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東京地方裁判所八王子支部 昭和60年(わ)128号

主文

被告人ら三名はいずれも無罪。

理由

本件控訴事実の要旨は

「被告人竹内政行、同久恒〓志、同濱和彦は

第一  ほか多数の革マル派に所属する者らとともに、中核派に所属する者らの生命・身体に対し共同して危害を加える目的をもって、昭和六〇年二月五日午後一時五〇分ころから同二時二〇分ころまでの間、神奈川県川崎市麻生区岡上一六四〇番地付近路上から東京都町田市金井町二一六〇番地所在和光大学構内に至る間において、多数の竹竿・鉄パイプを所持して集合移動し、もって、他人の生命・身体に対し共同して害を加える目的をもって兇器を準備して集合した

第二  ほか多数の革マル派に所属する者らと共謀の上、前同日午後二時すぎころ、前期和光大学構内において、別紙被害者一覧表記載の三宮宏一ら中核派に所属する者及びこれに同調する者七名に対し、竹竿・鉄パイプ等をもってその頭部・顔面・上肢・下肢等を多数回にわたり殴打し、突くなどの暴行に加え、よって右三宮ら七名に対して同一覧表記載のとおりそれぞれ傷害を負わせた

ものである。」

というのであるところ、これらの事実は取り調べた各証拠(ただし、後記の証拠能力を否定したものを除く。)によれば、被告人ら三名を除く右革マル派に属する者らが右第一のとおり兇器を準備して集合し、右第二のとおり右中核派に属する者らに対して傷害を負わせたこと(以下「本件内ゲバ事件」という。)を認めることができる。

ところで、本件においては、被告人ら三名の逮捕手続の適否と絡んで、検察官より逮捕後に被告人ら三名から差押えたものとして提出されている押収物総目録(平成二年押第一二一号の符号1ないし37)記載の証拠物及びこれに関連して作成された証拠の証拠能力の存否が争点となっているので、まず、その逮捕手続の適否について検討を加えることとする。

第一  被告人濱和彦の逮捕手続の適否について

一  証拠上認定し得る基本的事実

第四一回及び四二回公判調書中の被告人濱和彦の各供述記載(以下「被告人濱供述」という。)、第一二回ないし一四回公判調書中の証人木庭昭利の各供述記載(以下「木庭証言」という。)、第一五回及び一六回公判調書中の証人伊東正利の各供述記載(以下「伊東証言」という。)、司法警察員作成の昭和六三年四月二〇日付実況見分調書及び司法巡査作成の町田署三号の男に対する現行犯人逮捕手続書によれば、昭和六〇年二月五日午後二時一六分ころ、警視庁町田警察署所属の巡査木庭昭利、同巡査部長伊東正利は、東京都町田市原町田六丁目一番一一号所在の同警察署原町田派出所で勤務中「和光大学内でけんかという一一〇番通報があった。」との無線連絡を傍受し、更にその後、「和光大学A号棟付近で内ゲバが発生、革マル七〇名位と中核二〇名位が乱闘、重傷者等のけが人がでた。」「革マルは玉川学園方面に逃走した。」との無線連絡を傍受したため、右原町田付近は和光大学から玉川学園への延長線上にあり、内ゲバ犯人が逃げてくるかも知れないとの判断から警戒していたところ、午後三時一五分ころ、右派出所前をジャンパーを着て黒色の買物袋を持った被告人濱及び氏名不詳の年齢二五歳から三〇歳位の男一名が通りかかったのを認め、時間的にも右内ゲバ犯人が同所付近に到着することが考えられるとの判断から、朝から小雨が降っていたのにこの二人が傘を持っていないことなどもあって、とっさに内ゲバ事件の犯人かも知れないと考え、木庭巡査が手前にいた被告人濱を追いかけて森野方向へ約七〇メートル進んだ横断歩道付近で追いつき、停止させたが、同被告人が森野方向へ走って逃げ出したので、更にそこから約三〇〇メートル追跡し同市森野一丁目一三番一四号所在の株式会社大正堂町田店裏商品搬入口内で追いつき、同所において同被告人の腕を掴み、間もなく通報により到着した他の警察官と共に同被告人の両腕を抱えて警察のパトロールカー(軽自動車、以下「ミニパトカー」という。)に乗せ、手錠をかけることなく町田警察署に連行した。その後、右木庭巡査他二名により、右大正堂町田店裏商品搬入口において被告人濱を準現行犯人として逮捕した旨の現行犯人逮捕手続書が作成された。一方、伊東巡査部長は、右派出所のストーブを消火していたため、少し遅れて右氏名不詳の男を追いかけたが、見失って戻ったところ、タクシー運転手が道路上に落ちていた被告人濱の買物袋(紙袋)を拾って届けたので、これを領置したことが認められる。

二  検察官の主張

検察官は、被告人濱については、警察官が準現行犯人として適法に逮捕したものであると主張し、その状況について、「警視庁町田警察署所属の木庭昭利巡査が同警察署原町田派出所で当日午後二時一六分ころ『和光大学でけんかという一一〇番通報があった。』旨無線を傍受し、その後、午後三時ころまでの間に無線により『和光大学A号棟付近で内ゲバ発生。』『革マル七〇名位と中核二〇名位が乱闘。』『重傷者が出ている。』『革マルは玉川学園方向に逃走。』等の続報を次々傍受し、緊張して立番監視していた。午後三時一五分ころ、氏名不詳の年齢二五歳から三〇歳位、髪はぼさぼさ、ハーフコートを着た一見活動家風の男と被告人濱が息を切らし辺りをきょろきょろと見回しながら、同派出所前の車道から歩道に小走りで上がって来て、木庭巡査と被告人濱と目が合うと、同被告人は瞬間目をそらし、二人とも木曽方向に小走りで駆けていった。そこで、木庭巡査は二人のこのような様子や当日朝から雨が降っているのに二人とも傘を持っておらず、ジャンパーの袖口などが濡れており履いていた靴が泥だらけであるうえ、時間的にも場所的にも右内ゲバ犯人が現れてよい状況にあったところから、この二人を本件内ゲバ事件に関する挙動不審者と認め、直ちにその後を約二〇メートル追いかけ『ちょっと待って下さい。』と大声をかけたが、その途端に二人は二手に別れて小走りを続けた。そこで、同巡査は自分に近い方にいた被告人濱の追尾を続け、森野方面へ約五〇メートル進んだ横断歩道付近で追いつき、同被告人の肩に手を当て『ちょっと待ってくれ。』と言って停止させ、『今、内ゲバ事件があったので聞きたい。』旨質問を始めたところ、これを聞いた同被告人が一瞬顔色を変え、『俺は関係ない。』と言って制止しようとする同巡査を振り切り、全速力で一目散に森野方面に駆け出した。そのような状況から木庭巡査は被告人濱が内ゲバ犯人であると確信し、更にこれを追跡したところ、同被告人は持っていた黒色紙袋を路上に投げ捨てて逃走を続け、更に約三〇〇メートル進んだ第三野川ビル、大正堂町田店裏商品搬入口内に入り込んで、息を切らして立ち止まった。同所で、追いついた木庭巡査は同被告人に対し『内ゲバ事件があったので聞きたい。』と言ったところ、同被告人が両手を振り回して抵抗し、同巡査が同被告人のジャンパーの袖口辺りを掴んで制止しようとしたものの、なおも両手を振り回して暴れるため、その場でもみ合いとなり、その際、同被告人の右袖口がめくれて手首付近に『こて(籠手)』を着用しているのが見えたことから、それまでの同被告人の言動などと併せて本件内ゲバ犯人と断定し、午後三時二〇分ころ、『内ゲバの犯人で逮捕する。』と告げて制圧行為に入り、その後、同被告人が再び暴れ出したことから、近くにいた者に通報を依頼し、間もなく駆けつけた警察官(増渕巡査)と二人で同被告人の両腕をとって制圧逮捕した。このように、木庭巡査は本件内ゲバ事件の発生事実、事犯の概要、逃走方面を警察無線で傍受して認識し、これに加えて同巡査の経験、土地勘、観察眼を基にした被告人濱の服装、不審な挙動の現認、その後の逃走・抵抗状況、『こて』の装着事実などを総合的に判断して、内ゲバ犯人と断定したもので、正当というべきである。そして、時間的にも本件兇器準備集合状態の終了は、出発地点に戻って来た当日午後二時四〇分ころとみるべきところ、被告人濱は、その約三五分後に犯人の目指す目的地として合理性のある場所である約五キロメートル離れた原町田派出所付近で発見、追跡され、その約二〇分後に逮捕されたものであって、刑事訴訟法二一二条二項にいう『罪を行い終ってから間がないと明らかに認められ』るとの要件を充足し、かつ、同条項二号の『明らかに犯罪の用に供したと思われる兇器その他の物を所持しているとき』及び同四号の『誰何されて逃走しようとするとき』に該当することは明白であるから、本件準現行犯人の逮捕手続は適法である。」とするのである。

