大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和63年(ワ)15153号 判決 1992年3月27日

原告

伊藤豊

外一一名

右一二名訴訟代理人弁護士

米丸和實

被告

兒玉孝太郎

外一名

右両名訴訟代理人弁護士

池田利子

主文

一  被告兒玉孝太郎は、原告伊藤豊に対し金八二九万三〇〇〇円、原告稲田実に対し金四九八万七七六四円、原告岡本隆に対し金二五九七万一二〇七円、原告川邊正憲に対し金七四〇万八四六五円、原告神代梅子に対し金二〇七万九三七三円、原告小松保明に対し金四五九万八五三五円、原告坂上徳太郎に対し金九万円、原告田村哲男に対し金六五八万六五一四円、原告橋口克己に対し金四六九万五六九三円、原告日原菊子に対し金二〇三万五八八三円、原告平田榮子に対し金八七万〇五三二円、原告平田雅臣に対し金八七万〇五三二円及び右各金員に対する昭和六三年六月八日から各支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

二  被告范育材は、原告伊藤豊に対し金五一五万円、原告岡本隆に対し金三〇〇二万八〇六七円、原告川邊正憲に対し金八六〇万八四六五円、原告神代梅子に対し金四五万円、原告小松保明に対し金八〇一万三一九八円、原告田村哲男に対し金四二五万五一五二円、原告橋口克己に対し金一〇四五万七二九七円及び右各金員に対する昭和六三年六月八日から各支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

三  原告伊藤豊の被告両名に対するその余の請求、原告稲田実の被告范育材に対する請求、原告岡本隆の被告兒玉孝太郎に対するその余の請求、原告川邊正憲の被告兒玉孝太郎に対するその余の請求、原告神代梅子の被告范育材に対するその余の請求、原告小松保明の被告両名に対するその余の請求、原告坂上徳太郎の被告兒玉孝太郎に対するその余の請求及び被告范育材に対する請求、原告田村哲男の被告両名に対するその余の請求、原告橋口克己の被告兒玉孝太郎に対するその余の請求、原告日原菊子の被告范育材に対する請求、原告平田榮子の被告兒玉孝太郎に対するその余の請求及び被告范育材に対する請求並びに原告平田雅臣の被告兒玉孝太郎に対するその余の請求及び被告范育材に対する請求を、いずれも棄却する。

四  訴訟費用は、被告らの負担とする。

五  この判決は、第一項、第二項及び第四項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

一被告両名は、別紙請求金額一覧表の原告氏名欄記載の各原告に対し、同表の被告両名に対する請求金額欄記載の各金員及び右各金員に対する昭和六三年六月八日から各支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

二被告両名は、原告平田榮子及び同平田雅臣に対し、それぞれ関東電化工業株式会社の株式一〇〇〇株の株券及び保土谷化学工業株式会社の株式三五〇〇株の株券を引き渡せ。

三右各株券引渡の強制執行が不能な場合には、被告両名は、原告平田榮子及び同平田雅臣に対し、関東電化工業株式会社の株式については一株あたり五二五円、保土谷化学工業株式会社の株式については一株あたり四二九円の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、被告両名が役員等をしていた投資顧問会社等三社によって株式買付資金等の名目で金銭及び株券を騙し取られたと主張して、原告らが、被告両名に対し、不法行為及び商法二六六条の三に基づく損害賠償と株券の返還を求めた事案である。

一争いのない事実及び証拠上容易に認定できる事実

日生投資株式会社(以下「日生投資」という。)は、名目上は資産運用に関するコンサルタント業務等を業とする会社であり、昭和五七年六月一七日、設立され、小椋國平(以下「小椋」という。)がその代表取締役であり、当初は六〇〇名から八〇〇名の顧客を集めたが、昭和六一年五月三一日、株主総会の決議により解散した。

日生信販株式会社(以下「日生信販」という。)は、名目上は金銭の貸付及びその保証等を業とする会社であり、昭和五九年四月三日、設立され、小椋がその代表取締役であったが、昭和六一年三月三一日、株主総会の決議により解散した。

興仁投資顧問株式会社(以下「興仁」という。)は、名目上は国内外における有価証券の投資顧問業務を業とする会社であり、昭和六〇年四月二五日、台湾の仁信証券の傘下にある興仁投資顧問の日本法人という形で設立され、被告范育材(以下「被告范」という。)は、登記簿上は会社設立当初から取締役として、また昭和六二年三月一三日からは代表取締役として登記されている。なお、被告范の右の代表取締役としての登記は昭和六三年一二月一九日、抹消された。

二争点

1  本件取引の違法性

2  被告兒玉及び被告范の責任

3  原告らの損害の有無及びその額

4  株券引渡請求権の有無

第三争点に対する判断

一本件取引の違法性について

1  原告の主張

日生投資は、株式買付代金名下に、原告らから金員を騙し取ろうと企て、証券会社に株式売買を委託する意思がないのに、原告らに対し、証券会社に委託した旨虚偽の事実を告げ、原告らをして真実証券会社に委託して株式売買が行われたものと誤信させ、昭和五八年ころから昭和六三年ころにかけ、日生投資内において原告らから株式買付資金等の交付を受けて騙取した。

