大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所八王子支部 昭和31年(わ)64号 判決 1958年12月26日

被告人 関根頼司 外一二名

主文

被告人関根頼司を懲役拾弐年に、被告人武田憲雄を懲役七年に、被告人中村利宣を懲役六年に、被告人稲葉一利、同李鐘九を各懲役五年に、被告人平井直樹、同石井要三、同外川次雄を各懲役四年に、被告人小西保を懲役三年六月に、被告人平尾進一を懲役三年に、被告人大西与志行を懲役六月に、被告人渡部忠夫を懲役五月および罰金四千円に、被告人中久喜源重を罰金壱万円に処する。

未決勾留日数中、被告人関根頼司に対し六〇〇日、被告人武田憲雄、同稲葉一利、同小西保、同外川次雄に対し各五〇〇日、被告人中村利宣に対し一四〇日、被告人李鐘九、同平井直樹、同平尾進一に対し各五二〇日、被告人石井要三に対し一七〇日、被告人大西与志行に対し八〇日を夫々その本刑に算入する。

被告人渡部忠夫、同中久喜源重において右罰金を完納できないときはいずれも金四〇〇円を一日に換算した期間当該被告人を労役場に留置する。

押収にかかる四五口径米軍用自動拳銃一挺(昭和三三年(証)第六一号の一)は被告人関根頼司より、消火器二箇(同号五および六)は被告人外川次雄よりいずれもこれを没収する。

訴訟費用中、証人森田希作、同亀山繁、同最上泰次郎、同五十嵐一三、同平林幸男、同下山厳に支給した分は被告人武田憲雄の負担、証人森鈴恵、同蘇木、同陳清川、同輿水元純、同山田保、同平岩勝英、同徐三郎、同徐阿港、同黄成台、通訳人黄煥廷、同陳庭新に支給した分は被告人稲葉一利、同関根頼司、同小西保の連帯負担、証人佐藤広、同大日方良行に支給した分は被告人関根頼司の負担、証人小林秋義に支給した分は被告人関根頼司、同李鐘九、同中村利宣、同武田憲雄、同小西保の連帯負担、証人宮本高三、同小山陽、同青木金一、同山口利雄、同高橋一郎、同松井源一郎、同山口吉次郎、同高山二雄、同藤村琢也、同岡富栄に支給した分は被告人関根頼司、同李鐘九、同中村利宣、同武田憲雄、同外川次雄、同平井直樹、同石井要三、同平尾進一、同稲葉一利の連帯負担とする。

被告人李鐘九、同中村利宣、同武田憲雄、同外川次雄、同平井直樹、同石井要三、同平尾進一、同稲葉一利に対する銃砲刀剣類等不法所持の点および被告人中久喜源重に対する不法監禁の点については同被告人等はいずれも無罪。

理由

(罪となるべき事実)

被告人稲葉一利、同中村利宣、同小西保、同武田憲雄は共に博徒住吉一家に属する兄弟分にして東京都立川市およびその界隈に勢力を有するいわゆる愚連隊の首領格で、就中被告人稲葉、同小西の両名は俗に稲葉、小西組と称し多数の配下を擁し、被告人武田等と共に実力をもつて同市内一円のパチンコ景品買を殆んど一手に掌握していたもの、被告人関根頼司は同中村の舎弟分にして右愚連隊の幹部格のもの、被告人李鐘九は同武田の舎弟分、被告人平井直樹は同関根の舎弟分、被告人平尾進一は同小西配下の若衆、被告人外川次雄は同中村の舎弟分にして被告人石井要三と同様、常日頃被告人稲葉方に出入して親交を結んでいたもの、被告人中久喜源重は前記住吉一家の身内にして、被告人稲葉、同中村、同小西、同武田等とは兄弟分の間柄にあるもの、被告人大西与志行、同渡部忠夫は共に被告人中久喜の若衆であるが、

第一、被告人武田憲雄は往年立川市およびその周辺において露天商森田組の親分として勢力を張つた森田希作(大正六年三月二六日生)およびその配下の亀山繁(大正一四年三月二三日生)の言動を不遜なりとして、安藤組の首領安藤昇およびその配下の十数名と共謀のうえ右森田、亀山の両名を拉致して、これを監禁したうえ、これに暴行を加えようと企て

