東京地方裁判所 昭和63年(ワ)7106号 判決 1990年10月26日
原告 明治生命保険相互会社
右代表者代表取締役 土田晃透
<ほか五名>
右原告ら訴訟代理人弁護士 小林資明
被告 甲野太郎
右訴訟代理人弁護士 黒岩哲彦
主文
一 原告ら各自と被告との間の別表一記載の各保険契約に基づく原告ら各自の被告に対する死亡保険金及び入院給付金の各支払債務の存在しないことを確認する。
二 被告は、原告明治生命保険相互会社に対し、金三六〇万円、原告住友生命保険相互会社に対し、金九六万円、原告朝日生命保険相互会社に対し、金一三五万八〇〇〇円、原告千代田生命保険相互会社に対し、金一六一万二〇〇〇円、原告協栄生命保険株式会社に対し、金一四六万円、原告安田生命保険相互会社に対し、金九七万円及び原告ら各自に対し右各金員に対する昭和六三年七月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 主文同旨
2 主文第二項につき仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 原告明治生命保険相互会社(以下「原告明治生命」という。)、原告住友生命保険相互会社(以下「原告住友生命」という。)、原告朝日生命保険相互会社(以下「原告朝日生命」という。)、原告千代田生命保険相互会社(以下「原告千代田生命」という。)、原告協栄生命保険株式会社(以下「原告協栄生命」という。)及び原告安田生命保険相互会社(以下「原告安田生命」という。)は、いずれも生命保険業務を営む会社である。
2 原告ら各自と被告とは、別表一記載のとおり、いずれも原告ら各自を保険者とし被告を被保険者とした生命保険契約(以下「本件各保険契約」という。)をそれぞれ締結し、右各生命保険契約には、保険期間内に生じた不慮の災害による傷害の治療を目的とする入院並びに保険期間内に発病した疾病及び成人病を直接の原因とする入院を保険事故として保険者である原告ら各自が被保険者である被告に対し入院給付金を支払う旨の特約(ただし、原告住友生命の特約にあっては成人病による入院は保険事故とされていなかった。以下これらのすべての特約を「本件各特約」という。)があった。
3 被告は、原告ら各自に対し、別表二記載のとおりの保険事故(以下「本件各保険事故」という。)が発生したとして、入院給付金の支払を請求し、原告らは各自、被告に対し、別表三記載のとおり、入院給付金を支払った。
4 本件各保険契約には、いずれも、保険契約者又は被保険者の詐欺により保険契約を締結した場合は、保険契約を無効とする旨の定めがあり、本件各特約には、いずれも、特約に別段の定めのない場合には、本件各保険契約の規定を準用する旨の定めがある。
5 被告は、本件各特約に係る保険事故の発生を仮装して入院給付金の支払を受ける目的で本件各保険契約を締結した。
6 別表二記載の被告の入院は、被告が本件各特約に係る保険事故の発生を仮装したものである。
7 原告ら各自は、被告に対し、平成二年六月四日の本件口頭弁論期日において、本件各保険契約を将来に向かって解除する旨の意思表示をした。
8 本件各保険契約は、被告の詐欺に基づいて締結されたものであるから無効である。
被告は、多額の不労所得を得ようとしているから、本件各保険契約は、公序良俗に反するものとして無効である。
右のいずれでもないとしても、生命保険契約は、継続的契約であり、かつ、本来、射倖的性格を有するもので、この射倖的性格に起因する弊害を防止する必要があるから、信義誠実の原則の適用が強く要請されているので、保険契約者が保険事故の発生を仮装した場合には、保険者に特別解約権が発生するものと解すべきである。
よって、原告ら各自は、被告に対し、本件各保険契約に基づく原告ら各自の被告に対する死亡保険金及び入院給付金の各支払債務の存在しないことの確認を求めるとともに、不当利得返還請求権に基づき、請求の趣旨記載の各金員及びこれに対するそれぞれの利益を受けた日の後である昭和六三年七月一二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による法定利息の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1から4までの各事実はいずれも認める。
