東京地方裁判所八王子支部 平成8年(ワ)2597号 判決 1999年12月22日
本訴原告
筒井英治
本訴被告
株式会社伊東設備
ほか一名
反訴原告
株式会社伊東設備
反訴被告
筒井英治
主文
一 原告の本訴請求をいずれも棄却する。
二 原告は、被告会社に対し、一四万五九〇〇円及びこれに対する平成九年六月二四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 被告会社のその余の反訴請求を棄却する。
四 訴訟費用は、本訴に要した費用を原告の負担とし、反訴に要した費用を被告会社の負担とする。
五 第二項は、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
一 本訴請求
被告らは、各自、原告に対し、一三一二万四八〇〇円及びこれに対する平成六年六月七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 反訴請求
原告は、被告会社に対し、三〇〇万円及びこれに対する平成九年六月二四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本訴は、原告が、被告らに対し、被告阿久津が被告会社の社用車をバックで運転中に右車両の後部を原告の背後からその腰などに衝突させ、原告に頸椎捻挫及び腰椎捻挫等の傷害を負わせた(以下、「本件事故」という。)として、治療費、休業損害、傷害及び後遺障害に対する慰謝料並びに弁護士費用等合計一三一二万四八〇〇円の損害賠償を請求している事案である。
反訴は、被告会社が、原告に対し、本件事故による正当な治療費や給与等の額を超えて合計四三六万五四〇二円を支払ったと主張して、その内金三〇〇万円を原告の不当利得であるとして返還請求している事案である。
第三本訴についての当事者の主張
一 原告の請求の原因
1 当事者
被告会社は自動ドア装置施工請負を業とする会社であり、原告及び被告阿久津は、本件事故当時、いずれも被告会社において勤務する者であった。
2 本件事故の内容
(一) 日時
平成六年六月七日午前九時頃
(二) 場所
東京都田無市南町二丁目五番一八号所在被告会社前路上
(三) 加害者
被告阿久津
(四) 加害車両
被告阿久津が運転していた被告会社の社用車である小型貨物自動車(多摩四五ほ一六四八。以下、「本件加害車両」という。)
(五) 事故態様
勤務中だった原告が被告会社のライトバンに荷物等を積み込み、徒歩で被告会社事務所に戻ろうとしていたところ、被告阿久津が後方不注意のまま本件加害車両を後退させたため、車両後部を原告の背後からその腰部等に衝突させた。
3 被告らの責任原因
被告らは、次の理由に基づき、連帯して、原告が本件事故により被った損害を賠償すべき責任がある。
(一) 被告阿久津
被告阿久津には、後方不注意のまま本件加害車両を後退させて原告に衝突させた過失があるので、民法七〇九条による責任を負う。
(二) 被告会社
被告会社は、本件加害車両の運行供用者として自動車損害賠償保障法(以下、「自賠法」という。)三条による責任を負う。
4 原告の傷害、通院経過及び後遺障害
原告は、本件事故により、頸椎捻挫及び腰椎捻挫の各傷害を負い、病院等へ通院して治療を受けた結果、平成九年三月三日、後遺障害を残して症状が固定した。
右通院経過及び後遺障害の内容は、次のとおりである。
(一) 通院経過
(1) 昭和病院
平成六年六月八日 一日間
(2) 緑成会病院
平成六年九月二〇日 一日間
(3) 宮坂鍼灸接骨院
平成六年六月一四日から同年一〇月二八日 八三日間
(4) 国分寺整骨院
<1> 平成六年一〇月二九日から同年一二月七日 二一日間
<2> 同年一二月一二日から平成七年三月二七日 二七日間
(5) 南天子堂鍼灸院
<1> 平成七年四月七日から同年九月二九日 五一日間
<2> 同年一〇月三日から平成八年二月二七日 四二日間
<3> 平成八年三月一日から同年七月一二日 四二日間
<4> 同年七月一二日から同年一〇月四日 二〇日間
(二) 後遺障害