2  裁判所の判断

(一) 証拠(<書証番号略>証人小椋國平、被告兒玉孝太郎、被告范育材)並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実を認めることができる。

(1) 原告らは、昭和五八年から昭和六〇年までの間に、それぞれ日生投資との間で投資顧問委任契約(以下「本件投資顧問契約」という。)を締結したが、右契約は、顧客が所定の管理費用を日生投資に支払うこと、日生信販を通じて取引口座に運用資産を預託すること、右口座による有価証券売買について日生投資に一切を委任すること、日生投資が指示する株式売買により利益がでた場合、売買差益金の二〇パーセントを顧客が支払うこと等を骨子としていた。

原告らは、本件投資顧問契約に基づき、株式運用資金を日生信販に入金し、また、日生信販は、原告らから株式買付資金の寄託を受けるほか、顧客の所有する株式を担保に株式買付資金を融資するという名目で、顧客から株券等の寄託を受けたこともあった(以下、本件投資顧問契約締結から契約終了に至るまでの間にされた株式運用資金等の入金、証券会社への株式売買の指示等の一連の行為を「本件取引」という。)。

(2) 日生投資と日生信販の業務内容は、基本的には、日生投資が投資家から管理費を取得し、投資家に対しては投資のアドバイスを行い、日生信販が投資家から金銭等の預託を受け、証券会社との決済等を行うというものであったが、その役割の分担は明確ではなく、両者の業務内容は混同されていた。

興仁は、有価証券に係る投資顧問業の規制等に関する法律(昭和六一年一一月二五日施行、以下「投資顧問業法」という。)の施行に伴い、投資顧問業者が登録制になった関係で、右登録が受けやすいような会社を設立したいという小椋の判断から設立されたものであるが、下部の従業員は日生信販と同じであり、その業務内容は、投資家に対するアドバイス、融資等、日生投資と日生信販の業務内容を併せたようなものであった。

日生投資と興仁は、その組織形態とその構成役員がほぼ同一であり、日生投資あるいは興仁が、証券会社を通じて株式を購入する際には、主として小椋國平名義が用いられたので興仁が購入したものか否かの区別は困難であり、また、日生投資が興仁に対して入金された投資資金を預かる場合もあり、さらに、日生投資と興仁の電話番号が同じ時期もあった。

日生信販と興仁は、従業員の構成がほぼ同一で、営業場所は階が異なるものの、同じ建物内であった。

(3) 小椋は、日生投資及び興仁による株式売買の指示をその一存で行い、日生投資設立から一年間は主として小椋名義、その他に酒井浩平名義、日生投資名義、日生信販名義等を用いて実際に株式を購入していたが、その後、資金繰りが苦しくなったことが原因で現実の株式の売買を行わなくなった。

小椋は、現実に株式取引を行わなかった分の資金を給料等の経費に流用した。

(4) 昭和六二年一〇月ころから、原告ら顧客からの金銭返還の請求が激しくなり、小椋は、昭和六三年五月ころ失踪し、興仁は、同年七月ころ賃借していた貸室を明け渡して事実上消滅し、原告らが金銭の返還を受けることは不可能になった。

(5) 原告らは、本件訴訟において、被告両名のほかに小椋及び登記簿上日生投資の監査役であり、小椋の妻である小椋晴美をも被告としていたが、小椋は平成二年七月二七日の第七回口頭弁論期日において原告らの請求を認諾し、小椋晴美に対する訴えは平成四年一月一七日の第一五回口頭弁論期日において取り下げられ、いずれも終了した。

(二)  右のとおり、小椋は、日生投資設立後に現実の株式の売買を行わなくなったと認められるが、現実の株式売買を行わなくなった時期については、原告らが全く現実に株券を見ておらず、配当金等の交付も受けていないこと、本件取引期間中に現実の株式売買がされたことを裏付ける客観的証拠としては日生信販等が発行した報告書あるいは計算書しかなく、右書面には虚偽の事実が記載されている可能性が高いと認められること、証券会社では顧客名義の口座は利用されず、専ら小椋名義の口座で取引されたこと等を総合すると、遅くとも本件取引の開始時期である昭和五八年一〇月には既に現実の株式売買を行わなくなっていたと認めるのが相当である。

したがって、日生投資は、本件取引において、証券会社に株式売買を委託する意思がないにもかかわらず、そのことを隠して原告らを現実に株式売買が行われていると誤信させ、原告らから株式買付代金という名目で違法に株式買付資金等を騙し取ったと認められる。

また、日生投資、日生信販及び興仁は、前記のとおり、その業務内容等がそれぞれ重なり、活動形態等も著しく類似し、あるいは互いに補完し合う関係にあり、右三社の活動を区別することは困難な状態であったから、日生信販及び興仁も、日生投資と同じく原告らから違法に株式買付資金等を騙し取ったと認めるのが相当である。

この点、日生信販等が発行した報告書あるいは計算書の内容に対応する株式売買があったとしても、それは部分的なものにとどまると推測されるのであり、全体として見れば現実の株式売買が行われていたとは認められない。

