大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所八王子支部 平成11年(ワ)2801号 判決 2003年3月13日

原告

訴訟代理人弁護士

荒木昭彦

被告

a自動車ことY

訴訟代理人弁護士

狩野祐光

榎本英紀

岡正俊

主文

1  被告は,原告に対し,金31万2642円及びこれに対する平成11年10月26日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。

2  原告のその余の請求を棄却する。

3  訴訟費用は31分し,その1を被告の負担とし,その余を原告の負担とする。

4  この判決は原告勝訴部分に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第1請求

1  被告は,原告に対し,原告が被告に対して労働契約上の地位を有することを確認する。

2  被告は,原告に対し,493万3804円及びこれに対する平成11年10月26日から支払済みまで年6分の割合による金員,及び同年11月25日から毎月25日限り32万1019円,同年12月20日から毎年12月20日及び7月15日限り40万円を支払え。

第2事案の概要

原告は,被告を代表社員とする合資会社a自動車の従業員であったところ,本件は,原告が,同社を解散し個人で営業を行っている被告に対し,別紙協定書に基づいて,労働契約上の地位を有することの確認及び下記各金員の支払を求めている事案である。

(1)  493万3804円(下記アないしウの合計)及びこれに対する平成11年10月26日から支払済みまで年6分の割合による遅延損害金

ア  協定書第2項に基づく平成10年9月分及び同年10月分の金員(32万1019円と雇用保険受給額との差額である月額14万0788円)

イ  協定書第2項に基づく平成10年11月分ないし平成11年10月分の金員(月額32万1019円)

ウ  協定書第5項及び7項に基づく平成10年12月分及び平成11年7月分の金員(各40万円)

(2)  協定書第2項に基づく平成11年11月25日から毎月25日限り32万1019円の割合による金員

(3)  協定書第5項及び7項に基づく平成11年12月20日から毎年12月20日及び7月15日限り40万円の割合による金員

1  前提事実(争いのない事実,証拠及び弁論の全趣旨により容易に認められる事実)

(1) 合資会社a自動車(以下「会社」という。)は,昭和22年,自動車の修理,販売等を目的として被告の父により設立された会社であり(設立当時の商号は合資会社a小型自動車修理工場),同人の家族や3,4名程度の従業員によって営まれていた。被告は,昭和38年に会社に入社し,昭和55年9月に無限責任社員となり,代表社員に就任した(<証拠省略>)。

(2) 原告は,被告と従兄弟の関係にあるところ,昭和46年3月,会社との間で雇用契約を締結し,自動車整備などの仕事に従事していた。また,原告は,平成9年11月10日,三多摩合同労働組合(以下「組合」という。)に加入した(<証拠省略>)。

(3) 会社は,平成9年10月21日付けで,原告を含む全従業員に対して,解雇予告通知をした(<証拠省略>)。

(4)  会社と組合は,平成9年12月4日,別紙「協定書」と題する書面(<証拠省略>。以下「本件協定書」という。)を作成し,会社社長として被告が,組合執行委員長としてAが,組合員として原告がそれぞれ記名捺印した。

本件協定書には,「合資会社a自動車(会社)と三多摩合同労働組合(組合)は会社の廃業問題と組合員X(原告)の解雇問題について本日以下のとおり合意に達した」旨の前文に続いて,以下の概要の条項がある。

ア  会社が原告に対してした解雇通知を撤回し,原告は平成9年12月4日付けで円満退社する旨の条項(1項)

イ  会社は今後会社を清算解散し,新会社を設立するが,その際には原告を雇用すること,会社はその間の不利益分を補償し,補償期間は当面は4か月とすること,及び,会社は原告に対し,新会社が設立されるまでの間,毎月32万1019円(但し,原告が雇用保険を受給している間は,32万1019円と雇用保険受給額との差額)を,不利益分の補償として支払う旨の条項(2,10項。ここで定める支払金を,以下「不利益分の補償」という。)

ウ  本問題の解決に当たって,会社は原告に対して退職金として400万円を支払う旨の条項(4,10項)

エ  平成9年度冬期一時金及び夏期一時金の支払いについての条項(5,7項)

オ  平成9年11月26日から12月3日までの賃金の支払についての条項(6,10項)

カ  廃業及び解雇の経緯説明が不充分であったこと等について会社が謝罪する旨の条項(3項)

キ  新会社における身分等の変更や解散等の重要事項変更の場合の組合との協議・同意を約束する旨の条項(8項)

ク  会社が諸法を遵守する旨の条項(9項),本件協定書に記載された以外の債権債務の不存在を確認する旨の条項(11項)

