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東京地方裁判所 昭和62年(行ウ)123号 判決 1991年2月28日

原告

甲野花子

右訴訟代理人弁護士

松田隆次

山田昭

被告

四谷税務署長三好毅

右指定代理人

齋藤隆

小此木勤

砂川功

酒井敏夫

主文

一  被告が昭和六一年三月一五日付けでした原告の昭和五七年分の所得税に関する更正のうち課税総所得金額について四二六万五〇〇〇円を超える部分及び短期譲渡所得金額を一億二三二五万円とする部分並びに同所得税に関する過少申告加算税賦課決定を取り消す。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由

第一原告の請求

主文同旨

第二事案の概要

一当事者間に争いのない事実

1  原告の本件土地の取得及び譲渡の経緯

(一) 原告は、甲野太郎(以下「太郎」という。)と夫婦であったが、昭和五七年三月八日に成立した最高裁判所昭和五五年(オ)第一〇七四号離婚等請求事件の和解(以下「本件和解」という。)により太郎と協議離婚した。原告は、右和解において、離婚に伴う財産分与として、太郎から、東京都新宿区袋町八番四所在の宅地87.66平方メートル及び同所九番四所在の宅地377.64平方メートル(以下、この両土地を合わせて「本件土地」という。)の譲渡を受け、昭和五七年三月二七日にその所有権移転登記手続を了した。

その後、原告は、同年七月一日付けの売買契約により、株式会社裕文社(以下「裕文社」という。)に対し、本件土地を代金三億五二五〇万円で売却した。

(二) 本件土地は、南西側の1.39メートルの間口のみが公道に接し、その北側が崖地となっているため、本件土地のみでは建物の敷地として利用することが困難な土地である。

他方、本件土地の南西側に隣接して原告の長男である甲野一郎(以下「一郎」という。)の所有する東京都新宿区北町四一番四所在の宅地56.89平方メートル(以下、この土地を「北町の土地」という。)があり、本件土地と右北町の土地とを一体として利用した場合には、その公道に接する間口が15.76メートルとなり、その利用価値が増大する関係にある。なお、右北町の土地は、もとは東京都の所有に属していたものを昭和三七年九月ころに原告が払下げを受け、その後昭和四八年三月ころに原告から一郎に譲渡されたものであった。

裕文社は、一郎が代表取締役を務めている会社であり、昭和五七年六月二五日の取締役会において本件土地と北町の土地とを一体として買い受けることを決議しており、裕文社が原告から本件土地を買い受けるに当たっての三億五二五〇万円という代金額は、右のような事情を基礎としたものであった。なお、右北町の土地も、昭和五七年七月一日付けで、一郎から裕文社に対して代金四二五〇万円で売り渡された。もっとも、右北町の土地の売買契約は、これによる譲渡所得が短期譲渡所得となる事態を避けるため、その後解除され、改めて昭和五九年二月六日付けでこれと同一内容の契約が締結されるに至っている。

2  本件課税処分の経緯

(一) 原告は、被告に対し、昭和五八年三月一五日、昭和五七年度分の所得税の確定申告をした。その際、原告は、本件売買契約による譲渡所得の金額につき、譲渡収入金額を右売買代金額の三億五二五〇万円とするとともに、財産分与による本件土地の取得費も本件売買契約の代金と同額の三億五二五〇万円であるとして、分離課税の短期譲渡所得の金額を零円とし、また、同年分の原告の不動産所得金額三二八万一八〇四円と給与所得金額二三四万七七六〇円を合計した所得金額が一〇〇〇万円を超えないことから、昭和五八年法律第一一号による改正前の租税特別措置法(以下「措置法」という。)二九条の四第一項による老年者年金特別控除が適用されることとなるとして、課税総所得金額を四二六万五〇〇〇円として申告した。

(二) ところが、被告は、昭和六一年三月一五日、原告の本件土地の譲渡収入金額は右売買代金額の三億五二五〇万円であるが、その取得費は二億二九二五万円であるとして、短期譲渡所得の金額を一億二三二五万円とし、これに伴い、原告には措置法二九条の四第一項による老年者年金特別控除が適用されないこととなるため、課税総所得金額が五〇九万一〇〇〇円になるとして、所得税額を八九六〇万七三〇〇円とする更正(以下「本件更正」という。)及び加算税額を四四五万一〇〇〇円とする過少申告加算税の賦課決定(以下「本件決定」という。)をした。

