東京地方裁判所 昭和62年(ワ)13099号 判決 1992年4月17日
原告
対馬滋
原告
甲野太郎
右両名訴訟代理人弁護士
弘中淳一郎
同
西垣内堅佑
同
桂秀次郎
同
本田兆司
同
安田好弘
同
堀井準
同
加城千波
同
清水英夫
同
加藤毅
同
坂井真
被告
国
右代表者法務大臣
田原隆
被告
名古屋拘置所長
武田一夫
右両名指定代理人
名取俊也
外八名
主文
一 原告らの被告名古屋拘置所長に対する訴えをいずれも却下する。
二 原告らの被告国に対する請求をいずれも棄却する。
三 控訴費用は原告らの負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 原告らの請求の趣旨
1 被告名古屋拘置所長が、昭和六二年六月一七日に原告対馬滋に対して行った、取材を目的とする限り原告甲野太郎との接見を一切許可しないとの処分を取り消す。
2 被告国は、原告ら各自に対し、各金七五万円及び内金五〇万円に対する昭和六二年七月一五日から、内金二五万円に対する同年一〇月一六日から、各支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は被告らの負担とする。
4 仮執行宣言
二 被告らの答弁
1 本案前の申立て
(一) 原告らの被告名古屋拘置所長に対する訴えをいずれも却下する。
(二) 訴訟費用は原告らの負担とする。
2 請求の趣旨に対する答弁
(一) 原告らの請求をいずれも棄却する。
(二) 訴訟費用は原告らの負担とする。
(三) 担保を条件とする仮執行免脱の宣言
第二 当事者の主張
一 原告らの請求の原因
1 原告両名の地位
原告甲野は、昭和五十六年三月一三日に刑事被告人として名古屋拘置所に入所し、以来同拘置所に収監されている者であるが、昭和六二年七月九日に最高裁判所において上告棄却判決を受け、死刑判決が確定しているものである。
また、原告対馬は、雑誌、書籍の編集、企画、製作、発行を目的とする有限会社創出版の取締役であり、雑誌の編集者である。
2 本件各接見不許可処分
(一) 原告対馬は、昭和六二年五月二五日、名古屋拘置所を訪れ、面会申込票の用件欄に「安否確認」と記載して、原告甲野との接見の申込みをしたところ、保安課長及び同課長補佐から、全文自筆で「面会の目的が取材のためでなく、面会内容は一切公表しない」と記載した誓約書を提出するように求められ、これを拒絶すると、被告名古屋拘置所長(以下「被告拘置所長」という。)は、右保安課長らを通じて、原告対馬に対し、原告甲野との接見を拒否する旨の処分をした(以下、この処分を「本件接見不許可処分(一)」という。)。
(二) 次いで、原告対馬は、同年六月一七日、名古屋拘置所を訪れて、面会申込票の用件欄に「取材」と記載して、原告甲野との接見の申込みをしたところ、被告拘置所長は、係員を通じて、原告対馬に対し、取材目的での原告甲野との接見を一切不許可にする旨の処分をした(以下、この処分を「本件接見不許可処分(二)」という。)。
右接見不許可処分(二)は、原告対馬に対して、右同日の接見申込みを不許可とするにとどまらず、およそ取材目的の接見申込みであるならば、今後原告甲野との接見を一切許可しないというものであって、将来にわたる包括的処分を包含しているものである。
(三) 更に、原告らは、同年七月三日、東京地方裁判所に、右接見不許可処分の取消し等を求める訴え(本件の行ウ第七八号事件)を提起したが、原告対馬は、同年七月六日、右事件の打合せのため、名古屋拘置所を訪れて、面会申込票の用件欄に「訴訟打合わせ」と記載して、原告甲野との接見を申し入れたところ、保安課長及び同課長補佐から、前同様の誓約書の提出を求められ、これを拒否すると、被告拘置所長は、右保安課長らを通じて、原告対馬に対し、誓約書が提出されないことを理由に接見を不許可とする旨の処分をした(以下、この処分を「本件接見不許可処分(三)」といい、本件接見不許可処分(一)、同(二)及び同(三)の各処分を併せて「本件各接見不許可処分」という。)。
3 本件各接見不許可処分の違憲性・違法性
本件の各接見不許可処分は、次のとおり、違憲、違法なものである。
(一) 未決拘禁者に対する人権侵害(憲法一三条、監獄法四五条違反)
未決拘禁者は、拘禁中といえども、国民として憲法に規定する基本的人権を保障されているものというべきであり、未決拘禁者の一般人との接見が外部との交流、親交を深めるための重要な機会であることからして、右接見の権利は、幸福追求権を規定した憲法一三条より当然に導かれる権利である。
ところで、未決拘禁者に対する人権の制限は、未決拘禁者の拘禁目的である逃亡及び罪証隠滅の防止という目的を達成するために必要最小限のものに限って認められるものであり、また、その制限を行うには、それが拘禁制度の存在自体に内在する制限(居住移転の制限、職業選択の自由の制限など)に当たる場合を除いては、具体的な法律上の根拠が必要なものというべきである。しかし、監獄法及び同法施行規則には、未決拘禁者の外部との接見について、ジャーナリスト等の職業を有する者との接見に対して特別な制限を課したり、取材を目的とする場合について特別な制限を規定する条項は存在しない。
したがって、本件各接見不許可処分は、具体的な法律上の根拠もなく、合理的理由もないままに、未決拘禁者たる原告甲野の憲法一三条によって保障された幸福追求権を侵害する、監獄法四五条一項に違反した違憲・違法な処分である。
(二) 職業による差別(憲法一四条一項違反)
本件接見不許可処分(一)及び同(三)の各処分は、原告対馬の職業がたまたま雑誌編集者であるということを理由に、要求された文言のとおりに全文自筆で記載した誓約書を提出しない限り接見を拒否するというものであるから、明らかに、憲法一四条で保障された法の下の平等の原則に反する職業を理由とする差別的取扱いである。
(三) 取材の自由及び表現の自由の侵害(憲法二一条一項違反)
犯罪及び被告人に関する無責任かつ事実を歪曲誇張した憶測記事が氾濫している現状においては、未決拘禁者から直接取材し、その要求に応えて真実を報道することは、拘禁者の名誉及びプライバシーを守り、公正な犯罪報道を実現するための取材方法として、極めて重要な意義を持つものというべきである。ところが、本件接見不許可処分(二)は、原告対馬に対し原告甲野との取材目的での接見を許可しないというものであるから、憲法二一条の保障する原告対馬の取材の自由を侵害するものである。
