東京地方裁判所 昭和63年(ワ)1号 判決 1991年1月22日
原告 豊田萬里
右訴訟代理人弁護士 若梅明
同 松戸勉
甲事件被告 真和美建株式会社
右代表者代表取締役 植山寛
乙事件被告 渡邉直行
右二名訴訟代理人弁護士 島田正純
同 島田叔昌
同 五十嵐利之久
主文
一 被告渡邉直行は、別紙物件目録記載の建物の一階北側トイレ及び洗面所の窓に、目隠しを設置せよ。
二 原告のそのほかの請求を棄却する。
三 訴訟費用は、原告と被告渡邉直行との間に生じたものは、これを一〇分して、その九を原告の負担とし、そのほかを被告渡邉の負担とし、原告と被告真和美建株式会社との間に生じたものは、原告の負担とする。
事実及び理由
第一原告の請求
一 主位的請求
1 甲事件
被告真和美建株式会社は、別紙物件目録記載の建物(本件建物)の二階部分及び同建物の一階部分中別紙図面一記載の(イ)(ロ)(ハ)(ニ)(ホ)(ヘ)(ト)(イ)で囲まれた部分を撤去せよ。
2 乙事件
(一) 被告渡邉直行は、本件建物の二階部分及び同建物の一階部分中別紙図面一記載の(イ)(ロ)(ハ)(ニ)(ホ)(ヘ)(ト)(イ)で囲まれた部分を撤去せよ。
(二) 被告渡邉直行は、本件建物の北側に設置した換気扇及びガスの点火口を撤去せよ。
(三) 被告渡邉直行は、本件建物の北側部分に設置された窓に目隠しを付けよ。
二 予備的請求
被告らは、原告に対し、連帯して五〇〇万円及びこれに対する昭和六一年一〇月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
一 本件は、原告が本件建物やその付属設備による日照、生活侵害等を理由に、本件建物を建築した被告真和美建及びこれを購入して居住している被告渡邉に対して、所有権、人格権または環境権に基づき、建物の一部撤去等を求め、予備的に、不法行為による損害賠償請求を求めた事案である。
二 争いのない事実等
1 原告は、杉並区《番地省略》の土地(「原告土地」という。)及び同土地上の建物(「原告建物」という。)を所有し、居住している。
原告建物は二階建で、軒の高さは地盤面から約七メートルであり、一階、二階部分とも、南隣の杉並区《番地省略》の土地(「被告土地」という。)との境界線から、東端で二三センチメートル、西端で四二センチメートルの距離に位置している。その概要は、別紙図面二及び同三のとおりである。
2 被告真和美建は、昭和六〇年一一月下旬ころ、被告土地を所有していた。そして、同被告は、そのころから被告土地上に本件建物(地上二階、地下一階建)の建築を始め、ほどなく建築を完了した。本件建物は木・鉄筋コンクリート造スレート葺地下一階地上二階建で、その床面積は別紙物件目録記載のとおりである。被告土地は、南から北への下り傾斜地であり、本件建物は、被告土地の地盤を削って低くした後に建築されたものであって、その平均地盤は、原告土地地盤より約二メートル高い位置にあり、一階の基底部は原告土地地盤より約二メートル八〇センチ高く、北側にある地階は、原告土地と同じ高さの地盤上にある。軒の高さは、平均地盤面から約六メートル八〇センチである。原告土地との境界線際には、高さ二メートル内外のブロック塀がはりめぐらされ(本件ブロック塀という。)、本件建物北側一階の基底部は本件ブロック塀まで延長されてつながっており、本件建物地階を覆っている。右境界線から本件建物一階外壁までの距離は、最も狭いところ(本件建物の北西に突出した部分)で五四センチメートル、本件建物北面からは六三センチメートルである。その概要及び原告建物との位置関係は、別紙図面二及び同三のとおりである。
3 本件建物の北側で、原告建物に面している部分に、ガスの点火口、換気扇及び窓がある。
4 被告渡邉は、同六一年一〇月六日ころ、被告真和美建から被告土地及びその地上の本件建物を買い受けた。
5 原告土地は、第一種住居専用地域、かつ、第一種高度地区内にある。
三 争点
1 本件建物により、原告に日照侵害等の生活侵害が違法に加えられたか。
(一) 原告の主張
(1) 原告は、本件建物により、次の生活侵害を被った。