三  弁護人の主張

弁護人は、木庭巡査の被告人濱に対する行為は、職務質問に名を借りた違法な連行の強要であり、大正堂裏商品搬入口における同被告人の身柄拘束、町田警察署への連行は、準現行犯逮捕の要件がなく違法なものであると主張し、その状況について「被告人濱は、当日午後三時ころ、町田市原町田六の一所在、町田セブンビル丸井町田店前歩道を木曽方向に歩いていたところ、突然、木庭巡査に『おい。』と声をかけられ、同時に後方から左腕を抱え込まれるように掴まえられ、停止させられた。これに対し同被告人が『何ですか。』と何回も尋ねたが、同巡査はこれに一切答えず『いいから来い。』と言って派出所に連行しようとした。被告人濱はこれを拒否し、そこで暫く応答を繰り返したり、手を振り払おうとしたりして、腕を掴まれながらも小田急線町田駅方面へ歩きだした。そして、被告人濱は、同巡査の手を漸く振り払ったところ、今度は、同巡査から被告人濱の所持していた買物袋を掴まれ強引に引っ張られ、これを奪われた。同被告人はこれを取り返そうと思ったが、同巡査が再び被告人濱の身体を掴もうと追ってきたため、それを諦め、そのまま右駅の方に立ち去った。しかし、木庭巡査がなおも追いかけて来たため、被告人濱は、大正堂裏商品搬入口に至り、そこにいた大正堂社員に『警察がでたらめをやっているので、弁護士の方に連絡して下さい。』と声をかけたが、警察官の制服を着た同巡査が追いついて来て被告人濱の腕を掴んだのを見て、右社員らは同被告人を助けようとしなかった。木庭巡査は被告人濱の腕を掴み『おとなしくしろ。』『まあいいから交番に来い。』と言うので、同被告人がその理由を問いただすと、『まあいいから来い。』と繰り返すのみで、被告人濱を右搬入口から外に引きずり出そうと引っ張った。被告人濱はなおも『任意なのか強制なのか。』と問い詰めたが、木庭巡査は何も答えず、同被告人のジャンパーの肩口辺りを〓んで引っ張るなどして同被告人ともみ合いになり、同巡査から強く引っ張られた際に右ジャンパーの肩から脇にかけて破られてしまった。これに驚いた木庭巡査が一時手を緩めたため、被告人濱はその手を振りほどき立ち去るべく下の駐車場に下りたが、そこでも再び同巡査から腕を〓まれ、もみ合いとなり、塀に押しつけられて、身動きできない状態にされ、この時も被告人濱が『任意なのか強制なのか。』と問いただしたが、木庭巡査は『いいから来い、交番で話してやる。』と言うだけであった。その後、ミニパトカーで到着した増渕巡査が木庭巡査と共に被告人濱の腕を抑えつけてその両腕をとり身動きできない状態にし、更に、その後、他の二人の警察官も来て被告人濱を無理やりミニパトカーに乗車させ、町田警察署に強制連行したのである。その間、被告人濱が『任意なのか強制なのか。』『逮捕なのか。』と質問したが、四名の警察官は全く答えず、同被告人に手錠をかけることもせず、また、ミニパトカーの車中で、木庭巡査が『こてを押える。』などと言ったこともなければ、後に木庭巡査らが作成した捜索差押調書記載のように『こて』を差押えた事実もなかった。被告人濱は、ミニパトカーに乗せられて午後四時前ころ町田警察署に連行され、一階の取調室に入れられた。そこでは常時二、三人の警察官が監視しており、被告人濱は、この警察官に『逮捕なのかどうか。』と何度も尋ねたが、警察官らはこれに答えず無言のままであった。また、同被告人は、立ち上がり、何回か取調室から出ようとしたが、その都度、警察官が行く手を遮り阻止した。しかし、取調べなどは全くなく、被告人濱と警察官が無言でいる状態が午後六時三〇分ころまで約二時間三〇分間も続いた。午後六時三〇分ころ、警視庁公安部公安一課の青柳刑事が被告人濱のいる取調室をのぞきに来て顔を見ていった。そして、その約三〇分後の午後七時ころ、警察官が被告人濱の肩に『四号』(後に『三号』に変えられた。)という札をつけ、身体を触って『こて』を発見し、これを取りはずすなど所持品を取り上げた。これにより、被告人濱は、この時、自分が逮捕されたことを知ったのであり、弁解録取書を取られたのもそのころである。従って、その後、木庭巡査らは、被告人濱を前記大正堂裏商品搬入口付近で準現行犯逮捕したものとして、その現行犯人逮捕手続書を作成しているが、右のとおりこれが準現行犯逮捕の要件を全く欠く違法なものであることは明らかである。」とするのである。

四  当裁判所の判断

まず、木庭証言によれば、「木庭巡査は(被告人濱他一名が右派出所脇を通りかかるのを見て、不審に思い)職務質問するため直ちに派出所から飛び出し、被告人濱の後を追い、『ちょっと待って下さい。』と大声で言ったが、同被告人はこれを無視して小走りで行こうとするので、更にその後を追い、右横断歩道付近で追いつき、右手を同被告人の左肩に軽く当てて停止させ、『今、内ゲバ事件があったので聞きたい。』と言うと、一瞬、被告人濱の顔色が青く変わり、逃げようとしたので、その前に立ちはだかったところ、同被告人は『俺には関係ない。』と言って、持っていた黒色紙袋(買物袋)を捨てて全速力で逃げだした。」と言うのである。この点、被告人濱供述では「(右横断歩道の少し手前で木庭巡査から)『おい。』というふうに声をかけられました。」「声をかけられると同時に左腕をとられたので、振り返ったと思います。」「(何の用かと尋ねると)『いいから来い。』(と言うだけだった。)」「(右手に持っていた紙袋を)立ち去ろうとするときに(木庭巡査に)引っ張られる形になったと思います。」「紙袋を持って立ち去ろうとしたときに、紙袋を引っ張られた形になって持っていくのをあきらめたということです。」「無理やり取られました。」と述べており、その後の木庭巡査の被告人濱に対する行動の流れを全体として眺めてみれば、「いきなり木庭巡査に腕をとられ、続いて紙袋を引っ張られた。」とする被告人濱供述も一概に排斥できないところであり、木庭巡査はこの時点で、職務質問をすると同時にそれに引き続く一連の身柄拘束行為に着手したとみることが相当と思われる。しかしながら、いずれにしても、同被告人が木庭巡査から呼び止められて、それまで手に提げて持っていた紙袋(買物袋)をその時点でそのまま保持できず、これを手放すことを余儀なくされ、これから手を放してその場から逃げ出したことは明らかであって、これが刑事訴訟法二一二条二項四号にいう「誰何されて逃走しようと」したことに該当するとの検察官の主張はその限度で相当というべきであろう。

ところで、木庭証言によれば、「木庭巡査は被告人濱が(買物袋を投げ捨てて)逃げ出したことで、内ゲバ犯人に間違いないと思い、逮捕しようと考え、更にその後を追った。」というのであるが、「右搬入口付近で木庭巡査が両手で被告人濱のジャンパーの手首や肘の辺りを握ったところ、同被告人が手を振り回して右手を下げ、その時、ジャンパーが上に上ったような状態で、右手の手首付近にうす紫色の『こて』が見えたので、内ゲバ事件の犯人に間違いないと一層確信した。」というのである。しかし同証言では、他方、反対尋問において「手を下げたならば、ジャンパーの袖口もくるぶしのところにきている筈であり、『こて』は見えないのではないか。」と指摘され、その後、一転して「私がジャンパーの袖口のあたりを持って、そうしたら濱が右手を上に挙げまして、その時にジャンパーが上に上がって『こて』が見えました。」と訂正するなどしており、また、被告人濱についての前記現行犯人逮捕手続書には、その時の状況について「その手首を握んで制止しようとしたところ、ジャンパーのそでが『まくれて』手首にうす紫色のこてが見えた」となっており、被告人濱のジャンパーの袖口から籠手が見えたという状況がその度に異なる表現になっているのである。この点、被告人濱がその公判供述において「同被告人は長袖シャツの上に『こて』をつけ、その上にスポーツシャツ、トレーナー、ジャンパーを着ており、スポーツシャツの手首にはボタンがかけてあるので、ジャンパーが破れても、『こて』が見えることない。大正堂前などで警察官から『こて』について何か言われたことはなかった。『こて』を取り上げられたのは、町田警察署に連行されてからの午後七時過ぎであり、その時、初めて身体の捜検をされた。」と述べていることは、右籠手の形状などからみても尤もと思われる。更に、木庭証言によれば、木庭巡査は、その後、町田警察署で被告人濱から押収した右籠手を含む押収物についての捜索差押調書に署名しており、その籠手の形状、それがうす紫色様のものであって当時被告人濱がこれを両腕に着用していたことなどについて予め知識を持っていることなどを考え合わせると、右時点で被告人濱の着用している籠手を見たとする同証言の信用性には疑問があると言わざるを得ない。なお、木庭証言によれば、木庭巡査が前記のように「被告人濱を町田警察署に連行、ミニパトカーの車中で同被告人に対し、『こて』を身に着けているままの状態で『押える』と言った。」と言うのであるが、これは後記の被告人竹内及び同久垣についての逮捕とそれに伴う捜索差押に関連しても同様のことが警察官証人から証言されているけれども、甚だ不自然なことであり、また、差押えの概念からみても無意味なことと言うべきであって、同巡査が現実にそのようなことを被告人濱に対して言ったとは考えられない。恐らく、これは、同証人が被告人濱を右大正堂付近で逮捕したとする以上、それに近接した時点で同被告人に対して逮捕に伴う捜索差押をしたとの形式を整える必要があると考え、そのように証言したものと思われる。従って、同証言をもって、木庭巡査がその時点までに被告人濱の籠手の存在を認識していたとみることはできないと考える。