また、在監者である原告甲野は、自分の主張を広く正確に伝えるには、ジャーナリストに面会して、そのメディアを通じて行う以外に方法がないから、在監者が取材報道を目的とするジャーナリストに面会することは、まさに原告甲野の表現の自由の具体的行使にほかならないものというべきところ、本件不許可処分(二)は、原告甲野のこのような権利をも侵害するものである。
右処分が、このように憲法二一条で保障された表現の自由を制約するという性質を有するものであることからすれば、右処分が適法なものとして許容されるためには、原告らの接見を許可することによって、他の利益に対する侵害が引き起こされる明らかに差し迫った危険が存在していることが必要なものというべきである。ところが、被告拘置所長は、報道関係者が取材目的で在監者と接見することを一律に認めないとする取扱いに基づいて、本件不許可処分(二)を行ったものであり、右のような利益侵害の蓋然性の有無を問うことなしに、原告らの表現の自由を制限したものである。したがって、右処分は、この点で、憲法二一条に違反する。
(四) 裁判を受ける権利の侵害(憲法三二条違反)
訴訟の打合わせは、訴訟の当事者が裁判を進行させていくうえで必要不可欠なものである。原告対馬は、前記昭和六二年七月六日の接見申込みに際して、面会目的を共同原告たる原告甲野との訴訟に関する打合わせであると具体的に説明したにもかかわらず、被告拘置所長は、右面会目的とは無関係な誓約書の提出を要求して、本件接見不許可処分(三)を行ったものである。したがって、右処分は、何ら合理的な理由がないのに、原告らの裁判を受ける権利を侵害するものであり、憲法三二条に違反する。
(五) 市民的及び政治的権利に関する国際規約(以下「人権規約」という。)一七条違反
人権規約一七条は「何人もその私生活、家族、住居若しくは通信に対して恣意的若しくは不法に干渉され又は名誉及び信用を不法に攻撃されない。」と定め、更に一九八八年一二月に国連総会で採択された「あらゆる形態の拘禁・受刑のための収容状態にある人を保護するための諸原則」(以下「被拘禁者保護原則」という。)の原則一九は、右人権規約一七条の解釈基準として、拘禁された者が外部社会とコミュニケートする機会、すなわち被拘禁者の面会権を制限するためには少なくとも法律の根拠が必要なものと定めている。
ところで、我が国においては、在監者とジャーナリストの面会を制限する法律上の根拠がないことが明らかであるから、在監者とジャーナリストとの面会を特別に制限することは、被拘禁者保護原則に違反することは明らかであり、ひいては人権規約一七条にも違反するものというべきである。
4 損害の発生
被告拘置所長のした本件各接見不許可処分により、原告対馬は、東京から名古屋拘置所まで出向いたにもかかわらず、前記のとおりの人権侵害を受けたうえ、原告甲野との接見の機会を奪われ、また、原告甲野は、当時、控訴審においても死刑判決を受けるという切迫した精神状況のなかで、数少ない接見の機会を奪われるという精神的苦痛を被り、また、原告らは、接見不許可処分(三)によって、本件行ウ第七八号事件の訴訟準備を著しく停滞させられた。
右の原告らが被った精神的苦痛に対する慰謝料の金額としては、本件接見不許可処分(一)及び同(二)について各五〇万円、同(三)について各二五万円が相当である。
5 よって、原告らは、被告拘置所長に対し、本件接見不許可処分(二)の取消しを求めるとともにに、被告国に対し、国家賠償法一条一項の規定に基づく損害賠償として、各七五万円及び内金五〇万円に対する行ウ第七八号事件の訴状送達の日の翌日である昭和六二年七月一五日から、内金二五万円に対するワ第一三〇九九号事件の訴状送達の日の翌日である同年一〇月一六日から、各支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を、それぞれ支払うことを求める。
二 被告らの本案前の主張
在監者との接見の許否は、具体的な日時を特定して行われる接見申出に対してなされるものであり、被告拘置所長が、昭和六二年六月一七日にした本件接見不許可処分(二)も、仮にこれが原告対馬に対する処分であるとしても、それは原告対馬による当該日時における接見用件を特定した接見申出に対してなされた個別的・具体的な不許可処分にとどまるものであり、将来にわたる包括的な不許可処分ではない。したがって、本件接見不許可処分(二)については、不許可の効力及びそれによる利益侵害状態は、当該日時の経過によって当然に消滅するものであり、事後においてまで存続するものではない。
また、原告甲野については、昭和六二年八月六日に死刑判決が確定し、同原告の地位が刑事被告人から死刑確定者に移行したことに伴い、その拘禁目的にも根本的な変化が生じている。すなわち、刑事被告人に対する拘禁が専らその逃亡及び罪証隠滅の防止を目的とするものであるのに対し、死刑確定者に対する拘禁は、専ら死刑判決の執行の確保を目的とするものであり、したがって、死刑確定者の場合は、刑事被告人の場合に比べると、一般社会との外部交通の面でも、より厳格な制限に服すべきものと解されるのである。そうすると、本件において、仮に原告甲野が刑事被告人であった当時になされた本件接見不許可処分(二)が判決によって取り消された場合であっても、現時点では、右取消判決の拘束力によって当然に原告対馬との接見が許可されることとなるものではなく、死刑確定者に対する拘禁の目的に照らした新たな許否の判断がなされるべきこととなる。しかも、死刑確定者に係る前記のようなより厳重な面会許否の基準からすれば、本件のような取材目的による面会は、特殊な事情がない限り、許可される余地はないものというべきである。
したがって、いずれにしても、右処分の取消しを求める原告らの訴えは、訴えの利益を欠く不適法なものであるから、却下されるべきである。
三 本案前の主張に対する原告らの反論