原告は、本件事故によって、頸椎捻挫の痛みから来ると思われる上肢及び両足の痛み、しびれがあり、首や腕の上げ下げもできず、足に痛みが走るため、家庭における一般の日常生活ができず、会社の簡単な仕事もできなくなるなどの後遺障害が残った。これは、自賠法施行令二条別表後遺障害別等級表(以下、「自賠法施行令等級表」という。)の一二級六号「一上肢の三大関節の機能に障害を残すもの」に相当し、また、同表一二級一二号「局部に頑固な神経症状を残すもの」に該当する。
5 損害及びその額
(一) 治療関係費
(1) 治療費 四六万八〇〇〇円
本件事故によって原告が負った傷害の治療には、平成六年六月から平成八年一〇月一八日までと、同年一一月二八日から少なくとも一年間が必要である。
原告は、被告会社から、平成八年七月一二日分までの治療費について支払いを受けているが、それ以降の治療費一〇万八〇〇〇円及び同年一一月二八日以降一年間の治療費合計三六万円(治療費を月三万円として)については未だ支払いを受けていない。
したがって、被告らに請求すべき治療費は合計して四六万八〇〇〇円となる。
(2) 通院交通費 七万六八〇〇円
平成八年一〇月四日までの治療に要した通院交通費は七万六八〇〇円である。
(二) 休業損害 三三六万一二八〇円
原告は、本件事故の影響のため、平成八年九月から休職を余儀なくされ、平成九年一月二〇日頃には被告会社を退職せざるを得なくなった。したがって、原告の休業損害としては、平成八年九月より症状固定の平成九年三月三日までの給与六か月分相当額となり、その金額は三三六万一二八〇円(一年の給与額六七二万二五六〇円の半額)となる。
(三) 逸失利益 一一七二万八九〇四円
平成九年三月三日の症状固定日(当時原告は四六歳)から原告が六七歳になるまでの二〇年間における逸失利益は、原告の前記後遺障害が自賠法施行令等級表の一二級に相当するから、労働能力喪失率を一四パーセントとして計算すると、一一七二万八九〇四円になる。
計算式
六七二万二五六〇円×〇・一四×一二・四六二二(二〇年のライプニッツ係数)=一一七二万八九〇四円
(四) 傷害慰謝料 一五〇万円
(五) 後遺障害慰謝料 二七〇万円
(六) 弁護士費用 一二〇万円
6 よって、原告は、被告らに対し、被告阿久津に対しては民法七〇九条に基づき、被告会社については自賠法三条本文に基づき、連帯して、本件事故による損害賠償請求として、右5の(一)ないし(五)の合計額である一九八三万四九八四円の内金一一九二万四八〇〇円に右5(六)の額を合計した一三一二万四八〇〇円及びこれに対する本件事故日である平成六年六月七日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の各支払いを求める。
二 請求の原因に対する被告らの認否及び反論
1 1ないし3項は認める。
2 4項のうち、原告が本件事故によって頸椎捻挫及び腰椎捻挫の各傷害を負った事実並びに原告が(一)(1)ないし(4)及び(5)の<1>のとおり病院等へ通院して右各傷害の治療を受けた事実は認め、原告が(一)(5)の<2>ないし<4>のとおりの通院治療を受けた事実は知らない。平成九年三月三日に同(二)のような内容の後遺障害を残して症状が固定したとの事実は否認する。
3 5項について
(一) 同(一)(治療関係費)について
(1) 同(1)(治療費)について
同(1)のうち、被告会社が原告に平成八年七月一二日分までの治療費を支払ったこと、それ以降の治療費を支払っていないことは認め、その余は否認する。
原告の各傷害の治療期間としては平成六年九月末日までが相当であり、したがって、相当な治療費は、昭和病院に対する一万四四四〇円、緑成会病院に対する三万一七八〇円及び宮坂鍼灸接骨院に対する三万九八五〇円の合計八万六〇七〇円であるところ、被告会社において既に支払済みである。
(2) 同(2)(通院交通費)について
原告が主張するような通院交通費を支払ったことは知らない。
(二) 同(二)(休業損害)について
原告が平成八年九月頃から被告会社に出社しなくなったこと、原告が平成九年一月二〇日頃に被告会社を退職したことは認め、その余は否認する。