そうだとすると、右時点において、他に被告人濱が本件内ゲバ事件の犯行の用に供したと思われる凶器などを所持しているのを木庭巡査らが現認した事実の認められない本件においては、検察官が主張するような被告人濱について「明らかに犯罪の用に供したと思われる兇器その他の物を所持しているとき」に該当するとの事実は認めることができない。そこで、被告人濱については、右のように「誰何されて逃走しようとした」との外形的行為があったことは一応認められるものの、準現行犯逮捕を有効になし得るためには、これに加え、その者が「罪を行い終ってから間がないと明らかに認められる」場合、即ち、犯罪行為との接着性及び明白性の存することが必要とされているので、その点について考察してみる。まず、木庭証言によれば、「被告人濱と氏名不詳の男が、息を切らせ辺りをきょろきょろ見回し、小走りで右派出所前の車道から歩道に上がろうとしていた。」ことが認められるところ、検察官は、これが木庭巡査において被告人濱らを本件内ゲバ事件との関連で不審を抱いた契機であるとする。たしかに、このような場合に警察官がその挙動に照らし、更に資料を収集する目的で職務質問を行うのは当然許されることであるが、しかし他方、人がこのような挙動をとることは、急いでいたり地理不案内である場合、ままあることであって、これだけでは特に被告人濱らについて、本件内ゲバ事件との関連を疑わしめるような不審な点があったとは言えないであろう。次に、同証言では「同所が舗装道路であるのに二人共靴が泥で汚れていた」ことを不審な点として挙げている。しかし、他方、同証言では、その靴の汚れについて「(右足の甲の部分の)下のほうに泥が若干ついていたと記憶している。」という表現もしており、このことからみて、その時、被告人濱の靴が若干泥で汚れていたことは認められるものの、その汚れの程度は一般人が強い印象を抱く程の著しいものではなかったとみるのが相当であって、これまた、そのことが、被告人濱らと本件内ゲバ事件とを結びつける事情とは認め難い。更に、同証言では「被告人濱が木庭巡査と目が合うと目をそらせた」ことをその理由の一つにしている。しかし、この点についても、他方、同証言では、「(被告人濱は派出所があることに)気がついていなかったように思いました。」「(派出所は)ビルの中に入ったような感じで入っておりますので、普通見た目には分かりません。」とも述べており、伊東証言も「(自分と被告人濱などの目は)合いませんでした。」「(相手は派出所があることに)気づいていないんじゃないかと思います。」と述べており、被告人濱供述も「(交番があるのを以前から)知りませんでした。」としている(なお、前記実況見分調書によれば、右派出所出入口上部には警察のマークと「警視庁町田警察署原町田派出所」の文字が表示されているが、右出入口が木曽方向に向いているため、被告人濱らからは、その横を通り抜けて、左後方を振り返らない限り、死角になっていて右のマークや文字は見え難いことが認められる。)のであって、これらのことを合せ考えると、右のように被告人濱が小走りで移動しながら派出所の中にいる木庭巡査の方を見てそれに気づき、目をそらせたとする木庭証言は、同証人がその時、そのように感じたとすること自体はともかくとしても、それが客観的事実に合致するかどうかは疑問と言わざるを得ない。そして、前記認定のとおり、被告人濱らはいずれも雨の中を傘を持たずに通行していたものではあるが、当時、降っていた雨は小雨であり、そのような場合、学生などが傘をささずに通行するようなことは、さほど珍しいことではなく、また、木庭証言が指摘するように、通行場所が舗装道路であっても、そこを通る学生などが履いている靴が若干泥で汚れているようなことは、ままあり得るところであって、いずれにしても、その時点では、検察官主張のような本件内ゲバ事件との時間的、場所的関係や木庭巡査が無線を通じて把握していた右事件概要や犯人の逃走方向についての情報などを考慮に入れても、なお被告人濱らと本件内ゲバ事件とを結びつけるだけのきわだった徴表は何もなく、せいぜい同被告人らがその年齢、服装などからみて内ゲバに参加する者らと同じような感じの学生に思われたというだけのことに尽きるものと思われる。

なお、前記のように、横断歩道付近で木庭巡査が被告人濱に対し、「今、内ゲバ事件があったので聞きたい。」と言うと、「一瞬、同被告人の顔色が青く変わった。」とする点については、そのような質問が実際になされたこと自体について被告人濱供述との間に対立があるだけでなく、顔色の変化などは、その認定に当った観察者の主観がかなり影響する事柄であり、これをもってその者を特定の犯罪行為と結びつける資料とすることもまた危険と言うべきであろう。そうだとすると、結局、被告人濱については準現行犯逮捕の具体的要件の一つである「誰何されて逃走しようとした」との点は認められるかのようであるものの、更にその前提要件とされている具体的な犯罪行為との接着性、明白性が欠けており、従って、その時、被告人濱を本件内ゲバ事件の準現行犯人として逮捕することは許されないと言う外ない。

尤も、本件では、検察官主張のように、この時点で被告人濱に対する逮捕手続がなされたとみることには、疑問があり、後記のような事情を勘案すれば、これを消極に解すべきものと考える。まず、木庭証言によれば、木庭巡査は、前記大正堂裏商品搬入口付近で被告人濱に対し「内ゲバの犯人として逮捕する。」旨告げて、同被告人を準現行犯人として逮捕したものとしているが、被告人濱供述によれば、「被告人濱は、大正堂商品搬入口付近で、追って来た木庭巡査に腕を掴まれ、一旦、その手が離れたので、駐車場に下りたが、再び同巡査に左脇から手を抱え込むようにされて掴まれ、そのうち到着した他の警察官と二人がかりで両腕を掴まれた。被告人濱は『でたらめするな。任意か強制か。』と抗議したが、警察官は『いいから来い。』『向こうで話してやる。』と言うのみであった。警察官から『内ゲバの犯人として逮捕する。』などと言われたことはない。」としており、後記のようなその後の事情を合わせ考えると、右の時点で警察官が被告人濱に対し準現行犯人としての逮捕手続をとっていないものとみるのが相当と思われる。即ち、被告人濱供述によれば、「その後、同被告人は、手錠をかけられることなく、警察官に両腕を掴まれたまま、ミニパトカー後部座席に乗せられ、町田警察署に午後四時ころ連行されて、同警察署の取調室に入れられたが、そこでも手錠はかけられず、そこには、常時、二、三名の警察官が監視に当っており、取調べなどは全くなされず、二時間三〇分間以上そのまま置かれた。その間、被告人濱が警察官に『逮捕なのか。』と尋ねても、一切答えず、また、被告人濱が取調室から出ようとすると、警察官に阻止された。午後六時三〇分ころになって、警視庁公安一課の青柳刑事が同被告人の顔をのぞきにきた。そして、その約三〇分後に警察官により、被告人の肩に『四号』という札が付けられ(後に『三号』という札に変えられた。)、身体を触られて『こて』を発見され、取り外されて取り上げられた。それで、被告人濱は自分が逮捕されたことを知った。」というのである。そして、これらの事実に反する証拠はなく、後記のような被告人竹内及び同久垣について認められる同被告人らの町田警察署に到着後の状況とも対比すると、概ねこのような事実があったものと認めることができる。そこで、これらの事実によれば、木庭巡査ら警察官は、被告人濱を本件内ゲバ事件についての被疑者として、前記大正堂裏商品搬入口付近で、その身柄を拘束したものの、正規の逮捕手続をとるべきか否かについて判断ができず、取りあえずこれを町田警察署まで連行し、上司の指示を待ったものとみることができ、一方、町田警察署においても、被告人濱が果たして本件内ゲバ事件の犯人集団とされている革マル派に属するものか否かについて、判断しかねていたことから、警視庁の革マル派担当の警察官による識別を待ってその確認を得たうえ、同日午後七時ころに至り、同警察署取調室において漸く逮捕に踏み切ったものとみることができる。そうだとすると、前記大正堂裏商品搬入口付近においても、被告人濱を準現行犯人として逮捕する要件を欠いている本件にあっては、更に、時間的にも経過し、場所的にも異なった右時点において町田警察署で同被告人を準現行犯人として逮捕しうる根拠は何もなく、加えて、右のように違法な身柄拘束を継続したうえでなされたその逮捕はその点からも明らかに違法という外はない。

