東京地方裁判所八王子支部 昭和39年(わ)813号 判決 1965年10月06日
本籍 ≪省略≫
住居 ≪省略≫
学生 甲野太郎(仮名)
昭和二〇年一一月四日生
右の者に対する殺人被告事件について、当裁判所は、検察官緒方重威出席の上審理を遂げ、次のとおり判決する。
主文
被告人を懲役四年以上六年以下に処する。
押収に係る鉈壱丁(昭和四〇年押第二八号の一)は、これを没収する。
訴訟費用は全部被告人の負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は東京都≪中略≫番地において父H、母Cの第一子として生れ、○○○○学園小学部に入学したが、将来を考慮した両親の意図により、小学校第四学年進級の際より、○○小学校、○○中学校への進学コースに乗ったのであるが、当時の学習成績は普通程度であり、その当時から昆虫採集や動物の飼育、解剖に興味を抱くようになり、昆虫採集等の各種コンクールにおいてその研究活動の成果が表彰されることも屡々であった。
しかし、当時父Hは大学教授であり、母Cは検事であって、いずれも多忙な職務に従事していたことから、被告人は、経済的には格別不自由はなかったけれども、精神的な糧を得る機会に恵まれず、小学校高学年に進む頃から比較的父母との接触が少なく、漸次、両親に対し愛情面での不満を抱くようになり、就中、中学校入学以後は、両親の努力にも拘らず、家庭内での接触が兎角欠け勝ちであったため、家庭生活の淋しさから孤独感を覚え、その代償を動物の飼育、解剖や少年野球等に求めると共に、次第に内向的、自己中心的性格を形成するようになっていった。
その後被告人は○○○○大学附属○○高校に入学したが、前記の如く動物の研究に関心を持っていた関係上、昭和三九年三月同高校を卒業して○○○○大学に進学しようと考え、同大学の入学試験に合格したが、両親が同大学への進学を希望せず、又担当の教師の奨めもあって、同大学への進学を諦め、一年間留年の上○○○○大学進学のため、前記○○高校に引き続き通学していたものであるが、いわゆる一流有名校の進路をとらせた両親の期待に反し、中学校から高校にかけて怠学するようになり、いきおい学業成績が低下し、次第に友人から落伍しはじめると共に、年長者乃至同級生との交際範囲も狭まり、主として年少者と共に野球チームのグループなどを作り、その集団内において指導的地位を占めて君臨し、その少年達の中にあってわずかに自己の孤独感や劣等感から逃避するようになっていった。両親は成績低下の原因は当時被告人が熱中していた野球のためであると考え、野球を放棄させることによって学業成績の向上をはかろうとしたけれども、被告人は野球をやめることなく、却て少年野球に異常な熱意を持ち、昭和三七年四月頃近隣の中学生、高校生など低年令層の少年数十名を集めて○○フライヤーズ(後に○○フライヤーズと改称)なる少年野球チームを結成し、自らは同チームの監督の地位に就き、後には次弟E(昭和二二年八月一一日生)をも同チームのメンバーに加え殆んど連日の如く近所の広場などに出かけて野球の練習に興ずる一方、昭和三六年頃から父母ら家族の起居する母屋から約二〇米離れた同邸内西南方にある木造トタン葺平家建の離れ家に右Eと共に起居し、自らは同離れ家中央部の四畳間に、右Eはその南側隣室の八畳間に、夫々、自室を構え、同所に右野球チームのメンバーが常時出入りしその集合場所として使用されることが多くなっていた。
ところが、その頃被告人と年令の接近する右Eが肉体的、精神的に急速な成長発達を遂げ、既に自己主張を十分なし得るまでになっていた許りでなく、その外向的性格から前記野球チーム内において次第に人気を集めるようになり、遂に昭和三九年四月下旬右Eが被告人と前記野球チームの指導のあり方について意見を異にしたことから、同チームの主力メンバーであったT1外十数名をひきつれて同チームから脱退し、新たに○○ユニオンズなるチームを結成して野球に熱中し学業を顧みなかったところから、被告人は母Cとも相談しEをして野球から手を引かせようとしたところ、却てこれに反撥するのみならず当時いわゆる反抗期にあったEは両親を初め家族らに対し事毎にささいなことから反抗的態度を示し、被告人に対しても「貴様」とか「お前なんか兄貴と思わない。」