東京地方裁判所八王子支部 平成13年(ワ)1742号 判決 2003年12月10日
原告(兼亡原告A野太郎訴訟承継人)
A野花子
原告訴訟代理人弁護士
清水建夫
戸舘正憲
杉浦ひとみ
田中省二
被告
株式会社 B山
同代表者代表取締役
B山松夫
他2名
被告三名訴訟代理人弁護士
齋喜要
主文
一 被告らは、原告に対し、連帯して四五二九万三五〇六円及びこれに対する平成一二年三月二四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、これを二分し、その一を原告の負担とし、その余は被告らの負担とする。
四 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
被告らは、原告に対し、連帯して九〇五五万五二八六円及びこれに対する平成一二年三月二四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、原告(兼亡原告A野太郎訴訟承継人)が、被告株式会社B山(以下「被告会社」という。)の従業員で、原告の子であったA野一郎(以下「一郎」という。)が、平成一二年三月二四日、被告会社事業所内に設置された業務用の連続式大型自動洗濯・乾燥機(以下「本件機械」という。)内での事故により頭蓋内損傷等の傷害を負って同月二八日死亡したのは、被告会社の代表取締役である被告B山松夫(以下「被告B山」という。)及び被告C川竹夫(以下「被告C川」という。)が一郎に対する安全配慮義務に違反したことによるものであると主張して、同被告らに対しては、民法七〇九条に基づき、被告会社に対しては、商法二六一条三項、同法七八条二項、民法四四条一項に基づき、また、本件機械は土地の工作物に当たるところその設置に瑕疵があったとして、本件機械の占有者兼所有者である被告会社に対し、民法七一七条一項に基づき、損害賠償を求めている事案である。
第三当事者の主張
一 請求の原因
(1) 当事者
ア 被告会社は、介護用品等の販売や賃貸、リネン・サプライ業の経営等を業とする株式会社であり、《住所省略》に稲城事業所を開設している。稲城事業所は、主としておむつ専門のクリーニング工場である。
イ 被告B山及び被告C川は、いずれも被告会社の代表取締役であり、平成一二年三月二四日当時、被告B山が社長、被告C川が副社長であった。
ウ 一郎(昭和三二年五月一九日生まれ)は、先天的に障害等級二級程度の知的障害を有していたが、障害者手帳は取得していなかった。
一郎は、被告会社に雇用され、稲城事業所に勤務していたが、平成一二年三月二四日、勤務中に、後述の事故により頭蓋内損傷等の傷害を負い、同月二八日死亡した。
エ 一郎の相続人は、父であるA野太郎(以下「太郎」という。)及び母である原告の二名であったところ、太郎は本訴提起後の平成一三年一二月二三日に死亡した。
太郎の相続人は、原告、A野二郎、C田一江の三名であったところ、平成一四年一一月一〇日、原告が太郎の被告らに対する本件損害賠償請求権を相続する旨の遺産分割協議が成立した。
(2) 事故の発生
ア 本件機械は、①汚れた洗濯物の投入、②水・洗剤等の投入、③洗濯、④乾燥、⑤洗濯物のほぐし、⑥洗濯物の二階レシーバーへの吸い上げ、⑦各工程間の洗濯物の移動を自動的に行う大型かつ複雑な機械である。
イ 一郎は、本件機械の操作を担当していたが、平成一二年三月二四日午前一〇時五〇分ころ、稲城事業所内に設置された本件機械のうち、シェーカー(洗濯物を回転させながらほぐす作業を行う直径一m六〇cmの大型回転機械)のエアーシューター(ほぐされた洗濯物を風圧を利用して二階に設置された洗濯物受け[レシーバー]まで吸い上げる機械)に接続された部分に洗濯物(おむつ)が詰まり、シェーカーが回転を停止してしまったので、傾斜コンベヤー両側に設置された板囲いの切り込みから傾斜コンベヤーに上がり、それをつたって、シェーカー内に入り、詰まった洗濯物を取り除いたところ、シェーカーが自動的に回転を再開してしまったため、一郎はシェーカー内で回転してしまい、頭蓋内損傷、左第五、第六肋骨骨折、左肩甲骨骨折の傷害を負った(以下「本件事故」という。)。
ウ 一郎は、上記頭蓋内損傷を直接の原因として、同月二八日死亡した。
(3) 被告らの安全配慮義務違反
被告B山及び被告C川は、被告会社の代表者として、被告会社の従業員である一郎に対し、一郎が本件機械を操作するに際してその生命・身体に危険を生じさせないよう安全に配慮し、必要な措置を講ずべき義務を負っていたにもかかわらず、以下のとおり、上記義務を怠り本件事故を発生させた。
被告会社には、一郎を含め知的障害を有する従業員が多数働いていたのであり、被告B山及び被告C川には、従業員である障害者の作業の安全により一層配慮すべき義務が課されていたことからすれば、同被告らの安全配慮義務違反の程度は甚だしい。
したがって、被告B山及び被告C川は、民法七〇九条に基づき、一郎に対する安全配慮義務違反の不法行為責任を負い、被告会社は、商法二六一条三項、同法七八条二項、民法四四条一項に基づき、被告会社の代表取締役である被告B山及び被告C川の上記不法行為につき責任を負う。
ア 安全衛生管理体制の欠落
事業者には事業場における安全衛生を確保するため、各種管理体制の確立が義務づけられているが、被告B山及び被告C川は、上記義務を全く怠っていた。
(ア) 安全管理者選任義務違反
製造業(クリーニング業を含む。)に属する事業場において、常時五〇人以上の労働者を使用する場合には、事業者は安全管理者を選任する義務がある(労働安全衛生法一一条一項、施行令三条)。そして、安全管理者に対し、労働安全衛生法一〇条一項各号に規定する安全衛生業務のうち、安全にかかる技術的事項を管理させることを事業者に義務付けている。すなわち、作業場等を巡視し、設備、作業方法等に危険のおそれがあるときは、直ちに、その危険を防止するため必要な措置を講じなければならない(労働安全衛生規則第六条一項)。
稲城事業所では、常時五〇人以上の労働者を使用していたのであるから、安全管理者の選任義務があったにもかかわらず、被告B山及び被告C川は、上記義務を怠っていた。
なお、立川簡易裁判所により、上記義務違反について、被告会社を罰金三〇万円、被告B山を罰金二〇万円に処する旨の略式命令がなされている。
(イ) 衛生管理者選任義務違反
全業種の常時五〇人以上の労働者を使用する事業場においては、衛生管理者を選任する義務がある(労働安全衛生法一二条一項、施行令四条)。そして、衛生管理者に対し、労働安全衛生法一〇条一項各号に規定する安全衛生業務のうち、衛生にかかる技術的事項を管理させることを事業者に義務づけている。
稲城事業所では、常時五〇人以上の労働者を使用していたのであるから、衛生管理者の選任義務があったにもかかわらず、被告B山及び被告C川は、上記義務を怠っていた。
(ウ) 産業医の選任義務違反
全業種の常時五〇人以上の労働者を使用する事業場においては産業医を選任する義務がある(労働安全衛生法一三条、施行令五条)。そして、産業医に対し労働者の健康診断実施、労働者の健康障害の原因の調査と再発防止のための対策の樹立等労働者の健康管理をさせることを事業者に義務づけている。
稲城事業所では、常時五〇人以上の労働者を使用していたのであり、また、一郎を含め知的障害者を労働者として多数使用していたのであるから、産業医を選任する義務があったにもかかわらず、被告B山及び被告C川は、上記義務を怠っていた。
(エ) 稲城事業所では、総括安全衛生管理者の選任義務はないが、事業者である被告B山及び被告C川は、自ら稲城事業所の安全衛生義務を統括管理し、あるいは、事業所の責任者に総括安全衛生管理者と同様の職務を行わせることが必要であった。
しかし、上記のように、被告B山及び被告C川は、安全管理者、衛生管理者及び産業医の選任義務すら怠っていた。そして、本件機械の設置されたダイアパー部洗い部門(以下「本件作業現場」という。)の責任者である副工場長のD原梅夫(以下「D原副工場長」という。)は、本件事故当時、外出しており不在であった。
以上のように、稲城事業所においては、安全衛生を確保するための管理体制は全く備わっていなかった。本件事故は、このような安全管理体制不備の状況下において、起きるべくして起きたものであるといえる。
(オ) 安全委員会及び衛生委員会の設置義務違反
稲城事業所は、常時一〇〇人以上の労働者を使用する製造業の事業所として、安全委員会の設置義務があり(労働安全衛生法一七条一項、施行令八条)、また、常時五〇人以上の労働者を使用する事業所として衛生委員会の設置義務がある(同法一八条一項、施行令九条)。
しかし、本件事故当時、稲城事業所は安全委員会も衛生委員会も設定していなかったのであるから、被告B山及び被告C川は、上記義務の違反がある。
イ 障害者の労働災害防止のための適正配置義務違反
事業者は、中高年年齢者その他労働災害の防止上その就業に当たって特に配慮を必要とする者については、その心身の条件を十分考慮して適正な配置を行うように努めなければならない(労働安全衛生法六二条)。そして、「その他労働災害の防止上その就業に当たって特に配慮を必要とする者」とは身体障害者等である。
一郎は知的障害を有しており、「援助がなければ労働能力はない」と診断されていた。一郎の操作していた本件機械は労働者の生命・身体に対する危険を発生させるおそれの十分にある機械であり、一郎はわずか半年足らずの操作経験しか有していなかった。また、本件機械の設置された本件作業現場では、洗濯物がシェーカー内エアーシューター吸込口に詰まるトラブルが頻繁に発生していたが、洗濯物を取り除く作業手順は非常に複雑なものであった。
以上のような状況であったにもかかわらず、本件事故当時、一郎は他の知的障害者二名とともに本件機械を操作していた。責任者であるD原副工場長は、本件作業現場を指揮・監督しながら、本件機械を安全に操作し、労働災害の発生を防止すべき立場にあったにもかかわらず、本件事故当時外出しており不在であった。その結果、本件機械の操作は、一郎を含む三名の知的障害者に任せっきりの状況となり、本件機械がトラブルにより停止した場合の適切な対処を心得ている者は誰もいなかった。仮に、本件事故当時、D原副工場長もしくは本件機械の操作に精通した者が本件作業現場に常駐していれば、一郎は、洗濯物が詰まってシェーカーが回転を停止した際、これらの者に指示を仰いだはずである。D原副工場長や機械操作に精通した者が本件作業現場にいなかったため、一郎は、洗濯物を取り除くべくシェーカー内に入ってしまったものと思われる。
ウ 労災危険防止措置を講ずべき義務違反
(ア) 労働者の生命・身体に対して危険の発生するおそれのある機械を設置・使用している事業主には、労働災害の危険を防止するために必要な措置を講ずべき義務がある(労働安全衛生法二〇条一号)。
本件機械は、労働者が誤ってシェーカー内に入り込んでしまうと生命・身体に対して危険が発生するおそれのある機械であったから、被告B山及び被告C川には、一郎がいかなる理由によっても傾斜コンベヤーに上がることのないように、さらに傾斜コンベヤーをつたってシェーカー内に進入することのないように、傾斜コンベヤー両側に設置してあるステンレス板囲いに切り込みを入れない、あるいは、仮に、何らかの理由で切り込みを入れなければならなかったとしても、速やかに切り込みを塞ぐなど、労働災害の危険を防止するための物的環境を整備すべきであった。しかしながら、被告B山及び被告C川は、本件機械を設置する際、メーカーに依頼してステンレス板囲いの一部に切り込みを入れ、その後もこれを放置し続けていた。