第二  被告人竹内、同久垣の逮捕手続の適否について

一  証拠上認定し得る基本的事実

第三八回公判調書中の被告人竹内政行の供述記載(以下「被告人竹内供述」という。)、第三九回及び四〇回公判調書中の被告人久垣〓志の各供述記載(以下「被告人久垣供述」という。)、第一七回ないし一九回公判調書中の証人川崎章親の各供述記載(以下「川崎証言」という。その余の証人の供述記載についても同じ。)、第二〇回ないし二二回公判調書中の証人北川原勝実の各供述記載、第二三回ないし二六回公判調書中の証人高杢晴雄の各供述記載、第二七回公判調書中の証人林由幸の供述記載、第二九回公判調書中の証人岸田寛の供述記載、第三五回公判調書中の証人河井利明の供述記載、第三六回公判調書中の証人櫻田重〓の供述記載、司法警察員作成の昭和六三年四月二九日付実況見分調書、司法警察員他三名作成の町田署第一号の男に対する現行犯人逮捕手続書、司法巡査作成の町田署第二号の男に対する現行犯人逮捕手続書、同作成の町田一号に対する捜索差押調書、同作成の町田二号に対する捜索差押調書、同作成の町田一号に対する押収品目録交付書及び同作成の町田二号に対する押収品目録交付書によれば

1  昭和六〇年二月五日午後二時一六分ころ、警視庁町田警察署で待機中の同警察署警ら三係に属する警部補川崎章親係長以下一〇名の警察官が「和光大学内でゴタ(けんか)という一一〇番通報があった。」との無線を傍受し、続いて、「けが人が一名でた。」「自署警戒配備に入れ。」「和光大学で革マル派七〇名が中核派二〇名を襲撃、けが人多数でた。革マル派は玉川学園駅方向に逃走中。」という無線指令を順次受けて、午後二時五〇分ころ、同警察署の交通検問車(マイクロバス)で犯人検索のため出動したこと

2  右警察官らは、東京都町田市玉川学園七丁目所在の玉川大学グラウンド入口付近で検問中、同大学保安課長より「二〇名位の学生がヤッケ、マスク、竹竿などを捨てて、奈良北団地の方に逃げている。」との情報を得て、交通検問車で同団地方面に向かい、同所を経て和光大学正門に至り、同所で警戒中の警察官から「学生らが同大学の裏山を上がって逃げた。」との情報を得て、再び奈良北団地方面に戻ったが、途中路上脇にマスク、タオル、雨具などが点々と捨てられているのを目撃したこと

3  更に、午後三時五〇分ころ、右警察官らは、交通検問車で同市成瀬四丁目付近を検索走行途中、タクシー運転手から「一時間位前に五、六〇名の者が通り、国鉄(現JR)成瀬駅へ行く道を尋ねたので教えてやった。」「傘も持たず、みなずぶ濡れで汚れていた。」との情報を得て、直ちに右成瀬駅方面に向かったところ、同市成瀬台四丁目四五一六番地の成瀬街道沿いの奈良谷戸入口バス停留所に被告人竹内政行及び同久垣〓志が立っているのを発見したこと

4  そこで、警察官らは右被告人両名が和光大学から逃走中の革マル派学生ではないかと考え、直ちに交通検問車を停車させ、高杢晴雄巡査ほか七名の警察官が下車して口々に「待て。」と大声で叫びながら右被告人両名のところに駆けつけ、同バス停留所南側脇道の方に歩き出していた被告人両名に追いついてこれを取り囲み、「どこへ行くんだ。」「どこから来たのか。」と尋ね、被告人両名の腕や手首を掴んで、同所から約三〇〇メートル離れた成瀬駐在所まで連行し、次いで、連絡により同駐在所に到着した前記交通検問車に被告人両名を警察官がその両腕を抱えて乗車させ、午後五時ころ前記町田警察署まで連行したこと

5  同警察署に到着後、被告人竹内は旧館一階の捜査係の取調室に、被告人久垣は新館三階の少年係の取調室にそれぞれ入れられて、特に取調べなどはされないまま警察官の監視のもとに置かれていたが、午後一〇時ころになって警察官により右被告人両名を右奈良谷戸入口バス停留所前路上において準現行犯人として逮捕した旨の現行犯人逮捕手続書及びその所持していたナップザックやスポーツバックとその内容物についての捜索差押調書、押収品目録交付書などが作成されたこと

が各認められる。

二  検察官の主張

検察官は、右被告人両名については、右奈良谷戸入口バス停留所南側脇道において、前記和光大学におけるいわゆる内ゲバ事件についての兇器準備集合、暴力行為等処罰に関する法律違反、傷害の被疑者として、右各警察官が適法に準現行犯逮捕したものであるとし、その状況について、「右川崎係長他九名の警察官が前記認定のような情報にもとづきその犯人を検索中、検問車で右奈良谷戸入口バス停留所手前を右折しようとした時、高杢巡査が同バス停留所の小屋の前に立っている二人連れの男(被告人両名)を発見し、注目していたところ、二人の方も検問車の方を注視していたが、急に被告人竹内が被告人久垣の方を振り向いて何か話をしている素振りを示した。そこで、高杢巡査は、被告人竹内が履いていた靴が泥だらけで、ズボンの裾の後ろに泥がはね上がってついているのが見えたので、内ゲバ犯人と直感し、これを他の警察官に知らせると共に、検問車を停車させ、同巡査を先頭に、八名の警察官が車から降りたところ、これを見て被告人両名がバス停留所から歩き出し、同所脇の都営成瀬住宅に通じる脇道に入って行くのを見てこれを追いかけ、小走りで立ち去ろうとしていた被告人両名に右脇道入口から約二〇メートルの地点で追いつき、高杢巡査が被告人竹内の前面に立ち塞がり、迫田巡査、櫻田巡査がその左右に立ち、また、約一メートル後方の被告人久垣の周囲を北川原巡査部長、林巡査、高橋巡査、中島巡査らが取り囲み、河井巡査部長が両被告人の中間に位置し、各被告人に対し交々住所、氏名や『今まで何をしていた。』『どこに行くんだ。』『和光大の内ゲバ事件の関係で聞きたい。』『どうして靴が汚れているんだ。』『所持品を見せなさい。』などと職務質問した。しかし、これに対し被告人竹内が『何の権利があるんだ。』と一言大声を出しただけで、あとはそっぽを向いてこれに何も答えず、被告人久垣も警察官を押し退けて進もうとする素振りを示したが、警察官に阻止されたため、その後は、うつ向いて一切無言で、血の混じった唾を吐いたりしていた。ところで、被告人両名共、髪は濡れてべったりしており、靴は泥水につけたように泥まみれであり、右のような職務質問に対する態度や逃げようとしていたことに加え、被告人久垣の右頬や鼻などに新しい傷跡があり、口の中も負傷していて内ゲバ乱闘中に受傷したものと思われることから、同被告人らを革マル派の内ゲバ犯人と断定し、同日午後四時五分ころ、北川原巡査部長が被告人久垣に対し『内ゲバの現行犯として逮捕する。』旨及び、その罪名として『兇器準備集合、暴力行為、傷害』である旨告げ、林巡査と高橋巡査が両脇から腕を取り、後方から中島巡査が着衣を押え、その場で制圧して逮捕した。一方、被告人竹内に対しては、右北川原巡査部長の逮捕するとの声に呼応し、高杢巡査が逮捕すべくその前を押え、迫田巡査、櫻田巡査が両脇から腕を取り、後方から腰を押えて制圧逮捕した。なお、右の各逮捕の時間は、本件の兇器準備集合状態の終了時点から約一時間二〇分間経過し、場所的にも約四キロメートル以上離れたところであり、犯罪と犯人の姿を現に認めた上での追呼ではないが、警察官らがそれまでに入手した情報を辿ったところ、犯人が存在する可能性のある時間内、区域内においてその犯人を発見したもので、これに準じた犯人の捕捉状態が継続していたと言うべきである。従って、警察官らが『内ゲバ』という特定の犯罪を認識したうえで、右のような捕捉状態下に入った被告人両名を発見し、職務質問しようとしたところ逃走を図られ、停止させて観察した結果、身体に内ゲバの顕著な証跡が認められたことから、刑事訴訟法二一二条二項三号の『身体に犯罪の顕著な証跡のあるとき』及び同四号の『誰何されて逃走しようとするとき』に該当するものと判断し、被告人両名を本件内ゲバの準現行犯人と認めたことは誠に相当であり、逮捕すべき緊急性、必要性も存在していたので、本件準現行犯人としての逮捕手続は適法である。」というのである。