(一)  昭和二九年六月一三日頃の午後二時頃右安藤組および稲葉、小西組の関係者多数と共に東京都立川市曙町一丁目三二番地の右亀山方に到り、居合わせた右森田、亀山両名の身辺を取囲み、その自由を制圧して同番地先に用意の自動車内に強いて乗車させ、同都世田谷区新町一丁目六五番地中野政行方に拉致したうえ同家六畳間に押込み、これを監視して同日午後六時頃までの間、右両名をして同所から脱出することができないように為しもつて右両名を不法に監禁し、

(二)  その間右室内において前記安藤昇の配下において手拳或いは棍棒をもつて右両名の顔面、背部等を殴打し、よつて右森田に対し全治約一個月を要する顔面および背部打撲傷、亀山に対し全治約二週間を要する同部位打撲傷の各傷害を負わせ、(以上第一の(一)および(二)は被告人武田に対する昭和二九年一二月一五日附起訴状の公訴事実)

第二、被告人稲葉一利、同小西保、同関根頼司等はパチンコ機械がいわゆる連発式となつて、景品の取引量が増大するや立川市柴崎町二丁目九七番地に株式会社昭和商事を設立し、被告人稲葉、同小西同武田等がその役員となつて、同市内のパチンコ景品買を殆んど一手に掌握して業務を続け、昭和三〇年三月頃連発式の禁止と共に同会社を解散してよりは被告人稲葉、同小西、同関根等の間において遊技場単位にいわゆる繩張を定めて景品買を続行していたところ、同年八月頃にいたり台湾人柳川こと蘇木(大正六年四月一五日生)が同じ台湾人が営む同市柴崎町二丁目二七一番地ニユーヨークパチンコ遊技場、同町三丁目五番地宝祥パチンコ遊技場本店、同町三丁目八番地同遊技場支店その他において景品買をしていることを知るや、被告人稲葉、同小西、同関根は自己の繩張を侵すものと做し、屡々右蘇木に対し、その業務の廃止方を要求し、他方稲葉、小西組の若衆等も再三に亘つて同様要求すると共に若し応じなければ東京から兵隊をつれてくる旨申向けて脅迫しこれがため同人が場所代名義で若干の日銭を支払いながら景品買を継続していたが、右の金額が少ないため、その後も被告人等より前同様の要求を受けると共にその配下の者から業務用の木箱を叩かれ、或いはこれを上下左右に揺り動かされ若しくは内縁の妻の森鈴恵が金銭を要求されたり、殴打されるなど種々の嫌がらせを絶えず受けるため、昭和三一年一月上旬頃、台湾人陳清川をして同市柴崎町の被告人小西保方へ往訪せしめ、支障なく業務が営めるように申入れさせたところ、被告人小西、同稲葉、同関根の三名は互いに意思を通じて、同人に対し、毎日金六〇〇円を支払うのでなければ景品買をさせない旨申向けると共に、若しこれが要求に応じないときは従来どおり嫌がらせを続ける旨暗に諷刺しよつて同人をしてその趣旨を蘇木に伝達せしめ、蘇木をしてもし右要求金額を支払わずに景品買を継続するにおいては右被告人等配下の者より身体、財産に対し如何なる危害を受けるかも知れない旨畏怖させ、同人をして已むなく、その頃日々金六〇〇円を支払うべきことを約諾せしめ、同月二七日頃より同年八月一七日頃までの間前後約九〇回に亘り前記宝祥支店附近等において被告人関根自ら、若しくは稲葉、小西組の配下の者を使うなどして、右蘇木より場所代名義の下に合計約一一万五千六百五〇円の交付を受けてこれを喝取し、(被告人稲葉、同小西、同関根に対する昭和三一年一〇月一七日附起訴状の公訴事実)

第三、被告人関根頼司は、

(一)  昭和三一年二月二日午後一〇時頃東京都立川市曙町二丁目一九〇番地先路上においてたまたま通り合わせた鳶職佐藤広(昭和八年五月二日生)および同職の大日方良行(昭和一一年二月一六日生)の両名と些細なことで口論したうえ、右両名の顔面、頭部等を手拳で殴打し、よつて右大日方をその場の路上に転倒させ、さらに附近の飲食店に逃げ込んだ右佐藤を追つて同人を殴打し、因て右佐藤に対し全治約三日間を要する顔面挫傷、大日方に対し全治約三日間を要する頭部、胸部挫傷の各傷害を負わせ、