(ア) 原告建物は、冬至において、午前八時から午後三時ころまで全く日影となり、日照を受けることができなくなった。
(イ) 本件建物が、原告土地との境界線上にまで建てられたため、原告は強い圧迫感、閉鎖感、原告建物内を覗かれる不快感を受けており、通風も悪い。さらに、本件建物の倒壊の危険もある。
(2) 本件建物による生活侵害は、次の点から、違法に加えられたものというべきである。
(ア) 本件建物により原告が日照を受けられない時間は、建築基準法及び東京都日影による中高層建築物の高さの制限に関する条例(東京都日影規制条例という。)の定める長さを超えている。
(イ) 本件建物は、第一種高度地区の北側斜線制限に違反している。
(ウ) 本件建物は、第一種住居専用地域の建ぺい率、容積率の制限に違反している。
(エ) 本件建物は原告土地との境界線上にまで建てられており、民法二三四条に反している。しかも、被告土地の南側には余裕があるのに、被告真和美建はあえて北側の原告土地との境界線いっぱいに本件建物を建築した。
(オ) 被告真和美建は、建築確認を得ずに本件建物を建築した。被告土地の前所有者である西武地所株式会社は、被告土地上の建物につき建築確認を受けていたが、その対象建物は本件建物と同一性を欠く。
(カ) 被告真和美建は、本件建物の建築にあたり、原告に詳細な説明をせずに、短期間で本件建物を建築した。さらに被告真和美建は、昭和六一年一月、原告が申請した本件建物の建築禁止仮処分の審尋期日において、裁判官が建築を一時中止するよう勧告したのに、これに従わず、本件建物の建築を続行した。
(キ) 被告土地には、被告土地の所有者であった山内某の家屋が昭和五五年ころまで建っていたが、午後の二、三時間を除いて日照が得られた。原告は日照を期待できる立場にある。
(二) 被告らの主張
(1) 原告主張の損害の発生はすべて否認する。
(2) 本件建物には、何ら違法な点はない。
(ア) (原告の主張(2)の(ア)~(ウ)に対し)
本件建物は、東京都日影条例、北側斜線制限その他の建築基準法規に違反していない。
(イ) (原告の主張(2)の(エ)に対し)
本件建物は、原告土地との境界線から五四センチメートル離れている。原告が本件建物の一部であると主張している境界線上の外壁は、建物に該当しない。むしろ、原告建物の方が、境界線に近接して建てられている。
本件建物が被告土地の北側に寄っているのは、付近の土地が全体的に北側から南側にかけて階段状に高くなっており、日照確保のためやむを得ないからであって、付近のどの家にも共通である。
(ウ) (原告の主張(2)の(オ)に対し)
本件建物は、西武地所の得ていた建築確認に基づいて建てられたものであり、右確認の対象となった建物と本件建物との間には大差がない。
被告真和美建は、原告建物への日照に配慮して、被告土地の地盤を掘り下げた上で本件建物を建築した。
(エ) (原告の主張(2)の(カ)に対し)
被告真和美建は、本件建物を建築するに際して、原告の意向を考慮しようとし、何度か原告方に赴き、原告の要求で本件建物の図面も示した。しかし、二か月間原告からの応答がなかったので、本件建物の建築に着手する旨申し入れると、原告は突然文句を言い始めたものである。結局、被告真和美建は、原告を説得できなかったので、本件建物の建築に着手した。原告申請の仮処分は、もともと通らないものであり、原告が無理な主張を押し通そうとするので、被告真和美建も裁判所も話し合いによる解決を断念し、原告の方で取下げざるを得なくなったものである。
(オ) (原告の主張(2)の(キ)に対し)
被告土地に山内宅が建っていたころも、原告建物の南側にはほとんど日が当たっていなかったから、原告は日照を期待できる立場にない。
2 本件建物は、原告土地との境界線から五〇センチメートル以上離れているか。離れていないとして、原告は、五〇センチメートル以内の部分の撤去を請求できるか。
3 原告は、本件建物北側の窓に目隠しを設置することを請求できるか。
4 原告は、臭気等の侵入を理由に、本件建物北側に設置された換気扇の撤去を請求できるか。
