東京地方裁判所 昭和62年(ワ)973号 判決 1991年11月25日
原告 甲野太郎
右訴訟代理人弁護士 齋藤鳩彦
被告 亡乙山春夫承継人 乙山春子
<ほか八名>
右九名訴訟代理人弁護士 吉永順作
主文
原告の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一請求
被告らは原告に対し、各自金八九三八万五八七四円及びうち金二六六〇万六五〇〇円に対する昭和五九年八月一日以降、うち金五九三二万六〇四三円に対する昭和六〇年六月二一日以降、うち金三四五万三三三一円に対する昭和六二年一月二七日以降各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 当事者
原告は、昭和三二年三月東京工業大学工学部を卒業後、同年四月一日訴外甲谷セメント株式会社(以下、「訴外会社」又は単に「会社」という。)に入社し、以後セメント製造五工場(乙谷工場、丙谷工場、丁谷工場、戊谷工場、甲沢工場)、本社生産部、乙沢支店、本社中央研究所兼機械事業部等で勤務したが、昭和五九年七月三一日付けで訴外会社を解雇された。
右解雇当時、承継前の被告亡乙山春夫は訴外会社の代表取締役会長、被告丙川は代表取締役社長、同丁原は常務取締役(中央研究所担当)、同戊田は常務取締役(人事担当)であった。また、被告甲田は、昭和四七年訴外会社本社生産部長、被告乙田は昭和五一年同人事部長(常務取締役)、被告丙田は、昭和四七年同生産部開発課特許係長、昭和五〇年同部開発課長代理、昭和五四年同部開発課長の職に就いていた者である(以下、当時の職名により、「甲田生産部長」などと呼ぶ場合がある)。
2 排煙脱硫装置の発明
(一) 原告は、かねて個人的動機から排煙脱硫装置に関心をもち、独自に研究を進めた結果、昭和四六年一二月頃には、水平位回転円筒による排煙脱硫法及びその実施としての数種の装置の発明考案を完成させるに至った(以下「本件発明」という)。
(二) 本件発明は、訴外会社の事業範囲内になく、また、原告の職務は本件発明と無関係であったから、職務発明に当たらないものである。
すなわち、訴外会社はセメントの製造販売を業務とする会社であり、昭和四六年当時、セメント専業五工場と新製品兼業五工場を有していたが、セメント製造過程においては亜硫酸ガスの排出が極めて少なく、訴外会社のセメント専業工場だけでなく兼業工場においても亜硫酸ガスの排出がないため、公害対策は専ら「ばいじん」「粉じん」対策に限られていたのであって、訴外会社には排煙脱硫装置を設置・運転する必要性もその見込みもなく、また、同装置を商品として発明、開発・製造、販売する計画又は構想も全然なかった。
また、原告は、訴外会社に入社後、セメント製造設備の運転・管理及び各工場の生産計画の調整、更にセメントの品質管理、コンクリートの諸試験及び生コンクリート工場の技術指導等に従事していた者であり、発明・開発業務を担当したことはないし、原告の工場における職務上の地位の性格は運転技術者及び試験技術者であって、機械装置の設計製作は原告の職務に属していなかった。
3 被告らの不法行為
しかるに、被告らは、以下に述べるとおり、昭和四七年から昭和五九年まで一二年間にわたり、互いに意を通じ、原告に対する雇用契約上の優越的地位を利用して、原告の本件発明についての特許等を受ける権利を侵害し、人事上不当な差別的取扱いをした上、不当にも原告を解雇するに至った。
(一) 昭和四七年九月から昭和四八年まで
(1) 原告は、特許出願手続に十分通じていなかったので、昭和四七年七月二七日、本件発明の一つである「ガス吸収方法」の特許出願をしたい旨生産部長であった被告甲田、同部開発課特許係長であった被告丙田らに申し出た。これに対し、右被告らは、同年九月二〇日、会社の業務範囲内の発明につき届出義務を定めた従業員発明考案取扱規程第三条による生産部長への届出を要求した。そこで、原告が右発明の届出をすると、会社は原告に対して必要書類として譲渡証書を求めたので、原告としては職務発明であることの正式判定があればそのとき用いられるのだろうと考えてこれを交付したところ、会社は何の説明もせず、同年一一月九日、弁理士奥山恵吉を代理人として右発明につき会社を特許出願人とする特許出願をさせ、原告の出願権を侵害した。
(2) 昭和四七年一一月一四日、甲田生産部長が、原告に対し、右特許出願をした旨通知をし、右通知に不審を抱いた原告が、同月二一日、丙田特許係長に対し、電話で「職務発明でないのじゃないか。」と問いただしたところ、同係長は「職務発明である。」と決め付け、その数日後、丁田松夫開発課長代理も、原告に対し同様に「職務発明であるから会社によこせ。」と強要する電話をした。次いで、甲田生産部長と共謀した甲原竹夫工場長も、更にその数日後同工場長室において、乙原梅夫総務課長及び丙原一郎労務課長同席のもとに、理由を言わずに「職務発明である。家族のこともあるのだから、特許を受ける権利を会社に譲渡しろ。」と述べて、譲渡しなければ職務規律違反になる旨をほのめかすことにより、原告に圧力をかけ、脅迫した。
(3) 甲田生産部長は、原告が甲原工場長の話では納得しないと知るや、昭和四七年一二月一一日、原告を直接本社生産部に呼び付け、原告に対し、開口一番「お前、こんなこと言っていいのか。お前の将来はないぞ。」と一喝し、あからさまに不利益処遇を告げて脅迫し、以後同月一四日まで、戊原開発課長、丁田同課長代理、丙田特許係長らをして、執拗かつ強引に原告の発明考案を会社名で出願することを強要させた。更に甲田生産部長は、原告が法令、定款、諸規程に則る説明を求め続けたのに業を煮やし、「丁田、丙田らはお前を即刻くびにしろと言っている。」と解雇のおそれをもって脅迫し、「当面出願人名義は原告にしておくが、職務発明でない場合でも会社に通常実施権を認める旨の念書だけは書け。」と要求し、右の脅迫によって畏怖させられた原告をして、同月一四日付で、本件発明中の排煙脱硫装置等四件の発明考案について通常実施権を認める念書を書かせた。
(4) 右の経過を後た後、昭和四八年に入って、原告が本件発明中の排煙脱硫装置等九つの発明考案の出願を済ませると、甲田生産部長は、同年五月から六月にかけて、甲川二郎生産部次長、丁田開発課長代理、丙田特許係長らとともに、原告に対し、これら出願中の特許及び実用新案登録を受ける権利(以下「特許等の権利」という。)全部について、「とにかく譲渡しろ。こんなことで良いのか。」「甲谷セメントには職務発明以外にないのだ。」などと威圧して会社への権利譲渡を強要した。
(5) 昭和四八年六月八日、甲沢工場に出張してきた甲田生産部長は、原告を工場長室に呼び付け、乙川三郎甲沢工場長と共謀のうえ、会社への右権利譲渡を引き続き強要した。原告は、法に基づく処理をお願いしつつ、やむなく、問題の発明考案が職務発明でないことが確認された場合には丙沢工場における排煙脱硫装置に限定して通常実施権を認める余地があるとの態度を示した。
(6) 昭和四八年六月二五日、原告が会議のため本社に出張した際、甲田生産部長は、前記一二月一四日付け念書の書き直しを命令し、原告が印鑑を持参していないと言って抵抗すると、「わざと印鑑を持ってきていないのだろう。拇印を押せ。」と迫り、帰任後新しい念書を書くことを原告に約束させたうえ、同月二五日付けの丁川社長宛念書を作成、送付させた。
(7) 昭和四八年七月、甲田生産部長と意を通じた乙川工場長は、会社幹部・職制による理不尽な権利譲渡強要に加功して、原告に対し、「技術なんて陳腐化するし、こんなものやらなくても会社にとって機会損失に過ぎない。会社に渡せ。」などと告げ、原告を威圧した。
(二) 昭和五〇年から乙沢支店への異動まで
(1) 昭和五〇年六月二六日、戊川四郎取締役生産部長は、遅くとも前任者であって常務取締役に昇進した被告甲田からの事務引継ぎの際に特許等の権利の侵害につき共謀を遂げたうえ、丙田開発課長代理とともに、会議のため本社に出張した原告に対し、右権利の会社への譲渡を求め、「言うことを聞かなければ、お前の仕事(甲沢工場検査室長代理)を取り上げるぞ。」と脅迫して権利の譲渡を強要した。
(2) 戊原開発課長は、同年七月七日、「ロータリースクラバーに関する発明考案の件」と題する書面で、「貴殿の職務内容及び地位・経歴からみて明らかに職務発明である。」と決め付けた。これは、原告の再三再四にわたる特許法の順法要請を無視してした、上司の地位利用による無法な威圧的態度表明であった。
(3) これに対し、原告は同月一五日不同意を表明したが、戊原課長は、同月二九日付け文書をもって、前記九件のほか、特願昭四八―七二八二七、同七八二八一各排ガス処理装置、同一〇四九七一気液接触用充填物(いずれも原告、原告の父、原告の妻の父三名の共同発明・出願)についても、譲渡証を同年八月一〇日本社必着にて送付するよう指示した。
(4) 乙田常務取締役は、昭和五一年四月一五日、原告を本社に出張させて、戊田人事部長及び甲山人事課長同席のもと、特許等の権利の譲渡を要求し、原告が職務発明であることの説明を求めると、「生産部長の指示に従え。従わなければ管理職不適格だから会社をやめろ。」と、露骨に職がかかっているとの害悪を告知して権利譲渡を強要した。
(5) 丙山五郎甲沢工場長は、同年六月、原告に乙沢支店への転勤を内示し、「乙沢支店では一応セメント二次製品の開発という名目になっているが、実質的には仕事はない。それでも行くのか。」と、特許等の権利譲渡に応じなければ会社八分の人事措置で干しあげる旨害悪を告知して不法に強要した。
(三) 乙沢支店への異動から昭和五四年まで
(1) 訴外会社は、昭和五一年六月二一日、原告に対する権利譲渡の不法強要及び報復加害の手段として、原告を乙沢支店技術科に転勤させ、差別的取扱いによって徹底的に干し上げ、締め上げる違法人事の執行に着手した。
(2) 甲沢工場当時から原告に対する権利譲渡の不法強要の事情を熟知していた乙川乙沢支店長は、昭和五二年二月、前年六月以来原告が技術科の一角に机だけ与えられ、仕事も全く無いまま放置されたことの効果を計り、かつ強めるために、原告を支店長室に呼び出し、「例の件があって誰もお前を使ってやろうというのがないので、しようがなしに引き取ってやったんだ。俺に任せて権利をよこさないか。」と迫った。
(3) 丁山乙沢支店次長は、同年四月、乙川支店長と共謀のうえ、原告に対し権利譲渡を要求した後、「会社としてはもっとひどいところへ飛ばすことだってできるんだ。」とすごんだ。