二被告兒玉及び被告范の責任について

1  被告兒玉の責任について

(一) 原告らの主張

被告兒玉孝太郎(以下「被告兒玉」という。)は、日生投資の従業員として、原告らに対して会員になるように勧誘し、株式売買の指示をし、日生信販に株式買付資金を寄託するよう指示する等違法な詐欺行為を継続したから、不法行為に基づく損害賠償責任を負う。

また、本件は会社ぐるみの違法行為であるから、原告らのうち被告兒玉と直接接触していない者に対しては共同不法行為に基づく損害賠償責任を負う。

さらに、被告兒玉は、日生信販の取締役であったから、原告らに対して商法二六六条の三に基づく損害賠償責任を負う。

(二) 被告兒玉の反論

被告兒玉は、小椋の指示に従って株式売買の勧誘を行っていただけであり、顧客との間で直接金銭の授受をしたことはなく、会社が詐欺的商法を行っていることを知らず、また知りうべくもなかったのであるから、損害賠償責任を負わない。

(三) 裁判所の判断

(1) 前記の証拠及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

被告兒玉は、昭和五九年二月一日、日生投資に入社したが、それ以前は商品先物取引業務等を行う大成商品という名称の会社に十数年間勤務しており、小椋は右会社で被告兒玉の一年先輩であった。

被告兒玉は、日生信販が昭和五九年四月三日に設立された当初からその取締役に就任し、その旨登記されていた。なお、右登記は、日生信販の解散に伴い昭和六一年四月二五日、抹消された。

(被告兒玉は、取締役に就任したことを認識していなかったと供述するが、取締役就任承諾書に署名捺印した事実は認めているのであるから、右供述は不自然であって採用できない。)

被告兒玉は、日生投資に入社後、営業を担当し、電話勧誘、会員が購入した株のリストの保管、売却時期等の管理等を行い、あるいは、株式の買付代金、証拠金等の入金を日生信販の銀行口座にするよう顧客に指示していた。また興仁においては管理部長の地位にありその旨の名刺を作成、使用していた。

なお、被告兒玉は、名目上は日生投資に入社した形になっているが、その営業活動は、日生投資、日生信販、興仁のそれぞれに渡っているので、その活動がどの従業員としてのものかは明確に区別できない。

被告兒玉は、昭和六二年夏過ぎころ、小椋らが新たに設立した貴金属等の販売を行う白圭堂という名称の会社で働いたが、給料の支払いが滞ったため、昭和六二年九月、興仁を退社した。

被告兒玉は、日生投資に在籍期間中は手取りで月約三〇万円から四〇万円程度の給与を受け取っていた。

なお、被告兒玉は、現在先物取引の会社に勤務し、原告らから自己所有の建物につき仮差押を受けている。

(2)  前記認定のとおり、小椋らによる違法行為は、昭和五八年一〇月当時には始まっていたと認められるのであるが、被告兒玉と小椋とが日生投資入社以前からの付合いであったこと、被告兒玉と小椋らの仕事場が近接していたこと、被告兒玉は小椋らと朝礼等を通じて情報を交換する機会を有していたと推測できること、被告兒玉が原告らからの取引明細書の交付要求あるいは利益金の返還請求をそれぞれ拒絶したこと等を総合するならば、被告兒玉は小椋らによる違法な行為を認識していた可能性が極めて高い。

仮に、被告兒玉が右認識を有していなかったとしても、被告兒玉は、右のとおり日生投資入社の二か月後には日生信販設立にあたり取締役に就任しているのであり、さらには興仁においても管理部長の地位にあり、対外的にも管理部長の肩書で営業活動を行い、その顧客の管理業務は小椋らの違法行為を遂行する上で必要な業務であり、組織的活動の一部を形成していたというべきであるから、同人は、日生投資、日生信販及び興仁の三社の活動において重要な役割を果たしていたものと認められ、右の被告兒玉の地位、役割にかんがみるならば、会社の違法な行為についてはこれを認識し阻止すべきであったと解するのが相当であり、同人にはこれを怠った過失があることが明らかである。

したがって、被告兒玉は、日生信販取締役就任から興仁の業務から実質的に退く以前の昭和六二年八月三一日までの期間の小椋らの行為により原告らに生じた損害について民法七〇九条に基づき責任を負うものと解される。

2  被告范の責任について

(一) 原告の主張

被告范は、小椋と画策して興仁を設立したうえで本件詐欺行為に及んだ疑いが濃厚であり、そうであるならば独立の不法行為あるいは共同不法行為に基づき原告らに対して損害賠償責任を負う。

仮に右事実がないとしても、被告范は、興仁の代表取締役であるからその事業の執行に際し、会社従業員が詐欺営業等の違法行為を行わないように忠実に職務を遂行すべき義務があるにもかかわらず、会社従業員に対し本件の違法行為を行うことを指示し、または少なくとも従業員の違法行為を看過したことにつき重過失があるのであるから、原告らに対して、商法二六六条の三に基づき損害賠償責任を負う。

また、日生投資は昭和六一年五月に解散したのであるから、それ以降営業を継続することができないにもかかわらず、原告らに対して営業を継続し、一方、興仁は、昭和六〇年四月に設立登記を行い、日生投資の営業場所と同一の建物で日生投資と同一の営業を行っているから、興仁は、日生投資の債権債務を承継したと解するべきである。

