東京地方裁判所 昭和63年(ヨ)2245号 決定 1989年2月20日
債権者 甲野太郎
右代理人弁護士 田中重仁
債務者 全国給食協同組合連合会
右代表者代表理事 八木富次郎
右代理人弁護士 平岩新吾
同 牛場国雄
主文
一 債権者の申請をいずれも却下する。
二 申請費用は、債権者の負担とする。
理由
第一当事者の申立
一 申請の趣旨
1 債権者が債務者に対し、労働契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める。
2 債務者は、債権者に対し、一七万二〇〇〇円及び昭和六三年四月から本案判決確定まで毎月二五日かぎり一七万二〇〇〇円を仮に支払え。
3 申請費用は債務者の負担とする。
二 申請の趣旨に対する答弁
主文と同旨
第二当裁判所の判断
一 解雇に至る経過
疎明によると、次の事実を一応認めることができる。
1 債務者は、中小企業等協同組合法に基づき設立された協同組合連合会であって、昭和六三年四月現在全国一〇二の給食センター(協同組合)を会員とし、会員に対し、各種研究会、見学会の開催、各種保険制度加入の勧奨、共同購入あっせん等の事業を行っている。
2 債権者は、昭和六〇年九月二四日、債務者の事務局職員として雇用された。
債権者が、雇用された当時の債務者の事務局職員は、事務局長の森戸営之(以下「森戸事務局長」という。)以下債権者を含め五名であって、債権者は、高槻清志公報課長(以下「高槻課長」という。)と共に債務者の機関誌「給食だより」の編集、その会員への送付等の広報業務を担当することとされた。
なお、他の二名の職員は、田中典子が経理を、藤野理英子が共同購入及び保険に関する事務を、それぞれ担当していた。
3 昭和六一年七月、八波(旧姓・藤野)理英子が債務者を退職したが、債務者は、その補充は行わず、事務局は、四人で運営する体制とすることとした。そこで、債務者は、債権者の広報担当としての仕事ぶりに不満を持っていたこともあって、債権者に経理を担当させ、田中典子に共同購入及び保険に関する事務を担当させ、広報は高槻課長が一人で担当することとした。
4 債権者の経理担当としての日常業務は、主としては、債務者及び債務者が事務委託を受けている東京給食協同組合連合会(以下「東給連」という。)のそれぞれについて、現金及び預金の人、出金があれば、それについての振替伝票を作成し、右伝票に基づいて経理元帳に記帳すること、一月毎に経理元帳に基づいて貸借対照表及び損益計算表の試算表(以下「試算表」という。)作成すること、広告料の請求、賦課金(会費)の請求等であった。債権者は、右の他、「共同給食だより」の取材のための出張(年二回)、その発送事務(月一回)、「全給連情報」の作成(月二回、後には月一回)、「全給連会員名簿」の作成(年一回)といった広報担当として行っていた仕事や、森戸事務局長から随時指示される仕事をも担当していた。
もっとも、債務者及び東給連の経理の規模は大きくはなく、債務者における振替伝票の作成及び記帳を要する入、出金の件数は、一日平均一〇件前後であり、東給連のそれも一日平均数件以内であり、その事務処理について特別の知識、経験を要するものではなかった。
5 債権者が、経理担当となって以後、右の記帳事務、試算表の作成事務は遅れがちであったが、昭和六二年三月の決算期の事務は森戸事務局長が債権者の事務を援助したため、特段の問題は生じなかった。
6 債権者は、昭和六二年七月二四日から同年八月一五日まで、肛門周囲炎のため入院し、同月一七日まで欠勤した。森戸事務局長は、この間に、経理元帳が同年五月分までしか記帳されておらず、試算表は同年四月分から作成されていないことを発見した。
そこで、森戸事務局長は、同年八月中旬ころ、債権者に対し、同年一〇月末までに、債務者及び東給連の試算表を作成し、経理元帳の記載についても遅れを回復することを命じ、もし、間に合いそうもないときには事前にその旨を報告するよう指示した。
森戸事務局長がこのような指示をしたのは、同年九月までの上半期の財務状況を把握し、これを遅くとも同年一一月中旬までには会長に報告することが、一二月に支給すべき賞与額の決定のためにも必要不可欠であったこと、同年一〇月末までの二か月半の期間があれば、無理をしなくても遅れを取り戻すことが可能であると判断したことによる。