(4) 乙川支店長は、同年七月、常務取締役に昇格して乙沢支店を離れるに際し、「どうだ、よこさないか。」と暗によこさないかぎり会社八分を続けることをほのめかして、権利譲渡を強要した。
(5) 乙沢支店は、同年九月頃から翌年二月まで約五か月間原告を新製品クリーンセットの販売にただ一人従事させた後、再び、会社八分を強化するため、一人だけ机を隔離し、電話も取り上げ、書類は原告自身の給料カードしか回してこない状態にした。そこで、原告が戊山次長兼総務課長に対し、「例の件が原因なのだろうね。」と言ったところ、同人は、「そうだ、権利譲渡するなら考えよう。」と答えて、権利譲渡の強要を続けた。
(6) 被告丁原は、昭和五三年一二月二二日排煙脱硫装置の実用新案登録(特許出願第六三九四号を変更したもの)第一二六六八六一号がなされると、昭和五四年二月一日付け文書をもって、戊山次長兼総務課長に対し、原告から実用新案権譲渡書を取れと指示し、「これに判を押し、補償金も受け取れ。」と迫らせ、二年半にわたる会社八分の状態を利用して権利譲渡を強要した。
(7) 昭和五四年五月中旬、原告が万策尽きて被告らの脅迫強要に屈した際、戊山次長兼総務課長は、「今までこれだけてこずらせたのだから、詫び状を書け。」と強要して、五月一八日付け詫び状を書かせ、更に、同年六月一一日には、右詫び状を突き返し、自ら用意した六月一一日付け念書の原稿を見せて、「このとおり書け。」「今の給料を貰えるところは、よそにはないぞ。」と告げ、解雇の脅威をもって前記権利の完全譲渡を強要した。
(8) 乙田副社長、戊田人事部長、丁原研究室長のほか、乙川専務取締役、乙野常務取締役、丙野人事課長らは、昭和五四年七月三〇日、乙山社長、丙川常務取締役らと共謀して、原告を呼び付け、お詫びの挨拶を強要した。
(9) 右被告らは、昭和五四年九月三日、七年間にわたる前記すべての脅迫行為の成果として、原告から本件発明等を全部訴外会社に譲渡する旨の文書に署名捺印させてこれを喝取した。
(四) 昭和五九年
丙川社長は、昭和五九年七月三一日、乙山会長並びに丁原及び戊田各常務取締役と共謀して、訴外会社に対する実用新案権侵害等による損害賠償請求訴訟を提起した原告に対する報復として、不法解雇(以下「本件解雇」という。)を敢行した。
4 損害
原告は、被告らの右共同不法行為により、以下のとおり、合計八九三八万五八七四円の損害を被った。
(一) 差別による賃金差額 三三五万六五〇〇円
訴外会社の管理職の資格には副参事、参事、副理事、理事の四等級があり、役職には課長代理、課長、次長、工場長・支店長の四階級があった。
原告は、本件解雇当時参事・課長代理待遇であり、年間の原告の賃金総額は八四〇万円を超えることはなかったが、もし原告に対して昭和五一年六月以降八年二か月に及ぶ間、前記発明考案の譲渡強要に伴う昇格昇給差別がなく、正常な待遇がなされておれば、原告は副理事、次長待遇を受け、少なくとも年収九二二万二〇〇〇円を得ていたはずである。
したがって、差別による昇給差額は、年額八二万二〇〇〇円を下らず、八年二か月間の累積額は三三五万六五〇〇円を下らない。
(二) 差別・解雇による喪失賃金額 五四七三万四四〇〇円
原告は、訴外会社により昇給差別をされるとともに、昭和五九年に解雇され、その後訴外会社との裁判上の和解により昭和六三年まで嘱託料を得るとともに、他の会社に一時勤務するなどして若干の収入を得た。
本件差別及び解雇がなかった場合の、定年時(平成五年)までの適正賃金額と右の間の実収入額との差額を、中間利息を控除した昭和六〇年六月二〇日時点での現在額として計算すると、五四七三万四四〇〇円となる。
(三) 差別・解雇による喪失退職金額 四五九万一六四三円
原告は、昭和六〇年二月末日、訴外会社から、昭和五九年七月三一日(満五一歳、勤続二七年三月)退職の取扱いで退職金一二六二万九一〇〇円の支払いを受けたが、差別による基礎賃金月額の差を三万円とし、製造業の大学卒事務技術男子の二八年勤続と三三年勤続との退職金総額をそれぞれ一〇七二万円と一四八〇万六〇〇〇円とする日本生産性本部のモデル総合賃金第六表―(3)に従えば(原告の勤続二七年と勤続三六年に相当する比較資料がないので便宜右基準による。)、原告が満五七歳の平成二年六月退職と仮定した場合においても、得べかりし退職金の額は一八四八万九三三一円となる(原告が満六〇歳の平成五年六月二〇日退職とすれば、更にこれよりも多い退職金が得られたはずである)。これをもとに計算した場合、右退職金差額の昭和六〇年六月二〇日時点での現在額は、四五九万一六四三円を下らない。
(四) 老齢厚生年金喪失額 三四五万三三三一円
六五歳になるまで支給される特別支給の老齢厚生年金及び六五歳から支給される本来の老齢厚生年金のうち、報酬比例部分の年金額算定における乗率は一〇〇〇分の九・〇四、定額部分の年金額算定における定額単価は一・九八三円である。
ところで、原告が昭和三二年四月から定年の平成五年六月二〇日まで勤務したとし、現行の再評価率表を適用して標準報酬月額を計算すると、原告の定年時に算定されるべき平均標準報酬月額は三六万六四五〇円となる。
これに対して、本件解雇後現在までの就労実績を前提として原告の満六〇歳までの標準報酬月額を試算すると、本件解雇後三〇か月のうち就労できたのは一九か月に留まり、しかも今後の就労の見込みが極めて薄いことに照らし、昭和六二年二月以降定年までの七七か月のうち就労可能月数を二〇パーセント余りの一五か月、その賃金月額を三〇万円と推定すれば、満六〇歳時点における平均標準報酬月額は三〇万三六二〇円となる。
そして、被保険者期間は前者が四三五、後者が三六五であるから、報酬比例部分及び定額部分の両年金額は、前者で約二二七万三八〇〇円、後者で約一七二万五六〇〇円となり、両年金額の差額は五四万八二〇〇円である。そして、原告の平均余命は二四・九一年であるから、年金支給期間は原告の定年後の平成五年六月二一日から同二二年五月一九日まで、すなわち、一七・九一年と六・三九年との差である一一・五二年である。
したがって、年金支給額の差額の昭和六二年一月一六日時点での現在額は、一七・九一年及び六・三九年のライプニッツ係数の差を前記五四万八二〇〇円に乗じた三四五万三三三一円である。
(五) 慰藉料 一五〇〇万円
被告らの不法行為により原告の被った精神的苦痛を慰藉するために原告に支払われるべき金員は、一五〇〇万円を下らない。
(六) 弁護士費用 八二五万円
本件の法律上及び事実上の問題点の難しさ、複雑さを考慮すると、弁護士への訴訟委任が必要であり、右報酬相当額は八二五万円となる。
よって、原告は、不法行為に基づく損害賠償請求権に基づき、被告ら各自に対し、八九三八万五八七四円及びうち二六六〇万六五〇〇円に対する最後の損害発生の翌日である昭和五九年八月一日以降、うち五九三二万六〇四三円に対する現在額算定基準日の翌日である昭和六〇年六月二一日以降、うち三四五万三三三一円に対する現在額算定基準日の翌日である昭和六二年一月二七日以降各完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
二 請求原因に対する認否と被告の主張
1 請求原因に対する認否
(一) 請求原因1の事実は認める。
(二) 請求原因2の事実中、原告が独自に本件発明を完成させたとの点、本件発明が訴外会社の事業範囲内にないとの点、本件発明をするに至った行為が原告の職務に属しないとの点はいずれも争う。
(三) 請求原因3の事実中、被告らを含む訴外会社側の上司により原告に対して脅迫や差別的取扱い等の不法行為に当たるような行為のあったことはすべて否認する。
(四) 請求原因4の事実は争う。
2 被告の主張
(一) 本件発明の職務発明性
(1) 会社の業務範囲
我が国は、昭和四二年に公害対策基本法が制定されて後、公害追放に沸き立っており、当時各企業は、その対策におおわらわの状態であった。訴外会社においても、各地の工場の公害対策に追われるとともに、公害対策の機械類を開発製造して、その販売にも力を入れようと計画していた。
昭和四四年になると、訴外会社の内部においても丙沢工場の煤煙の問題が持ち上がり、会社としてその防止対策の実施は緊急の課題であった。また、訴外会社においては、当時、排出ガス中の有毒ガスの除去について、自社独自の技術を開発すべく、排煙処理委員会を作って研究を重ねていた。
(2) 原告の職務内容
原告は、昭和四五年当時、戊谷工場から本社生産部に転勤しており、生産部生産課係長の地位にあった。訴外会社においては、公害対策の担当部署が生産部生産課であり、その係長をしていた原告こそ公害対策の第一線の担当者であったのであり、原告自身、セメント各社が合同で設置していた公害対策専門委員会にしばしば出席して、研究を重ね、また社内の公害対策の各種会合に参加するとともに、各地の工場からの問い合わせに対して適切な指示を出したりしていた。
原告は、昭和四六年春甲沢工場に転勤し、検査室長代理として勤務していたが、同工場には検査室長が欠員となっていたので、原告が、代理として、事実上課長の職務を行使していた。
同工場では、昭和四三年二月に公害対策委員会規程が制定され、原告は、転勤と同時にその委員に任命され、何回となく委員会に出席して、公害に関する各種の議論を重ねており、公害対策もその重要な職務の一つであった。
したがって、原告は、訴外会社全体の公害問題に対する情報に接する機会が多く、訴外会社が公害に関しどのような対応に迫られているかを十分承知しており、公害対策は原告の担当職務の重要な範囲に含まれていた。
(3) 発明に至る過程
甲沢工場長は、昭和四七年六月五日、公害問題の担当部署である検査室の室長代行であった原告と丁野五郎に命じ、当時亜硫酸ガス問題で社会的非難を受けていた乙村丙村支社の実情見学を行わせるとともに、訴外会社が乙村に対して協力できるものがあるかどうかを検討させた。
原告らが、右実情見学の結果を踏まえて、工場で他の者を加えて協議した結果、訴外会社として使用経験のあるセメントの湿式ロータリーキルンのチェーン帯を応用して亜硫酸ガスの除去装置を作った場合、設備費、運転経費とも、乙村のものより数段有利な施設ができることが分かった。同年七月一日、再び原告と丁野が乙村を訪れてその説明を行ったところ、乙村も非常に興味を示すに至ったので、甲沢工場では直ちに訴外会社の丁沢製鋼所に連絡して、その装置の製作に関する打ち合わせを行った。この時点で、工場長は、甲沢工場の検査室の担当者を中心にして研究班を結成し、脱硫装置(排煙を含めて)の開発研究を進めることとし、その責任者として原告を充てたのである。
