東京家庭裁判所 平成11年(少)1590号 決定 1999年12月03日
少年 D・T(昭和58.3.22生)
主文
少年を東京保護観察所の保護観察に付する。
理由
(非行事実)
少年は、
第一 暴走族○○の構成員らと親交を持っている者であったが、同暴走族と対立抗争中の暴走族○□の構成員らからの襲撃が予想されたことからこれを迎え撃つことを企て、暴力団○△会○○組組員であるA及びB並びに暴走族○○の構成員又はその親交者であるC、D、E、F、G、H、I、J、K、L、M及びNと共謀の上、襲撃してくる○□の構成員らの生命・身体に対し、共同して危害を加える目的で、平成10年10月31日午後9時30分過ぎころから翌11月1日午前零時20分ころまでの間、金属バット9本、木製バット2本及び角材1本を準備して、東京都豊島区○○×丁目××番所在の○○株式会社○○駅○○付近に集合し、もって、他人の生命・身体に対し共同して害を加える目的で凶器を準備して集合した
第二 公安委員会の運転免許を受けないで、平成11年4月12日午前零時40分ころから同日午前零時45分ころまでの間、同都文京区○○×丁目×番所在の○○交差点から同区○□×丁目××番先道路に至る約1200メートル間の○○通りにおいて、原動機付自転車を運転した
第三 平成10年夏ころから、出身中学の先輩であるOら暴走族○○の構成員らと一緒に遊ぶようになり、さらに平成11年1月終わりか2月初めころからは同じ年頃の仲間だけで暴走族□○を名乗るようなったが、その間これらの仲間や他の暴走族の構成員らと一緒になって集団暴走を繰り返し、同年4月12日にも、暴走族□□の構成員らと共に都心の道路を集団暴走することを企て、同日午前零時40分ころ、同区の○□通りにおいて、暴走族□○の構成員であるNを後部に同乗させた原動機付自転車を運転して、暴走族□□の構成員ら10名の者が自動二輪車3台及び原動機付自転車2台に分乗して暴走中の集団に合流し、一団となって同区○○×丁目×番先の○○交差点を赤色信号を無視して左折して○○通りに入り、自動二輪車及び原動機付自転車各3台を連ね又は並進して、片側道路一杯の広がり走行、信号無視、蛇行運転等を繰り返しながら時速約20ないし30キロメートルの速度で同区○□×丁目××番先道路に至るまで集団暴走したものであって、このまま少年が犯罪性のある不良仲間や暴走族仲間と交際を続ければ、少年の性格及び環境等に照らして、将来、再び集団暴走を繰り返し、共同危険行為などの道路交通法違反等の罪を犯す恐れがある
ものである。
(適条)
第一の事実 刑法60条、208条の2第1項前段
第二の事実 道路交通法118条1項1号、64条
第三の事実 少年法3条1項3号ハ
(判示第三の事実において共同危険行為の送致事実に対しぐ犯事実を認定した理由)
一 判示第三の事実(以下「本件」という。)に関し検察官が主張する「審判に付すべき事由」の要旨は、平成11年4月12日の判示集団暴走に際して、「少年らは、共謀の上、集団暴走することを企て、同日午前零時40分ころから同日午前零時45分ころまでの間、東京都文京区○○×丁目×番先の○○交差点から同区○□×丁目××番先道路に至る約1200メートル間の○○通りにおいて、少年らが運転する自動二輪車及び原動機付自転車合計6台を連ね又は並進して、片側道路一杯の広がり走行、信号無視、蛇行運転等を繰り返しながら時速約20ないし30キロメートルで走行し、その間、同日午前零時45分ころ、同区○□×丁目×××番先道路から少年らの集団の後方を走行していたQ運転の普通乗用自動車(以下「Q車」という。)に対し、片側道路一杯の広がり走行、低速走行等により通常運転をすることを妨げ、その妨害により約100メートルの間を数分間にわたり徐行運転をすることを余儀なくさせるなどし、もって、共同して著しく他人に迷惑を及ぼす行為をした」というものであるが、当裁判所が取り調べた関係証拠によっても、少年らが、この集団暴走によってQ車の通常運転を妨害し「約100メートルの間を数分間にわたり徐行運転をすることを余儀なくさせるなどし、もって、共同して著しく他人に迷惑を及ぼす行為をした」(以下「被迷惑行為」という。)とまでは認めることができない。以下、その理由について補足して説明する。