(5)  被告は,平成10年5月1日から,東京都昭島市において自動車修理業を開始したが,新しい法人を設立せず,個人として営業している。

(6)  会社は,平成10年6月12日,同年4月30日に有限責任社員全員が退社したことにより解散した旨の登記をした(<証拠省略>)。

(7)  被告は,原告及び組合に対し,平成10年7月8日,「元合資会社a自動車ことY」の名義で,同年10月28日付けで本件協定書を解約する旨記載した通知書(以下「本件解約通知」という。)を差し出し,原告には同年7月9日に,組合には同年7月17日に到達した(<証拠省略>)。

(8)  会社は,平成12年1月4日,平成11年12月31日に清算を結了した旨登記をした(<証拠省略>)。

(9)  本件協定書第2項により計算される不利益分の補償の額は,平成10年9月分(同年8月26日から同年9月25日までの分)及び同年10月分(同年9月26日から同年10月25日までの分)は,それぞれ32万1019円から原告の雇用保険受給額を控除した差額の14万0788円であり,同年10月26日以降は月額32万1019円である。

2 争点

本件の主たる争点は,本件協定書の性質及び内容(私法上の契約としての性格の有無及びその場合の契約当事者等),及び本件解約通知の有効性であり,これらに関する当事者の主張は次のとおりである。

(原告の主張)

(1) 本件協定書の内容は,第1に,会社が解散し,原告が退職すること,第2に,被告が新会社を設立し,その際,原告を雇用すること,第3に,新会社設立までの原告の給与等の補償をすること,第4に,原告に所定の退職金を支払うこと等が主な内容である。

ア 本件協定書では,会社は新会社を設立すると規定するが,解散する会社が新会社を設立するということは法的に不可能なことであるから,この規定で新会社を設立するのは,被告個人であり,被告が新会社を設立し,原告を雇用することを約したものと解すべきである。

イ もっとも,本件協定書では,「新会社を設立する」と規定されているが,本件協定書締結までの過程では,被告が法人を設立するか個人として営業を継続するかのどちらかの方法で事業を継続することとされていたものであるから,被告が個人として営業を継続した場合にも,被告は原告を雇用することを約したものと解される。

ウ 本件協定書は,会社,原告,組合の三者が調印した形式となっているが,新会社の設立(ないし個人としての営業継続)の責任を負うのは,被告自身であるから,本件協定書における被告の会社代表者としての記名押印は,会社代表者としての面と被告個人としての両面があるものと解すべきである。本件協定書第2項の表現から本件協定書ではこの点の区別が明確でなかったため,本件脇定書のような形式がとられているが,本件協定書の趣旨は上記のようなものである。したがって,被告は本件協定書上の義務を負う。

エ 本件協定書は,会社と組合が調印しているが,会社は解散することを定めているから,労使間の協定としての意味合いは薄く,むしろ原告の雇用を約することに主眼があったというべきである。

そして,本件協定内容のように本来労働協約の対象事項ではない事項について協定する場合に,組合員個人が調印するのは,原告個人としても協定の合意内容について当事者として調印する意味を有するというべきである。したがって,原告は,本件協定書上の権利を有する。

オ 前記のように,新会社設立の責任主体は個人としての被告であり,原告の雇用という点でその責任主体は被告であり,この点で本件協定書は,原告の雇用に関する原告,被告間での私法上の契約という側面をも持つものである。すなわち,本件協定書のうち第1項及び第2項のうち採用に関する事項を定めた部分,第4項ないし第7項並びに第10項は,私法上の契約としての効力を有しており,第1項及び第2項のその余の部分は,労働協約としての効力及び私法上の契約としての効力の両方を有しており,第3項,第8項,第9項及び第11項は,組合と会社の合意事項として労働協約としての効力を有している。

カ 以上のとおり,本件協定書の内容は,被告が新会社を設立して原告を雇用するというものであり,これにより,原告と被告との間には,新会社設立(ないし個人としての営業継続)を条件とする雇用契約が成立したものであるところ,被告が平成10年5月1日からa自動車の屋号で営業を開始することにより条件が成就したから,原,被告間において雇用契約としての効力が発生したというべきである。

(2) 本件協定書は,その交渉過程において,いったんは会社を解散して新会社を設立することによってしか原告の雇用の確保はできないとの会社及び被告の意向が表明されて進行し,原告の雇用確保及び収入補償という原告と組合の要求を基本的に被告が受入れて成立したものであるから,もともと労働組合法15条に基づき協定の破棄をすることを予定したものではない。

また,本件協定書は,4か月の期間のうちに新会社を設立するとされていることや,私法上の契約としての性格をも持っていることからして,労働組合法15条に基づいて予告後90日を経て解約できることは予定されていないから,本件解約通知によって失効しない。