右情報が同年七月初旬訴外会社の本社に報告され、本社では、この技術を前向きで開発するよう甲沢工場長に訓令した。そして、同年八月中頃、甲沢工場を見学した訴外会社の甲岳常務取締役は、丁野の作成した実験設備を作って排煙脱硫の研究開発を進めるよう指示した。そこで、甲沢工場においては、この指示に基づいて排煙脱硫の実験装置の設置を計画し、同工場の従業員により計画図が作成され、予算書や工事工程表が作成されて本社の承認を受け、その製作に着手する一方、工場長より実験計画書が本社に提出された。その実験計画は、「セメントの製造を行う湿式ロングキルンのチェーン帯からヒントを得て、回転円筒型グラスバーというべきものを考え、その回転円筒の中にチェーン構造物を懸垂したり、適当な構造のリフターを多数設置する」ことを予定していたのである。
まさに、セメント会社の従業員なればこそこのような発想が出てきたのであり、しかも多くの人の協力があって初めて生まれる発明・考案であるから、プロジェクトチーム全員の職務発明以外の何ものでもないといわなければならない。
そして、右実験計画に基づいて、原告から昭和四七年九月一六日付けで「ガス吸収法」という発明考案の届出がなされたので、訴外会社は、同年一一月その特許出願を行った。この届出については、原告は、進んで譲渡証を訴外会社に提出し、出願補償金も異議なく受領している。
同年一一月一三日から実験設備により実験が開始されたが、それは、ロータリードライヤー様の円筒内にチェーンを張っての実験であった。その実験が予想外の成功を収めたので、同月二四日から第二次の実験が開始されたのであるが、今度は、ロータリーキルンに使うチェーンを張ったり、金網を張ったり、ポールリングを入れたりして実験を重ねていったのである。
そして、その実験は、昭和五〇年に至るまで種々のテストを繰り返しながら、排煙脱硫装置の完成に向けて続けられた。
その間、第一次実験の終った昭和四七年一一月下旬になって、原告から二件の発明考案の届出があった。それは正しく第一次実験の成果に基づくものにほかならなかった。
(二) 原告の退職に至る経緯について
(1) 昭和四七年九月から昭和四八年まで
原告は、昭和四七年一二月一四日、当時訴外会社の生産部長であった被告甲田と話し合った結果、訴外会社に対し、四件の発明考案に関して会社が通常実施権を有する旨の同日付け念書を差し入れ、またいくつかの発明考案ができたときは右念書を書き直すと被告甲田に約束した。
ところが、昭和四八年五月下旬頃、被告丙田が追加の発明考案を加えて書き直すべき念書の案文を原告に送付したところ、同年六月一日、原告から被告丙田に電話があり、甲田生産部長が近く甲沢工場に来る際に念書を交付したいと連絡し、それでは約束が違うという被告丙田の言葉に対して返事をしなかった。そして同月八日になって、原告は、生産部長に対し、「昭和四七年一二月一四日付けの文書で認めた通常実施権は、丙沢工場でこれを行う場合に限定する。訴外会社から受領した発明考案の出願補償金三〇〇〇円は返却する。」旨の一方的な文書を送付してきた。昭和四八年六月二〇日頃、甲田生産部長が甲沢工場に視察に赴いた際原告と会い、その点について話をした結果、原告は、同月二五日付けで、九件の発明考案のすべてについて訴外会社が通常実施権を有することに同意する旨の念書を訴外会社に送付してきた。
(2) 昭和五〇年から乙沢支店への異動まで
その後しばらくの間は何事もなく経過したが、昭和五〇年五月一九日になって、原告は、突然訴外会社の本社にいた被告丙田に対して甲沢工場から電話をかけてきて、「本件の発明考案全部を第三者に譲渡した。もし丙沢工場で排煙脱硫装置を作った場合、その第三者から訴外会社に対して訴えを提起されても自分は責任を持てない。ただし、訴外会社が然るべき条件を提示すれば考える。」旨を通告してきた。
翌六月二六日、課長会同で本社に出てきた原告は、被告丙田立会いのもとに当時の戊川生産部長に会い、「会社は、本件の発明考案が職務発明であることを証明できないであろう。会社名義で出願した一件(これについては、原告が譲渡証を提出していた。)と原告名義で出願した九件とをクロスライセンスしてやってもよい。その場合、原告は、会社に対して実施権を与え、正当な実施料を頂くことにする。」との上司を上司とも思わない脅迫的な言動に出たが、会社として既に二通の念書を徴していたことでもあり、戊川生産部長は、原告の右発言に全く取り合わなかった。
しかしながら、会社の生産部としては、今回の発明考案は全部職務発明であるという点で一致しており、その点を明確にしておく必要があると考え、同年七月七日、生産部開発課長名で原告に対し、本件に関する発明考案はすべて職務上の発明に該当する旨の正式の文書を発し、続いて、同月二九日、職務発明である以上当然訴外会社の規則の適用を受ける性質のものであるとの前提のもとに、原告に対し、訴外会社の「従業員発明考案取扱規程」第四条に基づき、本件の発明考案全部について、出願人の名義を訴外会社とするために必要な譲渡証を提出するよう正式文書によって請求し、会社としての正式態度を明確に打ち出した。
その後、原告からは何の動きもなかったが、昭和五一年二月一二日になって、何も知らない甲沢工場の上司に当たる戊野次長に対し、「会社は、原告に対して詐欺・恐喝を働いている。もし原告が裁判にかけると会社は必ず負ける。本件については、会社から原告に和解を求めて来るべきである。今年が最後のチャンスである。裁判では必ず会社が負け、甲田常務、戊川生産部長、戊原フェロセンター長は傷つくことになる。戊野次長は戊原氏と親しいようだから、会社の方から原告に和解を求めてくるよう伝えてほしい。今まで生産部と話をしてきたが、全然らちがあかないので今後は人事部と交渉する。人事部と交渉してらちがあかなければ、労働組合に話を持って行く。組合に持って行ってもらちがあかなければ、会社の担当者を刑事告訴する。本件発明については、東京に新会社を作って権利を譲渡してある。原告の両親も取締役になっている。」等を告げ、訴外会社の従業員にあるまじき、会社を誹謗中傷する極めて悪質な言動に及んだ。
原告は、その後、同年四月中頃、以前に職務上の発明考案の出願補償金として受け取っていた金員を、甲沢工場の会計係を騙し、会社に返戻してしまった。
そのことを知った甲沢工場の甲海総務課長は、以前から原告と友人として付き合っていた関係もあり、同月三〇日から翌五月一七日までの間、四回にわたって原告と話し合う機会をもった。
その際、甲海課長が、原告に対して出願補償金の返却を申し出たのに対し、原告は、「従業員の発明については会社が自動的に通常実施権を貰えることになっているが、会社の就業規則の規定内容では、会社は通常実施権を貰えない。今度丙沢工場で排煙脱硫装置をつけるようだが、それが実施に移されるようになれば、損害賠償の具体的対象ができて、裁判にかけやすくなってきた。これまで生産部と種々交渉してきたが、今度人事部が乗り出してきたので、会社相手の問題に発展してきたと判断している。会社から何らかのアクションがとられる(解雇の意)と思って家も建てた(現実に水戸の方に家を建築している)。実施権を買ってくれた会社から自分の会社に来るようにいわれており、生活上の不安は全くない。自分としては、労働基準監督署に対して就業規則の不当解釈による救済申立てをすると同時に、丙沢工場における排煙脱硫装置の運転差止めの請求をする。そうなれば、訴外会社は、その装置の廃止に追い込まれると同時に、金銭的な面でも原告の一方的な要求を受け入れざるを得なくなる。更に、原告としては、会社のやり方を外部に公表する予定であり、そうなれば会社の社会的信用が当然失墜することになろう。会社の幹部に対しては、詐欺・恐喝事件として刑事告訴することになる。もし会社が原告の個人発明であることを認めれば、会社に実施権を与えてもよい。その場合、通常の実施料の半額程度の金を貰いたいが、会社幹部が原告に謝罪することが条件である。今回の話合いのことを会社に報告してもらいたい。」と述べ、まさに従業員としてあるまじき言動をとった。右話合いの最後の日である昭和五一年五月一七日付けで甲海課長との間で確認書が作成され、原告は、返戻した出願補償金を再度受領した。
(3) 乙沢支店への異動後昭和五四年まで
その後、原告は、甲沢工場から乙沢支店に転勤となり、クリーンセット(地盤凝固剤)の販売を担当していたが、乙沢のような火山灰土壌にはクリーンセットは効果がないとうそぶいて一向に販売に熱を入れず、専ら訴外会社と訴訟をする場合の法律の勉強に明け暮れていた。
そして、原告は、昭和五二年一一月四日、被告丙田に久し振りに電話をかけてきて、「会社は出願人の名義変更をしなくてもよいのか。」と持ちかけた。被告丙田が「変更しようにも原告が承知しないではないか。」と言うと、原告は「会社が原告の個人の発明であることを認めないからだ。」と答え、被告丙田が「職務発明であることは、さきに会社の正式文書で通知してあるはずだ。」と返事をしたところ、原告は、「このままだと法的手続をとる。福岡の弁護士に相談してある。乙田専務以下の関係者に迷惑がかかるだろう。それでも良いか。」と捨てぜりふを残して電話を切った。
その後、原告からの動きはほとんどなかったが、昭和五三年七月二〇日、戊沢工場の乙海総務課長がたまたま乙沢支店を訪れた際、原告は、同期である乙海課長に対し、「七月二二日で出願の異議申立期間が満了して問題の実用新案が確定する。いよいよ好機到来する。これまで弁護士や弁理士といろいろ相談してきた。まず弁護士を通じて会社に働きかけることになる。話合いがまとまらなければ、訴訟を起こすことになると同時に、恐喝事件としても問題とする。」と述べた。
昭和五三年一一月一日、原告は、水戸に帰る途中で立ち寄ったと称して、被告丙田を訪れ、「どうする。くびにするか。名義変更をしたらどうか。やるならとことんやる。命は捨てた。後は警察に行くだけだ。特許を売って下さいといえばよいではないか。くびにできるものをしなかったのは、就業規則違反にならないと認めたからではないか。会社の行為は詐欺・恐喝になる。刑法二四六条、二四九条を見ておけ。」と一気にまくしたてて帰って行った。
そして、原告は、同年一一月七日、乙沢支店の上司に当たる戊山総務課長に対し、初めて本件に関して面会を求め、概要次のような申入れをするに至った。
