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東京家庭裁判所 昭和28年(少)11188号 決定 1953年11月19日

少年 寺○○○

昭和九年生

職業 ○○大学病院技術見習生

都立○○○高等学校学生

本籍 新潟県○○郡○○村○○番地

現住所 東京都○○区○○○○番地

主文

本件について少年寺○○○を保護処分に付さない。

理由

少年寺○○○は、父寺○○内、母寺○利の三男として、旧満洲国奉天市に生まれたが、父○内は、当時旧満洲国軍憲兵科に勤務し、憲兵将校として同国各地に転勤したため、少年も小学校在学中の大半は、同国各地の小学校を転学したけれども、当時の少年は、中流の生活を営んでいた家庭に在つて、比較的平和な日を送ることができた。

昭和二十年八月十日、ソ連軍が旧満洲国に突然侵入して来たので、少年の家でも、父を残して母利は急ぎ長兄○忠(昭和二年六月五日生)次兄○史(昭和六年七月十七日生)及び少年を伴い、当時の居住地興安町を逃れ出て、新京市にたどりついたが、父○内は、当時旧満洲国軍の憲兵中佐であつたので、同年十月、ソ連国に抑留せられる悲運にあい、その後一家の生活は悲惨なものとなつた。

少年は、毎日次兄○史と共に、病身の母をいたわりながら、煙草雑貨等の行商をして、貧苦の生活を送つていたのに、性来極めて放恣兇暴で、利己本位の長兄○忠は、二弟の労苦を目のあたりに見ながら、平然として無為徒食し、母が見るに見かねて忠告すれば、激怒して母に暴力を振い、暴言をあびせ、些少の事でも二弟に対し残酷な処置に出るという風であつたから、当時少年一家の者にとつて、長兄○忠は恐怖の的となつていた。

昭和二十一年九月、父以外の少年一家の者は、日本に帰国したが、一家の生活の本拠もないので、各自それぞれの親戚知人をたどつて落ちつくこととなり、少年は初め本籍地新潟県○○○郡○○村叔父寺○○作方に寄食して同地の小学校を卒業し、昭和二十二年四月、同村○○中学校に入学したが、昭和二十四年十月、長野県○○○郡○○○村の母の実家に引取られ、昭和二十五年三月、同村○○○中学校を卒業し、同年四月、松本市○○高等学校に入学したが、同月父○内がソ連国を引揚げ日本に帰国するに及び、同年八月、○○高等学校を中退して、同年十一月、父と共に川崎市に到り、同地○○鉄工所で、父子両名工員として勤務することができたので、翌十二月母、次兄の両名も、来つて同居し、ついでそれ迄は本籍地で農業の手伝をしていた長兄○忠も来つて同居したので、昭和二十六年一月数年ぶりで少年一家揃つて正月を祝うことができたのであつた。

その後間もなく、父○内は、○商事会社に入社し、少年も同社の雑役を勤めつつ、夜間、東京都○○区○○○、都立○○○高等学校に通学することとなり、次兄○史は、同年五月、保安官補となり、舞鶴在勤となつた。

昭和二十六年十一月、○商事会社が解散するの止むなきに至つたので、父○内は、現住居に於て薪炭業を開業し、少年は、他に転職したが、昭和二十八年四月初旬、東京都○○区○○、○○大学病院臨床検査室に技術見習生として勤務し、夜間は前記○○○高等学校に通学をつづけることとなつた。

これより先き、昭和二十六年十二月、長兄○忠は、両親に勧められ、修養のため、奈良県丹波市町、天理教総本山の道場に預けられることとなつたが、同所に於ても、素行修まらないので、間もなく帰宅するの止むなきに至つたが、その後も家にあつて無為徒食し、自ら集金した木炭の売掛代金をほしいままに飮酒女遊び等に費消し、家財持出、親戚知人よりの金借を濫行し、覚せい剤の注射をつづけ、両親等が忠告すれば暴行するという乱行ぶりで、これがため一家に風波が絶えなかつた。その後昭和二十八年四月初旬、○忠が東京都○○区所在、○○商会に勤務するに至つても、同人は少しも家計を助けようとはしなかつた。