一郎は上記切り込み部分から傾斜コンベヤーに上がり、シェーカー内に入り込み、本件事故が発生したのである。被告B山及び被告C川が上記義務を怠らなければ、一郎が切り込み部分から傾斜コンベヤーに上がることはなく、本件事故は避け得た。
なお、被告B山及び被告C川は、本件事故後、労働基準監督署からの指導を受け、傾斜コンベヤーの板囲いの切り込みを塞ぐとともに、ステンレス板に「危険」「乗るな!」、シェーカー外部に「注意回転する」と朱書きされたステッカーを貼るなどの措置を施した。
(イ) 本件事故当時、本件機械は、傾斜コンベヤーのスイッチが停止となっていたにもかかわらず、シェーカー内エアーシューター吸込口に詰まった洗濯物を取り除き、これを傾斜コンベヤーの方に戻すと、戻された洗濯物が傾斜コンベヤーの光センサーに感知され、シェーカーが自動的に再び作動する仕組みとなっていた。
本件事故後、本件機械には、リミットスイッチ(一度停止すると全ての機能が止まる仕組み)が取り付けられたが、本件事故当時にはリミットスイッチは設置されていなかった。
エ 機械に異常が発生したときの労災防止体制、安全衛生教育の欠落
(ア) 被告会社及び本件機械のメーカーの説明
被告会社及び本件機械のメーカーの説明によれば、シェーカー内エアーシューター吸込口で洗濯物が詰まってエアーシューターが緊急停止した場合に安全に運転を再開するための手順は、次のとおりである。
① シェーカー、レシーバー(二階に設置された洗濯物受け装置)、エアーシューター(風圧を発生させる装置)の運転を全自動運転からすべて停止に切り替える。
② シェーカー内エアーシューター吸込口に詰まった洗濯物をシェーカーの外部移送管脇にある点検扉を利用して外側から取り除く。
③ エアーシューターのみ手動スイッチを入れて運転させ、風圧を発生させて点検扉を利用して詰まった洗濯物を手でエアーシューター吸込口に運び込んで吸い込ませる(いったん詰まってしまった洗濯物については、手で直接移送管に入れないと吸い込まない。)。
④ その後、エアーシューターを運転させた状態でシェーカーとレシーバーの手動スイッチも入れて運転させ、シェーカー内に残った洗濯物のすべてを二階のレシーバー内へ移送させる。
⑤ 上記手順を踏んだ後、初めてすべてのスイッチを手動から自動運転に切り替えて、通常どおりの自動運転とする。
(イ) 上記のように、洗濯物が詰まった場合に運転を再開するまでの手順は非常に複雑なものである。
被告会社の説明によれば、本件事故発生直後に確認したところ、本件機械の全自動スイッチは切られておらず、一郎は全自動スイッチを切らないままシェーカー内に入り込んだということであった。すなわち、上記①の手順すら踏んでいなかったのである。
(ウ) 本件機械は、乾燥機四台は町田工場から、それ以外はすべて相模原工場から移設した機械で構成されており、相模原工場から移した機械は、性能も操作方法も町田工場のものとは違っていた。
他方、D原副工場長や一郎ら稲城事業所のダイアパー部洗い部門の四名は全て町田工場から移ってきた者で、相模原工場から移設された機械の取扱いを知らなかった。
しかし、上記四名に対しては、一時間足らずの短時間、本件機械の動かし方についての大まかな説明が口頭でなされたのみで、シェーカー内エアーシューター吸込口に洗濯物が詰まるなどトラブルが発生した時の対処方法や本件機械の仕組み(センサーの仕組み)などについては何ら説明がなされていなかった。また、本件機械の操作手順や注意事項などについて記載された文書が配布されたり、本件作業現場に掲示されることもなかった。稲城事業所では洗濯物が詰まるトラブルが頻繁に発生していたのであり、被告B山及び被告C川は、従業員に対して本件機械の運転の再開手順について、十分に指導・教育を行うべき義務(労働安全衛生法五九条二項)があったにもかかわらず、これを怠った。
なお、被告B山及び被告C川は、本件事故後、労働基準監督署からの指導を受け、洗濯物が詰まった場合に安全に運転を再開するための作業手順について説明した用紙を本件機械に貼り付けた。
(エ) 本件機械には、万が一危険が生じた場合に備えて、緊急停止ボタンが設置されており、緊急時にはそのボタンを押しさえすれば、本件機械の全工程をストップさせることができた。本件事故が発生した際にも、緊急停止ボタンは押されているが、これを押したのは、第一発見者でも第二発見者でもなく、第三発見者であった。第一発見者及び第二発見者は緊急停止ボタンの存在すら知らなかったため、シェーカー内で回転している一郎を発見しても、機械を停めることができず、本件作業現場の隣まで人を呼びに行き、ようやく緊急停止ボタンが押されたのである。
このように、被告B山及び被告C川は、従業員に対し、緊急停止ボタンの存在につき徹底して周知させるという事業主として最低限行うべき安全教育さえも怠っていた。
被告B山及び被告C川が、従業員に対して上記の安全教育を行い、緊急停止ボタンの存在を周知徹底させていたならば、第一発見者が直ちにシェーカーの回転を停め、一郎が致命傷を負うこともなかったはずである。
オ 苛酷な労働条件
一郎の労働時間は午前七時三〇分から午後七時三〇分ころまでであって、休日出勤も多かった。正月休みさえも非常に少なく、一郎の労働条件は過酷なものであった。
過酷な労働条件下にある労働者は、適切な判断を誤るおそれが極めて高く、一郎を過酷な条件の下で労働させていた被告B山及び被告C川の安全配慮義務違反は明らかである。本件においても、過酷な労働条件が一郎の判断を誤らせ、本件事故の発生につながったことを否定できない。
(4) 被告会社の土地工作物責任
ア 被告会社は、「土地の工作物」である本件機械を傾斜コンベヤー両側に設置されたステンレス板囲いに切り込みを入れた状態で使用していた。
傾斜コンベヤーは、洗濯物を乾燥機からシェーカー内へ移送するためのものであり、コンベヤーの両側には洗濯物落下防止及び進入防止のためのステンレス板囲いが設置してあった。しかし、被告会社は本件機械を設置する際に、ステンレス板囲いの一部に切り込みを入れ、作業員が進入可能な状態にしていたのであり、「設置の瑕疵」があったことは明らかである。
本件機械に上記の瑕疵がなければ、一郎が切り込み部分から傾斜コンベヤーに上がり、さらにシェーカー内に入ることもなく、本件事故は発生しなかったものといえるから、本件事故と上記瑕疵との間に因果関係があることは明らかである。
イ 本件事故当時、本件機械は、傾斜コンベヤーのスイッチが停止となっていたにもかかわらず、シェーカー内エアーシューター吸込口に詰まった洗濯物を取り、これを傾斜コンベヤーの方に戻すと、戻された洗濯物が傾斜コンベヤーの光センサーに感知され、シェーカーが自動的に再運転する仕組みとなっていた。
本件事故後、本件機械には、リミットスイッチが取り付けられたが、本件事故当時にはリミットスイッチはなく、本件機械には、傾斜コンベヤーのスイッチを停止にしていても、傾斜コンベヤーの光センサーが反応し、シェーカーが自動的に再運転してしまうという設置の瑕疵があった。
ウ よって、本件機械の占有者兼所有者である被告会社は、民法七一七条一項に基づき土地工作物責任を負う。
(5) 損害
ア 逸失利益 五〇九四万六〇〇八円
(ア) 得べかりし収入 五八一九万三〇〇八円
一郎は、本件事故当時四二歳であったが、逸失利益の算定に当たって基礎とすべき一郎の年収額は、賃金センサス平成一〇年第一巻第一表産業計四〇歳から四四歳の平均年収額である五八九万八五〇〇円とすべきである。
一郎は、本件事故当時、両親を扶養する一家の支柱であったから、逸失利益の算定に当たって、生活費控除率は三〇パーセントとすべきである。
一郎の就労可能年齢を六七歳とすると、労働能力喪失期間は二五年間となる。ライプニッツ方式により中間利息を控除すると(二五年に対するライプニッツ係数は一四・〇九三九である。)、一郎の得べかりし収入は合計五八一九万三〇〇八円となる。
(計算式)
5,898,500円×(1-0.3)×14.0939=58,193,008
(イ) 損益相殺 七二四万七〇〇〇円
労災保険から、遺族補償年金前払一時金として七二四万七〇〇〇円が支給された。
イ 慰謝料 三〇〇〇万円
(ア) 一郎は、「さくら会」の発起人であり、知的障害者の中心メンバーの一員であって、他の知的障害者から期待されていた。一郎は知的障害者の社会的自立を目指し生きる意欲に満ちあふれていた。
「さくら会」とは、知的障害者の社会的自立を目指す本人活動の会である。一郎は知的障害を有していたが、以前から知的障害のことを世の中の人に理解してもらおうと自ら編集委員長をして「元気の出る本」を出版したり、色々な社会活動を行っていた。そして、平成二年にパリで開催された知的障害者による世界会議に参加したことがきっかけとなって、平成四年に自らが中心となって「さくら会」を立ち上げた。
一郎は、自分の職場環境を含め知的障害者のおかれている現状を世の中に問うとともに、知的障害者が一人でも自立した社会生活が営めるように願い、自らが中心となって様々な活動を行っていた。一郎自身も一日も早く自立し、結婚して幸せな家庭を築くことを夢見て生きる希望にあふれていた。
本件事故はこのような一郎の生きる希望を無惨にもうち砕いてしまった。本件事故により一郎が被った精神的苦痛は計り知れない。
(イ) 本件事故当時、一郎の父である太郎は七〇歳で心臓疾患による身体障害一級であった。太郎は、もともと、警備の仕事をしていたが、立ち仕事による疲労が原因となって平成四年ころから心臓疾患を患い、以後、入退院を繰り返すことになり、就労が不可能となった。平成五年には心臓にペースメーカーを入れる手術を行い、身体障害一級と認定され、平成七年以降は心疾患が悪化し、以後入院生活が続くことになった。太郎の年金収入は、すべて入院費に充てられていた。
一郎の母である原告は、本件事故当時、六三歳であり、無職であった。原告は、もともと、糖尿病を患っており、定期的にインシュリンの注射を欠かせない状態であり、昭和六〇年には両眼の手術を受けた。そのため、以前はパートで働いていた時期もあったが、平成四年ころからは、就労が不可能となった。
以上のように、太郎及び原告は、その生活をもっぱら一郎の収入に頼っており、精神的にも、経済的にも一郎は一家の支柱であった。本件事故により一郎を失った太郎及び原告の精神的苦痛は計り知れない。
(ウ) 一郎本人の慰謝料並びに太郎及び原告固有の慰謝料の合計額は三〇〇〇万円を下らない。
ウ 葬儀費用 各八〇万四六三九円
(ア) 費用 二一三万一六八九円
一郎の葬儀に要した費用は合計二一三万一六八九円であり、太郎及び原告が半分ずつ負担した。
(イ) 損益相殺 五二万二四一〇円
労災保険から、一時金として葬祭料五二万二四一〇円が支給されており、これを控除すると、太郎及び原告それぞれの負担額は八〇万四六三九円(円未満切り捨て)である。
エ 弁護士費用 各四〇〇万円
太郎及び原告は本訴の提起・遂行を原告訴訟代理人らに委任したが、太郎及び原告が負担する弁護士費用は各四〇〇万円を下らない。
オ 相続
太郎及び原告は、一郎の被告らに対する損害賠償請求権をそれぞれ二分の一の割合で相続し、次いで、原告は、太郎の被告らに対する損害賠償請求権を相続した。
カ 合計 九〇五五万五二八六円
したがって、原告は、被告らに対し、合計九〇五五万五二八六円の損害賠償請求権を有する。