本件事故と相当因果関係がある休業期間は長くても三か月であり、その期間の休業損害額としては一〇四万一三七円が相当であるところ、既に被告会社において支払済みである。
(三) 同(三)(逸失利益)について
否認する。
(四) 同(四)(傷害慰謝料)について
五〇万円の限度で認める。
(五) 同(五)(後遺障害慰謝料)について
否認する。
(六) 同(六)(弁護士費用)について
争う。
第四反訴についての当事者の主張
一 被告会社の反訴請求の原因
1 治療費に関する原告の不当利得額 七一万三五〇〇円
(一) 既払い額
被告会社は、原告に対して、次のとおり合計して七九万九五七〇円を治療費として支払った。
(1) 昭和病院分 一万四四四〇円
(2) 緑成会病院分 三万一七八〇円
(3) 宮坂鍼灸接骨院分 三万九八五〇円
(4) 国分寺整骨院分 二三万八五〇〇円
(5) 南天子堂分 四七万五〇〇〇円
(二) 適正額
原告の傷害の治療期間としては平成六年九月末日までが相当である。したがって、被告会社が原告に対し本件事故の賠償として支払うべきだった適正な治療費は、前記(1)ないし(3)の合計八万六〇七〇円である。
(三) 原告の不当利得額
以上によれば、原告は、被告会社から、右(一)と(二)の差額七一万三五〇〇円を法律上の原因なくして利得したこととなる。
2 給与等に関する原告の不当利得額 三六七万二〇七七円
(一) 原告に対する給与等の支払い状況
被告会社は、原告に対して、本件事故発生後平成八年八月までの間に、別紙「実際支払明細表」記載のとおり、給与等として合計一四一九万六八六七円を支払った。
(内訳)
給与 一一二五万四三三円(「給料支給額」欄記載の額と「欠勤分」欄記載額の合計額)
皆勤手当 七〇万五〇〇〇円
賞与 二二四万一四三四円
(二) 原告の欠勤日数
原告は、平成六年六月から平成八年八月までの間、公休及び有給休暇を除いて、平成六年度には合計一一五日、平成七年度には合計八八日、平成八年度には合計五二日、合計すると二五五日欠勤した。
(三) 原告の給与等から欠勤控除すべき額
(1) 給与について控除すべき額 二五八万二七六一円
<1> 給与からの欠勤控除基準
被告会社においては、給与からの欠勤分を控除するに際して、基本給を一か月二三日で除した全額に欠勤日数を乗じた金額を基本給から控除することになっている。ただし、欠勤日数が一〇日間を超える場合は、一〇日を限度として控除額を算出する。
<2> 控除額
右基準を原告に適用すると、基本給三一万七九三四円を二三日で除し、一日あたりの金額を一万三八二三円として、それに欠勤日数を乗じると、平成六年六月から平成八年八月までの間に原告の給与から欠勤控除すべき金額は、合計して二五八万二七六一円となる。
(2) 皆勤手当について控除すべき額 五八万五〇〇〇円
<1> 皆勤手当支給基準
被告会社においては、皆勤手当は無欠勤の場合に月額三万円、一日欠勤の場合には月額一万五〇〇〇円を支給し、二日以上欠勤すると支給しないことと定められていた。
<2> 控除額
このような基準を原告に適用すると、平成六年六月から平成八年八月までの間に原告の皆勤手当から欠勤控除すべき金額は、五八万五〇〇〇円となる。
(3) 賞与について控除すべき額 五〇万四三一六円
<1> 賞与支給基準
被告会社における賞与支給基準は、夏期が基本給の一・五か月分、冬期が基本給の二か月分となっているが、欠勤がある場合は、支給対象期間六か月(一か月稼働日数二三日×六=一三八日)から欠勤日数を差し引き、出勤日数の割合で控除する。
<2> 控除額
この基準を原告に適用すると、平成六年六月から平成八年八月までの間に原告の賞与から控除すべき金額は、合計して五〇万四三一六円となる。
(四) 原告の不当利得額
被告会社は、原告に対し、右(一)のとおり、給与等として合計一四一九万六八六七円を支払っているが、これは、原告が右(二)のように欠勤していたにもかかわらず、右(三)のような欠勤控除を行わずに支払ったものである。
したがって、原告は、右(三)の三六七万二〇七七円を法律上の原因なく利得したものである。
3 原告の不当利得額 四三八万四〇二円