1 関係証拠によれば、少年は、判示第三のとおり、暴走族□□の構成員らと共に都心の道路を集団暴走することを企て、平成11年4月12日午前零時40分ころ、東京都文京区の○□通りにおいて、少年と同じ暴走族□○の構成員であるNを後部に同乗させた原動機付自転車を運転して、暴走族□□の構成員ら10名の者が自動二輪車3台及び原動機付自転車2台に分乗して暴走中の集団に合流し、その結果、少年ら総勢12名が自動二輪車及び原動機付自転車各3台に分乗して一団となって集団暴走することになったこと、その後、少年らの集団は、同区○○×丁目×番先の○○交差点を赤色信号を無視して左折して○○通りに入り、自動二輪車及び原動機付自転車各3台を連ね又は並進して、片側道路一杯の広がり走行、信号無視、蛇行運転等を繰り返しながら時速約20ないし30キロメートルの速度で暴走していたこと、他方、Qは、Q車を運転し、助手席にR子を乗せて○○通りをJR○□駅方面から○○交差点を通過し○□×丁目方面に向けて時速約50ないし60キロメートルで進行していたが、同日午前零時45分ころ、同区○□×丁目××番先道路に至った際、少年らの集団を後方から追い抜こうとして、Sが運転しTの同乗する自動二輪車及びUが運転しVの同乗する自動二輪車に順次衝突し、Sら4名に怪我を負わせる交通事故を起こしたこと(以下「本件事故」という。)、そこで、少年らは、直ちに集団暴走を中止し、負傷したSら4名の救護に当たるなどしたことが認められる。
2 ところで、本件事故直前の状況に関するQの供述は、ほぼ次のとおりである。すなわち、「Q車を運転して○○通りを進行中、同区○○×丁目×番×号付近(以下「<1>地点」という。)で進路前方を集団暴走している少年らの乗った6、7台のバイクを認めた。しかし、そのまま少年らの集団の後方に接近し、同区○□×丁目×××番先の交差点を通過した地点(以下「<2>地点」という。)で少年らの集団に追いついたので、速度を集団に合わせて時速約20ないし30キロメートルに減速し、同区○□×丁目×××番先道路(以下「<3>地点」という。)まで集団の後方に付いて走った。この間、早くR子を家に送って自宅に帰りたかったので、イライラした気持だった。その後、<3>地点を走行中、少年らの集団の後部が開いたので追い抜こうとして加速したところ、まず右前方を走っていたS運転の自動二輪車にQ車の右側面を衝突させ(以下、その衝突地点を「<4>地点」という。)、次いで進路前方を走っていたU運転の自動二輪車にその後方から衝突してしまった(以下、その衝突地点を「<5>地点」という。)。」というものである。また、本件事故現場で実施された実況見分の際のQの指示説明に基づき上記各地点の距離を測定した結果は、<1>地点と<2>地点間が約392.95メートル、<2>地点と<3>地点間が約56.1メートル、<3>地点と<4>地点間が約26.6メートル、<4>地点と<5>地点間が約7.3メートルとなっている。
3 これによれば、Q車は、<2>地点から<3>地点に至る約56.1メートルの間、少年らの集団の後方を時速約20ないし30キロメートルで進行したことになるが、それに要する時間は計算上約6.8秒ないし約10.1秒ということになるところ、Qは、取調官に対して、少年らの集団の後方について走行した時間は、「1、2分」(司法警察員に対する同年4月29日付け及び同年6月15日付け各供述調書謄本)とか、「2、3分」(検察官に対する同月29日付け供述調書謄本)と述べており、その時間的な感覚には相当な開きがあると言わざるを得ない(なお、Qは、審判廷では、少年らの集団の後方を走行した時間についてははっきり分からないし、捜査段階では取調官の誘導に迎合したとさえ供述している。)。また、Qは、S運転の自動二輪車に衝突したときの速度について、捜査段階では、ほぼ一貫して「時速約80キロメートルだった」と供述しているが、そもそも<3>地点から<4>地点に至るわずか約26.6メートルの距離を走行する間に、Q車の速度を時速約20ないし30キロメートルから時速約80キロメートルにまで加速できるのか、大いに疑問があると言わざるを得ない(この点については、Qも、審判廷で、そのような短い距離で加速することはできないと供述している。)。