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東京地方裁判所 昭和63年(ヨ)1652号 決定 1988年11月11日

債権者

真宗大谷派

右代表者代表役員

古賀制二

右代理人弁護士

川島武宜

大野正男

廣田富男

債務者

大谷光紹

右代理人弁護士

鍛冶良道

小坂重吉

石田義俊

山﨑克之

河野正実

主文

一  本件申請をいずれも却下する。

二  申請費用は債権者の負担とする。

理由

第一当事者の申立

一債権者

1  債務者は、自らが中心となって結成する宗教団体に「東本願寺派」との名称を使用してはならない。

2  債務者は、「東本願寺第二十五世法主」との称号を使用してはならない。

3  申請費用は債務者の負担とする。

二債務者

主文と同旨

第二当事者の主張

一債権者の主張

(被保全権利)

1 債権者は、被包括法人約九〇〇〇か寺を擁する浄土真宗の宗派の包括法人で、宗祖親鸞聖人の真影を安置する本山本願寺(真宗本廟)を中心にその立教開宗の精神に則り、教法を宣布し儀式を執行し、その他の宗教活動を行うことを目的とする宗教団体である。

2 債権者の名称

(一) 債権者の本山で、債権者の宗派に属するすべての僧侶や門信徒らの信仰の中心となる礼拝施設は、京都市内の債権者の肩書地である烏丸にある本願寺であるが、その他に同じく本願寺を称する浄土真宗本願寺派の本山が京都市内の堀川に存在する。右の両本願寺は、西暦一六〇二年にそれまでの本願寺が分裂して創建されたものであるが、以後両者を識別するため、両本願寺自身も、社会一般の人々も、債権者の本山を「東本願寺」、「お東」と、堀川にある本願寺を「西本願寺」、「お西」と呼んできた。

ところで、東本願寺の名称は、単に本山を呼称するだけでなく、本山を中心としてこれに帰依する普通寺院・僧侶・門信徒によって構成される宗派である債権者の呼称としても使用されてきた。また、特に宗派を示す名称として、債権者は自らを「東本願寺派」と呼称し、他からもそう呼称されてきた。

以上のとおり、「東本願寺」及び「東本願寺派」の名称は、債権者の通称となっている。

(二) 右のような実態に鑑み、債権者は、昭和六三年一月二〇日、「称号及び標章等に関する条例」を制定し、債権者自体及び本願寺を指称する称号として、従来から使用されてきた「大谷派」、「真宗大谷派本願寺」、「大谷派本願寺」、「大谷本願寺」、「真宗東本願寺派」、「東本願寺派」、及び「東本願寺」の七つの名称を採用することを定めた。

(三) なお、債権者は、昭和六二年一二月一四日、法形式上宗派たる債権者とは別の宗教法人であった本願寺を合併することとし、文部大臣の認証を得て、債権者と本願寺とは法形式上も一体化することとなったのであるが、本願寺が債権者の本山であることに変わりはなく、また、もとより債権者も本願寺も従来からの通称である「東本願寺」ないし「東本願寺派」という名称を引き続き使用しており、今後とも使用することに何ら変わりはない。

3 債務者の名称

(一) 債務者は、債権者における最高の宗教上の地位たる門首大谷光暢の長男であり、得度を受けて当時の本願寺の住職後継者たる法嗣の地位にあった。そして、昭和四一年一〇月、債権者の被包括法人である東京本願寺の住職代表役員に就任した。

(二) しかるに、債務者は、東京本願寺代表役員にあることを奇貨として、昭和五六年六月一五日東京都知事の認証を得て東京本願寺と債権者との被包括関係を廃止してしまい、東京本願寺は債権者の宗派から離脱して単立の寺院となったため、債権者は、同日その内部規則である僧侶条例に基づき債務者の僧籍を削除した。

しかし、債務者は、僧籍を削除された後も、債権者の宗教上の地位である法嗣であると主張して、債権者の宗教法人規則の変更の効力を争ったり、法嗣の地位確認訴訟を提起するなどしたが、いずれも敗訴判決が確定した。

4 債務者の違法行為

債務者は、昭和六三年二月二九日、東京本願寺において、参集した僧侶その他の関係者約二〇〇名に対して、自らが中心となって東京本願寺を本山とする新しい宗派を結成し、その名称を「浄土真宗東本願寺派」とし自らを「東本願寺第二十五世法主」と名乗る旨の宣言をし、右宣言は、宗教新聞「中外日報」などを通じて広く社会に報じられた。

