大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和63年(ワ)12205号 判決 1991年8月26日

原告

A株式会社

右代表者代表取締役

柊揮七

右訴訟代理人弁護士

鈴木秀男

被告

住友海上火災保険株式会社

右代表者代表取締役

徳増須磨夫

右訴訟代理人弁護士

鈴木祐一

西本恭彦

野口政幹

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、七〇〇〇万円及びこれに対する昭和六三年九月二八日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、海外旅行傷害保険契約(昭和六二年五月一五日付)の契約者兼保険金受取人である原告が、その従業員で被保険者であるBが海外旅行中に交通事故で死亡したことを理由に、右海外旅行傷害保険契約に基づき、保険会社である被告に対し、保険金の支払を請求した事件である。

一(争いのない事実)

1  原告は、昭和六二年五月一五日、保険料七〇〇〇万円、保険期間同月一七日から二四日まで、原告を保険契約者兼保険金受取人とし、原告の従業員Bを被保険者とする海外旅行傷害保険契約(本件保険契約)を、被告代理人の荘司豊子を介して、被告との間で締結した。

本件保険契約には、海外旅行傷害保険普通保険約款が適用され、右約款には、同意を得ないで他人を被保険者とする保険契約を締結したときには当該保険契約は無効とする旨の規定があった。

2  Bは、同月二六日、タイ王国において死亡した(なお、<証拠>によると、右死亡の状況は、原告の当時の代表者であったCの運転する乗用車が運河に飛び込み、同乗していたBが死亡したものであり、Cは、右事故によりタイ王国裁判所において、「不注意な運転により他人を死にいたらしめた」罪による刑事責任を問われ懲役一年の言い渡しを受けたが、約二か月間服役した後、タイ王国の恩赦により出所を許されたことが認められる)。

二(争点)

本件の争点は、本件保険契約の被保険者となることにつきBの同意があったか否かである。

第三争点に対する判断

一<証拠>によれば、次の事実が認められる。

1  原告の当時の代表者であったCは、昭和六二年四月八日、同人及び原告従業員であったBが商用でタイ王国に旅行するにあたり、保険料七〇〇〇万円、原告を保険契約者兼保険金受取人とし、Bを被保険者とする海外旅行傷害保険契約の申込書(証拠)を、荘司に交付した。右申込書(第一回申込書)の被保険者欄には、「B」なる署名及び「B」名義の印影がある。

2  Cは、同年五月一三日、再び右両名のタイ王国旅行のために、保険期間を同月一五日から同月二二日までとする前同様の海外旅行傷害保険契約の申込書(証拠)を荘司に交付した。右申込書(第二回申込書)の被保険者欄には、同様に、「B」なる署名及び「B」名義の印影がある。

3  Cは、同月一五日、右タイ王国旅行の出発日が先に延びたため、右の保険期間を同月一七日から同月二四日までと変更する目的で、本件保険契約の申込書(<証拠>)を荘司に交付した。その際、Cは、右申込書(第三回申込書)の被保険者欄に、自ら「B」と書き込み、持参した「B」名義の印鑑を押捺した。

証人Cは、第一回及び第二回申込書については、JR東京駅構内の喫茶店「ルミエール」においてBと会った際に、被保険者となることにつきBの同意を得た上、B自身がその被保険者欄に署名押印したと証言し(C六頁ないし一〇頁)、第三回申込書については、予めBの同意を得た上、CがBに代って、被保険者欄に署名押印したものであると証言する(C一三頁)。

また、鑑定の結果によれば、鑑定人鳩山茂は、第一回及び第二回申込書の「B」なる署名部分は、Bの筆跡と同一であると推定するとの結論を出していることが認められる。

二これに対し、証人荘司は、第一回及び第二回申込書の作成経過について、次のとおり証言する。

1  昭和六二年四月初めころ、荘司は、友人の斎藤から、「Cが荘司の取り扱っている海外旅行傷害保険に加入したいと言っている。」旨の紹介を受けたので保険申込書用紙を事前に斎藤宅に届けておいた。同月八日、Cは、右斎藤宅において、荘司の面前で、右用紙の被保険者同意欄に自らBの署名を記入し、持参したB名義の印鑑を押捺して、第一回申込書(<証拠>)を作成した(荘司七、八項)。

