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東京地方裁判所 昭和63年(ワ)5015号 判決 1989年2月06日

原告

甲野花子

右訴訟代理人弁護士

山田忠男

竹下正己

被告

鈴木嘉之

右訴訟代理人弁護士

高田利廣

小海正勝

主文

一  被告は、原告に対し、金七三一万二〇〇〇円及び内金六六一万二〇〇〇円に対する昭和五九年六月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを七分し、その四を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金一九四六万六〇〇〇円及びこれに対する昭和五九年六月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告は、昭和三八年五月八日に出生した女性である。

(二) 被告は、東京都豊島区上池袋三丁目一番三号において、鈴木外科病院(以下「被告経営病院」という。)を開設・経営し、院長兼医師として診療行為等に従事している。

2  虫垂炎罹患と被告経営病院における診療経過

(一) 原告は、昭和五九年六月八日、急性虫垂炎に罹患したため、被告経営病院において診療を受け、同日、同病院に入院した。

(二) 手術の経過

(1) 原告は、同月九日、同病院において、被告の執刀により開腹・右虫垂摘出の手術(以下「本件手術」という。)を受けた。

(2) 被告は、本件手術において閉腹をした際、原告の腹腔内に使用済みドレーン用ゴム管一本(長さ約二三センチメートル、以下「本件ゴム管」という。)を遺留した。

(三) 原告は、被告に対し、同月一二日ころ、原告の腹腔内に本件ゴム管が遺留されたことによって生じた排尿時の腹部激痛を訴え始めたが、被告にはその原因を究明することができなかったので、同月一八日、同病院を退院した。

3  障害の継続と他病院における診療経過

(一) 癌研究会付属病院・東京警察病院・長汐病院における診療と障害の程度

(1) 原告は、前記の腹部激痛の治療のため、被告経営病院を退院した直後被告から紹介された東京都豊島区上池袋一丁目三七番一号所在の癌研究会付属病院において三回位、昭和五九年九月ころ同都千代田区富士見二丁目一〇番四一号所在の東京警察病院において、同年末同都豊島区池袋一丁目五五一所在の長汐病院において、それぞれ診療を受けたところ、前二者では膀胱炎の診断と投薬を受け、後者では原因不明と告げられるに止まり、いずれの病院においても適切な治療はなされなかった。

(2) 原告は、右の各病院への通院期間中、本件ゴム管が原告の骨盤腔内の腹壁に癒着したため、週四日ないし五日の頻度で腹部に重い激痛があり、歩行困難を来したほか、排便・排尿時に介助を要し、アルバイトもできない状態であった。

(二) 腹部激痛の継続とその程度

原告は、昭和六〇年一月から後記(三)(1)の再手術(昭和六一年五月二二日)を受けるまでの間、その間隔が次第に緩慢になっていったとはいえ、たびたび、右(一)(2)と同程度の苦痛と障害を伴う腹部激痛の発作に悩まされた。

(三) 青森県立中央病院における診療経過と後遺症

(1) 診療経過

原告は、昭和六一年五月一二日、青森県立中央病院泌尿器科の、同月一三日、同病院外科の各診察を受け、同月一九日、同病院に入院し、同月二二日、本件ゴム管の抜去手術(以下「再手術」という。)を受け、同年六月一二日、腹痛も緩解したので同病院を退院した。

(2) 後遺症

原告は、再手術の結果、下腹部中央部上下方向に長さ約五センチメートル幅約一センチメートル大のケロイド状手術痕(以下「下腹部手術痕」という。)が残り、以後、腹部に引きつるような痛みが残った。

4  被告の責任

(一) 被告の債務不履行責任

(1) 被告と原告とは、昭和五九年六月八日、原告が罹患した急性虫垂炎につき、医学上の技術規準に従い善良なる管理者の注意をもって最善の診療行為を行うことを目的とする診療契約(準委任契約、以下「本件診療契約」という。)を締結した。

