティングに関して、欠けるところがあると考えられるところから、当時の債務者の代表者である、持田信夫がマーケティング部の新設を決断したのである。

(三) したがって、債務者が、先ず、マーケティング部に期待していたのは、営業部門のために「利益確保」「売上げ増強」「シェアー拡大」を図るマーケティング・プランを策定することであった。

(四) 債務者は、マーケティング部新設にあたり、部員については社内から募ったが、部長については、医薬品業界の慣行に縛られない斬新な発想のできる人物を求めるために、敢えて社外から登用することとし、株式会社リクルートに推薦を依頼していたところ、昭和六〇年三月、同社から債権者を紹介されたので、人事部長の五十島、専務の渡辺、社長の持田の三名が、順次、面接した結果、学歴、職歴及び聴取した抱負等から、マーケティング部の責任者として適格であろうと判断し、同年五月一日、債権者をマーケティング部付部長に任命し、給料は月額五一万七、〇〇〇円、賞与については、債務者の給与規定によると昭和六〇年は夏期が支給対象とならず、冬期も支給額の七八パーセントにしかならないので、賞与とは別に、その補完分として支度金三〇〇万円を、夏期と冬期にそれぞれ一五〇万円ずつを支給する旨の雇用契約を締結した。債務者が債権者を入社時点で部長ではなく、部付部長としたのは、債権者がマーケティングの専門家といっても、医薬品業界についての経験がないことから、これを学ぶ期間が、債務者にとっても、債権者がどの程度の能力なのかを、観察する期間が共に必要であると判断されたからである。因みに、給料、賞与、支度金の合計額を年収に換算すると、一〇〇〇万円を越えることになるが、これは債務者の従業員の中では、上位二パーセントに入る金額であった。

(五) 雇用契約締結の際に、直属の上司になる専務の渡辺は、債権者に対して、当面のマーケティングの主力を、薬粧品の流通、価格、製品ラインの強化、販売促進のための市場調査に置くように指示した。債務者は、医師を相手とする医薬品の販売には、相当な経験を有していたが、一般大衆を消費者とする薬粧品については、それ程でもないという事情があり、そこで、債権者に、西武百貨店で大衆が消費者である商品について、マーケティングを実践した経験を生かして、当時、債務者が発売して間もない養毛剤のグローリッチや、基礎化粧品のコラージュ・シリーズ、石鹸を中心としたニュートロジーナ・シリーズ、清拭剤・沐浴剤のスキナ・シリーズ等の販売戦略、販売方法等について、実行性のある具体的な提案がなされることを期待していたのである。

3  債権者の勤務の実情

(一) 債権者の勤務の実体については、債務者が、「債権者は、マーケティング部の責任者として部下を指導することができず、その発言は独断的で、引用する数字には誤りが多い。リーダーとしての資質に欠けているばかりではなく、実務的能力も欠如していた。」と主張するのに対し、債権者が、「誠実に職務を履行していた。」と争い、その当否について俄に断じ難いのであるが、本件疎明資料のうち、債権者の陳述書、債権者作成の講義レジメから、少なくとも、以下のことが言える。