本件接見不許可処分(二)は、単に昭和六二年六月一七日という特定の日時における接見の申出に対する不許可処分であるにとどまらず、およそ取材目的の接見の申出であるならば、今後原告対馬と原告甲野との一切の接見を許可しないという将来にわたる包括的処分を包含し、現在もなおその効力が存続しているものであるから、原告らには、現在も右処分の取消しを求める法律上の利益がある。また、右処分が取り消されない限り、原告対馬に対しては、被告拘置所長の指示に従わなかったために接見を許されなかったという事実が残ることになり、右の事実は、将来原告対馬の行う原告甲野との接見の申出に対する被告拘置所長の許否の決定に、法令上当然に影響を与えるものであるから、原告対馬は、この点からしても、なお右接見不許可処分の取消しを求める法律上の利益を有している。
更に、死刑確定者についても、その拘置は、専ら刑の執行のための身柄の確保を目的とするものであり、それ以外の目的のもとに行われるものではないから、その外部交通に対する制限は、右の目的の範囲内で合理的と考えられる場合においてのみ許されるものというべきである。そうすると、外部交通の面で、死刑確定者の方が未決拘禁者の場合よりもより厳格な制限に服すべきであるとする被告らの主張は、根拠のないものというべきである。また、自ら原告対馬の接見を求めている原告甲野に右の接見を認めることが、原告甲野の死刑確定者としての前記のような拘禁目的に何ら反するものではないことも明らかである。
四 請求の原因に対する被告らの認否
1 請求の原因1の事実は認める。
2 同2(一)ないし(三)の事実は、本件各接見不許可処分が原告対馬に対する処分であること及び本件接見不許可処分(二)が今後一切の接見を許可しないという将来にわたる包括的処分を包含する処分であることは否認し、その余の事実は認める。在監者の接見に関して、監獄法四五条一項は「在監者ニ接見センコトヲ請ウ者アルトキニハ之ヲ許ス」と規定しているが、そもそも監獄法は、専ら在監者と監獄との間の法律関係を規制する法律であって、在監者以外の外部者たる一般人の権利あるいは法的地位を直接規定するものではないから、右の規定も、専ら在監者に対して、在監者との接見を申し出た者との接見を許可し、あるいはこれを許可しない処分を行うことができる旨を定めたものと解すべきである。したがって、本件各接見不許可処分も在監者である原告甲野に対してなされたものであり、外部者である原告対馬に対してなされたものではない。
3 同3及び4の主張は争う。
五 被告らの主張
1 原告対馬は、昭和六一年一一月一八日、著述業を営む荻野茂を伴って名古屋拘置所を訪れ、在監中のK(昭和五九年四月二六日に殺人等被告事件の被告人として同拘置所に入所し、一審で死刑判決を受け控訴中の者)と接見した。その際、原告対馬と荻野は、係官に対し、接見の目的は出版の打ち合わせにあり、接見の内容を記事にするつもりはないと申し述べ、更に面会内容を外部に発表したり口外したりしないことなどを誓約する内容の自筆による誓約書を提出し、以後、荻野は、五回にわたりKとの接見を行った。ところが、昭和六二年三月一日発売の「月刊創」四月号及び同月一二日発売の「週刊アサヒ芸能」三月一九日号の各誌上に、「獄中会見」、「会見印象記」などと題したうえ、拘置所で会ったKの印象(自己保存本能が人一倍強く、小心者で猜疑心が深く、物事の見方に主観性が強いなどのKの性格に関する印象や、はにかんだ笑顔を浮かべていても無表情な目などのKの表情についての印象等)を記述した記事が掲載された。したがって、原告対馬らは、右誓約に違背して、Kとの接見内容を公表したことが明らかとなった。
2 その後、原告対馬は、前記原告らの主張にあるとおり、昭和六二年五月二五日に原告甲野との接見を申し出たので、保安課長及び課長補佐が接見用件を確認し、その席で保安課長が同原告に対し、当日の面会内容を将来記事にしたり発表したりすることはないかと尋ねたところ、原告対馬は、「そんなことは申し上げるわけにはいかない。本日面会すればその事も頭の中に残っており、将来のことはわからない。わからないことを約束するのは信義則に反すると思います。」と答え、更に保安課長が面会内容を外部に発表したりすることはない旨の誓約書を書くよう促したところ、同原告は「そんなものを書かなければならないなんてどこにも根拠がないじゃないですか。」と述べて、誓約書の作成を拒否した。
そこで、被告拘置所長は、同原告の接見の目的が取材目的にあるものと判断し、また、同原告が以前に前記のような誓約違反の事実があった人物であったことから、原告甲野の人権及び名誉、心情の安定ひいては未決拘禁目的に対する悪影響のおそれ、他のマスコミ関係者や他の在監者との公平、刑事施設としての正常な管理に支障を来すおそれの有無などを総合勘案して、右接見の申出を不許可とすることとしたものである。
3 次に、原告対馬は、六月一七日、再び原告甲野との接見を申し出たが、その際、保安課接見係長が接見目的を確認したところ、同原告は「安否伺いではなく、甲野さんに取材するための面会です。」と答えた。そこで、被告拘置所長は、右1のときと同様の判断に立って、右接見の申出を不許可としたものである。
4 更に、原告対馬は、七月六日、名古屋拘置所において、面会申込票の用件欄に「訴訟打合せ」と記載のうえ、原告甲野との接見を申し出たので、保安課長が原告対馬に対し、「訴訟打合せのための面会申込みは了承したので、後に接見内容を一般に発表したり、記事にしないということを誓約していただけませんか。」と述べたところ、原告対馬は「誓約書を書く根拠はどこにもないはずですし、そのことも今度の訴訟の中身になっているので、書くわけにはいかない。」と述べて、誓約書の作成を拒否した。そこで、被告拘置所長は、本件接見が取材目的のものではないとの確たる心証が得られず、このような原告対馬の言動と従前の経緯に照らし、接見を許可した場合、その接見内容を公表されるおそれがあるものと認め、右1及び2のときと同様の判断に立って、右接見の申出を不許可としたものである。
5(一) 刑事施設においては、多数の被拘禁者を収容してこれを集団として管理するに当たり、その秩序を維持し、正常な状態を保持するよう配慮する必要がある。そのためには、未決拘禁者の場合であっても、被拘禁者の身体の自由を拘束するだけでなく、右の目的に照らして必要な限度において、被拘禁者のその他の自由に対しても合理的な制限を加えることが、やむを得ない措置として認められているものというべきである。