「排煙脱硫装置が実用新案として登録査定となった。この点について、会社から職務発明であるという納得できる根拠を文書で回答することを求める。職務発明であると納得できる論拠を会社が示せるなら、この発明を会社に譲渡してもよいが、納得できない説明なら、本考案は原告個人の権利・財産であるから、原告としては、自分の権利として会社と話し合うことになる。丙沢工場での実施は、自分の権利の無断使用であり、裁判で争う予定である。」
戊山課長は、本社研究所の中村課長に対して原告の申入れについて連絡したが、訴外会社としては、原告の申入れ自体全く理由のないものとして取り上げる意思はなかった。
訴外会社は、本件の実用新案が昭和五三年一二月末に正式登録となったことを弁理士の報告で知り、昭和五四年二月一日付けの文書をもって、乙沢支店長に対し、実用新案権の登録されたことを通知するとともに、登録補償金を原告に支払うよう指示し、内規に基づき職務上の考案として権利を会社に譲渡することを求める所定の用紙も送付した。
右用紙の送付を受けた乙沢支店の戊山課長が、原告に対し、実用新案権の登録されたことを通知するとともに、権利の譲渡証に署名捺印して、出願補償金及び登録補償金を受領して領収証を提出するよう求めたところ、原告は、同月二六日、これを拒否する文書を訴外会社に提出するに至った。
ところが、同年四月一六日、原告が、突然、戊山課長に対し、本件実用新案権を無条件で会社に譲渡したいと申し出てきた。その際の原告の申出は、「職務上の考案であるかどうかを棚上げしたうえで、本件実用新案権を無条件で会社に譲渡し、これを広く一般に活用してもらいたい。」というものであった。
戊山課長としては、会社が原告の申入れを受け入れる条件として、原告が職務上の考案であることを認め、数々の非礼を加えた上司に対し深く謝罪の意思を表明することが必要であると考えていたので、その旨原告に助言し、会社に提出すべき文書の案文を示すなどして、原告を説得した。
原告は、昭和五四年七月四日、本件実用新案権等が職務発明であることを認めるとともに、非礼を行った相手の上司達に対し深く反省して詫びる旨記載された「念書」と題する書面を戊山課長に提出した。
戊山課長は、原告の提出した右念書を本社に送付して、その指示を仰ぐとともに、同年九月三日、譲渡証に原告の署名押印を受けた。その際、同課長は、本社から原告の最終的意思を再確認するよう特に指示を受けていたので、原告に対し、もし不本意であるならば、今の時点であれば先の念書を撤回することができる旨説明したが、原告は、自分の意思は変わらないと言って、譲渡証に署名押印し、ここに本件実用新案権の関係は円満に解決した。
そこで、訴外会社は、出願補償金、登録補償金等を原告に支払って、原告との間で費用の精算を完了した。
(4) 昭和五九年
その後、原告は東京の本社に転勤し、約五年間何事もなく経過していたが、原告は、昭和五九年三月一日になって突如本社の乙岳人事部長に対して面会を申し込み、同部長に対し、「会社の行為は詐欺・恐喝に該当する不法なものであり、特に原告に対する昇進差別は違法も甚だしいものがあるから、不当差別を回復して原告を昇進させるとともに、これまでの昇進差別に対してそれ相当の損害賠償を支払うべきである。本件実用新案権等が職務発明であることの要件と根拠を示し、これを立証するに足る説明を要求する。本件発明考案はすべて職務外の発明考案であり、会社の名義で出願したのはまさに不当利得に該当するので、直ちにその返還を求めるものである。もし会社が譲渡を希望するのであれば、合法的な手段を経て譲渡してやってもよい。既に登録されている実用新案権については、機械の製作販売に関する実施料として三〇〇〇万円、今日までの丙沢工場における排煙脱硫装置の実施料として一億二八〇〇万円を支払ってもらうこととなる。」等と、上司を上司とも全然思わない極めて横柄な態度で要求するに至った。
そして、原告は、同年四月一九日、弁護士を通じて、「昭和五四年の実用新案権の譲渡は訴外会社の強迫行為によってされた違法なものであるから、その譲渡行為を取り消す。一五日以内に原状回復の手続をせよ。」という趣旨の内容証明郵便を訴外会社に送付し、同年七月一二日には、訴外会社を被告として、実用新案権等を訴外会社が不法に実施しているとして、損害賠償の訴えを提起するに至った。
そこで、訴外会社は、原告が、一旦自ら十分納得のうえ決定したことを何の理由もなく覆して、訴外会社や上司を誹謗し、これに対する反抗を続けたうえ、昭和五四年に戊山課長の取り成しで全面的に解決した問題を不当な言いがかりを付けてむし返したのみならず、その不当な事実主張をもとに、自分が勤務して給料の支給を受けている会社を相手に訴訟を提起してきたということは、会社の管理職としてふさわしくなく、他に悪影響を及ぼすことが大であるとして、同月三一日、原告を普通解雇に処した。
これに対し、間もなく、原告から訴外会社を相手として解雇に対する地位保全の仮処分申請が東京地方裁判所になされた。しかし、裁判所の強い和解勧告の結果、原告が訴外会社を円満退社して任意退職することで話がまとまり、双方とも和解条項のほかに一切の債権債務が存在しないことを確認する旨の裁判上の和解が成立したのである。
三 抗弁
原告、訴外会社間の東京地方裁判所昭和五九年(ヨ)第二三四一号地位保全仮処分事件において、前記のような裁判上の和解が成立したが、これは当時裁判が係属中であった原告、訴外会社間の実用新案権侵害による損害賠償事件のみを残し、個人責任を含めて他を一切解決するという合意のもとに和解したものである。したがって、仮に原告に被告らに対する何らかの請求権があったとしても、右和解により原告はこれをすべて放棄したものである。
四 抗弁に対する認否
原告主張の仮処分事件において訴訟上の和解が成立したことは認めるが、その余は否認する。右和解においては、右仮処分申請にかかる雇用契約関係に関して原告と訴外会社との間に債権債務関係がないことが確認されただけであり、それ以外の債権債務関係に関しての合意はなされていない。まして、右和解当事者でなかった被告らの個人責任を免除する合意などない。
第三証拠《省略》
理由
一 職務発明性の有無について
本件損害賠償請求は、被告らによる原告への継続的な脅迫ないし差別的取扱いを理由とするものであるが、原告が脅迫ないし差別的取扱いであるとする紛争は、原告が発明した排煙脱硫装置が職務発明であるか否かを巡って発生し、その核心はまさにこの点に関する原告と被告らとの見解の対立を内容とするものであるから、職務発明性の有無、程度は被告らによる不法行為の成否に関する判断と密接に関連するものと認められる。そこで、まず、原告の発明した本件排煙脱硫装置の職務発明性について検討することとする。
1 弁論の全趣旨によれば、本件発明の概要は、水平位で回転する円筒内において湿式石灰により排ガス中の亜硫酸ガスを吸収する排煙脱硫装置であることが認められ、原告が本件発明当時訴外会社の従業員であったことについては、当事者間に争いがない。
2 訴外会社の業務範囲
(一) 特許法第三五条及びこれを準用する実用新案法(第九条第三項)にいう「業務」とは、使用者等が現に行っているか又は将来行うことが具体的に予定されている業務を指し、右業務の遂行に必要な発明は業務範囲内にある発明に当たるものと解される。
(二) そこで、本件発明当時の訴外会社の業務範囲について検討するに、《証拠省略》によれば、以下の事実が認められる。
(1) 訴外会社は、セメントの製造販売等を主たる業務とし、鋼材及び紙パルプ・窯業・建材関係の各種機械類の製造加工並びに販売等をも業とする会社であり、昭和四六年当時、セメント専業の五工場と新製品のセメント及び周辺製品の生産並びにその種新製品の開発を行う兼業五工場との一〇工場を有していた。そのうち丙沢工場は兼業工場であり、当時セメント製造のほか軽量骨材を生産していたが、昭和四八年六月にはセメントの生産を中止し、軽量骨材中心の生産に移行した。
我が国では、昭和四〇年代初め頃から公害が社会問題化し、公害に対する規制が次第に強化されつつあった。中でも排ガス中の硫黄酸化物の排出抑制が主要な課題の一つとされていたが、セメント製造工場の場合、製造過程自体に脱硫作用があるため、硫黄酸化物排出抑制のための特別な施策は必要とならなかった。しかしながら、大阪工場の製造する軽量骨材の製造過程においては右のような脱硫作用が期待できないため、硫黄酸化物排出抑制のための対策が必要であった。
このような状況のもと、大阪府は、昭和四四年八月、丙沢工場を含む関係各企業に対して、硫黄分一パーセント以下の低硫黄重油を使用する等の緊急時煤煙減少措置の実施を要請した。丙沢工場では、同年一〇月、煤煙防止緊急時措置として、硫黄分一パーセント以下のC重油を使用することを決定した。
また、昭和四五年頃から大阪府によりブルースカイ計画と題する公害防止計画が推進されていたところ、同年一一月二六日には、第一回ブルースカイ計画第一号推進委員会が開かれ、大阪府は、丙沢工場を含む各企業に対して硫黄含有率一・七ないし一・五パーセントの低硫黄重油への切り替えを指導し、計画書の提出を要請した。その際、将来的には重油使用量増加に伴い低硫黄重油の使用に限界が生じるから排煙脱硫を行う必要性が出てくるとの見解が大阪府から表明された。また、硫黄含有率の低い重油は通常の重油に比して高価であるため、低硫黄化が義務付けられることにより製品の原価に大きな影響を及ぼすことが予想される状況であった。
さらにその後、丙沢工場は、大阪府公害防止条例に基づき、昭和四六年一一月一日から、硫黄含有率一パーセント以下の燃料の使用を義務付けられることとなった。また、大阪市も規制を実施し、昭和五〇年をめどに段階的に規制を厳しくしていく見通しであり、硫黄含有率一パーセントの重油の使用でも対応できなくなることが予想される状況となった。
(2) 昭和四六年八月、訴外会社に「排煙処理委員会」が設置され、訴外会社の生産部長は、工務部長、研究所長及び甲村工場長に宛てて「排煙処理委員会委員推薦の件」なる文書を送付したが、その中で、当面は甲村工場の排ガス脱臭を目標とするが、将来的には排ガス中の有毒ガス除去についての自社技術確立を指向したい旨の方針を明らかにした。
そして、昭和四七年七月には、本件発明に関する報告を受けて、訴外会社から甲沢工場の原告らに対し、原告の構想した装置に高度の脱硫効果が得られれば排液処理装置兼排煙脱硫装置として将来大型商品化する可能性があるから、早急に開発計画を立案するよう指示がなされた。