(三) なお、本件更正及び本件決定が、原告の確定申告のあった後三年間を経過する昭和六一年三月一五日になってなされたのは、次のような事情によるものであった。

すなわち、前記のとおり、財産分与として本件土地を原告に譲渡したことにより、太郎についても譲渡所得が生じたこととなるが、太郎は右の譲渡所得について昭和五七年分所得税の確定申告を行わないでいた。そこで、被告は、太郎に対し、昭和五九年二月二九日付けで、右譲渡所得につき譲渡収入金額を原告の裕文社に対する本件土地の売却価額である三億五二五〇万円と同額とする決定処分を行った。これに対して、太郎は右処分を不服として異議申立て及び審査請求を行い、昭和六〇年一一月二六日に出された審査裁決において、右収入金額を本件土地のみを北町の土地とは独立に単独で取引する場合の価額である二億二九二五万円とすべきものとの判断がなされ、太郎はこれを争わずに、同裁決が確定した。そこで、被告は、右の裁決による判断に合致させる形で、原告の本件土地に関する譲渡所得についても、その取得費を右二億二九二五万円として、本件更正及び本件決定を行うに至ったものである。

二争点

本件の争点は、専ら右裕文社への本件土地の譲渡による譲渡所得の金額がいくらになるのかの点にあり、また、前記のとおり、本件土地の譲渡による収入金額が本件売買契約代金額の三億五二五〇万円であることについては当事者間に争いがないから、本件土地の取得費をいくらとすべきかのみが本件の争点となることになる(なお、本件土地の譲渡による所得金額と原告の不動産所得及び給与所得を合計した合計所得金額が一〇〇〇万円を超えることとなった場合には、措置法二九条の四第一項による老年者年金特別控除が適用されないこととなるため、本件土地の譲渡による短期譲渡所得以外の原告の課税総所得金額が被告の主張するとおり五〇九万一〇〇〇円になること、逆に原告の合計所得金額が一〇〇〇万円を超えないこととなる場合には、右老年者年金特別控除の適用により、その課税総所得金額が原告の申告どおり四二六万五〇〇〇円となることについても、当事者間に争いはない。)。

しかも、この本件土地の取得費をいくらとすべきかの点に関する当事者双方の主張は、次のとおりであり、結局は、本件土地の価額を評価するに当たって、これが独立して利用、処分されることを前提とした評価をすべきか、それとも北町の土地と一体として利用、処分されることを前提とした評価をすべきかの点が、争いの対象となっているのである。

1  被告の主張

(一) 原告の本件土地の譲渡による譲渡所得の金額の計算に当たっては、原告が財産分与を受けた時の本件土地の価額をもってその取得費とすべきである。しかも、右取得費の算定の基準時となる資産取得時とは、本件土地が原告の支配下に入った時、すなわち本件土地について原告のために所有権移転登記がなされた日である昭和五七年三月二七日をいうものと解すべきである。

(二) 右昭和五七年三月二七日の時点における本件土地の価額は、その公道に接する間口が前記のとおり1.4メートル弱しかないこと等からして、右時点を基準時とした本件土地の鑑定価額である二億二九二五万円であったものとすべきである。

原告から裕文社への本件土地の売却価額である三億九五〇〇万円という価額は、偶々裕文社が本件土地を北町の土地と一体として取得することとしたという原告の本件土地取得時以後に生じた事情のため、本件土地の価額がこれを独立の土地として取得することとした場合の価額より増価したことによって生じたものであるから、これをもって右昭和五七年三月二七日時点における本件土地の価額に相当するとすべきものではない。

(三) 仮に、本件土地の価額を、本件土地がこれに隣接する北町の土地と併合され両地が一体として利用されることを前提として評価すべきものとしても、この併合による値上り益は、結果として生じた原告から裕文社への売買の代金額に基づいて算定するのではなく、これを本件土地と北町の土地の各寄与率に応じて配分して算定すべきであり、このような方法によって評価した右昭和五七年三月二七日の時点における本件土地の価額は、二億八四三四万円となる。

したがって、被告は、予備的に、本件土地の取得費を右二億八四三四万円と主張する。

2  原告の主張

(一) 本件土地の取得費の算定の基準時となる資産取得時は、本件土地が原告の現実的支配下に入った時、すなわち太郎が本件土地にあった門扉、塀等の構築物を収去して本件土地を現実に原告に引き渡した昭和五七年七月三一日をいうものと解すべきである。