(二)  翌三日午前零時三〇分頃同町二丁目八三番地飲食店「こいこい」こと佐藤一枝方前路上において些細なことに憤つて、自動車運転手市村秀雄(昭和五年三月一日生)の顔面を手拳で殴打したうえ、同人を附近の飲食店「いずみや」こと串田和子方に伴れ込み、同所で一升空壜を振つて同人の頭部を殴打し、因て同人に対し全治約一〇日間を要する頭部打撲切創の傷害を負わせ、(以上第三の(一)および(二)は被告人関根に対する昭和三一年二月一三日附起訴状の公訴事実)

第四、被告人稲葉一利、同中村利宣、同小西保、同関根頼司の四名は昭和三二年四月七日夜被告人武田憲雄から、その知人の東京都八王子市三崎町一八番地喫茶店営業「オアシス」こと岩田栄が同市内のパチンコ景品買と称する者より暴行され、傷害を受けた旨聞知するや、同市内のパチンコ景品買を掌握する愚連隊宮本組の首領宮本高三配下の仕業であると做し、右宮本を難詰して謝罪させるべく、翌八日正午頃八王子市横山町三丁目四六番地所在の右宮本高三方に同人を往訪し、前記事実の有無を質したところ、同人がこれを否定して謝罪しなかつたことから互いに感情的となり、宮本をして、その景品買の繩張の割譲を要求されたものと解せられるような言動を用いて、同人を難詰し、口論の末喧嘩別れとなつて同人方を引揚げるに至つた。ところが右事態を知つた宮本組の配下小林秋義(昭和八年九月二二日生)、筒井教善(昭和八年一〇月二二日生)、西山健二(当時二八年)は事の成行を憂慮し、稲葉等の真意を質そうと欲し、数名の同輩と共に、同夜七時頃立川市柴崎町の被告人稲葉方に出向き、同所に居合せた被告人中村の案内に従い、近くの喫茶店「館」こと林仁志方に赴き、同所において、被告人中村、同小西、同関根等と対談を始めるや、間もなく附近路上に待たして置いた同輩と被告人等配下の者との間に掴み合いの紛争を起し、その場に参じた被告人稲葉および配下の一名が宮本側のため日本刀で斬り付けられて負傷する事態が生じたため、

一、被告人中村、同小西、同武田、同関根および被告人李鐘九等は右小林等宮本側の者が話をつけに来たと称しながら、実は騙し討に来たものと解し、いたく憤激し、茲に右被告人五名は互いに意思を通じて、前記小林、筒井、西山の三名を監禁し、これに暴行を加えて膺懲しようと企て、(一)直ちに配下数名と共に右三名の身辺を取囲み、拳銃を突き付けながら、その身体を捜検し、或いはその腕を扼し、背部を押すなどして三名を店外の路上に連れ出し、殴る蹴るの暴行を加えてその自由を制圧したうえ附近に駐車の乗用自動車に乗車させ、被告人中村、同武田、同関根、同李等においてこれに同乗し、右三名を東京都中央区銀座一丁目五番地日本興業短資ビル三階の中久喜源重方に拉致したうえ、同人方事務室内に押込み、被告人渡部忠夫、同大西与志行の両名は以上の事実を察知諒解しながらこれが犯行に加わり同室内において右三名の監視を実行し、同夜から翌朝に至るまでの間右被告人七名は右小林等三名をして同所から脱出することのできないように為し、もつて同人等を不法に監禁し、(二)その間同所において被告人関根、同李等において右三名の頭部、胸部、背部等を手拳或いはバンドを振つて殴打し、東京都渋谷の安藤組の配下の志賀日出也も被告人等と互いに意思を通じて右三名の手指に焼火箸をあてるなどの暴行を加え、よつて右三名に対しいずれも全治約四週間を要する背腰部索状打撲皮下出血、右中指端火傷等の各傷害を負わせ、(被告人中村、同武田両名に対する昭和三二年六月五日附起訴状第一の事実、被告人小西に対する同日附起訴状の事実、被告人関根同李外一名に対する同年七月一五日附起訴状第一の(一)(二)の事実、被告人大西に対する同年六月八日附起訴状の事実、被告人渡部外一名に対する同年六月二八日附起訴状第一の事実)