しかし、右の行為は、債権者がその人格を表象する名称として使用している「東本願寺派」の名称を新しく結成する宗派に使用するものであり、以下5に述べるとおり、数百年の歴史と伝統を有する債権者及びその本山である本願寺の人格を害し、名誉と信用を著しく毀損するものである。

また、新宗派に「東本願寺派」の名称を使用されると、債権者の行う宗教活動の相手方その他の関係者に対して、右の「東本願寺派」があたかも債権者や本願寺を指称するかのごとく誤認・混同を生じさせる結果となり、債権者の宗教活動に重大な支障を来すことになる。

さらに、債務者は「東本願寺第二十五世法主」との称号を使用しているが、右行為も債権者の名誉と信用に対する著しい侵害行為である。すなわち、債権者の最高法規である宗憲では、昭和五六年六月一一日改正前は浄土真宗の法統を伝承する宗教上の地位として「法主」を、改正後は同様に「門首」なる制度を設けているが、現在の門首は、債務者の父の大谷光暢であり、同人は東本願寺の「第二四世門首」である。そして、債務者は、債権者のかつての宗憲に基づく法主の地位を右大谷光暢から受け継いだと主張して、東本願寺第二五世法主と名乗っているものであり、右行為により、債権者の僧侶及び門信徒だけでなく、一般人をして宗祖親鸞聖人以来の東本願寺の法統が債権者から債務者に引き継がれたかのごとき誤った印象を与え、債権者の宗教活動に重大な支障を来すことになる。

5 名称権

本件仮処分の被保全権利は、債権者の人格権である名称権(氏名権)である。

わが民法は、ドイツ民法一二条、イタリア民法七条のごとく明文をもって氏名権の保護を定めていないが、学理上・判例上右の立法例と同趣旨に解されており、最高裁昭和五八年(オ)第一三一一号同六三年二月一六日第三小法廷判決・民集四二巻二号二七頁は、個人に氏名権を認めており、右の法理は、個人同様、種々の社会的活動を行っている非営利法人を含むすべての法人にも適用されるべきである。そもそも、名称の問題は民法の一般原則に委ねられているものであり、民法がその旨の明文を有しないからといって商法と異なり自然人や非営利法人の氏名権を保護しない趣旨でないことは、右の最高裁判決によって明らかである。商法が類似商号禁止の規定を設けたのは、営利的競争の多い商人間においては、他人の名称を使用し、他人の業績にただ乗りして不正な利益を得ようとする現象が生じ易いことから、定型的な場合につき明文をもってこれを禁止したにすぎないのであって、むしろ、商号に関して確立された法理と判例は、氏名権(名称権)一般を考えるうえで十分参考となるべきものである。債務者は、偶然に債権者と類似の名称を呼称したのではなく、故意に債権者の多年にわたる社会的活動の成果をあたかも自らのものであるかのような前提に立って、故意に「浄土真宗東本願寺派」という名称を使用したのであって、まさに債権者の社会的・歴史的業績と混同させるべくあえて右名称を使用しているものである。

6 債務者の主張に対する反論

(一) 債務者は、本件仮処分申請は法律上の争訟に該当しないと主張するが、右主張は否認する。本件において、債権者は、債権者教団内外の種々の紛争においてどの主張が正当であるかの判断を求めているものではないことはもちろん、教義上の見解と関連して名称の使用の当否を論じているものでもない。そして、債権者がその活動上使用する名称につき他人に対して使用禁止を求めることについては、宗教上の問題についての判断を要しないのであるから、本件はまさに法律上の争訟に該当する。すなわち、宗教団体といえども通常の市民法上のルールには従うべきものであり、他の宗教団体の名称や通称を表示して宗教活動を行う自由を有するものではないのであって、あたかも今なお債権者と関係を有するかのごとく自己を表示することは、まさに債権者の名称権を侵害するものであって、法律上許されない行為である。それは、教義、教理の問題でも、宗教の自由の問題でもなく、法律上の問題である。

(二) 債務者は、「浄土真宗東本願寺派」なる宗教団体がすでに権利能力なき社団として成立していると主張するが、右主張は否認する。宗教団体「浄土真宗東本願寺派」の基本的規約である「宗制」によれば、同宗派は、債務者が管長・法主・総裁を兼ねるほか、他のあらゆる役職員も債務者が任命することになっており、宗教法人にあるような団体事務を決定する責任役員も存在せず、議決機関らしき「審議委員会」や「宗会」も管長が任命した者によって構成され、管長が諮問した事項についてのみ審議することとされているなど、同宗派は、債務者個人により意思決定され、債務者個人によりその行動を行うものであり、また、同宗派は、固有の財産を有せず、東京本願寺の財産によって経費を支弁するか否かも、管長たる債務者の一存で決定できる仕組みとなっている。このような宗派は、債務者個人とは別の人格を有する団体であるとはとうていいえないものであって、実体法上権利能力を欠くのみならず、訴訟上の当事者能力をも有しないものと解さざるを得ない。