(6) よって、原告は、被告B山及び被告C川に対しては民法七〇九条による損害賠償請求権に基づき、被告会社に対しては商法二六一条三項、同法七八条二項、民法四四条一項による損害賠償請求権、あるいは、民法七一七条一項による損害賠償請求権に基づき、連帯して、九〇五五万五二八六円及びこれに対する本件事故日である平成一二年三月二四日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求の原因に対する認否
(1) 請求の原因(1)のア及びイは認める。
ウのうち、一郎が先天的に障害等級二級程度の知的障害を有していたとの点は不知であり、その余は認める。
エは不知である。
(2) 同(2)のアは、本件機械が複雑な機械であるとの点を除き認める。
イのうち、本件事故の発生日時及び発生場所は認め、その余は不知である。本件事故の具体的状況及びその原因は不明である。
ウは認める。
(3) 同(3)は、一般論として、被告らが一郎に対し、安全配慮義務を負うことは認め、その余の原告の主張は否認ないし争う。原告が主張する安全管理者選任義務違反、衛生管理者選任義務違反、産業医選任義務違反と本件事故の発生との間には相当因果関係はない。
ア 安全衛生管理体制の欠落について
(ア)は認める。
被告会社は、もともと、町田と相模原の二か所に事業所を有していたが、相模原事業所を平成一一年九月に稲城に移転し、その後、同年一〇月に町田事業所も稲城に移転した(なお、町田事業所の移転が完了したのは、本件事故後である平成一二年四月である。)。町田及び相模原の事業所とも、稲城に移転する前の従業員数は五〇名に満たなかったので、安全管理者の選任は不要であったが、両事業所が稲城に移転した結果、稲城事業所の従業員数は五〇名を超え安全管理者の選任が必要となった。
被告らは、安全管理者の選任手続をすべきことになったが、移転に伴う事業所内の整備、年末年始、その他諸般の事情から手続が遅れており、この手続をとろうとした矢先に本件事故が発生してしまったのである。
したがって、被告らに故意若しくはこれに類するような悪質な懈怠はなかった。
(イ)は認める。
ただし、被告らに故意若しくはこれに類するような悪質な懈怠はなかったことは上記のとおりである。
(ウ)のうち、稲城事業所において、一郎を含め知的障害者を労働者として多数使用していたとの点は争い、その余は認める。
ただし、被告らに故意若しくはこれに類するような悪質な懈怠はなかったことは上記のとおりである。
(エ)及び(オ)は否認ないし争う。
イ 適正配置義務違反について
否認ないし争う。
一郎は、昭和五七年四月に被告会社に入社し、それ以降、洗濯部門を担当していたが、本件事故当時は、洗濯主任の地位にあり、二名のダイアパー部洗い部門の部下を指導するなど、洗濯乾燥機の操作については最も熟練していた。その熟練度は、ダイアパー部の責任者であるD原副工場長よりも上であった。
一郎は日常生活を一人で支障なく行っており、また、洗濯乾燥機を使いこなし、援助がなくとも仕事を処理していた。
ウ 労災危険防止措置を講ずべき義務違反について
傾斜コンベヤー両側に設置してあるステンレス板囲いに切り込みが入っていたこと、リミットスイッチが設置されていなかったことは認め、その余は否認ないし争う。
切り込みは、半乾きの状態の洗濯物を容易に取り出すために必要なものであって、これがない場合には、高さ約一メートルのステンレスの囲いを超えて、体を乗り出して作業せざるを得ないことになり、かえって、作業者にとって危険であるか、多くの労力を費やすことになる。
また、本件事故当時、本件機械に、傾斜コンベヤーが停止中であるにもかかわらず、シェーカーが自動的に再運転を始めるという瑕疵があることは、被告らはもちろんのこと、本件機械のメーカーですら、全く知らなかった。
エ 労災防止体制、安全衛生教育の欠落について
(ア)は認める。
(イ)ないし(エ)は否認ないし争う。
オ 過酷な労働条件について
否認ないし争う。
(4) 同(4)は否認ないし争う。
本件機械に、原告が主張するイの瑕疵が存在することは認めるが、被告に上記瑕疵について責任はない。
また、仮に、原告の主張する各点が本件機械の瑕疵に当たるとしても、本件事故は、一郎がシェーカー内に進入したことにより発生したものであるから、本件事故との間に相当因果関係がない。
(5) 同(5)は原告及び太郎が労災保険から遺族補償年金前払一時金として七二四万七〇〇〇円、葬祭料として五二万二四一〇円の支払を受けたことは認め、原告による一郎及び太郎の相続は不知であり、その余は否認ないし争う。
三 被告らの主張
(1) 本件事故の発生状況
本件事故の発生状況は明らかではないが、一郎が乾燥機のタイマーの設定を誤ったため(大人の洗濯物は三〇分、子供の洗濯物は三分に設定すべきところ、大人分についても三分に設定してしまったものと推測される。)、大人の洗濯物が濡れたまま傾斜コンベヤーに乗って運ばれ、シェーカー内で詰まってしまい、エアーシューターが停止した。その際、本来であれば、一人で対応せず、すぐ傍らにいた工場長のE田春夫(以下「E田工場長」という。)か、あるいは、工場内事務所にいた稲城事業所長のA川夏夫(以下「A川所長」という。)に連絡し対処すべきであったところ、一郎は、責任感からか、これを怠り、自ら誤って切り込み部分から傾斜コンベヤーに上り、エアーシューター内に入り、詰まった洗濯物を引っ張り出した上、シェーカー入口の傾斜コンベヤーに向けて戻したところ、これが光センサーに感知され、シェーカーが動き出してしまったために起きたものと推測される。
(2) 本件事故の発生原因
本件事故の発生状況が上記のようなものであったとすれば、本件事故は、以下に述べる本件機械の瑕疵と一郎の単独行動とが競合した結果発生したものであるといえる。
ア 本件機械の瑕疵
本件事故当時、傾斜コンベヤーのスイッチは停止になっていたにもかかわらず、シェーカー内から傾斜コンベヤー方向に洗濯物を戻した際、これが光センサーに感知され、停止していたシェーカーが自動的に再運転を始めた。本件事故は、停止していたシェーカーが自動的に再運転を始めるという瑕疵が原因となって発生したものであるが、本件機械に上記瑕疵があることは、被告らはもちろんのこと、本件機械のメーカーですら、全く知らなかった。
よって、被告らにおいて、本件事故の発生を予見することは不可能であったから、本件事故の発生について過失はない。
なお、本件事故後、労働基準監督署から、シェーカー内に容易に進入することができないように覆い等を設置するか、傾斜コンベヤー停止時にシェーカーが起動しないような構造とすること、覆い等を設置した場合は、覆いにリミットスイッチ等を取り付けるなどの方法により、機械修理によりやむを得ず覆いをはずして内部に進入するときに、不意にシェーカーが起動することがないようにする措置を講ずるよう行政指導を受けた。被告会社は、上記指導に基づき、本件機械にリミットスイッチ(一度停止すると全ての機能が止まる仕組み)を取り付けた。
イ 一郎による単独行動
(ア) 一郎が担当していた業務の内容等
本件機械の操作手順は、汚れた洗濯物をベルトコンベヤーに乗せ、スイッチを押してベルトコンベヤーを作動させ、洗濯、脱水、乾燥等は自動的になされるシステムになっているものであるが、一郎の担当は、洗濯物がスムーズに流れるように見ていて、流れが滞ったときに上司であるD原副工場長、E田工場長、あるいはA川所長に連絡する役割であった。
以上のとおり、本件機械の操作は単純であり、一郎の担当する仕事内容も、理解できないような複雑なものではなかった。
そして、D原副工場長、E田工場長及びA川所長は、一郎に対し、日頃から、洗濯物の流れが滞ったり、詰まったりしたときは一人で処理せずに直ちに上司らに連絡するようにと指導していた。
実際、本件事故以前は、洗濯物の流れが滞ったり、洗濯物が詰まったりした場合には、その都度、一郎は、上記指導どおり、一人で処理せずに上司らに連絡して対処していた。
(イ) 本件事故時の単独行動
しかし、一郎は、本件事故当時、D原副工場長は不在であったが、すぐ傍らにはE田工場長がおり、工場内事務所にはA川所長がいたのであるから、これら上司に連絡をすることは可能であったにもかかわらず、上記の指導に反して上司に連絡せず、かつ、シェーカーの外側移送管脇にある点検扉を利用して外側から詰まった洗濯物を取り除くべきであるのにこれをせず、一人でシェーカー内に入るという単独行動をとったため、本件事故が発生したのである。
被告らが、一郎が上記のような単独行動に出ることを予見することは不可能であるから、本件事故の発生について過失はない。
(3) 過失相殺について
仮に、被告らに本件事故の発生について何らかの過失があったとしても、一郎が十分な作業能力を有していたこと及び上記(2)の事情等に照らせば、一郎には、本件事故の発生について重大な過失があったことは明らかであり、一郎の過失割合は九割を下らない。
(4) 損害額の算定について
仮に、被告らが原告に対し損害賠償責任を負うとしても、その賠償額の算定に当たっては、以下の原告が本件事故により受給した保険給付及び将来受給することになる保険給付を控除すべきである。そして、控除すべきでないとしても、これを総合的に考慮して損害額を算定すべきである。
労災保険による遺族特別支給金 三〇〇万円
労災保険による遺族補償年金前払一時金 七二四万七〇〇〇円
労災保険による葬祭料 五二万二四一〇円
労災保険による遺族補償年金 一四九万九五〇〇円
労災保険による遺族特別年金 一万二一〇〇円
厚生年金基金からの遺族一時金 三六万〇五〇〇円
原告が将来受給する保険給付(二〇年間分) 一九三三万円
(原告は、今後、受給資格を有する限り、労災保険から年間九六万六五〇〇円の年金を受給することになる。受給資格を有する期間を二〇年間と仮定すれば、総額一九三三万円を受給する計算となる。)
第四当裁判所の判断
一 《証拠省略》によれば、以下の事実が認められる。
(1) 被告会社の概要
ア 被告会社は、被告B山が、昭和三八年にリネンサプライサービスを目的として設立した有限会社B山を、昭和四八年に組織変更して設立した、リネンサプライ業の経営、介護用品等の販売や賃貸、コンビニエンスストアーの経営等を業とする資本金一〇〇〇万円の株式会社である。
平成一二年当時の被告会社の年間売上高は八億円くらいであり、その売上の六、七割をおむつやタオルのリース部門が、二割を洗濯部門がそれぞれ占めていた。
被告会社の行うリネンサプライ事業の内容は、病院、福祉施設、ホテルなどへのシーツ、タオル、おむつ等のリースであり、シーツ、タオル、おむつ等のリース品の洗濯も自社工場で行う。
被告会社は、本社を被告会社の肩書住所地に置き、本社近くに介護用品等の販売を行う店舗及びコンビニエンスストアーをそれぞれ一店舗開設するほかは、稲城市内に稲城事業所・工場を設置している。
イ 被告会社は、昭和四五年に町田市内に町田事業所・工場(以下「町田工場」という。)を、平成三年には相模原市内に相模原事業所・工場(以下「相模原工場」という。)を開設し、それぞれの工場で、リネン類の洗濯業務を行っていたが、道路拡幅工事に伴い町田工場を移転する必要が生じたため、平成一一年八月、稲城事業所・工場を開設し、ここに相模原工場及び町田工場を順次移転し、洗濯業務部門を統合した。
相模原工場が平成一一年八月に廃止・移転され、稲城工場は、同年九月二日、リネン業務の稼働を開始し、同年一〇月には町田工場も廃止・移転され、同月四日からは稲城工場において、ダイアパー業務も開始された。
平成一一年一一月当時の稲城事業所・工場の従業員数は一一〇名(正社員が一八名、パート社員が九二名)であり、このうち、障害者は一六名(聴覚障害者が二名、知的障害者が一四名)であった。
