東京家庭裁判所 平成5年(家)2779号
主文
本件申立てを却下する。
理由
第1申立ての趣旨及び実情
1 本件は、申立人が、いわゆる中国残留日本人孤児であり、日本人としての自己及び父母の氏名等その身元に関する事実を明らかにしえないが、中国で家族と離別した当時の事情からして、父母はともに日本から中国に渡った日本人であり、少なくとも母は日本人であるから、旧国籍法に定めるところに従い、日本国籍を有するところ、その戸籍が判明しないとして、下記による就籍を許可する旨の審判を求めるものである。
(1) 本籍 東京都千代田区○町×丁目×番地
(2) 氏名 本間清恵
(3) 出生年月日 昭和21年1月28日
(4) 父母の氏名 不詳
(5) 父母との続柄 女
2 そして、申立人は、申立ての実情につき、要旨、(1)申立人は、中国黒竜江省虎林県内で第1の中国人養父母から第2の中国人養父母に引き取られ、以来同養父母によって養育されてきた、(2)申立人は、これまで中国の地域社会で日本人としての取り扱いを受けてきた、(3)中国政府は、申立人を残留日本人孤児と認定して孤児証明書を発行し、また、日本政府も、中国残留日本人孤児名簿に申立人を登載している、として申立人が日本国籍を有することに間違いない、と主張する。
第2当裁判所の判断
1 記録中の資料によると、申立人は、中国常住人口登記表に、姓名楊克清、出生年月日1946年1月28日、性別女、民族漢、出生地黒竜江省虎林県として登録され、中国政府発行の旅券を有することが認められるから、申立人が日本人であると断定するに足りる資料がない限り、申立人は中国人であると認めるべきところ、申立人作成の供述書その他の資料によれば、以下の(1)ないし(5)の事実が認められる。
(1) 申立人は、幼少時から、中国の黒竜江省虎林県内に住む中国人の場立功(1894年生まれ)及び楊玉清(1900年生まれ)夫婦によって養育されたが、同夫婦の実子ではない。申立人は、1958年に同県内にある小学校(6年制)を、1961年に同県内にある中学校(3年制)を、1963年に密山県にある衛生専門学校をそれぞれ卒業した。申立人は、1966年10月6日中国人徐揚波(1939年11月18日出生)と婚姻し、双方間に長女徐暢(1968年10月12日出生)、二女徐麗子(1971年3月22日出生)、長男徐世伯(1973年5月19日出生)がある。申立人は、看護婦や薬品検査所分析員として働いて来た。養父楊は、質易公司の技術員であり、1989年に死亡した。養母楊も、1970年に死亡した。なお、養父母には、女1人、男3人の実子があり、いずれも、申立人より相当に年長であるが、詳細は不明である。
(2) 申立人は、中華民国36年(1947年)1月12日に同じ黒竜江省虎林県内に住む郭大光及び郭建秀から前記楊夫婦に引き渡された。その際、作成された念書(赤色布)には、郭大光は、郭夫婦とも病気で疲弊しており、娘桂清(3歳)を扶養できないので、楊立功に譲る、楊某において将来その結婚を決めてよく、以後実父母とは一切関係がない、楊某は、謝礼として2000円(元)を支払う、旨の記載があり、立会人として趙子智の、保証人として○○○ほか5名の、代書人として○○×の各署名がなされている。保証人の一人であった呂夫翔(1969年死亡)の妻呂正英は、夫から、楊夫婦が譲り受けた女子は日本人が夫婦に引き渡した子である、他に口外してはならない、旨知らされた、と述べるが、同人も、郭夫婦がいつごろ、どこで、どのような事情から申立人を引き取ったかについては何ら知るところがない。当時、100円(元)あれば1部屋買うことが出来た。郭夫婦のその後の消息は不明である。なお、呂正英は、当時、申立人が中国語を話していたと述べる。
(3) 申立人の住む住居の近隣では、申立人が日本人孤児であるとの風評があり、申立人も、6、7歳のころ隣人が申立人は日本人である旨話しているのを耳にしたし、「小日本人」と呼ばれた記憶もある。しかし、申立人は、養父母からは、その生前自分が日本人であることは知らされていないし、また、13歳ころに自宅で養父母が保管していた前記念書(赤色布)を発見した後も、養父母に事実関係を確かめたことはない。
(4) 申立人は、養父母が死亡した後に日本への帰国を考えるようになり、1991年11月肉親調査のため訪日したが、手掛かりがなく、身元が判明しなかった。しかし、申立人は、1992年9月永住の目的で家族とともに日本に来た。
(5) 申立人につき、1992年4月25日付け黒竜江省虎林県薬品検査所発行の孤児証明と同年9月28日付け黒竜江省公安庁発行の孤児証明があるが、いかなる調査を経て発行されたものか、その詳細は明らかでない。
2 以上の事実によれば、申立人が楊夫婦の実子でないことは明らかであるが、郭夫婦の実子である可能性が相当程度残るため、日本人であると断定するに足りないというべきである。すなわち、申立人が郭夫婦から楊夫婦に引き渡された際に作成された念書(赤色布)には、申立人が日本人父母の子であることを窺わせる記載が全くなく、かえって、申立人が郭夫婦の娘である旨記載され、しかも、多数の立会人や保証人の連署の下に、楊夫婦が申立人を引き取るため2000円(元)という当時としては大金とみられる金銭を支払うことも約束されていることからすれば、申立人は郭夫婦の実子である疑いを否定できないといわなければならない。呂正英は、前記念書の作成に立ち会った夫から、申立人が日本人の子である旨知らされたと述べるけれども、郭夫婦が申立人を引き取ったときの状況まで知らされていたわけではなく、その供述の正確性の有無を明らかにすることが出来ないのであるから、この供述をもって前記念書の記載内容と異なる事実を認定するのは相当でないというべきである(結局、申立人の場合、日本の敗戦によって混乱の続くなか中国の東北地区(旧満洲)で肉親と離別した日本人子女であることを窺わせる具体的な事情が認められない。)。もっとも、申立人の住む住居の近隣では、申立人が日本人であるとの風評があった事実が認められるが、風評という具体的内容に欠けるものである以上、そのような事実によって申立人が日本人子女の子であると認めることは出来ない。そして、このような事情の下では、中国の公的機関が申立人が日本人孤児であることを証明しているからといって、これらの孤児証明書の証明力を過大視することはできない。
3 そうすると、旧国籍法(明治32年法律第66号)1条によれば、子が出生のときその父が日本人であれば子は日本人とされ、また、同法3条によれば、父が知れない場合又は国籍を有しない場合に母が日本人であれば子は日本人とされるのであるが、本件全資料によるも、申立人がこの要件を充足していることの証明がないことに帰し、本件申立ては理由がないから、主文のとおり審判する。