すなわち、債務者が、債権者を雇用した目的が、前記2の(三)のとおり明確なものであったのに対し、債権者は、販売方法の改善等は枝葉末節に過ぎず、自らがなすべきことを、古色蒼然たる前近代的な社風の体質改善であると考えていて、債務者の意図にあまり関心がなかったか、少なくとも、これを軽視していたことである。その結果として、債権者のマーケティング部での実績について、自ら陳述するところによっても、①経営首脳部交代の提言、②従来の「山カン」方式に代わる「経営予測表」の考案、③プロダクト・リーダーの育成、④化粧品(コラージュ・シリーズ)と清拭剤(スキナ・シリーズ)の「贅沢すぎる容器、外装函」等の「コスト・ダウン」の提言、⑤不良在庫整理の提言、⑥広告・宣伝費の節約の提言、というのであるが、その当否(債務者は、これら全ての点について、逐一反論を加えている。)は別にしても、これでは、債権者が、債務者の意図に沿って職務を遂行していたといえないこと明らかである。両者の考え方の齟齬は、昭和六〇年八月一九日、債権者が常務会でマーケティング部の基本方針を説明した際に、出席者に配付したレジメからも窺うことができ、債権者はその席で、環境の変化を説明し、その対応を提言したと思われるが、レジメの記載の通りとすると、その内容は誤りではないにしても、極めて一般的抽象的(経理あるいは営業の担当者の説明であっても、おかしくない。)なもので、出席者が、債権者について、マーケティング部新設の趣旨をどの程度理解しているのか、疑問を抱いたのではないかと想像するのは、困難なことではない。

(二) 債務者は、債権者に、薬粧品についての消費者の動向を把握するため、マーケット・リサーチの実施を指示していたが、債権者が、本件解雇に至るまで、そのための計画を立案したり、部下に要領を説明して、準備に着手させた形跡が全くない。

(三) 債務者は、昭和六〇年一一月下旬、債権者に対しても、他の部の長と同様に、昭和六〇年上期の自己評価表を提出させたが、記入要領を読めば、そこに記載を求められているのが、債権者に則して言えば、マーケティング部設立の意図を、どのような方法で、どの程度達成しているかであり、これによって、上司に債権者の評定資料のみならず、経営判断の材料を提供させようとしていることが、明らかであるにも係わらず、「重点目標項目」欄に、「①自己規制する。②正しい現状分析をする。③マーケティング部門目標を検討し、実施する。」と記入して、対象期間総合評価をAとしているのは、的はずれであり、債権者の見識を疑わせるものである。

4  本件解雇に至る経緯

(一) 自己評価表の提出を契機に、その頃、社内で公然と囁かれるようになっていた債権者の執務姿勢に対する批判を、無視すべきではないと考えた人事部長の、五十島は、昭和六〇年一二月一〇日、債権者に対し、マーケティングは理論だけではなく、実践活動に重きを置くことが重要であると指摘したうえで、社内には債権者への批判が、澎湃として沸き起こっており、例えば、会社幹部やマーケティング部員等から、「仮説の仮説などという理解の出来ない説明が多かったり、教科書を読んでいるのを聞いているような、抽象的、評論家的な発言が多い」といった趣旨の批判を、再々聞くことを伝えて、その是正を強く要望した。

(二) ところが、五十島は、同月一六日、社内の批判的見解を、なお、念をおして、強調しておく必要があると考えて、債権者と面談の途中、債権者から突然、「近く行われる参議院議員選挙に債権者が、サラリーマン新党から、社員のまま立候補することができるか。立候補を認める場合には、債務者から、債権者に政治資金として約二、〇〇〇万円を寄付して貰えないか。立候補のための活動期間中、債権者を組合専従に準じて、休職扱いにできないか。」という趣旨の質問をされて、驚くことになった。

(三) 債権者が、この日、このような質問をしたのは、これより先、昭和六〇年九月五日付朝日新聞に掲載された、サラリーマン新党が、同党の参議院議員候補者を、論文によって、広く募る旨の記事を読んで、これに応募していたところ、一二月一二日、新党の代表者の青木茂から、「論文が入選したこと」を通知し、併せて、「順位二位で、債権者を立候補名簿に登載するとした場合に、約二、〇〇〇万円の選挙資金が準備できないか」を打診してきた書簡を受け取っていたからである。これに対して、五十島は、同月二四日、政治活動のための休職は、認められないこと、政治資金を提供することもあり得ないことを伝えて、債務者が、債権者の希望を受け容れる考えの全くないことを明確にした。

