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東京地方裁判所八王子支部 平成10年(わ)925号 判決 2000年2月09日

①事件

主文

被告人を懲役二年に処する。

未決勾留日数中四〇〇日を右刑に算入する。

本件公訴事実中殺人の点については、被告人は無罪。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、平成一〇年三月下旬ころ、東京都小平市学園東町<番地略>の当時の自宅において、実母甲野花子の死体を六畳洋室からユニットバスまで運んで浴槽内に押し込み、同浴槽内に湯を入れて上から布団をかぶせたまま放置し、もって、死体を遺棄した。

(証拠の標目)<省略>

(一部無罪の理由)

一  本件公訴事実中、殺人の点の要旨は、「被告人は、平成一〇年三月八日ころ、判示自宅において、六畳洋室で就寝中の実母甲野花子(当時六五年)に対し、殺意をもって、その顔面に枕を押しつけて鼻腔、口を圧迫し、よって、そのころ、同所において、同人を鼻口部閉塞により窒息死させて殺害した。」というものである(以下、単に本件公訴事実ともいう。)。

二  被告人は、捜査段階はもとより、第一回公判においても、右公訴事実を間違いないと認めたが、第二回公判における公判手続の更新に際し、被告人は、「八日朝配達から帰って来たとき、母親は寝ているようだったので、母親の食事の用意をして、従業員大会に出かけた。帰ってみると、母親は死んでいた。」旨陳述し、以降、実母殺害を終始否認し、弁護人も、殺人の点につき被告人は無罪である旨主張する。

三  よって、検討するに、本件は、被告人が出勤しないことから、平成一〇年五月二四日午前六時五〇分ころ、勤務先の新聞専売所所長代理小原利正及び同所員佐藤昭一が、判示被告人方を訪れて浴槽内の甲野花子の死体を発見し、右佐藤が同日午前七時ころ一一〇番通報したことにより、死体遺棄事件として捜査が開始され(甲1、24、25)、同月二五日被告人に対する逮捕状が発付されたところ(本件記録第三分類在中)、同月二八日午後六時三五分ころ、被告人が、群馬県館林警察署に出頭して、当直勤務中の山田純寛巡査に、本件記事が掲載された同月二五日付日刊スポーツ新聞の紙面を示し、「私がここに出ている事件の犯人です。」「寝ていた母親の顔に枕をかぶせて上から押しつけて殺してしまった。ぐったりしたので死んだと思い、浴槽に移した。」旨自供したことから、右死体遺棄事件の逮捕状により逮捕・勾留・勾留延長して取調べをした後、殺人事件として再逮捕・起訴された事案である(甲16等)。

四  本件公訴事実の目撃者はおらず、被告人の自白のほかは、母花子の死体の存在とその発見状況などが、右自白の重要な補強証拠となる証拠関係にある。そして、被告人が、公判廷において、右自白を翻して母花子の病死ないし自然死を供述するので、母花子殺害にかかわる部分を除いて、本件の事実関係をみると、前掲証拠並びに第七回公判調書中の被告人の供述部分、被告人の検察官調書(三通、乙12、13、15)、警察官調書(六通、乙1、2、4、5、19、20)、第三回公判調書中の証人小国トシ子の、第九回公判調書中の証人高木徹也の各供述部分、証人藤沼博の公判供述、平山雄大(甲26)、藤沼博(二通、甲27、28)、小国トシ子(甲31)、佐藤章弘(甲32)、武田真(甲33)、柴豊(甲34)、今泉光司(甲35)、入江和幸(甲36)、甲野一郎(甲41)の各警察官調書、捜査報告書(二通、甲16、40)、捜査関係事項照会回答書(甲30)、証拠品複写捜査報告書(甲17)、前科調書(甲38)、判決書謄本(甲39)、「カルテの記載内容について」と題する書面(甲53)、押収してある新聞紙一枚(甲70、平成一一年押第九号の8)によれば、以下の事実が認められる。