以上によれば、被告会社は、原告に対して、治療費として七一万三五〇〇円、給与等として三六七万二〇七七円の合計四三八万五五七七円を法律上の原因に基づかずに支払い、原告は法律上の原因に基づかず右差額を受領したこととなる。
ただ、事故後三か月間については、被告会社は原告に対してその給与の六割補償(原告の事故前三か月間の平均給与額四五万九四二八円の六割は二七万五六五七円となる。)をすべきところ、平成六年八月分の給与については、給与として二七万〇四八二円しか支払っていないので、その差額である五一七五円については右差額四三八万五五七七円から控除すべきこととなる。したがって、原告の不当利得額は、合計して四三八万〇四〇二円となる。
4 よって、被告会社は、原告に対して、右四三八万〇四〇二円の内金三〇〇万円及びこれに対する反訴状送達の日の翌日である平成九年六月二四日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
二 反訴請求の原因に対する原告の認否
1 1項のうち、(一)は認め、その余は否認する。
2 2項について
(一) 同(一)については、被告会社が原告に対して給与等の支払いをした事実は認めるが、その額については否認する。被告会社の主張にかかる金額は税金等が控除される前の額であって、現実に原告が受領した額は、別紙「支払明細書」記載のとおりであり、合計して一一六六万九八八五円である。
(二) 同(二)は認める。
(三) 同(三)は否認する。
(四) 同(四)のうち、被告会社が原告に対して欠勤控除基準を適用せずに給与等を支払ったことは認め、その余は争う。
3 3及び4項は争う。
三 原告の反論
1 法律上の原因
原告は、被告会社の従業員である被告阿久津の過失により負傷し、それに対する補償として、前記給与等及び治療費を受領したものであるから、したがって、右金員の受領は法律上の原因に基づいてなされたものである。
2 非債弁済
被告会社は、原告の生活状況等から原告をかわいそうに思い、平成六年九月以降も原告に対して給与等及び治療費を支払い続けてきたものであり、被告会社はそれらの支払い当時において義務がないことを認識した上で支払い続けたといえる。
したがって、被告会社は支払当時に債務の存在せざることを知って支払いをなしたものであるから、非債弁済として、民法七〇五条によりその返還を請求できない。
第五主要な争点
一 本訴について
本訴請求の原因1ないし3項の各事実並びに同4項のうち原告が本件事故によって頸椎捻挫及び腰椎捻挫の各傷害を負った事実については当事者間に争いがない。
本訴における主要な争点は、<1>本件事故により原告が負った各傷害の程度、その症状固定日はいつか、<2>原告には本件事故による後遺障害が存在するか、<3>本件事故と相当因果関係にある損害額はいくらかの三点である。
二 反訴について
反訴における主要な争点は、被告会社が原告に対して支払った治療費(その額は当事者間に争いがない。)及び給与等(その額につき争いがある。)のうち、被告会社が原告に対し支払うべきであった額を超える部分が原告の不当利得となるか、それが不当利得となるとして被告の非債弁済に当たるかどうかである。
第六争点に対する判断
一 本件の争点<1>及び<2>について
1 証拠(甲一の一及び二、二の一ないし九、甲四、五の二、六の一及び二、乙一ないし四、五の二、九、原告本人)及び弁論の全趣旨によれば次の事実が認められる。
(一) 本件事故及び事故直後の原告の状況
本件事故は、前記のとおり、被告会社前路上において、被告阿久津が本件加害車両を運転し後退させたところ、車両後部を原告の背後からその腰部等に接触させたというものであるところ、原告は、右衝突の衝撃によって、足がもつれ、手を前につくような状態で、被告会社事務所構内に倒れ込み、手とひざを地面に着けた。しかし、原告は、それ以上にひどく飛ばされたり、転倒したりしたことはなかった。そして、原告の衝突直後の痛みとしては、本件加害車両が衝突した腰部付近に打撲のような痛みを感じるのみで、他の部分には痛みを感じず、また、腰部の痛みもひどくはなかった。
(二) 原告が訴えていた症状、診断結果及び治療内容等