(保全の必要性の存在)

そこで、債権者は、債務者を被告として、右の違法行為に対する妨害排除の請求として、その結成する宗派に「東本願寺派」との名称を使用してはならない旨及び「東本願寺第二十五世法主」との称号を使用してはならない旨の判決を求めて、本案訴訟を提起すべく準備中であるが、本案判決の確定を待っていては、債務者の「浄土真宗東本願寺派」の結成作業が終了して、同宗派の活動が本格化し、また、債務者の「東本願寺第二十五世法主」としての宗教活動も一層活発になることが予想される。そうなると、債権者の被る前述の被害は、一層甚大となり、これらの被害を事後的に金銭によって回復することはとうてい不可能である。

二債権者の主張に対する認否及び反論

1  債権者の主張1の事実については、債権者が浄土真宗の宗派の包括法人であること、立教開祖の精神に則り、教法を宣布し儀式を執行し、その他宗教活動を行うことを目的とする宗教団体であることは認め、その余の事実は知らない。

2  同2(一)の事実のうち、両本願寺が京都の烏丸と堀川の地にそれぞれ創建されたことは認め、その余の事実は否認する。債権者と宗教法人本願寺とが合併したことにより、京都烏丸に所在していた本願寺は消滅し、同所には真宗本廟が存在するにすぎない。したがって、債権者が右「本願寺」について主張する名称権は、保護されるべき利益をもはや有しない。

同2(二)の事実は知らない。「東本願寺」という通称は、右のように消滅した「本願寺」の通称であって、債権者の通称ではない。

同2(三)の事実のうち、合併の事実を認め、その余の事実は否認する。認証の事実は知らない。

3  同3(一)の事実のうち、門首が債権者の宗教上の最高位であるとの点を否認し、その余の事実は認める。

同3(二)の事実のうち、「奇貨として」「債務者の僧籍を削除された」との点を否認し、その余の事実は認める。

4  同4の事実のうち、債権者主張の宣言を債務者がした事実、及び債権者の最高法規である宗憲では、昭和五六年六月一一日改正前は浄土真宗の法統を伝承する宗教上の地位として「法主」を、改正後は同様に「門首」なる制度を設けているが、現在の門首は、債務者の父の大谷光暢であり、同人は東本願寺の「第二四世門首」であること、債務者が債権者のかつての宗憲に基づく法主の地位を右大谷光暢から受け継いだと主張して東本願寺第二五世法主と名乗っている事実は、いずれも認め、その余の事実は否認する。

5  同5の主張は争う。

(一) 債権者は、人格権(氏名権)に基づいて名称使用を差し止めるというが、そもそも人格権(氏名権)については明文がなく、人格権の一たる氏名権とは一体いかなる権利で、いかなる場合にこれが侵害されたものとして差止請求権が与えられるのかについては慎重に検討すべきものである。

人格権の一として氏名権が認められるとしても、そのためには、債権者が「東本願寺」なる名称について、専用使用権とでもいうべき法律上の利益ないし権利を有していなければならないのであって、他から通称として「東本願寺」と呼称されている程度では、右の法律上の利益を有するとはいえない。すなわち、甲がその氏名権に基づいて乙に対し差止請求権を有するというためには、①何人からみても甲の当該氏名が甲の固有の氏名であることが明らかであり、②甲がその氏名を独占的・排他的に使用することができ、③甲がその使用について法律上の利益を有する場合であって、④他方、乙にはその名称を使用し得る正当な事由が一切存しないにもかかわらずに、これを使用し、その結果甲の法律上の利益を害した場合をいうと解すべきであるが、本件においては、右の要件をいずれも満たさない。

また、本件が債権者の氏名権の侵害に該当しないものであることは右のとおりであるが、仮に何らかの氏名権の侵害があるとしても、その差止請求権の存否を判断するためには、債務者の本件行為について、人格権としての個人の名誉の保護と表現の自由及び信教の自由の保障との調整をしたうえで、その当否を判断する必要がある。そして、右調整にあたっては、表現の自由及び信教の自由という精神的自由の保護により重点を置くべきである。

