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東京地方裁判所 昭和63年(ワ)16918号 判決 1993年3月19日

原告

三田春美

右訴訟代理人弁護士

鷲野忠雄

白川博清

被告

学校法人五島育英会

右代表者理事

山田秀介

右訴訟代理人弁護士

瀧川誠男

中原正人

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、金五〇〇〇円及びこれに対する昭和六一年一二月六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一  被告が経営する中・高等学校の養護職員である原告は、中学校夏期学校に引率出張し、その帰着日の翌日に出勤しなかったところ、被告は、原告に対し、その年の一二月期賞与について、右同日の欠勤を理由に五〇〇〇円を控除した額を支給した。そこで、原告は、宿泊を伴う校外学習に引率出張した場合の帰着日の翌日を休日とすることは、合意あるいは民法九二条の慣行が成立したことにより労働契約の内容になっているから、被告の右措置は違法であると主張して、被告に対し、右控除額五〇〇〇円の支払を求めた。

二  基礎となる事実関係

次の事実は、当事者間に争いがないか、又は、末尾記載の証拠によって認められる。

1(一)  被告は、学校法人であり、その傘下には、武蔵工業大学、同付属中・高等学校、同付属信州工業高等学校、東横学園女子短期大学、同中・高等学校、同大倉山高等学校、同小学校、同二子幼稚園、東急自動車整備専門学校及び法人事務局がある。東横学園中・高等学校(以下「学園」という。)は、同じキャンパス内にある女子校であり、教職員は中・高等学校を兼ねている。

(二)  原告は、昭和四三年三月慶応大学医学部厚生学院を卒業し、同年六月二四日正看護婦の免許を取得し、昭和五三年五月一日被告との間で東横学園中・高等学校の養護職員として試用期間付雇用契約を締結し(以下「本件雇用契約」という。)、昭和五四年四月一日本採用された。学園の養護職員は原告一人である。なお、原告は、昭和六〇年七月東横学園教職員組合に加入し、等々力分会(以下「分会」という。)に所属している。

2  本件雇用契約締結の当時、学園には就業規則がなかったが、学園の職員は、その職務内容及び労働条件の違いから、管理職員、教育職員、事務職員及び現業職員に大別され、養護職員は、事務職員として位置づけられていた。事務職員と教育職員との勤務条件の異同は、次のとおりであった(<証拠・人証略>)。

(一) 教育職員及び事務職員共通の休日として、週休日(日曜日)、国民の祝日、学校創立記念日等があり、休日出勤した場合には振替休日が認められていた。また、休暇については、規程に基づき、教育職員及び事務職員共通の休暇として、年次有給休暇と特別有給休暇が認められていた。

(二) 勤務時間については、始業時間は、教育職員と事務職員とで共通であるが、終業時間は、教育職員が午後四時であるのに対し、事務職員は午後四時一五分であった(土曜日は午後一時)。

(三) 教育職員については、週一日の研究日、夏期・冬期・学年末及び春期の各生徒休業期間及び各学期末考査後の自宅採点日について、自宅研修日が認められていた。これに対し、事務職員には、自宅研修日はなく、その代わり、被告の通達により夏期の生徒休業期間中(七月二一日から八月三一日)に合計二〇日間の夏期特別休暇が、冬期・学年末及び春期の各生徒休業期間中にも教育職員の自宅研修日より少ない日数の休暇(法律上の休暇であるか否かは問わない。)が付与されていた。

(四) 教育職員と事務職員とでは、異なる給与表が適用され、また、事務職員には時間外手当、休日勤務手当が支給されるのに対し、教育職員については、これらの手当が支給されていなかった。

3  原告は、毎年、宿泊を伴う林間学校、修学旅行、スキー教室(以下「校外学習」という。)への引率出張を命じられた。

中学校夏期学校及びスキー教室に引率出張した場合の帰着日の翌日(以下「帰着翌日」という。)は、夏期及び冬期の生徒休業期間中であるため、引率した教諭は、自宅研修日として出校を要しないものとされている。また、毎年秋に行われる中学校修学旅行に引率出張した場合の帰着翌日は、参加生徒の家庭学習日となり、引率教諭は、出校しない扱いが認められている(<人証略>)。

4  原告は、昭和五三年度中学校修学旅行の引率出張の際、教諭を通じて、校長に対し、帰着翌日を教諭と同様の扱いにしてほしい旨申し出たところ、校長は、これを認めた(以下「本件措置」という。)。

原告採用以前の養護職員大平めいじ(昭和四五年採用、昭和五三年一月三一日退職)及び武田ます子(昭和四六年採用、昭和五三年四月三〇日退職)が校外学習に引率出張した場合の出勤簿上の帰着翌日の扱いは(昭和四八年度から昭和五一年度までの扱い、その他は不明)、別表一(略)のとおりであった(<証拠・人証略>)。また、本件措置以降、原告が校外学習に引率出張した場合の出勤簿上の帰着翌日の扱いは、別表二(略)のとおりであった(<証拠・人証略>)。