三  弁護人の主張

弁護人は、被告人竹内、同久垣に対する身柄拘束及び町田警察署への連行行為は全く違法なものであり、検察官主張のような準現行犯逮捕なるものは存在せず、しかも、準現行犯逮捕を為し得る要件も存在しなかったものであると主張し、その状況について「被告人竹内および同久垣は、当日午後四時過ぎころ、和光大学より直線距離にして約三・七キロメートル離れた前記奈良谷戸入口バス停留所の小屋の前に立って、バスかタクシーが来るのを待っていたが、なかなか来ないので、旧国鉄横浜線成瀬駅に都営町田成瀬アパートの横を通って行くこととし、同バス停留所横の脇道を普通よりゆっくりした速度で歩きはじめた。当日は時折、霧雨が降っていたため被告人両名共に衣服と頭髪が少し濡れていたものの、当時は雨は止んでおり、目立つ程の濡れ方ではなく、また、ズボンの裾と靴に泥がついていたが、これも目立って汚れているものではなかった。更に、被告人久垣には、右頬にすり傷があったが、ごく軽いものであり、歩行などに全く影響を与えるものではなかった。被告人両名は右脇道を一〇メートルほど歩いたところで、七・八名の制服警察官に取り囲まれた。そして、被告人竹内を取り囲んだ警察官らは、高杢巡査が前に立ち塞がり、櫻田巡査が同被告人の右肘と右手首を、迫田巡査がその左肘と左手首をそれぞれ脇の下から腕を入れ、スクラムを組むような形で掴み、『どこへ行くんだ。』『どこから来たのだ。』と尋ねたが、同被告人が『何があったんですか。』『一体どうしたんですか、理由を聞かせて下さい。』と言うと何も具体的に答えなかった。警察官らの発言は、右の二言のみで、和光大学の件であるとか、住所、氏名、頭髪や衣服の濡れ、ナップザックの中身などについては何の質問もなかった。また、被告人久垣を取り囲んだ警察官らは『どこに行くんだ。』『どこから来たんだ。』と質問したものの、同被告人が『一体何があったんだ。』と聞き返すと、林巡査が同被告人の右肘と右手首を掴み、高橋巡査がその左腕を後方からねじる形で掴んだ。そこで、被告人久垣が『何をするのか。』『強制なのか、任意なのか。』と抗議し質問すると、警察官らは『お前らどこへ行くんだ。』『カバンの中を見せろ。』と言うのみで、住所、氏名、頭髪や衣服の濡れ、頬の傷などに関して一切質問もしないまま、『いいから来い。』と同被告人を引っ張って行こうとした。この間、被告人両名に対し被疑事件名、罪名、逮捕するのか否かについても一切述べなかった。そして、警察官らは、被告人両名をその両腕を掴んだままその背中を後方から押すなどして、成瀬街道上を約三〇〇メートル離れた成瀬駐在所まで連行したが、同街道は車両の交通量の多い幹線道路で逃走が容易な場所であるのに手錠をかけることもなく、その間、被告人らの抗議に対し何も答えず、『いいから来い。』と言うのみであり、また、被告人らの身体や衣服を点検のため触れたり、所持していたナップザックなどに触れたりこれを取り上げようとすることもなかった。被告人両名は約五分間徒歩で連行された後、成瀬駐在所内に入れられ、被告人久垣は左奥の机の前の椅子に座らされ、同竹内は右奥の椅子に座らされようとしたが、これを拒否し右横に立っていた。駐在所内では、警察官は被告人らを掴んでいた手を離していた。被告人らは、そこに約二〇分間そのまま留め置かれていたが、この間、被告人らは、警察官らに対して何回となく、連行や身柄拘束が任意なのか強制なのか、理由は何なのかを問いただしたが、困惑するような表情をみせながら何も回答しなかった。警察官は被告人竹内に対して一度だけ(肩から下げていたナップザックの)『中を見せていただけませんか。』と丁寧な口調で聞いたが、同被告人が『任意ならば拒否する。』と言うとそれ以上は何もしなかった。また、警察官は被告人久垣に対しても『バッグを見せてくれないか。』と頼んでその前の机の上に置いてあったスポーツバックに手を延ばしたが、同被告人がこれを膝の上に引き寄せるとそれ以上は何もしなかった。その後、午後四時四〇分ころ、被告人らはマイクロバスに乗せられ、町田警察署に連行されたが、マイクロバスの中でも被告人らは、警察官に腕を押えられていたものの、手錠はかけられず、バッグを触られるようなこともなかった。

被告人竹内は、午後五時ころ町田警察署に到着し、一階の取調室に入れられ、その机の奥の椅子に座らされ約一時間留め置かれた。その間、警察官七、八名が入れ替わりながら監視しており、同被告人は何度となく『任意同行か逮捕か。』『理由は何か。』と尋ねたが、警察官が何も答えないので、『正当な理由がないのであれば帰る。』と出口に向かい歩き出そうとすると『いいから座っていろ。』と立ち塞がった。しかし、警察官らは同被告人の身体に触れたり、手錠をかけたりはしなかった。午後六時ころ、被告人竹内の留め置かれていた取調室のドアが約一五センチメートルほど開けられ、警視庁公安一課の革マル派担当刑事山谷が来て同被告人の顔を注視していき、更に、その約一〇分後、同じ革マル派担当刑事青柳が同様同被告人の顔を注視していった。その後、午後六時二〇分ころ、四人の警察官が来て被告人竹内の腕を押え、ナップザックを取り上げ、『逮捕だ。』と言って、腕時計を取り外し、衣服内の所持品を取り上げ、手錠をかけた。その後、被告人竹内は午後八時ころから弁解録取書をとられ、次いで、午後一一時過ぎころ調布警察署に身柄を移されたが、結局その日、夕食はとらされなかった。

他方、被告人久垣は、町田警察署に到着後、新館三階の取調室に入れられたが、手錠はかけられずに、常時二名の警察官が監視しており、同被告人が、『逮捕でないのであれば帰る。』と言って立ち上がると、警察官から『いいから座っていろ。』と座らせられただけだった。午後六時ころ、警察官が机の上に置いてあった被告人久垣のスポーツバックの『中身を見せてくれ。』と言ったが、同被告人が『任意であるならば拒否する。』と答えると、他の警察官が『中をみるのは逮捕してから出来る。』と言った。そのころ、被告人久垣は、所持していたスポーツバックの中からジャンパーの裏地のライナーを取り出して着用した。午後六時過ぎころ、前記山谷が取調室に入って来て、被告人久垣の姓を呼びながら『何をしているのだ。』と言葉をかけた。また、その一五分ほど後に、前記青柳が入ってきて同被告人の姓を呼び、その顔を見た後、立ち去った。そして、午後七時ころ、二名の警察官に『和光大のことで逮捕する。』と告知された。その時、スポーツバックを取り上げられ、その後、弁解録取書を取られたが、同被告人も留置場に入れられるまで、夕食は出されず何も食べさせられなかった。」というのである。

