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東京地方裁判所八王子支部 平成17年(ワ)2253号 判決 2006年8月18日

原告

マスミューチュアル生命保険株式会社

同代表者代表取締役

平野秀三

同訴訟代理人弁護士

竹谷智行

被告

立川市

同代表者市長

青木久

同訴訟代理人弁護士

須﨑市郎

主文

1  被告は,原告に対し,金1108万1304円及びこれに対する平成17年11月3日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  この判決は,仮に執行することができる。

事実及び理由

第1  請求

主文同旨

第2  事案の概要

本件は,被告が,訴外甲野太郎(以下「太郎」という。)の市都民税滞納金を徴収するため,太郎と原告との間の生命保険契約に基づく太郎の請求権を差し押え,同契約の解約に基づく払戻金等の支払を原告から受けたが,被保険者たる太郎が上記差押えから支払までの間に死亡していたことから,原告が被告に対し,被告の上記金員の受領は既に消滅していた解約払戻金請求権に基づくもので法律上の原因を欠き不当利得にあたるとして,同金員の返還を求める事案である。

1  前提事実(争いのない事実及び証拠により容易に認められる事実)

(1)  原告は,生命保険業等を営む株式会社である。

(2)  原告は,平成6年,太郎との間で以下の内容の生命保険契約(以下「本件保険契約」という。)を締結した。(甲6,乙3)

ア 保険契約日  平成6年8月1日

イ 保険期間   終身

ウ 保険の種類  ニューワイド(終身保険)

エ 保険契約者  太郎

オ 被保険者   太郎

カ 保険金額   3000万円

キ 保険金受取人 法定相続人

ク 証券番号   ****

(3)  被告は,平成17年1月13日,太郎が滞納した平成13年度ないし平成16年度の市都民税計697万0900円及び同日までの延滞金計308万1500円の合計金1005万2400円を徴収するため,太郎が原告に対して有する本件保険契約に基づく全ての支払請求権を差し押さえた(以下「本件差押え」という。)。(乙5の1及び2)

(4)  原告は,同年2月21日,被告に対し,太郎の本件保険契約に基づく解約払戻金1105万8000円及び未払配当金2万3304円の計1108万1304円を支払った(以下「本件支払」という。)。(甲3,乙10の1及び2)

(5)  太郎は,上記(4)の支払に先立つ同年2月6日にタイ国内で死亡し,太郎の長男である甲野一郎(以下「一郎」という。)が同年2月17日に太郎の死亡を八王子市に届け出た。なお,太郎の戸籍(本籍地所沢市)は,届出の送付を受けた日を同年2月22日として死亡の記載及び戸籍の消除がなされ,太郎の住民票(届出地立川市)は,通知を受けた日を同年2月23日として死亡の記載及び住民票の消除がなされている。(甲4,乙2,14の1)

2  争点

生命保険契約に基づく保険契約者の支払請求権を差し押さえた後に被保険者が死亡した場合の解約払戻請求権の帰趨

3  原告の主張

(1)  本件保険契約における解約払戻金は,保険契約者が同契約を任意解約した場合に責任準備金から保険契約者に対して支払われる金員であり,解約前に被保険者が死亡している場合には,解約時には解約払戻金請求権は既に消滅しており払戻金の受領には法律上の原因がないことになる。また,解約払戻金請求権の差押債権者が,第三債務者である保険者に対して取立をするためには,差押えとは別に解約権の行使が必要である。

(2)  この点,被告が本件保険契約の解約請求書を送付したのは平成17年2月15日で,これが原告に到達したのは同年2月16日であり,この到達日が本件保険契約の解約の日となるから,本件においては解約前に被保険者たる太郎が死亡しており,本件支払は被告の不当利得になる。

(3)  なお,原告は,本件支払後の同年3月8日,保険金受取人からの保険金請求書類を受領したことで太郎の死亡を確認した。

4  被告の主張

(1)  被告は,原告に対し,平成17年1月13日に本件差押えについての債権差押通知書を送付し,同通知書は同年1月17日に原告に到達しているところ,この通知は,滞納税が納付されない場合には本件保険契約を解約し,解約払戻金の支払いを受けて滞納金に充当するとの解約払戻金請求権行使の意思表示をしたものである。

(2)  また,被告は,太郎に対し,同年1月24日に本件差押えについての差押調書及び強制換価手続開始を事由とする市都民税の納期限変更告知書を送付し,これら書面は同年1月25日に太郎に到達した。また,被告は,太郎の任意代理人である甲野一美(以下「一美」という。)に対し,同年1月28日に上記各書面の写しを送付し,これら書面は同年1月29日に一美に到達した。これら通知は,滞納税が納付されない場合には本件保険契約の解除権を代位行使して同契約を解約し,原告から解約払戻金の支払を受けて滞納金に充当するとの解約払戻金請求権行使の意思表示を生前の太郎に対してしたものである。

(3)  さらに,被告は,原告に対し,同年2月4日に本件保険契約の解約払戻金請求書用紙の送付を書面により依頼し,同書面は同年2月5日に原告に到達しているものと思料される。

(4)  以上のとおり,被告は,本件差押え,本件保険契約の解除権の行使及び解約払戻金請求権の行使の各手続をいずれも太郎の死亡前に行っているから,本件支払は不当利得にはあたらない。なお,国税徴収法は,滞納者の財産について滞納処分を執行した後,滞納者が死亡したときは,その財産につき滞納処分を続行することができる旨を定めており(同法139条1項),旧民事訴訟法552条1項及び民事執行法41条1項の規定も同様である。

