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東京地方裁判所 昭和62年(ヨ)2325号 決定 1988年9月26日

債権者

菅原武志

佐藤伸一

望月吉信

望月民子

菅原まゆみ

右五名代理人弁護士

土橋修丈

債務者

スガワラ

右代表者代表取締役

菅原三郎

右代理人弁護士

鈴木篤

主文

1  債務者は債権者らに対し、左記上段の金員を直ちに、左記下段の金員を昭和六三年一〇月から本案の第一審判決言渡しに至るまで毎月二五日限り、それぞれ、仮に支払え。

債権者菅原武志

金一四四万円 金二〇万円

同佐藤伸一

金二五〇万円 金三五万円

同望月吉信

金一二七万円 金一八万円

同望月民子

金八六万円 金一二万円

同菅原まゆみ

金一三一万円 金一七万円

2  債権者らのその余の申請を却下する。

3  申請費用は、これを三分し、その一を債権者らの、その余を債務者の各負担とする。

理由

第一当事者の求めた裁判

一  債権者ら

1  債権者らが債務者に対して雇用契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める。

2  債務者は債権者らに対し、別紙第一目録記載の金員を直ちに、同第二目録記載の金員を昭和六二年一〇月から本案判決確定に至るまで毎月二五日限り、それぞれ仮に支払え。

3  申請費用は、債務者の負担とする。

二  債務者

1  債権者らの申請を却下する。

2  申請費用は、債権者らの負担とする。

第二本件記録によって疎明される事実関係

一  当事者等

1  債務者会社(以下「会社」という。)は、昭和二八年に菅原褜蔵(以下「褜蔵」という。)の個人営業を引き継いで設立された株式会社であって、その代表取締役(以下「社長」という。)には、長い間褜蔵が就任していたが、昭和五三年に長男菅原敏雄(以下「敏雄」という。)が就任し、更に昭和六二年九月に三男菅原三郎(以下「三郎」という。)が就任して現在に至っている。会社は、スプリング製作の専門メーカーであって、昭和六二年当時の従業員は約八八名で、非組合員約一四名を除く大部分が労働組合に加入していた。

2  債権者菅原武志(以下「武志」という。)は昭和四六年二月、債権者佐藤伸一は昭和三九年三月、債権者望月吉信(以下「吉信」という。)は昭和四〇年一〇月、債権者望月民子(以下「民子」という。)は昭和四八年九月、債権者菅原まゆみ(以下「まゆみ」という)は昭和五七年二月、それぞれ、会社と雇用契約を締結した。債権者武志は褜蔵の次男、債権者民子はその三女、債権者吉信は右民子の夫、債権者まゆみは長女菅原和子の子(褜蔵の孫)に当たる。債権者佐藤は、これらとの血縁関係はないが、その父が褜蔵と親友であった関係で入社したものである。

二  紛争の発端

1  会社は、菅原一族が中心となって経営に当たり、大手電機メーカーとの強い結び付きもあって、業績は順調に伸びてきたが、昭和六〇年六月期以降二期連続して赤字決算となり、昭和六一年には、年末一時金を前年の六割に減額し、また、将来は人員整理も考えざるを得ない状況となった。そして、労働組合との交渉においてその旨を提案したところ、逆に、会社が褜蔵の当時から菅原一族に対して特別の職務手当てを支給していたことが明るみとなり、そのため、労働組合が反発し、職務手当ての一部返還や菅原一族に対する年末一時金の減額を約束させるとともに、人事異動や機械購入等についても事前協議を求めるという事態になった。

2  当時は、社長の敏雄が高血圧症、糖尿病により体調を崩していたため、労働組合との交渉は、専ら、当時総務部次長であった債権者武志や取締役であった三郎、褜蔵の次女敏子の夫で取締役であった舘野勝敏及び工場長豊福徹男らが当たっていたが、労働組合の強い要求に抗することができず、昭和六二年四月の春闘には、賃上げや大幅な時間短縮を承認する一方で、経営全般について労使で協議するための「経営改革委員会」の設置を確認し、管理職や非組合員から連帯資金の拠出を求めるという労働組合の要求をも受け入れるに至った。