(三) 右認定の事実によれば、排煙脱硫装置の発明は大阪工場における軽量骨材製造の障害となっていた亜硫酸ガスの排出量低下問題を解決できるものであるから、本件発明は、訴外会社が現に行っていた事業の遂行に必要な発明であるということができ、また、本社が甲沢工場等に対して本件発明の開発計画立案を指示した段階では、排煙脱硫装置の製造販売ないしこれを目的とする開発行為が具体的に予定される状況になっていたということができる。
なお、原告は、丙沢工場における軽量骨材の生産が一月のうち一〇日程度しか行われておらず、副業としても確立したといえないし、右の生産状況を前提とした場合、排煙脱硫装置を設置するよりも低硫黄重油を使用した方が経済的であるから右装置を設置する必要はなかった旨述べているが、仮に右のような事実が認められるとしても、企業活動が有利な事業を目指して絶えず変化するものであることを考慮に入れるならば(現にその後、丙沢工場は軽量骨材の専業工場となり、排煙脱硫装置の設置により、省費用の効果をあげていることが窺われる。)、原告の右主張は、事業範囲をあまりに狭くかつ静的に解しすぎるものであり、採り得ない。
したがって、本件発明は、訴外会社の業務範囲に属するものというべきである。
3 原告の職務との関連性
そこで、次に、原告が本件発明をするに至った行為が原告の本件発明当時又はそれ以前の職務に属していたかどうかにつき判断する。
特許法第三五条にいう従業員等の「職務」とは、発明の完成を直接の目的とするものに限らず、結果から見て発明の過程となりこれを完成させるに至った思索的活動が、当該従業者等の地位、職種、職務上の経験や、使用者等がその発明完成過程に関与した程度等の諸般の事情に照らし、使用者等との関係で当該従業員等の義務とされる行為の中に予定され期待されている場合をも含むものと解するのが相当である。
そこで、これを本件についてみるに、
(一) まず、《証拠省略》によれば、原告が本件発明をするに至った行為に関し、以下の事実が認められる。
(1) 本件発明の構想
昭和四六年当時、排煙脱硫の方法として多くの方法が知られており、その一つに価格の安い石灰系の薬品を使用する湿式石灰―石膏法があった。右方法は、薬品の価格や反応過程が簡単である点で有利な側面を持っていたが、脱硫作用が弱く、また、当時採られていたスプレー法や充填塔法では構造上スケールの発生や沈殿物の付着といったトラブルが生じやすいという欠点があった。
原告は、同年夏頃から排煙脱硫装置に興味を持つようになり、個人的に資料を収集するなどして研究を進めた結果、遅くとも昭和四七年七月頃までに、従来の装置の欠点をカバーするため、湿式ロングキルンのチェーン帯からヒントを得た回転円筒式排煙脱硫装置を構想するに至った。右装置は、ロータリーキルン方式を採用して、下部に吸収液を満たした円筒を横に寝かせて回転させ、その中に排ガスを送り込み、円筒内に装着したチェーン帯、リフター、充填物等により液を攪拌し、気液接触面積を広げて脱硫作用の増進をはかるとともに、液の攪拌によりスケールトラブルの防止をはかることができるというものであった。
(2) 会社への報告
原告は、昭和四七年六月から甲沢工場の近くにある乙村丙村支社に対して、同社のパルプ廃液処理装置に訴外会社で使用経験のある湿式ロータリーキルンのチェーン帯を応用してはどうかとの提案をしていた。そして、同年七月三日付け書面をもって、訴外会社本社に対して、右廃液処理装置及びロータリーキルンを用いた廃液処理設備設計の概要と設計費、運転経費の計算結果等について説明するとともに、処理水中に消石灰スラリを入れればロータリーキルンにより排煙脱硫作用も期待できるが右ロータリーキルン法はごく初期のアイデアの段階であるので今後技術的検討を要する旨をあわせて報告した。
右報告を受けた訴外会社甲岳常務取締役はこれに関心を示し、その意を受けた本社生産課長名をもって、同月二一日、甲沢工場の検査室長代理であった原告や工務課長らに対し、石灰の添加により高度の脱硫効果が得られれば廃液処理兼排煙脱硫装置として将来大型商品化する可能性があるとして、早急に研究開発を進めるよう指示がなされた。
原告は、同月二七日、本社から呼出しを受けて上京し、本件発明について説明を行い、翌八月一七日には甲沢工場に出張した甲岳常務に対して、それまでの経緯を説明するとともに、乙村の廃液処理モデルプラントとして考えた場合と排煙脱硫装置として考えた場合とについて説明し、前者の場合実験設備費が約六〇〇万円、後者の場合約一七〇万円かかることを説明した。
(3) 実験の開始
右説明を受けた甲岳常務は排煙脱硫装置の開発を指示し、昭和四七年九月七日には、甲沢工場工務課員の設計、作図による実験装置の設計図が作成され、同月一〇日、実験装置の予算書、工程表とともに提出された。同月一四日には、甲沢工場長から本社生産部長に対し、実験計画書が提出された。
右実験計画書に基づき、甲沢工場において、同年一一月一三日から同月一八日にかけて第一次実験が、同月二四日から同月二八日にかけて第二次実験がそれぞれ行われ、いずれも良好な脱硫効果が得られた。以後、スケールの付着防止等企業化のための開発実験が進められ、右開発実験の結果を受けて、丙沢工場にテストプラントが設置されて、各種テストが昭和五〇年まで繰り返された。
(4) 特許権等の成立
訴外会社の従業員発明考案取扱規程及びその運用細則によれば、従業員は、会社の業務範囲に属する発明考案を行った場合には、外部に発表する前に、所属上長を経て生産部長に届け出なければならないものとされているところ、原告は、昭和四七年九月一六日付けで、「ガス吸収方法」の発明考案につき、右取扱規程等に基づく届出をし、訴外会社は、同年一一月九日付けで、本件発明に関し、発明の名称を「ガス吸収方法」、発明者を原告、出願人を訴外会社とする特許出願をした。その後、原告は、昭和四八年一月一二日から昭和四九年四月一八日にかけて、本件発明につき自ら九件の特許出願をし、うち排ガス処理装置(昭和四八年七月一三日出願)は昭和五二年九月三〇日、回転円筒式排煙脱硫装置(昭和四八年五月一五日出願)は昭和五六年一一月三〇日にそれぞれ特許となり、排煙脱硫装置(昭和四八年一月一二日特許出願、その後実用新案に出願変更)も昭和五三年一二月二二日実用新案登録された。
(二) 次に、《証拠省略》によれば、原告の本件発明当時及びそれ以前の訴外会社における地位、職務等につき、以下のような事実が認められる。
(1) 技術者としての職務
原告は、昭和三二年東京工業大学化学工学課程(窯業)を卒業後、直ちに訴外会社に入社し、以後、昭和五一年六月九州支店に転勤するまでの間、セメント製造専業五工場(乙谷工場、丙谷工場、丁谷工場、戊谷工場、甲沢工場)及び本社生産部に勤務した。その間、乙谷工場から戊谷工場までの四か所の工場では、生産係としてロータリーキルン、ドライヤーなどセメント製造設備の運転管理に従事し、本社生産部生産課では生産係長(課長代理)として生産計画の策定・調整、生産技術に関する調査研究・指導等の事務を担当した。また、甲沢工場では、検査室長代理(肩書きは検査課長代理であるが、検査課長が置かれていなかったため、事実上検査課の責任者となっていた。)として、セメントの品質管理及び各種試験や生産工程に関する研究、技術指導等に従事していた。
原告は、乙谷工場時代には、二次空気真温度の測定を行いエヤクエンチングクーラーの特性を解明したり、キルンバーナーについて乱流拡散の実験を行うなどし、丙谷工場及び丁谷工場では、新設キルンの試運転要員として早期に運転を軌道にのせるのに貢献した。また、戊谷工場時代には、湿式キルンから乾式キルンへ移行するための基礎作りとして諸試験を実施し、湿式レポールキルンの運転に当たっては、セメントミルを使用した乾式原料の製造を提案し、湿式レポールキルン能力の大幅増加に成功した。
原告が運転管理に従事したセメント製造設備中のロータリーキルンは、セメント原料を焼成する、直径三~五メートル、長さ一五〇~一六〇メートルの円筒型の回転窯で、回転するキルン内で重油を燃焼させてセメント原料を焼成するものであるが、キルン内部にはチェーンが多数吊り下げられていて、キルンの回転に従ってセメント原料を攪拌し、高温の排ガスと熱交換を行うとともに、キルン内壁へのスケールの付着を防止する仕組みになっている。また、ドライヤーは、セメント原料を乾燥させる、長さ一〇メートル程の横型回転円筒であるが、内部には、セメント原料が回転に従って滑らないように、板状あるいはスプーン状のリフターが装着されており、これによりセメント原料がかき上げられる仕組みとなっている。
(2) 公害関係に関する職務
昭和四〇年代初めからの公害問題の高まりに応じて、訴外会社及びセメント業界においても公害対策への動きが始まっており、訴外会社においては、公害対策は総務部及び生産部が主に担当し、各種マニュアルの作成、粉塵等の測定、公害関係情報の収集・伝達等に関する事務を行っていた。原告は、本社生産部に在職中、課長代理として、各種回覧等を通じて右公害対策に関する情報に接する立場にあり、先に述べた丙沢工場の状況に関する文書についても回覧を受けていた。また、この頃セメント業界の各社で構成する公害規制対策のための各種会合が開かれ、原告は数回にわたり右会合に出席し、右会合の内容について社内報告を行ったりしていた。また、原告は、甲沢工場において、検査室長代理として同工場の公害防止対策委員会の構成員となったほか、本件発明の契機となった乙村丙村支社の廃液処理設備の件は、原告が、検査室員の丁野五郎とともに同支社を訪問して施設を見学したことがその端緒となったものであった。
(三) 以上の事実を踏まえて、本件発明に至る行為が原告の職務に属していたかどうかについて検討するに、
(1) まず、本件発明が、当時既に知られていた湿式石灰―石膏法を利用しつつロータリーキルン類似の装置を使用することによって、脱硫率の増加とスケールトラブルの防止を狙うというものであったことに鑑みれば、発明の核心は右装置の形状にあるというべきである。そして、回転円筒とその中のチェーン帯等を利用するという本件発明と、原告が工場勤務時代に運転管理に従事していたロータリーキルン及びドライヤーとは、その基本的な形状において類似しており、原告がロータリーキルン等の運転技術者として長期にわたって勤務し、その間様々な業績を上げていることからすれば、原告は、それまでの職務を通じてロータリーキルン等の形状・機能等につき専門的な知識・経験を有しており、これを基礎として本件排煙脱硫装置への応用という独創的発想を得るに至ったことが推認できる。