他方、Qは、衝突時のQ車の速度について、審判廷では、「時速約50ないし60キロメートルだった」と述べて捜査段階での上記供述を変更しているが、少年らの集団の最後尾を走行していたWらは、Q車がS運転の自動二輪車に衝突する際の速度について時速約80キロメートルとか、約100キロメートルとかの高速度であったと述べていることに加え、Q車はU運転の自動二輪車に衝突後その進路前方に停車していた乗用車にも追突して反対車線に進出し停止しているところ、その際Q車に追突された乗用車は約30メートルも前方に移動し、しかも、停止したQ車がほぼ全損の状態にあったことを併せ考えると、本件事故直前のQ車の速度が、Qが審判廷で供述するような時速約50ないし60キロメートル程度であったとは到底考え難い。さらに、Qは、審判廷において、<2>地点において少年らの集団に追いついた状況について、Q車は時速約50ないし60キロメートルで走行していたが、○□×丁目交差点の手前でブレーキをかけて減速し、同交差点を通過した直後の<2>地点で少年らの集団に追いつき時速約20ないし30キロメートルになった旨述べているが、そうだとすれば、同交差点の広さからして、Qは同交差点の直前で相当強くブレーキをかけて減速した状況にあったと考えられるのに、Q車の助手席に乗っていたR子は、同年4月19日の取調べにおいて、「事故の直前、Qに対し『速度を出しすぎているのではないか』と話をしたが、返事はなかった。前に少年らの集団がいるのに、Q車はかなりの速度で近づいて行ったから衝突した。事故の原因は、Qが少年らの集団の動きを注意していなかったからではないか。」と供述しているだけで、Qが少年らの集団の後方に追いついて速度を落としたとは一切供述していない(なお、R子の検察官に対する同年6月22日付け供述調書謄本中には、「少年らの集団が低速だったので、QもQ車のスピードを落としてバイクの後ろを走っていた」旨の記載があるが、その内容は、同女の司法警察員に対する同年4月19日付け供述調書謄本の上記内容や、司法警察員に対する同年5月2日付けの供述調書謄本中の「怖くて下を向いていたので、Qがどこまで近づいたか、どの程度速度を落としたか分からない」旨の記載に照らすと、その内容をそのまま信用することはできないと言うほかない。)。次に、QはQ車が少年らの集団の後方に追い付いて走行した際の集団との間隔について、当初は「約20ないし30メートル後方」(司法警察員に対する同年4月29日付け供述調書謄本)とか、「約10ないし15メートル後方」(司法警察員に対する同年6月15日付け供述調書謄本)と述べていたが、実況見分を実施した後はその実測値に基づき「5、6メートル後方」(司法警察員に対する同年6月25日付け供述調書謄本、審判廷での供述)とその供述を変遷させているだけでなく、仮にQ車が、Qの供述するような間隔で少年らの集団の後方に位置し一定時間その後方を走行していたとすれば、少年らの集団の最後尾で自動二輪車を運転していたWや同車の後部に乗っていたXが、本件事故以前においてQ車の存在に気が付いてもおかしくないと考えられるのに、WやXは、いずれも「後ろから車のライトの光が見えたと思った瞬間、黒っぽい車が右横をかなりのスピードで通過した。そして、車が通った後S運転の自動二輪車が倒れ、Uの身体が宙に舞った」旨供述し、また、Wは、審判廷において、「Q車が通過する前に、車のライトが、少年の運転する自動二輪車のサイドミラーに反射したり、道路を照らしたりしたことはなかった」とさえ供述しているのであって、これらの点に関して少年らがことさら虚偽の供述をしていることを窺わせる証跡はない。以上のとおり、Qの本件事故直前の状況に関する供述には、多くの点において変遷が認められるだけでなく、その供述内容は、他の関係証拠や客観的状況と整合しない点が多い上、当時Qは酒に酔っていて、本件事故直後に現場に臨場した警察官によって実施されたQに対する飲酒検知検査では、呼気1リットルにつき約0.5ミリグラムもの多量のアルコールが検出されたことをも併せ考えると、本件事故直前の状況に関するQの供述をそのまま信用することはできないと言うほかない。