(二) これを在監者の接見の自由についていえば、監獄法四五条一項によれば、刑事施設の長は、在監者との接見を求める申出があった場合には、その専門的技術的知識と経験に基づく裁量により、当該刑事施設の人的、物的戒護能力、当該接見の目的、緊急性その他諸般の事情を考慮して接見を許可することが被拘禁者の拘禁目的を阻害し刑事施設の正常な管理に支障を来すおそれがあるか否かを判断し、その許否を決すべきこととされているものと解されるところである。
(三) ところが、本件のように、接見の相手方が取材目的を有する報道関係者である場合には、このような接見を認めることによって生ずる可能性のある危険、弊害として、証拠隠滅のおそれ、刑事施設の警備上公表されるべきでない内容が公表されるおそれ、施設内での処遇について虚偽の事実が公表されるおそれ、被拘禁者の名誉、プライバシーが侵害されるおそれ等、極めて広範なものが考えられる一方、ひとたびこのような危険を内包する報道が行われた場合には、その弊害を除去し現状に回復することはほとんど不可能となるのである。
(四) 被告拘置所長が原告対馬の申し出た原告甲野との接見についてした本件各接見不許可処分は、原告対馬の前記Kとの接見に関する過去の経緯や、各接見申出当日における原告対馬の言動からして、原告甲野の人権、名誉、心情の安定ひいては拘禁目的に対する悪影響のおそれ、他のマスコミ関係者や他の在監者との公平、刑事施設としての正常な管理に支障を来すおそれの有無などを総合勘案して、専門的、技術的知識と経験に基づく裁量によって判断した結果、右の各接見の申出を不許可としたものであるから、いずれも適法なものであることは明らかである。
(五) また、被勾留者にも原則として一般市民としての自由が保障されるべきことから、監獄法四五条は、被勾留者と外部者との接見は原則としてこれを許すものとし、例外的に、これを許すと支障を来す場合があることを考慮し、(1)逃亡又は罪証隠滅のおそれが生ずる場合にはこれを防止するため必要かつ合理的な範囲において右接見に制限を加えることができ、また、(2)これを許すと監獄内の規律又は秩序の維持上放置することのできない程度の障害が生ずる相当の蓋然性が認められる場合には、右の障害発生の防止のために必要な限度で右の接見に合理的な制限を加えることができるとしているにすぎないという見解に立った場合にも、本件の原告甲野については、第一審及び第二審において死刑判決を宣告されて上告中の被勾留者であることから、ささいな要因によりその心情が大きく揺れ動き、自殺ないし自傷行為に至り、あるいは施設職員に対して暴行に及ぶなどのおそれも相当程度の蓋然性をもって認められるところであり、本件の取材目的による原告対馬との接見の申出を許可すると、被告事件の内容、原告甲野の人物評、接見時の印象等が公表されることになり、これによって前記Kの場合と同様、在監者である原告甲野のプライバシー等が侵害され、同原告の心情の安定が阻害される結果、前記(2)のような障害を生ずる相当程度の蓋然性が認められたものというべきである。したがって、この点からしても、本件各接見不許可処分はいずれも適法なものと考えられる。
六 被告らの主張に対する原告らの認否及び反論
1 被告らの主張1の事実中、「週刊アサヒ芸能」誌上に「獄中会見記」と題した被告ら主張の記事が掲載されたことは認める。ただし、原告対馬は右記事の掲載には関与していない。また、「月刊創」誌上に「会見印象記」と題した被告ら主張の記事が掲載されたことは認めるが、この記事は、原告対馬が「月刊創」の編集者として、荻野茂が執筆した記事を掲載することを認めたものである。その余の事実は概ね認める。
2 同2から4までの各事実中、原告対馬が誓約違反を行った人物であることは否認し、被告拘置所長の判断の内容は知らない。その余の事実は認める。
3(一) 同5の主張は争う。監獄法四五条一項は、受刑者及び監置に処せられた者以外の者には、原則として接見を許し制限をしないとの趣旨の規定と解すべきであり、特に未決拘禁者については、逃亡又は罪証隠滅のおそれが生ずる場合や、刑事施設内の規律及び秩序の維持上放置できないような程度の障害が生ずる具体的危険が存在する場合に限って、接見を制限することができるに過ぎないものというべきである。
ところが、被告拘置所長は、報道関係者が取材目的で在監者と接見することを一律に認めないとの取扱いのもとに、本件各接見不許可処分を行ったものである。しかし、在監者の人権及び名誉、心情の安定に対する悪影響という点については、被告拘置所長の側で、在監者の接見申出人との接見を拒絶する自由を確保しておくことによって、十分にこれを避けることが可能であり、また在監者の人権、名誉が侵害された場合においては、事後的に裁判を通してその回復を図ることが可能であることは、一般人の場合と何ら変わるところがないのである。したがって、報道関係者が取材目的で在監者と接見することを一律に認めないとの扱いに基づいてなされた本件各接見不許可処分は、その裁量権を逸脱してなされたものであり、違法なものというべきである。
また、被告の主張する被収容者のプイバシー等の利益保護の必要という点も、前記のような基準からして、接見制限を正当化する根拠となり得るものではない。
(二) なお、被告らは、当初、本件不許可処分(一)及び同(三)の各処分が専ら原告対馬が報道関係者であることを理由としてなされたものであるとの原告らの主張を認め、右処分が報道関係者の取材目的による接見を一律に許さないとの方針に基づいてなされたものであると主張していた。ところが、その後、被告らは、右の主張を撤回し、報道関係者の取材目的による接見についても、これを一律に不許可とするものとして取り扱っているものではなく、接見の申出のあった時点で個別にその許否を判断しているものであり、本件各接見不許可処分も、そのような取扱いによって行われたものであると主張するに至った。
このような被告拘置所長の主張の変更は、自白の撤回に当たるというべきであるが、原告らは、右自白の撤回には異議がある。
七 自白の撤回の点に関する被告らの反論