1  被告人は、昭和四二年二月群馬県館林市内で工員の父太郎と母花子の次男(長男が出生後間もなく死亡したため、被告人が長男として出生届。)として出生したが、同四八年父が病死したため、母花子が保険外交員や新聞配達員等をし、父の実家からの援助を受けながら、被告人を育てた。被告人は、同市内の小中学校を経て県立館林高校定時制に進学したが、勉強が好きでなかったことから、二年時に退学し、同市内にある機械製造会社で塗装工等として働いたが、肝臓を悪くして約一年で退社した。その後定職に就かずにいたところ、母花子が勤務先の倒産により失職して生活が苦しくなり、同六〇年五月ころから同年七月ころにかけて母花子に見張りをさせて被告人が侵入する方法で近所の家に空き巣に入ったことから、検挙されて被告人は家庭裁判所に送致されて不処分となり、母花子は簡易裁判所で懲役一年(三年間執行猶予)の判決を受けた。

2  そのため同市内に居づらくなり、知人の誘いで宇都宮市内の新聞販売店に親子で就職し、その後栃木県真岡市内や茨城県石岡市内の各新聞販売店で一緒に働いていたが、平成九年一月ころ真岡市内の新聞販売店に戻った以降、被告人は母花子の年齢を考えて仕事をさせず、被告人一人が働いていた。その後同店も辞め、同年一一月初旬母花子と共に上京して東京都葛飾区内の人材派遣会社の紹介により横浜市内の新聞販売店で働き始めたが、勤務態度が悪かったことなどから数日で解雇され、同月中旬ころから東京都小平市回田町所在の読売新聞小平学園専売所に勤務し、同専売所従業員寮である判示<番地略>に母花子と共に居住し、母花子は六畳洋室で、被告人はダイニングキッチンに布団を敷いて寝起きしていた。

3  被告人の右専売所での給料は、手取り月一五万円程度であり、被告人がそのうち四万円ほどを食事代や小遣いとして受け取り、その余で母花子が家計のやりくりをしていた。被告人はパチンコが好きで、何時間もパチンコ店で遊んでいることがあり、母花子は真岡市にいたころから勤務先の新聞販売店に電話をかけ、被告人が仕事をしているかなどを尋ねていたが、小平市に来てからはさらに頻繁に勤務先に同じような電話をするようになり、一日に何度となく、多いときには五分おきに電話をかけてきた。そのため、被告人は同僚から変に思われるからやめるようにと言ったが、母花子は聞き入れず、被告人が仕事から帰ると、母花子が、どこへ行って何をしていたかなどを尋ねることから、被告人は三〇歳を過ぎたのに口出しし過ぎるなどと文句を言った。

4  母花子は、以前から高血圧と足腰の痛みを訴えており、エレベーター設備のない当該寮の一階から五階までの階段を上り下りするのに途中で何度も休憩するなどして苦労しつつ、平成九年中は一人で買い物に外出し家事もこなしていたが、同一〇年一月に入ると体の衰えが次第にひどくなって、同月中旬ころには平らな場所を歩くときもふらつき、外出中に転倒して額に負傷したことがあり、そのころからさらに体が弱って、買い物のための外出も一日に一回程度となり、同年二月中旬ころには殆ど外出せず、部屋の布団の上にいることが多くなり、代わって被告人が、仕事帰りにコンビニで弁当を買ってきて食べさせ、掃除や洗濯もしなければならなくなった。母花子の痴呆症状が進んで、食事をしたことを忘れたり、被告人を他人呼ばわりし、同年三月に入るころになると寝たきりとなり、食事も二、三口しか食べず、トイレに連れて行く途中で漏らしたり、意味不明なことを言うようになった。