(2) また、原告から本件発明の構想が訴外会社に報告された昭和四七年七月以降、訴外会社の排煙脱硫装置開発の指示に基づき、会社設備と従業員を使って各種実験等が行われ、右実験設備等に要した費用は訴外会社が負担しており、この間、原告は、職務発明であるかどうかについて特に異議を申し立てることなくその実験等に従事しているのである。そして、同年一一月の実験により原告の構想した排煙脱硫装置の高い脱硫効果が確認され、これをもとにして特許申請がされるとともに、さらにその後もスケールトラブル防止効果等に関する実験が続けられたのである。このように、本件発明は原告が構想したものではあるが、それを完成させるための実験については、訴外会社による人的・物的な援助があったものと認められる。
なお、この点につき、原告は、本件発明は昭和四六年一二月の時点で完成していた旨主張している。しかしながら、前記認定の経過によれば、原告は遅くとも昭和四七年七月頃までには、本件発明に関するある程度具体的な構想を有していたことが窺われるけれども、本件発明によって従来の装置よりも高い脱硫効果が得られるか、スケールトラブル防止の効果があるかは、既に存在する類似の装置等により右効果が自ずから予想できるという状況になかった以上、特別の装置による実験を待たずには確認できず、したがって右のような過程を経ていない段階では未だ発明として完成していないものというべきである。してみれば、原告は、昭和四七年七月の段階では、本件装置の構想を有していたにとどまるものと評価せざるを得ず、本件発明が完成するに至った時期は、実験が行われ、優れた脱硫効果を有することが確認された昭和四七年一一月以降と認めるのが相当である。
(3) 更に、原告は、甲沢工場勤務に先立つ本社生産部勤務時代には、生産課長代理としてセメント業界の公害規制対策の会合に出席しただけでなく、訴外会社の公害関係情報にも接し得る立場にあり、丙沢工場が燃料の低硫黄化を迫られたことにより苦境に陥り、硫黄酸化物排出抑制のための対策を講じる必要に迫られていることも十分認識していたものと考えられるうえ、丙沢工場では、生産技術の調査研究等を担当業務とする検査室に属し、その室長代理という管理職の立場にあり、公害対策委員会の構成員にもなっていたのである。
右のような原告の経歴、地位及び訴外会社が当時置かれていた客観的状況からすれば、原告の職務が直接には公害防止関連技術の開発を目的とするものではなく、またそのための具体的な指示を受けていなかったとしても、従来の職務上の知識・経験を生かして公害防止関連技術を開発することは、原告の職務として予定され期待されていたものというべきである。
以上の事情を総合するならば、本件発明の過程となりこれを完成させるに至った行為は、本件発明の当時原告の職務に属するものであったというべきである。
4 結論
以上によれば、本件発明は職務発明に当たるものというべきであり、少なくとも、訴外会社においてこれを職務発明と考えるについては十分な理由があったということができる。
二 不法行為の成否について
1 事実経過
《証拠省略》によれば、以下の事実を認めることができる。
(一) 本件発明出願の前後
(1) 訴外会社の前記従業員発明考案取扱規程によれば、従業員が会社に届け出た発明考案が職務発明である場合には、従業員は、特許権、実用新案権、意匠権を受ける権利を会社に譲渡しなければならないものとされている(第四条第一項)ところ、原告は前記のとおり、昭和四七年九月、「ガス吸収方法」の発明につき、訴外会社に届出をするとともに、会社への譲渡証を提出した。訴外会社は、右発明につき、会社を出願人として特許出願をし、同年一一月一四日、原告に特許出願通知をした。
右通知を受けた原告は、同月二一日、本社生産部開発課の丙田係長に対して排煙脱硫装置に関する他の二件の発明の届出をした際、同人に対し、本件発明は職務発明ではないのではないかと疑問を述べたが、同人は、職務発明であるとして、原告の疑問に取り合わなかった。その後同月二五日、原告は、右特許出願に係る出願補償金三〇〇〇円(従業員発明考案取扱規程第九条)を訴外会社から受領した。
原告が本件発明を職務発明ではないと主張していることを丙田係長から聞いた丁田松夫開発課長代理は、数日後、原告に対して電話をし、明らかに職務発明であるから特許等を受ける権利を会社に譲渡するよう説得したが、反発する原告との間で言い合いのような形となった。さらにその数日後、原告は、甲沢工場の甲原工場長から、乙原総務課長、丙原労務課長同席のもとで、家族のこともあるのだから特許等を受ける権利を会社に渡すよう言われたが、原告は、特許法及び就業規則に従って処理してほしいと述べ、これに応じなかった。
同年一二月一一日、甲田生産部長は、上京した原告と二、三時間ほど話し合ったが、原告は、本件発明は職務発明ではないから、先に会社名義で特許出願のなされた「ガス吸収方法」についてもこれを原告に返すよう要求し、これに応じなければ、届出をした他の二件の発明についても会社に利用させることはできないと主張した。これに対し、被告甲田は、本件発明は訴外会社の費用により行われた実験により出てきたものであり、実験装置も訴外会社のロータリーキルン等を利用したものであること等からして、職務発明であることは明らかであると原告を説得したが、原告はこれに応じようとしなかった。この話合いの間、甲田部長が原告に対し「お前、こんなこと言っていいのか。お前の将来はないぞ。」あるいは「丁田、丙田らは即刻お前をくびにしろと言っている。」と述べたことがあった。
甲田部長は、原告の主張を不条理で勝手に言い分であると感じつつも、このままの対立状態が続くと原告の会社における将来性にも疵がつくため何らかの妥協をするほかはないと判断し、職務発明に当たらないとの主張を引っ込めることはできないが通常実施権を会社が有することには異議がない旨の原告の主張に歩み寄ることとし、同月一四日、一一月二一日に届け出た発明とまだ届出のされていない二件の排煙脱硫関係の発明について、「右発明考案四件が職務発明か否かについて会社と合意に達していないが、その合意の如何にかかわらず右四件の通常実施権を会社が有することに同意する」旨の訴外会社宛て念書を原告に作成させ、これを差し入れさせた。その際、原告は、今後届出予定のある発明考案についても、その内容が具体的になり次第、追加して念書を提出する旨を約した。
(2) 昭和四八年五月一六日、上京した原告は、甲田生産部長に呼ばれ、本件発明の譲渡を要求された。右話合いのなかで、「原告は、会社の行う実験に従業員として従事する。会社は、本件発明により他者から実施料を得た場合に原告に支給すべき実績補償金については、社内発明考案取扱規程を適用せず、誠意をもって取り扱う」等を内容とする覚書案が甲田部長から提示されたが、原告はこれへの署名を断わった。
訴外会社は本件発明にかかる排煙脱硫装置等九件につき特許等の出願を完了したので、丙田特許係長は、同月二五日、原告に対し、右出願完了の事実を通知するとともに、右九件の発明考案につき訴外会社が通常実施権を有することに同意する旨の念書案を送付したが、原告は甲沢工場に出張予定の甲田生産部長と話し合いたい旨答えて、右念書の提出に応じなかった。
同年六月八日、原告は、甲沢工場を訪れた甲田生産部長と乙川工場長から特許等を受ける権利を譲渡するよう要求された。これに対し、原告は、「特許に関する件」と題する書面を提出し、その中において、会社名義で特許出願中の前記「ガス吸収方法」の出願人名義を原告に変更したうえで、会社との間で通常実施権契約を締結する(ケースⅠ)か、原告が訴外会社を相手に右発明が職務発明でないことの確認等を求める訴訟を提起し、右特許出願の正当な出願人は原告である旨の届出を特許庁長官になすとともに、昭和四七年一二月一四日付け念書で認めた通常実施権の範囲を丙沢工場における排煙脱硫装置に限定する(ケースⅡ)かのいずれを選択するかを昭和四八年六月三〇日までに回答するよう要求した。これに対して、甲田部長は、誰か親しい者を交えて丁田課長代理らと話し合うよう原告に助言し、原告は、同月一三日上京して、本社生産課の丙海を交えて丁田課長代理と話し合ったが、物別れとなった。
同月一八日、課長会議で上京した原告は、甲田部長及び丁田課長代理から権利譲渡を要求されたが、これを断わると、甲田部長らは、前記九件の発明考案についての念書を提出するよう原告を説得した。そこで、原告は、同月二五日、右九件の発明考案につき会社が通常実施権を有することに同意する旨の念書を提出した。
同年七月四日、原告は、乙川甲沢工場長から、「技術なんて陳腐化するし、こんなものやらなくても会社にとって機会損失にすぎない。会社に渡せ。」と言われ、翌五日には、甲村工場の丁海課長からも、「職務発明と思うから、会社に譲渡するように。」との電話による説得を受けた。
(二) 乙沢支店への転勤前
(1) 原告は、昭和五〇年五月一九日、丙田開発課長代理に対し、「排煙脱硫装置に関する原告発明の特許を第三者に譲渡した。したがって、丙沢工場で排煙脱硫装置を使用した場合、訴えられても責任を持てない」旨を電話で通告した。
同年六月二六日、戊川生産部長及び丙田課長代理と会議のため上京してきた原告との間で本件発明に関して話合いが行われた。戊川部長らが権利譲渡を求めて原告を説得したのに対し、原告は、これに応じず、会社が出願人となっている前記「ガス吸収方法」の基本発明と改良発明である前記九件とのスロスライセンスや会社に独占的通常実施権を与えて原告は実施料を貰うという提案をしたが、結局物別れに終った。なお、この話合いの中で、「言うことを聞かなければ仕事を取り上げるぞ。」といった趣旨の言葉も戊川部長側から出た。
同年七月七日、本社生産部の戊原開発課長は、「ロータリースクラバーに関する発明考案の件」と題する書面をもって、原告に対し、排煙脱硫装置に関する原告の一連の発明は職務発明であると通告した。これに対し原告は、同月一五日、戊原開発課長に対し、「本件発明は、職務発明としての要件を備えていないので、職務発明に当たらない」との回答文書を送付した。そこで、戊原課長は、同月二九日付けの書面をもって、原告に対し、本件発明のうちまだ会社に権利譲渡していない発明一二件につき譲渡証を同年八月一〇日までに送付するよう指示したが、原告は、同年八月一一日、これを拒否する旨の書面を同課長に送付した。