5  被告は、昭和五九年九月学園を含む高校以下の各学校に就業規則案を提示し、数回の説明会を経て、就業規則が同年一二月一日に成立した。同規則は、これまでの個別の規程及び要領、勤務実態等を明文化したものであり、休日(二八条)については、日曜日、国民の祝日、年末・年始(一二月三〇日から一月三日)及び法人の定めた日(学園創立記念日及び都民の日)が規定され、休暇(三九条)については、年次有給休暇と特別有給休暇(婚姻、忌引、災害、生理、出産休暇)が規定された。

就業規則制定後も従来と同様、教育職員に自宅研修日が、事務職員に夏期特別休暇、冬期・学年末及び春期の各生徒休業期間中の休暇が認められているが、同規則中には明文の規定が置かれなかった(<証拠・人証略>)。

6  校長は、昭和六〇年七月一八日、原告に対し、同月二二日(月)から同月二五日(木)まで行われた中学校夏期学校への引率出張を命じた。原告が提出した夏期特別休暇予定表に中学校夏期学校の帰着翌日を含む二一日分の休暇予定が記載されていたため、当時の事務長がこれを指摘すると、原告は、事務長に対し、帰着翌日の休みを従来どおり認めて欲しい旨申し入れた。事務長は、出張期間中に休日が介在しない場合には、夏期特別休暇又は年次有給休暇で処理して欲しい、裁量で遅出又は早退を認めてもよい旨答えた(<人証略>)。

原告は、同月二二日から同月二五日まで中学校夏期学校に引率出張し、帰着翌日である同月二六日(金)を休んだ。

7  分会は、同年九月五日学園に団体交渉を申し入れ、同年一一月九日団体交渉が行われた。この席上、原告及び分会は、養護職員が校外学習に引率出張した場合には帰着翌日を休みとする扱いが認められてきたと主張したのに対し、校長は、就業規則制定後は養護職員である原告には今後教諭と同様の扱いは認められないと主張して対立し、校長から文書回答することで団体交渉が終了した。

校長は、同月一一日、分会に対し、校外学習の帰着翌日の扱いは、「本年度に限り従来どおりとする。来年度(昭和六一年四月一日)以降については、就業規則どおりとする。」旨文書で回答した。これに対し、組合は、昭和六一年一月三一日、学園に対し、「就業規則どおり」とは具体的にどのように扱うか疑問が多いとして、団体交渉を申し入れたが、校長は、同年二月八日、文書「文字どおり就業規則によるということである。」との回答をした。

8  校長は、原告に対し、昭和六一年七月二一日(月)から同月二四日(木)まで行われた中学校夏期学校への引率出張を命じた。校長は、事務長を通じて、同月一五日頃、原告に対し、その出張期間中に休日が介在しないので、帰着翌日である同月二五日(金)の休みは認められない旨を通告した。これに対し、分会は、右同日、校長に対し、団体交渉の申し入れをしたが、校長は、昭和六一年七月一九日、分会に対し、この段階で改めて団体交渉をもつ必要がない旨の回答をした(<証拠・人証略>)。

原告は、同月二一日から同月二四日までの中学校夏期学校に引率出張し、その帰着翌日である同月二五日を休んだ。その後、事務長は、原告に対し、右同日の扱いについて、夏期特別休暇又は年次有給休暇で処理するように指示したが、原告は、同月二一日から八月三一日までの間に夏期特別休暇二〇日間と併せて二一日間を休み、慣行上認められていた年次有給休暇の事後請求の申出をしなかった<証拠・人証略>)。

9  昭和六一年度一二月期賞与について、被告は、同年一二月五日、原告に対し、同年七月二五日の欠勤を理由に、賞与規定である就業規則二二条及び組合との団体交渉で妥結した昭和六一年度一二月期賞与支給要領中の欠勤控除の定めに基いて、賞与の額から五〇〇〇円を控除した額を支給した。

三  争点

昭和六一年七月二一日(月)から同月二四日(木)まで行われた中学校夏期学校の帰着翌日である同月二五日(金)が労働契約において当然に労働義務のない日とされる休日であるか否かである。

ところで、原告は、職員が校外学習に引率出張した場合、帰着翌日は必ず休みとされ、<1>出張の間に休日が介在する場合には、帰着翌日をその振替休日により休み、<2>帰着翌日が日曜日に当たるときは、帰着翌日を週休日として休み、<3>出張の間に休日が介在せず、かつ帰着翌日が週休日でない場合には、帰着翌日が休日とされていたと主張する。したがって、本件の争点は、出張の間に休日が介在せず、かつ帰着翌日が週休日でない場合において、帰着翌日を休日とすること(以下、この意味で「帰着翌日の休日」を用いる。)が労働契約の内容になっていたか否かにあり、その具体的な争点は、次のとおりである。