被告らは、確かに、全国の刑事施設で報道関係者が取材目的で在監者と接見することを認めない扱いをしており、名古屋拘置所でも同様の取扱いをしてきたとの主張を行った。しかし、右の主張を行ったのと同一の準備書面において、被告らは、被告拘置所長のした本件接見不許可処分の理由を、その接見の目的の他、拘禁目的に対する悪影響のおそれ、他のマスコミ、他の在監者との公平、刑事施設としての正常な管理に支障を来すおそれの有無などを総合勘案して、専門的・技術的知識と経験に基づく裁量によって判断した結果、各接見の申出を不許可としたものであるとし、これらの各種要素を具体的に総合して個別に各接見の許否を判断している旨を明確に主張しているのである。したがって、この点について、被告の主張には、何らの変更もないものというべきである。
第三 証拠<省略>
理由
一原告両名の地位及び本件各接見不許可処分の存在について
原告甲野が名古屋拘置所に刑事被告人として在監していた者であり、同対馬が雑誌の編集者であるところ、原告対馬からの同甲野との接見の申出に対して、原告らが主張するような経緯で、被告拘置所長が本件各接見不許可処分を行ったことについては、当事者間に争いがない。
二被告拘置所長のした本件接見不許可処分(二)の取消しを求める訴えの適否について
監獄法四五条一項は、在監者に接見することを請う者があるときにこれを許可するものと定めており、この規定を受けて、監獄法施行規則一二〇条以下に、接見の時間、度数、手続き、場所、立会等に関する定めが置かれている。その定めによれば、在監者の接見については、接見することを請う者の氏名、住所、職業等を明らかにした申出に基づいて、しかも原則として三〇分以内の時間に限って、その許可が行われることとなっている。
これらの規定からすれば、現行法上、在監者に対する接見の許可、不許可は、被告らの主張するとおり、接見することを請う者からの期日及び日時を特定した申出に対してその都度行われるものであり、したがって、その効果も、その申出に係る期日及び日時が経過することによって、当然に消滅するものと考えられる。すなわち、特定の期日における接見の申出が不許可とされた場合には、その期日が経過した後においてその不許可処分を取り消してみても、それによって、右接見の申出人について新たに同種の接見を許可された状態が作出されるといった類の法的効果が生ずるものではないというべきである。
そうすると、本件接見不許可処分(二)は、前記のとおり昭和六二年六月一七日の原告対馬からの接見の申出について行われたものであるから、右六月一七日を経過した現時点においては、これを取り消してみても、これによって原告らについて何らかの法的な利益が回復されるということの考えられない状態に立ち至っているものといわなければならない。
これに対し、原告らは、本件接見不許可処分(二)の場合は、およそ取材目的の接見申込みであれば今後原告対馬と同甲野との接見を一切許可しないとの将来にわたる包括的な処分が内包されているものであるから、このような将来にわたる接見の不許可という効果を解除するために、現在においてもなおその取消しを求める利益が存続しているものであると主張する。しかし、右不許可処分の理由が仮に原告らの主張するようなものであったとしても、行政事件訴訟法三三条一項が、処分を取り消す判決の拘束力の及ぶ範囲を「その事件」に限っていることからすれば、右不許可処分を取り消す判決は、その期日における接見の申出に対する被告拘置所長の応答を拘束するという法的効果を有するに止まり、将来の他の期日における同種の接見の申出に対する被告拘置所長の応答までをも拘束する効力を有するものと解されないことは、前記のような接見に対する許可等の仕組みからして明らかなものといわなければならない。したがって、原告らの右主張は採用できないものというべきである。
更に、原告らは、本件不許可処分(二)が取り消されない限り、原告対馬に対して右のような不許可処分がなされたとの事実が、将来の同原告からの接見の申出に対する被告拘置所長の許否の決定に法令上当然に影響を与えることとなると主張する。しかし、前記のような関係法令の規定の内容からして、本件不許可処分(二)について右の原告らの主張するような法令上の影響の存在を肯定すべき根拠は見当たらないから、原告らの右の主張も採用できない。
結局、原告らの被告拘置所長のした本件不許可処分(二)の取消しを求める訴えは、すでにこの点で、訴えの利益を欠く不適法な訴えとして、却下を免れないこととなる。
三被告国に対する国家賠償請求の訴えの当否について
1 本件各接見不許可処分の理由について
原告らは、被告拘置所長は、本件各接見不許可処分を、専ら原告対馬が報道関係者であることを理由に、報道関係者の取材目的による在監者との接見を一律に許さないとの方針に基づいてしたものであり、この事実については、当初被告らもこれを認める陳述をしていたから、すでに自白が成立していると主張する。
確かに、被告らの昭和六二年一〇月二七日付けの準備書面には、全国の刑事施設では報道関係者が取材目的で在監者と接見することを認めない取扱いをしており、名古屋拘置所でも、報道関係者の接見が取材目的のものであると判断された場合には接見を拒否するなど、同様の取扱いをしてきたとする記載があり、同日の口頭弁論期日においてその記載内容が陳述されている。しかしながら、被告らは、右の準備書面において、同時に、被告拘置所長が本件各接見不許可処分を行った理由を、原告対馬の申し出た同甲野との接見が取材目的のものであることを踏まえて、原告甲野の人権・名誉、心情の安定ひいては未決拘禁目的に対する悪影響のおそれ、他のマスコミ関係者や他の在監者との公平、刑事施設としての正常な管理に支障を来すおそれの有無等を総合勘案して、当該接見の申出を不許可としたものであると述べており、その準備書面の記載を全体として見ると、これによって、被告らが、原告らの主張するように、本件接見不許可処分の理由が専ら報道関係者の取材目的による在監者との接見を一律に許さないとする点にあることを認めたものとまですることはできないものというべきである。
そうすると、本件接見不許可処分が報道関係者の取材目的による在監者との接見を一律に許さないとの理由でなされたとの原告らの主張事実について自白が成立しているものとはいえず、この点に関する原告らの主張は採用できないから、本件国家賠償請求の当否については、本件各接見不許可処分の当否を被告らの主張する各種の事情に照らして判断すべきこととなる。
2 本件各接見不許可処分の経緯とその根拠について