等と暴言を吐き、或いは友人の面前で被告人を殴打して怪我を負わせる等の暴力を振い、剰え被告人が愛情乃至依存の対象としていた母Cに対しても屡々腕力を振うなど次第に我侭粗暴な振舞をするようになったにも拘らず、両親、就中母Cは反抗期にあるEに対する配慮からさしてこれをとがめず、兎角、同人に対し理解ある関心を寄せ勝ちであったところから、被告人はその家庭生活や野球チーム内その他の生活場面において自己の地位が右Eによって著しく脅威、圧迫を受けるものと邪推し、同人の行動について、極度の不満と焦燥感を持つようになり、兎角同人との間に円満を次いていた折柄、同年七月一三日夕刻右Eが偶々自宅に来合わせていた同人の家庭教師Kに対するお中元品の贈答に関し母Cとの間に意見の相違を生じたことに端を発し、右Eは同女が自己に恥をかかせたものと考えてこれに憤慨反撥し、同女にくってかかった上、同女のハンドバックの中から財布や印鑑を奪い取って同女を困らせ、又同人の態度を見兼ねた被告人からの注意をも顧みなかったことから、被告人は右Eの我侭粗暴な態度に対し強い忿懣の情を抱いていたところ、翌一四日午後八時頃友人のT2らと共に近所の銭湯「日乃出湯」に入浴に赴いた際、顔馴みの同銭湯の手伝人Yから前夜入浴に来たEが同夜の家庭教師に対するお中元品の贈答に関する前記いざこざの件に関し、「母から恥をかかされた。今日は家に帰らない。」等と言って憤慨していたことを聞知するに及び、Eが家庭内の恥を外部にまで曝すものとして同人のやり方に痛く憤慨し、且つ同人がかかる態度に出ずるにおいて一家の平和も損われるに至るものと速断し同人の処置につき思い悩みながら帰宅し、同日午後一〇時頃前記離れ家の自室に戻りベットに横臥しながらラジオ放送に耳を傾けていたところ、同日午後一〇時四〇分頃Eが当時愛媛県から上京していた親戚のMを伴って隣室に戻り、アルバムなどを見ながら野球の話に熱中している会話を洩れ聞くうちに次第に眠気を催して転寝し、翌十五日午前一時半頃突如目を覚ましてベットの上に起き上り、暫時の間(約二十分)、前夜の隣室でのMとEとの会話から聞きとられた同人の野球にのみ熱中して他を顧みない態度や、同夜の前記「日乃出湯」に於ける同人の行動など苦々しく思い出すと共に、同人の常日頃の我侭粗暴な振舞等に思いを致しているうち右Eをこのまま放置するにおいてはK一家は遂に破滅に陥ち入るやも知れずと考え、この際、ひと思いに同人を殺害するの外一家救済の途はないものと一途に思いつめるに至り、遂に同人を殺害しようと企て、同日午前一時五〇分頃ひそかに同所から北方約三〇米離れた同邸内の物置に赴き同物置内から鞘に納められた登山用鉈一丁(昭和四〇年押第二八号の一)を取り出すと共に、犯行現場に足跡を残し、外部から侵入した者の犯行の如く見せかけて自己の犯行を隠蔽するために使用する目的で白ズック靴一足(同号の一五)を取り出し、これらを携えて前記自室に立ち戻り、再びベットに腰をかけながらE殺害の方法並びに犯行後の対策など思案した末、同日午前二時頃白パンツ(同号の五)にあり合わせのスポーツシャツ(同号の一四)を着け、手には返り血と指紋の残跡を虞れて軍手(同号の六)をはじめ、鞘から取り出した前記登山用鉈及び前記白ズック靴を手に携えて隣りのEの部屋に立ち入り、同所で右ズック靴を履いた上、同室中央部に宙吊りの電燈を点燈し、同室中央部附近に敷かれた布団の上に横向きとなって熟睡中のEの姿を認め、同人の側に中腰となった侭、右手に持った前記鉈を振り上げ、同鉈の刃の部分で同人の頭部附近を力一杯一撃したところ、同人が右一撃により苦悶する姿を目撃し、ひと思いに息を引き取らせる意図の下に、更に同人の頭部及び顔面部を合計十数回に亘り滅多打ちにし、因て同人をして、即時同所において、右の如き頭部及び顔面部の打撲に基く脳損傷並びに蜘蛛膜下腔出血及び脳挫傷により死亡するに至らしめ、以て同人に対する殺害の目的を遂げたものである。
