東京地方裁判所八王子支部 昭和47年(ワ)646号 判決 1974年3月28日
原告
大庭明夫
ほか一名
被告
坂野吉辰
ほか一名
主文
被告らは連帯して、原告大庭明夫および古谷孝行に対しそれぞれ各金二、五七一、八八九円ならびに右各金員に対する昭和四八年九月一二日以降支払済みに至るまで年五分の割合による金員を各支払え。
原告らその余の請求はいずれも棄却する。
訴訟費用は被告らの連帯負担とする。
この判決は仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求める裁判
一 原告ら
被告らは、原告らに対し、金九、五五四、一九三円およびこれに対する昭和四八年九月一二日以降支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
訴訟費用は、被告らの負担とする。
仮執行の宣言。
二 被告ら
原告らの請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
原告ら勝訴の場合における担保を条件とする仮執行免脱宣言。
第二原告の主張
一 事故発生による負傷死亡
(イ) 訴外大庭梅八は、昭和四六年六月五日午後〇時一五分頃、東京都世田ケ谷区大原町一丁目三二番五号先井の頭通り路上において原付自転車(世田谷区い三二二九号。以下、必要に応じ単にバイクという。)を運転中、折柄被告坂野吉辰所有の普通乗用車(品川51は三二五六号。以下、必要に応じ単に加害車という。)を渋谷方向に向け運転進行し右バイクを追越そうとしていた被告坂野脩治に衝突された。
(ロ) 大庭梅八は、その際運転中のバイクを横断破損され、頭部打撲・頭蓋腔内出血・頭蓋骨折・右眼動眼神経麻痺等の瀕死の重傷を負い、直ちに人事不省のまま篠田外科に収容され、二週間後意識を回復したものの、同年八月一二日まで入院治療を受け、さらにその後二五五日間にわたつて右外科ならびに小暮眼科医院において通院加療を受けた。
(ハ) しかし、右入・通院の治療の成果を十分得るに至らず、左眼失明、脳内疾患にもとづく不定愁訴、歩行困難、大小便失禁等の後遺症状になやみ、その苦痛にたえかね前途を悲観し、遂に昭和四七年七月三一日自殺した。当時七〇才であつた。
二 責任原因
(イ) 被告坂野脩治は、事故当時、見とおし良好の幅員約三・五メートルの前記道路が制限速度四〇キロメートル追越禁止とされているにもかかわらず、あえて五〇メートル前方を進行中の大庭梅八運転のバイクを無理に追越そうとし、時速四五キロメートルで加害車を運転進行し、運転を誤り、左側に電柱があるため有効幅員二・七三メートルとなつている地点で、右バイク風防装置右側部分に加害車左側を後方から接触衝突させ、おどろいてブレーキもかけないまま右にハンドルを切り、加害車を右に急旋回し、よつて自動左ドアー部分をふたたび右バイクに衝突させ、バイクをはねとばしたもので、過失によつて本件事故を発生させたものとして民法第七〇九条による不法行為の賠償責任がある。
(ロ) 被告坂野吉辰は、前記のとおり加害車の所有者で、これを自己のため運行の用に供していたものであり、自賠法第三条による損害賠償責任がある。
(ハ) したがつて、被告らは、連帯して損害を賠償する義務がある。
三 ところで、亡訴外大庭梅八は、右事故にもとづき、次のとおり損害を蒙り、合計金九、五五四、一九三円の損害賠償請求権を自賠法第三条ならびに民法第七〇九条により被告坂野吉辰ならびに同坂野脩治に対し取得した。
(一) 入・通院治療費関係
(イ) 昭和四六年六月五日から昭和四七年三月三一日(入院は六九日間)まで篠田外科において入・通院治療を受けた費用
金九七九、二〇〇円
(ロ) 入院付添費
金一四五、八四〇円
(ハ) 入院中氷代金等
金二二、六二〇円
(ニ) 入院雑費
一日三〇〇円、六九日分
金二〇、七〇〇円
(ホ) 以上の小計
金一、一六八、三六〇円
(二) 通院治療費関係
(イ) 昭和四七年四月一日から昭和四七年四月三〇日(この間の実通院八日間)篠田外科において通院治療を受けた費用の一部
金一六〇、〇〇円
(ロ) 昭和四六年七月二三日から同年九月二日(四二日間中実通院八日)まで小暮眼科医院において通院治療を受けた費用の一部
金八、三五〇円
(ハ) 通院雑費
一日一〇〇円、二五五日分
金二五、五〇〇円
(ニ) 以上の小計
金四九、八五〇円
(三) 被害車廃棄損
被害車両(時価二〇、〇〇〇円)を廃棄した損害
金二〇、〇〇〇円
(四) 葬祭費
大庭梅八死亡にともなう葬祭費として原告らにおいて支出したもの
金三八一、一四〇円
(五) 休業にともなう損害
昭和四六年六月から昭和四七年七月までの間大庭梅八が休業したことによる損害
昭和四五年度個人事業申告所得金一、〇二一、二四六円を基準として、そのうちから生活費三〇%を控除し仮定年収を金七一四、八七二円と算定したものの一年二ケ月分
金八三四、〇一七円
(六) 逸失利益の損害
右(五)による実質年収金七一四、八七二円に平均余命年数五年としたうえ、複式ホフマン年五分にもとづく係数四・三六四三を乗じ中間利息を控除したもの
金三、一一九、九九一円
(七) 慰謝料