2 同5及び6は否認する。
第三証拠《省略》
理由
一 請求原因1から4までの各事実は、いずれも、当事者間に争いがない。
二 まず、本件各保険契約の締結が被保険者たる被告の詐欺によるものとして無劾といえるかどうかについて判断する。
1(一) 被告が原告ら各自に対し、別表一記載のとおり、昭和六一年一一月一三日から昭和六二年一月二〇日までの間に本件各特約を含む本件各保険契約の締結の申込をなし、昭和六一年一二月一日から昭和六二年二月一日までの間に本件各特約を含む本件各保険契約を締結したこと、本件各保険契約の保険料合計額は昭和六二年四月以降年額一六七万八三〇八円(月額一三万九八五九円)となること、本件各特約により支払われる入院給付金の合計額は、災害による入院の場合、一日当り四万七〇〇〇円、月額一四一万円、疾病による入院の場合、一日当り四万二〇〇〇円、月額一二六万円、成人病による入院の場合、一日当り四万四〇〇〇円、月額一三二万円となることは当事者間に争いがなく、《証拠省略》によれば、被告は、別表四記載のとおり、昭和六一年一一月二〇日から昭和六二年二月五日までの間に、全国共済農業協同組合連合会(以下「農協共済」という。)、大正海上火災保険株式会社(以下「大正海上」という。)及び郵政省簡易保険局(以下「簡易保険」という。)との間でも、それぞれ保険契約(以下「訴外保険契約」という。)を締結していること、本件各保険契約及び訴外保険契約を締結した右当時、被告の収入は、昭和六一年一一月二九日まで勤務していた乙山株式会社在職時は給与月額二二万円、右会社を退社した後は釣具販売業による収入月額六万円であり、これに被告の妻の月額一〇万円及び被告の長男の月額九万円の収入をも加算したとして、被告の右会社在職時の世帯収入月額は四一万円、右会社退職後の世帯収入月額は二五万円であったこと、被告は、右会社退職後に、約一四〇〇万円の借入金があったことが認められる。
(二) 《証拠省略》によれば、本件各保険契約が締結された経緯は、原告明治生命との契約については、被告が、以前からの知り合いであった原告明治生命の外務員梅田則子に対し、自ら進んで積極的に契約締結の申込をしたものであること、原告住友生命との契約については、原告住友生命能代東支部に、被告が保険について話を聞きたいといっている旨の電話があり、原告住友生命の外務員であり被告とは何ら面識のなかった工藤嘉昭が、当時被告が勤務していた乙山株式会社を訪問し、被告と面接した上で被告の契約締結の申込みを受けたものであり、被告が自ら進んで申し込んだものであること、原告朝日生命との契約については、原告朝日生命の外務員塚本の勧誘により、契約締結に至ったものであること、原告千代田生命との契約については、被告が以前からの知り合いであった原告千代田生命の外務員芹田政治と路上で偶然に出会った際、以前から右芹田が保険の外務員をしていることを知っていた被告が、右芹田がなお外務員を行っていることを確認し、自ら進んで積極的に契約締結の申込をしたものであること、原告協栄生命との契約については、被告が以前からの知り合いであった原告協栄生命の外務員見習い船山富雄と路上で偶然に出会い、右船山の自宅で雑談し、右船山が被告を正規の外務員に紹介して右外務員の勧誘により契約締結に至ったものであること、原告安田生命との契約については、原告安田生命の能代営業所に被告が直接電話をして契約締結の希望があることを申し出て、原告安田生命の外務員であった川村智子が被告の自宅を訪問したり、被告自身が右能代営業所を訪問するなどして、契約締結に至ったものであり、被告が自ら進んで積極的に契約締結の申込をしたものであること、右のうち、被告が勧誘を受けて契約締結に至った原告朝日生命及び原告協栄生命との契約の場合も、被告が契約締結を躊躇したことを窺わせる事情は全く存在しないことが認められる。《証拠判断省略》 なお、《証拠省略》には、右工藤が戸別訪問活動を行って勧誘したために契約締結に至ったかのような記載があるが、《証拠省略》によれば、右工藤が、被告の勤務先を訪問して契約締結の申込を受理したために右のような記載がなされたものと認められ、被告が自ら進んで契約締結の申込をしたことの認定を妨げるものではない。