二、被告人中村、同武田、同関根並びに小西等は被告人稲葉を交えて右八日夜右中久喜方において宮本組に対する報復手段につき種々協議したが相談のまとまらないまま被告人稲葉は立川へ帰宅し、その後急を聞いて右中久喜方に駈けつけた被告人外川次雄も参加して対策を協議し、この間宮本側においては前記の如く被告人等によつて小林秋義等が拉致されたことを知り、その報復として被告人中村の舎弟分の田村基男および稲葉、小西組の配下の山本某に傷害を加えて、右田村を拉致したところ、これを知つた右被告人等は愈々激昂し、加えて被告人関根が宮本側の情勢を窺うべく前記宮本方に電話したところ、却つて宮本高三より激しく罵倒されるに及び、被告人中村、同武田、同関根、同外川、同李等は宮本組の本拠である宮本高三方へ殴込みをかけることに一決し、その旨立川の自宅にあつてその成行を案ずる被告人稲葉に対し電話で申送つてその諒解と配慮を求め、被告人稲葉は右の求めに応じて同被告人方に待機する被告人石井要三、同平井直樹、同平尾進一等に宮本組に対し殴り込みを決行する旨告げて、その参加の申出を許容し、茲に被告人中村、同武田、同関根、同外川、同李、同稲葉、同石井、同平井、同平尾等の間に宮本方を襲撃して宮本高三およびその配下の者に暴行を加える旨共謀したうえ、被告人中村、同武田、同関根、同外川、同李の五名は翌九日未明前記中久喜方を出発し、途中被告人稲葉方に立寄り、同所において互に気勢をあげたうえ、若し宮本側の反撃を受けたときはこれを殺傷するも已むを得ない旨の予期の下に同日早朝被告人稲葉を除くその余の被告人関根、同中村、同武田、同李、同外川、同石井、同平井、同平尾の八名は拳銃、日本刀、ピストル型消火器(昭和三三年(証)第六一号の一ないし六)等を用意携帯のうえ乗用自動車二台に分乗して出発し、前記宮本高三方附近の甲州街道上に到り同所において下車した後、右被告人八名は一団となつて右宮本方に押し寄せ、戸締りを施し、寝静まつている宮本組をして反撃の余裕を与えず、被告人関根はその所携の実包装填の拳銃(同号の一)を発射して被告人等立川側の威力を誇示しようと考え、矢庭に右拳銃をもつて宮本方表正面出入口の硝子戸を打壊してその損壊箇所より屋内に拳銃を差入れ、これを屋内居室に向けて発射するにおいては或いは同所に居合すなんびとかに命中し、これを死亡させるにいたるやも図り知れないことを認識しながら、右銃口を屋内六畳間へ差向け、しかも締切られた障子に遮ぎられて同座敷内の人の動勢を直視することができないのに、敢えてその略中心部に向け、左右に掃射するがごとくに連続四発を発射し、続いて同家北側の路地に立廻り、同所から前同様の未必的殺意をもつて同家二階六畳間に向けて右拳銃二発を連続して発射し、その間他の被告人等は所携の消火器を使つて同家屋内に向けて消火剤を射込み、附近に駐車の自動車内に寝ていた宮本組配下の牛久保道弘(昭和一四年生)、同小山陽(昭和一一年生)等に対し日本刀を振つて斬りつけ、或いは消火器をもつて消火剤を浴せるなどしたうえ、被告人関根の引揚げろとの掛声に応じて直ちに全員その場から逃走したが、被告人関根の宮本方階下六畳間に向け発射した前記の一弾が同室内に就寝中の宮本組の若衆歌田典雄(当時二三年位)の前胸部左側に命中して、その心臓および左肺臓を損傷する貫通銃創を負わせ、右損傷によつて惹起された失血により間もなく同所において同人を死亡させると共に、その傍らに就寝中の大出栄助(昭和一四年生)の足部にも触れ、因て同人に対し加療約五日間を要する右足挫傷の傷害を負わせ、更に被告人関根が宮本方二階六畳間に向け発射した前記の一弾は同室内に就寝中の筒井教善の内縁の妻である村木冨美枝(昭和九年生)の右腕に命中して全治約三週間を要する右前腕部貫通銃創を負わせると同時に同室内にいた宮本高三の妻女艶子(大正一五年生)の胸部にも命中して全治三〇日余を要する左胸部貫通銃創、外傷性気胸および左第一〇肋骨々折の重傷を負わせ、その他の被告人等の前記暴行により前記牛久保に対し全治一〇日間を要する頭部切創、前記小山に対し全治七日間を要する右上腿挫創、結膜異物の各傷害を負わせ、(被告人関根、同平井、同石井、同李四名に対する昭和三二年五月一日附起訴状の事実、被告人平尾に対する同年五月一一日附、被告人外川に対する同年六月七日附各起訴状の事実、被告人中村、同武田両名に対する同年六月五日附、被告人稲葉に対する同年七月一五日附各起訴状第二の事実)