5 原告は、点火の際の騒音を理由に、本件建物北側に設置されたガスの点火口の撤去を請求できるか。
第三争点に対する判断
一 争点1(本件建物による原告の日照被害等の生活侵害)について
1 原告は、本件建物による日照阻害、圧迫感等の生活侵害により損害を被ったとして、主位的に所有権、人格権ないし環境権に基づく建物の一部撤去を、予備的に不法行為に基づく損害賠償請求をするものである。
およそ居住のための土地・建物所有権については、十分な日照等の快適な生活条件の確保も、その重要な行使内容の一つである。また、そのような土地建物に居住生活する者は、健康な生活を営む権利すなわち人格権を有し、その一内容として、健康的で快適な生活環境を確保する権利を有するものというべきである。したがって、居住のための土地・建物所有者は、自己の土地・建物に対する直接の侵害のみならず、日照等の生活環境に対する違法な侵害行為に対しても、所有権または人格権に基づき、排除を求めることができるものと解される。
しかしながら、隣地に建物が建てられることによって生ずる所有権・人格権の侵害は、人が互いに土地を利用して社会生活を営む以上、不可避的に発生するものである。したがって、相隣者間において円満な社会生活を継続していくためには、土地利用の過程で不可避的に生ずる法益侵害を相互に受忍していくことが必要であり、そのような社会的受忍の限度を超えた侵害のみが、違法なものとして作為請求や損害賠償を請求できる対象となるものと解するのが相当である。
そして、受忍限度を超える侵害であるかどうかを判断するについては、以上の趣旨から、単に所有権者が被った日照侵害等の生活侵害の程度のみならず、日影規制違反などの有無、地域性、加害回避可能性、建物の用途、先住関係、交渉経過、その他の公法規制違反の有無、日照等をそもそも期待できる立場かどうかといった事情を総合考慮して判断しなければならない。
2 そこで、このような観点から、本件について検討する。
(一) 本件建物により原告が受けた日照等の生活侵害の状況
(1) 原告建物と本件建物の構造及び位置関係は、争いのない事実等記載のとおりである(別紙図面二及び三参照)。
(2) このため、証拠によれば、原告が次のような日照侵害を受けたことが認められる。
(ア) 原告建物の南側至近距離にある本件建物によって、原告建物の敷地から高さ一・五メートルの平面に日影が生じるが、その冬至における日影の状況は、別紙図面四のとおりである。すなわち、午前八時ころの時点で既に本件建物北側に直接向かい合う一階南側居間部分は日影となり、東側及び本件建物と直接向かい合っていない一階南側の東側半分においてのみ、採光が期待できるにすぎない状況である。その後、正午ころには、原告建物一階部分全体が本件建物の影に入る格好となり、午後二時ころまでは原告建物一階部分全体が日影に入るため、その間全く日照を得ることができない。その後も、午後四時に至るまで、原告建物一階部分の南側は全面的に日影となり、全く採光が期待できず、本件建物が原告建物の西側に若干突き出ていることから、原告建物の西側においても終日採光が期待できない箇所が生じ、辛うじて、北西側の一部箇所において、西日の差すことが期待できるにすぎない。また、一日を通してみれば、原告建物一階部分のほぼ全体が、本件建物によって三時間以上の日影に入る。
証拠《省略》
(イ) 本件建物により、原告建物では、採光を目的として設置した二階の窓からの日照も一定時間得られない状況となった。また、原告は、南側屋根に設置していた太陽熱温水器を、北側に移動せざるを得なくなった。
証拠《省略》
(3) また、原告建物と本件建物の位置関係は、争いのない事実記載のとおりであって、本件建物の敷地の平均地盤面は、原告土地の地盤よりも約二メートル高く、本件建物の軒先は、原告建物に比べて一メートル七〇センチ高い。しかも、被告土地と原告土地との境界線に沿って、高さ一メートル九〇センチないし二メートル二〇センチの本件ブロック塀があり、この塀は本件建物とつながっている。また、本件建物の一階外壁との距離も、約六五センチメートル程度しかない。さらに、本件建物は北西側に突き出ており、原告土地を西側から取り囲むような格好となっている。このため、原告は、本件建物による圧迫感、閉鎖感や、本件建物から覗かれるのではないかという不安を抱いている。
