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東京地方裁判所 昭和63年(ワ)13299号 判決 1990年9月28日

原告 全菓連共済ビルヂング株式会社

右代表者代表取締役 加藤金之助

右訴訟代理人弁護士 黒田登喜彦

同 平松光二

同 福田耕治

被告 亡甲野太郎 相続人

右訴訟代理人弁護士 秋山昭八

同 菊地幸夫

主文

一  被告は、原告に対し、金一〇八万九三五七円及びこれに対する昭和六三年一〇月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを八分し、その一を被告の、その余を原告の負担とする。

四  この判決は、第一項につき仮に執行することができる。

事実

一  原告の求めた裁判

1  被告は、原告に対し、金九一三万三六五〇円及びこれに対する昭和六三年一〇月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は、被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  被告の求めた裁判

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は、原告の負担とする。

三  原告の請求原因

1  被告は、昭和四〇年二月一五日の原告会社設立時から昭和六二年五月二六日まで原告会社の代表取締役社長であった。

2  被告は、右代表取締役社長としての在任期間中その業務執行に当たり取締役としての忠実義務及び善良な管理者としての注意義務を負っていたが、以下に述べるとおり、その懈怠により原告会社に対し次のような損害を与えた。

(1)  原告会社には、従業員の就業、人事、給与等に関して「処務規程」という取締役会規則(以下単に「規則」という。)が定められており、その二八条には、従業員の定年は女子満五八才とし、定年に達した日をもって退職させる。ただし社会状勢並びに会社の業務の事情により、嘱託として引き続き再雇用することがあると定めている。

(2)  原告会社の従業員訴外乙山春子は大正一一年一二月一二日生まれであったから、昭和五五年一二月一二日をもって満五八才の定年となったので、その時点で同人を退職させ、退職金を計算支給すべきであったのに、被告が同人と親密な個人的関係にあったため、そのまま雇用を続け、昭和五九年六月三〇日に至って同人を退職させ、同日までの退職金を計算支給した。この結果、同人に支給すべき退職金額は別紙計算式(ア)(ⅰ)のとおり金四三八万二七六六円であるのに、(ア)(ⅱ)のとおり金六一九万八三六二円(退職金六二六万二三六二円から退職金共済会からの支給金六万四〇〇〇円を控除した金額)を支給し、原告会社にその差額金一八一万五五九六円の損害を与えた。

(3)  右訴外人は、昭和五九年七月一日から昭和六一年一月まで嘱託として再雇用したが、退職時の給与を減額せず、別紙計算式(イ)の(ⅰ)のとおりの支給をした。本来同人は昭和五五年一二月一二日に定年で退職すべきものであり、仮に嘱託として再雇用されても、嘱託の給与は退職時の額の六五パーセントが相当であったから(原告会社の労働慣行であったし、同規模の会社でも七〇~八〇パーセントとするのが通例である。)、原告会社が右訴外人に支払うべき給与及び賞与は、別紙計算式(イ)(ⅱ)のとおり合計金一一一三万九八七九円の支払で足りるのに現実には同計算式(イ)(ⅰ)のとおり合計金一八四五万七九三三円を支払い、原告会社にその差額金七三一万八〇五四円の損害を与えた。

3  よって、原告は、被告に対し、右金九一三万三六五〇円の損害の賠償及びこれに対する訴状送達の日の翌日の昭和六三年一〇月八日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

四  被告らの答弁及び抗弁

1  請求原因事実中、被告が原告会社の代表取締役社長であったこと、規則の存在、訴外乙山春子の雇用の経緯は、認め、その余は争う。

2  同人を退職させるべきであったとしても、その嘱託としての給与を従前のそれの六五パーセントに減額すべきであるとの根拠はなく、原告に損害はない。

3  規則は、被告を拘束するものではなく、また定年を女性五八才、男性六〇才と差別して定めており、この定めは無効であるから、これに従わなかったとしても、被告に義務違反はない。

4  右訴外人は、原告会社の会計事務一切を担当し、会社の業務全般に通暁していた。昭和五五年から昭和五八年にかけて原告会社の役職員中に退職者、故障者が相次いで生じ、同人を退職させることは会社業務上不可能な状況であった。そのため、人事等の処理を委ねていた常務取締役等の事務担当者からも同人の退職について稟議等はなかったし、その他の取締役、職員からの異議もなかった。被告には、義務違反はない。

5  昭和五九年の同人の退職金支給については同年度の損益計算書に記載され、右損益計算書は、昭和六〇年五月二四日の定時株主総会において全株主の一致で承認されているから、商法二六六条五項によって免責された。

6  被告は、二二年間にわたり代表取締役として原告会社に多大の貢献をしたにもかかわらず、些細な職員の処遇上の取扱いについて本訴請求をすることは、信義則違反、権利濫用である。

五  原告の反論

1  抗弁はすべて争う。

昭和五五年当時男女差別違法の判例は確立しておらず、被告が勝手に規則に反する取扱いをすることは、許されない。

2  稟議等がなかったとしても、被告には部下を監督すべき義務があり、この義務違反がある。

3  計算書類の承認には異議があったし、損益計算書の承認は、何ら責任免除を意味しない。

4  原告会社は、全国菓子工業組合連合会と一体的な存在があり、同組合と会員の利益のために設立されたものであるが、被告は、長年原告会社の代表取締役と右連合会の代表理事の地位にある間に専断独行し、不当な業務執行をしたもので、本件は何ら信義則違反、権利濫用ではない。