右の観点から考察するとき、債権者の申請は、時・所・態様等を一切限定することなく「浄土真宗東本願寺派」ないし「東本願寺第二十五世法主」との名称・称号の使用の禁止を求めるもので、一般的概括的な規制を求めるものであるところ、右のような絶対的な禁止は、表現の自由の規制としてとうてい許されない。また、債権者が主張するように「自己の名称が使用された」との一事をもって差止めを求めることは許されないのであって、そのほか、「債務者がこれを使用することにつき明らかに正当の事由が存在せず」、「被害者は重大にして著しく回復困難な損害を被るおそれがあること」が必要であると解すべきであるところ、本件は右要件を満たさないものであり、差止めを求めることはできない。

(二) 宗教団体における名称使用の慣習

宗教団体の名や寺号は、深い背景のもとにその教義や歴史的経緯の中で呼称されるものであるから、ある宗教団体又はある寺院だけがその名の使用権を有し、他の団体や寺院がその名を使用し得ないということは極めて稀なことであって、全国に数多くある宗教団体や寺院の中では同一又は類似の名称は数多く存在する。これは、宗教界においては、名称問題は教義及び歴史と密接に関連するものであるがゆえに、その命名権を尊重するという寛容の慣習が存在するといい得るからである。

債権者の正式名称は「真宗大谷派」であって、債務者の主宰する団体の正式名称は「浄土真宗東本願寺派」であり、それぞれの所在地は異なるうえ、債務者が債権者とは別に独立して浄土真宗東本願寺派を結成したことは、真宗教団内部では既に公知の事実であって誤認・混同されるおそれは全くなく、両者の識別が不可能になることはあり得ない。

(三) 正当事由の存在

債務者が本件名称を使用するについては、本願寺及び真宗の歴史的な状況、債務者の血統、宗教上の教義についての債務者の立場などの観点からみれば、正当事由が存在するものというべきである。そしてまた、債務者の使用する名称は、単なる「東本願寺派」ではなく「浄土真宗東本願寺派」であるから、債権者の名称の使用にはならず、債務者の債権者に対する名称権侵害又は差止請求権の発生要件は存在しない。

三債務者の主張

1  本件仮処分申請は法律上の争訟に該当しない。裁判所法三条に定める「法律上の争訟」とは、当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争であって、かつ、それが法令の解釈適用により終局的に解決することができるものであり、具体的な権利義務ないし法律関係に関する紛争であっても、法令の適用により解決するに適しないものは裁判所の審判の対象となり得ない。

債務者は、債権者の第二四世法主であった大谷光暢の長男であって、浄土真宗親鸞聖人の血筋をひく者であるが、同人が債権者と袂を分かち、一派を興して浄土真宗の教化活動等を行うに至った経緯には、東本願寺を本山として崇敬護持する教団の宗教上の教義・教学・教団等をめぐる長い年月にわたる争いが存在し、その争いの結果、現執行グループが債権者を乗っ取り、東本願寺教団を変質させたため、債務者は自らの宗教的立場を「東本願寺第二十五世法主」の名称により明らかにし、その主宰する宗派を「浄土真宗東本願寺派」としたのである。

右の経緯からして、東本願寺教団というべき教団内部における従前の宗教上の争いを避けて本件請求を判断することは不可能である。

万一、本件仮処分申請が認容されるようになれば、国家の名において、債権者をもって、従来の東本願寺教団の法統の継承者であり、債務者は法統を相承していないと宣言することにほかならず、宗教上の教義の争いに関して、裁判所が判断する結果となるのである。

2  「浄土真宗東本願寺派」宗教団体の権利能力なき社団性

宗教団体「浄土真宗東本願寺派」は既に結成され、昭和六三年四月二八日文化庁に対し宗教団体である旨の届出書を提出しており、法的には権利能力なき社団である。債権者は、債務者個人のみを相手に「浄土真宗東本願寺派」なる名称を使用してはならない旨の本件仮処分の申請をし、また本案訴訟の提起を準備しているというが、右の名称は、宗教団体の名称であり、債務者個人の名称でない以上、債務者はその当事者としての適格性を有しない。

第三疎明された事実

本件記録及び審尋の結果の全趣旨によれば、次の事実が疎明されたものということができる。

一当事者

1  債権者は、被包括法人八八七〇寺、別院五二寺、門徒数約一〇〇〇万人を擁する浄土真宗の宗派の包括法人で、宗祖親鸞聖人の真影を安置する真宗本廟(本願寺ともいう。)を中心に、その立教開宗の精神に則り、教法を宣布し、儀式を執行し、その他の宗教活動を行うことを目的とする宗教団体である。

2  債務者は、債権者の門首大谷光暢の長男であり、もと法嗣(債権者の旧宗憲では、債権者の宗派の宗教上の最高位者を法主といい、その後継者を法嗣といっていた。)の地位にあり、かつ、債権者の別院である宗教法人東京本願寺の住職で代表役員であった。