四  当裁判所の判断

まず、奈良谷戸入口バス停留所付近での状況について考察してみる。検察官は、「被告人らが警察官が職務質問をしようとしたところ逃走しようとした。」として、これが「誰何されて逃走しようとするとき」に該当すると主張する。この点、高杢証言によれば、「高杢巡査は検問車が右バス停留所手前で右折を開始する直前に同バス停留所前に立っている男の人(被告人両名)を発見し、目を離さず注視していたところ、被告人らも検問車の方をじっと見ており、大きい方の男(被告人竹内)が小さい方の男(被告人久垣)に向き直り、何か話をしていた。」「(同巡査らが)検問車から一目散に飛び出したところ、男の方もこっちを見ており、バス停を出て歩き出した。」「『待て、待て。』と追いかけた。二人はバス停から二〇メートルの地点まで小走りで行った。」としており、北川原証言も「二人は小走り、警察官を無視し、全く見ようとしなかった。」としているが、河井証言では「(二人は)走ってはいない。」と言っている。これに対し被告人竹内供述及び被告人久垣供述(以下併せて「被告人ら供述」ということもある。)によれば「被告人らは、右バス停でバスかタクシーを待っていたが、なかなか来ないので歩いて駅へ行こうと思った。」「警察のバスが通ったから歩き出した訳ではない。マイクロバスは見ていない。」「バス停から脇道にゆっくり歩いた。小走りではない。」とし、更に被告人久垣供述では「この細い道を経て駅(旧国鉄成瀬駅)に行けることは前から知っていた。」「(被告人らの歩き方は)普通の速度、むしろゆっくりめだった。」としている。ところで、右高杢証言、北川原証言、林証言及び前記実況見分調書によれば、検問車の右停留位置から警察官らが被告人らに追いついた地点までの距離は約五〇メートルであるが、警察官らが右の距離を走っている間に、被告人らはバス停留所から右地点までの距離(被告人らは一〇メートル位とし、高杢証言では二〇メートル位とする。)を移動したに過ぎず、その速度はかなりゆっくりとしたものであったことが認められ、小走りというよりは、普通の歩行程度のものであったとみる方が妥当であろう。従って、被告人らが右バス停留所を離れるに当って、警察の検問車や警察官に気づいていたか否かはともかくとして、この段階で逃げようとしたとみることはできないと考える。また、高杢証言、北川原証言及び林証言によれば、「被告人らは警察官に取り囲まれたとき、(逃げようとして)これを押し退けて前に二、三歩進んだ。」というのであるが、他方、北川原証言では「(逮捕すると言ったとき)二人は素直だった。」とも証言しており、その時、仮に被告人らに右のような行動がみられたとしても、これをもって、被告人らが逃走しようとしたとみることもできないであろう。そうだとすれば、本件において、他に被告人らが逃走しようとしたことをうかがわせるような事実は認められず、被告人らが「誰何されて逃走しようとした」とする検察官の主張は採用できない。次に、検察官は被告人久垣の右頬や鼻などに新しい傷跡があり、これが「身体に犯罪の顕著な証拠があるとき」に該当する旨主張しており、高杢証言、北川原証言及び林証言によれば、前記奈良谷戸入口バス停留所付近の脇道上で被告人久垣の右頬に新しくできたと思われる一筋の傷があって、そこから血が出ており、その左耳あたりや鼻付近に血がついていたので、内ゲバ犯人ではないかとの疑いを抱いたことが認められる。この点、被告人ら供述では、被告人久垣の右頬に傷があったことは認めているものの、「その程度は軽く、すり傷であった。」としているが、北川原証言によれば、「右頬の傷は長さ一、二センチメートル、幅一、二ミリメートルで、鮮血が一、二滴ついており、皮膚がえぐられて中の肉というか白い脂肪が少し見えた。傷の下の方に新しい血が丸くなっていた。耳の穴の血は血の跡が丸くなっていた。鼻の穴付近の血は古いものだった。」というのであって、少なくとも右頬の傷は、一見してその存在を認識し得る状態であったことが認められる。そして、前記認定のように、警察官らが既に入手していた「和光大学A号棟付近で内ゲバが発生、革マル七〇名位と中核二〇名位が乱闘、けが人多数がでた。」という情報との関連において、後記のような状況の中で発見された被告人ら両名のうちの一人である被告人久垣にこのような頬の傷が存していた場合、これが右内ゲバ事件により生じたものではなかろうかと考えたとしても、それが準現行犯逮捕という限定された局面でのとっさの判断としてのものであることを考慮に入れれば、その判断を誤ったとまでは言えず、被告人久垣はもとより、その時、同被告人と行動を共にし、一見して同じ仲間と思われる立場にあった被告人竹内の関係においても、これが準現行犯逮捕の要件の一つである「身体に犯罪の顕著な証跡があるとき」に該当するとの検察官の主張は相当であると考える。

ところで、準現行犯逮捕を有効に為し得るためには、右の要件に該当するだけでなく、その者が「罪を行い終ってから間がないと明らかに認められる」場合であることを必要とすることは、被告人濱について述べたと同様であるが、前記各証拠によれば、本件においては警察官らが右バス停留所付近で被告人らを発見したのは、本件内ゲバ事件の犯行終了時間から約二時間近く経過した後のことであり、また、同所は同事件の犯行現場である和光大学A号棟付近から最短距離の経路によっても約四キロメートル離れたところであって、時間的にも、場所的にもかなりの隔たりがあるが、前期認定のとおり、川崎係長以下一〇名の警察官は本件内ゲバ事件についての無線連絡を傍受して、その犯人検索のため交通検問車でその逃走方向に向け走行中、更に、玉川大学保安課長やタクシー運転手から聴取した犯人の逃走に関する情報に基づき、その逃走経路とみられる方向を追跡検索中、その途中で被告人らを発見したものであって、その意味では本件犯行との繋がりを一応認めることができよう。そして、北川原証言、高杢証言、林証言及び河井証言によれば、前記のように高杢巡査ら八名の警察官らは、奈良谷戸入口バス停留所前から脇道の方に歩き出した被告人らを取り囲んだ際、当日朝から雨が降っていたにも拘らず、被告人らが傘も持たず頭髪や衣服を濡らしていたこと、同被告人らの靴やズボンの裾が泥で汚れていたこと、被告人久垣の右頬に前記のような傷があったこと等から被告人らが本件内ゲバ事件の犯行後、和光大学の裏山を経て逃走した革マル派犯人ではなかろうかとの疑いを抱いたというのであって、これもまた、前記のように準現行犯逮捕を為し得るか否かという限定された局面でのとっさのものとしては、その判断を誤ったとまで言うことはできず、従って、これによれば、本件において被告人らにつき、これを準現行犯逮捕するための前提要件である「罪を行い終ってから間がないと明らかに認められる」場合に該当する事由があるとの検察官の主張は一応首肯し得るものと考える。