(3) 仮に本件協定書の私法上の合意の部分の契約当事者が原告及び被告ではないとしても,原告は組合に加入し,組合に交渉を委ねたものであり,組合の交渉も専ら原告のために行われたものであるから,原告は組合に対して,交渉について代理権限を付与し,組合と被告及び会社間の合意は,代理人のした合意として原告にその効果が帰属し,本件協定書のうち原告に関する部分は,原告にも効果が及ぶ。

また,さらにそのように見られないとしても,組合は原告のために交渉し,その結果,組合と被告や会社が合意したのであるから,組合と被告や会社との協定は原告を第三者とする第三者のための契約であり,原告が本件協定書に個人として調印し,またその後協定書の履行を求めたことは受益の意思表示に当たり,これにより原,被告間に雇用契約上の効力が発生した。

(被告の主張)

(1) 本件協定書は,会社と組合とを当事者とする労働組合法14条に基づく労働協約であって,私法上の契約としての性質は有していないから,これを根拠に原告が被告に対して再雇用を請求することはできない。

仮に本件協定書第2項に,原告と被告を当事者とする私法上の契約なるものが認められたとしても,同項の記載文言は「会社」が「新会社を設立」した「その際にはX組合員を雇用」するというものであるから,被告が個人営業を行っているにすぎない現時点で,これを根拠に原告が被告に再雇用を請求する理由はない。

また,本件協定書は,その締結の前日まで,会社と組合間で本件協定書の内容についての最終的な合意はなく,かつ,会社が弁護士に相談しないまま捺印することが会社の意思に反することを知っていながら組合が半ば強制的に会社に飲ませたというものであり,その成立過程が著しく異常であることや,本件協定書の第2項が解散する予定の会社が新たに会社を設立して原告を雇用することとされ内容的にも著しく異常なものとなっていることからすると,本件協定書の労働協約としての有効性自体,はなはだ疑わしい。

さらに,会社及び被告の財産状況は原告の再雇用を可能とするものではなかったこと,会社の解散と被告の個人営業開始とは連続性がないものであること,被告は本件協定書の成立後にその内容(特に第2項)を追認するような行為をしていないことなどの事情に鑑みると,本件協定書によって原告と被告との私法上の契約が成立していないことは明白である。

(2) 本件協定書の効力が被告個人に及ぶことがあったとしても,本件協定書は,本件解約通知により平成10年10月28日をもって失効しており,また,会社の解散によっても失効している。

(3) 本件協定書の締結に当たり,組合は,原告の代理であることを示していないから,組合を原告の代理人とする被告及び会社との契約が成立しているとはいえない。また,労働協約の全部ないし一部が別途第三者のためにする契約の性質を持つとされれば,労働者は個別の労働契約において当該労働協約に反する内容の契約を自由に締結できることとなり,労働協約の規範的効力は画餅に帰するから,原告を第三者とする組合と被告及び会社との第三者のためにする契約も成立しないというべきである。

第3争点に対する判断

1  当事者間に争いのない事実,証拠(<証拠省略>)及び弁論の全趣旨に前記認定事実を併せれば,以下の事実が認められる。

(1)  会社は,東京都立川市<以下省略>所在の建物を賃借し,工場,事務所(同工場,事務所を併せて,以下「立川の事務所」という。)として使用していたところ,昭和63年頃以降,周辺土地については地上げが進み,不動産会社から,被告の知人を仲介人として,地上げ目的での立ち退きを求められていた。被告は,営業を続けることが可能な適当な代替場所を提供してくれれば立ち退きに応じても良いと答えていたが,代替場所の提供の要求がかなえられないまま推移していた。

(2)  会社は,平成6,7年ころから次第に経営が悪化し,被告は,平成8年に金融機関の経営相談を受けた際,借入れで経費を賄っているのであれば会社をやめた方が良いと言われ,本格的に会社の解散を考えるようになった。

(3)  被告は,平成9年7月ころ,かつて会社に対して立退を求めていた不動産会社の債権者の仲介人から,昭島市に代替地を提供するのでその土地を買い取って移転して欲しいとの提案を受けた。

提供された代替地は,最寄り駅から離れた住宅地にあり,立川の事務所よりも場所的に劣っていた上,当時は都市計画上の規制を受けており工場の建築ができず,営業を継続するには不向きであったが,被告は,立退料を取得すれば,借入金の返済や従業員の退職金等を支払い,倒産しないうちに会社を解散することができることから,会社を閉める潮時であると考え,同債権者の提案を受け入れることとし,同年10月,上記土地についての売買契約を締結した。そして,会社は,同年10月16日,上記の債権者に対し,立退期限を同年11月10日として立川の事務所を立ち退くことを約束した。なお,原告が取得した立退料は7000万円であったが,立退料は会社の負債や退職金の支払いのために充てられ,原告は,代替地の購入代金約8000万円を別途借り入れた。