二債権者の名称

1  教如上人は、西暦一六〇二年、本願寺教団が分裂した際、京都烏丸の地に本願寺を創立し、以来浄土真宗のうち本山を本願寺とするものが二派となった関係で、同本願寺が東本願寺又はお東と呼称され、京都堀川町にある本願寺が西本願寺またはお西と呼称されるようになった。

2  江戸時代において、債権者の宗派に属するすべての僧侶や門信徒らの信仰の中心である礼拝施設の本山(京都烏丸所在の本願寺)と宗派(教団)とは、一体不可分の関係であったことから、右本山も教団も、ともに東本願寺又はお東と呼称されていた。

3  明治政府は、明治五年六月九日、各宗に管長を置くように定め、その結果、天台宗・真言宗・浄土宗・禅宗・日蓮宗・時宗・真宗の七宗が公認された。

その後、明治政府は、明治七年三月一二日、各派に管長を置くように定めたため、真宗のうち、東西両本願寺・高田専修寺・木辺錦織寺の四派が公認され、債権者は東本願寺派と名乗るようになり、さらに明治九年一月、転宗・転派の自由が認められた結果、真宗は一〇派となった。

右のような明治初期以降の管長制の採用によって「本山即教団」という体制が変化し、「本山」は僧籍者の根本道場であるとともに檀信徒の信仰の霊地としての宗教的地位を有するにすぎなくなり、「教団」の世俗的事務や教団全体の管理統制事務は、「派」の所管に移行する結果になった。

4  債権者は、明治一四年六月二五日、その正式名称を「真宗大谷派」と改称したが、それ以後も「東本願寺」、「東本願寺派」という名称を通称として、出版物・布教活動等に使用しており、門徒や一般人にもそのように呼称されてきた。

5  明治政府は、各宗及び各派に管長が置かれ、管長が宗教的事項に関してもその権限を行使したことから、教導職を廃止し、管長に対し宗教的事項についての権限行使を委任させる旨の通達を出した。右通達は、昭和一四年四月八日の宗教団体法制定とともに効力を失ったものの、その内容は同法及び同法施行令に引き継がれた。

6  右宗教団体法制定後、債権者とその本山である「本願寺(真宗本廟)」とは、法律上別の法人として存在し、本山は単位寺院として債権者の被包括法人となっていたところ、その後、債権者内部において大谷光暢法主と執行部との間に対立を生じ、本山と宗派の合併等に関する意見の対立を背景として、昭和五三年一二月六日、同法主(本山の住職)は、本願寺が債権者から独立する旨の声明文書を発するとともに、所轄官庁に対しその旨の申請をした(右申請は、手続要件不備のため認められなかった。)。

7  大谷光暢法主の右呼びかけに応じて債権者を離脱した各寺院は、昭和五四年一月一七日、債権者の元宗務総長を理事長として「浄土真宗東本願寺派法人連盟」という新門派を結成した。

8  また、東京本願寺は、昭和五四年債権者との被包括関係を廃止する旨規則を変更し、昭和五六年六月一五日東京都知事の認証を受けて債権者から離脱して独立の寺院となった。

これに対し、債権者は、右同日、債務者に対し、「債権者から離脱した寺院に所属する僧侶は出願のない限り債権者から離脱したものとみなし、その籍を削除する。」との僧侶条例施行条規一九条一項に基づいて、その僧籍を削除するとともに、門首後継者を債務者から他の者に変更する旨を告示した。この結果、債務者は、債権者の組織上何らの地位も有しないこととなった。

9  債権者は、昭和六二年一二月一四日、「本山」は教団の宗教目的達成のための信仰上の霊場(根本道場)であり、教団全体の「派」に包括される寺院・宗門徒全体の中心的存在であって、「本山」のない教団は存在しないとともに教団のない「本山」も存在する余地がないとの考えのもとに、宗派である債権者に本山である宗教法人本願寺を合併し、正規の手続を経て、文部大臣の認証を得た。これによって、宗教法人本願寺は債権者に合併されて解散登記がされるとともに、債権者の本山寺法は廃止され、真宗本廟条例が制定された。しかしながら、右合併によって、本願寺がその実体を失ったわけではなく、従来同様債権者の本山として信仰の中心となるものであって、宗門の内外を問わず、それが「東本願寺」と呼称されている実体に変わりはない。

10  債権者は、昭和六三年一月二〇日、従来同派及び本願寺が自ら使用し、又他から呼称されてきた名称を改めて内外に宣言する目的で、「称号及び標章等に関する条例」を制定し、「真宗東本願寺派」「東本願寺派」「東本願寺」等の名称を使用することを定めるとともに、債務者の存在が仏具販売商法、出版や募金活動等に支障を生じさせることのないようにするため、右「東本願寺」等の通称につき特許庁に商標登録を出願する目的で臨時宗会を開催してその提案をした。