前記負傷、入院、通院、死亡ならびに被告らの本件事故の事後処理についての不誠実な態度により多大な精神的苦痛を受けた。その慰謝額は、次のとおりである。
入院六九日分等にかかるもの
金三四五、〇〇〇円
通院期間二五五日(通院実日数七八日)間分等にかかるもの
金三四〇、〇〇〇円
死亡に伴うもの
金五、〇〇〇、〇〇〇円
以上の小計
金五、六八五、〇〇〇円
(八) 弁護料
全損害一一、二五八、三五八円の一〇%相当額
金一、一二五、八三五円
(九) 弁済受領分
被告らからの弁済受領分(篠田外科への代払分)
金二四〇、〇〇〇円
自賠保険より給付された分
金二、五九〇、〇〇〇円
(一〇) 未払損害額
以上(一)ないし(八)の合計額から(九)の弁済受領分を控除したもの
金九、五五四、一九三円
四 原告両名は、大庭梅八の相続権者であつたところ、大庭梅八は、昭和四七年七月三一日死亡し、同日付原告両名は各均分に右大庭梅八の権利を相続(但し、葬祭関係費を除く。)により承継取得した。
また、固有に前記葬祭関係費金三八一、一四〇円の損害賠償請求権を取得した。
五 よつて、右損害金支払債務について右各金員とこれに対する昭和四八年九月一二日以降支払済みに至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
第三被告の主張
一 原告の主張に対する答弁
(一) 本件事故の日時、場所、加害車、被害車の特定に関する事実、その運転者、衝突の発生した事実についての原告らの主張は認める。
(二) 大庭梅八の負傷の部位、程度、治療の経過は不知である。
(三) 大庭梅八の死亡は、本件事故と関係ない自殺であり、その死亡と本件事故との間に因果関係はない。
(四) 事故の態様、衝突地点、被告坂野脩治の過失に関する主張ならびに被告両名の賠償義務については、これを争う。
(五) 損害の発生およびその額については、不知である。
被告らが本件事故の事後処理について不誠実であつたとの点は否認する。原告の過失が甚だしく、訴訟前の交渉が難航したにすぎない。
(六) 被告らおよび保険者が、原告ら主張のとおり金二四〇、〇〇〇円および金二、五九〇、〇〇〇円を既に支払つた事実は認める。
また、被告らは、昭和四六年六月六日入院雑費として金一万円を付添婦を通じ、原告らのため、代払した。
二 免責の主張
本件事故は、バイクが転回禁止の路上で、後方に注意せず、かつ進路変更について何等合図等をしないまま至近距離五メートルの地点から、制限速度四〇キロメートルにしたがい右速度でバイクを追抜くため進行中の加害車の進路上に、突然飛び出し転回しようとして起きたもので、本件事故の発生は、大庭梅八の無謀な転回ないし一方的過失に起因する。また被告坂野脩治において、右のような大庭梅八の無謀な運転やこれにより生ずる危険について、あらかじめ、これを予見することは、不可能であつた。
したがつて、被告坂野脩治には、過失が存しない。
三 過失相殺の主張
右二の態様下に本件事故は発生したので、仮に右二の免責の主張が認められないとしても、バイクの過失は極めて重大であり、衡平上発生損害はバイク九、加害車一の割合で負担するのが相当である。
第四被告の主張に対する原告の答弁
一 バイクが突然転回したとの主張は、否認する。
二 先行車のバイクの運転者たる大庭梅八には、後方注意義務はない。
第五証拠〔略〕
理由
一 亡訴外大庭梅八が、昭和四六年六月五日午後〇時一五分頃東京都世田ケ谷区大原町一丁目三二番地五号井の頭道路上において、原付自転車(世田谷区い三二二九号)を運転中、被告坂野脩治運転の普通乗用車(品川51は三二五六号)と衝突した事実については、当事者間に争いがない。
二 つぎに右事故の発生前後における前示バイクおよび加害車の動静ならびに路線上の位置関係等について検討するに、〔証拠略〕を総合すると、次の各事実が認められる。
即ち、まず、前示本件事故の発生した道路は、幅員七メートルの車歩道の区別のない両側に商店人家の立ち並んだ市街地内の道路で、その中央部分において、ペンキ標識によるセンターラインで見とおしの良い直線の舗装路線二本に区画され、本件事故は、右道路の渋谷方向路線上で発生したが、当日事故現場に、被告坂野脩治が、幅員約一、四四五メートルの加害車を運転しさしかかつた際は、衝突直前および衝突時を通じその進行路線上に本件被害バイクを除き他に先行車がなく、また反対路線上も同様な状態であつた。被告坂野脩治は事故直前、前示路線上を前示方向に向けてセンターライン附近に沿つて右路線の法定制限速度と定められている時速約四〇キロメートルの速度で進行し、本件事故現場附近に至つた。そして、大庭梅八は、路線左側沿いにある大塚コンクリート作業所砂利置場前にある北沢五丁目線三号電柱の手前約一二メートルのスナツクバー「純」の店舗前路上の左側端より約〇・三メートル内側の側溝附近の地点に、進行方向に向け、路線と平行して、幅員約〇・六五メートルの前示バイクを駐車させ、右バイク運転席にまたがり乗車していた。被告坂野脩治は、これを進路前方約一三・五メートルの距離に近接してはじめて発見認知した。しかし、同人は、右バイク運転席に乗車している大庭梅八が発進に先立つて方向指示灯などを点灯しなかつたし、そもそも被告坂野脩治自体、最初に右バイクを発見した後、その後は右バイクの動静を全く注視していなかつたため、そのまま右バイクの側方を追抜くべく前示時速約四〇キロメートルの速度で進行を続け、その間自車の接近を右大庭梅八に知らせるため警報器を吹鳴するなどの措置を採らなかつた。