(1) 原告は、本件事故発生の翌日である平成六年六月八日に、昭和病院に赴き診察を受けた。その際、原告は、首と頭の軽いしびれを訴え、レントゲン撮影や問診などの検査を受けた。しかし、レントゲン検査では異常が認められず、頸椎捻挫で受傷より全治一〇日間を要する見込みである旨の診断(乙一)を受けた。
(2) 原告は、平成六年六月一四日、宮坂鍼灸接骨院に赴き、首のむち打ちを訴え、右肩部捻挫及び腰部捻挫として治療を受けた(乙三)。その際、原告は、整形外科(昭和病院)ではレントゲン検査で異常がないと診断され、現在は湿布を貼っているだけであること、首のむち打ちは気候の変化(特に梅雨時)によって痛むことがある旨述べた(乙三)。ところが、原告は、同年八月七日以降は、頸部捻挫及び左肘部捻挫として治療を受け始め、同年一〇月二八日まで継続して治療を受けた。原告の各傷害の症状については、右治療終了時までに、「良好に向かいつつある」旨診断された(甲二の三)。
(3) 原告は、宮坂鍼灸接骨院での治療と並行して、平成六年九月二〇日に緑成会病院整形外科に行き、首、腰及び左足裏側のしびれを訴えた。同病院でレントゲン検査や問診等を受けた結果、原告の各傷害は腰椎捻挫、頸椎捻挫と診断された。診断書においては「レントゲン、徒手検査など他覚所見は見られなかった」とされ、また後遺障害についても「なし」と診断された(甲一の一)。
(4) しかるに、原告は、平成六年一〇月二八日以降、さらに次のような治療を受け続けた。
<1> 原告は、同年一〇月二九日、頸部から左腕及び腰部から左足へのしびれを訴えて国分寺整骨院で治療を受け始めたが、その治療は温熱療法、徒手矯正、マッサージ療法、電気療法などであった。国分寺整骨院での治療は平成七年三月二七日まで四八回に及んだ。
<2> 原告は、平成七年四月七日、南天子堂を訪れ、首の後ろあたりがしびれ、側頭部にまで及ぶと気分が悪くなるなどと訴えて診察を受けた。原告はその際に腰痛を訴えていなかったが、同年五月一日、腰痛が再発したと訴え、頸部や腰部について鍼を打つなどの治療を受けた。南天子堂での治療は平成九年頃まで続いた。
<3> 原告は、平成九年三月三日、東邦大学医学部附属大森病院で自動車損害賠償責任保険後遺障害診断を受けた。原告の各傷害については、症状固定日が「平成九年三月三日」、傷病名が「腰部打撲」、自覚症状が「腰痛及び両下肢のしびれ」と診断され、他覚症状等の検査結果としては、知覚、反射、筋力等の神経学的所見は正常、他覚症状は特になく、自覚症状のみであると診断された。
2 以上の事実を総合すれば、原告が本件事故によって負った頸椎捻挫及び腰椎捻挫の各傷害は、遅くとも平成六年一〇月末頃までには、後遺障害が存在することなくその症状が固定したと判断するのが相当である。
すなわち、本件事故の衝撃はそれほど強いものであったとは認められないところ、事故翌日になされた原告の各傷害に対する診察では、レントゲン検査で異常が見つからないなど他覚所見が認められず、専ら頭や首の軽いしびれという自覚症状が認められるのみであって、全治一〇日間の頸椎捻挫と診断されていること、平成六年九月二〇日になされた緑成会病院での診察でも他覚所見は一切認められず、首などの痛みやしびれなどの自覚症状が認められただけであり、後遺障害については明確に「ない」と診断されていること、そして、同年一〇月二八日まで診察・治療を受けていた宮坂鍼灸接骨院においても、原告の症状は良好に向かいつつある旨の診断がなされていること、そうすると、本件事故によって原告が負った各傷害は、遅くとも宮坂鍼灸接骨院での治療が終了した後である平成六年一〇月末頃までにはその症状が固定していたと認めるのが相当である。
後遺障害の存否についても、原告の自覚症状は、当初首や頭の痛みだけであったのが、平成一〇年末頃以降、手や左足、腰にまで広がっているものの、その自覚症状に対する治療としては、温熱療法や鍼灸治療等の理学的療法が漫然と続けられていたにすぎないこと等に鑑みれば、原告が後遺障害として主張している各種の自覚症状は、心理的・精神的な要因によって生じた他覚所見のない不定愁訴であるといわざるを得ず、本件事故と因果関係のある後遺障害とは認めることはできない。
以上によれば、原告の各傷害は、遅くとも平成六年一〇月末頃までには後遺障害が存在することなくその症状が固定したというべきである。