1  原告採用以前の養護職員について、帰着翌日の休日が慣行として確立していたことにより、本件雇用契約締結の際、右慣行が明示又は黙示の合意により労働契約の内容となったか。

2  校長による本件措置によって、帰着翌日の休日が合意により労働契約の内容となったか。

3  本件紛争が生じた時点で、帰着翌日の休日が民法九二条の法的拘束力のある慣行として成立し労働契約の内容になっていたか。

4  仮に、帰着翌日が労働契約の内容になっていた場合、これを廃止することが許されるか。

四  争点に関する当事者の主張の要旨

1  原告の主張

(一) 争点1について

原告採用以前の養護職員について、校外学習の帰着翌日は、本件で問題となっている帰着翌日の休日であれ、振替休日あるいは週休日によるものであれ、必ず休みとなっていたから、帰着翌日の休み(以下、「帰着翌日の休日」と区別して、この意味でのみ「帰着翌日の休み」を用いる。)は慣行として確立していた。したがって、原告と被告は、帰着翌日の休みを勤務条件とすることを当然の前提として本件雇用契約を締結したものであり、帰着翌日の休みは、明示又は黙示の合意により労働契約の内容となった。

(二) 争点2について

仮に、原告採用以前の養護職員について、帰着翌日の休みが慣行として確立していなかったとしても、原告は、昭和五三年度中学校修学旅行の引率出張の際、教諭を通じて、校長に対し、帰着翌日を教諭と同様の扱いにして欲しい旨を申し出て、校長は、これを認めた。したがって、校長による本件措置によって、帰着翌日の休みは、合意により労働契約の内容となった。

(三) 争点3について

仮に、帰着翌日の休みの合意が認められないとしても、以下の事情からすれば、本件紛争が生じた時点で、養護職員について、帰着翌日の休みは、民法九二条の法的拘束力のある慣行として労働契約の内容となっていた。

(1) 慣行的事実の存在について

養護職員が校外学習に引率出張した場合の帰着翌日を休みとする扱いは、原告が採用された昭和五三年以前から行われてきた。原告についても、昭和五三年度の中学校修学旅行以降昭和六〇年度まで帰着翌日の休みが付与されてきた。すなわち、帰着翌日は、帰着翌日の休日であれ、振替休日あるいは週休日としてであれ、お疲れさん休みという趣旨で必ず休みとされていた。したがって、右扱いは、少なくみても一〇年以上の長期間にわたり、反復継続して行われてきた事実である。

(2) 規範的意識の存在について

原告は、その都度校長の裁量による承認を得て帰着翌日の休みをとっていたわけではなく、また、原告が帰着翌日の休みをとったことに対し、校長から異議が出されたこともない。したがって、養護職員が帰着翌日の休みをとることは、教職員はもとより校長ら管理職においても、当然のこととして受け止められ、帰着翌日が当然に労働義務のない休日であるとの規範的意識が存在していた。例えば、昭和六〇年度七月及び一一月の原告の出勤簿において、帰着翌日の休みを休日として集計しているが、これは、学園内の教職員全体が帰着翌日は休日に相当するものと考えていたことの証左である。

(3) 本件慣行の合理性

学校教育法上では、学園には本来養護教諭を置くべきであって、養護職という教育職でない者を配置すること自体が違法ないし脱法的な扱いであり、養護教諭であれば、当然の措置として、校外学習の帰着翌日は休みとなる。また、校外学習において、発達・成長期にある女子生徒が生活環境が変わることによって体調を崩すことがしばしばあり、養護職員は日夜分かたず勤務しなければならない。したがって、養護職員について帰着翌日の休みを付与することは、合理的な慣行である。

(四) 争点4について

帰着翌日の休みは、労働契約の内容になっていた。したがって、昭和五九年に制定された就業規則の制定によっても、帰着翌日の休みを剥奪することは許されない。すなわち、就業規則二八条に休日に関する定めがあるが、実際には、就業規則に定めがないのに認められている休みが多くあることから、就業規則に定めがないというだけでは、原告の帰着翌日の休みを剥奪する理由にはならない。しかも、昭和五九年一二月の就業規則制定の際、被告は、教職員の労働条件は切り下げないことを確約したのであるから、就業規則の制定を理由に労働契約の内容を一方的に切り下げることは許されない。

被告は、原告ないし組合との誠意ある交渉・協議を行うことなく、原告の帰着翌日の休みを一方的に廃止すると通告したのみで、何ら合理的理由を説明しなかった。しかしながら、被告が帰着翌日の休みを廃止するについては、少なくても労使間で誠実な交渉・協議を行って合意に達すること、あるいは被告の側において廃止の合理的理由の説明を尽くすべきであって、そのような手続きを履行しないで一方的に帰着翌日の休みを廃止することは許されない。