5  被告人は、平成一〇年三月八日新聞配達員の従業員大会に出席して帰宅した後、母花子の死体を六畳洋間の布団に放置していたが、次第に腐敗が進行して異臭を発し、蝿が室内を飛び回り、殺虫剤や芳香剤を使っても蝿は増えるばかりで異臭も強くなった。被告人は、五階の自室から死体を外へ運び出すことができず、放っておけば異臭や蝿により近所の住民に気づかれる恐れがあり、死体の処分に考えあぐねていたところ、同僚が死体に熱湯をかければ肉が溶けて骨だけとなって臭いもしなくなるなどと話していたことから、同月下旬、母花子の死体を六畳洋間から運んでユニットバスの浴槽に押し込み、熱湯を浴槽の八分目ほどまで入れ、こたつの掛布団を死体の上に掛け、その後浴槽の水をたびたび入れ替えていたが、勤務先の事務員から水道使用量の高額化を指摘される一方、死体は溶けず、悪臭がひどくなって虫も涌き、その臭いが被告人の衣服等に染みついて上司や同僚らから臭いと言われたり、母花子の姿を見かけないなどと言われるに及んで、被告人は、死体を残して逃げるほかないと思い立ち、同年五月二三日自宅から逃げ出してその後野宿生活をしていた。

6  被告人は、同月二五日付の日刊スポーツ紙に「66歳女性が自宅浴槽で腐乱死体、他殺か病死か」との大見出しで母花子の死体が発見されたことを掲載され、「死後数か月外傷なし、同居の31歳長男行方不明 警視庁捜査一課などでは、何らかの事情を知っているとみて長男の行方を捜すとともに、殺人、死体遺棄事件の疑いもあるとみて捜査を開始した。」と報道されたことから、逃げ切れないと覚悟を決め、同月二八日館林警察署に出頭した。

五  ところで、右死体は発見後直ちに司法解剖に付されたが、死体の腐乱が相当進んでいたため、死因を推定させる所見は得られず、死因と直結するような創傷は認められないかもしくは不明であったことから、「病死、もしくは創傷を認めない外因死(例えば、溺死や鼻口部閉塞による窒息など)を全く否定することはできない。」との鑑定結果が出され(甲45)、右鑑定を担当した高木徹也医師は、公判廷で、「大動脈の内膜は高度の硬化と石灰化をし、動脈硬化が進んでいたことからすると、虚血性の心疾患、急性の心筋梗塞、脳梗塞等により急死した可能性もある。(母花子)が年齢以上に衰弱していた可能性もある。」との判断を供述した(第九回公判)。なお、捜査担当検事からの聴取に対して、同医師は、「死体には、右肺内リンパ節の浮腫が認められ、風邪や肺炎によって発熱していた可能性がある。」と答え(甲15)、また、精神科医師梅津寛は、「花子の記憶障害や見当識障害は、アルツハイマー病ないしアルツハイマー型痴呆の典型的な症状であり、足腰が弱まって寝たきりに近い状態になったり、失禁したりするようになったのは、動脈硬化から多数の脳梗塞を起こし、脳血管性痴呆となった可能性も考えられ、平成一〇年二月中旬ころに大きな脳梗塞(出血)が発生し、以降急速に悪化した可能性もあり、この段階で治療を受けさせる必要があった。花子の身体症状は衰弱によると考えることも可能と思われる。」と述べている(甲40)。

右の鑑定結果及び医師の各所見を前記認定事実に併せ考えると、母花子が病死した可能性も十分あり得るところであり、被告人が、母花子の死体を浴槽内に入れて腐らせようとしたのも、自分一人では何も決められない被告人が、病死した母花子の死体の措置に困ったあげく引き起こした犯行と理解することもできる(甲35、36)。

そうすると、母花子の死体の存在とその発見状況は、それ自体では殺害行為の存在を窺わせるものとはいえない。

六  しかし、被告人は、前述のとおり、館林警察署に出頭して自己が母花子を殺害した旨供述し、その後も捜査官に対し同一の供述を繰り返したばかりか、第一回公判においてもこれを認めたため、捜査官のほか弁護人も当初被告人の右自白を信用していたのである。

そこで、その自白の信用性を点検する。

1  (殺害の動機について)

被告人の自白の要旨は、前記第四項の3のとおり、被告人はかねて母花子の過干渉を煩わしく思っていたところ、同項4のとおり母花子が衰弱し、被告人が代わって食事をさせたり掃除や洗濯もしなければならなくなり、母花子の痴呆症状が進んで寝たきりの状態となり、トイレに連れて行こうとする途中で漏らしたり、意味不明の言葉を発することから、被告人が、母花子の世話や家事で自分の自由な時間が奪われることに嫌気がさし、煩わしくなって、同女が死にたいということから、いっそのこと自分の手で殺害してしまおうと考えるようになった、というものである。