(4)  会社は,同年10月16日,原告を含む従業員を集め,経営が苦しいので会社を解散し,従業員には全員退職してもらうこと,所定の退職金は会社の規定に従い支払うこと等を説明した。そして,同年10月21日,全従業員に対し,会社を解散し,廃業することとしたので,同年11月25日付けで解雇する旨を記載した解雇予告通知を発送し,原告には翌22日に到達した(<証拠省略>)。

(5)  同年10月23日,原告,同人の妻,原告から依頼を受けたB及びCが立川の事務所を訪れ,会社に対し,原告にした解雇予告の撤回と会社の解散についての話し合いを求めた。被告は,このときBから組合の肩書きによる自己紹介を受け,組合が会社と原告との問題に介入してきたとの認識を持った。

なお,当時,Bは組合員であり,Cは組合員ではないが永年労働争議に携わっており,原告の妻は労働争議を行っていた。BとCは原告の友人であったが,会社の顧客でもあり,被告はB及びCと面識があった。

(6)  同年10月30日及び11月7日,原告,その妻,B及びCら組合側は,被告,その妻及び当時被告が相談していた弁護士D(以下「D弁護士」という。)との間で,会合を持ち,組合側は,会社の経理の開示や原告にした解雇予告の撤回を求めたが,会社側は,解雇を撤回する意思はなく,会社を解散するつもりである旨述べた。

(7)  同年11月10日,会社は,以前から賃借していた立川市<以下省略>所在の代車駐車場に,必要最低限の物を運び出し,翌11日,同所に,テントを張って工具や機械類を置くとともにプレハブ小屋を設置して事務机を置き,以後同所(以下「仮設事務所」という。)において残務処理を行うこととなった。

(8)  原告は,団体交渉権に基づいて会社と交渉するために,同年11月10日,組合に加入した。同日,組合は,会社に対し,通知書(原告が組合に加入している組合員であること,要求書及び団体交渉申入書を提出するので誠意をもって対応するべきこと,並びに今後労使関係は会社と個人という個別的労使関係から集団的労使関係に移行すること等を記載したもの),要求書及び団体交渉申入書(解雇の撤回など要求書記載の事項を議題とし,会社側出席者として「Y社長」を指名し,組合側出席者を「X組合員,本部役員,支援共闘事務局」と記載したもの)を提出した(<証拠省略>)。

被告は,当初,従業員を解雇して会社を廃業するという方針は変わりがなく,団体交渉に応じるつもりはない旨の態度をとっていたが(<証拠省略>),結局,組合との団体交渉に応じることとした。

(9)  同年11月17日,立川労政事務所において団体交渉が実施され,組合側は,原告,その妻,B,Cらが,会社側は,被告,その長男及びD弁護士が出席した。組合は会社に対し,原告に対する解雇日が同年11月25日に迫っているので,一旦解雇予告を撤回したうえで話し合うことを提案し,解雇予告の撤回を求めた。その際,組合側からは,「組合が総力を挙げたら立川には居られない」「ハワイや香港に逃げた経営者がいる」などの発言が語気強くなされた。これに対して,D弁護士は,解雇予告通知を撤回するとは言い切れないが,明日まで時間を欲しいと述べ,会社はその回答を翌日に伝えることとなった。また,被告が退席した後,次回の会合を同年11月21日午後4時から行うことが決められた(<証拠省略>)。

翌18日,被告は,出社した原告に対し,解雇予告通知を撤回する旨伝えた。

(10)  同年11月21日,立川勤労福祉会館において,原告及びその妻外3名と,D弁護士が話し合いをした。その際,同弁護士からは,雇用を継続する場合の営業の形態について,有限会社にするか個人として屋号だけa自動車にするかなどについて検討しており,考える時間が欲しい旨の発言があった(<証拠省略>)。

この点,被告は,上記の話し合いは架空のものであると主張し,これに沿う被告本人の供述部分があるが,甲10ないし12(録音テープ)に照らせば,後記の同日午後6時の団体交渉に先立って上記の話し合いが現実にあったことが認められ,当該供述部分は採用できない。

(11)  同年11月21日午後6時過ぎ頃から,仮設事務所において,組合側の原告及びその妻外3名と,会社側の被告及びその妻との間で,団体交渉が実施された。その際,被告は,まずは廃業を考えていたが,解雇撤回して営業を行う方向に転換したばかりであって,その場所を探しており,また,会社の形態をどういう形でやっていくかはっきりしないが,そのときにはまた原告を雇用するつもりである旨の発言をした(甲12)。