少年は、性来極めて誠実温順の特性あり、且つ学業職務に対しても、堅忍努力して精励するので、学校の教官、学友、職場の雇主、上級者、同僚の誰からも信頼せられ、愛せられるばかりでなく、両親に対しては、孝心深く、誠意をつくして奉仕するので、両親の信愛を一身に集めていた。従つて永年亘る長兄○忠の乱行は、一家の安泰と両親の幸福とを念願している少年にとつては、常に堪えられぬ心の悩みであり、遂に両親の苦悩を救い、一家の平和を回復するためには、長兄が家にいないことを希望するようになり、殊に昭和二十六年十一月、現住居に移つた以後二回ばかり、長兄を殺そうかと考えたことさえあつたのである。

昭和二十八年五月二十六日午後十時頃、少年は、平常通り夜学を終えて帰宅し、食事をとつていた時、両親より、長兄○忠が前日勤務先の○○商会よりその月分の俸給約五千八百円を受取りながら、その夜は帰宅しないで、遊興に全額を費消し、今朝帰宅した時、俸給のことを聞いても、あいまいの返答でごま化している旨、現在父の家業が予想外に不況で、薪炭の仕入に充てる資本に苦しんでいる旨聞かされて、少年はいたく両親の苦悩に同情すると共に、長兄○忠の乱行に憤激し、両親と一家とを救うには○忠を殺す外ないと考え、ここに同人を殺そうと決意し、食後、薪割を使用して殺害しようとの目的で、平常薪割の置いてある勝手のかまどの傍に薪割をとりに行つたが、その時同所に薪割を発見しなかつたので、同夜はそのまま五畳の間の長兄の寝ている側で寝に就いた。

翌二十七日午前六時四十分頃、少年は朝飯を終えて、前記長兄の寝室に入つた時熟睡中の○忠を見、殺すのは今の内だと思い、急ぎ勝手の間に行き、そこにあつた密柑箱の中より金槌一丁を採り出し、これを携帯して再び寝室に入り、失庭に熟睡中の長兄○忠の掛布団を払いのけ、右金槌で同人の頭部、顏面部、頸部等を乱打し、該個所等に合計二十余の挫創等を負わせ、因つて右○忠をして、同日午前九時、東京都○○区○○、都立○○病院で、脳挫傷、脳圧迫、及出血に因り死亡するに至らしめたものである。

尚少年は同日午前十時、淀橋警察署に自首した。

(証拠の標目)

(1)  本件審判廷における少年○○、実父寺○○内、及び実母寺○利の各陳述

(2)  上記三名、外参考人等につき、少年調査官作成の各調査報告書

(3)  上記三名、外参考人の司法警察員及検察官に対する各供述調書

(4)  少年調査官作成の少年調査票

(5)  鑑定人藤原銀次郎、同酒枝省吾作成の鑑定書

(6)  東京少年鑑別所作成の鑑別結果報告書

(7)  当庁科学調査研究室作成の精神検査結果報告書

(8)  押収に係る金槌一丁

右犯行は、刑法第百九十九条に該当するものである。

本件審判に当り、先づ考慮すべきことは、これを刑事処分に対すべきかどうかという点にあるを以て、先づこの点につき審案することとする。

今少年○○について見るに、東京少年鑑別所の鑑別結果によれば、心情質に変調なく、正常状態にあるとあり、又当庁科学調査研究室の精神検査の結果によれば、忍耐力、持続力、奮鬪性、努力性、感情の制禦力、周囲の暗示、誘惑への抵抗力はいずれも強い方で、性格は健全、異常性はないとあり、なお、実父母、担当教師、その他参考人の意見を綜合考察するに、少年は、性来極めて誠実温順で、しかも明朗、人に対し親切、協調的であり、両親に対し孝心深く、誠意をつくして奉仕し、学業、職務に対しても、堅忍努力して精励するので、学校の教師、学友、職場の雇主、上級者、同僚より信頼せられ、両親の信愛を一身にあつめていたことが認められる。