(2) 被告は、本件手術の手技のうち最後に施術された閉腹手技までに、本件診療契約に基づき、原告の腹腔内に治療上不要な使用済みの手術用器具を遺留していないことを確認し、遺留器具があればこれを除去すべき注意義務があった。

(3) しかるに、被告は、右閉腹手技までに、右確認を怠り、本件ゴム管を遺留したまま閉腹し、もって右注意義務に違反したものであるから、本件診療契約上の原告に対する債務不履行責任を免れない。

(二) 被告の不法行為責任

(1) 被告は、前記2(一)及び同(二)(1)の診療・手術の経過を前提とすれば、前記(一)(2)と同じ注意義務を負っていた。

(2) しかるに、被告は、右閉腹手技までに、右確認を怠り、本件ゴム管を遺留したまま閉腹し、もって右注意義務に違反したものであるから、原告に対する不法行為責任を免れない。

5  因果関係

原告は、被告が原告の腹腔内に本件ゴム管を遺留したまま閉腹したことによって前記3(一)(2)及び同(二)の障害並びに同(三)(2)の後遺症を負ったものであり、被告の前記4の注意義務違反と原告が受けた右障害及び後遺症との間に因果関係が存在することは明らかである。

6  損害

(一) 消極損害

一一五六万六〇〇〇円

(1) 本件手術を原因とする障害による休業損害 三九五万一〇〇〇円

ア 原告は、本件手術当時(昭和五九年六月九日)、株式会社ハイネット新宿支店の婦人服売場販売員として勤務していたが、本件手術以降、昭和六一年五月二二日に青森県立中央病院において再手術を受け、更に同年六月一二日に退院するまでの間、歩行困難等の障害により同社における就業を継続することができず、昭和五九年八月、退社せざるをえなかった。

イ 原告は、右アの退社後、青森県立中央病院に入院するまでの間、アルバイトにより八二万円の実収入を得た。

ウ 昭和六一年度の労働省調査賃金構造基本統計調査報告(賃金センサス)第一巻第一表による産業計、企業規模計、学歴計、女子労働者全年齢平均年収額二三八万五五〇〇円(以下「本件平均年収額」という。)を基礎にし、これに前記アの休業期間のうち二年を乗じ、右イの実収入を減じてこの間の休業損害を算定すると、右価額は、三九五万一〇〇〇円となる。

(2) 再手術による下腹部手術痕に基づく逸失利益 七六五万五〇〇〇円

ア 原告は、本件手術当時、若い女性(二三才)であったにもかわらず、前記3(三)の手術痕により、腹部に引きつるような痛みと耐え難い肉体的醜状を残すようになったものであり、これによって一四パーセントの労働能力を喪失した。

イ 本件平均年収額を基礎とし、新ホフマン式により年五分の割合による中間利息を控除するため、右年収額に新ホフマン係数22.923を乗じて満二三才(本件手術時)から満六七才までの就労可能期間中の逸失利益の現価を算定すると、右価額は、七六五万五〇〇〇円となる。

(二) 治療費等(一〇〇〇円未満切捨て) 三六万円

(1) 治療費(青森県立中央病院)

一八万八三六〇円

(2) 交通費 五万〇六〇〇円

(3) 入院諸雑費 二万一八〇五円

原告は、昭和六一年五月一九日、青森県立中央病院に入院し、同年六月一二日、退院したので、入院期間は二五日間であるが、この間の入院諸雑費は、合計二万一八〇五円であった。

(4) 近親者付添看護費 一〇万円

原告は、入院期間中(二五日間)を通じて近親者の付添看護を必要とする病状であり、右費用は一日当たり四〇〇〇円であるから、入院期間中の右費用の合計額を算定すると、右価額は一〇万円となる。

(三) 慰謝料 六〇〇万円

(1) 本件手術による障害に対する慰謝料 三〇〇万円

原告は、本件手術後、青森県立中央病院における再手術により回復し同病院を退院するまでの間、腹部激痛等による歩行困難、排便・排尿時の要介助その他の重大な肉体的及びこれに伴う精神的苦痛を被ったものであり、これに対する慰謝料としては、三〇〇万円を下回ることはない。