3 前記のとおり、症状固定日を「平成九年三月三日」とする同日付東邦大学医学部付属大森病院の診断書(甲六の一)が存在するが、この診断書は、事故発生後二年八か月以上経過した後に、わずか二回通院したのみで作成されたものであり、しかも、右診断においても他覚所見は認められず、固定したと判断された症状も自覚症状のみとされている(甲六の二)のであるから、結局右診断書に記載された症状固定日は診察終了日を意味するにすぎないものというべきであり、したがって、右診断書を根拠に原告に後遺障害の存在を認めたり、原告の傷害の症状固定日を平成九年三月三日と認めることはできない。
二 争点<3>について
1 以上の認定に基づいて、原告の損害額を計算すると、合計六五万三六七〇円となる。その詳細は次のとおりである。
(一) 治療費 八万六〇七〇円(請求金額 四六万八〇〇〇円)
平成六年一〇月末日までの治療費である合計八万六〇七〇円
(二) 通院交通費 一万三二〇〇円(請求金額 七万六八〇〇円)平成六年一〇月末日までの通院交通費としては合計一万三二〇〇円が相当である。
(三) 休業損害 〇円(請求金額 三三六万一二八〇円)
原告は、本件事故の影響のため平成八年九月から休職を余儀なくされたと主張するが、前記認定によれば、右休職は本件事故と相当因果関係の範囲内にあるとは認められない。
(四) 逸失利益 〇円(請求金額 一一七二万八九〇四円)
前記のとおり、原告には本件事故による後遺障害は認められない。
(五) 傷害慰謝料 五〇万円(請求金額 一五〇万円)本件事故によって原告が負った各傷害に対する慰謝料としては五〇万円が相当である。
(六) 弁護士費用 六万円(請求金額 一二〇万円)
本件における弁護士費用としては六万円が相当である((一)ないし(五)の合計金額五九万九二七〇円の約一割)。
2 被告会社による右損害のてん補
被告会社が、原告に対して、本件事故の「治療費」名目で合計七九万九五七〇円を支払ったことは当事者間に争いがない。しかして、弁論の全趣旨によれば、この支払いは厳密な意味における治療費に限定する趣旨としてではなく、本件事故によって原告に発生した全損害に対する賠償として支払われたものと認めるのが相当である。
そうすると、被告会社は、原告の損害については既に全額をてん補したものと認められる。
三 反訴における争点について
1 治療費について
(一) 不当利得の成否
前記認定のとおり、被告会社が原告に賠償すべき損害額は合計六五万三六七〇円であるが、被告会社は、原告に対して、右損害額を超えて合計七九万九五七〇円を支払っている。そこで、右差額一四万五九〇〇円について検討するに、右差額は、客観的にみて、被告会社が原告に対して負担している損害賠償義務の範囲外のものであるから、その支払いは「法律上の原因」なくしてなされたものといわざるを得ない。したがって、右差額は原告の不当利得になるというべきである。
(二) 非債弁済
証拠(甲二の六ないし九、甲七、乙五の二、乙九、証人澤崎平、原告本人、被告会社代表者)及び弁論の全趣旨によれば、被告会社は、原告から南天子堂等の領収書の提出を受けて、そこに記載された金額を治療費として支払っていたこと、原告は、被告会社から治療費の支払いを受けていた際には、現実に南天子堂等へ通院し、首や腰のしびれや痛みを訴えて温熱療法等の治療を受けていたこと、原告は、右治療等を理由としてしばしば被告会社を欠勤していたことなどの事実が認められる。
以上の事実、とりわけ、被告会社が領収書を確認した上で原告に治療費を支払っている事実や原告が治療等を理由に被告会社をしばしば欠勤していた事実などに照らせば、被告会社は、原告が本件事故によって生じた傷害の治療を継続しており、その治療に必要な費用であると考え、原告に対する損害賠償義務の履行として右治療費の支払いを続けていたものと認められ、被告会社が、右治療費は被告会社の損害賠償義務の範囲外にあるから原告に支払う必要がないと認識した上で、あえて支払っていたとまでは認められない。
したがって、右差額の支払いは被告会社の非債弁済とはならないというべきである。
2 給与等について