(三) 被告が、別表二記載のとおり、昭和六二年二月二五日から一二一日間、高血圧症及び心筋障害を理由として高階内科医院に入院し(以下「第一回入院」という。)、同年七月四日から一五日間、狭心症を理由として能代山本医師会病院に入院し(以下「第二回入院」という。)、同年九月一〇日から二六日間、腰椎椎間板ヘルニアを理由として能代南病院に入院し(以下「第三回入院」という。)、同年一〇月二〇日から五〇日間、同じく腰椎椎間板ヘルニアを理由として右能代南病院に入院し(以下「第四回入院」という。)、昭和六三年二月二二日から四八日間、腰部挫傷及び右大腿打撲による筋痛症を理由として永沢病院に入院した(以下「第五回入院」という。)ことは当事者間に争いがなく、《証拠省略》によれば、第一回入院は、被告が、昭和六二年二月二一日、前胸部圧迫感、頭重感、眩暈等を訴えて右高階内科医院に受診した結果、心電図上に心室性期外収縮が認められ、高血圧症、心筋障害、異型狭心症と診断され入院に至ったものであるが、本件各保険契約及び訴外保険契約を締結した昭和六一年一一月二〇日から昭和六二年二月五日までの時期には、被告には右疾患の自覚症状が何らなかったのみならず、原告安田生命を除く原告ら各自に対し、被告は何ら既往症がない旨告知しており、また、第一回入院中も、自宅での入浴、洗濯物の交換のため合計二四日間もの外泊をしており、外泊中も特段に体調に変化を来すほどのことはなかったこと、第二回入院は、被告が、同年七月三日、体調の不調を訴えて右高階内科医院に再度受診したところ、能代山本医師会病院を紹介されて入院し、同病院で心電図上にST変化が認められ、心臓カテーテル検査と併せて異型狭心症と診断されたものであって、第一回入院と同一の疾患によるものであること、第三回及び第四回入院は、同年九月六日、被告の運転する自動車が砂地に埋まったため、右自動車を持ち上げようとしたときに腰痛を生じたとして、被告の希望により同月一〇日から安静加療のため右能代南病院に入院し、いったん軽快したとされて退院しながら、被告の愁訴に基づき再度同病院に入院したものであり、専ら被告の自覚症状に基づく入院であったこと、第五回入院は、被告が、昭和六三年二月一九日、自宅裏で除雪作業中、隣家との境界となっているブロック積みに躓いて転倒し、腰を打ったとして右永沢病院に受診し、当日は帰宅させられながら、三日後に至り、歩行困難であると称するほどの強度の腰臀部痛を訴えて同月二二日に同病院に入院したものであり、右腰臀部及び右大腿部に皮下欝血が認められながらもレントゲン検査では異常を生じていなかったものであること、さらに、右の本件各保険事故のほか、被告は、同年一一月六日、自転車に乗車中に道路上の段差に乗り上げて転倒し、腰臀部を強打したとして、同月八日、国部医院に受診し、腰臀部打撲の診断で同月一〇日から同年一二月一九日まで同医院に入院し、原告ら各自に入院給付金の請求をしたが、右入院は、腰臀部の激痛、両下肢のしびれ感など専ら被告の自覚症状に基づく入院であり、また、受診時に歩行困難な状況を訴えながら右転倒事故から二日後に初めて受診しているものであることが認められる。
(四) 《証拠省略》によれば、本件各特約においては、原告協栄生命の成人病特約及び疾病特約における入院給付金の支払限度が成人病の場合で入院日数六〇日分、疾病の場合で入院日数一八〇日分であるほかは、いずれの原告の場合にも同一災害による入院又は疾病若しくは成人病による一回の入院による入院給付金の支払限度は入院日数一二〇日分であるところ、右第一回入院の退院に関し、被告は、右限度ギリギリの入院後一一八日ないし一一九日目ころに退院の希望を申し出て、右一二一日目に退院していることが認められる。
(五) 右(一)から(四)までの認定事実に基づいて考察するに、被告は、昭和六一年一一月二〇日から昭和六二年二月五日までの僅か二か月余の短期間に、自ら進んで積極的に、合計九口もの多数の生命保険契約を締結しており、これにより被告が負う保険料支払債務額は、本件各保険契約の保険料に訴外保険契約のうち保険料額の明らかな簡易保険の保険料を加算すると年額一八九万六七〇八円となり、本件各保険契約が成立する前の昭和六一年一一月三〇日以降における被告の世帯年収三〇〇万円に対して約六三パーセントに達するものであり、かかる保険料を控除した後の被告の世帯収入は、一か月九万円余しか残らず、これから更に訴外保険契約の農協共済及び大正海上の保険料を控除すると、被告の世帯収入は、その生計を維持するのが困難な小額のものとなるのであって、当時、被告が約一四〇〇万円もの相当多額の借入金債務を抱え、その完済まで少しでも多くの返済のための金員を必要とする立場にあったことを合わせ考えると、右のような多額の保険料の支払債務を敢えて負担してまでも本件各保険契約を締結しようとした被告の動機には尋常ならざるものがあったといわざるを得ない。
