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東京地方裁判所 昭和63年(ワ)17384号 判決 1991年4月05日

原告

安田豊明

右訴訟代理人弁護士

渡邊興安

被告

葵交通株式会社

右代表者代表取締役

樋口光義

右訴訟代理人弁護士

高井伸夫

小代順治

高下謹壱

山崎隆

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

一  原告

1  原告が被告に対して雇用契約上の権利を有する地位にあることを確認する。

2  被告は、原告に対して、昭和六二年六月二一日以降毎月二五日限り金三三万一三六二円を支払え。

二  被告

主文と同旨

第二事案の概要

一  原告に対する解雇等(証拠を掲げる以外の事実は、当事者間に争いがない。)

1  被告は、タクシー営業を目的とする会社であり、原告は、昭和五三年九月被告に期間の定めなく雇用され、タクシー運転手として勤務してきた(<証拠略>)。

2  被告は、原告に対し、昭和六二年五月一七日、同年六月二〇日をもって解雇する旨の意思表示をした(以下「本件解雇」という。解雇の意思表示の日は、証人森治平による。)。

3  原告の給与の支給日は毎月二五日であり、同年五月二五日支給の給与は、三三万一三六二円(税金等を含む。)である。

二  争点

本件の中心的争点は、原告が解雇理由となった乗車拒否行為をしたのか、被告の就業規則に定める解雇事由に該当するのか、仮に右のような乗車拒否行為があったとしてもその程度が軽く解雇権を濫用したものといえるか、である。

1  被告の主張の要旨

(一) 本件解雇理由

原告は、昭和六二年五月一三日午後一一時三〇分ころ、被告のタクシーに乗務し、空車で靖国通りを新宿大ガード東交差点から新宿五丁目交差点に向かい、東京都新宿区歌舞伎町一丁目一七番地先路上において赤信号で停車中、一名の客(以下「本件乗客」という。)が原告の車両に近づき窓ガラスを叩いたため後部左側ドアを開けたが、本件乗客が車内に上半身を入れながら、「大倉山まで」と言って乗車を申し込んだのに対し、原告は、「道がわからない。」と述べ、そのため本件乗客は乗車を断念して車両を離れた。

原告は、大倉山の地名ないし道順を知っていたにもかかわらず、本件乗客に乗車を断念させる意図で、右のように述べたのであるから、正当な理由がなく乗車を拒否したものである。

(二) 仮に、原告が大倉山への道順を知らなかったとしても、道がわからないとの理由で乗車を断ることは、正当な理由のない乗車拒否であり、また、原告が大倉山への道順をとっさに思い出すことができなかったとしても、原告が大倉山へ運送することは極めて容易であったにもかかわらず、原告には大倉山へ運送しようとする真意がなく、原告は、本件乗客に乗車を断念させる意図で道がわからないと答えたものであるから、乗車拒否に該当する。

(三) 原告の以上の行為は、懲戒解雇事由を定めた被告の就業規則五八条一号(会社の名誉を毀損又は従業員の対面を汚したるとき)、同条四号(故意又は重大な過失で会社に不利を与えたとき)及び解雇事由を定めた三五条七号(已むを得ない業務上の都合のあるとき)に該当する。

右の「已むを得ない業務上の都合」とは、解雇の必要性に関する使用者側の事情に限らず、労働者側に雇用契約上の義務違反ないしは非難されるべき行為があって、事業の運営に不安、支障を来すおそれがあり、解雇もやむを得ないと認められる場合も含むと解すべきである。乗車拒否行為は、タクシー事業の適正な運営を著しく阻害する行為であるから、右就業規則の各条項に該当する。

2  原告の反論の要旨

(一) 原告は、本件乗客から大倉山を知っているかと尋ねられて、「世田谷の大蔵ですか。」と聞き返したところ、「大倉山だよ。」と言われ、「道を知らないんですが、教えてくれますか。」と答えると、本件乗客は、「知らねえんじゃいいや。」と言ってそのまま立ち去った。

(二) 本件乗客がタクシーに身を乗り入れ、大倉山を知っているかと尋ねたにすぎず、原告が道順を知っていたら乗車するという程度というべきであり、乗車する意思を明確にしていないから、原告の行為は、そもそも乗車拒否にあたらない。