(12)  同年11月27日,仮設事務所において,組合側の原告及びその妻外3名と,会社側の被告及びその妻との間で,団体交渉が実施された。その際,再雇用までの間の金銭面での不利益に関する処理をどうするかについての話し合いが行われた。

(13)  同年12月3日,仮設事務所において,組合側の原告及びその妻外3名と,会社側の被告及びその妻との間で,団体交渉が実施された。その際,原告が会社を退職する日付,原告に支払われるべき不利益分の具体額,退職金の額,その支払方法などについて話し合われ,Bが協定書の原稿を作成することとなった(甲13)。

この点,被告本人尋問中,同日においては,原告に支払われるべき不利益分の具体額や,組合側が協定書の原稿を作成して被告に持っていく旨の話はなかった旨の供述部分があるが,甲13(録音テープ)に照らせば,当該部分は採用できない。

(14)  同年12月4日朝,原告は,協定書を仮設事務所に持参してその場で調印するよう被告に求めた,被告が「弁護士や経理士に相談しないと判は押せない。」と述べると,原告は「夕方までに判を押すように。」と述べてその場を去った。その後,被告は,D弁護士とは連絡がつかず,「経理士」に会い,同人から「第2項,第7項及び第8項を変更するか削除した上,協定書の作成をもって争議が全て解決したとする旨の約定を加えるように。」との指導を受けた。被告は,原告から電話を通じて仮設事務所に呼び戻されて同所において協定書に調印するよう要求され,原告に対し,弁護士に連絡がつかなかったので一日待って欲しいと求め,また上記指導されたとおりに協定書の内容を変更するか削除することを求めたが,これらの要望はいずれも聞き入れられなかった。他方,被告は原告に対し,協定書の作成をもって争議が全て解決したとする旨加筆することを求めたところ,これについては,原告が電話でBから承諾を得た上で了解されたため,原告の妻が本件協定書の第11項末尾にその旨を手書きで付け加えた。そして,被告はこれに調印し,本件協定書を作成した。

(15)  会社は,原告に対し,本件協定書に基づいて,同年12月15日までに,不利益分の補償,退職金及び冬期一時金として,合計539万8660円を支払った。

(16)  被告は,同年11月20日,昭島市<以下省略>の土地について所有権移転登記を得るとともに,多摩中央信用金庫を根抵当権者とする極度額8000万円の根抵当権設定登記を経由していたところ(<証拠省略>),その返済のための金員が必要となったこともあり,平成10年5月1日から,上記土地に工場を建築し,a自動車という屋号で個人の修理工場を開業した。

その後,原告とBは上記工場を訪れ,原告を雇用することと不利益分の補償を支払うことを求めたが,被告はこれを拒絶したところ,組合は,同年6月9日付けで,会社を宛先とする団体交渉申入書(<証拠省略>)を送付するとともに,被告方を訪れ,本件協定書の履行を迫った。

被告は,同年6月12日,同年4月30日に有限責任社員全員が退社したことにより会社が解散した旨の登記をした(<証拠省略>)。

また,被告は,同年6月22日,組合を相手として東京都地方労働委員会にあっせんの申立てをし(<証拠省略>),同年7月8日にあっせんの手続が行われたが,被告が本件協定の破棄を求め,他方,組合が生涯賃金全額の支払いを求めたことから,あっせんは不調に終わり一回で打ち切られた。そして,被告は,同日,同年10月28日をもって本件協定書を解約する旨記載した通知書(本件解約通知)を原告と組合に対して送付した。

(17)  その後,原告と組合は,会社に対し,本件協定の履行を求めて団体交渉の要求をしたところ(<証拠省略>),会社は,訴外Eを代理人として原告側と交渉した。被告は,Eを通じて,原告に対し,本件協定書の第2項,第4項ないし第6項に基づいて,以下のとおり金員を支払った(<証拠省略>)。

ア 平成10年7月17日に,平成9年12月4日から平成10年6月25日までの分の不利益分の補償及び同年度夏期一時金として,合計118万5670円。

イ 平成10年8月8日及び9月4日に,同年6月26日から同年7月25日までの分及び同年7月26日から同年8月25日までの分の不利益分の補償として,各14万0788円。