ウ 被告B山は、被告会社の創設者であり、本件事故当時は代表取締役社長の地位にあった(現在は、代表取締役会長の地位にある。)。
被告C川は、平成七年に被告会社の代表取締役に就任し、本件事故当時は代表取締役副社長の地位にあった(現在は代表取締役社長の地位にある。)。
被告B山は、本件事故当時、被告会社の社長として、被告会社の業務全般を統括管理する立場にあったが、日本ダイアパー事業振興会の理事に就任するなど対外的な仕事が多く、日常業務は、被告C川が被告B山を補佐して行っていた。被告会社の日常業務の処理は被告C川が行っていたが、重要事項については、役員会で協議した上で被告B山が最終的に決定していた。
被告C川は、本件事故当時、本社に所属し、副社長として経理、営業、総務等を担当していたが、副社長として、被告会社全体を把握するため、稲城事業所・工場の視察、管理等も行っていた。
(2) 一郎の経歴等
ア 一郎(昭和三二年五月一九日生)は、出生直後から発達の遅滞が認められたが、小学校入学後、知能の発達の遅れを指摘され、昭和四三年四月(小学校五年生時)、B野小学校の特殊学級に入級した。特殊学級入級時の知能検査では、一郎の知能指数(IQ)は五〇程度であった。
当時、調布市では、知能検査、発達検査、脳波検査、運動機能検査を行った上で、小児科医師による医学診断、心理学者による心理診断を受け、知的障害児と診断された場合に、特殊学級への入級が認められていた。一郎も、昭和四二年に、慶応大学付属病院小児科で診察を受けたところ、「精神薄弱」との診断を受けた。
なお、一郎は、昭和四二年以降昭和四五年まで、同病院において発達援助指導を受けた。
イ 一郎は、昭和四五年四月、C山中学校に入学し、特殊学級に入級した。その後、昭和四八年三月に同中学を卒業したが、中学三年時の知能検査でも、IQは六〇前後であり、中学三年間を通じて、普通学級への学級替えの対象とはならなかった(C山中学校では、IQが九〇を超えた場合、原則として普通学級に学級替えをしていた。)。
一郎の知的障害の程度は軽度であり、東京都の設けている愛の手帳の交付を受けたとしても、四度(軽度)に区分されることから、手当を受けるなどの実益がなく、愛の手帳の交付は受けていなかった。
ウ 一郎は、昭和四八年四月、当時太郎が勤務していた鉄工所に就職したが、三年ほどで退職した。
その後、中学校の担任であったD川秋夫教諭(以下「D川教諭」という。)の紹介で、昭和五一年四月、被告会社に就職した。
なお、当時、被告会社では、D川教諭が担任する学級を含め特殊学級の生徒の職場実習を広く受け入れており、また、特殊学級の卒業生も複数被告会社に就職していたことから、D川教諭は、被告B山と面識があった。そこで、D川教諭は、就職先として、一郎に被告会社を紹介し、被告B山に対し、C山中学校の特殊学級の卒業生の就職をお願いしたいと一郎を紹介した。一郎が被告会社で面接を受ける際も、D川教諭は一郎に付き添って被告会社の工場まで行っており、被告B山にも会った。
エ 一郎は、障害者手帳の交付や愛の手帳の交付を受けておらず、被告会社においても、自己が知的障害者であることを前提とした申告(税務上の申告等)はしていなかった。
また、一郎を雇用するについて、被告会社が、障害者を雇用したことによる助成金の支給を受けることもなかった。
他方、一郎は、障害者団体の活動に参加しており、被告B山を始めとして被告会社の上司らは、このことを知っていた。
オ 一郎は、D川教諭の勧めで、障害基礎年金の支給を受けるため、平成一〇年四月、石島診療所の石島徳太郎医師の診察を受けたところ、「精神遅滞」との診断を受けた。診察時の医師の所見は、「表情は鈍。問いには積極的に応諾。会話も成立し、疎通性良好である。家族への関心も社会的経済的事柄への関心も表面的ではあるが存在する。しかし、語彙に乏しく、計算、読字、書字能力が著しく劣り、思考力、判断力、諸概念形成力、倫理観の形成面での未成熟性が顕著である。知的障害の存在は明白である。」というものであった。同医師によると、一郎は援助がなければ労働能力はないと判定された。
一郎は、上記診断を受けた後、平成一〇年九月ころから、障害基礎年金の支給を受けるようになったが、このことを被告会社には報告していなかった。
カ 一郎は、被告会社に入社した当初から、町田工場に所属して洗濯作業に従事し、昭和六〇年ころ以降は洗濯主任の地位にあった。町田工場が稲城に移転した後も、稲城事業所・工場のダイアパー部に所属し、洗濯主任として働いていた。
一郎は、ダイアパー部での仕事を繰り返し行っていく中で、経験で仕事を覚え、機械操作にも習熟していった。しかし、指示されたことを忠実にこなすことはできるものの、慣れていないことや予期せぬトラブルが生じた場合に、具体的な状況を踏まえて臨機に応じて判断を下すことは困難であった。
一郎の上司らも、一郎の上記のような労働能力の状況を理解していた。
なお、一郎は、本件事故に至るまでの間、被告会社で作業に従事するについて、労働災害事故を起こしたり、被災したりしたことはなかった。
(3) 稲城工場の概要等
ア 稲城事業所・工場は、おむつ、タオル、シーツなどの洗濯業務を行う工場である。工場内は、ダイアパー部、リネン部、ローラー部の三部門で構成されている。
稲城事業所・工場の全体の管理責任者は、取締役でもあるA川所長であり、その下に、営業全般を統括する副所長のE原冬夫(以下「E原副所長」という。)、現場責任者として、リネン部、ローラー部を担当するE田工場長、ダイアパー部を担当するD原副工場長が配置されていた。
A川所長は、平成一一年一一月ころ、当時社長であった被告B山から、直接、稲城事業所長に任命された。
なお、稲城移転前の相模原工場の業務内容は、シーツ、浴衣のクリーニング、同工場の責任者はE田工場長、稲城移転前の町田工場の業務内容は、おむつのクリーニング、同工場の責任者はD原副工場長であった(なお、稲城移転前は両工場とも労働者数は五〇名未満であった。)。
イ 稲城事業所・工場の一階は、主に洗いの工程で、自動洗濯機、脱水機、乾燥機、これらを結んでいるコンベヤー、エアーシューターなどが設置されている。二階は、主に仕上げの工程で、ロールアイロン、タオルなどを畳む機械であるホルダー、ビニール包装機、結束機、工業用ミシンなどが設置されている。
各設備の工場内の配置状況は別紙図面一のとおりである。
ウ 各部の行う業務の概要は以下のとおりである。
(ア) ダイアパー部
ダイアパー部は、一階でおむつの洗濯から乾燥までを自動機械で行い、二階に上げてローラーで畳み、製品の結束作業を行う。
(イ) リネン部
一階でシーツや浴衣の洗濯から乾燥までを自動機械で行い、二階で畳んで、結束、包装等の仕上げを行う。
(ウ) ローラー部
リネン部で洗濯したシーツについて、ロールアイロンで仕上げを行う。
(4) ダイアパー部における作業の内容等
ア ダイアパー部では、工場一階の洗い部門で、水洗い、すすぎ、脱水、乾燥までを機械が全自動で行い(洗い工程)、仕上がった洗濯物は、工場二階にエアーシューターを通して自動的に吸い上げられ、ここで畳み、製品の結束作業が行われる(仕上げ工程)。
ダイアパー部工場一階の諸設備の配置状況は、別紙図面二のとおりである。
イ ダイアパー部の責任者はD原副工場長であり、その指揮の下で、一郎、A田一夫(以下「A田」という。)、B原二夫(以下「B原」という。)が洗い工程に従事していた。なお、A田、B原の二名も知的障害者であった。
洗い工程では、洗濯機械の自動運転中は、最初に洗濯物を投入する以外には労働者が手作業をする必要はない。B原とA田は、工場の表の駐車場にトラックで持ち込まれた汚れた洗濯物をダイアパー部まで運び込み、仕分けする。B原が、仕分けされた洗濯物を秤で計量して、一定量ずつ洗濯機に投入する。
一郎は知的障害の程度が軽度であり、勤続年数が長く、機械操作に慣れていたことから、D原副工場長の指示のもと、自動洗濯ラインの機械の運転作業や運転状況の管理、洗剤、ジア塩素酸ソーダ、ソフターなどを定期的にタンクに補給する仕事を行っていた。また、洗濯主任として、A田やB原ら部下に対して、洗濯物の投入順序を指示するなど作業内容を指示・監督していた。
D原副工場長は、ダイアパー部の責任者として、その全体を管理していたが、朝夕は従業員の送迎バスの運転を行ったり、危険物取扱いに関する資格を有するためボイラーの管理業務を行ったりしており、また、出張なども多く、工場に常駐しているわけではなかった。中でも、午後は工場内にいることが多かったが、午前中は短時間しかいないことも多かった。D原副工場長は、自分が不在の間は、本件作業現場を一郎にまかせていた。
ウ ダイアパー部自動洗濯ラインの概要(自動運転の場合)
(ア) 自動洗濯ラインのうち、投入機、洗浄機、脱水機、シェーカー、エアーシューター、レシーバー、シャトルコンベヤーは、相模原工場に設置されていたものを移設し、乾燥機は、町田工場に設置されていたものを移設し、これら以外の部分は新設された。被告B山は、機械に詳しかったこともあり、稲城工場のダイアパー部の自動洗濯ラインを構成する機械の組合せは被告B山が自ら決定し、機械業者との交渉も行った。
町田工場では乾燥終了後の洗濯物をコンベヤーで移送していたが、稲城工場では、乾燥終了後の洗濯物の移送手段として、シェーカー、エアーシューター、レシーバーが設置された。
(イ) 投入機は、洗濯物を持ち上げて洗浄機に投入するための機械であり、洗濯物をリフトに乗せるとセンサーが感知し、自動でリフトが上昇し、洗浄機に洗濯物を投入する。
洗浄機に投入された洗濯物は、洗浄機内に一四槽ある洗濯槽を順次通過し、自動的に脱水機に送られる。
脱水が終了した洗濯物は、リフトコンベヤーの上下二段のテーブルに排出される。
排出された洗濯物は、リフトコンベヤーのテーブルが東へ九〇度回転することによりストックコンベヤーに受け渡され、シャトルコンベヤーまで運ばれる。
シャトルコンベヤーは、工場内南北方向に設置されているレール上を走行する機械であり、洗濯物は乾燥機まで運ばれて、工場内を南北方向に北側から一号機、二号機、三号機、四号機の順で並んでいる乾燥機内に自動投入される。
(ウ) 乾燥が終了した洗濯物は乾燥機背面の蓋からコンベヤーに自動排出される。コンベヤーは、乾燥機が洗濯物を排出する信号を感知し、自動的に稼働を開始する。洗濯物はコンベヤーに連続する傾斜コンベヤーまで運ばれ、次いで、傾斜コンベヤーから、洗濯物をほぐすためのシェーカーに自動投入される。
シェーカーはドラムが回転することにより洗濯物をほぐすが、ほぐされた洗濯物は、シェーカーと連結されたエアーシューターの吸込口から空気の力で吸い込まれ、工場二階まで送られる。
(エ) 工場二階でエアーシューターはレシーバーに連結されており、洗濯物は、エアーシューターからレシーバーに排出される。
排出された洗濯物はレシーバー下の扉から二台連結されたコンベヤー上に落とされる。レシーバーが洗濯物を排出することを感知したコンベヤーは稼働を始め、コンベヤー終点まで洗濯物を運ぶ。
洗濯物は、コンベヤー終点で受け取られて畳みの工程に入る。
エ 傾斜コンベヤー、シェーカー及びエアーシューターの構造等
(ア) 傾斜コンベヤーの両側面はスチール製の板で囲われている。傾斜コンベヤーの南北方向の長さは二八〇センチメートル、東西方向の幅は八二センチメートル、傾斜度は三一度である。