右のうち、賃上げ及び連帯資金に関する合意内容は、次のとおりである。

「今年度の組合員平均賃上げ額を一万一〇〇〇円とする。ただし、労働組合に対する連帯資金を拒む者は、会社第一次回答の五六〇〇円とする。

連帯資金 部長六〇〇〇円、次長五〇〇〇円、課長四〇〇〇円、非組合員三〇〇〇円」

三  紛争の推移

そのため、右のような一連の事態を会社経営の危機と受け取った社長敏雄は、顧問弁護士とも相談した上、会社側の団交メンバーの強化を図ることを考え、昭和六二年四月一四日、臨時株主総会を開催して(債権者武志が司会を努めた。)、当時、生産課の事務員をしていた債権者民子及び技術部品質管理課長をしていた債権者佐藤の両名を取締役に就任させ(債権者佐藤は、総務部長を兼務)、右就任の発表に合わせて労使慣行の見直し等の考えを明らかにし、債権者民子及び同佐藤も、これに同調し、労働組合に対して強硬な姿勢を打ち出した。そのため、新体制を認めない労働組合の強烈な反発を招いただけでなく、両名の経営能力を疑問視する部長や課長等の管理職の抵抗をも招き、昭和六二年七月末の事態収拾に至るまで、会社は大きな混乱に陥った。

その間の状況は、次のとおりである。

1  社長敏雄は、管理職らに対し、社長の方針を説明して新体制への協力を求め、特に批判的な者を個別に呼び出し、解雇予告手当てをテーブルに置き、辞表を選ぶか反対を撤回するかを迫ったが、管理職の抵抗は根強く、四月二二日には、管理職のみで組合を結成して会社に通告する事態となった。そこで、社長敏雄は、四月二四日、債権者民子とともに、右発言が管理職らを解雇する意味に受け取られたことを謝罪したが、身分保障については社長の方針に協力することを条件としたことから、事態の鎮静化には役立たなかった。

2  労働組合は、四月一六日、新役員の撤回を求めて団体交渉を申し入れたのを始め、「菅原一族による会社私物化反対、全従業員に信頼される役員体制の実現」等をスローガンに掲げて行動を展開し、全従業員による新役員撤回の署名を実施し、多くの組合員らが、社長敏雄に対して直接に抗議し、債権者民子、同佐藤に対しても、辞職を求めて付きまとい、出勤してきた両名の入室を妨害し、或いは、仕事の最中に抗議を行い、逃げ出そうとすると追いかけてくるなどした(労働組合が発行したビラにも、組合による「抗議」と会社の「逃亡」が多数回にわたって繰り返されたことが記載されている。)。

団体交渉も、交渉メンバーや開催時刻などの前提問題で紛糾して、実質的な話しはできないことが続いた。

3  債権者民子、同佐藤は、事務所で仕事をしていると妨害を受けることから、五月半ばころ、社屋三階の社長室に逃れ、更にその後、四階の社長の自宅に逃れて仕事をするようになったが、抗議はその後も続き、社長宅のドアーを叩くとか外側から大声で怒鳴るとかのことが行われ、事務所に顔を出すことも思うに任せなくなり、そのため雑務を処理するか無為に過ごす以外にない日が続いた。債権者民子は、管理職らから、事務所に来ると組合員が仕事を放棄して迷惑なので控えるようにとの申入れを受けた。また、六月中旬からは、多数の組合員らが、鎌ケ谷市にある債権者民子の自宅や佐倉市にある同佐藤の自宅まで訪れ、マイクを使って抗議する事態となった。

債権者武志、同吉信、同まゆみも、社長敏雄に味方し同調しているというだけで、労働組合から、身内意識を追求されたり、入室を妨害されたりしたことから、六月中旬以降、社長室に逃れ、そこで仕事をしたり待機することが続いた。