また、原告は、本件乗客を乗車させる意思を有しており、本件乗客の問いに対し素直に答えたにすぎないのであって、原告の行為は乗車拒否にあたらない。

(三) 被告は、就業規則三五条七号の「已むを得ない業務上の都合のあるとき」に該当すると主張するが、当該労働者の職務上の行為や態度が労働契約上の債務不履行になり又は就業規則に違反し、事業の円滑な維持及び継続のためには、当該労働者との労働契約を解除するほかない程の重大な事情にまで至っていることを要すると解すべきである。

仮に、原告の前記行為が乗車拒否にあたるとしても、その程度は非常に軽微であり、そのために被告の事業の維持継続に支障を来したとはいえないのであって、前記の就業規則の解雇事由には該当せず、また、本件解雇は解雇権を濫用したものである。

第三争点に対する判断

一  原告の本件乗客との対応について

1  原告は、昭和六二年五月一三日午後一一時三〇分ころ、被告のタクシーに乗務し、空車で靖国通りを新宿大ガード東交差点から新宿五丁目交差点に向かい、東京都新宿区歌舞伎町一丁目一七番地先路上において赤信号で停車した。そして、本件乗客が原告の右タクシーに近づき窓ガラスを叩いたため、原告が後部左側ドアを開けたところ、本件乗客が車内に上半身を入れながら「大倉山まで」と言って乗車を申し込んだ。これに対して、原告は「道がわからない。」と答え、そのため本件乗客は乗車を断念して同車両を離れた。(<証拠略>)

2  なお、原告本人は、本件乗客との会話等について、原告は、左手をドアにかけ頭を車内に入れた本件乗客から、「オオクラへ」と言われたと思い、「世田谷の大蔵ですか。」と聞き返したが、本件乗客が「大倉山だ」と言うので、「オオクラヤマを知らないので教えて下さい。」と言うと、本件乗客は「知らないんじゃしょうがない。」と言って立ち去った旨供述する。

しかしながら、この点に関する原告の主張及び供述内容は、本訴に先立つ地位保全仮処分申請事件における原告の陳述内容自体変遷があるのみならず、本訴における前記供述もそれまでの内容と異なるなど一貫性を欠くこと(<証拠略>)、本件はタクシー乗務員の指導等を行う財団法人東京タクシー近代化センター(以下「近代化センター」ともいう。)の指導員が現認したことから発覚したものであるところ、右指導員は、その場で原告及び本件乗客から事情を聴取し、乗車拒否にあたると判断し、指導報告書を作成し、近代化センターは、原告が指導に従って運送の意思を表示したこともあり、右指導員の報告に基づき被告に指導報告の形で書面をもって本件の通告をしたこと(<証拠略>)、右のような指導報告書の記載内容は、その職責、作成経過等に照らし、一般に信用することができること、本件についての報告書(<証拠略>)は、その多くの部分が事実に合致しており(<証拠略>)、この点からもその正確性が推認されること、同報告書には原告本人の前記供述のような記載がないこと、原告は、被告に対して、本件解雇前には右報告書と異なる事実を主張していないこと(証人森治平、これに反する原告本人の供述は採用することができない。)、大倉山との行く先の指定が漠然としたものであるにもかかわらず、本件乗客が原告から尋ねられてそれ以上の説明をしようとしなかったというのは不自然であること、以上の諸点に照らすと、原告本人の前記供述を直ちに採用することはできない。また、1の認定に反する(証拠略)の記載部分も、同様に採用することができない。

二  本件乗客に乗車の申し込みがあったか。

1  原告は、本件乗客の態度は原告が大倉山を知っていれば乗車しようという程度のものにすぎないから、乗車の申し込みがない旨主張する。

2  なるほど、本件乗客はタクシーに乗り込まず車内に上半身を入れたにすぎず、原告から大倉山を知らないと言われ比較的簡単に乗車を断念している。しかし、これらのことから直ちに本件乗客が大倉山を知らない運転手の乗務するタクシーに乗車しない意思であったと推認することはできないのみならず、本件乗客が原告に対して「大倉山を知っているか。」と述べたのではなく、「大倉山へ」と述べたことは前記認定のとおりであること、「大倉山」は後記認定のとおりなじみのない地名ではなく、午後一一時三〇分ころと遅い時間帯で、繁華街の近くの人通りの多い場所であることから、タクシーの利用者は通常タクシー運転手が目的地まで運送するものと考えると認められることなどを総合すると、本件乗客は原告に対し乗車の意図を示し、乗車の申し込みをしたものと認められる。