しかし、前認定のとおり、本件時には、母花子の過干渉は全くなくなっており、これが本件犯行の直接の動機になったとは考えられず、母花子が寝たきりとなって痴呆状態も進行し、その世話等に嫌気がさして煩わしく思ったにせよ、そもそも被告人は母花子の女手一つで育てられ、少年時代は一緒に空き巣狙いをするなどの緊密な関係を保ち、成人後も、一時離れていたこともあるが、殆どの期間を同一の新聞販売店で一緒に働き、その後職場を転々としながら寄り添うように生きてきたのであり、親子の絆が相当強かったことは明らかであって、判示当該寮○○号室においても母花子に六畳洋室を与え、自らはダイニングキッチンに布団を敷いて寝起きし、母花子の食事等の世話もしていたのであり、勤務先関係者や近所の者からもおおむね仲のよい親子として見られており、被告人が母花子を殺害したことについて驚いている(小国トシ子の第三回公判供述、藤沼博の第一三回公判供述、甲25、27、31)ことからすれば、被告人が、母花子の存在を重荷に感じており、母花子が死にたいと言ったにせよ、「母を殺して厄介払いをしたいと思った。」(乙13)というのは、あまりにも唐突で飛躍があり、不自然との感を否めない。

2  (殺害状況について)

被告人の自白内容は、「平成一〇年三月五、六日ころ、刃物を使うと激痛を感じて苦しむであろうし、多量の出血をして後始末が大変であり、首を絞めて殺害しようと思い、母花子のそばまで行ってみたが、母花子の寝顔を見るうち、首を絞めている間に母花子と目が合うことを恐れて殺害を思いとどまった。同月八日午前二時半ころ専売所に出勤し、新聞配達を終えて同日午前六時三〇分ころ帰宅し、六畳洋室の母花子の様子を見たところ、布団の上に仰向けになって少しいびきをかいて寝ていたので、ダイニングキッチンの自分の布団の上に座って母花子を殺すか否かを考えた。その日は従業員大会に出席するために午前八時三〇分には専売所に行かなければならなかったが、当日は日曜日で新聞休刊日でもあり、夕刊のほか、翌日の朝刊配達の仕事もなく、死体の処分などについてじっくり考える時間があった上、寝ている今であれば殺害しやすいことから、殺害方法を考えて悩んでいたところ、同日午前七時ころ、突然、手元にあった自分の枕を寝ている母花子の顔に押しつけて鼻や口を塞いで息ができないようにすれば、母花子は寝たまま意識を失って死ぬことになり、枕を顔に押しつけているので死んでいく母の顔を見なくても済むと思った。そこで、母花子殺害を決意し、自分の枕を持って行き、母花子の顔までかかっていた布団を腰の辺りまでめくり、その胸の辺りをまたいで立ち、腰を折って前屈するような姿勢で枕を母花子の顔に強く押し付け、そのまましゃがみ込むような姿勢をとった。母花子は一〇秒くらいの間に約四、五回顔を振ったり足をバタつかせていたが、顔の上の枕を強く押し付け続けたところ、母花子が動かなくなり、心臓音を聞いたり脈搏をみたりして死亡を確信した。約一時間自分の布団の上で呆然とした後、着替えて同日午前八時二〇分ころ自宅を出て専売所に向かった。」旨のものである。

しかし、被告人は、公判廷において、「当日午前六時半ころ新聞配達が終わり、専売所で同僚とビールを飲んでいたところ、午前七時ころ被告人が配達を担当している区域の客から朝刊が届いていない旨の連絡があり、被告人がバイクで届けることになり、途中セブンイレブン小平学園東町店に立ち寄って母花子の朝食と昼食用におにぎりとサンドイッチか何かを五百円硬貨を出して買い、配達漏れの朝刊を届けて午前八時ころ自宅に戻った。」旨供述している。