(なお、疎明資料中には、債権者民子は、「話合いを求める労働組合に対し、社長をエレベーターに押し込めて組合幹部との会話を暴力的に妨害した。」とか「労働組合が社長に説明を求めたところ、これを制止してエレベーターに押し込み、四階に拉致した。」という部分があるが、むしろ、社長に対する労働組合員らの抗議を制止して、社長を四階に避難させたと見るのが自然というほかはない。また、債権者民子、同佐藤は、「突然の役員就任をカサに着て、「自分に従わない者は許さない。」とあらゆる場面で従業員を威圧し、労働組合との基本的な信義を破り、会社の正常な業務を徹底して破壊し続けた。」とか、「業務遂行を放棄して従業員を攻撃し、自分に従わない者を会社から追い出すことのみを考えた。」という部分があるが、具体性に乏しい上に表現に誇張があって、直ちには採用することができない。)

4  社長敏雄は、顧問弁護士から、四月一四日開催の臨時株主総会は商法上疑義があると指摘されたため、五月二八日、改めて臨時の株主総会を招集し、そこで、債権者民子、同佐藤を取締役に選任する旨の決議をしたが、その際、債権者武志は、司会を担当し、債権者吉信、同まゆみは、会場前に抗議に押し掛けてきた組合員らの見張りを担当した。

5  労働組合は、五月下旬から八波にわたって時限ストやリレーストを敢行し、六月一五日、自主管理組織を設立して取引先との対応を開始し、六月一七日から、労働組合と管理職組合が二四時間体制で会社の泊込みを始め、かくして会社は、事実上、両組合の管理下に置かれることになり、経営者不在ともいうべき状態が現出するに至った。

6  紛争の長期化に伴い、生産が停滞して製品の納入に影響が生じ、そのため、厳しい督促を受けただけでなく、納入先における製造工程に狂いが出るなどの迷惑を与え、中には、取引きの打切りを通告する者も現われる事態になった。

7  社長敏雄は、右のような事態を収拾するには債権者民子、同佐藤を辞任させるほかはないとの判断に達し、七月九日、両名から辞表を提出させた上、これを従前の職場に復帰させ、七月一三日の団体交渉の席上で、その旨及び役員体制を四月八日以前に戻すことを発表した。

四  紛争の解決

1  そして、これを契機として紛争解決への気運が生じ、七月一七日、会社社長敏雄と労働組合・管理職組合の各執行委員長との間で、次のとおりの確認書が交わされた。

(一) 社長は、四月一五日以降の会社混乱についてその責任を認め、労働組合及び管理職組合に対し文書で謝罪する。

(二) 社長は、会社混乱の責任をとり、会社正常化後に退陣する。新役員の選任は、四月八日合意の「経営改革委員会」の諮問に委ねる。

(三) 債権者民子、同佐藤の処分については、経営改革委員会の決定に委ねる。

(四) 細目については、労働組合、管理職組合との団体交渉で早急に詰めることとする。

2  七月二二日、会社社長敏雄を甲、労働組合執行委員長を乙とし、両者の間で、次のとおりの確認書が交わされた。

(一) 甲は、今次労使紛争の責任を取り、再び紛争を起こさないために、今後、<1>不当労働行為、組合潰しを企図せず、労働協約と労働慣行を尊重する。<2>企業経営の菅原一族による私物化をせず、所有と経営の分離、全従業員との協力による経営を目指し、経営改革委員会による経営改革をはかる。

経営改革委員会は、経営幹部、管理職組合、労働組合で構成する。

乙は、<1><2>の実行に協力する。

(二) 会社の役員体制を四月八日時点に戻す。

社長は、会社混乱の責任を取り、会社正常化後に退陣する。

(三) 甲は乙に対して、雇用不安、労働協約・労働慣行の破棄等の不当労働行為を債権者民子、同佐藤を通して行ってきたことを深く謝罪し、以降、不当労働行為をせず、労使関係の正常化を図る。

(四) 債権者民子、同佐藤の不当労働行為及び会社混乱等の責任に対する処分については、経営改革委員会の決定に委ねる(決定が出るまで、両名は自宅謹慎とする。)。

(五) 甲と行動を共にし、会社混乱の一端を担った者については、乙に対し、混乱の責任に関する反省文を提出する。

(六) 甲は、春闘以降の会社混乱による全ての事象について、賃金カットは行わない。また、甲は、その責任に伴う会社混乱による労使紛争を円満に解決するため、乙に対して解決金金一封を支払う。