そして、前記認定事実のほか、R子の同年4月19日の取調官に対する供述やWらの審判廷での供述等当裁判所が取り調べた関係証拠に照らして考えると、Q車が少年らの集団の後方を走行していたとき、少年らの集団が片側道路一杯の広がり走行や蛇行運転をしながら時速約20ないし30キロメートルで暴走していたために、Q車がその進路を塞がれ、通常の運転を妨げられた可能性があったことを完全に否定し去ることはできないものの、他方では、Qは、少年らの集団を発見した後も、時速約50ないし60キロメートルで走行していたQ車の速度を落とすことなく少年らの集団に接近し、その後少年らの集団の間を通過しようとして時速約80キロメートルに加速進行したため本件事故を惹起したのではないかとの疑念を払拭することができず、検察官が主張する「審判に付すべき事由」にあるように、Q車が「約100メートルの間を数分間にわたって徐行運転をすることを余儀なくさ」れたとか、あるいはこれに類する迷惑を受けた事実を明確に認めるにはいまだ合理的な疑いが残ると言うべきである。
4 ところで、道路交通法68条の共同危険行為は具体的危険犯であると解されるから、少年に同条違反の罪が成立するためには、少年らの集団暴走によって実際にQ車が迷惑を受けた事実を明確に認定する必要があるところ、既に述べたように、当裁判所において取り調べた関係証拠によっても、Q車の被迷惑行為を具体的に認定することができないから、結局、少年に同条違反の罪の成立を認めることはできない。
二 しかし、関係証拠によれば、少年について、判示第三において認定したぐ犯の事実を認めることができるところ、家庭裁判所は、審判に付すべき事由として送致された犯罪事実を認めることができない場合であっても、この犯罪事実と基本的事実に同一性のあるぐ犯事実を認めることができるときは、改めて立件手続をとらなくとも、このぐ犯事実を認定することができると解される。また、犯罪事実と基本的事実の同一性を有するぐ犯事実に当たるとするためには、少年法3条1項3号が、ぐ犯事実の内容として、一定期間中の少年の行状ないし性癖を示す同号所定のぐ犯事由の存在とともに、少年の性格又は環境に照らし、少年が将来このぐ犯事由から予測される特定の犯罪を犯す危険性であるぐ犯性の存在を要求していることに照らし、当該犯罪事実ないしこれと密接に関連する重要な事実がぐ犯事由の基本的部分を構成しており、しかも、それまでの少年の性格及び環境に照らし、少年が将来このぐ犯事由からみて当該犯罪事実を含む特定の類型の犯罪を犯す危険性があると認められる場合でなければならないと解するのが相当である。これを本件についてみると、検察官から送致された本件共同危険行為の犯罪事実は、平成11年4月12日の深夜に少年らが東京都文京区の○○通りで集団暴走をした際の非行であり、他方、当裁判所が認定したぐ犯事実は、少年がこの集団暴走に参加していたことをもってぐ犯事由の基本的な部分とした上、それまで少年が暴走族等と不良交遊を続け集団暴走を繰り返してきていたという少年の性格や環境に照らし、少年が、今後ともこのような不良交遊を続けるときには、将来再び不良仲間と一緒に集団暴走をして共同危険行為等の非行を繰り返す恐れがあるとするものであって、両者の間に基本的事実の同一性を認めることができることは明らかである。
三 そこで、当裁判所は、適正手続を保障する観点から、審判期日において、少年に対し、判示ぐ犯事実を告知してその弁解を聴取する手続を経た上で、判示第三のとおり、ぐ犯事実を認定した。
(処遇の理由)
少年は、平成10年3月に中学を卒業した後私立高校に入学したものの、学校や先生になじめないまま、同年6月から8月にかけて地元の仲間と不良交遊を続ける中で3回にわたって原動機付自転車の窃盗を繰り返したり、恐喝事件を起こしたりした(これらの事件については、平成11年1月18日当裁判所において不処分決定を受けた。)だけでなく、平成10年夏ころからは中学校の先輩達がメンバーとなっている暴走族○○の構成員らとも交際するようになって、一緒に不良交遊をしたり集団暴走をしたりして乱れた生活を送るようになり、同年9月には高校も中退してしまった。その後、上記窃盗事件や恐喝事件が当裁判所に送致され、家庭裁判所調査官による調査が行われた後も、不良仲間と一緒に夜遊びや集団暴走を繰り返す生活は改まらず、暴走族○○の構成員らと共に判示第一の凶器準備集合の非行に及んだだけでなく、平成11年1月終わりか2月初めころには同暴走族の仲間のうち同じ年頃の仲間だけで暴走族□○を名乗るようになって不良交遊を続けるとともに月1・2回の割合で集団暴走を繰り返し、ときには他の暴走族の構成員らと合同して行われた集団暴走に参加するなどする中で、同年4月12日深夜には暴走族□□の構成員らと一緒になって判示第二の無免許運転及び同第三の集団暴走を敢行した。