他方、債務者は、昭和五六年、既に「東本山」「真宗東本願寺派」「真宗東本願寺」等一五種類の称号につき商標登録申請を特許庁に出願したが、債権者が異議申立をした結果、右のうち登録された「東本山」の名称について無効審判請求がされている。

11  その後、債務者は、昭和六三年二月二九日、東京本願寺において、債権者は長年続いた東本願寺の教義をもはや受け継いでおらず、かつ、債権者のした宗本一体化によって本山である東本願寺は宗教上消滅したとの見解のもとに、債務者こそが東本願寺の法統を伝承しているから、右の意味における東本願寺を東京の東京本願寺の地に興すとして、債務者が中心となって「浄土真宗東本願寺派」との名称の宗教団体を結成し、自らは「東本願寺第二十五世法主」と名乗ると宣言し、浄土真宗東本願寺派宗制を定め、宗教上・組織上の活動を開始した(右宣言は宗教関係の新聞等によって公表された。)。

もっとも、右浄土真宗東本願寺派は、右のように宗制は定められたものの、現在の段階では、債務者個人及び東京本願寺と独立した意味での財産および管理機構など組織上の物的及び人的実体を有していないため、宗教法人としないでいるほか、その本山である東京本願寺と他の単立寺院との関係は前者が後者の信仰上の崇敬の対象となる関係にとどまっている。

そして、債務者は、同年三月一日、債権者に対し、「浄土真宗東本願寺派執務長美濃部薫一」の名称で、債務者の長男光見が同派の法嗣となり、同派の新門を兼務するとの通告文を送付した。

第四当裁判所の判断

一本件仮処分申請の法律上の争訟性の有無

債務者は、本件仮処分申請が法律上の争訟ではないと主張するので検討する。

本件仮処分申請の被保全権利は、債権者が有すると主張する名称権(氏名権)であり、債務者がその結成した宗教団体に債権者の通称とほぼ同一の名称を使用した行為等が、債権者の右名称権の侵害行為に当たるか否かが裁判所によって判断されるべき事項であるが、右の判断をするに当たっては、債権者と債務者との間に存する宗教上の教義の争いについて判断をする必然性があるわけではない。確かに、右の判断に当たっては、その過程において、債務者が主張するように、債権者の有する名称権と債務者の享受すべき表現等の自由及び信教の自由とを十分に調整すべきであることはいうまでもないが、右のような判断は、まさに司法的判断そのものであって、宗教上の教義についての判断を含むものでないから、これが許されないいわれはない。債務者の右主張は、採用することができない。

二「浄土真宗東本願寺派」の権利能力なき社団性の有無

債務者は、「浄土真宗東本願寺派」が宗教団体として権利能力なき社団の実体を有する以上、債務者は本件仮処分申請事件の債務者適格を有しないと主張するが、債務者は、右宗教団体が権利能力なき社団であるとの具体的事実関係を疎明せず、かえって、前掲疎明事実によれば、右宗教団体は、いちおう形式上宗制は定めたものの、少なくとも現在の段階では、債務者個人ないし宗教法人東京本願寺と独立した組織上の物的及び人的実体を有していないということができるなど、右団体は権利能力なき社団と認めることはできないといわざるを得ない。債務者の右主張は、採用することができない。

三氏名(名称)決定の自由と制約

1 個人(自然人)は、自己の氏名をいかなるものにするかについては、公共の福祉に反しない限り、自由に決定することができ、基本的には、他人からいかなる容喙を受けることもないのであり、個人の氏名の決定は、観念的には創造的であり、一個人に一氏名の関係が成立するということができる。しかしながら、現実には、氏名を構成する言語が有限であることから、氏名の決定は、既に存在している他人の氏名の全部又は一部を模倣して自己の氏名として採択することになることを避けることはできない。しかしながら、その場合に当該他人との誤認・混同を生ずる虞れがあるときであっても、当該他人に不当な不利益を与える意図を有するなどの特段の事情がない限り、自己の氏名の決定は、個人の自由に属し、私法的秩序のもとでは適法というべきであり、当該他人から氏名の使用差止又は損害賠償を受けることはないものというべきである。以上の法理は、個人のほか、法人の場合にも、法人の種類によって修正されることがあっても、基本的には妥当するものというべきである。