五  紛争解決後の状況

1  債権者武志、同吉信、同まゆみの三名は、七月二〇日前後に、取締役三郎から、自宅待機を命ぜられるとともに、前記確認書に基づいて反省文を提出するように指示され、労働組合の執行委員長あてに、「三か月の間、社長の方針に従い、社員の皆様に会社倒産の不安を与え、精神的苦痛を与えたことに関して深くお詫びをするとともに、このようなことが二度とないように肝に銘じて社員の皆様と協力して会社再建のために全力を尽くします。」などと記載した反省文を作成して提出したが、労働組合から不十分であるとして書直しを命ぜられ、債権者武志は一回、債権者吉信、同まゆみは二回にわたって書直しをして提出した。

そして、七月二四日、二七日、二八日の三日間にわたって、右債権者らは、出社を命ぜられて個別に会議室に呼び入れられ、労働組合の執行委員ら一一名の前で、長時間にわたり、反省文の内容や四月一四日以来の具体的な行動及びその責任について追及を受け、身分降格、昇給停止、夏期一時金なしの条件を認めれば働けるようにしてやるといわれ、債権者武志、同まゆみは、その旨を記載した覚書きに拇印を押した。

しかし、債権者らは、会社の将来に希望を失い、八月四日、取締役三郎に対し、一旦は夏期一時金と退職金を支払って貰えるならば退職する旨を伝えたが、八月六日に思い直してこれを撤回した。

2  八月五日、経営改革委員会が正式に発足し、第一回の会合が持たれたが、そこでは、右委員会の基本構想として、性格は取締役会の諮問機関であること、構成は、会社役員二名、管理職組合三名、労働組合五名とし、運営は、合議決定を基本とし採決を行わないことが決定され、当面の課題として、新役員の選出、債権者民子、同佐藤の処分、その他の債権者の取扱い、経営分析、事務所を中心とする機構改革を検討すること、営業政策の活性化に向けた市場調査、経済状況の分析を開始することなどを決定した。

また、債権者らから、夏期の一時金と退職金の支払の願いとともに退職の申出のあったことが報告された。

3  労働組合は、八月七日、債権者武志、同吉信、同まゆみに対し、<1>正式の退職届を会社に提出し自らの進退を明らかにすること、<2>退職後は会社と一切の関わりを持たず、何らの利害関係もないことを念書をもって誓約すること、<3>会社の株式を所有している者は、所有権を放棄することを記載した文書を送付した。

4  経営改革委員会と会社は、連名で、八月二一日又は二四日付け書面をもって、債権者武志、同吉信、同まゆみの三名に対し、「債権者武志、同まゆみについては労働組合に七月末に提出した覚書きの精神に従い、債権者吉信については覚書きの提出がないが、いずれも、職場への就労条件を整えてきたにもかかわらず、退職の意思を表明するなど態度が二転、三転していて、職場復帰は困難と考えられるので、<1>退職金は会社の規定どおり支払う、<2>会社に与えた損害賠償などについては、今後、民事上の責任を追及しないために念書を交わす、<3>債権者武志、同吉信の株式の件については意向を尊重する。」などを条件として円満退職のために話合いに応ずることを通告した。しかし、右債権者らは、理性的で平穏な話合いが保障されない限り、出社しない旨を通告した。

5  経営改革委員会は、九月中に四回にわたって開催され、代表取締役に菅原三郎、専務取締役に菅原春雄、取締役工場長に豊福徹男、監査役に菅原敏雄を選出する旨の答申をし、九月二六日に臨時株主総会が開催され、右答申どおりの役員が選出されて、会社の新体制が決定した。

六  本件仮処分の申請と懲戒解雇の通知

1  債権者らは、いずれも、七月二〇日までは賃金の支払を受けていたが、七月二一日以降については全く支払を受けていないことから、一〇月一日、会社を相手取り、雇用契約上の権利を有する地位にあることを仮に定めるとともに、七月二一日以降の賃金の仮払を求める旨の本件仮処分を申請した。