2  同年五月一〇日ころ、荘司は、斎藤から、「Cが再度海外旅行をするから用紙を持参して欲しいと言っている。」旨の連絡を受け、同月一三日、保険申込書用紙を持参して斎藤宅へ赴いた。Cは、前同様に、荘司の面前でB名義の署名・押印をして第二回契約書(<証拠>)を作成した(荘司一二、一三項)。

ところで、<証拠>によれば、荘司は、タイ王国での本件交通事故発生から間もない昭和六二年六月一二日に被告からの事情聴取を受けて右証言とほぼ一致した内容を述べていることが認められるから、右証言は相当程度の信用性を有しているものと認められる。

さらに、前記のとおり、第一回及び第二回申込書(<証拠>)の「B」なる署名部分はB本人の筆跡と同一であると推定するとの鑑定の結果(裁判所鑑定)が出されているが、<証拠>(被告の提出した鑑定大西芳雄による私的鑑定)によれば、右大西鑑定においては裁判所鑑定では行われていない顕微鏡写真を使用した詳細な検討を加えた上、<証拠>の筆跡は、配字の特徴が異なること、二重加圧があること、線の切断があること、個々の文字の結体・転折等の特徴が異なることなど偽造文字に顕著にみられる傾向が発現していることなどを理由に、B本人の筆跡とは異なるという判断を下していることが認められる。これに対し、裁判所鑑定は、右私的鑑定の指摘した配字や個々の文字の構成・運筆形態に異なる特徴があることなどを指摘しつつ、これらの特徴は別人の筆跡と言えるまでの決定的特徴ではないとして、全体的には類似性の高い筆跡であると推定したものである。そうすると、裁判所鑑定から直ちに、第一回及び第二回申込書(<証拠>)の「B」なる署名が同人の自署によるものであると認めることはできないと言わざるをえない。

また、保険金の受取人には、配偶者や子どもなど近親者を指定するのがごく一般的であり、勤務先会社など近親者以外を受取人に指定する場合には相応の事情があるのが通常と思われるところ、証人Cの証言によれば、Bはタイ王国に知り合いがおり、同国から餅の原材料等を輸入していた原告会社において相当の役割を担っていたことはうかがえるけれども、Bが原告会社に入社したのは本件事故の約半年前であったというのであり(C一、二頁、五二頁)、同人が原告会社にとって欠くことのできないほどの重要な地位にあったとは認められず、その他に同人が保険金受取人を勤務先会社に指定すべき事情は見当たらないにもかかわらず、Cはこの点について合理的な説明をしていない。

三以上の点を総合勘案すると、「第一回及び第二回申込書(<証拠>)の被保険者欄の『B』なる署名は、同人の自署によるものであり、第三回申込書は、Cが、予めBの同意を得て被保険者欄に同人名義の署名押印をしたものである。」との証人Cの前記証言は、たやすく採用することができず、また、裁判所鑑定から直ちに第一回及び第二回申込書(<証拠>)の被保険者欄の「B」なる署名が同人の自署によるものであることを認定することも困難であるというべきである。

そうすると、<証拠>から、本件保険契約の被保険者となることにつきBの同意があったことを推認することはできず、かつ、他に右同意のあったことを認めるに足りる証拠はない(もっとも、証人荘司の証言によると、平成二年一一月下旬ころ、荘司が、Cに対し、「第一回及び第二回申込書(<証拠>)は、既にBの署名押印のされていたものをCから預かった。」旨の内容を認めた文書(<証拠>とほぼ同内容のもの)を差し入れた事実が認められる(荘司二三項)。しかし、同証言によると、右文書は、前記裁判所鑑定が裁判所に提出された後である同月一四日に、Cが、荘司に対し、本件保険金の支払の遅延について非難する電話をした上、一方的にその電話を切り、同日、再び荘司に電話をして同人を呼び出し、「第一回及び第二回申込書のBの署名は、自分(C)は書いていない。」旨の主張を繰り返し、更にその数日後、<証拠>とほぼ同内容の下書を予め用意して、再び荘司を呼び出し、右下書を同人に清書させた上、数日後、Cに対し、差し入れさせたものであることが認められる(荘司二一、二二頁)。そうだとすれば、荘司がCに差し入れた右文書中、Cの証言にそう部分の記載内容は信用しがたいと言わざるを得ず、右文書をもって、前記Bの同意の事実を推認することも困難である。)。

よって、本件保険契約の効力発生要件である被保険者の同意のあったことを認めることはできないから、本訴請求は棄却を免れない。

(裁判長裁判官宮﨑公男 裁判官井上哲男 裁判官河合覚子)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例