本件事故当時、板囲いの西側壁面は、傾斜コンベヤーの北側(乾燥機の側で、床面からの距離が低い。)で鉤状に切り込まれていた(なお、本件事故発生直後に、この切り込み付近の床面に一郎が脱いだ靴が置かれているのが確認されている。)。板囲いが鉤状に切り込まれていたのは、乾燥機から排出されてコンベヤーで運ばれてきた赤ちゃん用おむつをここで取り出し、自動洗濯ラインとは別の工程に運ぶためであった。
(イ) シェーカーは、傾斜コンベヤーに連続して、その南側に設置されている筒型の機械である。
シェーカーは、筒が二重となっており、外側の筒に沿って、内側の筒だけが回転する構造となっている。
シェーカーは、北側を除く三方向と天井がプラスチック製の壁面で囲まれており、シェーカーの大きさは直径一六〇センチメートル、長さ二〇〇センチメートルである。内側の筒の直径は一二〇センチメートルである。
シェーカーを囲む壁面は、南北方向の長さ三一五センチメートル、東西方向の長さ二〇〇センチメートル、高さ二四五センチメートルで、この壁面は、中央部付近が切り取られており、内部を壁面外側から見ることができる状態となっている。
シェーカー南側面の西側には、長方形の扉(点検扉)が設けられており、扉は、東の辺を軸に外側へ開く構造となっている。扉の大きさは、縦の長さ四七センチメートル、横の長さ三七センチメートルである。シェーカーを囲む壁面の南側には、エアーシューター制御盤と排出操作盤が設置されている。
(ウ) エアーシューターは、シェーカーの南側面に連結しているスチール製の円形の管状の機械であり、管は、一階天井を突き抜けて二階に延びている。エアーシューターの穴の直径は三四センチメートルである。
オ 操作盤の操作方法等
(ア) 投入操作盤
投入機の東側に設置されている投入操作盤の「全停止」と表示されたボタンを押すとダイアパー部の洗い部門の全工程の機械が全停止する。また投入操作盤の「非常停止」と表示されたボタンを押すと投入機からシャトルコンベヤーまでの機械が停止する。
(イ) 乾燥機操作盤
乾燥機は、設定内部温度と設定乾燥時間により洗濯物の排出を管理されており、あらかじめ設定された温度に内部温度が達した場合やあらかじめ設定した乾燥時間が経過した場合に背面の蓋から洗濯物を自動的に排出する。温度や時間の設定は乾燥機の脇にある乾燥機操作盤で行う。
乾燥機が洗濯物を乾燥中に乾燥機操作盤の「非常停止」ボタンを押すと乾燥機背面の蓋のロックが解除され、機械が止まる。乾燥機操作盤の「運転」ボタンを押せば、乾燥機背面のロックが復旧し、運転を開始する。
乾燥機が洗濯物を排出中に乾燥機操作盤の「非常停止」ボタンを押すと背面の蓋が閉まるため、蓋と乾燥機の間に排出中の洗濯物が挟まれ乾燥機の排出は止まる。
(ウ) 排出操作盤
乾燥機背面のコンベヤー及び傾斜コンベヤーの操作は、シェーカーの南側に設置された排出操作盤で行う。
両コンベヤーそれぞれのセレクタースイッチは、「停止」、「自動」、「手動」の切り換えが可能であり、「停止」にするとコンベヤーは動かない。「自動」にすると、乾燥機が洗濯物の排出を始める状態となったことを知らせる乾燥機側からの信号を感知した時点で自動的に動き出す。「手動」にするとコンベヤーは常に動く。
乾燥機背面のコンベヤー、傾斜コンベヤーは排出操作盤の「非常停止」と表示されたボタンを押すと同時に停止する。各乾燥機とコンベヤーの非常停止ボタンはそれぞれ独立しており、相互に影響を受けない。
(エ) エアーシューター制御盤及びレシーバーバン操作盤
シェーカー、エアーシューターの操作は、シェーカーの南側、排出操作盤の西隣りに設置されたエアーシューター制御盤で行い、レシーバーの操作は、エアーシューター制御盤並びに二階に設置されたレシーバーバン操作盤で行う。
エアーシューター制御盤の「運転」と表示されたボタンを押すとボタンが点灯し、シェーカー、エアーシューター、レシーバーは運転を開始する。
エアーシューター制御盤には、それぞれのセレクタースイッチがあり、シェーカーのセレクタースイッチは「シェーカ」とエアーシューターのセレクタースイッチは「ブロア」とレシーバーのセレクタースイッチは「レシーバ受」と表示され、セレクタースイッチは、それぞれ「自動」、「停」、「手動」の切り換えが可能である。シェーカー、エアーシューターそれぞれのセレクタースイッチを「停」にするとシェーカー及びエアーシューターは動かず、動いている状態であれば止まる。シェーカー、エアーシューターそれぞれのセレクタースイッチを「手動」にすると、シェーカー、エアーシューターは動きだし、そのまま動き続ける。
レシーバーバン操作盤にもセレクタースイッチと非常停止ボタンが取り付けられており、セレクタースイッチは、「自動」、「停」、「手動」の切り換えが可能である。セレクタースイッチを「停」、あるいは「手動」にすると、レシーバーは扉が開き、開いたままとなる。
シェーカー、エアーシューター、レシーバーの「手動」操作は、それぞれが独立して稼働するので相互の関連性はない。ただし、エアーシューターは、レシーバーの扉が閉まっていることを条件に稼働する(扉が閉まっていなければ、扉から空気が漏れ、洗濯物の吸い込みができない。)ので、エアーシューターのセレクタースイッチが「手動」となっていてもレシーバーの扉が開いていれば、エアーシューターのモーターは動いても稼働はしない。
エアーシューター制御盤のシェーカー、エアーシューターそれぞれのセレクタースイッチを「自動」、レシーバーバン操作盤のセレクタースイッチを「自動」にすると、シェーカー、エアーシューター、レシーバーは、傾斜コンベヤーに設置してある光センサーの光軸(傾斜コンベヤーの両側面の南側[シェーカー側で、床面からの距離が高い側]に約三センチメートルの円形の穴が東西同じ位置に空けてあり、東側面の穴の外側にはセンサー受光部が、西壁面の穴の外側にはセンサー発光部が取り付けてある。)を遮ることを条件に稼働する。シェーカー、エアーシューターは洗濯物等が光軸を遮ってから三秒後に動き出し、三〇秒間稼働し、自動的に止まる。
このセンサーは、傾斜コンベヤーの停止の有無とは連動しておらず、傾斜コンベヤーが停止している状態であっても、何らかの理由によりセンサーの光軸が遮られた場合には、自動的にシェーカー、エアーシューター、レシーバーが作動することになる。この点については、本件事故に至るまで、被告会社は認識しておらず、機械のメーカーからもそのような説明を受けていなかった。
レシーバーバン操作盤のセレクタースイッチが「自動」に設定され、レシーバーの扉が閉まり、エアーシューター操作盤のスタンバイランプが点灯した状態を「スタンバイの状態」と呼ぶが、この状態となっているとき、シェーカー、エアーシューターのセレクタースイッチが「自動」ならば、シェーカー、エアーシューター、レシーバーはそれぞれ自動運転をする。
エアーシューター制御盤に「停止」と表示されているボタンが全停止ボタンであり、このボタンを押すとシェーカー、エアーシューター、レシーバーは非常停止し、レシーバーの扉は開いたままとなる。このボタンは、シェーカー、エアーシューター、レシーバーを非常停止するものであり、コンベヤーや乾燥機の非常停止ボタンとは連動していない。
カ 洗濯物がシェーカー内のエアーシューター吸込口に詰まった場合の再運転の方法
シェーカー内のエアーシューター吸込口には、光センサーが取り付けられており、吸込口に洗濯物が詰まってセンサーの光軸を八秒以上(この時間は、タイマーで設定する)遮ると、シェーカーの囲いの西側に取り付けてあるパトランプが点灯し、警報音がなり、異常を知らせる仕組みとなっている(パトランプには、「つまり」と手書きしたテープが貼付されていた。)。
パトランプが点灯すると、シェーカー、エアーシューターは一〇秒後に運転を停止し、詰まりを解除しなければ、傾斜コンベヤーにあるセンサーの光軸を遮っても起動しない。レシーバーは、パトランプの点灯とは無関係に傾斜コンベヤーのセンサーの光軸を遮ってから三七秒後に扉が開いた後二〇秒後に扉が閉じ、「スタンバイの状態」となる。
洗濯物がエアーシューター吸込口に詰まり、パトランプが点灯した場合は、エアーシューター制御盤で次の操作を行う。
(ア) エアーシューター制御盤のシェーカー、エアーシューター、レシーバーのセレクタースイッチをすべて「停」にし、「停止」ボタンを押す。(この操作により、レシーバーの扉が開放され、洗濯物はレシーバーから排出される。)
(イ) シェーカー南側にある点検扉から、シェーカー内に体を差し入れ、手でつまった洗濯物を取り除く(当該扉の前には、エアーシューター制御盤、排出操作盤が設置してあり、扉から詰まった洗濯物を取り出すには、シェーカーと操作盤との隙間に体を差し入れて作業を行わなければならなかった。)。
(ウ) 詰まりを取り除いたら、エアーシューター制御盤の運転ボタンを押すと、レシーバーの扉が閉まるので、エアーシューターのセレクタースイッチを「手動」として吸込口付近の洗濯物を手で吸込口に入れる。
(エ) シェーカーのセレクタースイッチを「手動」とし、シェーカー内の洗濯物をすべてレシーバーへ移送する。
(オ) シェーカー、エアーシューターのセレクタースイッチを「停止」とし、レシーバーのセレクタースイッチを「手動」とすれば、レシーバーの扉が開き、洗濯物を排出する。
(カ) すべてのセレクタースイッチを自動にすると、レシーバーの扉が閉まり、「スタンバイ状態」となる。
洗濯物を多く入れ過ぎたりしない限り、それほど頻繁にエアーシューター吸込口に洗濯物が詰まるということはないが、町田工場から稲城工場に移転してきた後、D原副工場長が経験しただけでも二回くらいは詰まりが発生した(なお、エアーシューターの設置工事施工業者から原告代理人が聴き取ったところでは、通常の使用状態であれば、エアーシューター吸込口に洗濯物が詰まるのは月に一度くらいとのことである。)。
(5) 稲城工場における安全管理体制及び安全教育の実施状況等
ア 稲城事業所・工場は、平成一一年一〇月の町田工場の廃止・移転以降、常時、優に五〇人を超える労働者を使用していたが(平成一一年一一月時点の労働者数は一一〇名である。)、被告会社は、労働安全衛生法の定める安全管理者、衛生管理者、産業医をいずれも選任していなかった。
また、稲城事業所・工場は、本件事故当時、常時一〇〇人以上の労働者を使用していたが(稲城事業所・工場の労働者はパート社員が多く随時変動するため、平成一一年一〇月の町田工場の廃止・移転以降本件事故に至るまでの間、常に労働者数が一〇〇名を超えていたのかは判然としない。)、安全委員会を設置しておらず、衛生委員会も設置していなかった。
被告B山や被告C川は、平成一一年一〇月に町田工場が移転してきたことにより、稲城事業所・工場の労働者数が五〇名以上となり、労働安全衛生法に定められた安全管理者の選任等をしなければならないことは認識していたが、本件事故に至るまでこれを行うことはなかった。
稲城事業所では、平成一一年九月ころ、高温の地下バルブのマンホールの蓋が開いたままになっていたため、ここに労働者の足がはまり、やけどをするという事故が起きた。被告B山や被告C川は、上記事故について報告を受けていた。また、平成一二年二月、上記事故について、労働基準監督署の再発防止講習会にA川所長が出席し、その際、労働者数が五〇人以上の事業所であれば、安全管理者を選任し、安全衛生委員会を設置しなければならないとの指導を受けていた。
イ 町田工場の洗濯ラインには、シェーカー、エアーシューター、レシーバーの工程がなく、D原副工場長、一郎、A田、B原は、これらの取扱方法を知らなかった。