三、被告人関根頼司は右のごとく前記宮本高三方前路上において法定の除外事由なく米軍用第一三三五四五八号四五口径自動拳銃一挺(昭和三三年(証)第六一号の一)を不法に所持し、(被告人関根に対する昭和三二年五月一日附起訴状の事実)

四、被告人中久喜源重、同渡部忠夫は関根頼司、外川次雄等の相被告人が前記の殴込みを実行し、罰金以上の刑に該る罪を犯した者であることを知りながら官憲の発見を妨げるため同人等に対し被告人渡部方の居室を一時貸与することを共謀し、昭和三二年四月九日午前一一時頃被告人渡部において右両名を東京都豊島区駒込一丁目一一一番地広沢荘内の自室に案内し、同日午後三時頃まで同所に同人等を滞留せしめ、もつて犯人を蔵匿し(被告人中久喜、同渡部に対する昭和三二年六月二八日附起訴状の第二の事実)

たものである。

(証拠の標目)(略)

(無条件殺意の共謀の有無)

検察官は、判示第四の二の被告人稲葉一利等九名の所為につき、同被告人等は宮本高三およびその配下の者を殺害せんことを共謀して本件殴込を実行したものであるから同被告人等の右所為により人を死亡させた点は殺人罪に、傷害を与えた点は悉く同未遂罪に該当する旨主張するにつき審究するに、本件のいわゆる殴込みは予め周到な用意のもとに計画されたものではなく、判示認定の事実に徴し明らかなごとく殴込み決行の前日から発した宮本側の言動に関連して、連錯反応的に発展した案件にして、やくざの社会特有の面目の保持と自派の勢威を誇示せんがため急遽計画敢行されたものであるが、被告人等側が宮本側から受けた実害も人命を失つたというにあらず、本件各証拠によつては検察官の主張するがごとくに無条件に殺意を決定し、これを実行に移す旨共謀したものか否かは未だ必ずしも明らかでない。寧ろ後に説示の被告人等の現場における実行々為の態様からも推認できるように、現場に臨み、事と次第によつては相手方を殺害することも辞しない旨の一応の覚悟を共通にして被告人稲葉方を出発したものと認めるのを相当とする。尤も前顕青木金一の検察官に対する各供述調書中には被告人稲葉方を出発するに当り、被告人関根が宮本高三をねむらしてしまう旨放言した事実はこれを認められないではないが、当時の状況とその後における被告人等の行動を考慮すれば、右の言辞は出発に当り参加者一同の気勢を挙げるための一種の強がりを示して激励したものと解するのが相当であつて、たやすく無条件殺意の共謀を肯定する根拠とはなし難い。更に本件殴込み現場における実行々為の態様についてみても、被告人等の外形的行為は判示認定のごとく、被告人関根の拳銃発射の行為を除外しては、被告人等において宮本高三およびその配下の姿を求めて屋内に踏み込むこともなく、ただ単に宮本方屋外から屋内に消火剤を射込み、同人方傍らの路上に駐車の車内にいた宮本組の若衆に対しても、ただ単に日本刀を振り廻し、消火剤を浴びせて、これに軽傷を与えた程度で攻撃を中止し、相手方との白兵的対戦を故らに回避して急拠その場を引揚げているのであつて、その殴込み行為の着手から現場を立去るまで多寡多寡数分を出でない短時間のことにして殺意の遂行々為としては極めて徹底を欠くものと謂わざるを得ない。のみならず若し殺意の遂行とすれば十分な兇器を所持し、しかも目前にした牛久保等の相手側から殆んど抵抗も受けないのに、何が故にこれらの者を殺害しないで敢えてその場を引揚げたかの理由を発見できない。要するに右の実行々為からも無条件殺意の存在を肯認できない。その他本件各証拠によつて認め得る諸般の事実を綜合しても本件の殴込みが無条件に殺害行為を肯定し、互いにこれを理解して着手されたものとは認めることができない。そして被告人関根の現場に臨み、実行に着手してから後に生じた未必的殺意に基く拳銃の掃射に他の被告人等がその殺意を共通にしたものと推断するに足る証拠もなく、結局被告人関根を除く他の被告人の殺意の点はその犯罪の証明を欠くものと謂わなければならない。従つて宮本高三およびその配下を殺害しようと共謀し、これを実行した旨の検察官の主張は採用できない。