(二) 被告范の反論

被告范は、興仁の取締役あるいは代表取締役に就任する意思を持たず、就任した事実もなく、顧客に対して営業行為を行ったこともないのであり、対外的な行為としては、三菱銀行池袋東口支店及び関東財務局に行ったことがあるに過ぎず、関東財務局に行ったことは本件の違法行為に何ら影響を与えていない。

また、被告范は、本件の違法行為を知らず、また知り得べくもなかったのであるから、原告らに対して、損害賠償責任を負わない。

(三) 裁判所の判断

(1) 前記の証拠及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

被告范は、興仁設立の際、その発起人の一人である李村城、台湾の仁信証券の担当者、台湾の証券取引委員会の担当者を小椋に紹介し、またそれらの者の通訳等を行った。

(被告范は、酒井浩平から株式を運用してくれる人として小椋を紹介されたにすぎず、李村城らについては酒井が勝手に小椋に紹介したものである旨供述するが、被告范所有の株式の運用に関する小椋と被告范の間の契約が、興仁の発起人会議に三か月遅れて締結されていることに照らすと、右供述は不自然であり採用できない。)

昭和六〇年三月一〇日ころ、台湾において興仁の発起人会が開かれ、興仁設立に関する事項が定められたが、被告范は右発起人のうちの一人だった。

(被告范は、興仁の発起人になる意思がなかった旨供述するが、発起人会議事録(<書証番号略>)には被告范の実印の印影があり、他方被告范が軽い気持ちで実印を交付しそれが冒用されたとの供述は不自然で信用できないのであるから、被告范は発起人になることを了解していたと認めるのが相当である。)

被告范は、興仁設立当初からその取締役のうちの一人であったが、その後、投資顧問業法施行に伴い、投資顧問業者が登録制になったため、小椋は、台湾人である被告范が代表取締役になれば右登録が受けやすいであろうと判断し、被告范に対し、昭和六二年一月ころから興仁の代表取締役就任を要請し、被告范は、右要請を了承し、昭和六二年三月一三日、興仁の代表取締役に就任した。

なお、被告范の妻林秀春は、登記簿上、昭和六一年六月三〇日、興仁の監査役に就任した旨記載されているが、林秀春の登記は興仁を投資顧問業者として登録するための手段として、被告范のアドバイスに基づきされたものであった。

(被告范は、興仁の取締役及び代表取締役就任を承認したことはなく、むしろ興仁の取締役登記を抹消してもらうために実印と印鑑証明を興仁の従業員に交付したところ、それらを冒用されたと供述する。しかし、仮に被告范の意思に反して取締役登記がされていたなら、被告范が興仁の従業員に実印等を交付する等の危険な行為をするとは考えられず、また、実印等を交付した後に取締役登記が抹消されたか否かを問い合わせた形跡もないのであるから、右供述は採用できない。)

被告范は、代表取締役就任から数か月の間、興仁の代表印を保有していた。尤も、小切手を発行するとき等は、経理担当者が代表者印を押していた。

また、被告范は、多いときには一日か二日おきに、少ないときには三週間くらいの間隔をあけて、興仁の事務所に行っていた。

(被告范は、山之内製薬株式会社(以下「山之内製薬」という。)の株式を無断で売却されたことの補償としての金銭の支払いを催促するために右のとおり興仁の事務所に行っていた旨供述するが、単なる催促の目的にしては事務所に通う回数が多すぎるのであり、右供述は採用できない。)

興仁は、被告范に対して、興仁の代表取締役に就任する以前から昭和六二年の秋ころまで、被告范の要望に基づき林秀春あるいは祭清霖名義で月二五万円の役員報酬を支払い、また興仁に通勤するための定期券を支給していた。

(被告范は、右二五万円は、山之内製薬の株式を無断で売却されたことの補償として受けとっていたと供述する。しかし、被告范は当初右二五万円には金利も含まれる等の供述をしており一貫せず、右供述は採用できない。)

小椋、被告范及び投資顧問業者登録のための書類を揃えた中部経済新聞次長興梠寛明(以下「興梠」という。)は、興仁の投資顧問業者としての認可手続の進捗状況を確認するために、関東財務局に赴き、係員と折衝したが、結局認可は得られなかった。

(被告范は、通訳のために関東財務局に同行した事実はあるが、右財務局の係員と折衝したことはない旨供述する。しかし、通訳のために同行する必要は乏しく、右供述は不自然であって採用できない。)

なお、昭和六三年五月ころ、被告范は、再度関東財務局に行った。

日生信販は、三菱銀行池袋東口支店に普通預金取引口座を開設していたが、小椋と被告范は、昭和六三年二月六日、興仁の口座開設のために右支店に赴き、被告范は、右支店担当者飯島治朗(以下「飯島」という。)に対し、興仁代表取締役の肩書の自己の名刺を渡し、支店長室において口座開設の意思表示をした。また、被告范は、興仁の口座開設後、右支店に何回か赴き、また当座預金の動きについて電話により照会するなどした。

(被告范は名刺を交付した事実はなく、口座開設の話も聞かなかった旨供述するが、第三者である飯島の証言の信用性は高く、現実に名刺を同行が保有していることからも、右供述は採用できない。)