そこで、平成一一年一〇月四日、A川所長及びE田工場長は、D原副工場長や一郎らに対して、自動洗濯ラインの機械の操作方法について、運転中の機械を見せながら、とりあえずひととおりの説明を、約一時間ほど、口頭で行った。この説明の際、トラブルが発生した場合にはA川所長やE田工場長を呼んで対処方法を聞くようにとの指示がなされたが、洗濯物が詰まった場合などトラブル時の具体的な対処方法や洗濯ラインのセンサーの仕組みなどについては説明は行われなかった。上記以外に、本件事故が発生するまでの間、一郎ら作業員に対して、洗濯ラインの機械の操作方法の説明やトラブル時の作業等に関する安全教育が行われることはなかった(なお、A川夏夫は、その証人尋問において、平成一一年一〇月四日の説明の後も、三か月間にわたり、一郎とペアを組んで作業を行う中で、昼休みなど休憩時間を利用して、機械の操作方法の確認や疑問に対する説明を行っていた旨供述するが、平成一二年八月、九月、一一月の三度にわたり労働基準監督署で取調べを受けた際には、このような供述はしておらず、本訴に至って初めてこのような供述をするに至ったこと、A川夏夫の供述によっても、同人が一郎に対して行ったとする説明内容が具体的に明らかではないこと等に照らすと、A川所長が一郎に対し、平成一一年一〇月四日の説明以外に、機械の操作方法やトラブル時の安全な作業方法等について具体的に説明・教育を行ったとの事実を認めることはできない。)。
また、一郎ら作業員に対して、洗濯ラインの機械に関する取扱説明書や注意事項などが配布されたことはなく、作業場に作業手順や注意事項などが掲示されたこともなかった。
A田及びB原は、知的障害者であることから、洗濯ラインの機械を取り扱うことは困難であると判断され、これらの機械を操作してはならないと指示されており、洗濯ラインの機械の非常停止の方法も知らなかった。
ウ シェーカー内で洗濯物が詰まるというトラブルが、本件事故前に二回ほどあったが、この際には、E田工場長を呼び、対処方法の教示を受けた。E田から教えられた方法は、エアーシューター制御盤でシェーカーを停止し、シェーカー南側の点検扉から、詰まった洗濯物を取り除いた後、エアーを送って、少しずつ洗濯物を二階に上げた後、セレクタースイッチを「自動」に復帰させて運転を再開するというものであり、一郎もD原副工場長と一緒に、この対処方法を聞いて、実際に行った。この作業は、シェーカー内で、手で詰まった洗濯物を取り除き、エアーシューターのダクトに入れる作業と離れた位置にあるエアーシューター制御盤のブロアのスイッチを入れたり切ったりする作業とを並行して行う必要があるため二名で行う必要があった。
また、ダイアパー部で扱う洗濯物の中には、ピンセットや注射針などいろいろな金属の異物が頻繁に混入しており、洗濯物が工場に持ち込まれた段階で異物を取り除いているが、見つけきれず、シェーカーまで運ばれてしまい、シェーカーの中からガラガラと異物が回る音がしてくることがある。このような場合、デッキブラシの棒やペンチなどを使って異物を取り出すが、それで取り除けない場合には、エアーシューター制御盤でシェーカーを止め、傾斜コンベヤーを上ってシェーカーの中に入り異物を取り出していた。A川所長自身、ピンセットを取り除くためにシェーカーの中に入ったことがあり、一郎もこの作業の様子を見ていた。
エ 被告会社では、役員会が年に四、五回開催されるほか、稲城事業所では、毎週一回金曜日に工場会議を開催していた。工場会議には、被告C川、A川所長、E原副所長、E田工場長、D原副工場長、営業部長等が出席し、被告B山も、月に二回程度は出席していた。
工場会議では、コスト削減や新規の顧客の開拓といった営業上の事柄、仕事量に応じた人員配置などの話題が主として話し合われ、本件事故に至るまで、稲城事業所・工場の安全管理体制や災害防止に関する話題はあがっておらず、被告B山や被告C川から、これらの事項についての方針や指示がなされることはなかった。
(6) 本件事故の発生状況等
ア 平成一二年三月二四日午前九時、ダイアパー部洗い部門では、一郎、A田、B原が通常どおりの配置で作業を開始した。この日は、乾燥機で完全に乾燥した後にエアーシューターで二階に送る大人用のおむつの洗濯(全乾)のほかに、乾燥時間を短くして、半乾きのまま傾斜コンベヤーの前で受け取る赤ちゃん用のおむつの洗濯(半乾)が行われることになっていた。
一郎は洗濯機械の運転作業、A田は汚れ物の仕分け、B原は投入機に洗濯物を投入する作業を行っていたが、D原副工場長は、洗い部門の作業を少し手伝った後、午前一〇時前に、相模原工場に片づけのために出掛けた。D原副工場長は、出掛ける際、トラブルが生じた場合の対応をE田工場長に頼んだ。
イ 一郎らは、半乾の赤ちゃん用おむつの洗濯を終え、大人用おむつの作業にとりかかった。
午前一〇時五〇分ころ、一郎がエアーシューター制御盤付近にいたところ、洗濯物がエアーシューター吸込口に詰まり、これを知らせるパトランプが点灯し、警報音が鳴り始めた(なお、本件事故が発生した際、半乾きの大人用おむつが二階に上がっていたこと、乾燥機内には半乾きの大人用おむつが残されていたこと等に照らすと、エアーシューター吸込口に大人用オムツが詰まった原因は、赤ちゃん用のおむつの洗濯から大人用のおむつの洗濯に作業が変わった際、本来であれば、それまで三分と設定されていた乾燥機の乾燥時間を三〇分に切り換えなければならないところ、一郎がこれを失念したまま大人用のおむつの洗濯にとりかかったため、ほとんど乾燥していない状態で洗濯物が排出され、シェーカー、エアーシューター内に運び込まれたことによるものと推認される。)。
このとき、A田は一階のダイアパー部入口付近で洗濯物の仕分作業を、B原は投入機の前で洗濯物の投入作業をそれぞれ行っていた。
一郎は、乾燥機からの洗濯物の排出を止めるため、乾燥機操作盤の非常停止ボタンを押した。そして、すでにシェーカー内に運ばれたおむつを取り出すため、排出操作盤の傾斜コンベヤーのセレクタースイッチを「自動」から「停」に切り換え、傾斜コンベヤーを上って、シェーカーの中に入った。一郎は、シェーカー内のエアーシューター吸込口に詰まった洗濯物を除去した。
そして、何らかの理由で、傾斜コンベヤーの光センサーの光軸が遮られてしまったため、シェーカーが起動し回転を始め、同時に、二階に洗濯物を吸い上げるエアーシューターも連動して起動したことから、一郎は、回転するシェーカー内で全身を打撲し、エアーシューターの吸込口に頭を引き込まれた。
ウ 一郎が詰まった洗濯物を取り除いたため、パトランプの点灯と警報音が停止したが、それから二、三分後には、シェーカー内から「ドン、ドン」という異常音が聞こえてきた。これを聞いたA田は、二階で作業をしていたA(リネン部労働者で、以前は相模原工場にいたことから、シェーカー、エアーシューター等の操作方法を知っていた。)を呼びに行った。Aがエアーシューター制御盤の「停止」ボタン(非常停止ボタン)を押し、シェーカーを停止した。
エ A川所長は、本件事故当時、工場の中二階にある事務室にいたが、館内放送を聞いて、本件作業現場に駆けつけた。また、E田工場長は、駐車場からリネン部の汚れ物を運んでいる最中に、館内放送を聞いて本件作業現場に駆けつけた。
A川所長らが駆けつけたところ、一郎がシェーカーの中で血だらけとなって倒れていた。
このとき、排出操作盤の乾燥機背面コンベヤーのセレクタースイッチは「自動」、傾斜コンベヤーは「停」となっていた。エアーシューター制御盤のシェーカー、エアーシューター、レシーバーのセレクタースイッチは、すべて「自動」であった。
オ A川所長は、ダイアパー部の機械をすべて停止にし、一郎をシェーカーの外に出した。
一郎は、救急車で日本医科大学附属多摩永山病院に搬送されたが、頭蓋内損傷を直接の死因として、平成一二年三月二八日に死亡した。
カ なお、本件事故後も、ダイアパー部自動洗濯ラインは、正常に稼働しており、機械の故障等は認められなかった。
(7) 本件事故後、被告会社は事業者として、被告B山は被告会社の業務全般を統括する者(代表取締役)として、平成一二年三月二四日、稲城事業所において、労働者一郎をして、リネン類の洗濯作業を行わせるに当たり、稲城事業所は製造業に属し、常時五〇名以上の労働者を使用する規模の事業所であるから、労働省令で定める資格を有する安全管理者を選任し、その者に労働者の危険を防止するための措置に関する業務等を行わせなければならなかったのに、その選任をしなかった労働安全衛生法違反により、平成一三年八月二日、立川簡易裁判所から、被告会社は罰金三〇万円、被告B山は罰金二〇万円に処せられた。
(8) 被告会社では、本件事故後、傾斜コンベヤーのスチール板囲いにあった鉤状の切り込みを閉鎖するため、切り込みのない板と交換し、また、不意にシェーカーが再起動することがないようにリミットスイッチ(トラブルを処理した後、このスイッチを押さなければ、再作動しない。)を設置する措置をとった。
二 被告らの不法行為責任について
(1) 原告は、被告B山及び被告C川が、被告会社の代表取締役として、一郎に対し、一郎が本件機械を操作するに際してその生命・身体に危険を生じさせないように安全に配慮し、必要な措置を講ずべき義務を負っていたのにこれを怠った民法七〇九条に基づく不法行為責任を負い、被告会社は、同社の代表取締役である被告B山及び被告C川の上記不法行為について、商法二六一条三項、同法七八条二項、民法四四条一項に基づき責任を負う旨主張する。
(2) 被告会社は、一郎との雇用契約に基づき、一郎に対し、労務を提供する過程において発生する危険から一郎の生命及び身体を保護するように配慮すべき安全配慮義務を負う。
ところで、被告会社は、資本金一〇〇〇万円、従業員数一二〇名ないし一三〇名ほどの会社であること(本件事故当時の被告会社全体の従業員数は明らかではないが、平成一四年七月当時の従業員数が上記のとおりであり、また、平成一一年一一月当時、稲城事業所・工場に所属する従業員数が一一〇名であったこと、本件事故以降に従業員数が特に減少したことを窺わせる事情もないことからすると、本件事故当時も被告会社の従業員数は一二〇名ないし一三〇名ほどであったものと推認される。)、このうち、一一〇名ほどの従業員が稲城事業所・工場に所属していたこと、稲城事業所・工場は、被告会社の主たる事業である(売上げの大部分を占める)リネンサプライ業において、洗濯業務を行う被告会社唯一の事業所・工場であったこと、被告B山は被告会社の創設者であり、本件事故当時、被告会社の代表取締役社長として、被告会社の業務全般を統括管理する立場にあったこと、被告B山は、本件事故当時、被告会社の対外的な仕事を行うことが多く、日常業務の処理は被告C川が行っていたが、重要事項については被告B山が最終的に決定し、A川所長の稲城事業所長への任命も被告B山が直接行うなど、稲城事業所の人事を直接統括していたこと(なお、被告B山は、その本人尋問において、一郎を洗濯主任に選任したのは自分であり、他の従業員に一郎の洗濯主任としての能力に問題があるなどということは言わせないし、仮に、そういう声があがれば、自ら洗濯主任を解任すべき立場にある旨供述しており、これは、被告B山が、稲城事業所・工場の主任レベルの人事においても、直接統括管理していたことを示すものといえる。)、被告B山は、稲城事業所・工場のダイアパー部自動洗濯ラインの機械の設置については、業者と自ら交渉し、その機械構成も自ら決定するなど、稲城工場の機械設備等物的環境の決定も直接統括していたこと、被告B山は、被告C川、A川所長、E原副所長、E田工場長、D原副工場長らが出席して毎週一回稲城事業所で開催される工場会議に毎月二回程度は出席していたことは前記一認定のとおりである。