他方、少年をはじめ暴走族□○の構成員らも、判示第三の集団暴走の際4名の仲間が事故に遭って大怪我を負ったことで衝撃を受け、集団暴走の怖さを実感するとともに、その後は自重した状況にある。また、少年は、高校だけは卒業したいとの気持から平成11年4月に定時制高校に再入学したのに加え、同月19日判示第一の凶器準備集合の罪で逮捕され、勾留に引き続いて観護措置を採られ、その後同年5月19日この観護措置の取消しを受けると同時に判示第二の無免許運転の罪とその際に共同危険行為の罪に及んだとして再び逮捕された後、勾留、観護措置を経て、当裁判所が観護措置を取り消した同年6月17日まで約2か月間身柄を拘束されたこともあって、その釈放後は高校に復学し、同年夏ころからは真面目にアルバイトにも励むなど、現在では一応落ち着いた生活を送るようになっている(ただ、高校については、留年が確実になった本年11月ころから通学を止めているが、来年4月からは改めて1年生として通学する予定にしている。)。
しかし、少年が本件各非行に及んだ状況を見ると、少年は、中学校を卒業した後、地元の不良仲間との遊び中心の生活を送り、夜遊びや集団暴走等を繰り返してその生活を大きく乱す中で本件各非行を繰り返していたものであって、その背景には、自信に乏しく気弱な反面、父母の権威に反発し自己を受け入れてくれる仲間との交遊に精神的安定を求めるとともに、楽しく遊んで過ごしたいとの気持から、物事を深く考えることなく仲間に調子を合わせて軽率な行動に出やすいという少年の資質的な問題が伏在していること、しかも、少年が共に本件各非行に及んだ不良仲間の多くは中学校の同窓生で少年の住居地近くで生活しており、今でも少年は同じ年代の仲間とは依然として交遊を続けている状況にあって、少年自身これらの仲間との不良交遊に対する自覚に欠けるきらいがあること、他方、少年の保護者は、少年がこれらの不良仲間と交遊を続け本件各非行を繰り返していた間少年に対して効果的な指導を加えることができず、その指導監督力には限界があることを併せ考えると、現在少年の生活が一応落ち着きを取り戻しているとはいえ、少年に対しては、今後とも安定した生活を送るとともに不良仲間と一緒になって再度非行を繰り返さないよう、公的機関において専門的かつ強力な指導監督を加えていく必要があると考えられる。
よって、少年法24条1項1号、少年審判規則37条1項を適用して、少年を東京保護観察所の保護観察に付することとし、主文のとおり決定する。
(裁判官 川口宰護)
〔参考〕少年補償事件(東京家 平11(少ロ)1号 平12.1.4決定)
主文
本件については、補償しない。
理由
1 当裁判所は、平成11年12月3日、本人に対する平成11年少第1590号、同第700040号凶器準備集合、道路交通法違反(送致罪名・無免許運転、共同危険行為、認定罪名・無免許運転、ぐ犯)保護事件(以下「別件」という。)において、非行事実のうち、凶器準備集合及び無免許運転については、検察官から送致された審判に付すべき事由に沿った事実を認定したが、共同危険行為については、これと基本的事実の同一性が認められるぐ犯の事実を認定した上で、少年を東京保護観察所の保護観察に付する旨の決定をした。
また、別件記録によれば、少年は、平成11年4月19日凶器準備集合の罪で逮捕され、勾留に引き続いて同年5月10日身柄付きで当裁判所に送致され同日少年鑑別所送致(以下「観護措置」という。)の決定を受け東京少年鑑別所に収容されたこと、その後同月19日この観護措置決定の取消決定を受けるとともに無免許運転及び共同危険行為の各事実で再び逮捕され、同月22日からの勾留を経て、同年6月9日身柄付きで再び当裁判所に送致され同日改めて観護措置決定を受けて東京少年鑑別所に収容されたが、同月17日当裁判所による観護措置決定の取消決定により同日東京少年鑑別所を退所したことが明らかである。