(証拠の標目)≪省略≫
(弁護人の主張及びこれに対する判断)
一、心神喪失の主張について
被告人の弁護人らは、被告人の本件犯行当時における心神の状態に関し、被告人は本件犯行当時、脳の機能的な面における不安定性が認められていた上、本件犯行時には、意識過程の覚醒不十分な朦朧状態にあった許りでなく、前夜来蓄積されていた激情が被告人を講学上情動性寝ぼけといわれる朦朧状態に陥し入れ、その結果、被告人は本件犯行当時心神喪失の状態にあったものである旨主張するので、以下この点について検討する。
(一) 医師広瀬貞雄作成の昭和三九年一二月二七日付鑑定書及び被告人の少年調査記録中鑑別結果通知書によれば、被告人の知能は良域に属しているが、被告人には衝動性、軽卒性、即行性、自己中心自己顕示性、気分変易性及び粘着性の著しい傾向があって、被告人はこれを性格特性としており、これを精神医学的に診断すれば被告人は精神病質ということができるが、被告人には本件犯行当時並びにその前後において、脳に器質的異常の存しなかったことは勿論、てんかんその他の精神病が存しなかったことが認められるし、証人西尾忠介(桜ヶ丘保養院副院長)の当公判廷における供述及び被告人の当公判廷における供述及びその供述態度によるも、現に被告人の心神状態につき右認定事実の外、特に不審を抱かなければならないような徴表を看取することはできない。
(二) しかして被告人の本件犯行時における心神の状態に関し、前記広瀬貞雄の鑑定書によれば、「被告人の犯行時の精神状態は、意識過程の覚醒不十分な朦朧状態であり、健常な理性をもって事態を認識判断することの至難な状態にあったものと推測される。加うるに、前夜来蓄積されていた激情が少年の暴力行動を著しく強力なものとなし、弟Eの殺害、さらにそれに引続いての行動の逐一を正確に追想出来ぬほどのものとなしたことは疑いの余地がない。このような意識混濁の状態は、当然正鵠な判断力を不可能ならしめるものである。」(鑑定主文第四項)としているが、右鑑定書の作成過程及び記載内容について詳細に検討するに、証人広瀬貞雄の当公判廷における供述によれば、鑑定人広瀬貞雄は右鑑定に際し、東京家庭裁判所八王子支部からの要請により、鑑定に必要な捜査過程における本件一件記録の庁外借り出しを禁ぜられていた上、その閲覧に要した時間も僅少に過ぎなかったという時間的制約があった許りでなく、右一件記録の記載内容に重点をおく必要がないとの方針の下に被告人の本件犯行当時並びに該鑑定時の精神状態及び治療方法につき鑑定をなしたものであるが、その結果、右鑑定当時既に作成されていた被告人及び関係人等の捜査官に対する各供述調書の記載内容及びその作成経緯特に被告人が本件犯行時及びその前後の行動につき詳細に自供するに至った心理過程等につき十分な検討を加えることなく、右鑑定の基礎資料として、鑑定のため入院中の被告人及びその両親、近親者、主治医等の右鑑定人に対する供述を殆んど全面的に採り入れ、これに依拠しつつ本件はその犯行当時被告人が情動性寝ぼけの状態においてなされたものとして前記結論を導いていることが推認されるのであって本件の右鑑定の基礎資料に前述の如き妥当を欠く点がある以上、被告人の本件犯行当時における心神の状態に関する前記の鑑定の結果は、到底これに全幅の信頼を措くことができない。
(三) 然るところ、被告人の司法警察員並びに検察官に対する各供述調書記載の供述内容を仔細に検討し、これに証人≪中略≫等の当公判廷における供述等を併せ考えると、被告人は警視庁三鷹警察署に逮捕されて以来の捜査段階において終始本件犯行を自供しており、その供述内容は概ね一貫している許りでなく、本件犯行の動機、態様並びに本件犯行前後における挙動、就中本件犯行を外部からの侵入者によるものであるかの如く見せかけるための足跡の遺留及び物色の形跡造成等の各偽装工作について逐一記憶に基く追想により詳細にこれを供述しており、その供述内容にはその大綱において前後相矛盾する点は存しないことが認められるし、前記証人≪中略≫の当公判廷における供述に、右小橋豊通作成の同年七月二一日付「着衣