7 しかるに、債権者は、昭和六二年一〇月末までに債務者分の試算表は同年六月分までしか作成できなかった(東給連分の試算表は、同年九月分までが作成されていたが、これは田中典子の援助を受けたものである。また、東給連の経理元帳は、同年六月分が同年一二月末の時点でまだ整理されていなかった。)が、その間、試算表の作成状況について森戸事務局長になんらの報告をしなかった。債権者は、森戸事務局長から、一〇月末までに試算表を完成させず、しかも完成できないことを事前に報告しなかったことについて叱責されると、同年一一月一〇日までには完成させる旨申し出たが、その日までにもこれを完成することはできなかった。そのため、森戸事務局長が債権者に対し、始末書の提出を求めたところ、債権者は、一〇月末までに帳簿を整理する仕事を完成させるのは困難であったと思われるにも拘らず前6認定のような指示がされたのは、最初から実行不可能な指示がされたものと判断し、間に合わない旨の報告をしなかった、右指示に対し、「はい」と返事をしたのはそう言わざるを得ないような雰囲気であったからそう答えた、との旨の意見書を提出した。
8 そこで、債務者は、債権者は就業規則三六条一号の「勤務成績不良にして就業に適しないとき」との解雇事由に該当するので解雇もやむをえないと判断し、昭和六二年一一月中旬、債務者の代表者が債権者に対し、退職を勧告したが、債権者が応じなかったため、昭和六三年一月一八日及び同年三月三日の債務者の総務部会の意見を聴いたうえで、同年三月八日、債権者に対し、同月一五日をもって解雇する旨の意思表示をした。なお、債務者は、同年三月一五日、債権者に解雇予告手当として債権者の六〇日分の平均賃金相当額を提供したが、債権者が受取を拒んだので、同年三月一六日これを法務局に供託した。
9 なお、債権者及び藤野理英子が債務者に雇用される前には、債務者の事務局職員数は四名の時期があり、その際の経理担当職員も、おおむね債権者と同様の職務を担当していたが、経理元帳の記帳や試算表の作成が遅れることもなかった。また、債権者の解雇後、債務者はいわゆるパートの職員(週五日、一日六時間勤務)を雇用し、同人に経理を担当させているが、とくに仕事が遅れることもない(ただし、債権者の担当していた職務のうち、「共同給食だより」の発送業務は外注に出されている。)。
二 以上の事実をもとに本件解雇の効力について検討する。
経理担当の職員にとって、会計帳簿への記帳及び試算表の作成は最も基本的な職務であって、債務者の経済状態を正確に把握するためには、それが正確かつ遅滞なく記帳されなければならないことはいうまでもない。しかるに、債権者は、その最も基本的な職務を遂行することができなかったのであって、右4及び5認定の事実からすると、これを遂行できなかったのは、債権者の体調その他の一時的な原因に基づくものではなく、その能力に由来するものと推認することができる。もっとも、債権者は、その担当とされた職務が、他の事務局職員に比べて過大であったため、記帳及び試算表の作成が遅れたものであって、債権者の能力等に起因するものではない旨主張する。しかし、前一4及び9認定の事実をも参酌すると、債権者の担当とされた職務の客観的な量及び質が、経理元帳の記帳及び試算表の作成の遅れをもたらすほどのものとは解せない。
ところで、前一3認定のとおり、債務者の事務局職員は四名にすぎないから、そのうちの一名でも勤務成績の劣る者が存在する場合には、その補いをする他の職員の負担が増す割合は大きく、その職員の担当事務の停滞をもきたすことになるおそれもあるから、許容される勤務成績の悪さの程度はさほど大きくはないというべきである。
しかるに、債権者は、前一7認定のとおり、自らの仕事の遅れを仕事が多いことのせいにして省みることなく、しかも、命ぜられた仕事を期限内にできないことを報告もしなかったのであるから(期限内にできない場合にはその旨を報告するよう命ぜられていたこと、期限内に試算表ができている必要性が大きいと森戸事務局長が考えていたことは、前一6認定のとおりである。)、その結果仕事の遅れに対応する措置を債務者が講ずる機会を失わせたことも十分に考えられるのである(なお、仮に、債権者の命ぜられた仕事の量が過大であったときは、その旨を上司に申し出て、債務者においてしかるべき手段を講ずることができる機会を与えるべきであって、命ぜられた仕事を期限内にできないことは自らの責任ではないとして、できないままにすることは適切な事務処理の方法でないことはいうまでもない。)。
これからすると、債権者は就業規則三六条一号の「勤務成績不良にして就業に適しないとき」との解雇事由に該当するというべきである。そして、以上の事情のもとでは、債権者を解雇したことは解雇権の濫用とは認められない。
三 よって、本件解雇は無効とはいえないから、本件仮処分申請は、被保全権利の疎明がないことに帰するところ、事案の性質に鑑み疎明に代えて保証を立てさせることも相当でないので、これを却下することとし、申請費用の負担について、民事訴訟法八九条に従い、主文のとおり決定する。
(裁判官 水上敏)