ところで、一方、大庭梅八は、前示駐車地点から、ハンドルをやや右よりに向け右バイクの進行を開始した。そして約四メートルないし五メートル前方に進行したが、その間右側方に進路を変更し、前示電柱手前約七メートルないし八メートル、センターラインから左側寄り約〇・八八メートルの衝突地点に達する途中で、約二メートル弱(左側端より駐車地点まで約〇・三メートル、バイクの車幅約〇・六五メートルの二分の一、センターラインと衝突地点との距離約〇・八八メートル、衝突場所の有効幅員約三・五メートルにより換算)右側方にその進路を順次変更した。被告坂野脩治は、前示のとおり駐車中の右バイクを最初に発見した後は、右バイクを注視していなかつたが、最初の発見地点から約五メートル余進行したとき、前示のとおり進路変更中で自車の前方進路上に進行して来た右バイクの状態にふたたび気づいた。そのため、急拠自車のハンドルを右に転把したが、十分その進路を右に転じ得ず、しかも、右操作に気をとられ、これに力を注いだため、ブレーキペタル上に足を乗せ軽くこれをふみ込んだものの、もとより急ブレーキをかけるまでには到底至らず結局、ほとんどブレーキ操作の実効を発揮し得ないまま、右バイクを避け切れず、前示地点で自車左側前照灯上部附近などをバイクの右ハンドルないし風防装置右側部分に後方から衝突させた。そして、右衝突後約二七メートル余そのまま進行し、自車を道路左側端に停止したが、右衝突の際、右バイクおよび右バイクを運転中の大庭梅八を右衝突地点から左斜前方約四・二メートル余の地点まではね飛ばし、転倒させ、自車との衝突およびこれにともなうはね飛ばしによつて、二次的に同人を舗装道路上に転倒激突させ、その衝激で、同人に対し頭部打撲、頭蓋腔内出血、頭蓋骨骨折の傷害を与え、あわせて右バイクのフロント・フオークに取りつけた風防装置を破損し、ハンドル左側の前輪ブレーキレバーを折損せしめた。
以上の各事実が認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
三 そこで、さらに進んで被告坂野脩治について加害車の運転上過失が成立するかどうかについて検討するに、右二で各認定した事実ならびに右二掲記の各証拠の一部ならびに〔証拠略〕を総合すれば、次のとおり認められる。
(一) まず、被告の坂野脩治が、前示法定制限速度を超えた時速四五キロメートルの速度で加害車の運転をなし、五〇メートル手前で進行中のバイクを気付きながら、これを追越し禁止の場所で、追越そうとしていた、との原告の主張について判断するに、なるほど、前判示のとおり、被告坂野脩治が衝突直前に急ブレーキをかけ得ず、バイクに衝突したこと、その後、約二七メートル余進行してはじめて停止したこと、大庭梅八がバイクを発進させるに先立ち後方を確認した際は加害車が可成り後方に位置していたと判断できたにもかかわらず、バイク発進後約四メートルないし五メートル進行し得た段階で衝突したことなどの事実が認められることにてらせば、原告主張の事実、とりわけ被告坂野脩治の速度違反をいう点については、これにそう事実が存在したとの疑念が払拭し切れないが、しかし右の如き事実からのみしては、いまだ原告の主張事実である速度違反の存在を推認するに十分ではなく、またそれ以上に原告の右の主張にそう推定を補強し具体化するに足りる証拠はない。
また、前示加害車のいわゆる追抜き開始時における加害車・被害車の位置関係、各車両の車幅、路線上有効幅員をせばめる障害物である電柱が衝突地点左斜前方約九・九七メートル(直線換算七ないし八メートル)前方に存した事実等を総合勘案すれば、右「追抜き」と原告の主張する「追越し」との間に、少くとも衝突地点における限り、実際上、その危険の程度について、大差のないことが認められるものの、被告坂野脩治がいわゆる「追越し」をなしたとの事実を認めるに足りる証拠はない。
また、被告坂野脩治が五〇メートル手前で、進行中のバイクを発見したとの原告らの主張については、被告坂野脩治(職権)がその供述において、約一三・五メートル手前で、停止中のバイクを発見し、約五メートル進んだところ(その間の所要時間は一般経験則上約〇・五秒以下である。)、突然道路左側端からバイクが自車進路上に進行してきたとの趣旨をいいながら、一方において、右バイクのエンジンの始動操作等発進前および発進時の操作等にふれるところがなく、また、その後加害車が前示速度で衝突地点まで約五メートル進行する間に発進直後でその初動速度の遅いと推定されるバイクが約五メートルないし六メートル(前進約四メートルないし五メートル、右側方への移動約一・七七メートルを斜行距離に換算。)隔てた衝突地点に同時に達したことをいう点で、それ自体不合理、不自然で、その信用性に多分に疑問がある。しかし、右の点について、被告坂野脩治が、初めてバイクを発見したのが約五〇メートル手前の地点であり、かつ、その時点において、バイクが既に進行中であつたことを積極的具体的に認めるに足りる証拠はない。