(四) 昭和六一年二月一八日付各新聞は、一斉にサラリーマン新党の参議院比例代表区候補予定者名を掲載したが、そのなかに、エービィ興業株式会社代表者の肩書で債権者の名前があったことが、新聞発表について、事前の連絡がなかったこと、しかも、債権者がその間の事情説明を、事後にも、十分に行わなかったという対応の悪さもあって、社内の債権者への批判を一挙に吹き出させ、これまで、債権者をむしろ擁護してきた、五十島も解雇を止むを得ないと決意するに至り、その結果、債務者は、最早、債権者との信頼関係を維持できなくなったとして、同月二八日、債権者に対し、前記1の(二)のとおり解雇する旨通告した。

二  以上の事実を前提にして、解雇事由の存否を検討する。

1  債務者は、債権者をマーケティング部の幹部管理職として採用する旨明示して、債権者との間に雇用契約を締結したものであるところ、債権者の勤務態度、状況は、右雇用契約を維持するに足るものではなかった旨を主張する。

前記一の2認定の、債権者が採用された経緯によると、債権者は、マーケティング部部長という職務上の地位を特定し、その地位に相応した能力を発揮することを期待されて、債務者と雇用契約を締結したこと明らかであるが、債権者が、人材の斡旋を業とする株式会社リクルートの紹介によって採用されていること、及びその待遇に鑑みると、それは、単に、期待に止まるものではなく、契約の内容となっていたと解せられ、この見地から、前記一の3及び4の債権者の勤務態度を検討すると、債権者は、営業部門に実施させるためのマーケティング・プランを策定すること、そのなかでも、特に薬粧品の販売方法等に具体的な提言をすることを、期待されていたにも係わらず、執務開始後七ヶ月になっても、そのような提言を全く行っていないし、そのための努力をした形跡もないのは、マーケティング部を設立した債務者の期待に著しく反し、雇用契約の趣旨に従った履行をしていないといえるし、サラリーマン新党からの立候補を考えたことについても、当選すれば、職業政治家に転身することになるのであるから、債務者にとっては、債権者が、途中で職務を放擲することにほかならないのであり、その影響するところは、一社員が市民として、政治に関心をもって、行動したという範疇に止まっていないこと明らかで、これによって、債務者が、債権者の職務遂行の意思について、疑念を抱いたとしても、債権者は、甘受すべきである。

2  債務者の就業規則第五五条(解雇)が、「社員は次の各号の1に該当しなければ解雇されることはない。」と明記し、解雇理由を「①私傷病による精神または身体の故障、障害のため業務に耐えられず、かつ回復の見込みがないと認められるとき。②懲戒によるとき。③休職期間が満了し復職を命ぜられないとき。④組合から除名され除名の理由が会社として妥当と認められたときならびに会社の解雇要件に該当すると認められたとき。⑤その他前各号に準ずる程度の事由があるとき。」と規定していることからすると、債務者は、右の就業規則を制定することによって、自ら解雇権の行使を、就業規則所定の理由がある場合に限定したものと解せられる。しこうして、第五号には、第一号から第四号に準ずる程度の事由の存在を必要とするのであるが、第一号は、「雇用を継続させることができない止むを得ない業務上の事情がある場合」を例示したと考えられるところ、債権者の先に述べた執務態度は、期待したマーケティング部の責任者として、雇用の継続を債務者に強いることができない「業務上の事情がある場合」に該当すると解するのが相当であるから、債権者には、就業規則第五五条第五号による解雇事由が存したというべきである。

(なお、念のために付言すると、債権者は、マーケティング部の責任者に就任することで、雇用されたのであるから、解雇するに際し、債務者は、下位の職位に配置換えすれば、雇用の継続が可能であるかどうかまでも、検討しなければならないものではない。)

3  以上の通りとすると、本件解雇には理由がある。

三  よって、債権者の本件申請は、被保全権利についての疎明がないというべきであり、保証を立てさせて疎明に代えることは相当でないから、本件申請を却下することとし、申請費用につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判官 畔栁正義)

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