証拠《省略》
(4) 本件建物の北側地下は、車庫になっており、中空状態になっているところ、一階北側床にかかる荷重は、本件ブロック塀ではなく、別紙図面一のホの部分にある鉄骨柱一本で支えている状態であるため、原告は、災害時には本件建物が倒壊するのではないかという不安感を抱いている。
証拠《省略》
(二) 本件建物所在地の地域性について
証拠によれば、次の事実が認められる。
(1) 本件建物は、杉並区内の、営団地下鉄丸の内線南阿佐谷駅と京王井の頭線浜田山駅の中間附近にある。五日市街道も附近を通っており、交通の便は良好である。本件建物の所在する杉並区成田西三丁目附近は、都市計画法上の第一種住居専用地域、第一種高度地区に指定され、建ぺい率三〇パーセント、容積率六〇パーセントとなっている住宅地である。
証拠《省略》
争いのない事実
(2) 本件建物附近は、善福寺川に近く、南に向かうに従って標高が高くなる傾斜地であり、附近の建物は、傾斜地を階段状に造成して平らにした宅地の上に建てられている。このため、どの建物も採光のため、敷地の北側いっぱいの所に建てられる傾向があるが、それでも、採光が十分でない居宅が多い。また、境界に土留めのための塀が設けられることもある。本件建物も、北隣の原告土地との境界いっぱいの位置に建てられており、その平均地盤は、原告土地の地盤より約二メートル高い。
証拠《省略》
(3) 原告土地は、傾斜地の最も低いところに位置し、その北側は幅四・五メートルの道路に面している。原告土地の南北の幅は狭く、わずか約三・五メートルないし一〇メートル程度しかない。このため、原告建物も北側道路際いっぱいに建てられている状況である。
証拠《省略》
(三) 先住関係及び被告土地利用の経緯について
証拠によれば、次の事実が認められる。
(1) 原告は、本件建物が建てられるかなり以前である昭和二九年ころから原告土地に居住し、昭和四四年に現在の原告建物を建築して、以後同建物に居住している。被告土地には、昭和三七年ころから山内某の居宅が存在し、昭和四七年には原告土地との境界附近まで同人の事務所が増築された(以下、増築部分も含めて「山内宅」という)。山内宅は、昭和五五年に取り壊された。
証拠《省略》
(2) 山内宅の構造は、平屋建であったが、地盤は現在の被告土地よりもやや高く、原告土地より約二メートル八〇センチ高い位置であった。そのため、軒の高さは、二階建の原告建物とほぼ同じであった。また、山内宅の一階外壁は、当時原告土地との境界にあったブロック塀から約三〇センチメートルの至近距離にあり、原告建物外壁との間隔も、約八〇センチメートル程度しかなかったため、真南からの採光はほとんど期待できる状況になく、一日に二時間くらいは原告建物に日が当たらない状況であった。さらに、被告土地が北側に向かって傾斜地となっていることから、山内宅も本件建物同様、一階北側部分は中空構造になっており、鉄骨柱で床を支えていた。その鉄骨柱も、右ブロック塀に極めて近接する位置にあった。
証拠《省略》
(四) 日影規制に対する違反等について
(1) 日影規制条例違反の有無について
(ア) 建築基準法五六条の二及び東京都日影規制条例によれば、第一種住居専用地域で容積率が六〇パーセントと指定された地域の場合、軒の高さが七メートルを超えるか、地階を除く階数が三階以上の建築物によって、敷地境界線から五メートルを超え一〇メートル以内の範囲において、平均地盤面から一・五メートルの高さで、冬至日に三時間以上の日影を作ってはならないとされる。 そして、建築基準法施行令第二条一項八号によれば、本件建物のように、敷地が階段状となっているために部分によって階数を異にする建築物の階数は、最大の階数によるものとされている。したがって、本件建物は三階建てとみなされ、建築基準法等に基づく日影規制の対象となる。