したがつて原告らのこの点に関する主張は、いずれも採用出来ない。
(二) つぎに、被告坂野脩治について、運転上の義務違反があるかどうかについて判断するに、同人は法令上その義務があるにもかかわらず、
前示認定によれば、見とおしの良い舗装道路上において約一三・五メートルに近接するまで大庭梅八の前示バイクを気付かず、これを認知しなかつた。
また、右バイクが前示駐車場所から発進するかどうかについても、元来、バイクの場合は四輪車の場合と異なり、その車両の発進と関係なくそれに人が乗車したまま待機することが一般には考えられないことからして、バイクの運転席に大庭梅八がまたがり乗車していれば他に附近に発進をとどめる特別の事情のうかがわれない限り、経験則上その発進を予想することも不可能とはいえないにもかかわらず、(その上、同人については、たとえば運転席に乗車したまま通行人と話を交わしているが如く右バイクの発進をさまたげるような例外的な事情も認められなかつたにもかかわらず)、安易に発進をしないものと即断した。
さらに、大庭梅八の既に乗車している右バイクの駐車している事実を発見した後も、衝突直前に至るまでバイクの発進ないしこれに引続く進路変更の有無について、これを確認するため継続してその動静を看視するなどしないで、右バイクに全く注意を注がなかつた。
それに、〔証拠略〕を総合すれば、前示約三・五メートルの幅員の進行路線上を、前示幅員約〇・六五メートルのバイクが、前示地駐車地点から発進し、約四メートルないし五メートル進行し、その間、前示路線の左側端より約〇・七七メートルの地点に設置された前示電柱をさけるため、その発進当初から徐々にその進路をセンターライン寄りに変更し、そのため右の進路変更が最小限にとどまつた場合においても、結果的に右路線の残余有効幅員はセンターラインとの間で約二・二メートル弱(バイク幅員約〇・六五メートルと電柱と道路左側端との間の距離約〇・七七メートルを加える。)に減少するため、前示幅員約一・四五メートルの加害車を、この残余幅員内に前示毎時四〇キロメートルの速度で進行させるときは、追抜きのため右バイク右側端より約〇・七メートル余しか確保できない間隔を高速度で通過せざるを得なくなり、しかも、経験則上、舗装道路では四輪車である加害車の場合、急ブレーキを有効適切に操作させるとしても空走距離をふくめ約一六メートル余の距離を要するし、時速四〇キロメートルの車両が約一三・五メートル進行するに要する時間はわずか約一・三秒前後であることも明らかであるから、これらの点をも総合考慮すれば、同人の前示事実関係の下でのいわゆる追抜きは、たとえ、バイクにおいて路線上の障害物をさけるに必要な範囲をこえて路線変更をしない場合においても、きわめて高度の危険性を伴うものであることが認められること、そしてさらに、右の各事実に加うるに、ひとまず後行車の追抜き進路への侵入の点を別とすれば、元来、先行車たるバイクの運転者たる大庭梅八は、前示道路上では障害物に近接して常に路線最左端を必ず進行しなければならないという義務を課されているわけでなく、任意、その判断にしたがつて、道路のセンターライン寄り近くに進路を選ぶことも法令上許容され可能であり、また、車両運転の実際においても、障害物である電柱に近接しないである程度間隔について多少の余裕を保持しよりセンターライン寄りを進行するのが通例で、しかも市街地内の道路を進行する際、人家からの飛び出しがあつた場合の危険をさけるうえでも、右の通行方法がより合理的で危険も少く、それが実際の通例でもあること、電柱をさけるための進路変更自体も数メートル手前でこれをなすについて、何ら不合理がない等からすれば、そして、右バイクが前示のとおり後行車の安全を確認したうえ進行を開始したような場合においては、後行車である加害車の進路に接近し、これとの間隔をせばめ、あるいは進路内に侵入する可能性のあることもあながち、否定できないのに、これらの各事態の発生する可能性を全く予見することもなかつた。
また、右の如き危険な事態に立ち至るのにそなえ、自車が後方から接近したことを先行車たるバイクに警笛で警告することもなかつた。
さらに、接触・衝突の危険がより現実化しようとする場合に危険を回避するため自車を緊急に急停止すべくあらかじめ減速措置を講ずることもなかつた。
また、衝突直前バイクときわめて接近した際も、ハンドルを右に転回したのみでブレーキペタルを若干ふみ込んだだけで急ブレーキはもとより、そもそも有効適切に制動操作さえなさず、その結果として、より衝激力の抑制された衝突を選ぶことも可能であるのに、これをなさず結果的に前示のとおりバイクに自車を激突させた。ことがそれぞれ認められる。
他に右各認定を左右するに足る証拠はない。
(三) そうだとすれば、右各判示のとおり、加害車の運転者たる被告坂野脩治には、先行車へ接近する場合の一般的な前方注視、近接してから後のバイクの発進、進路変更についての予見予測、車両の位置関係・進路状況・自車の運転速度にてらし、必要な事前の減速操作、警報器の吹鳴操作、衝突回避のための衝突直前における制動操作の各点にわたつて、危険の予見ないし危険の回避上、前示法令上その義務とされたものをつくさざるきわめて高度の過失が存したことは明白であり、同人の運転上の過失の成否自体について、記録上何等疑義を容れる余地はないこととなる。