かような性行の少年○○をして、本件犯行をなさしめるに至つたのは、実に、長兄○忠の永き期間にわたる乱行と両親の苦悩とが要因をなし、そうして親を思う少年の少年らしい純一の感情が、両親と一家とを救うには長兄○忠を殺す外に方法がないと決意せしめたにある。

凡そ、少年犯罪については、

(1)  少年に対し、刑罰が最も有力な保護手段である場合、及び(2)少年について全く保護手段を見出し得ない場合には、刑罰を考慮すべき合理的な根拠があると思料されるが、本件については、このいずれの場合にも当らないことは、詳しく論及するまでもなく、上来くりかえし述べて来た本件事犯の全貌とその動因、並びに少年の素質と環境とに照らして明らかである。

仍て、当裁判所は、本件を検察庁に送致しないで、当庁に於て審判すべきものとし、なお、少年に対し、相当期間試験観察に付するを妥当と思料したので、昭和二十八年七月二日の第二回審判期日に、少年に対し、試験観察に付する決定をし、且つ少年の補導を○町○○教会田○健○牧師に委託することとしたのである。そうして、七月二日以降、少年をして田○牧師の家宅で起臥し、反省修養の日を送らせると共に、九月一日以降、牧師宅より○○大学病院臨床検査室に再び通勤せしめ、九月三日以降、牧師宅より都立○○○高等学校に復校通学せしめ、更に十月一日には、在宅試験観察に変更し、引きつづき少年を調査観察したのである。

少年は、○町○○教会にある間、田○牧師家の家事手伝をする傍ら、勉学に努め、教会の諸行事に参加し、キリスト教の礼拜、説教に親しんで来たのであるが、少年の誠実、謙虚の美点は、その生活態度によく現われ、田○牧師の信頼を受けた。

十月一日、在宅試験観察に変更後も、少年の生活態度に変化なく、家庭に在つては、両親と少年との間、両者の心情に於ても、生活の面に於ても協力的で、両親は少年を庇い、少年は両親をいたわり、家庭の雰囲気は円満平和であつた。なお、少年は、この間日曜毎に教会に参会して、田○牧師の指導を受けて来たのであるが、田○牧師は、少年の素質の裡に誠実、謙虚、親切、努力性等の美点、特性あるのを看取し、少年が他日牧師とならんことを熱心に希望し、将来も引きつづき少年の指導に当ろうとする熱意を持ち、少年及両親も、田○牧師を信頼し、今後引きつづきその指導を受ける決意をしている。

少年は九月一日、○○大学病院臨床検査室に通勤後、常に定刻前三十分前に出勤し、執務の準備、清掃をするなど、その勤務ぶりは従前に比し、一層真面目で熱心になり、研究心は旺盛で、検査技術は上達し、且つ上級者、同僚との融和に努め、同室主任本○利○博士の信頼を受けている。

少年の九月三日学校に復校後の成績を見るに、少年は、本件発生以来、約五十日の欠席あつたにかかわらず、勉学努力の結果、学業成績は上昇の傾向にあり、その学習態度は極めて真面目で、遅刻欠席等一回もなく、学友との交際も円満である。

以上試験観察期間中における調査観察の結果を要約すれば、上記のとおりであつて、その格段によい成果を挙げ得たのは、多くのよい面をもつ少年の素質と、委託先その他の極めてよい環境とに因るものである。

当裁判所は、本件事犯の重大性と特異性とにまつわる国民感情の動向と帰趨、並びにこれと相関する一般予防及び生命犯に対する刑事政策の点につき、深い考慮を払いつつ、しかも少年審判に於ては、少年に対する教育作用が中心に考えられなければならないとする少年審判の本質的要素に鑑み少年○○の上記犯行との動因、少年の素質と環境、並びにその将来の動向を綜合考察した上、右少年に対しては少年院送致、又は保護観察所の保護観察に付する等の必要ないものと認め、仍て少年法第二十三条第二項を適用し、主文のとおり決定する。

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