(イ) そこで、本件建物によって生ずる日影の範囲について検討すると、《証拠省略》によれば、冬至日において原告土地上一・五メートルの高さにおいて生ずる日影は、別紙図面四のとおりであることが認められる。境界線から五メートルを超える範囲との関係も、右図面に示したとおりである。
(ウ) しかしながら、建築基準法上の日影規制において、日影の範囲は対象建築物の平均地盤面から一・五メートルの高さにおいて測定するものであり、本件建物の平均地盤面は、既述のとおり原告土地よりも約二メートル高いから、本件建物平均地盤面から一・五メートルの高さにおいて生ずる日影は、別紙図面四の日影よりも、本件建物寄りに後退することは明白である。しかも、同図面によれば、原告土地上一・五メートルの高さにおいても、原告建物のうち境界線から五メートルを超える範囲で三時間以上の日影を作る部分は、原告建物の北東側の一部分に限られ、広範にわたるものではないことが認められる。
(エ) したがって、以上を総合すれば、本件建物がただちに建築基準法等の定める日影規制に違反するものと認めることはできない。
(2) 民法二三四条違反の有無について
(ア) 争いのない事実等記載のとおり、本件建物の一階部分北側は中空であり、その北端から本件ブロック塀までの間の地階車庫上を、一階基底部を延長したような形でコンクリート面が覆っており、高さ約二メートル前後の本件ブロック塀につながっている。そして、《証拠省略》によれば、本件ブロック塀上は補強モルタルで固められ、その上に被告側がアルミ製の手すりを設置しており、本件ブロック塀と一階外壁の間にある一階基底部延長部分は、ベランダ同様の外観を呈していることが認められる。
(イ) 以上の事実によれば、本件建物は、その一階基底部がそのまま本件ブロック塀につながり、建物地階部分はそのまま本件ブロック塀を外壁として本件建物の一室のようになっていることが認められ、外観上、本件ブロック塀が本件建物と一体となってその一部を構成していることは否定できない。のみならず、本件ブロック塀で仕切られた本件建物の地階部分が、車庫として、すなわち建物の一部として利用されていることや、本件ブロック塀の上に手すりが設けられ、本件建物一階と本件ブロック塀の間にある一階基底部の延長部分が、単に地階を覆うのみならず、何らかの利用に供される可能性が示唆されており、建物の効用上も、本件ブロック塀が本件建物と一体となり、その一部として利用されるものであることが認められる。
したがって、本件ブロック塀は、本件建物の一部であるというべきであるから、本件建物は、民法二三四条に違反している。
(ウ) しかしながら、争いのない事実等記載のとおり、原告建物と境界線との間の距離は、一階・二階とも、原告建物東側においてわずか二三センチメートル、西側においても四二センチメートルであり、原告建物も同条に違反していることは明白である。
(3) 北側斜線制限違反の有無について
建築基準法五六条一項三号によれば、第一種住居専用地域内では、隣地境界線までの真北方向の水平距離に一・二五を乗じて得たものに、五メートルを加えた高さを超える建築物を建ててはならないとされている。そして、《証拠省略》によれば、本件建物については、平均地盤面を基準として右規制が適用されるため、被告土地において別紙図面二記載の青線が建築物の高さの限界となり、本件建物は右北側斜線制限に違反していることが認められる。
しかしながら、被告真和美建は、本件建物の建築に際して、在来地盤を約八〇センチメートル以上掘り下げたため、平均地盤が低くなったのであり、《証拠省略》によれば、在来地盤を基準にして右制限を本件建物にあてはめれば、本件建物は二階北側屋根のごく一部が右規制に違反するにすぎないことが認められる。
(4) その他の建築規制等違反について