(二) 右昭和五七年七月三一日の時点における本件土地の価額については、これと近い時期に本件土地の売買がなされており、それが正常な取引の範囲内にあると認められるときは、その売買価額をもってその価額と認定するのが合理的である。したがって、前記の同年七月一日付けの本件売買契約における売買価額である三億五二五〇万円をもって右七月三一日の時点における本件土地の価額とすべきである。

(三) 仮に本件土地の取得時における価額を鑑定によって認定すべきものとしても、前記太郎と原告との間での和解においては、原告が本件土地を北町の土地と一体として有効利用できることを当然の前提としたうえで、本件土地を離婚に伴う財産分与として原告が取得することが合意されたのであるから、本件土地の価額についてはこれを北町の土地と一体として利用されることを前提とした鑑定評価がなされるべきである。

第二争点に対する判断

一財産分与によって譲渡された資産の取得費の算定方法について

1  譲渡所得の金額の計算上控除する資産の取得費とは、その資産の取得に要した金額等をいうものと定められている(所得税法三八条一項)が、離婚に伴う財産分与として資産を取得した場合には、取得者は、財産分与請求権という経済的利益を消滅させる代償として当該資産を取得したこととなるから、その資産の取得に要した金額は、原則として、右財産分与請求権の価額と同額になるものと考えるのが相当である。そして、財産分与を命ずる判決等において、当該財産分与請求権の金額が明示されているときは、その金額がそのままその価額となることは明らかであるし、また、財産分与として分与される資産の価額が明示されている場合も、その資産の価額がそのまま財産分与請求権の価額になるものと推認することができる。

2  しかしながら、本件のように和解によって分与される資産が決定されたものの、その価額や財産分与請求権の金額が和解調書上明示されていないときは、もともと離婚に伴う財産分与の価額等が第一次的には当事者間の協議によって確定されるものとされていることからして、当該和解において当事者がどの程度の金額の財産を分与することに合意し、あるいは当該資産をどのような価額を持つものと認識してこれを分与することと合意したのかを、当該和解の手続において考慮されたと考えられる具体的な事情に基づいて推認することによって、右財産分与請求権の価額、更には分与される資産の価額を認定すべきものと考えられる。

二本件和解における本件土地の評価額等について

1  本件財産分与に関連する事実関係としては、各項目の末尾に掲記した証拠により、次の事実を認めることができる。

(一) 原告と太郎は、昭和一一年に婚姻し、同年に長男一郎をもうけたのを始めとして二男二女をもうけるに至った。ところが、太郎が昭和三五年ころから他の女性と関係をもつようになったことを起因として両名の婚姻関係は破綻することとなり、原告は、昭和三九年に離婚訴訟を提起したが、事情があって昭和四四年にいったん請求を放棄した。しかし、昭和四七年に至り、今度は太郎が離婚を求めて訴えを提起したため、原告の方でも反訴を提起し、離婚、慰藉料支払及び財産分与を請求することとなった(以下、この離婚訴訟を「本件離婚訴訟」という。)。昭和五一年に右訴訟の第一審判決が言い渡されたが、同判決は、原告の側からの離婚請求を認容し、太郎に対し、原告に二〇〇万円の慰藉料を支払い、かつ、本件土地を含む太郎所有の土地の持分三分の一を分与すべき旨を命ずるものであった。太郎は、同判決を不服として控訴したが、昭和五五年七月に控訴は棄却された。更に、太郎は、最高裁判所に上告したが、上告審での審理の過程で、太郎側が和解による解決を求める上申書を裁判所に提出し、受命裁判官の勧告、説得により、前記のとおり和解が成立した。(<証拠>)

(二) 本件離婚訴訟においては、第一審段階から和解が試みられたが、当初太郎が原告に財産を分与することを一切拒んでいたため、和解は難航した。また、太郎は、本件土地を含むその所有土地(以下、これらの土地を「袋町の土地」という。)上に建物を所有し、右建物に居住していたが、その住居の門の敷地等として使用していた当時原告の所有名義となっていた北町の土地をも太郎の所有に属するものであると主張していた。また、これを一つの契機として、長男一郎は、昭和四八年、右離婚訴訟を原告側に有利に展開させる目的もあって、北町の土地を原告から買い受けてその登記名義を自己に移し、太郎に対しその明渡しを要求するようになり、昭和五三年には、太郎を被告として右土地の明渡請求訴訟を提起した。昭和五三年に右訴訟の第一審判決があったが、その後、本件和解に一郎が利害関係人として参加し、前記和解において右明渡請求訴訟を取り下げるに至っている。(<証拠>)