2 しかしながら、他方、氏名の決定が基本的には個人の自由であるとはいうものの、氏名は、社会的にみれば、当該個人を他から識別する機能を有するのであって、個人は、当該氏名を使用して社会的諸活動を行い、その業績は当該氏名によって象徴的に表象されているのが通常であることに鑑みるならば、右の機能が損なわれるような誤認・混同を生じる同一又は類似の氏名を使用することは、社会生活上無視し得ない混乱を招来しかねず、法的にみてもおのずから一定の制約があるものというべきである。特に、利益追求を行動原理とする私的経済活動の分野においては、不公正な自由競争が行われたり、消費者の利益が損なわれたりする虞れが高いことなどから、他人の使用している名称を自己の名称として使用することに対し、誤認・混同を生ずるような同一又は類似の名称を使用することを禁止するなど立法上多くの制約を講じているのである。

3 右の観点に立って、宗教団体の名称について検討するに、宗教団体の名称決定の自由については、個人とほぼ同様に高度の自由があり、利益を追求する経済活動を行う会社の場合におけるような厳格な制約はないものというべきである。宗教団体の場合には、歴史的にみて同一又は類似の名称を採択使用している例が多いのが実態であるが、それにとどまらず、名称自体がその宗教の教義上の立場・主張と密接な関連性を有し、これを象徴的に表象する役割を担っていることも少なくないから、先行の宗教団体の名称使用に法的に権利性を付与し、後行の宗教団体に対しその名称決定の自由を制限することは、宗教団体の宗教活動に対する不当な制限を伴いかねない。他方、宗教団体の名称決定になんらの制約もないとすると、宗教活動の相手方になった一般人からすると、自己がいかなる宗教団体から宗教活動を受けているのかについて誤認・混同を生じたり、また、宗教団体同士の間においても、宗教上の教義等の異なった他の宗教団体の行為が自己の行為と誤解されることが生じることになり、法的にも無視し得ない混乱が生ずることになるから、できるだけ同一または類似の名称の使用は避けられるべきである。なお、宗教団体は、法人としての登記を受けるについて、公法的な規律を受けることになるが、これは、私法的な規律とは別の観点からの問題である。

以上彼此検討すると、宗教団体の場合の名称決定の自由について、先行する宗教団体と同一又は類似の名称を採択する後行の宗教団体が社会的にみて識別が不可能又は著しく困難であるような同一又は類似の名称を採択する自由は、法的にも否定されるべきであるが、それ以外は、後行の宗教団体が先行する宗教団体の宗教上の成果を不当に利用しようとの意図を有していたり、同一又は類似の名称を採択することになんら相当な事由がないなどの特段の事情がない限り、基本的には自由であると解するのが相当である(なお、宗教団体といえども、霊園・墓地の分譲・仏壇・仏具の販売、書物の出版、その他経済活動を行うことがあるが、右のような経済活動の分野においては、他の宗教団体が同一又は類似の名称などを使用するときは、法的な不利益を被ることがあるが、右のような事態は商標登録などの制度、不正競争防止法、不法行為法等によって規律すべき問題であり、右のような経済活動における問題点を捉えて、他の宗教団体の名称の使用そのものの全面的な禁止を講ずることは、宗教活動に対する不当な制限をするものであって、許されるものでないことはいうまでもない。)。

したがって、同一の名称又は著しく類似した名称であっても、宗派、所在地、代表者などが異なることによって、識別が可能であるか又はそれほど困難でない場合には、特段の事情がない限り、同一又は類似の名称を採択使用することは違法ではないものというべきである。

四債務者の「浄土真宗東本願寺派」の名称等の使用の適法性について

右の見解に立って、本件をみることにする。

1  「浄土真宗東本願寺派」の名称使用について

(一) 債務者がその結成した宗教団体の名称として採択した「浄土真宗東本願寺派」のうち、「東本願寺」との部分は、前掲疎明事実及び公知の事実によれば、債権者の通称であって、しかも、その宗教法人としての正式名称以上に社会に通用している通称であることが明らかであり、法的に債権者の正式名称と同程度に保護されるべきものというべきである。また、「浄土真宗東本願寺派」のうち「浄土真宗」は、固有名詞ではあるが、「宗」の名称であって、債権者とは同一の「宗」に属するのであるから、「東本願寺」に「浄土真宗」を冠したからといって、これによって、債務者の結成した宗教団体と債権者の通称との差異はほとんどなく、債務者がその結成した宗教団体の名称と債権者の通称との間には、高い類似性があり、むしろ同一に近いということができる。したがって、正式名称に差異はあるものの、一般人からすれば、その名称のみによって、債務者の結成した宗教団体と債権者の宗教団体とを識別することには、かなりの困難を伴うものというべきである。