(ア) 既述のとおり、本件土地附近の建ぺい率は三〇パーセント、容積率は六〇パーセントに規制されているところ、《証拠省略》によれば、本件建物の敷地面積は一二五・三二平方メートルにすぎないのに、建築面積は六二・四三平方メートル、各階の床面積の合計は一四五・七九平方メートルであることが認められる。したがって、建ぺい率は四九・一パーセント、容積率は、建築基準法施行令二条一項四号、三項参照により、地階駐車場の面積を最大限に考慮して、各階床面積の合計の五分の一に至るまで延べ面積に算入しないことにしても、九三・〇六パーセントとなるから、本件建物が明らかにこれらの規制に違反していることが認められる。
しかしながら、《証拠省略》に図示された原告建物と原告土地との比率から見て、原告建物も明らかにこれらの規制に違反しており、また《証拠省略》によれば、附近で建ぺい率等の規制を厳守している建物はほとんどないことも認められる。
(イ) また、本件建物の建築確認について、《証拠省略》によれば、被告土地の前主である西武地所株式会社に対する建築確認が出されていること、被告真和美建は杉並区役所に建築主の変更届を提出し、西武地所株式会社から建築主の地位を引き継いだこと、建築確認を受けた建物が建築面積等の点で本件建物と大きく異なっていること、本件建物が建ぺい率等の点で問題があるため、検査済証が得られていないことが認められる。
(ウ) なお、原告は、被告真和美建が宅地造成等規制法上の許可を怠ったと主張する。同法による許可が必要なのは、宅地造成工事規制区域内における造成工事であって、本件建物は宅地造成工事規制区域外にあることから、許可を求める必要はなく、同法に対する違反の事実は認められない。
(五) 本件建物の建築経過
証拠によれば、本件建物の建築に至る経緯及び建築後の事情として、次の事実が認められる。
(1) 被告真和美建の代表者植山寛(被告代表者という。)は、昭和六〇年夏ころ、原告方を訪ね、被告土地に建物を建てる予定があることを話した。その際、原告は、被告代表者に、建築予定建物の図面を持ってくるよう要請し、被告代表者は約二週間後、簡単な図面を原告に示した。
証拠《省略》
(2) その後、同年一一月に至るまで、原告は被告代表者の求めに対して返答しなかった。一一月に被告代表者が原告方を訪ねた際、詳細な図面の提出をめぐって口論となり、被告真和美建は、原告の了解を得ないまま、一一月末に本件建物の建設に着手し、昭和六一年一月中には、本件建物をほとんど完成させた。
証拠《省略》
(3) 原告は、昭和六一年一月二〇日、本件建物工事差止の仮処分を申請し、和解期日が重ねられた。和解案は、被告真和美建が本件ブロック塀を三五センチメートル後退させる内容のものであったが、原告側は、本件建物北側部分の荷重を支える柱を切るよう強硬に主張し、和解は成立しなかった。被告真和美建は、工事中止の勧告にもかかわらず本件建物を竣工させた。結局、原告は昭和六一年一〇月に本件訴訟を提起し、同年一二月に仮処分申請を取り下げた。
証拠《省略》
(4) 被告真和美建は、本件建物を建築するに際し、隣地の日照等を考慮して、被告土地の地盤を約八〇センチメートル掘り下げた。また、杉並区の行政指導により、屋根の一部を切除して、屋根の高さを低くした。
証拠《省略》
3 以上の事実に基づいて、本件建物による生活侵害の違法性について検討する。
(一) まず、本件建物の二階部分の存在により、原告建物が日照を十分享受できない点について判断する。
原告が十分な日照を受けることができないことは、認定事実のとおりであり、原告建物が最も居住環境を良好に保つべき第一種住居専用地域に建てられていることを考慮すれば、その日照の享受は強く保護されなければならない。
しかしながら、附近は南に向かって高くなった傾斜地であって、階段状に造成された宅地の上に建物が建てられており、もともと採光は期待しにくい状況にある。そのため、どの建物も採光を確保するために敷地の北側いっぱいに建てられており、本件建物も例外ではない。さらに、附近は第一種住居専用地域に指定され、都市計画上建ぺい率や容積率も低く抑えられているものの、都心への交通の便が良好であることなどから、住宅が密集し、これらの規制が事実上守られにくい状況にある。原告土地は、このように住宅が密集した傾斜地の下端の道路際に位置するばかりでなく、南北の幅が狭いため、本件建物の日影を避けるため建物を北側に寄せて建てても建物の南側を空けることができない状況にある。したがって、附近の土地の傾斜及び原告土地の形状・面積からして、原告はそもそも日照を期待できない立場にあるといわざるを得ない。このような状況は、被告土地に山内宅が存在した当時も同様であって、原告は日照阻害を相当程度受忍せざるを得なかったのであった。