2  本件協定書の性質及び内容について

(1)  労働組合法は,労働協約につき,その有効要件として,使用者と組合とが署名又は記名捺印した書面を作成することを求め(同法14条),その有効期間や解約について規律し(同法15条),その効力についても特別な定めを置いている(同法16条ないし18条)など,通常の私法上の法律行為と異なった要式を要求し,かつ特別の効力を付与している。このことに照らすと,書面により,同法14条の定める内容に関して労働協約の成立要件を具備する合意がなされた場合には,特段の事情が認められない限り,当該書面に記載された合意の全体を内容とする労働協約が成立したものと解すべきであり,その一部について,労働協約の当事者以外の者を当事者とする私法上の合意が併存すると解釈することには慎重でなければならないというべきである。

(2)  これを本件についてみると,前記前提事実で認定したとおり,本件協定書は「協定書」と題する書面に記載され,当該書面には会社と組合とが記名捺印しているものであるところ,本件協定書は,第1に会社は解雇予告通知を撤回し,原告は会社を退職すること,第2に会社は清算解散し,新たに新会社を設立するが,その際には原告を雇用すること,第3に新会社を設立するまでの間,会社は原告に対して給与相当額の金員や一時金の支払いをすること,第4に会社は原告に退職金を支払うこと,第5に会社は,新会社設立以降,組合員の身分等において変更がある場合等には事前に組合と協議し,同意を得てから行うことなどを主要な内容としており,その内容は,いずれも原告と会社との間の個別的労働関係又は団体的労使関係に関するものであることに加え,その前文には「合資会社a自動車(以下会社)と三多摩合同労働組合(以下組合)は会社の廃業問題と組合員X(以下X組合員)の解雇問題について本日以下のとおり合意に達した」と記載され,会社と組合を当事者として合意されたことが明示されていることに照らすと,本件協定書は,まさに,会社と組合との間の労働協約であるというほかはなく,これとは別に原告と被告との間の私法上の合意が併存すると見ることはできない。

また,前記で認定した本件協定書が作成された経緯からしても,原告は会社と団体交渉を行うために組合に加入し,原告が組合に加入した後,本件協定書の内容と同一の内容を議題とする団体交渉の申入れが会社になされ,この申し入れに基づく団体交渉が組合と会社との間で実施され,交渉が重ねられ,その結果本件協定書の作成に至ったものであることが認められ,その間,交渉を行った者の間に,本件協定書に原告と個人としての被告との間の私法上の合意が併存することになる旨の認識が存在していたことを認めるに足りる証拠はないことからすると,本件協定書は,労働協約の定立に向けて行われてきた行為が書面に結実したものであるというべきであり,さらに,本件協定書が作成された後の状況を見ても,被告において,原告を雇用する義務が被告個人に存することを肯定したと窺える事情は認められない。

以上のとおりであるから,本件協定書は,労働協約として作成されたものであって,原告及び被告を当事者とする契約としても,組合を原告の代理人とする被告及び会社との契約としても,あるいは原告を第三者とする組合と被告及び会社との第三者のためにする契約としても,原告及び被告に効力の及ぶ私法上の合意を定めた書面として作成されたと解することはできない。

(3)  原告の主張について

ア 原告は,解散する会社が新会社を設立するということは法的に不可能なことであるから,この規定で新会社を設立するのは,被告個人であり,被告が新会社を設立し,原告を雇用することを約したものと解すべきであり,この部分は私法的な合意であると主張する。

しかしながら,そもそも存続中の合資会社が何らかの形で新会社を設立すること自体は法的に不可能ではないと解されるところ,本件協定書の第2項は,会社が解散を予定しながら,存続中に別途新会社を設立することを規定したものと解しうるのであるから,この部分が法的に直ちに不可能となるわけではない。

また,労働協約の内容は,「労働条件その他に関する協定」であれば足り,会社が,従前雇用していた者を新たに設立する予定の会社において雇用する場合に,新会社における労使関係に関して方針を定めることも労働協約の内容として許されないものではないと解されるから,そのような内容の条項があったとしても,その部分を当然に労働協約とは別の私法上の合意であると解釈すべきことにはならない。しかるところ,本件協定書の第2項が「会社は・・・新会社を設立するが,その際には原告を雇用する」旨規定しているのは,会社と組合との間で,会社又は清算中の会社が将来とるべき行動についての方針を定めたものと解釈することができるのであるから,当該部分を私法的な合意であると解釈しなければならないとまでいうことはできない。

イ 原告は,本件協定書では,「新会社を設立する」と規定されているが,本件協定書締結までの過程では,被告が法人を設立するか個人で営業するかのどちらかの方法で事業を継続することとされていたものであるから,本件協定書はそのように解釈されるべきであると主張する。

この点,第3,1(10)及び(11)で認定したところによれば,被告は,本件協定書の作成過程において,今後の営業の形態について必ずしも会社組織にすることに限定していたものではないこと,組合も,本件協定書作成までにそのことを十分認識していたことが窺われる。