なお、被告范は、その後小椋が失踪した昭和六三年五月、右支店に対して、被告范に無断で口座が開設されたとして抗議した。

被告范は、昭和六〇年七月二四日、小椋に対して、自己所有の山之内製薬の株式四〇〇〇株の運用を委託し、小椋は、同日、右山之内製薬の株券を山加証券株式会社(以下「山加証券」という。)に預託した。その後、小椋と被告范は、右株券を処分して他の株を運用する旨合意し、小椋は、同年一〇月四日、山加証券に対して右株券の預り証の喪失届けを提出し、右合意に基づいて山之内製薬の株式を売却したところ、その後山之内製薬の株価が上昇したため、被告范は、小椋に対し、山之内製薬の株式の売却合意はなかったと主張し始め、その件で、昭和六二年七月二一日、右株券または同額の金銭を返還するよう小椋に要求し、小椋は、右要求に応えて総額約一三〇〇万円の金銭を分割して返還する旨約束し、数回に分けて総額数百万円の金銭を返還した。

被告范は、昭和六三年、興仁を被告として、被告范の興仁の取締役登記及び代表取締役登記の各抹消を求める訴訟を提起し、同年一〇月一八日、認容判決を得た。但し、右訴訟において興仁は公示送達による呼び出しを受けたが、口頭弁論期日には出頭しなかった。

なお、被告范は、その所有不動産につき原告らから、昭和六三年八月、仮差押えを受け、その後、同月二七日、右不動産に被担保債権を一億二〇〇〇万円とする抵当権を設定した。

(2)  前記認定のとおり、被告范は、興仁の設立に際してはその発起人の一人となり、とりわけ台湾在住の関係者との折衝においては重要な役割を果たし、興仁設立時には、自らの意思で取締役に就任し、その後、興仁が投資顧問業者としての登録を受けることができるようにとの判断からその代表取締役に就任していた。加えて、被告范は、興仁から定期的に報酬等の支給を受け、その代表者印を保管していた時期もあり、さらに興仁の事務所に相当程度の頻度で通っていたのである。

以上の諸事情を考慮すると、興仁の実質的な経営者が小椋であったとしても、被告范は、興仁の取締役あるいは代表取締役として積極的役割を果たしていたということができ、これを単なる名目上の役員であったとみることはできないのであり、右の被告范の興仁における地位、役割にかんがみるならば、被告范は、興仁の取締役に就任して以降は少なくとも本件の違法行為を認識し、これを防止すべき義務を負っていたと解することが相当である。

また、前記のとおり、日生投資、日生信販及び興仁は、一体となって活動していたと認められるから、日生投資あるいは日生信販の名で行われた違法な行為についても被告范は責任を負うべきものと解される。

したがって、被告范は興仁の取締役就任から少なくとも原告橋口についての最終の損害発生時である昭和六三年六月までの間、日生投資、日生信販及び興仁の名でなされた小椋らの違法行為を防止すべき義務を怠り、右義務懈怠については重過失があると認められるから、その間に原告らに生じた損害については商法二六六条の三に基づき損害賠償責任を負うと解される。

なお、原告は、興仁が日生投資の債権債務を承継した旨主張するが、被告范は、興仁の取締役就任以前は違法行為を防止すべき義務を負わないものと解されるから、仮に興仁が債権債務を承継したとしても、取締役就任以前の違法行為に基づく損害賠償責任を負うことはない。

三原告らの損害の有無及びその額について

前記の証拠及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

1  原告伊藤豊の損害

原告伊藤豊(以下「原告伊藤」という。)は、日生投資の広告を見て、昭和五九年一〇月三日、日生投資との間で、本件投資顧問契約を締結した。

その後、日生投資従業員三浦繁喜(以下「三浦」という。)らからの指示に従い日生信販に株式運用資金を送金し、あるいは日生信販から運用資金の貸付を受ける担保として株式を日生信販に預託した。

原告伊藤は、昭和五九年一〇月三日から昭和六二年三月一八日までの間、日生信販に四回にわたり合計九一九万三〇〇〇円を株式運用資金として送金し、また、昭和五九年一〇月二三日、中央電気工業株式会社の株式一万株を、同月二九日、同興紡績株式会社の株式五〇〇〇株を日生信販に預託した。

このうち、被告兒玉は、昭和五九年一〇月三日から昭和六二年八月七日までの送金の合計額八二九万三〇〇〇円につき、被告范は、同年二月九日から昭和六三年三月一八日までの送金の合計額五一五万円につきそれぞれ責任があるというべきである。

2  原告稲田実の損害

原告稲田実(以下「原告稲田」という。)は、日生投資の従業員から執拗に勧誘を受け、昭和五九年四月末ころ、日生投資との間で本件投資顧問契約を締結し、その後、三浦らからの指示に従い日生信販に株式運用資金を送金し、株式取引を行った。原告稲田は三浦らに対して、取引を終了するまでの間に数回にわたり、取引の終了や金銭の返還等を申し出たが、三浦らはこれに応じなかった。