(累犯加重の原因となるべき前科)

被告人関根頼司は昭和二七年六月二〇日東京地方裁判所八王子支部において恐喝、恐喝未遂、脅迫、銃砲刀剣類等所持取締令違反、火薬類取締法違反、傷害の各罪により懲役二年六月(未決勾留日数六〇日通算)に処せられ、該判決は昭和二八年七月三日確定し、当時右刑の執行を受け終つたもの、被告人李鐘九は昭和二五年四月二六日同支部において強盗傷人、窃盗の各罪により懲役七年(未決勾留日数一二二日通算)に処せられ、当時右刑の執行を受け終つたもの、被告人石井要三は昭和二六年一月二六日東京高等裁判所において窃盗罪により懲役二年(一審未決勾留日数四〇日通算)に処せられ、昭和二七年四月二八日政令第一一八号減刑令によりその刑を懲役一年六月に減軽されその後昭和三一年六月三〇日右刑の執行を受け終つたもの、被告人武田憲雄は昭和二二年十月七日東京地方裁判所八王子支部において殺人罪により懲役四年(未決勾留日数六〇日通算)に処せられ、当時右刑の執行を受け終つたもの、被告人小西保は昭和二二年六月一九日京都地方裁判所において強盗、銃砲等所持禁止令違反の各罪により懲役六年に処せられ、昭和二七年政令第一一八号によりその刑を懲役四年六月に、減軽され、当時右刑の執行を受け終つたもの、被告人中村利宣は昭和二三年九月一〇日東京地方裁判所において窃盗罪により懲役一年但し三年間その刑の執行を猶予せられ、次いで昭和二五年八月三日東京地方裁判所において傷害、恐喝未遂の各罪により懲役一年、恐喝罪により懲役六月に処せられ、これがため昭和二六年六月一九日前記刑の執行猶予の言渡を取消され、当時右各刑の執行を引続き受け終つたものであつて、以上の各事実は右各被告人の当公判廷における各供述、検察事務官作成の右被告人の各前科調書(検第二一三、第二一六、第二二三、第二三七、第三三〇、第三四四号証)および東京拘置所長の被告人石井の刑の執行状況についての回答書によつていずれもこれを認める。

(確定裁判を経た罪)

被告人中久喜源重は昭和三二年四月四日東京地方裁判所において恐喝、傷害の各罪により懲役一〇月、脅迫、傷害の各罪により懲役一年に処せられ、右判決は同年一二月二二日確定したものである。この事実は検察事務官作成の右判決書の抄本の記載と右被告人の当公判廷におけるその旨の自供によつて明白である。

(法令の適用)

法律に照らすに、

判示第一の被告人武田憲雄の所為中(一)記載の森田希作外一名に対する監禁の点は夫々刑法第二二〇条第一項、第六〇条に、(二)記載の右両名に対する傷害の点は夫々同法第二〇四条、第六〇条、罰金等臨時措置法第二条、第三条に、