(三) 本件離婚訴訟においては、第一審判決も第二審判決も、袋町の土地と北町の土地を併せて一区画としてその評価額を算出して、これを財産分与を命ずる判断の前提としている。また、本件土地は、袋町の土地の北側部分にあるが、間口が1.4メートル弱しかなく、それだけでは、建築基準法上その上に建物を建築することが不可能な土地であることは前記のとおりであり、原告及び一郎は、本件土地を取得後は、本件土地と北町の土地を一体として利用ないし処分することを前提として、本件土地の分与を受ける内容の和解に応じたものであった。(<証拠>)

2 以上のとおり、太郎と原告との離婚に伴う財産分与として本件土地を太郎が原告に譲渡するという内容の和解が、永年にわたる離婚訴訟の過程で双方の十分な検討を経た結果成立したものであり、しかも、前記のとおり、本件土地はこれを単独に利用したのでは建物の敷地として利用することも困難な土地であり、現にもともとは原告の所有に属しておりその後いわば訴訟対策のためともいえるような形で一郎に譲渡された北町の土地と一体として利用されていたこと等からすれば、右和解における太郎と原告との間での合意内容の合理的な意思解釈としても、特段の事情のない限りは、この和解によって分与された本件土地については、原告側でこれを北町の土地と一体として利用あるいは処分することがその前提とされていたものと推認するのが相当である。

すなわち、本件財産分与の和解においては、原告と太郎との間で、北町の土地と併せて一体として利用ないし処分することを前提とした場合の本件土地の価額に相当する資産を財産分与する旨の合意が成立したものと認めることができ、したがって、本件和解においては、右のような前提による本件土地の評価額に相当する財産分与請求権が合意によって確定されたものであり、このような評価額が本件土地の取得費になるものと解するのが相当である。

3  これに対し、被告は、原告が、本件和解の過程で、当初は旧太郎所有地のうちの北町の土地とは反対側にある南側部分の分割取得を希望していたこと、前記北町の土地の明渡訴訟において、一郎が、北町の土地はそれ自体単独で利用することが可能な土地であり、同人あるいは裕文社の駐車場用地として使用する予定であると主張していたこと、更に、太郎が、本件土地の財産分与による譲渡所得について、譲渡収入金額を本件土地と北町の土地とを一体の土地として評価した価額である三億五二五〇万円としてした被告の決定を不服として、審査請求等を申し立てて争い、その後右収入金額を本件土地のみを単独で取引する場合の二億二九二五万円とした審査裁決が出されるや、これを争わずに確定させていること等からして、右和解の際に、原告と太郎との間で、本件土地の価額をこれを北町の土地と一体として使用することを前提として評価すべき旨の合意があったものと推認することはできないと主張する。

しかしながら、前記1において認定したような事実関係に加えて、右北町の土地の明渡訴訟の過程で、太郎の側でも、本件土地と北町の土地とはこれを一括利用するのでなければ有効な活用が図れない状況にあるとの主張を行っていたことが認められる(<証拠>)こと等からすれば、本件和解に際しても、太郎の側で本件土地のみを単独で利用、処分したのではその有効な活用が図れないとの認識を有していたことが優に認められるものというべきであり、被告の主張するような事実があるからといって、右のような推認を排して、本件和解が、その土地単独ではその上に建物を建築することも不可能な本件土地を、その単独利用した場合の価額を前提として、太郎から原告に財産分与として分与するという趣旨のものであったと解することは、著しく不合理なものというべきである。更に、被告の主張する太郎からの審査請求における同人の主張内容についても、右審査請求においては、太郎は、主として、本件土地はもともと実質的には太郎と原告との共有に属していたものと考えられるから、これを財産分与として原告に譲渡した場合に譲渡所得が生じたものとして課税を行うことが失当であること、また、課税を行うとしても、本件のような場合その譲渡価格の評価は相続税評価額によるべきこと等を主張して、被告の決定を争っていたものであることが認められる(<証拠>)から、右のような事実も、未だ前記のような推認を覆すまでには至らないものというべきである。