(四) そして、以上の各過失により本件衝突事故が惹起されたことも、また明らかである。
四 被告坂野吉辰が加害車を所有し、かつこれを運行の用に供していたとの原告らの主張については、被告らにおいて明らかにこれを争わないので右事実を自白したものとみなす。
してみれば、被告らについては、原告主張のとおりそれぞれ民法第七〇九条、自賠法第三条の規定にいう責任原因が存するものというべきである。
五 つぎに発生損害等について検討するに、
前掲二で各認定した事実および右二掲記の各証拠の一部ならびに〔証拠略〕を総合すれば、次の各事実が認められる。
(一) 大庭梅八は、受傷の直後、人事不省のまま昭和四六年六月五日、篠田外科に収容され、同外科に同年八月一二日まで六九日間にわたつて入院し、その後も同外科で継続して通院治療を受け、その間昭和四六年六月五日以降同月三〇日までの間に金五〇〇、〇〇〇円、同年七月一日以降昭和四七年三月三一日までの間において、入通院治療費合計金九七九、二〇〇円の支払債務を負担した。
そして、右の入院期間中、治療介護の必要上付添婦を雇入れ、そのための費用として合計金一四五、八四〇円を支払つたこと、入院中治療用の氷代合計金一五、六五〇円、氷枕代金四七〇円、ガーゼねまき代金一、〇〇〇円、紙おむつ代金三、六〇〇円、タオルケツト代金一、九〇〇円を各支払つた。
しかし、右認定の支払以外に大庭梅八が別途入院雑費として合計金二〇、七〇〇円の損害を蒙つたとの点については、何等、右事実を認むべき具体的証拠がないし、前示認定の損害のうちには、いわゆる入院雑費として考慮すべきものがある程度ふくまれている以上、本件について、それとは別個に〔証拠略〕を参酌し定額賠償を命ずるまでの根拠に乏しく、またその必要性も認め難い。
(二) 大庭梅八は、前示負傷による通院治療は、前示篠田外科におけるそれに限つても、退院後昭和四七年四月三〇日まで継続し、その間の実通院日数は七九日(三月三一日まで七一日間、四月三〇日まで八日間の合件)に及び、右四月分について治療費として合計金一六、〇〇〇円を同外科に支払つた。
また、同人は、前示負傷後の右眼動眼神経麻痺等の治療のため、小暮眼科医院に通院し、その実通院日数は、七日間であり、その治療費合計金八、三五〇円を負担した。
また、〔証拠略〕ならびに一般経験則に徴すれば、右実通院七九日間にわたつて一日約一〇〇円相当の通院雑費を支出したことがうかがわれ、右推定を左右するに足りる証拠はない。
大庭梅八が、本件事故当時乗車していたバイクについては、右バイクが現場で前示の程度に破損したことは認められるが、事故当時における右バイクの価格ないしその後、右バイクを大庭梅八らが廃棄し、これにより金二〇、〇〇〇円相当の損害を蒙つたとの点については、これを具体的に認めるに足りる特段の証拠がなく、また、事柄の性質上その損害について定型性も認め難いので、〔証拠略〕を参酌し、原告らの主張を肯認するのも相当でない。なお前示破損の程度で、右バイクを当然廃棄すべきものとすることも経験則上、不合理と考えられる。
(三)(イ) 大庭梅八は、事故以前は健康でその身体、精神に格別の支障を認めず、現に自己の経営する個人商店である酒類販売業を営み、毎日バイクに乗車し、自ら注文取りなど営業活動を担当していたものであるが、前示のとおりの重傷を負つて人事不省におち入り、その後意識を回得したものの、六九日間入院治療後退院し、引続き篠田外科、途中で小暮眼科医院において、それぞれ通院治療を受け、その間、前示負傷のうち当初の頭蓋骨骨折は治ゆしたものの、約一〇ケ月経過した昭和四七年三月二八日当時においてさえ、右眼動神経麻痺、眼球運動、右眼各方向不全、特に上、内方不良、眼瞼下垂、上挙不良および右半身麻痺、視力左眼前手動、右眼〇・六、光線反応(一)の治ゆしない殆んど左眼失明の固定症状が残り、さらに昭和四七年三月三一日当時も頭部打撲、頭蓋腔内出血のため、頭痛、視力減弱、右下肢の運動障害の症状が完全に治ゆしないまま固定化し、そのため日常生活上も、目がみえにくく、耳が遠くなり、歩行をすると頭痛を感じ足も引きつり、遠方には一人で出られず、病院に通う際も家族が自動車に乗せてつれて行く必要があるという程度で、昭和四七年七月二五日頃からは大小便の失禁もあるため常時おしめを施用していた。
そして、右篠田外科で治ゆしないまま、症状の固定をいいわたされた後である昭和四七年五月以降も、右症状になやみ、日常生活の中で引続きその苦痛の軽快、治ゆを求めて色々な病院に診察を求める状況がつづいていたが、その目的を果し得なかつた。
そして、これらの点を除き、同人には他に自殺を図るべき程の特別の事情もなかつたのに、昭和四七年七月三一日「自動車事故のため体が段々悪くなるので自殺する」「病気がなおらないので天国に行く。」等の趣旨を書いた遺書を残して、世田谷区代田地内の横断歩道橋から六メートル下の車道上に飛び降り自殺した。当時七〇才であつた。