三  原告が「大倉山」あるいはそこへの道順を知らなかったか。

1  原告は、原告が大倉山という場所をとっさには思い出せず、そのことを本件乗客に述べたことは乗車拒否にあたらない旨主張し、原告本人は、「大倉山」を知らなかった旨の供述をする。

2(一)  本件乗客が原告に述べた行く先である「大倉山」は、東急東横線の駅名となっており、これとほぼ平行して走る神奈川県の綱島街道沿いの右大倉山駅周辺の地域を指し、新宿からは明治通り、中原街道を経由して達する(<証拠略>)。大倉山は、このように決してなじみのない地名ではない。

(二)  被告の主たる営業地域は、新宿、杉並、中野、渋谷、世田谷等の東京南西部である。被告の乗務員が右地域から中原街道方面及び同街道を経由して神奈川県方面へ顧客を運送することもある。(<人証略>)

(三)  原告は、昭和五三年九月以降被告に雇用されてタクシー乗務員として稼働しており、その経験は長い(<人証略>)。

(四)  原告は、被告に運転日報が保存されていた過去約一年六か月の間だけをみても、昭和六一年三月五日に綱島へ、同年七月三日に新横浜へ、同年一二月一八日と昭和六二年四月九日に日吉へ乗客を運送している。大倉山は、同じく綱島街道沿いにある日吉、綱島の先、菊名、新横浜の手前にある。

原告は、日吉、綱島へは綱島街道を通って行っており、本件時には右両所とも知っていた。

(<証拠略>)

(五)  右(一)ないし(四)認定の「大倉山」の位置、知名度、被告の営業範囲と原告の経験及び「大倉山」と同方面への運行経験の事実を総合すると、原告が「大倉山」あるいはそれへの道順を知らないのは極めて不自然である。加えて、前記認定のとおり、原告は、本件乗客から大倉山への運送を申し込まれたのに対し、「大倉山」を知らない旨答えたのみであり、大倉山がどの方面にあるのかとか、どうやって行くのかとか、運送の意思があれば通常乗客に尋ねるであろうことを尋ねていない。

(六)  以上の事実を総合すると、原告は、「大倉山」とそれへの新宿からの道順を知っていたと認めるのが相当である。

3  2で認定した事実に加え、原告が本件直後の昭和六二年五月一九日に近代化センターに赴いた際提出した陳述書と題する書面には、とっさに大倉山が思い出せなかった旨記載し(<証拠略>)、本訴に先立つ地位保全仮処分申請事件においては、「とっさに道順が思い出せなかった」とか、「行ったことがなく、地名も知らなかった」との記載のある疎明資料を提出しており(<証拠略>)、「大倉山」や道順を知っていたか否かについての原告の説明は一貫していないことを併せ考えると、原告本人の1の供述は採用することができず、他に右2の認定を覆すに足りる証拠はない。

四  以上認定のとおり、原告は、本件当時「大倉山」ないしそれへの道順を知っていたにもかかわらず、本件乗客に対しこれを知らないと述べているのであるから、原告は本件乗客をその申し込みどおり運送することを敬遠し、本件乗客に乗車を断念させる意図で右のように述べたと推認され、その結果本件乗客が乗車を断念したのであるから、原告の行為は、正当の理由のない運送引受の拒絶行為すなわち乗車拒否にあたると認めるのが相当である。

なお、原告は、本件乗客を乗車させる意思を有していた旨主張するが、右のとおり、原告は「大倉山」ないしそれへの道順を知っていたのに知らないと述べているのであるから、本件乗客をその申し込みどおり運送する意図があったものとは到底認められない。