判示第二の被告人稲葉一利、同小西保、同関根頼司の金員喝取の所為は包括して刑法第二四九条、第六〇条に、

判示第三の被告人関根頼司の佐藤広等三名に対する各傷害の所為は夫々刑法第二〇四条、罰金等臨時措置法第二条、第三条に、

判示第四の一(一)の小林秋義等三名に対する逮捕監禁並びに被告人大西、同渡部の監禁の点は夫々刑法第二二〇条第一項、第六〇条に、同(二)記載の被告人中村、同小西、同関根、同武田、同李の右三名に対する各傷害の点は夫々同法第二〇四条、第六〇条、罰金等臨時措置法第二条、第三条に、

判示第四の二の被告人九名の共謀ないし共同の殴込みの所為中、歌田典雄を死亡せしめた点は被告人関根頼司につき刑法第一九九条所定の殺人罪、その余の各被告人につき同法第二〇五条第一項所定の傷害致死罪に、大出栄助、宮本艶子、村木冨美枝に対し各傷害を負わせた点は被告人関根頼司につき夫々同法第二〇三条、第一九九条所定の殺人未遂罪、その余の各被告人につき夫々同法第二〇四条、罰金等臨時措置法第二条、第三条所定の傷害罪に、牛久保道弘、小山陽に対し傷害を負わせた点は右被告人全員につき夫々刑法第二〇四条、罰金等臨時措置法第二条、第三条所定の傷害罪に、以上につき各刑法第六〇条、

判示第四の三の被告人関根頼司の拳銃不法所持の点は銃砲刀剣類等所持取締法附則第九号、銃砲刀剣類等所持取締令第二条、第二六条第一号、罰金等臨時措置法第二条に、

判示第四の四の被告人中久喜源重、同渡部忠夫の犯人蔵匿の所為は刑法第一〇三条、第六〇条、罰金等臨時措置法第二条、第三条に各該当するところ、

(1)判示第一の(一)記載の各監禁、(2)判示第四の一の(一)の記載の各監禁、(3)判示第四の二記載の歌田典雄、大出栄助に対する所為、(4)同判示記載の宮本艶子、村木冨美枝に対する所為は夫々一個の行為にして数個の罪名に触れる場合であるから各刑法第五四条第一項前段、第一〇条に則り右(1)については重い森田希作に対する監禁罪の刑、右(2)については重い小林秋義に対する監禁罪の刑、右(3)については被告人関根頼司につき重い殺人罪の刑、その余の前記関係被告人につき重い傷害致死罪の刑、右(4)については被告人関根頼司につき重い宮本艶子に対する殺人未遂罪の刑、その余の前記関係被告人につき重い同人に対する傷害罪の刑に従い処断すべく、判示殺人、同未遂の各罪につき所定刑中各有期懲役刑を、判示各傷害、銃砲刀剣類等所持取締令違反の各罪につき所定刑中各懲役刑を、犯人蔵匿の罪につき所定刑中被告人両名につきいずれも罰金刑を、各選択し、なお被告人武田憲雄、同小西保、同中村利宣、同石井要三、同関根頼司、同李鐘九には夫々前示前科があるので刑法第五六条、第五七条に則り被告人武田憲雄につき判示第一、の(一)(二)の各罪の刑、被告人小西保につき判示第二の罪の刑、その余の右各被告人につき判示各罪の刑に殺人、同未遂、傷害致死の各罪については同法第一四条の制限に従い夫々再犯の加重をなし、被告人中久喜源重、同大西与志行を除くその余の各被告人の判示各罪は刑法第四五条前段の併合罪であるから被告人渡部については同法第四八条第一項、残余の被告人等については同法第四七条本文、第一〇条に則り被告人稲葉一利、中村利宣、同外川次雄、同石井要三、同平井直樹、同平尾進一、同李鐘九については最も重い判示傷害致死罪の刑、被告人武田憲雄については最も重い判示第一の(二)の傷害罪の刑、被告人小西保については最も重い判示恐喝罪の刑、被告人関根頼司については最も重い判示殺人罪の刑にいずれも同法第一四条の制限に従い、夫々併合罪の加重をなし、被告人中久喜源重の判示犯人蔵匿罪は前示確定裁判を経た罪と同法第四五条後段の併合罪の関係にあるから同法第五〇条に則り未だ裁判を経ない右の罪につき処断することとし、以上の刑期および所定の罰金額の範囲内において諸般の情状を考慮し、被告人関根頼司を懲役一二年、被告人武田憲雄を懲役七年、被告人中村利宣を懲役六年、被告人稲葉一利、同李鐘九を各懲役五年、被告人平井直樹、同石井要三、同外川次雄を各懲役四年、被告人小西保を懲役三年六月、被告人平尾進一を懲役三年、被告人大西与志行を懲役六月、被告人渡部忠夫を懲役五月および罰金四千円、被告人中久喜源重を罰金一万円に各処し、同法第二一条に則り未決勾留日数中被告人関根頼司に対し六〇〇日、被告人武田憲雄、同稲葉一利、同小西保、同外川次雄に対し各五〇〇日、被告人中村利宣に対し一四〇日、被告人李鐘九、同平井直樹、同平尾進一に対し各五二〇日、被告人石井要三に対し一七〇日、被告人大西与志行に対し八〇日を右各本刑に夫々算入し、被告人中久喜源重、同渡部忠夫において右罰金を完納できないときは同法第一八条に則り金四〇〇円を一日に換算した期間当該被告人を労役場に留置し、押収にかかる主文掲記の拳銃一挺、消火器二箇は判示第四の二記載の犯罪の用に供し、且つ右拳銃は判示第四の三記載の罪を組成した物件であつて犯人以外の者に属しないものであるから同法第一九条第一項第一、二号、第二項に則り被告人外川次雄より右消火器二箇を、被告人関根頼司より拳銃を夫々没収し、訴訟費用については刑事訴訟法第一八一条第一項本文、第一八二条を適用して主文記載のとおり各被告人の負担とする。