そうだとすれば、右認定の事実関係の下においては、大庭梅八の自殺は、本件衝突事故による負傷の程度、その治療経過、死亡時における症状の程度およびこれによつて日常生活上受けていた苦痛の程度、その他死亡の際の遺書の内容等を総合すれば、事故による後遺症になやみ、それが固定化し治ゆする見込みがないことから将来を悲観し、その苦痛から免れ逃れるためなさされたものと推定することが可能であり、右推定自体、人が一般にその症状の重い疾病や、不治の疾病の際、その苦痛から免れる場合により自殺の手段を選ぶこともまれではないという経験則にも合致する。
したがつて、交通事故による負傷が、被害者の自殺行為を介するとはいえ、なお、その死亡に至る経緯に決定的ともいえる重さで寄与している本件(なお理論上は、主たる原因として寄与している程度で足りるものと認める。)では被告坂野脩治においてあらかじめ右結果を予見し得たかどうかにかかわりなく、右大庭梅八の死亡と交通事故との間には法律上の相当因果関係が存するというに何等妨げはなく、これについて証拠上、右判断を左右するに足りる事情は全くうかがわれない。
(ロ) そうすると、原告らが、右大庭梅八の死亡に際し、その葬祭関係費用として合計金三八一、一四〇円を支払つた事実が認められ、右支出について、大庭梅八の地位、身分その他社会習俗にてらし不合理、不必要と思われるものがふくまれていない以上、原告らは直接右同額の損害を蒙つたものというべきである。
(四) 大庭梅八は、本件事故の前年である昭和四五年度分として、同人名義の年間金一、〇二一、二四六円の所得申告をし、右全額が同人の酒類販売の小売業の個人所得であると認められるところ、同人は、前示負傷、治療および後遺症のため全く右営業に従事することができず、これがため右同額の所得を前示受傷時から昭和四七年七月まで約一四ケ月間得ることができなかつたことが推認され、右推認を左右するに足る他の者の寄与率の存在等については、何ら被告らにおいてその主張立証をなさない。
したがつて、同人については、前示の一四ケ月の期間を通じ、合計して前示金額に一二分の一四を乗じて得た金一、一九一、四五三円相当の休業にともなう所得喪失ないし右金額に評価し得る労働力毀損にともなう損害が発生したものと推認される。
なお、原告らは、右いわゆる休業損害の算出に際し、生活費を控除すべきものとの主張をするが、死亡にともなう逸失利益の場合とことなり、右の如き積算は不合理でありこれが原告らにとつて有利であると不利であるとにかかわらず、当裁判所としては、これを採用し得ない。
(五) 大庭梅八が酒類販売の小売業を経営し、死亡当時年令七〇才であつたこと、本件事故当時健康で現になおその業務に従事していたことは、前各判示のとおりであり、また、七〇才の男子の平均余命が少くとも四・六年であること、ならびに個人経営の小売業という業務の性質上、勤労者の場合とことなり、他に廃業、引退等によりそれ以前に営業に関与しなくなるなどの具体的な特段の事情が認められない限り、その余命期間中右営業を総括しあるいはその業務を現実に担当し、これによつてその間その経営事業から収益を継続してあげ得るものと推定し得る余地があることは一般経験則上十分これを肯認するに足りる。
したがつて同人については、死亡した昭和四七年七月三一日以降約四・六年間は、前示年収額から経験則上合理的とみられる単身男子の生活費四〇%を控除しても、なお、毎年金六一二、七四八円の手取り実質収入を得ることが可能と認められ、右実質年収について複式ホフマン計算にもとづき年五分の割合で中間利息を控除するため、係数四・三六四を乗じて得た金額金二、七五二、五八四円の利益喪失の損害が生じた。
(六)(イ) 大庭梅八は、前示のとおり、本件事故により六九日間入院治療を受け、その後昭和四七年四月末日までで約八ケ月、さらに五月以降死亡に至る七月三一日までの間もある程度通院治療を続けていたもので、事故による傷害やその後遺症の程度は、前示のとおりきわめて重く、日常生活にも多大の不便、苦痛を蒙つていた。
したがつて、その間の精神的な苦痛を慰謝するため、入院期間中の精神的苦痛にかかる分については、一日につき、金七、〇〇〇円、六九日分の合計金四八三、〇〇〇円(請求額は金三四五、〇〇〇円であるが、当裁判所は、発生損害の認定について、原告らの各費目毎の個別的な計算額に拘束を受けない。以下同じ。)、通院期間中の精神的苦痛にかかる分については、約一四ケ月間にわたつて毎月平均金五〇、〇〇〇円あて合計金七〇〇、〇〇〇円を被告らに支払わしめるのを相当とする損害が生じたものと認める。