五  就業規則該当性について

1  被告の就業規則三五条は、従業員が、本人の死亡(一号)、退職の願出(二号)、定年(三号)、休職期間満了までに復帰しないとき(四号)、精神又は身体障害のため就業につけず、その回復の見込みのないとき(五号)、懲戒解雇されたとき(六号)、已むを得ない業務上の都合のあるとき(七号)の一に該当するときは退職又は解雇とすると定め、同五八条は、会社の名誉を毀損し、又は従業員の対面を汚したとき(一号)、素行不良で他の従業員に悪影響を及ぼしたとき(二号)、重要な経歴又は住所、氏名を偽り又は偽って入社したとき(三号)、故意又は重大な過失で会社に不利を与えたとき(四号)、正当な理由なく遅刻、早退又は欠勤の多いとき(五号)を懲戒事由と定めている(<証拠略>)。

右退職又は解雇事由の規定を総合的にみると、就業規則三五条七号の「已むを得ない業務上の都合のあるとき」とは、被告の経営不振等による事業の縮小など企業側の客観的障害による場合のみならず、従業員の雇用契約上の義務違反等のため、業務の遂行上支障が生じ、あるいはそのおそれがあって、業務の円滑な遂行を図るうえで従業員を解雇するのも已むを得ないと認められる場合をも含むと解するのが相当である。

2  原告の前記乗車拒否行為が右就業規則に該当するか。

(一) 乗車拒否行為は、道路運送法一三条(平成元年法律第八三号による改正前の道路運送法一五条)に定めるタクシー事業者の運送引受義務に違反する行為であり、また、利用者の利便を著しく妨げ、タクシー事業の適正な運営を著しく阻害しかねない行為である。

このように乗車拒否行為は、公共性を有するタクシー事業の使命に反する重大な行為であるといわざるを得ず、社会的にも大きな非難を受けており、利用者のタクシー事業への不信を呼び、その業務に支障を及ぼすおそれがある行為である。

(二) タクシー事業者は、乗務員の乗務態度を直接指揮監督することができず、乗務員として不適切な行為の防止は乗務員に対する指導、教育等を介して行うほかない。被告は、乗務員服務規律や「接客技術問答」に乗車拒否を含む違法行為の説明や注意事項を挙げて原告を含む従業員に示し、入社時の教育訓練や運転前点呼時、毎月一回の明番講習会等で指導している(<証拠略>)。また、被告は、近代化センターからの乗車拒否指導報告書については「明らかな乗車拒否と認められたときは、懲戒解雇又は予告解雇とする。」等と定められた「違法行為に対する処分基準」を作成して事業所に掲示している(<証拠略>)。このように、被告は、乗車拒否等の違法行為を防止するための指導教育を乗務員に対し行っており、原告もこれを承知していた(<証拠略>)。

(三) 原告は、昭和六一年四月一八日、「乗車禁止地区営業」を行い、近代化センターから指導報告を受け、被告から減給処分に処せられている(<証拠略>)。その際、原告は、今後は十分注意して正しい営業に務めるとの始末書を被告に提出した(<証拠略>)。

(四) 以上のとおり、原告のした乗車拒否行為は、重大な職務違反行為であり、利用者の利便を妨げ、タクシー事業に対する信用を害し、ひいては被告のタクシー事業に支障を及ぼしかねない行為であり、また、被告においても、乗車拒否行為の内容を従業員に指導し、処分基準を設けて従業員に周知しており、それにもかかわらず、原告はタクシー乗務員としては禁止されている乗車禁止地区営業に続き本件乗車拒否行為をしたのであるから、本件乗客が比較的簡単に乗車を断念したことや原告の乗車拒否が本件のみであることを考慮しても、被告の原告に対する信頼関係は著しく損なわれ、被告のタクシー事業の円滑な遂行上雇用契約を解消されてもやむを得ない事由があると認めるのが相当である。したがって、原告には被告の就業規則三五条七号に該当する事由が認められる。

六  解雇権の濫用があるか。

前記五の2(一)ないし(三)の事実及び前記の本件乗車拒否行為の内容によれば、原告が近代化センターの指導員に対し本件乗客を運送する意思を表示したこと及び本件乗客が比較的簡単に乗車を断念したことは、原告の乗車拒否行為の程度を軽くするものではなく、原告の乗車拒否行為が本件のみであることなどを考慮しても、本件解雇が被告の解雇権を濫用したものと認めることはできない。

七  以上によれば、本件解雇は有効であり、原告は被告の従業員としての地位を喪失した。したがって、原告の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないから、これを棄却する。

(裁判官 竹内民生)

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