しかしながら、他方、「浄土真宗東本願寺派」は東京本願寺と同一の場所に所在し、その代表者は債務者であって、債権者のそれとは明確に異なっており、既にこの点において識別が不可能ではないのみならず、前掲疎明事実から明らかのように、債権者及び法的にはそれに吸収された本願寺(東本願寺)には、久しく内紛状態があり、これまでにも、「浄土真宗東本願寺派法人連盟」との名称の宗教団体が結成された経緯があり、また、債権者が著名にして巨大な宗教団体であることから、以上の内紛は社会に周知の事実となっていることなどからすると、右のとおり同一に近いほど類似性の高い名称ではあるものの、債権者及び債務者の宗派に何らかの関係を有する者のみならず、宗教問題に多少の関心がありさえすれば、一般人にとっても、両者の識別が著しく困難であるということはできない。したがって、債務者が「浄土真宗東本願寺派」との名称を採択使用していることについては、前掲の見解に照らし、特段の事情がない限り、違法性はないものというべきである。

(二) それでは、債務者が結成した宗教団体に右のような債権者と類似した名称を採択したことの相当性の有無についてみるに、債務者は、その宗教上の主張によれば、債務者こそが東本願寺の法統を伝承し、京都烏丸にある東本願寺はもはや宗教上はいわば形骸化したというのであるが、債務者の右宗教上の主張は、債務者の生立・経歴、身分などからすると、「浄土真宗東本願寺派」を名乗るための単なる口実であるとは窺われず、債務者にはその結成する宗教団体に「浄土真宗東本願寺派」との名称を採択使用することにつき、債務者の宗教上の主張からすれば相当性があるものというべきである(もとより右主張の宗教上の成否は当裁判所の判断事項ではない。)。また、債務者が債権者の長年にわたる社会的活動の成果を利用する目的で債権者と類似の名称を採択使用しているとの事情については、これを疎明する資料がない。したがって、債務者には、「浄土真宗東本願寺派」との名称を採択使用するについて、これを禁止すべき特段の事情もないものということができる。

以上のとおりであるから、債務者がその結成する宗教団体に「浄土真宗東本願寺派」との名称を使用することの禁止を求める債権者の申請は、結局において、理由がないものというべきである。

なお、債権者は、債務者が「浄土真宗東本願寺派」の名称等を使用されたことによって、現実に、債権者の人格を侵害され、かつ、その名誉と信用を著しく毀損されたと主張して、使用禁止を請求するもののごとくであるが、右主張のような事実は、これを疎明するに足りる資料はない。

2  債務者の「東本願寺第二十五世法主」との称号の使用について

本件において、債務者は、債権者の組織上の地位として「東本願寺第二十五世法主」と呼称しているのではなく、債務者が新たに結成した宗教団体の地位の名称として「東本願寺第二十五世法主」との名称を採択使用していると主張しており、右主張事実自体は前掲疎明事実に照らし明らかである。そこで、債務者の右主張の当否について検討するに、確かに債務者が「東本願寺第二十五世法主」との称号を使用すると、債務者が債権者の組織上の地位に現にあるとの誤解を世間一般に与える可能性は否定できないが、前掲疎明事実によれば、法主の制度は債権者にはもはやなく、しかも、債務者が債権者の内紛問題で債権者から離脱したことは公知の事実であり、債権者及び債務者の宗派に何らかの関係を有する者又は宗教問題に多少の関心を有する者であれば、この点に誤解を生ずる虞れはほとんどない。しかも、他方、債務者が「東本願寺第二十五世法主」との称号を使用することは、債務者がかつて債権者の法嗣たる地位にあったことなどからすると、債務者の宗教上の主張によれば、主観的には相当な事由があるものというべきである。のみならず、債務者が「東本願寺第二十五世法主」との称号を使用することを法的に禁止することは、債務者に東本願寺第二五世法主であるとの宗教上の主張をすることを事実上禁止し、ひいてはその限りにおいて信教の自由ないしは表現の自由を否定するに等しいといわざるを得ない。債務者が「東本願寺第二十五世法主」との名称のもとに債権者の法的利益を具体的に侵害する活動をしているというのであれば、債権者としては、その具体的な活動を問題にすべきである。

したがって、債務者が「東本願寺第二十五世法主」との称号を使用することの禁止を求める債権者の申請も理由がないものというべきである。

第五結語

以上のとおりであるから、債権者の本件申請はいずれも理由がないので、却下し、仮処分申請費用の負担につき民訴法八九条に則り債権者の負担とすることとして、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官塚原朋一 裁判官瀬木比呂志 裁判官木納敏和)

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