2  会社は、民子を除く債権者らに対し、一〇月二六日から二九日までの間に出社するよう命じ、会社のほか労働組合及び管理職組合の代表者による事情聴取を経た上、債権者佐藤に対し一一月四日付けで、債権者まゆみに対し一一月一七日付けで、債権者武志、同吉信に対し一一月二四日付けで、それぞれ、懲戒解雇の通告をした。なお、債権者民子について、会社は、同人は取締役の就任と同時に従業員を退職したもので、仮に取締役の退任とともに再雇用されたものとすれば、昭和六三年二月二六日までの無断欠勤を理由として同日付けで解雇する旨の意思表示をしている。

第三解雇の効力に対す(ママ)判断

一  解雇事由と就業規則上の根拠に関する会社の主張

1  債権者佐藤について

(一) 同人は、昭和六二年四月一四日、取締役に就任すると同時に、技術部品質管理課長として負っていたスプリング製品の品質検査及び検査業務全体を管理統轄するという職責、業務を全て放棄し、期限までに納入すべき製品が検査課で滞留する事態が生じたことに対しても適切な処置を講じなかった。そのため、会社の売上げの一五ないし二〇パーセントを占める最大の取引先に対する納品が大幅に遅滞することによって会社の信用が大きく低下し、今後の取引の継続が危ぶまれるまでに至っている。また、同人は、品質管理課長としての職務を放棄する一方で、全ての時間を過去一〇年間にわたって築かれてきた労働協約、労働慣行を基礎とする安定的な労使関係について、職権を乱用し、これを破壊することのみに費やした。すなわち、労働協約、労使慣行を無視し、これを反故にし、労働組合との団体交渉を拒否し、更には、そのような乱暴なやり方に同調しない管理職に対して他の従業員の面前で怒鳴りつけて罵倒し、解雇予告の脅迫のもとに同調を強要するなどした。

(二) 同人の右行為は、会社の就業規則三三条の左記各号に該当する。

イ 職務上重大なる過失、怠慢又は不正の行為があったもの

ハ 会社の信用を毀損し会社に損害を与える行為があったもの

ニ 会社の秩序を紊したもの

ホ 正当な理由なく無断欠勤したるもの及び甚だしく勤務状況不良のもの

ト 其の他各号に準ずる程度の不都合の行為があったとき

2  債権者武志について

(一) 同人は、昭和六二年四月以降、総務部次長としての職権を乱用し、債権者佐藤に追随して社内の秩序破壊と混乱に拍車をかける行動を重ねた。また、同人は、同年六月半ば以降、本来の職務である外注下請工場との連絡調整等の職務を全く放棄している。この職務は、会社が取引先に期限どおり製品を納入する上で極めて重要なものであるが、債権者民子と同時に職務を放棄してしまったために、残った従業員のみでは円滑な話ができないことも多く、下請会社の掌握に重大な混乱が生じた。

同人は、一旦は、反省文を提出し、これを受けた会社としても、穏便な処分(減俸、降格)での復職を考慮中であったが、昭和六二年八月になって退職の意向を伝え、その後、会社からの再三の問合せにも誠実な応答をしないまま無断欠勤を続けている。

(二) 同人の右行為は、前記就業規則三三条のハ、ニ、ホ及び三五条の左記号に該当する。

イ 再三懲戒せられたるも尚改悛の見込みなしと認めたとき

3  債権者吉信、同まゆみについて

(一) 債権者吉信、同まゆみは、昭和六二年四月以降、債権者民子、同佐藤らに同調追随し、社内の秩序破壊と混乱に拍車をかける行動を重ねた。また、債権者吉信は、製造部第三課係長の職にあったものであるが、同年六月半ば以降、全くこの職務を放棄し、債権者まゆみは、技術部品質管理課第二検査係の職務を同様に放棄し、いずれも、会社業務に重大な支障を生じさせ損害を与えた。特に、債権者まゆみの職務放棄によってJNFに対する原子力関係の製品の納期が遅れ、これが原因となって同社との取引が打切られる危機に直面している。