そして、右公判供述を裏付ける右コンビニ店のレジスター記録紙(弁4)や当日の配達漏れの記載がある勤務先専売所付けのノート(甲73)があり、右レジスター記録紙によれば、被告人は当日午前七時一九分ころセブンイレブン小平・一橋学園東町店で買い物をしており、「各場所相互間の距離等の捜査について」と題する書面(甲42)によれば、同店から配達漏れのあった家までは約八五〇メートル、原動機付自転車で約一分五一秒かかり、さらにそこから被告人方までは約九〇〇メートル、原動機付自転車で約二分五五秒強かかることからすれば、被告人の帰宅は当日午前七時二五分ころ以降であったと認められる。

そうすると、被告人が午前六時三〇分ころに帰宅して午前七時ころに殺害を実行したとの前記捜査段階の自白は、時刻の点で客観的事実と大きく食い違うばかりか、そもそも被告人は、母花子のために朝食と昼食を買って帰宅しており、従業員大会に出席するため再度出勤しなければならない状況下の、しかも右認定の帰宅時間からすると、一時間足らずとさほど時間的余裕がないのに、緊迫した事態にあるわけでもない母花子殺害を思案して実行に移したというのは不可解といわざるを得ない。

加えて、被告人方はエレベーターのないビルの五階にあり、そこで殺害した場合には死体の処置に直ちに困るのであり、そのことは住んでいる被告人が熟知しているはずであり、殺害方法はもとよりその遺体の処置の問題も同様に解釈しておくべき重要なことであり、翌日午後まで新聞配達の仕事がなかったにしても、現実には当日午前一一時ころから午後二時ころまで日野市民会館で行われた読売新聞の従業員大会に出席し、その後同僚らと共に飲酒・飲食して、帰宅したのが夕刻となっており、そのことは被告人が当初から予定していた行事日程のはずであって、必ずしも死体の処置を考えるために十分な時間的・精神的余裕があったとはいえず、現に被告人は死体の処置に困り、浴槽のお湯で腐らせようとする非常識な死体遺棄事件を引き起こしており、自白にかかる母花子殺害の企図状況には疑問を差し挟まざるを得ない。

なお、被告人の自白にかかる殺害状況は、具体的かつ詳細であり、実母を殺害しようとする息子の微妙な心情を言い得ているようも思われ、被告人の自白(乙6、25)にかかる犯行の用に供した枕(甲52)が被告人方から発見・押収され(甲7)、また、母花子が寝ていた敷布団や同女の履いていたトランクスやズボンから尿斑が検出されている(甲10、11)ことからすると、枕により窒息させて殺害したとする被告人の右自白が裏付けられているようにも見える。

しかし、右枕に母花子の唾液が付着していることも考えられたことからDNA鑑定を実施したが、右枕からは母花子と同型のDNAは検出されず(甲62、鑑定人石山昱夫の第一四回公判供述、職権8)、右枕は被告人の自白を裏付ける物的証拠とはならない。

また、失禁とみられた尿斑は、前記第四項4で認定のとおり、母花子は本件時には寝たきりとなっており、被告人が排尿等の世話をしていたが、それもうまくいかずに漏らしたりすることがあったのであり、そのことは、母花子の布団の上や脇に吐物あるいは大便と思われるものが付着していた(甲5、6、24、25)ことなどからも明らかであって、右尿斑が母花子の窒息時の失禁によるものと断ずることはできない。

そして、最も重要な物的証拠ともいうべき母花子の死体とその発見状況は、前記第五項のとおり、被告人の殺害行為の自白を裏付けるものではなかった。

3  (自白内容の変遷等)

そもそも、被告人の自白には、①母花子の殺害状況について、館林警察署に出頭した当初、「母の上に馬乗りになり、枕を顔の上に載せて、両手で押さえ、続いて今度は左手で枕を押さえたまま右手で首を絞めて五、六分そのままの状態でいたら、ぐったりして動かなくなった。」と述べていた(松本政久の第一二回公判供述、甲60)のに、以後の取調べでは、右手で首を絞めたことは供述しておらず(乙6、9、13)、②殺害する際に被告人の尻を付けたのか浮かせたままだったのかについても供述が変遷し(甲23、乙6、8、13)、③凶器とされる枕のカバーを処分した時期について、三月二三日ころ(乙3)と述べたり五月二一日(乙9)と述べるなど、重要な部分に変遷があり、その原因の合理的な解明がなされていない。