また、本件建物は日影規制に違反しているとは認められず、北側斜線制限違反についても、被告真和美建が地盤を掘り下げたことにより、かえってこれに抵触するに至ったにすぎない。建築経緯についても、原告側の対応を総合して考慮すれば、その了解を得ずに建築を進めたり、裁判所の工事中止勧告を無視して建設を進めたとしても、特段信義に反するような点はなく、むしろ、地盤の掘り下げなど、原告方への日照を配慮して建築をした事実や、行政指導に応じて屋根の一部切除したことなど、被告真和美建に有利な事実も認められる。
以上の事情を総合考慮すれば、原告が本件建物二階部分の存在により受ける日照侵害は、撤去請求との関係のみならず、不法行為による損害賠償請求との関係においても、いまだ原告において受忍すべき限度を超えるものと認めることはできない。
(二) 次に、本件建物が境界線に接近しているために生じる圧迫感や閉鎖感、本件建物の倒壊の危険について判断する。
本件建物が、本件ブロック塀と一体となって、境界線いっぱいまで進出し、原告に圧迫感を与えていることは事実である。しかしながら、附近の土地が南側が高い傾斜地であり、附近の建物が採光のために敷地の北側いっぱいに寄っていることを考慮すれば、本件建物がある程度原告土地との境界に接近して建てられることはやむを得ず、被告土地の平均地盤面も原告土地の地盤より約二メートル高い位置にあることを考慮すれば、ある程度の圧迫感を原告に対して与えることも不可避であるといわなければならない。むしろ、圧迫感の最大の要因は、原告建物が被告土地との境界線に極めて接近した位置に存在する点にある。民法二三四条、建ぺい率の規定等に対する違反は、本件建物のみならず、原告建物にも共通しており、原告は、被告側がこれらの法規に違反していることを、ある程度受忍しなければならない立場にある。
以上の事情を勘案すれば、本件建物が与える圧迫感や閉鎖感は、接境部分の撤去請求のみならず、損害賠償請求との関係においても、いまだ原告において受忍すべき限度を超えたものと認めることはできない。
さらに、倒壊の危険についても、北側部分の荷重を柱一本で支えるという本件建物の構造により、原告が不安を抱いていることは理解できるが、単なる心理的な不安を超えて、物理的に見て現実的な危険性があるという立証はなされていない。そして、柱によって支えられない場合に荷重がかかるものと思われる本件ブロック塀について、強度構造の計算書が杉並区役所に提出された後、被告真和美建がこの点について指導を受けていない点などに鑑みれば、この点が原告に受忍限度を超える損害を加えるものと認めることはできない。
二 争点2(民法二三四条違反)について
1 原告は、本件建物のうち、境界から五〇センチメートル未満の部分については、圧迫感等の生活侵害を理由とするほか、民法二三四条違反のみを理由として、建物の一部撤去ないし損害賠償を請求していると解されるので、この点についても判断する。
2 前記一4(二)のとおり、本件ブロック塀は本件建物の一部と認められるので、本件建物は民法二三四条に違反していると認定できる。
しかしながら、同条の規定は、相隣関係における健全な住環境を保全するために、当事者の公平を考慮して定められた任意規定であるから、この規定による建物撤去または損害賠償の請求の可否は、単に同条の規定する要件のみならず、土地の利用状況、建築物の構造、建築の経緯等を具体的に検討し、当事者間の公平を考慮して判断しなければならない。
3 このような観点から、本件建物の場合について検討を加える。