(2) 再手術による下腹部手術痕の発生に対する慰謝料 三〇〇万円

原告は、前記3(二)の下腹部手術痕が残ったことにより、腹痛及び精神的苦痛を被ったものであり、これに対する慰謝料としては、三〇〇万円を下回ることはない。

(四) 弁護士費用 一五〇万円

原告は、原告代理人らに本訴請求事件の提起・追行を委任し、報酬として金一五〇万円を支払うことを約した。

よって、原告は、被告に対し、債務不履行又は不法行為による損害賠償請求権に基づき、損害金一九四六万六〇〇〇円及び内金一七九六万六〇〇〇円に対する不法行為の翌日である昭和五九年六月一〇日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2(一)  同2の(一)及び(二)の事実は認める。

(二)  同(三)の事実のうち、原告が昭和五九年六月一八日に被告経営病院を退院した事実は認め、その余の事実は否認する。

3(一)  同3(一)(1)の事実は知らない。

(二)  同(一)(2)及び同(二)の事実は否認する。

(三)  同(三)の事実は知らない。

4  同4(一)の(1)及び(3)並びに同(二)(2)の事実は認める。

5  同5の事実のうち、被告が原告の腹腔内に本件ゴム管を遺留したことにより原告に腹部激痛による障害が生じたことは否認し、その余の事実は知らない。

6(一)  同6(一)(1)の事実について

(1) アの事実のうち、原告が歩行困難等の障害を負った事実は否認し、その余の事実は知らない。

(2) イの事実は知らない。

(3) ウの事実は否認する。原告の逸失利益は本件手術当時の実収入を基礎とし、ライプニッツ式による中間利息の控除をすべきである。

(二)  同6(一)(2)の事実について

(1) アの事実のうち、原告が本件手術当時二三才であった事実は認め、その余の事実は否認する。

(2) イの事実は否認する。中間利息の控除はライプニッツ式によるべきである。

(三)  同6(二)の事実は知らない。

(四)  同6(三)の(1)及び(2)の事実は否認する。

(五)  同6(四)の事実は知らない。

第三  証拠<省略>

理由

一請求原因1の事実は、当事者間に争いがない。

二1  請求原因2の(一)及び(二)の事実は、当事者間に争いがない。

2  同2(三)の事実のうち、原告が昭和五九年六月一八日に被告経営病院を退院した事実については当事者間に争いがなく<証拠>よれば、原告が被告に対し同月一二日ころ排尿時の腹部激痛を訴え始めたが、被告にはその原因を究明することができなかった事実を認めることができる。

二請求原因3(障害の継続と他病院における診療経過)について

1  <証拠>によれば、請求原因3(一)(1)の事実(癌研究会付属病院・東京警察病院・長汐病院における診療の事実)を認めることができる。

2  <証拠>によれば、請求原因3(一)(2)、同(二)並びに同(三)の(1)及び(2)の各事実が認められる。

三請求原因4(二)(被告の不法行為責任)について

1  被告の原告に対する診療・手術の経過については前示二1のとおりであり、右事実によれば、被告が、本件手術において閉腹手技までに原告の腹腔内に治療上不要な使用済みの手術用器具を遺留していないことを確認し、遺留器具があればこれを除去する注意義務を負っていたことが明らかである。

2 請求原因4(二)(2)の事実は、当事者間に争いがない。

したがって、被告は、原告に対する不法行為による損害賠償責任を免れない。

四請求原因5(因果関係)について

<証拠>によれば、請求原因5の事実を認めることができる。

五請求原因6(損害)について

1  同(一)(消極損害)について

(一)  同(1)(本件手術を原因とする障害による休業損害)について

(1) 労働能力の喪失率について

原告が、本件手術日の昭和五九年六月九日から同年末までの間(二〇七日間)週に四日ないし五日の頻度で腹部に重い激痛を感じかつその腹部激痛のために歩行困難及び排便・排尿時に介助を要する状態であったこと、原告が昭和六〇年一月一日から昭和六一年五月一九日に入院するまでの間(五〇三日間)右アと同程度の腹部激痛の発作に悩まされたこと、昭和六一年五月一九日に青森県立中央病院に入院し同年六月一二日に退院したことは、いずれも前示二2のとおりである。また、<証拠>によれば、請求原因6(一)(1)のア及びイの事実を認めることができる。