(2) 原告は、昭和五一年二月上旬頃、甲沢工場の戊野次長に対し、本件発明に関し、「会社は原告に対して詐欺・恐喝未遂を働いており、裁判にかけると会社が必ず負ける。本件については会社が原告に和解を求めてくるのが常識であるから、戊野次長が戊原開発課長と親しいのなら、会社の方から和解を求めるよう同課長に伝えて欲しい。今まで生産部と交渉してきたがらちがあかないので人事部と話をし、人事部との間でらちがあかなければ労働組合と話をし、更にそれでもだめなら会社を告訴するつもりである。本件発明にかかる排煙脱硫装置(ロータリークラスバー)については原告の親戚知人関係で既に会社を作っており、また他の会社にも同装置の情報を伝えてある。」などと述べた。
同年四月一五日、原告は、乙田人事部長、戊田人事部次長、甲山人事課長らから、本社人事部長室で、本件発明に関する権利を会社に譲渡するよう要求された。その際、人事部長側から、「生産部長の指示に従え。生産部長の指示に従わないのであれば、会社を辞めろ。」との言葉が出た。
その後、原告は、事情を知らない甲沢工場の経理担当者をして、昭和四七年一一月に訴外会社から一旦受領した本件発明の出願補償金三〇〇〇円を訴外会社に返却する手続をとらせた。これに対して、同工場の甲海総務課長は、同年五月中数回にわたり原告と話合いをもった。原告は、従来の経緯について同課長に自らの立場を説明するとともに、今後原告としては、①就業規則の不当解釈等に関する行政上の救済措置の申立、②大阪工場の排煙脱硫装置についての使用差止請求、③脅迫による刑事事件として一連の会社幹部の告訴、④会社のとったやり方を対外的にPRする等の手段を取るつもりであり、仮に話合いで解決するとしても、特許等の出願名義をすべて原告名義とすること及び上司が原告に謝ること等が条件である旨述べた。これに対して、甲海課長は、原告の意向等について会社に報告する旨述べ、原告もこれを了承した。しかし、前記出願補償金の件については、双方の立場を併記した確認書を作成のうえ、返却手続を取り消すことで話合いがつき、原告は、同月一七日、右三〇〇〇円を再受領した。
同年六月、丙山甲沢工場長は、原告に対して乙沢支店への転勤を内示した際、「乙沢支店では、一応セメント新製品の開発ということになっているが実質的には仕事はない。それでも行くのか。」と述べた。
(三) 乙沢支店時代
(1) 乙沢支店在職中の原告の勤務状況
原告は、昭和五一年六月二一日付けで乙沢支店に転勤となった。しかし、右時点から翌昭和五二年八月までは、技術課の一角に机のみ置いてあるが実質上仕事はないという状態であった。同年九月からは、原告は、新製品クリーンセットの販売に一人で従事したが、原告の販売したクリーンセットは必ずしも順調に売れず、他の支店に比べて販売数量が低かったため、当時の戊海支店長の指示により、原告は、昭和五三年二月、クリーンセットの販売担当から外され、昭和五四年一〇月までは通常の机の位置とは離れた場所に一人だけ机を置かれ、電話も与えられず、書類の回覧もないという状態に置かれた。
(2) 昭和五二年から昭和五三年まで
昭和五二年二月、乙川支店長は、原告を呼び出してレストランで話をした。その際同支店長から、「例の件があって誰もお前を使ってやろうというのがいないので、しようがなしに引き取ってやったんだ。俺に任せて権利をよこさないか」との言葉が出た。
乙沢支店の甲河次長は、今後の仕事に関する従業員の希望調査の際、特許等の権利を会社に譲渡するよう原告を説得することも数回あったが、同年四月の話し合いの際には、「会社としてはもっとひどいところへ飛ばすことだってできるんだ。」との趣旨の言葉が出た。
同年七月、乙川支店長は、乙沢支店を離任する際、特許等の権利を会社に譲渡するよう原告を再度説得したが、原告は、理由が説明してもらえないのでは困るとして、これを拒否した。
昭和五三年三月、原告がクリーンセットの販売業務から外されて一人別の場所に机を移動させられた際、戊山総務課長との間において、「例の件が原因なのだろうね。」、「そうだ。権利を譲渡するなら考えよう。」という趣旨のやり取りがあった。
同年七月二〇日、原告は、戊沢工場の乙海総務課長と話をした際、実用新案権が確定するから好機が到来すること、これまでに弁護士や弁理士と相談し準備を進めてきたので、まずは弁護士を通じて会社に対して働きかけをし、話がまとまらなければ訴訟を提起するつもりであること等を述べた。
同年一一月一日、原告は、訴外会社の本社に立ち寄り、丙田開発課長代理に対して、「本件発明の職務発明性を巡る問題のために様々な不利益を受けた。その原因は同課長代理にある。職務発明であることをはっきり説明してほしい。なるのならとことんやるつもりである。納得できれば話合いで解決する意思はもっている。」などと述べた。
同月七日、原告は、乙沢支店の戊山総務課長に対し、排煙脱硫装置が実用新案の登録査定を受けたので、本件発明が職務発明であるという納得できるような根拠を文書で示してほしい旨を申し入れ、納得できるような説明がなければ本件発明に関する特許等の権利は原告のものであり、丙沢工場等での排煙脱硫装置の使用は無断使用になるなどと述べた。戊山課長は、右申入れをどう処理すべきか等につき本社の指示を仰いだが、本社からは特に指示がされなかった。
(3) 昭和五四年における交渉状況
原告は、昭和五四年二月一日、乙河所長付と食事をした際、「福岡の弁護士に相談したところ、東京の弁護士を通じて相談した方がよいと言われたので、そのようにするつもりでいる。権利は第三者に譲渡しようと思っている。」旨を述べた。
同月一六日、原告の依頼を受けた長畑裕三弁護士は、訴外会社に対し、本件発明が職務発明であることの根拠を具体的に明らかにするよう求める書面を送付した。
同月二六日、乙沢支店の戊山総務課長は、本社の指示に基づき、原告に対し、昭和五三年一二月二二日に実用新案登録がされた排煙脱硫装置の発明考案につき、会社への譲渡証書に押印することと登録補償金の受領を求めたが、原告は右要求を拒否する旨の書面を訴外会社に提出した。
同年三月三〇日、訴外会社の顧問弁護士である根本弁護士は、前記長畑弁護士からの電話に対して、本件発明が職務発明であることは原告に何度も説明しており、本人があくまで納得がいかないのなら、会社を相手に訴訟を起こせばよい、但しその場合には潔く会社を辞めてすっきりした形でやればよい旨答えた。長畑弁護士は、原告に対し、これ以上抗争することは解雇という処分を招きかねないとの意見を述べ、妥協するよう勧告した。
そこで原告は、友人とも相談のうえ、同年四月一六日、戊山総務課長に対し、本件発明が職務発明であるか否かを棚上げにして、広く一般にも活用してもらうという見地から、会社に対し無条件で権利譲渡したい旨を申し入れた。これに対し、戊山総務課長は、原告に対し、職務発明であることを認めることと会社上層部に対する謝罪を検討するよう求めるとともに、右申入れのあったことを本社に伝達した。
同年五月一八日、原告は、戊山課長に対し、職務発明に関する問題についての原告の所感を記載した書面を提出したが、戊山課長は、職務発明であることをはっきりと認めること、上司に対する過去の非礼について詫びること及び再度職務発明の問題を蒸し返さないことを明らかにした文書を書かなければ問題の解決にならないと原告を説得した。
同月三〇日、原告から右の趣旨を入れた内容の念書が提出されたが、戊山課長は前記趣旨に十分添っていないとして、再度書き直しを要求し、六月一一日、原告に対し念書案を交付した。その際、同課長は、原告に対し、気持ちに引っかかりが残るようなら念書は出さなくても良い旨助言した。
原告は、同年七月四日、右念書案どおりの念書を提出したうえ、同月三〇日上京して、乙田副社長、戊田人事部長、丙野人事課長、乙川専務、乙野常務、丁原研究所長等に対しお詫びの挨拶をした。そして、原告は、同年九月三日付けで本件発明に関する特許権及び実用新案権を訴外会社に譲渡するとともに、特許等を出願中の七件の発明考案につき出願人の名義変更に同意し、同年一〇月二六日、これらの出願費用及び補償金についての精算が行われた。
その後、原告は本社に転勤となり、以後昭和五九年三月まで、原告と訴外会社との間で本件発明について特段の紛議は生じなかった。
(四) 解雇前後
昭和五九年三月一日、原告は、突如乙岳人事部長に対し、特許出願に関連して行われた昇進差別等について損害賠償金を支払い、不当差別回復措置を講ずること、本件発明が職務発明であることの証明をすること、会社が右の点を証明できないときには特許権等を原告に返還すること、職務発明であることの証明ができた場合には原告に対し九四〇〇万円ないし一億五八〇〇万円程度の実施料を支払うことなどを文書で申し入れた。
原告の依頼を受けた大橋弁護士は、同年四月一九日、訴外会社に対し、昭和五四年九月三日付けでなされた前記特許権等の譲渡行為を強迫を理由として取り消し、一五日以内に原状回復を求める趣旨の内容証明郵便を送付した。
原告は、同年七月一二日、訴外会社を相手方として、実用新案権侵害による損害賠償請求訴訟を当庁に提起した。
原告は、同月二五日、乙岳人事部長から「当面出社しないで良い。追って沙汰する。」旨告げられたうえ、同月三一日付で訴外会社を解雇された。
その後間も無く、原告から訴外会社を相手方として地位保全の仮処分の申立てがなされたが、裁判所の勧告により、昭和六〇年二月二〇日、訴外会社と原告との間で大要次のような内容の訴訟上の和解が成立した。
ア 訴外会社は解雇の意思表示を撤回し、原告と訴外会社間の雇用契約を昭和五九年七月三一日付けで合意解約する。
イ 訴外会社は原告に対し、退職金一二六二万九一〇〇円及び一時金二二四万四三〇〇円を支払い、更に原告を昭和六〇年二月二一日以降四年四か月にわたり嘱託として採用する。原告が会社外で勤務し、他の仕事をすることは自由とする。訴外会社は、右嘱託期間中、原告に対し月額三〇万円の嘱託料を支払う。
ウ 訴外会社は、右イの金員のほかに、原告に対し和解金二〇〇万円を支払う。
エ 訴外会社と原告間には、仮処分申請にかかる雇用契約関係に関し、和解条項に定めるほかに何らの債権債務関係の存しないことを相互に確認する。
2 脅迫等による不法行為の成否について