(一) 証人小川常雄及び同山口静夫の各証言、原告両名の各本人尋問の結果並びに該当箇所に掲げた各書証によれば、本件各接見不許可処分に至る経緯は、次のようなものであったことが認められる。
(1) 原告対馬は、月刊誌「創」の編集、発行等を行っている有限会社創出版の取締役であり、昭和五三年ころから、右月刊誌「創」の誌上に何度か冤罪事件や死刑事件に関する記事を企画、掲載し、自ら同誌の編集者として、そのような記事の企画のための取材等をも行っていた。
その過程で、同原告は、昭和六一年五月ころ、当時一審で死刑判決の言渡しを受けて名古屋拘置所に在監中であったKなる人物と接触を持つようになり、有限会社創出版で右Kの手記を出版することとなったことから、数回にわたって名古屋拘置所に赴き、右Kとの面会を行っていた。
(2) 昭和六一年一一月一八日、原告対馬は、フリーライターの荻野茂を伴って名古屋拘置所を訪れ、両名で右Kとの接見を申し出て(<書証番号略>)、同拘置所側からの求めに応じて、当該面会が右Kの安否確認を目的とするものであって取材目的のものではなく面会内容を外部に発表等することをしない旨の自筆の誓約書(<書証番号略>)を提出した上で、被告拘置所長の許可を得て右Kと面会し、更にその後荻野は名古屋に滞在し、何日間か続けてKとの面会を行った。
ところが、その後、週刊誌「アサヒ芸能」の昭和六二年三月一九日号誌上に、右荻野の筆になるKとの獄中会見の模様を記載した記事が掲載され(<書証番号略>)、また、月刊誌「創」の同年四月号にも、右荻野の筆になる「連続殺人犯K会見印象記」と題する記事が掲載されるに至った(<書証番号略>)。この各記事は、「なぜ、女性の下腹部にススキをさしたか」との扇情的な見出しを付し、Kの執筆した手記に対する「見栄を取りつくろうあさましい男の姿だけが手記にはある。軽薄な男だと思った。」といった右荻野の感想を折り込みながら、獄中でのKとの間でのその犯行の状況等に関する会見の内容を報じ(<書証番号略>)、また、獄中で会見したKについて、「自己保存本能が人一倍に強く、小心者で猜疑心が深く、物事の見方に主観性が強い」等のその性格に関する印象や、「はにかんだ笑顔を浮かべていても無表情な目」などのその表情についての印象等を報じたもの(<書証番号略>)であり、いずれも、右Kという人物に対する消極的あるいは否定的な評価を述べる部分が含まれているようなものであった。そのため、右記事を読んだKから原告対馬に対して、面会内容が記事として掲載されたことに対する不満を訴えるかにとれるような内容の手紙が発信されたりしたこともあった(<書証番号略>)。
(3) 原告甲野は、身代金拐取、殺人等の罪で起訴され、昭和五六年三月一三日に刑事被告人として名古屋拘置所に入所し、同五七年三月二三日に一審の名古屋地方裁判所で死刑の判決を受け、その後、同六二年七月九日に最高裁判所で上告棄却の判決を受けて、右死刑判決が確定した者である(この事実については、当事者間に争いがない。)。
原告対馬は、前記のようにKと面会するために名古屋拘置所を訪れているうちに、原告甲野も同拘置所に在監中であることを知るようになり、昭和六二年三月ころから、差入れや文通を通じて同原告との接触を持つようになり、同原告からも原告対馬に対して面会を希望する内容の手紙が寄せられるようになっていた(<書証番号略>)。
(4) その後、前記の請求の原因に記載のとおり、原告対馬は、昭和六二年五月二五日、同年六月一七日及び同年七月六日の三回にわたって名古屋拘置所を訪れ、「安否確認」(第一回目)、「取材」(第二回目)あるいは「訴訟打合せ」(第三回目)を理由に原告甲野との接見の申出をしたところ、前記のとおりの経緯で、結果としてはその申出をいずれも不許可とされ、被告拘置所長から本件各接見不許可処分を受けることとなった(この事実については、当事者間に争いがない。)。
名古屋拘置所側で右の三回にわたる原告対馬からの接見の申出をいずれも結果として不許可とする事態となったのは、次のような理由によるものであった。
すなわち、原告対馬は、前記のとおり、つい最近にKとの接見に関して拘置所側に提出した誓約書による誓約内容に違反すると見られる行為を行ったことのある人物であった。そこで、当時の被告拘置所長においては、右原告対馬を無条件で原告甲野と接見させた場合には、その接見内容が場合によっては再び右Kの場合と同様の興味本位とも見られるような記事となって公表され、在監中の原告甲野の名誉やプライバシー等の利益が侵害されるおそれがあるものと判断し、そのような事態を防止する目的で、原告対馬に対して、当該面会が取材目的のものではなく面会内容を一切公表しない旨の誓約書を提出するよう求めるに至った(第一回目及び第三回目)。しかし、原告対馬の方では、右拘置所側の求めを拒否し(第一回目及び第三回目)、あるいは積極的に取材をその目的に掲げて接見を申し出た(第二回目)ため、被告拘置所長は結局これらの接見の申出をいずれも不許可としたものである。
3 本件各接見不許可処分の適否と国家賠償法上の「過失」の有無について
(一) 本件各接見不許可処分の適否等の判断基準
原告らの被告国に対す本件損害賠償の請求が、被告拘置所長のした本件各接見不許可処分が違法であるとして、国家賠償法一条一項に基づき、被告国に対して損害賠償を求めるものであることは、前記のとおりである。
そうすると、原告らのこのような請求との関係で被告拘置所長のした各接見不許可処分の適否及び右処分を行うに当たっての被告拘置所長の過失の有無を判断するに際しては、本件各接見不許可処分が客観的に未決拘禁者の接見に関する法規の定めに反する違法なものであるか否かという観点に加えて、更に、未決拘禁者の接見に関する事務を担当する監獄の長としての被告拘置所長に通常要求される職務上の法的義務の内容に照らして、被告拘置所長が本件各接見不許可処分を行うについてその職務上の義務に違背するとみられる点があったか否かという観点に立って、その過失の有無が判断されるべきことはいうまでもないところである。しかも、一般に、公務員がその職務の執行として行う一定の措置について、それが適法なものとされるべきか違法なものとされるべきかにつき対立した複数の見解が考えられ、そのいずれの考え方についても相当の根拠が認められるため、その措置に関する公務を処理する公務員に通常要求される職務上の注意義務を尽くしてもなおそのうちいずれの見解をもって正当なものとすべきかについて一義的な解答が得られないとみられるような場合には、当該公務員がそのうちの一つの見解を正当としてその見解に基づいて職務を執行したときには、後に他の見解に基づきその職務の執行が客観的にみれば違法なものと判断されたからといって、直ちに当該公務員に国家賠償法一条一項にいう過失があったものとすることはできないものと考えられる。