原告稲田は、昭和五九年五月九日から同年八月一四日までの間、日生信販に三回にわたり合計四九八万七七六四円を株式運用資金として送金した。

右の取引によって生じた損害につき、被告兒玉は全て責任があるが、被告范は責任があるとはいえない。

3  原告岡本隆の損害

原告岡本隆(以下「原告岡本」という。)は、広告を見て日生投資を知り、三浦から勧誘を受け、昭和五八年一〇月三一日、日生投資との間で本件投資顧問契約を締結し、その後、三浦らからの指示に従い日生信販に株式運用資金を送金し、株式取引を行った。なお、原告岡本の取引は、岡本隆名義のみならず、岡本隆司名義あるいは左鴻昭子名義でも行われた。

原告岡本は、昭和五八年一〇月三一日から昭和六二年三月二日までの間、日生信販に約四〇回にわたり合計一億一一三四万〇二四一円を株式運用資金として送金し、また、同年七月四日から昭和六三年二月一二日までの間、東京信用金庫本店三浦名義の口座に六回にわたり、合計七九二万三四八九円を株式運用資金として送金した。なお、原告岡本は、昭和五八年一一月三〇日から昭和六三年六月一〇日までの間、日生投資、日生信販及び三浦から、四七回にわたり合計九二九八万〇一七八円の送金を受けている。

このうち、被告兒玉は、昭和五九年四月一一日から昭和六二年八月二八日までの送金の合計額九九二四万三六九七円から右送金分に対応すると認められる返金分七三二七万二四九〇円を控除した二五九七万一二〇七円につき、被告范は、昭和六〇年六月一日から昭和六三年二月一二日までの送金の合計額六四二六万〇五四五円から右送金分に対応すると認められる返金分三四二三万二四七八円を控除した三〇〇二万八〇六七円につき、それぞれ責任があるというべきである(なお、原告岡本に返還された金銭については、発生時期が早い損害から順に充当されるものとして計算した。以下、他の原告についても同様に計算するものとする。)。

4  原告川邊正憲の損害

原告川邊正憲(以下「原告川邊」という。)は、広告で日生投資を知り、日生投資従業員千葉良一から勧誘を受け、昭和六〇年三月七日、日生投資との間で本件投資顧問契約を締結し、その後、日生信販に株式運用資金を送金して株式取引を行い、昭和六〇年五月ころからは三浦が原告川邊を担当するようになり、原告川邊は三浦の指示に従い三浦に直接送金した。原告川邊は、昭和六〇年一二月以降に、三浦に対して取引の終了を申し入れたが、三浦は、右申入れを拒絶した。なお、原告川邊は、日生信販に送金する際に川邊将統の名義を用いたことがある。

原告川邊は、昭和六〇年三月七日から同年八月七日までの間、日生信販に四回にわたり合計三六八万六九一五円を株式運用資金として送金し、同年一二月三日から昭和六二年一〇月二七日までの間、三浦に対して八回にわたり合計五九〇万円を送金した。右の三浦による同人への送金指示、それに基づく三浦への送金は、本件取引における一連の行為のうちの一つと評価できるのであるから、被告両名は、右送金分の損害についてもこれを賠償する責任を負うものと解される。なお、原告川邊は、昭和六〇年一一月二八日から昭和六二年八月七日までの間、日生信販から、三回にわたり合計九七万八四五〇円の送金を受けている。

このうち、被告兒玉は、昭和六〇年三月七日から昭和六二年八月一〇日までの送金の合計額八三八万六九一五円から右送金分に対応すると認められる返金分九七万八四五〇円を控除した七四〇万八四六五円につき、被告范は、昭和六〇年五月二三日から昭和六二年一〇月二七日までの送金の合計額八六二万〇一〇三円から右送金分に対応すると認められる返金分一万一六三八円を控除した八六〇万八四六五円につき、それぞれ責任があるというべきである。

5  原告神代梅子の損害

原告神代梅子(以下「原告神代」という。)は、日生投資従業員林勇司から勧誘を受け、昭和六〇年一月一四日、日生投資との間で本件投資顧問契約を締結し、その後、日生信販に株式運用資金を送金し、株式取引を行ったが、その間、原告の担当者は林勇司から次々にかわり、取引終了時には三浦が担当していた。

原告神代は、日生投資から配当金についての連絡がないので不審に思い、日生信販の代理人と交渉したうえ、昭和六二年九月一七日、日生信販との間で、日生信販が原告神代に対して弁済すべき額を二六〇万円とし、右金銭を月二〇万円ずつ返済する旨の和解契約を締結した。その後、原告神代は、同年一〇月一三日から昭和六三年七月一日までの間に、日生信販から四回にわたり合計四五万円の返済を受けた。

原告神代は、昭和六〇年一月一四日から同年五月一四日までの間、日生信販に六回にわたり合計二五二万九三七三円を株式運用資金として送金した。

このうち、被告兒玉は、昭和六〇年一月一四日から同年五月一五日までの送金の合計額二五二万九三七三円から右送金分に対応すると認められる返金分四五万円を控除した二〇七万九三七三円につき、被告范は、昭和六〇年五月一五日の送金額四五万円につき、それぞれ責任があるというべきである。