以上のとおりであるから、被告が、原告に対し、昭和六一年度中学校夏期学校の帰着翌日である昭和六一年七月二五日の休務を欠勤として取扱い、昭和六一年度一二月期の賞与から欠勤控除をした措置は違法である。

2  被告の主張

(一) 争点1について

校外学習の帰着翌日を出張期間中の休日の振替休日として休んだり、あるいは週休日に当たる場合に休むことは、当然の措置というべきであるから、このような扱いがいかに繰り返されたとしても、本件で問題とされている帰着翌日の休日が慣行として成立する余地はない。そして、原告採用以前の養護職員は、校外学習の帰着翌日を出張の間に介在した休日の振替休日又は週休日として休んだにすぎないから、原告採用以前の養護職員について、帰着翌日の休日が慣行として確立していたとは認められない。また、本件雇用契約締結の際、原告と被告間で帰着翌日の休日を明示に合意した事実もない。したがって、帰着翌日の休日は、明示又は黙示の合意により労働契約の内容になったとは認められない。

(二) 争点2について

原告が本件雇用契約締結後の昭和五三年度中学校修学旅行に引率出張した際、校長は、原告に対し、本件措置により教諭と同様の出校を要しないとする扱いを認めたが、これは、後記(三)の(2)のとおり、学校教育法五条及び二八条に基づく校長の裁量権限による恩恵的な配慮にすぎないから、本件措置によって帰着翌日の休日が労働契約の内容となったとは認められない。また、本件措置は、中学校修学旅行の帰着翌日についてのみ、右扱いを認めたにすぎず、本件で問題となっている夏期学校の帰着翌日について、右扱いを容認したものではない。

(三) 争点3について

以下の事情からすれば、本件紛争が生じた時点で、養護職員について、帰着翌日の休日は、民法九二条の法的拘束力のある慣行として労働契約の内容となっていたとは認められない。

(1) 慣行的事実の存在について

出張期間中に休日が介在せず、その帰着翌日が週休日でない場合、帰着翌日は、本来勤務を要する日であるが、教諭については、特に業務に支障がない限り出校を要しないとする扱いをしてきた。そして、校長は、本件措置によって、養護職員たる原告に対しても、中学校修学旅行に引率出張した場合の帰着翌日について出校を要しないとする扱いを認めた。しかし、原告採用以前の養護職員に右扱いが認められた例はなく、原告についても昭和五三年一一月から昭和六〇年七月までの間の中学校修学旅行について僅か七例を数えるのみである。まして、本件で問題とされる中学校夏期学校の帰着翌日については、右扱いの例は皆無であるから、慣行的事実の存在を認める余地はない。

(2) 規範的意識の存在について

引率教諭について中学校修学旅行の帰着翌日の出校を要しないとする扱いは、学園において、教育公務員の例に倣い、授業や生徒指導の必要がない生徒休業日について自宅研修日を認めていること、帰着翌日は参加生徒の家庭学習日となり、引率教諭による授業や生活指導の必要性が概ねないこと、教諭には、時間外勤務及び休日出勤手当が支給されていないこと等から、校長がその裁量により教諭の自宅研修日として認めてきたものである。これに対し、養護職員については、事務職員として位置づけられ、自宅研修そのものがなじまないこと、帰着翌日も修学旅行に参加した生徒以外の生徒は出校し、養護職員の仕事は存在すること、養護職員を含む事務職員については、時間外勤務、休日出勤手当が支給され、夏期特別休暇が二〇日間も付与されること等から、教諭とでは自ずからその立場が異なり、教諭と同様の自宅研修日が認められる理由はない。したがって、原告について、中学校修学旅行の帰着翌日の出校を要しないとする扱いは、学校教育法五条及び二八条に基づく校長の裁量権限により恩恵的に認められたものであって、校長は、何時でも裁量により廃止し得るとの意識のもとに右扱いを認めてきたにすぎない。そうすると、校長は、今後も右扱いに拘束されるとの規範的意識を有していたとはいえず、まして、本件で問題となっている夏期学校の帰着翌日については、教諭と同様の扱いを認められた例は皆無であるから、その規範的意識を問題にする余地はない。

(四) 争点4について

帰着翌日の休日は、労働契約の内容になっていなかった。したがって、就業規則の制定実施を機会に、校外学習に引率出張した場合の帰着翌日について、今後特別な扱いを認めないとした校長の原告に対する措置は、校長に与えられた裁量権の行使として有効である。しかも、被告は、抜き打ち的に右措置をとったものではなく、原告及び組合に通知し、原告も右扱いが認められないことを了知していた。また、中学校夏期学校の帰着翌日である昭和六一年七月二五日の扱いについて、事務長は、原告に対し、再三にわたり年次有給休暇あるいは夏期特別休暇による処理を行うように指示したにもかかわらず、原告は、同日を強引に休んで年次有給休暇あるいは夏期特別休暇による処理を行わなかった。