そこで、右のような考え方を前提として、以下、本件各接見不許可処分の適否等を検討することとする。
(二) 本件各接見不許可処分を違法とする考え方
(1) 原告らは、前記のとおり、本件各接見不許可処分が憲法一三条、一四条一項、二一条一項、三二条、人権規約一七条の規定等に違反する違法なものであると主張する。
右の主張のうち、憲法一三条及び監獄法四五条の規定を根拠に、未決拘禁者の接見の自由に対する制限が具体的な法律上の根拠がある場合に限って許されるものであるとする点については、在監者に接見することを請う者があるときにこれを許可するものと定めている監獄法四五条一項の規定も、接見の申出があった場合には必ずこれを許可するという趣旨を定めたものではなく、一定の事由が認められる場合には、その申出を不許可とすることも許されるとする趣旨の規定と解すべきことは、その規定の文言等からして明らかなものというべきであるから、この点に関する主張は失当なものといわなければならない。
また、本件各接見不許可処分(一)及び(三)が、原告対馬の職業がたまたま雑誌編集者であることを理由に、接見内容を公表しない旨の誓約書を提出しない限り在監者である原告甲野との接見を拒否するというものであり、職業による差別的取扱いを禁じた憲法一四条一項の規定に違反するものであるとする点については、右の各処分が、専ら原告対馬の職業が雑誌編集者であることのみを理由としてされたものではなく、同原告の過去における他の在監者との接見の内容の公表に関する事件の経緯やその接見申出当日の言動等を考慮したうえでの個別的な判断に基づいて行われたものと考えられることは、前記のとおりである。
更に、本件接見不許可処分(二)が憲法二一条の保障する原告対馬の取材の自由を制限するものであり、同時に原告甲野のメディアを通じて表現の自由を行使する権利を侵害するものであるとする点については、確かに、報道関係者の報道のための取材の自由もまた憲法二一条の趣旨に照らして十分に尊重されるべきものであるし、個々の国民が取材報道を目的とするメディアと接触をもつ自由というものについても、それが憲法二一条の規定によって権利として保障されているものとまではいえないにしても相応の配慮が払われて然るべきものと解されるところではある。しかし、右のような取材の自由等も、何らの制約をも受けないというものではなく、とくに本件の場合のような、本来一般人が自由に立ち入ることを許されていない施設である拘置所に在監中の未決拘禁者に報道関係者が直接面会して取材を行う自由や右未決拘禁者が報道関係者と直接面会して接触を持つ自由といったものまでが、憲法二一条の趣旨に照らして保障されているものとすることは困難なものといわなければならない。
更にまた、訴訟の打合せを目的とする原告対馬の同甲野との接見の申出を不許可とした本件不許可処分(三)が裁判を受ける権利を保障した憲法三二条の規定に違反するものであるとする点についても、民事訴訟の共同原告が刑事事件の被告人として監獄に拘禁されている場合に、その共同原告と直接面会して打合せを行った上でその訴訟の準備を行うといった権利までが、憲法三二条の規定によって保障されているものとすることは困難なものというべきである。
なお、原告らは、在監者とジャーナリストとの面会を制限することが人権規約一七条に違反するとも主張するが、人権規約一七条は、人格権の一つとしての市民の私生活の自由、すなわちプライバシーの権利又は自由並びに市民の名誉及び信用の保護について定めたものであり、原告らの主張する在監者の面会権といったものまでを保障しているものと解することは困難である。また、原告らの援用する被拘禁者保護原則も、被拘禁者等の人権保護に関する宣言という性質を有するに過ぎないものであり、これが法規としての拘束力を持った条約等に当たるものでないことは明らかである。したがって、この点に関する原告らの主張も失当なものといわざるを得ない。
(2)しかしながら、未決勾留は、刑事訴訟法の規定に基づき、逃亡又は罪証隠滅の防止を目的として、被告人等の居住を監獄内に限定する措置であるから、右の勾留により拘禁された者は、逃亡又は罪証隠滅の防止という未決勾留の目的のために必要かつ合理的な範囲において身体の自由及びそれ以外の行動の自由に制限を受け、また、監獄内の規律及び秩序の維持上放置することのできない程度の障害が生ずる相当の蓋然性が認められる場合に右の障害発生の防止に必要な限度で身体の自由及びそれ以外の行為の自由に合理的制限を受けることを免れないが、他方、当該拘禁関係に伴う制約の範囲外においては、原則として、一般市民としての自由を保障されているものと解されるところである。
本件で問題となる未決拘禁者の外部の者との接見については、刑事訴訟法八〇条が、勾留されている被告人は弁護人等同法三九条一項に規定する者以外の者と法令の範囲内で接見することができるとし、監獄法四五条が、被勾留者の接見につき許可制度を採用することを明らかにしたうえ、広く被勾留者との接見を許すこととしている。すなわち、右監獄法の規定は、被勾留者と外部の者との接見は原則としてこれを許すものとし、例外的に、これを許すと支障を来す場合があることを考慮して、逃亡又は罪証隠滅のおそれが生ずる場合にはこれを防止するために必要かつ合理的な範囲において右の接見に制限を加えることができ、また、これを許すと監獄内の規律又は秩序の維持上放置することのできない程度の障害が生ずる相当の蓋然性が認められる場合には、右の障害発生の防止のために必要な限度で右の接見に合理的な制限を加えることができるとしているに過ぎないと解されるのである。