6  原告小松保明の損害

原告小松保明(以下「原告小松」という。)は、広告で日生投資を知り、日生投資従業員千葉良一から勧誘を受け、昭和六〇年三月一四日、日生投資との間で本件投資顧問契約を締結し、その後、日生信販に株式運用資金を送金して株式取引を行い、日生投資の原告小松の担当者は、昭和六〇年四月一五日以降は被告兒玉、昭和六二年五月以降は三浦であり、同年一二月中旬以降は小椋が直接原告小松と交渉するようになった。原告小松は、現実にどこの証券会社で株式の取引が行われているのかを聞いたことはなかった。なお、被告兒玉は、原告小松に対して名刺を交付したが、右名刺には被告兒玉の肩書として、興仁管理部部長と印刷されていた。

原告小松は、昭和六〇年四月四日から昭和六二年一二月七日までの間、日生信販に一〇回にわたり合計一二五三万三三八二円を株式運用資金として送金した。なお、原告小松は、昭和六〇年五月二二日から昭和六一年三月一日までの間、日生信販から、四回にわたり合計三八一万六一二七円の送金を受けている。

このうち、被告兒玉は、昭和六〇年四月四日から同年一〇月二五日までの送金の合計額八四一万四六六二円から右送金分に対応すると認められる返金分三八一万六一二七円を控除した四五九万八五三五円につき、被告范は、昭和六〇年五月二八日から昭和六二年一二月七日までの送金の合計額八〇一万三一九八円につき、それぞれ責任があるというべきである。

7  原告坂上徳太郎の損害

原告坂上徳太郎(以下(原告坂上)という。)は、日生投資従業員備後某から勧誘を受け、昭和五九年八月一日、日生投資との間で本件投資顧問契約を締結し、その後、日生信販事務所に株式運用資金を持参して株式取引を行った。

原告坂上は、管理費用として日生投資に対し昭和五九年八月一日に一万円、昭和六〇年一月二八日に八万円を支払っているが、日生信販事務所に持参した株式運用資金の総額は、明らかでない。

右の取引によって生じた損害につき、被告兒玉は全て責任があるが、被告范は責任があるとはいえない。

8  原告田村哲男の損害

原告田村哲男(以下「原告田村」という。)は、被告兒玉らから勧誘を受け、昭和五九年一〇月二三日、日生投資との間で、本件投資顧問契約を締結し、その後、日生信販に株式運用資金を送金し、あるいは被告兒玉の指示に基づき日生信販から運用資金貸付を受ける担保として株式を日生信販に預託した。

なお、被告兒玉は、原告田村から取引明細書の送付を求められた際、それを拒絶したことがある。

原告田村は、昭和五九年一一月一九日から昭和六〇年七月二九日までの間、日生信販に五回にわたり合計六五八万六五一四円を株式運用資金として送金し、また、昭和五九年一一月初旬、住友軽金属工業株式会社の株式二〇〇〇株、サンデン株式会社の株式一〇〇〇株及びヤマト運輸株式会社の株式一〇〇〇株をそれぞれ日生信販に預託した。

このうち、被告兒玉は、昭和五九年一一月一九日から昭和六〇年七月二九日までの送金の合計額六五八万六五一四円につき、被告范は、昭和六〇年四月三〇日から同年七月二九日までの送金の合計額四二五万五一五二円につき、それぞれ責任があるというべきである。

9  原告橋口克己の損害

原告橋口克己(以下「原告橋口」という。)は、日生投資従業員浜田伸興から勧誘を受け、昭和五九年一二月三日、日生投資との間で本件投資顧問契約を締結し、その後、日生信販に株式運用資金を送金(初回は持参)して株式取引を行った。

また、昭和六三年三月ころ、三浦は、原告橋口に対して興仁での取引を行うよう勧め、原告橋口は、特に新規に手続を行うことなく興仁での取引を開始し、興仁に株式運用資金を送金して株式取引を行った。

原告橋口は、三浦に対して取引する証券会社がどこであるかを問いただしたところ、三浦は日生投資名義である旨答えたが、取引証券会社である山加証券には日生投資名義の口座はなかった。

なお、日生投資は、原告橋口に対して、中間配当金の取得につき株主でないにもかかわらずそれを取得した旨の虚偽の報告をしたことがあり、また、原告橋口自身が日生投資の株式売買報告が虚偽であることを確認したことがある。

原告橋口は、昭和五九年一二月三日から昭和六二年一二月二六日までの間、日生信販に一四回にわたり合計一六五一万二〇七七円を株式運用資金等として送金(初回は持参)し、昭和六三年三月一七日から同年六月八日までの間、興仁に四回にわたり合計三七六万一六〇四円を株式運用資金等として送金した。なお、原告橋口は、昭和六〇年三月二〇日から昭和六二年七月三一日までの間、日生信販から、一一回にわたり合計九八一万六三八四円の送金を受けている。

このうち、被告兒玉は、昭和五九年一二月三日から昭和六二年八月三日までの送金の合計額一四五一万二〇七七円から右送金分に対応すると認められる返金分九八一万六三八四円を控除した四六九万五六九三円につき、被告范は、昭和六〇年八月二日から昭和六三年六月八日までの送金の合計額一二九九万三一七八円から右送金分に対応すると認められる返金分二五三万五八八一円を控除した一〇四五万七二九七円につき、それぞれ責任があるというべきである。