また、被告C川は、平成七年に被告会社の代表取締役に就任し、本件事故当時、被告会社の代表取締役副社長であったこと、被告C川は、対外的な仕事を行うことが多かった被告B山を補佐し、被告会社の日常業務の処理を行っていたこと、被告C川は、本件事故当時、被告会社の本社に所属していたが、被告会社の全体を把握するために、稲城事業所・工場の視察、管理等も行っていたこと、毎週一回稲城事業所で開催される工場会議に出席していたことは前記一認定のとおりである。
これらの被告B山及び被告C川の地位及び担当業務の内容、被告会社の規模、稲城事業所・工場の被告会社の業務における重要性、被告B山及び被告C川の稲城事業所・工場の業務への関与の度合い等に鑑みれば、被告B山及び被告C川は、被告会社の代表取締役としての職責上、被告会社において、労働者が職場において安全に労務を提供することができるように、人的・物的労働環境を整備すべき安全配慮義務を負っていたものというべきである。すなわち、被告B山及び被告C川は、被告会社の労働者たる一郎に対し、一郎が稲城事業所・工場で作業に従事するにつき、その生命・身体に危害が及ぶことがないように、機械設備その他の物的設備を整備し、管理者をして工場内を巡視させる等工場内の機械設備や労働者の行っている作業方法等に危険がないかを確認し、危険を見いだした場合にはこれを防止するために直ちに必要な措置をとるなど安全管理体制を整備し、また、担当する機械の取扱方法、作業手順、機械の仕組み、洗濯物が詰まるなどのトラブル時の対処方法、作業上及び安全上の注意事項等について安全教育を行い、緊急時に適切な指導・監督を受けられるような人員配置や人的なサポート態勢の整備等を図るべきであった。
(3) 前記一認定のとおり、稲城工場ダイアパー部の自動洗濯ラインのうち、一郎が所属していた町田工場から移設したのは乾燥機のみであり、その他の部分は相模原工場からの移設、あるいは稲城工場で新設されたものであり、特に、シェーカー、エアーシューター、レシーバーによる工程は町田工場にはないもので、一郎がこれらの機械を担当するのは初めてであったにもかかわらず、A川所長、E田工場長は、一郎に対し、町田工場が移転してきた直後の平成一一年一〇月四日に約一時間、ダイアパー部の運転中の機械を見ながら、とりあえずひととおり、機械の運転方法について説明したのみで、自動洗濯ラインの仕組み(各機械が停止、運転する仕組み等)やトラブル時の対処方法、作業上及び安全上の注意事項(コンベヤー上に乗ってはならないこと、シェーカー内に進入してはならないこと、あるいは、やむを得ず進入せざるを得ない場合には、必ず、エアーシューター制御盤のシェーカー、エアーシューターのセレクタースイッチを「停」にしなければならないこと等)については、何ら具体的な説明・注意を行わなかった。
また、A川所長やD原副工場長らは、一郎が、ダイアパー部に長年勤務する中で経験で仕事を覚え、町田工場時代は、機械操作にも習熟していたとはいえ、慣れていないことや予期せぬトラブルに臨機に応じて対処することが能力的に困難であると認識していたのであるから、一郎を作業に従事させるについて、一郎がトラブル時に適切な指導、監督を受けられる態勢を整える必要があったというべきである。しかし、稲城工場では、ダイアパー部の洗い部門を、D原副工場長のほか、洗濯主任の一郎、知的障害を有しており、自動洗濯ラインの機械操作を行うことは困難であるとして、これらの機械操作を禁止され、緊急時の機械操作の方法すら教育されていなかったA田及びB原の四名に担当させていたにもかかわらず、D原副工場長、あるいは機械操作に精通した者が本件作業現場に常駐し得るように、作業分担や人員配置を工夫することなく、D原副工場長が不在の間は、漫然と、一郎にダイアパー部洗い部門の現場を任せていた。実際、本件事故は、D原副工場長が相模原工場の片づけのために外出している間に発生したのであって、一郎が作業を行うについて、安全確保のための配慮を欠いていたことが明らかである。
被告らは、一郎に対して、トラブルが発生した場合にはA川所長、E田工場長やD原副工場長を呼んで対処方法を聞くようにと指導していたと主張するが、このような一般的指示をもって、従業員に対する安全教育が全うされたとは到底いい得ない。また、本件事故当時、A川所長は工場の中二階にある事務所にいたこと、E田工場長も駐車場からリネン部の汚れ物を運んでいる最中であったこと、D原副工場長は稲城事業所にはいなかったことに照らせば、トラブル時に、一郎が対処方法について即座に指導を受け得る態勢にもなかったといわざるを得ない。
確かに、本件事故以前に、一郎がダイアパー部の洗い工程の作業に従事しているときに、シェーカー内のエアーシューター吸込口に洗濯物が詰まり、D原副工場長と共に、E田工場長から対処方法について口頭で説明を受けて復旧作業を行ったことはあったものの、洗濯物が詰まった際の対処方法はセレクタースイッチを適時適切に操作しながら行わなければならないなど、複雑な内容であること、本件事故の際、洗濯物の詰まりに対処しようとした一郎が、エアーシューター制御盤のシェーカーのセレクタースイッチを「停」にすることすら行っていなかったことに照らすと、一郎が、D原副工場長がいなくとも行い得るほどに対処方法を理解していたとは考え難いのであって、上記のような説明のみで、洗濯物の詰まりに対する対処方法が周知徹底されていたとすることはできない。
(4) そして、被告B山及び被告C川は、町田工場が移転してきた平成一一年一〇月以降、稲城事業所・工場が常時使用する労働者数は五〇人を優に超えており、少なくとも本件事故当時には常時使用する労働者数が一〇〇人以上であったにもかかわらず、被告会社が労働安全衛生法に違反して、同法に定められた安全管理者、衛生管理者等の選任や安全委員会、衛生委員会の設置をしていない状態を是正せず、平成一一年九月ころに稲城工場内で労災事故が発生した後ですら、A川所長、E田工場長、あるいはD原副工場長などに対し、安全教育の実施、適切な人員配置等安全管理体制の整備を指示することはなかったのであるから、上記(3)のとおり、稲城事業所・工場において、一郎に対する安全確保のための配慮が欠けていたことについて過失があるというべきである。
(5) 本件事故は、被告B山及び被告C川の上記過失により、一郎が、洗濯物が詰まった場合の対処方法や自動洗濯ラインの構造(各機械の停止及び運転の仕組み)をよく理解しないまま、詰まった洗濯物を取り除くため、シェーカーやエアーシューターのセレクタースイッチを停止にすることもなく、シェーカー内に進入するという行動に出て発生したものであるから、被告B山及び被告C川の上記過失と本件事故との間には因果関係が認められる。
(6) よって、被告B山及び被告C川は、本件事故の発生について、民法七〇九条に基づく不法行為責任を負う。また、被告B山及び被告C川は、被告会社の代表取締役としての職務を行うにつき、一郎に対する安全配慮義務を怠ったものであるから、被告会社は、商法二六一条三項、同法七八条二項、民法四四条一項に基づき、被告B山及び被告C川の不法行為につき損害賠償責任を負う。
(7) なお、本件機械は、傾斜コンベヤーに設置されている光センサーの光軸が、傾斜コンベヤーの停止の有無とは連動しておらず、傾斜コンベヤーが停止している状態であっても、何らかの理由によりセンサーの光軸が遮られた場合には、自動的にシェーカー、エアーシューター、レシーバーが作動する仕組みとなっていたところ、被告らは、本件事故当時、本件機械にこのような瑕疵があることを知らず、メーカーすら知らなかったのであるから、被告らにおいて、本件事故の発生を予見することはできなかった旨主張する。
しかしながら、被告B山及び被告C川が、センサーの上記仕組みについて、メーカーから説明を受けておらず、これを認識していなかったとしても、A川所長が異物を取り除く際などシェーカー内に進入するときには、エアーシューター制御盤の非常停止ボタンを押してから進入しており、シェーカーやエアーシューターを停止する措置を取らずにシェーカー内に進入するとこれが起動する可能性があり危険であることの認識は有していたものと考えられ、それにもかかわらず、一郎に対しては、このような点を含め、機械操作をするについての作業上及び安全上の注意事項について教育していなかったのであるから、一郎が自動洗濯ラインの機械操作に従事する際、危険な行動に出てしまう可能性があることについて、予見し得たというべきである。さらに、そもそも、一郎に対して安全教育を行うべき被告B山や被告C川、あるいはA川所長らにおいて、機械の作動・停止の仕組みについて正確な認識を欠いていたことは、機械の安全性を認識しないまま、あるいは、安全教育を十分に行い得ないにもかかわらず、漫然と、労働者を機械操作に従事させていたことに他ならないから、それ自体が、労働者に対する安全配慮義務の懈怠であるともいえる。
また、仮に、傾斜コンベヤーの光センサーの仕組みが上記のようなものになっていることが、本件機械の瑕疵に当たるとしても、被告らが、一郎に対し、洗濯物が詰まった場合の対処方法を十分に教育していたならば、あるいは、トラブル時に一郎が適切な指導・監督を受けることができる態勢が整っていたならば、一郎が詰まった洗濯物を取り除くために、シェーカー内に進入することはなかったのであり、さらに、やむを得ず、シェーカー内に進入する場合にも、シェーカーやエアーシューターのセレクタースイッチを「停」にするように周知徹底していれば、傾斜コンベヤーの光センサーの光軸を遮ることがあったとしても、シェーカー、エアーシューターが突然起動してしまうことはなかったのであるから、被告B山及び被告C川の安全配慮義務の懈怠と本件事故との間の因果関係が否定されるものでもない。
したがって、被告らの上記主張は理由がない。
三 過失相殺について
(1) 前記一認定のとおり、一郎は、本件事故以前に、エアーシューター吸込口に洗濯物が詰まった際の対処方法をE田工場長から聞き、D原副工場長とともに復旧作業に従事したことがあったのであるから、一郎が、知的障害を有していたとはいえ、被告会社に入社した当初から洗濯作業に従事し、長年にわたり洗濯主任の地位にあって、部下に対する指示・監督も行うなど相当の能力を有していたことに照らせば、たとえ、対処方法を十分に理解していなかったとしても、詰まった洗濯物はシェーカー南側に設置された点検扉から取り除くべきであって、シェーカー内に入って取り除くべきものではないこと程度は十分に認識していたものと考えられる。したがって、一郎にも、不用意にシェーカー内に進入した過失があるというべきである。
そして、前記一認定の本件事故の発生状況、一郎が慣れていないことや予期せぬトラブルが生じた場合に、これに臨機に応じて対処することが因難であったことなど一郎の能力、一郎の上司らにおいてもこれを認識していたこと、上記二で述べた被告らの安全配慮義務の懈怠の内容等を考慮すれば、被告らの過失割合は八割、一郎の過失割合は二割と認めるのが相当である。
(2) 原告は、一郎は傾斜コンベヤーに設置されている光センサーの光軸が、傾斜コンベヤーの停止の有無とは連動しておらず、傾斜コンベヤーが停止している状態であっても、何らかの理由によりセンサーの光軸が遮られた場合には、自動的に、シェーカーやエアーシューターが起動する仕組みとなっていることを知らなかったから、傾斜コンベヤーのセレクタースイッチを停止にしたことでシェーカーが自動的に動き出すことはないと考え、シェーカー内に入ったのであり、一郎に過失はない旨主張する。