このように、未決拘禁者の外部の者との接見については、監獄法の規定が被勾留者と外部の者との接見は原則としてこれを許すものとし、例外的に逃亡又は罪証隠滅のおそれが生ずる場合あるいは監獄内の規律又は秩序の維持上の障害が認められる場合にそのような事態を防止するのに必要な限度で制限を加えることができるとしているに過ぎないとする原則を厳格に適用すべきものとすると、本件各接見不許可処分の客観的な適法性については疑問の余地があり、これを違法なものとする考え方も成り立ち得るところと考えらる。というのは、前記認定のような本件各接見不許可処分の経緯とその根拠からすれば、被告拘置所長が原告対馬と原告甲野との本件各接見を不許可とした理由は、専ら在監者である原告甲野の名誉、プライバシー等の利益を保護するということにあり、右の接見を許可した場合に、監獄内の規律又は秩序の維持上の障害等が認められるということにあるものではなかったと考えられるからである。(被告らは、原告対馬と原告甲野との接見を許可した場合に、原告甲野のプライバシーが侵害され、その結果として監獄内の規律又は秩序の維持上放置することのできない程度の障害が生ずる相当の蓋然性があったと主張するが、本件において提出された各証拠によっても、右のような蓋然性があったものとまで認めることはできない。)
(三) 本件各接見不許可処分を適法とする考え方
(1) しかしながら、一般論として、被拘禁者を強制的に外部から隔離して収容する施設である監獄においては、その収容中の被拘禁者の利益が外部の者からも違法又は不当に侵害されることのないようにするための配慮が行われることが望ましいことはいうまでもないところであり、このことは、被勾留者と外部の者との接見を許可する場合についても、同様に妥当するものと考えられる。したがって、被勾留者と外部の者との接見を許可した場合に、接見の相手方によりその接見の機会を利用して被勾留者の利益を違法又は不当に侵害するような行為が行われることが具体的に危惧されるときには、監獄の長において、そのような事態の発生を防止するため、接見の相手方に対して接見を行うに際し一定の事項を遵守するよう求め、これを右接見許可の条件とする等の措置を取ることも、それが必要かつ合理的と認められる範囲内の措置にとどまっている限りは禁じられるものでないとする考え方にも、それなりに合理的な根拠があるものと考えられる。というのは、そもそも前記のとおり未決勾留中の在監者の外部者との接見について一定の合理的な事由が存在する場合でなければその制限が許されないこととなるのは、主として在監者の側における自由の保障という観点からであり、在監者と接見しようとする者の権利、利益の保護ということがその主要な理由となるものでないことは、前記の説示からして明らかなものというべきである。そうすると、右の被勾留者と外部者との接見を許可する場合に、その接見の方法等について右外部者の側で遵守すべき条件等を付したとしても、接見自体は許可すべきものとされており、しかも右の条件等が合理的なものである限りは、実質的にみて右の在監者の側における自由の保障という要請は充たされているものと考えられるからである。もっとも、この場合に右外部者の側で右の条件等を遵守することを拒否したときには、結果としては接見不許可という処分がなされることがあり得ることとなるが、このことによって前記のような考え方の当否が左右されることとなるものではないことはいうまでもないところである。また、監獄の長による右のような配慮が、当該被勾留者のみならず他の在監者全体の利益をも一般的に擁護するという観点からなされるものであることからすると、このことは、その接見が被勾留者本人の希望や了解のもとで行われる場合においても、同様に妥当するものと考えられる。しかも、右の点に関する判断については、施設内の実情に通暁し、直接その衡に当たる監獄の長による個々の場合の具体的状況のもとにおける裁量的判断に待つべき点が少なくないから、右の被拘禁者の利益が違法又は不当に侵害されることとなるおそれがある等とした監獄の長の認定に合理的な根拠があり、その防止のために取られた具体的な措置の内容等に関する判断に相応の合理性が認められる限り、監獄の長のした右のような措置は適法として是認されるべきものと解されるところである。
(2) 右のような考え方を前提として、本件各接見不許可がなされるに至った経緯をみると、前記認定のような事実関係からして、本件にあっては、原告対馬からの本件各接見の申出に応じて無条件で同原告を原告甲野と接見させた場合には、前記のKとの接見の場合と同様に、その接見の内容が再び記事として公表され、これによって原告甲野の名誉、プライバシー等の利益が違法又は不当に侵害されることが危惧されるような状況が現に存在していたとする被告拘置所長の認定とその判断には、十分合理的な根拠があったものと考えられるところである。そして、そのような事態を防止し、原告甲野の利益を保護するという観点から、原告対馬に対して、原告甲野との接見自体は許可すべきものとしつつも、誓約書を提出することによって面会内容を公表しないことを誓約することを接見許可の条件として原告対馬に求めることとした被告拘置所長の判断にも、相応の合理性があったものと考えることができる。そうすると、原告対馬が右のような被告拘置所長の求めに応じず(本件接見不許可処分(一)及び(三)の場合)あるいはこれに応じないことが明らかであったため右のような求めをするまでもなく(本件不許可処分(二)の場合)、結果としては本件各接見不許可処分が行われることになったにしても、この間の被告拘置所長の措置を違法と評価することはできないとの考え方も、十分に成り立ち得るものというべきことになる。
(四) 本件における被告拘置所長の過失の有無
以上のところからすると、被告拘置所長のした本件接見不許可処分については、これを適法なものとする考え方も十分に成り立ち得るところと考えられ、仮に客観的にみてこれが前記のような監獄法の規定の趣旨に反する違法なものであるとされる場合であっても、本件で被告拘置所長が右のような措置を取ったことに、監獄の長としての被告拘置所長に通常要求される職務上の法的義務の内容に照らしてその職務上の義務に違背するところがあったとまですることは困難なものといわなければならない。
4 結語
結局、被告拘置所長が本件各接見を許可しなかったことについて国家賠償法一条一項にいう「過失」があったということはできないこととなるから、原告らの被告国に対する国家賠償請求の訴えは、失当な訴えとして棄却を免れないこととなる。
(裁判長裁判官涌井紀夫 裁判官小池裕 裁判官近田正晴)