4  なお、本件土地の取得時期を所有権移転登記の時点である昭和五七年三月二七日とすべきかそれともその現実の引渡日である同年七月三一日とすべきかについては、前記のとおり、当事者間に争いがある。

しかしながら、右和解の調書においては、本件土地を財産分与として原告に譲渡するについて、太郎が同年七月末日限り本件土地上の建物部分、門扉、塀等の構築物を収去して本件土地を原告に明け渡すべき旨が合意されていること(<証拠>)からすれば、原告による本件土地の取得時期をどの時点と解すべきかということとはかかわりなしに、いずれにしても右の合意に従って七月末日には明け渡されることとなっている本件土地を前記のような前提による評価額によって原告に分与する旨が合意されているものと考えられるから、少なくとも本件土地の価額を本件土地のみを独立して使用することを前提として評価すべきかそれとも北町の土地と一体として使用することを前提として評価すべきかという点に関しては、右の取得時期をいずれの時点とするかによって差異は生じてこないものと考えるのが相当である。

三本件土地の取得費の額について

1  右のとおり、本件土地の取得費を、本件土地を北町の土地と一体として利用、処分することを前提とした場合の本件土地の評価額と考えた場合、まずその価額を二億八四三四万円と評価すべきものとする鑑定評価(<証拠>)が存在する。

右の鑑定は、本件土地を北町の土地と一体として利用、処分することを前提としながらも、本件土地の評価額を求める方法としては、標準価格と考えられる価額(一平方メートル当たり七五万八〇〇〇円)に間口狭小、間口に対する規模過大等の要因を減価要因として勘案した減価率(0.65)を乗じて得た価額をまず求め、これに北町の土地を併合することによって得られる増加額を加算するという方法を採用している。しかし、この点については、本件土地を北町の土地と併合した場合の価額を求めるのであれば、むしろ端的に、本件土地の標準価格と考えられる価額に右の間口狭小等の要因以外の減価要因(本件土地については、そのような要因としては、崖地及びのり地が含まれていることが挙げられる。)による減価率(右鑑定によれば0.9)のみを乗ずることによってその価額を評価するという方法も考えられないではないところであり、そのような方法が許されるものとすると、本件土地の評価額が三億一〇〇〇万円から三億二〇〇〇万円程度となる余地もあるのである。

2  そもそも、ある時点における土地等の資産の客観的な価額というものは、鑑定等によって常に一義的に特定されるという性質をもつものではなく、ある程度の幅をもった範囲内の価額として観念されるべきものであることはいうまでもないところである。したがって、その評価の基準となる時点とさほど遠くない時期にその資産について現実に売買等が行われている場合には、その取引の価格がとくに異常なものであることが認められるといった特段の事情のない限り、その売買価額をもってその価額とすることも十分に合理的な根拠を持つものと考えられる。

本件土地については、前記のとおりその価額評価の基準時を昭和五七年三月二七日とすべきかそれとも同年七月三一日とすべきかはともかくとして、いずれにしてもこれとさほど遠くない時期である同年七月一日付けで代金を三億五二五〇万円とする売買契約が締結されている事実があることは前記のとおりであり、しかも、この売買代金額は銀行の融資のための審査を経て決定された金額であることから(<証拠>)、決して異常な金額とはいえないものであることがうかがえるし、また前記の鑑定結果の対比においても、異常に高額なものとはいえないものと考えられる。なお、課税庁である被告自身も、審査裁決によってこれと異なる判断が示される前の段階では、本件土地の価額を右の三億五二五〇万円であるとして、太郎に対する課税処分を行っていたことは前記のとおりである。

3 以上のような事実関係からすれば、本件土地の取得費を二億八四三四万円とすべきものとする被告の予備的主張も採用することができず、本件土地の取得費を三億五二五〇万円であるとして原告のした申告が、誤ったものであるとまですることは困難なものといわざるを得ない。

四結語

結局、本件土地の取得費は、原告の主張するとおり三億五二五〇万円と認めるべきこととなるから、本件土地の裕文社への譲渡による分離短期譲渡所得の金額は零円となり、これに伴って、これ以外の課税総所得金額も、原告の主張するとおり四二六万五〇〇〇円となることになる。

(裁判長裁判官涌井紀夫 裁判官市村陽典 裁判官小林昭彦)

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