したがって、被告が、原告に対し、昭和六一年度中学校夏期学校の帰着翌日である昭和六一年七月二五日の休務を欠勤として取扱い、昭和六一年度一二月期の賞与から欠勤控除した措置は適法である。

第三争点に対する判断

一  争点1について

1  学園では、本件雇用契約締結当時、教育職員及び事務職員共通の休日として、週休日、国民の祝日、学校創立記念日等が認められていたが、これらの休日に加えて、校外学習に教諭とともに引率出張する養護職員について、帰着翌日の休日が慣行として確立していたか否かが問題となる。

ところで、原告は、校外学習の帰着翌日は、本件で問題とされている帰着翌日の休日であれ、振替休日あるいは週休日としてであれ、必ず休みとされていたから、帰着翌日の休みが慣行として確立していたと主張する。しかし、帰着翌日が振替休日あるいは週休日となる場合に帰着翌日が休日となることは当然の扱いであるし、また、慣行の成立は反復継続した事実によってのみ基礎づけられるものであるから、帰着翌日を振替休日あるいは週休日で休んだ例がいかに積み重ねられても、本件で問題とされる、出張の間に休日が介在せず、かつ帰着翌日が週休日でない場合の帰着翌日の休日が慣行として成立する余地はない。したがって、原告の右主張が、帰着翌日が振替休日あるいは週休日として休日となった場合をも慣行の内容とするものであれば、その主張は、その限りで失当というほかない。

2  別表一(略)によれば、原告採用以前の養護職員大平及び武田が校外学習に引率出張した場合の帰着翌日の扱いは、次のとおり認められる。

(一) 高校修学旅行

(1) 出張期間中に休日が一日介在し、帰着翌日を振替休日で休んだ場合が三例(昭和四八年度武田・大平、昭和四九年度武田)

(2) 出張期間中に休日が一日介在し、帰着翌日を出勤し、帰着翌翌日を振替休日で休んだ場合が一例(昭和四九年度大平)

(3) 出張期間中に休日が二日介在し、出勤簿の帰着翌日欄にマル休印が押され、帰着翌翌日を振替休日で休んだ場合が一例(昭和五〇年度大平)

(4) 出張期間中に休日が一日介在し、帰着翌日が日曜日であり、出勤簿の帰着翌翌日欄にマル休印が押されている場合が一例(昭和五〇年度武田)

(5) 出張期間中に休日が二日介在し、帰着翌日及び翌翌日を振替休日で休んだ場合が二例(昭和五一年度武田・大平)

(3)については、出勤簿上、帰着翌日欄に代休印と区別してマル休印が押されていることが認められるが、出勤簿上の処理におけるマル休印は、教育職員の自宅研修日、事務職員の夏期特別休暇、春期及び冬期の特別休暇、年次有給休暇、本件で問題になっている帰着翌日などに使用され、一貫した使用がなされていないこと(<証拠・人証略>)、帰着後、出張の間に介在した休日と同日数を休み、他の年度も帰着翌日の休みは振替休日として処理されていたことからすれば、(3)の帰着翌日の休みは、振替休日であったとみることができる。また、(4)は、帰着翌翌日欄にマル休印が押されているが、その休みは、出張期間中に介在した休日の振替休日と認められる。

(二) 中学校修学旅行について

(1) 出張期間中に休日が介在せず、帰着翌日が日曜日であった場合が一例(昭和四八年度大平)

(2) 出張期間中に休日が介在せず、帰着翌日に出勤した場合が一例(昭和五一年度武田)である。

(三) スキー教室

出張期間中に休日が介在し、出勤簿の帰着翌日欄にマル休印が押されている場合が一例(昭和五一年度武田)である。この帰着翌日の休みは、出張期間中の休日の振替休日と認められる。

3  右2によれば、昭和四八年度から昭和五一年度までの間、校外学習の出張期間中に休日が介在せず、かつ帰着翌日が日曜日でなかった場合が一例のみあるが(中学校修学旅行・昭和五一年度武田)、武田はその帰着翌日を出勤していること、その余の校外学習の帰着翌日は、いずれも出張期間中に介在した休日の振替休日あるいは週休日として休んでいることが認められ、かつ、昭和四七年度以前についても養護職員に帰着翌日の休日が付与されていたことを認めるに足りる証拠がないことからすれば、原告採用以前の養護職員について、帰着翌日の休日が慣行として確立していたとみる余地はない。

なお、校外学習の帰着翌日が必ず休みとなっていた旨の武田と大平の陳述書(<証拠略>)が存在するが、これまで検討したところによれば、右判断を左右するものではないことは明らかである。