また、債権者吉信、同まゆみは、昭和六二年八月に退職の意思を表明し、以降再三の出社命令にもかかわらず無断欠勤を続けている。

(二) 同人らの右行為は、前記就業規則三三条のハ、ニ、ホ及び三五条イに該当する。

二  解雇事由の有無についての判断

1  債権者佐藤について

同人は、技術部品質管理課長として、製品の最終的な検査及びこれに関する記録の採取等を担当しており、昭和六二年四月一四日に取締役に就任後引き続いて右職務に従事していた。しかし、前述したとおり、同人が取締役に就任したのを契機に、菅原一族による会社私物化反対等を掲げた労働組合の抗議、辞任要求が激化し、仕事の妨害を受けるに至ったことから、五月半ば以降、社長室更には社長宅で執務をするようになり、やがて事務所に顔を出すことも困難となって、雑務に従事するか無為に過ごす以外にないという状況に立ち至ったのであって、就労ができるような客観的条件そのものが会社によって確保されていたとはいえないから、品質管理課長としての職務放棄を同人のみの責任に帰せしめることはできない。

もっとも、同人は、取締役に就任するや、当時の社長敏雄の意向を受けて対労働組合や管理職組合の前面に出てこれらと対立する言動をとったため、その激しい対抗、抗議を招き、会社が混乱に陥って生産や出荷に遅滞が生じ、取引先に対する会社の信頼を毀損する原因を与えたことは、前述したところから明らかである。しかし、これらは、会社の取締役として、換言すれば会社の機関として発言し又は行動したことによるものであって、従業員としての任務違背や業務命令違反があったという訳ではないから、この点については、取締役としての責任が問題となることがあるのは別として、就業規則に基づく従業員としての責任が問題となる余地はないというべきである。このことは、会社が解雇の根拠規定として主張する就業規則が「会社の従業員の就業に関する事項を規定する。」と定め(一条)、また、「従業員とは、会社と雇用契約を締結した者を指す。」と定めている(二条)ことによっても明らかである。そして、同人は、取締役を辞任して従業員としての身分のみを有することとなった後、会社と労働組合との間で交わされた確認書に基づいて自宅謹慎の処分を受けたため、出社することなく経過していたのであるから、これを無断欠勤と見ることはできない。

したがって、会社主張の解雇事由があるとはいえず、債権者佐藤に対してした懲戒解雇は無効である。

2  債権者武志について

会社は、同人は、昭和六二年四月以降、総務部次長としての職権を乱用し、債権者佐藤に追随して社内の秩序破壊と混乱に拍車をかける行動を重ねたと主張する。しかし、同人については、臨時株主総会において司会を担当したことは疎明されるが、それ以上に具体的にいかなる行動をしたのかが全く明らかでなく(労働組合が発表した「(株)スガワラ大混乱の責任番付表」なるものによっても、右のほかは、「社長について行く」といったとか「三、四か月ガップリやる」といったとか管理職組合に説明をしたとかが列挙されているにすぎない。)、職権乱用の事実を疎明すべき資料はない。もっとも、同人が債権者民子、同佐藤に追随し、社長敏雄を支持する立場をとったことは、前述したとおりであるが、ことさらに会社を混乱に陥れるため他の債権者らと通じて騒ぎを起こしたというような事情は疎明されないから、労使が激しく対立する場面において単に使用者側についたというだけの理由で、右対立によって生じた秩序破壊や混乱の結果について責任があると解するのは正当でない。懲戒処分は、あくまで従業員の具体的な行為について問題となるものであって、このことは、会社の就業規則によっても明らかだからである(臨時株主総会において司会を担当したとか、労働組合が発表したような言動が懲戒解雇の事由となるものでないことは、いうまでもない。)。また、懲戒解雇の適否を考えるに当たっては、会社が、労働組合に対しては、会社混乱による全ての事象について賃金カットは行わない旨の約束をしていることの権衡も考慮しない訳にはいかない。

また、同人は、昭和六二年六月半ばから総務部次長としての本来の職務を全く放棄し、下請会社の掌握に重大な混乱が生じたというが、前述したとおり、同人は、社長側についているというだけで、労働組合員らから抗議の対象とされ、入室や仕事を妨害されたため、やむなく社長室や社長宅に逃れざるを得なかったのであって、就労ができるような客観的条件そのものが会社によって確保されていたとはいえないから、職務放棄の責任を同人にのみ帰せしめるのは相当でない。