(5)  被告は,太郎の死亡が公簿に未登載であったことから,これを知らないまま以後の手続を善意かつ適法に行ったものであるのに対し,原告は,平成17年2月7日,太郎の法定相続人で本件保険契約の保険金受取人である一郎に対して保険金請求書用紙を送付し,同年2月17日,太郎の死亡に関する届出を受けたが不備があったためこれを届出人に戻した経緯がある。そうすると,原告は,太郎の死亡を知りながら本件支払をしたか,仮に太郎の死亡を確定的に認識していなかったとしても,保険事故の発生の有無に関する注意義務を欠いたまま本件支払を行ったというべきところ,原告は,本件支払後に太郎の法定相続人から責任追及されたために,これを被告に転嫁して本件支払の返還を求めようとしており不当な請求である。

第3  判断

1  前記前提事実及び証拠(乙12のほか文中指摘のもの)によれば,本件差押えから本件支払に至る経緯等として以下の事実が認められる。

(1)  被告は,平成17年1月13日,本件保険契約に基づく太郎の原告に対する支払請求権を差し押さえ,同年1月17日,本件差押えの差押調書及び債権差押通知書が第三債務者たる原告に到達した。(甲1,乙4の1,5の1及び2)

(2)  被告は,同年1月24日,太郎の平成16年度分市都民税第4期分の税額21万円について納期限を同年1月26日とする納期限変更告知書を本件差押えの差押調書とともに太郎の住民票上の住所に送付し,同書面は同年1月25日に同所に配達された。また,被告は,これら各書面を太郎の任意代理人とされていた一美(一郎の妻)に対しても送付し,同書面は同年1月29日に一美に到達した。(乙4の2,5の1及び2,6の1ないし3,15の1)

(3)  被告は,同年2月4日,原告に対し,本件差押えにかかる債権につき解約を執行することになったとして,本件保険契約の解約請求書用紙の送付を依頼し,同年2月10日ころ,原告から解約請求書用紙の送付を受けた。(乙7の1ないし3)

(4)  被告は,同年2月15日,原告に対し,本件保険契約の解約のために債権者代位権を行使し解約請求書のとおり請求するとして,「債権者代位による解約返戻金支払請求について」と題する書面及び本件保険契約の解約請求書を送付し,同書面は同年2月16日に原告に到達した。(甲2,乙8の1及び2,9の1及び2)

(5)  被告は,同年2月21日,原告から1108万1304円の本件支払を受け,このうち1016万0900円を本件差押えにかかる太郎の滞納税額計697万0900円及び延滞金計319万円に配当し,21万円を平成16年度第4期分の市都民税(同年2月2日交付要求)に配当し,71万0404円が太郎に還付されるべき金員として残ったところ,被告は,同年2月22日,上記配当に関する計算書を太郎方及び一美に送付し,同書面は同年2月24日にそれぞれ配達された。(乙11の1ないし6)

(6)  他方,本件保険契約の保険金受取人とされた太郎の法定相続人である一郎は,同年2月17日付けの請求書により,原告に対し,本件保険契約に基づく保険金の支払を請求し,原告は,同請求書を同年3月8日付けで受付処理した。(甲7)

2  以上を前提に本件請求につき検討する。

(1) 本件保険契約においては,被保険者が保険期間中に死亡した場合を死亡保険金の支払事由と定める一方(甲5約款2条),保険契約者による任意の解約を認め,解約請求書等保険会社所定の必要書類を提出することにより保険会社から払戻金が支払われるものと定めているところ(甲5約款20条,21条,41条),上記解約払戻金請求権は,保険契約者が解約権を行使することにより効力を生ずる権利と解され,同請求権と保険金請求権との関係については,保険金支払事由の発生により保険金受取人の保険金請求権が現実化する一方で,解約払戻金請求権は上記支払事由の発生により消滅するものと解される。

(2) そして,上記解約権は,保険契約者の債権者が当該保険契約における保険契約者の請求権を差し押さえ,債権者代位により同解約権を行使することも可能と解されるところ,本件において被告が保険契約者たる太郎の本件保険契約上の請求権を差し押え,解約権を代位行使した経緯は前記認定のとおりであり,被告が本件保険契約の解約権を行使したものと認められるのは,被告による解約請求書が原告に到達した平成17年2月16日というべきである。

(3) 一方,保険金支払事由たる被保険者太郎の死亡の時期は,前記認定のとおり同年2月6日であるから,本件において被告が解約権を行使した上記時点においては,既に保険金支払事由の発生により解約払戻金請求権は消滅していたものと言わざるを得ない。

(4) 以上に対し,被告は本件差押えの通知ないし解約請求書用紙の送付依頼をしたことをもって解約権の行使があったとの趣旨の主張をするが,解約権の行使は本件保険契約の前記約款により解約請求書の提出をもってこれを認めるべきもので,被告主張の上記手続により解約権の行使があったものとは認められない。さらに被告は,国税徴収法及び民事執行法等の規定を挙げて,本件においても太郎の死亡により手続は影響を受けないとの趣旨の主張をするが,前記判断のとおり,解約払戻金請求権が保険金支払事由の発生により消滅する権利であることを前提とすれば,本件差押え後であっても,解約権の行使前に被保険者が死亡したことによって解約払戻金請求権は消滅し,もはや被告はこれを行使することができなくなったというべきであり,上記被告の主張は採用することができない。

(5)  以上によれば,本件支払は,被告がこれを受領する法律上の原因を欠くものとして不当利得にあたるものと認められ,また,原告から被告に対して不当利得返還請求をすることについて,これが不当であって許されるべきでないとする特段の事情も認めるに足りない。したがって,被告は原告に対し,本件支払にかかる1108万1304円金及びこれに対する訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな平成17年11月3日から支払済みまで民法所定年5分の割合による遅廷損害金を支払うべきものと判断する。

3  よって,原告の請求を認容し,主文のとおり判決する。

(裁判官・茂木典子)

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