また、原告は、本件雇用契約締結直後、当時の事務長から勤務時間その他の勤務条件は教諭と同様にすると言われた旨供述し、(証拠略)にもこれに沿う部分があるが、原告のこの点に関する供述は一貫していないうえ、原告は、養護職員として採用され、養護職員は事務職員に位置づけられていたこと、原告は、夏期特別休暇、冬期・学年末及び春期の生徒休業期間中の休暇、時間外勤務手当の支給、事務職の給与表の適用など事務職員としての勤務条件が適用されてきたこと(<証拠・人証略>)に照らせば、当時の事務長が前記のような発言をしたとみるのは不自然というほかなく、これに同事務長の反対趣旨の供述(<証拠略>)を併せれば、原告の右供述及び(証拠略)は信用することができない。

4  以上によれば、原告採用以前の養護職員について、帰着翌日の休日が慣行として確立していたとは認められない。

また、全証拠によっても、本件雇用契約締結の際、原告と被告間で帰着翌日の休日が明示に合意されたことを認める証拠はない。

したがって、本件雇用契約締結の際、帰着翌日の休日が明示又は黙示の合意により労働契約の内容となったとは認められない。

二  争点2について

1  校長の権限について

学校教育法五条及び二八条によれば、校長は、設置者の補助機関として、設置者である被告理事の指揮監督に服しつつ、校務運営の円滑な遂行のために、その権限の範囲内で、学校教育の目的に沿って、所属職員に対し、必要に応じて指示や業務命令などの適宜な措置を講じ、一定の事項について許可・承認し、あるいは既に行われている事項について、これを変更する権限を有し、また、教職員の勤務条件の決定をめぐる交渉においても、使用者としての立場に立つものであるが、教職員の基本的な労働条件を定める権限については、本来設置者たる理事に属し、校長は、理事から特に権限を付与されていない限り、その権限を有するものではないと解される。

そして、学園における教職員の休日を定める権限についてみても、校長が被告理事から右権限を付与されていたことを認めるに足りる証拠はないから、右権限は被告理事に属し、校長は、右権限を有しないものと解すべきである。このことは、労働契約上当然に労働義務がない日とされる休日を定めるような重要な権限は、設置者たる理事がこれを校長に委ねることは通常考えられないことのみならず、従前の勤務実態を明文化した就業規則には、教職員の勤務条件に関し、休憩時間の割振り及び勤務時間の変更(二四条)、時間外勤務及び休日勤務の命令(二九条)について、校長の権限が特に定められているのに対し、休日(二八条)については、「日曜日、国民の祝日、年末・年始」に加えて、特に「法人の定めた日」が規定され、校長の権限に言及した規定が置かれていないことからも裏付けられる(<証拠略>)。もっとも、原告が本採用されるにあたって作成された雇用契約書には、休日について「所属長の指示による。」と記載されていることが認められるが(<証拠略>)、これは、被告傘下の各学校の勤務実態がそれぞれ異なっていたことから、当時学園で実施されていた休日を校長から指示を受けるようにとの趣旨のものにすぎないと解され、右記載から、校長が被告理事から休日を定める権限までを付与されていたということはできない。

したがって、校長は、教職員の休日を定める権限を有しなかったのであるから、校長の本件措置によって、帰着翌日の休日が労働契約の内容となったということはできない。

2  本件措置の意味について

教育公務員について、授業に支障のない限り校長の承認を受けて勤務場所を離れて研修を行うことができるとの教育公務員特例法二〇条二項に基づき、生徒の休業日につき自宅研修日が認められていることから、学園においても、教育公務員の例に倣い、生徒休業期間及び学年末考査後の自宅採点日を、教諭の自宅研修日として認める扱いをしてきた(基礎となる事実関係2)。この自宅研修日は、生徒休業日が教諭の勤務日とは本来係わりがないことからすれば、休日、休暇等に当たる場合を除いては、いつもの通り勤務するのが建前であり、教諭の自主的な研修を奨励するため、授業に支障のない限り校長の承認を受けて、出校を要しないとする扱いを受け得るにすぎないものと解される。そして、教諭について中学校修学旅行の帰着翌日の出校を要しないとする扱いについても、帰着翌日が参加生徒の家庭学習日とされ、引率教諭も概して授業や生徒指導の必要がないことから、校長の承認に基づく自宅研修日として認められてきたものということができ、(<人証略>)、このことは、帰着翌日に授業等を受け持つ教諭が出校して勤務した例が多数あり、出校して勤務しても通常出勤として扱われること(<人証略>)、また、生徒を引率しない通常の出張の場合には出張帰着翌日は勤務を要する日とされていること(<人証略>)によっても裏付けられるところである。

したがって、校長は昭和五三年度中学校修学旅行の際に原告の申し出を受けて教諭と同様の扱いを認めたが、校長に職員の休日を定める権限がないことは前記のとおりであり、教諭の場合でも校長の承認に基づく自宅研修日として勤務を要しない扱いが認められているにとどまることからすれば、校長の原告に対する本件措置は、校長の権限により帰着翌日を自宅勤務として出校を要しないとする扱いを認めたにすぎないものというべきである(右権限が校長にあることは、被告が自認するところである。)。そして、本件措置が右のようなものであるとすると、昭和五三年以降校長が右扱いを包括的又は黙示的に容認してきたとしても、校長の業務命令により出校を命じられた場合には、原告は、帰着翌日に出校しなければならないものということができる。