それにもかかわらず,本件協定書上,被告が個人の形態において今後の営業をすることを予定した文言はないこと,本件協定書第11項において,「本協定に記載されている事項以外に会社,組合,原告は相互にいかなる債権債務もないことを確認する」旨の条項が設けられていることに照らすと,本件協定書による合意において,被告が個人として営業を継続する場合を含めた合意がなされていると解することはできない。

ウ 原告は,新会社の設立(ないし個人としての営業継続)の責任を負うのは,被告自身であることを前提に,本件協定書における被告の会社代表者としての記名押印は,会社代表者としての面と被告個人としての両面があるものと解すべきであると主張する。

しかしながら,本件協定書上,被告が個人として新会社の設立等の責任を負うべきことを明示する文言はないこと,また,上記のとおり,本件協定書第2項において「新会社を設立する」とする部分は,会社としての方針を示したものであると解することができることからすると,本件協定書による合意において,新会社の設立等につき被告が個人として責任を負っていることが合意されているということはできず,原告の主張はその前提において失当というべきである。

エ 原告は,本件協定書は,会社と組合が調印しているが,会社は解散することを定めているから,労使間の協定として意味合いは薄く,むしろ原告の雇用を約することに主眼があったというべきであり,本件協定内容のように本来労働協約の対象事項ではない事項について協定する場合に,組合員個人が調印するのは,原告個人としても協定の合意内容について当事者として調印する意味を有するというべきであると主張する。

しかしながら,会社が解散することを予定しているとしても,合資会社は,解散しても清算の目的の範囲内ではなお存続するものとされ,清算人は債務の弁済をすることができるのであるから(商法147条,116条,124条),会社として組合と労働協約を締結することが意味のないことではないこと,また,本件協定書は,その前文で,会社と組合とが合意をしたことを明示しているから,明らかに労使間の協定をその内容としていると解されるところ,本件協定書に原告の記名捺印がなされていることについては,本件協定書による労働協約が原告の地位を奪う結果となる退職をもその対象としており,退職及び退職金に関する労使間の合意の内容が原告に対して効力を有するため,原告が重要な利害関係人として本件協定書の内容に同意したことに由来すると解することができることからすると,本件協定書に原告の記名捺印があることをもって,原告個人が当事者となる契約が含まれていると解さなければならないものではない。

オ 以上のとおりであるから,本件協定書の中には原告と被告との間における私法的な合意が含まれているとする原告の主張は採用できない。

3  本件協定書の解約の有効性について

(1)  第3,1(16)で認定したところによれば,本件協定書に基づく労働協約は,本件解約通知により,平成10年10月28日をもってその効力を失っていると解すべきである。また,本件協定書は原告が会社を退職することを前提としている以上,本件協定書に基づく労働協約の内容が,原告と会社との間の個別労働契約の内容として効力を持続すると解する余地はない。

(2)  この点,原告は,本件協定書は,原告の雇用確保及び収入補償という原告と組合の要求を基本的に被告が受入れて成立したものであること,本件協定書には私法上の契約としての性格もあることなどから,労働組合法15条に基づきこれを破棄をすることを予定したものではないと主張する。

そこで検討するに,本件協定書第2項は,会社は概ね4か月の間に新会社を設立し,新会社での原告の雇用が開始されることを予定し,その間,原告は労務を提供せずに従前の賃金に相当する金額の支払を補償されるという内容であるところ,新会社の設立がされない期間が長期化した場合,原告においてなんら就労の事実がないにもかかわらず会社が長期間にわたって上記の補償を継続しなければならないとすることに合理性があるとは認め難いことに照らすと,会社が,本件協定書が成立してから約1年後の時点をもって本件協定書に基づく労働協約を解約したとしても,これをもって直ちに解約権の濫用ということはできないというべきである。また,本件協定書に私法上の契約としての性格があるとは認められないことは前記2で判断したとおりである。

よって,原告の上記主張は採用できない。

4  被告の責任について

(1)  前記前提事実によれば,被告は,合資会社である会社の代表社員にして無限責任社員であるところ,無限責任社員は,会社財産を以て会社の債務を完済することができないときはその弁済の責任に任じ(商法147条,80条1項),この責任は,解散の登記がなされたとしてもその5年以内に請求等があれば消滅せず(商法147条,145条1項),清算結了の登記がなされたとしてもそれ自体により無限責任社員が上記の責任を免れることはない。