等捨場所の自供報告書」を併せ考えると、被告人が本件犯行直後その犯行を隠蔽するためになした判示白ズック靴(昭和四〇年押第二八号の一五)、目覚時計(同号の八)、パンツ(同号の五)、軍手(同号の六)、靴下(同号の七)等の隠匿場所は、被告人が前同日午前一〇時勾留質問を受けるため前記三鷹警察署から東京地方裁判所八王子支部へ向け進行中の自動車内で護送中の司法警察員小橋豊通に対してなした自供により、初めて被告人方の近隣であるW、R丙家の共同井戸の中であることが判明し、その供述に基いて前記井戸の中を捜索したところ、右白ヅック靴及び目覚時計等が発見せられるに至ったものであることが認められることなどを綜合すると、捜査段階における被告人は本件犯罪事実につき担当捜査官に対し本件犯行時における自己の記憶に基く追想により、その犯行の動機、態様、偽装工作等を詳細且つ任意に供述し、該供述に基き前掲各供述調書が作成せられるに至ったものであることが認められる。
(四) 弁護人らは被告人の捜査官に対する前記各供述調書について、右各供述調書には被告人が本件犯行の動機、態様並びに犯行前後の模様を逐一詳細に記憶しこれを供述したかの如く記載されているけれども、被告人が本件犯行を自白した昭和三九年七月一八日には本件に関する殆んど全ての物証が捜査当局の手中にあった反面、被告人は本件についての新聞記事その他すべての状況から考えて本件犯行の犯人は自分以外にないものと諦めて捜査官の如何なる示唆にも何らの抵抗なしに順応する心理状態にあったのであるから、蒐集された証拠資料に基いて想定された犯行当時の状況に多少犯人の心理描写を書き加えて作成された被告人の本件各自白調書は被告人の記憶に基く追想による供述により作成されたものではないと主張するけれども、前掲証人≪中略≫の当公判廷における各供述によれば、被告人は本件発生後都下立川市方面に逃走中、暗に自殺するかも知れない旨自宅に架電していたことがあり、又同月一七日午後一一時警視庁三鷹警察署に保護された当時、相当興奮状態にあった関係上、当該取調官は被告人の身上に最大限の注意を払うと共に被告人を徒らに刺戟しないように努めながら取調に当ったこと、殊に本件は被告人の母Cは当時東京地方検察庁検事であり、父Hは東京経済大学教授であって、いわゆる最高の知識階層に属する家庭における惨事として、当時マスコミその他社会一般の注目を集めていた事件であったことから捜査当局は捜査の当初から細心の注意を払って被告人の取調べに臨み、被告人に対し強制、拷問は勿論誘導その他の心理的圧迫を避けて慎重な取調べに当っていたこと、及びかかる状態の下において被告人は前記各供述調書作成に際し、当該取調官から取調べを受けた都度、本件犯行に関する動機、犯行の態様及び犯行前後における挙動を逐一詳細にその記憶に基いて任意にこれを供述し、且つ右供述調書に添付されている各図面も亦、担当捜査官においてその記載内容を予め被告人の記憶に基いて図示させた後、各証拠物については、これを被告人に示してその確認を得ているものであることなどが認められるので、弁護人等のこの点に関する右主張はこれを容認し得ない。
以上各認定事実に鑑みると、被告人は判示犯行当時是非善悪を弁識し、その弁識に従って行為し得る能力を喪失していたものとは到底これを認め得ないから、これに副わない弁護人の前記心神喪失の主張はこれを採用することが出来ない。
二、家庭裁判所への移送について
弁護人津田騰三は、本件については被告人の年令、性格、家庭環境等諸般の事情から考えて、少年法第五五条により本件を家庭裁判所に移送し、被告人を保護処分に付するのが相当であると主張するのでこの点について一言触れると、
本件は被告人が少年法にいわゆる少年に該当し、医師広瀬貞雄作成の鑑定書、被告人の少年調査記録中鑑別結果通知書及び証人西尾忠介の当公判廷に於ける供述等を綜合すると、被告人が前掲(「弁護人の主張及びこれに対する判断」中の一の(一))の如き性格特性を持つ精神病質の少年であり、未成熟な人格の保有者であることが認められるところ、一般にこのような特性を持つ少年については家庭裁判所に於ける保護処分により十分その成果を期待し得るものと考えられ、特に被告人の場合には、その家庭環境も良好で、将来の保護資源も数多く存することなど考え合せると、本件につき被告人を保護処分の対象者として考慮すべき余地のあることは当裁判所もこれを認めるに吝かではない。