しかも、右扱いは、原告が昭和五三年度中学校修学旅行に引率出張した際に原告の申し出により認められたものであること、中学校修学旅行は月曜日から金曜日までの間の四日間を利用して実施され、その出張の間に休日が介在しないのに対し、中学校夏期学校については、出張の間に休日が介在することが多いうえ、休日が介在しない場合であっても、夏期特別休暇を利用することが可能であったこと、中学校スキー教室についても、出張の間に休日が介在することが多く、それほどの日を置かずして冬期休暇に入ることからすれば、校長は、本件措置により、中学校修学旅行の帰着翌日のみ教諭と同様の出校を要しないとする扱いを容認したにとどまり、他の校外学習の帰着翌日まで右扱いを容認する意思があったとは考え難い。このことは、後記三の1の校外学習の帰着翌日の扱いからも裏付けられるところである。

したがって、校長の原告に対する本件措置は、中学校修学旅行の帰着翌日についてのみ、自宅勤務として出校を要しないとする扱いを認めたにすぎないものというべきである。

3  以上によれば、本件措置によって帰着翌日の休日が労働契約の内容となったとは認められない。

三  争点3について

1  別表二(略)によれば、原告が校外学習に引率出張した場合の帰着翌日の扱いは、次のとおり認められる(本件紛争が生じるに至った昭和六〇年度中学校夏期学校以降の扱いについては、本件慣行を基礎づけるものとはいえないので除く。)。

(一) 高校修学旅行について

(1) 出張期間中に休日が介在し、帰着翌日を振替休日で休んだ場合が六例(昭和五四、五五、五六、五七、五八、五九年度)

(2) 出張期間中に休日が介在し、帰着翌日が日曜日であり、帰着翌翌日を振替休日で休んだ場合が一例(昭和六〇年度)

(二) 中学校夏期学校について

(1) 出張期間中に休日が介在し、出勤簿上の帰着翌日欄が空欄とされている場合が一例(昭和五三年度)

(2) 出張期間中に休日が介在せず、出勤簿上の帰着翌日欄に出張印が押されている場合が一例(昭和五四年度)

(3) 出張期間中に休日が介在し、帰着翌日を振替休日で休んだ場合が二例(昭和五五、五九年度)

(4) 主張期間中に休日が介在し、帰着翌日を夏期特別休暇、帰着翌翌日を振替休日で休んだ場合が一例(昭和五六年度)

(5) 出張期間中に休日が介在し、出勤簿上の帰着翌日欄にマル休印が押されている場合が一例(昭和五七年度)

(6) 出張期間中に休日が介在し、帰着翌日欄に出勤し、帰着翌翌日を振替休日で休んだ場合が一例(昭和五八年度)

(1)は、その出勤簿上の帰着翌日欄は空欄であるが、原告はその日を休み、かつ出張期間中に休日が介在しているから、帰着翌日の休みは、振替休日であったと認められる。(2)は、出張期間中に休日が介在しないにもかかわらず、帰着翌日を休んでいるが(出張印は誤り)、帰着翌日を含めて夏期特別休暇の日数である二〇日間を休んでいることが認められるから(<証拠・人証略>)、帰着翌日の休みは、夏期特別休暇によるものであったと認められる。また、(5)は、出勤簿上の帰着翌日欄にマル休印が押されているが、出張期間中に休日が介在していることから、帰着翌日の休みは、振替休日であったと認められる。

(三) 中学校修学旅行について

いずれの年度においても、出張期間中に休みが介在せず、出張簿上の帰着翌日欄に空欄とされている場合が二例(昭和五三、五八年度)、出張印が押されている場合が二例(昭和五四、五七年度)、マル休印が押されている場合が三例(昭和五五、五六、五九年度)である。

いずれの年度においても、原告は、出校していない。

(四) スキー教室について

(1) 出張期間中に休日が介在し、出勤簿上の帰着翌日欄が空欄とされている場合が一例(昭和五三年度)

(2) 出張期間中に休日が介在し、出勤簿上の帰着翌日欄に出張印が押されている場合が一例(昭和五四年度)

(3) 出張期間中に休日が介在し、帰着翌日に出勤した場合が一例(昭和五五年度)

(4) 主張期間中に休日が介在し、出勤簿上の帰着翌日欄にマル休印が押されている場合が一例(昭和五六年度)

(5) 出張期間中に休日が介在せず、帰着翌日に出勤した場合が一例(昭和五七年度)

(6) 出張期間中に休日が介在せず、帰着翌日が日曜日であった場合が一例(昭和五八年度)

(7) 出張期間中に休日が介在し、帰着翌日を振替休日で休んだ場合が一例(昭和五九年度)