(2)  会社には,原告が支払を求めた第2(1)ないし(3)記載の各金員のうち,本件協定書が失効する平成10年10月28日以前に支払義務が発生した不利益分の補償31万2642円(但し,平成10年8月26日から同年10月25日まで(平成10年9月分及び同年10月分)は月額14万0788円で28万1576円となり,平成10年10月26日から同月28日まで(平成10年11月分の一部)は月額32万1019円で3万1066円(321,019/31×3=31,066)となる。)を,原告に対して支払うべき義務の存することが認められる。

しかしながら,会社は既に解散して清算結了しており,この債務を完済することができないから,被告は,無限責任社員として,原告に対し,弁済の責を負うこととなる。

5  結論

したがって,本件請求は,原告が被告に対し上記31万2642円及びこれに対する弁済期の後である平成11年10月26日から支払済みまで年6分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し,その余は理由がないから棄却することとする。

よって,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 合田智子 裁判官 谷口豊 裁判官 山田直之)

協定書

合資会社a自動車(以下会社)と三多摩合同労働組合(以下組合)は会社の廃業問題と組合員X(以下X組合員)の解雇問題について本日以下のとおり合意に達したので,ここに協定書を3通作成し,各自が所持するものとする。

1,会社は本年10月21日付書面にて明らかにした会社の廃業とX組合員に対する解雇通知を撤回する。X組合員は本年12月4日付で会社を円満退職する。

2,会社は今後会社を清算解散し,新会社を設立するが,その際にはX組合員を雇用する。会社はその間の不利益分を補償する。補償期間は当面4か月とし毎月136,445円を支払い,その間に新会社を設立することとする。新会社がそれまでに設立出来ない場合は,設立まで雇用保険をX組合員が受給している期間については毎月136,445円を支払い,雇用保険受給期間が切れた以降は毎月321,019円を会社設立時まで支払う。新会社における賃金労働条件はこれまでの水準を下回らないものとし,有給休暇については雇用が継続されたことと同じ扱いとする。

なお,136,445円は雇用保険受給額によっては変動するものとし,基本的に不利益分の補償はX組合員が受け取る金額が321,019円に充るまでの金額である。

3,会社は本問題(廃業並びに解雇)の発生に至る経緯を充分にX組合員を含む従業員に事態の直前まで説明せず,社屋立ち退きの経緯等についての説明も極めて不誠実な対応をしたことによってX組合員に不信感を抱かせたことについて謝罪し,今後は新会社にあっては円満な労使関係の改善に努めると共に事業発展に向けて全力を尽くすことを約束する。

4,本問題の解決に当たって,会社はX組合員に退職金として4,000,000円を支払うこととする。ただし,この退職金額には多摩TKC企業保険から支給される退職金1,779,540円を含む。

5,本年度冬期一時金は所定内賃金の2か月分+20万円とし,総額843,460円とする。

なお所定内賃金は以下の総計に本年度昇給分2%を加算し,10円以下は四捨五入したものである。基本給233,000円,家族手当19,000円,物価手当28,500円,住宅手当12,000円,販売手当5,000円,資格手当5,000円,皆勤手当5,000円,出勤手当7,920円(18日分とする)

6,会社は11月26日から12月3日までの賃金については平均賃金の8日分を支払う。

なお,8日分の計算は9,10,11月賃金の総計を91(暦日数)で除し,8を乗じたものである。

7,会社は新会社を夏期一時金支給時(98年7月15日)までに設立できない時は夏期一時金として,第5項計算の所定内賃金の2か月分を支払う。ただし,新会社の設立が同一時金支給時以前の際には改めて組合と協議し,支給するものとする。

8,会社は新会社設立以降組合員の身分,職種,配転等において変更がある場合及び会社の解散・倒産など重要な事項の変更の際は事前に組合と協議し,同意を得てから行うこととする。

9,会社は日本国憲法を遵守し,労働基準法,労働組合法,労働安全衛生法等の労働諸法を守ることとする。

10,会社は第2項にあっては4か月分を一括し,第4,5,6項の支払いと期日を同じくする。また,第2項の金額は会社設立が本協定書締結から4か月以前になされた際にも,X組合員は会社に対して返済義務を負わないものとする。支払い方法はX組合員が指定する銀行口座に本年12月15日までに支払う。ただし,この支払い金額には第4項の多摩TKC企業保険から払われる金額は含まない。

11,本問題(廃業並びに解雇)の解決に当たって,本協定に記載されている事項以外に会社,組合,X組合員は相互にいかなる債権債務もないことを確認する。

と同時に本締結をもって争いが全て解決したものとする。

以上

1997年12月3日

立川市<以下省略>

合資会社 a自動車 社長 Y

立川市<以下省略>

三多摩合同労働組合 執行委員長 A

日野市<以下省略>

組合員 X

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例