然し乍ら、(一)被告人の知能は正常良域に属し、而も本件犯行は判示認定の如く同人の正常なる意思決定に基きなされたものであり、その犯行態様も亦極めて残虐なる殺害行為であること、(二)被告人が当公判廷に於ける審理を通じ終始本件犯罪事実の成立を争っていること、(三)被告人が日いくばくもなくして成人に達する年令にあること(本件犯行時は満十八年八ヶ月)、(四)後記「量刑の理由」に記載する情状、等を綜合すれば、被告人に対しては刑事裁判による法の裁きによりその犯罪の成否を明かにした上で自己の犯した罪に対する重大性を自覚せしめると共にその法的道義的責任を果さしめることが相当であると考えられるから、少年法第五五条により本件を家庭裁判所に移送することを相当であるとする弁護人の主張はこれを採用し得ない。
(法令の適用)
被告人の判示所為は刑法第一九九条に該当するので、その所定刑中有期懲役刑を選択し、所定刑期の範囲内において処断すべきところ、被告人は少年法にいわゆる少年に該当するので、同法第五二条第二項を適用し、後記(量刑の理由)掲記の事情を考慮した上、被告人を懲役四年以上六年以下に処することとし、押収に係る鉈壱丁(昭和四〇年押第二八号の一)は、本件犯罪行為に供した物で、犯人以外のものに属しないから、刑法第一九条第一項第二号第二項本文に則りこれを没収することとし、なお、訴訟費用については、刑事訴訟法第一八一条第一項本文を適用して、被告人をして全部これを負担させることとする。
(量刑の理由)
被告人は判示の如く恵まれた家庭に生れ、教養高き両親の許に育ち順調なコースを経て高等教育を受けている者であり、長兄としてその家族の一員である弟Eに対し愛情を以てこれを庇護し善導すべき立場にあり乍ら、判示の如き事情から瞬時にして同人のあたら若い生命を奪い去ったものであり、その犯行の態様も亦残虐を極めたものであり、犯行直後になされた一連の偽装工作も亦自己の刑事責任を回避するためになされたものとは謂え、一見していかにも陰険卑劣の感を免れ得ないし、証人≪中略≫の当公判廷における各供述によれば、被告人は本件犯行後担当捜査官の取調に対し、被害者たる弟Eの死について憐憫の情を示すこともなく、又本件犯行についての悔悟の念を表明することもなかったことが窺われ、又当公判廷における審理の過程においても本件につき自己弁護のみに終始し、被害者Eに対し憫情を寄せその冥福を祈る心情の一端すら窺い知ることが出来なかったことは洵に遺憾と謂わざるを得ない。
しかしながら、前記鑑別結果通知書等にも指摘するとおり、被告人は、その特性を綜合すれば未成熟な人格であることが認められ、本件犯行の残虐性及犯行時の一連の偽装工作並びに当公判廷の審理過程に於ける被告人の供述態度等も亦かかる性格の表現であるとも考えられ、本件犯行も亦その未成熟な人格の故になされた不幸な事件と謂わざるを得ないが、ためにその弟は惨死し、被告人はその罪責を問われ、高い教養と高度な社会的地位を有し、地域社会の尊敬を受けていたその両親等は突如として社会的批判の下にさらされて悲嘆のどん底に突き落された感が深く、同時に二児を失ったにも等しい両親が、その悲しみの中から、幸いにも残されたこの被告人の更生に対して寄せる真摯な努力も亦子を持つ親の情として同情を禁じ得ないものがある。かく考えてみると、本件はK一家の中における悲劇であり、被害者は被告人の弟Eであると共にその両親並びにその一家全体であるとも謂わなければならない。
叙上被告人の年令、性格、経歴、環境、本件犯行の動機、態様、犯行後における被告人の態度等諸般の情状を考慮した上、当裁判所は主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 樋口和博 裁判官 中村憲一郎 裁判官 泉山禎治)