10  原告日原菊子の損害

原告日原菊子(以下「原告日原」という。)は、かつて立花証券株式会社で株の通信取引を行っていたころの同社の担当者でありその後日生投資に入社した苅部仙吉から勧誘を受け、昭和五九年四月ころ、日生投資との間で本件投資顧問契約を締結し、その後、被告兒玉らの指示に従い、日生信販に株式運用資金を送金して株式取引を行った。原告日原は、被告兒玉らに対し、利益金の返還を請求したことがあるが、被告兒玉らは、これに応じなかった。また、被告兒玉は、原告日原からの株式売買の指示を取り次がなかったことがある。

原告日原は、昭和五九年四月二六日から昭和六〇年二月一三日までの間、日生信販に五回にわたり合計二〇三万五八八三円を株式運用資金として送金した。

右の取引によって生じた損害につき、被告兒玉は全て責任があるが、被告范は責任があるとはいえない。

11  亡平田良一(原告平田榮子及び同平田雅臣)の損害

亡平田良一(以下「亡良一」という。)は、日生投資従業員佐久川廣行から勧誘を受け、昭和五九年五月ころ、日生投資との間で本件投資顧問契約を締結し、その後、被告兒玉らの指示に従い、日生信販に株式運用資金を送金して株式取引を行った。

亡良一は、昭和五九年五月二九日から同年七月二八日までの間、日生信販に三回にわたり合計一七四万一〇六五円を株式運用資金として送金し、そのころ、関東電化工業株式会社の株式二〇〇〇株分の株券及び保土谷化学工業株式会社の株式七〇〇〇株分の株券をそれぞれ日生信販に預託した。

亡良一は、平成元年三月九日、死亡し、原告平田榮子及び同平田雅臣は亡良一の相続人であった。

このうち、被告兒玉は、昭和五九年五月二九日から同年七月二八日までの送金の合計額一七四万一〇六五円につき責任があるが、被告范は責任があるとはいえない。

原告らが本件取引において受けた損害は右のとおりであり、被告両名が責任を負うべき損害額は、別紙認容金額一欄表の認容金額欄記載のとおりである。

なお、遅延損害金の起算日である昭和六三年六月八日は、原告橋口が興仁に対して最終の送金を行った日であり、同日は原告らに損害が発生した最終の日である。

四株券引渡請求権の有無について

1  原告の主張

亡良一は、関東電化工業株式会社の株式二〇〇〇株の株券及び保土谷化学工業株式会社の株式七〇〇〇株の株券をそれぞれ日生信販に寄託したのであるから、原告平田榮子及び同平田雅臣は、その相続分に従い、それぞれ二分の一ずつ右銘柄の株券の返還を求め、右株券引渡の強制執行が不能のときは代償請求を行う。

2  裁判所の判断

前記のとおり、亡良一は日生信販に対して株券を預託し、右各株券には高度の流通性及び代替性が認められ、亡良一及び日生信販の合理的意思解釈としては、預託の対象たる株券の返還が不能になったときには同銘柄、同数量の他の株券をもって返還すべき旨の合意が両者の間に黙示的にあったと解するのが相当である。

しかし、本件の被告両名は、右株券預託の根拠たる契約の当事者ではないのであるから、損害賠償義務のほかに株券の返還義務を負うとは認められない。

したがって、原告平田榮子及び同平田雅臣の株券引渡請求並びに代償請求は理由がない。

第四結語

原告らの損害賠償請求は、別紙認容金額一覧表の認容金額欄記載の額の限度で理由があるからその限度で認容し、その余の損害賠償請求、株券引渡請求及び代償請求は、理由がないからいずれも棄却することとし、よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官石垣君雄 裁判官木村元昭 裁判官古谷恭一郎)

別紙請求金額一覧表

原告氏名 被告両名に対する請求金額

伊藤豊 一七三三万七三〇一円

稲田実 四九八万七七六四円

岡本隆 三〇〇二万八〇六七円

川邊正憲 八六〇万八四六五円

神代梅子 二〇七万九三七三円

小松保明 八七一万七二五五円

坂上徳太郎 四七四万九八二五円

田村哲男 八九〇万四一一四円

橋口克己 一〇四五万七二九七円

日原菊子 二〇三万五八八三円

平田榮子 八七万〇五三二円

平田雅臣 八七万〇五三二円

別紙認容金額一覧表

原告氏名 被告兒玉に対する認容金額

被告范に対する認容金額

伊藤豊 八二九万三〇〇〇円

五一五万〇〇〇〇円

稲田実 四九八万七七六四円

岡本隆 二五九七万一二〇七円

三〇〇二万八〇六七円

川邊正憲 七四〇万八四六五円

八六〇万八四六五円

神代梅子 二〇七万九三七三円

四五万〇〇〇〇円

小松保明 四五九万八五三五円

八〇一万三一九八円

坂上徳太郎 九万〇〇〇〇円

田村哲男 六五八万六五一四円

四二五万五一五二円

橋口克己 四六九万五六九三円

一〇四五万七二九七円

日原菊子 二〇三万五八八三円

平田榮子 八七万〇五三二円

平田雅臣 八七万〇五三二円

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例