(一) 証拠(乙六の一及び二、乙一〇の一ないし四、乙一三の一ないし三一、乙一四)及び弁論の全趣旨によれば、原告が、被告会社から、平成六年六月から同八年八月までの間に給与等として受領した金額は、合計して一一九一万六九二九円と認められる。
被告会社は、欠勤分について控除した上で給与等を振り込み、右控除した分については別途手渡しした旨主張し、これを前提にして支払済みの額を主張しているが、被告会社が原告に右認定金額を超えて支払った事実を認定するに足りる証拠は存在しない。すなわち、付言するに、確かに支払明細書(乙七)や被告会社代表者尋問の結果には被告会社が給与等としてその主張に係る金額を原告に支払っていたかのような記載や供述が存在するが、原告はこれを争っているところ、原告が右金額を受領した旨の領収書等、被告会社が右金額を支払ったのであれば当然作成されていてしかるべき客観的な書類は存在しないので、被告会社が、原告に対し、右認定金額を超えて、被告会社主張に係る金額を支払ったと認定することはできない。
(二) 証拠(乙六の一ないし三二、乙七、被告会社代表者)及び弁論の全趣旨によれば、被告会社においては、被告会社が主張するような内容の給与からの欠勤控除基準、皆勤手当支給基準及び賞与支給基準(以下、これらをまとめて「本件給与等支給基準」という。)が定められていることが認められる。そして、原告が平成六年六月から同八年八月までの間に、公休及び有給休暇を除いて、合計二五五日欠勤したことは当事者間に争いがない。そこで、原告に対して本件給与等支給基準を適用した場合の給与等から控除すべき金額を算出すると、次のとおりとなる(被告会社が反訴請求の原因2項(三)(1)ないし(3)で主張しているとおりの金額)。
<1> 給与からの控除額 二五八万二七六一円
<2> 皆勤手当からの控除額 五八万五〇〇〇円
<3> 賞与からの控除額 五〇万四三一六円
(三) 被告会社は、原告に対して、右(一)のとおり、平成六年六月から同八年八月までの間に、給与等として合計一一九一万六九二九円を支払っているところ、これは、右(二)で算出された控除額を控除しないままに支払ったものである。
一般に、会社のある従業員について、給与等支給基準に基づく控除をすべき事由が存在する場合であっても、右会社が右従業員の諸事情を考慮してその裁量により右控除をしないままに給与等を支払った場合には、右支払いは右従業員との間の雇用契約等の法律上の原因に基づいて支払われたものというべきであるから、特段の事情が存在しない限り、右控除をしなかった金額が右従業員の不当利得にはならないというべきである。
そこで、本件についてみるに、証拠(乙六の一ないし三二、乙九、乙一〇の一ないし四、乙一三の一ないし三一、乙一四ないし二八、被告会社代表者)及び弁論の全趣旨によれば、被告会社は、原告が前記のような欠勤をしており、原告に本件給与等支給基準を適用すればその給与等から一定金額を控除し得ることを認識した上で、あえて、そのような控除をしないまま、原告に対して給与等を支払ったもので、被告会社がそのような取扱いをした理由は、原告の家庭状況を考慮して原告ら家族の生活に支障を来さないようにすること、原告の精神的な負担を少しでも和らげて一日も早く仕事に復帰してくれることを期待したためであったことが認められる。
そうすると、右給与等の支払いは、原告と被告会社との間の雇用契約等の法律上の原因に基づくものというべきであって、他に特段の事情の認められない本件においては、原告の不当利得とはならないというべきである。
第七結論
以上によれば、原告の本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、被告会社の反訴請求は、一四万五九〇〇円及びこれに対する反訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな平成九年六月二四日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の反訴請求は理由がないからこれを棄却することとして、主文のとおり判決する。
(裁判官 坂本慶一 菊池絵理 小林正樹)