かなり衰弱して寝たきりの状態にあった母花子が、被告人から枕を顔に強く押しつけられて、「一〇秒くらいの間に約四、五回顔を振ったり足をバタつかせ」る体力があったのかどうか等にも疑問が生じる。

七  他方、被告人は、公判廷で、前述のとおり、本件当日午前二時半ころ出勤し、新聞配達を終えた後、同僚とビールを飲み、コンビニで母花子の朝食と昼食を買い、配達漏れの朝刊を届けて午前八時ころ自宅に戻ったことのほか、「六畳洋間に母花子が寝ていたので、買ってきたものを御飯だよと言って寝床の前に置き、シャワーを浴び支度をして再び出かけ、午前八時三〇分ころ専売所に着き、社長や他の同僚と共に従業員大会に出た。帰宅してみると、母花子は食事をとっておらず、朝と同じ状態で寝ていたので、声を掛けたが返事もせず、脈を取ったり心臓の音を聞いたが動きがなかったことから、死んでいると分かった。救急車を呼んでも無駄だと思い、親しい人もいなかったことから近所の人や勤務先に知らせず、どうしてよいのか分からずそのままにしていたところ、死体から発する異臭が強くなってきたため死体を浴槽に移した。母花子が死んだことからやる気がなくなり、遅刻や配達漏れも多くなり、体が臭いことや水道料金がかさんでいることを指摘されたことから、いずれ母花子の死体が発見され、警察官に事実を話しても自分が殺していないことを信じてもらえないだろうと思い、五月二三日自宅を出て、自殺する場所を求めて国分寺、飯能、長瀞を経て生まれ故郷の館林に向かったが死にきれず、スポーツ新聞を読んで母の死体が発見されたことを知り、本当のことを言っても信用してもらえないだろうし、母を殺したと言って出頭すれば死刑か無期懲役になって死ねるなどと思い、館林警察署に出頭し、母を殺害したと虚偽の供述をした。」旨供述する。

右公判供述のうち、コンビニで買い物をしたことや配達漏れの朝刊を届けたことは、前述のとおり、これを裏付ける客観的な証拠があるほか、母花子が病死した可能性のあることも前記鑑定書等により明らかである。

なお、母花子が死亡したのを知りながら、その死体を放置してパチンコなどに興じていたこと(甲26、32)や、死体を浴槽の水に漬けたまま異臭や蝿に耐えながら約二ヶ月間も住んでいたことなどは、実母を失った息子の行動として異常といえるが、被告人が、子どもの頃から母子二人きりの生活を送り、成人後も母と共に新聞販売店を転々とし、本件当時も親しい友人等もなく、新聞配達の傍らパチンコにふけるなど他者との交わりに乏しい生活を送っていたことからすれば、被告人が、母花子の死体を一人でどうすることもできないまま放っておいたこともあり得ることである。

また、被告人が警察署に出頭して母花子を殺害したと供述したことについて、被告人は、公判廷で、母花子の死体を腐乱させて放置したことに加え、生前にその世話も十分しなかったことの自責の念やスポーツ新聞紙に警察が殺人・死体遣棄事件として捜査を開始し、行方不明の息子を捜している旨の記事が掲載されたことから、母花子殺害を否定しても信じてもらえないと考え、自棄的になり、死体には外傷がないことから、枕で窒息死させたと虚偽の自白をした旨弁解しているが、被告人が館林警察署に持参したスポーツ新聞紙(甲70)の掲載内容は、右虚偽自白の形成過程の供述を裏付ける内容となっており、勤務先関係者が被告人を嘘つきと人物評価していること(甲35)や、前認定にかかる被告人と母花子の共同生活状況及び被告人が母花子の腐乱死体と約二か月間も同居し続けていたことなどからすると、あながち被告人の右弁解を虚偽として排斥できない。