(二)  休業損害の算定基礎となる原告の収入額について

<証拠>によれば、本件手術前である昭和五九年一月ないし五月の原告の平均月収額が一四万八〇五五円であった事実が認められ、右事実から原告の実年収額が少なくとも一七七万六六六〇円であった事実が推認される。

したがって、休業損害の算定基礎となる原告の収入額を一七七万六六六〇円と認めるのが相当である(原告は、本件平均年収額を休業損害の算定基礎とすべきである旨主張するが、本件平均年収額は、実収入のある者の休業損害の算定基礎とはなりえないから、原告の右主張は採用できない。)。

(三)  原告は、中間利息の控除を考慮していないが、本訴請求には、休業損害についての年五分の割合による遅延損害金の請求も含まれているから、年五分の割合による中間利息の控除をするのが相当と認められ、その計算方式としては、ライプニッツ式が相当である。

(四)  以上から、原告の本件手術日から二年間の休業損害額は、177万6660×2÷{(1+0.05)×(1+0.05)}−82万の計算式により算定される二四〇万二九六六円と認めるのが相当である。

(2) 請求原因6(1)(二)(再手術による下腹部手術痕に基づく逸失利益)について

原告が、下腹部手術痕及びこれに伴う引きつるような腹痛の後遺症を負ったことは、前示三1のとおりであるが、右後遺症のうち、まず、下腹部手術痕は原告の外貌又は露出面に存在するものではなく、ごく僅かな特定の職種に就労する場合を除いてその労働能力に影響することはないと考えられ、また、右の腹痛によって原告の労働能力の全部又は一部が客観的に失われたものと認めるに足りる証拠はないから、右後遺症による原告の労働能力の喪失は、これは認めることができない。

(3) 以上から、消極損害は、二四〇万二〇〇〇円(一〇〇〇円未満切り捨て)と認められる。

2  請求原因6(2)(治療費等)について

(1)  <証拠>によれば、請求原因6(2)(一)(青森県立中央病院における治療費が一八万八三六〇円であること)の事実のうち、治療費が一八万五九二〇円であった事実を認めることができる。

(2)  同(二)(交通費が五万〇六〇〇円であること)の事実は、これを認めるに足りる証拠がない。

(3)  弁論の全趣旨によれば、同(三)の事実を認めることができ、かつ、その金額も相当と認められる。

(4)  同(四)の事実のうち、原告が入院期間中を通じて近親者の付添看護を必要とする病状であった事実を認めるに足りる証拠はない。

(5)  以上から、治療関係費用は、二一万円(一〇〇〇円未満切り捨て)と認められる。

3  請求原因6(3)(慰謝料)について

前示二ないし四の被告経営病院における本件手術による腹部激痛発生の経過とこれを前提とする被告の過失の重大性、障害の継続と他病院における診療経過及び青森県立中央病院における再手術の結果生じた下腹部手術痕及びこれに伴う後遺症と原告の性別・年齢との関係その他一切の事情を併せて考えると、原告の受けた精神的苦痛に対する慰謝料としては、金四〇〇万円と認めるのが相当である。

4  請求原因6(4)(弁護士費用)について

本件訴訟の難易度、認容額その他の事情を考慮すると、原告が負担すべき弁護士費用のうち、本件との間に相当因果関係があり、被告に請求することができる金額は、七〇万円と認めるのが相当である。

六結論

以上によれば、原告の本訴請求は、金七三一万二〇〇〇円及び内金六六一万二〇〇〇円に対する債務不履行又は不法行為の翌日である昭和五九年六月一〇日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官平手勇治 裁判官高世三郎 裁判官日下部克通)

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