東京地方裁判所八王子支部 平成元年(ワ)1321号 判決 1989年11月09日
原告 甲野太郎
被告 井出孫六
右訴訟代理人弁護士 鈴木孝雄
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 原告の請求の趣旨
1 被告は原告に対し、別紙のとおりの謝罪文を東京地方裁判所八王子支部に提出して亡加藤完治の名誉回復の措置をとれ。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
二 被告の答弁
主文と同旨
第二当事者の主張
一 原告の請求原因
1 被告は平成元年二月四日毎日新聞に次の記事を投稿掲載した。
戒厳令下の都心で開かれた満蒙開拓推進の会議で、土地確保に疑問を呈する農林省の相当官に「土地は奪うのです」と答えた推進役の加藤完治は、なお逡巡する拓務省の担当官に計画を「妨げる者はいくらでも殺す」と明言している。
2 亡加藤完治はこのような発言は一切しておらず、右記事は不実の記載であって同人の名誉を毀損し冒とくするものである。
3 同人は原告の恩師であり、原告は昭和一五年四月から同一七年一二月まで満州開拓青年義勇隊内原訓練所准幹部養成所第一区隊第一小隊の訓練生として加藤から満州開拓、日本人としてのあり方について直接指導教育を受け、同人の発案にかかる満州開拓団の一員として同月から元満州国東満総省密山県第三次凌雲義勇隊開拓団の兵器係長、測地、農事班長を勤めた。
4 よって、原告は被告に対し、別紙のとおりの謝罪文を東京地方裁判所八王子支部に提出して亡加藤完治の名誉回復の措置を採ることを求める。
二 被告の答弁
1 請求原因1の事実は認める。
2 同2の事実は否認する。
原告主張の記事は、被告が調査のうえ入手した新人物往来社発行「近代氏家の記録6満州移民」(山田昭治編)などの資料に基づいて著作したものであって、右資料に収録されている昭和一一年三月六日の座談会記録中から加藤の発言内容の要旨を採録した。
右座談会記録によれば、同人の発言は被告が記載した以上に激しい内容のものである。被告が著作した本件記事は加藤の言動を批判することが目的ではなく、当時の「満州開拓移民」がどのような基本的な思考のもとに指導展開されたものであるか、また、それが昭和から平成にかけてどのような傷を残して来たかを記述するため、諸般の事情を考慮して、著述の目的の範囲内で最小限度の要点を記述したものであるから、原告の主張は失当である。
3 請求原因3の事実は知らない。
4 同4は争う。
理由
一 請求原因1の事実は当事者間に争いがない。
二 そこで、同2の主張について検討する。
原告は、被告が毎日新聞に投稿掲載した本件記事が、請求原因3に主張のとおりの原告の恩師である亡加藤完治(昭和四二年三月三〇日死亡)の名誉を毀損したので、別紙のとおりの謝罪文を東京地方裁判所八王子支部に提出して同人の名誉回復の措置を採ることを被告に対し求めている。死者の名誉が法律上保護されていることは刑法二三〇条二項等に照らして肯定できるとしても、それが侵害されたとき、誰れが死者に代行して民事上名誉回復の措置を採るよう請求できるかは、現行の実定法上明文の規定を欠いており、まして単に満州における恩師であると主張しているにすぎず、遺族などの親族関係のまったくない原告が、死者である加藤完治についての名誉回復請求権を有しないことは明らかである。そして、原告は本件記事により、自分の名誉や加藤に対する敬愛追慕の情が侵害されたとは主張しておらず、請求原因2の主張がその趣旨をも含むものと解釈しても、経験則上、恩師加藤に対する名誉毀損により原告の人格等に対する社会的評価が低下したとは到底認められず、また、原告の加藤に対する敬愛追慕の情が仮に毀損されたとしても、同人の遺族でもない原告の右の情念は法律上保護される範囲外のものであるから、原告にその回復請求権がないことも明白である。
三 したがって、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 片岡安夫)
<以下省略>