なお、被告人は、自白を翻した理由について、「弁護人から動機面が不自然であると指摘されたり、警察署の留置場の元同房者からの手紙に自分のことは自分で解決しなければいけない、今度会うときにはきっちりけじめをつけてお互い生まれ変わった人間になろうなどと書かれていたことから、このまま嘘をつき通しても意味がないことが分かり、本当のことを言うのが自分にとっていいのではないかと心変わりがした。」旨述べている。その説明は必ずしも説得力をもつものではないが、仮に殺害の自白が全く虚偽のものであったとすれば、捜査段階はともあれ、公判廷でもその虚偽自白を維持し続けることにはかなり心理的な負担があったはずであり、これを解消するにさほど強いきっかけを要しないとも考えられ、被告人の右供述にかかる元同房者からの手紙も存在している(甲74)ことからすると、右の自白撤回理由を虚偽とは断じ難い。

八  そうすると、被告人の捜査段階の自白には、犯行の動機、犯行の企図状況について不自然、不可解な点があり、犯行時刻が客観的な証拠に反し、殺害方法についても重要な部分に供述の変遷が見られるなど、右自白は全体として信用性に乏しいばかりか、右自白にかかる被害者を枕により窒息死させたという事実を積極的に裏付ける証拠はなく、かえって病死の可能性を窺わせる証拠が存在することなどからすれば、自白の真実性を保障し得るだけの補強証拠があるとはいえず、他方、被告人の公判供述を排斥することも困難であって、合理的な疑いを容れない程度の立証があったとはいえない。

九  従って、本件公訴事実中殺人の点は無罪である。

(法令の適用)

一  罰条

刑法一九〇条

二  未決勾留日数の算入

刑法二一条

三  訴訟費用の不負担

刑事訴訟法一八一条一項ただし書

(量刑の理由)

一  本件は、被告人が、自宅で死亡した実母の死体を自宅浴室の浴槽内に入れて遺棄した事案である。

二  被告人は、被告人を慈しみ育ててくれた実母が死亡したのであるから、丁重に葬祭を執り行うべきところ、誰にも知らせたり相談したりすることもせず、一人で考えあぐねるや、時間が経てば何とかなるなどと誠にいい加減な考えから、実母の死体を放置し、その死体が腐敗して異臭が強くなり、蝿が取り付いて飛び回るようになると、死体を腐敗させてとかし骨だけにして秘かに処分しようと考えて、本件犯行に及んだのである。その犯行の動機は、誠に身勝手で、人倫にもとる悪質なものである。

その犯行態様は、実母の死体を自宅内のユニットバスの浴槽に頭から押し込み、熱湯を浴槽の八分目まで入れて、こたつ掛布団を死体の上に掛けたまま放置する、という実母の死体を冒とくすること甚だしいものである。

被告人は、本件犯行後、浴槽の水を入れ替えてみたものの、死体からの異臭がひどくなって虫がわき、同僚から身体が臭いとか母親を見かけないなどと言われたことなどから、発覚を恐れて腐乱死体を放置して逃げ去ったのである。そこには実母の死を悼む気持ちは微塵も見受けられない。

被告人が実母の腐乱死体を職場の従業員寮に二か月以上も放置したことにより、近隣の住民や職場関係者に恐怖感や不快感を与えており、本件犯行の結果は重大である。

三  なお、本件犯行は、実母殺害の証拠隠滅を目的としたものではなく、長年にわたり母子二人きりで各地を転々としてきた特殊な親子関係から、被告人が母親の死に適切に対処できなかったものであり、被告人は、当公判廷において、自己の非を認めて反省し悔悟の情を示していること、少年時代に母親と共に空巣に入って不処分となった前歴があるにとどまることなど、被告人に有利に斟酌すべき事情も認められる。

四  以上の諸事情を総合考慮すると、主文の実刑に処して、実母の死体を遺棄したことに対する贖罪をさせるのが相当である。

(裁判長裁判官奥林潔 裁判官田克已 裁判官伊藤桂)

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