しかしながら、右の時点で警察官らが被告人らを準現行犯人として逮捕したとすることには多くの疑問が存し、消極に考えざるを得ない。まず、被告人ら供述によれば、「被告人竹内及び同久垣は、前記奈良谷戸入口バス停留所南側脇道で警察官に取り囲まれ、腕を押えられた際、警察官に対して『何があったんですか。』『一体どうしたんですか。理由を聞かせて下さい。』『何をするんだ。』などと聞きただしたが、警察官らは一切これに答えず『来ればいいんだ。』『いいから来い。』と言うだけであり、そのまま前記成瀬駐在所まで連行された。その間、被告人らが警察官らに『一体これは何んなんだ。』『何の権利があるんだ。』『任意なのか、強制なのか。』などと何回となく抗議したが、警察官らはこれにも一切答えず、終始無言であった。また、右脇道で腕を押えられた際、警察官から被告人らが『お前らどこに行くんだ。』『どこから来たんだ。』と言われたこと、被告人久垣が『カバンの中を見せろ。』と言われたこと以外には、住所、氏名を含めその他のことについて職務質問がなされたことは一切なく、『逮捕する。』と言われたり、逮捕罪名として『兇準、暴力行為、傷害』などと言われたことは全くない。」というのであり、この点、その時に現場で被告人らの身柄拘束に当った警察官の証言である北川原証言、高杢証言、林証言、河井証言が「(右バス停留所南側脇道で被告人らを取り囲み職務質問をしたうえ)北川原巡査部長が被告人久垣に対して『和光大学で発生した内ゲバ容疑の現行犯として逮捕する。』と告げ、これを受けて高杢巡査が被告人竹内に対して『わかったな。』と告げて、その後、警察官らがそれぞれ被告人らの腕などを押えて逮捕した。」と一致して述べているのと鋭く対立している。しかしながら、右の各警察官証人の証言は以下のような事情に照らし信用できないと考える。即ち、まず、各警察官証言及び川崎証言並びに右被告人ら供述によれば、その後、警察官らは被告人らを右バス停留所脇道から約三〇〇メートル離れた成瀬駐在所まで被告人らの両腕を抱えるようにして連行し、更に暫くして到着した交通検問車で町田警察署に連行したものであるが、警察署到着後かなりの時間が経過した後まで、被告人らに対していずれも手錠をかけていなかったことが認められる。この点について右各警察官証言(川崎証言も含む。)では、右駐在所への連行中及び同駐在所内では多数の警察官によって被告人らを完全に制圧していたので、手錠をかける必要がなかった旨を一様に強調するが、右各証拠及び前記実況見分調書によれば、バス停留所脇道から成瀬駐在所までは、自動車などの往来も頻繁な幅員も広い(車道及び両側の歩道を合わせると約一二・四メートルになる。)成瀬街道を被告人らの腕を抱えたまま五分間以上歩かなければならず、各警察官証人がこぞって言うようにその必要が全くないとは言い切れないと考える。また、成瀬駐在所内では、後記のように各警察官証人の述べるところによれば、被告人ら所持のバッグなどの押収をめぐって、被告人らの強い物理的抵抗にあったというのであれば、これまた、被告人らを完全に制圧していたとすることと矛盾するのではなかろうか。いずれにしても、本件においては、被告人らを逮捕したとしながら、その後、長い時間にわたり全く手錠を使用しなかったことについて、各警察官証人から十分納得のいく説明はなされていないのである。次に、右各警察官証言によれば、「警察官らは(被告人らを逮捕したとする場所から)右認定のように被告人らの両腕を抱えたまま約三〇〇メートル離れた成瀬駐在所まで連行したものであるが、途中、逮捕に伴う捜索として腕を抱えていた各警察官が被告人らの所持していたバッグなどに手を触れて中身を確かめたり、衣服の上から手で触って凶器などの有無を確認するなどした。また、同駐在所に到着後、逮捕に伴う差押えとして、被告人竹内のナップザックを櫻田巡査と迫田巡査が、被告人久垣のスポーツバッグを林巡査と北川原巡査部長がそれぞれ何回か強く引っ張り取り上げようとしたが、いずれも被告人らがバッグなどを腕の中に抱え込むようにしてこれに強く抵抗したので、被告人久垣が既にけがをしており、更にけが人が出てはまずいとの判断から、そのバッグなどを被告人らに持たせたまま押収したこととし、被告人らに対して『押えたぞ。』と告知した。」というのである。この点についても、右被告人ら供述によれば、「(右連行中)被告人竹内は黒いナップザックを、同久垣は青色スポーツバッグをそれぞれ肩から下げていたが、警察官がこれに手を触れたり、被告人らの衣服を手で触れるなどした事実は一切なかった。なお、右駐在所に着いてから、一人の警察官が被告人竹内に対して『(バッグの)中を見せていただけませんか。』と言ったので、同被告人が『任意ですか、任意だったら拒否します。』と言ったところ、その警察官はそれ以上何も言わなかった。また、他の警察官が被告人久垣の座っていた前にある机の上に置いてあった同被告人のバッグに手を延ばして『中を見せてくれ。』と言ったが、同被告人がバッグを自分の膝の上に置きかえ、被告人竹内が『何をするんだ。』と抗議したら、それ以上何もしなかった。」というのであるが、右各警察官証言ではバッグなどの「引っ張り合い」をしたとする以後の被告人らのその所持状況がどのようなものであったのか、これを再び取り上げようとすれば容易にできたのかどうか、などについては殆ど触れていない。そして、更に、被告人ら供述では、「その後、被告人らが交通検問車(マイクロバス)に乗車させられ、町田警察署に連行された際、マイクロバスの中では、各被告人共その両側に警察官が座り、両腕を押えられていたが、被告人竹内はバッグをそれまでどおり左肩から下げており、被告人久垣は膝の上に置いていたが、警察官からこれを取り上げられたり、触られたりしたことはなかった。」というのであって、右各警察官証言にもこの点に反する供述は存在しない。そうだとすると、各警察官証言が述べているような逮捕に伴う捜索差押をしたとの点は、全体として信用性がなく、ましてや、「被告人らにバッグなどを持たせたまま、これを警察官が押収したことにして、被告人らに『押えたぞ。』と告知した。」などとする部分は、前記木庭証言が被告人濱について同様の供述をしているのと趣旨を同じくするもので、正式に逮捕していることを強調したい余りの創作としか言いようがない。次に、被告人ら供述によれば「被告人らは、町田警察署に到着後、被告人竹内は旧館一階の取調室に、被告人久垣は新館三階の取調室に別々に入れられ、いずれも各取調室の中にある机の奥の椅子に座らされて、警察官が交替でこれの監視を続けていたもので、被告人ら両名共バッグは肩から下げたり机の上に置いたりしていたが、警察官から直ぐにこれを取り上げられるようなことはなかった。被告人らいずれもが監視の警察官に再三にわたり、『連れてこられた理由は何か。』『任意同行なのか、強制なのか。』などと尋ねても、どの警察官もこれに一切答えず、また、『理由がないのなら帰ります。』などと言って、立ち上がり出ようとすると、警察官は『まあ、いいから座っていろ。』と立ち塞がってこれを阻止した。午後六時ころ、被告人竹内のいる取調室に警視庁公安一課の警察官(山谷某)が、その一〇分位後に同課の警察官(青柳某)がそれぞれ来て、いずれもそのドアを細めに開けて覗き込み、同被告人の顔を確認していった。また、午後六時過ぎころ、被告人久垣のいる取調室に右山谷警察官が、その一五分位後に右青柳警察官がそれぞれ入って来て、いずれも『久垣、お前何してんだ。』などと言った。そして、その後、午後六時三〇分前ころ被告人竹内のところに制服の警察官四名が入って来て、同被告人の腕を押え、ナップザックを取り上げようとしたので、同被告人が『逮捕なのか。』と聞くと、警察官は『逮捕だぞ。』と答えた。この時、被疑事件名や罪名などは全く告げられず、同被告人はナップザックを取り上げられ、腕時計を取られて手錠をかけられた。同被告人について弁解録取書が作成されたのは、午後八時ころになってからである。また、午後七時ころ被告人久垣のところに私服の警察官二名が入って来て、『和光大の件で逮捕する。』と言って、スポーツバッグを取り上げた。被告人久垣について弁解録取書が作成されたのは、その三〇分位後のことである。」というのである。この点、林証言では「被告人久垣を三階の少年係の取調室に連れて行き、高橋巡査と二人で同被告人を座られたら、バッグを机の上に置いたので、『よし、見せろ。』と言って取って見た。相手はちらっと上目づかいで見ただけで、あとは終始黙っていた。久垣の目の前でチャックを開け、中の品物を机の上に出し、『笛だな。』と言った。取調室でバッグの中身を見た時、他の警察官はいなかった。午後五時三〇分から四〇分ころ、講堂の方で書類を書くとの連絡があったので、講堂に行き、午後六時ころから書類の作成を始めた。品物は机の上に並べ、メモをし終ったらまたバッグに入れ、それを捜査の人が持って行った。」というのであり、河井証言では「町田警察署に着いて三〇分位して、少年係の取調室で林巡査が久垣のバッグを取り上げ、中を確認した。」というのである。また、高杢証言では「町田警察署に午後五時ころ着き、取調室に被告人竹内を入れ、立たしたまま『ここまで来たんだから渡しなさい。』と手に持っていた(ナップザック)を引っ張ったら、放したので取り上げた。」と言っている。しかし、右林証言が「取調室でバッグの中身を見た時、他の警察官はいなかった。」と言っているのに、河井巡査部長がこれを見ていたというのも納得し難いところである。ところで、被告人久垣供述によれば「被告人久垣は午後六時ころ、(取調室で)寒かったので、所持していた自分のスポーツバッグの中からジャンパーの裏についているライナーをはずしてセーターの上から着た。」「午後八時か九時ころ、勾留状添附の写真(ライナー着用のもの)を撮影された。」というのである。そして、前記各証拠によれば、被告人久垣が町田警察署に到着当時、一番上にセーターを着用していたことが認められ、林証言や河井証言でも同被告人からスポーツバッグを取り上げる以前に同被告人がライナーを出して着たことはない旨述べている。しかるに、本件一件記録に編綴されている被告人久垣の勾留状には、町田警察署で撮影されたとみるべきライナーと思われるものを着用している同被告人の写真が貼付されているところ、右写真撮影が被告人久垣の述べる時刻以前(少なくとも林巡査や河井巡査部長が右ナップザックを取り上げたとする時刻以前)になされたとみるべき証拠は全くない。そうだとすると、林証言及び河井証言で町田警察署に到着後間もなくスポーツバッグを取り上げたとする点は、右客観的事実と矛盾し信用できない。また、高杢証言についても、同証言では、「(被告人竹内のナップザックなどについての)捜索差押調書は午後一一時ころ完成した。」ともしており、被告人久垣の場合と対比して考察すれば、高杢巡査が被告人竹内のナップザックを取り上げたとする時刻については信用できないものと考える。

以上の事実を総合すれば、警察官らは、奈良谷戸入口バス停留所付近で被告人両名につき本件内ゲバ事件の被疑者としてその身柄を確保したものの、その段階では正規に逮捕手続をとるべきか否かについて判断ができず、事実上その身体を拘束した状態で、成瀬駐在所を経て町田警察署まで連行したものであるが、同警察署においても、果たして被告人らが本件内ゲバ事件に関与したとされる革マル派に属する者かどうかについて判断できず、結局、当日午後六時以降になって、同警察署に赴いた警視庁の革マル派担当警察官二名による被告人らの顔確認の結果、被告人らが革マル派の活動家であるとの判断を得て、その時点で漸く逮捕するとの方針を固め、その逮捕手続をとるに至ったものとみることが相当と考える。このことは、被告人らにつき右顔確認後に逮捕番号(被告人竹内は一号、同久垣は二号)が付けられたことや、同じように本件内ゲバ事件の被疑者として右被告人らよりも一時間以上も早く町田警察署に連行された被告人濱の逮捕番号が、後に連行された被告人竹内及び同久垣よりも後順位の三号(当初は四号であったが、その後に変更。)となっていること、さらには、被告人らいずれもが、当夜、夕食をとらされていないこと(正規に逮捕されて町田警察署に連行されたのであれば、その到着時刻から見て当然夕食が用意されていてしかるべきであろう。)などはこの間の事情を物語っていると言えよう。そうだとすれば、被告人竹内及び同久垣については、前記奈良谷戸入口バス停留所付近で準現行犯逮捕をなし得る要件を充たしていたとしても、その時点で明確に準現行犯人としての逮捕手続を全くとらないまま、事実上身柄を拘束し、それに引続きその拘束状態を長時間にわたり継続したうえ、少なくとも当初の身柄拘束時点から二時間三〇分間以上も後になって漸く逮捕手続をするに至った本件においては、その逮捕は違法と言わざるを得ない。このことは、本件逮捕後になされた被告人両名についての検察官への送致及び検察官による勾留請求が、当初の身柄拘束時点から起算して刑事訴訟法二〇三条及び二〇五条に定める期間内になされるているとの事実によって左右されるものではないと考える。けだし、現行犯逮捕の制度は令状主義の唯一の例外として認められているものであり、準現行犯逮捕がこれの要件を更に緩和したものであることに着目すれば、その逮捕手続は厳格に履践されなければならないことは当然であって、警察官がその逮捕をするに当っては、被疑者に対して罪名を告げて(準)現行犯として逮捕する旨を明確に告知すること(被疑者にとって、いかなる犯罪の嫌疑によって逮捕されるのかが明白であること)が必要であり、逮捕後はできるだけ速やかに司法警察員に引致されなければならず、その引致を受けた司法警察員は直ちに被疑者に対し犯罪事実の要旨及び弁護人を選任することができる旨を告げたうえ、弁解の機会を与えなければならないのである。従って、前記認定のように、被告人らの身柄を事実上拘束しながら、そのいずれの手続も履践されずに放置された後の被告人両名に対する本件逮捕は、その要求されるべき手続の厳格性に著しく反し、その違法の程度が余りにも大きく、その後における時間の遵守などによって救済される余地がないとみるべきだからである。