他方、本件各特約により支払われる入院給付金は、災害による入院の場合で月額一四一万円、疾病による入院の場合で月額一二六万円、成人病による入院の場合で月額一三二万円に上り、その結果一二〇日の限度まで入院すると約五〇〇万円にも達することとなり、被告の当時の世帯年収を大幅に上回る額の入院給付金をただ一回の入院の機会がありさえすれば取得する可能性があることを具体的に見込むことができたというべきである。
そして、本件各保険事故の内容、態様等について検討すると、第一回入院及び第二回入院の原因となった疾病は、異型狭心症であるが、本件各保険契約を締結した当時、被告には日常生活に具体的に支障を来すような特段の体調の異常がなかったにもかかわらず、原告安田生命や大正海上との生命保険契約を締結した後、一か月も経過しないうちに第一回入院に至っているのみならず、その入院中の症状も、何ら異常なく二四日間にも及ぶ外泊が可能な程度であったものであり、また、本件各特約による入院給付金の支払限度である入院一二〇日に達するとともに退院しているものであって、右疾病の発生及びそれに対する治療の必要性は専ら被告本人の愁訴の有無に依存したものと推認される。第三回入院ないし第五回入院の理由については、本件各保険事故以外で、後に被告が入院給付金の支払いを請求するに至った昭和六三年一一月六日の自転車の転倒事故も含め、その原因となった災害は、分別のある年配の被告が軽々にも一人で乗用自動車を持ち上げようとしたときに腰を痛めたり、手慣れているはずの除雪作業や自転車運転中にこともあろうに転倒したことによるというものであり、いわば自招の事故と目するのが相当であって、その傷病も主に被告本人の愁訴に基づく診断によるものであり、四〇日ないし六七日もの入院を必要としたといいながら、事故後三、四日を経過して初めて入院している不自然な経過も認められ、要するに右の災害発生いかん及び傷病の存続や入院の必要性等の認定は、すべて主に被告の意図又はその愁訴の有無によって左右されるものであったと推認されるのである。すなわち、本件各保険事故は、急激かつ偶然な外来のものではなく、被保険者たる被告の意思ないし意図によりその成否が基本的に決せられる性質のものであったといわなければならない。
以上を総合すれば、被告は、本件各特約に係る保険事故の発生を仮装して入院給付金の支払を受ける目的で本件各保険契約の締結を原告各自にそれぞれ申し込んだものと推認するのが相当である。
なお、第一回入院及び第二回入院の際、被告は、心電図等の医学的検査により異型狭心症と診断されているが、程度の軽微なものであり、かつ、右各入院は右疾患による具体的な症状に対する特定の治療の必要によるのではなく、むしろ、被告のことさらな愁訴によるものということができるのであるから、右の診断結果は、右推認を妨げない。
2 ところで、被告が意図したのは、本件各特約に基づく入院給付金の詐取であるが、本件各特約は、独立の保険契約ではなく、本件各保険契約の締結に付随して合意されるものであるところ、右認定のとおり、被告は本件各特約に基づく入院給付金の詐取のために本件各保険契約を締結したものであるから、本件各特約のみならず、本件各保険契約自体も被告の詐欺により締結されたものと解すべきである。
4 以上によれば、本件各保険契約及び本件各特約は、被保険者たる被告の詐欺により締結されたものというべく、いずれもその約定に基づき、無効であるといわなければならない。
三 よって、原告らの本訴請求はいずれも理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用し、仮執行宣言の申立については、その必要がないものと認めこれを却下することとして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 雛形要松 裁判官 北村史雄 貝原信之)
<以下省略>