(1)は、その出勤簿上の帰着翌日欄は空欄であるが、原告はその日を休み、かつ出張期間中に休日が介在しているから、帰着翌日は、振替休日であったと認められる。(2)は、帰着翌日を休んでいるが(出張印は誤り)、出張期間中に休日が介在しているから、帰着翌日の休みは、振替休日によるものである(<人証略>)。(3)は、出張期間中に休日が介在しているにもかかわらず、帰着翌日に出勤印が押されているが、原告は御用納めにつきあいで参加したにすぎないというのであるから(原告本人)、実質的には帰着翌日を振替休日で休んだと認められる。(4)は、帰着翌日欄にマル休印が押されているが、出張期間中に休日が介在していることから、帰着翌日の休みは、その振替休日であったというほかない。

2  慣行の成否について

原告採用後、民法九二条の法的効力を有する慣行が成立し、労働契約の内容となったというためには、長期間にわたり同一事実又は行為が反復、継続し(慣行的事実の存在)、かつ、当該労働条件についてその内容を決定しうる権限を有する者あるいはその取扱いについて一定の裁量権を有する者が規範的意識を有していたこと(規範的意識の存在)を要するものと解すべきである。

原告採用以前の養護職員について、校外学習の帰着翌日の出校を要しないとする扱いが認められていなかったことは、前記一のとおりである。

そこで、原告について、中学校修学旅行の場合を除く校外学習の帰着翌日の扱いをみると、帰着翌日を休んでいるのは、いずれも出張期間中の休日の振替休日、夏期特別休暇あるいは週休日としてであること、校外学習の出張の間に休日が介在せず、かつ帰着翌日が日曜日でなかった場合が昭和五四年度中学校夏期学校及び昭和五七年度中学校スキー教室の二例あるが、前者の場合は、帰着翌日を夏期特別休暇で休み、後者の場合は帰着翌日に出勤し、いずれも帰着翌日の休日が慣行として成立していたこととは明らかに反する扱いがされていたことからすれば、帰着翌日の休日を基礎づける慣行的事実が存在したと認めることはできない。

また、原告の中学校修学旅行の帰着翌日の扱いについても、前記のとおり、その帰着翌日は本来勤務を要する日であるが、自宅勤務として出校を要しないとする扱いが認められたにすぎないものである。したがって、もともと右のような扱いとして認められたものが、長期間にわたり反復継続することによって、労使双方の間に労働義務のない休日であるとの規範的意識が備わることがあり得るとしても、右扱いは、昭和五三年度以降本件紛争が生じた昭和五九年度までの間に僅か七例があったにとどまることからすれば、これをもって長期間にわたり反復継続して行われた事実と認めることはできない。また、本件措置後、被告あるいは校長が、中学校修学旅行の帰着翌日について、労働義務のない日とされる休日としての規範的意識を有するに至ったことを認めるに足りる証拠はなく、かえって、校長は、本件で初めて分会から団体交渉の申し入れを受けた時点では、原告が中学校修学旅行に引率出張した場合の帰着翌日について、右扱いが行われていたことの認識を欠いていたことがうかがわれる(原告本人)。したがって、いずれの点からみても、中学校修学旅行の帰着翌日を休日とすることが民法九二条の法的拘束力のある慣行として成立したとみる余地はない(なお、付言すれば、中学校修学旅行の帰着翌日を自宅勤務として出校を要しないとする扱い自体についても、校長は、養護職員と教諭の地位、立場の違いを前提として認めたものであるから、本件措置にあたって、今後も右扱いに拘束されるとの規範的意識を有していたということはできない。その後、右扱いが長期間にわたり反復継続して行われたということもできず、また、右扱いに拘束されるとの規範意識が備わるに至ったことを認めるに足りる証拠もない。したがって、原告について、右扱いが民法九二条の慣行として成立し労働契約の内容になったとは認められないから、校長がその権限に基づいて右扱いを廃止することは違法な措置ではない。)。

したがって、本件紛争が生じた時点で、帰着翌日の休日が民法九二条の法的拘束力のある慣行として成立していたと認めることはできない。

四  以上によれば、帰着翌日の休日が労働契約の内容になっていたとの原告の主張はいずれも理由がない。しかも、中学校夏期学校の帰着翌日については、これまで出校を要しないとする扱いを認められたこともなかったから、右扱いの廃止を問題とするまでもなく、原告は、勤務を要する日として出校する義務があったと認められる。

ところが、原告は、昭和六一年度中学校夏期学校の帰着翌日である昭和六一年七月二五日を休務し、右同日について年次有給休暇及び夏期特別休暇の請求をしなかったのであるから、被告が右同日の欠勤を理由に昭和六一年一二月期の原告の賞与から五〇〇〇円を控除した措置は適法である。

五  よって、原告の請求は理由がないから、これを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 坂本宗一)

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