第三  結論

さて、被告人ら三名に対する一連の身柄拘束ないし逮捕が違法であることは、以上述べたとおりであるところ、検察官提出の各証拠物(平成二年押第一二一号の1ないし37)はかかる違法な状態の中で、警察官により逮捕に伴う差押えとして、あるいは、その後、その逮捕に引続く身柄拘束状態の中で裁判官から発付された差押許可状にもとづき被告人らから押収されたものであるが、これらは、その押収手続が違法であっても、物それ自体の性質、形状に変異を来すことなく、その存在、形状等に変わりのないものであるから、これを証拠として用いることによりその判断を誤らしめるような特段の恐れがない以上、単にその押収手続の違法を理由として軽々にその証拠能力を否定することは、刑事訴訟法が目的とする事案の真相の究明という見地からみて、相当でないことはいうまでもないところである。しかしながら、右各証拠物のうち逮捕に伴う差押えとして押収されたものについては、前記認定の事実によれば、その前提となる逮捕が憲法三三条及びこれを受けた刑事訴訟法一九九条以下に規定されている刑事手続の根幹の一つである令状主義を没却するような重大な違法を伴うものといわなければならず、従って、その逮捕自体が否定された結果、全く法的根拠を欠くに至っており、これを看過することは、加えて憲法三五条、刑事訴訟法二一八条一項の所期する捜索、押収などに関する令状主義の精神を没却するような重大な違法を認容することになり到底許されないというべきである。そして、本件においては、今後、捜査機関によるかかる違法行為の再発を防止するためにも、その証拠能力を否定し、当該被告事件の断罪に供し得ないこととしなければ、その実効を期待できないものと考える。また、右各証拠物のうち裁判官から発付された差押許可状にもとづき押収されたものについても、形の上では令状による差押えの外観は有しているものの、その差押許可状は右のような違法な逮捕状態を利用してその発付を受け、被告人らが逮捕当時身につけていた衣服や靴などを押収したものであり、本件逮捕に先立つ身柄拘束及びこれに引続いた逮捕が右のように令状主義を没却するような重大な違法を伴うものであることにかんがみれば、これまた、この点を看過しこれを認容することはできないといわなければならず、その証拠能力を否定することについても同様に考えるべきである。なお、右各証拠物の証拠能力を否定しなければならない以上、その存在を前提として、その押収状況、形状、本件内ゲバ事件との関連性などについての証拠とされている後記の捜索差押調書、差押調書、実況見分調書及び鑑定書やこれらについて証言した証人の公判調書供述記載も、右各証拠物と密接な関連を有する証拠として同様に本件の断罪に供し得ないものとしなければ、右各証拠物の証拠能力を否定した意味を失うことになるであろう。そこで、本件においては右の各証拠物(これについての捜索差押調書及び差押調書、検甲第一四、一七、一八、二〇、一九四及び二三七号、これに関して証人長尾俊之、同鈴木喜久夫、同五十嵐博和の差押状況を証言した公判調書供述記載を含む。)及びその存在を前提として作成された鑑定書(検甲第一一ないし一三、一九二、二五一及び二五五号、これに関して証人田久保豊、同青山喬、同飯塚直人、同小〓富夫の鑑定結果を証言した供述ないし公判調書供述記載を含む。)並びにその差押え後に右各証拠物の形状などについてなされた実況見分調書(検甲第一五、一六、一九、二一、一九三及び一九五号、これに関して証人黒沢春雄、同五十嵐博和、同瀬尾和彦、同空閑秀幸、同金澤邦助、同勝山直樹の見分などの結果を証言した公判調書供述記載を含む。)は違法な状態の下で収集された証拠として、あるいはこれと密接に関連する証拠としてその証拠能力を欠くものであり、これを本件公訴事実認定のための資料として用いることは許されないものと言わなければならない。

更に付言すると、伊東証言及び司法巡査木庭昭利外一名作成の捜索差押調書によれば、押収にかかる黒色買物袋一枚(平成二年押第一二一号の24)、緑色ナップザック一個(同号の25)、紺色ジャージの下一枚(同号の26)、黒色帽子一個(同号の27)、オレンジ色ヤッケ一枚(同号の28)、ビニール製レインコート一枚(同号の29)、白笛一個(同号の30)、黄色ホルム散一個(同号の31)及びマスク一個(同号の32)は、いずれも前記のように被告人濱が木庭巡査から職務質問を受けると同時に身柄拘束されようとした際、同被告人が所持していたものであって、同巡査に右黒色買物袋(その中に右のその余のものが入れてあった。)を〓まれたため、その身柄拘束を免れるため逃走しようとしてその場に遺留したものと思われるところ、その後、タクシー運転手がこれを拾得して届け出たものを伊東巡査部長が領置したもので、これらは厳密な意味では逮捕に際して押収したものとは言えないけれども、前記のように木庭巡査による被告人濱に対する一連の違法な身柄拘束行為の流れの中で、同被告人が止むなくこれを放置し、これが警察官の手に渡ったものであり、実質的には同被告人の手から直接押収した場合と同視すべきである(なお、右捜索差押調書には、これらは「逮捕するにあたり、その場において、捜索差押をした」旨記載されている。)から、これについても証拠能力を欠くことについては他の証拠物との間に差異はないものと言うべきである。そうだとすれば、被告人濱については右各関係証拠物及び右のこれに関連する各証拠を除けば他に本件公訴事実を認めるに足る証拠はない。

また、北川原証言、高杢証言、林証言、河井証言、川崎証言及び櫻田証言によれば、前記奈良谷戸入口バス停留所付近などにおける当時の被告人竹内及び同久垣の外観について、「当日朝から雨が降っていたのに、両名共傘を持たず頭髪や衣服を濡らしており、靴やズボンの裾が泥で汚れており、また、被告人久垣の右頬に長さ一、二センチメートル、幅一、二ミリメートルで鮮血が一、二滴ついていて、皮膚がえぐられて中の白い脂肪が少し見える程度の傷があり、また、同被告人は口の中を切っているらしく、血の混じった唾を吐いたのを見た。」というのであるが、仮にこのような事実が認められるとして、検察官主張のような本件内ゲバ事件の犯人集団である革マル派に属する者らの多くが、その犯行後、和光大学の裏山の道を通って逃げたことにより、同人らの靴やズボンが泥に汚れており、また、当日、朝から雨が降っていたが、右の者らの多くは、逃げる途中で雨具などを捨てており、衣服が濡れていると思われること、被告人らが立っていたバス停留所は、右革マル派集団が逃走したとされる方向に当っていること、被告人らが警察官の到来と同時にバス停留所を離れて脇道に入り歩き出したこと、追いかけてきた警察官に「どこへ行くのか。」「どこから来たのか。」などと質問されても被告人らはこれに一切答えなかったことなどの事情を勘案して考察してみても、その時みられた右のような被告人らの外観、行動などが、準現行犯逮捕の要件を認定する上での資料とはなり得るとしても、単にこれのみによって、被告人竹内及び同久垣が本件公訴事実にかかる犯罪を実行したものと認めることは到底できず、他に被告人らと本件公訴事実とを結びつけるに足る証拠はない。

なお、弁護人は、本件公訴提起に至る捜査の過程には、著しいデュー・プロセスの違反があるから本件公訴は棄却されるべきである旨主張しているが、関係証拠を総合すれば、本件公訴提起自体を違法とすべき事情は認められないので、右主張は失当というべきである。

そこで、結局、被告人ら三名いずれについても犯罪の証拠がないことに帰するので、刑事訴訟法三三六条により無罪の言渡しをすることとする。

(別紙省略)

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