更に、同年八月になって退職の意向を伝え、会社からの問合せにも応答しなかったことは事実である。しかし、同人は、同年七月二〇日前後に当時の取締役三郎から自宅待機を命ぜられていたのであるから、無断欠勤には当たらないし、会社からの問合せに応答しなかったのは、労働組合の執行委員ら一一名から、反省文の内容や責任について追及された上、復職するならば身分降格、賃上げ凍結、夏期一時金辞退の条件を受け入れるか、或いは、退職して会社との関係を一切断つことの誓約や株式の放棄を要求され、会社と経営改革委員会の連名による文書も、労働組合の対応を踏まえた上で職場復帰は困難であるとして、あくまで退職のための話合いを求めるものであったことから、理性的な話合いができる見込みはないとして問合せに応じなかったもので、紛争解決後における一連の経過に照らせば無理からぬ事情があると解されるから、業務命令違反があるとはいえない。

また、退職の意思表明は、労働組合の執行委員らから反省文の内容や責任について追及された後に条件付きでしたもので、しかも、その直後に撤回をしているから、これを確定的な退職の意思表示と見ることはできない。

したがって、会社が主張する解雇事由について疎明があるとはいえず、債権者武志に対してした懲戒解雇は無効である。

3  債権者吉信、同まゆみについて

会社は、同人らは、昭和六二年四月以降、債権者民子、同佐藤に同調追随し、社内の秩序破壊と混乱に拍車をかける行動を重ねたと主張する。しかし、同人らについては、労働組合員らの行動を写真に撮ったとか、臨時株主総会において見張りをしたとかの事実があることは疎明されるが、それ以上に具体的にいかなる行動をしたのかは全く明らかでない(労働組合が発表した前記「(株)スガワラ大混乱の責任番付表」によっても、臨時株主総会において見張りをしたことのほかは、「仕事をしろ」と発言したとか「オジサン(社長敏雄を指す。)が心配だ」といったとか「社長について行く」といったなどという些細な言動が列挙されているにすぎない。)。もっとも、同人らが債権者民子、同佐藤に追随し、当時の社長敏雄を支持する態度に終始したことは、前述したとおりであるが、会社を混乱に陥れるため他の債権者らと通じて意図的に騒ぎを起こしたというような事情は疎明されないから、労使が激しく対立する場面において単に使用者側についたというだけの理由で、右対立によって生じた秩序破壊や混乱の結果について責任があると解するのは正当でない。懲戒処分は、あくまで従業員の具体的な行為について問題となるものであって、このことは、会社の就業規則によっても明らかだからである(労働組合員らの行動を写真に撮ったことや臨時株主総会において見張りをしたこと、或いは、労働組合の発表したような言動が懲戒解雇の事由となるものでないことは、いうまでもない。)。また、懲戒解雇の適否を考えるに当たっては、前述したとおり、会社が、労働組合に対しては、会社混乱による全ての事象について賃金カットは行わないことを約束していることとの権衡も考慮しない訳にはいかない。

また、会社は、債権者吉信、同まゆみは、昭和六二年六月以降、その担当職務を放棄し、会社業務に重大な支障を生ぜしめたと主張するが、前述したとおり、同人らは、社長側についているというだけで、労働組合員らから抗議の対象とされ、入室や仕事を妨害されたことから、やむなく社長室や社長宅に逃れざるを得なかったのであって、就労ができるような客観的条件そのものが会社によって確保されていたとはいえないから、職務放棄の責任を同人らにのみ帰せしめるのは相当でない。

更に、債権者吉信、同まゆみが昭和六二年八月に退職の意思を表明し、その後、出社命令を受けても出社しなかったことは、前述したとおりである。しかし、同人らは、同年七月二〇日前後に当時の取締役三郎から自宅待機を命ぜられていたのであるから、無断欠勤に当たるとはいえないし、出社命令に応じなかったのは、労働組合の執行委員ら一一名の前で、反省文の内容や責任について追及された上、復職するならば身分降格、賃上げ凍結、夏期一時金辞退の条件を受け入れるか、或いは、退職して会社との関係を一切断つことの誓約と株式の放棄を要求され、会社と経営改革委員会の連名による文書も、労働組合の対応を踏まえた上で職場復帰は困難であるとして、あくまで退職のための話合いを要求するものであったことから、理性的な話合いができる見込みはないとして出社しなかったもので、紛争解決後における一連の経過に照らせば無理からぬ事情があると解されるから、業務命令の違反があったとはいえない。また、退職の意思表明は、労働組合の執行委員らから追及を受けた後に条件付きしたもので、しかも、その直後に撤回をしているから、これを確定的な退職の意思表示と見ることはできない。