(一) 土地の利用状況や建物の構造、建物相互の関係については、既に一で認定したとおりである。すなわち、本件建物のうち同条に違反しているのは、本件ブロック塀とこれにつながる一階基底部の延長部分のみであり、居住に使用している一階部分の外壁は、境界線から五〇センチメートル以上離れている。また、本件ブロック塀には一階部分の荷重がかかっていない。用途の面でも、違反部分は構造上本件建物と一体であるが、車庫として用いられているだけである。さらに、本件建物が傾斜地にあって、土留めの塀が必要なところ、限られた空間を有効に利用するためには、構造上本件建物のように一階基底部を塀に接続させる形態を採るのが合理的であり、山内宅も本件建物の違反部分と類似の構造及び位置関係にあったことが認められる。他方、撤去ないし損害賠償を請求している原告自身の所有する建物が、一階・二階部分とも境界線から五〇センチメートル以内に接近しており、同条に違反している。
(二) また、建築の経緯についても、既に一2(五)で認定したとおりであって、本件建物は年末年始にかけて比較的早く建築されたとはいえ、その経緯において被告側に信義に反するような点は認められない。さらに、《証拠省略》によれば、その後の仮処分事件における和解の席でも、被告真和美建は、本件建物を境界線から後退させることに同意していたのに、原告が柱を切ることに固執したため、和解が成立しなかったことが認められる。
(三) 以上の事情を考慮すれば、本件のような傾斜地において、ブロック塀自体の設置はやむをえないところ、本件建物の違反部分は機能的にはこのような土留めの塀と大差がなく、土地の有効利用という観点も加味すれば、違反の程度はさほど大きくないと言える。他方、原告建物自体が民法二三四条に違反しており、原告自身にも、和解の席で被告真和美建が譲歩したのに応じなかったことが認められる。このように、双方建物の違法性の度合いや、建築の経過等を考慮すれば、原告は、本件建物が同条に違反することを主張して、建物の一部撤去ないし損害賠償を請求することはできないと解するのが相当である。
三 争点3(目隠し)について
1 《証拠省略》によれば、本件建物一階北側の、境界線をはさんで原告建物と向い合っている箇所には、トイレと洗濯室に窓があること、これらの窓は、位置的に見て原告建物内部をも観望でき、原告もこれらの窓から覗かれるのではないかという不安感を抱いていることが認められる。また、争いのない事実等記載のとおり、原告建物の北側は、境界線から一メートル未満の位置にあるから、これらの窓が民法二三五条に違反していることは明らかである。
したがって、本件建物の所有者である被告渡邉は、右の窓に目隠しを設置すべき義務がある。
2 これに対して、本件建物二階の窓は、原告土地を観望できるものの、その高さゆえに、原告土地の屋根が望めるにすぎない。また、本件建物一階北西の突出部にある出窓からは、原告土地及び原告建物を望むことは困難である。したがって、被告渡邉に、これらの窓に目隠しを設置する義務を認めることはできない。
四 争点4(換気扇)について
原告は、本件建物北側に設置されている換気扇換気口から、原告建物に対して悪臭が漏れたり、油が飛び散ってくると述べる。しかし、《証拠省略》によれば、右換気口にはフィルターが設置されていることや、換気口出口までの距離が長いことが認められるから、油が飛び散るという原告の供述はにわかに信用できない。また、悪臭の程度については具体的な立証がなく、原告において受忍すべき、通常の社会生活に伴う悪臭を超えるものであるとは認定できない。したがって、換気扇の撤去請求を認めることはできない。
五 争点5(点火口)について
《証拠省略》によれば、本件建物に設置されたガス点火口において、点火時にガスの燃焼音がして、原告が迷惑を受けていることが認められる。しかし、《証拠省略》によれば、被告側は原告の要求に応じて、点火口を原告建物に面した位置から移動させたこと、原告の訴える騒音は、深夜におけるものであり、点火口の設置自体の問題というよりは、むしろ被告側の用法の問題であることが認められる。すなわち、深夜のガス使用は、基本的には社会生活上のエチケットに属する問題であり、この点に関する原告の主張も理由がない。
(裁判長裁判官 淺生重機 裁判官 岩田好二 森英明)
<以下省略>