六  証拠関係《省略》

理由

一  被告が原告会社の代表取締役として在任していたこと、その在任中に規則に違反して、訴外乙山春子を規則上の定年である昭和五五年一二月に退職させず、昭和六一年六月に退職させたが、その後嘱託として雇用したことは、当事者間に争いがない。

二  まず、被告の取締役としての義務違反の有無について判断する。

《証拠省略》によれば、昭和五五年の右訴外人の定年時においては、被告には同人の定年について具体的な認識がなく、事務局からの意見具申もないまま、ずるずると事実上定年延長をしたこと、これに対し他の取締役や職員から特段の異議はなかったことが、認められる。なお、原告が右措置の動機として主張するような被告と同人との個人的関係が存在したとは、認められない。

そして《証拠省略》によれば、規則は取締役会の決議により制定されたもので、代表取締役としては、これを遵守して業務執行に当たるべきことは、商法二六〇条の規定上明らかである。被告は、男女差別の規則は無効であり、これに従わなかったとしても、被告に義務違反はないと主張するが、代表取締役としては規則が違法であると考えるならば、取締役会にその改正を付議し、その結論をまって処理すべきものである(その場合男女差別は廃止すべきものとしても、定年自体を何才とすべきと決定されたかは、予想できない。)。前記認定のとおり、被告はことさら規則の違法性を意識して定年延長をしたものではなく、漫然と定年退職の措置をとらなかったに過ぎない。この点に関する被告の主張は、採用できない。

また、被告は、原告会社の業務執行の必要上、右訴外人を退職させることは不可能な状況にあり、同人の退職につき人事の処理を委ねていた常務取締役等からの稟議等もなかったから、義務違反はないと主張する。なるほど、《証拠省略》によれば、原告会社の人手がかなりひっぱくしていたことが認められ、前記認定のとおり部下の役職員からの意見具申もなく、規則違反につき他の取締役等から異議がなかったことも認められるが、これをもって被告に義務違反がないということはできない。すなわち、代表取締役たる被告としては、会社の業務執行の最高責任者として前記のとおり規則を遵守し、業務執行を適正に行うべき職務上の義務を負うことは、明らかで、部下職員に重要な人事処理までを任せきりにすることは許されず、部下職員に職務懈怠があったからといって、代表取締役としての責任が不問に付されるべきものではない。また、原告会社の人手不足については、あえて規則違反をしなくても嘱託としての再雇用によって対処することが不可能であったとは認められず、その方策の検討さえしていなかったというのでは、その職務上の義務を尽くしたとはいえない。この点に関する被告の主張もまた、採用できない。

結局、被告には取締役としての善管注意義務違反があることは、明らかである。

三  原告会社に生じた損害について判断する。

(1)  《証拠省略》によれば、右訴外人が定年時に退職した場合の退職金額と現実に支給された金額との差額は、原告主張の金一八一万五五九六円であることが、認められる(なお、右証言によれば、右金額算定の係数の取り方には問題がなくはないが、争点となっておらず、これについては不問に付する。)。

(2)  さらに原告は、退職後に嘱託として再雇用した場合の給与は、退職時のそれの六五パーセントが相当であり、本件では右訴外人が定年退職すべかりし時期の勤務については、右基準による金額と現実の支給額との差額が原告に生じた損害であると主張する。しかし、本件全証拠によっても原告会社に定年後の再雇用による嘱託の給与が退職時のそれの六五パーセントとするとの労働慣行があったとは認められない。また、《証拠省略》によれば、多くの会社では、定年後の再雇用嘱託者の給与は退職時のそれより低いが、同額の例もある。そして《証拠省略》によって窺うことができる昭和五五年一二月以降の事務量、職員の数、右訴外人の担当等を考慮すると、同訴外人を嘱託にしたとしても、これに従前の給与の額に等しい額を支給することにおよそ合理性がなかったとはいえない。また、その給与の額が高かったため同人の労働意欲が向上し、原告会社に利益をもたらした可能性も否定できない。結局同人の嘱託としての給与をいかなる金額とするのが相当であったかが、定まらない以上、この点に関する原告の損害額の主張は認めることができない。

四  被告は、退職金の支給について責任免除を主張するが、仮に被告主張の損益計算書につき株主全員の一致による承認があったとしても、商法二六六条五項による責任免除は株主が取締役の責任及び損害額について認識したうえですることが必要であり、単に損益計算書の承認をもって責任免除の同意があったとはいえない。被告の主張は採用できない。

五  被告は、本訴請求を信義則違反、権利濫用と主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。もっとも、本件について被告の注意義務違反によって原告に生じた損害は、前記認定のとおり、一応金一八一万五五九六円と認められるが、本件では被告を補佐すべき職員の職務懈怠もその損害発生の一因となっている。また、他の取締役の責任も否定しえないものがある。これは、原告会社の組織上の欠陥ともいうことができる。そして、原告がそれらの責任を不問に付したまま、被告の責任のみを追求することを認めるのは適当ではない。このような場合には、過失相殺の法理の類推により、また前記の労働意欲維持の効果の可能性を考慮して損益相殺の要素をも加味し、原告が被告に賠償を求めることができる額としては、右損害額の四割を減じて、金一〇八万九三五七円とすることが、相当である。

六  そうすると、原告の請求は金一〇八万九三五七円及びこれに対する訴状送達の日の翌日の昭和六三年一〇月八日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから、これを認容することとし、その余は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法九二条本文、仮執行の宣言について同法一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 稲葉威雄)

<以下省略>

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