(ロ) また同人の死亡等にともなう慰謝料については、当裁判所に顕著な近時の物価の騰勢傾向、いわゆる自動車損害賠償責任保険における給付限度額の改訂の推移等被告らにおいて当然時日の経過上予見し得る諸事情、前記認定の如く本件事故により同人が重症度の後遺症にくるしみ、はなはだしく精神的苦痛を受けたうえ、遂に自殺するに至つたこと、とくに、被告らおよび同人らの選定した訴訟代理人が主としていわゆる大庭梅八の進路飛び出しの一点に依拠し、被告坂野脩治について右の点とは別途当然成立することが明白な各般の過失についてこれを看過し、事案の真相を冷静客観的に柔軟性ある態度で克明に分析調査せず(被告坂野脩治の供述について、当裁判所が前示のとおり指摘した各般の疑点について、被告らおよびその代理人が本件係争の全過程において客観的に首肯し得るに足りる説明や、主張、立証活動をしてないことは明白である。)ことさら硬直した姿勢で抗争し、訴訟前においても誠意ある賠償支払に応じず、さらに、訴訟提起後においても、全ての証拠調を終了した最後の段階においても、なお免責の主張ないし過失一〇パーセントの主張に拘泥し、これを維持し、結果として大庭梅八および原告らに対する救済を遅延せしめ多大な苦痛を与えた事実が、〔証拠略〕ないし訴訟の経過上当裁判所に顕著であり、しかもその主張が、当裁判所でここに排斥されるに至つた以上、原則として右の態度は不当であつたことに帰し、これによつて大庭梅八や原告らに対し与えた苦痛は、単に遅延損害金を支払わしめただけでは不十分で、この点は、仮にそれがいわゆる不当抗争として不法行為を成立せしめない場合においても、これを慰謝料算定事情の一つとして重視し、衡平上考慮することを相当とする。
したがつて、これらの点をもあわせ、大庭梅八の死亡等によつて慰謝料金五、〇〇〇、〇〇〇円の支払を命じるのが相当とみられる程度の損害が生じたものと認める以上の各認定を左右するに足りる証拠はない。
(七) そうすると、大庭梅八は、本件事故により、昭和四六年六月五日以降六月三〇日までの間の入院治療費金五〇〇、〇〇〇円および同年七月一日以降昭和四七年三月三一日までの入院治療費金九七九、二〇〇円、昭和四七年四月分金一六、〇〇〇円(以上篠田外科関係)ならびに昭和四六年七月二三日以降同年八月三日までの通院治療費金八、三五〇円(小暮眼科医院関係)の合計金一、五〇三、五五〇円の入通院治療費、金一四五、八四〇円の入院付添費、金二二、六二〇円の入院中の諸支出費金七、九〇〇円の通院雑費、金一、一九一、四五三円のいわゆる休業補償、金二、七五二、五八四円の死亡による逸失利益、入院期間中にかかる慰謝料金四八三、〇〇〇円、通院期間中にかかる慰謝料等金七〇〇、〇〇〇円、その他死亡等にともなう慰謝料等金五、〇〇〇、〇〇〇円相当の損害を蒙つたものと認められる。
してみれば、被告らは、大庭梅八に対し、本件事故により前示認定にかかる合計金一一、八〇六、九四七円の損害を与え、また原告らに対し前示認定にかかる金三八一、一四〇円の損害を与えたものというべきである。
六 つぎに被告らの過失相殺の主張について検討するに、前示二ないし三で認定した事実ならびに右認定につき挙示した各証拠の一部を総合すれば、次のとおり認められる。
(一) まず、大庭梅八の発進時における安全の確認については一応同人が発進に先立ち後方を確認した事実が認められる。
しかし、その際、加害車の進行していた位置ないし、同車の動向が右バイクの発進の安全に及ぼす影響の程度について、同人が客観的に正確な判断をしたかどうかについては、その当否を確定的に断ずる直接の具体的証拠はない。
つぎに大庭梅八がそのバイクの進路を変更するにつき、後行車のため自ら方向指示灯の点灯など適切な合図をしなかつたことは明白であり、これについて同人のなした進路変更や加害車進路への侵入が前判示以上に緩慢で右の合図が不必要であつたなどの事情を認むべき証拠はない。
また、前示のとおり大庭梅八が突如、加害車の進路上を目がけて進路変更をなしたとの被告ら提出、援用の証拠は直ちに措信できず、他に積極的に同人が一旦は前方に向つて直進しながら、その途中で急激に右側方に進路を変更した事実を認むべき証拠はないから、結局、〔証拠略〕により、同人は発進の際から進路変更をはじめていたものと認めるほかない。しかして、同人の進路変更の角度は変更途中においてそれがさらに変えられたことをその進行距離に即して具体的に確定する証拠が前示のとおり存しないため、結局、その駐車地点から衝突地点に至るまで全部の前進距離と右側方への移転距離とを総合勘案し推定するほかないところ、その距離は、既に前判示のとおり前進については約四メートルないし五メートル、右側方への移転距離については、バイクの駐車地点(左側端より約〇・三メートル)バイクの車幅(約〇・六五メートルの二分の一)衝突地点(センターラインより約〇・八メートル)、有効幅員(約三・五メートル)をも考慮すれば、約二メートル弱である。
しかして右の如き角度でなされた大庭梅八の進路変更については、同人が再び従来の進行方向と反対方向に進む予定であつたとの証拠がない以上、これを道交法にいわゆる禁止された転回と認める余地は存しない。しかも、前示道路上、いわゆる転回禁止区域とされていたのは、本件衝突現場の前方であつた。
したがつて、大庭梅八において、右路上において法令上禁止されている転回を行つたとの被告らの主張はいずれにしても排斥を免れない。
したがつて、以上を総合すれば、大庭梅八は、前示進路変更が右折ないし転回に該当しないにしても、自車の進路変更に際し、右側方や後続車両の動向について注意し、その安全性を十分確認せず、また、右進路変更について方向指示灯の点灯など適切な合図(右合図は、大庭梅八が後行車の接近について認識していると否とにかかわらず、必要と解される。)しなかつた過失および何よりも前示その総体角度で判断したとおりの可成り急角度の進路変更をなし、後行車の進路内に現実に侵入したなどの過失があるものと認められる。