(一部無罪)

本件公訴事実中

(一)  被告人稲葉一利、同中村利宣、同武田憲雄、同外川次雄、同石井要三、同平井直樹、同李鐘九、平尾進一、同関根頼司は共謀のうえ昭和三二年四月九日午前五時三〇分頃東京都八王子市横山町四六番地宮本高三方前路上において法定の除外事由なくして拳銃二挺、日本刀三振を不法に所持し

(二)  被告人中久喜源重は被告人中村利宣等と共謀のうえ昭和三二年四月八日午後九時過頃右中村等によつて東京都中央区銀座一丁目五番地日本興業短資ビル三階の自己の事務室内に拉致された小林秋義等三名に対し脅迫を加え或いは配下の者をしてその監視をなさしめ翌九日正午頃まで右三名の退去を不能ならしめて同人等を不法に監禁し

たものであるとの点につき審究するに、右(一)のうち、その日時場所において被告人関根頼司が拳銃一挺を不法に所持した事実は判示第四の三においてこれを認定したが、他の拳銃一挺については、その存否すら瞹昧にして所持の事実を確定するに足る証明なく、また日本刀三振(当庁昭和三三年(証)第六一号の二ないし四)については被告人等のうちなんびとかが所持したことは明らかであるが、右日本刀は当時いずれも銃砲刀剣類等所持取締令第七条所定の登録を受けたものであることが証拠上明らかであるから、これを所持する行為は同令第二条に違反せず、不法所持罪を構成しない。そして被告人関根の所持した拳銃は同被告人の単独所有物にして終始同被告人において直接自己の実力支配下に保管していたもので、他の被告人等が共同の支配下に保管しこれを所持したものと認めるに足る証明十分でない。

次に前記(二)については被告人中久喜は所用のため外出中妻女の連絡により帰宅して初めて被告人中村利宣等において既に小林秋義等を同所に監禁している既成事実を知つたが、同被告人等とは判示のごとき兄弟分の関係上、強いて退去を要求することもできずにこれをそのまま放任していたまでのことであつて、これを黙示的にも明示的にも容認し、または配下に命じて見張をさせ、若しくは脅迫を加えるなどして右の監禁行為に協力した事実は到底これを確認するに足る証拠がない。

以上の次第にして前記公訴事実はいずれも犯罪を構成しないかまたは犯罪の証明なきに帰するから刑事訴訟法第三三六条に従い右被告人等に対し無罪の言渡をなすべきものである。但し被告人関根については判示第四の三において認めた拳銃所持の所為と一罪の関係にあるものとして起訴されたものと解せられるので同被告人に対しては特に主文において無罪の言渡をしない。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 河内雄三 恒次重義 佐藤繁)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例