したがって、債権者吉信、同まゆみについて、会社が主張するような懲戒解雇の事由があるとはいえず、これらに対してした解雇の意思表示は無効である。

4  債権者民子について

会社は、同人は取締役の就任と同時に従業員としては退職したもので、仮に取締役退任とともに従業員として再雇用されたものとしても、昭和六三年二月二六日までの無断欠勤を理由として同日付けで懲戒解雇したと主張する。

しかし、同人が取締役の就任と同時に従業員としては退職したことを裏付けるに足りる資料はなく、かえって、昭和六二年七月九日、取締役の退任とともに従前の職場に復帰し、同月二〇日まで賃金の支払を受けていることが疎明されるから、同人は、取締役就任中にも従業員としての身分を併せ有していたものということができる。もっとも、同人は、七月二〇日前後から会社には出社していないことが疎明されるが、これは、会社と労働組合との間で交わされた確認書に基づき、経営改革委員会の決定がでるまで自宅謹慎とする旨の処分を受けていたためであることが疎明されるから(この自宅謹慎が債権者民子の従業員としての身分保有を前提としたものであることは、いうまでもない。)、出社していないからといって無断欠勤に当たるとはいえない。

したがって、会社主張の解雇事由について疎明があるとはいえず、債権者民子に対する懲戒解雇は無効である。

第四本件申請に対する判断

一  債権者らは、会社に対して雇用契約上の権利を有する地位にあることを仮に定めるように求めているが、特別にその必要があることについての主張、立証はないので、以下では、賃金仮払の必要性とその金額について判断する。なお、債権者らは、昭和六二年七月から実際に勤務には従事していないが、前述したとおり、債権者民子、同佐藤は自宅謹慎の、その他の債権者らは自宅待機の各命令を受けたことによるもので、結局、会社は、債権者らに対し、労務提供を不要とする職務命令を発したことになり、しかも、その間の賃金について不支給等の決定があったことを疎明すべき資料はないから、債権者らは、実際に勤務に従事していないからといって無断欠勤には当たらず、賃金請求権を失うものではないというべきである。

二  まず、債権者武志を除くその余の者は、会社からの賃金を唯一の収入として生活しているもので、昭和六二年七月二一日以降、賃金の支払を受けていないことにより、本案判決を待つことのできない緊急の必要性のあることが疎明される。もっとも、債権者民子と同吉信は夫婦であり、また、債権者武志の妻は飲食店を経営していることが疎明されるので、仮払を受けるべき金額の決定において斟酌されることはやむを得ないところである。

債権者らが昭和六二年七月分として支払を受けた賃金(同年六月二一日から七月二〇日までに対応)と昭和六二年七月二一日から昭和六三年九月二〇日までの未払総額は、左記の上段と下段のとおりであることが疎明される。

三  右各金額と債権者らの家族構成、必要生活費その他諸般の事情を総合考慮すると、債権者らが仮払を受けるべき金額は、過去の未払賃金については、右未払総額のほぼ半額(ただし、債権者民子、同吉信、同武志については、更にその半額)に相当する左記上段の金額、将来の賃金については、昭和六二年七月分の賃金にほぼ相当する左記下段の金額(ただし、債権者民子、同吉信、同武志についてはその半額)とするのが相当である。したがって、会社は債権者らに対し、過去の未払賃金を直ちに、将来の賃金を昭和六三年一〇月以降本案の第一審判決言渡しに至るまで毎月二五日限り、それぞれ、仮に支払う義務があるというべきである。

第五結論

以上のとおりであって、本件申請は、右に説示した賃金の仮払を求める限度で理由があるのでこれを認容し、その余を却下することとし、申請費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文、九三条一項本文を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判官 太田豊)

(別紙)

第一目録

<省略>

第二目録

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以上

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