(一) 右に認定した事実によれば、原告と訴外会社の上司らとの間の一連の交渉の過程で、右上司らが、本件発明に関する特許等の権利ないし特許等を受ける権利を譲渡しないことにより原告が不利益取扱いを受ける可能性がある旨の言辞を原告に対して用いたことがあったことが認められる。
しかしながら、先に認定したとおり、本件発明は職務発明に当たり、少なくとも、訴外会社がこれを職務発明と考えるに付き十分な理由があったのであるから、訴外会社が原告からこれらの権利を譲り受けようとすることには合理性があり、したがって、会社側が右権利の譲渡を要求することは、それ自体で直ちに不法行為となるものではない。また、原告が右譲渡要求に応じないことは、適法な職務命令に対する違反であって、社内秩序を乱すものであるから、そのため原告を不利益に取り扱うことが違法となるわけではないことも明らかである。したがって、右譲渡要求の過程で原告の上司らが不利益取扱いについて告知することは、専ら不利益取扱いの告知のみを譲渡要求の手段としたり、告知内容が社会的な相当性を欠くときは格別、そうでなければ、これを違法な脅迫行為と評価する余地はないというべきである。
この点につき、原告は、右一連の交渉の間、訴外会社からは職務発明であることにつき何ら説明がなされず、専ら原告に対する不利益取扱いのみが交渉の手段であったと主張するかのごときである。しかしながら、前記個々の交渉において原告会社が何ら理由を示すことなく本件発明が職務発明であると決めつけたことを認めるに足りる証拠はない。かえって、甲田生産部長が、訴外会社の費用で行った実験の結果出てきた発明であることやロータリーキルン等を応用した発明であることを根拠に職務発明であることを認めるよう原告を説得したことは、先に認定したところであるし、職務発明の根拠となるべき事情の多くは、右交渉の当時会社側にもその存在が明らかであったと思われるものであるから、長時間かつ長期にわたる交渉の過程において、会社側が職務発明であると考える根拠について全く言及することがなかったとは到底考えられない。してみれば、訴外会社側の説明に原告が納得しなかったことは確かであるとしても、職務発明であることを根拠付ける事情の説明が何らないまま不利益取扱いの告知のみを手段として譲渡要求がされたと認めることはできない。
また、不利益取扱いを示唆するような言葉が出たのは長期にわたる交渉の中の一部に限られること、しかも、右のような言葉の出た個々の交渉過程での双方のやり取り等交渉の具体的内容が必ずしも明らかでないこと、更に、訴外会社への本件発明の報告から、いわゆる基本発明についての譲渡証提出、訴外会社による実験開始に至るまでの過程において、原告は職務発明であることについて何ら異議を述べていなかったにもかかわらず、出願補償金受領の時点に至って突然職務発明である旨の主張を始めて紛争が発生し、以後、原告が訴外会社から職務発明であることの納得できる説明がない限り権利譲渡に応じられないとして訴外会社側の要求を拒否するとともに、民事、刑事の法的手続を取ることも辞さないとの必ずしも柔軟とはいい難い態度で訴外会社側に対抗してきたという経緯に鑑みれば、訴外会社側が原告との交渉に際して多少なりとも強い姿勢で臨んだとしても、それが直ちに社会的に相当性を欠くということはできない。
そうすると、先に認定した一連の交渉の過程における訴外会社側の上司の言辞は、解雇や配転をも示唆するものではあるけれども、これをもって違法な脅迫行為と認めることはできない。
(二) 次に、原告を甲沢工場から乙沢支店へ転勤させた点を考えるに、右転勤の理由は必ずしも明らかではないが、先に認定した一連の経緯、殊に昭和五一年二月以降、原告が甲沢工場の他の上司との間でも、本件発明の取扱いにつき深刻な紛争を生じていたこと及び原告が技術担当の管理職であるという点からすると、仮に訴外会社が本件発明の取扱いをめぐる紛議を理由に原告を甲沢工場から転勤させたとしても、これをもって不法行為とすることはできない。
(三) 次に、乙沢支店における処遇について検討する。
(1) 先に認定したように、乙沢支店においては、昭和五一年六月から昭和五二年八月までと昭和五三年二月から昭和五四年一〇月までの合計約二年一〇か月もの間、原告に通常ならば当然与えられるような仕事が与えられなかった。これは、職務発明についての権利譲渡問題を巡る一連の原告の動きに対する懲戒的意味を有するものであり、特に後者については乙沢支店におけるクリーンセットの売り上げが伸びなかったことに対する懲戒的意味をも有するものと認められるが、既に(一)で判断したとおり、先に認定した経過に照らせば、このような不利益取扱いをすること自体が直ちに違法なものというわけではない。
しかしながら、不利益取扱いの程度について検討するに、原告に仕事を与えずにおいた期間は、右措置の対象となったものと推認される原告の行動に照らしても、余りに長きに過ぎるといわざるを得ないし、昭和五三年二月からは原告を一人だけ別の場所に置き、電話も与えず、文書回覧にも関与させないというものであって、右処遇によって受けた原告の精神的苦痛には看過できないものがあるというべきである。してみれば、右の期間中原告が賃金を支給されていたこと、共同絶交の状態にあったとまでは認められないことを考慮に入れたとしても、右取扱いは、懲戒としての相当性を超えたものというべきであり、違法というべきである。
(2) そこで、右乙沢支店における違法な処遇に関する被告らの責任の有無について検討するに、まず、被告らが共謀のうえ原告に対し右のような処遇をしたことを認めるに足りる証拠はない。この点について、原告は、乙沢支店における原告の取扱いについては訴外会社内に特別な指揮系統が生じており、右処遇が被告乙山ら取締役の直接指揮に基づくものであることが明らかであると主張するが、およそ推測の域を出るものではなく、採用の限りでない。
そこで次に、各被告が右のような違法な処遇を防止ないし是正すべき立場にあったかどうかにつき検討するに、昭和五三年六月まで機械事業部長であった(昭和五二年一一月からは工務部長兼務)被告丙川、昭和五三年六月まで戊谷工場長、同年同月から研究所長であった被告丁原及び昭和五三年六月まで生産部開発課長代理兼特許係長、同年同月から研究所開発課長代理兼特許係長であった被告丙田については、乙沢支店における原告の人事上の取扱いを左右し得る立場にはなかったものと認められるから、仮に、前記違法な処遇の事実を知ったとしてもこれを是正する法的義務があったとはいえない。
次に、被告乙山、同丙川及び同甲田は、右違法取扱いの期間中取締役であり(被告乙山は代表取締役社長、被告丙川は昭和五一年七月まで常務取締役、その後専務取締役、被告甲田は昭和五一年七月まで常務取締役、その後昭和五二年七月まで専務取締役)、人事に関する重要事項について決定・承認・協議をする等の権限を有していたものであるから、人事上の違法な取扱いがなされないよう監督すべき義務を負うということができる。しかしながら、同人らが本件職務発明問題につきある程度の情報を得ていたことは推認できるけれども、乙沢支店における原告に対する人事上の具体的処遇についてまで知っていたことを認めるに足りる証拠はなく、また右処遇について知り得たことを認めるに足りる証拠もない。
これに対し、被告戊田は、昭和五三年六月以降人事部長の地位にあり、人事上の違法な取扱いがなされないよう監督すべき、より具体的な義務があったということができる。そして、乙第四七号証(昭和五四年四月一八日付けの乙沢支店長から研究所長宛の書面であり、写しが人事部長にも送付されている。)には、原告が職場復帰を望んでいる旨の記載があり、これからすれば、被告戊田は、遅くとも右時点においては、原告が仕事を与えられていないことについて認識していたものと認められる。したがって、同被告としては右違法な処遇を是正すべきであり、これを怠った点において責任を問われる余地があるというべきである。
(3) しかしながら、《証拠省略》によれば、原告は、昭和五九年七月三一日付けで訴外会社から解雇された後、右解雇の無効を主張して地位保全の仮処分を申請し、その審理の過程においては、被告らを含む訴外会社の上司らによる脅迫や差別的取扱い等の有無についても主張が尽くされたが、昭和六〇年二月二〇日、先に認定したような訴訟上の和解が成立したことが認められ、本件訴訟の提起されたのが昭和六二年一月二七日であることは、当裁判所に顕著である。しかして、右和解成立に至るまでの経緯及び和解の内容よりすれば、原告と訴外会社間においては、当時既に訴訟係属中であった実用新案権侵害による損害賠償の問題を除き、原告に対する雇用関係上の取扱い及び解雇により生じた一切の紛争を和解によって解決し、爾後何らの請求をしない旨の合意がされたものと解するのが相当である。そして、乙沢支店における前記処遇は、訴外会社の業務執行の一環としてされたものであること及び和解において個人責任の除外が明示されていないことに鑑みれば、和解の当事者である訴外会社はもちろん当事者ではない被告らとしても、右に関する紛争は右和解により解決し、新たに個人責任の追及がされることはないと信頼することは当然であり、またそう信じたからこそ訴外会社も和解に応じたものと考えられる。
したがって、右和解成立後約二年を経過した後に、乙沢支店での処遇に関する被告戊田の行為が不法行為に当たるとして、損害賠償を請求することは、当事者を代えて紛争を蒸し返すものと評価されても仕方がないのであって、仮に原告に実体法上被告戊田に対する損害賠償請求権があるとしても、その行使は、信義則に反し、権利の濫用として許されないものというべきである。
(四) 昇進昇給差別による不法行為の成否
この点については、原告が同期の訴外会社従業員に比して合理的な理由なく昇進昇給が遅れたことについての具体的な主張立証がないから、不法行為の成立を認めるに足りない。
(五) 解雇に関する不法行為の成否
本件解雇については、既に(三)(3)において述べたことと同様に、仮にこれが不法行為に当たるとしても、被告らに対して個人責任を追及することは、当事者を代えて紛争を蒸し返すものにすぎず、権利の濫用として許されないというべきである。
三 結論
以上のとおりであって、その余の点について判断するまでもなく、原告の請求には理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判断する。
(裁判長裁判官 魚住庸夫 裁判官菅野博之及び裁判官小林宏司は、転補につき、署名捺印できない。裁判長裁判官 魚住庸夫)