(二) しかしながら、前判示のとおり被告坂野脩治については大庭梅八より以上に、各般にわたつて、幾種類にもわたる過失が存し、しかも、その各々について義務違反の程度はきわめて高いこと、加うるに、元来、車両の運行については、その運転操作の通有性からして前方への進行が基本と考えられ、この見地からすれば、後行車である加害車運転者の前方注視義務は、他のいかなる義務よりも重視すべき基本性があるというべきで、その重要性は、到底先行車運転者の側方ないし後方確認義務の重要性の比でないものと考えるのが相当である。
したがつて、これらの点をもふくめ、前各判示の衝突前ないし衝突時の事実関係を被比対照し、相互の過失の程度を総合勘案すると、大庭梅八のいわゆる過失にもとづく同人および原告らの損害負担割合は、衡平上、発生損害全体のうち四〇パーセントをもつて相当と認める。
七 大庭梅八の死亡した事実については、当事者間に争いがなく、〔証拠略〕によれば原告両名が大庭梅八の遺産を各平等に相続する権利者であることが認められ、その死亡の日時が昭和四七年七月三一日であることは前判示のとおりで原告両名は、本訴認定にともなう財産分配については特段の約束をしたものの、前示の被告らに対する大庭梅八の損害賠償請求権を、右死亡による相続を原因として、各均分二分の一ずつ承継取得したことが認められる。
また、原告らが被告らに対し直接、葬祭関係費金三八一、一四〇円の損害賠償請求権を取得したことは、前判示のとおりである。
そこで、原告らの被告らに対する右各損害賠償請求権について、前示過失相殺比率で前示発生総損害の四〇パーセントを負担させることとすると、被告らは連帯して原告ら各自に対し連帯して金三、六五六、四二六円(相続分、固有分の各二分の一の合計)の支払債務を負担するに至つたものというべきである。
八 被告らが、本件事故にともなう損害の賠償として、篠田外科あて金二四〇、〇〇〇円を大庭梅八の治療費として代払したこと、大庭梅八が自動車損害賠償責任保険の保険者より金二、五九〇、〇〇〇円の支払を受けたことは、当事者間に争いがない。
また〔証拠略〕によれば被告らが、大庭梅八のため氷代として金一万円を昭和四六年六月六日、その付添婦を介し、代払したことが認められる。
したがつて、被告らは、原告らについて生じた損害のうち既に合計金二、八四〇、〇〇〇円を弁済したこととなる。
九 したがつて、前示八で認定した弁済額の合計金二、八四〇、〇〇〇円の二分の一に該る金一、四二〇、〇〇〇円について前示原告ら各自の各損害賠償債権額金三、六五六、四二六円から、これを控除すると、原告ら各自に対し被告らが連帯して負担する支払債務額は、各金二、二三六、四二六円となる。
ところで、〔証拠略〕によれば原告らは、弁護士寺光忠に本件事故の賠償請求につき訴訟前および訴訟上の事務を委任するにつき、本訴認容額の約一五パーセントをその報酬として支払うことを予定しており、他に特段の主張立証がない限り、将来右予定にしたがつてこれを支払うものと推定することが可能である。右報酬自体、右弁護士が、本訴提起前から現実に示談交渉を担当して来たこと、証拠上要らかな本訴追行の経緯にてらせば、その報酬割合として特に不合理、過大とは認められない。
したがつて、前示理由により発生損害額の一〇パーセントという原告らの報酬の請求にかかわらず、右各認容額の一五パーセントの割合により算定した弁護士費用金三三五、四六三円相当分の各損害が、それぞれ原告らに生じたものと認めるのを相当とする。
けだし、交通事故の損害賠償の請求訴訟において、原告が被告に対し、財産上、精神上の損害の支払を求める場合、右各損害を積算せしめる基礎となる個々の損害自体は、それが訴訟物となるのではなく、全体として請求の趣旨に表示されたところが一個の訴訟物をなすものと解すべきであるから、原告らの発生損害の一〇パーセントの請求に対し、認容額の一五パーセント相当の金員の支払を命ずることは、何等弁論主義の原則を逸脱するものと解されないからである。
一〇 しかして、右各支払金債務が、原告らの遅延損害金の支払起算日として主張する昭和四八年九月一二日以前に、既に遅滞におち入つていたことは、明らかである。
一一 そうすると、原告ら各自の被告らに対する本訴請求は、その金二、五七一、八八九円およびこれに対する昭和四八年九月一二日以降年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において各々その理由があることに帰する。
よつてこれを右の範囲内で認容し、その余は、理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について、民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条、仮執行の宣言について、同法第一九六条を各適用し、保証を条件とする仮執行の免脱については、訴訟追行の経緯にかんがみ相当と思われないので、これを許さないこととし、それぞれ主文のとおり判決する。
(裁判官 鬼頭史郎)