しかしながら、前記一認定のとおり、一郎は、自動洗濯ラインの機械の仕組み、操作方法、トラブル時の対処方法等について十分な教育を受けていなかったのであるから、傾斜コンベヤーのセレクタースイッチを停止にすれば、シェーカーやエアーシューターが自動的に動き出すことはないと、一定の根拠に基づいて、考えたとはいえない。したがって、一郎がそのように考えていたとすれば、それは、そのように軽信したものであるといわざるを得ない。他方、前述のとおり、一郎は、本件事故以前に、エアーシューター吸込口に洗濯物が詰まった際の対処方法をE田工場長から聞き、D原副工場長とともに復旧作業に従事したことがあったのであるから、詰まった洗濯物はシェーカー南側に設置された点検扉から取り除くべきであって、シェーカー内に入って取り除くべきものではないこと程度は十分に認識していたものと考えられるのであるから、一郎が、傾斜コンベヤーのセレクタースイッチを停止にしただけで、シェーカー内に進入したことについて過失がないとはいえない。
(3) 被告らは、A川所長、E田工場長及びD原副工場長は、一郎に対し、日頃から、トラブル時には一人で処理しようとせず、上司に連絡するようにと指導していたというが、本件事故当時、D原副工場長は稲城工場におらず、A川所長は工場の中二階にある事務所内におり、E田工場長も、駐車場からリネン部の汚れ物を運んでいる最中であり、一郎が、これらの上司に、本件事故当時、洗濯物が詰まった場合の対処方法を即座に聞き得る態勢になかったことは前述のとおりであるから、一郎が、A川所長やE田工場長らに援助を求めなかったことをもって直ちに過失と評価するのは相当でない。
さらに、前記一認定のとおり、シェーカー内に異物が混入した際、異物を取り除くために、傾斜コンベヤーを上って、シェーカーの中に直接入ることがあり、A川所長自身、一郎が見ているところでこの作業を行ったことがあったというのであるから、詰まった洗濯物を取り除くためにシェーカー内に入った一郎の過失を、上記(1)以上に、重く考えることはできない。
四 損害
(1) 逸失利益 三三三二万八六四五円
ア 基礎収入
一郎は、平成一〇年度には二三三万九四八六円、平成一一年度には二二四万四八五八円の給与を得ていたが、これは、被告会社が給与額を算出するに当たり、時間外労働に対する賃金を労働基準法等関係法令に則って算出せず、また、使用者は、休憩時間を除き一週間について四〇時間を超えて労働させてはならないと労働基準法に定められていたにもかかわらず、被告会社では、本件事故当時ですらなお、所定労働時間が一週間について四八時間とされていたことなどにより、労働基準法等関係法令に基づいて適正に算出される金額よりも低額のものとなっていたと認められる。したがって、一郎が、本件事故以前に被告会社から現実に支給を受けていた金額をもって、一郎の逸失利益算定の基礎収入とするのは相当でない。
そして、前記一認定の一郎の経歴、一郎の労働者としての能力、一郎の被告会社における職務内容、勤続年数、実際に被告会社から得ていた給与の額、被告会社が労働基準法等関係法令に従って賃金を算定していたならば一郎が得たであろう賃金の額等を総合考慮すると、一郎の逸失利益算定の基礎収入は、賃金センサス平成一二年第一巻第一表、男性労働者・学歴計・中卒の四〇歳ないし四四歳(一郎は本件事故当時四二歳であった。)の平均収入である四八二万六〇〇〇円の七割に当たる三三七万八二〇〇円とするのを相当と認める。
なお、前記一認定事実及び甲一一号証によれば、一郎は、本件事故当時、年額八〇万四二〇〇円の障害基礎年金の受給資格を有していたものと認められるが、障害基礎年金は、主に障害者の生活を保障するためのものであり、支給金は生活費に充てられるべき性質のものであること、障害基礎年金の受給権は、受給権者の死亡により消滅する一身専属性を有することなどを考慮すると、本件において、支給額相当額を逸失利益算定の基礎に加えるのは相当ではない。
イ 前記一認定事実、《証拠省略》によれば、一郎は、昭和三二年五月一九日生まれであり、平成一二年三月二八日に死亡した当時四二歳であったが、昭和五一年四月から本件事故に至るまで約二四年間にわたり被告会社に勤務しており、本件事故にあわなければ、六七歳までの二五年間さらに稼働して、上記に認定した程度の収入を得ることが可能であったものと考えられるところ、本件事故により、四二歳から六七歳までの二五年間の労働能力を一〇〇パーセント喪失したことが認められる。
この間の一郎の逸失利益は、三三七万八二〇〇円を基礎として、本件事故当時独身者であったとはいえ、太郎及び原告を扶養する一家の支柱であったと認められるから、生活費の控除割合を三〇パーセントとして、ライプニッツ方式により年五パーセントの割合による中間利息を控除して本件事故当時における逸失利益の現価を算定すると、次の計算式のとおり、三三三二万八六四五円(円未満切捨て)となる。
(計算式)
3,378,200×(1-0.3)×14.094(就労可能年数25年のライプニッツ係数)=33,328,645円
(2) 慰謝料 二六〇〇万円
《証拠省略》によれば、一郎は、知的障害者の社会的自立を目指す本人活動の会である「さくら会」を立ち上げ、同会で中心的に活動し、また、自らが編集委員長をして本を出版するなど、種々の社会的活動を行い、これらを通じて自らの意見を積極的に外部に表明し、周囲の人々にも影響を与えるなど、意欲的に生活していたこと、一郎には、交際している女性がおり、本件事故当時、結婚を念頭においてまじめに被告会社で働いていたことが認められる。そして、これらの事実に、本件事故の態様、一郎の受傷状況及び受傷内容、被告会社における一郎の勤務態度が責任感が強くまじめなものであったこと、一郎が太郎及び原告を扶養する一家の支柱であったこと、その他本件に顕れた一切の事情を総合考慮すると、一郎の受けた精神的苦痛並びに一郎の両親である太郎及び原告の受けた精神的苦痛を慰謝するには、合計二六〇〇万円をもってするのが相当と認める。
(3) 葬儀費用 二〇〇万円
《証拠省略》によれば、太郎及び原告は、一郎の葬儀費用として一五六万二五三九円、墓所使用料として五二万四〇〇〇円(年間管理料四〇〇〇円を含む)、納骨費用として二万一〇〇〇円、開眼供養料等として二万四一五〇円をそれぞれ支出したことが認められるところ、このうち合計二〇〇万円が本件事故と相当因果関係のある損害であると認められる。
(4) 小計 六一三二万八六四五円
(5) 過失相殺
前述のとおり、被告らの過失割合は八割、一郎の過失割合は二割と認められるから、過失相殺後の損害は、四九〇六万二九一六円となる。
(6) 損益相殺
ア 一郎の死亡に関し、太郎及び原告に対し、労災保険から遺族補償年金前払一時金として七二四万七〇〇〇円、葬祭料として五二万二四一〇円が支払われたことは当事者間に争いがない。
そして、遺族補償年金及び葬祭料の労災保険給付は、労働者たる一郎が死亡したことによる逸失利益及び葬儀費用の損害を填補する性質を有するから、これらについては損害額から控除するのが相当である。
なお、被告らは、《証拠省略》に記載されている年金年額「一四九万九五〇〇円」についても損害額から控除すべきである旨主張するが、《証拠省略》にあるとおり、太郎及び原告は、遺族補償年金について一時金による前払を請求し、一〇〇〇日分にあたる年金として上記七二四万七〇〇〇円の支給を受け、これにより、保険給付の年金の支払は停止されているから、被告らの上記主張は理由がない。
イ 被告らは、原告は、資格を有する限り、労災保険から遺族補償年金を受給することになるから、原告が将来受給する遺族補償年金についても、損害額から控除すべきである旨主張する。
原告が取得した労災保険による遺族補償年金の受給権につき、損益相殺的な調整が許されるのは、当該債権が現実に履行された場合又はこれと同視し得る程度にその存続及び履行が確実であるということができる場合に限られるものというべきである。
そして、労災保険による遺族補償年金については、労災保険法の規定によれば、被災労働者の父母が遺族補償年金の受給権を取得した場合においても、その者の死亡などによって遺族補償年金の受給権の喪失が予定されているのであるから(法一六条の四)、既に支給を受けることが確定した遺族補償年金については、現実に履行されたと同視し得る程度にその存続が確実であるということができるが、支給を受けることがいまだ確定していない遺族補償年金については、上記の程度にその存続が確実であるということはできない。
本件においては、原告は、上記のとおり、遺族補償年金前払一時金の支給を受けたことにより、保険給付の年金の支払は停止されており、既に受給したもの以外に、支給を受けることが確定したものはないから、被告らの上記主張も理由がない。
ウ 被告らは、遺族特別支給金及び遺族特別年金についても、これを損害額から控除すべきであると主張する。
しかしながら、労災保険による遺族特別支給金、遺族特別年金等の特別支給金の支給は、政府が、労働福祉事業の一環として、被災労働者の遺族の生活の援護等によりその福祉の増進を図るために行うものであり、使用者又は第三者の損害賠償義務の履行と特別支給金の支給との調整に関する規定もないことを考慮すると、特別支給金が被災労働者の損害を填補する性質を有するものであるということはできず、したがって、太郎及び原告が労災保険から受領した特別支給金を損害額から控除することはできないものというべきである。
よって、被告らの上記主張は理由がない。
エ さらに、被告らは、日本リネンサプライ業厚生年金基金から支払われた遺族一時金についても、損害額から控除すべきであると主張する。
しかしながら、《証拠省略》によれば、当該基金は、厚生年金保険法に基づき、加入員の老齢、死亡又は脱退について給付を行い、もって加入員及びその遺族の生活の安定と福祉の向上を図ることを目的とするものであるところ、上記基金から支払われた遺族一時金三六万〇五〇〇円が損害の填補としての性質を有するとは認められないから、これを損害額から控除することはできないものというべきである。
オ 以上によれば、過失相殺後の損害額四九〇六万二九一六円から遺族補償年金前払一時金七二四万七〇〇〇円及び葬祭料五二万二四一〇円を控除すべきであり、これを控除した残額は、四一二九万三五〇六円となる。
(7) 弁護士費用
原告及び太郎が本件訴訟の提起及びその遂行を弁護士である原告訴訟代理人に委任したことは記録上明らかであるところ、本件訴訟の難易度、審理の経過、認容額その他本件に顕れた諸般の事情に照らすと、本件事故と相当因果関係のある弁護士費用は、四〇〇万円と認めるのが相当である。
(8) 相続
《証拠省略》によれば、太郎及び原告は、一郎の被告らに対する損害賠償請求権をそれぞれ二分の一の割合で相続し、次いで、原告は、太郎の被告らに対する損害賠償請求権を相続したものと認められる。
(9) まとめ
したがって、原告は、被告らに対して、四五二九万三五〇六円の損害賠償請求権を有する(なお、被告らの損害賠償債務は不真正連帯の関係にあるものと解される。)。
五 結論
よって、その余の点について判断するまでもなく、原告の本訴請求は、被告らに対し、連帯して四五二九万三五〇六円及びこれに対する不法行為の日である平成一二年三月二四日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求は理由がないから棄却することとして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 橋本和夫 裁判官 中山幾次郎 柵木澄子)
<以下省略>