ところで、少年の保護事件に係る補償に関する法律(以下「少年補償法」という。)2条1項は、少年保護事件に関して補償を行うための要件として、その終局決定において「その全部又は一部の審判事由の存在が認められないことにより当該全部又は一部の審判事由につき審判を開始せず又は保護処分に付さない判断がなされた」ことを必要としているところ、家庭裁判所が検察官から審判に付すべき事由として送致された犯罪事実を認定しないで、これと基本的事実の同一性のあるぐ犯の事実を認定した場合でも、この要件を満たすとの見解も主張されていることからすれば、当裁判所が、別件において、少年が逮捕・勾留の上で送致され観護措置を採られた共同危険行為の事実を認めず、これと基本的事実の同一性のあるぐ犯の事実を認定した点に関して、少年に対し、同法に基づく補償を行う必要があるかどうかが問題となる。
2 そこで検討するに、ぐ犯は、少年法3条1項3号に定められている少年の一定期間中の行状ないし性癖を示すぐ犯事由と、このぐ犯事由から予測される少年が将来特定の犯罪を犯す危険性としてのぐ犯性から構成されており、少年法は、その基本理念である教育主義(保護主義)の目的をより良く達成するために、いまだ犯罪行為には至っていないものの少年がその前駆的な段階にあると認められる場合をぐ犯と捉え、独立の審判事由として特に定めたものである。したがって、このようなぐ犯の事実とその発展段階にある犯罪事実が共に認められ、両者の間に基本的事実の同一性があるときは、犯罪事実のみが成立し、他方、家庭裁判所は、審判に付すべき事由があるとして送致された犯罪事実が認められないときでも、新たな立件手続を経ることなく、これと基本的事実の同一性を有するぐ犯の事実を認定することができると解される。このような手続的な取扱いは、基本的事実の同一性が認められる犯罪事実とぐ犯の事実との間において、事件の同一性を肯定する考え方を基礎にするものであるから、家庭裁判所が、送致された犯罪事実を認定しないものの、それと基本的事実の同一性のあるぐ犯の事実を認定したときは、送致された犯罪事実に関して、少年補償法2条1項にいう「審判事由の存在が認められない」との判断はなされておらず、したがって、「審判事由の存在が認められないことにより」「審判を開始せず又は保護処分に付さない判断がなされた」とは言えないと解すべきである。このことは、家庭裁判所が、送致された犯罪事実を認定せず、かつ、新たな立件手続を採ることなく、これと基本的事実の同一性を有するぐ犯の事実を認定した上、少年を保護処分に付した場合を考えると、より明らかである。すなわち、この場合、家庭裁判所は、送致された一個の事件について審理した上で少年を保護処分に付しているのであって、決して二個の事件について審判したとは言えない。これに対し、このような場合についても、「審判事由の存在が認められないことにより」「審判を開始せず又は保護処分に付さない判断がなされた」と解するとすれば、それは、家庭裁判所が、「審判事由の存在が認められない」と判断した送致された犯罪の事件のほかに、少年を保護処分に付したぐ犯の事件が存在することを前提に審判したと解さざるを得ず、そうだとすれば、たとえ送致された犯罪事実と基本的事実の同一性のあるぐ犯の事実を認定する場合であっても、新たな立件手続を経ないでそのようなぐ犯の事実を認定することは不告不理の原則に反すると言わざるを得ない。
このように考えてくると、家庭裁判所が、送致された犯罪事実について認定せず、かつ、新たな立件手続を採ることなく、これと基本的事実の同一性のあるぐ犯の事実を認定した場合には、もはや同条項にいう「審判事由の存在が認められない」ときには当たらないと解すべきである。
なお、このように解することに対しては、少年が犯罪事実に基づき逮捕・勾留されていた場合には、家庭裁判所が認定したぐ犯の事実で少年を逮捕・勾留できないことが看過されてしまうとの批判があるが、これは少年補償法2条1項が少年に補償する要件の基準として、事件の単位である「審判事由」を採用していることに起因するものであって、この点に関しては、送致された犯罪事実と認定するぐ犯の事実との間に基本的事実の同一性があるかどうかを判断するに当たり、厳格な態度を採ることによって対処すべき問題であると言うべきである。
3 以上のとおり、別件については、少年補償法2条1項の要件が欠けているから、本件について少年に補償しないこととし、主文のとおり決定する。
(裁判官 川口宰護)